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『『方丈記』原文と現代語訳(10)気ままな暮らし|もし念仏もの憂く

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『方丈記』後半では、鴨長明が日野山の小さな庵で送った静かな暮らしが描かれていきます。

そこには、世間のしがらみから離れ、一人で読経し、一人で楽器を奏で、季節の移ろいを味わいながら生きる長明の姿がありました。

『方丈記』「気ままな暮らし」では、山中を散歩し、草花を摘み、夜は月や蛍を眺めながら過ごす長明の日常が、穏やかな筆致で語られています。

災厄と不安に満ちた時代を生き抜いた長明は、なぜこのような暮らしに安らぎを見出したのでしょうか。

原文・現代語訳・語釈付きで紹介します。

目次

方丈記「気ままな暮らし」の原文・語釈・現代語訳

もし、念仏もの憂く

原文

もし、念仏ねんぶつもの憂うく、読経どきやうまめならぬ時は、みづから休み、みづから怠おこたる。さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。ことさらに無む言ごんをせざれども、独り居をれば、口く業ごうを修をさめつべし。必ず禁きん戒かいを守るとしもなくとも、境界きやうがいなければ何につけてか破らん。

語釈

  • ものうし【物憂し】:なんとなく心が重い。おっくうだ。
  • ことさら【殊更】:故意に。わざわざ。
  • むごん【無言】:〘仏教語〙無言の行。一定の期間、無言で過ごす修行のこと。
  • くごふ【口業】:〘仏教語〙善悪の報いのもととなる3つの行為(意業・身業・口業)の一つで、言語行為に関すること。
  • をさむ【治む・修む】:行いや態度をよくする。
  • きやうがい【境界】:〘仏教語〙因果応報によって、各自に与えられた境遇。身の上。

現代語訳

もし、念仏するのが面倒で、読経どきょうにも気が進まない時は、自ら休み、自ら怠る。邪魔する人もいなければ、恥ずかしいと思う相手もいない。わざわざ無言の修行をしなくても、一人でいれば自然と口く業ごうを修められる。必ず禁戒を守ろうとしなくても、心を惑わすような環境がなければ、何によって破られようか。

もし、跡の白波に

原文

もし、跡あとの白しら波なみに、この身を寄よする朝あしたには、岡おかの屋やに行ゆき交かふ船をながめて、満まん沙しや弥みが風ふ情ぜいをぬすみ、もし、桂かつらの風、葉を鳴らす夕ゆふべには、潯じん陽やうの江えを思ひやりて、源げん都と督とくの行おこなひをならふ。

語釈

  • よす【寄す】:まかせる。ゆだねる。心を傾ける。向ける。
  • をかのや【岡の屋】:現在の京都府宇治市に当時あった巨椋池の池畔。港としてさかえた。
  • まんしやみ【満沙弥】:7、8世紀の歌人。沙弥満誓。
  • ぬすむ【盗む】:ひそかにまねて学ぶ。
  • じんやうのえ【潯陽の江】:中国江西省北部の九江付近を流れる長江の称。
  • げんととく【源都督】:源経信。平安時代の歌人、音楽家。琵琶の名手。
  • ならふ【倣ふ】:模倣する。見習う。まねる。

現代語訳

もし、航跡の白波にこの身を寄せる朝には、岡の屋に行き交う船を眺めて、満まん沙しゃ弥みの風情をひそかに真似る。もし、桂の木が風に吹かれ、葉を鳴らす夕方には、潯じん陽ようの江えに思いをはせて、源げん都と督とくになったつもりで琵琶を奏でる。

もし、余興あれば

原文

もし、余よ興きようあれば、しばしば松の響ひびきに秋しう風ふう楽らくをたぐへ、水の音に流りう泉せんの曲きよくをあやつる。芸はこれ拙つたなけれども、人の耳を喜ばしめむとにはあらず。独り調べ、独り詠えいじて、みづから情こころを養やしなふばかりなり。

語釈

  • よきよう【余興】:興趣が残っていること。興趣がつきないこと。
  • しうふうらく【秋風楽】:雅楽の曲名。
  • たぐふ【類ふ・比ふ・副ふ】:適合する。似せる。なぞらえる。
  • りうせん【流泉】:琵琶の曲名。「啄木(たくぼく)」、「楊真操(やうしんさう)」とともに三秘曲の一つ。
  • あやつる【操る】:演奏する。奏でる。
  • しらぶ【調ぶ】:楽器を演奏する。

