『平家物語』原文・現代語訳を全文公開! 品詞分解も順次追加中! 『平家物語』を読む

『源氏物語』第17帖「絵合」原文全文

  • URLをコピーしました!
出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」国貞『源氏香の図』

 このページでは、『源氏物語』第17帖「絵合」の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『源氏物語』第17帖「絵合」現代語訳全文をご覧ください。

目次

前斎宮の御参り

 前斎宮さきのさいぐうの御おほん参まゐりのこと、中宮ちゆうぐうの御心みこころに入いれてもよほしきこえたまふ。こまかなる御おほんとぶらひまで、とり立たてたる御後見おほんうしろみもなしとおぼしやれど、大殿おほいとのは、院ゐんに聞きこし召めさむことを憚はばかりたまひて、二条院にでうのゐんに渡わたしたてまつらむことをも、このたびはおぼしとまりて、ただ知しらず顔がほにもてなしたまへれど、おほかたのことどもは、とりもちて親おやめききこえたまふ。

 院ゐんはいと口くち惜をしくおぼし召めせど、人悪ひとわろければ、御消息おほんせうそこなど絶たえにたるを、その日ひになりて、えならぬ御おほんよそひども、御櫛みぐしの筥はこ、打乱うちみだれの筥はこ、香壺かうごの筥はこども、世よの常つねならず、くさぐさの御おほん薫物たきものども、薫衣香くぬえかう、またなきさまに、百歩ひやくぶの外ほかを多おほく過すぎ匂にほふまで、心こころことにととのへさせたまへり。大臣おとど見みたまひもせむにと、かねてよりやおぼしまうけけむ、いとわざとがましかむめり。

 殿とのも渡わたりたまへるほどにて、かくなむと女別当によべたう御覧ごらんぜさす。ただ、御櫛みぐしの筥はこの片かたつ方かたを見みたまふに、尽つきせずこまかになまめきて、めづらしきさまなり。挿櫛さしぐしの筥はこの心葉こころばに、

「別わかれ路ぢに添そへし小櫛をぐしをかことにてはるけき仲なかと神かみやいさめし」

 大臣おとどこれを御覧ごらんじつけておぼしめぐらすに、いとかたじけなくいとほしくて、わが御心みこころのならひ、あやにくなる身みを抓つみて、かの下くだりたまひしほど、御心みこころに思おもほしけむこと、かう年とし経へて帰かへりたまひて、その御み心こころざしをもとげたまふべきほどに、かかる違たがひ目めのあるをいかに思おぼすらむ、御位みくらゐを去さり、もの静しづかにて、世よをうらめしとや思おぼすらむ、など、我われになりて心こころ動うごくべきふしかなとおぼし続つづけたまふに、いとほしく、何なににかくあながちなることを思おもひはじめて、心苦こころぐるしく思おもほし悩なやますらむ、つらしとも思おもひきこえしかど、またなつかしうあはれなる御み心こころばへを、など思おもひ乱みだれたまひて、とばかりうちながめたまへり。

「この御おほん返かへりは、いかやうにか聞きこえさせたまふらむ。また、御消息おほんせうそこもいかが」

 など聞きこえたまへど、いとかたはらいたければ、御文おほんふみはえ引ひき出いでず。宮みやは悩なやましげにおぼして、御おほん返かへりいともの憂うくしたまへど、

「聞きこえたまはざらむも、いと情なさけなく、かたじけなかるべし」

 と、人々ひとびとそそのかしわづらひきこゆるけはひを聞ききたまひて、

「いとあるまじき御おほんことなり。しるしばかり聞きこえさせたまへ」

 と聞きこえたまふも、いと恥はづかしけれど、いにしへおぼし出いづるに、いとなまめき、きよらにて、いみじう泣なきたまひし御おほんさまを、そこはかとなくあはれと見みたてまつりたまひし御おほん幼心をさなごころも、ただ今いまのこととおぼゆるに、故こ御息所みやすんどころの御おほんことなど、かきつらねあはれにおぼされて、ただかく、

