無名抄「題の心」原文・語釈・現代語訳
歌は題の心をよく心得べきなり
原文
歌は題の心をよく心得べきなり。俊頼の『髄脳』といふものにぞ記してはべるめる。必ずまはして詠むべき文字、なかなかまはしては悪く聞こゆる文字あり。必ずしも詠み据ゑねども、おのづから知らるる文字もあり。
語釈
- 心:意味。趣旨。本質。
- 俊頼:源俊頼。天喜3(1055)年頃生まれの歌人。「しゅんらい」は有職読み。
- 髄脳:源俊頼が著した歌論書『俊頼髄脳』。1113年頃に成立したとされる。
- まはす:直接的でなく、遠回しに表現する。
- 詠み据う:しっかり詠みこむ。
- おのづから:しぜんに。ひとりでに。
現代語訳
歌は題の意味をよく心得るべきである。俊頼が『髄脳』という書物に記しておられるようだ。必ず遠回しに詠むべき文字もあれば、遠回しに詠むとかえって悪く聞こえる文字もある。必ずしも詠み込まなくても、おのずとわかる文字もある。
いはゆる暁天落花、雲間郭公、海上明月
原文
いはゆる「暁天落花」「雲間郭公」「海上明月」、これらのごとくは、第二の文字は必ずしも詠まず。みな下の題を詠むに具して聞こゆる文字なり。また、かすかにて優なる文字あり。これらは教へ習ふべきことにあらず。よく心得つれば、その題を見るにあらはなり。
語釈
- 具す:伴う。
- かすか:はっきりしないさま。
現代語訳
いわゆる「暁天落花」「雲間郭公」「海上明月」、これらのような題は、第二の文字(天・間・上)は必ずしも詠まない。みな下の題(落花・郭公・明月)を詠むのに伴って聞こえてくる文字である。また、はっきりしないことで奥ゆかしくなる文字もある。これらは教えられて習得できることでもない。よく心得ることで、その題を見るだけで意味が浮かび上がってくるのである。
また、歌の題は必ず、心ざしを深く詠むべし
原文
また、題の歌は必ず、心ざしを深く詠むべし。たとへば、祝ひには限りなく久しき心を言ひ、恋にはわりなく浅からぬよしを詠み、もしは命に替へて花を惜しみ、家路を忘れて紅葉を尋ねむごとく、そのものに心ざしを深く詠むべきを、古集の歌どものさしも見えぬは、歌ざまのよろしきによりてその難を許せるなり。
語釈
- 心ざし:意向。心持ち。詠む対象に込めた詠み手の思い。
- 久し:長い時間が続く。なじみ深い。
- わりなく:どうしようもなくつらい。
現代語訳
また、題の歌は必ず、詠み手の思いを深く込めて詠むべきである。例えば、祝いの歌には限りなく続くなじみの心を言い、恋の歌にはどうしようもなく深い愛情を詠み、もしくは自分の命と同じように花を惜しみ、家に帰るのを忘れて紅葉を探し求めるように、歌題の対象に思いを深く込めて詠むべきである。それなのに、古い歌集の歌にそう見えないのは、歌そのものの姿が素晴らしいために、その難が許容されているのである。
もろもろの難ある歌、この会釈によりて
原文
もろもろの難ある歌、この会釈によりて選び入るるは、常のことなり。されど、かれをば例とすべからず。いかにも、歌合などに同じほどなるにとりては、今少し題を深く思へるを勝ると定むるなり。たとへば、説法する人のその仏に向かひて、よく讃嘆するがごとし。
語釈
- 会釈:配慮。手心。
- 讃嘆:⦅仏教語⦆仏の徳をほめたたえること。
現代語訳
もろもろの難ある歌を、この手心によって歌集に選び入れることは、よくあることである。しかし、それを手本とすべきではない。どのようであっても、歌合などで同じ程度である場合は、もう少し題を深く思っている歌を勝ちと判定するのである。たとえるなら、説法する人がその持仏に向かって、心を込めてほめたたえるのと同じようなものだ。
ただし、題をば必ずもてなすへきぞとて
原文
ただし、題をば必ずもてなすべきぞとて、古く詠まぬほどのことをば心すべし。たとへば、郭公などは、山野を尋ね歩きて聞く心を詠む。鶯ごときは、待つ心をば詠めども、尋ねて聞くよしはいと詠まず。また、鹿の音などは、聞くにもの心細く、あはれなるよしをば詠めども、待つよしをばいともいはず。かやうのこと、ことなる秀句などなくは、必ず避るべし。
語釈
- 心す:気を付ける。注意する。
- ことなる【殊なる・異なる】:特別な。
- 避る:避ける。
現代語訳
ただし、題を必ず大事にするべきだといっても、古くから詠まないようなことは注意すべきである。たとえば、ホトトギスなどは、山野で鳴く声を尋ね歩いて聞く心を詠む。ウグイスのような鳥は、鳴くのを待つ心を詠むことはあっても、尋ねて聞くということはあまり詠まない。また、鹿の声などは、聞くとどこか心細く、しみじみとした気持ちを詠むことはあっても、その声を待つとはそれほど言わない。このようなことは、よほど優れた句などがないなら、必ず避けるべきである。
また、桜をば尋ぬれど、柳をば尋ねず
原文
また、桜をば尋ぬれど、柳をば尋ねず。初雪などをば待つ心を詠みて、時雨、霰などをば待たず。花をば命に替へて惜しむなど言へども、紅葉をばさほどには惜しまず。これらを心得ぬは、故実を知らぬやうなれば、よくよく古歌などをも思ひときて、歌のほどに従ひて、計らふべきことなり。
