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『発心集』第2巻(第13話~第25話)原文全文

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 このページでは、鴨長明『発心集』第2巻(第13話~第25話)の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。

 現代語訳とあわせて読みたい方は、『発心集』第2巻(第13話~第25話)現代語訳全文をご覧ください。

目次

第13話 近ごろ、安居院に住む聖ありけり

 近ちかごろ、安居院あぐゐに住すむ聖ひじりありけり。なすべきことあつて京きやうへ出いでける道みちに、大路おほぢつらなる井ゐのかたはらに、下種げすの尼あまの物洗ものあらふありけり。この聖ひじりを見みて、

「ここに人ひとの会あひたてまつらむとはべるなり」

 と言いふ。

「誰たれと申まうすぞ」

 と言いへば、

「今いま、対面たいめんでぞのたまはせんずらん」

 と言いひて、

「ただ、きと立たち入いりたまへ」

 と切々せちせちに言いひければ、思おもひながら、尼あまを前さきに立たてて行ゆき、入はいつて見みれば、はるかに奥深おくふかなる家いへの、小ちひさく造つくれるに、年としたけたる僧そう一人いちにんあり。その言いふことを聞きけば、

「いまだ知しりたてまつらざるに、申まうすはうちつけなれど、かくて形かたのごとく後世ごせの勤つとめをつかまつりてはべりつれど、知しれる人ひともなければ、善知識ぜんちしきもなし。また、まかり隠かくれけんのちは、とかくすべき人ひとも覚おぼえはべらぬによりて、

『誰たれにても、後世者ごせしやと見みゆる人ひと過すぎたまはば、必かならず呼よびたてまつれ』

と、上うはの空そらに申まうしてはべりつるなり。さて、もしうちひきたまはば、あやしげなれども、跡あとに残のこるべき人ひともなし。譲ゆづりたてまつらんと思おもひたまへるなり。それにとりて、かくてはべるを悪あしくもはべらず。なかなかしづかにはべるを、隣となりに検非違使けびゐしのはべりつる間あひだに、罪人ざいにんを責せめ問とへる音おとなんどの聞きこえてうるさくはべりつれば、まかり去さりなばやと思おもひたまふれど、さてもいくほどもあるまじき身みをとなん思おもひわづらひはべる」

 なんど、細こまやかに語かたる。この聖ひじり、

「かやうに承うけたまはるは、さるべきにこそ。のたますることは、いとやすきことにはべり」

 とて、浅あさからず契ちぎりて、おぼつかなからぬほどに行ゆき訪とぶらひつつ過すぎけり。

 そののち、いくほどなく隠かくれける時とき、本意ほいのごとく行ゆきあひて、これを見みあつかふ。弥勒みろくの持者ぢしやなりければ、その名号みやうがうを唱となへ、真言しんごんなんどみてて、臨終りんじゆう思おもふやうにて終をはりにけり。言いひしがごとく、とかくのことなんど、また、口くち入いれする人ひともなし。されど、この家いへをばその尼あまになん取とらせたりける。

 さて、かの尼あまに、

「いかなる人ひとにておはせしぞ。また、何事なにごとの縁えんにて世よをば渡わたりたまひしぞ」

 なんど問とひければ、

「われもくはしきことはえ知しりはべらず。思おもひがけぬゆかりにてつきたてまつりて、年としごろつかうまつりつれど、誰たれとか申まうしけん。また、知しれる人ひとの尋たづねはべるもなかりき。ただつくづくと一人ひとりのみおはせしに、時料じれうは二人ふたりがほどを、誰たれ人ひととも知しらぬ人ひとの、失うするほどをはからひてなんまかり過すぎし」

 とぞ語かたりける。これもやうありける人ひとにこそ。

第14話 永観律師といふ人ありけり

 永観律師えうくわんりつしといふ人ひとありけり。年としごろ、念仏ねんぶつのこころざし深ふかく、名利みやうりを思おもはず、世よ捨すてたるがごとくなりけれど、さすがに、あはれにもつかうまつり知しれる人ひとを忘わすれざりければ、ことさら深山しんざんを求もとむることもなかりけり。東山禅林寺ひがしやまぜんりんじといふ所ところに籠居らうきよしつつ、人ひとにものを貸かしてなん、日ひを送おくるはかりことにしける。借かる時ときも、返かへす時ときも、ただ来きたる人ひとの心こころにまかせて沙汰さたしければ、なかなか仏ほとけのものをとて、いささかも不法ふほふのことはせざりけり。いたく貧まずしき者ものの返かへさぬをば、前まへに呼よび寄よせて、もののほどにしたがひて念仏ねんぶつを申まうさせてぞ、あがはせける。

 東大寺とうだいじ別当べつたうの空あきたりけるに、白河院しらかはのゐん、この人ひとをなしたまふ。聞きく人ひと、耳みみを驚おどろかして、「よも受うけ取とらじ」と言いふほどに、思おもはずにいなび申まうすことなかりけり。

 その時とき、年としごろの弟子でし、使つかはれし人ひとなんど、我われも我われもと争あらそひて、東大寺とうだいじの荘園しやうゑんを望のぞみにけれども、一所いつしよも人ひとのかへりみにもせずして、みな寺てらの修理しゆりの用途ようどに寄よせられたりける。みづから本寺ほんじに行ゆき向むかふ時ときには、異様ことやうなる馬うまに乗のつて、かしこにいるべきほどの時料じれう、小法師こぼふしに持もたせてぞ入いりける。

 かくしつつ三年さんねんのうちに、修理事しゆりこと終をはりて、すなはち辞じし申まうす。君きみ、またとかくの仰おほせもなくて、異人ことひとをなされにけり。よくよく人ひとの心こころを合あはせたるしわざのやうなりければ、時ときの人ひとは、

「寺てらの破やぶれたることを、この人ひとならでは、心こころやすく沙汰さたすべき人ひともなしと覚おぼしめして、仰おほせつけけるを、律師りつしも心得こころえたまひたりけるなんめり」

 とぞ言いひける。深ふかく罪つみを恐おそれけるゆゑに、年としごろ、寺てらのこと行おこなひけれど、寺物じもつをつゆばかりも自じ用ようのことなくてやみにけり。

 この禅林寺ぜんりんじに、梅むめの木きあり。実みなるころになりぬれば、これをあだに散ちらさず、年としごとに取とつて、薬王寺やくわうじといふ所ところに多おほかる病人びやうにんに、日々にちにちといふばかりに施ほどこさせられければ、あたりの人ひと、この木きを悲田梅ひでんばいとぞ名付なづけたりける。今いまもことのほかに古木ふるきになりて、花はなもわづかに咲さき、木立こだちもかしげつつ、昔むかしの形見かたみに残のこりてはべるとぞ。

