このページでは、鴨長明『発心集』第2巻(第13話~第25話)の原文全文を掲載しています。本文を読みやすくするため、漢字に歴史的仮名遣いによる振り仮名を付けました。
現代語訳と照らし合わせたい方は、『発心集』第2巻 現代語訳全文をご覧ください。本文の表記や説話ごとの区分は、以下の文献を参考に、当サイトの判断で読みやすく整えています。
第13話 近ごろ、安居院に住む聖ありけり
近ごろ、安居院に住む聖ありけり。なすべきことあつて京へ出でける道に、大路つらなる井のかたはらに、下種の尼の物洗ふありけり。この聖を見て、
「ここに人の会ひたてまつらむとはべるなり」
と言ふ。
「誰と申すぞ」
と言へば、
「今、対面でぞのたまはせんずらん」
と言ひて、
「ただ、きと立ち入りたまへ」
と切々に言ひければ、思ひながら、尼を前に立てて行き、入つて見れば、はるかに奥深なる家の、小さく造れるに、年たけたる僧一人あり。その言ふことを聞けば、
「いまだ知りたてまつらざるに、申すはうちつけなれど、かくて形のごとく後世の勤めをつかまつりてはべりつれど、知れる人もなければ、善知識もなし。また、まかり隠れけんのちは、とかくすべき人も覚えはべらぬによりて、
『誰にても、後世者と見ゆる人過ぎたまはば、必ず呼びたてまつれ』
と、上の空に申してはべりつるなり。さて、もしうちひきたまはば、あやしげなれども、跡に残るべき人もなし。譲りたてまつらんと思ひたまへるなり。それにとりて、かくてはべるを悪しくもはべらず。なかなかしづかにはべるを、隣に検非違使のはべりつる間に、罪人を責め問へる音なんどの聞こえてうるさくはべりつれば、まかり去りなばやと思ひたまふれど、さてもいくほどもあるまじき身をとなん思ひわづらひはべる」
なんど、細やかに語る。この聖、
「かやうに承はるは、さるべきにこそ。のたますることは、いとやすきことにはべり」
とて、浅からず契りて、おぼつかなからぬほどに行き訪ひつつ過ぎけり。
そののち、いくほどなく隠れける時、本意のごとく行きあひて、これを見あつかふ。弥勒の持者なりければ、その名号を唱へ、真言なんどみてて、臨終思ふやうにて終はりにけり。言ひしがごとく、とかくのことなんど、また、口入れする人もなし。されど、この家をばその尼になん取らせたりける。
さて、かの尼に、
「いかなる人にておはせしぞ。また、何事の縁にて世をば渡りたまひしぞ」
なんど問ひければ、
「われもくはしきことはえ知りはべらず。思ひがけぬゆかりにてつきたてまつりて、年ごろつかうまつりつれど、誰とか申しけん。また、知れる人の尋ねはべるもなかりき。ただつくづくと一人のみおはせしに、時料は二人がほどを、誰人とも知らぬ人の、失するほどをはからひてなんまかり過ぎし」
とぞ語りける。これもやうありける人にこそ。
第14話 永観律師といふ人ありけり
永観律師といふ人ありけり。年ごろ、念仏のこころざし深く、名利を思はず、世捨てたるがごとくなりけれど、さすがに、あはれにもつかうまつり知れる人を忘れざりければ、ことさら深山を求むることもなかりけり。東山禅林寺といふ所に籠居しつつ、人にものを貸してなん、日を送るはかりことにしける。借る時も、返す時も、ただ来たる人の心にまかせて沙汰しければ、なかなか仏のものをとて、いささかも不法のことはせざりけり。いたく貧しき者の返さぬをば、前に呼び寄せて、もののほどにしたがひて念仏を申させてぞ、あがはせける。
東大寺別当の空きたりけるに、白河院、この人をなしたまふ。聞く人、耳を驚かして、「よも受け取らじ」と言ふほどに、思はずにいなび申すことなかりけり。
その時、年ごろの弟子、使はれし人なんど、我も我もと争ひて、東大寺の荘園を望みにけれども、一所も人のかへりみにもせずして、みな寺の修理の用途に寄せられたりける。みづから本寺に行き向かふ時には、異様なる馬に乗つて、かしこにいるべきほどの時料、小法師に持たせてぞ入りける。
かくしつつ三年のうちに、修理事終はりて、すなはち辞し申す。君、またとかくの仰せもなくて、異人をなされにけり。よくよく人の心を合せたるしわざのやうなりければ、時の人は、
