『源氏物語』第33帖「藤裏葉」原文全文

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」国貞『源氏香の図』

 このページでは、『源氏物語』第33帖「藤裏葉」の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『源氏物語』第33帖「藤裏葉」現代語訳全文をご覧ください。

目次

御いそぎのほどにも

 御おほんいそぎのほどにも、宰相中将さいしゃうのちゅうじゃうは眺ながめがちにて、ほれぼれしき心地ここちするを、「かつはあやしく、わが心こころながら執念しふねきぞかし。あながちにかう思おもふことならば、関守せきもりの、うちも寝ねぬべきけしきに思おもひ弱よわりたまふなるを聞ききながら、同おなじくは、人悪ひとわるからぬさまに見果みはてむ」と念ねんずるも、苦くるしう思おもひ乱みだれたまふ。

 女君をんなぎみも、大臣おとどのかすめたまひしことの筋すぢを、「もし、さもあらば、何なにの名残なごりかは」と嘆なげかしうて、あやしく背そむき背そむきに、さすがなる御おほんもろ恋こひなり。

 大臣おとども、さこそ心強こころづよがりたまひしかど、たけからぬに思おぼしわづらひて、「かの宮みやにも、さやうに思おもひ立たち果はてたまひなば、またとかく改あらため思おもひかかづらはむほど、人ひとのためも苦くるしう、わが御方おほんかたざまにも人笑ひとわらはれに、おのづから軽々かるがるしきことやまじらむ。忍しのぶとすれど、うちうちのことあやまりも、世よに漏もりにたるべし。とかく紛まぎらはして、なほ負まけぬべきなめり」と、思おぼしなりぬ。

 上うへはつれなくて、恨うらみ解とけぬ御仲おほんなかなれば、「ゆくりなく言いひ寄よらむもいかが」と、思おぼし憚はばかりて、「ことことしくもてなさむも、人ひとの思おもはむところをこなり。いかなるついでしてかはほのめかすべき」など思おぼすに、三月やよひ二十日はつか、大殿おほとのの大宮おほみやの御忌日おほんきにちにて、極楽寺ごくらくじに詣まうでたまへり。

君達皆ひき連れ

 君達きむだち皆みなひき連つれ、勢いきほひあらまほしく、上達部かむだちめなどもあまた参まゐり集つどひたまへるに、宰相中将さいしゃうのちゅうじゃう、をさをさけはひ劣おとらず、よそほしくて、容貌かたちなど、ただ今いまのいみじき盛さかりにねびゆきて、取とり集あつめめでたき人ひとの御おほんありさまなり。

 この大臣おとどをば、つらしと思おもひきこえたまひしより、見みえたてまつるも、心こころづかひせられて、いといたう用意よういし、もてしづめてものしたまふを、大臣おとども、常つねよりは目めとどめたまふ。御誦経みずきゃうなど、六条院ろくでうのゐんよりもせさせたまへり。宰相さいしゃう君きみは、まして、よろづをとりもちて、あはれにいとなみ仕つかうまつりたまふ。

 夕ゆふかけて、皆みな帰かへりたまふほど、花はなは皆みな散ちり乱みだれ、霞かすみたどたどしきに、大臣おとど、昔むかしを思おぼし出いでて、なまめかしううそぶき眺ながめたまふ。宰相さいしゃうも、あはれなる夕ゆふべのけしきに、いとどうちしめりて、「雨気あまけあり」と、人ひとびとの騒さわぐに、なほ眺ながめ入いりてゐたまへり。心こころときめきに見みたまふことやありけむ、袖そでを引ひき寄よせて、

「などか、いとこよなくは勘かむがじたまへる。今日けふの御法みのりの縁えにをも尋たづね思おぼさば、罪つみ許ゆるしたまひてよや。残のこり少すくなくなりゆく末すゑの世よに、思おもひ捨すてたまへるも、恨うらみきこゆべくなむ」

 とのたまへば、うちかしこまりて、

「過すぎにし御おほんおもむけも、頼たのみきこえさすべきさまに、うけたまはりおくことはべりしかど、許ゆるしなき御みけしきに、憚はばかりつつなむ」

 と聞きこえたまふ。

 心こころあわたたしき雨あめ風かぜに、皆みなちりぢりに競きほひ帰かへりたまひぬ。君きみ、「いかに思おもひて、例れいならずけしきばみたまひつらむ」など、世よとともに心こころをかけたる御おほんあたりなれば、はかなきことなれど、耳みみとまりて、とやかうやと思おもひ明あかしたまふ。

ここらの年ごろの思ひのしるし

 ここらの年としごろの思おもひのしるしにや、かの大臣おとども、名残なごりなく思おぼし弱よわりて、はかなきついでの、わざとはなく、さすがにつきづきしからむを思おぼすに、四月うづきの朔日ついたちごろ、御前おまへの藤ふぢの花はな、いとおもしろう咲さき乱みだれて、世よの常つねの色いろならず、ただに見過みすぐさむこと惜をしき盛さかりなるに、遊あそびなどしたまひて、暮くれ行ゆくほどの、いとど色いろまされるに、頭中将とうのちゅうじゃうして、御消息おほんせうそこあり。

