『発心集』第7巻 現代語訳全文|わかりやすい口語訳で読む

 このページでは、鴨長明『発心集』第7巻(第76話~第88話)の現代語訳全文を掲載しています。原文の内容を保ちながら、言葉や文法を一つずつ置き換える逐語訳ではなく、わかりやすさを重視した自然な口語訳にしました。また、人名・地名・仏教語などの読みにくい漢字には、現代仮名遣いによる振り仮名を付けています。

 原文と照らし合わせたい方は、『発心集』第7巻 原文全文(ふりがな付き)をご覧ください。現代語訳にあたっては、本文の解釈や段落分けについて、以下の文献を参考にしています。

目次

第76話 恵心僧都のそのかみ空也上人

 昔、恵心僧都えしんそうずが、

「ぜひ空也上人くうやしょうにんにお会いしたい」

 と思い、訪ねてきたことがあった。

 空也上人はすでに年老いていたが、徳の高さが自然に表れていて、普通の人とは思えない姿だった。

 恵心僧都は、その尊い様子に心を打たれ、死後の救いについて尋ねた。

「私は極楽浄土へ生まれたいと、心から願っています。はたして、往生を遂げることができるでしょうか」

 空也上人は答えた。

「私は何も知らない人間です。そのような大切なことを、正しく判断する力などありません」

「ただ、以前、学識のある人が話していたことを思い合わせると、どうして往生できないことがあるだろうと思います」

「人が六行観ろくぎょうかんという修行をして、より高い世界の境地へ進もうとする時には、今いる世界は粗く、苦しく、修行の妨げになる所だと考えます」

「そして、上の世界は静かで、すばらしく、迷いから離れた所だと信じます」

「下の世界を嫌い、上の世界を強く願えば、その心の力によって、少しずつ上の境地へ進み、ついには非想非非想処ひそうひひそうしょという最上の世界へ至ると説かれています」