 ある時とき、かの堂だうに客人きやくじんの詣まうで来きたりけるに、算さんをいくらともなく置おき広ひろげて、人ひとには目めもえかけざりければ、客人まらうどの思おもふやう、

「律師りつしは出挙すいこをして、命いのちつぐばかりをことにしたまへりと聞きくに、あはせて、その利りのほど数かずへたまふにこそ」

 と見み居ゐるほどに、置おきはてて、取とり納おさめて、対面たいめんせらる。そのとき、

「算さん置おきたまひつるは、何なにの御用ごようぞ」

 と問とひければ、

「年としごろ申まうし集あつめたる念仏ねんぶつの、数かずのおぼつかなくて」

 とぞ答こたへられける。さまで驚おどろくべきことならねど、主ぬしからに、貴たふとく覚おぼえし。のちに人ひとの語かたりけるなり。

第15話 村上の御代に、内記入道寂心といふ人

 村上むらかみの御代みよに、内記入道寂心ないきにふだうじやくしんといふ人ひとありけり。そのかみ、宮みや仕つかへける時ときより、心こころに仏道ぶつだうを望のぞみ願ねがうて、ことにふれてあはれみ深ふかくなんありける。

 大内記だいないきにて、注しるすべきことあつて内裏うちへ参まゐりけるに、左衛門さゑもんの陣じんの方かたに、女をんなの涙なみだを流ながして泣なき立たてるあり。

「何なにごとによりて泣なくぞ」

 と問とひければ、

「主しゆの使つかひにて、石いしの帯おびを人ひとに借かりて持もちてまかりつる道みちに落おとしてはべれば、主あるじにも重おもく誡いましめられむずらん。さばかりの大事だいじのものを失うしなひたる悲かなしさに、帰かへる空そらも覚おぼえず思おもひやる方かたなくて」

 となん言いふ。心こころの内うちにはかるに、「げに、さぞ思おもふらん」といとほしうて、わが差さしたる帯おび解ときて、取とらせてけり。

「もとの帯おびにあらねど、むなしう失うしなうて、申まうす方かたなからんよりも、これを持もちてまかりたらむは、おのづから罪つみもよろしからん」

 とて、手てをすり、喜よろこびて、まかりにけり。

 さて、片角かたすみに帯おびもなくて、隠かくれ居ゐたりけるほどに、こと始はじまりにければ、「遅おそし、遅おそし」と催もよほされて、異人ことひとの帯おびを借かりて、その公事くじをば勤つとめける。

 中務なかつかさの宮みやの、文ぶん習ならひたまひける時ときも、少すこし教をしへたてまつりては、ひまひまに目めをひさぎつつ、常つねに仏ほとけをぞ念ねんじたてまつりける。

 ある時とき、かの宮みやより、馬うまをたまはらせたりければ、乗のりて参まゐりける。道みちの間あひだ、堂塔だうたふのたぐひはいはず、いささか卒塔婆そとば一本いつぽんある所ところには、必かならず馬うまより下くだりて、恭敬くぎやう、礼拝らいはいし、また、草くさの見みゆる所ところごとに、馬うまの食はみ止とまるに、心こころにまかせつつ、こなたかなたへ行ゆくほどに、日ひたけて、朝あしたに家いへを出いづる人ひと、未申ひつじさるの時ときまでになんなりにけり。舎人とねり、いみじく心こころづきなく覚おぼえて馬うまを荒あららかに打うちたりければ、涙なみだを流ながし声こゑを立たてて泣なき悲かなしみていはく、

「多おほかる畜生ちくしやうの中なかに、かく近付ちかづくことは深ふかき宿縁しゆくえんにあらずや。過去くわこの父母ぶもにもやあるらん。いかに大おほきなる罪つみをば作つくるぞ。いと悲かなしきことなり」

 と驚おどろき騒さわぎければ、舎人とねりは言いふはかりなくて、まかりてぞ立たち帰かへりける。かやうの心こころなりければ、『池亭記ちていき』とて書かき置おきたる文ぶんにも、「身みは朝てうにありて、心こころは隠いんにあり」とぞはべるなる。

 年としたけてのち、頭かしらおろして、横川よかはに上のぼり、法文ほふもん習ならひけるに、増賀上人ぞうがしやうにん、いまだ横川よかはに住すみたまひけるほどに、これを教をしゆとて、

「止観しくわんの明静みやうしやうなること前代ぜんだい未いまだ聞きかず」

 と読よまるるに、この入道にふだう、ただ泣なきに泣なく。聖ひじり、

「さる心こころにて、かくやはいつしか泣なくべき。あな、愛敬あいぎやうなの僧そうの道心だうしんや」

 とて、拳こぶしを握にぎりて打うちたまひければ、「われも人ひともこそ」とまかりて立たちにけり。

 ほど経へて、

「さてしもやははべるべき。この文ぶん受うけたてまつらん」

 と言いふ。さらばと思おもうて読よまるるに、前さきのごとく泣なく。また、はしたなくさいなまるるほどに、後のちの詞ことばも聞きかで、止やみにけり。

 日ひごろ経へて、なほ懲こりずまに、御気色おんきしよく取とりて、恐おそれ恐おそれ受うけ申まうしけるにも、ただ同おなじやうに、いとど泣なきける時とき、その聖ひじりも、涙なみだをこぼして、

「まことに深ふかき御法みのりの尊たふとく覚おぼゆるにこそ」

 と、あはれがりて、静しづかに授さづけられける。かくしつつ、やむごとなく、徳とく至いたりにければ、御堂みだうの入道にふだう殿とのも、御戒おんかいなんど受うけたまひけり。

 さて、聖人しやうにん、往生わうじやうしける時ときは、御諷誦おんふじゆなんどしたまひて、さらし布ぬの、百千ひやくせんたまはせける。請文うけぶみには、三河入道みかはのにふだう、秀句しうく書かきとめたりけるとぞ。

昔むかしは、隋ずいの煬帝やうだいの智者ちしやに報ほうぜし、千僧せんそう一人ひとりを余あまし
今いまは、左丞相さしようじやうの寂公じやくこうを訪とぶらふ、さらし布百千ぬのももちに満みてり

