『源氏物語』第52帖「蜻蛉」原文全文を読む|読みやすいふりがな付き

目次

かしこには、人びと、おはせぬを

 かしこには、ひとびと、おはせぬをもとさわげど、かひなし。物語ものがたり姫君ひめぎみの、ひとぬすまれたらむ明日あしたのやうなれば、くはしくもつづけず。きゃうより、ありし使つかかへらずなりにしかば、おぼつかなしとて、またひとおこせたり。

「まだ、とりくになむ、だしてさせたまへる」

 と使つかふに、いかにこえむと、乳母めのとよりはじめて、あわてまどふことかぎりなし。おもひやるかたなくて、たださわへるを、かのこころれるどちなむ、いみじくものをおもひたまへりしさまをおもづるに、「げたまへるか」とはおもりける。

 くこのふみけたれば、

「いとおぼつかなさに、まどろまれはべらぬけにや、今宵こよひゆめにだにうちとけてもえず。ものおそはれつつ、心地ここちれいならずうたてはべるを。なほいとおそろしく、ものへわたらせたまはむことはちかくなれど、そのほど、ここにむかへたてまつりてむ。今日けふあめりはべりぬべければ」

 などあり。昨夜よべ御返おほんかへりをもけてて、右近うこんいみじうく。

「さればよ。心細こころぼそきことはこえたまひけり。われに、などかいささかのたまふことのなかりけむ。をさなかりしほどより、つゆこころかれたてまつることなく、ちりばかりへだてなくてならひたるに、いまかぎりのみちにしも、われおくらかし、けしきをだにせたまはざりけるがつらきこと」

 とおもふに、足摺あしずりといふことをしてくさま、わかどものやうなり。いみじくおぼしたるけしきは、たてまつりわたれど、かけても、かくなべてならずおどろおどろしきこと、おぼらむものとはえざりつるひと御心みこころざまを、「なほ、いかにしつることにか」とおぼつかなくいみじ。

 乳母めのとは、なかなかものもおぼえで、ただ、「いかさまにせむ。いかさまにせむ」とぞはれける。

宮にも、いと例ならぬけしき

 みやにも、いとれいならぬけしきありし御返おほんかへり、「いかにおもふならむ。われを、さすがにあひおもひたるさまながら、あだなるこころなりとのみ、ふかうたがひたれば、ほかかくれむとにやあらむ」とおぼさわぎ、御使おほんつかひあり。

 あるかぎまどふほどにて、御文おほんふみもえたてまつらず。

「いかなるぞ」

 と下衆げすをんなへば、

うへの、今宵こよひ、にはかにせたまひにければ、ものもおぼえたまはず。たのもしきひともおはしまさぬをりなれば、さぶらひたまふひとびとは、ただものにたりてなむまどひたまふ」

 とふ。こころふからぬをのこにて、くはしうはでまゐりぬ。

「かくなむ」とまうさせたるに、ゆめとおぼえて、

「いとあやし。いたくわづらふともかず。ごろ、なやましとのみありしかど、昨日きのふかへごとはさりげもなくて、つねよりもをかしげなりしものを」

 と、おぼしやるかたなければ、

時方ときかたきてけしき、たしかなることけ」

 とのたまへば、

「かの大将殿だいしゃうどの、いかなることか、きたまふことはべりけむ、宿直とのゐするものおろかなり、などいましおほせらるるとて、下人しもびとのまかりづるをも、とがめひはべるなれば、ことづくることなくて、時方ときかたまかりたらむを、もののこえはべらば、おぼはすることなどやはべらむ。さて、にはかにひとせたまへらむところは、ろんなうさわがしう、ひとしげくはべらむを」とこゆ。

「さりとては、いとおぼつかなくてやあらむ。なほ、とかくさるべきさまにかまへて、れいの、こころれる侍従じじうなどにひて、いかなることをかくふぞ、と案内あないせよ。下衆げすはひがこともふなり」

 とのたまへば、いとほしきけしきもかたじけなくて、ゆふかたく。

かやすき人は、疾く行き着きぬ

 かやすきひとは、きぬ。あめすくみたれど、わりなきみちにやつれて、下衆げすのさまにてたれば、ひとおほさわぎて、

今宵こよひ、やがてをさめたてまつるなり」

 などふを心地ここちも、あさましくおぼゆ。右近うこん消息せうそこしたれども、えはず、

「ただいま、ものおぼえず。がらむ心地ここちもせでなむ。さるは、今宵こよひばかりこそ、かくもりたまはめ、えこえぬこと」

 とはせたり。

「さりとて、かくおぼつかなくては、いかがかへまゐりはべらむ。いま一所ひとところだに」

 とせちひたれば、侍従じじうひたりける。

「いとあさまし。おぼしもあへぬさまにてせたまひにたれば、いみじとふにもかず、ゆめのやうにて、たれたれまどひはべるよしをまうさせたまへ。すこしも心地ここちのどめはべりてなむ、ごろも、ものおぼしたりつるさま、一夜ひとよ、いと心苦こころぐるしとおもひきこえさせたまへりしありさまなども、こえさせはべるべき。このけがらひなど、ひとみはべるほどぐして、いま一度ひとたびりたまへ」

 とひて、くこといといみじ。

内にも泣く声々のみして

 うちにも声々こゑごゑのみして、乳母めのとなるべし、

「あがきみや、いづかたにかおはしましぬる。かへりたまへ。むなしきからをだにたてまつらぬが、かひなくかなしくもあるかな。たてまつりてもかずおぼえたまひ、いつしかかひあるおほんさまをたてまつらむと、朝夕あしたゆふべたのみきこえつるにこそ、いのちびはべりつれ。うちてたまひて、かく行方ゆくへらせたまはぬこと。

鬼神おにがみも、あがきみをばえりゃうじたてまつらじ。ひとのいみじくしむひとをば、帝釈たいしゃくかへしたまふなり。あがきみりたてまつりたらむ、ひとにまれおににまれ、かへしたてまつれ。おほんからをもたてまつらむ」

 とつづくるが、心得こころえぬことどもじるを、あやしとおもひて、

「なほ、のたまへ。もし、ひとかくしきこえたまへるか。たしかにこしさむと、御身おほんみはりにだしてさせたまへる御使おほんつかひなり。いまは、とてもかくてもかひなきことなれど、のちにもこしはすることのはべらむに、たがふことじらば、まゐりたらむ御使おほんつかひつみなるべし。

また、さりともとたのませたまひて、きみたちに対面たいめんせよとおほせられつる御心みこころばへも、かたじけなしとはおもされずや。をんなみちまどひたまふことは、ひと朝廷おほやけにも、ふるれいどもありけれど、またかかること、このにはあらじ、となむたてまつる」

 とふに、「げに、いとあはれなる御使おほんつかひにこそあれ。かくすとすとも、かくてれいならぬことのさま、おのづからこえなむ」とおもひて、

「などか、いささかにても、ひとかくいたてまつりたまふらむ、とおもるべきことあらむには、かくしもあるかぎまどひはべらむ。ごろ、いといみじくものをおぼるめりしかば、かの殿とのの、わづらはしげに、ほのめかしこえたまふことなどもありき。

御母おほんははにものしたまふひとも、かくののしる乳母めのとなども、はじめよりりそめたりしかたわたりたまはむ、となむいそぎちて、このおほんことをば、ひとれぬさまにのみ、かたじけなくあはれとおもひきこえさせたまへりしに、御心みこころみだれけるなるべし。あさましう、こころくなしたまへるやうなれば、かくこころまどひに、ひがひがしくつづけらるるなめり」

 と、さすがに、まほならずほのめかす。心得こころえがたくおぼえて、

「さらば、のどかにまゐらむ。ちながらはべるも、いとことそぎたるやうなり。いまおほんみづからもおはしましなむ」

 とへば、

「あな、かたじけな。いまさら、ひとりきこえさせむも、おほんためは、なかなかめでたき御宿世おほんすくせゆべきことなれど、しのびたまひしことなれば、またらさせたまはで、ませたまはむなむ、御心みこころざしにはべるべき」

 ここには、かくづかずせたまへるよしを、ひとかせじと、よろづにまぎらはすを、「自然じねんにことどものけしきもこそゆれ」とおもへば、かくそそのかしやりつ。

雨のいみじかりつる紛れに

 あめのいみじかりつるまぎれに、母君ははぎみわたりたまへり。さらにはむかたもなく、

まへくなしたらむかなしさは、いみじうとも、つねにて、たぐひあることなり。これは、いかにしつることぞ」

 とまどふ。かかることどものまぎれありて、いみじうものおもひたまふらむともらねば、げたまへらむともおもひもらず、

おにひつらむ。きつねめくものやりもてぬらむ。いと昔物語むかしものがたりのあやしきもののことのたとひにか、さやうなることもふなりし」

 とおもづ。

「さては、かのおそろしとおもひきこゆるあたりに、こころなどしき御乳母おほんめのとやうのものや、かうむかへたまふべしときて、めざましがりて、たばかりたるひともやあらむ」

 と、下衆げすなどをうたがひ、

いままゐりの、こころらぬやある」

 とへば、

「いと世離よばなれたりとて、ありならはぬひとは、ここにてはかなきこともえせず、いまとくまゐらむ、とひてなむ、みな、そのいそぐべきものどもなどしつつ、かへではべりにし」

 とて、もとよりあるひとだに、かたへはなくて、いと人少ひとずくななるをりになむありける。

侍従などこそ、日ごろの御けしき

 侍従じじうなどこそ、ごろのおほんけしきおもで、「ひてばや」など、りたまひし折々をりをりのありさま、きたまへるふみをもるに、「かげに」ときすさびたまへるものの、すずりしたにありけるをつけて、かはかたやりつつ、ひびきののしるみづおとくにも、うとましくかなしとおもひつつ、

