『徒然草』の現代語訳を、8ページに分けて全文掲載しています。このページ(4)には、第99段「堀川相国は、美男のたのしき人にて」から第136段「医師篤成、故法皇の御前に候ひて」までの章段を収めました。原文とあわせて読みたい方は、『徒然草』原文(4)をご覧ください。
第99段 堀川相国は、美男のたのしき人にて
堀川相国(源基具)は、美男で裕福な人で、何かにつけてぜいたくを好まれた。
ご子息の基俊卿を検非違使の別当にして、庁の事務を執り行われたときに、庁舎の唐櫃が見苦しいということで、立派に作り直すようにとお命じになったところ、
「この唐櫃は、大昔から伝わって、その始まりもわかりません。数百年を経ております。代々伝わる公の品は、古く傷んでいることをもって手本とします。たやすく改めることはできません」
と、故実に通じた役人たちが申し上げたので、その件は取りやめになった。
第100段 久我相国は
久我相国(源雅実)は、殿上で水をお求めになったときに、主殿司が素焼きの杯を差し上げたところ、
「曲げ物の器を持って参れ」
と言って、その器でお飲みになった。
第101段 ある人、任大臣の節会の内弁を
ある人が、大臣任命の節会で内弁をお勤めになったときに、内記が持っている宣命を受け取らないで、殿上に上がってしまわれた。この上ない失礼であるが、引き返して取りに行くわけにもいかず、困り果てておられたところ、六位の外記康綱が、衣をかぶった女房に頼んで、その宣命を持たせて、こっそりと差し上げさせた。見事なことであった。
第102段 尹大納言光忠入道
尹大納言光忠入道が、追儺の儀式の責任者をお勤めになったときに、洞院右大臣殿(洞院公賢)に式次第をお尋ね申し上げなさったところ、
「又五郎という男を師匠とするより外に、よい知恵はございますまい」
とおっしゃった。その又五郎は、年老いた衛士で、宮中の儀式によく慣れた者であった。
近衛殿が陣の座にお着きになったとき、ひざまずくための敷物を忘れて、外記をお呼びになったところ、又五郎は火をたいて控えていたが、
「まず敷物をお取り寄せになるのがよいのではございませんか」
と小声でつぶやいたのは、たいそう面白かった。
第103段 大覚寺殿にて、近習の人ども
大覚寺殿(後宇多法皇)で、おそば近く仕える人々が、なぞなぞを作って解いておられたところへ、医師の忠守が参上したところ、侍従大納言公明卿が、
「わが国の者とも見えない忠守だなあ」
となぞなぞになさったのを、
「唐瓶子」
と解いてお笑いになったので、忠守は腹を立てて退出してしまった。
第104段 荒れたる宿の人目なきに
荒れた家で人の訪れもないところに、女が人目をはばかる事情のあるころで、することもなく引きこもっていたのを、ある人が、見舞おうとなさって、夕月がほのかにかすんでいるころに、人目を忍んで訪ねていらっしゃったところ、犬が大げさにほえるので、下働きの女が出てきて、
「どちらからですか」
と言うので、すぐに取り次ぎをさせてお入りになった。心細そうな様子で、どうやって暮らしているのだろうと、たいそう気の毒に思われる。粗末な板敷きにしばらく立っていらっしゃると、落ち着いた感じの若々しい声で、
「こちらへ」
と言う人がいるので、開け閉めも窮屈そうな引き戸からお入りになった。
部屋の中の様子は、それほど殺風景ではなく、奥ゆかしくて、灯火は向こうのほうにほのかであるが、調度品のつやなども見えて、急にたいたのではない香の匂いが漂い、たいそう親しみやすく住みなしている。
「門をしっかり閉めておいてね。雨が降るといけないから。お車は門の下に、お供の人はどこそこに」
と言うと、
「今夜は安心して眠れそうだ」
と、ひそひそささやくのも、声を潜めてはいるが、狭い家なので、かすかに聞こえる。
さて、近ごろのことなどを、こまごまと申し上げなさっているうちに、夜更けの鶏も鳴いた。