「一日ひとひの花はなの蔭かげの対面たいめんの、飽あかずおぼえはべりしを、御暇おほんいとまあらば、立たち寄よりたまひなむや」

 とあり。御文おほんふみには、

「わが宿やどの藤ふぢの色いろ濃こきたそかれに尋たづねやは来こぬ春はるの名残なごりを」

 げに、いとおもしろき枝えだにつけたまへり。待まちつけたまへるも、心こころときめきせられて、かしこまりきこえたまふ。

「なかなかに折をりやまどはむ藤ふぢの花はなたそかれ時ときのたどたどしくは」

 と聞きこえて、

「口惜くちをしくこそ臆おくしにけれ。取とり直なほしたまへよ」

 と聞きこえたまふ。

「御供おほんともにこそ」

 とのたまへば、

「わづらはしき随身ずいじんは、否いな」

 とて、返かへしつ。

 大臣おとどの御前おまへに、かくなむ、とて、御覧ごらんぜさせたまふ。

「思おもふやうありてものしたまひつるにやあらむ。さも進すすみものしたまはばこそは、過すぎにし方かたの孝けうなかりし恨うらみも解とけめ」

 とのたまふ。御心みこころおごり、こよなうねたげなり。

「さしもはべらじ。対たいの前まへの藤ふぢ、常つねよりもおもしろう咲さきてはべるなるを、静しづかなるころほひなれば、遊あそびせむなどにやはべらむ」

 と申まうしたまふ。

「わざと使つかひさされたりけるを、早はやうものしたまへ」

 と許ゆるしたまふ。いかならむと、下したには苦くるしう、ただならず。

「直衣なほしこそあまり濃こくて、軽かろびためれ。非参議ひさんぎのほど、何なにとなき若人わかうどこそ、二藍ふたあゐはよけれ、ひき繕つくろはむや」

 とて、わが御料ごれうの心こころことなるに、えならぬ御衣おほんぞども具ぐして、御供おほんともに持もたせてたてまつれたまふ。

わが御方にて

 わが御方おほんかたにて、心こころづかひいみじう化粧けさうじて、たそかれも過すぎ、心こころやましきほどに参まうでたまへり。主人あるじの君達きむだち、中将ちゅうじゃうをはじめて、七しち、八人はちにんうち連つれて迎むかへ入いれたてまつる。いづれとなくをかしき容貌かたちどもなれど、なほ、人ひとにすぐれて、あざやかにきよらなるものから、なつかしう、よしづき、恥はづかしげなり。

 大臣おとど、御座おましひきつくろはせなどしたまふ御用意おほんようい、おろかならず。御冠おほんかうぶりなどしたまひて、出いでたまふとて、北きたの方かた、若わかき女房にょうばうなどに、

「覗のぞきて見みたまへ。いと警策きゃうざくにねびまさる人ひとなり。用意よういなどいと静しづかに、ものものしや。あざやかに、抜ぬけ出いでおよすけたる方かたは、父大臣ちちおとどにもまさりざまにこそあめれ。

かれは、ただいと切せちになまめかしう愛敬あいぎゃうづきて、見みるに笑ゑましく、世よの中なか忘わするる心地ここちぞしたまふ。公おほやけざまは、すこしたはれて、あざれたる方かたなりし、ことわりぞかし。

これは、才ざえの際きはもまさり、心こころもちゐ男々ををしく、すくよかに足たらひたりと、世よにおぼえためり」

 などのたまひてぞ、対面たいめんしたまふ。ものまめやかに、むべむべしき御物語おほんものがたりは、すこしばかりにて、花はなの興きょうに移うつりたまひぬ。

「春はるの花はな、いづれとなく、皆みな開あけ出いづる色いろごとに、目めおどろかぬはなきを、心こころ短みじかくうち捨すてて散ちりぬるが、恨うらめしうおぼゆるころほひ、この花はなのひとり立たち後のちれて、夏なつに咲さきかかるほどなむ、あやしう心こころにくくあはれにおぼえはべる。色いろもはた、なつかしきゆかりにしつべし」

 とて、うちほほ笑ゑみたまへる、けしきありて、匂にほひきよげなり。

月はさし出でぬれど

 月つきはさし出いでぬれど、花はなの色いろさだかにも見みえぬほどなるを、もてあそぶに心こころを寄よせて、大酒おほんみき参まゐり、御遊おほんあそびなどしたまふ。大臣おとど、ほどなく空そら酔ゑひをしたまひて、乱みだりがはしく強しひ酔ゑはしたまふを、さる心こころして、いたうすまひ悩なやめり。

「君きみは、末すゑの世よにはあまるまで、天あめの下したの有職いうそくにものしたまふめるを、齢よはひ古ふるりぬる人ひと、思おもひ捨すてたまふなむつらかりける。文籍ぶんせきにも、家礼かれいといふことあるべくや。なにがしの教をしへも、よく思おぼし知しるらむと思おもひたまふるを、いたう心こころ悩なやましたまふと、恨うらみきこゆべくなむ」

 などのたまひて、酔ゑひ泣なきにや、をかしきほどにけしきばみたまふ。

「いかでか。昔むかしを思おもうたまへ出いづる御おほん変かははりどもには、身みを捨すつるさまにもとこそ、思おもうたまへ知しりはべるを、いかに御覧ごらんじなすことにかはべらむ。もとより、おろかなる心こころのおこたりにこそ」

