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『無名抄』原文(2)第16段~第40段|ますほのすすき~(全文ルビ付き)

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『無名抄』の原文を、4ページに分けて全文ルビ付きで掲載しています。このページ(2)には、第16段「ますほのすすき」から第40段「榎葉井」までの章段を収めました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『無名抄』現代語訳(2)をご覧ください。

『無名抄』目次
(1)第1段~第15段原文現代語訳
(2)第16段~第40段原文現代語訳
(3)第41段~第70段原文現代語訳
(4)第71段~第83段原文現代語訳
目次

第16段 ますほのすすき

 雨あめの降ふりける日ひ、ある人ひとのもとに思おもふどちさし集あつまりて、古ふるきことなど語かたり出いでたりけるついでに、

「ますほのすすきといふは、いかなるすすきぞ」

 など言いひしろふほどに、ある老らう人じんのいはく、

「渡わた辺のべといふ所ところにこそ、このこと知しりたる聖ひじりはありと聞ききはべりしか」

 と、ほのぼの言いひ出いでたりけり。

 登とう蓮れん法ほふ師しその中なかにありて、このことを聞ききて、言葉ことば少ずくなになりて、また問とふこともなく、主あるじに、

「蓑みの、笠かさしばし貸かしたまへ」

 と言いひければ、あやしと思おもひながら取とり出いでたりけり。もの語がたりをも聞ききさして、蓑みのうち着き、藁わら沓ぐつさし履はきて、急いそぎ出いでけるを、人ひと々びとあやしがりて、そのゆゑを問とふ。

「渡わた辺のべへまかるなり。年とし頃ごろいぶかしく思おもひたまへしことを、知しれる人ひとありと聞ききて、いかでか尋たづねにまからざらむ」

 と言いふ。驚おどろきながら、

「さるにても、雨あめやめて出いでたまへ」

 と諫いさめけれど、

「いで、はかなきことをものたまふかな。命いのちはわれも人ひとも、雨あめの晴はれ間まなど待まつべきことかは。何なにことも今いま静しづかに」

 とばかり言いひ捨すてて往いにけり。いみじかりける数す奇き者ものなりかし。さて、本ほ意いのごとく尋たづね逢あひて、問とひ聞ききて、いみじう秘ひ蔵さうしけり。

 このこと、第だい三さん代だいの弟で子しにて伝つたへ習ならひてはべり。このすすき、同おなじさまにてあまたはべり。ますほのすすき、まそをのすすき、まそうのすすきとて、三み種くさはべるなり。ますほのすすきといふは、穂ほの長ながくて、一いつ尺しやくばかりあるをいふ。かのます鏡かがみをば、万まん葉えふ集しふには十寸ますの鏡かがみと書かけるにて心こころ得うべし。まそをのすすきといふは、真ま麻その心こころなり。これは俊とし頼より朝あ臣そんの歌うたにぞ詠よみてはべる。まそをの糸いとを繰くりかけて、とはべるかとよ。糸いとなどの乱みだれたるやうなるなり。まそうのすすきとは、まことに蘇す芳はうなりといふ心こころなり。真ま蘇す芳はうのすすきといふべきを、言葉ことばを略りやくしたるなり。色いろ深ふかきすすきの名ななるべし。これ、古こ集しふなどに確たしかに見みえたることなけれど、和わ歌かの習ならひ、かやうの古ふる言ことを用もちゐるも、また世よの常つねのことなり。人ひとあまねく知しらず。みだりに説とくべからず。

第17段 井手の山吹並びに蛙

 ある人ひと語かたりていはく、

「ことの縁えんありて、井ゐ手でといふ所ところにまかりて、一いつ宿しゆくつかまつりたることはべりき。所ところのありさま、井ゐ手で川がはの流ながれたる体てい、心こころも及およびはべらず。かの井ゐ手での大臣おとどの跡あとなればことわりなれど、川かはに立たち並ならびたる石いしなども十じふ余よ丁ちやうばかり、さのみやは遠とほく立たて置おかれけむ、石いしごとにただなほざりのこととは見みえず、わざと立たてたるやうになむはべりし。そこに古こ老らうの者もののはべりしを語かたらひて、昔むかしのことを尋たづねはべりしついでに、