「西方極楽浄土を目指す人も、これと同じです」

「知恵がなく、立派な修行を積んでいなくても、この汚れた世界を心から嫌い、浄土へ生まれたいと強く願うなら、どうして往生できないことがあるでしょう」

 恵心僧都は、この言葉を聞いて言った。

「本当に、そのとおりです」

 そして涙を流し、手を合わせて、帰っていった。

 のちに恵心僧都は『往生要集おうじょうようしゅう』を著した。

 その時、この空也上人の言葉を思い出し、まず、

「汚れた世界を嫌い、離れること」

「清らかな浄土を心から願い、求めること」

 を説いたのである。

第77話 この上人雲林院に住みたまひけるころ

 空也上人くうやしょうにん雲林院うりんいんに住んでいたころのことである。

 七月のある朝、京で用事があり、大宮大路おおみやおおじを南へ歩いていた。

 すると、大きな垣根のそばで、普通の人とは思えない男と出会った。

 真夏だというのに、その男はひどい寒さに苦しんでいるように見える。

 空也上人は不思議に思い、立ち止まって尋ねた。

「あなたは、どなたですか。これほど暑い季節なのに、どうしてそんなに寒そうにしておられるのですか」

 男は答えた。

「あなたが空也上人でいらっしゃいますか」

「以前から、ぜひお会いして悩みを申し上げたいと思っていました。今日こうしてお会いできて、本当にうれしく思います」

「私は、松尾大明神まつのおだいみょうじんです」

「誤った考えや迷いの嵐が激しく吹き、悪い行いと煩悩ぼんのうの霜が厚く降り積もっているため、この寒さに耐えられないのです」

「どうか法華経ほけきょうを読み、その功徳くどくを私へ与えていただけないでしょうか」

 空也上人は、神が自分へ頼み事をするとは、あまりにも恐れ多く、ありがたいことだと思った。

「承知しました。松尾大社まつのおたいしゃへ参り、法華経を読んで、その功徳を差し上げましょう」

「それとは別に、今、私が下に着ている小袖こそでは、四十年以上、朝も夜も、起きている時も寝ている時も、法華経を読み続けてきた衣です」

「長年着ていたため、垢で汚れています。このようなものを差し上げるのは恐れ多いのですが、どうか受け取ってください」

 空也上人が小袖を脱いで渡すと、松尾大明神は喜んで身に着けた。

「今、この法華経の功徳が染み込んだ衣を着て、たいへん暖かくなりました」

「これから先、あなたが悟りを開くまで、必ずお守りしましょう」

 松尾大明神は空也上人を伏し拝み、立ち去った。

 松尾大明神は、大通智勝仏だいつうちしょうぶつが日本の神となって現れた姿なのだろう。

 国を助け、仏の教えを守るため、この世へ姿を現した。

 その神が空也上人の徳を尊び、法華経の功徳を求めたのである。

 しかし、それ以上に尊いのは、四十年以上も着続けた小袖を、ためらわず神へ差し出した空也上人の心である。

 そもそも天慶年間てんぎょうねんかんより前、日本で念仏を唱える人は、ほとんどいなかった。

 空也上人が勧めたことで、人々はこぞって念仏を唱えるようになった。

 空也上人は、いつも阿弥陀仏あみだぶつの名を唱えながら歩いていたので、

阿弥陀聖あみだひじり

 と呼ばれた。

 また、市場の中で暮らし、人々へさまざまな仏事を勧めたので、

「市のひじり

 とも呼ばれた。

 橋のない所には橋を架け、井戸がなく、水に困っている村では井戸を掘った。

 空也上人こそ、日本で念仏を広めた最初の師といってよい。

 空也上人は、法華経と念仏の功徳によって、極楽往生ごくらくおうじょうを遂げたと伝えられている。

第78話 中ごろ左中将雅通といふ人ありけり

 昔、左中将雅通さちゅうじょうまさみちという人がいた。

 心がまっすぐな人で、若いころから法華経ほけきょうを読んでいた。

 特に提婆達多品だいばだったほんを深く信じ、毎日、十回、二十回と繰り返し読んだ。

 しかし朝廷へ仕え、多くの人と関わって生きる以上、望んでいなくても狩りや漁をしなければならないことがある。

 そうして、さまざまな罪を作ってしまった。

 雅通はいつも、法華経の次の言葉を口にしていた。

原文:浄心信敬不生疑惑者

超口語訳:心を清らかにし、仏の教えを信じ敬って、少しも疑いを起こさない人。

 雅通は最期を迎えた時にも、この言葉を唱えた。

 そして、さまざまなめでたいしるしが現れ、間違いなく極楽往生ごくらくおうじょうを遂げたと世間へ伝わった。

 ところが道雅朝臣みちまさあそんは、この話をまったく信じなかった。

「殺生を好み、世俗の中を駆け回ってきた人が、どうして極楽往生できるのか」

 そう言い続けて、何年かが過ぎた。

 ある時、道雅は六波羅蜜寺ろくはらみつじへ参り、人に知られないよう説法を聞いていた。

 すると牛車ぎっしゃの前にいた一人のあまが、仲間の尼へ、自分の夢の話を始めた。

「私は長年、極楽往生を願ってきました」

「けれども貧しいため、布施などの善い行いをする力がありません。朝も夕方も、そのことばかり嘆いていました」

「ところが昨夜、夢の中に一人の僧が現れ、こう言ったのです」

「嘆くことはない。心を正しく保ち、念仏を唱える人は、必ず極楽浄土へ生まれる」

「最近では、中将雅通朝臣が、まっすぐな心で法華経を信じ続けた。そのほかに大きな善い行いはなかったが、すでに極楽往生を遂げている」

 道雅は、その話を初めから終わりまで聞いた。

 それからは、雅通が極楽往生したことを信じるようになった。

 どのような修行であっても、心をまっすぐにし、そこへ明確な願いを重ね、功徳くどくを積むことが大切なのである。

 ある伝記には、次のような話がある。

 中国の并州へいしゅうでは、人々が七歳、八歳のころから仏道を求め、念仏を唱えていた。そのため、多くの人が極楽往生を遂げた。

 その中に、僧延法師そうえんほうしという僧がいた。

 僧延は考えた。

「念仏を唱えることだけが、極楽往生の方法ではないだろう」

 そこで、法華経を千回読む修行を始めた。

 百回目まで読んだ夜、僧延は夢を見た。

 自分の左右の脇から翼が生え、今にも空へ飛べそうになっている。

 不思議に思い、その翼をよく見ると、法華経の文字が一字残らず並んでいた。

 僧延は、なんと尊いことだろうと感動した。

「このまま極楽浄土へ飛んでいこう」

 そう思うと、体は西へ向かって飛び始め、たちまち極楽浄土へ着いた。

 僧延が七重に並ぶ宝の木の下へ降りると、翼に並んでいた文字が、六万九千あまりの仏へ変わった。

 すべての仏が光を放ち、阿弥陀仏あみだぶつを取り囲んで座っている。

 僧延は、その尊い光景を見て、涙が止まらなかった。

 阿弥陀仏が言った。

「ここにいる仏たちは、すべて、あなたが読んだ法華経の文字である」

「あなたは極楽浄土へ生まれることを願っているが、今は、まだ娑婆世界しゃばせかいへ戻りなさい」

「法華経を千回読むという願いを最後まで果たし、多くの人々へ教え、この経を信じさせなさい」

 僧延がその言葉を受け、帰ろうとすると、大勢の仏は再び文字となり、もとのように翼へ変わった。

 帰る時にも、来た時と同じように空を飛んだ。

 夢から覚めた僧延は、涙を抑えられなかった。

 全身を地面へ投げ出して礼拝し、夢の中で会った仏たちを拝んだ。

 そして、いっそう深い信仰心を起こし、法華経を読み続けたという。

 また、中国に恵超禅師えちょうぜんじという人がいた。

 恵超は法華経を深く信じ、長年読み続けていた。

 修行の功徳が積み重なったころ、どこから来たのか分からない、小さな法師が一人、恵超へ仕えるようになった。

 この小法師は賢く、まだ言葉にしていないことまで理解し、恵超が心の中で思っていることさえ読み取った。

 どのような仕事もこなし、恵超の望みへ少しも逆らわない。

 恵超は、これほどすばらしい従者はほかにいないと思い、大切にした。

 その後、恵超は、真言密教しんごんみっきょうがたいへんすぐれた教えであると聞いた。

「法華経は八巻もあり、すべて読むのは大変だ」