 と、かしこまりきこえたまふ。御時おほんときよく、さうどきて、

「藤ふぢの裏うら葉はの」

 とうち誦ずじたまへる、御みけしきを賜たまはりて、頭中将とうのちゅうじゃう、花はなの色いろ濃こく、ことに房ふさ長ながきを折をりて、客人まらうとの御盃おほんさかづきに加くはふ。取とりて、もて悩なやむに、大臣おとど、

「紫むらさきにかことはかけむ藤ふぢの花はなまつより過すぎてうれたけれども」

 宰相さいしゃう、盃さかづきを持もちながら、けしきばかり拝はいしたてまつりたまへるさま、いとよしあり。

「いく返かへり露つゆけき春はるを過すぐし来きて花はなの紐ひも解とく折をりにあふらむ」

 頭中将とうのちゅうじゃうに賜たまへば、

「たをやめの袖そでにまがへる藤ふぢの花はな見みる人ひとからや色いろもまさらむ」

 次々つぎつぎ順ずん流ながるめれど、酔ゑひの紛まぎれにはかばかしからで、これよりまさらず。

七日の夕月夜

 七日なぬかの夕月夜ゆふづくよ、影かげほのかなるに、池いけの鏡かがみのどかに澄すみわたれり。げに、まだほのかなる梢こずゑどもの、さうざうしきころなるに、いたうけしきばみ横よこたはれる松まつの、木高こだかきほどにはあらぬに、かかれる花はなのさま、世よの常つねならずおもしろし。

 例れいの、弁少将べんのせうしゃう、声こゑいとなつかしくて、「葦垣あしがき」を謡うたふ。大臣おとど、

「いとけやけうも仕つかうまつるかな」

 と、うち乱みだれたまひて、

「年とし経へにけるこの家いへの」

 と、うち加くはへたまへる御声おほんこゑ、いとおもしろし。をかしきほどに乱みだりがはしき御遊おほんあそびにて、もの思おもひ残のこらずなりぬめり。

 やうやう夜よ更ふけ行ゆくほどに、いたうそら悩なやみして、

「乱みだり心地ここちいと堪たへがたうて、まかでむ空そらもほとほとしうこそはべりぬべけれ。宿直所とのゐどころ譲ゆづりたまひてむや」

 と、中将ちゅうじゃうに愁うれへたまふ。大臣おとど、

「朝臣あそんや、御おほん休やすみ所どころ求もとめよ。翁おきないたう酔ゑひ進すすみて無礼むらいなれば、まかり入いりぬ」

 と言いひ捨すてて、入いりたまひぬ。

 中将ちゅうじゃう、

「花はなの蔭かげの旅寝たびねよ。いかにぞや、苦くるしきしるべにぞはべるや」

 と言いへば、

「松まつに契ちぎれるは、あだなる花はなかは。ゆゆしや」

 と責せめたまふ。中将ちゅうじゃうは、心こころのうちに、「ねたのわざや」と思おもふところあれど、人ひとざまの思おもふさまにめでたきに、「かうもあり果はてなむ」と、心寄こころよせわたることなれば、うしろやすく導みちびきつ。

 男君をとこぎみは、夢ゆめかとおぼえたまふにも、わが身みいとどいつかしうぞおぼえたまひけむかし。女をんなは、いと恥はづかしと思おもひしみてものしたまふも、ねびまされる御おほんありさま、いとど飽あかぬところなくめやすし。

「世よの例ためしにもなりぬべかりつる身みを、心こころもてこそ、かうまでも思おぼし許ゆるさるめれ。あはれを知しりたまはぬも、さま異ことなるわざかな」

 と、怨うらみきこえたまふ。

「少将せうしゃうの進すすみ出いだしつる葦垣あしがきの趣おもむきは、耳みみとどめたまひつや。いたき主ぬしかな。河口かはぐちのとこそ、さしいらへまほしかりつれ」

 とのたまへば、女をんな、いと聞きき苦くるし、と思おぼして、

「浅あさき名なを言いひ流ながしける河口かはぐちはいかが漏もらしし関せきの荒あら垣かき

あさまし」

 とのたまふさま、いとこめきたり。すこしうち笑わらひて、

「漏もりにける岫田くきたの関せきを河口かはぐちの浅あさきにのみはおほせざらなむ

年月としつきの積つもりも、いとわりなくて悩なやましきに、ものおぼえず」

 と、酔ゑひにかこちて、苦くるしげにもてなして、明あくるも知しらず顔かほなり。人ひとびと、聞きこえわづらふを、大臣おとど、

「したり顔かほなる朝寝あさいかな」

 と、とがめたまふ。されど、明あかし果はてでぞ出いでたまふ。ねくたれの御朝顔おほんあさがほ、見みるかひありかし。

御文はなほ忍びたりつる

 御文おほんふみは、なほ忍しのびたりつるさまの心こころづかひにてあるを、なかなか今日けふはえ聞きこえたまはぬを、もの言いひさがなき御達ごたちつきじろふに、大臣おとど渡わたりて見みたまふぞ、いとわりなきや。

