『発心集』第6巻 原文全文|ひらがなルビ(ふりがな)付きで読む

 このページでは、鴨長明『発心集』第6巻(第63話~第75話)の原文全文を掲載しています。本文を読みやすくするため、漢字に歴史的仮名遣いによる振り仮名を付けました。

 現代語訳と照らし合わせたい方は、『発心集』第6巻 現代語訳全文をご覧ください。本文の表記や説話ごとの区分は、以下の文献を参考に、当サイトの判断で読みやすく整えています。

目次

第63話 中ごろ、三井寺に智興内供といひて

 なかごろ、三井寺みゐでら智興内供ちこうないぐといひて、たふとひとありけり。としたかくなりて、いかなる宿業しゆくごふにてか、なか心地ここちをして、かぎりになりければ、弟子でしどもあつまりて、かなしむとき晴明せいめいといひて、神如しんによなる陰陽師おんやうじありけり。これをふやう、

「このたびはかぎりある定業ぢやうごふなり。いかにも、かなふべからず。それにとりて、こころざしふかからん弟子でしなんどの、はらんとおもへるあらば、まつりたてまつりてん。そのほかには、いかにもいかにもちからおよばず」

 となんひける。

 おほくの弟子でしどもさしつどへるほどに、このことをきて、内供ないぐくるしみのへがたきままに、

「もし、はるひとやある」

 と、ならたる弟子でしどもを次第しだい見回みまはせど、ことにこそへど、まことにはてがたきいのちなれば、おのおのいろつくりて、になりつつ、一人ひとりとして、「われはらん」とおもへる気色けしきなし。

 そのとき証空阿闍梨しようくうあじやりといふひととしわかくて、弟子でしなかにありけり。弟子でしにとりてはすゑひとなれば、たれおもひよらぬほどに、すすみて内供ないぐにまうすやう、

「われはりたてまつらんとなり。そのゆゑはほふおもくしいのちかろくするは、につかふるならひなり。いかでこのことをきながら、身命しんめいしまん。いたづらにつべきを。いま三世さんぜ諸仏しよぶつにたてまつりて、人界にんがいおもにせん。さらにいたましからず。ただ、とし八十やそぢなるははいまにはべり。われよりほかになし。もし、ゆるされをかうぶらずは、みづからつるのみにあらず、二人ふたりいのちきぬべし。よくよくことはりをまうしかせて、いとまひて、かへりまゐらん」

 とひて、ちぬ。内供ないぐはじめ、これを人々ひとびとなみだながしてあはれむことかぎりなし。

 ははのもとにいたりて、このよしをかたる。

ねがはくはなげきたまふことなかれ。たとひ、本意ほいごとおんあとのこりて、後世ごせをとぶらひたてまつるとも、かくほどのだいなる功徳くどくつくらんこと、きはめてかたし。いまおんおもくして、いのちはりなば、三世さんぜ諸仏しよぶつもあはれみ、天衆てんしゆ地類ちるいおどろきたまふべし。その功徳くどくかさねて、はは後世菩提ごせぼだい廻向ゑかうしたてまつらん。これまことの孝養けうやうなれば、すなはちあやしき身一みひとてて、二人ふたりおんむくひてん。いはんやまた、老少不定らうせうふぢやうのさかひなり。もし、いたづらにいのちきて、おんさきつこともはべらば、そのときやみてなにかせん。なにごとをや、このおもにせん」

 と、ふをきつつ、なみだながし、おどろかなしむもことはりなり。

「わがおろかなるこころには功徳くどくおほくならんことをもおもはず。きみいとけなかりしおりは、われにはぐくまれき。われとしたけ、よはひかたぶきては、きみたのむこと天地てんちのごとし。のこりのいのち今日けふ明日あしたともらぬときいたりて、われをて、こころ先立さきだたむことこそいとかなしけれど、そのこころざしふかきことをおもふに、いのちはりなば、きみ後世ごせにおいてはうたぐふべからず。もし、このことをゆるさずは、ほとけおろかにおぼしめし、きみこころにもたがひなん。まことに、老少不定らうせうふぢやういのちなり。おもへば、ゆめまぼろし前後ぜんごなり。はやくきみこころなり。とく浄土じやうどうまれて、われをすくひたまへよ」

 とふ。なみださへてひければ、証空しようくうよろこびてかへりぬ。

 やがて、とし名乗なのけて、晴明せいめいがもとへやりつ。今宵こよひいのへたてまつるべきよし、へり。

 かくて、やうやうくほどに、この証空しようくうかしらいたみ、心地ここちしく、ほとほりて、へがたくおぼえければ、わがばうきて、くるしかるべきふみなどりしたためつつ、としごろちたてまつりける絵像えぞう不動尊ふどうそんかひたてまつりてまうすやう、

「われとしわかさかりなれば、いのちしからざるにあらねど、おんふかきことをおもふによりて、いますでに、かのいのちはりなんとす。つとすくなければ、後世ごせきはめておそろし。ねがはくは明王みやうわう、あはれみをれて、悪道あくだうとしたまふな。病苦びやうく、すでにめて、一時いちじしのぶべからず。本尊ほんぞんをがみたてまつらんこと、ただいまばかりなり」

 とくまうす。

 そのとき絵像えぞう仏眼ぶつげんよりなみだながし、

「なんぢははる。われはなんじはらん」

 とのたまふおんこゑほねとほきもむ。「かなひし」とたなごころはせて、ねんたるあひだに、あせながれぬるめて、すなはち心地ここちさはやかになりにけり。

 内供ないぐもそのより心地ここちおこたりにければ、このことをきて、おろかにおもはんやは。のちには、ひとにすぐれてあひたのみたる弟子でしにてなむありける。

 かの本尊ほんぞんは、つたはりてのち白河院しらかはのゐんにおはしましけり。常住院じやうぢゆうゐん泣不動なきふどうとまうすはこれなり。おんよりなみだながしたるかたち、げにさやかにえたまへりけるとぞ。

 証空阿闍梨しようくうあじやりといふは、空也上人くうやしやうにんひぢれたまへるを、余慶僧正よけいそうじやういのなほしたまひたりけるとて、「法器ほふきのものなり」とて、ひじりのたてまつられたりける小童こわらはなり。

第64話 一乗寺の僧正かくれたまひて後

 一乗寺いちじようじ僧正そうじやうかくれたまひてのち、そのはてのわざしけるあしたより、わか女房にようばう壺装束つぼさうぞくしたるが、なみだおさへつつ、かひわたりにたたずむありけり。人々ひとびとあやしうおもひて、ことまぎるるなれば、わざとたづひとなし。

