『徒然草』の現代語訳を、8ページに分けて全文掲載しています。このページ(6)には、第158段「盃の底を捨つることは」から第189段「今日はそのことをなさんと思へど」までの章段を収めました。原文とあわせて読みたい方は、『徒然草』原文(6)をご覧ください。
第158段 盃の底を捨つることは
「杯の底に残った酒を捨てることは、どのように心得ているか」
と、ある方がお尋ねになりましたので、
「凝当と申しますのは、底にたまったものを捨てることでございましょうか」
と申し上げましたところ、
「そうではない。魚道である。少し酒を残して、口のついた所をすすぐのである」
とおっしゃった。
第159段 みな結びといふは
「みな結びというのは、糸を結び重ねた形が、蜷という貝に似ているのでそういうのだ」
と、ある高貴な方がおっしゃった。「にな」というのは誤りである。
第160段 門に額懸くるを
門に「額を懸ける」ことを、「打つ」というのはよくないのだろうか。勘解由小路二品禅門は、「額懸くる」とおっしゃった。
見物の桟敷を「打つ」というのも、よくないのだろうか。平張りを「打つ」などというのは、普通のことである。桟敷は「構える」などと言うべきである。
「護摩焚く」というのもよくない。「修する」とか「護摩する」などと言うのである。
「行法も、法の字を清音で『ぎょうほう』と言うのはよくない。濁音で『ぎょうぼう』と言うのだ」
と清閑寺僧正がおっしゃった。ふだん言っている言葉には、このようなことばかりが多い。
第161段 花の盛りは
桜の花の盛りは、冬至から150日目とも、春分の後7日目とも言うけれども、立春から75日目というのが、だいたい間違いない。
第162段 遍照寺の承仕法師
遍照寺の雑用係の法師が、池の鳥をふだんから飼いならして、お堂の中まで餌をまいて、戸を1つ開けておいたので、数えきれないほどの鳥が入り込んだ後、自分も入って、戸を閉め切って、捕まえては殺していた様子が、恐ろしげに聞こえてきたのを、草刈りの子どもが聞いて、人に知らせたので、村の男たちが大勢出てきて、入って見ると、大きな雁たちがばたばたと騒ぎ合っている中に、法師がまじって、打ち倒し、首をねじって殺していたので、この法師を捕らえて、その土地から検非違使庁へ突き出した。
殺した鳥を首にかけさせて、牢獄に入れられた。基俊大納言(堀川基俊)が、検非違使の別当であったときのことでございます。
第163段 太衝の太の字
太衝の「太」の字に、点を打つか打たないかということについて、陰陽師たちの間で論争があった。もりちか入道が申しましたことには、
「吉平(安倍吉平)が自筆の占いの文書の裏に書かれた天皇の日記が、近衛関白殿の家にある。それには点を打ったものが書いてある」
と申した。
第164段 世の人あひ逢ふ時
世の人が互いに会うときは、少しの間も黙っていることがない。必ず何か言葉を交わす。その話を聞くと、多くは無益な話である。
世間のうわさ話や、他人のよしあしは、自分にとっても他人にとっても、失うものが多く得るものは少ない。これを語るとき、互いの心に、それが無益なことであるということに気づいていない。
第165段 あづまの人の都の人に交はり
東国の人が都の人の中に交じり、都の人が東国へ行って立身出世し、また、本寺や本山を離れた顕教や密教の僧など、総じて自分の本来の生活圏ではない所で人と交わっているのは、見苦しい。
第166段 人間の営みあへるわざを見るに
人間が互いにあくせくと営んでいる仕事を見ると、春の日に雪で仏像を作って、そのために金銀や宝玉の飾りを用意し、お堂を建てようとするのに似ている。そのお堂ができあがるのを待って、うまく安置できるだろうか。人の命がまだあると思っているうちにも、下から消えていくことは雪のようであるのに、その間にあれこれ営んで完成を待つことはたいそう多い。
第167段 一道に携はる人
1つの専門の道にたずさわる人が、自分の専門外の道の集まりに出て、
「ああ、自分の専門の道であったならば、このように傍観してはいないだろうに」
と言い、心にも思っているのは、よくあることだが、たいそうよくないことだと思われる。知らない道がうらやましく思われるなら、
「ああ、うらやましい。どうして習わなかったのだろう」
と言っておけばよいのである。