「尽つきせざりつる御みけしきに、いとど思おもひ知しらるる身みのほどを。堪たへぬ心こころにまた消けえぬべきも、

とがむなよ忍しのびにしぼる手てもたゆみ今日けふあらはるる袖そでのしづくを」

 など、いと馴なれ顔かほなり。うち笑ゑみて、

「手てをいみじうも書かきなられにけるかな」

 などのたまふも、昔むかしの名残なごりなし。

 御返おほんかへり、いと出いで来きがたげなれば、「見苦みぐるしや」とて、さも思おぼし憚はばかりぬべきことなれば、渡わたりたまひぬ。

 御使おほんつかひの禄ろく、なべてならぬさまにて賜たまへり。中将ちゅうじゃう、をかしきさまにもてなしたまふ。常つねにひき隠かくしつつ隠かくろへありきし御使おほんつかひ、今日けふは、面おもてもちなど、人ひとびとしく振ふる舞まふめり。右近将監うこんのぞうなる人ひとの、むつましう思おぼし使つかひたまふなりけり。

 六条ろくでうの大臣おとども、かくと聞きこし召めしてけり。宰相さいしゃう、常つねよりも光ひかり添そひて参まゐりたまへれば、うちまもりたまひて、

「今朝けさはいかに。文ふみなどものしつや。賢さかしき人ひとも、女をんなの筋すぢには乱みだるる例ためしあるを、人悪ひとわろくかかづらひ、心こころいられせで過すぐされたるなむ、すこし人ひとに抜ぬけたりける御心みこころとおぼえける。

大臣おとどの御おほんおきての、あまりすくみて、名残なごりなくくづほれたまひぬるを、世人よひとも言いひ出いづることあらむや。さりとても、わが方かたたけう思おもひ顔かほに、心こころおごりして、好すき好すきしき心こころばへなど漏もらしたまふな。

さこそおいらかに、大おほきなる心こころおきてと見みゆれど、下したの心こころばへ男々ををしからず癖くせありて、人ひと見みえにくきところつきたまへる人ひとなり」

 など、例れいの教をしへきこえたまふ。ことうちあひ、めやすき御おほんあはひ、と思おぼさる。

 御子みことも見みえず、すこしがこのかみばかりと見みえたまふ。ほかほかにては、同おなじ顔かほを写うつし取とりたると見みゆるを、御前おまへにては、さまざま、あなめでたと見みえたまへり。

 大臣おとどは、薄うすき御直衣おほんなほし、白しろき御衣おほんぞの唐からめきたるが、紋もんけざやかにつやつやと透すきたるをたてまつりて、なほ尽つきせずあてになまめかしうおはします。

 宰相さいしゃう殿とのは、すこし色いろ深ふかき御直衣おほんなほしに、丁子ちゃうじ染ぞめの焦こがるるまでしめる、白しろき綾あやのなつかしきを着きたまへる、ことさらめきて艶えんに見みゆ。

灌仏率てたてまつりて

 灌仏くわんぶつ率ゐてたてまつりて、御導師おほんだうし遅おそく参まゐりければ、日ひ暮くれて、御方々おほんかたがたより童女わらはべ出いだし、布施ふせなど、公おほやけざまに変かははらず、心々こころごころにしたまへり。御前ごぜんの作法さはふを移うつして、君達きむだちなども参まゐり集つどひて、なかなか、うるはしき御前おまへよりも、あやしう心こころづかひせられて臆おくしがちなり。

 宰相さいしゃうは、静心しづこころなく、いよいよ化粧けさうじ、ひきつくろひて出いでたまふを、わざとならねど、情なさけだちたまふ若人わかうどは、恨うらめしと思おもふもありけり。年としごろの積つもり取とり添そへて、思おもふやうなる御仲おほんなからひなめれば、水みづも漏もらむやは。

 主人あるじの大臣おとど、いとどしき近ちかまさりを、うつくしきものに思おぼして、いみじうもてかしづききこえたまふ。負まけぬる方かたの口惜くちをしさは、なほ思おぼせど、罪つみも残のこるまじうぞ、まめやかなる御心みこころざまなどの、年としごろ異こと心こころなくて過すぐしたまへるなどを、ありがたく思おぼし許ゆるす。

 女御にょうごの御おほんありさまなどよりも、はなやかにめでたくあらまほしければ、北きたの方かた、さぶらふ人ひとびとなどは、心こころよからず思おもひ言いふもあれど、何なにの苦くるしきことかはあらむ。按察使あぜちの北きたの方かたなども、かかる方かたにて、うれしと思おもひきこえたまひけり。

かくて六条院の御いそぎは

 かくて、六条院ろくでうのゐんの御おほんいそぎは、二十余日にじふよにちのほどなりけり。対たいの上うへ、御阿礼みあれに詣まうでたまふとて、例れいの御方々おほんかたがたいざなひきこえたまへど、なかなか、さしも引ひき続つづきて心こころやましきを思おぼして、誰たれも誰たれもとまりたまひて、ことことしきほどにもあらず、御車みくるま二十にじふばかりして、御前ごぜんなども、くだくだしき人数ひとかず多おほくもあらず、ことそぎたるしも、けはひことなり。

 祭まつりの日ひの暁あかつきに詣まうでたまひて、かへさには、物もの御覧ごらんずべき御桟敷おほんさじきにおはします。御方々おほんかたがたの女房にょうばう、おのおの車くるま引ひき続つづきて、御前おまへ、所ところ占しめたるほど、いかめしう、「かれはそれ」と、遠とほ目めよりおどろおどろしき御勢おほんいきほひなり。