現代語訳

もし、興が尽きなければ、しばしば松の響きに秋しゅう風ふう楽らくの曲を合わせ、水の音に流りゅう泉せんの曲を奏でる。芸はこれつたないけれども、人の耳を喜ばせようというわけではない。一人で弾き、一人で歌い、自ら心を養うばかりである。

また、ふもとに一つの柴の庵あり

原文

また、ふもとに一つの柴の庵いほりあり。すなはち、この山やま守もりが居をる所なり。かしこに小童こわらはあり。時々来たりて、あひ訪とぶらふ。もし、つれづれなる時は、これを友として遊行ゆぎやうす。かれは十歳、これは六十むそぢ。その齢よはひ、ことのほかなれど、心を慰なぐさむる事、これ同じ。

語釈

  • やまもり【山守】:山の番人。
  • とぶらふ【訪ふ】:訪問する。訪ねる。見舞う。
  • つれづれ【徒然】:何もすることがないこと。退屈なこと。
  • ゆぎやう【遊行】:ぶらぶら歩くこと。散歩。

現代語訳

また、ふもとに一軒の柴の庵がある。すなわち、この山守がいる所である。そこに子供がいて、時々やって来ては、互いに顔を見せ合う。もし、暇な時は、この子を友としてぶらぶら歩く。かれは十歳、これは六十。その齢はかけ離れているけれど、心を慰めることは同じである。

あるいは茅花を抜き

原文

あるいは茅つ花ばなを抜き、岩いは梨なしを取り、零ぬ余か子ごを盛り、芹せりを摘む。あるいはすそわの田た居ゐに至りて、落おち穂ぼを拾ひて穂ほ組ぐみを作る。

語釈

  • つばな【茅花】:ちがやの花。食用になる。
  • いはなし【岩梨】:ツツジ科イワナシ属の常緑小低木。梨のような甘味のある実がなる。
  • ぬかご【零余子】:山芋などの葉のつけ根に生じる小芋のような小さなかたまり。むかご。
  • せり【芹】:せり。春の七草の一つ。
  • すそわ【裾回・裾廻】:山のふもと。山すそのまわり。
  • たゐ【田居】:田。田んぼ。
  • ほぐみ【穂組み】:刈り取った稲の穂を乾燥させるために組み重ねたもの。

現代語訳

ある日は茅つ花ばなを抜き、岩いわ梨なしを取り、零ぬ余か子ごを盛り、芹を摘む。ある日は山裾の田んぼに行き、落おち穂ぼを拾って穂ほ組ぐみをつくる。

もし、うららかなれば

原文

もし、うららかなれば、峰によぢのぼりて、はるかに故ふる郷さとの空を望み、木こ幡はた山やま、伏ふし見みの里、鳥と羽ば、羽は束つか師しを見る。勝地しようちは主ぬしなければ、心を慰なぐさむるにさはりなし。

語釈

  • うららか【麗らか】:日ざしがやわらかで、穏やかに晴れていさま。
  • こはたやま【木幡山】:現在の京都府宇治市の北部にある丘陵。
  • ふしみ【伏見】:現在の京都府伏見区の一帯。
  • とば【鳥羽】:現在の京都市南区と伏見区にかかる一帯。
  • はつかし【羽束師】:現在の京都市伏見区にある地名。
  • しようち【勝地】:景色の素晴らしい地。
  • さはり【障り】:障害。さしつかえ。

現代語訳

もし、うららかな天気であれば、峰によじ登り、はるか遠くの故郷の空を眺め、木こ幡はた山やま、伏ふし見みの里、鳥と羽ば、羽は束つか師しを見渡す。景勝地は誰の持ち物でもないから、心を慰めるのに邪魔するものはない。

歩、わづらひなく

原文

歩あゆみ、わづらひなく、心、遠とほく至る時は、これより峰つづき、炭すみ山やまを越え、笠かさ取とりを過ぎて、あるいは石いは間まに詣まうで、あるいは石いし山やまを拝をがむ。もしはまた、粟あは津づの原を分けつつ、蝉せみ歌うたの翁おきなが跡あとを訪とぶらひ、田たな上かみ河がはをわたりて、猿丸大夫さるまろまうちぎみが墓を訪たづぬ。