「寺の破れたることを、この人ならでは、心やすく沙汰すべき人もなしと覚しめして、仰せつけけるを、律師も心得たまひたりけるなんめり」
とぞ言ひける。深く罪を恐れけるゆゑに、年ごろ、寺のこと行ひけれど、寺物をつゆばかりも自用のことなくてやみにけり。
この禅林寺に、梅の木あり。実なるころになりぬれば、これをあだに散らさず、年ごとに取つて、薬王寺といふ所に多かる病人に、日々といふばかりに施させられければ、あたりの人、この木を悲田梅とぞ名付けたりける。今もことのほかに古木になりて、花もわづかに咲き、木立もかしげつつ、昔の形見に残りてはべるとぞ。
ある時、かの堂に客人の詣で来たりけるに、算をいくらともなく置き広げて、人には目もえかけざりければ、客人の思ふやう、
「律師は出挙をして、命つぐばかりをことにしたまへりと聞くに、あはせて、その利のほど数へたまふにこそ」
と見居るほどに、置きはてて、取り納めて、対面せらる。そのとき、
「算置きたまひつるは、何の御用ぞ」
と問ひければ、
「年ごろ申し集めたる念仏の、数のおぼつかなくて」
とぞ答へられける。さまで驚くべきことならねど、主からに、貴く覚えし。のちに人の語りけるなり。
第15話 村上の御代に、内記入道寂心といふ人
村上の御代に、内記入道寂心といふ人ありけり。そのかみ、宮仕へける時より、心に仏道を望み願うて、ことにふれてあはれみ深くなんありける。
大内記にて、注すべきことあつて内裏へ参りけるに、左衛門の陣の方に、女の涙を流して泣き立てるあり。
「何ごとによりて泣くぞ」
と問ひければ、
「主の使ひにて、石の帯を人に借りて持てまかりつる道に落してはべれば、主にも重く誡められむずらん。さばかりの大事のものを失ひたる悲しさに、帰る空も覚えず思ひやる方なくて」
となん言ふ。心の内にはかるに、「げに、さぞ思ふらん」といとほしうて、わが差したる帯解きて、取らせてけり。
「もとの帯にあらねど、むなしう失うて、申す方なからんよりも、これを持てまかりたらむは、おのづから罪もよろしからん」
とて、手をすり、喜びて、まかりにけり。
さて、片角に帯もなくて、隠れ居たりけるほどに、こと始まりにければ、「遅し、遅し」と催されて、異人の帯を借りて、その公事をば勤めける。
中務の宮の、文習ひたまひける時も、少し教へたてまつりては、ひまひまに目をひさぎつつ、常に仏をぞ念じたてまつりける。
ある時、かの宮より、馬をたまはらせたりければ、乗りて参りける。道の間、堂塔のたぐひはいはず、いささか卒塔婆一本ある所には、必ず馬より下りて、恭敬、礼拝し、また、草の見ゆる所ごとに、馬の食み止るに、心にまかせつつ、こなたかなたへ行くほどに、日たけて、朝に家を出づる人、未申の時までになんなりにけり。舎人、いみじく心づきなく覚えて馬を荒らかに打ちたりければ、涙を流し声を立てて泣き悲しみていはく、
「多かる畜生の中に、かく近付くことは深き宿縁にあらずや。過去の父母にもやあるらん。いかに大きなる罪をば作るぞ。いと悲しきことなり」
と驚き騒ぎければ、舎人は言ふはかりなくて、まかりてぞ立ち帰りける。かやうの心なりければ、『池亭記』とて書き置きたる文にも、「身は朝にありて、心は隠にあり」とぞはべるなる。
年たけてのち、頭おろして、横川に上り、法文習ひけるに、増賀上人、いまだ横川に住みたまひけるほどに、これを教ゆとて、
「止観の明静なること前代未だ聞かず」
と読まるるに、この入道、ただ泣きに泣く。聖、
「さる心にて、かくやはいつしか泣くべき。あな、愛敬なの僧の道心や」
とて、拳を握りて打ちたまひければ、「われも人もこそ」とまかりて立ちにけり。
ほど経て、
「さてしもやははべるべき。この文受けたてまつらん」
と言ふ。さらばと思うて読まるるに、前のごとく泣く。また、はしたなくさいなまるるほどに、後の詞も聞かで、止みにけり。
日ごろ経て、なほ懲りずまに、御気色取りて、恐れ恐れ受け申しけるにも、ただ同じやうに、いとど泣きける時、その聖も、涙をこぼして、
「まことに深き御法の尊く覚ゆるにこそ」
と、あはれがりて、静かに授けられける。かくしつつ、やむごとなく、徳至りにければ、御堂の入道殿も、御戒なんど受けたまひけり。