 とぞ書かかれたりける。

第16話 三河の聖といふは、大江定基といふ博士

 三河みかはの聖ひじりといふは、大江定基おほえのさだもとといふ博士はかせこれなり。三河守みかはのかみになりたりける時とき、もとの妻めを捨すてて、たぐひなく覚おぼえける女をんなをあひ具ぐして下くだりけるほどに、国くににて、女をんな、病やまひを受うけて、つひにはかなくなりにければ、嘆なげき悲かなしむことかぎりなし。恋慕れんぼのあまりに、取とり捨すつるわざもせず、日ひごろ経ふるままに、なりゆくさまを見みるに、いとど憂うき世よのいとはしさ思おもひ知しられて、心こころを発おこしたりけるなり。

 頭かしらおろしてのち、乞食こつじきし歩ありきけるに、わが道心だうしんは、まことに発おこりたるやと、こころみんとて、妻つまのもとへ行ゆきて、ものを乞こひければ、女をんなこれを見みて、

「われに憂うき目め見みせし報ほうひに、かかれとこそは思おもひしか」

 とて、うらみをして向むかひたりけるが、何なんとも覚おぼえざりければ、

「御徳おんとくに仏ほとけになりなんずること」

 とて、手てをすり悦よろこびて出いでにけり。

 さて、かの内記ないきの聖ひじりの弟子でしになりて、東山如意輪寺ひがしやまによいりんじに住すむ。そののち、横川よかはに上のぼりて、源信僧都げんしんそうづに会あひたてまつりてぞ、深ふかき法みのりをば習ならひける。かくて、つひに唐たうへ渡わたつて、いひしらぬ験しるしどもあらはしたりければ、大師だいしの名なを得えて、円通大師ゑんづうだいしと申まうしける。往生わうじやうしけるに、仏ほとけの御おん迎むかひの楽らくを聞ききて、詩しを作つくり、歌うたを詠よまれたりける由よし、唐たうより注しるし送おくりてはべり。

笙歌遥聞孤雲上せいかはるかにきこゆこうんのうへ聖衆来迎落日前しやうじゆらいがうすらくじつのまへ

雲くもの上うへにはるかに楽らくの音おとすなり人ひとや聞きくらんひが耳みみかもし

第17話 近ごろ、山に仙命上人とて

 近ちかごろ、山やまに仙命上人せんみやうしやうにんとて、貴たふとき人ひとありけり。その勤つとめ、理観りくわんを旨むねとして、常つねに念仏ねんぶつをぞ申まうしける。ある時とき、持仏堂ぢぶつだうにて観念くわんねんする間あひだに、空そらに声こゑありて、

「あはれ、貴たふときことをのみ観くわんじたまふものかな」

 と言いふ。怪あやしみて、

「誰たそ、かくはのたまふぞ」

 と問とひければ、

「われは、当所たうしよの三聖さんしやうなり。発心ほつしんしたまひし時ときより、日ひに三度さんどあまがけりて、守もりたてまつるなり」

 とぞ答こたへたまひける。

 この聖ひじり、さらにみづから朝夕てうせきのことを知しらず。一人ひとり使つかひける小法師こぼふし、山やまの坊ばうごとに、一度ひとたび廻まはりて、一日いちにちの餉かれひを乞こふて養やしなひけるほかには、何なにも人ひとの施せを受うけざりけり。

 時ときの后きさきの宮みや、願ぐわんをおこして、世よに勝すぐれて貴たふとからん僧そうを供養くやうせんとこころざして、あまねく尋たづねたまひけるに、この聖ひじりのやんごとなき由よしを聞ききたまひて、すなはち、御おんみづから布袈裟ぬのげさを縫ぬひたまひて、「ありのままに言いはば、よも受うけじ」と覚おぼして、とかくかまへてこの小法師こぼふしに心こころを合あはせてなん、

「思おもひがけぬ人ひとの、たまはせたりつる」

 とて、たてまつりければ、聖ひじりこれを取とつて、よくよく見みて

「三世さんぜの仏ほとけ得えたまへ」

 とて谷たにへ投なげ捨すててければ、いふかひなくてやみにけり。

 おほかた、人ひとの乞こふもの、さらに一ひとつ惜をしむことなかりけり。板敷いたじきの板いたをほしがる人ひとのありければ、わが房ばうの板いたを二に、三枚さんまいはなして取とらせたりける間あひだに、東塔とうたふの鎌倉かまくらに住すむ覚尊聖人かくそんしやうにん、得意とくいにて夜よ暗くらき時とき来きたりけるが、板敷いたじきの板いたの無なきことを知しらずして落おち入いる間あひだに、「あな、かなし」と言いひけるを聞ききて、

「御房ごばうは不覚ふかくの人ひとかな。もし、さてやがて死しなんこともかたかるべき身みかは。あな、かなしと言いふ終をはりの言ごんやはあるべき。南無阿弥陀仏なむあみだぶつとこそ申まうさめ」

 なんど言いひける。

 この仙命上人せんみやうしやうにん、かの覚尊かくそんが住すむ鎌倉かまくらへ行ゆきたりけるに、とみのことありて、客人まらうどを置おきながら、きとほかへ行ゆくとて、急いそぎ出いづる人ひとの、さらに内うちへ返かへり入いつて、やや久ひさしくものをしたためければ、あやしうて、出いでてのち、跡あとを見みたまふに、万よろづのものにことごとく封ふうを付つけたり。この聖ひじり、思おもふやう、

「いと心こころ悪わるきしわざかな。よも歩ありきのたびに、かくしもしたためじ。われを疑うたがふ心こころにこそ。はや返かへれがし。このことを恥はぢしめむ」

 と言いふ。

 かく思おもひたるほどに、返かへり来きたれり。思おもひまうけたることなれば、見付みつくるや遅おそしとこのことを言いふ。覚尊かくそんのいはく、

「つねに、かくしたたむるにあらず。また、人ひとのものを取とるを惜をしむにもあらず。されども、御房ごばうのおはすれば、かく取とりおさめはべるなり。その故ゆゑは、もし、これらいささかも失うせたることあらば、凡夫ぼんぷなれば、みづから御房ごばうを疑うたがひたてまつる心こころのあらんことの、いみじう罪障ざいしやうありぬべく覚おぼえて、わが心こころの疑うたがはしさになん。何なにばかりのものをかは、惜をしみはべらん」

 とぞ言いひける。

 かくて、鎌倉かまくらの聖ひじり、先さきに隠かくれぬと聞ききて、

「必かならず往生わうじやうしぬらむ。ものに封ふう付づけけしほどの、心こころのたくみなれば」

 とぞ、仙命聖人せんみやうしやうにんは言いひける。

 そののち、夢ゆめに覚尊かくそんに会あへり。まづ初はじめの言葉ことばには、

「いづれの品ほんぞ」

 と問とひければ、

「下品下生げぼんげしやうなり。それだにも、ほとほとしかりつるを、御房ごばうの御徳おんとくに往生わうじやうとげたるなり。日ひごろ橋はしを渡わたし、道みちを作つくりし行ぎやうばかりにてはかなはざらまし。御おん勧すすめによりて時々ときどき念仏ねんぶつをせしかば」

