このページでは、清少納言『枕草子』第233段から第275段までの現代語訳全文を掲載しています。
原文は古文の教科書や参考書にも多く採用され、一般に広く知られている「三巻本」をもとにしています。原文の内容を保ちながら、わかりやすく読みやすい口語訳にしました。原文とあわせて読みたい方は、『枕草子』原文全文(12)第233段~第275段をご覧ください。
第233段「おほきにてよきもの」
大きいのがよいもの。家。餌袋。法師。果物。牛。松の木。硯の墨。
男の目が細いのは女らしく見える。また、金属の椀のように大きい目も恐ろしい。
火桶。酸漿。山吹の花。桜の花びら。
第234段「短くてありぬべきもの」
短くてもよいもの。急ぎの物を縫う糸。身分の低い女の髪。人の娘の声。灯台。
第235段「人の家につきづきしきもの」
人の家に似つかわしいもの。肘を折ったように曲がった廊。円座。三尺の几帳。大柄な童女。感じのよい下働きの者。
侍の曹司。折敷。懸盤。中の盤。おはらき。衝立障子。かき板。きちんと装飾した餌袋。唐傘。棚厨子。提子。銚子。
第236段「ものへ行く路に」
どこかへ行く道で、きれいな、ほっそりした男が、立文を持って急いで行くのを見ると、どこへ行くのだろうと思われる。
また、きれいな童などが、衵もそれほど鮮やかなものではなく、着慣れて柔らかくなったものを着て、つややかな屐子の歯に土をたくさんつけ、白い紙に大きく包んだ物、あるいは箱の蓋に草子などを入れて持って行くのを見ると、ぜひ呼び寄せて中を見たいと思う。
門の近くを通る者を呼び入れようとしても、愛想がなく、返事もしないで行ってしまう者は、その者を使っている主人の人柄まで察せられる。
第237段「よろづのことよりも」
何よりも、みすぼらしい車に粗末な装いで乗って見物している人は、ひどくじれったく思われる。
説経などならたいへんよい。罪を消すためのことだから。それでさえ、あまり無理をしてまで出かけている様子は見苦しいのに、まして祭などは、見ないでいてもよいだろう。下簾もなく、白い単衣の袖などを垂らしているらしい。その日だけのためと思って車の簾まで整え、そう見劣りはしまいと思って出かけても、もっと立派な車などを見つければ、何のために来たのだろうと思うものなのに、まして、どんな気持ちでそんな姿のまま見物するのだろう。
よい場所に車を立てようと急がせ、早くから出て待っているうち、座ったり立ち上がったりして、暑さと苦しさに疲れてきたころ、斎院の垣下に参った殿上人や所の衆、弁、少納言などが、七、八騎も続いて院の方から馬を走らせて来ると、いよいよ行列が来るのだと気づかされてうれしい。
見物場所の前に車を立てて見るのも、とてもおもしろい。殿上人が話をしにこちらへ来たり、所々の御桟敷の前で水飯を食べさせるために階のもとへ馬を引き寄せたりする。名のある人の子などは、雑色が下りて馬の口を取ったりしていて趣がある。そうでない者が、見向きもされないのは気の毒そうである。
御輿がお通りになると、車の轅を残らず下ろし、お通り過ぎになると慌ててまた上げるのもおもしろい。その御輿の前に車を立てることは厳しく止められるのに、
「どうして立ててはいけないのです」
と言って無理に立てるので、係の者が困り果てて、あちこちへ連絡したりするのもおもしろい。
もう場所もないほど車が重なって立っているところへ、高貴な方の御車が、供の人々を大勢引き連れて来る。いったいどこに立てるのだろうと見ていると、先払いの者たちが次々に下り、すでに立っている車をただひたすら退かせて、その供の人々まで続けて立たせてしまうのは、たいそう見事である。
追い払われた車が、牛をつけて場所のある方へゆっくり動いて行くのは、ひどくみじめそうである。華やかで立派な車なら、それほどひどく押しのけられることもない。
とてもきれいな車なのに、田舎びた怪しげな下衆などを絶えず呼び寄せ、外に出して座らせているようなのもある。
