このページでは、鴨長明『発心集』第1巻(第1話~第12話)の原文全文を掲載しています。本文を読みやすくするため、漢字に歴史的仮名遣いによる振り仮名を付けました。
現代語訳と照らし合わせたい方は、『発心集』第1巻 現代語訳全文をご覧ください。本文の表記や説話ごとの区分は、以下の文献を参考に、当サイトの判断で読みやすく整えています。
序
仏の教へたまへることあり。
「心の師とはなるとも、心を師とすることなかれ」と。
まことなるかな、この言。
人一期過ぐる間に、思ひと思ふわざ、悪業にあらずといふことなし。もし、形をやつし、衣を染めて、世の塵にけがされざる人すら、そともの鹿緤ぎがたく、家の犬常になれたり。いかにいはんや、因果の理を知らず、名利の謬りにしづめるをや。むなしく五欲のきづなに引かれて、つひに奈落の底に入りなんとす。心あらん人、誰かこのことを恐れざらんや。
かかれば、ことにふれて、わが心のはかなく愚かなることを顧みて、かの仏の教へのままに、心を許さずして、このたび生死を離れて、とく浄土に生まれんこと、喩へば、牧士の荒れたる駒を随へて、遠き境に至るがごとし。
ただこの心に強弱あり、浅深あり。かつ自心をはかるに、善を背くにもあらず、悪を離るるにもあらず。風の前の草のなびきやすきがごとし。また、浪の上の月の静まりがたきに似たり。いかにしてか、かく愚かなる心を教へんとする。
仏は衆生の心のさまざまなるを鑑みたまひて、因縁譬喩をもつてこしらへ教へたまふ。われら仏に値ひたてまつらましかば、いかなる法に付いてか、勧めたまはまし。他心智も得ざれば、ただわが分にのみ理を知り、愚かなるを教ふる方便はかけたり。所説妙なれども、得る所は益少なきかな。
これにより、短き心を顧みて、ことさらに深き法を求めず。はかなく見ること聞くことを注し集めつつ、しのびに座の右に置けることあり。すなはち、賢きを見ては、及び難くとも乞ひ願ふ縁とし、愚かなるを見ては、みづから改むる媒とせんとなり。
今これをいふに、天竺、震旦の伝へ聞くは、遠ければ、書かず。仏菩薩の因縁は、分にたへざれば、これを残せり。ただ、わが国の人の耳近きを先として、うけたまはる言の葉をのみ注す。
されば、定めて謬は多く、まことは少なからん。もしまた、ふたたび問ふに便りなきをば、所の名、人の名をしるさず。いはば雲を取り、風をむすべるがごとし。誰人かこれを用ゐん。
ものしかあれど、人信ぜよとにもあらねば、必ずしもたしかなる跡を尋ねず。道のほとりのあだ言の中に、わが一念の発心を楽むばかりにやといへり。
第1話 昔、玄敏僧都といふ人ありけり
昔、玄敏僧都といふ人ありけり。山階寺のやむごとなき智者なりけれど、世を厭ふ心深くして、さらに寺の交はりを好まず。三輪川のほとりに、わづかなる草の庵を結びてなん、思ひつつ住みけり。
桓武の御門の御時、このことを聞こしめして、あながちに召し出しければ、遁るべき方なくてなまじひに参りにけり。されども、なほ本意ならず思ひけるにや、奈良の御門の御世に、大僧都になしたまひけるを、辞し申すとて詠める。
三輪川の清き流れにすすぎてし衣の袖をまたはけがさじ
とてなんたてまつりける。
かかるほどに、弟子にも使はるる人にも知られずして、いづちともなく失せにけり。さるべき所に尋ね求むれど、さらになし。いふかひなくて日ごろ経にけれど、かのあたりの人はいはず、すべて世の嘆きにてぞありける。
その後、年ごろ経て、弟子なりける人、ことの便りありて越の方へ行きける道に、ある所に大きなる河あり。渡舟待ち得て乗りたるほどに、この渡守を見れば、頭はをつつかみといふほどに生ひたる法師の、汚なげなる麻の衣着たるにてなんありける。「あやしのさまや」と見るほどに、さすがに見なれたるやうに覚ゆるを、「誰かはこれに似たる」と思ひめぐらすほどに、失せて年ごろになりぬるわが師の僧都に見なしつ。「僻目か」と見れど、つゆ違ふべくもあらず。いと悲しうて、涙のこぼるるを押さへつつ、さりげなくもてなしける。かれも見知れる気色ながら、ことさら目見あはず。走り寄りて、「いかでか、かくては」とも言はまほしけれど、いたく人しげければ、なかなかあやしかりぬべし。上りさまに、夜など居たまへらん所に尋ね行きて、のどかに聞こへんとて過ぎにけり。
かくて、帰るさにその渡りに至りて見れば、あらぬ渡守なり。まづ目くれ、胸ふたがりて、細かに尋ぬれば、
「さる法師はべり。年ごろ、この渡守にてはべりしを、さやうの下臈ともなく、常に心を澄まして、念仏をのみ申して、かずかずに船賃取ることもなくして、ただ今うち食ふものなんどのほかは、ものをむさぶる心もなくはべりしかば、この里の人もいみじういとほしうしはべりしほどに、いかなることかありけん、過ぎぬるころ、かき消つやうに失せて、行方も知らず」
と語るに、悔しく、わりなく覚えて、その月日を数ふれば、わが見あひたる時にぞありける。身のありさまを知られぬとて、また去りにけるなるべし。