過去から未来にわたって心のこもったお話をなさるうちに、今度は鶏もにぎやかな声でしきりに鳴くので、夜が明けてしまうのかとお聞きになるが、夜の深いうちに急いで帰らなければならない所でもないので、少しゆっくりしておられると、戸のすき間が白んできたので、忘れがたい言葉などを言い残してお出になると、梢も庭も目新しく一面に青々とした4月ごろの明け方で、それが優美で趣深かったことを思い出しなさって、桂の大木が見えなくなるまで、今でもその家を見送りなさるということだ。
第105段 北の屋かげに消え残りたる雪の
北側の家の陰に消え残っている雪が、ひどく凍っているところに、寄せてある車の轅にも霜がたいそうきらめいて、明け方の月が明るく照っているが、くまなく照らしているわけでもないころに、人里離れたお堂の廊下で、並々の身分ではないと見える男が、女と長押に腰掛けて、語り合っている様子は、何の話であろうか、尽きることがなさそうである。頭の形や顔立ちなども、たいそう美しく見えて、何とも言えないよい匂いがさっと香ってくるのは、趣深い。話し声などが、とぎれとぎれに聞こえてくるのも心ひかれる。
第106段 高野の証空上人
高野山の証空上人が、京へ上ったときに、細い道で、馬に乗った女と行き会ったが、その馬の口を引いていた男が、引き方を誤って、上人の馬を堀へ落としてしまった。
上人は、たいそう腹を立ててとがめ、
「これはとんでもない乱暴だ。仏の四種の弟子というのはな、比丘よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞は劣り、優婆塞より優婆夷は劣っている。このような優婆夷などの身で、比丘を堀へ蹴り落とさせるとは、前代未聞の悪行である」
とおっしゃったので、馬の口取りの男は、
「何をおっしゃっているのやら、さっぱりわかりません」
と言うと、上人はますますいきり立って、
「何を言うか、修行もせず学問もない男め」
と荒々しく言って、この上ない暴言を吐いてしまったと思った様子で、馬を引き返して逃げて行ってしまわれた。尊い口げんかというべきであろう。
第107段 女の物言ひかけたる返事
女が話しかけてきたときの返事を、とっさにほどよくできる男はめったにいないものだということで、亀山院の御代に、いたずら好きの女房たちが、若い男たちが参上なさるたびに、
「ほととぎすをお聞きになりましたか」
と尋ねて試しなさったところ、何某の大納言とかいう人は、
「物の数にも入らない身では、聞くことができません」
とお答えになった。堀川内大臣殿(源具守)は、
「岩倉で聞きましたでしょうか」
とおっしゃったのを、
「これは難がない。『物の数にも入らない身』というのは、わざとらしい」
などと評定し合われた。
総じて、男子は、女に笑われないように育てるべきだということだ。浄土寺前関白殿(九条師教)は、幼いころに、安喜門院がよくお教え申し上げなさったので、お言葉遣いなどが立派なのだと、人がおっしゃったとかいうことだ。山階左大臣殿(西園寺実雄)は、卑しい下女がお見上げ申し上げるのでさえ、たいそう気恥ずかしく、気を遣ってしまうとおっしゃった。
女のいない世の中であったなら、衣服の着こなしも冠の着け方も、どうであろうと、きちんと整える人もいないでしょう。このように男たちに気を遣われる女とは、どれほど立派なものかと思うと、女の本性はみなねじけている。
自我への執着が深く、欲が深くて、物事の道理をわきまえない。ただ迷いのほうへは心がすぐに移り、言葉も巧みで、差し支えないことでも尋ねるときには言わない。慎み深いのかと思うと、また驚きあきれるようなことまで、聞かれもしないのに話し出す。深くたくらんで取り繕ったことは、男の知恵にもまさっているのかと思えば、そのことが後からばれてしまうのに気づかない。素直でなくて愚かなものは、女である。
その心に従って、よく思われようとするのは、情けないことであろう。だから、どうして女に気後れすることがあろうか。もし賢い女がいたとしたら、それもまた親しみにくく、興ざめなものであろう。
