このページでは、鴨長明『発心集』第6巻(第63話~第75話)の現代語訳全文を掲載しています。原文の内容を保ちながら、言葉や文法を一つずつ置き換える逐語訳ではなく、わかりやすさを重視した自然な口語訳にしました。また、人名・地名・仏教語などの読みにくい漢字には、現代仮名遣いによる振り仮名を付けています。
原文と照らし合わせたい方は、『発心集』第6巻 原文全文(ふりがな付き)をご覧ください。現代語訳にあたっては、本文の解釈や段落分けについて、以下の文献を参考にしています。
第63話 中ごろ、三井寺に智興内供といひて
昔、三井寺に、智興内供という尊い僧がいた。
智興が年を取ったころ、どのような前世からの報いだったのか、重い病気になり、いよいよ最期を迎えようとしていた。
弟子たちは枕元へ集まり、泣き悲しんだ。
その時、安倍晴明という、神のようにすぐれた陰陽師がいた。晴明は智興の病状を見ると、こう言った。
「今回の病は、前世から定められた寿命が尽きる時に起きたものです。どのように祈っても、助けることはできません」
「ただし、心から師を慕う弟子の中に、自分の命と引き換えにしたいと願う者がいるなら、身代わりの祭りを行うことはできます。それ以外に、助ける方法はありません」
そこには大勢の弟子が集まっていた。
智興は病の苦しさに耐えきれず、
「もしかすると、私の身代わりになってくれる者がいるかもしれない」
と思い、並んでいる弟子たちを、一人ずつ見回した。
しかし、口では師のために命も惜しまないと言えても、実際に自分の命を捨てることは難しい。
弟子たちは皆、顔色を変え、うつむいた。一人として、
「私が身代わりになります」
という様子を見せなかった。
その中に、証空阿闍梨という若い僧がいた。
弟子の中では、まだ立場の低い者だったので、誰も証空が名乗り出るとは思っていなかった。
ところが証空は進み出て、智興へ申し上げた。
「私が、あなたの身代わりになります」
「仏の教えを重んじ、自分の命を軽く見ることが、師へ仕える者の道です。この話を聞きながら、どうして自分の命を惜しめるでしょう」
「どうせ、いつかはむなしく捨てる体です。今ここで、過去、現在、未来のすべての仏へささげ、人間として生まれた思い出にします。少しも惜しくはありません」
「ただ、私には八十歳になる母がいます。母の子は、私一人だけです。何も言わずに死ねば、母も悲しみのため命を失うでしょう」
「よく事情を説明して許しを得たあと、お別れを申し上げ、戻ってまいります」
証空はそう言い、席を立った。
智興をはじめ、そこにいた人々は皆、涙を流し、深く心を動かされた。
証空は母のもとへ帰り、事情を話した。
「どうか、悲しまないでください」
「たとえ私が望みどおり母上より長く生き、亡くなったあとの供養をしたとしても、今回ほど大きな功徳を積むことは、まずできません」
「今、師から受けた恩を重んじ、その命の代わりになれば、あらゆる仏が私を哀れみ、天の神々も地上の神々も、心を動かされるでしょう」
「その功徳を、母上が来世で悟りを得るために、すべて差し上げます。それこそ、本当の親孝行です」
「この取るに足りない体一つを捨てることで、師と母上、二人から受けた恩へ報いることができます」
「それに、老人が先に死に、若者があとに死ぬと決まっているわけではありません。もし私が突然死に、母上より先にこの世を去ったなら、その時に悔やんでも何にもなりません」
「そうなれば、私はこの世で、何一つ心に残ることをできないまま終わってしまいます」
証空は泣きながら話した。
母が驚き、涙を流して悲しんだのも当然である。
それでも母は、やがて言った。
「愚かな私には、どれほど大きな功徳になるのかは分かりません」
「あなたが幼かったころは、私が育てました。けれど私が年を取り、命も終わりへ近づいた今、あなたを天や地のように頼りにしています」
「今日死ぬか、明日死ぬかも分からない年になってから、私を残し、自分から先に死のうとすることは、本当につらく、悲しいことです」
「それでも、あなたの志の深さを思えば、師の命の身代わりになることで、あなたが来世に救われることは間違いないでしょう」
「私が許さなければ、仏も私を愚かだと思われるでしょうし、あなたの願いにも背くことになります」
「本当に、年寄りが先に死に、若者があとに死ぬとは限りません。考えてみれば、どちらが先でも、夢や幻のような違いにすぎません」
「もう、あなたの思うようにしなさい。早く極楽へ生まれ、今度は私を救ってください」
母は涙を押さえながら、そう言った。
証空は泣きながら母の許しを喜び、師のもとへ戻った。
すぐに自分の年齢と名前を書き、晴明のもとへ送った。そして、
「今夜、師の命と私の命を入れ替える祈りを行ってください」
と伝えた。
夜がだんだん更けていくと、証空の頭が痛み始めた。気分が悪くなり、体は熱を持ち、耐えられないほど苦しくなった。
証空は自分の僧房へ戻り、死後に人から見られては困る手紙などを、きちんと片づけた。
そして長年、信仰してきた絵の不動明王へ向かい、申し上げた。
「私はまだ若く、元気な年齢ですから、命が惜しくないわけではありません。それでも師から受けた深い恩を思い、今、その命の身代わりになろうとしています」
「私は十分に修行していないので、死後のことが、とても恐ろしいのです。どうか明王よ、私を哀れみ、地獄や餓鬼の世界へ落とさないでください」
「病の苦しみが、今にもこの体を押しつぶしそうです。もう一瞬も耐えられません。このご本尊を拝めるのも、今が最後です」
証空は泣きながら祈った。
その時、絵に描かれた不動明王の目から、血の涙が流れた。
「お前は師の身代わりになる。ならば私は、お前の身代わりになろう」
その声が、骨の奥まで響き、肝に染みた。
証空は、
「願いがかなった」
と手を合わせ、じっと祈り続けた。
すると汗が流れ、熱かった体が冷えて、たちまち気分がさわやかになった。
智興も、その日から病状がよくなった。
この出来事を聞いた智興が、証空を心から大切に思わないはずがない。
その後、証空は、ほかの誰よりも智興から信頼される弟子になった。
あの不動明王の絵は、のちに受け継がれ、白河上皇のもとへ渡った。
常住院の泣不動と呼ばれるのが、この絵である。目から涙を流す姿が、実にはっきり描かれていたという。
証空阿闍梨は、もとは空也上人に仕えた少年だった。
空也上人が腕を折った時、余慶僧正が祈祷して治したことがあった。そのお礼に空也上人が、
「この子は、仏道の器となる者です」
と言って余慶僧正へ差し上げた少年が、証空だったのである。
第64話 一乗寺の僧正かくれたまひて後
一乗寺の僧正が亡くなり、最後の法要が行われた日のことである。
朝から、壺装束を着た若い女房が、涙をこらえながら、寺の向かい側に立っていた。
人々は不思議に思った。しかし法要の日で忙しく、わざわざ事情を尋ねる者はいなかった。
仏事が始まると、その女房は参列者の中へ入り、説法を聞いた。
初めから終わりまで、少しも休まず泣き続けている。その悲しみ方は普通ではなく、周りの目を引いた。
ある人が言った。
「あの女房は、いったい何者だ。これほど人の集まる所で目立っていれば、僧正と特別な関係があったなどと、悪く考える者がいるかもしれない。亡くなった僧正の評判まで傷つけることになる。追い出した方がよい」
別の人は反対した。
「何か事情があるのだろう。説法を聞いて泣いている人を、どうして追い出せるのか。それではあまりに思いやりがない。まず理由を尋ねるべきだ」
人々が落ち着かず話し合っているうちに、法要は終わった。
