『徒然草』の現代語訳を、8ページに分けて全文掲載しています。このページ(1)には、序段「つれづれなるままに」から第32段「九月廿日のころ」までの章段を収めました。原文とあわせて読みたい方は、『徒然草』原文(1)をご覧ください。
序段 つれづれなるままに
これといってすることもなく退屈なのにまかせて、一日中、硯に向かって、心に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、何ということもなく書きつけていると、妙に正気を失ったような気持ちになってくる。
第1段 いでや、この世に生まれては
いやはや、この世に生まれたからには、願わしいことがたくさんあるようだ。帝の御位はまことに恐れ多い。皇族の末裔に至るまで、人間の血筋でないのが尊い。摂政・関白のご様子は言うまでもない。臣下でも、朝廷から舎人を賜るほどの身分の人は、立派に見える。その子や孫までは、落ちぶれていても、やはり優雅である。
それより下の身分の人は、身分相応に、時流に乗って得意顔をしているのも、本人はたいしたものだと思っているだろうが、実に情けない。法師ほどうらやましくないものはないだろう。「人からは木の切れ端のように思われることよ」と清少納言が書いているのも、本当にもっともなことである。勢いが盛んで騒ぎ立てているからといって、立派だとは思えない。増賀聖が言ったとかいうように、名声にとらわれて苦しく、仏の御教えに背いているのだろうと思われる。
ひたすらな世捨て人は、かえって望ましい面もあるだろう。
人は、容貌や姿がすぐれているのが望ましいことだろう。
ちょっと口をきいても聞き苦しくなく、愛嬌があって、口数の多くない人とは、いつまでも向き合っていたいものだ。立派だと思っていた人が、がっかりさせられるような本性を見せたりするのは、残念なことだろう。家柄や容貌は生まれつきのものだろうが、心はどうして、賢い上にもさらに賢いほうへ移そうとすれば移らないことがあろうか。
容貌や気立てのよい人でも、学識がなくなってしまうと、品も卑しく顔も憎らしげな人にまじって、たやすく圧倒されてしまうのは不本意なことである。身につけたいのは、本格的な学問の道、漢詩文、和歌、管弦の道、また、有職故実や朝廷の儀式に通じて、人の手本となることで、それこそすばらしいだろう。
字なども下手でなくすらすらと書き、声がよくて拍子をとり、遠慮はするものの、酒が飲めないわけではないのが、男としてはよいのである。
第2段 いにしへの聖の御代の政をも忘れ
昔の聖天子の御代の政治も忘れ、民の嘆きや国が衰えていくことも知らず、何事にも贅沢を尽くして得意になり、場所狭しと威張っている人こそ、ひどく思慮がないように見える。
「衣冠から馬や車に至るまで、あるものに従って用いよ。美しさを求めてはならない」と九条殿の遺誡にもあります。順徳院が宮中のことをお書きになったものにも、「天皇のお召し物は、質素なものをよしとする」とあります。
第3段 万にいみじくとも
何事にすぐれていても、恋の情趣を解さない男は、ひどく物足りなく、玉の杯に底がないような気持ちがするにちがいない。
露や霜にぐっしょり濡れて、あてもなくさまよい歩き、親の意見や世間の非難を気にして心の休まる暇もなく、あれこれと思い乱れ、そのくせ独り寝ばかりでまどろむ夜もないというのが、おもしろいのだ。
そうかといって、ひたすら色恋におぼれているのではなく、女に軽く見られないというのが、望ましいところであろう。
第4段 後の世のこと心に忘れず
来世のことを心に忘れず、仏の道に疎くないのは、奥ゆかしい。
第5段 不幸に愁へに沈める人の
不幸にあって悲しみに沈んでいる人が、頭を剃って出家するなど、軽々しく決心するのではなく、いるのかいないのかわからないほどひっそりと門を閉ざし、何を待つでもなく日々を明かし暮らしているのは、それはそれで望ましい。
