『徒然草』の現代語訳を、8ページに分けて全文掲載しています。このページ(2)には、第33段「今の内裏造り出だされて」から第59段「大事を思ひ立たん人は」までの章段を収めました。原文とあわせて読みたい方は、『徒然草』原文(2)をご覧ください。
第33段 今の内裏造り出だされて
今の内裏が造営されて、有職故実に詳しい人々にお見せになったところ、どこにも欠点はないということで、もう遷幸の日も近くなっていたときに、玄輝門院がご覧になって、
「閑院殿の櫛形の窓は、丸く、縁もなかった」
とおっしゃったのは、すばらしいことだった。
これは、木の葉形の切れ込みが入って、木で縁取りをしてあったので、誤りであるとして直されたのだった。
第34段 甲香はほら貝のやうなるが
甲香は、ほら貝のようなもので、小さくて、口のあたりが細長く突き出ている貝の蓋である。
武蔵国の金沢という浦にあったのを、土地の者は「へなたりと申します」と言った。
第35段 手のわろき人の
字の下手な人が、遠慮せずに手紙をどんどん書くのはよい。見苦しいといって、人に代筆させるのは嫌味である。
第36段 久しくおとづれぬころ
長い間訪ねていかなかったころ、女はどんなに恨んでいるだろうと、自分の怠慢が思い知らされて、言い訳の言葉もない気持ちでいたところ、女のほうから、
「下働きの者はいますか。ひとり貸してください」
などと言ってよこしたのは、めったにないことでうれしい。
「そういう気立ての人がよい」
と人が申しましたが、本当にそうだろう。
第37段 朝夕隔てなく馴れたる人の
朝夕隔てなく慣れ親しんでいる人が、ふとしたときに、自分に気兼ねをして、きちんとした態度に見えるのを、「今さらそんなによそよそしくしなくても」などと言う人もいるだろうが、やはり誠実で、よい人だなと思われる。
親しくない人が、打ち解けたことなどを言ったのも、また、好ましいと心ひかれるにちがいない。
第38段 名利に使はれて
名誉や利益に使われて、心静かな暇もなく、一生を苦しめるのこそ愚かである。
財産が多いと、身を守ることがおろそかになる。害を招き、わずらいを呼び寄せる仲立ちとなるものだ。死後に黄金を積んで北斗星を支えるほどになっても、人のためにわずらわされるだけだろう。愚かな人の目を喜ばせる楽しみも、またつまらない。大きな車、肥えた馬、金や宝玉の飾りも、心ある人は、ひどく愚かだと見るだろう。黄金は山に捨て、玉は淵に投げるのがよい。利益に惑うのは、きわめて愚かな人である。
埋もれることのない名を長く後の世に残すのこそ、望ましいことだろう。位が高く尊い人を、すぐれた人と言うべきだろうか。愚かでつたない人でも、よい家に生まれ時運に恵まれれば、高位に昇り、贅沢を極める者もいる。すばらしかった賢人や聖人でも、自ら低い地位にとどまり、時運に恵まれずに終わってしまった人もまた多い。ひたすら高い官位を望むのも、その次に愚かである。
知恵と心とこそ、世にすぐれているという名誉も残したいものだが、よくよく考えると、名誉を愛するのは、人の評判を喜ぶことである。ほめる人もけなす人も、ともにこの世にとどまらない。伝え聞く人も、またすぐに去っていくだろう。誰に対して恥じ、誰に知られることを願おうか。名誉はまた、非難のもとである。死後に名が残っても、まったく益がない。これを願うのも、その次に愚かである。
ただし、しいて知恵を求め、賢さを願う人のために言うならば、知恵が生まれると偽りが起こる。才能は煩悩が増大したものである。伝え聞いて、学んで知るのは、本当の知恵ではない。何を知恵と言うべきだろうか。可と不可とは一つのものである。何を善と言うのか。真の人は、知恵もなく、徳もなく、功績もなく、名声もない。誰が知り、誰が伝えるだろうか。これは、徳を隠し、愚かさを装っているのではない。もともと賢と愚、得と失の境地にいないからである。
迷いの心を持って名誉と利益を求めると、このようになる。あらゆることはみな否定されるべきものである。言うに値しない。願うに値しない。
第39段 ある人、法然上人に
ある人が法然上人に、
「念仏のときに眠気に襲われて、修行を怠ってしまいますが、どうしたらこの妨げをなくせるでしょうか」
と申し上げたところ、
「目が覚めているあいだ念仏しなさい」
とお答えになったのは、たいそう尊いことであった。