「このことは物語にも書きてはべる」となん、人のほのぼの語りしばかりを書きけるなり。
また、古今の歌に、
山田守る僧都の身こそあはれなれ秋はてぬれば問ふ人もなし
これもかの玄敏の歌と申しはべり。雲風のごとくさすらへ行きければ、田など守る時もありけるにこそ。
近ごろ、三井寺の道顕僧都と聞こゆる人はべりき。かの物語を見て、涙を流しつつ、
「渡守こそ、げに罪なくて世を渡る道なりけれ」
とて、湖の方に舟を一つまうけられたりけるとかや。
そのことあらましばかりにて、むなしく石山の河岸に朽ちにけれども、こひ願ふこころざしは、なほありがたくぞはべりし。
第2話 伊賀国にある郡司のもとに
伊賀国にある郡司のもとに、あやしげなる法師の、「人や仕ひたまふ」とて、そぞろに入り来たるありけり。主これを見て、
「わ僧のやうなるものを置きては、何にかはせん。いと用ゐることなし」
と言ふ。法師の言ふやう、
「おのれらほどのものは、法師とて、男子にかはることなし。何わざなりとも、身にたへむほどのことは仕らむ」と言へば、「左様ならば、よし」とて留む。喜んで、いみじう真心につかはるれば、ことにいたはる馬をなん預けて飼はせける。
かくて、三年ばかり経るほどに、この主の男、国の守のために、いささか便りなきことを聞こしめして、境の内を追はる。父、祖父の時より居付きたるものなりければ、所領も多く、やつこもその数あり。他の国へ浮かれ行かんこと、かたがたゆゆしき嘆きなれど、遁るべき方なくて、泣く泣く出で立つ間に、この法師、ある者に会ひて、
「この殿には、いかなる御歎きの出で来てはべるにか」
と問ふに、
「われらしきの人は、聞きてもいかがは」
と、ことのほかに答ふるを、
「何とてか、身の悪しきによらん。憑みたてまつりても年ごろになる。うち隔てたまふべきにあらず」
とてねんごろに問へば、ことの起こりを、ありのままに語る。
法師の言ふやう、
「おのれが申さんこと用ゐたまふべきにあらねど、何かは、たちまちに急ぎ去りたまふべき。ものは思はざることもはべるものを。まづ京上して、いくたびもことの心を申し入れて、なほかなはずは、その時にこそは、何方へもおはせめ。おのれがほのぼの知りたる人、国司の御辺りにははべり。尋ねて、申しはべへらばや」
と言ふ。
思ひのほかに、人々、「いみじくも言ふものかな」とあやしう覚えて、主にこの由語るに、近く呼び寄せて、みづから尋ね聞き、ひたすらこれを憑むとしもなけれども、また思ふ方なきままに、この法師うち具して京へ上りにけり。
その時、この国は、大納言なにがしのたまはりてなんありけるに、京にいたり着きて、かの御許近く行き寄りて、法師の言ふやう、
「人を尋ねんと思ふに、この形のあやしくはべるに、衣、袈裟尋ねたまはりてんや」
と言ふ。すなはち、借りて着せつ。主の男を具して、かれを門に置きて、さし入りて、
「もの申しはべらむ」
と言ふに、ここら集まれるものどもこの人を見て、はらはらと下り、ひざまづきて敬ふを見るに、伊賀の男、門のもとよりこれを見て、おろかに覚えんやは。あさましと守りたてまつる。
すなはち、かくと聞きて、大納言、急ぎ出で会ひて、もてなし騒がるるさまことのほかなり。
「さても、いかになりたまひにけるにかと、思ふはかりなくて過ぎはべりつるに、さだかにおはしけるこそ」
なんど、かきくどきのたまへり。それをば言葉少なにて、
「さやうのことは、しづかに申しはべらん。今日は、さして申すべきことありてなん。伊賀国に年ごろあひ頼みてはべりつるものの、はからざるほかにかしこまりを蒙りて、国の内を追はるるとて、嘆きはべり。いとほしうはべるに、もし深き犯しならずは、この法師に許したまはりなんや」
と聞こゆ。
「とかく申すべきならず。さやうにておはしければ、わざとも思ひしるべき男にこそはべるなれ」
とて、元よりもまさざまに、説ぶべきやうの庁宣のたまはせたりければ、説んで出す。
また、伊賀の男あきれまどへるさま理なり。さまざまに思へど、あまりなることはなかなか、えうち出ださず。宿に帰りて、のどかに聞こえんと思ふほどに、衣、袈裟の上に、ありつる庁宣さし置きて、きと立ち出づるやうにて、やがて、いづちともなく隠れにけりとぞ。
これも、かの玄敏僧都のわざにん。ありがたかりける心なるべし。
第3話 中ごろ、山に平等供奉というて
中ごろ、山に平等供奉というて、やんごとなき人ありけり。すなはち、天台真言の祖師なり。
ある時、隠所にありけるが、にはかに露の無常を悟る心起こつて、「何として、かくはかなき世に、名利にのみほだされて、厭ふべき身を惜みつつ、むなしく明かし暮らす所ぞ」と思ふに、過ぎにし方も悔しく、年ごろの栖もうとましく覚えければ、さらに立ち帰るべき心地せず、白衣にて足駄さし履きをりけるままに、衣なんどだに着ず、いづちともなく出でて、西の坂を下りて、京の方へ下りぬ。
