『徒然草』の現代語訳を、8ページに分けて全文掲載しています。このページ(3)には、第60段「真乗院に盛親僧都とて」から第98段「尊き聖の言ひ置きけることを」までの章段を収めました。原文とあわせて読みたい方は、『徒然草』原文(3)をご覧ください。
第60段 真乗院に盛親僧都とて
真乗院に、盛親僧都といって、尊い学識のある僧がいた。芋頭というものを好んで、たくさん食べた。
談義の席でも、大きな鉢にうず高く盛って、膝もとに置きながら、食べながら経文を読んだ。病気になると、7日、14日などと、治療だといって籠もって、思いどおりに上等な芋頭を選んで、とくにたくさん食べて、どんな病気も治した。人に食べさせることはない。ただ一人だけで食べた。
たいそう貧しかったが、師匠が死に際に、銭200貫と僧坊1つを譲ったところ、僧坊を100貫で売って、合わせて3万疋を芋頭の代金と決めて、京にいる人に預けておいて、10貫ずつ取り寄せて、芋頭を不自由なく召し上がっているうちに、またほかの用途に使うこともなくて、その銭はみななくなってしまった。300貫もの大金を貧しい身で手に入れて、このように使ったのは、本当にめったにない道心者であると、人々は言った。
この僧都が、ある法師を見て、「しろうるり」という名をつけた。
「それは何ものですか」
と人が尋ねたところ、
「そんなものは私も知らない。もしあるとすれば、この僧の顔に似ているだろう」
と言ったそうだ。
この僧都は、容貌がよく、力が強く、大食いで、能書家で、学識もあり、弁舌も人にすぐれて、宗派の重鎮であったので、寺の中でも重んじられていたけれども、世間を軽く見ている変わり者で、何事も自分の思いのままにして、まったく人に従うということがない。
法会に出て饗膳などの席に着くときも、すべての人の前に膳が並べ終わるのを待たず、自分の前に膳が置かれると、すぐにひとりで食べて、帰りたくなると、ひとりさっと立って帰っていった。
斎も非時も、人と同じように時刻を決めて食べることはなく、自分が食べたいときには、夜中でも明け方でも食べて、眠たければ昼間でも部屋にこもって、どんな大事があっても人の言うことを聞き入れず、目が覚めると幾晩でも寝ないで、心を澄まして詩歌を口ずさみながら歩き回るなど、普通ではない様子であったが、人に嫌われず、何事も許されていた。
徳が極まっていたからであろうか。
第61段 御産の時甑落とすことは
ご出産のときに甑を落とすことは、決まった作法ではない。胞衣がなかなか出ないときのまじないである。滞りなさらなければ、このことはしない。
身分の低い者たちの間から始まったことで、これといった典拠もない。大原の里の甑を取り寄せるのである。
古い宝蔵の絵に、身分の低い者が子を産んでいる所に、甑を落としているのが描いてある。
第62段 延政門院いときなくおはしましける時
延政門院が幼くいらっしゃったとき、院へ参上する人に、ことづけとして申し上げさせなさったお歌、
「ふたつ文字」の「こ」、牛の角の形の「い」、まっすぐな「し」、ゆがんだ「く」――そのように「恋しく」、父君のことを思っております
恋しくお思い申し上げていらっしゃるというのである。
第63段 後七日の阿闍梨
後七日の御修法を勤める阿闍梨が武士を集めることは、いつだったか盗人に入られたことから、宿直の者といって、このように大げさになったのである。
1年の吉凶のありさまは、この御修法の期間中の様子に表れるというのだから、武士を用いるのは穏やかではないことである。
第64段 車の五緒は
「車の五緒は、必ずしも家柄によらず、それぞれの家で極められる最高の官位に至ったなら、乗るものである」と、ある人がおっしゃった。
第65段 このごろの冠は
近ごろの冠は、昔よりはるかに高くなっている。昔の冠桶を持っている人は、縁を継ぎ足して、今用いているのである。
第66段 岡本関白殿
岡本関白殿が、満開の紅梅の枝に鳥を一つがい添えて、この枝につけて献上せよと、御鷹飼の下毛野武勝にお命じになったところ、
「花に鳥をつける方法は存じません。一つの枝に二羽つけることも存じません」
と申し上げたので、関白殿は料理人にお尋ねになり、人々に問わせなさって、また武勝に、
