『徒然草』の原文を、8ページに分けて全文ルビ付きで掲載しています。このページ(5)には、第137段「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」から第157段「筆を取れば物書かれ」までの章段を収めました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『徒然草』現代語訳(5)をご覧ください。
第137段 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。
歌の言葉書にも、「花見にまかれけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障ることありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕ふならひはさることなれど、ことにかたくななる人ぞ、
「この枝、かの枝散りにけり。今は見どころなし」
などは言ふめる。よろづのことも、始め終りこそをかしけれ。
男女の情も、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長夜をひとり明かし、遠き雲居を思ひやり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。
望月の隈なきを千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたる村雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴、白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらん友もがなと、都恋しう覚ゆれ。すべて、月、花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。
よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑なり。片田舎の人こそ、色濃く、よろづはもて興ずれ。花の本には、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果ては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手足さしひたして、雪には下り立ちて跡つけなど、よろづのもの、よそながら見ることなし。
さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。
「見ごといと遅し。そのほどは桟敷不用なり」
とて、奥なる屋にて酒飲み、物食ひ、囲碁、双六など遊びて、桟敷には人を置きたれば、
「渡り候ふ」
と言ふ時に、おのおの肝つぶるるやうに争ひ走り上りて、落ちぬべきまで簾張り出でて、押しあひつつ、一事も見漏らさじとまもりて、とありかかりと物ごとに言ひて、渡り過ぎぬれば、
「また渡らんまで」
と言ひて下りぬ。ただ物をのみ見んとするなるべし。
都の人のゆゆしげなるは、睡りて、いとも見ず。若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後に候ふは、さまあしくも及びかからず、わりなく見んとする人もなし。何となく葵かけわたしてなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひ寄すれば、牛飼、下部などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行きかふ、見るもつれづれならず。
暮るるほどには、立て並べつる車ども、所なく並みゐつる人も、いづかたへか行きつらん、ほどなくまれになりて、車どものらうがはしさも済みぬれば、簾、畳も取り払ひ、目の前にさびしげになりゆくこそ、世のためしも思ひ知られて、あはれなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ。
かの桟敷の前をここら行きかふ人の、見知れるがあまたあるにて知りぬ。世の人数も、さのみは多からぬにこそ。この人みな失せなん後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、ほどなく待ちつけぬべし。
大きなる器に水を入れて、細き穴をあけたらんに、滴ること少なしといふとも、怠る間なく漏りゆかば、やがて尽きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人、二人のみならんや。鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、棺をひさく者、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日まで遁れ来にけるは、ありがたき不思議なり。しばしも世をのどかには思ひなんや。