 すでに仏事ぶつじはじまりてのち、この女房にようばうひとにまじりて聴聞ちやうもんす。はじめよりはりまで、くことおこたらず。その気色けしきのつねのことにあらず。目立めだたしきほどにえければ、あるひと

「この女房にようばうのさまこそ心得こころえね。かやうにあつまりゆるを、もし、しざまにとりなすひともあらば、おんかげにもくるしかりぬべし。いさ、ださん」

 とふ。また、あるいは、

「やうこそはあらめ。いかがせつほふときくとて、だすべき。なさけなくあらん。そのゆゑをふべき」

 など、やすからずひしらふほどに、わざはりぬ。

 聴聞ちやうもんひとども、やうやうきけるにも、この女房にようばういとどきまさりて、いそでんともせず。かへがちにて、ちわづらふをれば、とし二十はたちばかりなり。かたちなどもいときよげなるを、化粧けしやうはみななみだあらはれて、あさからずおもりたるさまなり。

 おぼつかなさのあまり、あるひとさしりて、そのゆゑをふ。をんなふやう、

「われは、ゆゑ僧正そうじやう御房ごばうおんあはれみをかうぶりたるにてはべるなり。かくしまうすべきことにあらず。わがむかし捨子すてごにて、河原かはらにはべりけるを、ゆゑ御房ごばうおんありきのついでにごらんじつけて、あはれみたまひて、なにがしといひし大童子おほどうじにおほせけられて、やしなひたまひしあひだ、ひとへにおんいとほしみにてひととなりはべるを、十三じふさんとまうせしとし、このやしなしん夫妻ふさいともに、おなときしきやまひをして、せはべりにしかば、おもかたなくて、かれがしたしきもののもとへたづねまかりて、おのづからまよひはべりしほどに、さるべきにやはべりけん、おもひかけぬゆかりにて、一年ひととせきさいみや御半者おんはしたものにまゐりてはべるなり。 たかき御影みかげかくれてはべれば、わびしきこともはべらねど、父母ちちははにやはべらむ、りたまはず。やしなてたりしおやあとなくなりにき。ただひとりうどにて、心細こころぼそく、あはれなるのありさまをおもふにも、またありがたくはべるなり。ひとの、はかなくてやみぬべかりけることとおもひつづけはべるにも、とにかくにゆゑ僧正そうじやう御房ごばうおんあはれみのかたじけなさ、片時かたときわするるひまもはべらず。あしたごとにかがみかげても、たれゆゑひととなるをとおも折節おりふし装束しやうぞくをたまひ、にとりて面目めんぼくあるやうなるおりにも、いつも御方おかたむかへて、なみだとしつつ、ことにふれて、あはれにほうじがたくなむおもひはべりし。 されども、あやしくかたがた便たよりあやしきさまなれば、まうしひらかたもはべらず。すべて、無縁むえんおんあはれみよりおこりしことをよろこびまうさんにつけても、さすがにはべり。あはれ、わがをとこならましかば、いかなるさまにても、おんあたりにこそはつかうまつらましと、かひなきをんなうらみて、むなしくぎはべりしかど、におはしまししほどは、なんとなくたのもしくはべりき。おのづから、みやつかへせしときより、よそながらをがみたてまつれば、いみじきよろこびをしたるやうにおぼえて、それになぐさみつつまかりぎしを、かくれたまへりとうけたまはりしかば、なかかきくらせる心地ここちして、かくして、ながらふべしともおぼえはべらず。 今日けふおんはてとうけたまはりつれば、また、いつかはこれほどに御名残おんなごりをうけたまはらん。いま今日けふにこそとおもひて、みやつかへさしあふにてはべりつれど、さはりをまうしてなむ、あしたよりこのおんあたりにたたずみはべる。いまわざはりてまかりづるに、すべてなみだにくれて、かへるべきみちおぼえはべらず」

 とひもやらず、よよとく。

 これをひとあやしみて、「ださん」とひつるものまで、なみだながしてあはれみけり。

 もろもろのこと、めづらしくみみちかきをさきとするならひなれば、なにわざにつけても、さしあたりてきはやかなるおんなどかうぶれるをこそよろこぶめれ。かやうにおほぞらなることをわすれず、こころにかくることはいとありがたかるべし。誰々たれたれも、おもひとも、年月としつきつもりゆけば、すなはちのやうにやはある。

 されば、かの、村上むらかみ御門みかど御服ごふくて、一期いちごつひにがでやみけんことなどをば、あはれにありがたきためしにこそはつたへはべりぬれ。しかあるを、はかなきをんなこころに、さしもきせずおもひしめたりけんなさけふかさ、なほたぐひなくぞはべる。

第65話 堀河院位におはしましける時

 堀河院ほりかはのゐんくらゐにおはしましけるときあめしたおさまりて、みんやすく、のどかなり。ちかくは後三条院ごさんでうゐんおんときなどをこそ、いみじきためしにまうしぬるを、これはいますこなさけふかえんにやさしきかたさへ、すぐれさせたまへり。とうには天宝てんぽうのためしをき、わがくにには延喜えんぎ天暦てんりやくのかしこき御代みよかへることをぞ、たかきもいやしきもよろこびけり。

 そのときはいやしながら、蔵人所くらうどどころにさぶらひて、あしたゆふつかうまつるをとこありけり。およばぬこころにも、おん有様ありさまをかぎりなくめでたくおもひしめて、なにのわがてんことまでもおもはず、ただ、かかる御代みようまひて、御垣みかきうちかしらすこと、よろづのうれへもなくなぐさみて、こころばかりつかうまつれど、わがかずならねば、あらはるる便たよりもなし。

 かかるほどに、無常むじやうはかしこきもおろかなるものがれぬならひなれば、さかりなるはなあめかぜにしぼみぬる心地ここちして、いささかさいあるひと身一みひとつのなげきとかなしびあへるさま、ことわりにもぎたりけり。

 かのをとこかくれおはしましけるより、あるはあるにもあらず、け、るるかちもらぬさまにてなんかよひける。つひにかしらおろして、ここかしこ聴聞ちやうもんなどしありきけれど、ものもはず、なすこともなし。せみのもぬけのごとくにて、けるものともえざりけり。

 つねには、もろもろのほとけかみに、「かのうまところしめしたまへ」と、二心ふたごころなくいのりまうしけるほどに、としのち西にしうみ大龍だいりようになりておはしますよしを、ゆめえたりければ、かぎりなくうれしくて、たちまちに筑紫つくしのかたへきて、東風こちのけはしくきたりけるふねりて、でにけり。

 しばしは波間なみまによろひつつえけれど、のちにはすゑらずなりにければ、ひとなみだながして、そのころのかたりになんしける。よろづのこと、こころざしによることなれば、をかへて、かならずまゐりひてつかうまつりなんかし。