「さて、せたまひけむひとを、とかくさわぎて、いづくにもいづくにも、いかなるかたになりたまひにけむ、とおぼうたがはむも、いとほしきこと」

 とはせて、

しのびたることとても、御心みこころよりこりてありしことならず。おやにて、のちきたまへりとも、いとやさしきほどならぬを、ありのままにこえて、かくいみじくおぼつかなきことどもをさへ、かたがたおもまどひたまふさまは、すこしらめさせたてまつらむ。くなりたまへるひととても、からきてもてあつかふこそ、つねなれ、づかぬけしきにてごろもば、さらにかくれあらじ。なほ、こえて、いまこえをだにつくろはむ」

 とかたらひて、しのびてありしさまをこゆるに、ひとり、えひやらず、心地ここちまどひつつ、「さは、このいとましとおもかはに、ながせたまひにけり」とおもふに、いとどわれりぬべき心地ここちして、

「おはしましにけむかたたづねて、からをだにはかばかしくをさめむ」

 とのたまへど、

「さらになにのかひはべらじ。行方ゆくへらぬおほうみはらにこそおはしましにけめ。さるものから、ひとつたへむことは、いときにくし」

 とこゆれば、とざまかくざまにおもふに、むねのせきのぼる心地ここちして、いかにもいかにもすべきかたもおぼえたまはぬを、このひとびと二人ふたりして、くるませさせて、御座おましども、気近けぢか使つかひたまひし御調度みてうどども、みなながらきたまへるおほんふすまなどやうのものをれて、乳母子めのとご大徳だいとく、それが叔父をぢ阿闍梨あざり、その弟子でしむつましきなど、もとよりりたる老法師おいほふしなど、御忌おほんいみもるべきかぎりして、ひとくなりたるけはひにまねびて、だしつるを、乳母めのと母君ははぎみは、いといみじくゆゆしとしまろぶ。

大夫、内舎人など

 大夫たいふ内舎人うどねりなど、おどしきこえしものどももまゐりて、

御葬送おほんさうそうことは、殿とのことのよしもまうさせたまひて、さだめられ、いかめしうこそつかうまつらめ」

 などひけれど、

「ことさら、今宵こよひぐすまじ。いとしのびてとおもふやうあればなむ」

 とて、このくるまを、かひのやままへなるはらにやりて、ひとちかうもせず、この案内あないりたる法師ほふしかぎりしてかす。いとはかなくて、けぶりてぬ。田舎人ゐなかびとどもは、なかなか、かかることをことことしくしなし、言忌こといみみなどふかくするものなりければ、

「いとあやしう。れい作法さほふなど、あることどもらず、下衆げす下衆げすしく、あへなくてせられぬることかな」

 とそしりければ、

かたへおはするひとは、ことさらにかくなむ、きゃうひとはしたまふ」

 などぞ、さまざまになむやすからずひける。

「かかるひとどものおもふことだにつつしましきを、まして、もののこえかくれなきなかに、大将殿だいしゃうどのわたりに、からもなくせたまひにけり、とかせたまはば、かならずおもほしうたがふこともあらむを、みやはた、おな御仲おほんなからひにて、さるひとのおはしおはせず、しばしこそしのぶともおもさめ、つひにはかくれあらじ。

また、さだめてみやをしもうたがひきこえたまはじ。いかなるひとかくしけむなどぞ、おぼせむかし。きたまひての御宿世おほんすくせは、いと気高けだかくおはせしひとの、げにかげに、いみじきことをやうたがはれたまはむ」

 とおもへば、ここのうちなる下人しもびとどもにも、今朝けさのあわたたしかりつるまどひに、「けしきも見聞みききつるにはくちかため、案内あないらぬにはかせじ」などぞたばかりける。

「ながらへては、たれにも、しづやかに、ありしさまをもこえてむ。ただいまは、かなしさめぬべきこと、ふと人伝ひとづてにこしさむは、なほいといとほしかるべきことなるべし」

 と、このひと二人ふたりぞ、ふかこころおにひたれば、もてかくしける。

大将殿は、入道の宮の悩みたまひ

 大将殿だいしゃうどのは、入道にふだうみやなやみたまひければ、石山いしやまもりたまひて、さわぎたまふころなりけり。さて、いとどかしこをおぼつかなうおぼしけれど、はかばかしう、「さなむ」とひとはなかりければ、かかるいみじきことにも、まづ御使おほんつかひのなきを、人目ひとめ心憂こころうしとおもふに、御荘みさうひとなむまゐりて、「しかしか」とまうさせければ、あさましき心地ここちしたまひて、御使おほんつかひ、そのまたの、まだつとめてまゐりたり。

「いみじきことは、くままにみづからもすべきに、かくなやみたまふおほんことにより、つつしみて、かかるところかぎりてもりたればなむ。昨夜よべのことは、などか、ここに消息せうそこして、べてもさることはするものを、いとかろらかなるさまにて、いそぎせられにける。とてもかくても、おなふかひなさなれど、とぢめのことをしも、山賤やまがつそしりをさへふなむ、ここのためもからき」

 など、かのむつましき大蔵大輔おほくらのたいふしてのたまへり。御使おほんつかひたるにつけても、いとどいみじきに、こえむかたなきことどもなれば、ただなみだにおぼほれたるばかりをかことにて、はかばかしうもいらへやらずなりぬ。

殿は、なほ、いとあへなくいみじ

 殿とのは、なほ、いとあへなくいみじときたまふにも、

心憂こころうかりけるところかな。おになどやむらむ。などて、いままでさるところゑたりつらむ。おもはずなるすぢまぎれあるやうなりしも、かくはなきたるに、こころやすくて、ひとをかしたまふなりけむかし」

 とおもふにも、わがたゆくづかぬこころのみくやしく、御胸おほんむねいたくおぼえたまふ。なやませたまふあたりに、かかることおぼみだるるもうたてあれば、きゃうにおはしぬ。

 みや御方おほんかたにもわたりたまはず、

「ことことしきほどにもはべらねど、ゆゆしきことをちかきつれば、こころみだれはべるほどもましうて」

 などこえたまひて、きせずはかなくいみじきなげきたまふ。ありしさま容貌かたち、いと愛敬あいぎゃうづき、をかしかりしけはひなどの、いみじくこひしくかなしければ、

「うつつのには、などかくしもおもれず、のどかにてぐしけむ。ただいまは、さらにおもしづめむかたなきままに、くやしきことのかずらず。かかることのすぢにつけて、いみじうものすべき宿世すくせなりけり。さまことこころざしたりしの、おもひのほかに、かくれいひとにてながらふるを、ほとけなどのにくしとたまふにや。ひとこころこさせむとて、ほとけのしたまふ方便はうべんは、慈悲じひをもかくして、かやうにこそはあなれ」

 とおもつづけたまひつつ、おこなひをのみしたまふ。

かの宮はた、まして

 かのみやはた、まして、三日さんにちはものもおぼえたまはず、うつしこころもなきさまにて、「いかなるおほんもののけならむ」などさわぐに、やうやうなみだくしたまひて、おぼしづまるにしもぞ、ありしさまはこひしういみじくおもでられたまひける。ひとには、ただ御病おほんやまひおもきさまをのみせて、「かくすぞろなるいやめのけしきらせじ」と、かしこくもてかくすとおぼしけれど、おのづからいとしるかりければ、

「いかなることにかくおぼまどひ、おほんいのちあやふきまでしづみたまふらむ」

 と、ひともありければ、かの殿とのにも、いとよくこのおほんけしきをきたまふに、「さればよ。なほ、よその文通ふみかよはしのみにはあらぬなりけり。たまひては、かならずさおぼしぬべかりしひとぞかし。ながらへましかば、ただなるよりぞ、わがためにをこなることもなまし」とおぼすになむ、がるるむねもすこしむる心地ここちしたまひける。

宮の御訪らひに

 みや御訪おほんとぶらひに、日々ひびまゐりたまはぬひとなく、さわぎとなれるころ、「ことことしききはならぬおもひにもりゐて、まゐらざらむもひがみたるべし」とおぼしてまゐりたまふ。

 そのころ、式部卿宮しきぶきゃうのみやこゆるもせたまひにければ、おほん叔父をぢぶくにて薄鈍うすにびなるも、こころのうちにあはれにおもひよそへられて、つきづきしくゆ。すこし面痩おもやせて、いとどなまめかしきことまさりたまへり。ひとびとまかりでて、しめやかなる夕暮ゆふぐれなり。

 みやしづみてはなき御心地みここちなれば、うとひとにこそひたまはね、御簾みすうちにもれいりたまふひとには、対面たいめんしたまはずもあらず。えたまはむもあいなくつつまし。たまふにつけても、いとどなみだのまづせきがたさをおぼせど、おもしづめて、

「おどろおどろしき心地ここちにもはべらぬを、皆人みなひとつつしむべきやまひのさまなり、とのみものすれば、内裏うちにもみやにもおぼさわぐがいとくるしく、げに、なかつねなきをも、心細こころぼそおもひはべる」

 とのたまひて、おしのごまぎらはしたまふとおぼなみだの、やがてとどこほらずふりつれば、いとはしたなけれど、「かならずしもいかでか心得こころえむ。ただめめしく心弱こころよわきとやゆらむ」とおぼすも、「さりや。ただこのことをのみおぼすなりけり。いつよりなりけむ。われをいかにをかしと、ものわらひしたまふ心地ここちに、つきごろおぼしわたりつらむ」

 とおもふに、このきみは、かなしさはわすれたまへるを、

「こよなくも、おろかなるかな。もののせちにおぼゆるときは、いとかからぬことにつけてだに、そらとりわたるにも、もよほされてこそかなしけれ。わがかくすぞろに心弱こころよわきにつけても、もし心得こころえたらむに、さふばかり、もののあはれもらぬひとにもあらず。なかつねなきことしみておもへるひとしもつれなき」

 と、うらやましくもこころにくくもおもさるるものから、真木柱まきばしらはあはれなり。これにかひたらむさまもおぼしやるに、「形見かたみぞかし」とも、うちまもりたまふ。

