『無名抄』の原文を、4ページに分けて全文ルビ付きで掲載しています。このページ(4)には、第71段「近代の歌体」から第83段「とこねのこと」までの章段を収めました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『無名抄』現代語訳(4)をご覧ください。
第71段 近代の歌体
ある人問ひていはく、
「この頃の人の歌ざま、二面に分かれたり。中頃の体を執する人は、今の世の歌をばすずろごとのやうに思ひて、やや達磨宗などいふ異名を付けて、そしり嘲る。また、この頃やうを好む人は、中頃の体をば、『俗に近し、見所なし』と嫌ふ。やや宗論の類にて、こと切るべくもあらず。末学のため、是非に惑ひぬべし。いかが心得べき」
といふ。
ある人、答へていはく、
「これはこの世の歌仙の大きなる争ひなれば、たやすくいかが定めむ。ただし、人の習ひ、月星の行度をも悟り、鬼神の心をも推し量るものなれば、おぼつかなくとも心の及ぶほど申しはべらむ。また、思はれむに従ひてことはらるべし。
大方、このことを人の水火のごとく思へるが、心も得ず覚えはべるなり。すべて歌のさま、世々に異なり、昔は文字の数も定まらず、思ふさまに口に任せて言ひけり。かの『出雲八重垣』の歌よりこそは、五句、三十一文字に定まりにけれど、万葉の頃などまでは、なほ懇ろなる心ざしを述ぶるばかりにて、あながちに姿言葉を選ばざりけるにやと見えたり。中頃、古今の時、花実ともに備はりて、そのさままちまちに分かれたり。後撰には、よろしき歌古今に取り尽くされてのち、いくほども経ざりければ、歌得がたくして、姿をば選ばず、ただ、心を先とせり。拾遺の頃より、その体ことのほかにもの近くなりて、ことわりくまなくあらはれ、姿素直なるをよろしとす。そののち後拾遺の時、今少しやはらぎて、昔の風を忘れたり。ややその時の古き人などは、これをうけざりけるにや、後拾遺姿と名付けて、口惜しきことにしけるとぞ、ある先達語りはべりし。金葉はまた、わざともをかしからむとして、軽々なる歌多かり。詞花、千載、大略後拾遺の風なるべし。歌の昔より伝はり来たれるやう、かくのごとし。
かかれば、拾遺よりのち、そのさま一つにして久しくなりにけるゆゑに、風情やうやう尽き、言葉世々に古りて、この道時に従ひて衰へゆく。昔はただ花を雲にまがへ、月を氷に似せ、紅葉を錦に思ひ寄する類ををかしきことにせしかど、今はその心言ひ尽くして、雲の中にさまざまの雲を求め、氷にとりてめづらしき心を添へ、錦にことなる節を尋ね、かやうに安からずたしなみて思ひ得れば、めづらしき節は難くなりゆく。まれまれ得たれども、昔をへつらへる意どもなれば、いやしく、くだけたる様なり。いはんや、言葉に至りては、いひ尽くしてければ、めづらしき言葉もなく、目止る節もなし。異なる秀逸ならねば、五七五を詠むに、七七は空に推し量らるるやうなり。
ここに、今の人、歌のさまの世々に詠み古されにけることを知りて、さらに古風に帰りて、幽玄の体を学ぶことの出で来たるなり。これによりて、中古の流れを習ふともがら、目を驚かして謗り嘲る。しかあれど、まことには心ざしは一つなれば、上手と秀歌とは何方にも背かず。いはゆる清輔、頼政、俊恵、登蓮などが詠み口をば、今の世の人も捨て難くす。今様姿の歌の中にも、よく詠みつるをば謗家ども謗ることなし。えせ歌どもに至りては、またいづれもよろしからず。中頃のさしもなき歌を、この世の歌に並べてみれば、化粧したる人の中に尼顔にて交はるに異ならず。今の世のいとも詠みおほせぬ歌は、あるいは全て心得られず。あるいは悪気はなはだし。されば、一方に偏執すまじきことにこそ」
問ひていはく、
「今の世の体をば、新しく出で来たるやうに思へるは、僻事にてはべるか」。