 おほかた、ほどにつけつつ、まことのにはおもはずなることおほかりし。したしき、うときにもよらず、かへりみのしにもよらず。かくはしりつきたるものいのちかはり、としごろふかくあひたのみたるひとひとよりもおろかなるためしおほこゆるは、まへ結縁けちえんによるにこそ。

 一度ひとたびは、かへりてまほしきことなり。

第66話 昔、男ありけり

 むかしをとこありけり。をのこ二人ふたりちたるにとりて、あにさきつまはらおとうといまつまはらになんありける。かかれど、あにのをのこ、継母ままははのために、つゆもおろかならず。せにしわがははのごとく、ねんごろに孝養けうやうすれば、ははまた、わがにもおもひおとせることなかりけり。

 二人ふたり、やうやうひととなりてのちちちさきちてやまひけてなんとするときははふやう、

としごろ、このあにのをのこをあはれみはぐくむことはことの折節おりふしにみなおもれり。うしろめたなかるべきならねど、何事なにごともあとのことをおもふに、なほかれがいとほしくおぼゆるなり。われをふかおもはば、わが形見かたみおもひて、いとほしくせよ」

 と、きてぬ。そののちははこのことをたがへず、ややおとうとにもまさりてなむあはれみける。

 かかるほどに、ともに大人おとなになりて、あにのをのこ、つまをまうけたり。このつまかたちくて、ひとおほこころうごかす。そのなかに、あしたゆふおほやけにつかうまつりて、のほどよりし、おごれるものありけり。おのがきみられまゐらせたることをたのむにやありけん、をとこにもはばからず、ややもすれば、あらはれてかよふをるに、このおとうとのをのこ、やすからず、おこるのちのこともおぼえずはしでて、これをころしつ。

 かくすとすれど、このことこえて、すなはち、おととをとこからめられぬ。するものしたしきものども、はやいのちたるべきよしこはうつたへまうす。うへにもおんとがめかるからざりければ、検非違使けびゐしうけたまはりて、ころさんとす。

 そのときあにをとこすすでてまうすやう、

おとうとをとこは、さらにおのがのためにつかうまつりたることにあらず。わがみなもとにはべり。はやく、われつみかうぶるべし」

 とまうす。おとうとふやう、

あにはかのをんなをとことまうすばかりにてこそはべれ、さらにとがしたることなし。われこそ、つみかうぶらめ」

 とまうす。

 兄弟きやうだいかくのごとくあらそあひだに、うへにも、はからひわづらひたまひて、

一人ひとりつみせらるべきにとりて、かれらがまうすことども、みないはれなきにあらず。さらば、ははをめして、かれがまうさんによるべし」

 とさだめられぬ。

 すなはちめしだして、このことをはるるに、ははとばかりおもひわづらひて、なみだながしつつ、おとうとつみせらるべきよしをまうす。そのとき検非違使けびゐしおもひのほかおぼえて、ゆゑをふ。ははのまうすやう、

あに継子ままこなり。おとうとはまことのなり。しかあれど、いとけなくはべりしより、かれもまことのははたのみ、われもおもひおとすことなし。いはんや、ちちまかりかくれしとき、ねんごろにまうしくことはべりき。その言葉ことばこころそこにとまりて、むかしおもづるごとに、ただいまくかごとし。たとひ、いくたりのわがうしなふとも、かれをばたすけんとおもふ。すべては、ちちまかりかくれてのち、これらを左右さゆうにすゑ、あにをばちち形見かたみおもひ、おとうとをばわがたのみて、もろもろのうれへをなぐさめつつ、月日つきひすごしはべるに、いまここにつみかうぶれり。すなはち、わがむくひのつたなき」

 とふ。

 ひとみななみだながしてあはれむ。ふかうつたへまうしつるものども、また、これをあはれみあへり。このこと、うへにきこしめして、

三人みたりともにやむごとなきものなり。つみをなだめてゆるすべし」

 となむおほせられける。

 かの山蔭中納言やまかげのちゆうなごんのうへには、たとへもなかりけるははこころかな。

 ただし、これはしん三賢さんけんといふ物語ものがたりたり。もしそのことにや。

第67話 西行法師出家しける時

 西行法師さいぎやうほふし出家しゆつけしけるときあとをばおとうとなりけるをのこけたりけるに、をさな女子をんなごのことにかなしうしけるを、さすがにてがたく、「いかさまにせん」とおもへども、うしろやすかるべきひとおぼえざりければ、なほ、このおとうとのぬしのにして、いとほしみすべきよし、ねんごろにきける。

 かくて、ここかしこ修行しゆぎやうしてありくほどに、はかなくて二、三年にさんねんになりぬ。ことのたよりありて、きやうかたへめぐりたりけるついでに、ありしこのおとうといへぎけるに、きとおもでて「さても、ありしいつつばかりにはなりぬらん。いかやうにかひなりたるらん」と、おぼつかなくおぼえて、「かく」とははねど、かどのほとりにてれける折節おりふし、このむすめいとあやしげなる帷姿かたびらすがたにて、下種げすどもにまじりて、つちにおりて、立蔀たてじとみのきはにてあそぶ。

 かみはゆふゆふとかたのほどにびて、かたちもすぐれ、たのもしきさまなるを、「それよ」とるに、きとむねつぶれて、いとくちしく見立みたてるほどに、こののわがかたおこせて、

「いざなん。ひじりのある、おそしきに」

 とてうちりにけり。

 このこと、「おもはじ」とおもへど、さすがにこころにかかり、ごろるほどに、もし、かやうのことをやかれけん、九条くでう民部卿みんぶきやうおんをんなに、冷泉殿れいぜいどのこえけるひとは、ははにゆかりありて、

「わがにして、いとほしみせん」

 と、ねむごろにはれければ、人柄ひとがらいやしからず、

「いとよきこと」

 とて、いそぎわたしてけり。

 本意ほいのごとく、またなきものにかなしうせられければ、心安こころやすくて、年月としつきおくあひだに、この十五、六じふごろくばかりになりてのち、このとりははおとうとのむかへはら姫君ひめぎみに、播磨三位家明はりまのさんみいへあきこへしひとむこられけるに、わか女房にようばうなどたづもとめむるに、

「やがて、このあねきみ上臈じやうらふにて、ひとところなるべければ、便たよりもあるべし。おやなどもさるものなり」

 とて、このでて、わらはなむせさせける。

 西行さいぎやうこのこともれきて、本意ほいならずおぼえけるにや、このいへちかきて、かたはらなる小家こいへりて、ひとかたらひて、しのびつつばせける。むすめいとあやしくはおぼえけれど、ことさまをくに、「わがおやこそ、ひじりになりてありときしか。さらでは、たれかはわれをでん」とおもふに、「ごろ、てやみなんと心憂こころうかりつるを、もしさらば、いみじからん」とおぼえて、やがて使つかひして、ひとにもられずでにけり。