第238段「細殿にびんなき人なむ」
「細殿で都合の悪い人が、明け方に笠をさして出て行ったそうだ」
と人が言い出したのを、よく聞いてみると、私のことだった。
地下の者とはいっても、見苦しくなく、人から認められるほどの人でもないらしいのに、妙な話だと思っていると、帝からお手紙が届いて、
「返事を、すぐに」
と仰せになった。
何のことだろうと思って見ると、大きな笠の絵が描いてあり、人の姿は見えず、ただ手だけに笠を持たせて、その下に、
山の端が明るくなった朝から――
とお書きになっていた。
どんなささいなことでも、帝のことはただただすばらしいと思っているので、恥ずかしく気に入らないようなことは、どうか御覧にならないでほしいと思うのに、こんな事実でない噂が出てきたのは困るけれど、おもしろくもあって、別の紙に雨をひどく降らせた絵を描き、その下に、
身に覚えのない評判が立ってしまったことよ
そして、
「このままでは、濡れ衣になってしまいましょう」
と申し上げたところ、帝は右近の内侍などにそのことをお話しになって、お笑いになった。
第239段「三条の宮におはします頃」
三条の宮においでになったころ、五月五日の菖蒲の輿などを持って参り、薬玉を差し上げたりする。
若い女房たちや御匣殿などが、薬玉を姫宮や若宮にお着け申し上げる。たいそう美しい薬玉が方々から差し上げられるなか、青ざしという物を持って来たので、青い薄様を美しい硯の蓋に敷き、
「これは、垣根越しに控えております」
と言って差し上げると、
みなが花よ蝶よと心を奪われるこの日にも、私の心だけは、あなたがお分かりなのですね
と、その紙の端をお破りになってお書きになったのが、たいそうすばらしい。
第240段「御乳母の大輔の命婦」
御乳母の大輔の命婦が日向へ下るとき、お与えになる扇の中に、一方には日がたいそう明るく差す田舎の館などをたくさん描き、もう一方には京のしかるべき所に激しく雨が降っている絵を描いたものがあって、そこに、
日向の明るい日に向かっても思い出してください。都では晴れない長雨のように、物思いをしながらあなたを思っているでしょうと
御自身の手でお書きになったのは、たいそうしみじみと心を打つ。このような中宮を都に残して、どうして旅立つことができようかと思われる。
第241段「清水にこもりたりしに」
清水に籠もっていたとき、わざわざお使いを立ててくださった手紙は、赤みがかった唐紙に草書で、
「山近くで鳴る入相の鐘、その一つ一つの音ごとに、あなたを恋しく思う心の数をお分かりでしょうに。
それにしても、なんという長居でしょう」
とお書きになっていた。紙なども並々ではないのに、旅先でこちらには適当な紙を持って来るのを忘れていたので、紫の蓮の花びらに書いてお返しした。
第242段「駅は」
駅は、梨原。望月の駅。山は駅については、以前からしみじみとした話を聞いていたところ、さらにまた心にしみる出来事があったので、いろいろ合わせて、やはりしみじみと感じられる。
第243段「社は」
社は、布留の社。生田の社。旅の御社。花ふちの社。杉の御社は、御利益があるのだろうかと思うところもおもしろい。ことのままの明神は、たいそう頼もしい。
「そんなに何でも聞き届けたものだろうか」
と神に言われはしないかと思うと、気の毒な気もする。
第244段「蟻通の明神」
蟻通の明神は、紀貫之の馬が病んだとき、この明神が病ませなさったのだとして、貫之が歌を詠んで奉ったという話が、とてもおもしろい。