自分の知恵を持ち出して人と争うのは、角のある獣が角を傾けて向かい、牙のある獣が牙をむき出しにするのと同類である。人としては、自分の長所を誇らず、他人と争わないことを徳とする。他人にまさっているところがあるのは、大きな欠点である。
家柄の高さでも、才芸のすぐれていることでも、先祖の名誉でも、人にまさっていると思っている人は、たとえ言葉に出して言わなくても、内心に多くの欠点がある。慎んでこれを忘れるべきである。愚か者にも見え、人からも非難され、災いをも招くのは、ただこの慢心である。
1つの道でも本当に達人となった人は、自分ではっきりとその欠点を知っているので、志がいつも満たされず、最後まで人に自慢することがない。
第168段 年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて
年老いた人で、1つのことにすぐれた才能があって、「この人が亡くなった後は、誰に尋ねたらよいだろう」などと言われるのは、老人の味方であって、生きている甲斐もあるというものだ。そうではあるが、それも衰えたところがないのは、「一生、このことだけで終わってしまったのだ」と、つまらなく見える。
「今はもう忘れてしまいました」
と言っておけばよいのである。
だいたい、よく知っていることでも、むやみに言い散らすのは、それほどの才能ではないのだろうと思われ、自然と間違いもあるに違いない。
「はっきりとはわきまえておりません」
などと言っておけば、やはり本当にその道の大家だと思われるだろう。
まして、知らないことを、得意顔で、年配の、反論しにくい人が言い聞かせるのを、そうではないと思いながら聞いているのは、まことにやりきれない。
第169段 何事の式といふことは
「『何々の式』という言い方は、後嵯峨天皇の御代までは言わなかったのを、最近になって言うようになった言葉である」と人が申しましたが、建礼門院右京大夫が、後鳥羽院のご即位の後、再び宮仕えしたときのことを述べた中に、「世の式も変わったことはないのにも」と書いている。
第170段 さしたることなくて人のがり行くは
これといった用事もなくて人の所へ行くのは、よくないことである。用事があって行ったとしても、その用事が済んだら、すぐに帰るべきである。長居をするのは、たいそうわずらわしい。
人と向かい合っていると、言葉数が多くなり、体も疲れ、心も落ち着かず、あらゆることが差し支えて時間を過ごしてしまうのは、互いのために無益である。いやそうに話すのもよくない。気の進まないことがあるときは、かえってそのわけを言ってしまえばよい。
同じ気持ちで向かい合っていたいと思うような人が、
「退屈なので、もう少しいてください。今日はゆっくりと」
などと言うのは、この限りではないだろう。阮籍が気に入った客を青い目で迎えたように、誰にでもあるはずのことである。
これといった用事もないのに、人が訪ねてきて、のんびりと話をして帰っていくのは、たいそうよい。また、手紙も、「長い間ご無沙汰しておりますので」などとだけ書いてよこしたのは、たいそううれしい。
第171段 貝を覆ふ人の
貝覆いをする人が、自分の前にある貝をさしおいて、よそを見渡して、人の袖の陰や膝の下まで目を配っている間に、自分の前の貝を人に取られてしまう。上手に取る人は、よそまで無理に取るようには見えずに、近くのものだけを取っているようであるが、多く取るのである。
碁盤の隅に石を置いて弾くときに、向こう側にある石を見つめて弾くと当たらない。自分の手元をよく見て、こちらにある聖目をまっすぐに弾けば、置いた石に必ず当たる。
あらゆることは、外に向かって求めてはならない。ただ手近なところを正しくすべきである。清献公の言葉に、「よい行いをして、将来のことを問うな」とある。世を治める道も、このようなものでございましょうか。
内政に注意せず、軽率で、思うままにふるまって、乱れていると、遠国が必ず背いたときになって、初めて対策を求めることになる。
「風に当たり、湿った所に寝て病気になったのに、それを神仏に祈って治そうとするのは、愚かな人である」と医書に言っているのと同じである。目の前の人の苦しみを取り除き、恵みを施し、道を正しくすれば、その感化が遠くまで及ぶことを知らないのである。禹が出かけて行って三苗を征伐したのも、軍隊を引き返して徳政を敷くのには及ばなかった。
