『源氏物語』第33帖「藤裏葉」現代語訳全文を読む|わかりやすい口語訳

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」尾形月耕『源氏五十四帖』

 このページでは、『源氏物語』第33帖「藤裏葉」の現代語訳全文を掲載しています。原文の内容をそのまま訳しつつ、必要に応じて主語を補い、敬語表現をわかりやすく改めるなど、現代の読者が読みやすい口語訳にしています。

 原文を確認しながら読みたい方は、『源氏物語』第33帖「藤裏葉」原文全文をご覧ください。

目次

大宮の忌日に、内大臣の心が解けはじめる

 明石の姫君の入内準備が進む中でも、夕霧は物思いに沈みがちで、ぼんやりした心地のまま過ごしていた。自分でも、「それにしても、ずいぶん執念深い心だ。これほどまでに雲居雁を思っているのなら、父君のほうも、今ではあれほど強く反対する気持ちを失い、とうとう折れそうだと聞いているのだから、同じことなら人に笑われない形で最後まで思いを遂げたい」と自分を抑えているのだが、それもまた苦しかった。

 一方の雲居雁も、父の内大臣が以前それとなく口にした縁談のことを思い出しては、「もし本当にほかの人との話が決まってしまったら、今まで夕霧を思い続けてきた年月はいったい何だったのだろう」と嘆いている。二人は妙に互いへ背を向けたまま、それでも思いだけは消えない、何ともじれったい相思相愛の状態だった。

 内大臣も、あれほど強情に反対してきたものの、本来そこまで気性の激しい人ではない。次第に思い悩むようになった。

 ――このまま雲居雁が中務宮との縁談などを本当に受け入れてしまえば、また今さら話をひっくり返して夕霧とのことを考えるのも、相手にとってつらいだろう。こちらにしても人の笑いものになり、自然と軽々しいことまで混じってくるかもしれない。内々の事情など、隠しているつもりでも、もう世間には漏れているに違いない。何とか形を整えながら、やはりこちらが折れるしかないのだろう。

 そう考えるようになった。

 けれど夕霧のほうは相変わらず冷静で、長年の恨みが解けた様子も見せない。内大臣は、突然こちらから縁談を持ち出すのもどうかと思い、「大げさに話を進めれば、世間にも滑稽に見える。何か自然な機会に、こちらの気持ちを匂わせられないものか」と考えていた。

 三月二十日は、亡き大宮の御忌日だった。内大臣は極楽寺へ参詣した。

 息子たちを皆連れ、上達部も大勢集まる盛大な法要となった。その中で夕霧は、ほかの人々に少しも見劣りせず、堂々と美しい姿を見せていた。今まさに男盛りへ成長した顔立ちも姿も、すべてを合わせて非の打ちどころがない。

 夕霧は、内大臣をつらい人だと思うようになって以来、顔を合わせる時にもひどく気をつかい、いつも以上に自分を抑え、きちんと振る舞っている。その様子へ、内大臣もこの日はいつも以上に目を留めた。

 六条院からも誦経などが捧げられており、夕霧は何事にも先に立って、亡き大宮を偲びながら心を尽くして法要を取り仕切った。

 夕方になり、皆が帰ろうとするころには、花は一面に散り乱れ、霞まで行く先を曖昧にしている。内大臣は昔を思い出し、どこか艶のある様子で口ずさみながら、物思いにふけっていた。

 夕霧も、しみじみとした夕暮れにますます心を沈ませている。雨が来そうだと人々が騒ぎ始めても、なおそこに座って眺め続けていた。

 内大臣は何か心の動くものがあったのだろう。夕霧の袖をそっと引き寄せて言った。

 「どうして、これほどまで私をお許しにならないのでしょう。今日の法要の御縁からでも昔をお考えくださるなら、もう私の罪を許してくれてもよいではありませんか。私も残り少ない人生になってきたのに、あなたからすっかり見捨てられているのは恨めしく思いますよ」

 夕霧はかしこまって答えた。

 「以前、これから先を期待してもよいのではないかと思えるような御言葉を承ったこともございました。けれど、その後あまりにもお許しくださらない御様子でしたので、私のほうからは遠慮するしかございませんでした」

 そこへ慌ただしい雨と風が来て、人々は散り散りに競うように帰っていった。

 夕霧は、あの内大臣がどういうつもりで、今日に限ってあんな言葉を口にしたのだろう、と考えた。長年ずっと心をかけ続けてきた人の父である。ほんのわずかな言葉でも聞き流すことができず、その夜はあれこれと思いめぐらしながら明かした。

藤の宴へ招かれる夕霧

 長い年月、思い続けてきた甲斐があったのだろうか。内大臣のほうも、とうとう意地を張り続ける気持ちをすっかり失った。

 わざわざ縁談を申し入れたという形ではなく、それでもいかにも自然な機会はないものかと考えていたところ、四月一日ごろ、庭の藤がいつにも増して美しく咲き乱れた。

 普通の藤とは思えないほど色が濃く、何げなく見過ごしてしまうのが惜しい盛りである。内大臣は息子たちと管弦の遊びなどをし、夕暮れになって藤の色がいっそう深まったころ、柏木を使いにして夕霧へ消息を送った。