答へていはく、
「この難はいはれぬことなり。たとひ新しく出で来たりとても、必ずしもわろかるべからず。唐土には限りある文体だにも、世々に改まるなり。この国の小国にて、人の心ばせの愚かなるにより、もろもろのことを昔に違へじとするにてこそはべれ。まして、歌は心ざしを述べ、耳を悦ばしめむためなれば、時の人のもてあそび、好まむに過ぎたることやははべるべき。いかにいはむや、さらにさらに今巧み出でたることにあらず。万葉まではこと遠し。古今の歌どもをよくも見分かぬ人の、この難をばしはべるなり。かの集の中に、様々の体あり。しかあれば、中古の姿も古今より出でたり。この幽玄の様もこの集より出でたり。たとひ、今の姿を詠み尽くして、また改まる世ありとも、ざれごと歌などまでも漏らさず選び載せたれば、なほかの集をば出づべからず。これを一向に耳遠く思ひて謗り卑しむは、ひとへに中古の歌のさまに封ぜられたるなり」。
問ひていはく、
「この二つの体、いづれか詠みやすく、また秀歌をも得つべき」。
答へていはく、
「中頃の体は、学びやすくして、しかも秀歌は難かるべし。言葉古りて、しかも風情ばかりを詮とすべきゆゑなり。今の体は、習ひ難くて、よく心得つれば詠みやすし。その様めづらしきにより、姿と心とに渡りて興あるべきゆゑなり」。
問ひていはく、
「聞くがごとくならば、いづれも良きは良し、悪きは悪かなり。学者はまた、我も我もと争ふ。いかがして、その勝劣をば定むべき」。
答へていはく、
「必ず勝劣を定むべきことかは。ただ、いづ方にもよく詠めるをよしと知りてこそははべらめ。ただし、寂蓮入道申すことはべりき。
『この争ひ、やすくこと切るべきやうあり。そのゆゑは、手を習ふも、劣りの人の文字はまねびやすく、我より上りざまの人の手跡は習ひ似すること難しといへり。しかあれば、我らが詠むやうに詠めと言はむには、季経卿、顕昭法師などいへる、案ずとも、えこそ詠まざらめ。われはかの人々の詠むやうには、ただ筆さし濡らして、いとよく書きてん。さてこそことは切らめ』とぞ申されし。
人のことは知らず。身にとりては、中頃の人々、あまたさし集まりてはべりし会に連なりて、人の歌どもを聞きしには、わが思ひ至らぬ風情はいと少なかりき。わが続けたりつるよりは、これはよかりけりなど思ゆることこそありしかど、いささかも心のめぐらぬことはありがたくなむはべりし。しかあるを、御所の御会につかうまつりしには、ふつと思ひも寄らぬことをのみ、人ごとに詠まれしかば、この道ははやく底もなく、際もなきことになりにけりと、怖しくこそ思えはべりしか。
されば、いかにもこの体を心得ることは、骨法ある人の境に入り、峠を越えてのち、あるべきことなり。それすらなほ、し外せば、聞きにくきこと多かり。いはんや、風情足らぬ人の、いまだ峰まで登りつかずして、推し量りにまねびたる、さるかたはらいたきことなし。化粧をばすべきことと知りて、あやしの賤の女などが、心にまかせてものども塗り付けたらんやうにぞ思えはべりし。かやうの類は、我とはえ作り立てず。人の詠み捨てたる言葉を拾ひて、そのさまを学ぶばかりなり。いはゆる『露さびて』『風吹けて』『心の奥』『あはれの底』『月の有明』『風の夕暮』『春のふるさと』など、初めめづらしく詠める時こそあれ、ふたたびともなれば念もなき言癖どもをぞわづかに学ぶめる。あるはまた、おぼつかなく心こもりて詠まんとするほどに、果てにはみづからもえ心得ず、違はぬまた無心所着になりぬ。かやうの列の歌は、幽玄の境にはあらず。げに達磨ともこれらをぞいふべき」。
問ひていはく、
「ことの趣はおろおろ心得はべりにたり。その幽玄とかいふらむ体に至りてこそ、いかなるべしとも心得難くはべれ。そのやうをうけたまはらむ」
と言ふ。
答へていはく、
