『源氏物語』第44帖「竹河」原文全文

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」国貞『源氏香の図』

 このページでは、『源氏物語』第44帖「竹河」の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『源氏物語』第44帖「竹河」現代語訳全文をご覧ください。

目次

これは、源氏の御族にも

 これは、源氏げんじの御族おほんぞうにも離はなれたまへりし、後のちの大殿おほとのわたりにありける悪御達わるごたちの、落おちとまり残のこれるが、問とはず語かたりしおきたるは、紫むらさきのゆかりにも似にざめれど、かの女をんなどもの言いひけるは、「源氏げんじの御末々おほんすゑずゑに、ひがことどもの混まじりて聞きこゆるは、我われよりも年としの数かず積つもり、ほけたりける人ひとのひがことにや」などあやしがりける。いづれかはまことならむ。

 尚侍ないしのかみの御腹おほんはらに、故殿ことのの御子おほんこは、男をとこ三人さんにん、女をんな二人ふたりなむおはしけるを、さまざまにかしづきたてむことを思おぼしおきてて、年月としつきの過すぐるも心こころもとながりたまひしほどに、あへなく亡うせたまひにしかば、夢ゆめのやうにて、いつしかといそぎ思おぼしし御宮仕おほんみやづかへもおこたりぬ。

 人ひとの心こころ、時ときにのみよるわざなりければ、さばかり勢いきほひいかめしくおはせし大臣おとどの御名残おほんなごり、うちうちの御宝物おほんたからもの、領らうじたまふ所々ところどころのなど、その方かたの衰おとろへはなけれど、おほかたのありさま引ひき変かへたるやうに、殿とののうちしめやかになりゆく。

 尚侍かんの君きみの御おほん近ちかきゆかり、そこらこそは世よに広ひろごりたまへど、なかなかやむごとなき御仲おほんなからひの、もとよりも親おやしからざりしに、故殿ことの、情なさけすこしおくれ、むらむらしさ過すぎたまへりける御本性ごほんじゃうにて、心こころおかれたまふこともありけるゆかりにや、誰たれにもえなつかしく聞きこえ通かよひたまはず。

 六条院ろくでうのゐんには、すべて、なほ昔むかしに変かはらず数かずまへきこえたまひて、亡うせたまひなむ後のちのことども書かきおきたまへる御処分おほんしょぶんの文ふみどもにも、中宮ちうぐうの御おほん次つぎに加くはへたてまつりたまへれば、右みぎの大殿おほとのなどは、なかなかその心こころありて、さるべき折々をりをり訪おとづれきこえたまふ。

男君たちは、御元服などして

 男君をとこぎみたちは、御元服おほんげんぷくなどして、おのおのおとなびたまひにしかば、殿とののおはせでのち、心こころもとなくあはれなることもあれど、おのづからなり出いでたまひぬべかめり。「姫君ひめぎみたちをいかにもてなしたてまつらむ」と、思おぼし乱みだる。

 内裏うちにも、かならず宮仕みやづかへの本意ほい深ふかきよしを、大臣おとどの奏そうしおきたまひければ、おとなびたまひぬらむ年月としつきを推おし量はからせたまひて、仰おほせ言ごと絶たえずあれど、中宮ちうぐうの、いよいよ並ならびなくのみなりまさりたまふ御おほんけはひにおされて、皆人みなひと無徳むとくにものしたまふめる末すゑに参まゐりて、遥はるかに目めを側そばめられたてまつらむもわづらはしく、また人ひとに劣おとり、数かずならぬさまにて見みむ、はた、心こころ尽つくしなるべきを思おぼほしたゆたふ。

 冷泉院れいぜいゐんよりは、いとねむごろに思おぼしのたまはせて、尚侍かんの君きみの、昔むかし、本意ほいなくて過すぐしたまうし辛つらさをさへ、とり返かへし恨うらみきこえたまうて、

「今いまは、まいてさだ過すぎ、すさまじきありさまに思おもひ捨すてたまふとも、うしろやすき親おやになずらへて、譲ゆづりたまへ」

 と、いとまめやかに聞きこえたまひければ、「いかがはあるべきことならむ。みづからのいと口惜くちをしき宿世すくせにて、思おもひの外ほかに心こころづきなしと思おぼされにしが、恥はづかしうかたじけなきを、この世よの末すゑにや御覧ごらんじ直なほされまし」など定さだめかねたまふ。

容貌いとようおはする聞こえありて

 容貌かたちいとようおはする聞きこえありて、心こころかけ申まうしたまふ人ひと多おほかり。右みぎの大殿おほとのの蔵人少将くらうどのせうしゃうとかいひしは、三条さんでう殿とのの御腹おほんはらにて、兄君せうとぎみたちよりも引ひき越こし、いみじうかしづきたまひ、人柄ひとがらもいとをかしかりし君きみ、いとねむごろに申まうしたまふ。

 いづ方かたにつけても、もて離はなれたまはぬ御仲おほんなからひなれば、この君きみたちの睦むつび参まゐりたまひなどするは、気遠けどほくもてなしたまはず。女房にょうばうにも気近けぢかく馴なれ寄よりつつ、思おもふことを語かたらふにも便びんりありて、夜昼よるひる、あたりさらぬ耳みみかしかましさを、うるさきものの、心苦こころぐるしきに、尚侍かんの殿とのも思おぼしたり。