「それに比べて真言は、文字は少ないのに、意味は非常に深い。唱えやすく、得られる功徳も、はるかに大きいだろう」

 そう考え、法華経の修行をやめ、真言密教だけを学び、胎蔵界たいぞうかいの修行を始めた。

 すると、それまで毎日仕えていた小法師が、かき消すようにいなくなった。

 恵超は隅々まで捜したが、どこへ行ったのか、まったく分からない。

 小法師を失ったことを嘆きながら眠った夜、夢の中へ、あの小法師が現れた。

「私は本当は、地蔵菩薩じぞうぼさつです」

「あなたが法華経の修行へ打ち込んでいることを尊く思い、これまで仕えてきました」

「ところが、あなたは志を変え、法華経を捨てて真言を学び始めました。それが残念で、私は去ったのです」

 この夢は、真言密教が法華経より劣っていると言っているのではない。

 長い間、力を注いできた修行を途中で捨てた、その誤りを地蔵菩薩ぼさつが注意したのである。

 そもそも釈尊しゃくそんは、この世で教える役目を終え、涅槃ねはんへ入った。

 しかし法華経は、釈尊の生身の代わりとなり、あらゆる人々を救い続けている。

 迷いに耐える力もなく、悟りも得ていない、未熟な凡人である私たちが、果てしない過去にも名前さえ聞けなかった、この平等で偉大な教えへ出会えた。

 これは、ただの偶然ではない。

 釈尊が、縁のない者まで救おうとする深い慈悲と、何の見返りも求めない誓いを立てたからである。

 私たちには、仏道を求める心が少ししかない。

 それでも岩や木ではなく、心を持つ人間である。

 この広大な恩へ、どうすれば報いることができるだろう。

 ただ法華経の一文、一句だけでも、信じ、読み、唱える。

 その行いによって、仏から受けた恩へ報いようとするべきである。

 仏は、迷いの世界で最も尊い存在であり、自由自在の不思議な力を持っている。

 足りない物など何もなく、思いどおりにならないこともない。

 その仏が、ただ一つ悲しんでいることがある。

 それは私たちが、生と死を繰り返す海の底へ沈み、いつまでも浮かび上がれずにいることである。

 仏は一人っ子を心配する親のように、少しも嫌にならず、私たちを悲しみ続けている。

 一人の人間が悟りを得ることは、仏にとっても、果てしなく長い年月をかける大仕事なのだろう。

 そのため仏は、さまざまな手段を考え、いろいろな姿でこの世へ現れ、私たちと縁を結ぼうとし続けているのである。

 法華経の法師品ほっしほんには、

「一つの詩、一つの句だけでも、読み、心に保ち、書き写して供養する人は、皆、仏になることができる」

 と、未来の成仏を保証している。

 さらに、次のようにも説かれている。

原文:若暫持者我則歓喜

超口語訳:もし、ほんのわずかな間でも、この教えを心に保つ人がいれば、私は心から喜ぶ。

 この言葉を聞けば、法華経を信じることは、自分の救いになるだけではないと分かる。

 仏の心を喜ばせるためにも、たいへん大切なことなのである。

 『孝経こうきょう』という書物には、

「人の子が、体に欠けたところなく生まれてくることが、親孝行の始まりである」

 と書かれている。

 子どもが健康に生まれることは、本人が自分の意思でしたことではない。

 それでも父母が喜ぶので、そのこと自体が親孝行になるのである。

 法華経を信じることも、それと同じだ。

 多くの財産を差し出して供養しなければならないのなら、貧しい人にはできないと言えるだろう。

 しかし、すでに広く伝わっている法華経を、ほんの少し心に保つことが、それほど難しいだろうか。

「全巻をすらすら読めるようになり、一文ずつ意味を解釈しなさい」

 とまで説かれているわけではない。

 物覚えが悪く、知識がないからといって、自分には無理だと諦めてはいけない。

 世の中には教えてくれる人が大勢いるので、師を求めて千年もさまよう必要もない。

 法華経の修行には、受持、読経どきょう、暗唱、解説、書写という五つの方法がある。

 どれを選ぶかは、その人の好みや力に応じればよい。

 一つの詩、一つの句だけでも法華経と縁を結ぶことは、決して難しい修行ではない。

 それなのに、習おうとせず、読もうとしないから、いつまでも読めないのである。

 たった一つの詩さえ心に保とうとしない人は、信仰心が薄く、仏の言葉を疑っているのだろう。

 または、知識だけは多いため、

「こんな小さな修行をしているところを、人に見られたら恥ずかしい」

 と思っているのかもしれない。

 これは、きわめて愚かな考えである。

 たった一文、一句であっても、飢え、渇いた人が水へ飛びつくように、

「この教えへ出会うことも、聞くことも、本当は難しい」

 と考え、仏との縁を結ぶべきだ。

 近ごろのことだろうか。

 ある学識のある人が落ちぶれ、大勢の子どもを抱えて暮らしていた。

 その人は、子どもが言葉を話せるようになると、必ず法華経の題名の文字を教えた。

 意味も分からず、ただ形だけであっても、まず唱えさせたのである。

 四歳、五歳ほどになると、その子の力に応じて、一品、あるいは一巻まで、一句ずつ親の口まねをさせて読ませた。

 ある人が、その理由を尋ねた。

「法華経は、仏がこの世へ現れた最大の目的を説いた教えです」

「もし、この子どもたちの命が短く、幼いまま死ぬことがあったなら、人間に生まれた証しとして何を残せるでしょう」

「それでは、宝の山へ入ったのに、何も持たず出てくるようなものです」

「だから、少しでも早く、法華経と縁を結ばせているのです」

 多くの人が集まる行事を見れば、人間はどこにでもいるので、人として生まれることが難しいとは思えない。

 しかし本当は、前世で戒めを完全に守った人が、次の世でも人間へ生まれると説かれている。

 そう考えれば、人として生まれることは、たいへん難しいはずである。

 今の世の人々を見ると、たった一つの戒めさえ守れない。

 まして五戒ごかいをすべて守ることなど、ほとんどできない。

 朝から晩まで、地獄、餓鬼がき、畜生へ落ちる原因となる行いばかり作っている。

 それでも人間が絶えないのは、法華経が広く伝わり、人々が知らないうちにも、その教えと縁を結んでいるからである。

 法華経の宝塔品ほうとうほんには、次のように説かれている。

原文:此経難持若暫持者乃至是名持戒

超口語訳:この経を心に保ち続けることは難しい。しかし、ほんのわずかな間でも保つ人は、戒めを守る人と呼ばれる。

 つまり、普段は戒めを破っている人でも、少しの間、法華経を信じれば、戒めを守る者と認められるということである。

 なんとも心強い教えだ。

 しかも、同じ経文の続きには、次のようにある。

原文:是則勇猛是則精進

超口語訳:その人こそ本当に勇気のある人であり、その人こそ修行へ励む人である。

 もともと強い信仰心があり、法華経を保つことが簡単な人だけへ向けた言葉ではない。

 心が弱く、修行を怠りがちな人のために説かれた言葉なのである。

 仏の教えが衰え、世の中の濁りが深くなった時代に、法華経を最初から最後まで暗唱できる人がいる。

 これは、過去の生で相当な善い行いを積んだ人でなければ、できないことだろう。

 そのような人なら、生きている間に不思議な証しが現れ、最期にも、めでたいしるしがあるはずだと思われる。

 ところが、必ずしもそうではない。

 今の世には法華経を読む人は多いが、日ごろの振る舞いまで整っている人は少ない。

 特別な奇跡が起こるわけでもない。

 その姿を見て、周りの人が信仰心を起こさないこともある。

 確かに不思議なことだ。

 しかし、よく考えてみれば、その人は過去の生から何度も法華経へ出会ってきたので、文字を知らなくても自然に暗唱できるのだろう。

 その一方で、何度生まれ変わっても、名誉や利益のために読んできたので、本当の信仰心が起こらなかった。

 そのため、今も迷いの世界へ残り、日ごろの振る舞いも整わないのだと思われる。

 それでも、その人を決して軽蔑してはならない。