いづくに行き止まるべしとも覚えざりければ、行かるるにまかせて、淀の方へ迷ひ歩き、下船のありけるに乗らんとす。顔なんども世の常ならず、あやしとてうけひかねども、あながちに見ければ、乗せつ。
「さても、いかなることによりて、いづくへおはする人ぞ」
と問へば、
「さらに、何事と思ひわきたることもなし。さして行き着く処もなし。ただ、何方なりとも、おはせん方へまからんと思ふ」
と言へば、
「いと心得ぬことのさまかな」
と傾きあひたれど、さすがに情なくはあらざりければ、おのづからこの舟の便りに、伊予国に至りにけり。
さて、かの国に、いつともなく迷ひ歩きて、乞食をして日を送りければ、国のものども「門乞食」とぞ付けたりける。山の坊には、
「あからさまにて出でたまひぬるのち、久しくなりぬるこそあやしうなん」
と言へど、かくとはいかでか思ひよらん。
「おのづから、故こそあらめ」
なんど言ふほどに日も暮れ、夜も明けぬ。驚きて尋ね求むれど、さらになし。いひがひなくして、ひとへに亡人になしつつ、泣く泣く跡のわざを営みあへりけり。
かかる間に、この国の守なりける人、供奉の弟子に浄真阿闍梨といふ人を年ごろあひ親しみて、祈りなんどせさせければ、
「国へ下るとて、はるかなるほどに頼もしからむ」
と言ひて、具して下りにけり。
この門乞食、かくとも知らで、館の内へ入りにけり。ものを乞ふ間に、童部どもいくらともなく尻に立ちて、笑ひののしる。ここら集まれる国のものども、
「異様のもののさまかな。まかり出でよ」
と、はしたなくさいなむを、この阿闍梨あはれみて、ものなんど取らせんとて、まぢかく呼ぶ。おそれおそれ縁の際へ来りたるを見れば、人の形にもあらず痩せ衰へ、もののはらはらとあるつづりばかり着て、まことにあやしげなり。さすがに見しやうに覚ゆるを、よくよく思ひ出づれば、わが師なりけり。あはれに悲しくて、すだれの内よりまろび出でて、縁の上に引き上す。守より始めて、ありとあらゆる人、驚きあやしむあまり、泣く泣くさまざまに語らへど、言葉少なにて、しひて暇を乞ひて去りにけり。
いふはかりもなくて、麻の衣やうのもの用意して、ある所を尋ねけるに、ふつとえ尋ねあはず。はてには、国のものどもに仰せて、山林至らぬ隈踏み求めけれども、会はで、そのままに跡をくらうして、つひに行末も知らずなりにけり。
そののち、はるかにほど経て、
「人も通はぬ深山の奥の、清水のある所に、死人のある」
と、山人の語りけるに、あやしく覚えて尋ね行きて見れば、この法師西に向かひて、合掌して居たりけり。いとあはれに貴く覚えて、阿闍梨泣く泣くとかくのことどもしけり。
今も昔も、まことに心を発せる人は、かやうに古郷を離れ、見ず知らぬ所にて、いさぎよく名利をば捨てて失するなり。
「菩薩の無生忍を得るすら、もと見たる人の前にては、神通をあらはすこと難し」
と言へり。いはんや、今発せる心はやんごとなけれど、いまだ不退の位に至らねば、ことにふれて乱れやすし。古郷に住み、知れる人にまじりては、いかでか一念の妄心おこさざらん。
第4話 千観内供といふ人は
千観内供といふ人は、智証大師の流れ、並びなき智者なり。もとより道心深かりけれど、いかに身をもてなして、いかやうに行ふべしとも思ひ定めず、おのづから月日を送りける間に、ある時、公請を勤めて帰りけるに、四条河原にて空也上人に会ひたりければ、車より降りて対面し、
「さても、いかにしてか、後世助かることはつかまつるべき」
と聞こえければ、聖人これを聞きて、
「何、逆さまごとはのたまふぞ。さやうのことは、御房なんどにこそ問ひたてまつるべけれ。かかるあやしの身は、ただいふかひなく迷ひ歩くばかりなり。さらに思ひ得たることはべらず」
とて去りなんとしたまひけるを、袖をひかへて、なほねんごろに問ひければ、
「いかにも、身を捨ててこそ」
とばかり言ひて、引き放ちて、足早に行き過ぎたまひにけり。
その時、内供河原にて装束脱ぎかへて、車に入れて、
「供の人は、とく房へ帰りね。われはこれよりほかへ往なんするぞ」
と言ひて、みな返し遣はして、ただ独り、蓑尾といふ所に籠りにけり。
されど、なほかしこも心にかなはずやありけん、居所思ひわづらはれけるほどに、東の方に金色の雲の立ちたりければ、その所を尋ねて、そこに形のごとく庵を結びてなん、跡を隠せりける。すなはち、今の金龍寺といふはこれなり。かしこに年ごろ行ひて、つひに往生を遂げたりける由、詳しく伝に記せり。
この内供は、人の夢に千手観音の化身と見えたりけるとかや。「千観」といふ名は、かの菩薩の御名を略したるになんありける。
第5話 僧賀上人は経平の宰相の子