 母はは北きたの方かたの御文おほんふみも、しばしばたてまつりたまひて、「いと軽かろびたるほどにはべるめれど、思おぼし許ゆるす方かたもや」となむ、大臣おとども聞きこえたまひける。

 姫君ひめぎみをば、さらにただのさまにも思おぼしおきてたまはず、中なかの君きみをなむ、今いますこし世よの聞きこえ軽々かるがるしからぬほどになずらひならば、さもや、と思おぼしける。許ゆるしたまはずは、盗ぬすみも取とりつべく、むくつけきまで思おもへり。こよなきこととは思おぼさねど、女をんな方かたの心こころ許ゆるしたまはぬことの紛まぎれあるは、音ね聞ききもあはつけきわざなれば、聞きこえつぐ人ひとをも、「あな、かしこ。過すち引ひき出いづな」などのたまふに、朽くたされてなむ、わづらはしがりける。

六条院の御末に

 六条院ろくでうのゐんの御おほん末すゑに、朱雀院すざくゐんの宮みやの御腹おほんはらに生むまれたまへりし君きみ、冷泉院れいぜいゐんに、御子みこのやうに思おぼしかしづく四位しゐ侍従じじう、そのころ十四じふし、五ごばかりにて、いときびはに幼をさなかるべきほどよりは、心こころおきておとなおとなしく、めやすく、人ひとにまさりたる生おひ先さきしるくものしたまふを、尚侍かんの君きみは、婿むこにても見みまほしく思おぼしたり。

 この殿とのは、かの三条さんでうの宮みやといと近ちかきほどなれば、さるべき折々をりをりの遊あそび所ところには、君達きむだちに引ひかれて見みえたまふ時々ときどきあり。心こころにくき女をんなのおはする所ところなれば、若わかき男をとこの心こころづかひせぬなう、見みえしらひさまよふ中なかに、容貌かたちのよさは、この立たち去さらぬ蔵人少将くらうどのせうしゃう、なつかしく心恥こころはづかしげに、なまめいたる方かたは、この四位しゐ侍従じじうの御おほんありさまに、似にる人ひとぞなかりける。

 六条院ろくでうのゐんの御おほんけはひ近ちかうと思おもひなすが、心こころことなるにやあらむ、世よの中なかにおのづからもてかしづかれたまへる人ひと、若わかき人ひとびと、心こころことにめであへり。尚侍かんの殿とのも、「げにこそ、めやすけれ」などのたまひて、なつかしうもの聞きこえたまひなどす。

「院ゐんの御心みこころばへを思おもひ出いできこえて、慰なぐさむ世よなう、いみじうのみ思おぼほゆるを、その御形見おほんかたみにも、誰たれをかは見みたてまつらむ。右みぎの大臣おとどは、ことことしき御おほんほどにて、ついでなき対面たいめんもかたきを」

 などのたまひて、兄弟はらからのつらに思おもひきこえたまへれば、かの君きみも、さるべき所ところに思おもひて参まゐりたまふ。世よの常つねのすきずきしさも見みえず、いといたうしづまりたるをぞ、ここかしこの若わかき人ひとども、口惜くちをしうさうざうしきことに思おもひて、言いひなやましける。

睦月の朔日ころ

 睦月むつきの朔日ついたちころ、尚侍かんの君きみの御兄弟おほんはらからの大納言だいなごん、「高砂たかさご」謡うたひしよ、藤中納言とうちうなごん、故大殿こおほいどのの太郎たらう、真木柱まきばしらの一ひとつ腹ばらなど参まゐりたまへり。右みぎの大臣おとども、御子みこども六ろく人ひとながらひき連つれておはしたり。御容貌おほんかたちよりはじめて、飽あかぬことなく見みゆる人ひとの御おほんありさまおぼえなり。

 君きみたちも、さまざまいときよげにて、年としのほどよりは、官位つかさくらゐ過すぎつつ、何なにごと思おもふらむと見みえたるべし。世よとともに、蔵人くらうどの君きみは、かしづかれたるさま異ことなれど、うちしめりて思おもふことあり顔がほなり。

 大臣おとどは、御几帳みきちゃう隔へだてて、昔むかしに変かはらず御物語おほんものがたり聞きこえたまふ。

「そのこととなくて、しばしばもえうけたまはらず。年としの数かず添そふままに、内裏うちに参まゐるより他ほかのありき、うひうひしうなりにてはべれば、いにしへの御物語おほんものがたりも、聞きこえまほしき折々をりをり多おほく過すぐしはべるをなむ。

若わかき男をとこどもは、さるべきことには召めしつかはせたまへ。かならずその心こころざし御覧ごらんぜられよと、いましめはべり」など聞きこえたまふ。

「今いまは、かく、世よに経へる数かずにもあらぬやうになりゆくありさまを、思おぼし数かずまふるになむ、過すぎにし御おほんことも、いとど忘わすれがたく思おもうたまへられける」