第172段 若き時は血気うちに余り
若いときは、血気が体の内にあふれ、心が物事に動かされて、欲情が多い。わが身を危険にさらしてくじけやすいことは、玉を転がすのに似ている。華美を好んで財産を使い果たすかと思えば、それを捨てて粗末な僧衣に身をやつし、勇ましい心が盛んで、人と争い、心の中で恥じたりうらやんだりして、好みが日々定まらない。色恋にふけり、情愛に心を奪われ、思い切った行いをして、長い将来のある身を誤り、命を失った例をうらやましく思って、わが身を無事に長く保つことは考えない。好きな方面に心がひかれて、長く世間の語りぐさともなる。身を誤るのは、若いときのしわざである。
年老いた人は、気力が衰え、淡白でこだわりがなく、物事に感じて動かされることがない。
心が自然と静かなので、無益なことをしない。わが身をいたわって心配がなく、人に迷惑をかけないようにと考える。年老いて知恵が若いときにまさっていることは、若くて容貌が年老いたときにまさっているのと同じである。
第173段 小野小町がこと
小野小町のことは、きわめてはっきりしない。年老いて衰えた様子は、玉造小町子壮衰書という書物に見えている。この書物は、三善清行が書いたという説もあるが、弘法大師のご著作の目録に入っている。
大師は承和年間の初めにお亡くなりになった。小町の盛りは、その後のことではないだろうか。やはりはっきりしない。
第174段 小鷹によき犬
小鷹狩りに適した犬を、大鷹狩りに使ってしまうと、小鷹狩りには役に立たなくなるという。大きなことに就いて小さなことを捨てるという道理は、まことにそのとおりである。
人間のなすべきことが多い中で、仏道を楽しむことほど味わい深いものはない。これこそ、本当の大事である。
一度仏道を聞いて、これを志そうとする人は、どんな仕事がおろそかにならないことがあろうか。ほかに何を営むことがあろうか。愚かな人であっても、賢い犬の心に劣ってよいものだろうか。
第175段 世には心得ぬことの多きなり
世の中には理解できないことが多いものである。何かあるたびに、まず酒を勧めて、無理に飲ませるのを面白がることは、どういうわけなのか理解できない。
飲む人の顔は、たいそう耐えがたそうに眉をひそめ、人目をうかがって捨てようとし、逃げようとするのを、捕まえて引き止めて、むやみに飲ませると、きちんとした人も、たちまち狂人となって愚かしくなり、健康な人も、見る間に重病人となって、前後もわからず倒れ伏してしまう。お祝いをすべき日などは、あきれたことになるだろう。翌日まで頭が痛く、物も食べられず、うめきながら寝込み、生まれ変わったかのように、昨日のことを覚えておらず、公私の大事な用事を欠いて迷惑をかけることになる。人をこんな目にあわせるのは、慈悲もなく、礼儀にも背いている。
このようにつらい目にあった人は、いまいましく残念だと思わないだろうか。よその国にこのような習慣があるそうだと、こちらにはない他人事として伝え聞いたならば、変わっていて不思議なことだと思うに違いない。他人のこととして見てさえ、嫌な気持ちがする。
思慮深そうな様子で、奥ゆかしいと思っていた人も、何も考えずに大笑いして騒ぎ、口数が多くなり、烏帽子はゆがみ、着物の紐をほどき、すねを高くまくり上げて、たしなみのない様子は、ふだんの人とも思えない。女は、額髪をすっかりかき上げ、恥ずかしげもなく顔を上げて笑い、杯を持っている男の手に取りすがり、品のない者は、酒の肴を取って人の口に押し当て、自分も食べているのは、見苦しい。声の限りを出して、それぞれ歌い舞い、年老いた法師が呼び出されて、黒く汚い体を肩脱ぎにして、目も当てられないほど身をくねらせて踊るのを、面白がって見ている人までもが、嫌で憎らしい。あるいはまた、自分がいかに立派であるかということを、聞き苦しいほど言い聞かせ、あるいは酔って泣き、身分の低い者は、ののしり合いけんかをして、あきれるほど恐ろしい。恥ずかしく情けないことばかりあって、しまいには、人が許しもしないものを奪い取って、縁側から落ち、馬や車から落ちてけがをする。乗り物に乗らない身分の者は、大路をよろよろと歩いて、土塀や門の下などに向かって、何とも言えない不始末をしでかし、年老いて、袈裟をかけた法師が、小僧の肩を押さえて、わけのわからないことを言いながらよろめいているのは、たいそう見ていられない。