 金は藁に包まれていても、価値を失わない。

 法華経を読む人も同じである。

 過去に結んだ仏との縁があり、遠い未来には悟りを得ることが決まっている。

 今の振る舞いだけを見て、見下してはいけないのである。

第79話 中ごろ賀茂女といふ歌詠みあり

 昔、賀茂女かものおんなと呼ばれる歌人がいた。

 さまざまな機会にすぐれた歌を詠み、世に名を知られた女性である。

 陰陽師おんみょうじ賀茂保憲かものやすのりの孫で、二条関白家にじょうかんぱくけ女房にょうぼうとして仕えていた。

 のちにあまとなり、妙と名乗った。

 たいへん信仰心が深く、何が起きても心を動かされない人だった。

 普段から、立っている時も座っている時も、起きている時も寝ている時も、

常住仏性じょうじゅうぶっしょう

 という四文字を唱え続けた。

 その意味は、

「仏となる性質は、すべての人の中へ、いつまでも存在し続ける」

 ということである。

 賀茂女は最後まで、この言葉を唱え続け、願っていたとおり極楽往生ごくらくおうじょうを遂げたと、伝記へ記されている。

 「常住仏性」は『涅槃経ねはんぎょう』の中心となる、たいへんすばらしい教えである。

 ただ、もともとは極楽往生のための修行として説かれた言葉ではない。

 それでも人は、過去から身につけてきた修行を行い、その功徳くどくを極楽往生のために振り向けることができる。

 だから、普通の人が、

「その修行では往生できない」

 などと、勝手に決めつけてはならない。

 また、ある伝記には、次のような話がある。

 昔、中国の揚州ようしゅうに、

「常住という言葉を聞いた人は、決して地獄や餓鬼がきなどの悪い世界へ落ちない」

 と説く人がいた。

 ある在家の仏教徒は、それを疑い、あざ笑って言った。

涅槃ねはん経を最初から最後まで聞いたとしても、重い罪を犯せば、その報いから逃れることは難しい」

「まして、常住という、たった二文字を耳にしただけで救われるはずがない。そんな話は信じられない」

 その後、この男は死に、閻魔王えんまおうの裁判へ呼び出された。

 地獄の役人は、男の過去を調べて言った。

「お前は大乗仏教の教えを悪く言った者だ。すぐに地獄へ送らなければならない」

 男は答えた。

「私が教えを悪く言った罪を受けるのは、涅槃経について話したからでしょう」

「それなら同じ時に、常住という二文字を耳にした功徳も、消えるはずはないのではありませんか」

 その時、空中に光が現れた。

 光の中から声がして、次の言葉を唱えた。

原文:若信若不信纔聞常住字不堕悪即生不動国

超口語訳:信じた人も、信じなかった人も、わずかに常住という言葉を聞いただけで、悪い世界へ落ちず、すぐに揺るぎない仏の国へ生まれる。

 地獄の役人は、その言葉を聞いて信仰心を起こし、男の罪を許したという。

 法華経ほけきょうや『涅槃経』の教えは、それを信じているか、疑っているかに関係なく、たいへん尊い。

 耳で聞き、口で唱えれば、知識がある人も、何も知らない人も、皆、浄土へ生まれるための行いとなる。

 白檀びゃくだんの香りは、ほんの少し触れただけでも、深く身へ移る。

 剣は、それを使う人が仕組みを知らなくても、触れた物を切る。

 仏の教えが人へ与える力も、それと同じなのである。

 日本や中国の伝記を読むと、修行そのものが小さくても、その功徳を振り向ける願いが深ければ、目的を果たせると分かる。

 橋を架けること、道を作ること、舟をこいで人を渡すこと、物を施すこと、人を喜ばせること。

 どれも極楽往生のための修行になり得る。

 人が仏の教えを初めて耳にし、心を動かされ、修行を重ね、最後に悟りを得るまでの歩みは、一人ひとり違う。

 それは過去の生で身につけた習慣や、仏との縁が違うためである。

 ある人は人と親しく交わることを修行とし、ある人は酒を好み、ある人は一見すると戒律かいりつへ反するような振る舞いをした。

 それでも釈尊しゃくそんは、和須蜜多わしゅみった祇陀太子ぎだたいし天須菩提てんしゅぼだい面王比丘めんのうびくの、それぞれ異なるあり方を否定しなかった。

 そのことからも、人によって悟りへ近づく方法が違うと理解するべきである。

 阿弥陀仏あみだぶつが人を救う方法も、同じである。

 阿弥陀仏は、一人ひとりの過去からの執着や志、その進み方が違うことを、すべて知っている。

 だから、あらゆる人を救うため、広大な誓いを立てた。

 極楽浄土には九つの段階を用意し、知恵と徳のある人から、十悪や五逆罪ごぎゃくざいを犯した悪人まで、一人も救いから漏らさなかった。

 念仏や読経どきょうだけでなく、ちょっとした遊びや戯れでさえ、その人が功徳を極楽往生のために振り向ければ、阿弥陀仏は救い取ってくれる。

 ところが今の修行者は、自分とは違う修行を互いに悪く言い、どちらの知恵が深いかを争っている。

 自分への執着ばかりが強くなり、仏の教えが本来目指す方向へ背いている。

 同じ西方極楽浄土を目指す修行の中へ、勝手に境界線を引く。

 本当なら親しく思うべき、同じ願いを持つ者へ、対抗心や恨みを抱く。

 私には、そのことが愚かで、何の意味もないように思える。

 そもそも普通の人間は、自分の心さえ、自分の思いどおりにできない。

 まして、他人の心を思いどおりにできるはずがない。

 結局、自分の修行は自分で考え、自分で励むしかない。

 死という鬼が迎えに来る前に、迷いの世界から抜け出すための修行を進めるべきだ。

 むやみに疑う人と出会い、残された貴重な時間を、無益な議論へ使うべきではないのである。

第80話 太子の御墓に覚能といふ聖ありけり

 聖徳太子しょうとくたいしの墓の近くに、覚能かくのうというひじりがいた。

 音楽を愛する気持ちは、普通の人とは比べものにならないほど深かった。

 朝から晩まで何をしていたかというと、板切れを使って、琴や琵琶びわに似た小さな楽器を作っていた。

 弦の代わりに馬の尾の毛を張り、楽しそうに弾き鳴らす。

 また竹を切り、笛の形に削って、それを吹いた。

 覚能は自分で作った楽器を演奏し、夢中になって言った。

「極楽浄土で菩薩ぼさつや聖者たちが奏でる音楽は、どれほどすばらしいことだろう」

 そう言って、感動の涙を流した。

 これが毎日の修行だったので、覚能の周りには手作りの楽器がたくさん散らばっていた。

 ところが、近くにいる子どもたちが、おもちゃにして持っていき、なくしてしまうことがある。

 覚能は信仰心の深い人だったが、怒りっぽいところもあったので、その時には大声で叱りつけた。

 長い年月が過ぎ、覚能は最期を迎えた。

 願っていたとおり、耳に美しい音楽が聞こえる中で亡くなった。

 その遺体は長い間、腐ることも、形が崩れることもなかった。

 近くの人々は、覚能を仏のように尊び、大勢集まって拝んだ。

 ところが四十九日目になると、遺体は、どこへ行ったのか分からないまま消えていた。

 これは、今から五十年ほど前の出来事である。

 今も年老いた人の中には、実際に覚能を見た人がいるかもしれない。

 音楽であっても、その功徳くどくを浄土へ生まれるために振り向ければ、極楽往生ごくらくおうじょうのための修行となるのである。

 今の世に、徳の高い人として知られる、ある聖がいる。

 ある人が、その聖と会った時に尋ねた。

「普段は、どのようなことを修行しているのですか。また、どの世界へ生まれることを願っておられるのですか」

 聖は答えた。

「私は、どこへ生まれたいとも、特に決めていません」

「ただ、仏が、してはいけないと戒めたことは、絶対にしないよう努力しています」

「反対に、仏が勧めたことは、自分の心と力が及ぶかぎり、実行しようと努めています」

「あとは仏が判断し、ふさわしい場所へ連れていってくださるでしょう」

「自分の行いが仏の心へかなっているかも分からないのに、私のような者が、あの世界へ行きたい、この世界へ行きたいと、勝手に願うのは身の程を知らないことだと思うのです」