顕基中納言が言ったとかいう「配所の月を、罪のない身で見たいものだ」という言葉も、なるほどそう思われるにちがいない。
第6段 わが身のやんごとなからんにも
自分が高貴な身分であっても、まして取るに足らない身であっても、子というものはないほうがよい。
前中書王、九条太政大臣、花園左大臣は、みな子孫が絶えることを願われた。染殿大臣も「子孫がいらっしゃらないのがよいのです。後継ぎが劣っておられるのは悪いことです」と、世継の翁の物語には書いてある。
聖徳太子がご自分の墓を生前にお造らせになったときも、
「ここを切れ、あそこを断て。子孫を残すまいと思うのだ」
とおっしゃったとかいうことだ。
第7段 あだし野の露消ゆる時なく
あだし野の露が消えるときもなく、鳥部山の火葬の煙が立ち去ることもないように、人がいつまでも生き続けるのが世の習いであるならば、どんなにか、もののあわれもないことだろう。この世は無常であるからこそすばらしいのだ。
命あるものを見ると、人間ほど長生きするものはない。かげろうが朝に生まれて夕方を待つばかりの命であり、夏の蝉が春も秋も知らずに終わるようなものもあるのだ。しみじみと1年を暮らすだけでも、このうえなくゆったりとしたものではないか。
いつまでも満足せず、命を惜しいと思うならば、千年を過ごしても一夜の夢のような気がするだろう。いつまでも住み続けられないこの世に、醜い姿になるまで生きながらえて何になろう。命が長ければ、恥をかくことも多い。長くても40歳に届かないくらいで死ぬのが、見苦しくないだろう。
その年頃を過ぎてしまうと、容貌を恥じる気持ちもなくなり、人前に出てつき合おうとばかり思い、夕日のように残り少ない命で子孫をかわいがり、その子孫が栄えていく将来を見届けるまで生きようと願い、ひたすら世俗の欲にとらわれる心ばかり強くなって、もののあわれもわからなくなっていくのは、嘆かわしいことである。
第8段 世の人の心惑はすこと
世の人の心を惑わすことで、色欲に勝るものはない。人の心というのは愚かなものだなあ。
香りなどというものは一時の仮のものなのに、しばらく衣服に香をたきしめているのだと知っていながら、何ともいえないよい香りには、必ず心がときめくものである。
久米の仙人が、洗濯をしている女のすねの白いのを見て、神通力を失ったというのは、本当に、手足や肌などが美しく、ふっくらと脂ののっているのは、外から付け加えた色ではないので、そういうこともあっただろう。
第9段 女は髪のめでたからんこそ
女は髪の美しいのが、人の目を引くようだ。人柄や気立ては、ものを言う様子で、物越しにもわかるものだ。
何かにつけて、ちょっとしたしぐさにも人の心を惑わし、だいたい女が安心して眠ることもせず、身を惜しいとも思わず、耐えられそうもないことにもよく耐え忍ぶのは、ただ恋を思うからである。
まことに、愛欲の道は、その根が深く、源が遠い。六塵の欲望は多いといっても、みな離れようと思えば離れられるものだ。その中で、ただあの色欲の迷いだけは断ちがたく、老いた者も若い者も、知恵のある者も愚かな者も、変わるところがないように見える。
だから、女の髪の毛をよって作った綱には大きな象もしっかりつながれ、女のはいた下駄で作った笛には秋の鹿が必ず寄ってくると言い伝えております。
自ら戒めて、恐れ慎むべきは、この迷いである。
第10段 家居のつきづきしく
住まいが住む人にふさわしく好ましいのは、この世の仮の宿とは思うものの、興味深いものである。
教養のある人がゆったりと住みなしている所は、差し込んでくる月の光も、ひときわしみじみと見えるものだ。現代風に派手できらびやかではないが、木立が古びていて、わざとらしくない庭の草も趣があるさまで、簀子や透垣の配置も趣深く、何気なく置かれた調度品も古風で落ち着いているのこそ、奥ゆかしく見える。