このようなことをしても、この世でも来世でも利益のあることならば、しかたがない。だが、この世では過ちが多く、財産を失い、病気になる。酒は百薬の長とはいうけれども、あらゆる病気は酒から起こるのだ。憂いを忘れさせるというけれども、酔った人こそ、過ぎ去ったつらさをも思い出して泣くようだ。来世では、人の知恵を失わせ、善行の根を火のように焼き尽くして、悪を増し、あらゆる戒律を破って、地獄に落ちるに違いない。
酒を手に取って人に飲ませた人は、500回生まれ変わる間、手のない者に生まれると、仏はお説きになっているそうだ。このように嫌なものだと思うけれども、自然と捨てがたいときもあるだろう。
月の夜、雪の朝、花の下でも、のんびりと話をして、杯を出すのは、あらゆる興趣を添えるものである。退屈な日に、思いがけず友がやって来て、酒宴を催すのも、心が慰められる。あまり親しくない方の御簾の中から、果物やお酒などを、品のよい様子で差し出されるのは、たいそうよい。
冬、狭い所で、火で何かを煎ったりなどして、気心の知れた者同士で向かい合って、たくさん飲んだのは、たいそう楽しい。旅先の仮小屋や、野山などで、
「何か酒の肴がほしいなあ」
などと言って、芝生の上で飲んだのも楽しい。酒をひどくつらがる人が、無理に勧められて少し飲んだのも、たいそうよい。身分の高い人が、特に自分に向かって、
「もう1杯。杯の酒が少ないようだ」
などとおっしゃったのも、うれしい。近づきになりたいと思っていた人が、酒飲みで、すっかり打ち解けて親しくなったのも、またうれしい。そうは言っても、酒飲みは面白く、罪の許される者である。
酔いつぶれて朝寝をしているところを、主人が戸を引き開けたので、あわてて、寝ぼけた顔のまま、細いまげを突き出し、着物も着られないまま抱えて、引きずって逃げる、裾をからげた後ろ姿や、毛の生えた細いすねのあたりが、おかしく、いかにもその場にふさわしい。
第176段 黒戸は
黒戸の御所は、小松の帝(光孝天皇)がご即位なさって、昔臣下でいらっしゃったときに、ご自分で炊事をなさったのをお忘れにならないで、いつも炊事をなさった部屋である。薪のすすで黒くすすけているので、黒戸というのだということだ。
第177段 鎌倉中書王にて御鞠ありけるに
鎌倉中書王(宗尊親王)の御所で蹴鞠の会があったときに、雨が降った後で、まだ庭が乾いていなかったので、
「どうしようか」
と相談があったところ、佐々木隠岐入道(佐々木政義)が、のこぎりくずを車に積んで、たくさん献上したので、庭一面に敷かれて、泥の不便がなくなった。
「取りためておいた心がけは、めったにないことだ」
と人々は感心し合った。
このことをある者が話し出したところ、吉田中納言(藤原藤房)が、
「乾いた砂の用意はなかったのか」
とおっしゃったので、恥ずかしかった。
すばらしいと思っていたのこぎりくずは、品がなく、異様なことである。庭の行事を取り仕切る人が、乾いた砂を用意しておくのは、古くからのしきたりだということだ。
第178段 ある所の侍ども
ある家の侍たちが、内侍所の御神楽を見て、人に話すといって、
「宝剣を、あの方がお持ちになっていた」
などと言うのを聞いて、御簾の内にいる女房の中から、
「天皇が別殿へお出ましになるときは、昼の御座所の御剣を持つのですよ」
とひそかに言ったのは、奥ゆかしかった。その人は、古参の典侍であったとかいうことだ。
第179段 入宋の沙門道眼上人
宋に渡った僧の道眼上人が、一切経を持ち帰って、六波羅のあたりの、焼野という所に安置して、特に首楞厳経を講じて、那蘭陀寺と名づけた。
その上人が申されたことには、
「『那蘭陀寺は正門が北向きである』と、江帥(大江匡房)の説として言い伝えているが、西域伝や法顕伝などにも見えず、まったく記録が見当たらない。江帥はどのような学識によって申されたのだろうか、疑わしい。唐の西明寺は、北向きであることは言うまでもない」
と申した。
第180段 さぎちやうは
さぎちょうは、正月に打って遊んだ毬杖を、真言院から神泉苑へ持ち出して、焼き上げる行事である。
「法成就の池にこそ」