さて、聖人、往生しける時は、御諷誦なんどしたまひて、さらし布、百千たまはせける。請文には、三河入道、秀句書きとめたりけるとぞ。
昔は、隋の煬帝の智者に報ぜし、千僧一人を余し
今は、左丞相の寂公を訪ふ、さらし布百千に満てり
とぞ書かれたりける。
第16話 三河の聖といふは、大江定基といふ博士
三河の聖といふは、大江定基といふ博士これなり。三河守になりたりける時、もとの妻を捨てて、たぐひなく覚えける女をあひ具して下りけるほどに、国にて、女、病を受けて、つひにはかなくなりにければ、嘆き悲しむことかぎりなし。恋慕のあまりに、取り捨つるわざもせず、日ごろ経るままに、なりゆくさまを見るに、いとど憂き世のいとはしさ思ひ知られて、心を発したりけるなり。
頭おろしてのち、乞食し歩きけるに、わが道心は、まことに発りたるやと、こころみんとて、妻のもとへ行きて、ものを乞ひければ、女これを見て、
「われに憂き目見せし報ひに、かかれとこそは思ひしか」
とて、うらみをして向かひたりけるが、何とも覚えざりければ、
「御徳に仏になりなんずること」
とて、手をすり悦びて出でにけり。
さて、かの内記の聖の弟子になりて、東山如意輪寺に住む。そののち、横川に上りて、源信僧都に会ひたてまつりてぞ、深き法をば習ひける。かくて、つひに唐へ渡つて、いひしらぬ験どもあらはしたりければ、大師の名を得て、円通大師と申しける。往生しけるに、仏の御迎ひの楽を聞きて、詩を作り、歌を詠まれたりける由、唐より注し送りてはべり。
笙歌遥聞孤雲上聖衆来迎落日前
雲の上にはるかに楽の音すなり人や聞くらんひが耳かもし
第17話 近ごろ、山に仙命上人とて
近ごろ、山に仙命上人とて、貴き人ありけり。その勤め、理観を旨として、常に念仏をぞ申しける。ある時、持仏堂にて観念する間に、空に声ありて、
「あはれ、貴きことをのみ観じたまふものかな」
と言ふ。怪しみて、
「誰そ、かくはのたまふぞ」
と問ひければ、
「われは、当所の三聖なり。発心したまひし時より、日に三度あまがけりて、守りたてまつるなり」
とぞ答へたまひける。
この聖、さらにみづから朝夕のことを知らず。一人使ひける小法師、山の坊ごとに、一度廻りて、一日の餉を乞ふて養ひけるほかには、何も人の施を受けざりけり。
時の后の宮、願をおこして、世に勝れて貴からん僧を供養せんとこころざして、あまねく尋ねたまひけるに、この聖のやんごとなき由を聞きたまひて、すなはち、御みづから布袈裟を縫ひたまひて、「ありのままに言はば、よも受けじ」と覚して、とかくかまへてこの小法師に心を合せてなん、
「思ひがけぬ人の、たまはせたりつる」
とて、たてまつりければ、聖これを取つて、よくよく見て
「三世の仏得たまへ」
とて谷へ投げ捨ててければ、いふかひなくてやみにけり。
おほかた、人の乞ふもの、さらに一つ惜しむことなかりけり。板敷の板をほしがる人のありければ、わが房の板を二、三枚はなして取らせたりける間に、東塔の鎌倉に住む覚尊聖人、得意にて夜暗き時来たりけるが、板敷の板の無きことを知らずして落ち入る間に、「あな、かなし」と言ひけるを聞きて、
「御房は不覚の人かな。もし、さてやがて死なんこともかたかるべき身かは。あな、かなしと言ふ終はりの言やはあるべき。南無阿弥陀仏とこそ申さめ」
なんど言ひける。
この仙命上人、かの覚尊が住む鎌倉へ行きたりけるに、とみのことありて、客人を置きながら、きとほかへ行くとて、急ぎ出づる人の、さらに内へ返り入つて、やや久しくものをしたためければ、あやしうて、出でてのち、跡を見たまふに、万のものにことごとく封を付けたり。この聖、思ふやう、
「いと心悪きしわざかな。よも歩きのたびに、かくしもしたためじ。われを疑ふ心にこそ。はや返れがし。このことを恥ぢしめむ」
と言ふ。
かく思ひたるほどに、返り来たれり。思ひまうけたることなれば、見付くるや遅しとこのことを言ふ。覚尊のいはく、
「つねに、かくしたたむるにあらず。また、人のものを取るを惜しむにもあらず。されども、御房のおはすれば、かく取りおさめはべるなり。その故は、もし、これらいささかも失せたることあらば、凡夫なれば、みづから御房を疑ひたてまつる心のあらんことの、いみじう罪障ありぬべく覚えて、わが心の疑はしさになん。何ばかりのものをかは、惜しみはべらん」