 かしこにきてれば、あやしげなるほふくろみたる、あさ墨染すみぞめころも袈裟けさなど、まことにあはれにおぼえて、なみだぐみつつ、こまやかにうちとけかたらふ。西行さいぎやうはありしつちあそびのとききとしに、あらぬものにひまさりて、いときよげなるをるにも、さこそおもつるなれど、さすがにこればかりをばえ見過みすごさず、ことの有様ありさまなどきて、むすめふやう、

としごろは行方ゆくへらず、姿すがたをだに、今日けふこそはじめてるらめ。されども、親子おやことなるはふかちぎりなり。わがまうすこときてむや。たがへらるまじくははん」

 とふ。むすめふやう、

「まことにおやにておはしまさば、いかでかたがへたてまつるべき」

 とふ。

「しかあらばまうさん」

 とふ。

「そこをうまとししより、こころばかりははぐくみしことは、大人おとなになりなんときは、御門みかどきさきにもたてまつり、もしは、さるべきみやばらのさぶらへをもせさせんとこそおもひしか。かやうのつぎのところに、まかなひせさせこえんとは、ゆめにもおもひよらざりき。たとひ、めでたきさいはひありとても、なかかりなるさま、とにかくに、こころやすきこともなかんめるを、あまになりて、ははかたはらにて、ほとけみやつかへうちして、こころにくくてあれがしとおもふなり」

 とふ。

 ややひさしくうちあんじて、

「うけたまはりぬ。はからひたまはせむと、いかでかたがへたてまつらん。さらば、いつとさだめたまへ。そのとき、いづくへもまゐりはん」

 とふ。「わかこころに、ありがたくもあるかな」と、かへかへよろこびて、しかじか、その乳母めのとのもとへふべきこと、よくよくさだちぎりて、かへりぬ。

 このこと、またひともなければ、たれおもひもよらぬほどに、明日あすになりて、

「このかみあらはばや」

 とふ。冷泉殿れいぜいどのきて、

ちかあらひたるものを。けしからずや」

 などはれければ、ただことさらにへば、「ものまうでやうのことなめり」とおもひて、あらはせつ。

 くるあしたに、

いそぎて乳母めのとのもとへくべきことのある」

 とへば、くるまなど沙汰さたしておくる。いますでにくるまらむとするひと

「しばし」

 とてかへて、冷泉殿れいぜいどのかひて、つくづくとかほをうちて、ふこともなくてかへりき。くるまりてぬ。あやしくおぼゆれど、かかることあるべしとは、いかでからん。

 かくて、ひさしくかへらねば、おぼつかなくてたづねけるを、しばしはとかくひやりけれど、ごろれば、かくれなくこえぬ。冷泉殿れいぜいどのいつつより、ひとへにわがのやうにして、片時かたときかたはらはなるることなくて、ならはしはぐくみてたるうちにも、おとなびゆくままに、こころばえもはかばかしう、ことにふれてありがたきさまなりければ、ふかくあひたのみてぎけるに、かくおもはずして、ながわかれぬれば、

うらめしかりける心強こころづよさかな。たけものすぢといふもの、女子をんなごまで、うたてゆゆしきものなりけり」

 とつづけてぞ、うらかれける。

「ただし、すこつみゆるさるることとては、すでにくるまりしとき、またまじきぞかしと、さすがに心細こころぼそおもひけるにこそ。させるふべきこともなきに、しばしかへりて、わがかほをつくづくとまもりてでにしばかりを、うらめしきなかに、いささかあはれなる」

 とぞはれける。

 さてさて、このむすめあまになりて、高野かうやのふもとに、天野あまのといふところに、さいだちてははあまになりてたるところきて、おなこころおこなひてなむありける。いみじかりけるこころなるぞかし。

 かの養母やうぼ冷泉殿れいぜいどののちにはたふとおこなひて、もとよりえがひとなりければ、日々ひび所作しよさにて、丈六ぢやうろく阿弥陀仏あみだぶつえがきたてまつられける。いのちはりけるときには、そのほとけ御形みかたちそらにあらはれてえたまひけるとぞ。

第68話 侍従大納言成通卿そのかみ九歳にて

 侍従大納言じじゆうだいなごん成通卿なりみちきやうそのかみ九歳ここのつにて、わらはやみしたまひけり。

 としごろいのりけるなにがし僧都そうづとかやいふひとびて、いのらせけれど、かひなくおこりければ、ちち民部卿みんぶきやう、ことになげきたまひて、かたはらにそひて、あつかひたまふあひだに、母君ははぎみはせつつ、

「さりとて、いかがはせむ。このたびはことそうをこそばめ。いづれかかるべき」

 などのたまひけるを、このちごしながらきて、民部卿みんぶきやうこえたまふ。

「なほ、このたびは僧都そうづびたまへがしとおもふなり。そのゆゑは乳母めのとなどのまうすをけば、まだはらうちなりけるときより、このひといのりのたのみて、うまれて、いまここのつになるまで、ことゆゑなくてはべるはひとへにかのひととくなり。それに、今日けふこのやまひによりて、くちしくおもはんことのいと不便ふべんにはべるなり。もし、ことそうびたまひたらば、たとひちたりとも、なほ本意ほいにあらず。いはんや、かならちんこともかたし。さりとも、これにてぬるほどのことは、よもはべらじ。われをおぼさば、いくたびもなほこのひとびたまへ。つひには、さりともやみなん」

 とくるしげなるをためらひつつ、こえたまふに、民部卿みんぶきやう母上ははうえも、なみだながしつつ、あはれにおもひよせたり。

をさなきおもひばかりにはおとりてけり」

 とて、またのあたり僧都そうづびて、ありのままにこの次第しだいかたりたまふ。

かくしたてまつるべきことにはべらぬおんことを、おろかにおもふにはあらねども、かれがなやわづらひはべる気色けしきるに、こころもほれて、おぼされむこともらず、しかじかのことをうちうちにまうすをりて、このをさなきもののかくまうしはべるなり」

 なみだしのごひつつ、かたりたまふに、僧都そうづおろかにおぼされむや、その、ことにしんをいたしき。いのりたまひければ、きはやかにちたまひにけり。

 このきみをさなくより、かかるこころちたまひて、きみにつかうまつり、ひとにまじはるにけても、ことにふれつつ、情深なさけぶかく、ゆうなるをとめたまへるなり。すべていみじき数寄人すきびとにて、にごりにこころをそめず、いもせのあひだ愛執あいしふあさひとなりければ、後世ごせつみあさくこそえけれ。