参列者が少しずつ帰り始めても、女房はますます激しく泣き、急いで出ていこうとしない。
何度も振り返りながら、立ち去ることもできずにいる。
年は二十歳ほどだろうか。顔立ちも美しかったが、化粧はすべて涙で洗い流され、心の底から悲しんでいる様子だった。
どうしても事情を知りたくなり、ある人が近づいて理由を尋ねた。
女房は答えた。
「私は、亡くなられた僧正さまから、深いお情けを受けた者です。隠すようなことではありません」
「私は昔、捨て子でした。河原へ捨てられていたところを、僧正さまが外出の途中で見つけ、かわいそうに思ってくださいました」
「そして、ある大童子へ私を預け、育てるよう命じてくださったのです。私は、すべて僧正さまのお情けによって、一人前になることができました」
「ところが私が十三歳の時、育ての親である夫婦が、二人そろって重い病気になり、亡くなりました」
「頼れる人がいなくなり、夫婦の親類のもとを訪ねながら、行くあてもなく暮らしていました」
「それも運命だったのでしょう。思いがけない縁があり、一年間、后の宮へ、身分の低い女房として仕えることになりました」
「今は高貴な方のもとへ仕えているので、暮らしに困ることはありません」
「けれど、実の父や母が今も生きているのか、私は知りません。私を育ててくれた両親も、もうこの世にはいません」
「頼れる身内が一人もいない心細い身の上を考えると、こうして生きていること自体が、不思議に思われます」
「人の命は、あっけなく消えていたかもしれない。そのことを思うたび、僧正さまから受けたお情けのありがたさを、一瞬も忘れることができませんでした」
「毎朝、鏡に映る自分の姿を見ても、誰のおかげで、ここまで人らしく生きられたのだろうと思いました」
「新しい装束をいただいた時や、何か名誉に思えることがあった時にも、いつも僧正さまの姿を心へ思い浮かべました。そして涙を流し、受けた恩へ報いることの難しさを感じていたのです」
「けれど、私は身分の低い、どこの誰とも分からない女です。僧正さまへ近づき、自分の思いを直接申し上げる方法がありませんでした」
「血のつながりもない私を、ただ哀れんで助けてくださった。そのご恩を喜び、感謝を伝えようとしても、自分の立場を考えると、ためらわずにはいられませんでした」
「もし私が男だったなら、どのような仕事でもして、僧正さまのおそばへ仕えたかった」
「何もできない女の身であることを恨みながら、むなしく年月を過ごしました」
「それでも僧正さまが生きておられた間は、何となく心強く感じられました」
「宮仕えを始めたあとも、遠くからお姿を拝めるだけで、最高にうれしいことがあったように思えました。それを慰めにして、これまで生きてきたのです」
「ところが、お亡くなりになったと聞いた時、世界が真っ暗になったように感じました。これからも生き続けようとは、とても思えませんでした」
「今日が最後の法要だと聞き、もう、これほど僧正さまの面影を感じられる日はない。お別れできるのは今日だけだと思いました」
「本当は宮仕えを休めない日でしたが、事情を話して休みをいただき、朝からこの寺の周りに立っていたのです」
「今、法要が終わり、帰ろうとしても、涙で何も見えません。帰り道さえ、分からないのです」
女房は最後まで話せず、声を上げて泣いた。
話を聞いた人々は皆、深く心を動かされた。
先ほど、
「追い出してしまえ」
と言っていた人まで、涙を流して女房を哀れんだ。
人は、珍しく、身近に感じられる出来事を重く見る。
そのため、何事についても、その場で目に見える形の恩を受ければ、喜んで感謝する。
しかしこの女房のように、長い年月が過ぎても、遠く離れた人から受けた恩を忘れず、いつも心にかけ続けることは、めったにできない。
どれほど恩を理解している人でも、年月が積み重なれば、受けた直後と同じ気持ちではいられないものだ。
昔、村上天皇からいただいた衣を、生涯一度も脱がずに亡くなった人がいた。その話は、恩を忘れない珍しい例として、今も語り伝えられている。
それに比べても、名もない女の心に、僧正への感謝がこれほど深く、尽きることなく残り続けた。その情の深さは、やはりほかに例がない。
第65話 堀河院位におはしましける時
堀河天皇が位に就いていたころ、国はよく治まり、人々は安心して、穏やかに暮らしていた。
近い時代では、後三条天皇の治世が、すばらしい時代の例として語られていた。
しかし堀河天皇は、政治にすぐれているだけでなく、情が深く、風雅で優しい心まで、さらにすぐれていた。
人々は、
「中国でいえば、玄宗皇帝の天宝年間のようだ。日本も、醍醐天皇や村上天皇の、賢く栄えた時代へ戻った」
と、身分の高い者も低い者も喜んだ。
そのころ、身分は低いが、蔵人所に仕え、朝から晩まで天皇のために働いている男がいた。
男は、自分には及ばない高貴な方だと分かりながら、堀河天皇の人柄を、この上なくすばらしいと思い、心から慕っていた。
自分が出世したいとは、少しも考えなかった。
「このようなすばらしい時代に生まれ、宮中で毎日を過ごせる。それだけで、どんな悲しみも忘れられる」
そう思い、ひたすら心を込めて仕えた。
けれど、取るに足りない身分だったため、その思いが天皇へ伝わる機会はなかった。
やがて、賢い人も愚かな人も避けられない無常が訪れた。
盛りの花が雨や風にしおれるように、堀河天皇は亡くなった。
少しでも物事の分かる人は、自分一人の身に起きた不幸のように嘆いた。その悲しみ方は、当然と思える程度を超えていた。
あの男も、天皇が亡くなった日から、生きていながら、生きていないようになった。
夜が明けたことも、日が暮れたことも分からないような姿で、御所へ通い続けた。
ついには髪を下ろして出家し、あちらこちらで説法を聞いて歩いた。
しかし誰とも話さず、何をすることもない。セミの抜け殻のようで、生きている人には見えなかった。
男はいつも、あらゆる仏や神へ、
「堀河天皇が、どこへ生まれ変わられたのか、お示しください」
と、心を一つにして祈り続けた。
何年もたったあと、夢の中で、
「堀河天皇は、西の海で大きな竜になっておられる」
と告げられた。
男は、それを聞いて、この上なく喜んだ。
すぐに九州へ向かい、東風が激しく吹く日、船へ乗って海へこぎ出した。
しばらくの間、船は波の間に揺れながら見えていた。しかし、やがてどこへ行ったのか分からなくなった。
それを見ていた人々は涙を流し、当時の世間で語り合ったという。
何事も、深い志によって実現する。
男は身を変え、必ず大竜となった堀河天皇のもとへ行き、再びお仕えしたことだろう。
そもそも人の世では、身分に関係なく、本当に大切に思っていた相手が、予想もしなかった行動をすることが多い。
親しいか、親しくないかは関係ない。相手から大切にされたか、振り向いてもらえなかったかも関係ない。
ほとんど交流のなかった人が、相手のために命を捨てることがある。
反対に、長年深く信頼し合ってきた人が、他人より冷たくなる例も多い。
それは、前世から結ばれていた縁によるのだろう。
堀河天皇が一度だけでも生き返り、あの男の深い思いを知ってくださればよかったのにと思う。
第66話 昔、男ありけり
昔、ある男がいた。
男には二人の息子がいた。兄は前の妻が産んだ子で、弟は今の妻が産んだ子だった。
それでも兄は、継母を少しもおろそかに扱わなかった。亡くなった実の母と同じように、心を込めて親孝行をした。
継母もまた、兄を実の子より劣るとは思わず、大切に育てた。
二人の息子が成長したあと、父が重い病気になった。
最期を迎えようとした時、父は妻へ言った。