 「先日の花の陰でお会いした時には、まだ話し足りない思いが残りました。もしお暇なら、こちらへ少しお立ち寄りになりませんか」

 手紙には、藤の花の見事な枝が添えられていた。

わが宿の藤の色濃きたそかれに尋ねやは来ぬ春の名残を

わが家の藤がひときわ濃く色づくこの黄昏に、過ぎゆく春の名残を惜しみに、こちらへ訪ねてはいらっしゃいませんか。

 夕霧は、内大臣が自分を待っていてくれることに、やはり胸を高鳴らせた。それでもすぐに飛びつくような返事はせず、かしこまって返した。

なかなかに折やまどはむ藤の花たそかれ時のたどたどしくは

かえって、今さらどの藤の枝を折ればよいのか迷ってしまいそうです。この黄昏時のように、そちらのお心がまだはっきり見えませんので。

 そして、「せっかくのお招きに、妙に臆病な返事をしてしまいました。どうかうまく取りなしてください」と柏木へ頼んだ。

 柏木が「では、私もお供いたしましょう」と言うと、夕霧は「そんな面倒な随身はいりませんよ」と笑って追い返した。

 柏木がこのやり取りを内大臣へ見せると、内大臣は言った。

 「何か考えるところがあって、こんな返事をしたのだろう。向こうからも少しは進んでくれなければ、これまで私が親孝行もしてもらえなかったという恨みも解けないからね」

 まだ少し意地が残っているらしく、妙に得意げで悔しそうな言い方である。

 柏木は、「そこまでの意味ではないでしょう。対の前の藤が、今年は特に見事に咲いているそうですし、今は静かな時期なので、管弦の遊びでもなさるということでしょう」と取りなした。

 内大臣は、「わざわざ使者まで寄こしたのだから、早く行ってきなさい」と許した。しかし内心では、夕霧が本当に来るのか、穏やかではない気持ちで待っていた。

 しかも夕霧の装束にまで口を出した。

 「その直衣は少し色が濃すぎて、若々しすぎるように見える。まだ参議にもなっていない若者なら二藍もよいけれど。少し整えてやろう」

 そう言って、自分のために特別に用意していた見事な衣装まで取り出し、夕霧のために持たせてやった。

藤の裏葉――内大臣が夕霧を迎え入れる

 夕霧は自分の部屋へ戻ると、ひどく念入りに身を整えた。

 黄昏もすっかり過ぎ、待つ側がじれったくなるほどになってから、ようやく内大臣邸へ参上した。

 主人側の若君たちは、柏木をはじめ七、八人が連れ立って夕霧を迎えた。どの人もそれぞれ美しい顔立ちだが、その中でも夕霧はやはり際立っている。鮮やかに清らかでありながら、親しみやすい品があり、見ているこちらまで気を抜けないような立派さだった。

 内大臣も、夕霧の座を念入りに整えさせるなど、心のこもったもてなしをした。

 自分も冠をつけて出て行こうとする時、北の方や若い女房たちへ言った。

 「そっと覗いて御覧なさい。本当に見事に成長した人ですよ。立ち居振る舞いも静かで、堂々としている。鮮やかで、すっと抜け出た大人らしさでは、父の大臣より勝っているくらいに見える。

 「父君のほうは、とにかくこの上なく艶やかで愛嬌があって、見れば思わず笑顔になり、世の中の嫌なことまで忘れるような方だった。公の場では少しくだけすぎて、洒落たところもあったが、それもあの方なら当然だったのだろう。

 「こちらの夕霧は、学問の才もさらに優れ、心構えも男らしく、堅実で、何も欠けたところがない。世間でもそう評判になっているようですね」

 そんなことまで話してから、内大臣は夕霧と対面した。

 初めは真面目で改まった話を少し交わしたが、やがて話題は自然と藤の花へ移った。

 内大臣は微笑みながら言った。

 「春の花はどれも、それぞれに咲き出すたび目を奪われます。ただ、どれもあまりに気が短く、さっさと散ってしまう。それが恨めしく感じられるころになって、この藤だけが一人、少し遅れて夏へかかるころまで咲いている。そこが不思議と奥ゆかしく、しみじみ感じられるのです。その色だって、懐かしい御縁に結びつけて見ることができるでしょう」

 言葉には明らかに含みがある。その微笑んだ顔も、華やかで清らかだった。

 月は昇ったものの、まだ藤の色がはっきり見分けられるほど明るくはない。そのほのかな美しさを楽しみながら酒が運ばれ、管弦の遊びが始まった。

 内大臣はほどなく、酔ったふりをして夕霧へ盛んに酒を勧める。夕霧は何かあると察して、あまり酔わないよう苦労していた。

 やがて内大臣は、酔い泣きでもするような調子で、夕霧へ意味ありげに言った。

 「あなたはこれから先の世にも余るほど、天下の有職故実に通じた方になるのでしょう。それなのに、この年老いた者を見捨ててしまわれるとは、つらいことです。書物の中にも『家礼』という言葉はあるでしょう。昔の教えにも詳しいあなたなら、その意味はよく御存じのはずだと思っているのですがね。こんなに私を悩ませるとは、恨み言の一つも申し上げたくなりますよ」

 夕霧は深く頭を下げた。

 「どうしてそのようにお考えなのでしょう。昔からの御縁を思えば、この身を捨てるほどにお仕えすべきだとこそ存じておりました。ただ、すべて私の至らなさから、そうできずにおりましただけでございます」