 大臣おとどは、中宮ちゅうぐうの御おほん母御息所ははみやすんどころの、車くるま押おし避よけられたまへりし折をりのこと思おぼし出いでて、

「時ときにより心こころおごりして、さやうなることなむ、情なさけなきことなりける。こよなく思おもひ消けちたりし人ひとも、嘆なげき負まふやうにて亡なくなりにき」

 と、そのほどはのたまひ消けちて、

「残のこりとまれる人ひとの、中将ちゅうじゃうは、かくただ人ひとにて、わづかになりのぼるめり。宮みやは並ならびなき筋すぢにておはするも、思おもへば、いとこそあはれなれ。すべていと定さだめなき世よなればこそ、何なにごとも思おもふさまにて、生いける限かぎりの世よを過すぐさまほしけれと、残のこりたまはむ末すゑの世よなどの、たとしへなき衰おとろへなどをさへ、思おもひ憚はばからるれば」

 と、うち語かたらひたまひて、上達部かむだちめなども御桟敷おほんさじきに参まゐり集つどひたまへれば、そなたに出いでたまひぬ。

近衛司の使は

 近衛司このゑづかさの使つかは、頭中将とうのちゅうじゃうなりけり。かの大殿おほとのにて、出いで立たつ所ところよりぞ人ひとびとは参まゐりたまうける。藤典侍とうないしのすけも使つかなりけり。おぼえことにて、内裏うち、春宮とうぐうよりはじめたてまつりて、六条院ろくでうのゐんなどよりも、御訪おほんとぶらひども所狭ところせきまで、御心みこころ寄よせいとめでたし。

 宰相中将さいしゃうのちゅうじゃう、出いで立たちの所ところにさへ訪とぶらひたまへり。うちとけずあはれを交まはしたまふ御仲おほんなかなれば、かくやむごとなき方かたに定さだまりたまひぬるを、ただならずうち思おもひけり。

「何なにとかや今日けふのかざしよかつ見みつつおぼめくまでもなりにけるかな

あさまし」

 とあるを、折をり過すぐしたまはぬばかりを、いかが思おもひけむ、いともの騒さわがしく、車くるまに乗のるほどなれど、

「かざしてもかつたどらるる草くさの名なは桂かつらを折をりし人ひとや知しるらむ

博士はかせならでは」

 と聞きこえたり。はかなけれど、ねたきいらへと思おぼす。なほ、この内侍ないしにぞ、思おもひ離はなれず、はひまぎれたまふべき。

かくて御参りは

 かくて、御参おほんまゐりは北きたの方かた添そひたまふべきを、「常つねに長々ながながしうえ添そひさぶらひたまはじ。かかるついでに、かの御後見おほんうしろみをや添そへまし」と思おぼす。

 上うへも、「つひにあるべきことの、かく隔へだたりて過すぐしたまふを、かの人ひとも、ものしと思おもひ嘆なげかるらむ。この御心みこころにも、今いまはやうやうおぼつかなく、あはれに思おぼし知しるらむ。かたがた心こころおかれたてまつらむも、あいなし」と思おもひなりたまひて、

「この折をりに添そへたてまつりたまへ。まだいとあえかなるほどもうしろめたきに、さぶらふ人ひととても、若々わかわかしきのみこそ多おほかれ。御乳母おほんめのとたちなども、見み及およぶことの心こころいたる限かぎりあるを、みづからは、えつとしもさぶらはざらむほど、うしろやすかるべく」

 と聞きこえたまへば、「いとよく思おぼし寄よるかな」と思おぼして、「さなむ」と、あなたにも語かたらひのたまひければ、いみじくうれしく、思おもふこと叶かなひはべる心地ここちして、人ひとの装束さうぞく、何なにかのことも、やむごとなき御おほんありさまに劣おとるまじくいそぎたつ。

 尼君あまぎみなむ、なほこの御おほん生おひ先さき見みたてまつらむの心深こころふかかりける。「今いま一度ひとたび見みたてまつる世よもや」と、命いのちをさへ執念しふねくなして念ねんじけるを、「いかにしてかは」と、思おもふも悲かなし。

 その夜よは、上うへ添そひて参まゐりたまふに、さて、車くるまにも立たちくだりうち歩あゆみなど、人悪ひとわるかるべきを、わがためは思おもひ憚はばからず、ただ、かく磨みがきたてまつりたまふ玉たまの疵きずにて、わがかくながらふるを、かつはいみじう心苦こころぐるしう思おもふ。

 御参おほんまゐりの儀式ぎしき、「人ひとの目めおどろくばかりのことはせじ」と思おぼしつつめど、おのづから世よの常つねのさまにぞあらぬや。限かぎりもなくかしづきすゑたてまつりたまひて、上うへは、「まことにあはれにうつくし」と思おもひきこえたまふにつけても、人ひとに譲ゆづるまじう、「まことにかかることもあらましかば」と思おぼす。大臣おとども、宰相さいしゃうの君きみも、ただこのことひとつをなむ、「飽あかぬことかな」と、思おぼしける。

