『無名抄』の原文を、4ページに分けて全文ルビ付きで掲載しています。このページ(3)には、第41段「歌の半臂の句」から第70段「式部・赤染勝劣のこと」までの章段を収めました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『無名抄』現代語訳(3)をご覧ください。
第41段 歌の半臂の句
俊恵、物語のついでに問ひていはく、
「遍昭僧正の歌に
たらちねはかかれとてしもむばたまのわが黒髪をなでずやありけむ
この歌の中に、いづれの言葉かことに優れたる。覚えむままにのたまへ」
と言ふ。
予、いはく、
「『かかれとてしも』といひて、『むばたまの』と休めたるほどこそは、ことにめでたくはべれ」
と言ふ。
「かくなり、かくなり。早く歌は境に入られにけり。歌詠みはかやうのことにあるぞ。それにとりて、『月』といはむとて『ひさかた』と置き、『山』といはむとて『あしびき』といふは常のことなり。されど、初めの五文字にてはさせる興なし。腰の句によく続けて言葉の休めに置きたるは、いみじう歌の品も出でき、ふるまへるけすらひともなるなり。古き人、これをば『半臂の句』とぞいひはべりける。半臂はさせる用なきものなれど、装束の中に飾りとなるものなり。歌の三十一字、いくほどもなきうちに思ふことをいひ極めむには、むなしきことをば一文字なりとも増すべくもあらねど、この半臂の句は必ず品となりて、姿を飾るものなり。姿に華麗極まりぬれば、またおのづから余情となる。これを心得るを、境に入るといふべし。よくよくこの歌を案じてみたまへ。半臂の句も詮は次のことぞ。眼はただ『とてしも』といふ四文字なり。かくいはずは、半臂詮なからましとこそ見えたれ」
となむはべりし。
第42段 蘇合の姿
そもそも、楽の中に蘇合といふ曲あり。これを舞ふには、五帖まで帖々をきれぎれに舞ひ、終はりてのち破を舞ふ。やがて続けて急を舞ふべきに、急の初め一反をばまことに舞ふことなし。型のごとく拍子ばかりに足を踏み合はせて、うち休みつつ、二反の初めよりうるはしくて舞ふなり。このけすらひは、違はぬ半臂の句の心なり。歌と楽と道異なれど、めでたきことはおのづから通へるなるべし。通はして知らざらむ人は、何とかは思ひ分かむ。型のごとく、両方を心得て思ふためには、ことに興あることなり。されば、蘇合をば半臂の句ある舞といひ、この歌のさまをば蘇合の姿ともいひてむかし。
第43段 上の句劣れる秀歌
俊恵いはく、
「歌は秀句を思ひ得たれども、本末いひかなふることの難きなり。後徳大寺左府の御歌に、
なごの海の霞の間よりながむれば入る日を洗ふ沖つ白波
頼政卿の歌に
住吉の松の木間よりながむれば月落ちかかる淡路島山
この両首、ともに上の句思ふやうならぬ歌なり。『入る日を洗ふ』といひ、『月落ちかかる』などいへる、いみじき言葉なれど、胸、腰の句をばえいひかなへず、遺恨のことなり」。
第44段 歌言葉の糟糠
二条中将(雅経)談りていはく、
「歌には、この文字のなくもがなと思ゆることのあるなり。兼資といふ者の歌に、
月は知るや憂き世の中のはかなさをながめてもまたいくめぐりかは
これはよろしく詠めるにとりて、『世の中』の『なか』といふ二つ文字がいみじう悪きなり。ただ、『憂き世のはかなさを』といはまほしきなり。
また、頼政卿の歌に、
澄みのぼる月の光に横ぎれて渡るあきさの音の寒けさ
これも『ひかり』といふ三文字の悪きなり。『月に横ぎれて』とあらば、今少しきらきらしく聞こゆべきなり。この言葉をば歌の中の疵とやいふべからむ。深く思ひ入れざらむ人はわきまへがたし」。
第45段 歌をいたくつくろへば必ず劣ること
覚盛法師がいはく、
「歌はあらあらしくとめもあはぬやうなる、一つの姿なり。それをあまり細工みてとかくすれば、はてにはまれまれものめかしかりつるところさへ失せて、何にてもなき小物になるなり」