「別わかるとて遥はるかに言いひし一言ひとこともかへりてものは今いまぞ悲かなしき」

 とばかりやありけむ。御使おほんつかひの禄ろく、品々しなじなに賜たまはす。大臣おとどは、御おほん返かへりをいとゆかしうおぼせど、え聞きこえたまはず。

院の御ありさまは

 院ゐんの御おほんありさまは、女をんなにて見みたてまつらまほしきを、この御おほんけはひも似にげなからず、いとよき御おほんあはひなめるを、内裏うちはまだいといはけなくおはしますめるに、かく引ひき違たがへきこゆるを、人ひと知しれず、ものしとや思おぼすらむなど、憎にくきことをさへおぼしやりて、胸むねつぶれたまへど、今日けふになりておぼしとどむべきことにしあらねば、事ことどもあるべきさまにのたまひおきて、むつましう思おぼす修理宰相すりのさいしやうを詳くはしく仕つかうまつるべくのたまひて、内裏うちに参まゐりたまひぬ。うけばりたる親おやざまには聞きこし召めされじと、院ゐんをつつみきこえたまひて、御おほんとぶらひばかりと見みせたまへり。よき女房にようばうなどはもとより多おほかる宮みやなれば、里さとがちなりしも参まゐり集つどひて、いと二にになく、けはひあらまほし。

 あはれ、おはせましかば、いかにかひありておぼしいたづかましと、昔むかしの御心みこころざまおぼし出いづるに、おほかたの世よにつけては、惜をしうあたらしかりし人ひとの御おほんありさまぞや、さこそえあらぬものなりけれ、よしありし方かたはなほすぐれて、ものの折をりごとに思おもひ出いできこえたまふ。

中宮も内裏にぞ

 中宮ちゆうぐうも内裏うちにぞおはしましける。上うへはめづらしき人ひと参まゐりたまふと聞きこし召めしければ、いとうつくしう御み心こころづかひしておはします。ほどよりはいみじうされおとなびたまへり。宮みやも、

「かく恥はづかしき人ひと参まゐりたまふを、御み心こころづかひして、見みえたてまつらせたまへ」

 と聞きこえたまひけり。人ひと知しれず、大人おとなは恥はづかしうやあらむとおぼしけるを、いたう夜よ更ふけて参まう上のぼりたまへり。いとつつましげにおほどかにて、ささやかにあえかなるけはひのしたまへれば、いとをかしとおぼしけり。弘徽殿こきでんには御覧ごらんじつきたれば、むつましうあはれに心こころやすく思おもほし、これは、人ひとざまもいたうしめり、恥はづかしげに、大臣おとどの御おほんもてなしも、やむごとなくよそほしければ、あなづりにくくおぼされて、御宿直おほんとのゐなどは等ひとしくしたまへど、うちとけたる御おほん童わらは遊あそびに、昼ひるなど渡わたらせたまふことは、あなたがちにおはします。権中納言ごんちうなごんは、思おもふ心こころありて聞きこえたまひけるに、かく参まゐりたまひて、御おほん女むすめにきしろふさまにてさぶらひたまふを、方々かたがたにやすからず思おぼすべし。

院には、櫛の筥の御返り

 院ゐんには、かの櫛くしの筥はこの御おほん返かへり御覧ごらんぜしにつけても、御心みこころ離はなれがたかりけり。そのころ、大臣おとどの参まゐりたまへるに、御物語おほんものがたりこまやかなり。ことのついでに、斎宮さいぐうの下くだりたまひしこと、さきざきものたまひ出いづれば、聞きこえ出いでたまひて、さ思おもふ心こころなむありしなどは、えあらはしたまはず。大臣おとども、かかる御みけしき聞きき顔がほにはあらで、ただいかがおぼしたるとゆかしさに、とかうかの御おほん事ことをのたまひ出いづるに、あはれなる御みけしきあさはかならず見みゆれば、いといとほしく思おぼす。めでたしと思おもほししみにける御容貌おほんかたち、いかやうなるをかしさにかと、ゆかしう思おもひきこえたまへど、さらにえ見みたてまつりたまはぬを、ねたう思おもほす。いと重おもりかにて、夢ゆめにもいはけたる御おほんふるまひなどのあらばこそ、おのづからほの見みえたまふついでもあらめ、心こころにくき御おほんけはひのみ深ふかさまされば、見みたてまつりたまふままに、いとあらまほしと思おもひきこえたまへり。かく隙間すきまなくて、二所ふたところさぶらひたまへば、兵部卿宮ひやうぶきやうのみや、すがすがともえ思おもほし立たたず、帝みかどおとなびたまひなば、さりともえ思おもほし捨すてじとぞ、待まち過すぐしたまふ。二所ふたところの御おほんおぼえども、とりどりに挑いどみたまへり。