 とぞ言いひける。またいはく、

「仙命せんみやう、往生わうじやうはかなひなんや」

 と問とふ。

「そのこと疑うたがひなし。はやく、上品上生じやうぼんじやうしやうに定さだまりたまへり」

 と言いふとぞ見みえたりける。

第18話 津の国和田の奥に、妙法寺といふ山寺あり

 津つの国くに和田わだの奥おくに、妙法寺めうほふじといふ山寺やまでらあり。かしこに楽西らくさいといふ聖人しやうにん住すみけり。もとは出雲国いづものくにの人ひとなり。わが身み、いまだ男をとこなりける時とき、人ひとの田たを作つくるとて、牛うしの耐たへがたげなるを打うち責せめて、かきすきけるを見みて、「かく有情うじやうを悩なやましつつ、わりなくして作つくりたてたるものを、なすことなくて受用じゆやうすることこそ、いみじう罪深つみぶかけれ」と思おもひけるより、心こころ発おこつて、やがて出家しゆつけしたりけり。

 そののち、居処ゐどころ求もとむとて国くにをあまねく見み行ゆきけるに、縁えんやありけん、この所ところの、心こころにつきて覚おぼえければ、ここに住すまんと思おもひて、ある僧そうの庵いほりに尋たづね行ゆきたるに、主あるじはあからさまに立たち出いでたるに、ほだといふものをさし合あはせて置おきたるを見みて、この聖ひじり、とかくも言いはではひ入いりて、木き多おほくとりくべて、背中せなかあぶりして居ゐたりける。

 主あるじ帰かへり来きて言いふやう、

「何者なにものなれば、人ひとのもとにきて案内あんないも言いはで、したり顔かほに火ひを焚たきては居ゐたるぞ」

 と言いふ。

「希有けうのしわざや」

 と腹はら立たてければ、

「われは、いささか心こころを発おこして迷まよひ歩ありく修行者しゆぎやうじやなり。なんぢ、もろともに仏ほとけの御おん弟子でしにあらずや。あながちに、知しる知しられずと言いふべきことかは。風かぜのおこりて悩なやましう覚おぼえければ、この火ひのあたり見み過すごしがたくて居ゐたるぞかし。木き、いくばくかは焚たきたる。惜をしく思おもはれば、こりて返かへし申まうさむ。また、なほこの火ひにあてじとならば去さるべし。慳貪けんどんなる火ひには当あたらでこそはあらめ。安やすきことなり。罷まかり出いでなん」

 と言いふ。

 主あるじもいささか道心だうしんある者ものにて、

「事柄ことがらを心得こころえず覚おぼゆれば、申まうすばかりぞ。言いはるるところもまた理ことはりなり。さらば、静しづかに居ゐたまへ」

 とて、ことの心こころを問とふ。わがこころざしあるやうなんど言いひけるほどに、やがてこの僧そう得意とくいになつて、山やまの中なかの人ひと離はなれたる所ところを切きり払はらひ、形かたちのごとく庵いほりを結むすびて住すみ初はじめたるになんありける。

 かくて、貴たふとく行おこなひて、年としごろになりければ、近ちかきほどにて、福原入道大臣ふくはらのにふだうだいじん、この聖ひじりのことを聞ききたまひて、

「まことに貴たふとき人ひとかな。ことざま見みよ」

 とて、守俊もりとしを使つかひにて、消息せうそこしたまひたりけり。

「近ちかきほどに、かくてはべれば、頼たのみたてまつる。また、いかなることなりともさぶらはば、必かならずのたまはせよ」

 なんどねんごろに言いはせたまひて、贈おくりものどもせられたりけり。聖人しやうにんのいはく、

「仰おほせは畏かしこまりはべり。ただし、行ぎやうもなく徳とくもなければ、かやうの仰おほせ蒙かうむるべき身みにてはゆめゆめはべらず。いかやうに聞きこしめして、なほざりにて御おん使つかひなんどたまひてかはべるらん。このこと驚おどろき思おもひたまへはべり。このたまはせるものも返かへしたてまつるべきにてはべれど、恐おそれさりがたくて今度このたびばかりはとどめはべり。今いまよりのちは、さぶらふまじきことなり。さらさら身みに申まうしはべるべき用ようなくはべり。また、知しられ参まゐらせて御用ごようにかなふべきことは、いささかもはべらず」

 と、いとことのほかに申まうしたりける。

 使つかひ帰かへり参まゐりて、このよし聞きこえければ、

「まことに貴たふとき人ひとにこそ。されど、さやうにもて離はなれむをば、いかがはせむ。なほ、とかく言いふは、心こころにたがひなん」

 とて、また訪おとづれたまはずしてぞ、やみにけり。

 さて、この贈おくりものをば寺てらの僧そうともに方々はうはう分わけ取とらせて、われはいささかも取とらず。ある僧そう、あやしめて、

「何なにかは、これを受うけたまはぬ。貧まずしき者ものの、わりなくしていささかのものなんどたてまつるこそ、こころざしをば重おもく見みる。それをば受うけたまふめり。これほどのもの、かの御おんためには何なにのものの数かずにてはあらん」

 と言いひければ、

「のたまふところ、いはれたり。げに、貧まづしき人ひとのこころざし、重おもき信施しんせなれど、われ受うけずは誰たれかは、少すくなきものを得えて思おもふばかりそのこころざしを報むくはむとする。これを返かへすものならば、わが罪つみをのみ恐おそれて人ひとを救すくふ心こころは欠かけぬべし。しかれば、さだめて、仏ほとけの御意ぎよいにも背そむきぬらんと思おもひたまへば、なまじひに受うけたまふなり。さて、この入道にふだう殿とのは功徳くどくをなしたまはむには、いづれのことか心こころにかなはざらむ。善知識ぜんちしきを尋たづねたまはんにも、また行徳ぎやうとく高たかき人ひと多おほし。誰たれか参まゐらざらむ。この法師ほふし、知しりたまはずともさらさら事欠ことかくまじ。勢いきほひいかめしうおはすめれば、さだめて罪つみもおはすらん。させる徳とくなき身みにて、引ひきかづきて由よしなしとて、遁のがれ申まうすなり」