「それなら、お前の思うようにつけて献上せよ」
とおっしゃったところ、武勝は花も咲いていない梅の枝に、鳥を一羽つけて献上した。
武勝が申しましたことには、
「柴の枝や梅の枝の、つぼみのものと散ったものとにつけます。五葉の松などにもつけます。枝の長さは7尺(約2.1メートル)あるいは6尺(約1.8メートル)で、返し刀で5分(約1.5センチメートル)に切ります。枝の中ほどに鳥をつけます。鳥をつける枝と、足を踏ませる枝があります。しじら藤の割らないもので、2か所をくくりつけるのがよい。藤の先は、火打ち羽の長さに合わせて切って、牛の角のようにたわませます。初雪の朝、枝を肩にかけて、中門から威儀を正して参ります。大砌の石を伝って、雪に足跡をつけず、雨覆いの羽毛を少しむしり散らして、二棟の御所の高欄に寄せかけます。褒美の禄を下されたら、肩にかけて拝礼して退きます。初雪といっても、沓の先が隠れないほどの雪のときには参りません。雨覆いの羽毛を散らすのは、鷹は鳥の腰のあたりをつかむものなので、御鷹が捕らえたということを示すためでしょう」
と申し上げた。
花に鳥をつけないとは、どういう理由があったのだろうか。
陰暦9月ごろ、梅の造花の枝に雉をつけて、
あなたのために折る花は、季節を選ばず咲いているのです
と詠んだことが、『伊勢物語』に見える。
造花なら差し支えないのだろうか。
第67段 賀茂の岩本、橋本は
賀茂の岩本社と橋本社は、在原業平と藤原実方を祭っている。人がいつも取り違えますので、ある年参詣したときに、年老いた宮司が通り過ぎたのを呼び止めて、尋ねましたところ、
「実方は、御手洗川に姿が映った所と伝えられていますので、橋本社のほうでしょうか。やはり水が近いからと思われます」
吉水和尚(慈円)が、
月を愛で、花を眺めた昔の風雅な人は、ここに祭られている在原業平なのだなあ
とお詠みになったのは、
「岩本社のことだとうかがっておりますが、私どもよりは、あなた様のほうがかえってよくご存じでいらっしゃるでしょう」
と、たいそう礼儀正しく言ったのは、すばらしく思われた。
今出川院近衛といって、勅撰集などにたくさん歌が入っている人は、若かったとき、いつも百首の歌を詠んで、あの二つの社の御前の水で書いて、奉納なさった。
本当に尊い名声があって、人々に口ずさまれる歌が多い。漢詩文や詩の序なども、見事に書く人である。
第68段 筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者の
筑紫に、何とかいう押領使などという者がいたが、大根をあらゆる病に効く薬だといって、毎朝2本ずつ焼いて食べることが長年になった。
あるとき、館の中に人がいなかった隙をねらって、敵が襲ってきて取り囲んで攻めたところ、館の中に兵が2人出てきて、命を惜しまず戦って、みな追い返してしまった。たいそう不思議に思われて、
「ふだんここにいらっしゃるとも見かけない方々が、このように戦ってくださるとは、どなたですか」
と尋ねたところ、
「長年あなたが頼りにして、毎朝召し上がっていた大根たちでございます」
と言って消えてしまった。
深く信じていれば、このような御利益もあるものなのだなあ。
第69段 書写の上人は
書写山の性空上人は、法華経を読誦した功徳が積もって、六根清浄の境地に達した人であった。旅の仮宿に立ち寄られたとき、豆の殻を焚いて豆を煮る音が、ぐつぐつと鳴るのをお聞きになると、
「縁の遠くないお前たちが、恨めしくも、私を煮てひどい目にあわせることよ」
と豆が言っていた。焚かれる豆殻がぱちぱちと鳴る音は、
「自分の心からすることだろうか。焼かれるのは、どれほど耐えがたいかしれないけれど、どうしようもないことなのだ。そんなに恨みなさるな」
と聞こえた。
第70段 元応の清暑堂の御遊に
元応の清暑堂での御遊のとき、名器の玄上が失われてしまったころで、菊亭大臣が琵琶の牧馬を弾かれることになったが、座に着いて、まず柱を探られたところ、1つ落ちてしまった。懐にそくいを持っておられたので、それでつけられたところ、神前へのお供えが運ばれるころには、すっかり乾いて、何の支障もなかった。
どういう恨みがあったのだろうか、見物していた衣かずきの女が近寄って、柱をはずして、もとのように置いておいたということだ。