と申しし、さもと聞こゆ。
季経卿の歌に、
年を経て返しもやらぬ小山田は種貸す人もあらじとぞ思ふ
この歌、艶なるかたこそなけれど、一節いひて、さる体の歌と見たまへしを、年経てのちかの集の中にはべるを見れば、
賤の男が返しもやらぬ小山田にさのみはいかが種を貸すべき
これは直されたりけるにや。いみじうけ劣りて覚えはべるなり。よくよく心すべきことにこそ。
第46段 秀句によりて心劣りすること
円玄阿闍梨といひし人の歌に、
夕暮れに難波の浦をながむれば霞に浮かぶ沖の釣り舟
この歌は優なれど、主の心劣りせらるる歌なり。そのゆゑは、「霞に浮かぶ沖の釣り舟」といへる、わりなき節を思ひ寄りなむにとりては、いかが「夕暮に難波の浦をながむれば」といふ上の句をば置かむ。まことに無念に見所もなき言葉続きなりかし。同じ浦なりとも、夕暮なりとも、めづらしきやうに思ふところありて続く方もはべりなむものを、さほど手づつにて、いかにして下の句をば思ひ寄りけるにかと覚えはべるなり。
第47段 案じ過ぎて失となること
愚詠の中に、
時雨にはつれなくもれし松の色を降りかへてけり今朝の初雪
これを俊恵難じていはく、
「ただ『つれなく見えし』といふべきなり。あまりわりなくわかせるほどに、かへりて耳止まる節となれるなり。ある所の歌合に、霞を俊恵が歌に、
夕なぎに由良の門渡る海女小舟霞のうちに漕ぎぞ入りぬる
その度の会に、清輔朝臣、ただ同じやうに詠みたりしにとりて、かれは『霞の底に』と詠めりしを、人の『入海かと思ゆ』と難じはべりしなり。のさびなるところをば、ただ世の常にいひ流すべきをいたく案じ過ぐしつれば、かへりて耳止まる節となるなり。たとへば、糸をよる人の、いたくけうらによらむと、より過ぐしつれば、節となるがごとし。これをよく計らふを上手といふべし。風情はおのづから出で来るものなれば、ほどにつけつつ求め得ることもあれど、かやうのことに上手にて、そのけぢめは見ゆるなり。されば、えせ歌詠みの秀句には、多くは足らぬところの出で来るぞかし」。
第48段 静縁こけ歌詠むこと
静縁法師、みづからが歌を語りていはく、
鹿の音を聞くにわれさへ泣かれぬる谷の庵は住み憂かりけり
「とこそつかうまつりてはべれ。いかがはべる」
と言ふ。
予がいはく、
「よろしくはべり。ただし『泣かれぬる』といふ言葉こそ、あまりこけ過ぎていかにぞや覚えはべれ」
と言ふを、静縁法師いはく、
「その言葉をこそこの歌の詮とは思ひたまふるに、この難はことのほかに覚えはべり」
とて、いみじく悪く難ずると思ひげにて去りぬ。
よしなく覚ゆるままにものを言ひて、心すべかりけることを、と悔しく思ふほどに、十日ばかりありて、また来たりて言ふやう、
「一日の歌難じたまひしを、隠れごとなし、心得ず思ひたまへて、いぶかしく覚えはべりしままに、さはいふとも、大夫公のもとに行きてこそ、わが僻事を思ふか、人の悪しく難じたまふか、ことをば切らめと思ひて、行きて語りはべりしかば、『なでふ、御房のかかるこけ歌詠まるるぞとよ。「泣かれぬる」とは何事ぞ。さまでなの心根や』となむ、はしたなめられてはべりし。されば、よく難じたまひけり。我悪しく心得たりけるぞと、おこたり申しにまうでたるなり」
と言ひて帰りはべりにき。心の清さこそありがたくはべれ。
第49段 代々恋の中の秀歌
俊恵語りていはく、
「故左京大夫顕輔語りていはく、『後拾遺の恋の歌の中には、
夕暮れは待たれしものを今はただ行くらむ方を思ひこそやれ
これを面歌と思へり。金葉集には、
待ちし夜の更けしを何に嘆きけむ思ひ絶えても過ぐしける身を
これを優れたる恋とせり。わが撰べる詞花集には、
忘らるる人目ばかりを嘆きにて恋しきことのなからましかば
この歌をかの類にせむとなむ思ひたまふる。いとかれらにも劣らず、けしうはあらずこそはべれ』と言はれけり。しかあるを、俊恵が歌苑抄の中には、