 酒も進み、場がひどく賑やかになってきた。

 内大臣は「藤の裏葉の――」と古い歌を口ずさんだ。その意味を悟った柏木が、特に色濃く房の長い藤を折り、夕霧の杯へ添えた。

 夕霧が少し扱いかねていると、内大臣が詠んだ。

紫にかことはかけむ藤の花まつより過ぎてうれたけれども

この恨みは、紫の藤の花のせいにでもしておきましょう。待っている時をあまりにも過ぎてしまい、ずいぶんつらく思いましたけれど。

 夕霧は杯を持ったまま、ほんの少し頭を下げた。その姿がまた実に品がある。

いく返り露けき春を過ぐし来て花の紐解く折にあふらむ

いったい幾度、涙の露に濡れる春を過ごしてきたことでしょう。ようやく今、花の紐が解ける――あなたのお許しをいただける時に巡り会えたのですね。

 杯が柏木へ渡ると、柏木も詠んだ。

たをやめの袖にまがへる藤の花見る人からや色もまさらむ

美しい女性の袖と見まがうほどの藤の花。その色がいっそう美しく見えるのは、眺める人の心のせいなのでしょうか。

 その後も順々に歌は続いたようだが、皆かなり酔っていたので、これ以上これといった歌はなかった。

長い恋の末、夕霧と雲居雁が結ばれる

 七日の夕月がほのかに照らし、池の水面は鏡のように静かに澄んでいた。まだ木々の梢には緑も十分でなく、どこか寂しい季節だが、その中で横へ大きく枝を伸ばした松に藤が咲きかかっている姿は、普通ではないほど美しい。

 いつものように弁少将が、柔らかく美しい声で「葦垣」を歌い始めた。

 内大臣は「ずいぶん気の利いたことをするものだ」と、酔いに任せて少しくだけ、「年経にけるこの家の――」と歌に声を加えた。その声も実に味わい深い。

 ほどよく乱れた楽しい宴となり、長年の物思いまでどこかへ消えてしまいそうだった。

 夜が次第に更けると、夕霧はひどく具合が悪そうなふりをして柏木に訴えた。

 「どうも気分が悪くて、とても帰れそうにありません。今夜はどこか宿直する場所を譲ってもらえませんか」

 内大臣はそれを聞くと、「朝臣よ、この方のお休みになるところを用意しなさい。老人はすっかり酔って無礼になったので、もう奥へ入ります」と言い捨て、本当に引っ込んでしまった。

 柏木が、「それでは花の陰で旅寝ということで。ずいぶん頼りない案内役ですが」と冗談めかすと、夕霧は、「松と契りを結んだ花が、浮気な花であるものですか。縁起でもない」と責めた。

 柏木にも、内心では少し悔しいところがないわけではない。それでも夕霧の人柄は思い描いていたとおり立派で、「こうして最後まで雲居雁と結ばれるのなら安心だ」と、長年心を寄せていた相手でもある。そこで何の心配もなく、夕霧を妹のもとへ案内した。

 夕霧には、夢ではないかと思われた。これほど長い年月を待った末に、ようやく雲居雁と二人きりになれたのである。自分の身まで、以前より堂々としたものになったような気がしたことだろう。

 雲居雁は、長いあいだ隔てられてきただけに、ひどく恥ずかしくてたまらない。それでも美しく成長した今の姿は、何一つ不足のない、見飽きることのないものだった。

 夕霧は恨みを込めて言った。

 「このままなら、世間で語り草になるほど長く引き裂かれた男女になるところでした。それをここまでこじらせたのも、結局はあなたが御自分の心でようやく私を許してくださったからでしょう。人の苦しさを少しもおわかりにならないとは、本当に変わった方ですね」