この神を「蟻通」と名づけたのは本当のことだったのだろうか。昔ある帝が、若い人だけを大切になさって、四十歳になった者は都から退かせなさったので、人々は遠い地方へ行って身を隠し、都には四十歳以上の者がまったくいなくなった。そのころ、たいそう時めいていて、知恵もすぐれた中将が、七十近い父母を二人とも持っていた。四十歳でさえ退けられるのだから、まして父母は恐ろしいことになると心を痛めたが、この中将はたいそう孝行な人で、遠い所へ住ませることはできない、一日に一度も会わずにはいられないと思い、ひそかに家の敷地を掘って、その中に家を建て、父母を隠して住まわせ、そこへ通って会っていた。人々にも朝廷にも、父母は姿を消して行方が分からなくなったと知らせていた。家の中に隠れている人を、帝が知らずにおられたのも不思議である。ひどい世の中だったものだ。この父は、上達部などであったのだろうか、中将を子に持つほどの人なのだから。たいそう賢く、何事にも通じていたので、この中将も若いながら評判が高く、たいそう賢明で、当時の有力者として帝から重んじられていた。
唐の帝は、この国の帝を何とか困らせて国を攻め取ろうとして、いつも難題を出し、知恵比べをして脅していた。あるとき、つやつやと丸く、きれいに削った二尺ほどの木を送って、
「この木の根元と梢は、どちらか」
と問いかけてきた。まったく見分ける方法がないので、帝がお困りになっているのを気の毒に思い、中将は父のもとへ行き、
「このようなことがあるのです」
と言うと、父は、
「流れの速い川へ、木を横向きのまま投げ入れなさい。向きを変えて流れていく側を末だと印をつけて送り返しなさい」
と教えた。
中将は宮中へ参り、自分が考えついたような顔をして、
「では、試してみましょう」
と言い、人を連れて川へ投げ入れたところ、先になって流れていく側に印をつけて送り返すと、本当にそれが末だった。
また、二尺ほどの蛇を二匹、まったく同じ長さにそろえて、
「この二匹のうち、どちらが雄でどちらが雌か」
と言って送ってきた。これも誰にもまったく見分けられない。いつものように中将が父のところへ行って尋ねると、
「二匹を並べ、尾の方へ細い枝を近づけなさい。尾を動かす方を雌だと知りなさい」
と言った。そのとおり宮中で試してみると、本当に一匹は動かず、一匹は尾を動かしたので、また印をつけて送り返した。
しばらくして今度は、七曲がりに曲がりくねり、中に穴が通って両側に小さな口が開いている玉を送ってきて、
「これに糸を通していただきたい。この国では誰でもできることです」
と言ってきたので、
「どれほど腕のよい名人でも、これは無理だ」
と、大勢の上達部や殿上人をはじめ、世にいるあらゆる人が言った。そこで中将はまた父のところへ行って、
「このようなことになっています」
と言うと、父は、
「大きな蟻を捕らえて、二匹ほどの腰に細い糸をつけ、さらにその糸に少し太い糸を結びつけなさい。そして反対側の穴の口に蜜を塗ってみなさい」
と言った。そのとおり申し上げ、蟻を玉の穴へ入れると、蜜の香りを嗅いで、本当にすぐ反対側の口から出てきた。こうして糸を通した玉を送り返した後、唐の帝は、
「日の本の国は賢い国であった」
と言って、それ以後はそのような難題を出さなくなった。
帝はこの中将をたいそう立派な人物だとお思いになり、
「何を褒美とし、どのような官位を与えようか」
と仰せになったところ、中将は、
「官職も位もいただこうとは思いません。ただ、老いた父母は行方が分からなくなったことにしておりますので、探し出したことにして、都に住ませることをお許しください」
と申し上げた。
「それはたいそうたやすいことだ」
とお許しになったので、世の中の多くの人の親たちは、これを聞いてたいそう喜んだ。
中将はその後、上達部となり、大臣にまでお取り立てになったという。
さて、その父が神になったのであろうか。その神のもとへ参詣した人の前に、夜、姿を現しておっしゃったという歌は、
七曲がりに曲がった玉の穴へ糸を通したのに、「蟻通し」とは知らずにいるのだろうか
というものだった、と人が語った。
第245段「一条の院をば今内裏とぞいふ」
一条院を今内裏という。帝のおいでになる建物は清涼殿で、その北の建物に中宮がおいでになる。東西には渡殿があり、帝がお渡りになったり、中宮の方へお上がりになったりする道になっている。前は中庭なので、前栽を植え、笹を結ってあり、とても趣がある。