やうやう世の物語聞こえたまふに

 やうやう物語ものがたりこえたまふに、「いとめてしもはあらじ」とおぼして、

むかしより、こころめてしばしもこえさせぬことのこしはべるかぎりは、いといぶせくのみおもひたまへられしを、いまは、なかなか上臈じゃうらふになりにてはべり。まして、御暇おほんいとまなきおほんありさまにて、こころのどかにおはしますをりもはべらねば、宿直とのゐなどに、そのこととなくてはえさぶらはず、そこはかとなくてぐしはべるをなむ。

むかし御覧ごらんぜし山里やまざとに、はかなくてせはべりにしひとの、おなじゆかりなるひと、おぼえぬところにはべりときつけはべりて、時々ときどきさてつべくや、とおもひたまへしに、あいなくひとそしりもはべりぬべかりしをりなりしかば、このあやしきところきてはべりしを、をさをさまかりてることもなく、また、かれも、なにがし一人ひとりをあひたのこころもことになくてやありけむ、とはたまひつれど、やむごとなくものものしきすぢおもひたまへばこそあらめ、るにはた、ことなるとがもはべらずなどして、こころやすくらうたしとおもひたまへつるひとの、いとはかなくてくなりはべりにける。なべてのありさまをおもひたまへつづけはべるに、かなしくなむ。こしすやうもはべらむかし」

 とて、いまきたまふ。

 これも、「いとかうはえたてまつらじ。をこなり」とおもひつれど、こぼれそめてはいとめがたし。けしきのいささかみだがほなるを、「あやしく、いとほし」とおぼせど、つれなくて、

「いとあはれなることにこそ。昨日きのふほのかにきはべりき。いかにともこゆべくおもひはべりながら、わざとひとかせたまはぬこと、ときはべりしかばなむ」

 と、つれなくのたまへど、いとへがたければ、言少ことずくなにておはします。

「さるかたにても御覧ごらんぜさせばや、とおもひたまへりしひとになむ。おのづからさもやはべりけむ、みやにもまゐかよふべきゆゑはべりしかば」

 など、すこしづつけしきばみて、

御心地みここちれいならぬほどは、すぞろなるのことこしれ、御耳おほんみみおどろくも、あいなきことになむ。よくつつしませおはしませ」

 など、こえきて、でたまひぬ。

いみじくも思したりつるかな

「いみじくもおぼしたりつるかな。いとはかなかりけれど、さすがにたかひと宿世すくせなりけり。当時たうじみかどきさきの、さばかりかしづきたてまつりたまふ親王みこかほ容貌かたちよりはじめて、ただいまにはたぐひおはせざめり。たまふひととても、なのめならず、さまざまにつけて、かぎりなきひとをおきて、これに御心みこころくし、ひとさわぎて、修法すほふ読経どきゃうまつりはらと、道々みちみちさわぐは、このひとおぼすゆかりの、御心地みここちのあやまりにこそはありけれ。

われも、かばかりのにて、ときみかど御女おほんむすめちたてまつりながら、このひとのらうたくおぼゆるかたは、おとりやはしつる。まして、いまはとおぼゆるには、こころをのどめむかたなくもあるかな。さるは、をこなり、かからじ」

 とおもしのぶれど、さまざまにおもみだれて、

ひと木石ぼくせきあらざればみななさけあり」

 と、うちじてしたまへり。

 のちのしたためなども、いとはかなくしてけるを、「みやにもいかがきたまふらむ」と、いとほしくあへなく、「ははのなほなほしくて、兄弟はらからあるはなど、さやうのひとふことあんなるをおもひて、ことぐなりけむかし」など、こころづきなくおぼす。

 おぼつかなさもかぎりなきを、ありけむさまもみづからかまほしとおぼせど、「長籠ながごもりしたまはむも便びんなし。きときてかへらむも心苦こころぐるし」など、おぼしわづらふ。

月たちて、今日ぞ渡らまし

 つきたちて、「今日けふわたらまし」とおぼでたまふ夕暮ゆふぐれ、いとものあはれなり。御前おまへちかたちばなのなつかしきに、ほととぎすのふたこゑばかりきてわたる。「宿やどかよはば」とひとりごちたまふもかねば、きたみやに、ここにわたりたまふなりければ、たちばならせてこえたまふ。

しのきみくらむかひもなき死出しで田長たをさこころかよはば」

 みやは、女君をんなぎみおほんさまのいとよくたるを、あはれとおぼして、二所ふたところながめたまふをりなりけり。「けしきあるふみかな」とたまひて、

たちばなかをるあたりはほととぎすこころしてこそくべかりけれ

わづらはし」

 ときたまふ。

 女君をんなぎみ、このことのけしきは、みな見知みしりたまひてけり。「あはれにあさましきはかなさの、さまざまにつけて心深こころふかきなかに、われ一人ひとりものおもらねば、いままでながらふるにや。それもいつまで」と心細こころぼそおぼす。みやも、かくれなきものから、へだてたまふもいと心苦こころぐるしければ、ありしさまなど、すこしはとりなほしつつかたりきこえたまふ。

かくしたまひしがつらかりし」

 など、きみわらひみこえたまふにも、異人ことびとよりはむつましくあはれなり。ことことしくうるはしくて、れいならぬおほんことのさまも、おどろきまどひたまふところにては、御訪おほんとぶらひのひとしげく、ちち大臣おとどせうときみたちひまなきも、いとうるさきに、ここはいとこころやすくて、なつかしくぞおもされける。

いと夢のやうにのみ

 いとゆめのやうにのみ、なほ、「いかで、いとにはかなりけることにかは」とのみいぶせければ、れいひとびとして、右近うこんむかへにつかはす。母君ははぎみも、さらにこのみづおとけはひをくに、われもまろびりぬべく、かなしく心憂こころうきことのどまるべくもあらねば、いとわびしうてかへりたまひにけり。

 念仏ねんぶつそうどもをたのもしきものにて、いとかすかなるにたれば、ことことしく、にはかにちめぐりし宿直人とのゐびとどもも、とがめず。「あやにくに、かぎりのたびしもれたてまつらずなりにしよ」と、おもづるもいとほし。

「さるまじきことをおもほしがるること」と、見苦みぐるしくたてまつれど、ここにては、おはしまししなのありさま、いだかれたてまつりたまひて、ふねりたまひしけはひの、あてにうつくしかりしことなどをおもづるに、心強こころづよひとなくあはれなり。右近うこんひて、いみじうくもことわりなり。

「かくのたまはせて、御使おほんつかひになむまゐりつる」

 とへば、

いまさらに、ひともあやしとおもはむもつつしましく、まゐりても、はかばかしくこしらむばかり、ものこえさすべき心地ここちもしはべらず。この御忌おほんいみてて、あからさまにもなむ、とひとひなさむも、すこしつかはしかりぬべきほどになしてこそ、こころよりほかいのちはべらば、いささかおもしづまらむをりになむ、おほごとなくともまゐりて、げにいとゆめのやうなりしことどもも、かたりきこえまほしき」

 とひて、今日けふうごくべくもあらず。

大夫も泣きて

 大夫たいふきて、

「さらに、この御仲おほんなかのこと、こまかにりきこえさせはべらず。ものこころりはべらずながら、たぐひなき御心みこころざしをたてまつりはべりしかば、きみたちをも、なにかはいそぎてしもこえうけたまはらむ。つひにはつかうまつるべきあたりにこそ、とおもひたまへしを、ふかひなくかなしきおほんことののちは、わたくし御心みこころざしも、なかなかふかさまさりてなむ」

 とかたらふ。

「わざと御車みくるまなどおぼしめぐらして、たてまつれたまへるを、むなしくては、いといとほしうなむ。いま一所ひとところにてもまゐりたまへ」

 とへば、侍従じじうきみでて、

「さは、まゐりたまへ」

 とへば、

「まして何事なにごとをかはこえさせむ。さても、なほ、この御忌おほんいみのほどにはいかでか。ませたまはぬか」

 とへば、

なやませたまふおほんひびきに、さまざまのおほんつつしみどもはべめれど、みあへさせたまふまじきけしきになむ。また、かくふか御契おほんちぎりにては、もらせたまひてもこそおはしまさめ。のこりのいくばくならず。なほ一所ひとところまゐりたまへ」

 とむれば、侍従じじうぞ、ありしおほんさまもいとこひしうおもひきこゆるに、「いかならむにかはたてまつらむ、かかるをりに」とおもひなしてまゐりける。

黒き衣ども着て

 くろきぬどもて、きつくろひたる容貌かたちもいときよげなり。は、ただいまわれよりうへなるひとなきにうちたゆみて、いろへざりければ、薄色うすいろなるをたせてまゐる。

「おはせましかば、このみちにぞしのびてでたまはまし。ひとれず心寄こころよせきこえしものを」などおもふにもあはれなり。みちすがらくなむける。

 みやは、このひとまゐれり、とこしすもあはれなり。女君をんなぎみには、あまりうたてあれば、こえたまはず。寝殿しんでんにおはしまして、渡殿わたどのろしたまへり。ありけむさまなどくはしうはせたまふに、ごろおぼなげきしさま、そのきたまひしさま、

「あやしきまで言少ことずくなに、おぼおぼとのみものしたまひて、いみじとおぼすことをも、ひとにうちでたまふことはかたく、ものづつみをのみしたまひしけにや、のたまひくこともはべらず。ゆめにも、かく心強こころづよきさまにおぼしかくらむとは、おもひたまへずなむはべりし」

 など、くはしうこゆれば、ましていといみじう、「さるべきにても、ともかくもあらましよりも、いかばかりものをおもちて、さるみづおぼれけむ」とおぼしやるに、「これをつけてきとめたらましかば」と、きかへる心地ここちしたまへど、かひなし。