 とぞ言いひける。

 ここかしこよりものを得うるほどに、多おほくなりぬれば、寺てらの僧そうを呼よび集あつめて、これを施ほどこす。さらに後のちの料れうと思おもへることなし。かの山寺やまでら近ちかく、やまめなる老おいうばの、堪たへがたく貧まずしきあり。これをあはれみて、常つねにものなんど取とらせける。師走しはすの晦日つごもりに、人ひとの手てより餅もちをあまた得えたりける時とき、かのうばを思おもひ出いだして、夜よいたふ更ふけて、みづから持もちて行ゆきけるほどに、年としごろ持もちたりける念珠ねんじゆを落おとしてけり。帰かへりてのち、思おもひ出いだしたりけれど、しげき山やまを分わけ行ゆく道みちなれば、いづくにか落おちにけん、求もとめにも行ゆかず。

「多年たねん、薫修くんじゆ積つみつる念珠ねんじゆを」

 と、嘆なげきながら、数珠引ずずひき語かたらひて、あつらへむとするほどに、烏からすの、ものを食くひて、堂だうの上うへにからからと鳴ならすを見みれば、わが落おとしたりける念珠ねんじゆなりけり。

「烏からす、いとど哀あはれなり」

 とて、これを返かへし取とりつ。

 それより、この烏からす、得意とくいになりて、人ひとの、もの持もち来きべき時ときには、必かならず来き居ゐて鳴なく。その居ゐたる遠とほさに、今いま、幾日いくかなりとはからふに、つゆも違たがはず。ほとほと、護法ごほふなんども、いひつべきさまにぞありける。

 また、この庵いほりの前まへに小ちいさき池いけあり。蓮はちす多おほくて、花はなの盛さかりには水みづも見みえず。ひとへに、紅梅こうばいの絹きぬを覆おほへるがごとし。ある時ときの夏なつ、いささかも花はなの咲さかざりけるを、人ひとの怪あやしみければ、「今年ことしは、われ、この界かいを去さるべき年としなれば、『行ゆくべき所ところに咲さかん』とて、ここには咲さかぬなり」と答こたへける。まことに、その年とし、臨終正念りんじゆうしやうねんにめでたくてぞ終をはりにける。かやうの不思議ふしぎ、多おほく聞きこえはべりしかど、ことしげければ、注しるさず。

第19話 津の国の渡辺といふ所に、長柄の別所といふ寺あり

 津つの国くにの渡辺わたなべといふ所ところに、長柄ながらの別所べつしよといふ寺てらあり。それに、近ちかごろ暹俊せんしゆんといふ僧そうありけり。若わかくては、山やまに学問がくもんなんどしてありけるが、おのづからここに居付きゐつきたりけるなり。

 この僧そう、いかでか伝つたへ持もちたりけん、昔むかし、文殊もんじゆの法みのり説ときたまひける時ときの御おん袈裟けさとて、蓮はすの糸いとにて織おれる袈裟けさなり。もとは、山やまの禅瑜僧都ぜんゆそうづの伝つたへたりけるを、池上いけがみの皇慶阿闍梨くわうけいあじやりの時とき、乙おつ護法ごほふして、無熱池むねつちにて洗あらはせたまひける由よし、伝つたへたる袈裟けさなり。

 この暹俊せんしゆん、年とし八十やそぢばかりまで、ことなる弟子でしなし。そのあたり近ちかく、柳津やないづの別所べつしよといふ所ところに、相真さうしんといふ僧そうあり。六十ろくじふに余あまれり。この袈裟けさの伝つたへ、やむごとなきことを聞ききて、これを譲ゆづり得えんと思おもひて、弟子でしになりぬ。暹俊せんしゆんが言いふやう、

「袈裟けさを伝つたへむがために弟子でしになりたまへるこころざし、浅あさからず。しからば、三衣さんえの内うち、まづ五条ごでうを当時たうじ譲ゆづりたてまつらむ。残のこりをば死後しごに伝つたへ取とりたまへ」

 と言いふ。相真さうしん悦よろこびて、これを得えて帰かへりぬ。

 その後のち、思おもひのほかに相真さうしん先さき立たつて、病やまひを受うけて死しする時とき、この袈裟けさをかけて弟子でしどもに言いふやう、

「われ死しなんには、この袈裟けさを必かならず相あひ具ぐして埋うづめ」

 と言いひ置おきて終をはりにければ、弟子でしども言いふごとくにして日ひごろ過すぎにけり。

 そののち暹俊せんしゆん、かの相真さうしんが弟子中でしぢゆうに言いひ送おくる。

「袈裟けさは皆みな亡者まうじやに譲ゆづり申まうしさぶらふべき由よし、契ちぎり聞きこえしかど、本意ほいならず先立さきだたれぬれば、ともに離はなれてあるべきにあらず。返かへしたまはむ」

 と言いふ。亡者まうじやの言いひ置おきし様さまなんど、ありのままに言いひけれどなほ信しんぜず。重かさねて尋たづねたりければ、このことよしなしとて、相真さうしんが弟子でしども、誓文せいもんをなん書かきてぞ送おくりたりける。

 その上うへには、とかく言いふべきならねば、嘆なげきながら年月としつきを送おくるほどに、中一年なかいちねんを経へて長寛二年ちやうくわんにねんの秋あき、暹俊せんしゆん夢ゆめに見みるやう、亡者まうじや相真さうしん来きたりていはく、

「われ、この袈裟けさをかけたりし功徳くどくによりて兜率内院とそつないゐんに生うまれたり。ただし、袈裟けさをばわが申まうしたりしままに具ぐして埋うづみたりしかど、不具ふぐになることを深ふかく嘆なげきたまへば返かへしたてまつる。早はやく、本もとの箱はこを開あけて見みたまふべし」

 と言いふ。夢ゆめ覚さめて、この三衣さんえの箱はこを開あけて見みれば、もとのごとくたたみて、箱はこの中なかにあり。まことに不思議ふしぎのことなれば、涙なみだを流ながしつつ、これを恭敬くぎやうす。

 そののち、かの暹俊せんしゆん終をはる時とき、また、この袈裟けさをかけて往生わうじやうす。その弟子でしに、弁永べんえいといふ僧そう、これを伝つたへて、また、往生わうじやうすること、先さきのごとし。かの弁永べんえいが往生わうじやうせしことは、十年じふねんの内うちのことなれば、皆みな人ひと聞きき伝つたへけることなり。