「これまで、あなたが兄の子を大切に育ててくれたことは、何かあるたびに分かっていました。だから、死んだあとを心配する必要はないと思っています」
「それでも、残していく家族のことを考えると、やはりあの子がかわいそうに思われます」
「私のことを深く思ってくれるなら、あの子を私の形見だと思い、これからも大切にしてください」
父は泣きながらそう言い残し、亡くなった。
その後、母は夫の言葉に背かず、兄を実の弟以上に大切にした。
やがて二人とも大人になり、兄は妻を迎えた。
この妻はたいそう美しく、姿を見た多くの男が心を動かされた。
その中に、毎日朝廷へ仕え、身分に似合わないほど威張っている男がいた。
天皇から知られ、目をかけられていることを頼みにしていたのだろう。
男は夫を恐れることもなく、夜になるたび兄の妻のもとへ通った。時には人目もはばからず、堂々と姿を現した。
弟はそれを見ると、我慢できなくなった。
あとのことも考えず飛び出し、その男を殺してしまった。
隠そうとしたが、事件は世間へ知れ渡り、弟はすぐ捕らえられた。
殺された男の親類は、
「一刻も早く、犯人を死刑にしてください」
と激しく訴えた。
天皇も、この罪を軽いものとは考えなかった。検非違使は命令を受け、弟を処刑しようとした。
すると兄が進み出て、申し上げた。
「弟は、自分のためにあの男を殺したのではありません。すべて、私の妻が原因です。どうか私を処罰してください」
弟は反論した。
「兄は、あの女の夫というだけです。何一つ罪を犯していません。殺したのは私なのですから、私が処罰を受けます」
兄弟が互いに罪を引き受けようと争うので、天皇も判断に困った。
「処罰するのは一人でなければならない。しかし二人の言い分には、どちらにも理由がある」
「それなら母を呼び、母が選んだ方を処罰しよう」
そう決め、母を呼び出して、事情を説明した。
母はしばらく思い悩み、涙を流しながら、
「弟の方を処罰してください」
と申し上げた。
検非違使は意外に思い、その理由を尋ねた。
母は答えた。
「兄は、私の継子です。弟は、私が産んだ本当の子です」
「しかし兄は幼いころから、私を実の母として頼ってくれました。私も実の子に劣るとは、少しも思っていません」
「まして夫が亡くなる時、兄のことを心から頼んでいきました。その言葉は今も心の底へ残り、昔を思い出すたび、たった今聞いたように感じられます」
「たとえ自分の産んだ子を何人失うことになっても、兄だけは助けようと、私は決めてきました」
「夫が亡くなってから、二人を左右に座らせ、兄を夫の形見と思い、弟を自分自身のように頼り、あらゆる悲しみを慰めながら生きてきました」
「それなのに今、二人のどちらかが処罰されようとしています。すべては、私の運が悪かったためでしょう」
その場にいた人々は皆、涙を流し、母の心を哀れんだ。
弟の死刑を強く求めていた被害者の親類まで、深く心を動かされた。
この話を聞いた天皇は、
「この三人は、そろって尊い心を持つ者である。刑を軽くし、許してやりなさい」
と命じた。
継子を救うため、わが子を犠牲にしようとした母の心は、あの山蔭中納言の母の話さえ比べものにならない。
ただしこの話は、中国の晋の時代に語られた三人の賢者の物語と似ている。
もしかすると、その話が形を変えて伝えられたものかもしれない。
第67話 西行法師出家しける時
西行法師が出家した時、家や財産のことは、弟である男へ任せた。
西行には幼い娘がいた。特にかわいがっていたので、さすがに見捨てることは難しかった。
「この子を、いったいどうすればよいだろう」
そう考えたが、安心して預けられる人を、ほかに思いつかなかった。
そこで弟へ、
「この子を自分の娘だと思い、どうか大切に育ててほしい」
と、心を込めて頼んだ。
それから西行は、あちらこちらを歩いて修行した。そうして二、三年が、いつの間にか過ぎた。
ある用事で京の近くへ戻った時、偶然、弟の家の前を通った。
西行は、ふと娘のことを思い出した。
「あの子も、もう五歳ほどになっただろう。どのように育っているのだろうか」
心配になったが、自分が父親だとは名乗らず、門のあたりから家の中をのぞいた。
ちょうど娘が、ひどく粗末な単衣を着て、身分の低い家の子どもたちに交じり、地面へ座って遊んでいた。
髪は肩のあたりまで豊かに伸び、顔立ちも美しく、将来が楽しみに思える子だった。
西行はひと目で、
「あの子だ」
と気づいた。
胸を突かれたように驚き、こんな姿で育てられていることが、ひどく残念に思われた。
すると娘は西行の方を見て、
「さあ、中へ入ろう。あそこにお坊さんがいて、怖いから」
と言い、家の中へ入っていった。
西行は、このことを考えまいとした。
それでも心に引っかかり、何日たっても忘れられなかった。
西行の悩みを、どこからか聞いたのだろうか。
九条民部卿の娘で、冷泉殿と呼ばれる女性がいた。西行の娘の母親と縁のある人だった。
冷泉殿は、
「あの子を私の娘として、大切に育てましょう」
と、熱心に申し出た。
身分も人柄も申し分のない人だったので、西行は、
「これは、本当によい話だ」
と喜び、急いで娘を冷泉殿のもとへ移した。
冷泉殿は約束どおり、ほかに代わる者がいないほど、娘を深くかわいがった。
西行は安心し、そのまま何年も過ごした。
やがて娘が十五、六歳になったころのことである。
冷泉殿の弟の妻が産んだ姫君のもとへ、播磨三位家明という人を婿として迎えることになった。
そのため、姫君へ仕える若い女房を探していた。
「冷泉殿も姉として同じ屋敷におられるので、何かと都合がよいでしょう。この娘は育ちも確かなのだから」
そう言って、西行の娘を屋敷から出し、姫君へ仕える女童にした。
西行はその話を聞き、望んでいた育て方とは違うと感じたのだろう。
その屋敷の近くまで行き、隣にある小さな家へ入った。そして、その家の人へ頼み、誰にも知られないよう娘を呼び出させた。
娘は、不思議に思った。
しかし使いから事情を聞くうちに、
「実の父は出家し、僧になっていると聞いた。父でなければ、誰が私を人目につかないよう呼び出すだろう」
と思った。
「ずっと、一度でよいから会ってみたいと思っていた。もし本当に父なら、どれほどうれしいだろう」
娘はそう考え、すぐ使いと一緒に、誰にも知られず屋敷を出た。
指定された家へ行くと、そこには見慣れない僧がいた。
痩せて肌は黒く、麻でできた墨染めの衣と袈裟を着ている。
その姿を見ただけで、娘は胸を打たれ、涙ぐんだ。
二人は、心を開いてゆっくり話をした。
西行が以前、地面で遊んでいる姿を見た時とは、まったく違う。娘は成長し、とても美しい少女になっていた。
世を捨てた西行も、さすがにこの娘のことだけは、見過ごすことができなかった。
これまでの暮らしを詳しく聞いたあと、西行は言った。
「長い間、お前がどこにいるのかも分からず、こうして成長した姿を見たのも、今日が初めてだ」
「それでも親子になるのは、前世からの深い縁があるからだ。私がこれから言うことを、聞いてくれるだろうか」
「決して逆らわないと言うなら、話そう」
娘は答えた。
「本当に私の父でいらっしゃるなら、どうしてお言葉へ背けるでしょう」
「それなら、話そう」
西行は言った。
「お前が生まれた時から、私は心の中で大切に育ててきた」
「大人になったなら、天皇の后にするか、少なくとも身分の高い宮家へ仕えさせたいと思っていた」
「この程度の家で、姫君の身の回りの世話をさせることなど、夢にも考えていなかった」
「たとえこの先、すばらしい幸運に恵まれたとしても、この世の幸せは一時的なものだ。どのような身分になっても、心から安心できることはない」