僧賀上人は経平の宰相の子、慈恵僧正の弟子なり。この人、幼なかりしに、碩徳人に勝れたりければ、「行末にはやんごとなき人ならん」と、あまねくほめあひたりけり。しかれども、心の内には深く世を厭ひて、名利にほだされず、極楽に生まれむことをのみぞ、人知れず願はれける。思ふばかり道心の発らぬことをのみぞ嘆きて、根本中堂に千夜参りて、夜ごとに千返の礼をして、道心を祈り申しけり。始めは、礼のたびごとに、いささかも声立つることもなかりけるが、六、七百夜になりては、
「付きたまへ、付きたまへ」
と忍びやかに言ひて、礼しければ、聞く人、「この僧は何事を祈り、天狗付きたまへと言ふか」なんど、かつはあやしみ、かつは笑ひけり。終はり方になりて、
「道心付きたまへ」
とさだかに聞こへける時、「あはれなり」なんど言ひけり。
かくしつつ、千夜満ちてのち、さるべきにやありけん、世を厭ふ心いとど深くなりにければ、「いかでか身をいたづらになさん」とついでを待つほどに、ある時、内論義といふことありけり。定まれることにて、論義すべきほどの終はりぬれば、饗を庭に投げ捨つれば、もろもろの乞食方々に集まりて、争ひ取つて食ふ習ひなるを、この宰相禅師、にはかに大衆の中より走り出でて、これを取つて食ふ。見る人、「この禅師は物に狂ふか」とののしり騒ぐを聞きて、
「われは物に狂はず。かく言はるる大衆たちこそ、物に狂はるめれ」
と言ひて、さらに驚かず。「あさまし」と言ひあふほどに、これをついでとして籠居しにけり。
後には、大和国多武峰といふ所に居て、思ふばかり勤め行ひて年を送りけり。その後、貴き聞こえありて、時の后の宮の戒師に召しければ、なまじひに参りて、南殿の高欄の際に寄りて、さまざまに見苦しきことどもを言ひかけて、むなしく出でぬ。
また、仏供養せんと言ふ人のもとへ行く間に、説法すべきやうなんど、道すがら案ずとて、「名利を思ふにこそ。魔縁便りを得てげり」とて、行き着くや遅き、そこはかとなきことをとがめて、施主といさかひて、供養をも遂げずして帰りぬ。これらのありさまは、人にうとまれて、再びかやうのことを言ひかけられじとなるべし。
また、師僧正悦び申したまひける時、前駆の数に入つて、乾鮭といふものを太刀にはきて、骨限なる女牛のあさましげなるに乗つて、
「屋形口つかまつらん」
とて、おもしろく折りまはりければ、見物のあやしみ驚かぬはなかりけり。かくて、
「名聞こそ苦しかりけれ。乞児の身ぞ楽しかり」と歌ひて、うち離れにける。僧正も凡人ならねば、かの「われこそ、やかた口打ため」とのたまふ声の、僧正の耳には、「悲しきかな。わが師、悪道に入りなんとす」と聞こえければ、車の内にて、
「これも利生のためなり」
となん、答へたまひける。
この聖人命終はらんとしける時、まづ碁盤を取り寄せて、独碁を打ち、次に障泥を乞うて、これをかづきて、胡蝶といふ舞の真似をす。弟子どもあやしんで問ひければ、
「いとけなかりし時、この二事を人にいさめられて、思ひながらむなしく止みにしが、心にかかりたれば、もし生死の執となることもぞあると思うて」
とこそ言はれけれ。すでに聖衆の迎ひを見て、悦びて歌を詠む。
みづはさす八十あまりの老いの波くらげの骨にあひにけるかな
と詠みて、終はりにけり。
この人の振舞ひ、世の末にはもの狂ひとも言ひつべけれども、境界離れんための思ひばかりなれば、それに付けても、ありがたき例に言ひ置きけり。人にまじはる習ひ、高きにしたがひ、下れるをあはれむに付けても、身は他人のものとなり、心は恩愛のためにつかはる。これ、この世の苦しみのみにあらず。出離の大きなる障りなり。境界を離れんよりほかには、いかにしてか乱れやすき心をしづめん。
第6話 中ごろ、高野の南筑紫というて
中ごろ、高野に南筑紫というて、貴き聖人ありけり。もとは筑紫のものにて、所知なんどあまたある中に、かの国の例として、門田多く持ちたるを、いみじきことと思へる習ひなるを、この男は家の前に、五十町ばかりなん持ちたりける。
八月ばかりにやありけん、朝さし出でて見るに、穂波ゆらゆらと出でととのほりて、露こころよく結びわたして、はるばる見えわたるに、思ふやう、「この国にかなへる聞こえある人多かり。しかれども、門田五十町持てる人は、ありがたくこそあらめ。下臈の分にはあはぬ身かな」と、心にしみて思ひ居たるほどに、さるべき宿善や催ほしけん、また、思ふやう、「そもそも、これは何事ぞ。この世のありさま、昨日ありと見し人、今日はなし。朝に栄ゆる家、夕に衰へぬ。一度眼閉づる後、惜しみたくはへたるもの、何の詮かある。はかなく執心にほだされて、永く三途に沈みなんことこそ、いと悲しけれ」と、たちまちに無常を悟れる心強く発りぬ。また、思ふやう、「わが家にまた帰り入りなば、妻子あり、眷属も多かり。定めて妨げられなんず。ただこの所を別れて、知らぬ世界に行きて、仏道を行はん」と思ひて、あからさまなる体ながら、京へさして行く。
その時、さすがにものの気色やしるかりけん、往来の人あやしがりて、家に告げたりければ、驚き騒ぎてけるさま、ことはりなり。その中に、かなしくしける娘の十二、三ばかりなるものありけり。泣く泣く追ひつきて、