二月二十日ごろ、うららかにのどかに日が照っている日に、渡殿の西の廂で帝が笛をお吹きになる。高遠の兵部卿が笛のお師匠としておそばにいて、二本の笛で「高砂」を繰り返しお吹きになるのは、たいそうすばらしいなどという月並みな言葉では言い尽くせない。兵部卿が笛についていろいろ奏上なさるのも、たいそうすばらしい。女房たちが御簾のもとへ集まって出て、帝を拝見する折には、
「芹を摘んだ――」
などという古歌のような気持ちになることもない。
資忠は木工允から蔵人になった人である。たいそう荒々しく、いやなところがあるので、殿上人や女房たちが、
「あらはこそ」
とあだ名をつけ、それを歌にして、
「さうなしの主は、尾張人の血筋だったのだ」
と歌う。資忠は尾張兼時の娘の子だったのである。帝がこれを笛でお吹きになるそばに控えて、
「もっと大きな音でお吹きくださいませ。あの者には聞こえますまい」
と申し上げると、
「どうだろう。そうはいっても、きっと聞きつけるだろう」
とおっしゃって、ひそかにばかりお吹きになる。ところが、向こうからこちらへお渡りになって、
「あの者はいなかった。今こそ吹こう」
と仰せになってお吹きになるのが、たいそうすばらしい。
第246段「身をかへて天人などは」
まるで身を変えて、天人などとはこのようなものかと思われるのは、普通の女房として仕えていた人が、御乳母になったときである。唐衣も着ず、裳さえ、言ってみれば着ないような姿で御前に添い寝し、御帳の内を居場所として、女房たちを呼び使い、局へ言葉を伝え、手紙を取り次がせたりしている様子は、言い尽くしようもないほどである。
雑色だった者が蔵人になったのも、すばらしい。去年十一月の臨時の祭で御琴を持っていたときには、人とも思われないほどだったのに、今では君達と連れ立って歩いているので、いったいどこの身分ある人かと思われる。他のところから蔵人になった者などには、それほどの感慨はない。
第247段「雪高う降りて」
雪が深く積もり、今もなお降っているところへ、五位や四位の、顔色も美しく若々しい人が、上着の色もたいそう美しく、革の帯をきちんと締めた宿直姿で、裾をからげ、紫の指貫も雪に冴えていっそう濃く見えるのを着ている。衵が紅でなければ、目の覚めるような山吹色をのぞかせ、唐傘をさしているところへ、風が激しく吹いて雪を横ざまに吹きつけるので、傘を少し傾けて歩いて来る。深履や半靴などの脛のあたりまで真っ白に雪がかかっているのは、とても趣がある。
第248段「細殿の遣戸を」
細殿の遣戸をとても早く押し開けると、御湯殿の方から馬道を通って下りて来る殿上人が、着慣れて柔らかくなった直衣や指貫をひどくほころばせ、色とりどりの衣がこぼれ出ているのを押し入れたりしながら、北の陣の方へ歩いて行く。その途中、開いている戸の前を通るとき、纓を引き回して顔を隠して行ってしまうのもおもしろい。
第249段「岡は」
岡は、船岡。片岡。鞆岡は、笹が生えているのが趣深い。かたらひの岡。人見の岡。
第250段「降るものは」
降るものは、雪。霰。霙は好ましくないけれど、白い雪がまじって降るのは趣がある。
第251段「雪は」
雪は、檜皮葺きの屋根に積もったのがたいそう美しい。少し解けかけたころもよい。また、それほど多くは降らず、瓦の目ごとに雪が入り、黒い瓦が丸く見えているのも、とても趣がある。
時雨や霰は板葺きの屋根がよい。霜も板葺きの屋根や庭がよい。
第252段「日は」
日は、夕日がよい。すっかり沈んだあとの山の端に、光がなお残って赤く見え、薄く黄ばんだ雲が一面にたなびいているのは、たいそうしみじみと心にしみる。
第253段「月は」
月は、有明の月が東の山際に細く出てくるころが、たいそうしみじみと趣深い。
第254段「星は」
星は、昴。彦星。宵の明星。流れ星も少し趣がある。尾さえなければ、もっとよいのに。
第255段「雲は」