「私は、お前が尼になり、先に出家している母のそばで、仏へ仕えながら、奥ゆかしく暮らしてほしいと思っている」
娘はしばらく考えたあと、答えた。
「承知しました。父上が私のために決めてくださることへ、どうして逆らえるでしょう」
「それでは、いつにするか決めてください。その時には、どこへでも参ります」
西行は、
「まだ若いのに、よく決心してくれた」
と、何度も喜んだ。
そして出家する日を決め、その日に乳母のもとで落ち合うことを、娘と固く約束して別れた。
この計画を知る者は、ほかに一人もいなかった。そのため、誰も娘が出家するとは思っていない。
翌日、娘は、
「髪を洗いたいと思います」
と言った。
冷泉殿は、
「つい最近、洗ったばかりでしょう。どうしたのですか」
と言った。
それでも娘が強く頼むので、
「どこかの寺へ参詣でもするのだろう」
と思い、髪を洗わせた。
翌朝、娘は、
「急いで乳母のもとへ行かなければならない用事があります」
と言った。
冷泉殿は牛車を用意し、娘を送り出すことにした。
いよいよ牛車へ乗ろうとした時、娘は、
「少しお待ちください」
と言って部屋へ戻った。
そして冷泉殿の前に立ち、何も言わず、その顔をいつまでも見つめた。
それから引き返し、牛車に乗って去った。
冷泉殿は不思議に思ったが、これが永遠の別れになるとは、どうして知ることができただろう。
娘がいつまでたっても帰らないので、冷泉殿は心配になり、行方を捜させた。
初めのうちは、周りの者も、あれこれと言ってごまかした。
しかし何日もたつと、娘が出家したことを隠しきれなくなった。
冷泉殿は、娘が五歳の時から、実の子と同じように育ててきた。
一瞬もそばから離さず、大切に育てたうえ、成長するにつれて、娘は気立てもよくなり、何事につけても、めったにいないほどすぐれた少女になった。
冷泉殿は娘を心から頼りにし、これからも一緒に暮らすつもりだった。
それが思いがけず、永遠の別れになってしまった。
冷泉殿は泣きながら、恨み言を言い続けた。
「なんと強い心を持った子だったのでしょう。武士の血筋というものは、女の子まで、こんなに恐ろしく激しいものなのですね」
「ただ、少しだけ許せると思うことがあります」
「牛車へ乗る直前、もう二度と私へ会わないのだと思うと、さすがに心細くなったのでしょう」
「特に言うこともないのに、わざわざ戻り、私の顔をじっと見つめてから出ていきました」
「恨めしい気持ちの中でも、あのことだけは、少し心を慰めてくれます」
西行の娘は尼になり、高野山のふもとにある天野という場所へ向かった。
そこには母も先に尼となって住んでいた。
娘は母と心を一つにし、仏道修行をして暮らした。その決心は、実にすばらしいものだった。
養母である冷泉殿も、のちには熱心に仏道修行を行った。
もともと絵を描くことが得意だったので、毎日の修行として、一丈六尺の大きな阿弥陀仏を描いていた。
冷泉殿が亡くなる時には、自分が描いた仏の姿が、空に現れたという。
第68話 侍従大納言成通卿そのかみ九歳にて
侍従大納言成通卿が、まだ九歳だったころ、マラリアにかかった。
家では、長年祈祷を頼んできた、ある僧都を呼び、病気が治るよう祈らせた。
しかし祈りの効果はなく、決まった時刻になると、また高熱が出た。
父の民部卿は特に心配し、子どものそばへ付き添い、看病していた。
そして母君と話し合った。
「このままではいけない。今回は、別の僧を呼ぶしかないだろう。誰に頼むのがよいだろうか」
成通は病床でその話を聞き、父へ言った。
「やはり今回も、これまでの僧都をお呼びになるのがよいと思います」
「乳母たちの話では、私がまだ母上のお腹にいた時から、この僧都を祈祷の師として頼んでいたそうです」
「生まれてから九歳になる今まで、何事もなく育つことができたのは、すべてあの方の力です」
「それなのに今日、この病気を治せなかったというだけで、あの方が残念に思われることは、あまりにお気の毒です」
「もし別の僧を呼んだなら、たとえ熱が下がったとしても、私はうれしくありません」
「それに、別の僧を呼べば、必ず治るとも限りません。この病気で、私が死ぬようなことも、まさかないでしょう」
「私のことを思ってくださるなら、何度でも、これまでの僧都をお呼びください。繰り返し祈っていただけば、最後にはきっと治ります」
成通は苦しそうな息を整えながら、そう申し上げた。
父の民部卿も母君も涙を流し、幼いわが子の思いやりに、深く心を動かされた。
「私たちは、この幼い子の考えにも及ばなかった」
二人はそう言い、次に発熱する日、もう一度同じ僧都を呼んだ。
そして、これまでの事情をありのままに話した。
「あなたのお力を軽く見たわけではありません」
「しかし子どもが苦しむ姿を見ているうちに、心を失ったようになり、あなたがどう思われるかも考えず、別の僧を呼ぼうと、夫婦だけで話していました」
「それを知った、この幼い子が、今お話ししたように申したのです」
父は涙を拭いながら、話した。
僧都が心を動かされないはずがない。
その日は、いつにも増して信仰を込め、泣きながら祈った。
すると病の原因となっていた霊が、はっきりと成通の体から離れ、病気は治った。
成通卿は幼いころから、このように人を思いやる心を持っていた。
のちに天皇へ仕え、人々と交わるようになってからも、何かにつけて情が深く、風雅な人として名を残した。
あらゆる風流を愛しながら、世俗の汚れに心を染めず、男女の愛への執着も薄い人だった。そのため来世に持ち越す罪も、少なかったことだろう。
第69話 八幡別当頼清が遠流にて永秀法師といふもの
八幡別当頼清の遠い親類に、永秀法師という人がいた。
家は貧しかったが、風流を何よりも愛していた。
昼も夜も、笛を吹く以外、何もしなかった。
あまりの騒がしさに耐えられず、隣の家の人々は少しずつ引っ越していき、最後には誰もいなくなった。
それでも永秀は、まったく気にしなかった。
どれほど貧しくても、落ちぶれた人のような卑しい振る舞いはしなかった。そのため、さすがに永秀を見下す人はいなかった。
頼清は永秀の暮らしを聞き、かわいそうに思った。
そこで使いをやり、こう伝えさせた。
「どうして、何も頼んでくださらないのですか。私たちは親類なのですから、他人でさえ何かあるたびに頼み事をするのに、あなたが遠慮することはありません」
「私を他人のように思わず、必要なものがあれば、ためらわずに言ってください」
永秀は答えた。
「本当にありがたいお言葉です」
「長年、お願いしたいと思いながら、取るに足りない身であることが恥ずかしく、恐れ多くもあったため、何も申し上げず過ごしてきました」
「実は、どうしてもお願いしたいことがあります。すぐにお訪ねし、直接申し上げます」
頼清は、それを聞いて少し不安になった。
「余計な同情を見せたため、面倒な頼み事をされるかもしれない」
けれど、
「あの男の身分なら、どれほど大きな望みでもないだろう」
と考え、そのまま待っていた。
ある夕暮れ、永秀が訪ねてきた。
頼清はすぐに会い、
「ご用件は何ですか」
と尋ねた。
「ぜひお願いしたいことがありながら、長い間、言い出せずにおりました。先日のお言葉をうれしく思い、遠慮せずに参りました」
頼清は、
「間違いなく、領地が欲しいと言うのだろう」
と思った。
ところが永秀の望みは、まったく違った。
「あなたは九州に多くの領地をお持ちです。あちらなら、笛に向く漢竹もあるでしょう」
「どうか一本取り寄せて、私へお与えください。これが、私にとって最大の望みです」
「しかし貧しい私には、手に入れにくい物なので、長年持つことができませんでした」