『井ゐ手での山やま吹ぶきとて名なに流ながれたるを、いと見みえはべらぬは、いづくにあるぞ』

と尋たづねはべりしかば、

『さることはべり。かの井ゐ手での大臣おとどの堂だうは一ひと年とせ焼やけはべりにき。その前まへにおびただしく大おほきなる山やま吹ぶき、むらむら見みえはべりき。その花はなの輪わは小こ土器かはらけの大おほきさにて、幾いく重へともなく重かさなりてなむはべりし。それをさやうに申まうしおきてはべるにや。また、かの井ゐ手で川がはの汀みぎはにつきて隙ひまもなくはべりしかば、花はなの盛さかりには黄わう金ごんの堤つつみなどを築つき渡わたしたらむやうにて、他所よそには優すぐれてなむはべりしかば、いづれを申まうしけるにか、今いま分わきがたくはべり。ただし、下げ臈らふのいふかひなくはべることは、かく名な高だかき草くさとてところもおきはべらず、田た作つくるには草くさを刈かり入いれたるがよく出いで来くると申まうして、何なんともなく刈かり取とりはべりしほどに、今いまは跡あともなくなりてはべる。

それにとりて井ゐ手でのかはづと申まうすことこそ、様やうあることにてはべれ。世よの人ひとの思おもひてはべるは、ただ蛙かへるをばみなかはづといふぞと思おもひてはべるめり。それも違たがひはべらず。されど、かはづと申まうす蛙かへるは他ほかにはさらにはべらず。ただこの井ゐ手で川がはにのみはべるなり。色いろ黒くろきやうにて、いと大おほきにもあらず。世よの常つねの蛙かへるのやうにあらはに跳をどり歩ありくことなどもいとはべらず。常つねには水みづにのみ棲すみて、夜よ更ふくるほどにかれが鳴なきたるは、いみじく心こころ澄すみ、ものあはれなる声こゑにてなむはべる。春はる夏なつの頃ころ、必かならずおはして聞ききたまへ』

と申まうしはべりしかど、その後のちとかくまぎれて、いまだ尋たづねはべらず」

 となむ語かたりはべりし。

 このこと心こころにしみて、いみじく覚おぼえはべりしかど、かひなくて三さん年ねんにはなりはべりぬ。また、年としたけては歩あゆびかなはずして、思おもひながらいまだかの声こゑを聞きかず。かの登とう蓮れんが雨あめもよに急いそぎ出いでけむには、たとしへなくなむ。これを思おもふに、今いまより末すゑざまの人ひとは、たとひおのづからことのたよりありて、かしこに行いき臨のぞみたりとも、心こころとどめて聞きかむと思おもへる人ひとも少すくなかるべし。人ひとの数す寄きと情なさけとは、年とし月つきを添そへて衰おとろへゆくゆゑなり。

第18段 関の清水

 ある人ひといはく、

「逢あふ坂さかの関せきの清水しみづといふは、走はしり井ゐと同おなじ水みづぞと、なべて人ひと知しりはべるめり。しかにはあらず。清水しみづは別べつの所ところにあり。今いまは水みづも無なければ、そことも知しれる人ひとだになし。三み井ゐ寺でらに円ゑん実じつ房ばうの阿あ闍ざ梨りといふ老らう僧そうただ一人ひとり、その所ところを知しれり。かかれど、さる跡あとや知しりたると尋たづぬる人ひともなし。

『われ死しなむ後のちは、知しる人ひともなくてやみぬべきこと』

と、人ひとに会あひて語かたりけるよし伝つたへ聞ききて、かの阿あ闍ざ梨り知しれる人ひとの文ふみを取とりて、建けん暦りやくの初はじめの年とし、十じふ月ぐわつ廿日はつかあまりの頃ころ、三み井ゐ寺でらへ行いく。阿あ闍ざ梨り対たい面めんして、