また、
「往生は、確かだと思えば確かであり、不確かだと思えば不確かである」
とおっしゃった。これも尊い。
また、
「疑いながらでも念仏すれば往生する」
ともおっしゃった。これもまた尊い。
第40段 因幡の国に
因幡国に、何とかいう入道の娘が器量がよいと聞いて、多くの人が求婚し続けたが、この娘はただ栗ばかりを食べて、まったく米の類を食べなかったので、
「このような変わり者は、人に嫁ぐべきではない」
と言って、親は結婚を許さなかった。
第41段 五月五日、賀茂の競べ馬を
5月5日、賀茂の競べ馬を見物しましたときに、牛車の前に雑人たちが立ちふさがって見えなかったので、それぞれ車から降りて、柵の際に寄ったけれども、とりわけ人が多く立ち込んでいて、分け入れそうもない。
そんなときに、向かい側の楝の木に法師が登って、木の股に座って見物している者がいる。木につかまりながら、ひどく居眠りをして、落ちそうになるたびに目を覚ますことが、何度もある。
これを見る人が、あざけりあきれて、
「とんでもない愚か者だなあ。こんなに危ない枝の上で、よくも安心して眠っていられるものだ」
と言うので、私の心にふと思いついたままに、
「私たちの死がやって来るのも、今すぐかもしれない。それを忘れて見物して日を暮らしている愚かさは、あの法師よりもなおまさっているのに」
と言ったところ、前にいた人たちが、
「本当にそのとおりでございます。まったく愚かなことでございます」
と言って、みな後ろを振り返って、
「ここへお入りください」
と言って、場所をあけて呼び入れてくれました。
これくらいの道理は、誰でも思いつかないことではないけれども、折が折だけに思いがけない気持ちがして、胸に響いたのだろうか。人は木や石ではないので、時によっては物に感動することがないわけではない。
第42段 唐橋中将といふ人の子に
唐橋中将という人の子に、行雅僧都といって、教相を人に教える師をしている僧がいた。
のぼせる病気があって、年がしだいにたけていくにつれて、鼻の中がふさがって、息も出しにくくなったので、いろいろと治療したけれど、病状が重くなって、目、眉、額なども腫れあがり、覆いかぶさってしまったので、ものも見えない。
二の舞の面のように見えたが、ただ恐ろしく、鬼の顔になって、目は頭のてっぺんのほうにつき、額のあたりが鼻になったりして、後には僧坊の中の人にも会わずに閉じこもって、長い年月を過ごした後、さらに病状が重くなって、死んでしまった。このような病気もあるものなのだなあ。
第43段 春の暮れつかた
春の終わりごろ、のどかで優美な空のもと、身分の卑しくない人の家で、奥深く、木立が古びて、庭に散りしおれている花が見過ごしがたいので、中に入って見ると、南向きの格子はみな下ろして、寂しげな様子なのに、東に向いて妻戸がほどよく開いているところの、御簾の破れ目からのぞくと、容貌の美しい男で、年は20歳ほどの者が、くつろいではいるけれど、奥ゆかしく落ち着いた様子で、机の上に書物を広げて読んでいる。
どのような人だったのだろうか。尋ねて聞きたいものだ。
第44段 あやしの竹の編戸のうちより
粗末な竹の編戸の中から、たいそう若い男が、月の光のもとで色合いははっきりしないが、つややかな狩衣に濃い紫の指貫を着て、たいそう由緒ありげな様子で、小さな童をひとり連れて、はるか遠くの田の中の細道を、稲葉の露に濡れながら分け行くあいだ、笛を何ともいえないほど見事に気ままに吹いている。そのすばらしさを聞き知ってくれる人もいないだろうと思うと、行き先を知りたくて、見送りながらついていくと、男は笛を吹きやめて、山の際にある総門の中に入っていった。榻に轅を立てかけた車が見えるのも、都よりは目にとまる気持ちがして、下男に尋ねると、
「これこれの宮様がいらっしゃるころで、御仏事などがあるのでございましょうか」
と言う。御堂のほうに法師たちが参上している。
夜寒の風に乗って漂ってくる空薫物の香りも、身にしみる気持ちがする。寝殿から御堂の廊下に通う女房が、通り過ぎた後に漂う香りにまで心を配っているなど、人目のない山里だというのに、気を遣っている。
心のままに茂った秋の野原は、置きあまるほどの露に埋もれて、虫の音が恨みごとを言うように聞こえ、遣水の音ものどかである。
都の空よりは、雲の行き来も速いような気がして、月が晴れたり曇ったりして定まらない。