とぞ言ひける。
かくて、鎌倉の聖、先に隠れぬと聞きて、
「必ず往生しぬらむ。ものに封付けしほどの、心のたくみなれば」
とぞ、仙命聖人は言ひける。
そののち、夢に覚尊に会へり。まづ初めの言葉には、
「いづれの品ぞ」
と問ひければ、
「下品下生なり。それだにも、ほとほとしかりつるを、御房の御徳に往生とげたるなり。日ごろ橋を渡し、道を作りし行ばかりにてはかなはざらまし。御勧めによりて時々念仏をせしかば」
とぞ言ひける。またいはく、
「仙命、往生はかなひなんや」
と問ふ。
「そのこと疑ひなし。はやく、上品上生に定まりたまへり」
と言ふとぞ見えたりける。
第18話 津の国和田の奥に、妙法寺といふ山寺あり
津の国和田の奥に、妙法寺といふ山寺あり。かしこに楽西といふ聖人住みけり。もとは出雲国の人なり。わが身、いまだ男なりける時、人の田を作るとて、牛の耐へがたげなるを打ち責めて、かきすきけるを見て、「かく有情を悩ましつつ、わりなくして作りたてたるものを、なすことなくて受用することこそ、いみじう罪深けれ」と思ひけるより、心発つて、やがて出家したりけり。
そののち、居処求むとて国をあまねく見行きけるに、縁やありけん、この所の、心につきて覚えければ、ここに住まんと思ひて、ある僧の庵に尋ね行きたるに、主はあからさまに立ち出でたるに、ほだといふものをさし合せて置きたるを見て、この聖、とかくも言はではひ入りて、木多くとりくべて、背中あぶりして居たりける。
主帰り来て言ふやう、
「何者なれば、人のもとにきて案内も言はで、したり顔に火を焚きては居たるぞ」
と言ふ。
「希有のしわざや」
と腹立てければ、
「われは、いささか心を発して迷ひ歩く修行者なり。なんぢ、もろともに仏の御弟子にあらずや。あながちに、知る知られずと言ふべきことかは。風のおこりて悩ましう覚えければ、この火のあたり見過ごしがたくて居たるぞかし。木、いくばくかは焚きたる。惜しく思はれば、こりて返し申さむ。また、なほこの火にあてじとならば去るべし。慳貪なる火には当らでこそはあらめ。安きことなり。罷り出でなん」
と言ふ。
主もいささか道心ある者にて、
「事柄を心得ず覚ゆれば、申すばかりぞ。言はるるところもまた理なり。さらば、静かに居たまへ」
とて、ことの心を問ふ。わがこころざしあるやうなんど言ひけるほどに、やがてこの僧得意になつて、山の中の人離れたる所を切り払ひ、形のごとく庵を結びて住み初めたるになんありける。
かくて、貴く行ひて、年ごろになりければ、近きほどにて、福原入道大臣、この聖のことを聞きたまひて、
「まことに貴き人かな。ことざま見よ」
とて、守俊を使ひにて、消息したまひたりけり。
「近きほどに、かくてはべれば、頼みたてまつる。また、いかなることなりともさぶらはば、必ずのたまはせよ」
なんどねんごろに言はせたまひて、贈りものどもせられたりけり。聖人のいはく、
「仰せは畏りはべり。ただし、行もなく徳もなければ、かやうの仰せ蒙るべき身にてはゆめゆめはべらず。いかやうに聞こしめして、なほざりにて御使ひなんどたまひてかはべるらん。このこと驚き思ひたまへはべり。このたまはせるものも返したてまつるべきにてはべれど、恐れさりがたくて今度ばかりはとどめはべり。今よりのちは、さぶらふまじきことなり。さらさら身に申しはべるべき用なくはべり。また、知られ参らせて御用にかなふべきことは、いささかもはべらず」
と、いとことのほかに申したりける。
使帰り参りて、このよし聞こえければ、
「まことに貴き人にこそ。されど、さやうにもて離れむをば、いかがはせむ。なほ、とかく言ふは、心にたがひなん」
とて、また訪れたまはずしてぞ、やみにけり。
さて、この贈りものをば寺の僧ともに方々分け取らせて、われはいささかも取らず。ある僧、あやしめて、
「何かは、これを受けたまはぬ。貧しき者の、わりなくしていささかのものなんどたてまつるこそ、こころざしをば重く見る。それをば受けたまふめり。これほどのもの、かの御ためには何のものの数にてはあらん」
と言ひければ、