第71段 名を聞くより、やがて面影は
名前を聞くとすぐに、その人の顔つきが推し量られる気がするのに、実際に会ってみると、また前から思っていたとおりの顔をしている人はいないものだ。
昔の物語を聞いても、今の人の家のあのあたりであったろうと思われ、登場人物も、今会う人の中の誰かに重ね合わせて思われるのは、誰でもこのように感じるのだろうか。
また、どういうときであろうか、たった今人が言ったことも、目に見えるものも、自分の心の中も、このようなことがいつだったかあったと思われて、いつとは思い出せないけれど、確かにあった気がするのは、自分だけがこう思うのだろうか。
第72段 賤しげなるもの
下品に見えるもの。座っている周りに道具類が多いこと。硯に筆が多いこと。持仏堂に仏像が多いこと。庭の植え込みに石や草木が多いこと。家の中に子や孫が多いこと。人に会って口数が多いこと。願文に自分の善行を多く書き連ねたこと。
多くても見苦しくないのは、文車の中の書物と、ごみ捨て場のごみである。
第73段 世に語り伝ふること
世間に語り伝えられていることは、真実のままでは面白くないのだろうか、多くはみなうそである。
人は実際以上に話を大げさに言うものなのに、まして年月がたち、場所も隔たってしまうと、言いたい放題に語り作って、書き留めてしまえば、そのまま事実として定まってしまう。それぞれの道の名人のすばらしいことなど、物事の道理をわきまえない人で、その道を知らない人は、むやみに神のように言うけれども、その道を知っている人は、まったく信じる気も起こさない。うわさに聞くのと実際に見るのとでは、何事も違うものである。
一方ではうそがばれてしまうのも顧みず、口から出まかせに言い散らすのは、すぐに根拠のないことだとわかる。また、自分でも本当らしくないとは思いながら、人の言ったとおりに、鼻のあたりをうごめかして得意げに言うのは、その人がついたうそではない。いかにも本当らしく、ところどころはっきりしないふりをして、よく知らないように装いながら、それでいて話のつじつまを合わせて語るうそは、恐ろしいものである。
自分にとって名誉になるように言われたうそは、人はあまり反論しない。
みんなが面白がっているうそは、自分一人が「そうではなかったのに」と言っても仕方がないので、聞いているうちに、証人にまでされて、ますます事実として定まってしまうにちがいない。とにもかくにも、うその多い世の中である。
ただ、いつもある、珍しくもないことのままに理解しておけば、何事も間違いはないだろう。身分の低い人の話は、耳を驚かすようなことばかりである。教養のある人は、怪しげなことは語らない。
こうは言っても、仏や神の霊験、仏菩薩の化身の伝記などは、そうむやみに信じないわけにもいかない。
これは、世俗のうそを本気で信じているのも愚かしく、「まさかそんなことはあるまい」などと言うのも仕方がないので、だいたいは本当のことのように受け答えしておいて、ひたすら信じることもせず、また疑ったりあざけったりもしてはならない。
第74段 蟻のごとくに集まりて
蟻のように集まって、東西に急ぎ、南北に走り回っている。身分の高い者もいれば、低い者もいる。老いた者もいれば、若い者もいる。行く所があり、帰る家がある。夕方には寝て、朝には起きる。いったい何を営んでいるのか。
長生きをむさぼり、利益を求めてやむときがない。身を養って何を待っているのか。待ち受けているのは、ただ老いと死だけである。それがやって来るのは速く、一瞬の間もとどまることがない。これを待つ間に、何の楽しみがあろうか。
迷っている者がこれを恐れないのは、名誉や利益におぼれて、死期が近いことを顧みないからである。
愚かな人がまたこれを悲しむのは、いつまでも変わらずにいたいと思って、万物が移り変わるという道理を知らないからである。
第75段 つれづれわぶる人は
退屈をつらく思う人は、どういう心なのだろう。気の紛れることもなく、ただひとりでいるのこそよい。