 さらに、「弁少将が歌い出した『葦垣』の意味は、お聞きになりましたか。本当に気の利きすぎる男ですね。こちらも『河口の――』と返したいところでしたよ」と言う。

 雲居雁には、そんなことまで聞くのが恥ずかしく、腹立たしかった。

浅き名を言ひ流しける河口はいかが漏らしし関の荒垣

浅い噂を世間へ流してしまった河口はいったい誰なのでしょう。あれほど二人を隔てていた関の荒垣から、どうして話が漏れてしまったのでしょう。

 子供っぽいほど真面目に言うので、夕霧は少し笑って返した。

漏りにける岫田の関を河口の浅きにのみはおほせざらなむ

とうとう漏れてしまったのは、この長い年月、二人を閉ざしていた関そのもののせいでしょう。河口だけが浅かったのだと、そこばかり責めないでください。

 「長年の思いが積もりすぎて、本当に苦しくて、もう何が何だかわからないのです」

 夕霧は酔いのせいにして、いかにも苦しそうに振る舞い、夜が明けたことなど知らない顔をしていた。

 周囲の人々が起きるよう何度も申し上げていると、内大臣まで、「ずいぶん得意そうな朝寝ですね」とからかった。

 それでも夕霧は、完全に明るくなる前にようやく退出した。寝起きの顔まで、見る甲斐のある美しさだった。

翌朝の手紙と、源氏の訓戒

 夕霧が送った後朝の文も、これまで人目を忍んで手紙を交わしていたころと変わらず、細やかに心を配ったものだった。

 ところが今度は、雲居雁の返事がなかなか来ない。

 周囲の口の悪い女房たちがあれこれからかっているところへ、内大臣までやって来て手紙を目にしたのだから、雲居雁にはどうしようもない。

 夕霧の文には、親しげにこうあった。

 「昨夜のあなたの御様子を拝見して、かえってこれまでの自分の身のつらさが、いっそうよくわかりました。このままでは、耐えられない心にまた消えてしまいそうです」

とがむなよ忍びにしぼる手もたゆみ今日あらはるる袖のしづくを

どうか責めないでください。長いあいだ人知れず涙を絞り続けてきた手も疲れ、今日とうとう隠しきれず袖の雫となって現れたのです。

 内大臣は手紙を見て微笑んだ。

 「いやはや、ずいぶん見事な字を書けるようになったものだ」

 昔ならこんな恋文を見つければ大変なことになっただろうが、今ではもうあのころの険しい面影はない。

 雲居雁は恥ずかしくて、なかなか返事を書けない。内大臣も、「これ以上ここにいたら、かえって書きにくいだろう」と察し、その場を離れた。

 使者には並々ならぬ禄が与えられた。柏木も面白がって世話をする。いつもならこそこそ隠れるように手紙を運んでいた使者も、今日は堂々と人並みの顔で振る舞っていた。夕霧が日ごろから信頼して使っている右近将監だった。

 六条院の源氏も、二人がとうとう結ばれたことを聞いた。

 夕霧がいつも以上に晴れやかな顔で参上すると、源氏はしばらく息子を眺めてから言った。

 「今朝はどうでした。後朝の文も送りましたか。どれほど賢い男でも、女のことで心を乱す例は昔からあるものです。それなのにあなたは、見苦しく相手へまとわりついたり、苛立ったりせず、長い年月を過ごしてきた。そこはやはり、人より少し優れた心だったと思います。

 「ただ、内大臣のこれまでのやり方があまりにも堅すぎて、それが今になってすっかり崩れてしまったことについては、世間でもいろいろ言う人が出てくるでしょう。

 「だからといって、『こちらが勝った』という顔で得意になり、浮ついた気持ちなど見せてはいけませんよ。

 「あの大臣は一見、鷹揚で大きな心の人に見えるけれど、内心には少し男らしくない執念深さもあり、人が扱いにくい癖を持っているところがありますからね」

 源氏は、いつものように細かく教え聞かせた。

 親子がこうして並ぶ様子は、実に感じがよかった。二人は親子というより、源氏のほうがほんの少し年上の兄に見える程度である。別々に見れば同じ顔をそのまま写したようなのに、並んでみればそれぞれ違う美しさがあり、「ああ、なんと見事な」と思わせる。

 源氏は薄い直衣に、白い唐風の衣――紋が鮮やかで艶やかに透けるものを着ており、相変わらず限りなく高貴で、若々しい。

 夕霧はそれより少し色の濃い直衣に、丁子染を濃く焚きしめた柔らかな白綾を重ね、ことさらに艶やかに見えた。

内大臣、夕霧を正式な婿として受け入れる

 四月八日の灌仏会には、導師が遅れて参上したため、儀式が終わるころには日も暮れていた。

 それぞれの御方から童女を出し、布施なども宮中の儀式に劣らないよう趣向を凝らして整えられた。若君たちも大勢集まり、かえって正式な御前以上に気をつかい、少し気後れするほどだった。

 夕霧はじっとしていられず、またいっそう身なりを整えて雲居雁のもとへ出かける。わざと人へ見せるためではないのだが、その姿がいかにも恋に満ちた若者らしいので、中には恨めしく思う女もいたらしい。

 しかし何年もの思いが積もった末に、ようやく望みどおりの夫婦となった仲である。二人の間へ水の漏れる隙など、あるはずもなかった。

 内大臣も、近くで見るほどに夕霧をかわいい婿だと思い、ひどく大切に扱った。

 自分が長年の意地の張り合いに負けた悔しさは、まだ少し残っている。それでも夕霧が長年、ほかへ心を移さず、真面目な気持ちを変えずにいたことを珍しくありがたいと思い、もう何の罪も残さないほどすっかり許した。

 雲居雁の暮らしぶりは、内大臣家の女御よりも華やかで、何もかも理想どおりに見えるほどだった。そのため北の方や周囲の女房たちの中には面白くなく思う者もいたが、二人にとっては何の苦しいこともない。

 按察使の北の方なども、この縁談がようやくまとまったことを喜んでいた。

賀茂祭と、夕霧が忘れられない藤典侍

 さて、六条院では明石の姫君の入内準備が、いよいよ二十日過ぎに迫っていた。

 そのころ紫の上は御阿礼の見物へ出かけることになり、いつものように六条院のほかの女君たちへも一緒に行こうと声をかけた。

 しかし皆、紫の上の華やかな一行へ連なって出るのは、かえって気後れがすると考えたらしく、それぞれ邸に残った。

 紫の上一人の外出となったので、それほど大げさにはせず、車は二十台ほど。前駆なども必要以上に人数をそろえず、むしろ数を抑えたところが、かえって格別の威勢を感じさせた。