「われを捨てては、いづくへおはします」
とて袖をひかへたりければ、
「いでや、おのれに妨げらるまじきぞ」
とて刀を抜き、髪を押し切りつ。娘恐れをののきて、袖をば放して帰りにけり。
かくしつつ、これよりやがて高野の御山へ上つて、頭を剃りて、本意のごとくなん行ひける。かの娘恐れてとどまりたれど、なほ跡を尋ねて、尼になりて、かの山の麓に住みて、死ぬるまで、ものうち洗ぎ、裁ち縫ふわざをしてぞ、孝養しける。
この聖人、のちには徳高くなつて、高きも、賤しきも、帰せぬ人なし。堂を作り、供養せんとしける時、導師を思ひ煩ふ間に、夢に見るやう、
「この堂は、その日、その時、浄名居士のおはしまして、供養したまふべきなり」
と人の告ぐる由見ければ、すなはち枕障子に書き付けつ。いとあやしけれど、「やうこそあらめ」と思ひて、おのづから日を送りけり。
まさしくその日になつて、堂荘厳して、心もとなく待ち居たりければ、朝より雨さへ降りて、さらにほかより人のさし入るもなし。やうやう時になりて、いとあやしげなる法師の蓑笠着たる出来たつて、礼み歩くありけり。すなはち、これをとらへて、
「待ちたてまつりけり。とくこの堂をこそ供養したまはめ」
と言ふ。法師驚きていはく、
「すべて、さやうの才覚のものにはあらず」
と言ふ。
「あやしのものの、みづからことの便りあつて参り来たれるばかりなり」
とて、ことのほかにもてなしけれど、かねて夢の告げのありしやうなんど語りて、書き付けたりし月日の、たしかに今日にあひかなへることを見せたりければ、遁るべき方なくて、
「さらば、形のごとく申し上げはべらん」
と言うて、蓑笠脱ぎ捨てて、たちまちに礼盤に上つて、なべてならず、めでたく説法したりけり。
この導師は、天台の明賢阿闍梨になんありける。かの山を拝まんとて、忍びつつさまをやつして詣でたりけるなり。これよりこの阿闍梨を、高野には浄名居士の化身といふなるべし。
さて、この聖人はことに貴き聞こえありて、白河院の帰依したまひけり。高野は、この聖人の時より、ことに繁昌しにけり。つひに、臨終正念にして、往生を遂げたるよし、くはしく伝に見えたり。惜しむべき資財に付けて、厭心をおこしけん、いとありがたき心なり。
賢き人といふ、
「二世の苦を受くることは、財を貪る心を源とす。人もこれにふけり、われも深く着するゆゑに、争ひねたみて、貪欲もいやまさり、瞋恚もことに栄えけり。人の命をも絶ち、他の財をもかすむ。家の滅び、国の傾くまでも、みなこれよりおこる。このゆゑに、『欲深ければ、災ひ重し』とも説き、また、『欲の因縁を以て、三悪道に堕す』とも説けり。かかれば、『弥勒の世には、財を見ては深く恐れ厭ふべし。この釈迦の遺法の弟子、これがために戒を破り、罪を作りて地獄に堕ちけるものなり』とて、『毒蛇を捨つるがごとく、道のほとりに捨つべし』といへり。
第7話 小田原といふ寺に、教壊上人といふ人
小田原といふ寺に、教壊上人といふ人ありけり。後には高野に住みけるが、新しき水瓶の、やうなども思ふやうなるをまうけて、ことに執し思ひけるを、縁にうち捨てて、奥の院へ参りにけり。かしこにて、念誦なんどして、一心に信仰しける時、この水瓶を思ひ出して、
「あだに並べたりつるものを。人や取らむ」
と不審にて、心一向にもあらざりければ、よしなく覚えて、帰るや遅きと、雨垂りの石畳の上に並べて、打ち砕き捨ててけり。(私に言ふ。水瓶は金瓶といへり。)
また、横川に尊勝阿闍梨陽範といひける人、めでたき紅梅を植ゑて、またなきものにして、花盛りにはひとへにこれを興じつつ、おのづから人の折るをもことに惜しみ、さいなみけるほどにいかが思ひけん、弟子なんどもほかへ行きて、人もなかりけるひまに、心もなき小法師のひとりありけるを呼びて、
「斧やある。持て来よ」
と言ひて、この梅の木を、土ぎはより切つて、上に砂うち散らして、跡形なくて居たり。弟子帰りて、驚きあやしみて、ゆゑを問ひければ、ただ、
「よしなければ」
とぞ答へける。
これらは、みな執をとどめることを恐れけるなり。教壊も、陽範も、ともに往生を遂げたる人なるべし。まことに仮の家にふけりて、長き闇に迷ふこと、誰かは愚かなりと思はざるべき。しかれども、世々生々に煩悩のつぶね、やつことなりける習ひの悲しさは知りながら、われも人も、え思ひ捨てぬなるべし。
第8話 ある人、円宗寺の八講といふことに
ある人、円宗寺の八講といふことに参りたりけるに、時待つほど、やや久しかりければ、そのあたり近き人の家を借りて、しばらく立ち入りたりけるが、かくて、その家を見れば、作れる家のいと広くもあらぬ庭に、前栽を、えもいはず木ども植ゑて、上に仮屋のかまへをしつつ、いささか水をかけたりけり。色々の花、数を尽くして、錦をうち覆へるがごとく見えたり。ことにさまざまなる蝶、いくらともなく遊びあへり。