世間に従えば、心は外界の煩わしさに奪われて惑いやすく、人と交われば、言葉は他人の聞こえに合わせて、まったく本心からのものではなくなる。人とふざけ合い、物を争い、あるときは恨み、あるときは喜ぶ。その心は定まることがない。分別がむやみに起こって、損得を考えることがやむときがない。迷いの上に酔っている。酔いの中で夢を見ている。
走り回って忙しく、ぼけて大切なことを忘れているのは、人はみなこのようなものである。
まだ真の仏道を知らなくても、俗縁を離れて身を静かにし、世事に関わらずに心を安らかにすることこそ、しばらくの間は楽しむとも言えるだろう。
「生活、人づきあい、技芸、学問などの諸縁をやめよ」と、『摩訶止観』にもあります。
第76段 世の覚え花やかなるあたりに
世間の声望が華やかな家に、弔事や慶事があって、多くの人が訪ねていく中に、聖や法師がまじって、取り次ぎを頼んで門口にたたずんでいるのは、そうでなくてもよいのにと見える。しかるべき理由があるとしても、法師は人に疎遠でいるのがよい。
第77段 世の中に、そのころ人のもてあつかひぐさに
世の中で、そのころ人々が話題にして言い合っていることを、関わりを持つべきではない立場の人が、よく事情を知っていて、人にも語り聞かせ、尋ね聞いたりしているのは、感心しない。
とりわけ、片田舎の聖や法師などが、世間の人の身の上を自分のことのように尋ね聞いて、どうしてそこまで知っているのだろうと思われるほど、言い散らしているようだ。
第78段 今様のことどものめづらしきを
当世風のことで珍しいことを、言い広めもてはやすのも、また感心しない。世間で言い古されるまで知らない人は、奥ゆかしい。
新参の人などがいるとき、ここで言い慣れている言葉や物の名など、事情を心得ている者どうしで、片言を言い交わし、目を見合わせ、笑ったりして、事情を知らない人をわけがわからない気持ちにさせることは、世慣れていない、教養のない人が必ずすることである。
第79段 何事も入りたたぬさましたるぞよき
何事も、深入りしていないふうをしているのがよい。教養のある人は、知っていることだからといって、そんなに知ったかぶりをして言うだろうか。片田舎から出てきた人こそ、あらゆる道に通じているかのような受け答えをするものだ。だから、聞いているこちらが気恥ずかしくなるほどの面もあるけれど、自分でも大したものだと思っている様子は、見苦しい。
よくわきまえている道については、必ず口を重くし、問われない限りは言わないのこそすばらしい。
第80段 人ごとに、我が身にうときことをのみぞ好める
人はみな、自分に縁遠いことばかりを好むものだ。法師は武士の道を立て、東国の武士は弓の引き方も知らずに、仏法を知っているような顔をし、連歌をし、管弦をたしなみ合っている。けれども、未熟な自分の本業よりも、なおいっそう人から侮られるにちがいない。
法師だけではない。
上達部や殿上人、上流の人々までおしなべて、武を好む人が多い。
百度戦って百度勝っても、まだ武勇の名声を定めることはできない。その理由は、運に乗じて敵を打ち破るときには、勇者でないと言う人はいない。兵が尽き、矢がなくなって、それでも最後まで敵に降参せず、潔く死んだ後で、はじめて名を表すことができる道なのである。生きているうちは、武勇を誇ってはならない。
人の道から遠く、鳥や獣に近い振る舞いである。武士の家柄でないなら、好んでも益のないことである。
第81段 屏風、障子などの絵も文字も
屏風や障子などの絵も文字も、下手な筆づかいで書いてあるのは、見苦しいというよりも、その家の主人が劣って思われるのである。だいたい、持っている道具によっても、人柄が見劣りさせられることはきっとあるものだ。
それほどよいものを持つべきだというのではない。壊れないようにといって、品なく見苦しいように作り、珍しくしようといって、無用な飾りを付け加え、煩わしく凝ったものにしてあるのを言うのである。
古風な感じで、あまり仰々しくなく、費用もかけずに、品のよいものがよいのである。
第82段 羅の表紙は、とく損ずるがわびしき
「薄絹の表紙は、すぐに傷むのが困ったものだ」
とある人が言ったところ、頓阿が、
「薄絹は上下の端がほつれ、螺鈿の軸は貝が落ちてからこそ味わいがあるものだ」
と申しましたのは、感心して思われた。
何冊かでひとそろいになっている草子などが、同じ体裁でないのを見苦しいと言うけれど、弘融僧都が、