ひと夜とて夜離れし床のさむしろにやがても塵の積もりぬるかな
これをなむ面歌と思ひたまふる、いかがはべらむ」
とぞ。
今これらに心づきて、新古今を見れば、わが心に優れたる歌、三首見ゆ。いづれとも分きがたし。後の人定むべし。
かくてさは命や限りいたづらに寝ぬ夜の月の影をのみ見て
野辺の露は色もなくてやこぼれつる袖より過ぐる荻の上風
帰るさのものとや人のながむらむ待つ夜ながらの有明の月
俊恵いはく、
「顕輔卿の歌に、
逢ふと見てうつつのかひはなけれどもはかなき夢ぞ命なりける
この歌を俊頼朝臣感じていはく、
『これは椋の葉磨きして、鼻脂引ける御歌なり。世の常の人ならば、うつつのかひはなけれどもはかなき夢ぞ嬉しかりける、とぞ詠ままし。誰がかくは詠まむぞ』
とぞ讃められける」。
第50段 歌人は証得すべからざること
俊恵に和歌の師弟の契結びはべりし初めの言葉にいはく、
「歌は極めたる故実のはべるなり。われをまことに師と頼まれば、このこと違へらるな。そこは必ず末の世の歌仙にていますかるべき上に、かやうに契をなさるれば申しはべるなり。あなかしこあなかしこ、われ人に許さるるほどになりたりとも、証得して、われは気色したる歌詠みたまふな。ゆめゆめあるまじきことなり。後徳大寺の大臣は、左右なき手だりにていませしかど、その故実なくて、今は詠み口後手になりたまへり。そのかみ前の大納言など聞こえしとき、道を執し、人を恥ぢて、磨き立てたりしときのままならば、今は肩並ぶ人少なからまし。われ至りにたりとて、この頃詠まるる歌は少しも思ひ入れず、やや心づきなき言葉うち混ぜたれば、何によりてかは秀歌も出で来む。秀逸なければまた人用ゐず。歌は当座にこそ、人がらによりて良くも悪しくも聞こゆれど、後朝に今一度静かに見たる度は、さはいへども、風情もこもり、姿も素直なる歌こそ見通しほしははべれ。かく聞こゆるはをこのためしなれど、俊恵はこの頃もただ初心の頃のごとく歌を案じはべり。また、わが心をば次にして、あやしけれど、人の讃めも謗りもするを用ゐはべるなり。これは古き人の教へはべりしことなり。このことを保てる験にや、さすがに老い果てたれど、俊恵を詠み口ならずと申す人はなきぞかし。また、異事にあらず、この故実を誤たぬゆゑなり」。
第51段 非歌仙、歌の難したること
歌は名に流れたる歌詠みならねど、理を先として耳近き道なれば、あやしの者の心にもおのづから善悪は聞こゆるなり。長守語りていはく、
「述懐の歌どもあまた詠みはべりし中に、ざれごと歌に、
火おこさぬ夏の炭櫃の心地して人もすさめずすさまじの身や
と詠めるを、十二になる女子のこれを聞きて、
『冬の炭櫃こそ火のなきは今少しすさまじけれ。などさは詠みたまはぬぞ』
と申しはべりしに、難ぜられて述ぶる方なくなむ」
と語りしこそ、げにをかしかりしか。
第52段 思ひ余る頃、自然に歌詠まるること
また、心にいたく思ふことになりぬれば、おのづから歌は詠まるるなり。金葉集に、詠み人知らずとてはべるかとよ。
身の憂さを思ひしとけば冬の夜もとどこほらぬは涙なりけり
この歌は、仁和寺の淡路の阿闍梨といひける人の妹のもとなりける生女房の、いたく世をわびて詠みたりける歌なり。もとより歌詠みならねば、また詠める歌もなし。ただ思ふあまりに、おのづからいはれたりけるにこそ。
第53段 範兼の家の会優なること
俊恵いはく、
「和歌会のありさまの、げにげにしく優に覚えしことは、次の所にとりては、近くは範兼卿の家の会のやうなることはなし。亭主のさる人にて、いみじうもてなして、ことに触れつつれうじならず。人に恥ぢ、道を執して、讃むべきをば感じ、謗るべきをば難じ、ことごとにはえありて、乱れがはしきことゆめにもなかりしかば、さし入る人もみなその趣に従ひて、いかでよろしく詠み出でむと思へりき。さればよき歌も出で来、はかなく珍しき一節を思ひ寄れるにつけても、かひがひしき心地して、いさましくなむありし。兼日の会にはみな歌を懐中して、当日の儀、いたづらに程を経ることなし。もし当座に会あれば、おのおの所々にさし退きつつ、沈思しあひたるさまなどまでも、艶にあらまほしくはべりしかば、させることなき歌も、ことがらに飾られて艶に聞こえはべりき」