ただ迷いの心を主として、女に従うときに、優美にも、面白くも思われるものなのである。
第108段 寸陰惜しむ人なし
わずかな時間を惜しむ人はいない。これはよくわかっているからなのか、愚かだからなのか。
愚かで怠けている人のために言うならば、一銭は軽いといっても、これを積み重ねれば、貧しい人を金持ちにする。だから、商人が一銭を惜しむ気持ちは切実である。
一瞬一瞬は意識しなくても、これを運び続けてやめなければ、命の終わる時はたちまちやって来る。だから、仏道を修める人は、遠い先の月日を惜しむべきではない。ただ今この一瞬が、むなしく過ぎてしまうことを惜しむべきである。
もし人がやって来て、
「あなたの命は、明日には必ず失われるだろう」
と告げ知らせたとしたら、今日一日が暮れるまでの間、何を頼みにし、何をしようとするだろうか。私たちが生きている今日という日は、どうしてその最後の日と違うことがあろうか。
一日のうちに、飲食、排泄、睡眠、会話、歩行などで、やむをえず多くの時間を失う。その残りの暇は、いくらもない中で、無益なことをし、無益なことを言い、無益なことを考えて時を過ごすだけでなく、そうして日を消し、月を重ねて、一生を送ってしまう。実に愚かなことである。
謝霊運は法華経の翻訳の筆記者であったけれども、心にいつも俗世の野心を抱いていたので、恵遠は白蓮社への仲間入りを許さなかった。わずかな間でもこの時を惜しむ心がないときは、死人と同じである。
時間を何のために惜しむのかといえば、心の中に余計な思いがなく、外では世俗の用事に煩わされずに、悪をやめようとする人はやめ、修行しようとする人は修行せよということである。
第109段 高名の木登りといひし男
有名な木登りの名人といわれた男が、人に指図して、高い木に登らせて梢を切らせたときに、たいそう危なく見えた間は何も言わないで、降りるときに、軒の高さほどになってから、
「しくじるな。気をつけて降りよ」
と言葉をかけましたので、
「これくらいの高さになったら、飛び降りても降りられるだろう。どうしてそのように言うのか」
と申しましたところ、
「そのことでございます。目がくらみ、枝が危ないうちは、本人が恐れておりますから申しません。けがは、たやすい所になってから、必ずするものでございます」
と言う。身分の低い者であるが、聖人の戒めにかなっている。
蹴鞠も、難しい鞠を蹴り上げた後、たやすいと思うと、必ず落とすということでございますようだ。
第110段 双六の上手といひし人に
双六の名人といわれた人に、その方法を尋ねましたところ、
「勝とうとして打ってはならない。負けまいとして打つべきである。どの手が早く負けてしまうだろうかと考えて、その手を使わずに、一目でも遅く負けるような手を選ぶべきだ」
と言う。その道をよく知っている者の教えであり、身を修め、国を保つ道も、またこれと同じである。
第111段 囲碁、双六好みて明かし暮らす人は
「囲碁や双六を好んで日夜を過ごす人は、四重五逆の大罪にもまさる悪事をしていると思う」
と、ある聖が申したことが、耳に残って、すばらしいことだと思われます。
第112段 明日は遠国へ赴くべしと聞かん人に
明日は遠い国へ旅立つことになっていると聞いている人に、心を落ち着けてしなければならないようなことを、誰が言いかけるだろうか。急な大事に取り組んでいる人や、ひどく嘆き悲しんでいる人は、他のことを聞き入れない。人の心配事や喜び事も見舞わない。見舞わないからといって、どうしてかと恨む人もいない。
だから、年もしだいにとり、病気にもつきまとわれ、ましてや出家した人は、またこれと同じであるはずだ。世間の儀礼で、どれが避けにくくないものがあろうか。世俗の義理を無視しにくいからといってそれに従い、これを必ずしなければならないものとするなら、望みも多くなり、身も苦しく、心の休まる暇もなく、一生は雑事の細かな義理にじゃまされて、むなしく終わってしまうだろう。