「物を必ずひとそろいにそろえようとするのは、未熟な者のすることである。不ぞろいなのがよい」
と言ったのも、すばらしく思われたのである。
すべて何事も、整いすぎているのはよくないことである。やり残したところを、そのままにしておくのは、おもしろく、先が延びる気がすることである。
「内裏を造営されるときにも、必ず造り残すところを作るものだ」
と、ある人が申しました。
昔の賢人が作った仏典や漢籍にも、章段の欠けたものがたくさんあります。
第83段 竹林院入道左大臣殿
竹林院入道左大臣殿は、太政大臣に昇進なさるのに、何の差し支えもおありにならなかったけれども、
「珍しくもない。一上のままで終わろう」
と言って、出家なさった。
洞院左大臣殿は、このことに感心なさって、太政大臣の望みはお持ちにならなかった。「亢竜の悔いあり」とかいうことがあるのです。
月は満ちると欠け、物は盛りを過ぎると衰える。何事も、行き着くところまで行ってしまったものは、破滅に近い道である。
第84段 法顕三蔵の天竺に渡りて
法顕三蔵が天竺に渡って、故郷の扇を見ては悲しみ、病気で伏しては中国の食べ物を欲しがりなさったということを聞いて、
「あれほどの人が、ひどく心弱い様子を異国でお見せになったものだ」
と人が言ったところ、弘融僧都が、
「優しく情のある三蔵であることよ」
と言ったのは、法師らしくもなく、奥ゆかしく思われた。
第85段 人の心すなほならねば
人の心は素直ではないので、偽りがないわけではない。けれども、まれには正直な人もどうしていないことがあろうか。自分は素直でなくても、人の賢さを見てうらやむのは普通のことである。
このうえなく愚かな人は、たまたま賢い人を見て、これを憎む。「大きな利益を得ようとして、小さな利益を受けず、偽り飾って名声を得ようとしているのだ」と非難する。自分の心と違っているのでこのような嘲りをするのだとわかった。この人は、最も愚かな性質が改まりようもない。
そういう人は、偽ってでも小さな利益を辞退することはできないだろう。かりそめにも賢さを学ぶことはできないだろう。
狂人のまねだといって大路を走れば、そのまま狂人である。悪人のまねだといって人を殺せば、悪人である。千里の名馬を手本とする馬は名馬の仲間であり、舜を手本とする者は舜の仲間である。
偽りであっても賢さを学ぼうとする人を、賢い人と言うべきである。
第86段 惟継中納言は
惟継中納言は、詩歌の才能に富んだ人である。
一生仏道に精進して読経を欠かさず、寺法師の円伊僧正と同じ所に住んでおりましたが、文保年間に三井寺が焼かれたとき、坊主の円伊僧正に会って、
「あなたを寺法師と申し上げていましたが、寺がなくなってしまったので、今からはただの法師とお呼びしましょう」
とおっしゃった。見事な秀句であった。
第87段 下部に酒飲ますることは
召使いに酒を飲ませることは、気をつけなければならないことである。
宇治に住んでおりました男が、京に住む具覚房という、上品な遁世の僧と、妻の兄弟であったので、いつも親しく付き合っていた。
あるとき、迎えに馬をよこしたところ、道のりが遠いので、馬の口取りの男に、
「まず一杯飲ませてやれ」
と言って、酒を出したところ、杯を受けては受けて、ぐいぐいと飲んだ。
太刀を腰に差して、いかにも頼りがいがありそうな様子なので、心強く思って、連れて行くうちに、木幡のあたりで、奈良の法師が兵士を大勢連れているのに出会ったところ、この男が立ち向かって、
「日の暮れた山中で、怪しいやつらだ。止まれ」
と言って、太刀を引き抜いたので、相手もみな太刀を抜き、矢をつがえなどしたのを、具覚房が手をすり合わせて、
「正気もなく酔っている者でございます。どうかお許しください」
と言ったので、それぞれあざ笑って通り過ぎていった。
この男は、具覚房に向かって、
「御坊は残念なことをなさったものだ。私は酔ってなどおりません。手柄を立てようとしたのに、抜いた太刀を無駄にしてしまわれたことよ」
と怒って、めった斬りにして馬から斬り落としてしまった。そうして、「山賊が出た」と大声で騒いだので、村人たちが大勢で出てきたところ、
「おれこそが山賊だ」