三日過ごしてぞ

 三日みか過すごしてぞ、上うへはまかでさせたまふ。たち変かははりて参まゐりたまふ夜よ、御対面おほんたいめんあり。

「かくおとなびたまふけぢめになむ、年月としつきのほども知しられはべれば、疎々うとうとしき隔へだては、残のこるまじくや」

 と、なつかしうのたまひて、物語ものがたりなどしたまふ。これもうちとけぬる初はじめなめり。ものなどうち言いひたるけはひなど、「むべこそは」と、めざましう見みたまふ。

 また、いと気高けだかう盛さかりなる御みけしきを、かたみにめでたしと見みて、「そこらの御中おほんなかにもすぐれたる御心みこころざしにて、並ならびなきさまに定さだまりたまひけるも、いとことわり」と思おもひ知しらるるに、「かうまで、立たち並ならびきこゆる契ちぎり、おろかなりやは」と思おもふものから、出いでたまふ儀式ぎしきの、いとことによそほしく、御輦車おほんてぐるまなど聴ゆるされたまひて、女御にょうごの御おほんありさまに異ことならぬを、思おもひ比くらぶるに、さすがなる身みのほどなり。

 いとうつくしげに、雛ひひなのやうなる御おほんありさまを、夢ゆめの心地ここちして見みたてまつるにも、涙なみだのみとどまらぬは、一ひとつものとぞ見みえざりける。年としごろよろづに嘆なげき沈しづみ、さまざま憂うき身みと思おもひ屈くしつる命いのちも延のべまほしう、はればれしきにつけて、まことに住吉すみよしの神かみもおろかならず思おもひ知しらる。

 思おもふさまにかしづききこえて、心こころおよばぬことはた、をさをさなき人ひとのらうらうじさなれば、おほかたの寄よせ、おぼえよりはじめ、なべてならぬ御おほんありさま容貌かたちなるに、宮みやも、若わかき御心地みここちに、いと心こころことに思おもひきこえたまへり。

 挑いどみたまへる御方々おほんかたがたの人ひとなどは、この母君ははぎみの、かくてさぶらひたまふを、疵きずに言いひなしなどすれど、それに消けたるべくもあらず。いまめかしう、並ならびなきことをば、さらにもいはず、心こころにくくよしある御おほんけはひを、はかなきことにつけても、あらまほしうもてなしきこえたまへれば、殿上人てんじゃうびとなども、めづらしき挑いどみ所ところにて、とりどりにさぶらふ人ひとびとも、心こころをかけたる女房にょうばうの、用意よういありさまさへ、いみじくととのへなしたまへり。

 上うへも、さるべき折をり節ふしには参まゐりたまふ。御仲おほんなからひあらまほしううちとけゆくに、さりとてさし過すぎもの馴なれず、あなづらはしかるべきもてなし、はた、つゆなく、あやしくあらまほしき人ひとのありさま、心こころばへなり。

大臣も長からずのみ

 大臣おとども、「長ながからずのみ思おぼさるる御世みよのこなたに」と、思おぼしつる御参おほんまゐりの、かひあるさまに見みたてまつりなしたまひて、心こころからなれど、世よに浮うきたるやうにて、見苦みぐるしかりつる宰相さいしゃうの君きみも、思おもひなくめやすきさまにしづまりたまひぬれば、御心みこころおちゐ果はてたまひて、「今いまは本意ほいも遂とげなむ」と、思おぼしなる。

 対たいの上うへの御おほんありさまの、見捨みすてがたきにも、「中宮ちゅうぐうおはしませば、おろかならぬ御心みこころ寄よせなり。この御方おほんかたにも、世よに知しられたる親おやざまには、まづ思おもひきこえたまふべければ、さりとも」と、思おぼし譲ゆづりけり。

 夏なつの御方おほんかたの、時ときに花はなやぎたまふまじきも、「宰相さいしゃうのものしたまへば」と、皆みなとりどりにうしろめたからず思おぼしなりゆく。

 明あけむ年とし、四十よそぢになりたまふ、御賀おほんがのことを、朝廷おほやけよりはじめたてまつりて、大おほきなる世よのいそぎなり。

 その秋あき、太上天皇だいじゃうてんわうに准なずらふ御位おほんくらゐ得えたまうて、御封みふ加くははり、年官年爵つかさかうぶりなど、皆みな添そひたまふ。かからでも、世よの御心みこころに叶かなはぬことなけれど、なほめづらしかりける昔むかしの例れいを改あらためで、院司ゐんしどもなどなり、さまことにいつくしうなり添そひたまへば、内裏うちに参まゐりたまふべきこと、難かたかるべきをぞ、かつは思おぼしける。

 かくても、なほ飽あかず帝みかどは思おぼして、世よの中なかを憚はばかりて、位くらゐをえ譲ゆづりきこえぬことをなむ、朝夕あさゆふの御嘆おほんなげきぐさなりける。

 内大臣ないだいじん上あがりたまひて、宰相中将さいしゃうのちゅうじゃう、中納言ちゅうなごんになりたまひぬ。御おほんよろこびに出いでたまふ。光ひかりいとどまさりたまへるさま、容貌かたちよりはじめて、飽あかぬことなきを、主人あるじの大臣おとども、「なかなか人ひとに圧おされまし宮仕みやづかへよりは」と、思おぼし直なほる。