「のたまふところ、いはれたり。げに、貧しき人のこころざし、重き信施なれど、われ受けずは誰かは、少きものを得て思ふばかりそのこころざしを報はむとする。これを返すものならば、わが罪をのみ恐れて人を救ふ心は欠けぬべし。しかれば、さだめて、仏の御意にも背きぬらんと思ひたまへば、なまじひに受けたまふなり。さて、この入道殿は功徳をなしたまはむには、いづれのことか心にかなはざらむ。善知識を尋ねたまはんにも、また行徳高き人多し。誰か参らざらむ。この法師、知りたまはずともさらさら事欠くまじ。勢ひいかめしうおはすめれば、さだめて罪もおはすらん。させる徳なき身にて、引きかづきて由なしとて、遁れ申すなり」
とぞ言ひける。
ここかしこよりものを得るほどに、多くなりぬれば、寺の僧を呼び集めて、これを施す。さらに後の料と思へることなし。かの山寺近く、やまめなる老いうばの、堪へがたく貧しきあり。これをあはれみて、常にものなんど取らせける。師走の晦日に、人の手より餅をあまた得たりける時、かのうばを思ひ出だして、夜いたふ更けて、みづから持て行きけるほどに、年ごろ持たりける念珠を落してけり。帰りてのち、思ひ出だしたりけれど、しげき山を分け行く道なれば、いづくにか落ちにけん、求めにも行かず。
「多年、薫修積みつる念珠を」
と、嘆きながら、数珠引き語らひて、あつらへむとするほどに、烏の、ものを食ひて、堂の上にからからと鳴らすを見れば、わが落したりける念珠なりけり。
「烏、いとど哀れなり」
とて、これを返し取りつ。
それより、この烏、得意になりて、人の、もの持来べき時には、必ず来居て鳴く。その居たる遠さに、今、幾日なりとはからふに、つゆも違はず。ほとほと、護法なんども、いひつべきさまにぞありける。
また、この庵の前に小さき池あり。蓮多くて、花の盛には水も見えず。ひとへに、紅梅の絹を覆へるがごとし。ある時の夏、いささかも花の咲かざりけるを、人の怪しみければ、「今年は、われ、この界を去るべき年なれば、『行くべき所に咲かん』とて、ここには咲かぬなり」と答へける。まことに、その年、臨終正念にめでたくてぞ終はりにける。かやうの不思議、多く聞こえはべりしかど、ことしげければ、注さず。
第19話 津の国の渡辺といふ所に、長柄の別所といふ寺あり
津の国の渡辺といふ所に、長柄の別所といふ寺あり。それに、近ごろ暹俊といふ僧ありけり。若くては、山に学問なんどしてありけるが、おのづからここに居付きたりけるなり。
この僧、いかでか伝へ持たりけん、昔、文殊の法説きたまひける時の御袈裟とて、蓮の糸にて織れる袈裟なり。もとは、山の禅瑜僧都の伝へたりけるを、池上の皇慶阿闍梨の時、乙護法して、無熱池にて洗はせたまひける由、伝へたる袈裟なり。
この暹俊、年八十ばかりまで、ことなる弟子なし。そのあたり近く、柳津の別所といふ所に、相真といふ僧あり。六十に余れり。この袈裟の伝へ、やむごとなきことを聞きて、これを譲り得んと思ひて、弟子になりぬ。暹俊が言ふやう、
「袈裟を伝へむがために弟子になりたまへるこころざし、浅からず。しからば、三衣の内、まづ五条を当時譲りたてまつらむ。残りをば死後に伝へ取りたまへ」
と言ふ。相真悦びて、これを得て帰りぬ。
その後、思ひのほかに相真先立つて、病を受けて死する時、この袈裟をかけて弟子どもに言ふやう、
「われ死なんには、この袈裟を必ず相具して埋め」
と言ひ置きて終はりにければ、弟子ども言ふごとくにして日ごろ過ぎにけり。
そののち暹俊、かの相真が弟子中に言ひ送る。
「袈裟は皆亡者に譲り申しさぶらふべき由、契り聞こえしかど、本意ならず先立たれぬれば、ともに離れてあるべきにあらず。返したまはむ」
と言ふ。亡者の言ひ置きし様なんど、ありのままに言ひけれどなほ信ぜず。重ねて尋ねたりければ、このことよしなしとて、相真が弟子ども、誓文をなん書きてぞ送りたりける。
その上には、とかく言ふべきならねば、嘆きながら年月を送るほどに、中一年を経て長寛二年の秋、暹俊夢に見るやう、亡者相真来たりていはく、
「われ、この袈裟をかけたりし功徳によりて兜率内院に生まれたり。ただし、袈裟をばわが申したりしままに具して埋みたりしかど、不具になることを深く嘆きたまへば返したてまつる。早く、本の箱を開けて見たまふべし」