御文おほんふみひたまひしなどに、などててはべらざりけむ」

 など、夜一夜よひとよかたらひたまふに、こえかす。かの巻数くゎんじゅきつけたまへりし、母君ははぎみかへごとなどをこゆ。

何ばかりのものとも御覧ぜざりし人

 なにばかりのものとも御覧ごらんぜざりしひとも、むつましくあはれにおもさるれば、

「わがもとにあれかし。あなたももてはなるべくやは」

 とのたまへば、

「さて、さぶらはむにつけても、もののみかなしからむをおもひたまへれば、いまこの御果おほんはてなどぐして」

 とこゆ。「またもまゐれ」など、このひとをさへ、かずおぼす。

 あかつきかへるに、かの御料ごれうにとてまうけさせたまひけるくしはこ一具ひとよろひ衣筥ころもばこ一具ひとよろひおくものにせさせたまふ。さまざまにせさせたまふことはおほかりけれど、おどろおどろしかりぬべければ、ただこのひとおほせたるほどなりけり。

「なにごころもなくまゐりて、かかることどものあるを、ひとはいかがむ。すずろにむつかしきわざかな」

 とおもひわぶれど、いかがはこえかへさむ。

 右近うこん二人ふたりしのびてつつ、つれづれなるままに、こまかにいまめかしうしあつめたることどもをても、いみじうく。装束さうぞくもいとうるはしうしあつめたるものどもなれば、

「かかる御服おほんぶくに、これをばいかでかかくさむ」

 など、もてわづらひける。

大将殿も、なほ、いとおぼつかなきに

 大将殿だいしゃうどのも、なほ、いとおぼつかなきに、おぼあまりておはしたり。みちのほどより、むかしことどもかきあつめつつ、

「いかなるちぎりにて、このちち親王みこおほんもとにそめけむ。かかるおもひかけぬてまでおもひあつかひ、このゆかりにつけては、ものをのみおもふよ。いとたふとくおはせしあたりに、ほとけをしるべにて、のちをのみちぎりしに、こころきたなきすゑたがひめに、おもらするなめり」

 とぞおぼゆる。右近うこんでて、

「ありけむさまもはかばかしうかず、なほ、きせずあさましう、はかなければ、のこりもすくなくなりぬ。ぐして、とおもひつれど、しづめあへずものしつるなり。いかなる心地ここちにてか、はかなくなりたまひにし」

 とひたまふに、「尼君あまぎみなども、けしきはてければ、つひにきあはせたまはむを、なかなかかくしても、ことたがひてこえむに、そこなはれぬべし。あやしきことのすぢにこそ、虚言そらごとおもひめぐらしつつならひしか。かくまめやかなるおほんけしきにさしかひきこえては、かねて、とはむ、かくはむと、まうけし言葉ことばをもわすれ、わづらはしう」おぼえければ、ありしさまのことどもをこえつ。

あさましう、思しかけぬ筋なるに

 あさましう、おぼしかけぬすぢなるに、ものもとばかりのたまはず。

「さらにあらじとおぼゆるかな。なべてのひとおもふことをも、こよなく言少ことずくなに、おほどかなりしひとは、いかでかさるおどろおどろしきことはおもつべきぞ。いかなるさまに、このひとびと、もてなしてふにか」

 と御心みこころみだれまさりたまへど、「みやおぼなげきたるけしき、いとしるし、ことのありさまも、しかつれなしづくりたらむけはひは、おのづからえぬべきを、かくおはしましたるにつけても、かなしくいみじきことを、上下かみしもひとつどひてさわぐを」と、きたまへば、

御供おほんともしてせたるひとやある。なほ、ありけむさまをたしかにへ。われをおろかにおもひてそむきたまふことは、よもあらじとなむおもふ。いかやうなる、たちまちに、らぬことありてか、さるわざはしたまはむ。われなむえしんずまじき」

 とのたまへば、「いとどしく、さればよ」とわづらはしくて、

「おのづからこししけむ。もとよりおぼすさまならででたまへりしひとの、世離よばなれたる御住おほんすまひののちは、いつとなくものをのみおぼすめりしかど、たまさかにもかくわたりおはしますを、ちきこえさせたまふに、もとよりの御身おほんみなげきをさへなぐさめたまひつつ、こころのどかなるさまにて、時々ときどきたてまつらせたまふべきやうには、いつしかとのみ、ことでてはのたまはねど、おぼしわたるめりしを、その御本意おほんほいかなふべきさまにうけたまはることどもはべりしに、かくてさぶらふひとどもも、うれしきことにおもひたまへいそぎ、かの筑波山つくばやまも、からうしてこころゆきたるけしきにて、わたらせたまはむことをいとなみおもひたまへしに、心得こころえ御消息おほんせうそこはべりけるに、この宿直とのゐつかうまつるものどもも、女房にょうばうたちらうがはしかなり、など、いましおほせらるることなどまうして、ものの心得こころえ荒々あらあらしきは田舎人ゐなかびとどもの、あやしきさまにとりなしきこゆることどもはべりしを、そののちひさしう御消息おほんせうそこなどもはべらざりしに、心憂こころうなりとのみ、いはけなかりしほどよりおもるを、人数ひとかずにいかでなさむとのみ、よろづにおもあつかひたまふ母君ははぎみの、なかなかなることの、ひとわらはれになりては、いかにおもなげかむ、などおもむけてなむ、つねなげきたまひし。

そのすぢよりほかに、何事なにごとをかと、おもひたまへるに、へはべらずなむ。おになどのかくしきこゆとも、いささかのこところもはべるなるものを」

 とて、くさまもいみじければ、「いかなることにか」とまぎれつる御心みこころせて、せきあへたまはず。

我は心に身をもまかせず

われこころをもまかせず、顕証けせうなるさまにもてなされたるありさまなれば、おぼつかなしとおもをりも、いまちかくて、ひとこころくまじく、やすきさまにもてなして、すゑながくを、とおもひのどめつつぐしつるを、おろかになしたまひつらむこそ、なかなかくるかたありける、とおぼゆれ。

いまは、かくだにはじとおもへど、またひとかばこそあらめ。みやおほんことよ。いつよりありそめけむ。さやうなるにつけてや、いとかたはに、ひとこころまどはしたまふみやなれば、つねにあひたてまつらぬなげきに、をもひたまへる、となむおもふ。なほ、へ。われには、さらになかくしそ」

 とのたまへば、「たしかにこそはきたまひてけれ」と、いといとほしくて、

「いと心憂こころうきことをこししけるにこそははべるなれ。右近うこんもさぶらはぬをりははべらぬものを」

 とながめやすらひて、

「おのづからこししけむ。このみやうへ御方おほんかたに、しのびてわたらせたまへりしを、あさましくおもひかけぬほどに、りおはしたりしかど、いみじきことをこえさせはべりて、でさせたまひにき。それにぢたまひて、かのあやしくはべりしところにはわたらせたまへりしなり。

そののちおとにもこえじ、とおぼしてやみにしを、いかでかかせたまひけむ。ただ、この如月きさらぎばかりより、おとづれきこえたまふべし。御文おほんふみは、いとたびたびはべりしかど、御覧ごらんるることもはべらざりき。いとかたじけなく、うたてあるやうになどぞ、右近うこんなどこえさせしかば、一度ひとたび二度ふたたびこえさせたまひけむ。それよりほかのことはたまへず」

 とこえさす。

「かうぞはむかし。しひてはむもいとほしく」て、つくづくとうちながめつつ、

みやをめづらしくあはれとおもひきこえても、わがかたをさすがにおろかにおもはざりけるほどに、いとらむるところなく、はかなげなりしこころにて、このみづちかきをたよりにて、おもるなりけむかし。わがここにさしはなゑざらましかば、いみじくとも、いかでか、かならずふかたにをももとでまし」

 と、「いみじうみづちぎりかな」と、このかはうとましうおもさるること、いとふかし。としごろ、あはれとおもひそめたりしかたにて、山路やまぢかへりしも、いまは、また心憂こころうくて、このさとをだにえくまじき心地ここちしたまふ。

宮の上の、のたまひ始めし

みやうへの、のたまひはじめし、人形ひとがたとつけそめたりしさへゆゆしう、ただ、わがあやまちにひつるひとなり」とおもひもてゆくには、「ははのなほかろびたるほどにて、のち後見うしろみもいとあやしく、ことそぎてしなしけるなめり」とこころゆかずおもひつるを、くはしうきたまふになむ、

「いかにおもふらむ。さばかりのひとにては、いとめでたかりしひとを、しのびたることはかならずしもえらで、わがゆかりにいかなることのありけるならむ、とぞおもふなるらむかし」

 など、よろづにいとほしくおぼす。けがらひといふことはあるまじけれど、御供おほんとも人目ひとめもあれば、のぼりたまはで、御車みくるましぢして、妻戸つまどまへにぞゐたまひけるも、見苦みぐるしければ、いとしげしたに、こけ御座おましにて、とばかりたまへり。「いまはここをむことも心憂こころうかるべし」とのみ、めぐらしたまひて、

われもまたふるさとれはてば宿やどかげをしのばむ」

 阿闍梨あざりいま律師りしなりけり。して、この法事ほふじのことおきてさせたまふ。念仏ねんぶつそうかずへなどせさせたまふ。「つみいとふかかなるわざ」とおぼせば、かろむべきことをぞすべき、七日なぬか七日なぬかきゃうほとけ供養くやうずべきよしなど、こまかにのたまひて、いとくらうなりぬるにかへりたまふも、「あらましかば、今宵こよひかへらましやは」とのみなむ。

 尼君あまぎみ消息せうそこせさせたまへれど、

「いともいともゆゆしきをのみおもひたまへしづみて、いとどものもおもひたまへられず、ほれはべりてなむ、うつぶししてはべる」

 とこえて、ねば、しひてもりたまはず。

 みちすがら、とくむかりたまはずなりにけることくやしう、みづおとこゆるかぎりは、こころのみさわぎたまひて、「からをだにたづねず、あさましくてもやみぬるかな。いかなるさまにて、いづれのそこのうつせにじりけむ」など、やるかたなくおぼす。

かの母君は

 かの母君ははぎみは、きゃう子産こうむべきむすめのことにより、つつしさわげば、れいいへにもえかず、すずろなるたびのみして、おもなぐさをりもなきに、「また、これもいかならむ」とおもへど、たひらかにみてけり。ゆゆしければ、えらず、のこりのひとびとのうへもおぼえず、ほれまどひてぐすに、大将殿だいしゃうどのより御使おほんつかひしのびてあり。ものおぼえぬ心地ここちにも、いとうれしくあはれなり。