語釈

  • すみやま【炭山】:現在の京都府宇治市、日野の奥にある山。
  • かさとり【笠取】:現在の京都府宇治市、北東部にある山。
  • いはま【石間】:現在の滋賀県大津市、岩間寺。
  • いしやま【石山】:現在の滋賀県大津市、石山寺。
  • あはづのはら【粟津の原】:現在の滋賀県大津市、瀬田川河畔にあった松原。木曽義仲最期の地。
  • せみうたのおきな【蝉歌の翁】:蝉丸。平安時代初期の歌人。
  • たなかみがは【田上河】:瀬田川の支流。
  • さるまろまうちぎみ【猿丸太夫】:平安時代初期の歌人。

現代語訳

歩くのが軽く、心が遠くまで至る時は、ここから峰つづきに炭すみ山やまを越え、笠かさ取とりを過ぎて、岩間寺に詣でたり、あるいは石山寺を拝んだりする。もしくはまた、粟あは津づの原を分け入って、蝉せみ歌うたの翁おきなの旧跡を訪れたり、田上川を渡って、猿丸太夫さるまろまうちぎみの墓を参ったりする。

帰るさには

原文

帰かへるさには、折をりにつけつつ、桜を狩り、紅葉もみぢを求め、蕨わらびを折をり、木この実みを拾ひて、かつは仏に奉たてまつり、かつは家いへづととす。

語釈

  • をりにつく【折に付く】:時節・場所がらなどに応じる。
  • いへづと【家苞】:わが家へのみやげ。

現代語訳

帰り道では、季節によって桜を狩り、紅葉を求め、蕨わらびを折り、木の実を拾う。一部は仏にお供えし、一部は自分へのお土産とする。

もし、夜、静かなれば

原文

もし、夜よ、静しづかなれば、窓の月に故人をしのび、猿の声こゑに袖そでをうるほす。草むらの蛍は、遠とほく槙まきの篝火かがりびにまがひ、暁あかつきの雨は、おのづから木の葉吹く嵐に似たり。山やま鳥どりのほろと鳴くを聞きても、父か母かと疑うたがひ、

語釈

  • しのぶ【偲ぶ】:思い慕う。懐かしく思う。
  • まき【槙】:槙島。現在の京都府宇治市、巨椋池の東岸近くにあった島。
  • かがりび【篝火】:鉄かごに松の薪をたいて照明としたもの。
  • まがふ【紛ふ】:見えちがえたり、聞きちがえたりするほどよく似ている。見まちがえる。聞きまちがえる。
  • ほろほろ:雉や山鳥などの鳴き声を表す語。

現代語訳

もし、夜、静かな時は、窓の月に故人をしのび、猿の声に袖を濡らす。草むらの蛍は、遠く槙島まきしまの篝火かがりびと見紛うほどである。暁の雨は、自然と木の葉を吹き散らす嵐に似ている。山鳥がホロと鳴く声を聞けば、父か母かと聞き間違う。

峰の鹿の近く馴れたるにつけても

原文

峰の鹿かせぎの近く馴なれたるにつけても、世に遠とほざかるほどを知る。あるいはまた、埋火うづみびをかきおこして、老おいの寝ね覚ざめの友とす。恐ろしき山ならねば、梟ふくろふの声こゑをあはれむにつけても、山中の景けい気き、折をりにつけて尽くる事なし。いはむや、深く思ひ、深く知らむ人の為ためには、これにしも限かぎるべからず。

語釈

  • うづみび【埋み火】:灰の中にうずめてある炭火。
  • おいのねざめ【老いの寝覚め】:年老いて、夜中や明け方早くに目覚めがちになること。
  • あはれむ:しみじみと趣深いものと感じる。
  • けいき【景気】:景色。風景。

現代語訳

峰の鹿がなついて近寄ってくるにつけても、世に遠ざかる身の程を知る。ある時はまた、灰の中に埋うずめておいた火をかきおこして、目覚めがちな老いの夜の友とする。恐ろしい深山ではなく、梟ふくろうの声をしみじみ聞くにつけても、山中の景色は折々に尽きることはない。ましてや、自然の情緒を深く感じ、深く理解する人にとっては、これだけに限らないだろう。