 と申まうしたまひけるついでに、院ゐんよりのたまはすること、ほのめかし聞きこえたまふ。

「はかばかしう後見うしろみなき人ひとの交まじらひは、なかなか見苦みぐるしきをと、思おもひたまへなむわづらふ」

 と申まうしたまへば、

「内裏うちに仰おほせらるることあるやうに承うけたまはりしを、いづ方かたに思おぼほし定さだむべきことにか。院ゐんは、げに、御位みくらゐを去さらせたまへるにこそ、盛さかり過すぎたる心地ここちすれど、世よにありがたき御おほんありさまは、古ふるりがたくのみおはしますめるを、よろしう生おひ出いづる女子をんなごはべらましかばと、思おもひたまへよりながら、恥はづかしげなる御中おほんなかに、交まじらふべき物もののはべらでなむ、口惜くちをしう思おもひたまへらるる。

そもそも、女一をんないちの宮みやの女御にょうごは、許ゆるしきこえたまふや。さきざきの人ひと、さやうの憚はばかりにより、とどこほることもはべりかし」

 と申まうしたまへば、

「女御にょうごなむ、つれづれにのどかになりにたるありさまも、同おなじ心こころに後見うしろみて、慰なぐさめまほしきをなど、かの勧すすめたまふにつけて、いかがなどだに思おもひたまへよるになむ」

 と聞きこえたまふ。

 これかれ、ここに集つどまりたまひて、三条さんでうの宮みやに参まゐりたまふ。朱雀院すざくゐんの古ふるき心こころものしたまふ人ひとびと、六条院ろくでうのゐんの方かたざまのも、かたがたにつけて、なほかの入道宮にふだうのみやをば、えよきず参まゐりたまふなめり。この殿とのの左近中将さこんのちうじゃう、右中弁うちうべん、侍従じじうの君きみなども、やがて大臣おとどの御供おほんともに出いでたまひぬ。ひき連つれたまへる勢いきほひことなり。

夕つけて、四位侍従

 夕ゆふつけて、四位しゐ侍従じじう参まゐりたまへり。そこらおとなしき若君達わかきむだちも、あまたさまざまに、いづれかは悪わろびたりつる。皆みなめやすかりつる中なかに、立たち後おくれてこの君きみの立たち出いでたまへる、いとこよなく目めとまる心地ここちして、例れいの、ものめでする若わかき人ひとたちは、「なほ、ことなりけり」など言いふ。

「この殿とのの姫君ひめぎみの御おほんかたはらには、これをこそさし並ならべて見みめ」

 と、聞ききにくく言いふ。げに、いと若わかうなまめかしきさまして、うちふるまひたまへる匂にほひ香かなど、世よの常つねならず。「姫君ひめぎみと聞きこゆれど、心こころおはせむ人ひとは、げに人ひとよりはまさるなめりと、見み知しりたまふらむかし」とぞおぼゆる。

 尚侍かんの殿との、御念誦堂おほんねんずだうにおはして、「こなたに」とのたまへれば、東ひむがしの階はしより昇のぼりて、戸口とぐちの御簾みすの前まへにゐたまへり。御前おまへ近ちかき若わか木きの梅むめ、心こころもとなくつぼみて、鴬うぐひすの初声はつこゑもいとおほどかなるに、いと好すかせたてまほしきさまのしたまへれば、人ひとびとはかなきことを言いふに、言こと少すくなに心こころにくきほどなるを、ねたがりて、宰相さいしゃうの君きみと聞きこゆる上臈じゃうらふの詠よみかけたまふ。

「折をりりて見みばいとど匂にほひもまさるやとすこし色いろめけ梅むめの初花はつはな」

「口くちはやし」と聞ききて、

「よそにてはもぎ木きなりとや定さだむらむ下したに匂にほへる梅むめの初花はつはな

さらば袖そで触ふれて見みたまへ」など言いひすさぶに、

「まことは色いろよりも」と、口々くちぐち、引ひきも動うごかしつべくさまよふ。

 尚侍かんの君きみ、奥おくの方かたよりゐざり出いでたまひて、

「うたての御達ごたちや。恥はづかしげなるまめ人びとをさへ、よくこそ、面無おもなけれ」

 と忍しのびてのたまふなり。「まめ人びととこそ、付つけられたりけれ。いと屈くじたる名なかな」と思おもひゐたまへり。主人あるじの侍従じじう、殿上てんじゃうなどもまだせねば、所々ところどころもありかで、おはしあひたり。浅香せんかうの折敷をしき、二につばかりして、くだもの、盃さかづきばかりさし出いでたまへり。

「大臣おとどは、ねびまさりたまふままに、故院こゐんにいとようこそ、おぼえたてまつりたまへれ。この君きみは、似にたまへるところも見みえたまはぬを、けはひのいとしめやかに、なまめいたるもてなししもぞ、かの御若盛おほんわかざかり思おもひやらるる。かうざまにぞおはしけむかし」

 など、思おもひ出いでられたまひて、うちしほれたまふ。名残なごりさへとまりたる香かうばしさを、人ひとびとはめでくつがへる。

侍従の君、まめ人の名を

 侍従じじうの君きみ、まめ人びとの名なをうれたしと思おもひければ、二十余日にじふよひのころ、梅むめの花盛はなざかりなるに、「匂にほひ少すくなげに取とりなされじ。好すき者ものならはむかし」と思おぼして、藤侍従とうじじうの御おほんもとにおはしたり。