多くの職人が心を尽くして磨き立て、唐のものや日本のもの、珍しくて何ともいえない調度品を並べ置き、庭の草木まで自然のままでなく作り立てているのは、見た目にも苦しく、ひどく興ざめだ。そんなふうにして、いつまでも住み続けられるものだろうか。またたく間に煙となってしまうだろうと、ちょっと見ただけでも思われる。
だいたい、住まいによって、その人の人柄は推し量られるものだ。
後徳大寺大臣が、寝殿に鳶をとまらせまいとして縄を張られたのを、西行が見て、
「鳶がとまっていたとして、何の不都合があろう。この殿のお心はその程度のものなのだ」
と言って、その後は参上しなかったと聞いていますが、綾小路宮がいらっしゃる小坂殿の棟に、いつだったか縄が張られていたので、あの前例が思い出されましたところ、
「そういえば、烏が群がって池の蛙を取ったので、宮がご覧になってかわいそうにお思いになってのことでして」
と人が語ったので、それならばすばらしいことだと思われた。
徳大寺にも、何か理由があったのでしょうか。
第11段 神無月のころ
陰暦10月のころ、栗栖野という所を過ぎて、ある山里に人を訪ねて入ったことがありましたが、はるかに続く苔の細道を踏み分けていくと、ひっそりと心細い様子で住んでいる庵がある。木の葉に埋もれている懸樋のしずく以外には、まったく音を立てるものもない。
閼伽棚に菊や紅葉などが折り散らしてあるのは、やはり住む人がいるからなのだろう。
「こんなふうにしても暮らせるものだなあ」としみじみと見ていると、向こうの庭に大きな柑子の木で、枝もたわむほど実がなっているのが、周りを厳重に囲ってあったのには、少し興ざめして、「この木がなかったらよかったのに」と思われた。
第12段 同じ心ならん人と
同じ心を持つような人と、しんみりと話をして、趣あることも世の中のはかないことも、心置きなく語り合って慰められるのこそうれしいだろうに、そんな人はいるはずもないので、少しも相手に逆らうまいと気を遣って向き合っているのは、ひとりでいるような気がするのではないか。
互いに言いたいことを、「なるほど」と聞く甲斐があるものの、少しは意見の違うところもあるような人こそ、「私はそうは思わない」などと言い争い反発し、「そういうわけで、こうなのだ」とも語り合えば、退屈も慰められるだろうと思うけれど、実際には、少し不満を述べる場合でも、自分と同じ考えでないような人とは、ありふれたとりとめもない話をする間はよいだろうが、本当の心の友としては、はるかに隔たりがあるにちがいないのが、わびしいことよ。
第13段 ひとり灯のもとに文を広げて
ひとり灯火のもとで書物を広げて、見たこともない昔の人を友とするのは、このうえなく心が慰められることである。
書物は、『文選』のしみじみとした巻々、『白氏文集』、『老子』の言葉、『荘子』の諸篇がよい。わが国の博士たちが書いたものも、昔のものはしみじみとしたことが多い。
第14段 和歌こそなほをかしきものなれ
和歌こそ、やはり趣深いものである。身分の低い者や木こりのしわざも、和歌に詠めば趣があり、恐ろしい猪も、「臥す猪の床」と詠めば優雅になってしまう。
近ごろの歌は、一節を気の利いたふうに言いまとめたと見えるものはあるが、昔の歌のように、どういうわけか、言葉の外に、しみじみとした情趣が感じられるものはない。
紀貫之が「糸による物ならなくに」と詠んだ歌は、『古今集』の中の「歌くず」だとか言い伝えているが、今の世の人が詠めるような歌とは思えない。その時代の歌には、姿も言葉も、このたぐいのものばかりが多い。この歌に限ってこのように言い立てられているのも、理由がわからない。『源氏物語』には「物とはなしに」と書いている。
