無名抄「関の清水」現代語訳・原文・語釈

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無名抄「関の清水」原文・語釈・現代語訳

ある人いはく

原文

ある人いはく、

逢坂あふさかの関の清水といふは、はしと同じ水ぞと、なべて人知りはべるめり。しかにはあらず。清水は別の所にあり。今は水も無ければ、そことも知れる人だになし。

語釈

  • 逢坂あふさかの関:近江国に置かれた、山城国との境の関所。現在の滋賀県大津市逢坂にあったとされる。
  • 清水:地面や岩の間などから涌き出る澄んだ湧水。
  • はし:現在の大津市大谷町にあったとされる湧水。
  • なべて:一般に。

現代語訳

ある人が言うことには、

「逢坂の関の清水というのは、名水の走り井と同じ水だと、世間に広く知られているようです。しかしそうではありません。清水は別の所にあります。今は水もないので、そこが清水だと知っている人さえいません。

かかれど、さる跡や知りたると

原文

三井みいでら円実房ゑんじつばう阿闍梨あざりといふ老僧ただ一人、その所を知れり。かかれど、さる跡や知りたるとたづぬる人もなし。

『われ死なむ後は、知る人もなくてやみぬべきこと』

と、人に会ひて語りけるよし伝へ聞きて、かの阿闍梨あざり知れる人の文を取りて、建暦の初めの年、十月廿日あまりの頃、三井寺へ行く。

語釈

  • 三井みいでら:園城寺が正称。天台寺門宗の総本山。現在の滋賀県大津市園城寺町にある。
  • 円実房ゑんじつばう:藤原実能さねよしの子、円実に由縁ある僧房の意か。
  • 阿闍梨あざり伝法でんぼう灌頂かんじょうという儀式を受けた、弟子を指導する資格を持つ僧。天台宗では宣旨(天皇の命令)によって与えられる。

現代語訳

三井寺にいる円実房の阿闍梨という老僧ただ一人が、その場所を知っています。けれども、その跡を知っているかと尋ねる人もいません。

『私が死んだ後は、知る人もいなくて忘れ去られてしまうでしょう』

と、人に会って語ったという話を伝え聞いて、その阿闍梨を知っている人の手紙をもらい、建暦の初めの年、10月20日過ぎの頃に三井寺へ行きました。

阿闍梨対面して

原文

阿闍梨あざり対面して、

『かやうに古きことを聞かまほしうする人もかたくはべるめるを、めづらしくなむ。いかでかしるべつかまつらざらむ』

とて、伴ひて行く。関寺より西へ二、三丁ばかり行きて、道より北のつらに少し立ちあがれる所に、一丈ばかりなる石の塔あり。その塔の東へ三段ばかりくだりて窪なる所は、すなはち昔の関の清水の跡なり。

語釈

  • 関寺:逢坂の関の北にあったとされる寺院。
  • 丁:1丁=約109メートル。
  • 丈:1丈=約3メートル。
  • 段:1段=約11メートル。

現代語訳

阿闍梨と対面すると、

『このような古いことを聞きたがる人もそうはいないでしょうに、珍しいことです。どうして案内しないでいられましょうか』

と言って、私を連れていきました。関寺から西へ2~3丁ほど行って、道から北側に少し上ったところに、1丈ほどの石の塔があります。その塔の東へ3段ばかり下った窪んだ所が、すなわち昔の関の清水の跡です。

道よりも三段ばかりや入りたらむ

原文

道よりも三段ばかりや入りたらむ。今は小家の後方しりへになりて、当時は水も無くて、見所もなけれど、昔のなごり面影に浮かびて、いうになむ覚えはべりし。阿闍梨あざり語りていはく、