 中門ちうもん入いりたまふほどに、同おなじ直衣なほし姿すがたなる人ひと立たてりけり。隠かくれなむと思おもひけるを、ひきとどめたれば、この常つねに立たちわづらふ少将せうしゃうなりけり。

「寝殿しんでんの西面にしおもてに、琵琶びは、箏さうの琴きんの声こゑするに、心こころを惑まどはして立たてるなめり。苦くるしげや。人ひとの許ゆるさぬこと思おもひはじめむは、罪つみ深ふかかるべきわざかな」と思おもふ。琴きんの声こゑもやみぬれば、

「いざ、しるべしたまへ。まろは、いとたどたどし」

 とて、ひき連つれて、西にしの渡殿わたどのの前まへなる紅梅こうばいの木きのもとに、「梅むめが枝えだ」をうそぶきて立たち寄よるけはひの、花はなよりもしるく、さとうち匂にほへれば、妻戸つまどおし開あけて、人ひとびと、東琴あづまごとをいとよく掻かき合あはせたり。女をんなの琴きんにて、呂りょの歌うたは、かうしも合あはせぬを、いたしと思おもひて、今いま一ひと返かへり、をり返かへし歌うたふ、琵琶びはも二になく今いまめかし。

「ゆゑありてもてないたまへるあたりぞかし」と、心こころとまりぬれば、今宵こよひはすこしうちとけて、はかなしごとなども言いふ。

 内うちより和琴わごんさし出いでたり。かたみに譲ゆづりて、手て触ふれぬに、侍従じじうの君きみして、尚侍かんの殿との、

「故こ致仕ちじの大臣おとどの御おほん爪音つまおとになむ、通かよひたまへる、と聞ききわたるを、まめやかにゆかしうなむ。今宵こよひは、なほ鴬うぐひすにも誘さそはれたまへ」

 と、のたまひ出いだしたれば、「あまえて爪つまくふべきことにもあらぬを」と思おもひて、をさをさ心こころにも入いらず掻かきわたしたまへるけしき、いと響ひびき多おほく聞きこゆ。

「常つねに見みたてまつり睦むつびざりし親おやなれど、世よにおはせずなりにきと思おもふに、いと心細こころぼそきに、はかなきことのついでにも思おもひ出いでたてまつるに、いとなむあはれなる。

おほかた、この君きみは、あやしう故こ大納言だいなごんの御おほんありさまに、いとようおぼえ、琴きんの音ねなど、ただそれとこそ、おぼえつれ」

 とて泣なきたまふも、古ふるめいたまふしるしの、涙なみだもろさにや。

少将も、声いとおもしろうて

 少将せうしゃうも、声こゑいとおもしろうて、「さき草くさ」謡うたふ。さかしら心こころつきて、うち過すぐしたる人ひともまじらねば、おのづからかたみにもよほされて遊あそびたまふに、主人あるじの侍従じじうは、故こ大臣おとどに似にたてまつりたまへるにや、かやうの方かたは後おくれて、盃さかづきをのみすすむれば、「寿詞ことぶきをだにせむや」と、恥はづかしめられて、「竹河たけかは」を同おなじ声こゑに出いだして、まだ若わかけれど、をかしう謡うたふ。簾すだれのうちより土器かはらけさし出いづ。

「酔ゑのすすみては、忍しのぶることもつつまれず。ひがことするわざとこそ聞ききはべれ。いかにもてないたまふぞ」

 と、とみにうけひかず。小袿こうちき重おもなりたる細ほそ長ながの、人香ひとがなつかしう染そみたるを、取とりあへたるままに、被かづけたまふ。「何なにぞもぞ」などさうどきて、侍従じじうは、主人あるじの君きみにうち被かづけて去いぬ。引ひきとどめて被かづくれど、「水駅みづむまやにて夜よ更ふけにけり」とて、逃のがげにけり。

 少将せうしゃうは、「この源侍従げんじじうの君きみのかうほのめき寄よるめれば、皆人みなひとこれにこそ心こころ寄よせたまふらめ。わが身みは、いとど屈くじいたく思おもひ弱よわりて」、あぢきなうぞ恨うらむる。

「人ひとはみな花はなに心こころを移うつすらむ一人ひとりぞ惑まどふ春はるの夜よの闇やみ」

 うち嘆なげきて立たてば、内うちの人ひとの返かへし、

「をりからやあはれも知しらむ梅むめの花はなただ香かばかりに移うつりしもせじ」

 朝あさに、四位しゐ侍従じじうのもとより、主人あるじの侍従じじうのもとに、

「昨夜よべは、いと乱みだりがはしかりしを、人ひとびといかに見みたまひけむ」

 と、見みたまへとおぼしう、仮名かながちに書かきて、

「竹河たけかはの橋はしうちいでし一節ひとふしに深ふかき心こころの底そこは知しりきや」

 と書かきたり。寝殿しんでんに持もて参まゐりて、これかれ見みたまふ。

「手てなども、いとをかしうもあるかな。いかなる人ひと、今いまよりかくととのひたらむ。幼をさなくて、院ゐんにも後おくれたてまつり、母宮ははみやのしどけなう生おほし立たてたまへれど、なほ人ひとにはまさるべきにこそあめれ」