『かやうに古ふるきことを聞きかまほしうする人ひともかたくはべるめるを、めづらしくなむ。いかでか導しるべつかまつらざらむ』

とて、伴ともなひて行いく。関せき寺でらより西にしへ二に、三さん丁ちやうばかり行いきて、道みちより北きたのつらに少すこし立たち上あがれる所ところに、一いち丈ぢやうばかりなる石いしの塔たふあり。その塔たふの東ひんがしへ三さん段だんばかり下くだりて窪くぼなる所ところは、すなはち昔むかしの関せきの清水しみづの跡あとなり。道みちよりも三さん段だんばかりや入いりたらむ。今いまは小こ家いへの後方しりへになりて、当たう時じは水みづも無なくて、見み所どころもなけれど、昔むかしのなごり面おも影かげに浮うかびて、優いうになむ覚おぼえはべりし。阿あ闍ざ梨り語かたりていはく、

『この清水しみづに向むかひて、水みづより北きたに、薄うす檜ひ皮はだ葺ふきたる家いへ、近ちかくまではべりけり。誰たれ人びとのすみかとは知しらねど、いかにもただ人びとの居ゐ所どころにはあらざりけるなめり』

とぞ語かたりはべりし」。

第19段 貫之の家

 ある人ひといはく、

「貫つら之ゆきが年としごろ住すみける家いへの跡あとは、勘か解げ由ゆの小こう路ぢよりは北きた、富とみの小こう路ぢよりは東ひんがしの角すみなり」。

第20段 業平の家

 また、業なり平ひら中ちゆう将じやうの家いへは、三さん条でうの坊ばう門もんより南みなみ、高たか倉くらより西にしに、高たか倉くら面おもてに近ちかくまではべりき。柱はしらなども常つねにも似にず、ちまき柱ばしらといふものにてはべりけるを、いつ頃ころの人ひとのしわざにか、後のちに例れいの柱はしらのやうに削けづりなしてなむはべりし。長押なげしもみなまろに、角かどもなくつひなりて、まことに古こ代だいの所ところと見みえはべりき。中なか頃ごろ、晴せい明めいが封ふうじたりけるとて、火ひにも焼やけずして、その久ひさしさありけれど、世よの末すゑにはかひなくて、一ひと年とせの火ひに焼やけにき。

第21段 周防内侍の家

 また、周す防はうの内ない侍しの「われさへ軒のきのしのぶ草ぐさ」と詠よめる家いへは、冷れい泉ぜい堀ほり川かはの北きたと西にしとの角すみなり。

第22段 浅茂川の明神

 丹たん後ごの国くに与よ謝さの郡こほりに、浅あさ茂も川がはの明みやう神じんと申まうす神かみいます。国くにの守かみの神じん拝ぱいといふことにも、幣みてぐらなどたまひて、数かずまへらるるほどの神かみにてぞおはすなる。これは昔むかし、浦うら島しまの翁おきなの神かみになれるとなむ言いひ伝つたへたる。いと興きようあることなり。もの騒さわがしく箱はこ開あけけむ心こころに、神かみと跡あとをとめたまへるは、さるべき権ごん者じやなどにやありけむ。

第23段 関の明神

 逢あふ坂さかの関せきの明みやう神じんと申まうすは、昔むかしの蝉せみ丸まるなり。かの藁わら屋やの跡あとを失うしなはずして、そこに神かみとなりて住すみたまふなるべし。今いまもうち過すぐるたよりに見みれば、昔むかし、深ふか草くさの御み門かどの御み使つかひにて、和わ琴ごん習ならひに良よし岑みねの宗むね貞さだ、良りやう少せう将しやうとて通かよはれけむほどのことまで面おも影かげに浮うかびて、いみじくこそはべれ。

第24段 和琴の起こり

 ある人ひといはく、

「和わ琴ごんの起おこりは、弓ゆみ六む張はりを引ひき鳴ならして、これを神楽かぐらに用もちゐけるを煩わづらはしとて、後のちの人ひとの琴ことに作つくりうつせると申まうし伝つたへたるを、上総かづさの国くにの済さい物もつの古ふるき注ちゆう文もんの中なかに弓ゆみ六む張はりと書かきて、注ちゆうに御み神楽かぐらの料れうと書かけり」

 とぞ。いみじきことなり。

第25段 中将の垣内

 河かふ内ちの国くに高たか安やすの郡こほりに、在ざい中ちゆう将じやうの通かよひ住すみけるよしは、かの伊い勢せ物もの語がたりにはべり。されど、その跡あといづくとも知しらぬを、かしこの土ど民みんの説せつに、その跡あと定さだかにはべりとなむ。今いま、中ちゆう将じやうの垣かい内とと名な付づけたる、すなはちこれなり。