 女君をんなぎみの大輔乳母たいふのめのと、「六位宿世ろくゐすくせ」と、つぶやきし宵よひのこと、ものの折々をりをりに思おぼし出いでければ、菊きくのいとおもしろくて、移うつろひたるを賜たまはせて、

「浅緑あさみどり若葉わかばの菊きくを露つゆにても濃こき紫むらさきの色いろとかけきや

からかりし折をりの一言葉ひとことばこそ忘わすられね」

 と、いと匂にほひやかにほほ笑ゑみて賜たまへり。恥はづかしう、いとほしきものから、うつくしう見みたてまつる。

「双葉ふたばより名立なだたる園そのの菊きくなれば浅あさき色いろわく露つゆもなかりき

いかに心こころおかせたまへりけるにか」

 と、いと馴なれて苦くるしがる。

御勢ひまさりて

 御勢おほんいきほひまさりて、かかる御住おほんすまひも所狭ところせければ、三条殿さんでうどのに渡わたりたまひぬ。すこし荒あられにたるを、いとめでたく修理すりしなして、宮みやのおはしましし方かたを改あらためしつらひて住すみたまふ。昔むかしおぼえて、あはれに思おもふさまなる御住おほんすまひなり。

 前栽せんざいどもなど、小ちひさき木きどもなりしも、いとしげき蔭かげとなり、一村薄ひとむらすすきも心こころにまかせて乱みだれたりける、つくろはせたまふ。遣水やりみづの水みづ草くさもかき改あらためて、いと心こころゆきたるけしきなり。

 をかしき夕暮ゆふぐれのほどを、二所ふたところ眺ながめたまひて、あさましかりし世よの、御おほん幼をさなさの物語ものがたりなどしたまふに、恋こひしきことも多おほく、人ひとの思おもひけむことも恥はづかしう、女君をんなぎみは思おぼし出いづ。古人ふるびとどもの、まかで散ちらず、曹司ざうし曹司ざうしにさぶらひけるなど、参まう上のぼり集あつまりて、いとうれしと思おもひあへり。

 男君をとこぎみ、

「なれこそは岩いは守もるあるじ見みし人ひとの行方ゆくへは知しるや宿やどの真清水ましみづ」

 女君をんなぎみ、

「亡なき人ひとの影かげだに見みえずつれなくて心こころをやれるいさらゐの水みづ」

 などのたまふほどに、大臣おとど、内裏うちよりまかでたまひけるを、紅葉もみぢの色いろに驚おどろかされて渡わたりたまへり。

昔おはさひし御ありさまにも

 昔むかしおはさひし御おほんありさまにも、をさをさ変かははることなく、あたりあたりおとなしく住すまひたまへるさま、はなやかなるを見みたまふにつけても、いとものあはれに思おぼさる。中納言ちゅうなごんも、けしきことに、顔かほすこし赤あかみて、いとどしづまりてものしたまふ。

 あらまほしくうつくしげなる御おほんあはひなれど、女をんなは、またかかる容貌かたちのたぐひも、などかなからむと見みえたまへり。男をとこは、際きはもなくきよらにおはす。古人ふるびとども御前おまへに所得ところえて、神かみさびたることども聞きこえ出いづ。ありつる御手習おほんてならひどもの、散ちりたるを御覧ごらんじつけて、うちしほたれたまふ。

「この水みづの心こころ尋たづねまほしけれど、翁おきなは言忌こといみして」

 とのたまふ。

「そのかみの老木おいきはむべも朽くちぬらむ植うゑし小松こまつも苔こけ生おひにけり」

 男君をとこぎみの御おほん宰相さいしゃうの乳母めのと、つらかりし御心みこころも忘わすれねば、したり顔かほに、

「いづれをも蔭かげとぞ頼たのむ双葉ふたばより根ねざし交まはせる松まつの末々すゑずゑ」

 老お人ひとどもも、かやうの筋すぢに聞きこえ集あつめたるを、中納言ちゅうなごんは、をかしと思おぼす。女君をんなぎみは、あいなく面おもて赤あかみ、苦くるしと聞ききたまふ。

神無月の二十日あまり

 神無月かむなづきの二十日はつかあまりのほどに、六条院ろくでうのゐんに行幸ぎゃうがうあり。紅葉もみぢの盛さかりにて、興きょうあるべきたびの行幸ぎゃうがうなるに、朱雀院すざくゐんにも御消息おほんせうそこありて、院ゐんさへ渡わたりおはしますべければ、世よにめづらしくありがたきことにて、世人よひとも心こころをおどろかす。主人あるじの院ゐん方かたも、御心みこころを尽つくし、目めもあやなる御心みこころまうけをせさせたまふ。

 巳みの時ときに行幸ぎゃうがうありて、まづ、馬場殿むまばどのに左右ひだりみぎの寮つかさの御馬おほんむま牽ひき並ならべて、左右ひだりみぎ近衛このゑ立たち添そひたる作法さはふ、五月さつきの節せちにあやめわかれず通かよひたり。未ひつじくだるほどに、南みなみの寝殿しんでんに移うつりおはします。道みちのほどの反橋そりはし、渡殿わたどのには錦にしきを敷しき、あらはなるべき所ところには軟障ぜんじゃうを引ひき、いつくしうしなさせたまへり。