 とて、尚侍かんの君きみは、この君きみたちの、手てなど悪あしきことを恥はづかしめたまふ。返かへりこと、げに、いと若わかく、

「昨夜よべは、水駅みづむまやをなむ、とがめきこゆめりし。

竹河たけかはに夜よを更ふかさじといそぎしもいかなる節ふしを思おもひおかまし」

 げに、この節ふしをはじめにて、この君きみの御曹司みざうしにおはして、けしきばみ寄よる。少将せうしゃうの推おし量はかりしもしるく、皆人みなひと心こころ寄よせたり。侍従じじうの君きみも、若わかき心地ここちに、近ちかきゆかりにて、明あけ暮くれ睦むつびまほしう思おもひけり。

弥生になりて、咲く桜あれば

 弥生やよひになりて、咲さく桜さくらあれば、散ちりかひくもり、おほかたの盛さかりなるころ、のどやかにおはする所ところは、紛まぎるることなく、端近はしぢかなる罪つみもあるまじかめり。

 そのころ、十八じふはち、九くのほどやおはしけむ、御容貌おほんかたちも心こころばへも、とりどりにぞをかしき。姫君ひめぎみは、いとあざやかに気高けだかう、今いまめかしきさましたまひて、げに、ただ人うどにて見みたてまつらむは、似にげなうぞ見みえたまふ。

 桜さくらの細ほそ長なが、山やま吹ふなどの、折をりにあひたる色いろあひの、なつかしきほどに重おもなりたる裾すそまで、愛敬あいぎゃうのこぼれ落おちたるやうに見みゆる、御おほんもてなしなども、らうらうじく、心恥こころはづかしき気けさへ添そひたまへり。

 今いま一所ひとところは、薄うす紅梅こうばいに、桜さくら色いろにて、柳やなぎの糸いとのやうに、たをたをとたゆみ、いとそびやかになまめかしう、澄すみたるさまして、重おもりかに心こころ深ふかきけはひは、まさりたまへれど、匂にほひやかなるけはひは、こよなしとぞ人ひと思おもへる。

 碁ご打うちたまふとて、さし向むひたまへる髪かみざし、御髪みぐしのかかりたるさまども、いと見所みどころあり。侍従じじうの君きみ、見証けんぞしたまふとて、近ちかうさぶらひたまふに、兄君あにぎみたちさしのぞきたまひて、

「侍従じじうのおぼえ、こよなうなりにけり。御碁おほんごの見証けんぞ許ゆるされにけるをや」

 とて、おとなおとなしきさましてついゐたまへば、御前おまへなる人ひとびと、とかうゐなほる。中将ちうじゃう、

「宮仕みやづかへのいそがしうなりはべるほどに、人ひとに劣おとりにたるは、いと本意ほいなきわざかな」

 と愁うれへたまへば、

「弁官べんくわんは、まいて、私わたくしの宮仕みやづかへおこたりぬべきままに、さのみやは思おぼし捨すてむ」

 など申まうしたまふ。碁ご打うちさして、恥はぢらひておはさうずる、いとをかしげなり。

「内裏うちわたりなどまかりありきても、故殿ことのおはしまさましかば、と思おもひたまへらるること多おほくこそ」

 など、涙なみだぐみて見みたてまつりたまふ。二十七にじふしち、八はちのほどにものしたまへば、いとよくととのひて、この御おほんありさまどもを、「いかで、いにしへ思おぼしおきてしに、違たがへずもがな」と思おもひゐたまへり。

 御前おまへの花はなの木きどもの中なかにも、匂にほひまさりてをかしき桜さくらを折をりらせて、「他ほかのには似にずこそ」など、もてあそびたまふを、

「幼をさなくおはしましし時とき、この花はなは、わがぞ、わがぞと、争あらそひたまひしを、故殿ことのは、姫君ひめぎみの御おほん花はなぞと定さだめたまふ。上うへは、若君わかぎみの御おほん木きと定さだめたまひしを、いとさは泣なきののしらねど、やすからず思おもひたまへられしはや」とて、「この桜さくらの老木おいきになりにけるにつけても、過すぎにける齢よはひを思おもひたまへ出いづれば、あまたの人ひとに後おくれはべりにける、身みの愁うれへも、止とめがたうこそ」

 など、泣なきみ笑ゑひみ聞きこえたまひて、例れいよりはのどやかにおはす。人ひとの婿むこになりて、心こころ静しづかにも今いまは見みえたまはぬを、花はなに心こころとどめてものしたまふ。

尚侍の君、かくおとなしき親に

 尚侍かんの君きみ、かくおとなしき人ひとの親おやになりたまふ御年おほんとしのほど思おもふよりは、いと若わかうきよげに、なほ盛さかりの御容貌おほんかたちと見みえたまへり。冷泉院れいぜいゐんの帝みかどは、多おほくは、この御おほんありさまのなほゆかしう、昔むかし恋こひしう思おぼし出いでられければ、何なににつけてかはと、思おぼしめぐらして、姫君ひめぎみの御おほんことを、あながちに聞きこえたまふにぞありける。院ゐんへ参まゐりたまはむことは、この君きみたちぞ、

「なほ、ものの栄はえなき心地ここちこそすべけれ。よろづのこと、時ときにつけたるをこそ、世人よひとも許ゆるすめれ。げに、いと見みたてまつらまほしき御おほんありさまは、この世よにたぐひなくおはしますめれど、盛さかりならぬ心地ここちぞするや。琴きん笛ふえの調しらべ、花鳥はなとりの色いろをも音ねをも、時ときに従したがひてこそ、人ひとの耳みみもとまるものなれ。春宮とうぐうは、いかが」