 昔むかし物語ものがたりなんどには、いみじきこと多おほかれど、その名な残のこり、年としにそへて滅ほろび失しつす。まれまれ残のこりたるも、世よ下くだり、人ひと衰おとろへて、不思議ふしぎをあらはすこと、ありがたし。これは、濁にごれる世よの末すゑに、たぐひ少すくなきほどのことなり。されば、結縁けちえんのため、わざと詣まうでつつ、拝をがむ人ひと多おほくはべるべし。

第20話 近ごろ、鳥羽の僧正とてやんごとなき人

 近ちかごろ、鳥羽とばの僧正そうじやうとてやんごとなき人ひとおはしけり。その弟子でしにて、年としごろ同宿どうしゆくしたりける僧そうあり。名なをば真浄房しんじやうばうとぞいひける。 往生わうじやうを願ねがふ心こころ深ふかくして、師しの僧正そうじやうに聞きこへけるやう、

「月日つきひにそへて、後世ごせの恐おそしくはべれば、修学しうがくの道みちを捨すてて、ひとへに念仏ねんぶつをいとなまむと思おもひはべるに、折をりよく法勝寺ほつしようじの三昧さんまいあきてはべり。かしこに申まうしなしたまへ。身みを非人ひにんになして、かの三昧さんまいのことに命いのちを続ついで、後世ごせを取とりはべらん」

 と聞きこえければ、

「かく思おもひ取とり入いる、あはれなり」

 とて、すなはち申まうしなされにけり。

 そののち、本意ほいのごとく、のどかに三昧僧坊さんまいそうばうに居ゐて、ひまなく念仏ねんぶつして日月じつげつを送おくる。 隣となりの坊ばうに、叡泉坊えいせんばうといふ僧そう、同おなじく後世ごせを思おもへるにとりて、その勤つとめ異ことなり。かれは地蔵ぢざうを本尊ほんぞんとして、さまざまに行おこなひぬ。もろもろのかつたゐをあはれみて、朝夕てうせきものを取とらす。真浄房しんじやうばうが方かたには、阿弥陀あみだを頼たのみたてまつりて、ひまなく名号みやうがうを称となへ、極楽ごくらくを願ねがふ。これまた、乞食こつじきをあはれみければ、さまざまの乞食こつじきども、きほひ集あつまる。二人ふたりの道心だうしん者ものは、ま近ちかく垣かきを一ひとつ隔へだてたれども、おのおの習ならひにければ、かつたいもこなたへ影かげささず、乞食こつじきも隣となりへ望のぞむことなし。

 かかるほどに、かの僧正そうじやう病やまひを受うけて限かぎりになりたまへる由よしを聞ききて、真浄房しんじやうばう訪とぶらひに詣まうでたりけり。ことのほかに弱よわくなりて臥ふしたまへる所ところに呼よび入いれて、

「年としごろ、むつまじう思おもひ習ならはせるを、この二に、三年さんねんうとうとしくなれるだに恋こいしく覚おぼえつるに、今いま長ながく別わかれなんとす。今日けふや限かぎりならむ」

 と言いひもやらず泣なかれければ、真浄房しんじやうばういとあはれに覚おぼえて、涙なみだを押おさへて、

「さな覚おぼしめしそ。今日けふこそ別わかれたてまつるとも、後世ごせには必かならず会あひてつかうまつるべきなり」

 と聞きこゆ。

「かく同心どうしんに思おもひけるこそ、いとど嬉うれしけれ」

 とて臥ふしたまひぬれば、泣なく泣なく帰かへりぬ。そののちほどなく、僧正そうじやう隠かくれたまひにけり。

 かくて、年としごろ経ふるほどに、隣となりの叡泉房えいせんばう、心地ここち悩なやましくて、二十四日にじふよつかの暁あかつきに、地蔵ぢざうの御名みなを唱となへて、いとめでたく終をはりぬれば、見聞けんもんの人ひと、貴たふとみあへり。この真浄房しんじやうばう、劣おとらぬ後世者ごせしやなりければ、必かならず往生人わうじやうにんなりと定さだむるほどに、二年ふたとせばかりあつて、いと心得こころえずもの狂くるはしき病やまひをして、隠かくれにけり。あたりの人ひと、あやしく本意ほいなきことに思おもひつつ年月としつきを送おくるほどに、老おひたる母ははのおくれゐて嘆なげきけるが、またものめかしきことどもありけるを、親したしき人ひとども集あつまりてもて騒さわぐほどに、この母ははが言いふやう、

「われはことなるものの怪あやにあらず。失うせにし真浄房しんじやうばうが詣まうで来きたるなり。わがありさまを誰たれも心得こころえがたく思おもはれたれば、かつはそのことをも聞きこえんとなり。われ、ひとへに名利みやうりを捨すてて後世ごせの勤つとめよりほかにいとなみなかりしかば、生死しやうじにとどまるべき身みにてはなきを、わが師しの僧正そうじやうの別わかれを惜をしみたまひし時とき、

『後世ごせには必かならず参まゐり合あうて、随したがひたてまつらむ』

と聞きこえたりしことを、今いま券契けんけいのごとくして、

『さこそ言いひしが』

とて、いかにもいとまをたまはせぬによりて思おもはぬ道みちに引ひき入いられはべるなり。ひとへに仏ほとけのごとく頼たのみたてまつりしままに、由ゆゑなきことを申まうしてかく思おもひのほかなることこそはべりつれ。ただ、天狗てんぐと申まうすことはあることなり。来年らいねん、六年ろくねんに満みちなんとす。かの月つきめに、かまへてこの道みちを出いでて、極楽ごくらくへ参まゐらばやと思おもひたまへるに、必かならず障さわりなく苦患くげんまぬかるべきやうにとぶらひたまへ。さても、世よにはべりし時とき、

『本意ほいのごとく、おくれたてまつるならば、母ははの御おんため善知識ぜんちしきとなりて、後世ごせをとぶらひたてまつらむ。もしまた、思おもひのほかに先さき立たち参まゐらせば、引摂いんぜふしたてまつらん』

とこそ願ねがひはべりしか。思おもはざるに、今いまかかる身みとなりて、近付ちかづき詣まうで来くるにつけても、悩なやましたてまつるべし」

 とは言いひもやらず、さめざめと泣なく。聞きく人ひと、さながら涙なみだを流ながしてあはれみあへり。とばかりのどかにもの語かたりしつつ、あくびたびたびして、例れいざまになりにければ、仏経ぶつきやうなんど、心こころの及およぶほど書かき供養くやうしけり。