「あさましきことは、まづこえむとおもひたまへしを、こころものどまらず、もくらき心地ここちして、まいていかなるやみにかまどはれたまふらむと、そのほどをぐしつるに、はかなくてごろもにけることをなむ。つねなさも、いとどおもひのどめむかたなくのみはべるを、おもひのほかにもながらへば、ぎにし名残なごりとは、かならずさるべきことにもたづねたまへ」

 など、こまかにきたまひて、御使おほんつかひには、かの大蔵大輔おほくらのちふをぞたまへりける。

こころのどかによろづをおもひつつ、としごろにさへなりにけるほど、かならずしもこころざしあるやうにはたまはざりけむ。されど、いまよりのちなにごとにつけても、かならずわすれきこえじ。また、さやうにをひとれずおもきたまへ。をさなひとどももあなるを、朝廷おほやけつかうまつらむにも、かならず後見うしろみおもふべくなむ」

 など、言葉ことばにものたまへり。

いたくしも忌むまじき穢らひなれば

 いたくしもむまじきけがらひなれば、「ふかうしもれはべらず」などひなして、せめてゑたり。御返おほんかへり、く。

「いみじきことになれはべらぬいのちを、心憂こころうおもうたまへなげきはべるに、かかるおほごとはべるべかりけるにや、となむ。

としごろは、心細こころぼそきありさまをたまへながら、それはかずならぬのおこたりにおもひたまへなしつつ、かたじけなきおほん一言ひとことを、すゑながたのみきこえはべりしに、いふかひなくたまへてては、さとちぎりもいと心憂こころうかなしくなむ。

さまざまにうれしきおほごとに、いのちびはべりて、いましばしながらへはべらば、なほ、たのみきこえはべるべきにこそ、とおもひたまふるにつけても、まへなみだにくれて、えこえさせやらずなむ」

 などきたり。御使おほんつかひに、なべてのろくなどは見苦みぐるしきほどなり。かぬ心地ここちもすべければ、かのきみにたてまつらむとこころざしてたりける、よき班犀はんさいおび太刀たちのをかしきなど、ふくろれて、くるまるほど、

「これはむかしひと御心みこころざしなり」

 とて、おくらせてけり。

 殿との御覧ごらんぜさすれば、

「いとすぞろなるわざかな」

 とのたまふ。言葉ことばには、

「みづからひはべりたうびて、いみじくくよろづのことのたまひて、をさなものどものことまでおほせられたるが、いともかしこきに、またかずならぬほどは、なかなかいとづかしう、ひとなにゆゑなどはらせはべらで、あやしきさまどもをもみなまゐらせはべりて、さぶらはせむ、となむものしはべりつる」

 とこゆ。

「げに、ことなることなきゆかりむつびにぞあるべけれど、みかどにも、さばかりのひとむすめたてまつらずやはある。それに、さるべきにて、ときめかしおもさむは、ひとそしるべきことかは。ただうど、はた、あやしきをんなりにたるなどをちゐるたぐひおほかり。

かのかみむすめなりけりと、ひとひなさむにも、わがもてなしの、それにけがるべくありそめたらばこそあらめ、一人ひとりをいたづらになしておもふらむおやこころに、なほこのゆかりこそおもだたしかりけれ、とおもるばかり、用意よういはかならずすべきこと」とおぼす。

かしこには、常陸守、立ちながら来て

 かしこには、常陸守ひたちのかみちながらて、「しも、かくてゐたまへることなむ」と腹立はらだつ。としごろ、いづくになむおはするなど、ありのままにもらせざりければ、「はかなきさまにておはすらむ」とおもひけるを、「きゃうになどむかへたまひてのち面目めんぼくありて、などらせむ」とおもひけるほどに、かかれば、いまかくさむもあいなくて、ありしさまかたる。

 大将殿だいしゃうどの御文おほんふみもとりでてすれば、よきひとかしこくして、ひなび、ものめでするひとにて、おどろきおくして、うちかへしうちかへし、

「いとめでたき御幸おほんさいはひをててせたまひにけるひとかな。おのれも殿人とのびとにて、まゐつかうまつれども、ちか使つかふこともなく、いと気高けだかおもはする殿とのなり。わかものどものことおほせられたるは、たのもしきことになむ」

 など、よろこぶをるにも、「まして、おはせましかば」とおもふに、しまろびてかる。

 かみいまなむうちきける。さるは、おはせしには、なかなか、かかるたぐひのひとしも、たづねたまふべきにしもあらずかし。「わがあやまちにてひつるもいとほし。なぐさめむ」とおぼすよりなむ、「ひとそしり、ねむごろにたづねじ」とおぼしける。

四十九日のわざなどせさせたまふにも

 四十九日しじふくにちのわざなどせさせたまふにも、「いかなりけむことにかは」とおぼせば、とてもかくてもつみまじきことなれば、いとしのびて、かの律師りしてらにてせさせたまひける。六十僧ろくじふそう布施ふせなど、おほきにおきてられたり。母君ははぎみゐて、ことどもへたり。

 みやよりは、右近うこんがもとに、白銀しろかねつぼ黄金こがねれてたまへり。ひととがむばかりおほきなるわざは、えしたまはず、右近うこんこころざしにてしたりければ、こころらぬひとは、「いかで、かくなむ」などひける。殿とのひとども、むつましきかぎりあまたたまへり。

「あやしく。おともせざりつるひとてを、かくあつかはせたまふ。れならむ」

 と、いまおどろくひとのみおほかるに、常陸守ひたちのかみて、主人あるじがりるなむ、あやしとひとびとける。少将せうしゃう子産こうませて、いかめしきことせさせむとまどひ、いへうちになきものはすくなく、唐土もろこし新羅しらぎかざりをもしつべきに、かぎりあれば、いとあやしかりけり。このおほん法事ほふじの、しのびたるやうにおぼしたれど、けはひこよなきをるに、「きたらましかば、わがならぶべくもあらぬひと御宿世おほんすくせなりけり」とおもふ。

 みやうへ誦経ずきゃうしたまひ、しちそうまへのことせさせたまひけり。いまなむ、「かかるひとたまへりけり」と、みかどまでもこしして、おろかにもあらざりけるひとを、みやにかしこまりきこえて、かくきたまひたりける、いとほしとおぼしける。

 二人ふたりひと御心みこころのうち、りずかなしく、あやにくなりし御思おほんおもひのさかりにかきえては、いといみじければ、あだなる御心みこころは、なぐさむやなど、こころみたまふこともやうやうありけり。

 かの殿とのは、かくとりもちて、なにやかやとおぼして、のこりのひとはぐくませたまひても、なほ、いふかひなきことを、わすれがたくおぼす。

后の宮の、御軽服のほどは

 きさきみやの、御軽服おほんきゃうぶくのほどは、なほかくておはしますに、みやなむ式部卿しきぶきゃうになりたまひにける。重々おもおもしうて、つねにしもまゐりたまはず。このみやは、さうざうしくものあはれなるままに、一品いっぽんみや御方おほんかたなぐさところにしたまふ。よきひと容貌かたちをも、えまほにたまはぬ、のこおほかり。

 大将殿だいしゃうどのの、からうして、いとしのびてかたらはせたまふ小宰相こさいしゃうきみといふひとの、容貌かたちなどもきよげなり、こころばせあるかたひとおもされたり。おなこときならす、爪音つまおと撥音ばちおとも、ひとにはまさり、ふみき、ものうちひたるも、よしあるふしをなむへたりける。

 このみやも、としごろ、いといたきものにしたまひて、れいの、やぶりたまへど、「などか、さしもめづらしげなくはあらむ」と、心強こころづよくねたきさまなるを、まめびとは、「すこしひとよりことなり」とおぼすになむありける。かくものおぼしたるも見知みしりければ、しのびあまりてこえたり。

「あはれこころひとにおくれねどかずならぬえつつぞ

へたらば」

 と、ゆゑあるかみきたり。ものあはれなる夕暮ゆふぐれ、しめやかなるほどを、いとよくはかりてひたるも、にくからず。

つねなしとここらだにひとるまでなげきやはする

このよろこび、あはれなりしからも、いとどなむ」

 などひにりたまへり。いとづかしげにものものしげにて、なべてかやうになどもならしたまはぬ、人柄ひとがらもやむごとなきに、いとものはかなきまひなりかし。つぼねなどいひて、せばくほどなき遣戸やりどくちりゐたまへる、かたはらいたくおぼゆれど、さすがにあまり卑下ひげしてもあらで、いとよきほどにものなどもこゆ。

ひとよりも、これはこころにくきけひてもあるかな。などて、かくちけむ。さるものにて、われいたらましものを」

 とおぼす。ひとれぬすぢは、かけてもせたまはず。

蓮の花の盛りに

 はちすはなさかりに、御八講みはかうせらる。六条ろくでうゐんおほんため、むらさきうへなど、みなおぼけつつ、おほんきゃうほとけなど供養くやうぜさせたまひて、いかめしく、たふとくなむありける。五巻ごくゎんなどは、いみじき見物みものなりければ、こなたかなた、女房にょうばうにつきてまゐりて、ものひとおほかりけり。

 五日いつかといふ朝座あさざてて、御堂みだうかざりさけ、おほんしつらひあらたむるに、きたひさしも、障子さうじどもはなちたりしかば、みなちてつくろふほど、西にし渡殿わたどの姫宮ひめみやおはしましけり。ものこうじて、女房にょうばうもおのおのつぼねにありつつ、御前おまへはいと人少ひとずくななる夕暮ゆふぐれに、大将殿だいしゃうどの直衣なほし着替きがへて、今日けふまかづるそうなかに、かならずのたまふべきことあるにより、釣殿つりどのかたにおはしたるに、みなまかでぬれば、いけかたすずみたまひて、人少ひとずくななるに、かくいふ宰相さいしゃうきみなど、かりそめに几帳きちゃうなどばかりてて、うちやすむ上局うへつぼねにしたり。