第45段 公世の二位のせうとに
公世の二位の兄で、良覚僧正と申し上げた方は、きわめて怒りっぽい人であった。
僧坊のそばに大きな榎の木があったので、人々は「榎木僧正」と呼んだ。「この呼び名はけしからん」と言って、その木を切ってしまわれた。
その切り株が残っていたので、「切りくいの僧正」と呼んだ。いよいよ腹を立てて、切り株を掘り捨てたところ、その跡が大きな堀になっていたので、「堀池の僧正」と呼んだ。
第46段 柳原の辺に
柳原のあたりに、「強盗法印」と呼ばれる僧がいた。たびたび強盗にあったので、この名をつけたということだ。
第47段 ある人、清水へ参りけるに
ある人が清水寺へ参詣したところ、年老いた尼が道連れになったが、道中ずっと、
「くさめ、くさめ」
と唱えながら歩いていったので、
「尼御前、何をそのようにおっしゃっているのですか」
と尋ねたけれども、返事もせずに、なおも唱えやめないでいたが、何度も尋ねられて、腹を立てて、
「ええ、うるさい。くしゃみをしたとき、こうしてまじないをしないと死んでしまうと言いますので、お育て申し上げている若君が比叡山で稚児をしていらっしゃるが、ちょうど今ごろくしゃみをなさっているかもしれないと思うので、こう唱えているのです」
と言った。めったにない真心であったことよ。
第48段 光親卿、院の最勝講奉行して
光親卿が、院の最勝講の奉行としてお仕えしていたのを、院が御前にお召しになって、お食事をお出しになって食べさせなさった。さて、光親卿は食べ散らかした膳を御簾の中へ差し入れて、退出してしまった。
女房たちが、
「まあ汚い。誰に片づけさせようというのかしら」
などと言い合ったところ、
「有職故実にかなった振る舞いで、立派なことである」
と、院は繰り返し感心なさったということだ。
第49段 老い来て、はじめて道を行ぜんと
年をとってから、はじめて仏道を修行しようと待っていてはならない。古い墓の多くは、若くして死んだ人のものである。
思いがけず病気にかかって、たちまちこの世を去ろうとするときになってはじめて、過ぎてきた人生の誤りがわかるものだ。誤りというのは、ほかでもない、すぐにすべきことを後回しにし、後回しにしてよいことを急いで、過ぎ去った日々を悔やむことである。そのときになって悔やんでも、何の甲斐があろうか。
人は、ただ、無常がわが身に迫っていることを心にしっかりと留めて、少しの間も忘れてはならないのである。そうすれば、どうしてこの世の煩悩も薄くならず、仏道に励む心も真剣にならないことがあろうか。
昔いた聖は、人がやって来て自分や他人の用件を話すとき、答えて言うには、
「今、差し迫った大事があって、もう朝か夕かという瀬戸際なのだ」
と言って、耳をふさいで念仏を唱え、ついに往生を遂げたと、『往生拾因』に書いてあります。
心戒といった聖は、あまりにもこの世がかりそめのものであることを思って、静かに腰を落ち着けることさえなく、いつもうずくまってばかりいた。
第50段 応長のころ、伊勢の国より
応長のころ、伊勢国から、「女が鬼になったのを連れて都に上ってきた」ということがあって、そのころ20日ほど、毎日、京や白川の人が、鬼を見に行くといって、あてもなく出歩いた。
「昨日は西園寺に参上したそうだ。今日は院の御所へ参るだろう。今はあそこにいる」
などと言い合っている。確かに見たという人もなく、うそだと言う人もいない。身分の上下を問わず、ただ鬼のことばかり言い続けている。
そのころ、東山から安居院のあたりへ出かけましたところ、四条から北の人が、みな北を目指して走っていく。「一条室町に鬼がいる」と騒ぎ合っている。今出川のあたりから見やると、院の御桟敷のあたりは、まったく通れそうもないほどに人が立ち込んでいる。
「まんざら根拠のないことでもないようだ」
と言って、人をやって見させたが、まったく鬼に出会った者はいない。日が暮れるまでこうして騒ぎ立てて、ついには喧嘩まで起こって、あきれたこともあった。
そのころ、世間一般に、2、3日病気にかかる人がいましたのを、
「あの鬼のうわさは、この前兆を示していたのだなあ」
と言う人もおりました。
第51段 亀山殿の御池に
亀山殿の御池に、大井川の水を引き入れようとして、大井の土地の住民にお命じになって、水車を造らせなさった。