『新古今集』では、「残る松さへ峰にさびしき」と詠んだ歌を「歌くず」と言っているようだが、確かに少しくだけた姿に見えるかもしれない。けれどもこの歌も、衆議判のときによいという評定があって、後にも後鳥羽院が特にご感心になってお言葉を下されたということが、家長の日記には書いてある。
「歌の道だけは昔と変わらない」などと言うこともあるが、さあどうだろうか。今も詠み合っている同じ言葉や歌枕でも、昔の人が詠んだものは、まったく同じものではない。わかりやすく素直で、姿も美しく、情趣も深く感じられる。
『梁塵秘抄』の郢曲の言葉こそ、また、しみじみとしたものが多いようだ。昔の人は、ただ何気なく言い捨てた言葉でも、みなすばらしく聞こえるのだろうか。
第15段 いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ
どこであっても、しばらく旅に出ているのこそ、目が覚めるような新鮮な気持ちがするものだ。そのあたりをあちこち見て歩き、田舎めいた所や山里などは、ひどく見慣れないことばかりが多い。
都へつてを求めて手紙を送る。
「あのこと、このこと、ついでのときに忘れずに」
などと書き送るのはおもしろい。そのような所でこそ、何かにつけて心遣いされるものだ。
持っている調度品まで、よいものはよりよく見え、才能のある人や容貌のよい人も、ふだんよりはすばらしく見える。寺や神社などにこっそりこもっているのも趣深い。
第16段 神楽こそなまめかしく
神楽こそ優雅でおもしろい。だいたい楽器の音では、笛と篳篥がよい。いつも聴きたいのは、琵琶と和琴である。
第17段 山寺にかきこもりて
山寺にこもって仏にお仕えするのこそ、退屈することもなく、心の濁りも清められる気持ちがする。
第18段 人はおのれをつづまやかにし
人は自分の身をつつましくし、贅沢を退けて、財産を持たず、世俗の利益をむさぼらないのがすばらしいのだろう。昔から、賢い人が裕福であることはまれである。
中国の許由という人は、まったく身についた蓄えもなくて、水さえも手ですくって飲んでいたのを見て、ある人がひょうたんというものを与えたところ、ある時、木の枝に掛けておいたのが風に吹かれて鳴ったので、「うるさい」と言って捨ててしまった。そしてまた、手ですくって水を飲んだ。どれほど心の中はすがすがしかったことだろう。
孫晨は、冬の間、夜具がなくて、藁が一束あったのを、夕方にはこれに寝て、朝には片づけた。
中国の人は、これをすばらしいと思ったからこそ、書き記して後の世に伝えたのだろう。
わが国の人なら、語り伝えもしないだろう。
第19段 折節の移り変はるこそ
季節が移り変わっていくのこそ、何事につけてもしみじみと趣深い。「もののあわれは秋がまさっている」と誰もが言うようだが、それももっともなことであるけれど、いっそう心が浮き立つものは、春の景色であるようだ。
鳥の声なども格別に春めいて、のどかな日ざしのもと、垣根の草が芽を出すころから、だんだんと春が深まり一面に霞がかかって、桜の花もようやく咲きそうになってくるちょうどそのころに、あいにく雨風が続いて、心せわしく散ってしまう。青葉になっていくまで、何かにつけてただ心を悩ませるばかりだ。橘の花は昔を思い出させるものとして名高いけれど、やはり梅の香りによって、昔のことも今に立ち返って恋しく思い出される。山吹が清らかに咲き、藤の花がぼんやりとかすんで咲いている様子など、すべて思い捨てがたいものが多い。
灌仏会のころ、賀茂祭のころ、「若葉の梢が涼しげに茂っていくころこそ、世のあわれも人の恋しさもまさるものだ」とある方がおっしゃったのは、本当にそのとおりである。5月、菖蒲を軒に葺くころ、早苗を取るころ、水鶏が戸をたたくように鳴くのなど、心細くないことがあろうか。6月のころ、粗末な家に夕顔が白く見えて、蚊遣火がくすぶっているのも趣がある。六月祓もまたおもしろい。