頼清は予想もしなかった願いを聞き、深く心を動かされた。
「それなら、実に簡単なことです。すぐに捜し、差し上げましょう」
「ほかに必要な物はありませんか。どのように毎日を暮らしておられるのかと思うと、安心できません。生活に必要なものも、どうして頼んでくださらないのですか」
永秀は答えた。
「お気持ちは、ありがたくいただきます。けれど生活には、何も不足しておりません」
「二、三か月に一度、このような単衣を一枚用意できれば、冬の初めまでは、ほかに欲しいものはありません」
「朝晩の食べ物も、手に入ったものへ任せ、どうにか暮らしております」
頼清は、
「この人こそ、本物の風流人だ」
と感動し、めったにいない人だと思った。
そして急いで笛を捜し、永秀へ贈った。
永秀は何もいらないと言ったが、頼清は毎月、生活に必要な物も丁寧に用意してやった。
贈られた物が残っている間、永秀は八幡の楽人たちを呼び集めた。
酒を振る舞い、日が暮れるまで、皆で音楽を演奏した。
贈り物がなくなると、また一人きりになり、朝から晩まで笛を吹いて暮らした。
そうしているうちに長年の練習が積み重なり、永秀は並ぶ者のない笛の名人になった。
これほど一つのものを純粋に愛する心が、どうして深い罪になるだろう。
第70話 中ごろ市正時光といふ笙吹きありけり
昔、市正時光という笙の名人がいた。
ある時、篳篥の名人である茂光と囲碁を打ちながら、二人で声をそろえ、裹頭楽という曲の旋律を口ずさんでいた。
二人があまりに美しく声を合わせていると、宮中から、急用で時光を呼び出す使者が来た。
使者は二人のもとへ着き、天皇からの呼び出しを伝えた。
しかし時光は、まったく耳に入らない。
二人は体を揺らしながら曲へ夢中になり、返事さえしなかった。
使者は宮中へ戻り、見たとおりのことを天皇へ報告した。
周りの者は、
「どれほど厳しいお叱りを受けるだろう」
と思った。
ところが天皇は、涙ぐみながら言った。
「なんと心を打つ者たちだろう。あれほど音楽を愛し、ほかのすべてを忘れるほど夢中になれるのは、本当に尊いことだ」
「天皇の位も、残念なものだ。私が出かけていっても、あの演奏を聞くことはできない」
誰も予想しなかった反応だった。
こうした話を考えると、風流を愛する心は、この世への執着を捨てるための、大きな助けにもなるのである。
第71話 中ごろ宝日といふ聖ありけり
昔、宝日という修行者がいた。
ある人が、
「どのような修行をしておられるのですか」
と尋ねた。
宝日は答えた。
「朝、昼、夕方の一日三回、修行をしています」
その人がさらに、
「どのような修行ですか」
と尋ねると、宝日は説明した。
「夜明けには、次の歌を詠みます」
原文:明けぬなり賀茂の河原に千鳥啼く今日も空しく暮れんとすらん
超口語訳:夜が明けたようだ。賀茂川の河原では千鳥が鳴いている。今日という一日も、何もできないまま、むなしく暮れてしまうのだろうか。
「昼には、この歌を詠みます」
原文:今日もまた午の貝こそ吹きにけれ羊の歩み近付きぬらん
超口語訳:今日も正午を告げる法螺貝が鳴った。屠殺場へ向かう羊のように、私もまた、死へ一歩近づいたのだろう。
「夕方には、この歌を詠みます」
原文:山里の夕暮れの鐘の声ごとに今日も暮れぬと聞くぞ悲しき
超口語訳:山里へ夕暮れの鐘が響くたび、今日という一日も終わってしまったのだと聞くようで、悲しくなる。
「この三首を、それぞれの時刻に必ず詠みます。そうして、毎日、自分の命が少しずつ過ぎていくことを考えているのです」
宝日はそう言った。
とても珍しい修行方法である。
しかし人の心が向かう方向は、それぞれ違う。だから、仏道修行も一つの方法だけに限られるものではない。
中国の潤州にいた曇融という修行者は、橋を架けることを極楽往生のための修行にした。
蒲州の明康法師は、船をこいで人々を渡すことを修行とし、ついには往生を遂げた。
まして和歌は、物事の本質を深く突き詰める道である。
歌に心を託して気持ちを澄ませ、この世のすべてが移り変わることを考えるのに、役立つ方法となるだろう。
恵心僧都は、以前、
「和歌は、人の心を飾るだけの、仏道にふさわしくない言葉である」
と考え、歌を詠まなかった。
ところが、ある夜明けのことだった。
恵心僧都が遠く湖を眺めていると、霞のかかった波の上を、一隻の船が進んでいた。
その景色を見た瞬間、
「何にたとへん朝ぼらけ」
という歌の言葉が心へ浮かんだ。
その場の景色が心へ深く染み込み、何とも言えない感動を覚えた。
恵心僧都は、そこで気づいた。
「仏の教えと和歌は、もともと一つのものだったのだ」
それからは、ふさわしい機会があるたび、必ず歌を詠むようになった。
また、少し前に蓮如という修行者がいた。
蓮如は、定子皇后が詠んだ次の歌を思い出した。
原文:夜もすがら契りしことを忘ずは恋ひん涙の色ぞゆかしき
超口語訳:一晩中、私へ誓ってくださった言葉を忘れないでいてくださるなら、私の死後、あなたが恋しがって流す涙は、どのような色なのでしょう。見てみたいものです。
定子皇后が亡くなる時、一条天皇へ見ていただこうと、御帳台の垂れ布のひもへ結びつけておいた歌である。
蓮如はそのことを思い出し、限りなく悲しく感じた。
歌が心から離れなくなり、詠むたびに泣いた。そして尊勝陀羅尼を読み、定子皇后の来世を供養した。
歌を口ずさんでは陀羅尼を読み、また歌を思い浮かべては、同じように祈る。
そうして一睡もせず、長い冬の夜を明かした。
蓮如は、実に心から風雅を愛する人だった。
大弐資通は琵琶の名人で、信明や大納言経信の師でもあった。
資通は普通の読経や念仏を、まったく行わなかった。
ただ毎日、持仏堂へ入り、演奏した曲の数を人に数えさせながら琵琶を弾いた。
そして、その演奏の功徳を極楽往生のために振り向けた。
修行は、積み重ねた行いと、本人の志によって意味を持つ。
だから、このような方法を、役に立たないものだと決めつけるべきではない。
特に風流を愛する人は、人付き合いを好まず、自分が世間で出世しなくても悲しまない。
花が咲き、散ることを味わい、月が出て、沈むことへ思いを寄せる。
いつも心を澄ませ、世の中の欲や争いに染まらないことを大切にする。
そのように生きていれば、あらゆるものが生まれ、やがて消えるという真理も、自然に見えてくる。
名誉や利益へ残っていた執着も、いつか尽きるだろう。
風流を愛する心は、迷いの世界を離れ、悟りへ向かうための出発点にもなるのである。
保元年間に戦乱が起こり、崇徳上皇が讃岐へ流されたあとのことである。
旅先での上皇の暮らしが、どれほど痛ましく、恐れ多いものだったか、言葉では言い尽くせない。
讃岐の兵士たちが朝から晩まで御所を取り囲み、人が簡単に出入りすることはできないと伝えられていた。
風流を愛する蓮如は、もともと情の深い人だったので、その話をひどく悲しんだ。
しかし上皇と特別親しかったわけではない。
蓮如の妹が上皇へ仕えていたため、周囲の様子を聞くことがあった。
また昔、蓮如が宮中の陪従として儀式に参加していた時、神楽などの機会に、まれに上皇から顔を見られる程度の関係だった。
それほど深く悲しむ必要のある立場ではなかった。
それでも蓮如は、たった一人で笈を背負い、わざわざ讃岐まで下った。
着いてみると、上皇の御所は、目を向けていられないほど荒れ果てていた。
前に聞いていた話よりも、はるかにひどい有様である。
蓮如は何とか御所の中へ入りたいと思った。
一日中、隙ができないか見守ったが、警備の兵士たちは厳しく人を調べ、人が隠れて入れる場所などない。
何もできないまま、日が暮れた。
明るい月が出ていたので、蓮如は笛を吹きながら、御所の周りを歩き続けた。