ことざまのありがたく覚えて、わざと主を呼び出でて、このことを問へり。主の言ふやう、
「これはなほざりのことにもあらず。思ふ心ありて植ゑてはべり。おのれは佐国と申して、人に知られたる博士の子にてはべり。かの父世にはべりし時、深く花を興じて、折につけてこれをもてあそびはべりき。かつは、そのこころざしをば詩にも作れり。
六十余国見れどもいまだ飽かず
他生にもさだめて花を愛する人たらん
なんど作り置きてはべりつれば、おのづから生死の愛執にもやまかりなりけん、と疑はしくはべりしほどに、あるものの夢に、蝶になつてはべる、と見たる由を語りはべれば、罪深く覚えて、しからば、もしこれらにもや迷ひはべるらんとて、心の及ぶほど植ゑてはべるなり。それにとりて、ただ花ばかりはなほ飽かずはべれば、あまづら蜜なんどを朝ごとにそそきはべる」
とぞ語りける。
また、六波羅寺の住僧幸仙といひけるものは、年ごろ道心深かりけるが、橘の木を愛し、いささかかの執心によりて蛇となりて、かの木の下にぞ住みける。くはしくは伝にあり。
かやうに人に知らるるはまれなり。すべて念々の妄執、一々に悪身を受くることは、はたして疑ひなし。まことに恐れても、恐るべきことなり。
第9話 神楽岡の清水谷といふ所に
神楽岡の清水谷といふ所に、仏種房といふて貴き聖人ありき。対面したることはなかりしかども、近き世の人なりしかば、つひに往生人とて人の貴みあひたりしをば、伝へ聞きはべりき。
この聖人、そのかみ、水飲といふ所に住みはべりけるころ、木拾ひに谷へ下りける間に、盗人入りにけり。わづかなるものどもみな取つて、遠く逃げぬと思うて返り見れば、もとの所なり。いとあやしと思ひて、なほ行くぞと思ふほどに、二時ばかり、かの水飲の湯屋をめぐりて、さらにほかへ去らず。
その時に、聖あやしみて問ふ。答へていふやう、
「われは盗人なり、しかるに、遠く逃げ去りぬと思へども、すべて行くことを得ず。これ、ただごとにあらず。今に至りては、ものを返しはべらん。願はくは許したまへ。まかり帰りなん」
と言ふ。聖のいはく、
「なじかは、罪深くかかるものをば取らんとする。ただ欲しう思ひてこそは取りつらん。さらに返しうべからず。それなしとも、われこと欠くまじ」
と言ひて、盗人になほ取らせてやりけり。大方、心にあはれみ深くぞありける。
年を経て、かの清水谷に住みける時、あひ頼みたる檀越あり。深く帰依して、折節には贈りものし、ことにふれてこころざしをはこびつつ過ぎけるに、ことにこの聖わざと出で来たりて言ふやう、
「思ひがけずおぼしぬべけれど、年ごろ頼みたてまつりてはべるなり。このほど、夢のごとくなる庵室を造るとて、匠を使ひはべりしが、魚をよげに食ひはべりしがうらやましくて、魚の欲しくはべれば、この殿には多くはべるらんと思ひて、わざと参れるなり」
と言ふ。主、おろかなる女心に、あさましと思ひのほかに覚えけれど、よきやうにして取り出だしたりければ、よくよく食うて、残りをば瓦器を蓋に覆ひて、紙にひき包みて、
「これをば、あれにて食べん」
とて、ふところに入れて出でにけり。
その後、この人、本意なく覚えながら、さすがに心苦しく思ひやりて、
「一日の御家づと、夢がましく見えはべりしかば、重ねてたてまつるなり」
とて、さまざまに調じて贈りたりけれど、そのたびはととめず。
「御こころざしは嬉しくはべり。されども、一日の残りに食べ飽きて、今は欲しくもはべらねば、これ返したてまつる」
となん言ひたりける。これも、この世に執をとどめじ、と思ひけるにや。
この仏種房、ある時風気ありて煩ひけり。かたのやうなる家荒れこぼれて、繕ふことなし。病を見る人もなければ、一人のみ病み臥せりけるに、時は八月十五夜の月いみじく明かかりける夜、宵より声をあげて念仏することあり。間近き家々、尊くなん聞こえき。集まりて見るに、板間も合はず荒れたる家に、月の光、心のままにさし入りたるよりほかにともなし。夜中うち過ぐるほどに、
「あな嬉し。これこそは、年ごろ思ひつることよ」
と言ふ音、壁の外に聞こえけり。その後は、念仏の音もせずなりぬ。
夜明けて、見ければ、西に向かひて端座し、合掌して、眠るがごとくにてぞありける。この家は少しも離れず、あやしの下臈の家どもの軒つづきになんありける。
第10話 近ごろ、天王寺に聖ありけり
近ごろ、天王寺に聖ありけり。言葉の末ごとに、「瑠璃」といふ二つの文字を加へて言ひければ、やがて字を名に付けて、瑠璃とぞいひける。その姿、布のつづり、紙衣なんどのいふばかりなく、ゆゆしげに破れはらめきたるを、いくらともなく着ぶくれて、布袋の汚なげなるに、乞ひ集めたるものを一つに取り入れて、歩き歩きこれを食らふ。童部いくらともなく笑ひあなづれど、さらにとがめ腹立つことなし。いたくせたむる時は、袋よりものを取り出だして取らすれば、童汚ながりてこれを取らず。捨つれば、また取つて入れつつ、常にはさまざまのすずろごとをうち言うて、ひたすら物狂ひにてなんありける。さして、そこに跡とめたりと見ゆる所なし。垣根、木の下、築地にしたがひて、夜を明かす。