七夕を祭るのは優美である。
しだいに夜寒になるころ、雁が鳴いてやってくるころ、萩の下葉が色づくころ、早稲田を刈って干すころなど、取り集めておもしろいことは秋に多い。また、野分の翌朝こそおもしろい。
こう言い続けると、みな『源氏物語』や『枕草子』などで言い古されていることだが、同じことを今さら言うまいというのでもない。思っていることを言わないのは腹がふくれるような不快なことなので、筆にまかせて書くつまらない慰みごとで、書いてはすぐ破り捨てるべきものだから、人が見るはずのものでもない。
さて、冬枯れの景色こそ、秋にはほとんど劣らないだろう。水際の草に紅葉が散りとどまって、霜がたいそう白く降りている朝、遣水から湯気が立っているのこそおもしろい。
年が暮れきって、誰もが忙しくしているころは、またとなく趣深い。殺風景なものとして見る人もいない月が、寒々と澄んでいる20日過ぎの空こそ、心細いものである。御仏名や荷前の使いが出立するのなどは、しみじみと尊い。宮中の儀式が多く、新春の準備と重ねて催し行われるさまは、すばらしいことよ。追儺から四方拝へと続くのこそおもしろい。
大晦日の夜、たいそう暗い中で松明をともして、夜中過ぎまで人の家の門をたたいて走り回り、何事であろうか、大げさに騒ぎ立てて、足も地につかないほどあわてふためいているのが、明け方からはさすがに静かになってしまうのは、過ぎゆく年の名残も心細い。亡くなった人が帰ってくる夜だといって魂を祭る行事は、近ごろ都ではなくなったが、東国ではまだ行っていたのは、しみじみと感慨深かった。
こうして明けていく空の様子は、昨日と変わっているとは見えないが、打って変わって新鮮な気持ちがする。大路の様子も、門松を立て並べて華やかでうれしそうなのも、またしみじみと趣深い。
第20段 なにがしとかや言ひし世捨て人の
何とかいった世捨て人が、
「この世の束縛を何ひとつ持たない身にとって、ただ空の名残だけが惜しい」
と言ったのは、本当にそう思われるにちがいない。
第21段 よろづのことは、月見るにこそ
何事も、月を見ることで心が慰められるものだ。ある人が、
「月ほどおもしろいものはないだろう」
と言ったところ、もう一人が、
「露こそしみじみと趣深い」
と言い争ったのはおもしろい。
折にふれてみれば、何がしみじみとしないことがあろうか。月や花は言うまでもない。風こそが、とりわけ人の心にしみるようだ。岩に砕けて清らかに流れる水の様子こそ、季節を問わずすばらしい。
沅水と湘水は昼も夜も東へ流れ去っていく。愁いに沈む人のために、しばらくもとどまることはない
という詩を見ましたのは、しみじみと感じられた。嵇康も「山や沢に遊んで、魚や鳥を見ると心が楽しくなる」と言っている。
人里離れて、水も草も清らかな所をさまよい歩くことほど、心が慰められることはないだろう。
第22段 何事も古き世のみぞ慕はしき
何事も、昔の世ばかりが慕わしい。当世風のものは、ひどく下品になっていくようだ。
あの木工の職人が作った美しい器も、昔の形のものこそ趣深く見える。手紙の言葉なども、昔の書き古しの手紙に書かれたものがすばらしい。ふだん話す言葉も、情けないものになっていくようだ。
昔は「車もたげよ」「火かかげよ」と言ったのに、当世の人は「もてあげよ」「かきあげよ」と言う。「主殿寮、人数立て」と言うべきところを、「たちあかし白くせよ」と言い、最勝講の天皇の御聴聞所であるところを「御講の廬」と言うべきなのに、「講廬」と言うのは情けないと、古老の方がおっしゃった。
第23段 衰へたる末の世とはいへど
衰えてしまった末の世とはいっても、やはり宮中の神々しいありさまこそ、俗世離れしてすばらしいものである。露台、朝餉、何々殿、何々門などは、すばらしく聞こえるにちがいない。粗末な家にもありそうな小蔀、小板敷、高遣戸なども、宮中のものとなるとすばらしく聞こえる。
