『無名抄』の現代語訳を、4ページに分けて掲載しています。このページ(1)には、第1段「題の心」から第15段「歌の風情、忠胤の説法に相似ること」までの章段を収めました。原文とあわせて読みたい方は、『無名抄』原文(1)をご覧ください。
第1段 題の心
歌は、題の心をよく理解すべきである。源俊頼の『髄脳』という書物に、そのことが記してあるようだ。必ず遠回しに表現して詠むべき文字もあれば、かえって遠回しにすると悪く聞こえる文字もある。また、必ずしも歌の中にはっきり詠み込まなくても、自然とわかる文字もある。いわゆる「暁天落花」「雲間郭公」「海上明月」のような題では、2番目の文字は、必ずしも詠まない。どれも下の文字を詠めば、それに伴って自然に伝わる文字だからである。また、かすかで優美な文字というものもある。これらは人から教わり習うことではない。よく心得てしまえば、その題を見るだけで明らかになるのである。
また、題詠の歌は、必ずその題に対する思いを深く詠むべきである。たとえば、祝いの歌では限りなく長く続く心を言い、恋の歌ではどうしようもなく深い思いを詠み、あるいは命に代えて花を惜しみ、家路を忘れて紅葉を訪ね求めるというように、その題のものへの思いを深く詠むべきであるのに、古い歌集の歌にそれほどそう見えないものがあるのは、歌の姿がよいために、その欠点を許したのである。さまざまな欠点のある歌が、このような取りなしによって選び入れられるのは、よくあることだ。しかし、それを手本にしてはならない。何といっても歌合などで、同じ程度の歌どうしであれば、もう少し題を深く思って詠んだほうを勝ちと定めるのである。たとえるなら、説法をする人が、その仏に向かってよく褒めたたえるようなものである。
ただし、題を必ず大切に扱うべきだからといって、昔から詠まないようなことは気をつけなければならない。たとえば、郭公などは、山や野を訪ね歩いて鳴き声を聞く心を詠む。鶯のようなものは、待つ心は詠むけれども、訪ね求めて聞くということはほとんど詠まない。また、鹿の声などは、聞くとなんとなく心細く、しみじみとした趣を詠むけれども、待つということはまったく言わない。このようなことは、特別な秀句などがないなら、必ず避けるべきである。また、桜は訪ね求めるけれども、柳は訪ね求めない。初雪などは待つ心を詠んで、時雨や霰などは待たない。花は命に代えて惜しむなどと言うけれども、紅葉はそれほどまでには惜しまない。これらをわきまえないのは、故実を知らないようなものなので、よくよく古歌なども思い解いて、歌の程度に従って判断すべきことである。
第2段 続けがら善悪あること
歌は、まったく同じ言葉であっても、言葉の続け方や言い方によって、よくも悪くも聞こえるものである。あの紀友則の歌に「友まどはせる千鳥鳴くなり」とあるのは優美に聞こえるが、同じ『古今和歌集』の恋の歌の中に「恋しきにわびて魂まどひなば」とも言い、また「身のまどふだに知られざるらむ」などと言っているのは、まったく同じ言葉でありながら、ひどく聞こえる。これはみな、言葉の続け方によるのである。
だから、「古歌に確かにこのような例がある」などと証拠を出すことは、場合によるべきである。その歌によって、よしあしがあるはずだからである。曽祢好忠の歌に、
播磨なる飾磨に染むるあながちに人を恋しと思ふ頃かな
播磨の飾磨で染める布が色濃く染まるように、ひたすらに人を恋しいと思うこの頃であることよ
「あながちに」という言葉は、普通には歌に詠むべきだとも思われない言葉である。けれども、「飾磨に染むる」と続いているので、ことさら優美で上品に聞こえるのである。
『古今和歌集』の歌に、
春霞立てるやいづこみ吉野の吉野の山に雪は降りつつ
春霞が立っているのはどこだろう。み吉野の吉野の山には、まだ雪が降り続いている
これは、たいへんすばらしい歌である。中でも「立てるやいづこ」という言葉は特に優美であるが、ある人が『社頭の菊』という題を詠みましたときに、