日は暮れたのに道は遠い。私の人生はすでに思うようにならず行き詰まっている。あらゆる縁を捨て去るべき時である。
信義も守るまい。礼儀も考えまい。この気持ちがわからない人は、気が狂ったとでも言え、正気でない、人情がないとでも思え。
非難されても苦にしまい。ほめられても耳を貸すまい。
第113段 四十にもあまりぬる人の
40歳を過ぎた人が、色恋のことを、ひそかに心に秘めているのは、しかたがない。ことさら口に出して、男女のことや、他人の色恋のことを言ってふざけるのは、似合わず見苦しい。
だいたい、聞き苦しく見苦しいこと。老人が若い人にまじって、面白がらせようとしゃべっていること。物の数にも入らない身分で、世間の評判の高い人を、親しい間柄のように言っていること。貧しい家で、酒宴を好み、客をもてなそうと派手にふるまっていること。
第114段 今出川のおほい殿、嵯峨へおはしけるに
今出川の大臣殿(西園寺兼季)が、嵯峨へお出かけになったとき、有栖川のあたりの、水が流れている所で、牛飼いの賽王丸が牛を追い立てたところ、牛の足がはね上げた水が、車の前板までざっとかかったのを、為則が、お車の後ろに控えていたが、
「とんでもない子どもだ。こんな所で牛を追い立てるものか」
と言ったので、大臣殿はご機嫌が悪くなって、
「おまえは、車を進めることについて、賽王丸以上に心得てはいないだろう。とんでもない男だ」
と言って、為則の頭をお車に打ちつけなさった。
この評判の賽王丸は、太秦殿(藤原信清)の家来で、天皇のお車用の牛飼いである。
この太秦殿にお仕えしていた女房たちの名も、1人はひささち、1人はことつち、1人ははふはら、1人はおとうしとつけられた。
第115段 宿河原といふ所にて
宿河原という所で、ぼろぼろが大勢集まって、九品の念仏を唱えていたところ、よそからやって来たぼろぼろが、
「もしやこの中に、いろおし房と申すぼろはいらっしゃいますか」
と尋ねたので、その中から、
「いろおしは、ここにおります。そうおっしゃるのはどなたですか」
と答えると、
「しら梵字と申す者です。私の師匠の何某と申した人が、東国で、いろおしと申すぼろに殺されたとお聞きしましたので、その人にお会いして、恨みを晴らしたいと思って、お尋ねしているのです」
と言う。いろおしは、
「よくぞ訪ねていらっしゃった。そういうことがございました。ここでお相手をいたしましたら、念仏の道場を汚すことになりましょう。前の河原へ行って立ち会いましょう。決して、そばの方々は、どちらにも加勢なさらないでください。大勢の迷惑になったら、仏事の妨げになりましょう」
と取り決めて、2人は河原へ出て向き合い、思う存分刺し合って、ともに死んでしまった。
ぼろぼろというものは、昔はいなかったのだろうか。近ごろになって、ぼろんじ、梵字、漢字などと名乗った者が、その始まりだったとかいうことだ。
世を捨てたようでいて自我への執着が深く、仏道を願っているようでいて、争いごとを専らにしている。
勝手気ままで恥知らずなありさまではあるが、死を軽く見て、少しも執着しないところがいさぎよく思われて、人が語ったとおりに書きつけておくのである。
第116段 寺院の号、さらぬよろづのものにも
寺院の名や、そのほかあらゆるものに名をつけることについて、昔の人は少しも凝ったものを求めず、ただありのままに、気軽につけたのである。近ごろは、深く考えて、才知を見せようとしたように聞こえるのは、たいそう不快である。
人の名も、見慣れない文字をつけようとするのは、無益なことである。
何事も、珍しいことを求め、変わった説を好むのは、学識の浅い人に必ずあることだということだ。
第117段 友とするにわろき者七つあり
友とするのによくない者が、7つある。
1つには、身分が高く尊い人。
2つには、若い人。
3つには、病気をせず体の丈夫な人。
4つには、酒を好む人。
5つには、勇猛な武士。
6つには、うそをつく人。
7つには、欲の深い人。