「すべて歌、口伝、髄脳などにも、難きことどもをば手を取りて教ふばかりに釈したれど、姿に至りては確かに見えたることなし。いはむや、幽玄の体、まづ名を聞くより惑ひぬべし。みづからもいと心得ぬことなれば、定かにいかに申すべしとも覚えはべらねど、よく境に入れる人々の申されし趣は、詮はただ言葉に現れぬ余情、姿に見えぬ景気なるべし。心にもことわり深く、言葉にも艶極まりぬれば、これらの徳はおのづから備はるにこそ。
たとへば、秋の夕暮の空の気色は、色も無く声も無し。いづくにいかなるゆゑあるべしとも思えねど、すずろに涙こぼるるがごとし。これを心なき列の者は、さらにいみじと思はず。ただ目に見ゆる花・紅葉をぞ、めではべる。また、よき女の、恨めしきことあれど、言葉に現さず、深く忍びたる気色を、さよとほのぼの見付けたるは、言葉を尽くして恨み、袖を絞りて見せんよりも、心ぐるしうあはれ深かるべきがごとし。これまた、幼き者などは、細々と言はすより外に、いかでか気色を見て知らん。すなはち、この二つの譬へにて、風情少なく、心浅からん人の、悟り難きことをば知りぬべし。
また、幼き子のらうたきが、片言して、そことも聞こえぬこと言ひゐたるは、はかなきにつけても、いとほしく聞きどころあるに似たることもはべるにや。これらをば、いかでかたやすく学びもし、定かに言ひもあらはさむ。ただ、みづから心得べきことなり。また、霧の絶え間より、秋の山を眺むれば、見ゆる所はほのかなれど、奥ゆかしく、いかばかり紅葉わたりて面白からむと限りなく推し量らるる面影は、ほとほと定かに見んにも優れたるべし。
すべては心ざし言葉に現れて、月を隈なしといひ、花を妙なりと讃めむことは、何かは難からむ。いづくかは歌のただものいふに勝る徳とせむ。一言葉に多くのことわりを込め、表さずして深き心ざしを尽くし、見ぬ世のことを面影に浮かべ、賤しきを借りて優を表し、愚かなるやうにて妙なる言葉を極むればこそ、心も及ばず、言葉も足らぬ時、これにて思ひを述べ、わづかに三十一字がうちに天地を動かす徳を具し、鬼神をなごむる術にてははべれ」。
第72段 俊恵歌体を定むること
俊恵いはく、
「世の常のよき歌は、たとへば固文の織物のごとし。よく艶優れぬる歌は浮文の織物などを見るがごとく、空に景気の浮かべるなり。
ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
これこそは余情うちに籠もり、景気空に浮かびてはべれ。また、させる風情もなけれど、言葉よく続けつれば、おのづから姿に飾られて、この徳を具することもあるべし。木工頭の歌に、
鶉鳴く真野の入江の浜風に尾花波寄る秋の夕暮れ
これも違はぬ浮文にはべるべし。ただし、よき言葉を続けたれど、わざと求めたるやうになりぬるをば、また失とすべし。ある人の歌に、
月冴ゆる氷の上に霰降り心砕くる玉川の里
これは、たとへば石を立つる人の、よき石をえ据ゑずして、小さき石どもを取り集めて、めでたくさし合はせつつ立てたれど、いかにもまことの大きなる石には劣れるやうに、わざとびたるが失にてはべるなり」。
またいはく、
「匡房卿の歌に、
白雲と見ゆるにしるしみ吉野の吉野の山の花盛りかも
これこそはよき歌の本とは覚えはべれ。させる秀句もなく、飾れる言葉もなけれど、姿うるはしく清げにいひくだして、たけ高く遠白きなり。たとへば、白き色の異なる匂ひもなけれど、もろもろの色に優れたるがごとし。よろづのこと極まりてかしこきは、淡くすさまじきなり。この体はやすきやうにて極めて難し。一文字も違ひなば、あやしの腰折れになりぬべし。いかにも境に入らずして詠み出で難きさまなり」。
またいはく、
心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春の気色を