継子立といふものを、双六の石にて作りて、立て並べたるほどは、取られんこと、いづれの石とも知らねども、数へ当てて一つを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまた数ふれば、かれこれ間抜き行くほどに、いづれも遁れざるに似たり。
兵の軍に出づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世を背ける草の庵には、閑かに水石をもてあそびて、これをよそに聞くと思へるは、いとはかなし。
閑かなる山の奥、無常の敵競ひ来らざらんや。その死に臨めること、軍の陣に進めるに同じ。
第138段 祭過ぎぬれば
祭過ぎぬれば、
「後の葵不用なり」
とて、ある人の、御簾なるをみな取らせられはべりしが、色もなく覚えはべりしを、よき人のしたまふことなれば、さるべきにやと思ひしかど、周防内侍が、
かくれどもかひなきものはもろともにみすの葵の枯れ葉なりけり
と詠めるも、母屋の御簾に葵のかかりたる枯れ葉を詠めるよし、家の集に書けり。
古き歌の詞書に、「枯れたる葵にさしてつかはしける」ともはべり。枕草子にも、「来しかた恋しきもの、枯れたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひ寄りたれ。鴨長明が四季物語にも、
玉垂に後の葵はとまりけり
とぞ書ける。
おのれと枯るるだにこそあるを、名残なく、いかが取り捨つべき。御帳にかかれる薬玉も、九月九日、菊に取りかへらるるといへば、菖蒲は菊の折までもあるべきにこそ。
枇杷皇太后宮隠れたまひて後、古き御帳の内に、菖蒲、薬玉などの枯れたるがはべりけるを見て、
折ならぬ根をなほぞかけつる
と、弁の乳母の言へる返事に、
あやめの草はありながら
とも、江侍従が詠みしぞかし。
第139段 家にありたき木は
家にありたき木は、松、桜。松は五葉もよし。花は一重なるよし。
八重桜は奈良の都にのみありけるを、このごろぞ世に多くなりはべるなる。吉野の花、左近の桜、みな一重にてこそあれ。八重桜は異やうのものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜またすさまじ。虫のつきたるもむつかし。
梅は白き、薄紅梅。一重なるが疾く咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめでたきも、みなをかし。遅き梅は、桜に咲き合ひて覚え劣り、けおされて、枝にしぼみつきたる、心憂し。
「一重なるがまづ咲きて散りたるは、心疾くをかし」
とて、京極入道中納言は、なほ一重梅をなん軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南向きに、今も二本はべるめり。
柳またをかし。卯月ばかりの若楓、すべて、よろづの花、紅葉にもまさりて、めでたきものなり。橘、桂、いづれも木はもの古り、大きなるよし。
草は山吹、藤、杜若、なでしこ。池には蓮。秋の草は荻、すすき、きちかう、萩、女郎花、ふぢばかま、しをに、われもかう、かるかや、りんだう、菊。黄菊も。つた、くず、朝顔。いづれも、いと高からず、ささやかなる垣に、繁からぬよし。
この外の、世にまれなるもの、唐めきたる名の聞きにくく、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。
おほかた、何もめづらしくありがたきものは、よからぬ人のもて興ずるものなり。さやうのもの、なくてありなん。
第140段 身死して財残ることは
身死して財残ることは、智者のせざるところなり。よからぬもの、蓄へ置きたるもつたなく、よきものは、心をとめけんとはかなし。こちたく多かる、まして口惜し。「我こそ得め」など言ふ者どもありて、跡に争ひたる、さまあし。
「後は誰に」と心ざすものあらば、生けらんうちにぞ譲るべき。朝夕なくてかなはざらんものこそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほしき。
第141段 悲田院の尭蓮上人は
悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかや、さうなき武者なり。故郷の人の来たりて物語すとて、
「吾妻人こそ、言ひつることは頼まるれ。都の人は、言受けのみよくて、実なし」
と言ひしを、聖、
「それはさこそおぼすらめども、おのれは都に久しく住みて、慣れて見はべるに、人の心劣れりとは思ひはべらず。なべて心柔らかに、情あるゆゑに、人の言ふほどのこと、けやけく否びがたくて、よろづえ言ひ放たず、心弱く言受けしつ。偽りせんとは思はねど、乏しく、かなはぬ人のみあれば、おのづから本意通らぬこと多かるべし。吾妻人は我が方なれど、げには心の色なく、情おくれ、ひとへにすくよかなるものなれば、初めより否と言ひてやみぬ。にぎはひ、豊かなれば、人には頼まるるぞかし」