第54段 近代の会狼藉のこと
「この頃、人々の会に連なりてみれば、まづ会所のしつらひより初めて、人の装束のうちとけたるさま、おのおのが気色有様、乱れがはしきこと限りなし。いみじう十日、二十日かけて題を出だしたれど、日頃は何わざをしけるにか、当座にのみ歌を案じて、すずろに夜を更かして興をさまし、披講の時を分かず心々に物語をし、先達にも恥ぢず、面々に証得したる気色どもははなはだしけれど、げに歌のさまを知りて讃め謗る人はなし。まれまれ古き人の良き悪しきを定むるも、人の気色を計らひて、偏頗を先としたれば、案ずるにつけてもあぢきなく、よろしき歌を詠めるにつけても、夜の錦に異ならず。高く詠ずるを良きこととて、首筋をいららかし、声をよりあはせたるさまなど、いみじう心づきなし。すべて賑ははしきにつけても品なく、優しがるにつけてもわざとびたり。げには人の心の底まで好かずして、ただ人まねに道を好むゆゑなめりとぞ覚えはべる」
とぞ。
第55段 俊成入道の物語
五条三位入道いはく、
「俊恵は当世の上手なり。されど、俊頼にはなほ及びがたし。俊頼はまのなく、思ひ至らぬくまなく、一方ならず詠めるが、力も及ばぬなり。今の世には、頼政こそいみじき上手なれ。かれだに座にあれば、目のかけられて、かれにこと一つせられぬと思ゆるなり」。
第56段 頼政歌道に好けること
俊恵いはく、
「頼政卿はいみじかりける歌仙なり。心の底まで歌になりかへりて、常にこれを忘れず心にかけつつ、鳥の一声鳴き、風のそそと吹くにも、まして花の散り、葉の落ち、月の出入、雨・雪などの降るにつけても、立居起き臥しに風情をめぐらさずといふことなし。まことに秀歌の出で来るも理とぞ思えはべりし。かかれば、しかるべき時名上げたる歌ども、多くは擬作にてありけるとかや。大方、方々の会の座に連なりて、歌うち詠じ、良き悪しき理などせられたる気色も、深く心に入れることと見えていみじかりしかば、かの人のある座には何こともはえあるやうにはべりしなり」。
第57段 清輔弘才のこと
勝命いはく、
「清輔朝臣、歌の方の弘才は肩並ぶ人なし。いまだよも見及ばれじと思ゆることを、わざとかまへて求め出でて尋ぬれば、みなもとより沙汰し古されたることどもにてなむはべりし。晴の歌詠まむとては、
『大事はいかにも古集を見てこそ』
と言ひて、万葉集をぞ返す返す見られはべりし」。
第58段 俊成の自讃歌のこと
俊恵いはく、
「五条の三位入道の御許に参でたりしついでに、
『御詠の中には、いづれをか優れたりと思ほす。人はよそにてやうやうに定めはべれど、それをば用ゐはべるべからず。まさしくうけたまはらむ』
と聞こえしかば、
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
『これをなむ、身にとりてのおもて歌と思ひたまふる』
と言はれしを、俊恵またいはく、
『世にあまねく人の申しはべるには、
面影に花の姿を先立てて幾重越え来ぬ峰の白雲
これを優れたるやうに申しはべるはいかに』
と聞こゆ。
『いさ、よそにはさもや定めはべるらむ、知りたまへず。なほみづからは、先の歌には言ひ較ぶべからず』
とぞはべりし」
第59段 俊恵俊成の秀歌を難ずること
と語りて、これをうちうちに申ししは、
「かの歌は、『身にしみて』といふ腰の句の、いみじう無念に覚ゆるなり。これほどになりぬる歌は、景気を言ひ流して、ただ空に身にしみけむかしと思はせたるこそ、心にくくも優にもはべれ。いみじく言ひもてゆきて、歌の詮とすべき節をさはさはと言ひ表したれば、むげにこと浅くなりぬるなり」