多くのお金を与えなさって、数日かけて造り上げて、取り付けたところ、まったく回らなかったので、あれこれと直したけれども、とうとう回らずに、むなしく立っていた。
そこで、宇治の里の人をお呼びになって作らせたところ、やすやすと組み立てて差し上げたが、思いどおりに回って、水をくみ入れることが見事であった。
何事でも、その道を知っている者は、尊いものである。
第52段 仁和寺にある法師
仁和寺にいたある法師が、年をとるまで石清水八幡宮を参拝したことがなかったので、情けなく思って、あるとき思い立って、ただひとり、徒歩でお参りした。極楽寺や高良社などを拝んで、これだけのものだと思い込んで帰ってしまった。
さて、仲間に会って、
「長年思っていたことを、果たしました。聞いていた以上に尊くいらっしゃいました。それにしても、参詣する人がみな山へ登っていったのは、何事があったのでしょうか。行ってみたかったけれど、神へお参りすることこそ本来の目的だと思って、山までは見ませんでした」
と言ったそうだ。
ちょっとしたことにも、案内者はあってほしいものである。
第53段 これも仁和寺の法師
これも仁和寺の法師の話だが、稚児が法師になろうとする名残だといって、みなで遊ぶことがあった際に、酔って興に乗るあまり、そばにあった足鼎を取って頭にかぶったところ、つかえるようになったのを、鼻を押し平たくして顔を差し入れて舞い出たので、その場にいた者はみな、このうえなく面白がった。しばらく舞った後、抜こうとすると、まったく抜けない。酒宴も興ざめして、どうしたらよいかと途方に暮れた。
あれこれすると、首のまわりが傷ついて血が流れ、ただただ腫れあがって、息も詰まってきたので、打ち割ろうとするが、たやすくは割れず、頭に響いて耐えがたかったので、どうにもならず、なすすべもなくて、三本足の角の上に帷子をかぶせて、手を引き、杖をつかせて、京にいる医者のところへ連れていった。その道中、人々が怪しんで見ることといったらこのうえない。医者のもとに入って、向かい合って座っていたありさまは、さぞかし異様だったことだろう。
ものを言っても、くぐもった声が響いて聞き取れない。
「このような症例は書物にも見当たらず、伝えられている治療法もない」
と医者が言うので、また仁和寺へ帰って、親しい者や年老いた母などが、枕もとに寄り集まって泣き悲しむけれど、本人は聞いているとも思えない。
そうしているうちに、ある者が言うには、
「たとえ耳や鼻がちぎれてなくなっても、命だけはどうして助からないことがあろうか。ただ力を込めて引っ張りなさい」
と言って、藁の芯を首のまわりに差し入れて、鼎の金具と首とを隔てて、首もちぎれるほどに引っ張ったところ、耳や鼻が欠けて穴があきながら、抜けたのだった。
危うい命を取りとめて、長い間病みついていたということだ。
第54段 御室にいみじき児のありけるを
仁和寺の御室に、かわいらしい稚児がいたのを、何とか誘い出して遊ぼうとたくらむ法師たちがいて、芸のある遊芸の法師たちなどを仲間に引き込んで、風流な破子のようなものを念入りにこしらえて、箱のようなものにしまい入れて、双の岡の都合のよい所に埋めておいて、紅葉を散らしかけたりなど、思いもよらない様子にしておいて、御所に参上して、稚児を誘い出したのだった。
法師たちはうれしく思って、あちらこちらを遊び回って、さきほどの苔の敷物のような所に並んで座って、
「ひどく疲れてしまった。ああ、紅葉を焚いて酒を温めてくれる人がいたらなあ。霊験あらたかな僧たちよ、祈ってみなさい」
などと言い合って、埋めた木のもとに向かって、数珠をすり、印を大げさに結んだりして、仰々しく振る舞って、木の葉をかきのけたけれど、まったく何も見えない。場所を間違えたのかと思って、掘らない所もないほど山中を探し回ったけれど、なかった。
埋めたのを人が見ておいて、法師たちが御所へ参上している間に盗んだのであった。
法師たちは言葉もなく、聞き苦しいほどに言い争い、腹を立てて帰ってしまった。
あまりに面白くしようとすることは、必ずつまらない結果になるものである。
第55段 家の作りやうは、夏をむねとすべし
家の造り方は、夏を主とするのがよい。冬はどんな所にでも住める。暑いころに悪い住まいは、耐えがたいものである。