「どうすれば、中へ入れるだろう」
そう考えながら夜を過ごし、明け方になった。
すると黒ずんだ水干を、無造作に着ただけの男が、御所の中から出てきた。
蓮如は大喜びし、その男が出てきた隙に、御所の中へ入った。
中には草が生い茂り、露が深く降りている。
人の声も、まったく聞こえない。
あまりに悲しい様子に、蓮如はしばらく動けず、その場に立ち尽くした。
やがて板の端へ歌を書き、
「上皇へお見せしてください」
と言って、先ほどの男へ渡した。
原文:朝倉や木の丸殿に入りながら君に知られで帰るかなしさ
超口語訳:朝倉の木の丸殿のような、粗末な御所へせっかく入ったのに、上皇へ来たことを知られないまま帰るのは、悲しいことです。
男は間もなく戻ってきた。
「これをお渡しするように、とのことです」
蓮如が受け取り、月明かりで見ると、上皇からの返歌が書かれていた。
原文:朝倉やただいたづらに帰すにも釣りする蜑の音をのみぞ泣く
超口語訳:朝倉の木の丸殿のような、この粗末な住まいまで訪ねてきたあなたを、何もできず帰すのが悲しい。私は海人のように、ただ声を上げて泣くばかりです。
蓮如は、恐れ多く、ありがたいことだと思った。
返歌を笈の中へ大切に入れ、泣きながら京へ帰っていった。
第72話 中ごろ少将聖といふ人ありけり
昔、少将聖と呼ばれる修行者がいた。
ある用事で、播磨国の室という港へ泊まった夜のことである。
空には曇り一つなく、月が明るく照っていた。
遊女たちが、自分の客を求めて次々と歌いながら、舟で行き交っている。
少将聖は、
「なんとも心を打つ人々の姿だ」
と思いながら眺めていた。
すると一人の遊女の舟が、少将聖の乗った舟を目指し、近づいてきた。
舟を操っていた男が、強い口調で言った。
「違いますよ。これは僧のお乗りになっている舟です。客の舟と間違えたのですか」
遊女は答えた。
「僧でいらっしゃることは、見れば分かります。どうして、そのような見間違いをするでしょう」
遊女は鼓を打ち、歌い始めた。
原文:暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月
超口語訳:このままでは、死後、暗闇よりもさらに暗い迷いの道へ入ってしまうでしょう。山の端に輝く月のように、どうか仏の光で、はるか遠くまで私を照らしてください。
遊女はこの歌を二度、三度と繰り返し歌った。
そして少将聖へ言った。
「私がこのように罪深い身になったのも、前世からの報いなのでしょう」
「この世での暮らしは、夢のように終わろうとしています。どうか、必ず私をお救いください」
「せめて心だけでも、あなたと仏縁を結ばせていただきます」
そう言うと、遊女は舟をこぎ、離れていった。
少将聖は、のちに人へ語った。
「思いがけない出来事に、心を動かされ、涙を流しました」
第73話 ある生宮仕へ人の清水に籠りたりける局の前に
ある身分の低い宮仕えの女が、清水寺へ参籠していた時のことである。
その局の前を、一人の老いた尼が、物乞いをしながら歩いていた。
尼の顔は青白く、すっかり老け込み、影のように痩せ衰えていた。
十月ごろなのに、汚れて破れた単衣を一枚着て、その上に蓑をまとっている。
それを見た人が言った。
「なんとひどい姿でしょう。雨も降っていないのに、どうして蓑を着ているのですか」
尼は答えた。
「このほかには、着る物を何も持っていません。寒くてたまらないので、しかたなく蓑を着ているのです」
周りの人々は、
「そんな物を着ても、暖かくはならないでしょう」
と言って笑った。
宮仕えの女は、尼へ果物などを与えた。
尼はその場で食べ、立ち去ろうとした。
女は何を思ったのか、尼を呼び戻し、単衣を一枚差し出した。
尼は喜んで受け取り、去っていった。
ところが尼は、同じ清水寺の中で寄付を募っている場所へ行った。
そこで硯を借りると、たいそう美しい字で、一首の歌を書いた。
原文:かの岸に漕ぎ離れたるあまなればおしてつくべき浦も持たらず
超口語訳:私は悟りの岸へ向かって舟をこぎ出した尼です。俗世を離れた身なので、この舟を押し戻して、再びたどり着く家もありません。
尼は歌を書き残し、もらったばかりの単衣を寺へ寄付した。そして、どこへともなく姿を消した。
第74話 西行法師東の方修行しける時
西行法師が東国を修行して歩いていた時、月夜の武蔵野を通ることがあった。
八月十日を少し過ぎたころである。月の光で、あたりは昼間のように明るい。
色とりどりの秋の花は露を帯び、さまざまな虫の声が風に乗って聞こえてくる。その美しさは、とても言葉では言い表せない。
どこまでも続く野原を進んでいると、その中から経を読む声が聞こえてきた。
西行は、
「こんな所で、いったい誰が読んでいるのだろう」
と不思議に思い、驚いて、声のする方へ歩いていった。
そこには、わずか一間ほどの小さな庵があった。
萩や女郎花を垣根にし、薄、刈萱、荻などを取り混ぜて屋根を葺いている。
庵の中では、年老いた人が、かすれた声で法華経を一字ずつ読み続けていた。
西行は、たいへん珍しく思って尋ねた。
「あなたは、どのような方ですか。なぜ、このような場所で暮らしておられるのですか」
老人は答えた。
「私は昔、郁芳門院にお仕えする侍の長でした」
「女院がお亡くなりになったあと、すぐに出家し、誰にも知られない所で暮らそうと強く思いました」
「それからは、行く先も決めず、あちらこちらをさまよい歩きました」
「これも前世からの縁だったのでしょうか。やがて、この色とりどりの花を心の支えとして、野の中へ住みつき、いつの間にか長い年月を過ごしました」
「私は、もともと秋の草花が大好きでした」
「花のない季節には、咲いていたころの面影を思い出します。今の季節は花の色を眺めて心を慰めているので、つらく悲しいことは何もありません」
西行はその話を聞き、こんな生き方をする人が本当にいるのかと、深く心を打たれた。
涙を流しながら、老人とさまざまなことを語り合った。
そして尋ねた。
「それにしても、毎日の暮らしは、どのようにして成り立っているのですか」
老人は答えた。
「よほどのことがなければ、里へ出ることはありません」
「たまたま誰かが気の毒に思い、食べ物をくださるのを待っています。そのため、四日も五日も、何も食べない時があります」
「そもそも、この花の中で火をたき、煙を立てるのも、私の望む暮らしではないように思えます」
「ですから、毎朝、毎晩、決まって食事をするような生活ではありません」
西行は、この人の心は、どれほど澄み切っているのだろうと思った。
ただ、うらやましくてならなかった。
第75話 ある聖都ほとりを厭ふ心深くて
ある聖は、都の近くで暮らすことを心から嫌っていた。
「どこかに、ひっそりと住める場所はないだろうか」
そう思い、あちらこちらを探し歩いているうちに、北丹波という土地の深い谷へたどり着いた。
人の足跡さえ絶えた山奥で、川の上流から、花を切ったあとの茎が流れてきた。
聖は、たいへん不思議に思った。
「こんな山奥に、どのような人が、どうやって暮らしているのだろう」
気になってしかたがない。
花の茎が流れてきた方をたどり、はるか山奥までかき分けて進んでいった。
やがて、ようやく小さな柴の庵が二つ、軒を並べて建っているのを見つけた。
こんな所に庵があるとは珍しいと思い、近づいていくと、窓から一人の人が、ほんの少しだけ顔を出した。
その人は、姿の見分けもつかないほど黒く痩せ衰えていた。
外に人がいると気づくと、すぐに顔を引っ込めた。
すると、庵の中から声がした。