神垣に立てるや菊の枝たわに誰が手向けたる花の白木綿
神社の垣根に立っている菊は、枝もたわむほどに咲いている。いったい誰が手向けた、白木綿のような花なのだろう
同じように「立てるや」と詠んでいるけれども、これはことさら言葉も効いておらず、下手なように思われます。
第3段 海路を隔つるの論
ある所で歌合をしましたとき、「海路を隔つる恋」という題で、歌は忘れてしまったが、筑紫にいる人を恋しく思うという趣旨を詠んだ歌があったのを、一方の人々は非難した。
「もちろん、筑紫は海を隔てているので、思いめぐらせばそういうことにはなるが、陸路を行く人にとっては、門司の関まで多くの山や野を過ぎて、ほんの少し海を渡るだけなのだから、題の本意にも合わず、ひどく大ざっぱなところもある。たとえば、陸奥の国にいる人を恋い慕うという趣旨を詠んだなら、この歌ひとつで、野を隔てる恋の題にも、山を隔てる題にも、あるいは里を隔て、川を隔てる題にも使おうというのか。題詠の歌は、なるほどその題らしいと聞こえるのがよいのだ。あまりにも範囲が広すぎる」
と非難した。また、ある人が言うには、
「歌はそういうふうにこそ詠むものだ。まさしく海さえ隔てていれば、必ず向こうの磯にいる人をこちらの浦から見渡さなければならないということがあろうか。あまりにひどい非難だ」
と言い争っていたが、その座に先輩の歌人が大勢おりましたのも、それぞれに分かれて、大きな論争になりました。けれども、心得のある人の多くは、非難した側の言い分が少し筋が通っている、と判定しました。
第4段 「われ」と「人」と
また、同じ所で、小因幡という女房が、「夏を契る恋」という題で、
惜しむべき春をば人にいとはせてそら頼めにやならむとすらむ
本来惜しむべき春を、夏の逢瀬を約束したためにあの人に疎ましく思わせておきながら、その約束は空頼みになってしまうのだろうか
と詠んだのを、「よい」などと人々が判定しておりましたところ、ある人が言うには、
「『春をば人に』と言っているのは、少しはっきりしないだろう。ただ『春をば我に』と言ったなら、意味が確かで、よりすぐれるだろうに」
と言う。これに同意する人が多くおりましたが、俊恵がそれを聞いて、
「まったく、がっかりさせられることをおっしゃるものだ。『人に』と言ったからといって、他人のことだと思い迷うだろうか。『我に』と言っては、ひどく品がなく聞こえるのに。歌は華やかで美しいことを第一とする。ほかの人は知らない。私はたとえ欠点があっても、『人に』と詠もう」
と申しました。
第5段 晴の歌を人に見せ合はすべきこと
晴れの歌は、必ず人に見せて相談すべきである。自分の心ひとつでは、誤りがあるにちがいない。
私は、昔、高松の女院(姝子内親王)の北面で菊合という催しがありましたとき、恋の歌に、
人知れぬ涙の川の瀬を早み崩れにけりな人目つつみは
人に知られない涙の川の瀬が速いので、人目をはばかる堤もとうとう崩れてしまったことよ
と詠みましたが、まだ晴れの歌などを詠み慣れていない頃だったので、勝命入道に見せて相談しましたところ、
「この歌には大きな欠点がある。帝や后がお亡くなりになることを『崩ず』という。その字を『崩る』と読むのだ。どうして、女院の御所で詠む歌に、この言葉を置いてよいものか」
と申しましたので、別の歌を出してすませた。
その後、まもなく女院がお亡くなりになった。もしあの歌を出していたら、この歌がその前兆だったと、取り沙汰されたことでしょう。
第6段 名無しの大将のこと
九条殿(藤原兼実)がまだ右大臣と申し上げたとき、人々に百首の歌を詠ませなさることがありました。そのとき、すぐれた人々が誤ったことを詠んで、しまいにはあだ名までお付きになった。近いところでは、徳大寺の左大臣(藤原実定)は、「無明の酒」を「名も無き酒」とお詠みになったので、「名無しの大将」と言われ、五条の三位入道(藤原俊成)はこの道の第一人者でいらっしゃる。けれども、「富士の鳴沢」を「富士のなるさ」と詠んで、「なるさの入道、名無しの大将」と対にされて、人に笑われなさったので、この道にとってたいへんな心残りになったのでした。どなたもこれくらいのことを知らないはずはないのに、うっかり思い違いをなさったのだろう。