雲は、白い雲。紫の雲。黒い雲も趣がある。風が吹くときの雨雲、夜が明け離れていくころの黒い雲が、だんだん消えて白くなっていくのも趣がある。
「朝にさる色」
とかいう句が、漢詩にも作られているそうだ。月がたいそう明るい面を、薄い雲がかかっているのは、しみじみとよい。
第256段「さわがしきもの」
騒がしいもの。走り火。板屋の上で烏が斎の生飯を食べるとき。十八日に清水へ籠もる人々が一緒になったとき。暗くなって、まだ灯火をともさないころに、外から人が訪ねて来たとき。まして、遠い地方の国などから家の主人が上京して来たときは、たいそう騒がしい。近くで火事が起こったというときもそうである。ただし、結局は燃え広がらなかったとき。
第257段「ないがしろなるもの」
軽々しく見えるもの。女官たちが髪を上げた姿。唐絵に描かれた革帯の後ろ姿。聖の振る舞い。
第258段「ことばなめげなるもの」
言葉づかいが無遠慮に聞こえるもの。宮のほとりの祭文を読む人。舟を漕ぐ者たち。雷鳴の陣の舎人。相撲取り。
第259段「さかしきもの」
利口ぶって見えるもの。今様を歌う三歳の子。子どものために祈祷し、腹などをさする女。
祈祷の道具を願い出て、祈りの品を作るとき、紙を何枚も重ね、ひどく切れ味の悪い刀で切る様子は、一枚さえ切れそうにないのに、祈祷の道具となると、自分の口までゆがめて力まかせに押し切る。また、目のたくさんある物などを作り、竹を割ったりして、たいそうものものしく整え、それを振り動かして祈る様子は、いかにも利口ぶって見える。
そのうえ、
「どこそこの宮、その殿の若君がたいそう重くお患いでしたのを、まるで拭い去ったように治して差し上げたので、褒美をたくさんいただきました。その人やあの人も別の者をお呼びになったけれど効き目がなかったので、今ではこの婆をお呼びになります。御利益が分かるというものです」
などと語っている顔つきも、妙なものである。
身分の低い家の女主人。愚かな者ほど、その者に限って利口ぶり、本当に賢い人にまで教えたりするものだ。
第260段「ただ過ぎに過ぐるもの」
ただひたすら過ぎていくもの。帆をかけた舟。人の年齢。春、夏、秋、冬。
第261段「ことに人に知られぬもの」
特に人に気づかれないもの。凶会日。人の母親が年老いていること。
第262段「文ことばなめき人こそ」
手紙の言葉づかいが無礼な人は、いっそう憎らしい。世間一般の相手に書くような調子で、ぞんざいに書き流した言葉は嫌なものだ。そんな言葉を使うはずのない人に対して、反対にあまりへりくだりすぎるのも、確かによくないことである。けれど、自分がそういう手紙をもらうのはまだ当然としても、人のもとに届いた手紙でさえ腹立たしく思われる。だいたい、直接向かい合って話すときでも無礼なのは、なぜこんな言い方をするのだろうと、聞いているこちらまで恥ずかしい。まして、身分の高い人などにそのような言葉づかいをする者は、ひどく腹立たしくさえ思われる。田舎びた者などがそうしているのは、愚かでかえってそれでよい。
男主人などが無礼な言葉を使うのは、たいそうよくない。自分が使っている者などについて、
「どうしておいでだ」
「おっしゃる」
などと言うのは、とても憎らしい。こういうところには、
「おります」
などという言葉を入れさせたいと思って聞くことが多い。そう言ってもよい身分の者に対して、
「まあ似つかわしくない。愛想もない。どうしてこんな言葉づかいは無礼なの」
と言うと、聞いている人も言われた人も笑う。このように思うからだろうか、
「あまり御覧になるな」
などと言うのも、体裁の悪いことなのだろう。
殿上人や宰相などを、呼び名だけで、少しも遠慮する様子なく言うのは、たいそうみっともない。それなのに、気取った言い方をせず、女房の局にいる人にまで、
「あの御方」
「君」
などと言えば、言われた人は珍しくうれしく思って、たいそう褒める。
殿上人や君達は、御前以外では官職名だけで呼ぶ。また、御前では仲間同士で話しているにしても、帝がお聞きになっているところで、どうして、