 このように、すべてを仏へ任せる心が、仏の望みへかなっていたのだろう。

 聖は、たいへん立派な最期を迎えた。

 座ったまま息を引き取り、仏の印を結んだ両手は、二日、三日たっても動かなかったという。

 一般には、どれほど大きな功徳を積んでも、はっきりとした願いがなければ、その願いを実現することは難しい。

「牛にどれほど強い力があっても、進む方向を決める人がいなければ、目的地へは着かない」

 と、たとえられている。

 しかし、人の考え方は一人ひとり違う。

 行き先を自分で決めず、すべてを仏の判断へ任せる、この聖の心もまた、たいへん尊い。

 昔、学問にすぐれた博士はかせがいた。

 博士が重い病気にかかり、最期を迎えようとしていた時、正しい死を迎えさせるため、一人の僧が訪ねてきた。

 僧が念仏を勧めても、博士は長年の執着を捨てられない。

 死の直前になっても、心は美しい自然や文学にばかり向かい、念仏へ気持ちを集中できない様子だった。

 この僧は、人の心をよく理解できる人だったのだろう。

 念仏を無理に勧めるのをやめ、しばらく博士の好きな文学や風景の話へ付き合った。

 博士の気持ちがほぐれ、うれしそうな様子になったところで、僧は言った。

「あなたは長年、すぐれた詩句を数多く作り、立派な文章を書き残してこられました」

「それなのに、極楽の賦という文章を書かないまま、亡くなろうとしておられる。それは、本当に残念なことです」

「この世の美しい風景でさえ、捨てがたいものがたくさんあります」

「まして極楽浄土の飾りや景色には、どれほど豊かな美しさがあるでしょう」

 博士が最も関心を持っていたことなので、極楽浄土の姿が、目の前へ浮かぶように心へ現れた。

 それが浄土を願うきっかけとなり、博士は念仏を唱え、望んでいたとおりの最期を迎えた。

 臨終に付き添う人は、病人の心を十分に理解し、その人に合った導き方をしなければならない。

 ある人は、この博士が保胤入道やすたねにゅうどうだったと語っていた。

 しかし保胤は、並外れて信仰心の深い人である。

 臨終の時に、仏以外のことへ心を奪われたとは考えにくい。

 また、吉田斎宮よしださいぐうと呼ばれる高貴な女性がいた。

 重い病気にかかり、最期を迎えた時、大原の薬忍上人やくにんしょうにんが、臨終を導くために訪ねてきた。

 上人が念仏を勧めると、吉田斎宮は、驚くほどしっかりとした様子で、仏の大切な言葉を次々と唱え、見事な最期を迎えたように見えた。

 すぐそばに仕えていた人々は涙を流し、その立派な姿を尊んだ。

 ところが薬忍上人は、何を思ったのだろう。

 その場で念仏を唱えながら、少し眠り、急いで帰ろうとはしなかった。

 周りの人々が不思議に思っていると、しばらくして吉田斎宮は息を吹き返した。

 それから四時間ほどたったころ、今度は先ほどと違い、たいへん弱々しい様子で、本当に息を引き取った。

 薬忍上人は言った。

「これこそ、本当のご臨終です。先ほどの様子は、あまりにも立派すぎて、不自然でした」

 そう言って立ち去った。

 人々は、薬忍上人の徳によって、魔物の仕掛けを見抜いたのだと語った。

 このようなこともあると、よく理解しておかなければならない。

 また、ある人が病気で死にかけていた時、臨終を導く僧がそばへ付き添い、念仏を勧めた。

 しかし病人は、まったく念仏を唱えない。

 呼びかけても反応がないので、僧は、

「もう耳も聞こえないのだろう」

 と思い、病人の耳元へ口を近づけ、大声で念仏を唱え続けた。

 まもなく病人が死んだように見えたので、僧は念仏をやめた。

 ところが、その人は息を吹き返し、あとで次のように語った。

「耳元へ大声で念仏を叫び込まれると、その音が全身へ響き、苦しくてたまりませんでした」

「あまりのつらさに、極楽往生のことなど、まったく考えられませんでした」

 これは、誰にでも起こり得ることである。

 臨終へ付き添う時の注意として、ここへ書き記しておく。

第81話 小野宮の右大臣をば世の人賢人の大臣とぞ

 小野宮おののみや右大臣うだいじんは、世間の人から、

「賢人の大臣」

 と呼ばれていた。

 まだ納言ほどの位だったころのことだろうか。

 宮中から牛車ぎっしゃで帰る途中、現実とも夢とも分からない、不思議な出来事が起きた。

 牛車の後ろを、白っぽい姿の者が追いかけてくる。

 小さな男で、こちらを見ているようにも思えないのに、たいへん速い足取りで近づいてきた。

 右大臣は不思議に思い、注意して見ていた。

 男は牛車へ追いつくと、後ろのすだれを持ち上げた。

 右大臣は、いったい何をするのかと思い、言った。

「何者だ。無礼である。すぐに離れなさい」

 男は答えた。

「私は閻魔王えんまおうの使い、白髪丸しらがまるです」

 そう言うと牛車へ飛び乗り、右大臣の冠の上まで登って、姿を消した。

 右大臣は、たいへん不思議に思った。

 家へ着き、鏡で自分の頭を見ると、髪の中に一本だけ、白髪が生えていた。

 世間で語られている話だが、右大臣は老いと死のしるしを、実際に見せられたのだろう。

 それまでは特に仏道を求めていなかったが、この出来事から、死後のための修行へ、いつも励むようになった。

第82話 中ごろ三井寺にわりなく貧しき僧ありけり

 昔、三井寺みいでらに、どうしようもないほど貧しい僧がいた。

 僧は貧しさに苦しみ、考えた。

「この寺には、私を助けてくれる縁がないのだろう」

「それにしても、何を願っても、これほど思いどおりにならないことがあるだろうか」

「どこか別の土地へ行き、自分の運を試してみよう」

 昼間に旅立てば、みすぼらしい旅姿を人に見られてしまう。

 そこで、まだ暗い明け方に寺を出ようと、夜中に起きた。

「この先の旅も、きっと大変だろう。出発前に、もう少しだけ休んでおこう」

 僧が横になると、夢を見た。

 顔色が青く、痩せ衰えた、ひどく貧しそうな若者がいる。

 僧と同じように藁沓わらぐつを用意し、旅立つ準備をしていた。

 これまで一度も見たことのない者だったので、僧は不思議に思い、尋ねた。

「お前は何者だ」

 若者は答えた。

「私は長年、あなたへお仕えしてきた者です」

「いつも、あなたから離れない身ですから、今回の旅にもお供しようと思い、支度をしています」

 僧は言った。

「そのような者がいたとは知らなかった。名前は何というのだ」

 若者は答えた。

「立派な身分ではないので、本名ではなく、あだ名で呼ばれています」

「私を見る人は、貧乏の冠者かじゃと呼びます」

 そこで僧は、夢から覚めた。

 自分が貧しいのは、前世から定まった運命なのだと、すぐに理解した。

「どこへ行っても、この貧乏の冠者が付いてくるのなら、場所を変えても意味はない」

 僧はよそへ移ろうとする考えを改め、みすぼらしい暮らしのまま、もとの寺へ住み続けた。

 前世からの報いによって、暮らしに差が出ることは、当然あるだろう。

 しかし誰もが夢の中で、その報いを見せてもらえるわけではない。

 だから自分の運命を知らず、残り少ない人生の貴重な時間を使い、死後のための修行を後回しにして、

「もしかすると、今度こそ豊かになれるかもしれない」

 と、あちらこちらを走り回り、心をすり減らすのである。

 その姿をすべて見ている仏や神に対して、本当に恥ずかしいことである。

第83話 元興寺に伊賀の聖道寂といふ人ありけり

 元興寺がんごうじに、伊賀いがひじりと呼ばれる道寂どうじゃくという人がいた。

 善い行いには善い結果が、悪い行いには悪い結果が生じるという因果の道理を理解し、深く仏道を求めていた。

 まだ若いころ、長谷寺はせでらへ参り、

「どうか、仏道を求める心を私へお与えください」

 と祈った。

 その夜、夢の中に一人の僧が現れ、教えた。

「仏道を求める心には、決まった形などない。ただ、今あなたが持っている、このような心を道心というのだ」

 道寂は夢の言葉を受け、すぐに世俗を離れて出家した。

 あちらこちらで修行したあと、飛鳥寺あすかでらの近くへ小さないおりを結んだ。

 そこで座禅ざぜんと念仏へ励み、決まった修行としては、小阿弥陀経しょうあみだきょうを毎日一回読んだ。

 道寂もまた、極楽往生ごくらくおうじょうを遂げたという。

第84話 恵心僧都年たかくわりなき母を持ちたまひけり

 恵心僧都えしんそうずには、年老いて生活に困っている母がいた。

 母を大切に思う気持ちは深かったが、僧都自身にも余裕がなく、思うように親孝行できないまま年月が過ぎていた。

 ある時、身分の高い人の家で仏事が行われ、恵心僧都は、説法をする導師として招かれた。

 多くの布施をもらうことができたので、僧都はたいへん喜び、すぐに母のもとへ、すべて持っていった。

 母は日々の暮らしにも困っていた。

 恵心僧都は、

「これを見れば、どれほど喜んでくれるだろう」

 と思った。

 ところが母は、布施の品を見ると、後ろを向き、声を抑えながら泣き始めた。

 僧都は理由が分からず、

「あまりにうれしくて、泣いているのだろうか」

 と思った。

 しばらくして、母が泣きながら言った。

「息子が僧になったのだから、私も死後は救ってもらえるだろう。長い間、そう信じ、頼みにしてきました」

「それなのに、この目で、あなたが地獄へ落ちる原因となる財産を受け取る姿を見ることになるとは、夢にも思いませんでした」

 母は最後まで言うことができず、泣き続けた。

 恵心僧都は、その言葉を聞いて、心から仏道を求める決意を固め、世俗を離れた。

 なんと信仰心の深い、尊い母だったのだろう。

第85話 一年東大寺の大仏供養の時

 ある年、東大寺とうだいじで大仏の供養が行われた。

 全国から大勢の人が、一人残らず集まったかと思えるほど、境内はにぎわっていた。

 大仏建立のため寄付を募ったひじりが、夢を見た。

 夢の中へ一人の高僧が現れ、告げた。

「ここには、身分の高い人も低い人も、僧も俗人も、数えきれないほど集まっている」