とぞ。
第60段 俊恵の秀歌
そのついでに、
「わが歌の中には、
み吉野の山かき曇り雪降ればふもとの里はうちしぐれつつ
これをなむ、かの類にせむと思ひたまふる。もし世の末に、おぼつかなく言ふ人もあらば、『かくこそ言ひしか』と語りたまへ」
とぞ。


第61段 俊成・清輔の歌の判、偏頗あること
顕昭いはく、
「この頃の和歌の判は、俊成卿、清輔朝臣、左右なきことなり。しかあるを、ともに偏頗ある判者なるにとりて、その様の変はりたるなり。俊成卿は、われも僻事をすと思ひはまへる気色にて、いともあらがはず、
『世の中の習ひなれば、さなくもいかがは』
などやうに言はれき。清輔朝臣は、外相はいみじう清廉なるやうにて、偏頗といふこと、つゆも気色にあらはさず。おのづから人の傾くことなどもあれば、気色を誤りてあらがひ論ぜられしかば、人のみなそのよしを心得て、さらに言ひ出づることもなかりき」。
第62段 作者を隠すこと
大方は、歌を判ずるには作者を隠すといひながら、ひとへに知らぬもゆゆしき大事なり。また、名顕れたるもはばからはしく、表に負くること多かり。ただ隠せるやうにて、内々にいささか心得たるがめでたきなり。
第63段 道因歌に志深きこと
この道に心ざし深かりしことは、道因入道並びなき者なり。七、八十になるまで、秀歌詠ませたまへと祈らむため、徒歩より住吉へ月詣でしたる、いとありがたきことなり。
ある歌合に、清輔判者にて、道因が歌を負かしたりければ、わざと判者のもとにまうでて、まめやかに涙を流しつつ、泣き恨みければ、亭主、言はむ方なく、
「かばかりの大事にこそあはざりつれ」
とぞ語られける。
九十ばかりになりては、耳などもおぼろなりけるにや、会のときはことさらに講師の座の際に分け寄りて、脇元につぶと添ひ居て、みづはさせる姿に耳を傾けつつ、他事なく聞きける気色など、なほざりのこととは見えざりき。
千載集撰ばれはべりしことは、かの入道失せてのちのことなり。されど亡きあとにも、さしも道に心ざし深かりし者なりとて、優して十八首を入れられたりけるに、夢の中に来たりて、涙を落としつつ、喜びいふと見たまひたりければ、ことにあはれがりて、今二首を加へて、二十首になされたりけるとぞ。しかるべかりけることにこそ。
第64段 隆信・定長一双のこと
近頃は、隆信、定長と番ひて、若くより人の口に同じやうにいはれはべりき。かの俊恵が家にて、百首を十首づつ十度に詠みて、十座の百首と名付けたることのありけるには、挑みておのおの心を尽くしたりける。げにいづれも劣らざりけり。また、俊成卿の十首歌詠ませはべりける時も、ともによく詠みたりければ、かの卿は、
「世に人の一番に申すよし聞けど、何事かはあらむと思ひて過ぎつるに、この十首の歌にこそ返抄もたびつべく覚ゆれ」
となむ言はれける。
しかあるを、九条殿右大臣と申ししとき、人々に百首を召されしに、隆信作者に入りて、公事なるうちにも日数もなくて、もの騒がしかりければ、いとよろしき歌もなかりけり。その頃定長は出家ののちにて、身の暇もあり、今少しのどやかに案じて、無題の百首を磨きたてて取り出だしたりけるに、たとしへなく勝りたりければ、その時より「寂蓮左右なし」といふことになりにき。御所辺には、
「いかなるをこの者の、同じ列の詠み口とは番ひそめたるぞ」
とまで仰せられけるとぞ。のちに隆信からきことにして、
「はやく死なましかば、さるほどの歌仙にてやみなまし。よしなき命の長くて、かく道の恥をあらはすこと」
とぞ言はれける。
第65段 大輔・小侍従一双のこと
近く女歌詠みの上手にては、大輔、小侍従とて、とりどりにいはれはべりき。大輔は今少しものなど知りて、根強く詠む方は勝り、侍従は華やかに目驚くところ詠み据うることの優れたりしなり。中にも歌の返しすることは、誰にも優れたりとぞ。