第7段 仲綱の歌、いやしき言葉を詠むこと
同じときの百首で、伊豆守仲綱(源仲綱)の歌に「ならはし顔」などと詠んだのを、大弐入道(藤原重家)が聞いて、
「このような言葉などを詠むような人は、たとえ百も千も秀歌を詠んだとしても、どうして歌人と言えようか。まったく嘆かわしいことだ」
と申された。これらはみな、人に見せて相談しなかったための誤りである。
第8段 頼政の歌、俊恵選ぶこと
建春門院の殿上の歌合で、「関路落葉」という題で、頼政卿(源頼政)の歌に、
都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散りしく白河の関
都ではまだ青葉の状態で見たけれども、ここ白河の関では紅葉が散り敷いていることだ
とお詠みになりましたが、そのとき、この題の歌をたくさん詠んで、当日まで思い悩んで、俊恵を呼んでお見せになったところ、
「この歌は、あの能因の『秋風ぞ吹く白河の関』という歌に似ております。けれども、これは歌合の場で引き立つにちがいない歌です。あの歌ではないけれど、このようにも作り変えることができるのだと、うまく詠んでいるように見えます。似ているからといって、欠点とすべきものではありません」
と判断したので、まさに今、車を寄せてお乗りになるとき、
「尊いお坊様の判断を信じて、それならこれを出すことにしよう。後でとがめを受けたら、あなたのせいにいたしますよ」
と言い置いて出かけられた。
そのとき、この歌は思ったとおりに引き立って勝ったので、帰ってすぐにお礼を言っておよこしになったということだ。
「思うところがあってそう申し上げたけれども、勝負を聞かないうちは、関係もないのによそで胸がつぶれる思いでしたが、たいそうな手柄を立てたものだと、心の中では思いました」
と、俊恵が語りました。
第9段 鳰の浮巣
同じとき、「水鳥近く馴る」という題で、同じ人(源頼政)が、
子を思ふ鳰の浮き巣の揺られ来て捨てじとすれや水隠れもせぬ
子を思う鳰の浮き巣が揺られ寄って来て、子を見捨てまいとしているのか、水に潜って隠れることもしない
この歌は「めずらしい」ということで勝った。祐盛法師が、これを見て大いに非難して言うには、
「鳰の浮き巣の様子をご存じないのだろう。あの浮き巣は揺られて動き回るものではない。海の潮は満ちたり引いたりするものなので、それを知って、鳰が巣を作るときは、葦の茎を中に入れて、しかもそれをゆるめにして周りに巣を作るので、潮が満ちれば上へ上がり、潮が引けばそれに従って下がるのである。ただ揺られて動き回るのなら、風が吹けばどこともなく揺られて出て行き、大波にも砕かれ、人にも取られてしまうだろう。けれども、その座に知っている人がいなかったのだろう、勝ちと決められてしまったので、言ってもしかたがない」
と申しました。
第10段 「このもかのも」の論
二条院が和歌を好んでいらっしゃったとき、岡崎の三位(藤原範兼)が御侍読としてお仕えしていたが、この道の評判が高いことから、清輔朝臣(藤原清輔)が召されて殿上にお仕えした。たいへん名誉なことであったが、あるときの御歌会で、清輔が、どこかの山について「このもかのも」ということをお詠みになったので、三位がこれを非難して言うには、
「筑波山にこそ『このもかのも』とは詠むものだ。一般に、どの山にも言ってよいことではない」
と非難なさったので、清輔が申し上げて言うには、
「筑波山に限るべきではありません。川などにも詠むはずです」
とつぶやいたので、三位はあざ笑って、
「証拠となる歌を差し出しなさい」
と申されたところ、清輔が言うには、
「大井川の歌会で凡河内躬恒が序を書いたとき、『大井川のこのもかのも』と書いていること、確かにございますのに」