 かかるほどに年としもかへりぬ。その冬ふゆになつて、またその母ははわづらふ。とかく言いふあひだに、母ははが言いふやう、

「誰々たれたれも、さばかりありし真浄房しんじやうばうがまた詣まうで来きたるぞ。そのゆゑは、真心まごころに、後世ごせとぶらひたまへる嬉うれしさも聞きこへんと思おもひたまふ上うへに。暁あかつき、すでに得脱とくだつしはべり。いかんとなれば、そのしるし見みせたてまつらんためなり。日ひごろ、わが身みの臭くさく穢けがらはしき香か、かぎたまへ」

 とて、息いきをためて吹ふき出いだしたるに、一家いつけの内うち臭くさくて、耐たへ忍しのぶべくもあらず。さて、夜よもすがらもの語かたりして、暁あかつきに及およびて、

「ただ今いまぞ。すでに不浄身ふじやうしんをあらためて、極楽ごくらくへ参まゐりはべる」

 とて、また息いきをしたりければ、そのたびは香かうばしく、家いへの内うち、香かをり満みちたりけり。それを聞きく人ひと、

「たとひ行徳ぎやうとく高たかき人ひとなりとも『必かならずこれに値遇ちぐうせんといふ誓ちかひをば、起おこすまじかりけり。かれは取とりはづして、悪あしき道みちに入いりたれば、あへなくかかるわざなり」

 とぞ言いひける。

第21話 永久のころ、前滝口助重といふ者

 永久えいきうのころ、前滝口助重さきのたきぐちすけしげといふ者ものありけり。近江国あふみのくに蒲生がまふの郡こほりの人ひとなり。盗人ぬすびとに会あひて、射殺いころされける間あひだに、その矢やの背中せなかに当あたる時とき、声こゑを上あげて「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」とただ一声いつせい申まうして死ししぬ。その声こゑ、高たかく、隣となりの里さとに聞きこえけり。人ひと来きて、これを見みければ、西にしに向むかひて、居ゐながら眼まなこを閉とぢてなんありけり。

 時ときに、入道寂因にふだうじやくいんといふ者ものありけり。助重すけしげがあひ知しれる者ものなれど、家いへ近ちかからねば、このことを知しらず。その夜よの夢ゆめに見みるやう、広ひろき野のを行ゆくに、かたはらに死人しにびとあり。僧そう、多おほく集あつまりて言いふ、

「ここに往生人わうじやうにんあり。なんぢ、これを見みるべし」

 と言いふ。行ゆきて見みれば、助重すけしげなりけりと見みて、夢ゆめ覚さめぬ。あやしと思おもふほどに、朝あしたに、助重すけしげが使つかふ童わらは来きたつて、この由よしを告つげけり。

 また、ある僧そう、近江国あふみのくにを修行しゆぎやうしけり。夢ゆめの内うちに、人ひと告つぐるやう、

「今いま、往生人わうじやうにんあり。行ゆきて縁えんを結むすぶべし」

 と言いふ。その所ところ、助重すけしげが家いへなりけり。月日つきひ、またたがはずありけり。

 かの僧正そうじやうの年来としごろの行徳ぎやうとく、助重すけしげが一声いつせいの念仏ねんぶつのほかのことなれど、かれは悪道あくだうに留とまり、これは浄土じやうどに生うまる。ここに知しんぬ、凡夫ぼんぷの愚おろかなる心こころにて、人ひとの徳とくほど、計はかりがたきことなり。

第22話 中ごろ、常磐橘大夫守助といふ者

 中なかごろ、常磐橘大夫守助ときはのたちばなのたいふもりすけといふ者ものありけり。年とし八十やそぢにあまりて、仏法ぶつぽふを知しらず。斎日さいにちといへども精進しやうじんせず。法師ほふしを見みれども貴たふとむ心こころなし。もし、教をしへ進すすむる人ひとあれば、かへりてこれをあざむく。すべて、愚痴ぐち極きはれる人ひととぞ見みける。

 しかるを、伊予国いよのくにに知しる所ところありて下くだりける。ころは永長えいちやうの秋あき、ことなる病やまひもなくて、臨終正念りんじゆうしやうねんにして往生わうじやうせり。須磨すまの方かたより、紫むらさきの雲くもあらはれて、馨香かうばしきか充みち満みちて、めでたき瑞相ずいさうあらたなりけり。

 これを見みる人ひと、あやしんでその妻つまに、

「いかなる勤つとめをかせし」

 と問とふ。妻つまがいはく、

「心こころ、もとより邪見じやけんにて功徳くどく作つくることなし。ただし、一昨年をととしの六月ろくぐわつより、夕ゆふべごとに不浄ふじやうをかへりみず、衣服いふくをととのへず、西にしに向むかうて一枚いちまいばかりなる文ぶんを読よみ、掌てのひらを合あはせて拝をがむことこそありしが」

 と言いふ。

 その文ぶんを尋たづね出いだして見みるに、発願ほつぐわんの文ぶんあり。その言葉ことばにいはく、

弟子でし、敬うやまつて、西方極楽化主阿弥陀如来さいはうごくらくけしゆあみだによらい、観音くわんおん、勢至せいし、諸々もろもろの聖衆しやうじゆを驚おどろかして申まうす。われ、受うけがたき人身にんじんを受うけてたまたま仏法ぶつぽふに遇あへりといへども、心こころもとより愚痴ぐちにして、さらに勤つとめ行おこなふことなし。いたづらに明あかし暮くらして、むなしく三途さんづに帰かへりなんとす。しかるを、阿弥陀如来あみだによらい、われと縁えん深ふかくおはしますによつて、濁にごれる末すゑの世よの衆生しゆじやうを救すくはんがため、大願だいぐわんを発ほつしたまへることありき。その趣おもむきを尋たづぬれば、たとひ、四重五逆しぢゆうごぎやくを作つくれる人ひとなりとも、命終みやうじゆうらん時とき、わが国くにに生うまれんと願ねがひ、南無阿弥陀仏なむあみだぶつと十度じふど申まうさば、必かならず迎むかへんと誓ちかひたまへり。今いま、この本願ほんぐわんを頼たのむが故ゆゑに、今日けふより後のち、命いのちを限かぎりにて夕ゆふべごとに西にしに向むかひ、宝号はうがうを唱となふ。願ねがはくは、今夜こんやまどろめる中なかにも命いのち尽つきなんことあらば、これを終をはりの十念じふねんとして、本願ほんぐわんあやまたず極楽ごくらくへ迎むかへたまへ。たとひ、残のこりの命いのちあつて今宵こよひ過すぎたりとも、終をはり願ねがひのごとくならずして弥陀みだを唱となへずは、日ひごろの念仏ねんぶつをもつて終をはりの十念じふねんとせむ。われ、罪つみ重おもしといへどもいまだ五逆ごぎやくを作つくらず。功徳くどく少すくなしといへども深ふかく極楽ごくらくを願ねがふ。すなはち、本願ほんぐわんにそむくことなし。必かならず引摂いんぜふしたまへ