「私が」
などと言えようか。そう言ったからといって立派になるわけでもなく、言わないからといって悪いことでもないのに。
第263段「いみじうきたなきもの」
たいそう汚いもの。なめくじ。粗末な板敷きを掃く箒の先。殿上の合子。
第264段「せめておそろしきもの」
ひどく恐ろしいもの。夜に鳴る雷。すぐ近くの家に盗人が入ったとき。自分の住む所に入って来たときは、何も考えられなくなって、何が何だか分からない。近くの火事も、また恐ろしい。
第265段「たのもしきもの」
頼もしいもの。具合の悪いとき、伴僧を大勢連れて修法をしていること。気分がすぐれず苦しいとき、本当に心を寄せてくれている人が慰めの言葉をかけてくれること。
第266段「いみじうしたてて婿とりたるに」
たいそう大事に準備をして婿を迎えたのに、ほどなくその男が別の人の婿になり、ほんの一月ほどもきちんと通って来ないままになってしまったので、家中でひどく言い騒ぎ、乳母のような者の中には不吉なことまで言う者もあった。ところが、その次の正月にその男は蔵人になった。
「まあ、こんなことになったのでは、人はどうしたものかと思うでしょうね」
などとあれこれ言っているのを、その男も聞いていることだろう。
六月に、ある人が八講をなさる所へ人々が集まって聞いたとき、その蔵人になった婿が、その日の料の表袴や黒い半臂などをたいそう鮮やかに着ていた。そして、捨ててしまった女の車の鴟の尾という所に、半臂の緒が触れそうなほど近くに座っていた。女はどんな思いで見ているだろうと、その事情を知っている車の中の人々はみな気の毒がったが、ほかの人々も、
「平気な顔で座っていたものですね」
などと、後になっても言った。
やはり男というものは、人を気の毒に思う気持ちや、人がどう思うかということを知らないものらしい。
第267段「世の中になほいと心うきものは」
世の中で、やはり何よりつらいのは、人から嫌われることだろう。誰が物好きにも、自分は人から嫌われたいなどと思うだろうか。けれど、自然と、宮仕えの場でも、親や兄弟姉妹の間でも、好かれる者と好かれない者とがあるのは、たいそうつらいことである。
身分の高い方のことは言うまでもないが、身分の低い者でも、親がかわいがっている子は、人から注意深く見られ、いたわってやりたいと思われる。見る価値のある子なら当然で、どうして愛さずにいられようと思う。特に取り柄のない子なら、それでもこの子をかわいいと思うのは親だからなのだろうと、かえってしみじみ感じられる。
親にも、主人にも、また、親しく語り合う相手にも、相手から大切に思われることほどすばらしいことはないだろう。
第268段「男こそなほいとありがたく」
男というものは、やはり本当に珍しいほど不思議な心を持つものである。たいそう美しい女を捨てて、見た目のよくない女を妻にしているのも不思議だ。
宮中などに出入りする男や、よい家柄の若者などは、いる女の中から少しでもよい人を選んで思いを寄せるものではないか。自分の身分では及びそうにないほどの人でさえ、すばらしいと思うなら、死ぬほど思いをかければよいのに。
人の娘で、まだ見たことのない人でも、よいと聞けば、どうにかして会いたいと思うものだという。それなのに、女の目から見てもよくないと思う人を男が好むのは、いったいどういうことなのだろう。
姿がたいそう美しく、心も趣があり、字も上手に書き、歌もしみじみと詠んで、恨み言を送ってくるような女に、返事だけはもっともらしくしておきながら近寄らず、その女がいじらしく嘆いているのを見捨てて別の所へ行ったりするのは、あきれるほどで、こちらまで腹が立ち、見ている者としてもつらく思われるだろう。けれど、自分自身のこととなると、少しも相手を気の毒に思う気持ちを知らないものなのだ。
第269段「よろづのことよりも情けあるこそ」