 祭の日の早朝に参詣し、帰りには見物のために用意した桟敷へ入った。

 六条院の各御方に仕える女房たちの車も次々と連なり、御前に広く場所を取っている。その様子は遠くから見ても「あれが六条院の一行だ」とわかるほど、堂々たるものだった。

 源氏は、その話を聞くにつけ、昔、賀茂祭の車争いで六条御息所の車が押しのけられた日のことを思い出した。

 「人はその時々の勢いに任せて驕るものだけれど、ああいう振る舞いは本当に情けのないことだった。こちらがあれほど軽く扱った相手も、結局は心に嘆きを負ったまま亡くなってしまった」

 源氏は以前なら、その話を口に出すことさえ避けていただろうが、今では遠い昔のこととなり、静かに振り返るようになっている。

 「それでも残された人々を見れば、夕霧はこうして臣下として少しずつ昇進している一方、中宮は並ぶものもないお立場になっていらっしゃる。考えてみると本当にしみじみする。

 「世の中はまったく定まらないものだから、生きている間くらい何事も思うとおりに過ごしたいとは思う。でも自分がいなくなったあとの人々が、たとえようもなく衰えていくことまで考えると、やはり何をするにも慎まなくてはならないね」

 源氏はそんなことを紫の上と話した。

 祭の近衛司の使いは柏木だった。内大臣邸から出立するところへ、大勢の人々が見送りに集まった。

 藤典侍もまた祭の使いを務めることになっていた。評判の高い女性なので、帝や春宮をはじめ、六条院からまで贈り物が数多く届き、あたりも狭いほどだった。

 夕霧は、藤典侍が出立するところへまでわざわざ見舞いに行った。

 二人はすっかり打ち解けた仲というわけではない。それでも人知れず互いに情を交わしてきた間柄である。夕霧は今、雲居雁という正式な妻を得たものの、この典侍のこともまったく何とも思わないわけではなかった。

 夕霧からの歌は――

何とかや今日のかざしよかつ見つつおぼめくまでもなりにけるかな

今日あなたが髪に挿すそのかざしは、いったい何という草なのでしょう。こうして見ていながら、それさえ見分けられないほど、あなたとの仲が遠くなってしまったようです。

 あまりに慌ただしく、今にも車へ乗るところだったけれど、藤典侍もこの機会を逃さず返した。

かざしてもかつたどらるる草の名は桂を折りし人や知るらむ

かざしていても、なお名前をお尋ねになるこの草のことなら、桂を折って官位を得たほどのあなたこそ、よく御存じなのではありませんか。

博士ほどの方なら、おわかりでしょう。

 ほんの軽いやり取りではあるが、夕霧には少し悔しいほど気の利いた返事だった。

 夕霧は結婚したあとも、この藤典侍との関係だけは完全には断たず、時折人知れず通い続けたということである。

明石の姫君、春宮へ入内する

 こうして、いよいよ明石の姫君が春宮へ参る日になった。

 本来、入内には紫の上が付き添うことになっている。しかし紫の上が宮中に長く付き添って控えることはできない。

 源氏は、「こういう機会に、実母の明石の御方を姫君の後見としてそばへ付けてはどうだろう」と考えた。

 紫の上自身も、同じことを思うようになっていた。

 ――どうせいつかはそうしなければならないのに、これまで母と娘を隔てたまま過ごしてきた。明石の御方も、どれほどつらく思っているだろう。姫君自身も今では少しずつ事情がわかる年になり、実母を恋しく、かわいそうに思う気持ちも出ているはず。これ以上お互いに気をつかい続けても意味がない。

 そこで紫の上から源氏へ、「この機会に、明石の御方を姫君にお付けになってはいかがですか。姫君はまだとてもお若く、こちらも心配です。仕える者も若い人ばかりですし、乳母たちにも経験には限りがあります。私自身はずっと宮中へ付き添うことができませんから、明石の御方なら安心してお任せできます」と申し出た。

 源氏は、「本当によくそこまで思いついてくれたものだ」と感心し、明石の御方にもその話をした。

 明石の御方は夢のように嬉しく、長年願ってきたことがかなったように思った。自分の装束から仕える人々の衣装まで、姫君の入内にふさわしく、決して高貴な人々へ見劣りしないよう念入りに準備した。

 明石の尼君は、なお姫君のこの先を見届けたいという思いが強かった。

 ――もう一度、生きているうちに姫君を見られる日があるだろうか。

 そう願うばかりに命へ執着しているような自分だったが、どうすれば宮中へ入る姫君に会えるというのだろう。そう考えると悲しくてならなかった。

 入内の夜、まず紫の上が姫君に付き添った。

 尼姿の自分まで出かけて行けば、車の乗り降りや歩く姿も人目に見苦しいだろう。自分一人の恥なら気にはしないけれど、これほど磨き上げられた姫君という玉の傷に、自分の存在がなってしまうかもしれない――尼君は、そんな形で自分がまだ生きていることまで、つらく思った。

 源氏は「人の目を驚かせるほど大げさな入内にはするまい」と思っていた。それでも自然と、普通とはまったく違う儀式になる。

 姫君は限りもなく大切に扱われ、春宮のもとへ送り出された。

 紫の上は、姫君を本当にかわいく、愛しいと思う。それにつけても、もし自分にも本当にこんな娘がいたなら、決して人には譲りたくなかっただろう、と感じた。

 源氏も夕霧も、ただ一つ、この姫君が紫の上の実の子でないことだけを、残念に思っていた。

紫の上と明石の御方、初めて心を開いて向き合う

 三日が過ぎると、紫の上は宮中から退出した。

 それと入れ替わるように、明石の御方が姫君のそばへ参る。その夜、紫の上と明石の御方は正式に対面した。

 紫の上は親しみ深く言った。

 「姫君がこうして大人になられたことで、私たちもどれほど長い年月を過ごしてきたかが、改めてわかります。もう今さら、私たちの間によそよそしい隔てなど残す必要はないでしょう」