第69話 八幡別当頼清が遠流にて永秀法師といふもの

 八幡別当頼清やはたのべつたうよりきよ遠流ゑんるにて、永秀えいしうほふといふものありけり。いへまずしくて、こころ、すけりける。夜昼よるひるふえくよりほかのことなし。かしがましさにへぬ隣家となりいへ、やうやうりて、のちにはひともなくなりにけれど、さらにいたまず。さこそまずしけれど、ちぶれたるふるまひなどはせざりければ、さすがに、ひといやしむべきことなし。

 頼清よりきよきあはれみて、使つかひやりて、

「などかは、なにごとものたまはせぬ。かやうにはべれば、さらぬひとだに、ことにふれて、さのみこそまうしうけたまはることにてはべれ。うとくおぼすべからず。便たよりあらんことは、はばからずのたまはせよ」

 とはせたりければ、

かへかへす、かしこまりはべり。としごろも、まうさばやとおもひながら、のあやしさに、かつはおそれ、かつははばかりて、まかりぎはべるなり。ふかのぞみまうすべきことはべり。すみやかにまゐりてまうしはべるべし」

 とふ。

 「何事なにごとにか、よしなきなさけをかけて、うるさきことやひかけられん」とおもへど、「かののほどには、いかばかりのことかあらん」とおもひあなづりてごすほどに、あるかた、ゆふれにたれり。すなはちひて、

なにごとに」

 などふ。

あさからぬ所望しよまうはべるを、おもひたまへてまかりぎはべりしほどに、ひとおほせをよろこびて、さうなくまゐりてはべる」

 とふ。「うたがひなく、所知しよちなどのぞむべきなめり」とおもひて、これをたづぬれば、

筑紫つくしおんりやうおほくはべれば、漢竹かんちくふえのこと、よろしくはべらん。ひとつめしてたまはらん。これりてきはまれるのぞみにてはべれど、あやしのにはがたきものにて、としごろえまうけはべらず」

 とふ。

 おもひのほかに、いとあはれにおぼえて、

「いといとやすきことにこそ。すみやかにたづねて、たてまつるべし。そのほか御用ごようならんことははべらずや。月日つきひおくりたまふらんことも、こころにくからずこそはべるに。さやうのことも、などかはうけたまはらざらん」

 とへば、

おんこころざしはかしこまりはべり。されど、それはことけはべらず。二、三月にさんぐわつに、かくかたびらひとつまうけつれば、十月じふぐわつまでは、さらにのぞところなし。また、あしたゆふのことは、おのづからあるにまかせつつ、とてもかくてもぎはべり」

 とふ。

 「げに、数寄者すきものにこそ」と、あはれにありがたくおぼえて、ふえいそたづねつつおくりけり。また、さこそへど、つきごとの用意よういなど、まめやかなることども、あはれみ沙汰さたしければ、それがあるかぎりは、八幡やはた楽人がくにんあつめて、これにさけまうけて、らしらくをす。しつすればまた、ただ一人ひとりふえきてかしらしける。

 のちには、ふえこうつもりて、ならびなき上手じやうずになりけり。

 かやうならんこころなににつけてかは、ふかつみもはべらん。

第70話 中ごろ市正時光といふ笙吹きありけり

 なかごろ、市正時光いちのかみときみつといふしやうきありけり。茂光しげみつといふ篳篥師ひちりきし囲碁ゐごちて、おなこゑ裹頭楽くわとうらく唱歌しやうがにしけるが、おもしろくおぼえけるほどに、うちより、とみのことにて、時光ときみつをめしけり。

 御使おんつかひいたりてこのよしをふに、いかにもみみにもれず、ただもろともにゆるぎあひて、ともかくもまうさざりければ、おん使つかひかへりまゐりて、このよしをありのままにぞまうす。

 「いかなるおんいましめかあらん」とおもふほどに、

「いとあはれなるものどもかな。さほどにらくにめでて、なにごともわするばかりおもふらんこそ、いとやむごとなけれ。王位わうゐくちしきものなりけり。きてもえかぬこと」

 とて、なみだぐみたまへりければ、おもひのほかになむありけり。

 これらをおもへば、こののことおもてむことも、かずやどりきはことに便たよりとなりぬべし。

第71話 中ごろ宝日といふ聖ありけり

 なかごろ、宝日ほうにちといふひじりありけり。

なにごとをかつとむる」

 と、ひとひければ、

三時さんじおこなひつかうまつる」

 とふ。かさねて、

「いづれの行法ぎやうぼふぞ」

 とふに、こたへてふやう、

あかつきには」

けぬなり賀茂かも河原かはら千鳥ちどり今日けふむなしくれんとすらん

日中につちゆうには」

今日けふもまたむまかいこそきにけれひつじあゆ近付ちかづきぬらん

れには」

山里やまざとゆふれのかねこゑごとに今日けふれぬとくぞかなしき

「この三首さんしゆうたを、おのおのときをたがへずえいじて、日々ひびくことをじはべるなり」

 とぞひける。

 いとめづらしきぎやうなれど、ひとこころすすかたさまざまなれば、つとめもまた一筋ひとすじならず。潤州じゆんしう曇融聖どんゆうひじりはしわたして浄土じやうどごふとし、蒲州ほしう明康法師めいかうほふしふねさおさして往生わうじやうをとげたり。

 いはんや、和歌わかはよくことわりをきはむるみちなれば、これによせて、こころまし、つねなきをくわんぜんわざども、便たよりありぬべし。

 かの恵心ゑしん僧都そうづは「和歌わか綺語きごのあやまり」とて、みたまはざりけるを、朝朗あさぼらけに、はるばるとみづうみながめたまひけるときかすみわたれるなみうへに、ふねのかよひけるをて、「なににたとへんあさぼらけ」といふうたおもだして、をりふしこころにそみ、ものあはれにおぼされけるより、「聖教しやうげう和歌わかとは、はやくひとつなりけり」とて、そののちなむ、さるべき折々おりおりかならえいじたまひける。

 また、ちか蓮如れんによといひしひじり定子皇后宮ていしくわうごうぐう御歌おんうた

もすがらちぎりしことをわすれずはひむなみだいろぞゆかしき

 とはべるは、かくれたまひけるとき御門みかどにごらんぜさせむためとおぼしくて、とばりかたびらひもむすびたまひたりけるうたなり、これをおもだして、かぎりなくあはれにおぼえければ、こころにそみつつ、このうたえいじては、尊勝陀羅尼そんしようだらにみてぞ、後世ごせをとぶらふ。また、ながめては、さきのごとくじゆす。かくしつつ、もすがら、まどろまずして、ふゆかしたりける。いみじかりける数寄者すきものなりかし。