 など申まうしたまへば、

「いさや、はじめよりやむごとなき人ひとの、かたはらもなきやうにてのみ、ものしたまふめればこそ。なかなかにて交まじらはむは、胸むねいたく人ひと笑わらへなることもやあらむと、つつましければ。殿とのおはせましかば、行ゆく末すゑの御宿世おほんすくせ宿世すくせは知しらず、ただ今いまは、かひあるさまにもてなしたまひてましを」

 などのたまひ出いでて、皆みなものあはれなり。

中将など立ちたまひてのち

 中将ちうじゃうなど立たちたまひてのち、君きみたちは、打うちさしたまへる碁ご打うちたまふ。昔むかしより争あらそひたまふ桜さくらを賭物かけものにて、

「三番さんばんに、数かず一ひとつ勝かちたまはむ方かたには、なほ花はなを寄よせてむ」

 と、戯たはぶれ交かはし聞きこえたまふ。暗くらうなれば、端近はしぢかうて打うち果はてたまふ。御簾みす巻まき上あげて、人ひとびと皆みな挑いどみ念ねんじきこゆ。折をりしも例れいの少将せうしゃう、侍従じじうの君きみの御曹司みざうしに来きたりけるを、うち連つれて出いでたまひにければ、おほかた人ひと少すくななるに、廊らうの戸との開あきたるに、やをら寄よりてのぞきけり。

 かう、うれしき折をりを見みつけたるは、仏ほとけなどの現あられたまへらむに参まゐりあひたらむ心地ここちするも、はかなき心こころになむ。夕暮ゆふぐれの霞かすみの紛まぎれは、さやかならねど、つくづくと見みれば、桜さくら色いろのあやめも、それと見み分わきつ。げに、散ちりなむ後のちの形かた見みにも見みまほしく、匂にほひ多おほく見みえたまふを、いとど異ことざまになりたまひなむこと、わびしく思おもひまさらる。若わかき人ひとびとのうちとけたる姿すがたども、夕映ゆふばえをかしう見みゆ。右みぎ勝かたせたまひぬ。「高麗こまの乱声らんじゃう、おそしや」など、はやりかに言いふもあり。

「右みぎに心こころを寄よせたてまつりて、西にしの御前おまへに寄よりてはべる木きを、左ひだりになして、年としごろの御おほん争あらそひの、かかれば、ありつるぞかし」

 と、右みぎ方かたは心地ここちよげにはげましきこゆ。何なにごとと知しらねど、をかしと聞ききて、さしいらへもせまほしけれど、「うちとけたまへる折をり、心地ここちなくやは」と思おもひて、出いでて去いぬ。「また、かかる紛まぎれもや」と、蔭かげに添そひてぞ、うかがひありきける。

君達は、花の争ひをしつつ

 君達きむだちは、花はなの争あらそひをしつつ明あかし暮くらしたまふに、風かぜ荒あらかに吹ふきたる夕ゆふつ方かた、乱みだれ落おつるがいと口惜くちをしうあたらしければ、負まけ方かたの姫君ひめぎみ、

「桜さくらゆゑ風かぜに心こころの騒さわぐかな思おもひぐまなき花はなと見みる見みる」

 御方おほんかたの宰相さいしゃうの君きみ、

「咲さくと見みてかつは散ちりぬる花はななれば負まくるを深ふかき恨うらみともせず」

 と聞きこえ助たすくれば、右みぎの姫君ひめぎみ、

「風かぜに散ちることは世よの常つね枝えだながら移うつろふ花はなをただにしも見みじ」

 この御方おほんかたの大輔たいふの君きみ、

「心こころありて池いけのみぎはに落おつる花はなあわとなりてもわが方かたに寄よれ」

 勝かち方かたの童女わらはべおりて、花はなの下したにありきて、散ちりたるをいと多おほく拾ひろひて、持もて参まゐれり。

「大空おほぞらの風かぜに散ちれども桜さくら花はなおのがものとぞかきつめて見みる」

 左ひだりのなれき、

「桜さくら花はな匂にほひあまたに散ちらさじとおほふばかりの袖そではありやは

心こころせばげにこそ見みゆめれ」など言いひ落おとす。

かくいふに、月日はかなく過ぐすも

 かくいふに、月日つきひはかなく過すぐすも、行ゆく末すゑのうしろめたきを、尚侍かんの殿とのはよろづに思おぼす。院ゐんよりは、御消息おほんせうそこ日々ひびにあり。女御にょうご、

「うとうとしう思おぼし隔へだつるにや。上うへは、ここに聞きこえ疎うとむるなめりと、いと憎にくげに思おぼしのたまへば、戯たはぶれにも苦くるしうなむ。同おなじくは、このころのほどに思おぼし立たちね」

 など、いとまめやかに聞きこえたまふ。「さるべきにこそはおはすらめ。いとかうあやにくにのたまふもかたじけなし」など思おぼしたり。

 御調度おほんてうどなどは、そこらし置おかせたまへれば、人ひとびとの装束さうぞく、何なにくれのはかなきことをぞいそぎたまふ。これを聞きくに、蔵人少将くらうどのせうしゃうは、死しぬばかり思おもひて、母はは北きたの方かたをせめたてまつれば、聞ききわづらひたまひて、