 これが二人が本当に打ち解けて言葉を交わした初めだったのだろう。

 明石の御方が少し話す声や言葉遣いを聞くだけでも、紫の上には、「なるほど、源氏がこの人を特別な女性として扱ってきたのも当然だ」と驚くほど、洗練された人に思われた。

 一方の明石の御方も、今まさに美しさの盛りにある紫の上の気高い姿を見て、「これほど数多い女君の中で、源氏がこの方だけを並ぶもののない存在として愛してこられたのも、まったくもっともなことだ」と思い知った。

 自分と紫の上が、こうして並んで姫君の後見をすることになった。その縁が浅いものだろうか、と嬉しく思う一方で、紫の上が宮中から退出する時の儀式は特別に華やかで、輦車まで許され、女御とほとんど変わらない扱いだった。

 それを自分の身と比べれば、やはり身分の違いというものは思い知らされる。

 それでも、明石の御方が姫君の姿を間近に見ると、あまりにかわいらしく、雛のようで、夢を見ているようだった。

 涙が止まらない。

 これまで長い年月、さまざまなことに嘆き、自分の運命をつらいものと思ってきた。しかし今では、もっと長く生きていたいとさえ思う。これほど晴れ晴れしい出来事を迎えれば、住吉の神が自分たちへ与えてくれた御加護も、決して軽いものではなかったのだと心から思い知らされた。

 明石の御方は、姫君を自分の思うままに大切に世話できるようになった。しかも聡明で、何事にも気の利く人なので、後見として行き届かないことはほとんどない。

 もともとの評判や身分だけでなく、姫君自身も並外れて美しく、春宮もまだお若いお心に、格別の愛情を寄せるようになった。

 姫君と競い合うほかの御方の女房たちは、「あの方は実の母親があんな身分の人なのだから」と、明石の御方がそばにいることを傷のように言い立てることもあった。

 しかし、そんな言葉で姫君の輝きが消えるはずもない。

 今風で並ぶもののない華やかさはもちろん、奥ゆかしく品のある振る舞いまで、明石の御方がほんの些細なところにも理想的に整えている。

 殿上人たちも、この御方をめぐる女房たちの競争を珍しい楽しみとして、それぞれに目をかける女性までできるほどだったが、その女房たちの身なりや物腰さえ、明石の御方は見事に整えていた。

 紫の上も、しかるべき折には宮中へ参った。二人の仲は次第に理想的なほど打ち解けていく。

 それでいて馴れ馴れしくなりすぎることはなく、相手を軽く扱うようなところはほんの少しもない。何とも不思議なくらい、理想的な人柄と心づかいを持つ二人だった。

源氏、准太上天皇の位を得る

 源氏は以前から、自分の残りの人生はそう長くないのではないかと思っていた。

 だからこそ明石の姫君の入内を急いでいたのだが、今、その願いを十分にかなえた形で姫君を送り出すことができた。

 また、自分のせいでもないのに恋に苦しみ、どこか宙ぶらりんで見苦しくさえ見えていた夕霧も、ようやく雲居雁と結ばれ、落ち着いた暮らしになった。

 源氏の心は、ようやくすっかり落ち着いた。

 紫の上については、もし自分がいなくなっても中宮がいる。中宮から深い愛情を向けてもらえるはずだ。

 花散里についても夕霧がいる。皆それぞれに、自分の死後を心配しなくてもよいようになってきた。

 ――これでもう、長年の願いもかなったと思ってよいだろう。

 源氏はそんな心境になっていった。

 翌年には四十歳になる。その賀の準備は、帝をはじめ朝廷全体を挙げた大きな行事として進められていた。

 その秋、源氏には太上天皇に準じる御待遇が与えられた。封戸も増え、年官や年爵などの権利まで新たに加わった。

 もともと源氏には、これ以上世間で望んでかなわないことなど何一つない。それでも過去にも稀な特別の待遇だからと、昔の例を変えることなく院司なども置かれ、身のまわりはさらに格式高く、厳かになった。

