『発心集』第8巻 原文全文|ひらがなルビ(ふりがな)付きで読む

 このページでは、鴨長明『発心集』第8巻(第89話~第102話)の原文全文を掲載しています。本文を読みやすくするため、漢字に歴史的仮名遣いによる振り仮名を付けました。

 現代語訳と照らし合わせたい方は、『発心集』第8巻 現代語訳全文をご覧ください。本文の表記や説話ごとの区分は、以下の文献を参考に、当サイトの判断で読みやすく整えています。

目次

第89話 中ごろ筑前国に時料と名付けたる聖ありけり

 なかごろ、筑前国ちくぜんのくにに、時料ときれう名付なづけたるひじりありけり。こふあたりありきて、ひといへいたりてものふとて、かならず「時料ときれう」とばかりひて、きやうまず、仏号ぶつがうをもとなへず。いはんや、そのほかのこと、一言ひとことはざりければ、やがて、かくけたるなり。朝夕あさゆふつねにゆれば、見合みあふにしたがひてものなどらすれど、たしかにそことはあととめたりといふこと、れるひとなし。

 そのときに、府官ふくわんなかに、ことにこれをあはれむをのこありけり。こころおもふやう、「このひじりのありさまこそ、いとおぼつかなけれ。さりとも、あとかくせるところなからんや。いかにも、そのとくあるものにこそ。これをあらはして、ふかえんむすばん」とおもひて、ものめぐりてかへりけるを、かくれにあひだに、はるかにやまふかりて、けはしきたにおくに、れたるかみやしろありけるなかにはひりぬ。

 いとめづらかにおぼえて、かくけば、日暮方ひぐれがたよりもすがら、もろもろの罪障ざいしやう懺悔さんげす。夜中過よなかすぎほどより法華経ほけきやうむ。そのこゑ、いとたふとくて、なみだまらず。

 けてのちをとこかへらんとするときひとのある気色けしきをさとりて、ひじりとかくもとありきけるほどに見付みつけられぬ。すなはち、そできて、おほきにかなしみていはく、

「われこのたび生死しやうじはなれんとおもふに、このこころざしひとられなば、魔縁まえんちから信施しんせもことにおもかるべし。ことにふれてさはりあるべきゆゑに、われふかとくかくして、としごろこのたにめども、鳥獣とりけだものよりほかには、さらにわれをものなし。しかるを、なんぢいまわれをあらはすは、すでに生々世々しやうじやうせせ仇敵あたかたきなり。さらに、なんぢをゆるすべからず。ここにして、もろともにいのちつばかりぞ」

 とひて、きもだうるこゑたにひびかす。なみだながしてそでをしぼるばかりれぬ。

 このをとこおそれをののきてふやう、

「われひじりとくたふとむにより、しんおこして、たづたる。これなにとがかある。われ一人ひとりなにばかりのとがかあらん。ねがはくは、今日けふとがゆるしたまへ。なが妻子さいしにもこのことをらさじ。仏天ぶつてんかなららしたまふべし」

 とふ。ひじりのいはく、

一人ひとりれるとても、本意ほいにはあらねども、なんぢひとよりも信心しんじんふかし。しかれば、いかがはせん。くちよりほかだすべからず。今日けふよりのちふかくあひたのまん」

 など、たがひにさまざまちぎりをむすびてかへりにけり。

 そののち、このをとこしのひとかくれて、時料ときれうとぶらひければ、さとづることもなくて、おもふごとく往生わうじやうげたりけりとぞ。かねて、死期しごりて、このをとこげたりけるによりて、その臨終りんじゆうたふとかりしことなど、のちひとかたりける。

 あるひといはく、

濁世ぢよくせ行者ぎやうじやはみづからとくかくし、賊国ぞくこくにありて、たからをまうくるがごとくすべし。そのゆゑはいまは、天魔てんま盗人ぬすびとちて、ひと善根ぜんこんをうかがひさまたぐ。しかれども、さとふかとくあるひと諸天しよてん擁護おうごひまなくして、天魔てんまそのたよりることなし。たとへば、ひとかどつよくさし、つはものおほまもりて、かなしみなきがごとし。もし、わがごとく、懈怠けだい無智むちもの、たまたまつとむる功徳くどくは、まずしきいへたからおほからんがごとし。心城しんじやうかこひあだにして、善神ぜんじん守護しゆごしたまふもなし。ただ、外相げさうをよそにし、そのとくふかかくして、しらせざらんにはしかず。かのこがねをおどろにつつみ、宝珠ほうじゆつちうづむがごとし。ただ、たとひとくかくすとも、みづからおごるこころあらば、またえきなし。天魔てんまはよく憍慢けうまん便たよりとす。たとへば、盗賊たうぞく中人ちゆうじんもちゐるがごとし。しかるを、末世まつせ比丘びくあらそふかく、名利みやうりまどへるゆゑに、みづからとくしやうす。妄語まうごなかにすぐれたる重罪ぢゆうざいなり。なにぞいはんや、にあるとくをあげ、ひと称賛しやうさんするをよろこぶことは万人ばんにんならひなり。妄語まうごにあらずといふとも、そのとが、なほかるからず。もし、まことに後世ごせおもはんひと一人ひとりありて、わがになきとく讃歎さんだんせば、これをおそおどろくこと、盗殺たうせつ無実ぶしつふがごとくすべし。よだつばかりおののき、心神しんじんやすからずして、すなはち三宝さんぼうねんぜよ。つれなく、おどろこころなくは、そのとが、なほのがれがたし」