第26段 人麻呂の墓

 人ひと麻ま呂ろの墓はかは、大和やまとの国くににあり。初はつ瀬せへ参まゐる道みちなり。人ひと麻ま呂ろの墓はかと言いひて尋たづぬるには、知しる人ひともなし。かの所ところには歌うた塚づかとぞいふなる。

第27段 貫之・躬恒の勝劣

 俊しゆん恵ゑ法ほふ師し語かたりていはく、

「三さん条でうの大だい相しやう国こく、非ひ違ゐの別べつ当たうと聞きこえけるとき、二に条でうの帥そちと二人ふたりの人ひと、躬み恒つね、貫つら之ゆきが劣おとり勝まさりを論ろんぜられけり。かたみにさまざま言葉ことばを尽つくして争あらそはれけれど、さらにこときるべもあらざりければ、帥そちいぶかしく思おもひて、

『御み気け色しきを取とりて切きらむ』

とて、白しら河かは院ゐんに御み気け色しきたまはる。仰おほせていはく、

『我われはいかでか定さだめむ。俊とし頼よりなどに問とへかし』

と仰おほせごとありければ、ともにその便びんを待またれけるほどに、二に、三さん日にちありて、俊とし頼より参まゐりたりけり。帥そちこのことを語かたり出いでて、初はじめ争あらそひそめしより、院ゐんの仰おほせのおもむきまで語かたられければ、俊とし頼より聞ききて、たびたびうちうなづきて、

『躬み恒つねをば、なあなづらせたまひそ』

と言いふ。帥そち思おもひのほかに覚おぼえて、

『されば貫つら之ゆきが劣おとりはべるか。ことをきりたまふべきなり』

と責せめけれど、なほなほただ同おなじやうに、

『躬み恒つねをば、あなづらせたまふまじきぞ』

と言いひければ、

『おほしおほしことがら聞きこえはべりにたり。おのれが負まけになりぬるにこそ』

とて、からきことにせられけり。まことに躬み恒つねが詠よみ口くち、深ふかく思おもひ入いれたる方かたは、またたぐひなき者ものなり」

 とぞ。

第28段 俊頼の歌を傀儡歌ふこと

 富ふ家けの入にふ道だう殿どのに俊とし頼より朝あ臣そん候さぶらひける日ひ、鏡かがみの傀儡くぐつども参まゐりて歌うたつかうまつりけるに、神かみ歌うたになりて、

世よの中なかは憂うき身みに添そへる影かげなれや思おもひ捨すつれど離はなれざりけり

 この歌うたを歌うたひ出いでたりければ、「俊とし頼より、至いたり候さぶらひにけりな」とて居ゐたりけるなむ、いみじかりける。

 永えい縁えん僧そう正じやう、このことを伝つたへ聞ききて、羨うらやみて、琵び琶は法ほふ師しどもを語かたらひて、さまざま物もの取とらせなどして、わが詠よみたる、「いつも初はつ音ねの心ここ地ちこそすれ」といふ歌うたを、ここかしこにて歌うたはせければ、時ときの人ひと、ありがたき数す寄き人びととなむ言いひける。

 今いまの敦あつ頼より入にふ道だう、またこれを羨うらやましくや思おもひけむ、物ものも取とらせずして、めくらどもに「歌うたへ歌うたへ」と責せめ歌うたはせて、世よの人ひとに笑わらはれけりと。

第29段 同人、歌に名字を詠むこと

 法ほつ性しやう寺じ殿どのに会くわいありけるとき、俊とし頼より朝あ臣そん参まゐりたりけり。兼かね昌まさ講かう師じにて歌うた読よみ上あぐるに、俊とし頼よりの歌うたに名なを書かかざりければ、見み合あはせて、うちしはぶきて、「御ご名めいはいかに」と忍しのびやかに言いひけるを、「ただ読よみたまへ」と言いはれければ、読よみける歌うたに、

