『方丈記』前半では、大火、辻風、飢饉、大地震といった災厄が描かれてきました。
しかし後半に入ると、鴨長明の関心は次第に「人の世」そのものへ向かっていきます。
権力者に気を遣い、他人と比べ、心をすり減らしながら生きる社会。
長明自身もまた、そのような世の中で苦しみ、悩み、思うように生きられなかった一人でした。
『方丈記』「我が身のありさま」では、鴨長明が都での暮らしを離れ、小さな庵を結ぶまでの経緯が語られます。
なぜ長明は世を捨てたのか。
原文・現代語訳・語釈付きで紹介します。


方丈記「我が身のありさま」現代語訳
私は、父方の祖母の家を受け継いで、長らくその場所に住んでいた。
その後、縁は欠け、身は落ちぶれ、思い残す人も多かったが、ついにその家にとどまることはできなかった。
三十路余りにして、新たに自分の心と一つの庵を結んだ。
この庵を以前の住まいと比べると、十分の一の大きさである。
暮らしていくだけの居屋を構え、立派な家屋をつくるには及ばない。
わずかに築地を築いたとは言っても、門を立てる手立てがない。
竹を柱にして、車を宿す場所とした。
雪が降ったり、風が吹いたりする度に、危なくないわけではない。
その土地は河原に近く、水難も深ければ、盗賊の恐れも多い。
すべて、生きづらい世をじっと耐え忍び、心を悩ませること、三十年あまりである。
その間、事あるごとにつまづき、自然とつたない運命を悟った。
そういうわけで、五十路の春を迎えて、家を出て、世を捨てた。
もともと妻子がいなければ、捨てがたい身寄りもない。
身に官禄もないのだから、何につけて執着をとどめようか。
むなしく大原山の雲に隠れ住んで、また五年の春秋をただ過ごした。

方丈記「我が身のありさま」原文
我が身、父方の祖母の家を伝へて、久しくかの所に住む。
その後、縁欠けて、身衰へ、忍ぶかたがたしげかりしかど、つひに跡とむる事を得ず。
三十余りにして、さらにわが心と、一つの庵を結ぶ。
これを、ありし住まひに並ぶるに、十分が一なり。
居屋ばかりをかまへて、はかばかしく屋をつくるに及ばず。
わづかに築地を築けりといへども、門を建つるたづきなし。
竹を柱として、車を宿せり。
雪降り、風吹くごとに、危ふからずしもあらず。
所、河原近ければ、水難も深く、白波の恐れもさわがし。
すべて、あられぬ世を念じ過ぐしつつ、心を悩ませる事、三十余年なり。
その間、折々のたがひめ、おのづから短き運を悟りぬ。
すなはち、五十の春を迎へて、家を出で、世を背けり。
もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。
身に官禄あらず、何につけてか執をとどめん。
むなしく大原山の雲に臥して、また五かへりの春秋をなん経にける。

方丈記「我が身のありさま」語釈
- 我が身:「わかかみ(若い頃、我が過去)」とする諸本あり。
- おとろふ【衰ふ】:落ちぶれる。
- しのぶ【偲ぶ】:思い慕う。懐かしく思う。
- しげし【繁し】:たくさんある。多い。
- さらに【更に】:新しく。改めて。
- こころと【心と】:自分の心から。自分からすすんで。
- いほり【庵】:僧や世捨て人などが住む、草木などでつくった粗末な家。草庵。
- ありし【有りし・在りし】:過去の。以前の。
- ならぶ【並ぶ】:比べる。比較する。
- ゐや【居屋】:住む家。住居。
- はかばかし【果果し・捗捗し】:しっかりしている。本格的である。きちんとしている。
- たづき【方便】:手だて。手段。方法。すべ。
- はくは【白波】:盗賊。『後漢書』の「白波賊(はくはぞく)」の故事から。
- あられぬよ【有られぬ世】:住みにくい世の中。
- ねんじすぐす【念じ過ぐす】:じっと堪え忍んで月日を過ごす。
- をりをり【折折】:そういう時々。その場合場合。
- たがひめ【違ひ目】:意に反する事態。
- おのづから【自ら】:しぜんに。ひとりでに。
- よをそむく【世を背く】:出家する。
- よすが【縁・因・便】:たよりとする縁者。
- くわん【官】:官位。官職。
- ろく【禄】:某禄。官に任じられている人に与えられる給与。
- むなし【空し・虚し】:空っぽである。中に何もない。むだである。
- ふす【伏す・臥す】:ひっそりと住む。かくれ住む。
- かへり:回数を表す。回。たび。