第90話 ある山寺に徳高く聞こゆる聖ありけり

 ある山寺やまでらに、とくたかこゆるひじりありけり。

 としごろ、だうほとけつくり、さまざま功徳くどくをいとなみ、たふとおこなひけるが、はりめでたくてありければ、弟子でしもあたりのひとも、うたがひなき往生人わうじやうにんしんじてぎけるほどに、あるひとに、かのひじりれいつきて、心得こころえぬさまのことどもふ。けば、はや天狗てんぐになりたりけり。

 弟子でしどもおもひのほかなる心地ここちして、いみじくくちしくおもへども、ちからなくおぼつかなきことなどひければ、不思議ふしぎのことどもいふなかに、

「われ在世ざいせあひだふか名聞みやうもんぢゆうして、とくしやうじて、ひとをたぶろかしてつくりしほとけなれば、かかるとなりてのちは、このてらひとをがたふとに、わが苦患くげんまさるなり」

 とこそひけれ。

 いみじき功徳くどくつくるとも、こころ調ととのはずは、かひなかるべし。

いまのことなれば、はたしかなれど、ことさらあらはさず」

 とぞ、あるひとかたりはべりし。

第91話 近き世のことにや仁和寺の奥に

 ちかのことにや、仁和寺にんなじおくに、おなじさまなるひじり二人ふたりありけり。一人ひとり西尾にしをひじりといふ。いま一人ひとりをば東尾ひがしをひじり名付なづけたり。

 この二人ふたりひじりことにふれてとくをいとなみ、一人ひとり如法経によほふきやうけば、一人ひとり如法念仏によほふねんぶつす。一人ひとり五十日ごじふにち逆修ぎやくしゆすれば、一人ひとり千日講せんにちこうおこなひなど、たがひにおとらじとしければ、ひともひきひきに方々かたがたわかれつつ結縁けちえんしけり。

 としごろ、かくのごとくいとなむあひだ、「西尾にしをひじり身灯しんとうすべし」といふこときここえて、結縁けちえんすべきひと貴賤道俗きせんだうぞくいちをなしてたふとみこぞる。東尾ひがしをひじりこれをきて、

狂惑きやうわくのことにこそあらめ」

 とてしんぜざるほどに、つひに期日ごにちになりて、弟子でしどもいみじく囲繞ゐねうして、念仏ねんぶつして、火屋ほやをさす。

 ここらあつまりしひとなみだながしつつたふとみあへるほどに、火中くわちゆうにて、念仏ねんぶつ二百返にひやくへんばかりまうして、つひにいみじくたふとげなるこゑにて、

いまぞ、東尾ひがしをひじりてぬる」

 とひてなむ、はりにける。

 このことをかぬひとは、

たふとし」

 とて、そでをうるほしてりぬ。おのづからもれけるものおもはずに、

「こはなにごとぞ。いと本意ほいならず。妄念まうねんなりや。さだめて、天狗てんぐなどにこそはなるべかりぬれ。えきなき結縁けちえんをしてけるかな」

 なんどひけり。まことに、あらたに身命しんみやうてて、さるこころおこしけん。めづらしきなるべし。

 あるひとかたりていはく。

 もろこしみかどおはしけり。いたうけて、ともしびかべにそむけつつ、寝所しんじよりてしずまりぬるほどに、かげにかげろうものあり。あやしくて、りたるさまにて、よくたまへば、盗人ぬすびとなるべし。ここかしこにありきて、御宝物おんたからもの御衣ぎよいなどりて、おほきなるふくろれて、いとむくつけなくおぼされて、いとど息音いきおともしたまはず。

 かかるあひだ、この盗人ぬすびとおんかたはらにくすりはせんとて、はひかれたりけるを見付みつけて、さうなくつかみふ。いとあやしとたまふほどに、とばかりありて、うちあんじて、このふくろなるものどもでて、みなもとのごとくきて、やをらでなんとす。

 そのときみかどいと心得こころえがたくおぼして、

「なんぢは何者なにものぞ。いかにもひとものり、また、いかなるこころにてかへくぞ」

 とのたまふ。まうしていはく、

「われはそれがしとまうしさぶらひし大臣おとどなり。をさなくてちちにまかりおくれてのちへてにあるべきたつきもはべらず。さりとも、いまさらにひとやつことならんことも、おやのため、心憂こころうおもひたまふべき。ねんじてすごしはべりしかど、いまいのちくべきはかりごともはべらねば、盗人ぬすびとをこそつかまつらめとおぼえてはべるにとりて、なみなみのひとものは、あるじなげふかく、てはべるにつけて、ものぎよくもおぼえはべらねば、かたじけなくも、かくまゐりて、まづものしくはべりつるままに、はひかれてはべりけるを、さるべきものにこそとおもひて、これをべつるほどに、ものしさなおりてのちはひにてはべりけることをはじめてさとりはべれば、せめては、かやうのものをもしよくしはべりぬべかりけり。よしなきこころおこしはべりけるものかなとくやしくおもひて」