と言い出したので、人々はみな口を閉じて終わってしまった。
軽々しく物事を非難してはならないということである。
第11段 瀬見の小川のこと
光行(源光行)が賀茂社の歌合という催しをしましたとき、私は月の歌に、
石川や瀬見の小川の清ければ月も流れを尋ねてぞ澄む
石川の瀬見の小川が清らかなので、月もこの流れを尋ねて来て、澄んだ光を映している
と詠みましたが、判者の師光入道(源師光)が、
「このような川があるものか」
と言って、負けになってしまいました。思うところがあって詠みましたけれども、このような結果になったので、納得がいかないと思っておりましたところ、
「そのときの判者には、まったく理解できないことが多い」
ということで、また改めて顕昭法師に判定させましたとき、この歌のところに判を加えて言うには、
「石川、瀬見の小川というのは、まったく聞いたことがありません。ただし、趣深く続けています。このような川などがあるのでしょうか。その土地の者に尋ねて判定すべきでしょう」
と言って、勝負を決めなかった。
後に、顕昭に会ったとき、このことを話し出して、
「これは賀茂川の別名です。この神社の縁起に書いてあります」
と申しましたところ、顕昭は驚いて、
「よくぞ無理に非難しないでおいたことです。それにしても、この顕昭などが聞いたことのない名所があるだろうかと思って、ともすれば非難してしまいそうに思われましたが、誰の歌とは知らないものの、歌の様子がよく見えましたので、一歩譲ってあのように申したのです。これはもう年の功というものです」
と申しました。
その後、このことを聞いて、祢宜の祐兼(鴨祐兼)がひどく非難しました。
「このようなことは、たいそうな晴れの歌会、あるいは国王や大臣の御前などでこそ詠むべきなのに、このような内輪の催しで詠んだのは、残念なことだ」
と申しておりましたうちに、隆信朝臣(藤原隆信)がこの川を詠んだ。また、顕昭法師も、左大将家の百首歌合のとき、これを詠んだ。祐兼が言うには、
「だから言ったのだ。自分こそすばらしく詠み出したと思っていらっしゃるが、後の世では、どれが先だったのか、人はどうして知ろうか。なんとなくまぎれて、終わってしまうにちがいない」
と残念がっておりましたが、『新古今和歌集』が選ばれたとき、この歌が入れられた。まったく人も知らないことなのに、推薦してくれる人などがいたのでしょうか。全部で、このたびの集に私の歌は10首入っております。これは身に過ぎた名誉であるうえ、中でもこの歌が入っていることが、死後にまで心に残る執着ともなりそうなほどうれしいのです。ああ、つまらないことどもだなあ。
第12段 千載集に予一首入るを喜ぶこと
『千載和歌集』には、私の歌が1首入った。
「たいした歌の家柄でもなく、歌の名手でもない。また、その時々に人から認められている風流人でもない。それなのに、1首でも入ったのは、たいへんな名誉だ」
と喜んでおりましたのを、亡くなった筑州(中原有安)が聞いて、
「このことを、ただいいかげんに言っておられるのかと思っていたが、たびたびになった。本当に思っておっしゃっているのだな。そういうことなら、この道に必ず神仏のご加護がおありになるにちがいない人だ。その理由は、道理としてはそうであっても、人がそう思うことはめったにないことだからだ。この集を見ると、たいしたこともない人々が、みな10首、7、8首、4、5首と入っている例が多い。その人たちを見るにつけ、どれほどいまいましく思っておられるだろうと推し量っていたのに、そればかりかこのように喜ばれるのは、すばらしいことだ。道を尊ぶには、まず心を正しく持つことが大切なのだ。今の世の人はみなそうではない。身のほども知らず、気位高くおごり、やかましい不満を抱いて、何かにつけて誤りが多い。今に思い当たりなさい」
と申しました。
まことに、この道の神仏のご加護は、身のほどに過ぎていた。昔の人の言ったことには、必ず理由がある。