方丈記「気ままな暮らし」の原文を通して読む

 もし、念仏ねんぶつもの憂うく、読経どきやうまめならぬ時は、みづから休み、みづから怠おこたる。さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。ことさらに無む言ごんをせざれども、独り居をれば、口く業ごうを修をさめつべし。必ず禁きん戒かいを守るとしもなくとも、境界きやうがいなければ何につけてか破らん。

 もし、跡あとの白しら波なみに、この身を寄よする朝あしたには、岡おかの屋やに行ゆき交かふ船をながめて、満まん沙しや弥みが風ふ情ぜいをぬすみ、もし、桂かつらの風、葉を鳴らす夕ゆふべには、潯じん陽やうの江えを思ひやりて、源げん都と督とくの行おこなひをならふ。

 もし、余よ興きようあれば、しばしば松の響ひびきに秋しう風ふう楽らくをたぐへ、水の音に流りう泉せんの曲きよくをあやつる。芸はこれ拙つたなけれども、人の耳を喜ばしめむとにはあらず。独り調べ、独り詠えいじて、みづから情こころを養やしなふばかりなり。

 また、ふもとに一つの柴の庵いほりあり。すなはち、この山やま守もりが居をる所なり。かしこに小童こわらはあり。時々来たりて、あひ訪とぶらふ。もし、つれづれなる時は、これを友として遊行ゆぎやうす。かれは十歳、これは六十むそぢ。その齢よはひ、ことのほかなれど、心を慰なぐさむる事、これ同じ。

 あるいは茅つ花ばなを抜き、岩いは梨なしを取り、零ぬ余か子ごを盛り、芹せりを摘む。あるいはすそわの田た居ゐに至りて、落おち穂ぼを拾ひて穂ほ組ぐみを作る。

 もし、うららかなれば、峰によぢのぼりて、はるかに故ふる郷さとの空を望み、木こ幡はた山やま、伏ふし見みの里、鳥と羽ば、羽は束つか師しを見る。勝地しようちは主ぬしなければ、心を慰なぐさむるにさはりなし。

 歩あゆみ、わづらひなく、心、遠とほく至る時は、これより峰つづき、炭すみ山やまを越え、笠かさ取とりを過ぎて、あるいは石いは間まに詣まうで、あるいは石いし山やまを拝をがむ。もしはまた、粟あは津づの原を分けつつ、蝉せみ歌うたの翁おきなが跡あとを訪とぶらひ、田たな上かみ河がはをわたりて、猿丸大夫さるまろまうちぎみが墓を訪たづぬ。

 帰かへるさには、折をりにつけつつ、桜を狩り、紅葉もみぢを求め、蕨わらびを折をり、木この実みを拾ひて、かつは仏に奉たてまつり、かつは家いへづととす。

 もし、夜よ、静しづかなれば、窓の月に故人をしのび、猿の声こゑに袖そでをうるほす。草むらの蛍は、遠とほく槙まきの篝火かがりびにまがひ、暁あかつきの雨は、おのづから木の葉吹く嵐に似たり。山やま鳥どりのほろと鳴くを聞きても、父か母かと疑うたがひ、

 峰の鹿かせぎの近く馴なれたるにつけても、世に遠とほざかるほどを知る。あるいはまた、埋火うづみびをかきおこして、老おいの寝ね覚ざめの友とす。恐ろしき山ならねば、梟ふくろふの声こゑをあはれむにつけても、山中の景けい気き、折をりにつけて尽くる事なし。いはむや、深く思ひ、深く知らむ人の為ためには、これにしも限かぎるべからず。

方丈記「気ままな暮らし」の現代語訳を通して読む

 もし、念仏するのが面倒で、読経どきょうにも気が進まない時は、自ら休み、自ら怠る。邪魔する人もいなければ、恥ずかしいと思う相手もいない。わざわざ無言の修行をしなくても、一人でいれば自然と口く業ごうを修められる。必ず禁戒を守ろうとしなくても、心を惑わすような環境がなければ、何によって破られようか。

 もし、航跡の白波にこの身を寄せる朝には、岡の屋に行き交う船を眺めて、満まん沙しゃ弥みの風情をひそかに真似る。もし、桂の木が風に吹かれ、葉を鳴らす夕方には、潯じん陽ようの江えに思いをはせて、源げん都と督とくになったつもりで琵琶を奏でる。