 などまうす。

 みかどつぶさにこのことをきたまひて、おんなみだながされかんじたまふ。

「なんぢは盗人ぬすびとなれども、賢者けんじやなり。こころそこいさぎよし。われ王位わうゐにあれども、愚者ぐしやといふべし。むなしく忠臣ちゆうしんあとうしなへり。はやくまかりかへりさぶらへ。明日あした、めしだし、ちちあとをおこさしめん」

 とおほせられければ、盗人ぬすびとでにけり。

 そののち本意ほいのごとくつかへたてまつりて、すなはち、ちちあとをなむつたへたりける。

 しかれば、上人しやうにん身命しんみやうてしも、ほかにすぐれ、名聞みやうもんさきとす。貧者ひんじや財宝ざいほうぬすめるも、きよくうるはしきこころあり。すべて、ひとこころなか、たやすく余所よそにはかりがたきものなり。されば、「うをにあらざれば、みづたのしみをらず」といふも、このこころなるべし。

第92話 昔橘逸勢といふ人ことありて

 むかし橘逸勢たちばなのはやなりといふひとことありてあづまかたながされけるとき、そのゆかりのひとなげかなしむたぐひおほかりけるなかに、なさけけなき女子をんなごの、ことにとりわきさりがたくおもふありけり。ぬしもかくきことにあへるをばさるものにて、これにわかれんことをおもへり。

 むすめははぬことをはばかわすれ、はじてて、かなしみをたれて、もろともにかんとす。おほやけ使つかひかぎりなくいとほしくおぼゆれど、ながさるるひとならひにて、ことのこえも便びんなかるべければ、かたくいさめてめんさず。

 せめておもあまりけるにや、その宿やどたづねつつ、むまやづたひに夜々よるよるなんきける。へたらんひとだに、らぬ野山のやまえて、たづかんことは、あるべきことにもあらず。まして、をんななれば、おぼろけにていたくべくもあらねど、仏天ぶつてんやあはれとおぼしけん、からくして、つひにかしこにいたきにけり。

 遠江国とほたふみのくになかとか、なかばなるみちのほどに、かたちひとにもあらず、かげのごとくおとろへて、れしほたれたるさまにて、たづたりける。ちつけてけんおやこころ、いかばかりおぼえけん。

 さるほどに、きていくほどもきやうず、ちちおもやまひけたりければ、このむすめ一人ひとりひて、のこて、終日終夜ひめもすよもすがらおこなつとむるさま、さらに身命しんみやうしまず。これをひとなみだながし、あはれみかなしまぬはなし。のちには、あまねくくになかこぞりて、たふとみあへり。わざとまうでつつ、えんむすぶたぐひ、おほくなんありける。

 さて、ほどのちくにかみげて、

御門みかどにことのよしをまうし、ゆるしをかうむりて、ちちのかばねをみやこのぼりて、孝養かうやうはりとせん」

 とひければ、そのありさまをきこしめして、おどろきて、またことなくめんされけり。よろこびて、すなはち、かのほねくびけ、かへのぼりにけり。

 むかしいまも、まことにこころざしふかくなりぬることは、かならぐるなるべし。

第93話 東の方修行しはべりし時さやの中山のふもとに、

 あづまかた修行しゆぎやうしはべりしとき、さやの中山なかやまのふもとに、ことのさきとまうすやしろまへに、六十ろくじふばかりなる琵琶法師びはほふしの、小法師こぼふし一人ひとりしたるがくを、びとどめて、乾飯かれいひなどはせて、

「いづくへくぞ。つねひとだに、はるかなるたびおもつことはたどたどしきを、いとこころくるしくこそ」

 ととぶらへば、うなだれて、

鎌倉かまくらかたへまかりはべるなり。ひとたのところありて、うつたへをもまうさん、もしは、おんかへりみをかうむらんなどおもひてこそ、おもつことなれど、おのれは、なにごとをかはまうさん。ことはりかうぶるべきうれへもちはべらず。さらにすることなし。ただ、ぎがたさに、もし、一日いちにちごすばかりのこともや、かまへらるとて、あられぬ有様ありさまにてまかれば、みちあひだくるしみ、きて宿やどるほどのわづらひ、ただおぼしれ」

 とふ。

「いかが、ことにふれてくるしからん」

 と、いとほしきなかにも、ある智者ちしや極楽ごくらくまうでんことをまうすとて、『無智むちものうまれんことは、たとへば、めしひみちかんがごとし。聖教しやうげうこころれるひとは、あるひとまうでんがごとくなり』とまうしはべりしことを、きとおもでて、わがうへさまおぼゆれば、ねんごろにとぶらふ。

「いと不便ふびんのことかな。さて、かなふまじくやおぼゆる」

 とふ。

 まことに、おもつもおほけなきことなれど、なにごともこころざしによるわざなれば、などかははげましはべらざらん。

つねひとの、乗馬じようめ下人げにん粮料らうれうのごとく、ゆたかにちたる、そのこころざしきは、いまだ近江国あふみのくにをだにぬ、かずらず。かく、たつたつしく、やすからぬなれども、おもちぬれば、さすがにまからるるなり」