よい友は、3つある。
1つには、物をくれる友。
2つには、医者。
3つには、知恵のある友。
第118段 鯉の羹食ひたる日は
鯉の吸い物を食べた日は、髪の毛がほつれないということだ。にかわにも作るものであるから、粘り気のあるものなのだろう。鯉だけは、天皇の御前でも料理されるものであるから、尊い魚である。
鳥ではきじが、比べるもののないものである。きじや松茸などは、御湯殿の上の間に掛けてあっても差し支えない。そのほかのものは嘆かわしいことである。
中宮のお部屋の御湯殿の上の間の黒御棚に、雁が置いてあったのを、北山入道殿(西園寺実兼)がご覧になって、お帰りになると、すぐにお手紙で、
「このようなものが、そっくりそのままの姿で御棚に置いてありましたのは、見慣れないことで、体裁の悪いことです。しっかりした人がお仕えしていないからでしょう」
などと申し上げなさった。
第119段 鎌倉の海に鰹といふ魚は
鎌倉の海でとれる鰹という魚は、あの地方では比べるもののないものとして、近ごろもてはやされているものである。それも、鎌倉の老人が申しましたことには、
「この魚は、私たちが若かったころまでは、立派な人の前へ出されることはありませんでした。頭は下男も食べず、切って捨てていたものです」
と申した。
このようなものも、世も末になると、上流の人々の間にまで入り込むものなのでございます。
第120段 唐の物は、薬の外は
中国からの品物は、薬のほかは、なくても不自由しないだろう。書物は、この国に多く広まっているので、書き写すこともできるだろう。
中国への船が、容易でない航路に、無用なものばかりを積み込んで、所狭しと運んで来るのは、たいそう愚かなことである。「遠い国の物を宝としない」とも、また、「手に入りにくい財宝を尊ばない」とも、書物にもあるとかいうことです。
第121段 養ひ飼ふものは、馬、牛
養い飼うべきものは、馬と牛である。つないで苦しめるのはかわいそうだが、なくてはならないものなので、しかたがない。犬は、家を守り防ぐ務めが人にもまさっているので、必ず飼うべきである。けれども、どの家にもいるものなので、わざわざ求めて飼わなくてもよいだろう。
そのほかの鳥や獣は、すべて無用なものである。
走る獣は、檻に閉じ込められ、鎖につながれ、飛ぶ鳥は、翼を切られ、籠に入れられて、雲を恋しがり、野山を思う嘆きが、やむときがない。その気持ちを、わが身に当てはめて耐えがたいと思うならば、思いやりのある人が、これを楽しむだろうか。生き物を苦しめて目を喜ばせるのは、桀・紂のような暴君の心である。
王子猷が鳥を愛したのは、林で楽しそうにしているのを見て、散策の友としたのである。捕らえて苦しめたのではない。
およそ、珍しい鳥や、変わった獣は、国内で飼わないものだと、書物にもあるようです。
第122段 人の才能は
人の才能は、学問に通じて、聖人の教えを知っていることを第一とする。
次には、字を書くことで、専門とするほどではなくても、これを習うべきである。学問の助けとするためである。
次に、医術を習うべきである。わが身を養い、人を助け、忠孝の務めを果たすのも、医術によらなければできない。
次に、弓を射ることと馬に乗ることは、六芸に挙げられている。必ずこれを習得すべきである。学問、武芸、医術の道は、本当に欠けてはならない。これを学ぼうとする者を、役に立たない人と言ってはならない。
次に、食は人にとって天のように大切なものである。料理の味をうまく調えることを知っている人は、大きな長所とすべきである。
次に、細工は、何かにつけて役に立つことが多い。
このほかのことは、多芸であるのは君子が恥とするところである。
詩歌に巧みで、音楽にすぐれているのは、奥深い道として、君主も臣下もこれを重んじてはいるが、今の世では、これによって世を治めることは、しだいに愚かなことになってきたようだ。金はすぐれているけれども、鉄が役に立つことの多さには及ばないようなものである。