上は絵を興あるものに

 上うへは、よろづのことにすぐれて絵ゑを興きようあるものにおぼしたり。立たてて好このませたまへばにや、二にになく描かかせたまふ。斎宮さいぐうの女御にようご、いとをかしう描かかせたまひければ、これに御心みこころ移うつりて、渡わたらせたまひつつ、描かき通かよはさせたまふ。殿上てんじやうの若わかき人々ひとびとも、このことまねぶをば御心みこころとどめてをかしきものに思おもほしたれば、ましてをかしげなる人ひとの心こころばへあるさまに、まほならず描かきすさび、なまめかしう添そひ臥ふして、とかく筆ふでうちやすらひたまへる御おほんさま、らうたげさに御心みこころしみて、いとしげう渡わたらせたまひて、ありしよりけに御おほん思おもひまされるを、権中納言ごんちうなごん聞ききたまひて、あくまでかどかどしく今いまめきたまへる御心みこころにて、われ人ひとに劣おとりなむやとおぼしはげみて、すぐれたる上手じやうずどもを召めし取とりて、いみじくいましめて、またなきさまなる絵ゑどもを、二にになき紙かみどもに描かき集あつめさせたまふ。

物語絵こそ心ばへ見えて

「物語絵ものがたりゑこそ、心こころばへ見みえて、見み所どころあるものなれ」

 とて、おもしろく心こころばへある限かぎりを選えりつつ描かかせたまふ。例れいの月次つきなみの絵ゑも、見み馴なれぬさまに、言ことの葉はを書かき続つづけて御覧ごらんぜさせたまふ。わざとをかしうしたれば、またこなたにてもこれを御覧ごらんずるに、心こころやすくも取とり出いでたまはず、いといたく秘ひめて、この御おほん方かたへ持もて渡わたらせたまふを惜をしみ領りやうじたまへば、大臣おとど聞ききたまひて、

「なほ権中納言ごんちうなごんの御み心こころばへの若々わかわかしさこそ、改あらたまりがたかめれ」

 など笑わらひたまふ。

「あながちに隠かくして、心こころやすくも御覧ごらんぜさせず、悩なやましきこゆる、いとめざましや。古代こたいの御絵おほんゑどものはべる、参まゐらせむ」

 と奏そうしたまひて、殿とのに古ふるきも新あたらしきも絵ゑども入いりたる御厨子みづしども開ひらかせたまひて、女君をんなぎみともろともに、今いまめかしきはそれそれと、選えりととのへさせたまふ。『長恨歌ちやうごんか』『王昭君わうせうくん』などやうなる絵ゑは、おもしろくあはれなれど、事ことの忌いみあるは此度こたみはたてまつらじと選えりとどめたまふ。かの旅たびの御日記おほんにきの箱はこをも取とり出いでさせたまひて、このついでにぞ女君をんなぎみにも見みせたてまつりたまひける。御心みこころ深ふかく知しらで今いま見みむ人ひとだに、すこしもの思おもひ知しらむ人ひとは、涙なみだ惜をしむまじくあはれなり。まいて忘わすれがたく、その世よの夢ゆめをおぼしさます折をりなき御心みこころどもには、取とりかへし悲かなしうおぼし出いでらる。今いままで見みせたまはざりける恨うらみをぞ聞きこえたまひける。