「いとかたはらいたきことにつけて、ほのめかし聞きこゆるも、世よにかたくなしき闇やみの惑まどひになむ。思おぼし知しる方かたもあらば、推おし量はかりて、なほ慰なぐさめさせたまへ」

 など、いとほしげに聞きこえたまふを、「苦くるしうもあるかな」と、うち嘆なげきたまひて、

「いかなることと、思おもうたまへ定さだむべきやうもなきを、院ゐんよりわりなくのたまはするに、思おもうたまへ乱みだれてなむ。まめやかなる御心みこころならば、このほどを思おぼししづめて、慰なぐさめきこえむさまをも見みたまひてなむ、世よの聞きこえもなだらかならむ」

 など申まうしたまふも、この御おほん参まゐり過すぐして、中なかの君きみをと思おぼすなるべし。「さし合あはせては、うたてしたり顔がほならむ。まだ、位くらゐなどもあさへたるほどを」など思おぼすに、男をとこは、さらにしか思おもひ移うつるべくもあらず、ほのかに見みたてまつりてのちは、面影おもかげに恋こひしう、いかならむ折をりにとのみおぼゆるに、かう頼たのみかからずなりぬるを、思おもひ嘆なげきたまふこと限かぎりなし。

かひなきことも言はむとて

 かひなきことも言いはむとて、例れいの、侍従じじうの曹司ざうしに来きたれば、源侍従げんじじうの文ふみをぞ見みゐたまへりける。ひき隠かくすを、さなめりと見みて、奪ばひ取とりつ。「ことあり顔がほにや」と思おもひて、いたうも隠かくさず。そこはかとなく、ただ世よを恨うらめしげにかすめたり。

「つれなくて過すぐる月日つきひをかぞへつつもの恨うらめしき暮くの春はるかな」

「人ひとはかうこそ、のどやかにさまよくねたげなめれ、わがいと人ひと笑わらはれなる心焦こころいられを、かたへは目め馴なれて、あなづりそめられにたる」など思おもふも、胸痛むねいたければ、ことにものも言いはれで、例れい、語かたらふ中将ちうじゃうの御許おもとの曹司ざうしの方かたに行ゆくも、例れいの、かひあらじかしと、嘆なげきがちなり。

 侍従じじうの君きみは、「この返かへりことせむ」とて、上うへに参まゐりたまふを見みるに、いと腹ばら立たたしうやすからず、若わかき心地ここちには、ひとへにものぞおぼえける。

 あさましきまで恨うらみ嘆なげけば、この前申まへまうししも、あまり戯たはぶれにくく、いとほしと思おもひて、いらへもをさをさせず。かの御碁おほんごの見証けんぞせし夕暮ゆふぐれのことも言いひ出いでて、

「さばかりの夢ゆめをだに、また見みてしがな。あはれ、何なにを頼たのみにて生いきたらむ。かう聞きこゆることも、残のこり少すくなうおぼゆれば、つらきもあはれ、といふことこそ、まことなりけれ」

 と、いとまめだちて言いふ。「あはれと、言いひやるべき方かたなきことなり。かの慰なぐさめたまふらむ御おほんさま、つゆばかりうれしと思おもふべきけしきもなければ、げに、かの夕暮ゆふぐれの顕証けんぞなりけむに、いとどかうあやにくなる心こころは添そひたるならむ」と、ことわりに思おもひて、

「聞きこしめさせたらば、いとどいかにけしからぬ御心みこころなりけりと、疎うとみきこえたまはむ。心苦こころぐるしと思おもひきこえつる心こころも失うせぬ。いとうしろめたき御心みこころなりけり」

 と、向むひ火ひつくれば、

「いでや、さはれや。今いまは限かぎりの身みなれば、もの恐おそろしくもあらずなりにたり。さても負まけたまひしこそ、いといとほしかりしか。おいらかに召めし入いれてやは。目めくはせたてまつらましかば、こよなからましものを」など言いひて、

「いでやなぞ数かずならぬ身みにかなはぬは人ひとに負まけじの心こころなりけり」

 中将ちうじゃう、うち笑ゑひて、

「わりなしや強つよきによらむ勝かち負まけを心こころ一ひとつにいかがまかする」

 といらふるさへぞ、つらかりける。

「あはれとて手てを許ゆるせかし生いき死しにを君きみにまかするわが身みとならば」

 泣なきみ笑ゑひみ、語かたらひ明あかす。

またの日は、卯月になりにければ

 またの日ひは、卯月うづきになりにければ、兄弟はらからの君きみたちの、内裏うちに参まゐりさまよふに、いたう屈くじ入いりて眺ながめゐたまへれば、母はは北きたの方かたは、涙なみだぐみておはす。大臣おとども、

「院ゐんの聞きこしめすところもあるべし。何なににかは、おほなおほな聞きき入いれむ、と思おもひて、くやしう、対面たいめんのついでにも、うち出いで聞きこえずなりにし。みづからあながちに申まうさましかば、さりともえ違たがへたまはざらまし」