深い水は涼しげでない。浅くて流れているのが、はるかに涼しい。
細かいものを見るには、遣戸の部屋は蔀の部屋よりも明るい。天井の高いのは、冬は寒く、灯火が暗い。
建築は、使い道のない所を作っておくのが、見た目にもおもしろく、いろいろな役にも立ってよいと、人々が論じ合っておりました。
第56段 久しく隔たりて逢ひたる人の
久しく会わずにいた人に会ったとき、自分のほうにあったことを、あれこれと残らず話し続けるのは、興ざめである。隔てなく慣れ親しんだ人でも、しばらくたってから会うときは、気恥ずかしくないことがあろうか。
品のない人は、ちょっと出かけても、「今日あったこと」と言って、息もつかずに話して面白がるものだ。
教養のある人が話をするときは、人が大勢いても、一人に向かって話すのを、自然と他の人も聞くのである。品のない人は、誰に向かうともなく、大勢の中に乗り出して、見てきたことのように話すので、みな同じように笑い騒ぐ。ひどくやかましい。
おもしろいことを言ってもあまり面白がらないのと、つまらないことを言ってもよく笑うのとで、人の品性の程度は推し量られるにちがいない。
人の容姿のよしあしや、学問のある人ならその学識などを論じ合っているときに、自分のことを引き合いに出して話すのは、ひどく見苦しい。
第57段 人の語り出でたる歌物語の
人が話す歌物語で、その歌が下手なのは残念である。少しでも歌の道を知っている人なら、すばらしいと思っては話さないだろう。
すべて、よく知りもしない道の話をするのは、はたで聞いていて気の毒で、聞き苦しい。
第58段 道心あらば住む所にしもよらじ
「仏道を求める心があれば、住む所には関係あるまい。家にいて人と交わっていても、来世の極楽往生を願うのに難しいことがあろうか」と言うのは、まったく来世のことをわかっていない人である。
本当にこの世をはかないものと思い、必ず生死の迷いから抜け出そうと思うならば、何のおもしろみがあって、朝夕主君に仕え、家のことを気にかける営みに励むことができようか。心は周囲の縁に引かれて移るものなので、静かな環境でなければ仏道は修行しにくい。
今の人の器量は、昔の人には及ばない。山林に入っても、飢えをしのぎ嵐を防ぐ手立てがなくては生きていけないものなので、自然と世俗をむさぼるのに似たことも、場合によってはどうしてないことがあろうか。だからといって、「出家した甲斐がない。その程度なら、どうして世を捨てたのか」などと言うのは、あまりにひどいことである。
さすがに一度仏道に入って世を捨てた人は、たとえ欲望があったとしても、権勢のある人の貪欲の多さには似るはずがない。紙の夜具、麻の衣、一鉢の食べ物、あかざの吸い物など、どれほど人の費用をかけるだろうか。求めるものはたやすく手に入り、その心はすぐに満ち足りるにちがいない。出家の姿をしていることを恥じる気持ちもあるので、そうは言っても、悪からは遠ざかり、善には近づくことばかりが多い。
人として生まれた甲斐には、どうにかして世を逃れることこそ望ましい。ひたすら欲をむさぼることに励んで、悟りの道に向かわないのは、あらゆる畜生と変わるところがないのではないか。
第59段 大事を思ひ立たん人は
大事を思い立とうとする人は、捨てがたく気にかかることの本来の目的を遂げようとせずに、そのまま捨ててしまうべきである。
「しばらくこのことを済ませてから、どうせならあのことを処理しておいてから、これこれのことは人から嘲られるかもしれない、将来非難されないようにきちんと準備してから、長年こうして過ごしてきたのだから、そのことが済むのを待ったところでたいした時間はかかるまい。慌ただしくないように」などと思っていると、避けられないことばかりがますます重なって、用事の尽きるときもなく、思い立つ日も来るはずがない。だいたい世間の人を見ると、少し分別のある程度の人は、みなこうした予定を立てているうちに一生を終えてしまうようだ。
近所の火事などで逃げる人は、「ちょっと待って」などと言うだろうか。身を助けようとすれば、恥も顧みず、財産も捨てて逃げ去るものだ。
命は人を待ってくれるものだろうか。死がやって来ることは、水や火が攻め寄せるよりも速く、逃れがたいものなのに、そのときになって、「年老いた親、幼い子、主君の恩、人の情け、どれも捨てがたい」と言って捨てないでいられようか。