「その中で、大夫阿闍梨実印たいふあじゃりじちいんという僧が、果てしない過去から積み重ねてきた罪を、今、すべて消している」

 聖は、なんと尊いことだろうと思った。

 目を覚ますと、

「実印という人が、この中にいるか」

 と人々へ捜させ、やがて本人を見つけた。

 聖は実印へ夢の内容を話し、尋ねた。

「それにしても、あなたは今日、どれほど大きな修行をなさったのですか。ぜひ詳しく教えてください」

 実印は答えた。

「特別なことは、何もしておりません」

「ただ、大仏の前へお仕えした時、いつも以上に深い信仰心が起こりました」

「ほかのことを何も考えず、こぼれる涙を押さえながら、理趣経りしゅきょうの一部分を、たった一回読んだだけです」

 心から行った、わずか一度の読経どきょうによって、実印のすべての罪は消えたのである。

第86話 中ごろ安房守源親元といふ人ありけり

 昔、安房守源親元あわのかみみなもとのちかもとという人がいた。

 親元はいつも前世から積み重ねてきた罪を悔やみ、朝も夕方も、極楽浄土へ生まれたいと深く願っていた。

 検非違使けびいしを務めていた時には、人々へ物を施し、罪を軽くし、命を助けることが多かった。

 やがて東山ひがしやまのあたりへ堂を建て、阿弥陀三尊あみださんぞんを安置した。

 さらに、そのそばへ、一人の僧の像を作って置き、

「安法」

 と名づけた。

 これは、自分が将来、出家した時に名乗るつもりの名前だったのだろう。

 その後、親元は安房守となり、任地へ下った。

 普通なら、任地へ着いた初めには、土地の神を祭る行事を優先する。

 しかし親元は神事を先にせず、仏事ばかりを行った。

 安房国あわのくにを治めている間に、現地へ五間の堂を建て、一丈六尺いちじょうろくしゃく阿弥陀仏あみだぶつを安置した。

 また国中の人々へ、広く念仏を勧めた。

 唱えた念仏の回数に応じて、納める税を免除し、米一石分につき十万回の念仏を割り当てた。

 罪を犯した人がいた時にも、念仏を唱える者であれば、選んで必ず許した。

 親元が国を治めている間、安房国は豊かになり、人々は心から親元へ従った。

 朝夕に念仏を唱える声が、どの家からも絶えることなく聞こえた。

 その評判は隣の国々まで伝わり、人々は、うらやましく思う一方、そのすばらしさを尊んだ。

 任期が終わり、親元が都へ帰る時、人々は父母と別れるように嘆き悲しんだ。

 親元は都へ入る前に三井寺みいでらへ立ち寄り、そのまま出家した。

 最期が近づくと、耳には言葉で表せないほど美しい音楽が聞こえ、さまざまな、めでたいしるしが現れた。

 そして極楽往生ごくらくおうじょうを遂げたと、伝記へ記されている。

第87話 近く心戒坊とて居所も定めず雲風に跡を

 少し前まで、心戒坊しんかいぼうというひじりがいた。

 決まった家を持たず、雲や風に身を任せるように、あちらこちらを歩いていた。

 俗人だったころは、花園家の子孫だったという。

 八島やしまの大臣の子で、宗親むねちかといい、阿波守へ任じられた人なのだろう。

 昔、平家が滅び、栄えていた人々が目の前で跡形もなく消えていった。

 世の中のはかなさを見たことがきっかけだったのだろうか。

 宗親は仏道を求める心を起こした。

 以前から世を捨てていた仏性坊ぶっしょうぼうという聖の仲間となり、高野山こうやさんへ籠もって、長い間、修行した。

 その後、東大寺とうだいじの再建に尽くした聖が中国へ渡ることになり、心戒坊も、それを機会に一緒に渡った。

 中国へ何年も滞在したが、その修行は普通の人にできるものではなかった。

 自分の命を少しも惜しまなかった。

 ある時には、

「木の下へ座り、自然の中で座禅ざぜんを続ける」

 という修行をするため、三人の仲間と深い山へ入った。

 草を結んで、わずかな雨よけを作る準備さえしない。

 雨と露へ身をさらしたまま、四十日、五十日と修行を続けた。

 ほかの二人は耐えられず、心戒坊を残して山を出たという。

 その後、日本へ帰った心戒坊は言った。

「都の近くは、何かにつけて住みにくい」

 そして、原文に「ゑひすか」「あくろ」と記される場所や、津軽、壺の碑など、遠い東北の土地ばかりに住んでいたという。

 心戒坊には、妹が大勢いた。

 その一人は、天王寺てんのうじ理円坊りえんぼうと名乗り、暮らしていた。

 この女性は昔、建礼門院けんれいもんいん八条殿はちじょうどのという名で仕えていた人だったらしい。

 兄が山林をさまよい、住んだ跡さえ残さない暮らしをしていることは、かすかに聞いていた。

 しかし近年は、会うための手がかりさえない。

 今どこで、どのように暮らしているのか、まったく分からなかった。

 心戒坊の話は、もう昔話になったように思われていた。

 ところが二、三年前、思いがけない時に、見るからに異様な男が、妹の家へ入ってきた。

 大勢の子どもが後ろから付いてきて、

「物狂いだ」

 と笑い、騒ぎ立てている。

 その姿は、とても普通の人間には見えなかった。

 痩せて、肌の黒くなった僧である。

 汚れて、ぼろぼろに破れた紙の衣を着て、その上へ、ところどころを結び合わせた麻の衣を、わずかに肩へ掛けている。

 半分壊れた檜笠ひのきがさをかぶっていた。

 妹は、

「なんという姿でしょう。いったい何者なのですか」

 と思った。

 よく見ると、長年、行方が気にかかっていた兄の心戒坊だった。

 妹は目の前が暗くなり、言葉で表せないほど悲しくなった。

 あまりにひどい姿のまま近くで見るのもつらい。

 まず古い衣を脱がせ、身なりを整えさせた。

 それから、長年会えず、心配していた気持ちを、落ち着いて語り合った。

 妹は、兄へ心を込めて勧めた。

「もう、ずいぶんお年を召しました」

「体を苦しめて修行できる時には、十分に修行をなさいました」

「これからは、どこか一か所へ落ち着き、静かに念仏を唱えてください」

 妹は山崎やまざきへ小さないおりを建て、世話をする小法師を一人付けた。

 食べ物や暮らしに必要な物も、すべて用意して送った。

 心戒坊は小法師と二人で、そこで暮らし始めた。

 ある時、河内国かわちのくに弘川ひろかわへ住むという聖が、心戒坊を訪ねてきた。

 二人は会って、一晩中語り合った。

 小法師が隣の部屋で聞いていると、心戒坊は次のように話していた。

「このように落ち着いた暮らしをしていても、死後の救いのため、必ず修行できるとは思えません」

「一つの場所へ住めば、何かにつけて心を妨げるものが出てきます」

「ただ以前のように、行く先も決めず歩き続け、心を少しも汚さずにいたいと思うのです」

 小法師は、

「何かおかしい」

 と思った。

 それでも、すぐに心戒坊が姿を消すとは考えなかった。

 ところが四日、五日ほどすると、心戒坊は、どこへともなくいなくなった。

 小法師は思いやりの深い人だった。

 たいへん悲しみ、泣きながら捜し歩いたが、どこへ向かったのか、まったく手がかりがない。

 やがて、あの夜の会話で、

丹波たんばの方へ」

 という言葉を、わずかに聞いたことを思い出した。

 心戒坊を慕う気持ちのまま、丹波の方まで捜しに行った。

 すると穴太あのうという場所で、ようやく心戒坊を見つけた。

 心戒坊は思いがけない再会に、驚き、あきれた様子で尋ねた。

「どうやって、ここまで来たのですか」

 小法師は答えた。

「これまでお仕えしてきたのも、前世からの縁があったからでしょう」

「これから、どのような暮らしをなさっても、私はお供します」

 心戒坊は言った。

「その気持ちは、本当にありがたく、心に染みます」

 しかし一緒に連れていくことは、どうしてもできないと、きっぱり断った。

 今すぐ別の道へ行ってしまいそうな様子だったので、小法師は、しかたなく帰った。

 その後、心戒坊がどこへ行き、どうなったのかは、誰にも分からない。

 なんと尊い生き方だろう。

 この仏の教えが衰えた時代にも、このような人が実際にいる。

 その話を聞き、自分の信仰心の弱さを奮い立たせるべきだ。

 同じ生き方はできなくても、

「少しでも、この人へ近づきたい」

 と願うべきである。

 ここで、ある人は言うだろう。

「心戒坊のような修行は、私たち普通の人にできるものではない」

「一つには、体が弱いので、病気になってしまう」

「もう一つには、着る物や食べ物が足りなければ、かえって心が乱れてしまう」

「体を健康に保ち、心を静め、落ち着いて念仏を唱える方がよい」

 しかし、それは志が浅く、仏道を求める心が弱いから出る言葉である。

 本気の心を起こさなければ、仏道を完成させることは難しい。

 露のような命は、すぐに消える。

 仏道を求める一念の中へ、ほかのことを混ぜてはならない。

 ほんの短い間でも、心を乱すものは、毒蛇を捨てるように遠ざけるべきだ。

 欲望が次々と生まれる、この体を嫌い、仏道のために投げ出して、二度と迷いへ戻らない身を得ようと考えるべきなのである。

 たとえ病気になり、そのまま死んだとしても、この体に何の未練があるだろう。

 体は悪い行いを作るよりどころであり、汚れた物をためる倉である。

 最後には、道端の土へ戻る。

 少しの間、大切に守ったところで、何になるだろう。

 着る物や食べ物がどれほど得られるかは、生まれながらの運によって決まるともいわれる。

 天の運へ任せる生き方もある。

 病気になりやすいかどうかは、体をどのような環境へ慣らすかによっても変わる。

 どれほど体を大切にしても、必ず病気を避けられるわけではない。

 豊かな人が落ちぶれた例を見てみよう。

 裕福だったころ、その人は衣を厚く着て、薬を飲み、部屋へ幕を張り、あらゆる方法で体をいたわっていた。

 それでもいつも熱や風邪に悩まされ、心の休まる時がなかった。

 その人が貧しくなると、飢えと寒さに苦しみ、飲みたい薬も手に入らず、さまざまな悪い環境へ体をさらすようになった。

 以前なら、すぐ病気になり、死んでいたはずである。

 ところが、体を守ることを諦めたあとは、かえって病気まで消えていった。