「一人ひとりゐて嘆なげきしよりは海士あまの住すむかたをかくてぞ見みるべかりける

おぼつかなさは、慰なぐさみなましものを」

 とのたまふ。いとあはれとおぼして、

「憂うきめ見みしその折をりよりも今日けふはまた過すぎにしかたにかへる涙なみだか」

 中宮ちゆうぐうばかりには、見みせたてまつるべきものなり。かたはなるまじき一帖いちでふづつ、さすがに浦々うらうらのありさまさやかに見みえたるを、選えりたまふついでにも、かの明石あかしの家居いへゐぞ、まづいかにとおぼしやらぬ時ときの間まなき。

かう絵ども集めらる

 かう絵ゑども集あつめらると聞ききたまひて、権中納言ごんちうなごん、いと心こころを尽つくして、軸ぢく、表紙へうし、紐ひもの飾かざり、いよいよととのへたまふ。弥生やよひの十日とをかのほどなれば、空そらもうららかにて、人ひとの心こころものび、ものおもしろき折をりなるに、内裏うちわたりも、節会せちゑどものひまなれば、ただかやうのことどもにて、御方々おほんかたがた暮くらしたまふを、同おなじくは、御覧ごらんじ所どころもまさりぬべくてたてまつらむの御心みこころつきて、いとわざと集あつめ参まゐらせたまへり。こなたかなたとさまざまに多おほかり。物語絵ものがたりゑはこまやかに、なつかしさまさるめるを、梅壺むめつぼの御おほん方かたは、いにしへの物語ものがたり、名高なだかくゆゑある限かぎり、弘徽殿こきでんは、そのころ世よにめづらしく、をかしき限かぎりを選えり描かかせたまへれば、うち見みる目めの今いまめかしきはなやかさは、いとこよなくまされり。上うへの女房にようばうなども、よしある限かぎり、これは、かれは、など定さだめあへるを、このころのことにすめり。

中宮も参らせたまへるころ

 中宮ちゆうぐうも参まゐらせたまへるころにて、方々かたがた御覧ごらんじ捨すてがたく思おもほすことなれば、御おほん行おこなひもおこたりつつ御覧ごらんず。この人々ひとびとのとりどりに論ろんずるを聞きこし召めして、左右ひだりみぎと方かた分わかたせたまふ。梅壺むめつぼの御おほん方かたには、平典侍へいないしのすけ、侍従じじうの内侍ないし、少将せうしやうの命婦みやうぶ。右みぎには大弐だいにの典侍ないしのすけ、中将ちゆうじやうの命婦みやうぶ、兵衛ひやうゑの命婦みやうぶを、ただ今いまは心こころにくき有職いうそくどもにて、心々こころごころにあらそふ口くちつきどもををかしと聞きこし召めして、まづ、物語ものがたりの出いで来きはじめの祖おやなる『竹取たけとりの翁おきな』に『宇津保うつほの俊蔭としかげ』を合あはせてあらそふ。

「なよ竹たけの世々よよに古ふりにけること、をかしきふしもなけれど、かくや姫ひめのこの世よの濁にごりにもけがれず、はるかに思おもひのぼれる契ちぎり高たかく、神代かみよのことなめれば、あさはかなる女をんな、目め及およばぬならむかし」

 と言いふ。右みぎは、かくや姫ひめののぼりけむ雲居くもゐはげに及およばぬことなれば、誰たれも知しりがたし。この世よの契ちぎりは竹たけの中なかに結むすびければ、下くだれる人ひとのこととこそは見みゆめれ。ひとつ家いへの内うちは照てらしけめど、百敷ももしきのかしこき御光おほんひかりには並ならばずなりにけり。阿部あべのおほしが千々ちぢの黄金こがねを捨すてて、火鼠ひねずみの思おもひ片時かたときに消きえたるも、いとあへなし。車持くらもちの親王みこの、まことの蓬莱ほうらいの深ふかき心こころも知しりながら、いつはりて玉たまの枝えだに疵きずをつけたるをあやまちとなす。絵ゑは巨勢相覧こせのあふみ、手ては紀貫之きのつらゆき書かけり。紙屋紙かむやがみに唐からの綺きをばいして、赤紫あかむらさきの表紙へうし、紫檀したんの軸ぢく、世よの常つねの装よそほひなり。俊蔭としかげは、はげしき波風なみかぜにおぼほれ、知しらぬ国くにに放はなたれしかど、なほさして行ゆきける方かたの心こころざしもかなひて、つひに人ひとの朝廷みかどにもわが国くににもありがたき才ざえのほどを広ひろめ、名なを残のこしける古ふるき心こころを言いふに、絵ゑのさまも、唐土もろこしと日ひの本もととを取とり並ならべて、おもしろきことどもなほ並ならびなしと言いふ。白しろき色紙しきし、青あをき表紙へうし、黄きなる玉たまの軸ぢくなり。絵ゑは常則つねのり、手ては道風みちかぜなれば、今いまめかしうをかしげに、目めもかかやくまで見みゆ。また左ひだりにそのことわりなし。