「これは初めの歌のやうに、限りなく遠白くなどはあらねど、優深くたをよかなり。たとへば能書の書ける仮名のし文字などのごとし。させる点をば加へ、筆を振へるところもなけれど、ただ安らかにこと少なにて、しかも妙なるなり」。
またいはく、
思ひかね妹がり行けば冬の夜の川風寒み千鳥鳴くなり
「この歌ばかり面影ある類はなし。『六月二十六日の寛算が日も、これをだに詠ずれば寒くなる』とぞ、ある人は申しはべりし。大方、優なる心、言葉なれども、わざと求めたるやうに見ゆるは、歌にとりて失とすべし。ただ、結ばぬ峰の梢、染めぬ野辺の草葉に、春秋につけて、花の色々を現すがごとく、おのづから寄り来ることを、やすらかにいへるやうなるが秀歌にてはべるなり。歌には故実の体といふことあり。よき風情を思ひ得ぬとき、心のたくみにて作り立つべきやうを習ふなり」
一には、させることなけれど、ただ言葉続き、匂ひ深くいひ流しつれば、よろしく聞こゆ。
風の音に秋の夜深く寝覚めして見果てぬ夢の名残をぞ思ふ
一には、古歌の言葉のわりなきを取りて、をかしくいひなせる、またをかし。
わが背子をかた待つ宵の秋風は荻の上葉をよきて吹かなむ
狩人の朝伏す野辺の草若み隠ろひかねて雉子鳴くなり
また、聞きよからぬ言葉を面白く続けなせる、わざとも秀句となる。
播磨なる飾磨に染むるあながちに人を恋しと思ふ頃かな
思ひ草葉末に結ぶ白露のたまたまきては手にもたまらず
一には、秀句なれど、ただ言葉遣ひ面白く続けつれば、また、見所あり。
あさてほすあづま乙女の萱筵敷き忍びても過ぐす頃かな
葦の屋の賤機帯の片結び心やすくもうち解くるかな
今ははや天の戸渡る月の舟また村雲に島隠れすな
第73段 名所を取る様
一には、名所を取る故実あり。国々の歌枕、数も知らず多かれど、その歌の姿に従ひて詠むべきところあるなり。たとへば、山水を造るに、松を植うべき所には岩を立て池を掘り、花を咲かすべき地には山を築き眺望をなすがごとく、その所の名によりて歌の姿を飾るべし。これら、いみじき口伝なり。もし、歌の姿と名所と、かき合はずなりぬれば、こと違ひたるやうにて、いみじき風情あれど、破れて聞こゆるなり。
よそにのみ見てややみなん葛城の高間の山の峰の白雲
照射する宮城が原の下露に花摺衣乾く間ぞなき
東路を朝立ち来れば葛飾や真間の継橋霞わたれり
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
初めの歌は姿清げに遠白ければ、高間の山、ことにかなひて聞こゆ。照射の歌、言葉遣ひ優しければ、宮城が原に思ひ寄れり。東路の歌、わりなく思ふ所ある体なれば、葛飾・真間の継橋、さもと聞こゆ。秋風の歌、もの寂しき姿なるにより、深草の里、ことにたよりあり。尽くして書くべからず。これらにて心得べし。
第74段 新古の歌
一には、古歌を取ること、またやうあり。古き歌の中に、をかしき言葉の歌に、立ち入れて飾りとなりぬべきを取りて、わりなく続くべきなり。たとへば、
夏か秋か問へど白玉岩根より離れて落つる谷川の水
これら体なり。しかあるを、古歌を盗むは一の故実とばかり知りて、よきあしき言葉をも見分かず、みだりに取りて、あやしげに続けたる、口惜しきことなり。いかにも現に取るべし。ほの隠したるはいと悪し。
また、古歌にとりて、ことなる秀句をば取るべからず。なにとなく、隠ろへたる言葉の、をかしくとりなしつべきを見はからふにあるなり。ある人、「空に知られぬ雪ぞ降りける」といふ古言を取りて、月の歌に、「水に知られぬ氷なりけり」と詠めりしをば、「これぞまことの盗みよ。さるほどなるなましんみやうの、衣盗みて、小袖になして着たるやうになん覚ゆる」とこそ、人申しはべりしか。