陣で「夜の設けせよ」と言うのはすばらしい。夜御殿のことを「かいともしとうよ」などと言うのも、またすばらしい。上卿が陣で政務を行うさまは言うまでもない。
諸役所の下役人たちが、得意顔でもの慣れているのもおもしろい。あれほど寒い夜に、一晩中あちこちで居眠りしているのはおもしろい。
「内侍所の御鈴の音は、すばらしく優雅なものだ」と、徳大寺太政大臣はおっしゃった。
第24段 斎王の野宮におはしますありさまこそ
斎王が野宮にいらっしゃるありさまこそ、優美でおもしろいことの極みだと思われた。「経」や「仏」などという言葉を忌んで、「なかご」「染紙」などと言うというのもおもしろい。
すべて、神社こそ捨てがたく、優美なものであることよ。古びた森の様子もただならぬうえに、玉垣を巡らして、榊に木綿を掛けてあるのなど、すばらしくないことがあろうか。
とりわけ趣深いのは、伊勢、賀茂、春日、平野、住吉、三輪、貴布禰、吉田、大原野、松尾、梅宮である。
第25段 飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば
飛鳥川の淵と瀬が定まらないように、無常の世であるので、時が移り、物事が過ぎ去り、楽しみも悲しみも行き交って、華やかだったあたりも人の住まない野原となり、変わらない家も住む人が入れ替わってしまう。桃や李はものを言わないので、誰と昔のことを語り合おうか。まして、見たこともない昔の尊い人の跡ばかりは、ひどくはかないものである。
京極殿や法成寺などを見るにつけ、建てた人の志はとどまっているのに、事物が変わってしまったさまは、しみじみと感慨深い。
御堂殿(藤原道長)が造営し磨き立てなさって、荘園を多く寄進され、自分の一族だけが帝の後見役、天下の柱石として、将来まで栄えるようにとお考えになっていたとき、どんな世になっても、これほど荒れ果ててしまうとはお思いになっただろうか。
大門や金堂なども最近まであったが、正和のころに南門は焼けてしまった。金堂はその後倒れ伏したままで、再建することもない。無量寿院だけが、その名残として残っている。丈六(約4.8メートル)の仏が9体、たいそう尊い姿で並んでいらっしゃる。行成大納言の書いた額、兼行が書いた扉の文字が鮮やかに見えるのは、しみじみと感慨深い。法華堂なども、まだ残っているようだ。
これもまた、いつまで残っているだろうか。これほどの名残さえない所々は、たまたま礎石だけが残っているものもあるが、はっきりとそれを知る人もいない。
だから、何事につけても、自分が見ることのない後の世のことまで考えておくのは、はかないことであろう。
第26段 風も吹きあへずうつろふ
風も吹かないうちに散ってしまう花のように移ろいやすい人の心に、慣れ親しんだ年月を思うと、しみじみと聞いた言葉の一つ一つは忘れないものの、相手が自分とは無縁の人になっていくのが世の習いであるのは、死別よりもまさって悲しいものである。
だから、白い糸が染まってしまうことを悲しみ、道の分かれ目で別れることを嘆いた人もいたのだろう。
堀川院の百首の歌の中に、
昔見た恋人の家の垣根は荒れてしまったことよ。茅花まじりのすみれが咲いているばかりで
寂しい様子が、そういうことであったのだろう。
第27段 御国譲りの節会行はれて
御譲位の節会が行われて、剣、璽、内侍所をお渡し申し上げるときこそ、このうえなく心細い。新院が御位を下りられた年の春に、お詠みになったとかいう歌、
主殿寮の役人たちが私をよそごとにして掃除もしないので、庭には桜の花が一面に散り敷いている
今の御代の多忙に紛れて、院には参上する人もいないのが寂しそうである。こういう折にこそ、人の心もはっきりと表れるのだろう。
第28段 諒闇の年ばかり
天皇が喪に服される諒闇の年ほど、しみじみとしたものはないだろう。