「本歌にいへることの中に、さもありぬべきところをよく見つめて、これを返す心ばせの、あふかたきもなきぞ」
とぞ、俊恵法師は申しはべりし。
第66段 俊成卿女・宮内卿、両人歌の詠みやうの変はること
今の御所には、俊成卿女と聞こゆる人、宮内卿と、この二人の女房、昔にも恥ぢぬ上手どもなり。歌の詠みやうこそ、ことのほかに変はりてはべりけれ。人の語りはべりしは、俊成卿女は、晴の歌詠まむとては、まづ日頃かけてもろもろの集どもを繰り返しよくよく見て、思ふばかり見終はりぬれば、みな取り置きて、火かすかに灯し、人遠く音なくしてぞ案ぜられける。
宮内卿は初めより終はりまで、草子、巻物取り込みて、切灯台に火近々と灯しつつ、かつがつ書き付け書き付け、夜も昼も怠らずなむ案じける。この人はあまり歌を深く案じて病になりて、一度は死にはずれしたりき。父の禅門、
「何事も身のある上のことにてこそあれ。かくしも病になるまでは、いかに案じたまふぞ」
と諫められけれども用ゐず。つひに命もなくてやみにしは、そのつもりにやありけむ。
第67段 具親、歌を心に入れざること
寂蓮入道は、ことにことにこのことをいみじがりて、兄人の具親少将(兵衛佐)の歌に心を入れぬをぞ憎みはべりし。
「なにゆゑ身を立てたる人なれば、しかあるらむ。宿直所をまれまれ立ち入りて見れば、晴の御会などのある頃も、『弓よ、ひきべよ』など取り込みて、細工前に据ゑて、歌を大事とも思はぬ」
とて、口惜しきことにぞ言ひはべりし。
第68段 会の歌に姿分かつこと
御所に朝夕候ひし頃、常にも似ず珍しき御会ありき。
「六首の歌に、みな姿を詠みかへてたてまつれ」
とて、
「春、夏は太く大きに、秋、冬は細く乾び、恋、旅は艶に優しくつかうまつれ。これ、もし思ふやうに詠みおほせずは、そのよしをありのままに申し上げよ。歌のさま知れるほどを御覧ずべきためなり」
と仰せられたりしかば、いみじき大事にて、かたへは辞退す。心にくからぬほどの人をば、またもとより召されず。かかれば、まさしくその座に参りて連なれる人、殿下、大僧正御房、定家、家隆、寂蓮、予と、わづかに六人ぞはべりし。
愚詠に、太く大きなる歌に、
雲さそふ天つ春風かをるなり高間の山の花ざかりかも
打ち羽ぶき今も鳴かなむほととぎす卯の花月夜さかり更けゆく
細く乾びたる歌、
宵の間も月の桂の薄紅葉照るとしもなき初秋の空
寂しさはなほ残りけり跡絶ゆる落葉が上に今朝は初雪
艶に優しき歌、
忍ばずよ絞りかねつと語れ人もの思ふ袖の朽ちはてぬ間に
旅衣立つ暁の別れよりしをれしはてや宮城野の露
第69段 寂蓮・顕昭両人の心のこと
この中に、春の歌をあまた詠みて、寂蓮入道に見せ申しし時、この高間の歌を「よし」とて、点合はれたりしかば、書きてたてまつりてき。すでに講ぜらるる時に至りてこれを聞けば、かの入道の歌に、同じく高間の花を詠まれたりけり。わが歌に似たらば違へむなど思ふ心もなく、ありのままにことはられける、いとありがたき心なりかし。さるは、まことの心ざまなどをば、いたく神妙なる人ともいはれざりしを、わが得つる道になれば心ばえもよくなるなめり。
そのかみ、宣陽門院の御供花の会の歌に、常夏契り久しといふ題に、「動きなき世のやまとなでしこ」と詠めりしをば、ある先達見て、「わが歌に似たり。詠み替へよ」と、あながちに申しはべりしかば、力なくて当座に詠みかへてき。たとしへなき心なり。
そもそも、人の徳を讃めむとするほどに、わがため面目ありし度のことを長々と書き続けてはべる、をかしく。されど、この文の得分に、自讃少々まぜてもいかがはべらむ。
第70段 式部・赤染勝劣のこと
ある人いはく、
「俊頼の髄脳に、定頼中納言、公任大納言に、式部と赤染とが劣り勝りを問はる。大納言いはく、