とはやすのは、神泉苑のことを言うのである。
第181段 降れ降れ粉雪、たんばの粉雪
「降れ降れ粉雪、たんばの粉雪」という歌は、米をついてふるいにかけたのに似ているので、粉雪というのである。「たまれ粉雪」と言うべきところを、誤って「たんばの」と言うのである。その後は「垣や木の股に」と歌うのがよいと、ある物知りが申した。
昔から言っていたことなのだろうか。鳥羽院が幼くていらっしゃったとき、雪が降るのを見て、このようにおっしゃったということが、讃岐典侍の日記に書いてある。
第182段 四条大納言隆親卿
四条大納言隆親卿(藤原隆親)が、乾鮭というものを天皇のお食事に差し上げなさったのを、
「このような卑しいものを、天皇が召し上がるはずがない」
と人が申したのを聞いて、大納言は、
「鮭という魚を、召し上がらないことになっているのならともかく、鮭の素干しが、どうしていけないことがあろうか。鮎の素干しは召し上がらないとでもいうのか」
と申された。
第183段 人突く牛をば角を切り
人を突く牛は角を切り、人にかみつく馬は耳を切って、その目印とする。目印をつけずに人にけがをさせたら、飼い主の罪である。人にかみつく犬は飼ってはならない。これらはみな罪になる。律で禁じられていることである。
第184段 相模守時頼の母は
相模守時頼(北条時頼)の母は、松下禅尼と申し上げた。
守を家にお招きすることがあったときに、すすけた明かり障子の破れたところだけを、禅尼が自分で小刀で切り回しながら張っておられたので、兄の城介義景(安達義景)が、その日の準備のために控えていたが、
「その仕事をいただいて、何某という男に張らせましょう。そのようなことに心得のある者でございます」
と申し上げなさったところ、
「その男は、この尼の細工にまさか勝りはしないでしょう」
と言って、なおも1こまずつ張っておられたのを、義景が、
「全部を張り替えましたほうが、はるかに簡単でございましょう。まだらになっておりますのも見苦しくはございませんか」
と重ねて申し上げなさったところ、
「尼も、後ではすっきりと張り替えようと思うけれども、今日だけは、わざとこうしておくべきなのです。物は破れた所だけを修理して使うものだと、若い人に見習わせて、気づかせようとするためなのです」
と申されたのは、たいそうめったにないことであった。
世を治める道は、倹約を基本とする。女性ではあるが、聖人の心に通じている。天下を治めるほどの人を子に持たれたのは、本当に、並の人ではなかったということだ。
第185段 城陸奥守泰盛は
城陸奥守泰盛(安達泰盛)は、並ぶ者のない馬の乗り手であった。
馬を引き出させたときに、足をそろえて敷居をひらりと越えるのを見ると、
「これは気の荒い馬だ」
と言って、鞍をほかの馬に置き換えさせた。また、足を伸ばして敷居に蹴り当ててしまうと、
「これは鈍くて、事故を起こすだろう」
と言って、乗らなかった。
その道を知らない人が、これほど用心するだろうか。
第186段 吉田と申す馬乗りの申しはべりしは
吉田と申す馬の乗り手が申しましたことには、
「馬はどれも手ごわいものである。人の力では争ってはならないと知るべきである。乗るはずの馬を、まずよく見て、強い所、弱い所を知るべきである。次に、くつわや鞍などの馬具に危ないところはないかと調べて、気にかかることがあれば、その馬を走らせてはならない。この心構えを忘れない者を馬の乗り手と申すのである。これは秘伝である」
と申した。
第187段 よろづの道の人
あらゆる道の専門家は、たとえ下手であっても、器用な素人と並ぶとき、必ずまさっているのは、たゆまず慎重にして軽々しくしないのと、ひたすら気ままにするのとが、同じではないからである。芸能や技術だけでなく、ふだんのふるまいや心遣いも、不器用でも慎重であるのは成功のもとである。器用でも勝手気ままなのは、失敗のもとである。
第188段 ある者、子を法師になして
ある者が、子を法師にして、
「学問をして因果の道理も知り、説経などをして生計の手段とせよ」