 もし、興が尽きなければ、しばしば松の響きに秋しゅう風ふう楽らくの曲を合わせ、水の音に流りゅう泉せんの曲を奏でる。芸はこれつたないけれども、人の耳を喜ばせようというわけではない。一人で弾き、一人で歌い、自ら心を養うばかりである。

 また、ふもとに一軒の柴の庵がある。すなわち、この山守がいる所である。そこに子供がいて、時々やって来ては、互いに顔を見せ合う。もし、暇な時は、この子を友としてぶらぶら歩く。かれは十歳、これは六十。その齢はかけ離れているけれど、心を慰めることは同じである。

 ある日は茅つ花ばなを抜き、岩いわ梨なしを取り、零ぬ余か子ごを盛り、芹を摘む。ある日は山裾の田んぼに行き、落おち穂ぼを拾って穂ほ組ぐみをつくる。

 もし、うららかな天気であれば、峰によじ登り、はるか遠くの故郷の空を眺め、木こ幡はた山やま、伏ふし見みの里、鳥と羽ば、羽は束つか師しを見渡す。景勝地は誰の持ち物でもないから、心を慰めるのに邪魔するものはない。

 歩くのが軽く、心が遠くまで至る時は、ここから峰つづきに炭すみ山やまを越え、笠かさ取とりを過ぎて、岩間寺に詣でたり、あるいは石山寺を拝んだりする。もしくはまた、粟あは津づの原を分け入って、蝉せみ歌うたの翁おきなの旧跡を訪れたり、田上川を渡って、猿丸太夫さるまろまうちぎみの墓を参ったりする。

 帰り道では、季節によって桜を狩り、紅葉を求め、蕨わらびを折り、木の実を拾う。一部は仏にお供えし、一部は自分へのお土産とする。

 もし、夜、静かな時は、窓の月に故人をしのび、猿の声に袖を濡らす。草むらの蛍は、遠く槙島まきしまの篝火かがりびと見紛うほどである。暁の雨は、自然と木の葉を吹き散らす嵐に似ている。山鳥がホロと鳴く声を聞けば、父か母かと聞き間違う。

 峰の鹿がなついて近寄ってくるにつけても、世に遠ざかる身の程を知る。ある時はまた、灰の中に埋うずめておいた火をかきおこして、目覚めがちな老いの夜の友とする。恐ろしい深山ではなく、梟ふくろうの声をしみじみ聞くにつけても、山中の景色は折々に尽きることはない。ましてや、自然の情緒を深く感じ、深く理解する人にとっては、これだけに限らないだろう。

鴨長明『方丈記』の参考書籍

  • 浅見和彦『方丈記』(2011年 ちくま学芸文庫)
  • 浅見和彦『方丈記』(笠間書院)
  • 安良岡康作『方丈記 全訳注』(1980年 講談社)
  • 簗瀬一雄訳注『方丈記』(1967年 角川文庫)
  • 小内一明校注『(影印校注)大福光寺本 方丈記』(1976年 新典社)
  • 市古貞次校注『新訂方丈記』(1989年 岩波文庫)
  • 佐藤春夫『現代語訳 方丈記』(2015年 岩波書店)
  • 中野孝次『すらすら読める方丈記』(2003年 講談社)
  • 濱田浩一郎『【超口語訳】方丈記』(2012年 東京書籍)
  • 城島明彦『超約版 方丈記』(2022年 ウェッジ)
  • 小林一彦「NHK「100分 de 名著」ブックス 鴨長明 方丈記」(2013年 NHK出版)
  • 木村耕一『こころに響く方丈記 鴨長明さんの弾き語り』(2018年 1万年堂出版)
  • 水木しげる『マンガ古典文学 方丈記』(2013年 小学館)
  • 五味文彦『鴨長明伝』(2013年 山川出版社)
  • 堀田善衛『方丈記私記』(1988年 筑摩書房)
  • 梓澤要『方丈の狐月』(2021年 新潮社)
  • 『京都学問所紀要』創刊号「鴨長明 方丈記 完成八〇〇年」(2014年 賀茂御祖神社(下鴨神社)京都学問所)
  • 『京都学問所紀要』第二号「鴨長明の世界」(2021年 賀茂御祖神社(下鴨神社)京都学問所)

実際に読んだ『方丈記』の関連本を以下のページでご紹介しております。

『方丈記』を初めて読む方にも、何度か読んだことがある方にもオススメの書籍をご紹介しておりますので、ぜひご覧ください♪

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