そのころ、大塚といふ所にやんごとなき智者ありけり。ある時、
「雨の降りて、まかり寄るべき所もなければ、この縁の片端にさぶらはん」
と言ひければ、例ならず、あやしう覚えながら、置きつ。
夜更けて、聖が言ふやう、
「かく、たまたま参り寄りてはべり。年ごろ、おぼつかなく思ひたまへることども、はるけはべらばや」
と言ふ。ことのほかに覚ゆれど、世の常の人のやうにあひしらうほどに、やうやう天台宗の法門どもの、えもいはぬ理ども尋ねつ。また主あさましく、めづらかに覚えて、夜もすがら寝ず、さまざまに問ひ答へて、明けぬれば、
「今はいとま申しはべらん」
とて、
「心にいぶかしく思ひたまふることどもを、賢く今宵さぶらひて、はるけはべりぬ」
とて、去りぬ。
また、このこと、ありがたく貴く覚えけるままに、そのあたりの人どもに語りたりければ、そしりいやしめし心を改めて、かたへは権者の疑ひをなして尊みけり。されど、そのありさまは、さきざきにつゆ変はらず、「さることやありける」と、人の問ふ時には、うち笑ひて、そそろごとにぞ言ひなしける。
かやうに、人に知られぬることをうるさくや思ひけん、はてには、行方も知らせずなりにけり。年経て、人語りけるは、和泉国に乞食し歩きけるが、終はりには、人も来寄らぬ所の大きなる木のもとに、下枝に仏を掛けたてまつりて、西に向かひて合掌して、居ながら眼を閉ぢてなんありける。その時は、知れる人もなくて、後に見付けたりけるなり。
また、近ごろ、世に仏みやうといふ乞食ありけり。それも、かの聖のごとく物狂ひのやうにて、食物は魚鳥をも嫌はず、着物は筵薦をさへ重ね着つつ、人の姿にもあらず、会ふ人ごとに必ず、
「尼人、法師、男人、女人等、清浄」
と言ひ拝むわざをしければ、それを名に付けてなん、見と見る人、みなつたなくゆゆしきものとのみ思ひけれど、げにはやうありけるものにや。阿証房といふ聖を得意にして、思ひがけぬ経論なんどを借りて、人にも知らせず、ふところに引き入れて、持ちて行きて、日ごろ経てなん返すことを、常になんしける。つひに切提の上に、西に向かひて、合掌端座して終はりにけり。
これらは、すぐれたる後世者の一のありさまなり。「大隠、朝市にあり」と言へる、すなはちこれなり。かくいふ心は、賢き人の世を背く習ひ、わが身は市の中にあれども、その徳をよく隠して、人にもらせぬなり。山林に交はり、跡をくらうするは、人の中にあつて徳をえ隠さぬ人のふるまひなるべし。
第11話 高野のほとりに、年ごろ行ふ聖
高野のほとりに、年ごろ行ふ聖ありけり。もとは伊勢国の人なりけり。おのづからかしこに居付けたりけるなり。行徳あるのみならず、人の帰依にて、いと貧しくもあらざりければ、弟子なんどもあまたありけり。
年やうやうたけてのち、ことにあひ頼みたる弟子を呼びて言ひけるやう、
「聞こえばやと思ふことの日ごろはんべるを、その心の内はばかりて、ためらひはべりつるぞ。あなかしこ、あなかしこ、たがへたまふな」
と言ふ。
「何事なりとものたまはんこと、いかでたがへはべらん。また、へだてたまふべからず。すみやかにうけたまはらん」
と言へば、
「かく人を頼みたるさまにて過ぐす身は、さやうのふるまひ思ひ寄るべきことならねども、年高くなり行くままに、傍らもさびしく、ことにふれてたづきなく覚ゆれば、さもあらん人を語らひて、夜のとぎにせばやとなん思ひたるなり。それにとりて、いたう年若からん人は悪しかりなん。ものの思ひやりあらん人を、忍びやかに尋ねて、わがとぎにせさせたまへ。さて、世の中のことをば、それにゆづり申さん。ただわがありつるやうに、この坊の主にて、人の祈りなんどをも沙汰して、われをば奥の屋に据ゑて、二人が食物ばかりを、形のやうにして送りたまへ。さやうになりなんのちは、そこの心の内もはづかしかるべければ、対面なんどもえすまじ。いはんや、そのほかの人には、すべて、世にあるものとも知るべからず。死に失せたるもののさまにて、わづかに命つぐべくばかり、沙汰したまへ。これをたがへたまはざらんばかりぞ、年ごろの本意なるべし」
と、かきくどきつつ言ふ。
あさましく思はずに覚えながら、
「かやうに心置かず語らはする、本意にはべり。急ぎ尋ねはべらん」
と言ひて、近く遠く聞き歩きけるほどに、男におくれたりける人の、年四十ばかりなるありけるを聞き出でて、ねんごろに語らひて、便りよきやうに沙汰し、据ゑつ。人も通さず、われも行くこともなくて、過ぎけり。
おぼつかなくも、またもの言ひあわせまほしくもあれど、さしも契りしことなれば、いぶせながら過ぐるほどに、六年経てのち、この女人うち泣きて、
「この暁、はや、終はりたまひぬ」