卯うの花はなの身みの白しら髪がとも見みゆるかな賤しづが垣かき根ねもとしよりにけり

 と書かきたるを、兼かね昌まさ下した泣なきして、しきりにうなづきつつめで感かんじけり。殿との聞きかせたまひて、召めして御ご覧らんじて、いみじう興きようぜさせたまひけりとぞ。かの三さん首しゆの題だいを歌うた一いつ首しゆに詠よみたりけむ心こころばせには、ややまさりてこそはべれ。

第30段 三位入道、基俊の弟子になること

 五ご条でう三さん位み入にふ道だう語かたりていはく、

「そのかみ年とし二に十じふ五ごなりしとき、基もと俊としの弟で子しにならむとて、和泉いづみ前ぜん司じ道みち経つねを中なか立だちにて、かの人ひとと車くるまに相あひ乗のりて、基もと俊としの家いへに行いき向むかひたることありき。かの人ひと、その時とき八はち十じふ五ごなり。その夜よ八はち月ぐわつ十じふ五ご夜やにて、さへありしかば、亭てい主しゆことに興きように入いりて、歌うたの上かみの句くを言いふ。

中なかの秋あき十日とをか五日いつかの月つきを見みて

と、いとやうやうしくながめ出いでられたりしかば、予よこれを付つく。

君きみが宿やどにて君きみと明あかさむ

と付つけたりけるを、何なにのめづらしげもなきを、いみじう感かんぜられき。さて、のどかに物もの語がたりして、

『久ひさしう籠こもり居ゐて、今いまの世よの人ひとのありさまなどもえ知しりたまへず。この頃ころ誰たれをかもの知しりたる人ひとにはつかまつりたる』

と問とはれしかば、

『九く条でう大だい納な言ごん(伊これ通みち大臣おとど)、中なかの院ゐんの大臣おとど(雅まさ定さだ大臣おとど)などをこそ、心こころにくき人ひとには思おもひてはべるめれ』

と申まうししかば、

あないとほしとて膝ひざを叩たたきて、扇あふぎをなむ高たかく使つかはれたりし。かやうに師し弟ていの契ちぎりをば申まうしたりしかど、詠よみ口くちに至いたりては、俊とし頼よりには及およぶべくもあらず。俊とし頼よりいとやむごとなき者ものなり」

 とぞ。

第31段 俊頼・基俊挑むこと

 ある人ひといはく、

「基もと俊としは、俊とし頼よりをば蚊ぶん虻ばうの人ひととて、

『さはいふとも、駒こまの道みち行ゆくにてこそあらめ』

と言いはれけれど、俊とし頼よりは返かへり聞ききて、

『文ふみ時とき、朝あさ綱つな詠よみたる秀しう歌かなし。躬み恒つね、貫つら之ゆき作つくりたる秀しう句くなし』

とぞ、のたまひける」。

第32段 腰の句のをはりのて文字、難のこと

 またいはく、

「雲うん居ご寺じの聖ひじりのもとに、秋あきの暮くれの心こころを、俊とし頼より朝あ臣そん、

明あけぬともなほ秋あき風かぜの訪おとづれて野の辺べの気け色しきよ面おも変がはりすな

名なを隠かくしたりけれど、これをさよと心こころ得えて、基もと俊としいどむ人ひとにて、難なんじていはく、

『いかにも歌うたは腰こしの句くの末すゑに、て文字もじ据すゑつるに、はかばかしきことなし。障さはへていみじう聞ききにくきものなり』

と、口くち開ひらかすべくもなく難なんぜられければ、俊とし頼よりはともかくも言いはざりけり。その座ざに伊い勢せの君きみ琳りん賢けんがゐたりけるなむ、

『異ことやうなる証しよう歌かこそ、一ひとつ覚おぼえはべれ』

と言いひ出いでたりければ、

『いでいで、承うけたまはらむ。よもことよろしき歌うたにはあらじ』

と言いふに、

桜さくら散ちる木この下した風かぜは寒さむからで

と、はてのて文字もじを長なが々ながとながめたるに、色いろ真ま青さをになりて、ものも言いはずうつぶきたりける時ときに、俊とし頼より朝あ臣そんは忍しのびに笑わらはれけり」

