『方丈記』後半では、鴨長明が日野山の小さな庵で送った静かな暮らしが描かれていきます。
そこには、世間のしがらみから離れ、一人で読経し、一人で楽器を奏で、季節の移ろいを味わいながら生きる長明の姿がありました。
『方丈記』「気ままな暮らし」では、山中を散歩し、草花を摘み、夜は月や蛍を眺めながら過ごす長明の日常が、穏やかな筆致で語られています。
災厄と不安に満ちた時代を生き抜いた長明は、なぜこのような暮らしに安らぎを見出したのでしょうか。
原文・現代語訳・語釈付きで紹介します。


方丈記「気ままな暮らし」現代語訳
自ら心を養う
もし、念仏するのが面倒で、読経にも気が進まない時は、自ら休み、自ら怠る。
邪魔する人もいなければ、恥ずかしいと思う相手もいない。
わざわざ無言の修行をしなくても、一人でいれば自然と口業を修められる。
必ず禁戒を守ろうとしなくても、心を惑わすような環境がなければ、何によって破られようか。
もし、航跡の白波にこの身を寄せる朝には、岡の屋に行き交う船を眺めて、満沙弥の風情をひそかに真似る。
もし、桂の木が風に吹かれ、葉を鳴らす夕方には、潯陽の江に思いをはせて、源都督になったつもりで琵琶を奏でる。
もし、興が尽きなければ、しばしば松の響きに秋風楽の曲を合わせ、水の音に流泉の曲を奏でる。
芸はこれつたないけれども、人の耳を喜ばせようというわけではない。
一人で弾き、一人で歌い、自ら心を養うばかりである。
うららかに歩く

また、ふもとに一軒の柴の庵がある。
すなわち、この山守がいる所である。
そこに子供がいて、時々やって来ては、互いに顔を見せ合う。
もし、暇な時は、この子を友としてぶらぶら歩く。
かれは十歳、これは六十。
その齢はかけ離れているけれど、心を慰めることは同じである。
ある日は茅花を抜き、岩梨を取り、零余子を盛り、芹を摘む。
ある日は山裾の田んぼに行き、落穂を拾って穂組をつくる。
もし、うららかな天気であれば、峰によじ登り、はるか遠くの故郷の空を眺め、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見渡す。
景勝地は誰の持ち物でもないから、心を慰めるのに邪魔するものはない。
歩くのが軽く、心が遠くまで至る時は、ここから峰つづきに炭山を越え、笠取を過ぎて、岩間寺に詣でたり、あるいは石山寺を拝んだりする。
もしくはまた、粟津の原を分け入って、蝉歌の翁の旧跡を訪れたり、田上川を渡って、猿丸太夫の墓を参ったりする。
帰り道では、季節によって桜を狩り、紅葉を求め、蕨を折り、木の実を拾う。
一部は仏にお供えし、一部は自分へのお土産とする。
夜の情緒
もし、夜、静かな時は、窓の月に故人をしのび、猿の声に袖を濡らす。
草むらの蛍は、遠く槙島の篝火と見紛うほどである。
暁の雨は、自然と木の葉を吹き散らす嵐に似ている。
山鳥がホロと鳴く声を聞けば、父か母かと聞き間違う。
峰の鹿がなついて近寄ってくるにつけても、世に遠ざかる身の程を知る。
ある時はまた、灰の中に埋めておいた火をかきおこして、目覚めがちな老いの夜の友とする。
恐ろしい深山ではなく、梟の声をしみじみ聞くにつけても、山中の景色は折々に尽きることはない。
ましてや、自然の情緒を深く感じ、深く理解する人にとっては、これだけに限らないだろう。

方丈記「気ままな暮らし」原文
もし、念仏もの憂く
もし、念仏もの憂く、読経まめならぬ時は、みづから休み、みづから怠る。
さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。
ことさらに無言をせざれども、独り居れば、口業を修めつべし。
必ず禁戒を守るとしもなくとも、境界なければ何につけてか破らん。
もし、跡の白波に、この身を寄する朝には、岡の屋に行き交ふ船をながめて、満沙弥が風情をぬすみ、もし、桂の風、葉を鳴らす夕には、潯陽の江を思ひやりて、源都督の行ひをならふ。
もし、余興あれば、しばしば松の響に秋風楽をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。
芸はこれ拙けれども、人の耳を喜ばしめむとにはあらず。
独り調べ、独り詠じて、みづから情を養ふばかりなり。
また、ふもとに一つの柴の庵あり
また、ふもとに一つの柴の庵あり。
すなはち、この山守が居る所なり。
かしこに小童あり。
時々来たりて、あひ訪ふ。
もし、つれづれなる時は、これを友として遊行す。
かれは十歳、これは六十。
その齢、ことのほかなれど、心を慰むる事、これ同じ。
あるいは茅花を抜き、岩梨を取り、零余子を盛り、芹を摘む。
あるいはすそわの田居に至りて、落穂を拾ひて穂組を作る。
もし、うららかなれば、峰によぢのぼりて、はるかに故郷の空を望み、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見る。
勝地は主なければ、心を慰むるにさはりなし。
歩み、わづらひなく、心、遠く至る時は、これより峰つづき、炭山を越え、笠取を過ぎて、あるいは石間に詣で、あるいは石山を拝む。
もしはまた、粟津の原を分けつつ、蝉歌の翁が跡を訪ひ、田上河をわたりて、猿丸大夫が墓を訪ぬ。
帰るさには、折につけつつ、桜を狩り、紅葉を求め、蕨を折り、木の実を拾ひて、かつは仏に奉り、かつは家づととす。
もし、夜、静かなれば
もし、夜、静かなれば、窓の月に故人をしのび、猿の声に袖をうるほす。
草むらの蛍は、遠く槙の篝火にまがひ、暁の雨は、おのづから木の葉吹く嵐に似たり。
山鳥のほろと鳴くを聞きても、父か母かと疑ひ、峰の鹿の近く馴れたるにつけても、世に遠ざかるほどを知る。
あるいはまた、埋火をかきおこして、老の寝覚めの友とす。
恐ろしき山ならねば、梟の声をあはれむにつけても、山中の景気、折につけて尽くる事なし。
いはむや、深く思ひ、深く知らむ人の為には、これにしも限るべからず。