「あれほど、そう申し上げたのに。花の茎を谷へ捨ててしまわれたから、ここに人が来てしまったではありませんか」
女の声だった。
聖は思った。
「仏の教えが衰えた末の世にも、このような暮らしをしている人が本当にいるのか」
ありがたさに胸がいっぱいになり、まず涙がこぼれた。
「あなた方は、どのような方なのですか。なぜ、このような所で暮らしておられるのですか」
「出家して修行することのできる私でさえ、まだ俗世への思いを断ち切れずにいます。それなのに、あなた方の決意は、本当にめったにないほど尊いものです」
聖はいろいろと話しかけたが、中からは、まったく返事がなかった。
そこで聖は、つらく思い、少し恨めしそうに語った。
「私は、このような者です」
「悟りを求める心を起こし、世を捨て、我が身を捨てて、住む場所も決めず、山林をさまよい歩いています」
「同じ志を持つ方に出会えたので、心からうれしく、尊敬しています」
「まして女性の身には、何かにつけて修行の妨げが多いものです。その身で、これほどの決意をなさったことが、本当にたぐいなく尊いと思われます」
「詳しくお話を聞き、自分の心を奮い立たせたいのです」
「それなのに、そこまで私を遠ざけられるのは、とても残念です」
聖が心を込めて訴え続けると、しばらくして、中から声がした。
「別に、隠そうと思っているのではありません」
「私たちは長年ここに住んでいますが、これまで、ここまで訪ねてきた人は一人もいませんでした」
「思いがけず、あなたがおいでになったので、わけもなく動揺してしまい、お返事が遅れただけです」
「それでは、私たちの身の上をお話ししましょう」
「昔、私たち二人が二十歳ほどだったころ、同じような身分で上東門院にお仕えしていました」
「宮中で世の中が移り変わっていく様子を見ていると、身分の高い人も低い人も、次々と亡くなっていきます」
「それを見て、私たちは、この世の何にも心を引かれなくなりました」
「ところが、華やかで風流な宮中に暮らしていると、あれこれと感情を動かされます。そのたびに心は苦しみ、罪を積み重ねてしまうことも恐ろしく思われました」
「そこで二人で相談し、行方も告げず、逃げるように身を隠したのです」
「その後は、あちらこちらで人に頼り、機嫌を取りながら暮らしました」
「けれども、人の近くは何かにつけて住みにくく、自分の心にかなわないことばかりでした」
「そうして、思いがけず、この場所へたどり着き、ここに住み始めました」
「それから、いつの間にか長い年月が過ぎました」
「花が散り、木の葉が色づくたびに、春と秋が何度過ぎたかを数えてみると、もう四十年以上になります」
「ここへ住み始めたころは、嵐の激しさも恐ろしく、何でもない鳥や獣の気配さえ不気味に感じました」
「すべてに耐えて暮らし続けるなど、とてもできそうにありませんでした」
「けれども今では、すっかり住み慣れました」
「たまに外へ出た時でさえ、ここを我が家だと思い、急いで帰ってくるようになりました」
「そのたびに、私たちがここへ来たのは、きっと前世から決まっていたのだろうと、しみじみ感じます」
「何のために、こんな暮らしを続けているのかと聞かれても、うまく説明はできません」
「それでも、生きているかぎり、まったく食べずにいるわけにはいきません」
「雲や風に身を任せるように生きたくても、食べ物が自然に手に入る縁はありません」
「そこで一人ずつ交代し、十五日間は里へ出て、残った一人の食べ物を得るようにしています」
「隣り合った二つの庵には小さな窓を開けています。わずかに互いの様子を確かめ合うことだけを支えに、朝から晩まで、ただ念仏を唱えているのです」
二人は、誠実で上品な様子で語った。
本来なら人へ話したくないことまで、隠さず打ち明けてくれたのである。
聖は感動して涙を流した。
二人と、
「ともに阿弥陀仏を信じ、同じ極楽浄土へ生まれましょう」
と約束を結び、山を下りた。
その後、聖は麻の衣や食べ物などを用意し、再び二人を訪ねた。
ところが、庵だけは以前のまま残っているのに、二人の姿はなかった。
どこへ行ったのか、まったく分からなかった。
人の心は一人ひとり違うので、その修行のしかたもさまざまである。
それでも、女性の身で、このような山奥の暮らしを決意したのは、並の信仰心ではなかったはずだ。
この話について考えてみる。
汚れやすく、はかない我が身を山林の中へ置き、命を仏へすべて任せ、清らかで二度と迷いへ戻らない身になろうとする。
これは本当に、その人の心の持ち方しだいで実現できる修行なのである。
静かに、これまでの生を振り返ってみれば、私たちが生まれては死ぬことを繰り返してきたありさまには、限りも果てもない。
「一人の人が一劫という長い時間を過ごす間に捨てた遺体が、もし朽ちずに積み重なれば、毘留羅という山ほどの大きさになる」
とも説かれている。
たった一劫でさえ、それほどである。
まして、量ることさえできないほど長い年月では、どれほどになるだろう。
その間、私たちは、あらゆる生き物の身を、ただの一つも残さず経験してきた。
苦しみも楽しみも、経験していないものは何一つない。
きっと、仏がこの世へ現れた時にも立ち会い、菩薩から教えを受ける機会もあったはずである。
それなのに、楽しい時には楽しみに夢中になって仏の教えを忘れ、苦しい時には苦しみを嘆くばかりで、修行を怠ってきた。
そのため今もなお、迷いから抜け出す時がいつ来るのかも分からない、未熟な凡人のままでいる。
過去がこれほど愚かだったことを考えれば、何もしないかぎり、未来も同じことを繰り返すだけだろう。
そもそも、仏や菩薩と呼ばれる方々も、もとは皆、私たちと同じ普通の人だった。
過去の長い生まれ変わりの中では、私たちの父や母となり、妻や子、親族となったこともあっただろう。
けれども、その方々は賢く修行を続け、すでに迷いの世界から抜け出した。
一方、私たちは信じる心もなく、修行もしなかったため、今も生と死の巣に取り残されている。
ただ、過去に結んだわずかな仏縁のおかげで、ようやく仏の名を聞き、その誓いを仰ぐことができた。
今この時にも、自分と肩を並べて生きている人が修行に励み、迷いの世界を離れようとしている。
ここでまた遅れてしまえば、いったいいつ救われるというのだろう。
そもそも、仏になるために必要な修行について、はるか昔の釈尊の歩みをたどると、三阿僧祇劫と百大劫もの間、あるいは、それ以上の量り知れない長い間、修行を重ねたと説かれている。
ただ長い時間がかかっただけではない。
釈尊は、尸毘王として生まれた時には、鳩を救うため、自分の肉を差し出した。
薩埵王子として生まれた時には、飢えた虎を救うため、自らその身を投げ与えた。
そのような、普通の人にはとてもできない厳しい修行を重ね、ようやく仏の身となったのである。
では、私たちは修行をして、どの世界へ生まれることを願えばよいのだろう。
過去の生で、すでに何度も味わってきた天上世界の楽しみを、もう一度得たところで、何になるだろう。
何度も生まれ変わった先の、遠い未来へ望みをかけても、むなしいだけである。
今度こそ、何としても、二度と迷いの世界へ後戻りしない浄土へ生まれたいと願うべきだ。
そこで少しずつ修行を進め、最後には悟りへ至ることを目指さなければならない。
ありがたいことに、極楽浄土は、心から願えば生まれることのできる世界である。
なぜなら、阿弥陀仏は本願の中で、次のように誓っているからだ。
原文:われ仏を得たらんに十方の衆生心を至して信楽してわが国に生れんと願ひて乃至十念せんに生れずといはば正覚をとらじ
超口語訳:私が仏となった時、あらゆる世界の人々が心から私を信じ、私の国へ生まれたいと願い、わずか十回でも念仏を唱えたのに、そこへ生まれられないのなら、私は仏にはならない。