また、御所の御歌合に、暁の鹿を詠みはべりしとき、
今来んと妻や契りし長月の有明の月に牡鹿鳴くなり
この歌は「ことがら優し」とて勝ちにき。されど、定家の朝臣、当座にて難ぜられき。
「かの素性が歌に、わづかに二句こそは変りてはべれ。かやうに多く似たる歌は、その句を置きかへて、上の句を下になしなど、作り改めたるこそよけれ。これはただ本の置き所にて、胸の句と結句とばかり変れるは難とすべし」
となむはべりし。
第75段 仮名の筆
古人いはく、
「仮名にもの書くことは、歌の序は古今の仮名の序を本とす。日記は大鏡のことざまを習ふ。和歌の言葉は伊勢物語、並びに後撰の歌の言葉をまねぶ。物語は源氏に過ぎたるものはなし。みなこれらを思はへて書くべきなり。
いづれもいづれも、かまへて真名の言葉を書かじとするなり。心の及ぶ限りは、いかにもやはらげ書きて、力なきところは真名にて書く。それにとりて、撥ねたる文字、入声の文字の書きにくきなどをば、みな捨てて書くなり。万葉には、新羅をばしらと書けり。古今の序には、喜撰をばきせと書く。これらみなその証なり。
また、言葉の飾りを求めて対を好み書くべからず。わづかに寄り来るところばかりを書くなり。対をしげく書きつれば、真名に似て、仮名の本意にはあらず。これは悪き時のことなり。かの古今の序に、『花に鳴く鶯、水に棲む蛙』などやうに、えさらぬところばかりをおのづから色へたるがめでたきなり。言葉のついでといふは、『菅の根の長き夜』とも、『こゆるぎの急ぎて』とも、『石の上古りぬる』などいふやうなることを、あるいは古きを取り、あるいはめづらしく、巧みなるやうに取りなすべし」。
勝命いはく、
「仮名にもの書くことは、清輔いみじき上手なり。中にも初度の影供の日記、いとをかしく書けり。『花の下に花の客人来たり。柿の下に柿本の影をかけたり』とあるほどなど、ことに見ゆ。仮名の対はかやうに書くべきなり」。
第76段 諸の波の名
波の名はあまたあり。範綱入道がいひけるとて人の語りしは、
「おなみ、さなみ、ささらなみ、はうのてかへし、はまならし、といふ。みなこれ、波の名なり」
といひけれど、いかなるをしかいふと、分きてはいはざりけり。これは、その国のその所にとりていふことにてはべるにや。歌などは、いとも見及びはべらず。顕昭に問ひはべりしかば、
「さなみ、さざなみ、ささらなみ、といふことあり。これはみな小さき波の名なり。言葉の広略なれば、時に従ひて用ゐるなり」
と申しはべりしを、筑紫のしまとといふ所に通ふ者の、ことのついでに語りはべりしは、
「筑紫にとりて南の方、大隅、薩摩のほど、いづれの国とかや忘れたり。大きなる港はべり。そこには、四月、五月には明け暮れ波立ちて、静まる間もなし。四月に立つをばうなみといひ、五月に立つをばさなみとなむ申しはべる」
と言ひき。卯月、皐月といふゆゑにや。いと興あることなり。
第77段 あさり・いさりの差別
ある人いはく、
「あさりといひ、いさりといふは、同じことなり。それにとりて、朝にするをばあさりと名付け、夕にするをばいさりといへり。これ、東の海人の口状なり」
云々。まことに興あることなり。
第78段 五月五日かつみを葺くこと
ある人いはく、
「橘為仲、陸奥の国の守にて下りけるとき、五月五日家ごとに菰を葺きければ、あやしくてこれを問ふ。その時庁官いはく、
『この国には、昔より、今日菖蒲葺くといふことを知らず。しかあるを、故中将の御館の御時、今日は菖蒲葺くものを、尋ねて葺け、とはべりければ、この国には菖蒲無きよしを申しはべりけり。その時、さらば、安積の沼の花かつみといふものあらむ、それを葺け、とはべりしより、かく葺き初めてはべるなり』
とぞ言ひける。中将の御館といふは、実方の朝臣なり」。