 大弐資通だいにすけみち琵琶びは上手じやうずなり。信明さねあきら大納言経信だいなごんつねのぶなり。かのひとさらに尋常よのつね後世ごせつとめをせず、ただ、ごとに持仏堂ぢぶつだうりて、かずらせつつ琵琶びはきよくはじきてぞ、極楽ごくらく廻向ゑかうしける。

 つとめはこうこころざしとによるわざなれば、かならずしも、これを、「あだなり」とおもふべきにあらず。なかにも、かずやどりきといふは、ひとまじはりをこのまず、のしづめるをもうれへず、はなるをあはれみ、つきるをおもふにつけて、つねこころまして、にごりにしまぬをこととすれば、おのづから生滅しやうめつのことはりもあらはれ、名利みやうり余執よしふきぬべし。これ出離解脱しゆつりげだつ門出かどでにはべりべし。

 保元ほうげんのころ、ことありて、崇徳院すとくのゐん讃岐さぬきにうつろはせたまひにけるのちたび御住居すまひ、あはれにかたじけなきこと、くすべからず。くにつはものどもあしたゆふ御所ごしよをうちかこみて、たやすくひともまゐりかよはぬよしこゆれば、かの蓮如れんによといふかずやどりきひじりもとよりなさけふかこころにて、いとかなしくおぼえけれど、ひとふこともなかりけり。ただ、いもうとなるひとのさぶらひけるゆかりに、おんあたりのことをもき、また、むかし陪従ばいじうにて公事くじつとめけるとき御神楽みかぐらなどのついでに、まれに見参げんざんるばかりなれば、さしもふかなげくべきにしもあらねど、わざとただ一人ひとり、みづからおひかけて、讃岐さぬきくだりけり。

 きてれば、御所ごしよのありさま、てられず。つたきつるよりもなり。されど、せちに「うちらん」とおもこころざしふかくて、「さるべきひまやある」と終日ひめもすうかがひけれど、りたてまつるものいとはしたなくとがめて、ひとこもるべくもあらず。

 むなしくれにければ、つきあかかかりけるに、ふえきてなむ、御所ごしよめぐありきける。

 「いかさまにせん」とおもふほどに、ややあかつきおよびて、くろばみたる水干すいかんばかりうちかけたるひとうちよりでたり。いとうれしくて、この便たよりに、御所ごしよなかりてれば、くさしげり、つゆふかくて、ことさらひとおともせず。いみじうものかなしきに、とばかりちわづらひて、いたはじきて、

見参げんざんれよ」

 とて、ありつるひとになむらせける。

朝倉あさくら丸殿まろどのりながらきみられでかへるかなしさ

 このをのこほどもなくかへて、

「これをたてまつれとはべる」

 とふを、りて、つきかげれば、

朝倉あさくらやただいたづらにすにもりするあまおとをのみぞ

 とぞかれたりける。

 いとかしこくおぼえて、これをおひなかれつつ、かへのぼりにけり。

第72話 中ごろ少将聖といふ人ありけり

 なかごろ、少将聖せうしやうひじりといふひとありけり。ことの便たよりありて、播磨国はりまのくにむろといふところまりたりけるつきくまなくていとおもしろかりけるに、遊女いうぢよわれもわれもとうたきちがふ。

 「あはれなるものさまかな」とるほどに、ある遊女いうぢよふね、このひじりりたるふねをさして、せければ、梶取かぢとりやうのもの

いなや、これはそうおんふねなり。おもひたがへたまへるか」

 と、ことのほかふ。

「さたてまつる。なにとてかは、さる僻目ひがめるものかは」

 とひて、つづみちて

くらきよりくらみちにぞりぬべきはるかにらせやまつき

 と、このうた二、三遍にさんべんばかりうたひて、

「かかるつみふかになれるも、さるべきむくひにはべるべし。このゆめにてやみなむとす。かならすくひたまひなん。こころばかりえんむすびたてまつるなり」

 とひて、はなれにけり。

 「おもはず、あはれにおぼえて、なみだとしたり」と、のちひとかたりける。

第73話 ある生宮仕へ人の清水に籠りたりける局の前に

 ある生宮仕なまみやづかびと清水きよみづこもりたりけるつぼねまへに、色白しらばみ、されほれたる老尼らうにかげのごとくおとろへたる、ものありくありけり。十月じふぐわつばかりに、きたなげなるやぶかたびらひとて、うへみのたりけり。

 ひと

「あないみじのさまや。あめらぬに。など、みのたるぞ」

 とふ。

「これよりほかにちたるものなければ、さむさはさむし、ずちなくて」

 などこたふるを、

あたたまりあるべしとこそおぼえね」

 などひて、わらひけり。

 果物くだものなどはせたれば、うちひてちけるを、いかがおもひけん、かへして、ひとへをなんひとだしたり。

 よろこびてりてぬとおもふほどに、おなてら奉加ほうがすすむるところきて、すずりひて、いとうつくしきにて、このうたけつつ、ひとへきて、いづちともなくかくれにけり。

かのきしはなれたるあまなればおしてつくべきうらたらず

第74話 西行法師東の方修行しける時

 西行法師さいぎやうほふしあづまかた修行しゆぎやうしけるときつき武蔵野むさしのぐることありけり。

 ころは八月十日はちぐわつとをかあまりなれば、ひるのやうなるに、はな色々いろいろつゆび、むし声々こゑごゑかぜにたぐひつつ、こころおよばずはるばると、なかに、きやうこゑこゆ。

 いとあやしくきて、おどろかれて、こゑたづねて、きてれば、わづかに一間ひとまばかりなるいほりあり。はぎ女郎花をみなへしをかこひにして、すすき、かるかや、をぎなどをりまぜつつ、うへにはけり。そのなかに、としたけたるこゑにて、法華経ほけきやうをつづりむ。

 いとめづらかにおぼえて、

「いかなるひとのかくては」

 とひければ、

「われは、むかし郁芳門院いふはうもんゐんさぶらひをさなりしが、かくれさせおはしませしのち、やがてさまをへて、ひとられざらむところまんこころざしふかくて、いづちともなくさすらひありきはべりしほどに、さるべきにやありけむ、このはな色々いろいろをよすがにて、野中のなかまりみて、おのづからおほくのとしおくり、もとよりあきくさこころにそめはべりしなれば、はななきときはそのあとしのび、このごろはいろこころをなぐさめつつ、うれはしきことはべらず」

 とふ。

 これをくに、ありがたくあはれにおぼえて、なみだとして、さまざまかたらふ。

「さても、いかにしてか、月日つきひおくりたまふ」

 とへば、

「おぼろけにてさとなどにまかりづることもなし。おのづからひとのあはれみをちてはべれば、四五日しごにちむなしきときもあり。大方おほかたは、このはななかにてけむりてんことも本意ほいならぬやうにおぼえて、つねには、あしたゆふのさまにはあらず」