第13段 歌仙を立つべからざるの由教訓のこと
同じ人(中原有安)が、いつも教えて言うには、
「決して決して、歌人として名を立てなさるな。歌はよく気をつけるべき道である。私たちのように、身の程が定まってしまった者は、どのような振る舞いをしても、それによって身が落ちぶれることはない。あなたなどは由緒ある家に生まれて、早くに親を亡くしている。人が重く用いなくても、心だけは思うところがあって、身を立てようと気を張るべきなのだ。それなのに、歌の道はあなたの身にすぐれた才能であるから、あちこちの歌会で、ぜひぜひと招かれるだろう。よい歌を詠み出したなら、名誉にもなり、歌の道での評判も出てくるにちがいない。しかし、あちこちにへつらって歩き、人に慣れ親しまれるようになってしまったら、歌のうえで人に知られる面はあっても、昇進の妨げには必ずなるだろう。あなたがたのような人は、あまり人にも知られず、顔を出す所では誰だろうなどと尋ねられるようにして、奥ゆかしく思われているのがよいのだ。そうして、何事でも好んで打ち込むうちに、その道にすぐれれば、錐が袋に収まらないように、その評判が立って、しかるべき所の歌会にも加わり、殿上人や公卿の席の末に連なることもきっとあるだろう。これこそが、その道による昇進というものだ。あちこちのつまらない者たちの仲間に連なって、人に知られ、名を上げても、何になろうか。心の中ではおもしろく楽しく思われても、必ず場所を選んで、重々しい人だと人に言われようと心がけなさい」
と教えてくれました。
今思い合わせると、たいへんな恩を受けたのである。そもそも賢い人の習いとして、自分の子にさえ、よほどのことでなければ教訓することもなかったのに、このように頼もしく言い聞かせてくれたのは、ほかでもない。管絃の道で、跡を継ぐべき者として、世間からも人からも数え上げられてほしいと思ってくれたからだろう。落ち着いて思い返すと、本当にしみじみとありがたい。
第14段 千鳥、鶴の毛衣を着ること
俊恵法師の家を歌林苑と名付けて、毎月歌会をしておりましたが、祐盛法師がその会の一員で、「寒夜千鳥」という題で、「千鳥も着けり鶴の毛衣」という歌を詠んだところ、人々が「めずらしい」などと言っているうちに、素覚という人が、何度もこれを口ずさんで、
「おもしろうございます。ただし、寸法が合わないのではないでしょうか」
と言い出したので、どっと笑いになり、大笑いして騒いだので、興がさめて終わってしまった。
「たいへんな秀句であっても、このようになってしまうと、かいのないものです」
と、祐盛が語りました。
総じて、これはこの歌の心を理解しなかったのです。鳥はみな羽毛を衣とするものなので、それ相応に千鳥も自分の毛衣を着ないことがあろうか。必ずしも寸法がひどく違う借り物をする必要はない。あの「白妙の鶴の毛衣年経とも」という古歌があるからこそ、そう詠んだのだ。どの鳥に詠んでも差し支えはないはずだ。先に申しました建春門院の殿上の歌合でも、「鴛鴦の毛衣」と詠んだ歌があります。少し疑う人がいたけれども、判者は、とがめるべきではないととりなされた。ただし、「鶴の毛衣は羽毛の意味ではない。別のものである。鶴だけが持っているものだ」と申す人がいますが、まだその証拠を見たことがありません。学識の広い人に尋ねるべきである。
第15段 歌の風情、忠胤の説法に相似ること
祐盛法師が言うには、
「妙荘厳王の2人の子の神通力を解釈するのに、『大きな身を現すと虚空に満ち、小さな身を現すと芥子粒に入る』と言うのはありふれたことなのに、あの忠胤の説法で、『大きな身を現すと虚空も窮屈がり、小さな身を現すと芥子粒の中にもゆとりがある』と言ったのが、すばらしい和歌の趣向なのです。歌はこのように心得て、古くからある言葉に新たな彩りを添えては、めずらしく作り変えるべきなのだ。そうそう新しい彩りなどどうしてあろうか、あったとしても無理に詠めるものではない」
と語りました。