 となむかたりはべりし。

 これをくにつけても、われらがめしひのかたばかり、かれがたぐひにて、しかもこころざしはうすきことの、とにかくにところなく、心憂こころうおぼえはべりし。

 いささかたのもしきことのはべるは、あるにいはく、「なかごろ、もろこし朝夕あさゆふ念仏ねんぶつまうすそうありけり。その居所ゐどころちかく、鸚鵡あうむといふとりのねぐらしめてむありけり。すなはち、念仏ねんぶつこゑならひて、かのとりのくせなれば、くちまねをしつつ、つね阿弥陀仏あみだぶつく。ひとこぞりて、これをあはれみさんむるほどに、このとりおのづからぬ。てらそうどもこれをりてうづみたりけり。のち、そのところより、蓮花一本れんげひともとひたり。おどろきながらりてれば、かの鸚鵡あうむしたとしてなむでたりける」

 かのとりくちまねのいみじきにもあらず、悲願ひぐわんのねんごろなるゆゑに、こころしんずとしもなけれども、くちとなへつれば、利益りえきのむなしからぬにこそははべらめ。かかれば、われらが散心念仏さんしんねんぶつとても、おろかなるべきにあらず。

第94話 近ごろ南都に僧ありけり

 ちかごろ、南都なんとそうありけり。としごろ、三尺さんじやく不動尊ふどうそん本尊ほんぞんとして、朝夕あさゆふおこなひけるほどに、あるとき行法ぎやうぼふあひだに、をふさぎて念誦ねんじゆするほどに、この本尊ほんぞんせたまひて、ただむなしきばかりのこれり。

 あさましく、めづらかにおぼえて、さまざまにうたがひをなす。「もし、これのしわざか。もしは、わが不信ふしん懈怠けだいにて、仏意ぶついにかなはぬか」など、ひとかたならずこころをくだき、かなしみをなすほどに、しばしありて、たてまつれば、ただもとのさまにておはします。とにかくに、こころがたくおもふほどに、そののち、かくせたまふこと、たびたびになりにけり。

 たちまちに沐浴もくよくし、ことに潔斎けつさいして、七日なぬかあひだしんをいたして、三時さんじ行法ぎやうぼふをして、このことをいのりたてまつるほどに、ゆめるやう、本尊ほんぞん御前ごぜんにて、うつつにるがごとく、このことをあやしみうたがあひだに、本尊ほんぞんげてのたまはく、

「なんぢこのことおどろくべからず。この二十余年にじふよねん、われをたのみて、臨終りんじゆう魔障ましやういのものあり。これをたすけんがために、時々ときどきかふなり」

 とのたまふ。そうゆめうちこたへたてまつりていはく、

「いづれのところに、たれとまうすひとぞ」

 こたへてのたまはく、

北京ほくきやう東山ひがしやまあたりに、長楽寺ちやうらくじといふところに、唯蓮房ゆゐれんばうといふあまこれなり。はりちかくなりたれば、いま二、三年にさんねんは、なほなほ時々ときどきかふべきなり」

 とのたまふとて、ゆめめぬ。

 このそう不思議ふしぎおもひをなして、なみだながして、やがて長楽寺ちやうらくじたづきて、

「しかじかのあまやある」

 とふに、さだかにありけり。まさしく、そのいほりいたりてれば、戸引とひてて、ひともなし。となりひとをしへけるままに、雲居寺うんごじいたりて、たづひて、まさしく対面たいめんしたりける。

 まづ、このことをばはず、物語ものがたりなどして、

のちつとめには、なにごとをかはしたまふ」

 とふ。あまふやう、

念仏ねんぶつのほかには、さらにつとむることなし」

 とふ。なほなほ、つよひてこまかにひけるとき

「この二十年にじふねんばかり、不動ふどう慈救呪じくじゆをこそ、毎日まいにち二十一返にじふいつぺんてて、臨終正念りんじゆうしやうねんならんことをいのりはべる」

 とふ。そうこのことをきて、

「まことには、ゆゑなくたづまうたるにはあらず」

 とて、ありしさまはじめよりかたりければ、あまなみださへつつ、

たのもしく、たふときことなり」

 とよろこびて、たがひに一仏土いちぶつどちぎりをむすびてなむりにけり。

 そののちは、いくほどもなくて、このあまおもやまひけたり。あたりのひときがたきよしひて、さまざまとぶらひけるに、

今年ことしにはべるまじ。明年みやうねん二月十五日にぐわつじふごにちにこそ、まかりかくるべきにてはべる」

 とこたへけるほどに、そのたびはきぬ。くるとし二月十五日にぐわつじふごにちひつじときに、やまひもなく、はり正念しやうねんにて、不動ふどういんむすびて、端坐たんざしていきえにけり。

 このあま長楽寺ちやうらくじいほりむすびたりけれど、ることもなし。雲居寺うんごじ念仏ねんぶつしゆになりて、つねにはかのてらにのみみて、念仏ねんぶつよりほかのいとなみなかりけり。すべてひとひて、こまやかに物語ものがたりし、うちわらふことなどもなし。ほとんどはしたなきさまになん、あひしらひける。

 この十余年じふよねんがさきのことなれば、みな人見ひとみけることなり。

「かの奈良ならそうも、すなはちおぼえはべりしかど、わすれにけり」

 とぞ、あるひとかたりはべりし。

 末世まつせなれど、しんじたてまつるひとのためには、かかる不思議ふしぎもはべりけるなり。道心だうしんなきひとならひにて、わがこころのつたなきをばらず、まんとがすゑにおほせて、むなしく退心たいしんおこすは、おろかなることなり。