『この清水に向かひて、水より北に、うすはだきたる家、近くまではべりけり。誰人のすみかとは知らねど、いかにもただ人の居所にはあらざりけるなめり』

とぞ語りはべりし」。

語釈

  • 当時:現在。
  • ただ人:普通の人。

現代語訳

道から3段ほど入ったでしょうか。今は小さな家の後方になって、現在は水もなく、見所もないけれど、昔の名残が面影に浮かんで、風流に感じました。阿闍梨が語って言うには、

『この清水に向かって、水より北に、檜皮を薄く葺いた家が最近までありました。誰の住まいかはわかりませんでしたが、見るからに普通の人の住まいではないようでした』

ということを語りました」。

無名抄「関の清水」原文全文

 ある人いはく、

逢坂あふさかの関の清水といふは、はしと同じ水ぞと、なべて人知りはべるめり。しかにはあらず。清水は別の所にあり。今は水も無ければ、そことも知れる人だになし。三井みいでら円実房ゑんじつばう阿闍梨あざりといふ老僧ただ一人、その所を知れり。かかれど、さる跡や知りたるとたづぬる人もなし。

『われ死なむ後は、知る人もなくてやみぬべきこと』

と、人に会ひて語りけるよし伝へ聞きて、かの阿闍梨あざり知れる人の文を取りて、建暦の初めの年、十月廿日あまりの頃、三井寺へ行く。阿闍梨あざり対面して、

『かやうに古きことを聞かまほしうする人もかたくはべるめるを、めづらしくなむ。いかでかしるべつかまつらざらむ』

とて、伴ひて行く。関寺より西へ二、三丁ばかり行きて、道より北のつらに少し立ちあがれる所に、一丈ばかりなる石の塔あり。その塔の東へ三段ばかりくだりて窪なる所は、すなはち昔の関の清水の跡なり。道よりも三段ばかりや入りたらむ。今は小家の後方しりへになりて、当時は水も無くて、見所もなけれど、昔のなごり面影に浮かびて、いうになむ覚えはべりし。阿闍梨あざり語りていはく、

『この清水に向かひて、水より北に、うすはだきたる家、近くまではべりけり。誰人のすみかとは知らねど、いかにもただ人の居所にはあらざりけるなめり』

とぞ語りはべりし」。

無名抄「関の清水」現代語訳全文

 ある人が言うことには、

「逢坂の関の清水というのは、名水の走り井と同じ水だと、世間に広く知られているようです。しかしそうではありません。清水は別の所にあります。今は水もないので、そこが清水だと知っている人さえいません。三井寺にいる円実房の阿闍梨という老僧ただ一人が、その場所を知っています。けれども、その跡を知っているかと尋ねる人もいません。

『私が死んだ後は、知る人もいなくて忘れ去られてしまうでしょう』

と、人に会って語ったという話を伝え聞いて、その阿闍梨を知っている人の手紙をもらい、建暦の初めの年、10月20日過ぎの頃に三井寺へ行きました。阿闍梨と対面すると、

『このような古いことを聞きたがる人もそうはいないでしょうに、珍しいことです。どうして案内しないでいられましょうか』

と言って、私を連れていきました。関寺から西へ2~3丁ほど行って、道から北側に少し上ったところに、1丈ほどの石の塔があります。その塔の東へ3段ばかり下った窪んだ所が、すなわち昔の関の清水の跡です。道から3段ほど入ったでしょうか。今は小さな家の後方になって、現在は水もなく、見所もありませんが、昔の名残が面影に浮かんで、風流に感じました。阿闍梨が語って言うには、

『この清水に向かって、水より北に、檜皮を薄く葺いた家が最近までありました。誰の住まいかはわかりませんでしたが、見るからに普通の人の住まいではないようでした』

ということを語りました」。

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この記事を書いた人

生きづらさを抱えていた30代の頃、物事の本質を知ろうとしているうちに、古典文学へとたどり着きました。中高生の頃は、受験のためでしかなかった古文・漢文。その魅力にもっと早く気づきたかった人生でした。今はライフワークとして、古典文学の現代語訳や歴史探訪を楽しんでいます。

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