とことわられはべりしこそ、この聖、声うちゆがみ、荒々しくて、聖教のこまやかなることわり、いとわきまへずもやと思ひしに、この一言の後、心にくくなりて、多かる中に寺をも住持せらるるは、かくやはらぎたるところありて、その益もあるにこそと覚えはべりし。
第142段 心なしと見ゆる者も
心なしと見ゆる者も、よき一言言ふものなり。
ある荒夷の恐ろしげなるが、かたへにあひて、
「御子はおはすや」
と問ひしに、
「ひとりも持ちはべらず」
と答へしかば、
「さては、もののあはれは知りたまはじ。情なき御心にぞものしたまふらんと、いと恐ろし。子ゆゑにこそ、よろづのあはれは思ひ知らるれ」
と言ひたりし、さもありぬべきことなり。恩愛の道ならでは、かかる者の心に慈悲ありなんや。孝養の心なき者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知るなれ。
世を捨てたる人の、よろづにするすみなるが、なべてほだし多かる人の、よろづにへつらひ、望み深きを見て、無下に思ひくたすは、僻事なり。その人の心になりて思へば、まことに、かなしからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盗みもしつべきことなり。
されば、盗人をいましめ、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の飢ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人、恒の産なき時は恒の心なし。人窮まりて盗みす。世治まらずして、凍餒の苦しみあらば、科の者絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはんこと、不便のわざなり。
さて、いかがして人を恵むべきとならば、上の奢り費やすところをやめ、民を撫で、農を勧めば、下に利あらんこと、疑ひあるべからず。衣食尋常なる上に僻事せん人をぞ、まことの盗人とは言ふべき。
第143段 人の終焉のありさまの
人の終焉のありさまの、いみじかりしことなど、人の語るを聞くに、ただ閑かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚かなる人は、あやしく異なる相を語りつけ、言ひし言葉もふるまひも、おのれが好む方にほめなすこそ、その人の日ごろの本意にもあらずやと覚ゆれ。この大事は、権化の人も定むべからず。博学の士もはかるべからず。おのれ違ふところなくは、人の見聞にはよるべからず。
第144段 栂尾の上人、道を過ぎたまひけるに
栂尾上人、道を過ぎたまひけるに、河にて馬洗ふ男、
「あしあし」
と言ひければ、上人立ちとまりて、
「あな尊や。宿執開発の人かな。阿字阿字と唱ふるぞや。いかなる人の御馬ぞ。あまりに尊く覚ゆるは」
と尋ねたまひければ、
「府生殿の御馬に候ふ」
と答へけり。
「こはめでたきことかな。阿字本不生にこそあなれ。うれしき結縁をもしつるかな」
とて、感涙を拭はれけるとぞ。
第145段 御随身秦重躬
御随身秦重躬、北面の下野入道信願を、
「落馬の相ある人なり。よくよく慎みたまへ」
と言ひけるを、いとまことしからず思ひけるに、信願、馬より落ちて死ににけり。道に長じぬる一言、神のごとしと人思へり。
さて、
「いかなる相ぞ」
と人の問ひければ、
「きはめて桃尻にして、沛艾の馬を好みしかば、この相をおほせはべりき。いつかは申し誤りたる」
とぞ言ひける。
第146段 明雲座主、相者にあひたまひて
明雲座主、相者にあひたまひて、
「おのれ、もし兵仗の難やある」
と尋ねたまひければ、相人、
「まことにその相おはします」
と申し、
「いかなる相ぞ」
と尋ねたまひければ、
「傷害の恐れおはしますまじき御身にて、仮にもかくおぼし寄りて尋ねたまふ、これ、すでにその危みの兆しなり」
と申しけり。果たして、矢に当たりて失せたまひにけり。
第147段 灸治あまた所になりぬれば
灸治、あまた所になりぬれば、神事に穢れありといふこと、近く人の言ひ出でたるなり。格式等にも見えずとぞ。
第148段 四十以後の人
四十以後の人、身に灸を加へて、三里を焼かざれば、上気のことあり。必ず灸すべし。
第149段 鹿茸を鼻に当てて嗅ぐべからず
鹿茸を鼻に当てて嗅ぐべからず。小さき虫ありて、鼻より入りて脳を食むといへり。
第150段 能をつかんとする人
能をつかんとする人、
「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」
と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて、毀り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、つひに上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得ることなり。