 と書かけり。これを見みる人ひと、涙なみだを落おとして貴たふとびけり。そののち、あまねくこの文ぶんを書かき取とりて、信しんじ行おこなひて、証あかしを見みたる人ひと多おほかりけり。

 また、ある聖人しやうにん、かやうに発願ほつぐわんの文ぶんを読よむことはなけれども、夜よまどろめるほかには、時ときの変かはるごとに、最後さいごの思おもひをなして、十念じふねんを唱となへつつ、こればかりを行ぎやうとして、往生わうじやうをとげたりとなん。勤つとむるところは少すくなけれども、常つねに無常むじやうを思おもひて、往生わうじやうを心こころにかけむこと、要えうが中なかの要えうなり。もし、人ひと、心こころに忘わすれず極楽ごくらくを思おもへば、命終みやうじゆうる時とき、必かならず生しやうず。喩たとへば、樹うゑきの曲まがれる方かたへ倒たふるるがごとし、なんど言いへり。

第23話 年ごろ、道心深くして、念仏怠らぬ聖

 年としごろ、道心だうしん深ふかくして、念仏ねんぶつ怠おこたらぬ聖ひじりありけり。あひ知しりたりける人ひとの、対面たいめんせんとてわざと尋たづねて来きたりければ、

「大切たいせつに暇いとまふたがりたることありて、え会あひたてまつるまじき」

 と言いふ。弟子でしあやしと思おもひて、その人ひと帰かへりてのち、

「など本意ほいなくては帰かへしたまへるぞ。さしあふことも見みえはべらぬを」

 と言いへば、

「あひがたくして人身にんじんを得えたり。このたび生死しやうじを離はなれて、極楽ごくらくに生うまれんと思おもふ。これ、身みにとりて極きはまりたる営いとなみなり。何なにごとかこれに過すぎたる大事だいじあらん」

 とぞ言いひける。このこと、あまりきびしく覚おぼゆるは、わが心こころの及およばぬなるべし。

 坐禅三昧経ざぜんざんまいきやうにいはく、

今日こんにちこのことを営いとなみ、明日みやうにちかのことを造つくる。
楽著らくちゃくして苦くを観くわんぜず、死賊しぞくの至いたるを覚おぼえず、云々うんぬん。

 世よの中なかにある人ひと、さすがに後世ごせを思おもはざるなし。今日けふはこのことをせん。明日あすはかのことを営いとなまむと思おもふほどに、無常むじやうの敵かたきのやうやく近付ちかづきて、命いのちを失うしなふことをば知しらざるなり。

第24話 昔、釈迦如来、舎衛国におはしましし時

 昔むかし、釈迦如来しやかによらい、舎衛国しやゑこくにおはしましし時とき、阿難尊者あなんそんじやと申まうす御おん弟子でしを具ぐしたまひて、城じやうのほとりを出いでたまふに、あやしげなりける翁おきな、女をんなと二人ふたり具ぐして、道みちにて逢あひたてまつる。ともに頭かしらの髪かみ白しろく、面おもての皺しわたたみて、骨ほねと皮かはと黒くろみ衰おとろへたり。身みには汚きたなげなるものを、わづかに結むすび集あつめつつ着きたれど、肌はだへも隠かくれず。いささか歩あゆみては、大おほきにあへたき、ひまなく息やすむ。

 仏ほとけ、これを御覧ごらんじて、

「阿難あなん、これは見みるや。この翁おきな、大おほきなる宿善しゆくぜんあり。年としはじめて盛さかんなりし時とき勤つとめ行おこなひてこの世よを祈いのらましかば、舎衛国しやゑこくの第一だいいちの長者ちやうじやとはなりなまし。出離しゆつりのために勤つとめましかば、三明六通さんみやうろくつうの羅漢らかんとはなりなまし。次つぎに盛さかりなりし時とき勤つとめましかば、第二だいにの長者ちやうじやとなり、得脱とくだつを思おもはば阿那含あなごんの聖ひじりとはなりなまし。次つぎに盛さかりなりし時とき勤つとめましかば、第三だいさんの長者ちやうじやとなり、証果しようくわを志こころざさば斯陀含しだごんの聖ひじりとはなりなまし。愚おろかにものうくしてその盛さかりを過すぐし、宿善しゆくぜんを持もちながら願ねがはざりしゆゑに、今いまつたなき身みとして受うけがたき人界の生にんがいのしやうを空むなしく過すごしつるなり」

 と仰おほせられき。

 われたまたま法華経ほけきやうにあひたてまつり、弥陀仏みだぶつの悲願ひぐわんを聞ききながら勤つとめ行おこなはずして、いたづらにあたら月日つきひを過すごす。つゆもたがはず乞者こつじやの翁おきななり。

第25話 唐の善導和尚は、道綽の御弟子なり

 唐もろこしの善導和尚ぜんだうくわしやうは、道綽だうしやくの御おん弟子でしなり。しかあれど、その師しにも越こえて、定ぢやうのうちに、阿弥陀あみだを見みたてまつり、おぼつかなきことを問とひたてまつり、証あかしを得えたまへり。師しの道綽だうしやく、善導ぜんだうにあつらへていはく、

「われ、朝夕てうせき往生わうじやう極楽ごくらくを願ねがふことはかなひなんや。これ、きはめておぼつかなし。仏ほとけに問とひたてまつりて、聞きかせたまへ」

 とのたまひければ、たちまちに定ぢやうに入いつて、このことを問とひたてまつる。仏ほとけののたまはく、

「木きを切きるには斧おのを下くだす。家いへに帰かへるには苦くを辞じすることなし」

 とのたまふ。この二ふたつのことを聞ききて、道綽だうしやくに語かたりたまひけりとなん。

 かくいへる意こころは、木きを切きるには、いかに大おほなる木きといへども、たゆみなくこれを切きれば、つひにとして切きり倒たふさずといふことなし。怠おこたりて、切きり休やすむべからず。家いへに帰かへるには、また、苦くるしとて、中ちうにとどまることなかれ。這はふ這はふも、必かならず行ゆき付つくべし。こころざし深ふかくして怠おこたらずは、疑うたがひあらざる由よしを教をしへたまへるなり。このこと、道綽だうしやくに限かぎるべからず。もろもろの行者ぎやうじや、同おなじかるべし。

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