何事よりも思いやりがあることこそ、男はもちろん、女でもすばらしいと思われる。ほんの何気ない言葉で、心の底から深く感じ入って言うのでなくても、気の毒なことを、
「お気の毒に」
とも、しみじみしたことを、
「本当に、どんな気持ちでいるのでしょう」
などと言っていたと、人づてに聞くのは、直接向かい合って言われるよりもうれしい。どうにかして、この人に、私もその思いやりを知っていると分かってもらいたいと、いつも思う。
当然思いやるべき人、見舞うべき人については、そうするのが当然なので、特別なこととは感じない。そうするはずでもない人が、ちょっとした返事まで安心できるようにしてくれるのは、うれしいものだ。ごく簡単なことなのに、なかなかできないことなのである。
だいたい、気立てがよく、しかも本当に才気を欠いていない人は、男でも女でもめったにいないものらしい。もっとも、そういう人も多いのだろう。
第270段「人のうへいふを」
人の噂をすることに腹を立てる人は、まったく理不尽である。どうして話さずにいられようか。自分のことはさておいて、これほどあれこれ批評したくなるものがほかにあるだろうか。とはいえ、よくないことでもあり、また、自然と本人の耳に入って恨まれることもあるので、つまらないことではある。
また、どうしても疎遠にできない相手のことは、気の毒だと思って事情を理解すれば、我慢して言わないものだ。それほどの相手でなければ、口に出して笑ったりもするだろう。
第271段「人の顔に」
人の顔で、とりわけよいと思われるところは、何度見ても「ああ、すてきだ」と、新鮮な気持ちで見える。絵などは、何度も見れば目にも留まらなくなるものだ。近くに立ててある屏風の絵などは、たいそう立派でも、やがてじっくり見る気にはならなくなる。
人の顔立ちというものはおもしろい。見栄えのしない顔立ちの中でも、一つよいところがあると、そこに目が引かれる。醜い顔にもきっとそうしたところがあるのだろうと思うと、何ともやるせない。
第272段「古代の人の指貫着たるこそ」
昔風の人が指貫を着る様子は、たいそう大げさである。まず前に引き寄せ、裾を全部中へ入れ込み、腰の部分は放っておいて、衣の前をすっかり整えてから、手を伸ばして腰を取る。そのとき後ろへ手を回し、猿が手を縛られたような格好で紐を解いて立っているのは、急な用事にすぐ出かけられそうにはまったく見えない。
第273段「十月十よ日の月の」
十月十日過ぎの月がたいそう明るい夜に歩き回ったとき、女房が十五、六人ほど、みな濃い色の衣を上に着て、ひっくり返すようにしながら歩いていた。その中で、中納言の君が、糊をきかせた紅の衣を着て、首から上へ髪をかき上げておられた姿は、もったいないことに、外から見るとたいそうよく似合っていた。
「雛の助」
と、若い女房たちがあだ名をつけた。本人は、後ろに立って皆が笑っているのも知らなかった。
第274段「成信の中将こそ」
成信の中将は、人の声をたいそうよく聞き分けなさった。同じ所に仕える人の声でも、いつも聞いていない人にはまったく聞き分けられない。特に男は、人の声も筆跡も見分けたり聞き分けたりしないものなのに、どれほどひそかな場合でも、見事に聞き分けなさったのはすばらしい。
第275段「大蔵卿ばかり」
大蔵卿ほど耳のよい人はいない。本当に、蚊のまつ毛が落ちる音さえ聞きつけなさりそうなくらいだった。
職の御曹司の西面に住んでいたころ、大殿の新中将が宿直で、話などしていたとき、そばにいた人が、
「この中将に、扇の絵のことを言ってください」
とささやいたので、
「今、あの君がお立ちになってからにしましょう」
と、ごくひそかな声で言い返したところ、その相手でさえ聞き取れず、
「何ですか、何ですか」
と耳を傾けて近寄って来たのに、遠くに座っていた中将が、
「ひどいな。そんなことをおっしゃるなら、今日は帰りませんよ」
とおっしゃった。いったいどうして聞きつけなさったのだろうと、あきれるほど驚いた。