と言ふ。夢覚めて、この三衣の箱を開けて見れば、もとのごとくたたみて、箱の中にあり。まことに不思議のことなれば、涙を流しつつ、これを恭敬す。
そののち、かの暹俊終る時、また、この袈裟をかけて往生す。その弟子に、弁永といふ僧、これを伝へて、また、往生すること、先のごとし。かの弁永が往生せしことは、十年の内のことなれば、皆人聞き伝へけることなり。
昔物語なんどには、いみじきこと多かれど、その名残り、年にそへて滅び失す。まれまれ残りたるも、世下り、人衰へて、不思議をあらはすこと、ありがたし。これは、濁れる世の末に、たぐひ少きほどのことなり。されば、結縁のため、わざと詣でつつ、拝む人多くはべるべし。
第20話 近ごろ、鳥羽の僧正とてやんごとなき人
近ごろ、鳥羽の僧正とてやんごとなき人おはしけり。その弟子にて、年ごろ同宿したりける僧あり。名をば真浄房とぞいひける。 往生を願ふ心深くして、師の僧正に聞こへけるやう、
「月日にそへて、後世の恐しくはべれば、修学の道を捨てて、ひとへに念仏をいとなまむと思ひはべるに、折りよく法勝寺の三昧あきてはべり。かしこに申しなしたまへ。身を非人になして、かの三昧のことに命を続いで、後世を取りはべらん」
と聞こえければ、
「かく思ひ取り入る、あはれなり」
とて、すなはち申しなされにけり。
そののち、本意のごとく、のどかに三昧僧坊に居て、ひまなく念仏して日月を送る。 隣の坊に、叡泉坊といふ僧、同じく後世を思へるにとりて、その勤め異なり。かれは地蔵を本尊として、さまざまに行ひぬ。もろもろのかつたゐをあはれみて、朝夕ものを取らす。真浄房が方には、阿弥陀を頼みたてまつりて、ひまなく名号を称へ、極楽を願ふ。これまた、乞食をあはれみければ、さまざまの乞食ども、きほひ集る。二人の道心者は、ま近く垣を一つ隔てたれども、おのおの習ひにければ、かつたいもこなたへ影ささず、乞食も隣へ望むことなし。
かかるほどに、かの僧正病を受けて限りになりたまへる由を聞きて、真浄房訪ひに詣でたりけり。ことのほかに弱くなりて臥したまへる所に呼び入れて、
「年ごろ、むつまじう思ひ習はせるを、この二、三年うとうとしくなれるだに恋しく覚えつるに、今長く別れなんとす。今日や限りならむ」
と言ひもやらず泣かれければ、真浄房いとあはれに覚えて、涙を押へて、
「さな覚しめしそ。今日こそ別れたてまつるとも、後世には必ず会ひてつかうまつるべきなり」
と聞こゆ。
「かく同心に思ひけるこそ、いとど嬉しけれ」
とて臥したまひぬれば、泣く泣く帰りぬ。そののちほどなく、僧正隠れたまひにけり。
かくて、年ごろ経るほどに、隣の叡泉房、心地悩ましくて、二十四日の暁に、地蔵の御名を唱へて、いとめでたく終はりぬれば、見聞の人、貴みあへり。この真浄房、劣らぬ後世者なりければ、必ず往生人なりと定むるほどに、二年ばかりあつて、いと心得ずもの狂はしき病をして、隠れにけり。あたりの人、あやしく本意なきことに思ひつつ年月を送るほどに、老ひたる母のおくれゐて嘆きけるが、またものめかしきことどもありけるを、親しき人ども集りてもて騒ぐほどに、この母が言ふやう、
「われはことなるものの怪にあらず。失せにし真浄房が詣で来たるなり。わがありさまを誰も心得がたく思はれたれば、かつはそのことをも聞こえんとなり。われ、ひとへに名利を捨てて後世の勤めよりほかにいとなみなかりしかば、生死にとどまるべき身にてはなきを、わが師の僧正の別れを惜しみたまひし時、
『後世には必ず参り合うて、随ひたてまつらむ』
と聞こえたりしことを、今券契のごとくして、
『さこそ言ひしが』
とて、いかにもいとまをたまはせぬによりて思はぬ道に引き入られはべるなり。ひとへに仏のごとく頼みたてまつりしままに、由なきことを申してかく思ひのほかなることこそはべりつれ。ただ、天狗と申すことはあることなり。来年、六年に満ちなんとす。かの月めに、かまへてこの道を出でて、極楽へ参らばやと思ひたまへるに、必ず障りなく苦患まぬかるべきやうにとぶらひたまへ。さても、世にはべりし時、
『本意のごとく、おくれたてまつるならば、母の御ため善知識となりて、後世をとぶらひたてまつらむ。もしまた、思ひのほかに先立ち参らせば、引摂したてまつらん』