第123段 無益のことをなして時を移すを
無益なことをして時を過ごすのを、愚かな人とも、間違ったことをする人とも言うべきである。国のため、主君のために、やむをえずしなければならないことは多い。その残りの暇は、いくらもない。よく考えるべきである。
人の身にとって、やむをえず営まなければならないものは、第一に食べ物、第二に着る物、第三に住まいである。人間にとって大切なことは、この3つ以上のものではない。
飢えず、寒くなく、風雨にさらされずに、静かに過ごすことを楽しみとする。
ただし、人には誰でも病気がある。病気にかかってしまうと、その苦しみは耐えがたい。医療を忘れてはならない。
薬を加えて、この4つのことを求めても得られないのを貧しいとする。この4つが欠けていないのを豊かであるとする。この4つ以外のものを求めて営むのをぜいたくとする。
この4つのことを倹約するならば、誰が足りないと思うだろうか。
第124段 是法法師は
是法法師は、浄土宗の中で人に引けをとらない学識の持ち主であるけれども、学者ぶることをせず、ただ朝晩念仏を唱えて、穏やかに暮らしている様子は、まことに理想的である。
第125段 人に後れて、四十九日の仏事に
ある人が身内に先立たれて、四十九日の法要に、ある聖をお招きしましたところ、説法がすばらしくて、人々はみな涙を流した。導師が帰った後、聴聞の人々が、
「いつもより、とりわけ今日は尊く思われました」
と感心し合ったその返事に、ある者が言うには、
「何と申しましても、あれほど唐の狛犬に似ていらっしゃるのですから」
と言ったので、しみじみとした気持ちもさめて、おかしかった。そんな導師のほめ方があるものだろうか。
また、人に酒を勧めるといって、
「自分がまず飲んで、人に無理強いしようとするのは、剣で人を斬ろうとするのに似たことである。両側に刃のついたものなので、振り上げるとき、まず自分の首を斬るから、人を斬ることができないのである。自分がまず酔いつぶれて寝てしまったら、人はまさかお飲みにならないだろう」
と申した。剣で斬って試してみたのだろうか。たいそうおかしかった。
第126段 博打の負け極まりて
「ばくちで負けがこんで、残りを全部賭けようとしている者と、勝負をしてはならない。形勢が逆転して、相手が続けて勝つはずの時が来たのだと知るべきである。その時を知るのを、よいばくち打ちというのである」
と、ある者が申した。
第127段 改めて益なきことは
改めても益のないことは、改めないのをよしとするのである。
第128段 雅房大納言は
雅房大納言(土御門雅房)は、学才があり、立派な人なので、院は近衛大将にもしてやりたいとお思いになっていたころ、院のおそば近く仕える人が、
「たった今、あきれたことを見ました」
と申し上げたので、
「何事か」
とお尋ねになったところ、
「雅房卿が、鷹の餌にしようとして、生きている犬の足を切っておりましたのを、中垣の穴から見ました」
と申し上げたので、院は嫌でたまらなく憎いとお思いになって、日ごろのご寵愛も変わり、雅房は昇進もなさらなかった。あれほどの人が、鷹を飼っておられたのは意外であるが、犬の足のことは根も葉もないことであった。
うそは気の毒なことであるが、このようなことをお聞きになって、お憎みになった院のお心は、たいそう尊いことである。
だいたい、生き物を殺し、傷つけ、闘わせて遊び楽しむような人は、互いに殺し合う畜生と同類である。
あらゆる鳥や獣、小さな虫に至るまで、心をとめてその様子を見ると、子を思い、親を慕い、夫婦連れ添い、ねたみ、怒り、欲が深く、わが身を大切にし、命を惜しむことは、ひたすら愚かであるために、人よりもいっそうはなはだしい。それに苦しみを与え、命を奪うことが、どうしてかわいそうでないことがあろうか。
総じて、あらゆる生き物を見て、慈悲の心がないような者は、人間ではない。
第129段 顔回は、志、人に労を施さじとなり