「ここにやあらむ、ひときぬおとす」とおぼして、馬道めだうかた障子さうじほそきたるより、やをらたまへば、れいさやうのひとのゐたるけはひにはず、れしくしつらひたれば、なかなか、几帳きちゃうどものたがへたるあはひより見通みとほされて、あらはなり。

 をもののふたきてるとて、もてさわひとびと、大人おとな三人みたりばかり、わらはたり。唐衣からぎぬ汗衫かざみず、みなうちとけたれば、御前おまへとはたまはぬに、しろ薄物うすもの御衣おほんぞ着替きがへたまへるひとの、ちながら、かくあらそふを、すこしみたまへる御顔おほんかほはむかたなくうつくしげなり。

 いとあつさのへがたきなれば、こちたき御髪みぐしの、くるしうおもさるるにやあらむ、すこしこなたになびかしてかれたるほど、たとへむものなし。「ここらよきひとあつむれど、るべくもあらざりけり」とおぼゆ。御前おまへなるひとは、まことにつちなどの心地ここちぞするを、おもしづめてれば、なる生絹すずし単衣ひとへ薄色うすいろなるたるひとの、あふぎうち使つかひたるなど、「用意よういあらむはや」と、ふとえて、

「なかなか、ものあつかひに、いとくるしげなり。ただ、さながらたまへかし」

 とて、わらひたるまみ、愛敬あいぎゃうづきたり。こゑくにぞ、このこころざしのひととはりぬる。

心強く割りて

 心強こころづよりて、ごとにたり。かしらにうちき、むねにさしてなど、さましうするひともあるべし。異人ことびとは、かみにつつみて、御前おまへにもかくてまゐらせたれど、いとうつくしき御手みてをさしやりたまひて、のごはせたまふ。

「いな、たらじ。しづくむつかし」

 とのたまふ御声おほんこゑ、いとほのかにくも、かぎりもなくうれし。「まだいとちひさくおはしまししほどに、われも、もののこころらでたてまつりしとき、めでたの稚児ちごおほんさまや、とたてまつりし。そののち、たえてこのおほんけはひをだにかざりつるものを、いかなるかみほとけの、かかるをりせたまへるならむ。れいの、やすからずものおもはせむとするにやあらむ」と、かつは静心しづごころなくて、まもりちたるほどに、こなたのたい北面きたおもてみける下臈げらふ女房にょうばうの、この障子さうじは、とみのことにて、けながらりにけるをおもでて、「ひともこそつけてさわがるれ」とおもひければ、まどる。

 この直衣なほし姿すがたつくるに、「たれならむ」とこころさわぎて、おのがさまえむこともらず、簀子すのこよりただれば、ふとりて、「れともえじ。きしきやうなり」とおもひてかくれたまひぬ。

 この御許おもとは、

「いみじきわざかな。御几帳みきちゃうをさへあらはにきなしてけるよ。みぎ大殿おほとのきみたちならむ。うとひと、はた、ここまでべきにもあらず。もののこえあらば、れか障子さうじけたりしと、かならずなむ。単衣ひとへはかまも、生絹すずしなめりとえつるひと御姿おほんすがたなれば、えひときつけたまはぬならむかし」

 とおもこうじてをり。

 かのひとは、「やうやうひじりになりしこころを、ひとふしたがへそめて、さまざまなるものおもひとともなるかな。そのかみそむきなましかば、いまふかやまてて、かくこころみだれましやは」などおぼつづくるも、やすからず。「などて、としごろ、たてまつらばやとおもひつらむ。なかなかくるしう、かひなかるべきわざにこそ」とおもふ。

つとめて、起きたまへる女宮

 つとめて、きたまへる女宮をんなみや御容貌おほんかたち、「いとをかしげなめるは、これよりかならずまさるべきことかは」とえながら、「さらにたまはずこそありけれ。あさましきまであてに、えもはざりしおほんさまかな。かたへはおもひなしか、をりからか」とおぼして、

「いとあつしや。これよりうす御衣おほんぞたてまつれ。をんなは、れいならぬものたるこそ、時々ときどきにつけてをかしけれ」とて、「あなたにまゐりて、大弐だいにに、薄物うすもの単衣ひとへ御衣おほんぞひてまゐれとへ」

 とのたまふ。御前おまへなるひとは、「この御容貌おほんかたちのいみじきさかりにおはしますを、もてはやしきこえたまふ」とをかしうおもへり。

 れいの、念誦ねんずしたまふわが御方おほんかたにおはしましなどして、ひるかたわたりたまへれば、のたまひつる御衣おほんぞ御几帳みきちゃうにうちけたり。

「なぞ、こはたてまつらぬ。ひとおほときなむ、きたるものるは、ばうぞくにおぼゆる。ただいまはあへはべりなむ」

 とて、づからせたてまつりたまふ。御袴おほんはかま昨日きのふおなくれなゐなり。御髪みぐしおほさ、すそなどはおとりたまはねど、なほさまざまなるにや、るべくもあらず。して、ひとびとにらせたまふ。りてひとつたてまつりなどしたまふ、こころのうちもをかし。

きて、こひしきひとひとは、なくやはありける。ましてこれは、なぐさめむにげなからぬおほんほどぞかしとおもへど、昨日きのふかやうにて、われじりゐ、こころにまかせてたてまつらましかば」とおぼゆるに、こころにもあらずうちなげかれぬ。

一品いっぽんみやに、御文おほんふみはたてまつりたまふや」

 とこえたまへば、

内裏うちにありしとき主上うへの、さのたまひしかばこえしかど、ひさしうさもあらず」

 とのたまふ。

「ただうどにならせたまひにたりとて、かれよりもこえさせたまはぬにこそは、心憂こころうかなれ。いま大宮おほみや御前おまへにて、うらみきこえさせたまふ、とけいせむ」

 とのたまふ。

「いかがうらみきこえむ。うたて」

 とのたまへば、

下衆げすになりにたりとて、おぼとすなめり、とれば、おどろかしきこえぬ、とこそはこえめ」

 とのたまふ。

その日は暮らして、またの朝に

 そのらして、またのあした大宮おほみやまゐりたまふ。れいの、みやもおはしけり。丁子ちゃうじふかめたる薄物うすもの単衣ひとへを、こまやかなる直衣なほしたまへる、いとこのましげなるをんな御身おほんみなりのめでたかりしにもおとらず、しろくきよらにて、なほありしよりは面痩おもやせたまへる、いとるかひあり。

 おぼえたまへりとるにも、まづこひしきを、いとあるまじきこと、としづむるぞ、ただなりしよりはくるしき。をいとおほたせてまゐりたまへりける、女房にょうばうして、あなたにまゐらせたまひて、わたらせたまひぬ。

 大将だいしゃうちかまゐりたまひて、御八講みはかうたふとくはべりしこと、いにしへのおほんこと、すこしこえつつ、のこりたるたまふついでに、

「このさとにものしたまふ皇女みこの、くもうへはなれて、おもしたまへるこそ、いとほしうたまふれ。姫宮ひめみや御方おほんかたより、御消息おほんせうそこもはべらぬを、かくしなさだまりたまへるに、おぼてさせたまへるやうにおもひて、こころゆかぬけしきのみはべるを、かやうのもの、時々ときどきものせさせたまはなむ。なにがしがおろしててまからむ。はた、るかひもはべらじかし」

 とのたまへば、

「あやしく。などてかてきこえたまはむ。内裏うちにては、ちかかりしにつきて、時々ときどきこえたまふめりしを、所々ところどころになりたまひしをりに、とだえたまへるにこそあらめ。いま、そそのかしきこえむ。それよりもなどかは」

 とこえたまふ。

「かれよりは、いかでかは。もとよりかずまへさせたまはざらむをも、かくしたしくてさぶらふべきゆかりにせて、おぼかずまへさせたまはむをこそ、うれしくははべるべけれ。まして、さもこえれたまひにけむを、いまてさせたまはむは、からきことにはべり」

 とけいせさせたまふを、「きばみたるけしきあるか」とはおぼしかけざりけり。

 でて、「一夜ひとよこころざしのひとはむ。ありし渡殿わたどのなぐさめにむかし」とおぼして、御前おまへあゆわたりて、西にしざまにおはするを、御簾みすうちひとこころことに用意よういす。げに、いとさまよくかぎりなきもてなしにて、渡殿わたどのかたは、ひだり大殿おほとのきみたちなどて、ものふけはひすれば、妻戸つまどまへたまひて、

「おほかたにはまゐりながら、この御方おほんかた見参げんざんることの、かたくはべれば、いとおぼえなく、おきなてにたる心地ここちしはべるを、いまよりは、とおもこしはべりてなむ。ありつかず、わかひとどもぞおもふらむかし」

 と、をひきみたちのかたやりたまふ。

いまよりならはせたまふこそ、げにわかくならせたまふならめ」

 など、はかなきことをひとびとのけはひも、あやしうみやびかに、をかしき御方おほんかたのありさまにぞある。そのこととなけれど、なか物語ものがたりなどしつつ、しめやかに、れいよりはたまへり。

姫宮は、あなたに渡らせたまひにけり

 姫宮ひめみやは、あなたにわたらせたまひにけり。大宮おほみや

大将だいしゃうのそなたにまゐりつるは」

 とひたまふ。御供おほんともまゐりたる大納言だいなごんきみ

小宰相こさいしゃうきみに、もののたまはむとにこそは、はべめりつれ」

 とこゆるに、

れい、まめびとの、さすがにひとこころとどめて物語ものがたりするこそ、心地ここちおくれたらむひとくるしけれ。こころのほどもゆらむかし。小宰相こさいしゃうなどは、いとうしろやすし」

