『方丈記』前半では、大火、辻風、飢饉、大地震など、都を襲ったさまざまな災厄が描かれてきました。
しかし長明が本当に恐れていたのは、自然災害そのものではなかったのかもしれません。
権力者のそばで怯えながら生きる人々。
貧しさを恥じ、他人と比べ続ける人々。
財産や人間関係に縛られ、心を休めることのできない世の中。
長明は、災害によって崩れていく都の姿と、人々の「生きづらさ」を重ねるように描いていきます。
『方丈記』「生きづらい世」では、鎌倉時代初期を生きた鴨長明が、人間社会の苦しさや心の不自由さについて語った部分を、原文・現代語訳・語釈付きで紹介します。


方丈記「生きづらい世」現代語訳
すべて、世の中が生きづらく、我が身と住まいがはかなく頼りないさまは、これまでに述べた災厄と同じようである。
まして、住む場所や身分によって心を悩ませることは、いちいち数え切れそうにない。
もし、取るに足らない身分で、権力者の隣に住む者は、深く喜ぶことがあっても、その喜びを心から楽しむことはできない。
切に嘆かわしい時も、声を上げて泣くことはできない。
何をするにも心が落ち着かず、日頃のちょっとした行動でも隣人に恐れおののくさまは、例えるなら雀が鷹の巣に近づくようなものだ。
もし、貧しい身分で、裕福な家の隣に住む者は、朝夕みすぼらしい姿を恥ずかしく思い、隣人に媚びへつらいながら家を出入りする。
自分の妻子や召使いが、隣人をうらやましがる様子を見たり、裕福な家の人が、自分たちをないがしろにする態度を感じとったり。
心はいつも揺れ動き、いかなる時も安まらない。
もし、都の狭苦しい土地に住めば、近くで火災が起きた時、その災いを逃れることはできない。
もし、都の郊外に住めば、都への行き来は面倒が多く、盗賊におそわれる危険もはなはだしい。
また、権力や財力がある者は貪欲で、身よりのない者は人に軽く見られる。
財産があれば失う恐れが多く、貧しければ恨みが痛切だ。
人を頼りにすれば、自分の身はその人の所有物となる。
人を世話すれば、心は恩愛に左右される。
世に従えば、身、苦し。
従わねば、狂せるに似たり。
どこに住み、どう生きれば、しばしの間だけでもこの身を宿し、たまゆらも心を休ませられるのだろうか。

方丈記「生きづらい世」原文
すべて、世の中のありにくく、わが身と栖とのはかなくあだなるさま、またかくのごとし。
いはむや、所により、身のほどに従ひつつ、心を悩ます事は、あげて計ふべからず。
もし、おのれが身、数ならずして、権門のかたはらに居る者は、深く喜ぶ事あれども、大きに楽しむにあたはず。
歎き切なる時も、声をあげて泣く事なし。
進退安からず、立居につけて恐れをののくさま、たとへば、雀の鷹の巣に近づけるがごとし。
もし、貧しくして、富める家の隣に居る者は、朝夕すぼき姿を恥ぢて、へつらひつつ出で入る。
妻子、僮僕のうらやめるさまを見るにも、福家の人のないがしろなる気色を聞くにも、心念々に動きて、時として安からず。
もし、狭き地に居れば、近く炎上ある時、その災を逃るる事なし。
もし、辺地にあれば、往反わづらひ多く、盜賊の難はなはだし。
また、勢ひあるものは貪欲深く、独身なるものは人に軽めらる。
財あれば恐れ多く、貧しければ恨み切なり。
人を頼めば、身、他の有なり。
人をはぐくめば、心、恩愛につかはる。
世に従へば、身、苦し。
従はねば、狂せるに似たり。
いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。

方丈記「生きづらい世」語釈
- ありにくし【在りにくし】:生きづらい。生きていくのが難しい。
- あだ【徒】:実質がないさま。かりそめなさま。
- みのほど【身の程】:境遇。
- あげて【挙げて】:いちいち。残らず。すべて。
- かずならず【数ならず】:取るに足りない。
- けんもん【権門】:官位が高く権勢のある家。
- あたふ【能ふ】:できる。
- せち【切】:痛切である。深く心に感じる。ひたすらである。
- しんだい【進退】:立ち居振る舞い。一挙一動。
- たちゐ【立ち居】:日常のちょっとした動作。
- をののく【戦く】:ふるえる。びくびくする。
- すぼし【窄し】:みすぼらしく肩身が狭い。
- へつらふ【諂ふ】:相手に気に入られるように振る舞う。
- とうぼく【童僕】:召使い。
- ないがしろ【蔑】:あなどり軽んずるさま。無視するさま。
- けしき【気色】:態度。そぶり。表情。顔色。
- きく【聞く・聴く】:音を耳で感じとる。
- ねんねん【念念】:一瞬一瞬。刻一刻。
- ときとして【時として】:少しの間も⋯ない。いかなる時も⋯ない。
- へんぢ【辺地】:都から遠く離れた土地。田舎。都の郊外。
- わうばん【往反】:行き帰り。往復すること。
- わづらひ【煩ひ】:苦労。めんどう。心を悩ませること。
- いきほひ【勢ひ】:権力。財力。
- とんよく【貪欲】:〘仏教語〙「十悪」の一つ。たいへんに欲が深いこと。
- とくしん【独身】:身よりのない人。
- かろむ【軽む】:軽く見る。あなどる。
- はぐくむ【育む】:世話をする。養い育てる。
- おんあい【恩愛】:〘仏教語〙親子・夫婦・兄弟などのあいだの深い愛情。情愛。
- しむ【占む・標む】:住む。
- たまゆら【玉響】:ほんのわずかの間。ちょっとの間。