と言ったので、教えのとおりに、説経師になるために、まず馬に乗ることを習った。輿や牛車を持たない身で、導師として招かれたとき、馬などを迎えによこしたら、桃尻で落ちてしまっては情けないだろうと思ったのである。次に、仏事の後、酒などを勧められることがあったときに、法師がまったく芸がないのでは、施主が興ざめに思うだろうと考えて、早歌というものを習った。この二つの芸が、しだいに熟達の域に入ったので、ますますうまくなりたいと思って打ち込んでいるうちに、説経を習う暇がなくて、年をとってしまった。
この法師だけでなく、世間の人には、総じてこのようなことがある。若いうちは、何事につけても、立身出世し、大きな事業も成し遂げ、芸能も身につけ、学問もしようと、遠い将来まで計画していることを心にかけながらも、人生をのんびりしたものと思って、ついつい怠けながら、まず差し当たっての目の前のことばかりに取り紛れて月日を送るので、どれも成し遂げることなく、身は老いてしまう。結局、何かの名人にもなれず、思ったように出世もできず、後悔しても取り返しのつく年齢ではないので、走って坂を下る車輪のように衰えていく。
だから、一生のうちで、主として望ましいことの中で、どれがまさっているかをよく比べ考えて、第一のことをよく考えて決め、そのほかのことは思い切って捨てて、1つのことに励むべきである。1日のうち、一時のうちにも、たくさんのことがやって来る中で、少しでも利益の多いことをして、そのほかは捨ててしまい、大事なことを急いでするべきなのである。
どれも捨てまいと心に執着していては、1つのことも成し遂げられないだろう。たとえば、碁を打つ人が、一手も無駄にせず、相手に先んじて、小さいものを捨てて大きいものにつくようなものである。その場合に、3つの石を捨てて10の石につくのはたやすい。10を捨てて11につくのは難しい。1つでも多いほうにつくべきなのに、10にもなってしまうと惜しく思われて、あまり多くない石とは換えにくい。これも捨てず、あれも取ろうと思う心のために、あれも得られず、これも失ってしまうことになるのである。
京に住む人が、急いで東山に用事があって、すでに行き着いたとしても、西山に行ったほうが、その利益がまさるはずであることに気づいたなら、門口から引き返して西山へ行くべきである。「ここまで来てしまったのだから、この用事をまず言ってしまおう。日を決めたことではないので、西山のことは、帰ってからまた思い立とう」と思うために、一時の怠りが、そのまま一生の怠りとなる。これを恐れるべきである。
1つのことを必ず成し遂げようと思うなら、他のことがだめになるのも惜しんではならない。人のあざけりも恥じてはならない。あらゆることと引き換えにしなければ、1つの大事は成し遂げられるはずがない。
人が大勢いた中で、ある者が、
「ますほのすすき、まそほのすすきなどということがある。渡辺の聖が、このことを伝え聞いて知っている」
と語ったのを、登蓮法師が、その座におりましたが、聞いて、雨が降っていたのに、
「蓑や笠はありますか。貸してください。そのすすきのことを習いに、渡辺の聖の所へ訪ねて参ります」
と言ったのを、
「あまりにもせっかちだ。雨がやんでからにしなさい」
と人が言ったところ、
「とんでもないことをおっしゃるものだ。人の命は雨の晴れ間を待ってくれるものだろうか。私も死に、聖も亡くなってしまったら、尋ねて聞くことができようか」
と言って、走り出て行って、習ったのでございますと言い伝えているのは、たいそうめったにないことだと思われる。
「物事をすばやく行えば、成果がある」と、論語という書物にもあるそうです。この法師がすすきのことを知りたく思ったように、仏道を悟るという一大事を思うべきであった。
第189段 今日はそのことをなさんと思へど
今日はそのことをしようと思っていても、思いもしない急用がまず出てきて、それに紛れて一日を過ごし、待っている人は差し支えがあって来ず、当てにしていない人はやって来て、期待していたことはうまくいかず、思いもよらないことだけがうまくいく。面倒だと思っていたことは何事もなく済み、簡単なはずのことはたいそう苦労する。毎日過ぎていく様子は、前もって思っていたのとは違う。1年の間もこのとおりである。一生の間もまたそうである。
前もっての予定が、すべて外れていくのかと思うと、たまたま外れないこともあるので、ますます物事は決めがたい。すべては定まらないものだと心得ることだけが、真実であって間違いがない。