方丈記「気ままな暮らし」語釈
もし、念仏もの憂く
- ものうし【物憂し】:なんとなく心が重い。おっくうだ。
- ことさら【殊更】:故意に。わざわざ。
- むごん【無言】:〘仏教語〙無言の行。一定の期間、無言で過ごす修行のこと。
- くごふ【口業】:〘仏教語〙善悪の報いのもととなる3つの行為(意業・身業・口業)の一つで、言語行為に関すること。
- をさむ【治む・修む】:行いや態度をよくする。
- きやうがい【境界】:〘仏教語〙因果応報によって、各自に与えられた境遇。身の上。
- よす【寄す】:まかせる。ゆだねる。心を傾ける。向ける。
- をかのや【岡の屋】:現在の京都府宇治市に当時あった巨椋池の池畔。港としてさかえた。
- まんしやみ【満沙弥】:7、8世紀の歌人。沙弥満誓。
- ぬすむ【盗む】:ひそかにまねて学ぶ。
- じんやうのえ【潯陽の江】:中国江西省北部の九江付近を流れる長江の称。
- げんととく【源都督】:源経信。平安時代の歌人、音楽家。琵琶の名手。
- ならふ【倣ふ】:模倣する。見習う。まねる。
- よきよう【余興】:興趣が残っていること。興趣がつきないこと。
- しうふうらく【秋風楽】:雅楽の曲名。
- たぐふ【類ふ・比ふ・副ふ】:適合する。似せる。なぞらえる。
- りうせん【流泉】:琵琶の曲名。「啄木(たくぼく)」、「楊真操(やうしんさう)」とともに三秘曲の一つ。
- あやつる【操る】:演奏する。奏でる。
- しらぶ【調ぶ】:楽器を演奏する。
また、ふもとに一つの柴の庵あり
- やまもり【山守】:山の番人。
- とぶらふ【訪ふ】:訪問する。訪ねる。見舞う。
- つれづれ【徒然】:何もすることがないこと。退屈なこと。
- ゆぎやう【遊行】:ぶらぶら歩くこと。散歩。
- つばな【茅花】:ちがやの花。食用になる。
- いはなし【岩梨】:ツツジ科イワナシ属の常緑小低木。梨のような甘味のある実がなる。
- ぬかご【零余子】:山芋などの葉のつけ根に生じる小芋のような小さなかたまり。むかご。
- せり【芹】:せり。春の七草の一つ。
- すそわ【裾回・裾廻】:山のふもと。山すそのまわり。
- たゐ【田居】:田。田んぼ。
- ほぐみ【穂組み】:刈り取った稲の穂を乾燥させるために組み重ねたもの。
- うららか【麗らか】:日ざしがやわらかで、穏やかに晴れていさま。
- こはたやま【木幡山】:現在の京都府宇治市の北部にある丘陵。
- ふしみ【伏見】:現在の京都府伏見区の一帯。
- とば【鳥羽】:現在の京都市南区と伏見区にかかる一帯。
- はつかし【羽束師】:現在の京都市伏見区にある地名。
- しようち【勝地】:景色の素晴らしい地。
- さはり【障り】:障害。さしつかえ。
- すみやま【炭山】:現在の京都府宇治市、日野の奥にある山。
- かさとり【笠取】:現在の京都府宇治市、北東部にある山。
- いはま【石間】:現在の滋賀県大津市、岩間寺。
- いしやま【石山】:現在の滋賀県大津市、石山寺。
- あはづのはら【粟津の原】:現在の滋賀県大津市、瀬田川河畔にあった松原。木曽義仲最期の地。
- せみうたのおきな【蝉歌の翁】:蝉丸。平安時代初期の歌人。
- たなかみがは【田上河】:瀬田川の支流。
- さるまろまうちぎみ【猿丸太夫】:平安時代初期の歌人。
- をりにつく【折に付く】:時節・場所がらなどに応じる。
- いへづと【家苞】:わが家へのみやげ。
もし、夜、静かなれば
- しのぶ【偲ぶ】:思い慕う。懐かしく思う。
- まき【槙】:槙島。現在の京都府宇治市、巨椋池の東岸近くにあった島。
- かがりび【篝火】:鉄かごに松の薪をたいて照明としたもの。
- まがふ【紛ふ】:見えちがえたり、聞きちがえたりするほどよく似ている。見まちがえる。聞きまちがえる。
- ほろほろ:雉や山鳥などの鳴き声を表す語。
- うづみび【埋み火】:灰の中にうずめてある炭火。
- おいのねざめ【老いの寝覚め】:年老いて、夜中や明け方早くに目覚めがちになること。
- あはれむ:しみじみと趣深いものと感じる。
- けいき【景気】:景色。風景。