次に、伊勢物語に正三位

 次つぎに、『伊勢物語いせものがたり』に『正三位じやうざんみ』を合あはせて、また定さだめやらず。これも、右みぎはおもしろくにぎははしく、内裏うちわたりよりうちはじめ、近ちかき世よのありさまを描かきたるは、をかしう見み所どころまさる。平内侍へいないし、

「伊勢いせの海うみの深ふかき心こころをたどらずてふりにし跡あとと波なみや消きつべき

世よの常つねのあだことのひきつくろひ飾かざれるに圧おされて、業平なりひらが名なをや朽くたすべき」

 と、あらそひかねたり。右みぎのすけ、

「雲くもの上うへに思おもひのぼれる心こころには千尋ちひろの底そこもはるかにぞ見みる」

「兵衛ひやうゑの大君おほきみの心高こころたかさは、げに捨すてがたけれど、在五中将ざいごちゆうじやうの名なをば、え朽くたさじ」

 とのたまはせて、宮みや、

「みるめこそうらふりぬらめ年とし経へにし伊勢いせをの海うみ人ひとの名なをや沈しづめむ」

 かやうの女言をんなごとにて、乱みだりがはしくあらそふに、一巻ひとまきに言ことの葉はを尽つくして、えも言いひやらず。ただ、あさはかなる若人わかうどどもは、死しにかへりゆかしがれど、上うへのも宮みやのも片端かたはしをだにえ見みず、いといたう秘ひめさせたまふ。

大臣参りたまひて

 大臣おとど参まゐりたまひて、かくとりどりにあらそひ騒さわぐ心こころばへども、をかしくおぼして、

「同おなじくは、御前おまへにてこの勝負かちまけ定さだめむ」

 と、のたまひなりぬ。かかることもやと、かねておぼしければ、中なかにもことなるは選えりとどめたまへるに、かの須磨すま、明石あかしの二巻ふたまきは、思おぼすところありて取とり交まぜさせたまへり。中納言ちうなごんもその御心みこころ劣おとらず。このころの世よには、ただかくおもしろき紙絵かみゑをととのふることを、天あめの下したいとなみたり。

「今いまあらため描かかむことは、本意ほいなきことなり。ただありけむ限かぎりをこそ」

 とのたまへど、中納言ちうなごんは人ひとにも見みせで、わりなき窓まどを開ひらけて描かかせたまひけるを、院ゐんにも、かかること聞きかせたまひて、梅壺むめつぼに御絵おほんゑどもたてまつらせたまへり。年としの内うちの節会せちゑどものおもしろく興きようあるを、昔むかしの上手じやうずどものとりどりに描かけるに、延喜えんぎの御おほん手てづからことの心こころ書かかせたまへるに、またわが御世みよの事ことも描かかせたまへる巻まきに、かの斎宮さいぐうの下くだりたまひし日ひの大極殿だいごくでんの儀式ぎしき、御心みこころにしみておぼしければ、描かくべきやう詳くはしく仰おほせられて、公茂きむもちが仕つかうまつれるが、いといみじきをたてまつらせたまへり。艶えんに透すきたる沈ぢんの箱はこに、同おなじき心葉こころばのさまなど、いと今いまめかし。御消息おほんせうそこはただ言葉ことばにて、院ゐんの殿上てんじやうにさぶらふ左近中将さこんのちゆうじやうを御使おほんつかひにてあり。かの大極殿だいごくでんの御輿みこし寄よせたる所ところの、神々かうがうしきに、