第95話 近ごろ一人の武者ありけり

 ちかごろ、一人ひとり武者むしやありけり。おのがにあひて、したれるははをなむちたりける。もとよりかうこころうすうへに、おもてぶせにさへおもひ、継母ままははをのみおもおもへりければ、つね親子おやこさまに、むつびまみゆることもなし。かかれど、さすがにまさしきははなれば、かたちのごとくなるところをなんらせたりける。

 かのははそのところて、かしこにきて、なんみてたりけるあひだに、継母ままははの、

「よからず」

 とひけるによりて、はは所知しよちあらため、たちまちに異人ことひとらせてけり。

 そのあたりのひとおどろきて、このよしをははげければ、

「さらば、われにこそげられめ。さることのほかのことはあるものかは」

 とてしんぜず。かかるほどに、かのしやう沙汰さたものまうさく。下文くだしぶみて、ははかせけるとき、あまりこときはまりて、とばかりものもはず。「あきれたるさまにてたる」とるほどに、気色きしよくのことのほかゆるを、あやしくて、うごかすに、いふかひなきさまなり。はや、ながらいきえたるなりけり。すなはち悪心あくしん熾盛しじやうなるゆゑなるべし。

 さて、かの武者むしやはそのおもひをやかうぶりたりけん。ほどなくほろせにけりとぞ。はたしかなれど、当時そのかみのことなれば、わざとかず。

 また、ちかきころ、法勝寺ほつしようじ九重ここのへたふいかづちのためにけはべりしとき、かのてら執行しぎやうこれをて、かなしみにへず、りて、そのなかいのちはることは、みなひとあまねくれり。これ法滅ほふめつ菩提心ぼだいしんつよおこれるなるべし。かかれば、いままでも、善悪ぜんあくにつけてこころおこること、かくのごとし。

 いかが、仏道ぶつだうねがはんにいたりて、「すゑ」と卑下ひげこころこすべし。しかのみならず、男女なんによあいぢやくしていのちて、勝他名聞しようためうもんのために肝胆かんたんくださまなんどは、末代まつだいとて熾盛しじやうならずやは。えたることのたよりには、奕打ばくちうちといふものどものあつまりて、双六すごろくつをけば、ねず、ひるることもなく、七、八日しちはちにちなど片時へんしやすまず、そのあひだくるしさ、こころくださま、たとへてはんかたなし。されど、貪欲とんよく勝他しようたこころせつなる身力しんりきにて、おのづからこころやしなかたもあるにや。もつぶれず、こしもすくまず。かぎりあれば、かの大施太子だいせたいし如意珠によいしゆたまひけむこころざしもかくばかりこそはとぞゆる。

 また、こうみて、不思議ふしぎをあらはせることをはば、田楽でんがく猿楽さるがくなんどのなかに、刀玉かたなたまといひて、あやふふきわざするものあり。これをれば、かたなつを三人さんにんしてる。むね上手じやうずなるものをばなかてて、まへかへるもの一人ひとりうしろのかた一人ひとり、おのおのかたなつをちて、前後ぜんごより「われおとらじ」とはやげかくるを、なかにて、まへよりぐるをりてうしろへげやり、うしろよりぐるをばまへざまへげやる。すべて、つのかたな、なほとかくさばきやるさま凡夫ぼんぶのしわざともおぼえず。人伝ひとづてにかば、しんずべくもあらぬことなり。

 これは、また不思議ふしぎにあらず。ひとへにこうめるがいたすところなり。もし、功徳くどくために、かくこう勇猛精進ゆうみやうしやうじんこころおこさんには、現身げんしん三昧さんまいをもつべし。うつつにほとけ菩薩ぼさつをもたてまつるべし。よしなきすさびには、かくこころるれど、善根ぜんこんといへば、ゆるく懈怠けだいなるなり。

 なかにも、阿弥陀仏あみだぶつ悲願ひぐわんは、なほざりなることかは。諸仏しよぶつてたまへる五逆ごぎやく悪人あくにんをも、「たすけん」とちかひたまへれば、むかしいまも、あるもなきも、貴賤きせん道俗だうぞく老少らうせう男女なんによえらばず、往生わうじやうするためし、みみち、まなこにさへぎれり。けどもしんぜず、れどもたふとまず、ただ、「末世まつせのわれらがぶんにあらず」とのみもてはなれて、あるいは宿善しゆくぜんともひ、あるいは天魔てんまのしわざなんどひつつ、行者ぎやうじやはげみとほとけ願力ぐわんりきとをば、われもしんぜず、ひと退心たいしんおこさするは、いと心憂こころうきことなり。

 かく、かしこたふときかとおもへば、さき業報ごふほうさだまりて、「がたき福祐ふくいうをばいかにせん」と、火水ひみずるごとくほとけかみいのさわぎ、昼夜ちゆうやわしもとむ。せんは、ただふか無明むみやうさけにたぶらかされて、正念しやうねんうしなへるなるべし。

第96話 近ごろある僧の家に大きなる橘の木ありけり

 ちかごろ、あるそういへに、おほきなるたちばなありけり。おほくなるのみにあらず、そのあじこころことなりければ、あるじそうまた、たぐひなきものになむおもへりける。

 かのいへとなりに、としたかきあま一人ひとりみけり。重病ぢゆうびやうけて、ゆかして、ごろものはず、湯水ゆみずなんども、はかばかしくれぬほどになれりけるが、このたちばなて、