第33段 琳賢基俊をたばかること

「いかなりけるにか、琳りん賢けんは基もと俊としと仲なかの悪あしかりければ、たばからむと思おもひて、ある時とき、後ご撰せんの恋こひの歌うたの中なかに、人ひともいと知しらず、耳みみ遠どほきが限かぎり二に十じつ首しゆを撰えり出いだして、書かき番つがひてかの人ひとのもとへ持もて往いにけり。

『ここに人ひとの異ことやうなる歌うた合あはせをして、勝かち負まけを知しらまほしくつかまつるに、付つけてたまはらむ』

とて取とり出いでたりければ、これを見みて、後ご撰せんの歌うたといふこと、ふつと思おもひもよらず、思おもふさまにやうやうに難なんぜられたりけるを、ここかしこに持もて歩ありきて、

『左さ衛ゑ門もんの佐すけにあひ申まうしたれば、梨なし壺つぼの五ご人にんが計はからひもものならず。あはれ、上じやう古こにもすぐれたまへる歌か仙せんかな。これ見みたまへ』

とて軽きやう慢まんしければ、見みる人ひといみじう笑わらひけり。基もと俊とし返かへり聞ききて、やすからず思おもはれけれど、かひなかりけり」。

第34段 基俊僻難すること

 俊しゆん恵ゑいはく、

「法ほつ性しやう寺じ殿どのにて歌うた合あはせありけるに、俊とし頼より、基もと俊とし、二人ふたり判はん者じやにて、名なを隠かくして当たう座ざに判はんしけるに、俊とし頼より歌うたに

口くち惜をしや雲くも井ゐ隠がくれにすむたつも思おもふ人ひとには見みえけるものを

これを基もと俊とし、鶴つると心こころ得えて、

『鶴つるは沢さはにこそ棲すめ。雲くも井ゐに棲すむことやはある』

と難なんじて負まけになしてけり。されど、俊とし頼よりその座ざには言葉ことばも加くはへず。そのとき、殿でん下か、

『今宵こよひの判はんの言葉ことば、おのおの書かきて参まゐらせよ』

と仰おほせられけるときなむ、俊とし頼より朝あ臣そん、

『これは田た鶴づにてはあらず。竜たつなり。かのなにがしとかやが、竜たつを見みむと思おもへる心こころざしの深ふかかりけるにより、かれがために現あらはれて見みえたりしことのはべるを詠よめるなり』

と書かきたりける。基もと俊とし弘くわう才さいの人ひとなれど、思おもひわたりけるにや。すべては思おもふはかりもなく、人ひとのことを難なんずる癖くせのはべりければ、ことにふれて失しつ多おほくぞありける」。

第35段 艶書に古歌書くこと

 ある人ひと、女をんなのもとより文ふみを得えたり。その文ふみに歌うた二に首しゆあり。

「これ返かへししてたまはせよ」

 とあつらへはべるを見みれば、この歌うた二に首しゆながら古こ今きんの恋こひの歌うたなり。返かへしをすべきにあらず。いかがせましと思おもひめぐらして、そのいはまほしき心こころにかなへる古こ歌か二に首しゆをなむ教をしへて書かかせてはべりし。

 このことをある古ふるき人ひとに語かたりはべりしかば、

「いみじきことなり。昔むかし、色いろ好ごのみのわざとも好このみてしけるわざなり。知しらぬを推おし量はからひたること、往わう事じにかなへる、優いうなることなり」

 となむ感かんじはべりし。

第36段 女の歌詠みかけたる故実

 勝しよう命みやう談かたりていはく、

「しかるべき所ところなどにて、無む心しんなる女によう房ばうなどの歌うた詠よみかけたる、術じゆつ無なきこと多おほかり。それは故こ実じつのあるなり。まづ、え聞きかぬよしに空そらおぼめきして、たびたび問とふ。されば、後のちには恥はぢしらひて、定さだかにも言いはず。これを扱あつかふほどに返かへし思おもひ得えたれば言いひつ、詠よみ得うべくもあらねば、やがておぼめきてやみぬる、一ひとつのことなり。また、生なま宮みや仕づかへ人びとにもあれ、さるべきされたる女をんななどの、添そへことと名な付づけて、聞きき知しらぬ歌うたの一いち両りやう句くなどを言いひ掛かくることあり。もし心こころ得えたらば、いかにも言いひつべし。知しらぬことならば、ただよもさしも思おぼされじなど、うち言いひてあるべし。これは何方いづかたにも違たがはぬことなり。深ふかく思おもふぞといふ心こころにも、また、憂うし、辛つらしといふ心こころにも、おのづから通つう用ようしつべし。心こころづきなきよしに言いひたらむにこそ、心こころをやりたるやうなるべけれ、それもされたる戯たはぶれに言いひなせるさまにもなりぬべきなり」。