「身みこそかくしめの外ほかなれそのかみの心こころのうちを忘わすれしもせず」

 とのみあり。聞きこえたまはざらむも、いとかたじけなければ、苦くるしうおぼしながら、昔むかしの御釵おほんかむざしの端はしをいささか折をりて、

「しめのうちは昔むかしにあらぬ心地ここちして神代かみよのことも今いまぞ恋こひしき」

 とて、縹はなだの唐からの紙かみに包つつみて参まゐらせたまふ。御使おほんつかひの禄ろくなど、いとなまめかし。院ゐんの帝みかど御覧ごらんずるに、限かぎりなくあはれと思おぼすにぞ、ありし世よを取とり返かへさまほしく思おもほしける。大臣おとどをもつらしと思おもひきこえさせたまひけむかし。過すぎにし方かたの御報おほんむくいにやありけむ。院ゐんの御絵おほんゑは、后きさいの宮みやより伝つたはりて、あの女御にようごの御おほん方かたにも多おほく参まゐるべし。尚侍ないしのかみの君きみも、かやうの御おほん好このましさは人ひとにすぐれて、をかしきさまにとりなしつつ集あつめたまふ。

その日と定めて

 その日ひと定さだめて、にはかなるやうなれど、をかしきさまにはかなうしなして、左右ひだりみぎの御絵おほんゑども参まゐらせたまふ。女房にようばうの侍さぶらひに御座おましよそはせて、北南きたみなみ方々かたがた別わかれてさぶらふ。殿上てんじやう人ひとは、後涼殿こうらうでんの簀子すのこに、おのおの心寄こころよせつつさぶらふ。左ひだりは紫檀したんの箱はこに蘇芳すはうの花足けそく、敷物しきものには紫地むらさきぢの唐からの錦にしき、打敷うちしきは葡萄染えびぞめの唐からの綺きなり。童わらは六人ろくにん、赤色あかいろに桜襲さくらがさねの汗衫かざみ、衵あこめは紅くれなゐに藤襲ふぢがさねの織物おりものなり。姿すがた、用意よういなど、なべてならず見みゆ。右みぎは沈ぢんの箱はこに浅香せんかうの下机したづくゑ、打敷うちしきは青地あをぢの高麗こまの錦にしき、あしゆひの組くみ、花足けそくの心こころばへなど、今いまめかし。童わらは、青色あをいろに柳やなぎの汗衫かざみ、山吹襲やまぶきがさねの衵あこめ着きたり。皆みな、御前おまへに舁かき立たつ。上うへの女房にようばう、前後まへしりへと装束さうぞき分わけたり。

 召めしありて、内大臣うちのおとど、権中納言ごんちうなごん、参まゐりたまふ。その日ひ、帥宮そちのみやも参まゐりたまへり。いとよしありておはするうちに、絵ゑを好このみたまへば、大臣おとどの、下したにすすめたまへるやうやあらむ、ことことしき召めしにはあらで、殿上てんじやうにおはするを、仰おほせ言ごとありて御前ごぜんに参まゐりたまふ。この判はん仕つかうまつりたまふ。いみじう、げに描かき尽つくしたる絵ゑどもあり。さらにえ定さだめやりたまはず。例れいの四季しきの絵ゑも、いにしへの上手じやうずどものおもしろきことどもを選えびつつ、筆ふでとどこほらず描かきながしたるさま、たとへむかたなしと見みるに、紙絵かみゑは限かぎりありて、山水やまみづのゆたかなる心こころばへをえ見みせ尽つくさぬものなれば、ただ筆ふでの飾かざり、人ひとの心こころに作つくり立たてられて、今いまのあさはかなるも、昔むかしのあと恥はなく、にぎははしく、あなおもしろと見みゆる筋すぢはまさりて、多おほくのあらそひども、今日けふは方々かたがたに興きようあることも多おほかり。

 朝餉あさがれひの御障子みさうじを開あけて、中宮ちゆうぐうもおはしませば、深ふかうしろしめしたらむと思おもふに、大臣おとどもいと優いうにおぼえたまひて、所々ところどころの判はんども心こころもとなき折々をりをりに、時々ときどきさし答いらへたまひけるほど、あらまほし。