とこそ願ひはべりしか。思はざるに、今かかる身となりて、近付き詣で来るにつけても、悩ましたてまつるべし」
とは言ひもやらず、さめざめと泣く。聞く人、さながら涙を流してあはれみあへり。とばかりのどかにもの語りしつつ、あくびたびたびして、例ざまになりにければ、仏経なんど、心の及ぶほど書き供養しけり。
かかるほどに年もかへりぬ。その冬になつて、またその母わづらふ。とかく言ふあひだに、母が言ふやう、
「誰々も、さばかりありし真浄房がまた詣で来たるぞ。そのゆゑは、真心に、後世とぶらひたまへる嬉しさも聞こへんと思ひたまふ上に。暁、すでに得脱しはべり。いかんとなれば、そのしるし見せたてまつらんためなり。日ごろ、わが身の臭く穢らはしき香、かぎたまへ」
とて、息をためて吹き出だしたるに、一家の内臭くて、耐へ忍ぶべくもあらず。さて、夜もすがらもの語りして、暁に及びて、
「ただ今ぞ。すでに不浄身をあらためて、極楽へ参りはべる」
とて、また息をしたりければ、そのたびは香ばしく、家の内、香り満ちたりけり。それを聞く人、
「たとひ行徳高き人なりとも『必ずこれに値遇せんといふ誓ひをば、起すまじかりけり。かれは取りはづして、悪しき道に入りたれば、あへなくかかるわざなり」
とぞ言ひける。
第21話 永久のころ、前滝口助重といふ者
永久のころ、前滝口助重といふ者ありけり。近江国蒲生の郡の人なり。盗人に会ひて、射殺されける間に、その矢の背中に当る時、声を上げて「南無阿弥陀仏」とただ一声申して死しぬ。その声、高く、隣の里に聞こえけり。人来て、これを見ければ、西に向かひて、居ながら眼を閉ぢてなんありけり。
時に、入道寂因といふ者ありけり。助重があひ知れる者なれど、家近からねば、このことを知らず。その夜の夢に見るやう、広き野を行くに、かたはらに死人あり。僧、多く集りて言ふ、
「ここに往生人あり。なんぢ、これを見るべし」
と言ふ。行きて見れば、助重なりけりと見て、夢覚めぬ。あやしと思ふほどに、朝に、助重が使ふ童来たつて、この由を告げけり。
また、ある僧、近江国を修行しけり。夢の内に、人告ぐるやう、
「今、往生人あり。行きて縁を結ぶべし」
と言ふ。その所、助重が家なりけり。月日、またたがはずありけり。
かの僧正の年来の行徳、助重が一声の念仏のほかのことなれど、かれは悪道に留まり、これは浄土に生る。ここに知んぬ、凡夫の愚かなる心にて、人の徳ほど、計りがたきことなり。
第22話 中ごろ、常磐橘大夫守助といふ者
中ごろ、常磐橘大夫守助といふ者ありけり。年八十にあまりて、仏法を知らず。斎日といへども精進せず。法師を見れども貴む心なし。もし、教へ進むる人あれば、かへりてこれをあざむく。すべて、愚痴極れる人とぞ見ける。
しかるを、伊予国に知る所ありて下りける。ころは永長の秋、ことなる病もなくて、臨終正念にして往生せり。須磨の方より、紫の雲あらはれて、馨香充ち満ちて、めでたき瑞相あらたなりけり。
これを見る人、あやしんでその妻に、
「いかなる勤めをかせし」
と問ふ。妻がいはく、
「心、もとより邪見にて功徳作ることなし。ただし、一昨年の六月より、夕べごとに不浄をかへりみず、衣服をととのへず、西に向うて一枚ばかりなる文を読み、掌を合せて拝むことこそありしが」
と言ふ。
その文を尋ね出だして見るに、発願の文あり。その言葉にいはく、
弟子、敬つて、西方極楽化主阿弥陀如来、観音、勢至、諸々の聖衆を驚かして申す。われ、受けがたき人身を受けてたまたま仏法に遇へりといへども、心もとより愚痴にして、さらに勤め行ふことなし。いたづらに明かし暮らして、むなしく三途に帰りなんとす。しかるを、阿弥陀如来、われと縁深くおはしますによつて、濁れる末の世の衆生を救はんがため、大願を発したまへることありき。その趣を尋ぬれば、たとひ、四重五逆を作れる人なりとも、命終らん時、わが国に生まれんと願ひ、南無阿弥陀仏と十度申さば、必ず迎へんと誓ひたまへり。今、この本願を頼むが故に、今日より後、命を限りにて夕べごとに西に向かひ、宝号を唱ふ。願はくは、今夜まどろめる中にも命尽きなんことあらば、これを終はりの十念として、本願あやまたず極楽へ迎へたまへ。たとひ、残りの命あつて今宵過ぎたりとも、終はり願ひのごとくならずして弥陀を唱へずは、日ごろの念仏をもつて終はりの十念とせむ。われ、罪重しといへどもいまだ五逆を作らず。功徳少しといへども深く極楽を願ふ。すなはち、本願にそむくことなし。必ず引摂したまへ