また、最も罪の重い人についても、次のように説かれている。
「仏の戒めに背く四重罪や、父母を殺すなどの五逆罪を犯した悪人であっても、命の終わる時、正しく導く人と出会い、十回、南無阿弥陀仏と唱えればよい」
「その人を焼こうとする地獄の猛火は、たちまち消え、その人は蓮の台へ迎えられる」
さらに、次のような経文もある。
原文:極重悪無他方便唯称弥陀得生彼国
超口語訳:きわめて重い罪を犯した人には、ほかに救われる方法がない。ただ阿弥陀仏の名を唱えれば、その極楽浄土へ生まれることができる。
原文:若有重業障無生浄土因乗弥陀願力必生安楽国
超口語訳:重い罪が妨げとなり、浄土へ生まれるだけの善い行いがない人でも、阿弥陀仏の願いの力に乗れば、必ず安楽国へ生まれる。
原文:其仏本願力聞名欲往生皆悉到彼国自致不退転
超口語訳:阿弥陀仏の本願の力により、その名を聞いて往生を願う人は、誰もが極楽浄土へ至り、二度と迷いへ戻らない境地を得る。
これらの教えが本当なら、私たちは、
「果てしない昔から生まれ変わりを繰り返してきた、どうしようもない凡人だ。いきなり、二度と後戻りしない浄土へ生まれることなどできない」
と、自分を卑下してはいけない。
この迷いの世界と極楽浄土とは、深い縁で結ばれている。
阿弥陀仏と私たちとの約束も、はるか昔から続いている。
そのため阿弥陀仏は、仏にしか持てない不思議な力と、人を救うための巧みな手段を使った。
本来なら果てしない年月をかける修行を、一日、あるいは七日の修行へ縮めた。
布施や戒律など、六つの難しい修行によって得られる功徳を、たった一回、あるいは十回、仏の名を唱えることによっても与えられるようにした。
こうして私たちへ、すぐに迷いへ戻らない境地へ至り、速やかに悟りを得られる道を教えてくれたのである。
本当に、何百劫、何千劫もの間、苦しい修行をしたとしても、それが仏のために何になるだろう。
阿弥陀仏の本願にかなうのは、ほんのわずかな時間でも、心を込めて念仏を唱えることである。
私が仏を思えば、仏は私を照らしてくれる。
仏が私を照らしてくれれば、すべての罪は消え、極楽浄土へ生まれることに疑いはない。
それでも阿弥陀仏の姿を見ることができないのは、悪い行いに曇らされた私たちの目に原因がある。
阿弥陀仏の深い慈悲は、決して私たちへ背を向けない。
罪が消えることも、疑ってはならない。
自分の力だけで厳しい修行へ励むことは、私たちには難しい。
けれども、仏の不思議な願いの力に乗るからこそ、速やかに浄土へ至ることができる。
これは『十住毘婆沙論』で、陸路と船旅を比べたたとえと同じである。
陸を自分の足で進むのは苦しく、目的地へ着くまでに長い時間がかかる。
しかし船に乗れば、その力によって、楽に目的地へ着くことができる。
まして私たちは、過去に積んだ善い行いが実を結び、出会うことの難しい仏の教えに、すでに出会っている。
自分たちと深い縁のある阿弥陀仏の慈悲深い誓いを聞いた。
これは、私たちを救う時が来たことを示している。
私たちは罪深いとはいえ、まだ父母を殺すような五逆罪までは犯していない。
信仰が浅いとはいえ、十回の念仏すら唱えられない人がいるだろうか。
今は、阿弥陀仏が人々を救う力を大いに現している時代である。
しかも、この国には大乗仏教が広く伝わっている。
阿弥陀仏の救いは、賢い人か愚かな人かを問わない。
僧であるか、俗人であるかも選ばない。
「財産を差し出せ」
とも、
「命を投げ出せ」
とも言わない。
ただ心から阿弥陀仏の慈悲深い本願を信じ、口でその名を唱え、極楽浄土へ生まれたいと強く願えばよい。
そうするなら、十人いれば十人とも、必ず極楽浄土へ生まれるのである。
一般的な道理だけで、この教えが正しいか、間違っているかを判断してはならない。
阿弥陀仏は、自分と深い縁のある私たちを救うため、特別にこの大いなる慈悲の願いを立てた。
そのため、この願いは仏教の一般的な教理とも違い、自分の行いに応じて結果を受けるという、普通の因果の道理さえ超えている。
これは、思ってもみなかったほど大きな喜びである。
心から仰ぎ、信じないわけにはいかない。
経典には、私たちが阿弥陀仏を思い、その願いの力へ乗れば、必ず極楽浄土へ生まれると説かれている。
そのことが本当であると、六方の世界にいる、ガンジス川の砂ほど多くの仏たちが証明している。
仏たちは舌を伸ばし、三千世界を覆って、
「この教えは真実である」
と証言しているのである。
仏と仏との間に、疑わしいことなどあるはずがない。
これほど多くの仏が証明するのは、ただ私たちの疑いをなくすためである。
ところが、迷いの中にいる私たちは、自分も他人も、この世のことにばかり心を奪われている。
この世を嫌い、離れようとは少しも思わない。
俗世の汚れに深く染まり、さまざまな罪を作っている。
それでも、阿弥陀仏の誓いがどれほどありがたく、極楽浄土がどれほど行きやすい所かを聞いても、本気で信じるわけでもなければ、はっきり疑うわけでもない。
耳へ入らず、心にも残らない。
極楽浄土へ生まれたいと願わないので、念仏へ励むこともない。
そうして一生が夢のように過ぎてしまえば、地獄、餓鬼、畜生という三つの苦しい世界が、たちまち目の前へ現れるだろう。
だからこそ、次のようにも言われている。
原文:四十八願荘厳浄土華池宝閣易往無人
超口語訳:阿弥陀仏の四十八の願によって、浄土は美しく整えられ、蓮の池や宝の楼閣まで用意されている。行きやすい世界なのに、そこへ行こうとする人は、ほとんどいない。
生きとし生けるものの中で、人間の知恵は、特に優れている。
空を飛ぶ鳥も、海にすむ魚も、人間は簡単に捕らえる。
木を切り倒し、それで舟を造って海を渡る。
獣を飼いならし、家へ連れてくる。
蚕を育てて絹を織り、金属を溶かして、さまざまな道具を鋳造する。
どれを見ても、これが本当に、迷いの中にいる普通の人間のしわざなのかと思うほど、見事なものである。
ところが、目の前で人が次々と死んでいくのを見ながら、自分の死が日ごとに近づいていることを恐れない。
この点については、知恵のある人も、賢い人もいない。
死ぬのは、老人だけではない。
若い人も死ぬ。
今日は他人に起きたことが、明日は自分の身に起きる。
その無常の道理に気づかないのは、深い無知の酒に酔い、果てしなく長い夜の闇を迷い続けているからである。
今すぐ、この道理を理解しなければならない。
いつ消えるか分からない、残り少ない命を当てにしてはいけない。
やがて離れなければならない親子や夫婦への愛情に、いつまでも縛られてもいけない。
今度こそ、頭に火がついた人が必死で火を払うように、喉が渇いた人が夢中で水を飲むように、極楽浄土へ生まれることを願うべきである。
せっかく人として生まれ、仏の教えへ出会ったのだ。
何も得ず、手ぶらで迷いの世界へ帰ってはならない。
ただし、人がどの修行へ進むかは、過去からの縁や、心の傾きによって違う。
自分が選んだ修行へ励み、それだけに執着して、ほかの人の修行を悪く言ってはいけない。
たった一輪の花や、わずかな香を仏へ供えることも、経典の一文や一句を唱えることも、すべて極楽浄土へ生まれるための功徳として振り向ければ、同じように往生のための行いとなる。
水は低い溝を見つけて流れ込む。
そこへ流れ込むのが、草の上の露であろうと、木からにじむ汁であろうと、決して嫌わない。
善い行いも、その人の心に従って、目指す場所へ向かっていく。
どのような修行であっても、阿弥陀仏の広大な願いの海へ入らないものがあるだろうか。