 東ひむがしの池いけに舟ふねども浮うけて、御厨子所みづしどころの鵜飼うかひの長をさ、院ゐんの鵜飼うかひを召めし並ならべて、鵜うをおろさせたまへり。小ちひさき鮒ふなども食くひたり。わざとの御覧ごらんとはなけれども、過すぎさせたまふ道みちの興きょうばかりになむ。

 山やまの紅葉もみぢ、いづ方かたも劣おとらねど、西にしの御前おまへは心こころことなるを、中なかの廊らうの壁かべを崩くづし、中門ちゅうもんを開あきて、霧きりの隔へだてなくて御覧ごらんぜさせたまふ。

 御座おほんざ、二ふたつよそひて、主人あるじの御座おほんざは下したれるを、宣旨せんじありて直なほさせたまふほど、めでたく見みえたれど、帝みかどは、なほ限かぎりあるゐやゐやしさを尽つくして見みせたてまつりたまはぬことをなむ、思おぼしける。

 池いけの魚いをを、左少将させうしゃう捕とり、蔵人所くらうどどころの鷹飼たかがひの、北野きたのに狩かり仕つかまつれる鳥一番とりひとつがひを、右少将うせうしゃう捧ささげて、寝殿しんでんの東ひむがしより御前おまへに出いでて、御階みはしの左右ひだりみぎに膝ひざをつきて奏そうす。太政大臣おほきおとど、仰おほせ言ごと賜たまひて、調てうじて御膳おものに参まゐる。親王みこたち、上達部かむだちめなどの御おほんまうけも、めづらしきさまに、常つねの事ことどもを変かへて仕つかうまつらせたまへり。

皆御酔ひになりて

 皆みな御おほん酔ゑひになりて、暮くれかかるほどに、楽所がくその人ひと召めす。わざとの大楽おほがくにはあらず、なまめかしきほどに、殿上てんじゃうの童わらはべ、舞まひ仕つかうまつる。朱雀院すざくゐんの紅葉もみぢの賀が、例れいの古事ふること思おぼし出いでらる。「賀王恩がわうおん」といふものを奏そうするほどに、太政大臣おほきおとどの御弟子おほんをとごの十とをばかりなる、切せちにおもしろう舞まふ。内裏うちの帝みかど、御衣おほんぞぬぎて賜たまふ。太政大臣おほきおとど降おりて舞踏ぶたふしたまふ。

 主人あるじの院ゐん、菊きくを折をらせたまひて、「青海波せいがいは」の折をりを思おぼし出いづ。

「色いろまさる籬まがきの菊きくも折々をりをりに袖そでうちかけし秋あきを恋こひふらし」

 大臣おとど、その折をりは、同おなじ舞まひに立たち並ならびきこえたまひしを、我われも人ひとにはすぐれたまへる身みながら、なほこの際きははこよなかりけるほど、思おぼし知しらる。時雨しぐれ、折をり知しり顔かほなり。

「紫むらさきの雲くもにまがへる菊きくの花はな濁にごりなき世よの星ほしかとぞ見みる

時ときこそありけれ」

 と聞きこえたまふ。

夕風の吹き敷く紅葉の色々

 夕風ゆふかぜの吹ふき敷しく紅葉もみぢの色々いろいろ、濃こき薄うすき、錦にしきを敷しきたる渡殿わたどのの上うへ、見みえまがふ庭にはの面おもに、容貌かたちをかしき童わらはべの、やむごとなき家いへの子こどもなどにて、青あをき赤あかき白橡しろつるばみ、蘇芳すはう、葡萄染えびぞめなど、常つねのごと、例れいのみづらに、額ひたひばかりのけしきを見みせて、短みじかきものどもをほのかに舞まひつつ、紅葉もみぢの蔭かげに返かへり入いるほど、日ひの暮くるるもいと惜をしげなり。

 楽所がくそなどおどろおどろしくはせず。上うへの御遊おほんあそび始はじまりて、書司ふみのつかさの御琴おほんことども召めす。ものの興きょう切せちなるほどに、御前ごぜんに皆みな御琴おほんことども参まゐれり。宇多法師うだのほふしの変かははらぬ声こゑも、朱雀院すざくゐんは、いとめづらしくあはれに聞きこし召めす。

「秋あきをへて時雨しぐれふりぬる里人さとびともかかる紅葉もみぢの折をりをこそ見みね」

 うらめしげにぞ思おぼしたるや。帝みかど、

「世よの常つねの紅葉もみぢとや見みるいにしへのためしにひける庭にはの錦にしきを」

 と、聞きこえ知しらせたまふ。御容貌おほんかたちいよいよねびととのほりたまひて、ただ一ひとつものと見みえさせたまふを、中納言ちゅうなごんさぶらひたまふが、ことことならぬこそ、めざましかめれ。あてにめでたきけはひや、思おもひなしに劣おとりまさらむ、あざやかに匂にほはしきところは、添そひてさへ見みゆ。

 笛ふえ仕つかうまつりたまふ、いとおもしろし。唱歌さうがの殿上人てんじゃうびと、御階みはしにさぶらふ中なかに、弁少将べんのせうしゃうの声こゑすぐれたり。なほさるべきにこそと見みえたる御仲おほんなからひなめり。

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