『方丈記』「他力より自力」現代語訳|手を下僕、足を乗り物とす

『方丈記』後半では、鴨長明が世間から距離を置き、小さな庵で静かに暮らす姿が描かれていきます。

その中で長明は、人を頼り、人を使い、多くを抱える生き方よりも、自分の手足を使って身軽に生きることに安らぎを見出しました。

『方丈記』「他力より自力」では、「手を下僕、足を乗り物とす」という印象的な言葉とともに、長明独自の人生観が語られます。

なぜ長明は、人よりも自分の身体を頼る暮らしを選んだのでしょうか。

原文・現代語訳・語釈付きで紹介します。

目次

方丈記「他力より自力」現代語訳

そもそも、人の友というものは、富のある人を敬い、親しくなろうとすることを第一とする。

必ずしも、情のある人や、誠実な人を愛するわけではない。

ただ、音楽や自然を友とする方がましだ。


人に仕える者は、褒美が多く、恩恵が厚いことを第一とする。

決して、面倒見がよく、物腰柔らかな主人を求めるわけではない。

ただ、我が身を下僕とする方がましだ。


いかにして下僕とするかと言うと、もし、何かやるべきことがあれば、まず己の身を使う。

疲れないわけではないが、人を使って、世話をするよりは安心である。

もし、歩くべきことがあれば、自分の足で歩く。

苦しいと言っても、馬や鞍、牛や車のことで、いちいち悩むよりはましだ。


今、我が身一つを分けて、二つの用をなす。

手を下僕、足を乗り物とすれば、自分の思い通りになる。

我が身は心の苦しみがわかるから、苦しい時は休めて、元気な時は使う。

使うとしても、使い過ぎることはない。

気が重いとしても、心が思い乱れることはない。

さらに言うと、常に歩き、常に働くことは、養生になるだろう。

どうして、無駄に休んでいられようか。

人を悩ますことは、罪業ざいごうである。

どうして、他の力を借りられようか。

方丈記「他力より自力」原文

それ、人の友とある者は、富めるをたふとみ、ねんごろなるをさきとす。

必ずしも、なさけあると、なほなるとをば愛せず。

ただ、ちくくわげつを友とせんにはしかじ。


人のやつこたる者は、しやうばつはなはだしく、おんあつきを先とす。

さらに、はぐくみあはれむと、安くしづかなるとをば願はず。

ただ、わが身をとするにはしかず。


いかがとするならば、もし、なすべき事あれば、すなはち、おのが身を使ふ。

たゆからずしもあらねど、人を従へ、人をかへりみるより安し。

もし、ありくべき事あれば、みづからあゆむ。

苦しといへども、馬、鞍、牛、車と、心を悩ますにはしかず。


今、一身を分かちて、二つの用をなす。

手のやつこ、足の乗り物、よくわが心にかなへり。

身、心の苦しみを知れれば、苦しむ時は休めつ、まめなれば使ふ。

使ふとても、たびたび過ぐさず、ものしとても、心を動かす事なし。


いかにいはむや、常にありき、常にはたらくは、養性やうじやうなるべし。

なんぞ、いたづらに休みらん。

人を悩ます、ざいごふなり。

いかが、他の力をるべき。

方丈記「他力より自力」語釈

  • ねんごろ【懇ろ】:親しいようす。仲むつまじいようす。
  • すなほ【素直】:ありのままで素朴なさま。心がまっすぐであるさま。
  • しちく【糸竹】:楽器の総称。「糸」は琴・琵琶などの弦楽器、「竹」は笙・笛などの管楽器を表す。
  • くわげつ【花月】:美しい自然の風物。
  • やつこ【奴】:召使い。
  • しやうばつ【賞罰】:賞与。「罰」は賞に添えた語。
  • ぬひ【奴婢】:召使い。
  • たゆし【弛し・懈し】:疲れて力がない。だるい。
  • まめ【忠実・実】:健康なようす。丈夫なようす。
  • ものうし【物憂し】:なんとなく心が重い。おっくうだ。つらい。苦しい。いやだ。
  • いたづら【徒ら】:むだである。無益である。
  • さいごふ【罪業】:〘仏教語〙(来世で報いを受ける)罪深い行い。
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この記事を書いた人

うつ病で生きづらさを抱えていた30代の頃に、鴨長明『方丈記』を読んで大共感。「人の悩みは昔も今も変わらないものだ」としみじみ感じ、学生時代はまったく興味がなかった古文や漢文の魅力に初めて気づきました。20年計画で『源氏物語』と『万葉集』の全訳にも挑戦中。万葉歌碑めぐりや街道歩きなど歴史探訪も好きです。

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