 とぞかたりける。

 いかにこころみけるぞ、うらやましくなむ。

第75話 ある聖都ほとりを厭ふ心深くて

 あるひじりみやこほとりをいとこころふかくて、「みぬべきところやある」とたづありきけるほどに、北丹波きたたんばといふふかたににいたりて、跡絶とだえたる深山みやまおくかたに、かはよりはなのからのながでたるあり。

 いとあやしくて、「いかなるひとのいかにしてむらむ」と、おぼつかなさに、たづねつつ、はるかにりて、れば、かたさまなるしばいほりの、のきならべてふたつあり。いとめづらかにおぼえて、ちかあゆるほどに、まどより、そのかたちともなくくろおとろへたるひとわづかにさしでて、ひと気色けしきて、りぬ。

「あはれ、さまうししものを。はながらをたにらしたまひて」

 とふをけば、女声をんなこゑなり。「にごれるすゑにも、かかる住居すまひするひとはあるものかは」と、ありがたくおぼゆるにも、まづなみだちて、

「いかなるひとのかくておはしますぞ。にたえたるわれらだに、なほえおもひとりはべらぬを、いといと希有けうおんこころざしなりや」

 と、さまざまかたらへど、ふつといらへもせず。

 そのとき、いたううらみて、

「わがは、しかじかのものにはべり。菩提心ぼだいしんおこして、のがてて、山林さんりんにまどひありきはべれば、こころざしおなじきゆゑに、ことに随喜ずゐきしたてまつるうちにも、をんなにはことにふれてさはりあり。かくおぼしちけんことの、かへすがへすもあはれにたぐひなくおぼえてはべり。かつは、こまかにうけたまはりて、わがこころをもはげましはべらむとおもふなり。ふかくへだてたまへば、いと本意ほいならず」

 なんど、こまかにうち口説くどうらむれば、とばかりためらひてふやう、

かくしまうさんともおもひはべらず。としごろここにみはべれど、いまだかくたづひともなきを、おもひかけずたりたまへれば、なんとなくこころさはぎて、おんいらへもとどこほりはべるばかりなり。われらがありさままうしはべらん。むかし二十はたちばかりのとき二人ふたりおなじやうにて、上東門院じやうとうもんゐんにつかうまつりてはべりしが、のありさまうつくをるにも、たかいやしき、かたはしよりかくく。すべてこのにはこころもとまらず。されば、ことにゆうなりしところならひに、いろふかこころとて、ことにふれつつくるしく、つみつもらんこともおそしくはべりしかば、二人ふたり、まうしはせて、行方ゆくへらずはしかくれにき。そののち、ここかしこにへつらひはべりしかど、ひとのあたりはなにごとにつけてもみにくく、こころにかなはぬことのみはべりしより、おもひがけぬここにあとをとめて、おのづからおほくの年月としつきたり。はなり、色付いろづくをて、春秋しゆんじうぬることをかぞふれば、四十余年しじふよねんになんなりぬる。はじめはべりしころは、あらしもはげしく、はかなき鳥獣てうじうのはけしきまでもけうとき心地ここちして、ことごとしのぶべくもあらざりしかど、いまみなれて、たまさかにでたるときも、ここをすみかいそかへまうれば、さるべかりけることと、あはれにはべるなり。なんとならはせることにか、けるかずとて、くもかぜをまかせても、なければ、一人ひとり一人ひとりはりて、十五日じふごにちづつさとでて、いま一人ひとりやしなふわざをなんしはべる。このならべるいほりうちに、まどをあけて、わづかにとぶらひはべるをたよりにて、ただれは念仏ねんぶつしはべるなり」

 と、まめやかしく、あてなるけはひにて、かたるまじきをもおぼえず、そでをしぼりつつ、一仏浄土いちぶつじやうどちぎりをむすびてかへりぬ。

 また、そののちあさころも時料じれうなど用意よういして、たづきたりければ、いほりあとはさながら、行方ゆくへらずかくれにけり。

 ひとこころおなじからねば、そのおこなひもさまざまなれど、をんなにて、かかるすまひおもちけん、おぼろけの道心だうしんにはあらざるべし。いま、このことをおもふに、けがらはしく、あだなるを、山林さんりんあひだにやどし、いのちほとけにまかせたてまつりて、清浄不退しやうじやうふたいんことは、げにこころがらによるべきおこなひなり。

 しずかにぎぬることをおもへば、輪廻生死りんねしやうじのありさま、かぎりもなし。ほとりもなし。「一人ひとり一劫いちこふあひだに、てたるかばね、もしちずしてつもらば毘留羅びるらやまのごとくならん」とへり。一劫いちこふ、なほかくのごとし。いはんや、無量劫むりやうこふをや。そのほど、もろもろの有情うじやうひととしてけざるなく、といひらくといひ、こととしてざることなし。さだめて、ほとけ出世しゆつせにもひ、菩薩ぼさつ教化けうけにもあづかりけむ。

 しかあれど、たのしみをけたるときたのしびにふけりてわすれ、くるしびにあへるときにはくるしびをうれへておこたりしゆゑに、いまなほ凡夫ぼんぶのつたなきとして、出離しゆつりらざるなり。過去かこのおろかなることをおもふに、未来みらいもまたかくのごとくこそ。

 おほかた、諸仏しよぶつ菩薩ぼさつとまうすももとはみな凡夫ぼんぶなり。われらが父母ちちははともなり、妻子さいし眷属けんぞくともたがひになりたまひけん。されど、かれは、かしこつとおこなひて、すでに三界さんがいでたまへり。われらは、しんなくぎやうなかりしかば、生死しやうじ巣守すもりとして、むかし結縁けちえんのゆゑに、わづかに御名みなき、ちかひをあふぐことをたり。いまさいはひに、かたならべたるひとつとおこなひて、生死しやうじはなれんにも、またおくれなんとす。

 そもそも、ほとけになることは、釈尊しやくそん往古わうごけば、三僧祇百大劫さんそうぎひやくだいこふあひだ、あるいは、無量むりやう阿僧祇劫あそうぎこふを、ますますひさしくぎやうじたまふともけり。その時節じせつのはるかなるのみにあらず、尸毘大王しびだいわうとしては鴿はとはり、薩埵王子さつたわうじとしてはとらぐ、かくのごとく難行苦行なんぎやうくぎやうして、仏身ぶつしんたまへり。

 「ぎやうをして、いづれのところねがふべし」とおもふに、過去かこぎにし天上てんじやうたのしび、なににかはせん。多生たしやうへだつれば、とほえんするにあぢきなし。ただ、このたび、いかにもして、不退ふたいいたりて、やうやうすすみて、つひに菩提ぼだいいたらんことをはげむべきなり。