定めかねて夜に入りぬ

 定さだめかねて夜よに入いりぬ。左ひだりはなほ数かず一ひとつある果はてに、須磨すまの巻まき出いで来きたるに、中納言ちうなごんの御心みこころ騒さわぎにけり。あなたにも心こころして、果はての巻まきは心こころことにすぐれたるを選えり置おきたまへるに、かかるいみじきものの上手じやうずの、心こころの限かぎり思おもひすまして静しづかに描かきたまへるは、たとふべきかたなし。親王みこよりはじめたてまつりて、涙なみだとどめたまはず。その世よに、心苦こころぐるし悲かなしと思おもほししほどよりも、おはしけむありさま、御心みこころにおぼししことども、ただ今いまのやうに見みえ、所ところのさま、おぼつかなき浦々うらうら、磯いその隠かくれなく描かきあらはしたまへり。草さうの手てに仮名かなの所々ところどころに書かきまぜて、まほの詳くはしき日記にきにはあらず、あはれなる歌うたなどもまじれる、たぐひゆかし。誰たれも異事ことごと思おもほさず、さまざまの御絵おほんゑの興きよう、これに皆みな移うつり果はてて、あはれにおもしろし。よろづ皆みなおしゆづりて、左ひだり勝かつになりぬ。

夜明け方近くなるほどに

 夜明よあけ方かた近ちかくなるほどに、ものいとあはれにおぼされて、御土器おほんかはらけなど参まゐるついでに、昔むかしの御物語おほんものがたりども出いで来きて、

「いはけなきほどより、学問がくもんに心こころを入いれてはべりしに、すこしも才ざえなどつきぬべくや御覧ごらんじけむ、院ゐんののたまはせしやう、才学さいがくといふもの、世よにいと重おもくするものなればにやあらむ、いたう進すすみぬる人ひとの、命いのち、幸さいはひと並ならびぬるは、いとかたきものになむ。品高しなたかく生むまれ、さらでも人ひとに劣おとるまじきほどにて、あながちにこの道みちな深ふかく習ならひそと、いさめさせたまひて、本才ほんざいの方々かたがたのもの教をしへさせたまひしに、つたなきこともなく、またとり立たててこのことと心こころ得えることもはべらざりき。絵ゑ描かくことのみなむ、あやしくはかなきものから、いかにしてかは心こころゆくばかり描かきて見みるべきと思おもふ折々をりをりはべりしを、おぼえぬ山賤やまがつになりて、四方よもの海うみの深ふかき心こころを見みしに、さらに思おもひ寄よらぬ隈くまなく至いたられにしかど、筆ふでのゆく限かぎりありて、心こころよりはことゆかずなむ思おもうたまへられしを、ついでなくて御覧ごらんぜさすべきならねば、かう好このき好このきしきやうなる、後のちの聞きこえやあらむ」

 と、親王みこに申まうしたまへば、

「何なにの才ざえも、心こころより放はなちて習ならふべきわざならねど、道々みちみちにものの師しあり、学まなび所どころあらむは、ことの深ふかさ浅あささは知しらねど、おのづから移うつさむにあとありぬべし。筆ふで取とる道みちと碁ご打うつこととぞ、あやしう魂たましひのほど見みゆるを、深ふかき労らうなく見みゆるおれ者ものも、さるべきにて、書かき打うつたぐひも出いで来くれど、家いへの子この中なかには、なほ人ひとに抜ぬけぬる人ひと、何なにごとをも好このみ得えけるとぞ見みえたる。院ゐんの御前ごぜんにて、親王みこたち、内親王ないしんわう、いづれかは、さまざまとりどりの才ざえ習ならはさせたまはざりけむ。その中なかにも、とり立たてたる御心みこころに入いれて、伝つたへ受うけとらせたまへるかひありて、文才もんざいをばさるものにて言いはず、さらぬことの中なかには、琴きん弾ひかせたまふことなむ一いちの才ざえにて、次つぎには横笛よこぶえ、琵琶びは、箏さうの琴ことをなむ、次々つぎつぎに習ならひたまへると、上うへもおぼしのたまはせき。世よの人ひと、しか思おもひきこえさせたるを、絵ゑはなほ筆ふでのついでにすさびさせたまふあだこととこそ思おもひたまへしか、いとかう、まさなきまで、いにしへの墨すみがきの上手じやうずども、あとをくらうなしつべかめるは、かへりて、けしからぬわざなり」