と書けり。これを見る人、涙を落して貴びけり。そののち、あまねくこの文を書き取りて、信じ行ひて、証を見たる人多かりけり。
また、ある聖人、かやうに発願の文を読むことはなけれども、夜まどろめるほかには、時の変るごとに、最後の思ひをなして、十念を唱へつつ、こればかりを行として、往生をとげたりとなん。勤むるところは少けれども、常に無常を思ひて、往生を心にかけむこと、要が中の要なり。もし、人、心に忘れず極楽を思へば、命終る時、必ず生ず。喩へば、樹の曲れる方へ倒るるがごとし、なんど言へり。
第23話 年ごろ、道心深くして、念仏怠らぬ聖
年ごろ、道心深くして、念仏怠らぬ聖ありけり。あひ知りたりける人の、対面せんとてわざと尋ねて来たりければ、
「大切に暇ふたがりたることありて、え会ひたてまつるまじき」
と言ふ。弟子あやしと思ひて、その人帰りてのち、
「など本意なくては帰したまへるぞ。さしあふことも見えはべらぬを」
と言へば、
「あひがたくして人身を得たり。このたび生死を離れて、極楽に生まれんと思ふ。これ、身にとりて極まりたる営みなり。何ごとかこれに過ぎたる大事あらん」
とぞ言ひける。このこと、あまりきびしく覚ゆるは、わが心の及ばぬなるべし。
坐禅三昧経にいはく、
今日このことを営み、明日かのことを造る。
楽著して苦を観ぜず、死賊の至るを覚えず、云々。
世の中にある人、さすがに後世を思はざるなし。今日はこのことをせん。明日はかのことを営まむと思ふほどに、無常の敵のやうやく近付きて、命を失ふことをば知らざるなり。
第24話 昔、釈迦如来、舎衛国におはしましし時
昔、釈迦如来、舎衛国におはしましし時、阿難尊者と申す御弟子を具したまひて、城のほとりを出でたまふに、あやしげなりける翁、女と二人具して、道にて逢ひたてまつる。ともに頭の髪白く、面の皺たたみて、骨と皮と黒み衰へたり。身には汚げなるものを、わづかに結び集めつつ着たれど、肌へも隠れず。いささか歩みては、大きにあへたき、ひまなく息む。
仏、これを御覧じて、
「阿難、これは見るや。この翁、大きなる宿善あり。年はじめて盛んなりし時勤め行ひてこの世を祈らましかば、舎衛国の第一の長者とはなりなまし。出離のために勤めましかば、三明六通の羅漢とはなりなまし。次に盛なりし時勤めましかば、第二の長者となり、得脱を思はば阿那含の聖とはなりなまし。次に盛なりし時勤めましかば、第三の長者となり、証果を志さば斯陀含の聖とはなりなまし。愚かにものうくしてその盛を過ぐし、宿善を持ながら願はざりしゆゑに、今つたなき身として受けがたき人界の生を空しく過ごしつるなり」
と仰せられき。
われたまたま法華経にあひたてまつり、弥陀仏の悲願を聞きながら勤め行はずして、いたづらにあたら月日を過ごす。つゆもたがはず乞者の翁なり。
第25話 唐の善導和尚は、道綽の御弟子なり
唐の善導和尚は、道綽の御弟子なり。しかあれど、その師にも越えて、定のうちに、阿弥陀を見たてまつり、おぼつかなきことを問ひたてまつり、証を得たまへり。師の道綽、善導にあつらへていはく、
「われ、朝夕往生極楽を願ふことはかなひなんや。これ、きはめておぼつかなし。仏に問ひたてまつりて、聞かせたまへ」
とのたまひければ、たちまちに定に入つて、このことを問ひたてまつる。仏ののたまはく、
「木を切るには斧を下す。家に帰るには苦を辞することなし」
とのたまふ。この二つのことを聞きて、道綽に語りたまひけりとなん。
かくいへる意は、木を切るには、いかに大なる木といへども、たゆみなくこれを切れば、つひにとして切り倒さずといふことなし。怠りて、切り休むべからず。家に帰るには、また、苦しとて、中にとどまることなかれ。這ふ這ふも、必ず行き付くべし。こころざし深くして怠らずは、疑ひあらざる由を教へたまへるなり。このこと、道綽に限るべからず。もろもろの行者、同じかるべし。