とて来たる。驚きて行きて見れば、持仏堂の内に、仏の御手に五色の糸掛けて、それを手にひかへて、脇息にうち寄りかかりて、念仏しける手も、ちとも変はらず、数珠のひきかけられたるも、ただ生きたる人の眠りたるやうにて、つゆも例にたがはず。壇には行ひの具うるはしく置き、鈴の中に紙を押し入れたりけり。
いと悲しくて、ことのありさまをこまかに問へば、女の言ふやう、
「年ごろ、かくてはべりつれども、例の妻夫のさまなることなし。夜は畳を並べて、われも人も目覚めたる時は、生死の厭はしきやう、浄土願ふべきやうなんどをのみ、こまごまと教へつつ、よしなきことをば言はず。昼は阿弥陀の行法、三度こと欠くことなくて、ひまひまには、念仏をみづからも申し、またわれにもすすめたまひて、始めつ方二月、三月までは、心を置きて、
『かく世の常ならぬありさまをば、わびしくは思ふ。さらば、心にまかすべし。もしうときことになるとも、かやうに縁を結ぶも、さるべきことなり。このありさまを、ゆめゆめ人に語るな。もしまた、互ひに善知識とも思ひて、後世までの勤めをもしづかにせんとならば、乞ひ願ふところなり』
とのたまひしかば、
『さらさら御心置きたまふべからず、年ごろあひ具したりし人をはかなく見なして、いかでか、その後世をもとぶらはざらん。われもまた、かかる憂き世にめぐり来じと願ひ、厭ふ心ははべりしかど、さても一日たちめぐるべきさまもなき身にて、本意ならぬ方にて見たてまつれば、なべての女のやうにおぼすにや。ゆめゆめしかにはあらず。いみじき善知識と、人知れず喜びてこそ過ぎはべりしか』
と申ししかば、
『返す返す嬉しきこと』
とて、今隠れたまへることも、かねて知つて、『終はらん時、人にな告げそ』とありしかば、かくとも申さず」
とぞ言ひける。
第12話 美作守顕能のもとに
美作守顕能のもとに、なまめきたる僧の入り来たつて、経をよに尊く読むあり。主聞いて、
「なにわざしたまふ人ぞ」
と言ふ。近く寄つて言ふやう、
「乞食にはべり。ただし、家ごとにもの乞ひ歩くわざをばつかうまつらず。西山なる寺に住みはべるが、いささか望み申すべきことありてなん」
と言ふ。ものざま、むげに思ひ下すべきにはあらざりければ、こまやかに尋ね問ふ。
「申すにつけていと異様にははべれど、ある所のなま女房をあひ語らひて、ものすすがせなんどしはべりしほどに、はからざるほかに、ただならずなりて、この月にまかり当りてはべるを、ひとへにわがあやまちなれば、ことさらこもりゐてはべらんほど、かれが命つぐばかりのもの、与へはべらばやと思ひたまへるが、いかにもいかにも力及びはべらねば、もし御あはれみやはべるとてなん」
と言ふ。ことのおこりはげにと覚えずなれど、さこそ思ふらめといとほしく覚えて、
「いと安きことにこそ」
とておしはからひて、人一人に持たせて、そへて取らせんとす。この僧の言ふやう、
「かたがた、きはめてつつましくはべり。ことさら、そことは知らじと思ひたまふるなり。みづから持ちてまからん」
とて持たるるほど、負ひて出でぬ。
主なほあやしく思ひて、さやうのかたにいひがひなきものを付けてやる。さまをやつして、見隠れに行きけるほどに、北山の奥にはるばると分け入りて、人も通はぬ深谷に入りにけり。一間ばかりなるあやしき柴の庵の内に入りて、ものうち並べて、
「あな苦し。三宝の助けなれば、安居の食もまうけたり」
と、独りうち言ひて、足うち洗ひてしづまりぬ。この使、
「いとめづらかにもあるかな」
と聞きけり。日暮れて、今宵帰るべくもあらねば、木陰にやはら隠れ居にけり。夜更くるほどに、法華経を夜もすがら読みたてまつる声、いと尊くて、涙もとどまらず。
明くるやおそしと立ち帰りて、主にありつるさまを聞こえければ、驚きながら、
「さればよ。ただものにはあらずと見き」
とて、重ねて消息をやる。
「思ひかけず、安居の御料とうけたまはる。しかあらば、一日のものは少なくこそはべらめ。これをたてまつる。なほもいらんことさぶらはば、必ずのたまはせよ」
と言はせたりければ、経うち読みて、何とも返事言はざりけり。とばかり待ちかねて、ものをば庵の前に取り並べて帰りぬ。
日ごろ経て、「さてもありつる僧こそ不審なりけれ」とて訪れたりけれど、その庵には人もなくて、前に得たりしものをば、ほかへ持ち去にけるとおぼしくて、後の贈りものをばさながら置きたりければ、鳥、獣、食ひ散らしたるやうにて、ここかしこにこぼれ散りてぞありける。
まことに道心ある人は、かくわが身の徳を隠さむと、とがをあらはして、貴まれんことを恐るるなり。もし人、世を遁れたれども、いみじくそむけりと言はれん、貴く行ふよしを聞かんと思へば、世俗の名聞よりもはなはだし。
このゆゑに、ある経に、
「出世の名聞は、譬へば、血を以て血を洗ふがごとし」
と説けり。もとの血は洗はれて、落ちもやすらん、知らず。今の血は大きに汚す。愚かなるにあらずや。