 しかるを、かの極楽ごくらく世界せかいねがはばうまれぬべし。そのゆゑは本願ほんぐわんにいはく、「われほとけたらんに、十方じつぱう衆生しゆじやうこころいたりして信楽しんらくして、わがくにうまれんとねがひて、乃至ないし十念じふねんせんに、うまれずといはば正覚しやうがくをとらじ」とちかひたまへり。下品下生げぼんげしやうひとくには、「四重五逆しぢゆうごぎやくつくあくひとなれども、命終みやうじゆうとき善知識ぜんちしきすすめにあひて、十度じふど南無阿弥陀仏なむあみだぶつとまうせば、猛火みやうくわたちまちにめつして、蓮台れんだいにのぼる」とけり。あるいは、「極重悪無他方便ごくぢゆうあくむたはうべん唯称弥陀得生彼国ゆゐしようみだとくしやうひこく」ともひ、また、「若有重業障にやくうぢゆうごふしやう無生浄土因むしやうじやうどいん乗弥陀願力じようみだぐわんりき必生安楽国ひつしやうあんらくこく」とも、「其仏本願力ごぶつほんぐわんりき聞名欲往生もんみやうよくわうじやう皆悉到彼国かいしつたうひこく自致不退転じちふたいてん」ともけり。

 これらのせつのごとくは「われら流来生死るらいしやうじのつたなき凡夫ぼんぶなり。たちまちに不退ふたい浄土じやうどうまれがたし」と卑下ひげすべからず。娑婆しやば極楽ごくらくえんふかく、弥陀みだとわれらとちぎひさしきがゆゑに、ほとけ不思議ふしぎ神通じんづう方便はうべんをもて矌劫くわうごふ勤修ごんしゆを、一日七日いちにちしちにちぎやうにつづめ、六度ろくどなんぎやう一念十念いちねんじふねん称名しようみやうにかうぶらしめて、はや不退ふたいいたりやすく、すみやかに菩提ぼだいべきみちをしへたまへり。

 まことに、おほ百千劫ひやくせんこふぎやうほとけおんためにはなにかせん。ただ、少時しやうじ念仏ねんぶつのみぞ、その本願ほんぐわんにはかなへる。われほとけねんずれば、ほとけ、われをらしたまふ。ほとけ、われをらしたまへば、諸罪しよざいことごとく消滅しやうめつして、往生わうじやうすることうたがはず。かのひじりぬは、悪業あくごふまなこのとがなり。大悲だいひ、そむくことなし。滅罪めつざいうたぐふべからず。しかれば、みづからがはげみにはかたかるべければ、ほとけ不思議ふしぎ願力ぐわんりきじやうずるがゆゑに、すみやかにいたることをるなり。

 これ十住毗婆娑論じふぢゆうびばしやろんにいはく、陸路りくろ船路ふなじとのたとへのごとし。いかにいはんや、われは宿善しゆくぜんすでにあらはれて、あひがたき仏法ぶつぽふにあへり。有縁うえん悲願ひがんくに、また、機感きかんいたりれることをり、また、罪深つみぶかけれど、いまだ五逆ごぎやくつくらず。しんあさけれど、たれ十念じふねんとなへざらん。ときはこれ弥陀利物みだりもつのさかり、ところはまた、大乗流布だいじようるふくになり。賢愚けんぐをもいはず、道俗だうぞくをもえらばず、「財宝ざいほうほどこせよ」ともかず、「身命しんめいげよ」とものたまはず、ただねんごろに弥陀みだ悲願ひがんたのみ、くち名号みやうがうとなへ、こころ往生わうじやうねがふことふかくは、十人じふにんながら、かなら極楽ごくらくうまるべきなり。

 それ、もろもろの道理だうりまもりて是非ぜひすとも、有縁うえんのわれらがためにおこしたまへる大悲だいひ別願べちぐわんなれば、法相ほつさうにもたがひ、因果いんぐわのことわりもそむけり。おもひのほかのよろこびなるべし。あふぎてしんぜずはあるべからず。

 きやうけるがごとくは、われら弥陀みだほとけねんじて、ほとけ願力ぐわんりきじやうじて、かなら極楽ごくらくうまるべきことを、六方恒沙ろくぱうごうじやのもろもろのほとけしたをのべて、三千界さんぜんかいおほひて、「これまことなり」と証明しやうめいしたまふ。ほとけほとけとは、なにのおぼつかなきことかはおはします。ただ、われらがうたがひをたんがためにこそはべらめ。

 凡夫ぼんぶならひ、われもひとも、こののことにのみうつりて、さらにいとふことなく、ちりにのみぢやくして、もろもろのつみつくりて、弥陀みだちかひの、ありがたく、極楽ごくらくまうでやすきことをけども、しんずるともなし。うたぐふともなし。みみにもらず。こころにもそまず。ねがこころなければ、また、つとむることもなし。一期いちごゆめのごとくにぎなば、三途さんづまなこまへたるべし。されば、「四十八願荘厳浄土しじふはちぐわんしやうごんじやうど華池宝閣易往無人けちほうかくいわうむにん」ともはべるにこそ。

 すべて、きとしけるもののなかに、ひとさとりことにすぐれ、そらをかけるつばさうみうろくづ、これをるにかたからず。り、うみわたる。けだものをしたがへていへく。かひこひてきぬり、真金まがねきて器物うつはものるまでも、ことにふれ、ものにしたがひて、いづれか凡夫ぼんぶのしわざとおぼゆる。

 しかあれど、まへ無常むじやうながら、日々ひび死期しきちかづくことをおそれぬことは、智者ちしやもなし、賢人けんじんもなし。いがするのみにあらず。わかきもまたす。今日けふひとうへ明日あしたうへなる無常むじやうさとらぬは、このふか無明むみやうさけひ、長夜ぢやうややみまよへるなり。

 はやく、このきて、あだなるのこりのいのちたのまず、はなれやすき恩愛おんあいのきづなにつながれずして、このたび、頭燃づねんはらふがごとくして、のどのかはけるにみづむがごとくにねがふべし。をむなしくしてかへることなかれ。

 ただし、諸行しよぎやう宿執しゆくしふによりてすすむ。みづからつとめて、しふして、ほかぎやうをそしるべからず。一華一香いちげいつきやう一文一句いちもんいつく、みな西方さいはう廻向ゑかうせば、おなじく往生わうじやうごふとなるべし。みづみぞをたづねてながる。さらに、くさつゆしるきらふことなし。ぜんこころにしたがひておもむく。いづれのか、広大くわうだい願海ぐわんかいらざらんや。

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