 ただ、そのため今後気軽に内裏へ参ることが難しくなってしまうことだけは、源氏自身も少し残念に思った。

 それでも帝には、まだ足りない思いがある。

 世間への遠慮があるため、自分の皇位そのものを源氏へ譲ることができない。それを帝は、朝夕の嘆きの種にしていらした。

 内大臣もさらに昇進し、夕霧は中納言となった。

 夕霧が昇進の挨拶へ出てくると、以前以上に光り輝いて見え、顔立ちから何から欠点がない。

 雲居雁の父も、「下手に宮仕えさせて人に押されるより、こういう夫を得たほうが、かえってよかったのかもしれない」と、ようやく心から思い直した。

「浅緑」とからかった乳母へ、夕霧の返歌

 夕霧は、雲居雁の大輔乳母が昔、自分のことを「六位の男など」とつぶやいた夜を、何かにつけて忘れずにいた。

 今では自分も中納言となり、紫の袍を着る身分である。

 ある時、美しく咲いて色の移りかけた菊を乳母へ贈り、華やかに微笑みながら歌を添えた。

浅緑若葉の菊を露にても濃き紫の色とかけきや

昔、浅緑の若葉のような六位だった私が、ほんの少しでも、いつかこの濃い紫の色を着る身になるとお思いでしたか。

あの時の一言だけは、どうしても忘れられませんよ。

 乳母は恥ずかしく、申し訳なく思う一方で、これほど立派になった夕霧をかわいらしく眺め、親しげに返した。

双葉より名立たる園の菊なれば浅き色わく露もなかりき

幼い双葉のころから名高い園に育った菊でいらしたのですもの。その将来を、浅い色だなどと本当に見限っていたわけではございません。

それなのに、どうしてあれほどお気になさっていたのでしょう。

 すっかり打ち解けた言い訳で、乳母も困ったように笑っていた。

夕霧と雲居雁、思い出の三条殿へ

 夕霧の勢いはますます盛んになり、今までの住まいでは手狭になってきたので、夫婦は三条殿へ移った。

 少し荒れていた邸を美しく修理し、亡き大宮がお住まいだったあたりを改めて整えて暮らし始めた。

 昔を思い出させる、しみじみとした理想的な住まいだった。

 庭の前栽も、昔はまだ小さかった木々が今では濃い木陰を作っている。一群れの薄も、好き放題に伸び乱れていたので手入れさせた。遣水の水草も新しく整えると、どこを見ても気持ちよい庭になった。

 ある美しい夕暮れ、夕霧と雲居雁は二人で庭を眺めながら、幼いころ、この家であまりにもつらい思いをした時代のことなどを語り合った。

 今思えば、恋しく懐かしいことも多い。雲居雁には、周囲の人々が当時どんなふうに自分たちを見ていたのだろうと思うと、今さら恥ずかしくなることもある。

 昔から仕えていた女房たちも、それぞれの曹司を離れず残っていたので、二人の帰りを聞いて集まり、皆心から喜んだ。

 夕霧が庭の真清水を眺めて詠んだ。

なれこそは岩守るあるじ見し人の行方は知るや宿の真清水

昔からこの岩を守って流れてきた、この家の真清水よ。あなたなら、昔ここで暮らしていたあの方の行方を知っているのでしょうか。

 雲居雁も返した。

亡き人の影だに見えずつれなくて心をやれるいさらゐの水

亡くなった方の面影さえ映してはくれず、何事もなかったように流れ続ける浅井の水を見て、どうして心を慰められるでしょう。

 そんな話をしているところへ、内裏から退出してきた雲居雁の父の大臣が、庭の紅葉に心を引かれ、そのまま三条殿へ立ち寄った。

 昔ここで暮らしていたころと、邸の様子はほとんど変わっていない。ただ、それぞれの場所へ立派な大人となった夕霧と雲居雁が住んでいる。その華やかな姿を見ると、大臣は何とも言えない感慨に襲われた。

 中納言となった夕霧も、今日はいつもと少し違い、顔をほんのり赤らめながら、ますます落ち着いた大人の男として振る舞っている。

 二人が並ぶ姿は理想的で、雲居雁だって同じくらい美しい女性はほかにもいるかもしれないと思わせる程度には人間らしい美しさだが、夕霧のほうは、どこまでも際限なく清らかだった。