「かれをはばや」

 とひければ、すなはち、となりひとをやりて、

「かくなむ」

 とはせたりけれど、なさけなく、かたくしみて、ひとつもおこせず。

 この病人びやうにんのいはく、

「いとやすからず、心憂こころうきことかな。やまひ、すでにめて、いのち今日けふ明日あしたにあり。たとひよくふとも、二、三ふたつみつにやぐべき。それほどのものをしみて、わがねがひをかなはせぬは、くちしきわざなり。われ極楽ごくらくうまれんことをねがひつれど、いまにいたりては、かのたちばなつくむしとならんと。そのいきどほりをげずは、浄土じやうどうまれることをじ」

 とひてぬ。

 となりそうこのことをらずして、ごろぎけるほどに、このたちばなちたるをりて、はんとて、かわきてるに、たちばなふくろごとにしろむし五、六分ごろくぶばかりなるあり。おどろきて、「いづれもかかるなんめりや」とおもひて、れば、そこらのたちばな、さながらおなじやうになむありける。としひて、かくのみありければ、

なににかはせむ」

 とて、はてにはそのててげり。

 願力ぐわんりきといひながら、さしもおほくのむしとなりけんことは、いみじき不思議ふしぎなり。かれ悪事あくじおもふは、くだりざまのことなれば、かなひやすくははべるにこそ。

第97話 中ごろ年たかき尼のさすがに人に知られて

 なかごろ、としたかきあまの、さすがにひとられて乞食こつじきありくあり。

 わがのありさま、みづからかたりけるは、

「もとは、四条しでうみや半者はしたもの、みなそことなむいひける。をとこ受領じゆりやうになりてくだりけるときしてくだらんといざなひければ、みやにもいとままうし、さぶらふ人々ひとびとにもそのよしきここえて、こころばかりつ。おほやけにもたび装束しやうぞくたまはせ、女房にようばうなんども、おのおのおうぎ畳紙たたうがみやうのはなむけ、あまねくこころざしけり。 すでにあかつきとて、かさねてことのよしきこえて、さとでつつ、むかへのくるまつほどに、その音信おとづれもなし。あやしくて、もし、くだびたるかとたづぬれば、はや、このあかつきくだりたまひぬ。きたかたの、ごろはそららずして、この夜中よなかばかり、ただ、あらましかとこそおもひつれ。まことには、われをきてたれしてくべきぞとむつかりたまひつれば、やがて北方きたのかたもろともにくだりたまひぬとふ。悪心あくしんおこるなどはおろかなり。 ひとのまづおもはんことも心憂こころうければ、そののちみやへもまゐらず、やがてそのよりきよまはりして、貴布禰きぶね百夜ももよまゐりしてまうしはべりしやう、われおだやかにて、ひとしかれとまうさばこそは、かたからめ。かのひとうしなひたまへ。われいのちをたてまつらん。もし、なほけらば、乞食こつじきするとなりて、後世ごせには無間地獄むけんぢごくつる果報くわほうくとも、それをばうれへとせず。ただ、このいきどほりをたすけたまへとなむ、二心ふたごころなくまうしはべりし。 このをとこはただ面目めんぼくなくなんどばかり、こころくるしくおもひやりて、さほどふかおもふらんとはらざりけり。 くにくだきて、一月ひとつきばかりありけるほどに、かのきたかた湯殿ゆどのくだりたりけるときなかへ、天井てんじやうなかより、したうずきたるあし一尺いつしやくばかりなるを、さしくだしたるがえければ、女房にようばうに、かれはるやとひけれど、ことひとにはえず。かくて、おどろおそれてみず、さわのぼりにけるより、やがて、おもくわづらひて、ほどなくせにけりとぞ。きやうには、いまだ百日ひやくにちたざりしほどにきて、こころうちよろこび、まうしつくすべからず。 そののち、とかくことたがひて、にあるべくもなくおとろへて、てには、かく乞食こつじきをしありきはべるなり。ともすればつみふかおそろしきゆめなんどえはべれど、さしもまうしてしことなれば、さらにうらむるにあらずなむはべる。かくいたくいせまりてのちこそ、なにしにつみふかく、さる悪心あくしんおこして、二世不得にせふとくになりぬらむとおもかへしはべれど、かひもなし」

 とぞ、ひける。

第98話 河内国より妻男あひ具して御嶽へまゐる者

 河内国かはちのくにより、妻男つまをのこあひして、御嶽みたけへまゐるものありけり。りて、まうきて、いとくるしくおぼえければ、礼堂らいだうにうちやすみつつ、妻男つまをのこさしならびて、あからさまにしたりけるほどに、いふかひなくまどろみにけり。

 ややひさしくありて、寝覚ねざめたるに、かたはらにをんなあり。ほれたるこころに、ものまうでといふこと、ふつとわすれぬ。わがいへにあるやうにおぼえて、なんともおもかず、このつまをかしつ。