 体は環境へ慣れるものであり、人の寿命にも、もともと限りがあるからだろう。

 まして仏の力が本当なら、どのような病気が、仏道を求める人の妨げとなるだろう。

 信仰心が燃え上がるほど強ければ、弱い体が強くなることもある。

 どれほど嫌っても、体は死ぬ。

 どれほど大切にしても、いつまでも保つことはできない。

 せっかく仏の教えへ出会い、極楽往生ごくらくおうじょうできる道を聞きながら、仮の体を守ることに夢中になり、五つの欲望へ縛られたまま、一生を終える。

 それほど、むなしいことがあるだろうか。

 阿弥陀如来あみだにょらいの慈悲深い誓いについて、ただ人へ勧める教えだけを聞けば、極楽往生は簡単なことに思える。

 しかし、よく考えなければならない。

 果てしない昔から繰り返してきた生と死の世界を離れ、善い行いに満ちた、楽しく、二度と迷いへ戻らない国へ生まれようとしている。

 心を起こし、努力しなければ、さすがに実現は難しいだろう。

 ところが今の人々は、心がほかへ散ったまま唱える、わずかな念仏だけを修行としている。

 そして最期の瞬間に、心を乱さず念仏へ集中できることを、簡単に期待する。

 極楽往生したほかの人々が、過去に積んだ善い行いや、外から見えない徳を知らず、

「自分にも簡単にできる」

 と考えている。

 それは、たいへん愚かなことである。

 もちろん、

「父母を殺すなど、五逆罪ごぎゃくざいを犯した人でさえ、最後に一度、阿弥陀仏あみだぶつの名を唱えれば救われる。それなら、私たちも往生を願ってよいはずだ」

 と思うことはできる。

 しかし極端に重い罪を犯す人は、もともと心の働きが激しく、強い。

 その人が深く反省する時にも、同じように激しく、強い心が起こるのだろう。

 たった一度の念仏で救いの証しを得るのは、命が終わる瞬間に、その強い心が起こるからである。

 一方、私たちのような人間は、もともと心が弱く、中途半端である。

 人を驚かせるほど重い罪を犯すこともできなければ、命がけで心から反省することもない。

 何をするにも気持ちが鈍く、泥を切るように、手応えがない。

 だから、

「今度の生で、必ず極楽往生を遂げよう」

 と心から決意した人は、すぐに名誉や利益を嫌い、自分の体と命への執着を捨て、熱心に修行し、いつも往生を願うべきだ。

 川を泳いで渡る人は、手を止めれば溺れて死ぬ。

 火を起こす人は、力を入れて木をこすり続けなければ、火を得られない。

 極楽往生も、それと同じである。

 心を一つにして努力し、決して怠ってはならない。

 もし、この世への執着が、まだ消えないのなら、静かに自分の体の正体を考えるとよい。

 そもそも、この体は確かな実体ではなく、長くこの世へ残せるものでもない。

 理由もなく、突然生まれたものでもない。

 生と死を繰り返してきた長い夢の中で、さまざまな原因と条件が一時的に集まり、過去の行いの結果として、仮に形を現しただけである。

 旅人が一晩だけ宿を借りるようなものだ。

 その仮の宿へ、どうして深く執着する必要があるだろう。

「体には、いつまでも変わらない主人はいない。魂にも、いつまでも住み続ける家はない」

 といわれるのは、そのためである。

 このように、体は、はかないものである。

 しかし心の使い方が賢いか、愚かかによって、体は自分を傷つける敵にもなれば、悟りへ導く善い師にもなる。

 ある経典には、次のように説かれている。

「人は一日の間に、八億四千もの思いを起こす。その一つ一つが、すべて罪につながっている」

 一年、二年の話ではない。

 一生だけの話でもない。

 始まりさえ分からない遠い昔から積み重ねてきた罪には、限りがない。

 その罪は影のように体へ付きまとう。

 たとえ迷いの世界で最も高い、非想非非想処ひそうひひそうしょへ生まれても、罪は離れない。

 そこで善い報いを受け終われば、罪はその人と一緒に、地獄、餓鬼がき、畜生という、なじみ深い三つの世界へ戻っていく。

 なぜ、これほど罪が深くなったのだろう。

 すべて自分の体を大切にしすぎたためである。

 体は罪の根本であり、心にとっては敵である。

 それなのに生きている間は、体と心が互いを大切に思い、守ろうとする。

 命が終われば、体はすぐ山へ捨てられ、鳥や獣の餌となる。

 一方、心は一人で死後の世界へ向かう。

 その時になって、

「最後まで連れていけない体を、どうして、あれほど大切にしたのだろう」

「体のために多くの罪を作り、今、このような苦しみを受けている」

 と恨み、後悔しても、何の役にも立たない。

 『雑阿含経ぞうあごんきょう』には、次のようなたとえがある。

 ある主人のもとに、一人の召使いがいた。

 どのような仕事も主人の望みどおりに行い、一つも失敗しない。

 主人は召使いを心から信頼し、朝も夕方も、我が子のように大切にした。

 召使いが欲しがる着物や食べ物は、すべて与えた。

 ちょっとした遊びや楽しみまで、何でも望みをかなえた。

「この者に、不自由な思いをさせてはいけない」

 と心を尽くし、召使いのために働く以外、何もしないほどだった。

 しかし、その召使いは、昔から敵が送り込んでいた手先だった。

 主人の深い思いやりを理解するはずがない。

 隙をうかがい、突然、主人を殺して、逃げていった。

 この話の召使いは、私たちの体である。

 主人は、心である。

 心が愚かなため、体が本当は敵であることへ気づかない。

 そして過去の善い行いによって得た命を失い、悪い世界へ落ちるのである。

 昔、目連尊者もくれんそんじゃが広い野原を通った時、恐ろしい姿の鬼が、槌を持ち、白い骨を打ち続けていた。

 目連尊者が不思議に思い、理由を尋ねると、鬼は答えた。

「これは、私が前の世で使っていた体です」

「人間だった時、私は、この体を手に入れたため、物を欲しがり、手に入れた物を惜しんで、大勢の人へ与えませんでした」

「多くの罪を作った結果、今は餓鬼の身となり、苦しんでいます」

「苦しみを受けるたび、この骨が憎く、恨めしくてたまらないので、いつもここへ来て打っているのです」

 目連尊者はその話を聞き、さらに進んだ。

 すると別の場所で、言葉にできないほど美しい天人が現れ、遺骨の上へ花を散らしていた。

 目連尊者が、その理由も尋ねると、天人は答えた。

「これは、私が前の世で使っていた体です」

「この体を使って功徳くどくを積んだため、今は天上世界てんじょうせかいへ生まれ、さまざまな喜びを受けています」

「その恩へ報いるため、ここへ来て供養しているのです」

 だから体は、ただ憎むべきものではない。

 使い方によっては、善い行いにも、悪い行いにも従い、自分を救う大切な師となる。

 兜率天とそつてんへ生まれた覚超僧都かくちょうそうずは、心の中へ満月を思い描く月輪観がちりんかんを修め、悟りの証しを得た人である。

 その修行法を記した文章の最後には、次のように書かれていた。

「たとえ仏のように、紫がかった金色のすばらしい体を得たとしても、土へ埋められた昔の自分の骨を、振り返って拝むだろう」

 仏道を求める人にとって、人間の体ほど尊く、ありがたいものはない。

 体の本当の意味をよく理解し、仏道のためなら命も惜しまない。

 そのように生きるなら、特別な理論を学んだり、決まった方法で罪を懺悔したりしなくてもよい。

 布施や忍耐など、六つの厳しい修行をすべて行い尽くさなくても、その功徳は自然に備わるだろう。

第88話 尾張国中島郡に斎所の権介成清といふ者

 尾張国中島郡おわりのくになかしまのこおりに、斎所さいしょ権介成清ごんのすけなりきよという人がいた。

 その地方では、かなり裕福な人だった。

 成清には大勢の子どもがいて、その中に、家を継ぐ若い息子がいた。

 田舎で育ったため、毎日のように狩りや漁をし、善い行いには善い結果が、悪い行いには悪い結果が生じるという道理など、まったく知らなかった。

 ある年、東大寺とうだいじで大仏の供養が行われた。

 息子は二十二、三歳ほどで、父母と一緒に東大寺へ参詣した。

 これも仏との深い縁があったからだろうか。

 その時、突然、心の中へ強く仏道を求める思いが起こった。

「どうにかして、自分の体などないものと思い、何にも縛られず、思う存分、仏道を修行したい」

 しかし父母は、出家をまったく許さなかった。

 息子は、

「今回は、どうしても実現できない」

 と思い、自分の決意を顔にも態度にも出さず、心の中へ隠したまま、尾張国へ帰った。

 それから何日か過ぎ、逃げ出せる機会を見つけると、たった一人で京へ戻った。

 すぐに東大寺再建を進めていた大仏の上人のもとへ行き、

「どうか私の髪をそり、出家させてください」

 と頼んだ。

 上人は、若者を不思議に思い、疑って尋ねた。

「あなたは、どこの誰ですか」

「何があって、この世を捨てようと思ったのですか。まだ、たいへん若いではありませんか」

 若者は答えた。

「不思議に思われるのも、当然です。私は、このような家の者です」

「以前、大仏供養だいぶつくようへ参詣した時に、出家したいと申し上げるつもりでした」

「しかし、その時は、さまざまな妨げがあり、願いを実現できませんでした」

「そこで一度、故郷へ戻り、改めて、わざわざ一人で京へ上ってきたのです」

「私の暮らしには、何の問題もありません」

「父は裕福なので、思いどおりにならないことは、ほとんどありません」

「財産も田畑もあり、捨てにくい妻や子どももいます」

「普通なら、世を捨てるはずのない身です」

「それでも、この世の無常むじょうを考えると、何もかも意味がないように思えます」

「この体と命を仏道へ投げ出し、仏の慈悲深い誓いへ、すべてを任せることだけが、本当に賢い生き方だと思いました」

「その決意に、少しの迷いもありません」

 上人は事情を聞き、涙を流しながら言った。

「本当に、めったにない、尊い決意です」

「私のもとには、弟子と呼ばれるひじりが大勢います」