 とのたまひて、御姉弟おほんはらからなれど、このきみをば、なほづかしく、「ひと用意よういなくてえざらむかし」とおぼいたり。

ひとよりは心寄こころよせたまひて、つぼねなどにりたまふべし。物語ものがたりこまやかにしたまひて、けてでたまふ折々をりをりもはべれど、れい目馴めなれたるすぢにははべらぬにや。みやをこそ、いとなさけなくおはしますとおもひて、おほんいらへをだにこえずはべるめれ。かたじけなきこと」

 とひてわらへば、みやわらはせたまひて、

「いと見苦みぐるしきおほんさまを、おもるこそをかしけれ。いかで、かかる御癖おほんくせやめたてまつらむ。づかしや、このひとびとも」

 とのたまふ。

いとあやしきことをこそ

「いとあやしきことをこそきはべりしか。この大将だいしゃうくなしたまひてしひとは、みやおほん二条にでうきたかたおほんおとうとなりけり。異腹ことばらなるべし。常陸ひたちさきかみなにがしがは、叔母をばともははともひはべるなるは、いかなるにか。その女君をんなぎみに、みやこそ、いとしのびておはしましけれ。

大将殿だいしゃうどのきつけたまひたりけむ。にはかにむかへたまはむとて、かみへなど、ことことしくしたまひけるほどに、みやも、いとしのびておはしましながら、えらせたまはず、あやしきさまに、御馬おほんむまながらたせたまひつつぞ、かへらせたまひける。

をんなも、みやおもひきこえさせけるにや、にはかにせにけるを、げたるなめりとてこそ、乳母めのとなどやうのひとどもは、まどひはべりけれ」

 とこゆ。みやも、「いとあさまし」とおぼして、

れか、さることはふとよ。いとほしく心憂こころうきことかな。さばかりめづらかならむことは、おのづからこえありぬべきを。大将だいしゃうもさやうにははで、なかのはかなくいみじきこと、かく宇治うぢみやぞうの、いのちみじかかりけることをこそ、いみじうかなしとおもひてのたまひしか」

 とのたまふ。

「いさや、下衆げすは、たしかならぬことをもひはべるものを、とおもひはべれど、かしこにはべりける下童しもわらはの、ただこのころ、宰相さいしゃうさとでまうできて、たしかなるやうにこそひはべりけれ。かくあやしうてせたまへること、ひとかせじ。おどろおどろしく、おぞきやうなりとて、いみじくかくしけることどもとて。さて、くはしくはかせたてまつらぬにやありけむ」

 とこゆれば、

「さらに、かかること、またまねぶな、とはせよ。かかるすぢに、御身おほんみをももてそこなひ、ひとかるこころづきなきものにおもはれぬべきなめり」

 といみじうおぼいたり。

その後、姫宮の御方より

 そののち姫宮ひめみや御方おほんかたより、みや御消息おほんせうそこありけり。御手おほんてなどの、いみじううつくしげなるをるにも、いとうれしく、「かくてこそ、とくるべかりけれ」とおぼす。

 あまたをかしきどもおほく、大宮おほみやもたてまつらせたまへり。大将殿だいしゃうどの、うちまさりてをかしきどもあつめて、まゐらせたまふ。芹川せりかは大将だいしゃう遠君とほぎみの、女一をんないちみやおもひかけたるあき夕暮ゆふぐれに、おもひわびてでてきたるかた、をかしうきたるを、いとよくおもせらるかし。「かばかりおぼなびひとのあらましかば」とおも口惜くちをしき。

をぎつゆむすあきかぜゆふべぞわきてにはしみける」

 ときてもへまほしくおぼせど、

「さやうなるつゆばかりのけしきにてもりたらば、いとわづらはしげなるなれば、はかなきことも、えほのめかしづまじ。かくよろづになにやかやと、ものをおもひのては、むかしひとのものしたまはましかば、いかにもいかにもほかざまにこころけましや。

ときみかど御女おほんむすめたまふとも、たてまつらざらまし。また、さおもひとありとこししながらは、かかることもなからましを、なほ心憂こころうく、わがこころみだりたまひける橋姫はしひめかな」

 とおもひあまりては、またみやうへにとりかかりて、こひしうもつらくも、わりなきことぞ、をこがましきまでくやしき。これにおもひわびて、さしつぎには、あさましくてせにしひとの、いと心幼こころをさなく、とどこほるところなかりける軽々かるがるしさをばおもひながら、さすがにいみじとものを、おもりけむほど、わがけしきれいならずと、こころおになげしづみてゐたりけむありさまを、きたまひしもおもでられつつ、

おもりかなるかたならで、ただこころやすくらうたきかたらひびとにてあらせむ、とおもひしには、いとらうたかりしひとを。おもひもていけば、みやをもおもひきこえじ。をんなをもしとおもはじ。ただわがありさまのづかぬおこたりぞ」

 など、ながりたまふ時々ときどきおほかり。

心のどかに

 こころのどかに、さまよくおはするひとだに、かかるすぢには、くるしきことおのづからじるを、みやは、ましてなぐさめかねつつ、かの形見かたみに、かぬかなしさをものたまひづべきひとさへなきを、たい御方おほんかたばかりこそは、「あはれ」などのたまへど、ふかくも見馴みなれたまはざりける、うちつけのむつびなれば、いとふかくしも、いかでかはあらむ。また、おぼすままに、「こひしや、いみじや」などのたまはむには、かたはらいたければ、かしこにありし侍従じじうをぞ、れいの、むかへさせたまひける。

 皆人みなひとどもはりて、乳母めのととこのひと二人ふたりなむ、きておぼしたりしもわすれがたくて、侍従じじうはよそびとなれど、なほかたらひてありるに、づかぬかはおとも、うれしきもやある、とたのみしほどこそなぐさめけれ、心憂こころうくいみじくものおそろしくのみおぼえて、きゃうになむ、あやしきところに、このころてゐたりける、たづねたまひて、

「かくてさぶらへ」

 とのたまへば、「御心みこころはさるものにて、ひとびとのはむことも、さるすぢのことじりぬるあたりは、きにくきこともあらむ」とおもへば、うけひききこえず。「きさいみやまゐらむ」となむおもむけたれば、

「いとよかなり。さてひとれずおぼ使つかはむ」

 とのたまはせけり。心細こころぼそくよるべなきもなぐさむやとて、るたよりもとまゐりぬ。「きたなげなくてよろしき下臈げらふなり」とゆるして、ひともそしらず。大将殿だいしゃうどのつねまゐりたまふを、るたびごとに、もののみあはれなり。「いとやむごとなきものの姫君ひめぎみのみ、まゐつどひたるみや」とひとふを、やうやうとどめてれど、「たてまつりしひとたるはなかりけり」とおもひありく。

この春亡せたまひぬる式部卿宮

 このはるせたまひぬる式部卿宮しきぶきゃうのみや御女おほんむすめを、継母ままははきたかた、ことにあひおもはで、せうと馬頭むまのかみにて人柄ひとがらもことなることなき、心懸こころかけたるを、いとほしうなどもおもひたらで、さるべきさまになむちぎる、とこしすたよりありて、

「いとほしう。ちちみやのいみじくかしづきたまひける女君をんなぎみを、いたづらなるやうにもてなさむこと」

 などのたまはせければ、いと心細こころぼそくのみおもなげきたまふありさまにて、

「なつかしう、かくたづねのたまはするを」

 など、御兄おほんせうと侍従じじうひて、このころむからせたまひてけり。姫宮ひめみやおほんにて、いとこよなからぬおほんほどのひとなれば、やむごとなくこころことにてさぶらひたまふ。かぎりあれば、みやきみなどうちひて、ばかりひきかけたまふぞ、いとあはれなりける。

 兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみや、「このきみばかりや、こひしきひとおもひよそへつべきさましたらむ。ちち親王みこ兄弟はらからぞかし」など、れい御心みこころは、ひとこひひたまふにつけても、ひとゆかしき御癖おほんくせやまで、いつしかと御心みこころかけたまひてけり。

 大将だいしゃう、「もどかしきまでもあるわざかな。昨日きのふ今日けふといふばかり、春宮とうぐうにやなどおぼし、われにもけしきばませたまひきかし。かくはかなきおとろへをるには、みづそこしづめても、もどかしからぬわざにこそ」などおもひつつ、ひとよりは心寄こころよせきこえたまへり。

 このゐんにおはしますをば、内裏うちよりもひろくおもしろくみよきものにして、つねにしもさぶらはぬどもも、みなうちとけみつつ、はるばるとおほかるたいども、らう渡殿わたどのちたり。

 左大臣殿さだいじんどのむかしおほんけはひにもおとらず、すべてかぎりもなくいとなつかうまつりたまふ。いかめしうなりたるおほんぞうなれば、なかなかいにしへよりも、いまめかしきことはまさりてさへなむありける。

 このみやれい御心みこころならば、つきごろのほどに、いかなるきごとどもをしでたまはまし、こよなくしづまりたまひて、人目ひとめに「すこしなほりたまふかな」とゆるを、このころぞまた、みやきみに、本性ほんじゃうあらはれて、かかづらひありきたまひける。

涼しくなりぬとて

 すずしくなりぬとて、みや内裏うちまゐらせたまひなむとすれば、

あきさかり、紅葉もみぢのころをざらむこそ」

 など、わかひとびとは口惜くちをしがりて、みなまゐつどひたるころなり。みづつきをめでて、御遊おほんあそえず、つねよりもいまめかしければ、このみやぞ、かかるすぢはいとこよなくもてはやしたまふ。朝夕あさゆふ目馴めなれても、なほいま初花はつはなのさましたまへるに、大将だいしゃうきみは、いとさしもちなどしたまはぬほどにて、づかしうこころゆるびなきものに、みなおもひたり。

 れいの、二所ふたところまゐりたまひて、御前おまへにおはするほどに、かの侍従じじうは、ものよりのぞきたてまつるに、

「いづかたにもいづかたにもよりて、めでたき御宿世おほんすくせえたるさまにて、にぞおはせましかし。あさましくはかなく、心憂こころうかりける御心みこころかな」

 など、ひとには、そのわたりのこと、かけてがほにもはぬことなれば、こころひとつにかずむねいたくおもふ。みやは、内裏うち御物語おほんものがたりなど、こまやかにこえさせたまへば、いま一所ひとところでたまふ。「つけられたてまつらじ。しばし、御果おほんはてをもぐさず心浅こころあさし、とえたてまつらじ」とおもへば、かくれぬ。