第79段 為仲宮城野の萩を掘りて上ること
この為仲、任果てて上りけるとき、宮城野の萩を掘り取りて、長櫃十二合に入れて、持て上りければ、人あまねく聞きて、京へ入りける日は二条の大路にこれを見ものにして、人多く集まりて、車などもあまた立てりけるとぞ。
第80段 頼実が数寄のこと
左衛門尉蔵人頼実は、いみじき数寄者なり。和歌に心ざし深くて、
「五年が命をたてまつらむ。秀歌詠ませたまへ」
と住吉に祈り申しけり。そののち、年経て、重き病を受けたりけるとき、命生くべき祈りどもしけるとき、家にありける女に、住吉の明神憑きたまひて、
「かねて祈り申すことをば忘れたるか、
木の葉散る宿は聞き分くことぞなき時雨する夜も時雨せぬ夜も
といへる秀歌詠ませしは、汝が信をいたして、我に心ざし申ししゆゑなり。されば、この度は、いかにも生くまじきなり」
とぞ仰せられける。
第81段 業平髻切らるること
ある人いはく、
「業平朝臣、二条の后のいまだただ人におはしましけるとき、盗み取りて行きけるに、兄人たちに取り返されたるよしいへり。このこと、また日本紀式にあり。ことざまは、かの物語にいへるがごとくなるにとりて、迎ひ返しけるとき、兄人たち、その憤りを休め難くて、業平の朝臣の髻を切りてけり。しかあれど、誰がためにもよからぬことなれば、人も知らず、心一つにのみ思ひて過ぎけるに、業平朝臣、髪生ほさむとて、籠りて居たりけるほど、歌枕ども見むと数寄にことよせて東の方へ行きにけり」
第82段 小野とはいはじといふこと
「陸奥の国に至りて、かそしまといふ所に宿りたりける夜、野の中に歌の上の句を詠ずる声あり。その言葉にいはく、
秋風の吹くにつけてもあなめあなめ
と言ふ。あやしく覚えて、声を尋ねつつ、これを求むるに、さらに人なし。ただ死人の頭一つあり。明くる朝になほこれを見るに、かの髑髏の目の穴より薄なん一本生ひ出でたりける。その薄の風に靡く音のかく聞こえければ、あやしく思えて、あたりの人にこのことを問ふ。ある人、語りていはく、
『小野小町、この国に下りて、この所にて命終はりにけり。すなはち、かの頭これなり』
と言ふ。ここに業平、あはれに悲しく思えければ、涙を抑へつつ下の句を付けけり。
小野とはいはじ薄生ひけり
とぞ付けける。その野をば玉造と男言ひけり」
とぞはべる。
玉造の小町と小野小町と同じ人か、あらぬ者かと、人々おぼつかなきことに申して争ひはべりし時、人の語りはべりしなり。
第83段 とこねのこと
ある人いはく、
「ある歌合に、五月雨の歌に、『小屋の床寝も浮きぬべきかな』と詠めり。しかあるを、清輔朝臣判者にて、『床寝といふこと、聞きよからず』とて負けたり。この道の博士なれども、このこと心劣りせらる。後撰いはく、
竹近く夜床寝はせじ鶯の鳴く声聞けば朝寝せられず
と詠めり。この歌を思えざるにや」
と云々。
この難、はなはだ拙し。すべて和歌の体を心得ざるなり。そのゆゑは、歌のならひ、世に従ひて用ゐる姿あり。賞する言葉あり。しかあれば、古集の歌とて、みなめでたしと仰ぐべからず。これは古集を軽むるにはあらず。時の風の異なるがゆゑなり。しかあれば、古集の中にさまざまの姿、言葉、一偏ならず。その中に、今の世の風に適へるを見はからひて、これを本として、かつはその体を習ひ、かつはその言葉を盗むべきなり。かの後撰の歌、この頃ならば撰集に入るべくもあらず。題を賞せざるは歌の大きなる失なり。おぼろげの秀逸にあらざれば、これを許さず。次に、「夜床寝はせじ」といひ、「朝寝せられず」といへる、姿、言葉よろしからず。しかあるを、かの「夜床寝」といへる、さしもなき言葉を取りて、なほ夜の字を略して、「床寝」といへる、まことに異様なる言葉なり。これを後撰の威を借りて、僻難と思へるは、よくこの道に暗きなり。



