ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
『方丈記』をちゃんと読んだことがなくても、この書き出しの一文だけは覚えている、という方は少なくないのではないでしょうか。
かく言う私もその一人だったのですが、『方丈記』の全文を初めて読んだ時、鴨長明の生き方や人生観に大共感!
生きづらい世の中をどう生きていくか、長明の人生観は現代にも通じるどころか、むしろ知っておくべき考え方だと感じたのです。
下鴨神社の御曹司として大豪邸で育ったのに、最期は小さな山小屋で過ごした長明。
なぜそうなってしまったのか、なぜその暮らしを気に入っていたのか、『方丈記』の内容とあらすじを、簡単にわかりやすく解説します。
『方丈記』の内容
作者「鴨長明」の人生
『方丈記』の作者は、「鴨長明(かものちょうめい)」です。
生年は平安時代末期の1155年、または1153年(諸説あり)。
今や世界遺産に登録されている「下鴨神社」の御曹司として、スーパーリッチな家庭で育ちました。
しかし、長明はいろいろあって神社の跡を継ぐことができず、都の社会や人間関係が嫌になって出家してしまいます。
そして最後にたどり着いたのが、「方丈の庵」という小さな山小屋での暮らしでした。
その方丈の庵で、長明が晩年に書き上げた作品が『方丈記』です。
「方丈」の意味と読み方
「方丈(ほうじょう)」というのは、1丈四方という意味です。
平安時代の読み方(歴史的仮名遣い)では、「はうぢやう」と読みます。
1丈は長さの単位で、メートル法に換算すると約3.03m。
1丈四方=方丈は、約9.09㎡(約5.5畳)の広さになります。
『方丈記』の記述によると、長明がもともと住んでいた家の1000分の1にも及ばないそうです。
そこから逆算すると、なんと約9,000㎡(約2,700坪)もの大豪邸(しかも平安京の中心)に住んでいたことになります。
長明がなぜ「方丈の庵」にたどり着いたのか、『方丈記』には現代にも通じる生き方が述べられています。
成立時期と時代背景
『方丈記』の成立時期は、最後の一文に書かれています。
時に、建暦の二年、弥生の晦日頃、桑門の蓮胤、外山の庵にして、これを記す。
この一文をそのまま受け取れば、『方丈記』の成立は建暦2年(1212年)の弥生(3月)末頃となります。
長明が生きた平安時代末期から鎌倉時代初期にかけては、貴族の世から武士の世へと変わる激動の時代でした。
源平合戦という名の内戦に加えて、飢饉や地震などの大災害も重なりました。
『方丈記』の前半部分には、長明が実際に体験した5つの災厄について、克明に記録されています。
そして「人の世も災厄と同じようなものだ」と、『方丈記』の後半部分では長明なりの生き方が記されています。
ジャンルと特徴
『方丈記』のジャンルは、「随筆」とされるのが一般的です。
『枕草子』『徒然草』と並んで、日本三大随筆の一つとして知られています。
しかし、実際に『方丈記』を読んでみると、「随筆」というジャンルでくくることに違和感を覚えるかもしれません。
『方丈記』の特徴は、構成がしっかりと作り込まれており、最初から最後まで同じ文体で書かれていることです。
さまざまな出来事について、筆にまかせて書かれた随筆作品とは一線を画しています。
『方丈記』の前半部分は災厄を克明に記した記録であり、日本最古の災害文学ともいわれています。
後半部分は生き方や人生観について書かれており、現代の自己啓発本にも通じるような内容です。
このような特徴から『方丈記』をジャンル分けすると、現代の書店ではエッセーよりも哲学書の書棚に並ぶのではないでしょうか。
『方丈記』のあらすじ
【冒頭】無常の世
川の流れは途絶えることがなく、常に新しい水が流れている。
水の泡も消えたり生まれたり、いつまでも残っていることはない。
世の中の人も住まいも、同じように入れ替わっている。
平安京には数多くの家々が建ち並んでいる。
しかし、昔からある家はほとんどない。
火事で燃えたり、新しく建てられたり。
人も同じで、昔からいる人は20~30人に1人か2人だけである。
家も人も入れ替わるさまは、まさに水の泡のようだ。
【前半】災厄の記憶
安元の大火
安元3(1177)年4月28日、平安京の東南から出火し、西北まで燃え広がっていった。
公卿の立派な家も16軒が消失し、都の3分の1が焼けたという。
また火事が起こるかもしれない都の中に、家を建てようと財産をつぎ込み、思い悩むことはつまらないことだ。
治承の辻風
治承4(1180)年4月頃には、巨大な竜巻が都を襲った。
家も財産も、ことごとく吹き飛ばされた。
怪我をして、不自由な体になってしまった人は数知れない。
しかるべき神仏の警告ではないだろうか。
福原遷都
そのわずか2か月後、治承4(1180)年6月頃のことである。