「しかし、何の事情もないのに、純粋な信仰心だけで世を捨てた人は、一人もいません」

「ある人は主君の怒りを受けたため、出家しました」

「ある人は暮らしが苦しくなったことを嘆き、ある人は愛する妻へ先立たれ、ある人は望んだ官職を得られず、世の中を恨んで出家しました」

「普通は、このように自分の思いどおりにならない出来事をきっかけとして、世を捨てるものです」

「だから、その出来事への恨みや悲しみを忘れたあと、仏道を求める心まで消えてしまわないかと、心配になります」

「しかし、あなたの話が本当なら、これは純粋な信仰心から起こった出家です」

「仏もきっと、あなたを哀れみ、愛しく思ってくださるでしょう」

「本当に、尊いことです」

 上人は若者を出家させようと、烏帽子えぼしを取った。

 すると、髪がはらはらと乱れ落ちた。

 不思議に思い、理由を尋ねると、若者は答えた。

「尾張国から京へ向かう時、途中で気が変わるのではないかと、自分の心を信じられませんでした」

「そこで故郷にいる間に、もとどりを自分で切っておいたのです」

 上人は、若者の決意が決して一時的なものではないと、ますます深く理解した。

 若者は、その場で髪をそり、出家した。

 それから上人の弟子たちへ交じり、三年ほど過ごした。

 昼間は瓦を運び、石を持ち、材木を引いた。

 ほんのわずかな時間も休まなかった。

 夜は出家した日から、一度も横にならなかった。

 一晩中、西を向いて座り、念仏を唱えながら夜を明かした。

 ほんの露ほどの時間も惜しく、人と世間話をすることさえなかった。

 食べ物や着る物は、その時にある物で済ませた。

 自分の体や命を、少しも惜しまなかった。

 眠っている時も、目覚めている時も、心には西方極楽浄土だけを思い描いた。

 上人は、何年も若者の暮らしを見て、その志を、めったにないほど尊いと思った。

 そこで、次のように勧めた。

「朝から晩まで、仏道のために体を苦しめて働くことも、仏との大きな縁になります」

「それでも心を静め、体を休め、十分に念仏を唱えることには及びません」

高野山こうやさんに、新別所しんべっしょという場所があります」

「私が初めに住んでいた場所です」

「もともと仏道修行にふさわしい土地であるうえ、そこでは絶えず念仏を唱え、ただ極楽往生ごくらくおうじょうだけを願い、ほかの仕事は何もしません」

「ここにいる大勢の聖の中でも、本当に仏道を求める心のある人を見つけると、私は必ず、その念仏の仲間へ入るよう勧めています」

「あなたも早く仲間へ入り、念仏の功徳くどくを積みなさい」

 若者は答えた。

「本当に、おっしゃるとおりだと思います」

「私のような普通の人間の残念なところは、女性を見れば、故郷の妻を思い出してしまうことです」

「幼い子どもを見ると、わが子も、このようにしているだろうかと考え、忘れられなくなります」

「それは本当に、無意味な執着です」

「深い山へ住めば、妻や子どもを思い出すきっかけもなくなり、修行へ集中できるでしょう」

「ただし、いったん高野山へ入ったなら、私は二度と戻りません」

「あなたから遠く離れてしまうことだけが、心細く思われます」

 そう言いながら、若者は高野山へ登った。

 そして往生院おうじょういんで、二十四人の念仏者の一人となり、これまで以上に厳しい修行の日々を送った。

 一方、故郷では、この若者が突然いなくなり、父母も妻子も、激しく取り乱していた。

 尾張国だけでなく、隣の国まで手分けし、捜していない場所がないほど、行方を尋ね歩いた。

「たとえ、すでに命が尽き、遺体となっていても、もう一度だけ姿を見たい」

 家族が嘆き悲しむ様子は、当然と思える程度を超えていた。

 やがて国中が、この行方不明の話で持ちきりになった。

 事情を見聞きした人で、涙を流さない者はいなかった。

 しかし、どれほど捜しても見つからないまま、月日は過ぎた。

 出家したという話は、いつまでも隠し通せるものではない。

 しばらくして、若者が出家したと、家族の耳にも入った。

 さらに、

「高野山へ住んでいるらしい」

 と分かり、家族は泣きながら手紙を送った。

「それほど深く思い詰めて選んだ道なら、今さら信仰を曲げ、出家をやめてほしいとは言いません」

「ただ、手紙一つも残さずいなくなり、親を苦しませたことだけは、本当に恨めしく思います」

「けれども、もう、どうすることもできません」

「考え方を変えれば、故郷へ帰ることにも、必ずしも罪があるわけではないでしょう」

「この尾張国にも山寺はたくさんあります」

「せめて近くにいて、暮らしの様子だけでも聞かせてほしい」

「それなのに、雲に隔てられた遠い土地へ離れてしまったことが、本当に残念です」

 家族はいろいろと言葉を尽くして書き送った。

 しかし若者の心が、故郷へ向くことはなかった。

 ついに父母は、わざわざ京まで上った。

 高野山のふもとにある天野あまのへ参り、息子を呼び出して、再会した。

 その時、父母がどれほど深く心を動かされたか、言うまでもない。

 若く、たくましかった息子は、以前の姿が分からないほど痩せ、肌も黒くなっていた。

 ぼろぼろの布で作った小袖こそでを着ている。

 故郷では、仮の衣装としてさえ見たことのない姿だった。

 父母は目の前が暗くなり、胸がふさがって、すぐには何も言えなかった。

 しばらく心を落ち着けてから、長い間、胸へためていた思いを、泣きながら訴えた。

 しかし息子は言葉少なで、はっきりと返事もしない。

 ただ、次のように答えた。

「私が高野山へ入った時、二度と山から出ないと、固く決意しました」

「それでも家を出る時、別れの言葉を申し上げなかった罪は、どうしても消えません」

「そのため今日は山を下りましたが、故郷へ戻る気持ちがあって、ここまで来たのではありません」

「これから先、たとえ父上や母上が訪ねてこられても、私は、もうここまで下りてきません」

「ですから、この再会が、この世で最後となるでしょう」

「私に会いたいと思われるなら、仏道を求める心を起こし、ともに浄土へ生まれることを願ってください」

「この世で、どれほど望みどおり一緒に暮らしたところで、いつまで互いの姿を見られるでしょう」

「自分も他人も、どちらかが先に死に、どちらかが取り残されます。その決まりから逃れることはできません」

「この世で一緒にいることへ執着しても、意味はありません」

 息子は冷静に答え、高野山へ戻っていった。

 妻も天野まで来ていた。

 しかし、夫の正面へ出る勇気がなかった。

 物の隙間から、わずかに夫の姿をのぞき、声を抑えることもできず、激しく泣いた。

 父母は、息子の姿を見られなかった時よりも、かえって悲しみが深くなった。

 泣きながら、故郷へ帰っていった。

 その後、家族は尾張国から、さまざまな品物を高野山へ送った。

 若者は返事を書いた。

「私には、どれも必要のない物です」

「それでも父上や母上の罪が消えるきっかけになるかもしれないと思い、受け取って、念仏の仲間へ分けます」

「私は、少しでも早く死に、浄土へ生まれたいという思いだけが深くなっています」

「そのため日がたつほど、自分の命が残っていることばかりが悲しく思われます」

「どうか、ほんの一時しか使えない体を、大切なものだとは決して思わないでください」

 実際、若者は送られてきた着物や食べ物を、念仏の仲間へ分けるだけではなかった。

 貧しい人を見つけると、何でも与え、自分のためには何一つ残さなかった。

 父母は三間ほどの僧房そうぼうを建て、息子の住まいとして与えた。

 しかし住む場所を欲しがっている人を見つけると、その僧房も譲った。

 自分は決まった住まいを持たなかった。

 仲間が毎日、湯を沸かしても、風呂へ入らなかった。

 何年過ぎても、着ている物を洗わなかった。

 破れれば捨てた。

 ただ朝も夕方も、阿弥陀仏あみだぶつが迎えに来る姿を心へ思い描いた。

 何かあるたび、この世のすべてが移り変わることを考え、それ以外へ心を向けなかった。

 人の僧房へ行く時にも、泥を踏んだ足のまま、むしろや畳の上を歩いた。

 少しも遠慮しない。

 人から注意されると、言った。

「本当の汚れは、一人ひとりの体の中にあります」

「どうして、外へ見えている汚れだけを嫌うのですか」

 往生院では、仲間の一人が亡くなると、残った者たちが集まり、共同体の大切な仕事として葬儀を行っていた。

 しかし、この聖がいる間は、ほかの人々へ手伝わせなかった。

 遺体を一人で人目につかない場所へ運び、木を切り、火葬した。

 骨を拾い、その後の供養まで、すべて一人で心を込めて行った。

 その姿は、自分の父母を葬っているようだった。

 高野山へ住み始めてから、毎日欠かさず、奥の院へ参詣した。

 雨や風、霜や雪のため、参詣をためらったことは一度もない。

 みのや笠を用意することさえしなかった。

 雨が降れば全身ずぶ濡れになり、雪が降れば衣が凍った。

 それでも、まったく気にしなかった。

 ある人が言った。

「浄土へ生まれたいのなら、体を健康に保ち、長く念仏を重ねるべきです」

「どうして、自分の体や命を大切にしないのですか」

 聖は答えた。

「今は、仏の教えが衰えた末の世です」

「私は、迷いの中にいる普通の人間です」

「その私が今、たまたま仏道を求める心を起こすことができました」

「この心が冷めてしまう前に、極楽往生を遂げたいのです」

「だから自分の体も、命も惜しみません」

 その言葉を聞いた人々は、あまりに激しい決意を悲しむ一方、その信仰心を限りなく尊んだ。

 出家してから、七、八年ほどたったころだろうか。

 聖は自分の死ぬ時を、前もって知った。

 特に病気になることもなく、願っていたとおりの最期を迎えた。

 念仏の声を最後まで絶やさず、座ったまま亡くなった。

 それほど昔の話ではないので、高野山の新別所には、この聖を知らない人はいなかった。

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