顔回の志は、「人に苦労をかけまい」ということであった。総じて、人を苦しめ、物を虐げることは、身分の低い民であっても、その志を奪ってはならない。
また、幼い子どもをだましたり、おどしたり、からかって恥をかかせたりして面白がることがある。大人は、本当のことではないので何でもないと思うが、幼い心には、身にしみて恐ろしく、恥ずかしく、情けない思いが、本当に切実なものであろう。これを悩ませて面白がるのは、慈悲の心ではない。
大人の喜び、怒り、悲しみ、楽しみも、みな実体のないものであるが、誰がそれを真実に存在するものと思って執着しないだろうか。体を傷つけるよりも、心を傷つけるほうが、人を損なうことはいっそうひどい。
病気にかかるのも、多くは心からかかるのである。外から来る病気は少ない。
薬を飲んで汗を出そうとしても、効き目のないことがあるが、ひとたび恥ずかしい思いをしたり恐ろしい思いをしたりすると、必ず汗を流すのは、心のしわざであるということを知るべきである。凌雲台の額を書いて白髪頭の人になった例も、ないわけではない。
第130段 物に争はず
物事について人と争わず、自分を曲げて人に従い、わが身を後にして、人を先にするのに越したことはない。
あらゆる遊びでも、勝負を好む人は、勝って面白がろうとするためである。自分の腕前がまさっていることを喜ぶのである。だから、負けたら面白くなく思うはずであることも、またよくわかる。自分が負けて人を喜ばせようと思うなら、まったく遊びの面白さはないだろう。人に残念な思いをさせて、自分の心を慰めようとするのは、徳に背いている。
親しい間柄でふざけ合うのも、人をだまし欺いて、自分の知恵がまさっていることを面白がる。これもまた礼儀ではない。だから、初めは宴席の座興から起こって、長い恨みを残すような例が多い。これはみな、争いを好むことの弊害である。
人にまさろうと思うのなら、ただ学問をして、その知恵で人にまさろうと思うべきである。道を学ぶならば、「善行を誇らず、仲間と争ってはならない」ということを知るはずだからである。
高い官職をも辞退し、利益をも捨てるのは、ただ学問の力によるのである。
第131段 貧しき者は財をもて礼とし
貧しい者は財物を贈ることを礼儀と考え、老いた者は力仕事をすることを礼儀と考える。
自分の分際をわきまえて、力の及ばないときはすぐにやめるのを、賢明と言うべきである。それを許さないとしたら、許さない人の誤りである。分際をわきまえずに無理に励むのは、自分の誤りである。
貧しくて分際をわきまえなければ盗みをし、力が衰えて分際をわきまえなければ病気になる。
第132段 鳥羽の作道は
鳥羽の作道は、鳥羽殿が建てられてからの呼び名ではない。昔からの名である。元良親王の、元日の奏賀の声がたいそうすぐれていて、大極殿から鳥羽の作道まで聞こえたということが、李部王(重明親王)の日記にございますとかいうことだ。
第133段 夜の御殿は東御枕なり
天皇の寝所である夜御殿では、東枕でお休みになる。だいたい、東を枕にして陽の気を受けるのがよいので、孔子も東枕でお休みになった。寝殿の部屋の設けでは、南枕にするのも普通のことである。
白河院は北枕でお休みになった。
「北枕は忌むことです。また、伊勢は南にあります。伊勢神宮のほうに足を向けておやすみになるのは、いかがなものでしょうか」
と人が申し上げた。
ただし、伊勢神宮を遠くから拝まれるときは、東南の方角に向かわれる。南ではない。
第134段 高倉院の法華堂の三昧僧
高倉院の法華堂で三昧の修行をしている僧で、何某の律師とかいう者が、あるとき、鏡を取って顔をじっと見て、自分の顔が醜く、あきれるほどであることをあまりにも情けなく思って、鏡までも嫌な気持ちがしたので、その後は長く鏡を恐れて、手に取ることさえせず、まったく人と交わることもなかった。お堂の勤行にだけ出て、引きこもっていたとお聞きしたのは、めったにないことだと思われた。