 やうやう目覚めざめゆくほどに、おもづれば、金剛蔵王こんがうざわう御前ごぜんなりけり。ともかくも、いふはかりなし。「いへにありて精進しやうじんなんどはじめたるほどだに、いささかもおこたることあれば、ときごさず、おそろしきことのみあるに、かばかりのあやまりをしつ。ただいまばつかうむらんこと、うたがひなし。こはいかがすべき」と、妻男つまをのこおどろかなしぶ。

 まづ、御前ごぜんでて、かわのほとりに二人ふたりきて、よくよくみづみて、かなしみつつ、くおこたりまうしてでにけり。

 たぐひなきほどのことなれば、ひとにもかたらず。こころうちに、「いまや、いまや」とたれつつ、月日つきひおくれど、つまをとこもさらにそのとがめとおぼゆることなし。事故ことゆゑなくて、としごろぎにけり。このことは、よはひ二十はたちばかりのおりにやありけん。

 さて、四十余年しじふよねんのちしたしきものの、

御嶽みたけへまゐる」

 とて、あながちにけげしかりけるを、

「さしも、あるべきことかは」

 などふほどに、おのづからひあがりて、

「いでや、ことごとしくものたまふものかな。おきなはそのかみ、しかじかのごふを、まさしく蔵王ざわう御前ごぜんにてをかしたりしかど、さらにこともなくて、すでに六十ろくじふあまりたり。よろづのことは、ただふとはぬとなり」

 とふ。

 これをひと

いまさら、あさまし」

 とおどろきたまへりけるほどに、かくひて、たりけるのうちに、ふたつのつぶれにけりとぞ。

 これはちかのことなり。すべて、ほとけかみ化機けきかくのごとし。かつは凡夫ぼんぶおろかなることをかがみたまひ、かつは懺悔さんげのなほざりならぬにより、そのとがめんしたまひけるをらず、不善ふぜんこころをもて、垂跡すいじやくおんかまへをかろしめたてまつり、ひと信心しんじんらんらんとしけるゆゑに、ふるあやまり、さらにおもとがとなりにけるなるべし。

第99話 中ごろ奈良に聖梵入寺、永朝僧都といふ

 なかごろ、奈良なら聖梵しやうぼん入寺にふじ永朝僧都えいてうそうづといふ二人ふたり智者ちしやあり。もとはやまおなさまがくひさしくしてみける。

 そのころ、いみじき同志どうし若人わかびとどもおほくて、かれらにすぐれんこともありがたくおぼえてげれば、二人ふたりはせつつ、やまわかれて、奈良ならへなむうつりける。

 奈良坂ならざかいたりて、はるかにやるに、興福寺こうぶくじかたには、ひとおほこぞりて、いみじうにぎやかなり。東大寺とうだいじかたには、人少ひとずくなにて、ものさびしきさまえければ、聖梵しやうぼんもとより心素直こころずなほならぬものにて、こころなかおもふやう、「ひとおほところにて、おもふさまにでんことは、きはめてかたし。東大寺とうだいじかたへこそくべかりけれ」とおもひて、永朝えいてうふやう、

一所いつしよにてはしかりなむ。そなたには興福寺こうぶくじへいませ。われはもとより三論宗さんろんしゆうすこがくしたれば、東大寺とうだいじへまからん」

 とひて、そこよりなむ、おのおのわかれける。

 この二人ふたりおとらぬ智者ちしやなれど、永朝えいてうこころうるはしきものにて、くままに興福寺こうぶくじきて、ほどなくすすみて僧都そうづになりぬ。聖梵しやうぼんまさかほもなかりければ、つきあかかかりける、つくづくとのありさまをおもひつづけてみける。

むかしつきかげにもたるかなわれとともにややまでけん

 この聖梵しやうぼん学生がくしやうかたはいみじきこえありけれど、ひとのためはらしくて、さるべき経論きやうろんなどをひとりても、ことなる要文えうもんあるところをばりとり、さりげなくせてなむかへしける。きたるふみのきれ、ちいさき唐櫃からびつにひとはたにぞなりたりける。

 かかるうたてきこころちたるゆゑに、智者ちしやといふとも、そのしるしもなし。現世げんぜにはつかさもならず、つひにふたつのけて、臨終りんじゆうにはさまざまつみふかさうどもあらはれて、

「かの、あはうの」

 とひてぞ、はりにける。なに智恵ちゑつとめも、こころうるはしくて、そのうへのことなり。

 さて、永朝僧都えいてうそうづ春日かすがやしろつねにこもりけるに、神感しんかんあらたにて、ゆめなかおん姿見すがたみたてまつること、たびたびになりにけれども、おんうしろをのみて、かひてたまふことのなかりければ、あやしく本意ほいなくおぼえて、ことにしんいたしていのりまうしけるときゆめなかにおほせられけるやう、

「なんぢうらむるところしかるべし。ただし、いとほしくおぼしめせども、すべて、われに後世ごせのことをまうさねば、えかひてはぬなり」

 とおほせたまふとなむ、たりける。

 末世まつせにしたがひて、かりかみとこそげんじたまへど、まことには、化度衆生けどしゆじやうおんこころざしよりおこりければ、現世げんぜのことをのみいのりまうすをば、本意ほいなくおぼしめすなるべし。