 と、うち乱みだれて聞きこえたまひて、酔ゑひ泣なきにや、院ゐんの御おほんこと聞きこえ出いでて、皆みなうちしほれたまひぬ。

二十日あまりの月さし出でて

 二十日はつかあまりの月つきさし出いでて、こなたはまださやかならねど、おほかたの空そら、をかしきほどなるに、書司ふむのつかさの御琴おほんこと召めし出いでて、和琴わごん、権中納言ごんちうなごん賜たまはりたまふ。さはいへど、人ひとにまさりてかき立たてたまへり。親王みこ、箏さうの御琴おほんこと、大臣おとど、琴きん、琵琶びはは少将せうしやうの命婦みやうぶ仕つかうまつる。上人うへびとの中なかにすぐれたるを召めして、拍子はうし賜たまはす。いみじうおもしろし。明あけ果はつるままに、花はなの色いろも人ひとの御容貌おほんかたちどももほのかに見みえて、鳥とりのさへづるほど、心地ここちゆき、めでたき朝あさぼらけなり。禄ろくどもは、中宮ちゆうぐうの御おほん方かたより賜たまはす。親王みこは、御衣おほんぞまた重かさねて賜たまはりたまふ。

そのころのことには

 そのころのことには、この絵ゑの定さだめをしたまふ。

「かの浦々うらうらの巻まきは、中宮ちゆうぐうにさぶらはせたまへ」

 と聞きこえさせたまひければ、これが初はじめ、また残のこりの巻々まきまきゆかしがらせたまへど、

「今いま、次々つぎつぎに」

 と聞きこえさせたまふ。上うへにも御心みこころゆかせたまひておぼし召めしたるを、うれしく見みたてまつりたまふ。はかなきことにつけても、かうもてなしきこえたまへば、権中納言ごんちうなごんは、なほおぼえ圧おさるべきにやと、心こころやましうおぼさるべかめり。上うへの御み心こころざしは、もとよりおぼししみにければ、なほこまやかにおぼし召めしたるさまを、人ひと知しれず見みたてまつり知しりたまひてぞ、頼たのもしく、さりともとおぼされける。さるべき節会せちゑどもにも、この御時おほんときよりと、末すゑの人ひとの言いひ伝つたふべき例れいを添そへむとおぼし、私わたくしざまのかかるはかなき御遊おほんあそびも、めづらしき筋すぢにせさせたまひて、いみじき盛さかりの御世みよなり。

大臣ぞ、なほ常なきものに

 大臣おとどぞ、なほ常つねなきものに世よをおぼして、今いますこしおとなびおはしますと見みたてまつりて、なほ世よを背そむきなむと深ふかく思おもほすべかめる。昔むかしのためしを見み聞きくにも、齢よはひ足たらで、官位つかさくらゐ高たかくのぼり、世よに抜ぬけぬる人ひとの、長ながくえ保たもたぬわざなりけり、この御世みよには、身みのほどおぼえ過すぎにたり、中なかごろなきになりて沈しづみたりし愁うれへにかはりて、今いままでもながらふるなり、今いまより後のちの栄さかえは、なほ命いのちうしろめたし、静しづかに籠こもりゐて、後のちの世よのことをつとめ、かつは齢よはひをも延のべむと思おもほして、山里やまざとののどかなるを占しめて、御堂みだうを造つくらせたまひ、仏経ほとけきやうのいとなみ添そへてせさせたまふめるに、末すゑの君きみたち、思おもふさまにかしづき出いだして見みむとおぼし召めすにぞ、とく捨すてたまはむことはかたげなる。いかにおぼしおきつるにかと、いと知しりがたし。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

PR

目次