 昔の女房たちは大臣の前へも堂々と出て、年寄りらしい昔話を次々と始めた。

 先ほど夕霧たちが書き散らしていた歌が残っているのを大臣が見つけると、思わず涙ぐんだ。

 「この水の心をもう少し尋ねてみたいところだけれど、老人は不吉な言葉を慎んでおきましょう」

 そう言って歌った。

そのかみの老木はむべも朽ちぬらむ植ゑし小松も苔生ひにけり

昔から立っていた老木が朽ちてしまうのも無理はないのでしょう。あのころ植えた小松まで、今ではもう苔むすほど年月がたったのですから。

 夕霧の乳母は、昔この大臣からつらく扱われたことをまだ忘れていない。少し得意げに返した。

いづれをも蔭とぞ頼む双葉より根ざし交はせる松の末々

幼い双葉のころから根を交わして育ってきた、この二本の松。そのどちらも今では頼もしい木陰として、私どもは頼りにしております。

 老人たちがこんなふうに昔へかこつけた歌を次々と詠むのを、夕霧は面白がって聞いている。

 雲居雁は、何もそこまで昔の話を持ち出さなくてもよいのに、と顔を赤らめ、ひどく気恥ずかしく思っていた。

帝と朱雀院、六条院へ

 十月二十日過ぎ、六条院へ帝の行幸があった。

 紅葉がちょうど盛りで、このうえなく風情ある行幸になりそうだった。

 朱雀院へも知らせがあり、院まで六条院へお越しになることになったため、世間でもめったにない驚くべき出来事として、人々は大いに沸き立った。

 主人である源氏の側も、これ以上ないほど心を尽くし、目も眩むほどの準備を整えた。

 巳の刻に帝がおいでになり、まず馬場殿へ入られた。

 左右の馬寮の御馬を並べ、その両側に左右近衛の官人が立つ儀式は、五月の節会と見分けがつかないほど正式なものだった。

 未の刻を過ぎるころ、帝は南の寝殿へ移られた。途中の反橋や渡殿には錦を敷き、外から見えそうな場所には軟障を張り、どこまでも荘厳に整えられている。

 東の池には舟を浮かべ、宮中の御厨子所の鵜飼の長と、六条院に仕える鵜飼を並べて、鵜まで使わせた。小さな鮒などを捕らせる。

 わざわざそれだけを見物するほどの催しではないが、寝殿へ移る途中の目を楽しませる趣向として用意されたものだった。

 山の紅葉はどこを見ても優劣をつけられないほど見事だったが、とりわけ西の御前の景色は格別だった。

 中の廊の壁を一部崩し、中門まで開け放って、霧のような隔て一つなく帝から御覧になれるようにした。

 御座は二つ用意された。ただ、主人である源氏の座が帝の座より一段低く作られていたため、帝から宣旨があり、同じ高さへ直させた。

 その様子はこのうえなく晴れがましい。しかし帝はなお、自分が天皇である以上守らなければならない礼を尽くし、源氏へ本当に望むだけの敬意を形にして示せないことを残念に思っていらした。

 池で捕った魚を左少将が持ち、蔵人所の鷹飼が北野で狩った一つがいの鳥を右少将が捧げた。

 二人は寝殿の東から御前へ進み、階の左右に膝をついて奏上する。太政大臣が帝の仰せを受け、料理させて御膳へ差し上げた。

 親王や上達部への饗応も、いつもの形を少しずつ変え、六条院ならではの珍しい趣向で整えられていた。

紅葉の宴と、昔の「青海波」

 皆がほどよく酔い、日も暮れかけたころ、楽所の人々が召された。

 正式な大規模の舞楽というほどではなく、優美な程度に抑え、殿上童たちが舞を披露する。

 こういう紅葉の宴となれば、どうしても昔、朱雀院がまだ皇子だったころの「紅葉賀」が思い出される。

 「賀王恩」という舞が奏されると、太政大臣の末の息子で十歳ほどの少年が、ひどく見事に舞った。

 帝は自分の御衣を脱ぎ、褒美としてその少年に与えた。父である太政大臣は御前へ下り、舞踏して感謝を表した。

 主人の源氏は菊を折らせ、昔、自分が「青海波」を舞った時のことを思い出した。

色まさる籬の菊も折々に袖うちかけし秋を恋ふらし

色濃く咲くこの垣根の菊も、昔、この庭で袖を翻して舞った秋を恋しく思い出しているのでしょう。

 太政大臣も、あの時は源氏と並んで同じ舞を舞った人である。

 自分も世間では人より優れた者としてここまで来た。それでも、今の源氏の境地は、やはりまったく比べものにならないところまで高くなっている。

 太政大臣はそれを改めて思い知った。

 そこへ時雨が、まるで時を知っているように降ってきた。

 太政大臣が詠んだ。

紫の雲にまがへる菊の花濁りなき世の星かとぞ見る

紫の雲と見まがうほど美しい菊の花を見ておりますと、曇りのない御世に輝く星々なのかと思われます。

まさに、こういう時代が巡ってきたのですね。

夕風に散る紅葉と、三代を結ぶ御遊

 夕風が吹き、さまざまな紅葉を庭一面へ敷き散らしていく。

 濃い色、薄い色の葉が、錦を敷いた渡殿と見分けがつかないほど庭を覆った。

 その紅葉の中を、顔立ちの美しい童たちが舞っている。どの子も高貴な家の子で、青、赤、白橡、蘇芳、葡萄染などの装束をまとい、いつものように髪をみずらに結いながら、額だけを少し覗かせている。

 短い舞をほのかに見せては、また紅葉の陰へ消えていく。

 その美しさを見ていると、日が暮れていくことさえ惜しまれた。

 楽所の奏楽はあまり大げさにせず、やがて帝御自身の御遊が始まった。書司から御琴を取り寄せ、興がいよいよ深まると、御前にさまざまな楽器がそろえられた。

 宇多法師の昔と変わらない声を聞き、朱雀院はたいそう懐かしく、しみじみと感じられた。

 院は歌を詠んだ。

秋をへて時雨ふりぬる里人もかかる紅葉の折をこそ見ね

いくたびもの秋を過ごし、時雨に古びた里人のような私でさえ、これほど見事な紅葉の時を見たことはありません。

 少し恨めしそうにも聞こえる御歌だった。

 帝がそれへお答えになった。

世の常の紅葉とや見るいにしへのためしにひける庭の錦を

これをただ普通の紅葉と御覧になるのですか。昔のあの紅葉賀を手本にして、今日ここに再び織り出された庭の錦なのですよ。

 帝はますます立派な青年へと成長され、その御顔立ちは源氏とただ一つのものに見えるほどよく似ていた。

 そこへ中納言の夕霧まで控えているのだが、その夕霧も二人とそれほど違わない顔立ちなのだから、驚くべき一族である。

 ただ、気品と神々しさについては、帝という御身分への思いもあってか、自然と違って見える。一方で、鮮やかに匂い立つような美しさは、年若い夕霧にさらに加わっているようでもあった。

 夕霧が御前で笛を吹く。その音はたいそう見事だった。

 唱歌を務める殿上人が御階のところへ並ぶ中でも、弁少将の声は特に優れている。

 こうして見れば、やはりこの人々は、並々ならぬ縁によって結ばれた一族なのだろうと思われるのであった。

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