第37段 猿丸大夫が墓

 ある人ひといはく、

「田たな上かみの下しもに曽そ束つかといふ所ところあり。そこに猿さる丸まる大だい夫ふが墓はかあり。庄しやうの境さかひにて、そこの券けんに書かき載のせたれば、みな人ひと知しれり」

第38段 黒主、神になること

「また、志し賀がの郡こほりに、大だい道だうより少すこし入いりて、山やまぎはに、黒くろ主ぬしの明みやう神じんと申まうす神かみいます。これは、昔むかしの黒くろ主ぬしが神かみになれるなり」

第39段 喜撰が跡

「また、御み室むろ戸どの奥おくに、二に十じふ余よ丁ちやうばかり山さん中ちゆうへ入いりて、宇う治ぢ山やまの喜き撰せんが棲すみける跡あとあり。家いへは無なけれど、堂だうの礎いしずゑなど定さだかにあり。これら必かならず尋たづねてみるべきなり」。

第40段 榎葉井

 ある人ひといはく、

「宮く内ない卿きやう有あり賢かた朝あ臣そん、時ときの殿てん上じやう人びと七しち、八はち人にん相あひ伴ともなひて、大和やまとの国くに葛かづら城きの方かたへ遊あそびに行いかれたることありけり。その時とき、ある所ところに、荒あれたる堂だうの大おほきにやうやうしきが見みえければ、あやしくて、その名なを逢あふ人ひとごとに問とひけれど、知しれる人ひともなかりけり。かかる間あひだに、ことの外ほかに鬢びん白しろき翁おきな、一人ひとりまみえけり。これはしもやうあらむとて尋たづねければ、

『これをば豊とよ浦らの寺てらとぞ申まうす』

と言いふ。人ひと々びと、いみじきことなりと返かへす返がへす感かんじて、

『さるにては、この辺あたりに榎えの葉は井ゐといふ井ゐやある』

と問とふ。

『みなあせて、水みづもはべらねど、跡あとは今いまにはべり』

とて、堂だうより西にし幾いく程ほども去さらぬほどに行いきて教をしへければ、人ひと々びと興きように入いりて、やがてそこに群むれ居ゐて、葛かづら城きといふ歌うた数す十じつ返ぺん唱うたひて、この翁おきなに衣きぬども脱ぬぎてかづけたりければ、覚おぼえぬことにあひて、喜よろこびかしこまりて去さりにけり」

 とぞ。

 近ちかく、土つち御み門かどの内ない大だい臣じん家けに、月つきごとに影えい供ぐせられけることのはべりし頃ころ、忍しのびて御ご幸かうなどのなるときもはべりき。その会くわいに、古こ寺じ月げつといふ題だいに詠よみてたてまつりし、

古ふりにける豊とよ浦らの寺てらの榎えの葉は井ゐになほ白しら玉たまを残のこす月つき影かげ

 五ご条でう三さん位み入にふ道だうこれを聞ききて、

「優やさしくもつかうまつれるかな。入にふ道だうがしかるべからんとき、取とり出いでむと思おもひたまへつることを、かなしく先さきぜられにたり」

 とて、しきりに感かんぜられはべりき。このこと、催さい馬ば楽らの言葉ことばなれば、誰たれも知しりたれど、これより先さきには歌うたに詠よめること見みえず。その後のちこそ、冷れい泉ぜいの中ちゆう将じやう定さだ家いへの歌うたに詠よまれてはべりしか。

『無名抄』目次
(1)第1段~第15段原文現代語訳
(2)第16段~第40段原文現代語訳
(3)第41段~第70段原文現代語訳
(4)第71段~第83段原文現代語訳
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