賢そうな人も、他人のことばかり推し量って、自分のことはわかっていないのである。自分を知らないで、他を知るという道理があるはずがない。だから、自分を知っている人を、物事をわかっている人と言うべきである。
顔が醜くてもそれを知らず、心の愚かなことも知らず、芸の未熟なことも知らず、自分が物の数にも入らないことも知らず、年老いたことも知らず、病気にかかっていることも知らず、死が近いことも知らず、修行している道が未熟であることも知らず、わが身の欠点を知らないのだから、まして他人からの非難も知らない。
ただし、顔は鏡に映る。年は数えて知ることができる。自分のことを知らないわけではないが、どうしようもないので、知らないのと同じだとでも言うのだろうか。顔を改め、年を若くしろというのではない。
未熟なことを知ったなら、どうしてすぐに身を引かないのか。年老いたと知ったなら、どうして静かに身を休めないのか。修行がいい加減だと知ったなら、どうしてそのことをもっと深く心にかけないのか。
総じて、人から好かれずに大勢の中に交わるのは、恥である。顔が醜く、心が劣っているのに出仕し、無知なのに学識の豊かな人と交わり、下手な芸で達人の座に連なり、雪のような白髪頭で働き盛りの人と並び、ましてや、手の届かないことを望み、かなわないことを嘆き、来るはずのないことを待ち、人を恐れ、人にこびるのは、人から与えられる恥ではなく、むさぼる心に引かれて、自分で自分を辱めているのである。
むさぼる心がやまないのは、命が終わるという大事が、今ここに来ていると、はっきりわかっていないからである。
第135段 資季大納言入道とかや聞こえける人
資季大納言入道とかいった人が、具氏宰相中将に会って、
「あなたが尋ねるくらいのことは、どんなことでも答えられないことがあろうか」
とおっしゃったので、具氏が、
「どうでございましょうか」
と申し上げたのを、
「それなら、論争してごらんなさい」
とおっしゃって、
「本格的な学問は、ほんの少しも学んでおりませんので、お尋ねするまでもありません。何ということもないつまらないことの中で、よくわからないことをお尋ね申し上げましょう」
と申し上げなさった。
「なおさら、身近な浅いことなら、どんなことでも明らかにしてさしあげよう」
とおっしゃったので、おそば近く仕える人々や女房なども、
「面白い論争だ。同じことなら御前で争われるのがよい。負けた人は、ごちそうを用意なさるべきだ」
と決めて、御前で対決させなさったところ、具氏が、
「幼いころから聞き慣れておりますが、その意味のわからないことがございます。『むまのきつりやう、きつにのをか、なかくぼれ、いりくれんどう』と申すことは、どういう意味でございましょうか。お聞きしたいと思います」
と申し上げなさると、大納言入道は、はたと答えに詰まって、
「これはつまらないことなので、言うにも足りない」
とおっしゃったのを、
「もともと深い学問は知りません。つまらないことをお尋ねしようと取り決め申し上げたのです」
と申し上げなさったので、大納言入道の負けになって、罰としてのごちそうを盛大に用意なさったということだ。
第136段 医師篤成、故法皇の御前に候ひて
医師の篤成が、亡き法皇(後宇多法皇)の御前に控えていて、お食事が運ばれてきたときに、
「ただ今運ばれてまいりましたお食事のいろいろなものについて、文字も効能もお尋ねくださって、私がそらで申し上げましたら、本草書と照らし合わせてご覧くださいませ。1つも申し誤ることはございますまい」
と申し上げた、ちょうどそのときに、六条の亡き内大臣(源有房)が参上なさって、
「有房も、ついでに物を習いましょう」と言って、「まず、『しお』という文字は、何偏でございましょうか」
とお尋ねになったところ、
「土偏でございます」
と申し上げたので、
「学識のほどは、もうわかってしまった。今はそのくらいでいいですよ。もう知りたいところはない」
と申し上げなさったので、どっと笑い声が起こって、篤成は退出してしまった。