倚廬の御所の様子など、板敷を低くし、葦の御簾を掛けて、布の帽額も粗末で、御調度類も質素にし、人々の装束や太刀、平緒まで、ふだんとは違っているのは、厳粛な感じがする。
第29段 静かに思へば
静かに思うと、何事につけても、過ぎ去った昔の恋しさだけはどうしようもない。
人が寝静まった後、長い夜の慰みに、何ということもない道具類を片づけ、残しておくまいと思う古い手紙などを破り捨てる中に、亡くなった人の手習いや、絵を描いて慰んだものを見つけたときこそ、ただその当時の気持ちになる。
今生きている人の手紙でさえ、長い年月がたって、どんな折の、何年のものだったろうかと思うのは、しみじみとするものだ。
使い慣れた道具なども、心もないまま、変わらずに長く残っているのは、ひどく悲しい。
第30段 人のなき跡ばかり悲しきはなし
人が亡くなった後ほど悲しいものはない。
四十九日の間、山里などに移って、不便で狭い所に大勢が集まり住んで、追善の仏事を営み合っているのは、あわただしい。日数が速く過ぎていくのは、比べるものがないほどだ。最後の日には、たいそう情愛もなく、互いに言葉を交わすこともなく、我先にと賢げに荷物をまとめて、散り散りに去っていく。もとの住まいに帰ってからこそ、さらに悲しいことが多いにちがいない。
「これこれのことは、ああ恐れ多い、残された者のために忌むべきことだ」などと言っているのこそ、「これほどの悲しみの中で、どうしてそんなことを」と、人の心はやはり嫌なものだと思われる。年月がたっても、少しも忘れるわけではないが、「去る者は日々に疎し」と言うことなので、そうは言っても、亡くなった当座ほどには悲しく思われないのだろうか。とりとめもないことを言って、つい笑ったりもする。
亡骸は人気のない山の中に葬って、しかるべき日にだけお参りして見ると、まもなく卒塔婆も苔むし、木の葉が降り積もって埋もれ、夕暮れの嵐や夜の月だけが訪れてくるよすがとなるのだった。思い出して偲ぶ人がいるうちはまだよいが、その人もまたまもなく亡くなって、話に聞き伝えるだけの子孫は、しみじみと思うだろうか、いや思いはしない。
そうなると、供養することも絶えてしまうので、どこの誰とも名前さえわからず、毎年の春の草だけを、心ある人はしみじみと見るだろうが、ついには、嵐にむせび泣くように鳴っていた松も、千年を待たずに薪として砕かれ、古い墓は鋤き返されて田となってしまう。その跡形さえなくなってしまうのは悲しい。
第31段 雪のおもしろう降りたりし朝
雪がおもしろく降った朝、ある人のところへ言うべきことがあって手紙を送るのに、雪のことを何も書かなかったところ、その返事に、
「『この雪をどう見ますか』と一筆もお書きにならないほどの、ひねくれた方のおっしゃることを、聞き入れることができましょうか。返す返すも残念なお心です」
と書いてあったのは、おもしろかった。
今は亡き人なので、これくらいのことも忘れがたい。
第32段 九月廿日のころ
陰暦9月20日のころ、ある方にお誘いいただいて、夜が明けるまで月を見て歩いたことがありましたが、その方が思い出される所があって、取り次ぎを頼んでお入りになった。荒れた庭に露がしっとりと降りている中に、わざわざたいたとも思えない香の匂いがしっとりと薫って、ひっそりと暮らしている様子が、たいそうしみじみと感じられた。
ほどよい時間でその方はお出になったが、私はやはりその家の様子が優雅に思われて、物陰からしばらく見ていたところ、家の主は妻戸をもう少し押し開けて、月を眺めている様子である。
すぐに掛け金をかけて中に引きこもってしまったなら、残念だったろう。客が帰った後まで見ている人がいるとは、どうして知ろうか。
このような振る舞いは、ただふだんの心がけによるのだろう。その人は、まもなく亡くなってしまったと聞きました。