語釈
- 故実:手本とすべき先例。
- 思ひとく:いろいろ考えてはっきりさせる。
- 計らふ:考慮する。
現代語訳
また、桜を尋ねることはあっても、柳を尋ねることはない。初雪などは待つ心を詠み、時雨や霰などを待つことはない。花を命に替えて惜しむなどと言うことはあっても、紅葉はそれほどには惜しまない。これらを心得ないのは、手本とすべき先例を知らないようなので、よくよく古歌なども勉強して、歌の程度に従って考慮すべきことである。
無名抄「題の心」原文全文
歌は題の心をよく心得べきなり。俊頼の『髄脳』といふものにぞ記してはべるめる。必ずまはして詠むべき文字、なかなかまはしては悪く聞こゆる文字あり。必ずしも詠み据ゑねども、おのづから知らるる文字もあり。いはゆる「暁天落花」「雲間郭公」「海上明月」、これらのごとくは、第二の文字は必ずしも詠まず。みな下の題を詠むに具して聞こゆる文字なり。また、かすかにて優なる文字あり。これらは教へ習ふべきことにあらず。よく心得つれば、その題を見るにあらはなり。
また、題の歌は必ず、心ざしを深く詠むべし。たとへば、祝ひには限りなく久しき心を言ひ、恋にはわりなく浅からぬよしを詠み、もしは命に替へて花を惜しみ、家路を忘れて紅葉を尋ねむごとく、そのものに心ざしを深く詠むべきを、古集の歌どものさしも見えぬは、歌ざまのよろしきによりてその難を許せるなり。もろもろの難ある歌、この会釈によりて選び入るるは、常のことなり。されど、かれをば例とすべからず。いかにも、歌合などに同じほどなるにとりては、今少し題を深く思へるを勝ると定むるなり。たとへば、説法する人のその仏に向かひて、よく讃嘆するがごとし。
ただし、題をば必ずもてなすべきぞとて、古く詠まぬほどのことをば心すべし。たとへば、郭公などは、山野を尋ね歩きて聞く心を詠む。鶯ごときは、待つ心をば詠めども、尋ねて聞くよしはいと詠まず。また、鹿の音などは、聞くにもの心細く、あはれなるよしをば詠めども、待つよしをばいともいはず。かやうのこと、ことなる秀句などなくは、必ず避るべし。また、桜をば尋ぬれど、柳をば尋ねず。初雪などをば待つ心を詠みて、時雨、霰などをば待たず。花をば命に替へて惜しむなど言へども、紅葉をばさほどには惜しまず。これらを心得ぬは、故実を知らぬやうなれば、よくよく古歌などをも思ひときて、歌のほどに従ひて、計らふべきことなり。

無名抄「題の心」現代語訳全文
歌は題の意味をよく心得るべきである。俊頼が『髄脳』という書物に記しておられるようだ。必ず遠回しに詠むべき文字もあれば、遠回しに詠むとかえって悪く聞こえる文字もある。必ずしも詠み込まなくても、おのずとわかる文字もある。いわゆる「暁天落花」「雲間郭公」「海上明月」、これらのような題は、第二の文字(天・間・上)は必ずしも詠まない。みな下の題(落花・郭公・明月)を詠むのに伴って聞こえてくる文字である。また、はっきりしないことで奥ゆかしくなる文字もある。これらは教えられて習得できることでもない。よく心得ることで、その題を見るだけで意味が浮かび上がってくるのである。
また、題の歌は必ず、詠み手の思いを深く込めて詠むべきである。例えば、祝いの歌には限りなく続くなじみの心を言い、恋の歌にはどうしようもなく深い愛情を詠み、もしくは自分の命と同じように花を惜しみ、家に帰るのを忘れて紅葉を探し求めるように、歌題の対象に思いを深く込めて詠むべきである。それなのに、古い歌集の歌にそう見えないのは、歌そのものの姿が素晴らしいために、その難が許容されているのである。もろもろの難ある歌を、この手心によって歌集に選び入れることは、よくあることである。しかし、それを手本とすべきではない。どのようであっても、歌合などで同じ程度である場合は、もう少し題を深く思っている歌を勝ちと判定するのである。たとえるなら、説法する人がその持仏に向かって、心を込めてほめたたえるのと同じようなものだ。
ただし、題を必ず大事にするべきだといっても、古くから詠まないようなことは注意すべきである。たとえば、ホトトギスなどは、山野で鳴く声を尋ね歩いて聞く心を詠む。ウグイスのような鳥は、鳴くのを待つ心を詠むことはあっても、尋ねて聞くということはあまり詠まない。また、鹿の声などは、聞くとどこか心細く、しみじみとした気持ちを詠むことはあっても、その声を待つとはそれほど言わない。このようなことは、よほど優れた句などがないなら、必ず避けるべきである。また、桜を尋ねることはあっても、柳を尋ねることはない。初雪などは待つ心を詠み、時雨や霰などを待つことはない。花を命に替えて惜しむなどと言うことはあっても、紅葉はそれほどには惜しまない。これらを心得ないのは、手本とすべき先例を知らないようなので、よくよく古歌なども勉強して、歌の程度に従って考慮すべきことである。