『式部は、こやとも人をいふべきにと詠める者なり、一つ口にいふべからず、とはべりければ、中納言重ねていはく、式部が歌には、はるかに照らせ山の端の月といふ歌をこそ、世の人は秀歌と申しはべるめれ、と言ふ。大納言いはく、それぞ、世の人の知らぬことをいふよ。暗きより暗きに入ることは、経の文なれば、いふにも及ばず。末の句は、また本に引かれて、易く詠まれぬべし。こやとも人をいふべきにといひて、隙こそなけれ葦の八重葺きといへるこそ、凡夫の思ひ寄るべきことにもあらね、と答へられける』よしはべるめり。
これに二つの不審あり。一には、式部を勝れるよし、ことはられたれど、その頃のしかるべき会、晴の歌合などを見れば、赤染をばさかりに賞して、式部は漏れたること多かり。一には式部が二首の歌を今見れば、はるかに照らせといふ歌は、言葉も姿も、ことのほかにたけ高く、また景気もあり。いかなれば、大納言は、しかことはられけるにや。かたがたおぼつかなくなんはべる」
と言ふ。
予、試みにこれを会釈す。
式部、赤染が勝劣は、大納言一人定められたるにあらず。世こぞりて、式部を優れたりと思へり。しかあれど、人のしわざは主のある世には、その人柄によりて劣り勝ることあり。歌の方は式部左右なき上手なれど、身のふるまひ、もてなし、心用ゐなどの、赤染には及びがたかりけるにや。紫式部が日記といふものを見はべりしかば、
「和泉式部はけしからぬ方こそあれど、うちとけて文走り書きたるに、その方の才ある方も、はかなき言葉の匂ひも見えはべるめり。歌はまことの歌詠みにはあらず。口に任せたることどもに、必ずをかしき一節目とまる、詠み添へはべるめり。されど、人の詠みたらむ歌難じことはりゐたらむ、いでやさまでは心得じ。ただ口に歌詠まるるなめり。恥づかしの歌詠みやとは覚えず。丹波の守の北の方をば、宮、殿など渡りには、匡衡衛門とぞいひはべる。ことにやごとなきほどならねど、まことにゆゑゆゑしう歌詠みとて、よろづのことにつけて詠み散らさねど、聞こえたる限りは、はかなき折節のことも、それこそ恥づかしき口つきにはべれ」
と書けり。かかれば、その時は人ざまにもち消たれて、歌の方も思ふばかり用ゐられねど、まことには上手なれば、秀歌も多く、ことに触れつつ間のなく詠みおくほどに、撰集どもにもあまた入れるにこそ。
曽祢好忠といふ者、人数にもあらず、円融院の子の日の御幸に推参をさへして、をこの名を上げたる者ぞかし。されど今は、歌の方にはやむごとなき者に思へり。一条院の御時、道々のさかりなることを江帥の記せる中にも、
「歌詠みは、道信、実方、長能、輔親、式部、衛門、曽祢好忠」
と、この七人をこそは記されてはべるめれ。これも、みづからによりて、生ける世には世覚えもなかりけるなるべし。
さて、かの式部が歌にとりての劣り勝りは、公任卿のことはりのいはれぬにもあらず、今の不審の僻事なるにもあらず。これはよく心得て、思ひ分くべきことなり。歌は作りたてたる風情、巧みはゆゆしけれど、その歌の品を定むるとき、さしもなきこともあり。また、思ひ寄れる所は及びがたくしもあらねど、うち聞くに、たけもあり、艶にも思えて、景気浮ぶ歌もはべりかし。されば詮は、歌詠みのほどを正しく定めんには、こやとも人をといふ歌をとるとも、式部が秀歌はいづれぞと選らむには、はるかに照らせといふ歌の勝るべきにこそ。たとへば、道のほとりにてなほざりに見付けたりとも、黄金は宝なるべし。いみじく巧みに作りたてたれど、櫛・針などの類はさらに宝とするに足らず。また、心ばせをいはん日は、黄金求めたる、さらに主の高名にあらず。針の類、宝にあらねど、これを物の上手のしわざとは定むべきがごとくなり。しかあれど、大納言のその心を会せらるべかりけるにや。もしはまた、歌の善悪も世々に変るものなれば、その世にこやとも人をといふ歌の勝る方もありけるを、すなはち人の心得ざりけるにや。後の人定むべし。