と言って、走りかかっては斬り回ったのを、大勢で傷を負わせ、打ち倒して縛り上げた。馬は血まみれになって、宇治大路の家に駆け込んだ。
驚きあきれて、下男たちを大勢走らせたところ、具覚房はくちなしの生えた野原にうめきながら倒れていたのを、探し出して、担いで連れて来た。
危うい命は助かったが、腰を斬られて傷つき、体が不自由になってしまった。
第88段 ある者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて
ある者が、「小野道風が書いた和漢朗詠集」といって持っていたのを、ある人が、
「お家に代々伝わったものですから、根拠のないことではございますまいが、四条大納言(藤原公任)がお選びになったものを、道風が書くというのは、時代が合わないのではございませんか。疑わしく思います」
と言ったところ、
「そうでございますからこそ、世にもまれな品なのでございます」
と言って、ますます大切にしまっておいた。
第89段 奥山に猫またといふものありて
「山奥に猫またというものがいて、人を食うそうだ」
と人が言ったところ、
「山ではなくても、このあたりでも、猫が年をとって猫またになって、人を襲うことがあるというのに」
と言う者がいたのを、何阿弥陀仏とかいう、連歌をする法師で、行願寺のあたりに住んでいた者が聞いて、「一人で出歩く身としては、気をつけなければならないことだ」と思っていた、ちょうどそのころ、ある所で夜が更けるまで連歌をして、ただ一人で帰ってきたところ、小川のほとりで、うわさに聞いていた猫またが、狙いたがわず足元へさっと寄って来て、そのまま飛びつくやいなや、首のあたりに食いつこうとする。
気も動転して、防ごうとしても力も出ず、足も立たず、小川へ転げ落ちて、
「助けてくれ、猫まただ、おーい、おーい」
と叫ぶと、家々から人々が松明をともして走り寄って見ると、このあたりで見知った僧である。
「これはどうしたことか」
と言って、川の中から抱き起こしたところ、連歌の賞品として取った扇や小箱などを懐に入れていたのも、水につかってしまった。かろうじて助かったという様子で、はうようにして家に入っていった。
飼っていた犬が、暗かったけれども主人だとわかって、飛びついたのだということである。
第90段 大納言法印の召し使ひし乙鶴丸
大納言法印が召し使っていた乙鶴丸が、やすら殿という者と知り合いになって、いつも通っていたが、あるとき出かけて帰って来たのを、法印が、
「どこへ行っていたのか」
と尋ねたところ、
「やすら殿のところへ行ってまいりました」
と言う。
「そのやすら殿は、俗人か、法師か」
とまた尋ねられて、袖をかき合わせて、
「どうでございましょうか。頭は見ておりません」
とお答え申し上げた。どうして頭だけが見えなかったのだろうか。
第91段 赤舌日といふこと
赤舌日ということは、陰陽道では問題にしないことである。昔の人は、これを忌み避けなかった。近ごろ、誰が言い出して忌み始めたのだろうか。
「この日にあることは、最後まで成し遂げられない」と言って、その日に言ったこと、したことは実現せず、手に入れたものは失い、計画したことは成就しないと言うのは、愚かなことである。吉日を選んで行ったことで、最後まで成し遂げられなかったものを数えてみても、やはり同じくらいあるだろう。
その理由は、無常で移り変わるこの世では、存在すると見えるものも存続しない。始まりのあることにも終わりはない。志は遂げられず、望みは絶えることがない。人の心は定まらない。ものはみな幻のように仮のものである。何がしばらくの間でも変わらずにいるだろうか。この道理を知らないのである。
「吉日に悪事をすると、必ず凶である。悪日に善事を行うと、必ず吉である」と言われている。吉凶は人によるのであって、日によるのではない。
第92段 ある人、弓射ることを習ふに
ある人が、弓を射ることを習うときに、二本の矢を手に挟み持って的に向かった。師匠が言うには、
「初心者は、二本の矢を持ってはならない。後の矢を頼みにして、初めの矢をいい加減にする気持ちが生じる。毎回、当たり外れを考えず、この一本の矢で決めようと思え」
と言う。