急に福原への遷都が命じられ、天皇をはじめ、役人たちは我先にと移っていった。
用あって福原へ行ってみると、土地は狭く、潮風は激しく、都を築くには無理がある。
結局、新都が完成することはなく、たった半年で平安京へ戻ってきた。
養和の飢饉
養和の頃であったか、2年にもわたり飢饉が続いた。
食糧がなければ、金目のものに価値はない。
家財を片っ端から売っても、一日をしのぐ分にもならなかった。
4万人以上が餓死し、腐敗した死体の悪臭が満ちあふれている。
母親が死んだことにも気づかず、乳を吸いながらぐったりしている幼子も見た。
元暦の大地震
さらには大地震も発生した。
山は崩れ、海は傾き、一つとして無事な建物はなかった。
さすがに人々は世の虚しさに気づくだろうと期待したが、そんなことはなかった。
月日が経った今となっては、口にする人さえいない。
【後半】方丈の庵へ
生きづらい世
生きづらい世の中、人間関係も災厄と変わらない。
世に従うのは苦しい。
しかし、従わなければ狂人扱いだ。
どこでどう生きれば、ほんの少しでも安らげるのだろうか。
我が身のありさま
父方の祖母の家を受け継いでいたが、そこにとどまることはできなかった。
三十路あまりにして、10分の1の大きさの家を自分で建てた。
ことあるごとにつまづき、自分のつたない運命を悟る。
五十路を迎えて出家するも、いたずらに5年の月日を過ごしただけであった。
方丈の庵
六十路の露消え時に、さらに100分の1の大きさの庵を結んだ。
広さはわずか方丈(約5.5畳)。
嫌なことがあってもすぐ引っ越せるよう、組み立て式である。
阿弥陀の絵像に法華経、琴も琵琶もそろえてある。
気ままな暮らし
好きな時に念仏を唱え、好きな時に琵琶を弾く。
歩きたい時は遠くまで歩き、四季折々の恵みを頂く。
峰の鹿がなついて寄ってくる。
それを見て、世に遠ざかる身の程を知る。
自分を生きる
気づけば5年の月日が経っていた。
都では多くの人が亡くなったと聞くし、火災で燃えた家はどれほどだろうか。
ただ、この庵だけが穏やかだ。
人のためではなく、自分のためにつくった住まいに不足はない。
他力より自力
人はみな、富のある人を敬い、褒美の多い主人を求める。
情のある人を友とし、情に厚い主人を求めるわけではない。
それならもう、音楽と自然を友としよう。
自分の手を使い、自分の足で歩こう。
世は心次第
世界は心の持ちようで変わる。
心が安らかでなければ、どんな珍しい宝も無益に感じられるだろう。
私は今、この寂しい住まいを愛している。
この暮らしの味わいは、住んでみないことには誰にもわからないだろう。
【終章】答え
仏の教えの本意は、執着をなくすことである。
それなのに私は、この暮らしに執着している。
姿こそ僧らしくなっても、心は煩悩まみれではないか。
心はもう、何も答えない。
ただなんとなく、念仏を2~3遍唱えるだけであった。
『方丈記』を読んでみたくなった方へ
当サイトでは『方丈記』の現代語訳と原文を、全文掲載しております。
『方丈記』は全文でも原稿用紙20枚ほどと、あまり長くないので読みやすいです。
ぜひ興味がわいた方は、こちらから『方丈記』の全文を読んでみてください。
鴨長明『方丈記』の参考書籍

- 浅見和彦『方丈記』(2011年 ちくま学芸文庫)
- 浅見和彦『方丈記』(笠間書院)
- 安良岡康作『方丈記 全訳注』(1980年 講談社)
- 簗瀬一雄訳注『方丈記』(1967年 角川文庫)
- 小内一明校注『(影印校注)大福光寺本 方丈記』(1976年 新典社)
- 市古貞次校注『新訂方丈記』(1989年 岩波文庫)
- 佐藤春夫『現代語訳 方丈記』(2015年 岩波書店)
- 中野孝次『すらすら読める方丈記』(2003年 講談社)
- 濱田浩一郎『【超口語訳】方丈記』(2012年 東京書籍)
- 城島明彦『超約版 方丈記』(2022年 ウェッジ)
- 小林一彦「NHK「100分 de 名著」ブックス 鴨長明 方丈記」(2013年 NHK出版)
- 木村耕一『こころに響く方丈記 鴨長明さんの弾き語り』(2018年 1万年堂出版)
- 水木しげる『マンガ古典文学 方丈記』(2013年 小学館)
- 五味文彦『鴨長明伝』(2013年 山川出版社)
- 堀田善衛『方丈記私記』(1988年 筑摩書房)
- 梓澤要『方丈の狐月』(2021年 新潮社)
- 『京都学問所紀要』創刊号「鴨長明 方丈記 完成八〇〇年」(2014年 賀茂御祖神社(下鴨神社)京都学問所)
- 『京都学問所紀要』第二号「鴨長明の世界」(2021年 賀茂御祖神社(下鴨神社)京都学問所)
実際に読んだ『方丈記』の関連本を以下のページでご紹介しております。
『方丈記』を初めて読む方にも、何度か読んだことがある方にもオススメの書籍をご紹介しておりますので、ぜひご覧ください♪