東の渡殿に

 ひむがし渡殿わたどのに、きあひたる戸口とぐちに、ひとびとあまたゐて、物語ものがたりなどするところにおはして、

「なにがしをぞ、女房にょうばうむつましとおぼすべき。をんなだにかくこころやすくはよもあらじかし。さすがにさるべからむこと、をしへきこえぬべくもあり。やうやう見知みしりたまふべかめれば、いとなむうれしき」

 とのたまへば、いといらへにくくのみおもなかに、べん御許おもととて、れたる大人おとな

「そもむつましくおもひきこゆべきゆゑなきひとの、ぢきこえはべらぬにや。ものはさこそはなかなかはべるめれ。かならずそのゆゑたづねて、うちとけ御覧ごらんぜらるるにしもはべらねど、かばかり面無おもなくつくりそめてけるはさざらむも、かたはらいたくてなむ」

 とこゆれば、

づべきゆゑあらじ、とおもさだめたまひてけるこそ、口惜くちをしけれ」

 など、のたまひつつれば、唐衣からぎぬぎすべししやり、うちとけて手習てならしけるなるべし、すずりふたゑて、こころもとなきはなすゑ手折たをりて、もてあそびけり、とゆ。かたへは几帳きちゃうのあるにすべりかくれ、あるはうちそむき、けたるかたに、まぎらはしつつゐたる、かしらつきどもも、をかしとわたしたまひて、すずりひきせて、

女郎花をみなへしみだるる野辺のべじるともつゆのあだわれにかけめや

こころやすくはおもさで」

 と、ただこの障子さうじにうしろしたるひとせたまへば、うちみじろきなどもせず、のどやかに、いととく、

はなといへばこそあだなれ女郎花をみなへしなべてのつゆみだれやはする」

 ときたる、ただかたそばなれど、よしづきて、おほかためやすければ、たれならむ、とたまふ。いままゐのぼりけるみちに、ふたげられてとどこほりゐたるなるべし、とゆ。べん御許おもとは、

「いとけざやかなる翁言おきなごとにくくはべり」とて、

旅寝たびねしてなほこころみよ女郎花をみなへしさかりのいろうつうつらず

さてのちさだめきこえさせむ」

 とへば、

宿やどさば一夜ひとよなむおほかたのはなうつらぬこころなりとも」

 とあれば、

なにか、づかしめさせたまふ。おほかたの野辺のべのさかしらをこそこえさすれ」

 とふ。はかなきことをただすこしのたまふも、ひとのこかまほしくのみおもひきこえたり。

こころなし。みちけはべりなむよ。きても、かのおほんものぢのゆゑ、かならずありぬべきをりにぞあめる」

 とて、でたまへば、「おしなべてかくのこりなからむ、とおもひやりたまふこそ心憂こころうけれ」とおもへるひともあり。

東の高欄に押しかかりて

 ひむがし高欄かうらんしかかりて、ゆふかげになるままに、はなひも御前おまへくさむらをわたしたまふ。もののみあはれなるに、「なかいてはらわたゆるはあきてん」といふことを、いとしのびやかにじつつゐたまへり。ありつるきぬおとなひ、しるきけはひして、母屋もや御障子みさうじよりとほりて、あなたにるなり。みやあゆみおはして、

「これよりあなたにまゐりつるはそ」

 とひたまへば、

「かの御方おほんかた中将ちうじゃうきみ

 とこゆなり。

「なほ、あやしのわざや。れにかと、かりそめにもうちおもひとに、やがてかくゆかしげなくこゆるざしよ」と、いとほしく、このみやには、みな目馴めなれてのみおぼえたてまつるべかめるも口惜くちをし。

「おりたちてあながちなるおほんもてなしに、をんなはさもこそけたてまつらめ。わが、さも口惜くちをしう、このおほんゆかりには、ねたく心憂こころうくのみあるかな。いかで、このわたりにも、めづらしからむひとの、れいこころれてさわぎたまはむをかたらひりて、わがおもひしやうに、やすからずとだにもおもはせたてまつらむ。まことにこころばせあらむひとは、わがかたにぞるべきや。されどかたいものかな。ひとこころは」

 とおもふにつけて、たい御方おほんかたの、かのおほんありさまをば、ふさはしからぬものにおもひきこえて、いと便びんなきむつびになりゆくが、おほかたのおぼえをば、くるしとおもひながら、なほさしはなちがたきものにおぼりたるぞ、ありがたくあはれなりける。

「さやうなるこころばせあるひと、ここらのなかにあらむや。りたちてふかねばらぬぞかし。寝覚ねざめがちにつれづれなるを、すこしはきもならはばや」

 などおもふに、いまはなほつきなし。

例の、西の渡殿を

 れいの、西にし渡殿わたどのを、ありしにならひて、わざとおはしたるもあやし。姫宮ひめみやよるはあなたにわたらせたまひければ、ひとびとつきるとて、この渡殿わたどのにうちとけて物語ものがたりするほどなりけり。さうこといとなつかしうきすさむ爪音つまおと、をかしうこゆ。おもひかけぬにりおはして、

「など、かくねたましがほにかきらしたまふ」

 とのたまふに、みなおどろかるべけれど、すこしげたるすだれうちろしなどもせず、がりて、

るべきこのかみやは、はべるべき」

 といらふるこゑ中将ちうじゃう御許おもととかひつるなりけり。

「まろこそ、御母方おほんははかた叔父をぢなれ」

 と、はかなきことをのたまひて、

れいの、あなたにおはしますべかめりな。なにわざをか、この御里住おほんさとずみのほどにせさせたまふ」

 など、あぢきなくひたまふ。

「いづくにても、何事なにごとをかは。ただ、かやうにてこそはぐさせたまふめれ」

 とふに、「をかしの御身おほんみのほどや、とおもふに、すずろなるなげきの、うちわすれてしつるも、あやしとおもひともこそ」とまぎらはしに、さしでたる和琴わごんを、たださながららしたまふ。りち調しらべは、あやしくをりにあふとこゑなれば、きにくくもあらねど、てたまはぬを、なかなかなりと、こころれたるひとは、えかへりおもふ。

「わが母宮ははみやおとりたまふべきひとかは。后腹きさいばらこゆばかりのへだてこそあれ、帝々みかどみかどおぼしかしづきたるさま、異事ことことならざりけるを。なほ、このおほんあたりは、いとことなりけるこそあやしけれ。明石あかしうらこころにくかりけるところかな」などおもつづくることどもに、「わが宿世すくせは、いとやむごとなしかし。まして、ならべてちたてまつらば」とおもふぞ、いとかたきや。

宮の君は、この西の対にぞ

 みやきみは、この西にしたいにぞ御方おほんかたしたりける。わかひとびとのけはひあまたして、つきめであへり。

「いで、あはれ、これもまたおなひとぞかし」

 とおもできこえて、「親王みこの、むかし心寄こころよせたまひしものを」とひなして、そなたへおはしぬ。わらはの、をかしき宿直とのゐ姿すがたにて、三人さんにんでてあゆきなどしけり。つけてるさまども、かかやかし。これぞつねおもふ。

 南面みなみおもてすみりて、うちこわづくりたまへば、すこしおとなびたるひとたり。

ひとれぬ心寄こころよせなどこえさせはべれば、なかなか、皆人みなひとこえさせふるしつらむことを、うひうひしきさまにて、まねぶやうになりはべり。まめやかになむ、ことよりほかもとめられはべる」

 とのたまへば、きみにもつたへず、さかしだちて、

「いとおもほしかけざりしおほんありさまにつけても、故宮こみやおもひきこえさせたまへりしことなど、おもひたまへでられてなむ。かくのみ、折々をりをりこえさせたまふなり。御後言おほんしりうごとをも、よろこびきこえたまふめる」

 とふ。

なみなみの人めきて

「なみなみのひとめきて、心地ここちなのさまや」とものければ、

「もとよりおぼつまじきすぢよりも、いまはまして、さるべきことにつけても、おもほしたづねむなむうれしかるべき。疎々うとうとしう人伝ひとづてなどにてもてなさせたまはば、えこそ」

 とのたまふに、「げに」と、おもさわぎて、きみをひきゆるがすめれば、

まつむかしのとのみ、ながめらるるにも、もとよりなどのたまふすぢは、まめやかにたのもしうこそは」

 と、人伝ひとづてともなくひなしたまへるこゑ、いとわかやかに愛敬あいぎゃうづき、やさしきところひたり。「ただなべてのかかる住処すみかひとおもはば、いとをかしかるべきを、ただいまは、いかでかばかりも、ひとこゑかすべきものとならひたまひけむ」と、なまうしろめたし。「容貌かたちもいとなまめかしからむかし」と、まほしきけはひのしたるを、「このひとぞ、またれいの、かの御心みこころみだるべきつまなめると、をかしうも、ありがたのや」とおもひゐたまへり。

「これこそは、かぎりなきひとのかしづきほしたてたまへる姫君ひめぎみ。また、かばかりぞおほくはあるべき。あやしかりけることは、さるひじりおほんあたりに、やまのふところよりたるひとびとの、かたほなるはなかりけるこそ。この、はかなしや、軽々かるがるしや、などおもひなすひとも、かやうのうちるけしきは、いみじうこそをかしかりしか」

 と、何事なにごとにつけても、ただかのひとつゆかりをぞおもでたまひける。あやしう、つらかりけるちぎりどもを、つくづくとおもつづながめたまふ夕暮ゆふぐれ蜻蛉かげろふのものはかなげにびちがふを、

「ありとにはとられずればまた行方ゆくへらずえし蜻蛉かげろふ

あるか、なきかの」

 と、れいの、ひとりごちたまふ、とかや。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次