たった二本の矢で、師匠の前で一本をおろそかにしようと思うだろうか。怠ける心は、自分では気づかなくても、師匠はこれを見抜いている。この戒めは、あらゆることに通じるはずである。
仏道を学ぶ人は、夕方には翌朝があるだろうと思い、朝には夕方があるだろうと思って、あとで改めて念入りに修行しようとあてにする。
ましてや一瞬のうちに、怠ける心があることに気づくだろうか。どうして、今この一瞬にすぐ実行することが、これほどまでに難しいのか。
第93段 牛を売る者あり
牛を売る者がいた。
買う人が、明日その代金を払って牛を受け取ろうと言う。ところがその夜のうちに牛が死んだ。
「買おうとした人は得をし、売ろうとした人は損をした」
と話す人がいた。これを聞いて、そばにいた者が言うには、
「牛の持ち主は、たしかに損をしたが、また大きな得もしている。その理由は、命あるものが、死の近いことを知らないのは、牛がまさにそうである。人もまた同じである。思いがけず牛は死に、思いがけず持ち主は生き残った。一日の命は、莫大な金よりも重い。牛の代金は、鵞鳥の羽毛よりも軽い。莫大な金を得て一銭を失った人が、損をしたと言うべきではない」
と言うと、人々はみなあざ笑って、
「その理屈は、牛の持ち主に限ったことではないだろう」
と言う。その者はまた言った、
「だから、人が死を憎むのなら、生を愛するべきである。命ある喜びを、日々楽しまないでいられようか。愚かな人は、この楽しみを忘れて、苦労して他の楽しみを求め、この財産を忘れて、危険を冒して他の財産をむさぼるが、それでは望みが満たされることはない。生きている間に生を楽しまないで、死に臨んで死を恐れるのなら、この道理に合わない。人がみな生を楽しまないのは、死を恐れないからである。いや、死を恐れないのではない。死が近いことを忘れているのである。もしまた、生死という現象にとらわれないと言うのなら、真実の道理を悟っていると言うべきである」
と言うと、人々はますますあざ笑った。
第94段 常磐井相国出仕したまひけるに
常磐井相国(西園寺実氏)が出仕なさったときに、天皇の文書を持った北面の武士がお会い申し上げて、馬から下りたのを、相国が、後に、
「北面の何某は、天皇の文書を持ちながら馬から下りました者です。これほどの者が、どうして主君にお仕えできましょうか」
と申し上げなさったので、その北面の武士は職を解かれてしまった。
「天皇の文書は、馬の上にいるまま捧げ持ってお見せ申し上げるべきである。馬から下りてはならない」ということである。
第95段 箱のくりかたに緒をつくること
「箱のくりかたに紐をつけるのは、どちら側につけるべきでしょうか」
と、ある有職故実に通じた人にお尋ね申し上げましたところ、
「軸につけるのと、表紙につけるのと、二説あるので、どちらでも差し支えない。文書を入れる箱は、多くは右側につける。手箱には軸につけるのも普通のことである」
とおっしゃった。
第96段 めなもみといふ草あり
めなもみという草がある。まむしに噛まれた人が、その草をもんでつけると、すぐに治るということだ。見分けられるようにしておくがよい。
第97段 その物につきて、その物を費やし損なふもの
そのものに取りついて、そのものを消耗させ損なうものは、数えきれないほどある。
体にはしらみがおり、家にはねずみがおり、国には賊がおり、小人には財産があり、君子には仁義があり、僧には仏法がある。
第98段 尊き聖の言ひ置きけることを
尊い聖が言い残したことを書きつけて、一言芳談とかいう名をつけた本を見ましたときに、心にかなって覚えたことなど。
一つ しようか、しないでおこうかと迷うことは、たいていは、しないほうがよいのである。
一つ 来世を願う者は、ぬかみその瓶一つも持ってはならないのである。お経や本尊に至るまで、よいものを持つのは、つまらないことである。
一つ 遁世者は、物がなくても不自由しないように工夫して暮らすのが、最上のあり方なのである。
一つ 身分の高い者は低い者に、知恵ある者は愚か者に、裕福な者は貧しい者に、才能ある人は無能な者になるべきなのである。
一つ 仏道を願うというのは、特別なことではない。暇のある身になって、世の中のことを心にかけないのを、第一の道とするのである。
このほかにもあったことは、覚えていない。