第100話 近く前兵衛尉なる男ありけり

 ちかく、前兵衛尉さきのひやうゑのじようなるをとこありけり。おとうと検非違使けびゐしになり、大夫少輔たいふのせふまでいたりてにあひたるを、かくかずならぬことの心憂こころうおぼえければ、としごろ賀茂かもにつかうまつるものにて、ことにしんをいたして、うちつづごろまうでつつ、くこのことをいのりまうすあひだに、御殿ごてんしたりけるゆめるやう、御前ごぜんにさぶらひて、うつつにもおもふことどもを、なみだながしつつ、かきくどきまうすほどに、宝殿ほうでん御戸みとひらきたまふ。「あな、かたじけな」とかしこまおそれて、えまなこをあてず。うつぶしたるに、のうちの、ことにあかかくなるやうにおぼゆるを、あやしくて、きと見上みあげたれば、やしろうち阿弥陀如来あみだによらい、あきらかにげんじたまへり。そのおんひかり十方じつぱうかかやけるなり。いとたふとく、めでたくおぼえて、なみだながしつつ、をがみたてまつるとおもふほどに、ゆめめぬ。

 そののち、つくづくとこのことをおもふに、「わがまうすことを、きこしめしれぬことをおもひてこそくちしかりつれ、かくあらはれてたまふにては、もし、このしやうのことは、さき業報ごふほうにて、かみちからおよびたまはぬか。また、今生こんじやうはおぼしめすがごとくして、本地ほんぢのおはしますかたをあらはしたまへるは、おんはからひあさからぬことなめり」とたのもしくおぼえけるより、さるべきにやありけん、こころおこして、やがて、かしらおろしてけり。

 そののち現世げんぜのことの、「夢幻ゆめまぼろしさかえなりけり」とおもられて、ことにふれつつ、「これぞ、まことにすぐれたる神徳しんとくなりけり」と、かのゆめなか御有様おんありさまこころにかかりて、めでたくたのもしくおぼえければ、てもめても、念仏ねんぶつひまなくまうして、かしらしけるほどに、二、三日にさんにちわづらひて、いたくもなやまず、臨終正念りんじゆうしやうねんにて、ねがひのごとく、念仏ねんぶつたかくまうしてはりにけり。

 まことに、浮雲ふうんのとてもかくてもありぬべし。これもかの桓舜僧都くわんしゆんそうづのたぐひにこそ。おもふやうならぬより、得脱とくだつすべきえんのありけるにこそ。

第101話 ある聖船に乗りて近江の湖を過ぎけるほどに

 あるひじりふねりて、近江あふみうみぎけるほどに、網船あみぶねおほきなるこひりて、きけるが、いまだきてふためきけるを、あはれみて、たりける小袖こそでぎて、ひとりてはなちけり。

 「いみじき功徳くどくつくりつ」とおもふほどに、そのゆめに、白狩衣しろかりぎぬたるおきな一人ひとりわれをたづねてたり。いみじううらみたる気色けしきなるを、あやしくて、ひければ、

「われはひるあみかれて、いのちはらんとしつるこひなり。ひじりおんしわざのくちしくはべれば、そのことまうさむとてなり」

 とふ。ひじりふやう、

「このことこそ心得こころえね。よろこびこそはるべきに、あまさへ、うらみらるらむ、いとあたらぬことなり」

 とふ。おきないはく、

「しかはべり。されど、われうろくづけて、得脱とくだつらず。このうみそこにて、おほくのとしめり。しかるを、たまたま賀茂かも供祭ぐさいになりて、それをえんとして、苦患くげんをまぬかれなんとつかまつりつるを、さかしきことをしたまひて、また畜生ちくしやうごふべたまへるなり」

 とふとなむ、たりける。

第102話 中ごろのことにや山より下りける僧ありけり

 なかごろのことにや、やまよりくだりけるそうありけり。ただすまへ河原かはらぐるに、をさな童部わらはべ三人さんにんおのおのいみじくあらそろんずることあり。

 このそうちとどまりて、そのゆゑをふ。わらはふやう、

「ここに、おぼつかなきことはべり。かみ御前ごぜんにて、まづひとみたまふきやうをさまざまにまうして、われこそよくへと、かたみにろんじはべるなり」

 とふ。

 「をかし」とおもひて、一人ひとりづつこれをへば、一人ひとり

真経しんぎやう

 とひ、一人ひとり

深経じんぎやう

 とひ、一人ひとり

神経しんぎやう

 とふ。そううちわらひ、

「これは、みな僻事ひがごとぞ。心経しんぎやうとこそへ」

 とへば、ひやみて、みなりぬ。

 かくて、一町いつちやうばかりくほどに、河原かはらなかに、にはかにまぐれてたおれぬ。ゆめのごとくして、したるほどに、やむごとなきひとまくらたりてのたまふやう、

「なんぢがしわざ、心得こころえず。これをさなものふこと、みなそのいはれあり。真経しんぎやうふ、僻事ひがごとにあらず。まことほふなれば。深経じんぎやうといふ、また僻事ひがごとにあらず。いはれふかきことはりなれば。神経しんぎやうといふもたがはず。神明しんめいのことにめでたまふきやうなれば。このことをややひさしくろんじつれば、とにもかくにもめでたくきつるを、なんぢがことをきしるゆゑに、みてりぬ。くちしければ、そのことしめさんとてなり」

 とおほせらるるとて、あせうちながれ、あへてことなくなむきたりける。

 かみほふにめでたまふおんこころざしふかげにあはれなることなり。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次