天下の物の上手といへども、始めは不堪の聞こえもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となること、諸道変はるべからず。
第151段 ある人の言ふ、年五十になるまで
ある人の言ふ、
「年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。励み習ふべき行末もなし。老人のことをば、人もえ笑はず。衆に交はりたるも、あいなく見苦し。おほかた、よろづのしわざはやめて、暇あるこそ、めやすくあらまほしけれ。世俗のことに携はりて生涯を暮らすは、下愚の人なり。ゆかしく覚えんことは、学び聞くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからずしてやむべし。もとより望むことなくしてやまんは、第一のことなり」
第152段 西大寺静然上人
西大寺静然上人、腰かがまり、眉白く、まことに徳たけたるありさまにて、内裏へ参られたりけるを、西園寺内大臣殿、
「あな尊のけしきや」
とて、信仰の気色ありければ、資朝卿、これを見て、
「年の寄りたるに候ふ」
と申されけり。
後日に、むく犬のあさましく老いさらぼひて、毛はげたるを引かせて、
「この気色、尊く見えて候ふ」
とて、内府へ参らせられたりけるとぞ。
第153段 為兼大納言入道召し捕られて
為兼大納言入道、召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ率て行きければ、資朝卿、一条わたりにてこれを見て、
「あなうらやまし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ」
とぞ言はれける。
第154段 この人、東寺の門に雨宿りせられたりけるに
この人、東寺の門に雨宿りせられたりけるに、かたはものどもの集まりゐたるが、手も足もねぢゆがみ、うち反りて、いづくも不具に異やうなるを見て、「とりどりにたぐひなき曲者なり。もつとも愛するに足れり」と思ひて、まもりたまひけるほどに、やがてその興尽きて、見にくく、いぶせく覚えければ、「ただすなほにめづらしからぬものにはしかず」と思ひて、帰りて後、「この間植ゑ木を好みて、異やうに曲折あるを求めて、目を喜ばしめつるは、かのかたはを愛するなりけり」と、興なく覚えければ、鉢に植ゑられける木ども、みな掘り捨てられにけり。さもありぬべきことなり。
第155段 世に従はん人は、まづ機嫌を知るべし
世に従はん人は、まづ機嫌を知るべし。ついであしきことは、人の耳にも逆ひ、心にも違ひて、そのことならず。さやうの折節を心得べきなり。
ただし、病を受け、子産み、死ぬることのみ、機嫌をはからず、ついであしとてやむことなし。
生、住、異、滅の移り変はる、まことの大事は、たけき河のみなぎり流るるがごとし。しばしもとどこほらず、ただちに行ひゆくものなり。
されば、真俗につけて、必ず果たし遂げんと思はんことは、機嫌を言ふべからず。とかくのもよひなく、足を踏みとどむまじきなり。
春暮れて後夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏よりすでに秋は通ひ、秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず。下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたるゆゑに、待ちとるついではなはだ速し。
生、老、病、死の移れること、またこれに過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期はついでを待たず。
死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人みな死あることを知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるがごとし。
第156段 大臣の大饗は
大臣の大饗は、さるべき所を申し請けて行ふ、常のことなり。宇治左大臣殿は、東三条殿にて行はる。内裏にてありけるを申されけるによりて、他所へ行幸ありけり。させることの寄せなけれども、女院の御所など借り申す、故実なりとぞ。
第157段 筆を取れば物書かれ
筆を取れば物書かれ、楽器を取れば音を立てんと思ふ。盃を取れば酒を思ひ、賽を取れば攤打たんことを思ふ。心は必ず事に触れて来る。仮にも不善の戯れをなすべからず。
あからさまに聖教の一句を見れば、何となく前後の文も見ゆ。卒爾にして多年の非を改むることもあり。仮に今この文を広げざらましかば、このことを知らんや。これすなはち、触るるところの益なり。
心さらに起こらずとも、仏前にありて、数珠を取り、経を取らば、怠るうちにも善業おのづから修せられ、散乱の心ながらも縄床に座せば、覚えずして禅定なるべし。
事、理もとより二ならず。外相もし背かざれば、内証必ず熟す。
強ひて不信を言ふべからず。仰ぎてこれを尊むべし。