 などのたまふ。さて、例れいの、

「花はなを見みて春はるは暮くらしつ今日けふよりやしげき嘆なげきの下したに惑まどはむ」

 と聞きこえたまへり。

 御前おまへにて、これかれ上臈じゃうらふだつ人ひとびと、この御おほん懸想人けさうびとの、さまざまにいとほしげなるを聞きこえ知しらするなかに、中将ちうじゃうの御許おもと、

「生いき死しにをと言いひしさまの、言ことにのみはあらず、心苦こころぐるしげなりし」

 など聞きこゆれば、尚侍かんの君きみも、いとほしと聞ききたまふ。大臣おとど、北きたの方かたの思おぼすところにより、せめて人ひとの御おほん恨うらみ深ふかくはと、取とり替かへありて思おぼすこの御おほん参まゐりを、さまたげやうに思おもふらむはしも、めざましきこと、限かぎりなきにても、ただ人うどには、かけてあるまじきものに、故殿ことのの思おぼしおきてたりしものを、院ゐんに参まゐりたまはむだに、行ゆく末すゑのはえばえしからぬを思おぼしたる、折をりしも、この御文おほんふみ取とり入いれてあはれがる。御返事おほんかへりこと、

「今日けふぞ知しる空そらを眺ながむるけしきにて花はなに心こころを移うつしけりとも」

「あな、いとほし。戯たはぶれにのみも取とりなすかな」

 など言いへど、うるさがりて書かき変かへず。

九日にぞ、参りたまふ

 九日ここぬかにぞ、参まゐりたまふ。右みぎの大殿おほとの、御車みくるま、御前ごぜんの人ひとびとあまたたてまつりたまへり。北きたの方かたも、恨うらめしと思おもひきこえたまへど、年としごろさもあらざりしに、この御おほんことゆゑ、しげう聞きこえ通かよひたまへるを、またかき絶たえむもうたてあれば、被かづけ物ものども、よき女をんなの装束さうぞくども、あまたたてまつれたまへり。

「あやしう、うつし心こころもなきやうなる人ひとのありさまを、見みたまへ扱あつかふほどに、承うけたまはりとどむることもなかりけるを、おどろかさせたまはぬも、うとうとしくなむ」

 とぞありける。おいらかなるやうにてほのめかしたまへるを、いとほしと見みたまふ。大臣おとども御文おほんふみあり。

「みづからも参まゐるべきに、思おもうたまへつるに、慎つつしむ事ことのはべりてなむ。男をとこども、雑役ざふやくにとて参まゐらす。疎うとからず召めし使つかはせたまへ」

 とて、源少将げんせうしゃう、兵衛佐ひゃうゑのすけなど、たてまつれたまへり。「情なさけはおはすかし」と、喜よろこびきこえたまふ。大納言殿だいなごんどのよりも、人ひとびとの御車みくるまたてまつれたまふ。北きたの方かたは、故こ大臣おとどの御女おほんむすめ、真木柱まきばしらの姫君ひめぎみなれば、いづかたにつけても、睦むつましう聞きこえ通かよひたまふべけれど、さしもあらず。

 藤中納言とうちうなごんはしも、みづからおはして、中将ちうじゃう、弁べんの君きみたち、もろともに事こと行おこなひたまふ。殿とののおはせましかばと、よろづにつけてあはれなり。

蔵人の君、例の人に

 蔵人くらうどの君きみ、例れいの人ひとにいみじき言葉ことばを尽つくして、

「今いまは限かぎりと思おもひはべる命いのちの、さすがに悲かなしきを。あはれと思おもふ、とばかりだに、一言ひとことのたまはせば、それにかけとどめられて、しばしもながらへやせむ」

 などあるを、持もて参まゐりて見みれば、姫君ひめぎみ二所ふたところうち語かたらひて、いといたう屈くじたまへり。夜昼よるひるもろともに慣ならひたまひて、中なかの戸とばかり隔へだてたる西東にしひむがしをだに、いといぶせきものにしたまひて、かたみにわたり通かよひおはするを、よそよそにならむことを思おぼすなりけり。

 心こころことにしたて、ひきつくろひたてまつりたまへる御おほんさま、いとをかし。殿とのの思おぼしのたまひしさまなどを思おぼし出いでて、ものあはれなる折をりからにや、取とりて見みたまふ。「大臣おとど、北きたの方かたの、さばかり立たち並ならびて、頼たのもしげなる御おほんなかに、などかうすずろごとを思おもひ言いふらむ」とあやしきにも、「限かぎり」とあるを、「まことや」と思おぼして、やがてこの御文おほんふみの端はしに、

「あはれてふ常つねならぬ世よの一言ひとこともいかなる人ひとにかくるものぞは

ゆゆしき方かたにてなむ、ほのかに思おもひ知しりたる」

 と書かきたまひて、「かう言いひやれかし」とのたまふを、やがてたてまつれたるを、限かぎりなう珍めづらしきにも、折をり思おぼしとむるさへ、いとど涙なみだもとどまらず。

 立たちかへり、「誰たが名なは立たたじ」など、かことがましくて、

「生いける世よの死しには心こころにまかせねば聞きかでややまむ君きみが一言ひとこと

塚つかの上うへにも掛かけたまふべき御心みこころのほど、思おもひたまへましかば、ひたみちにも急いそがれはべらましを」

 などあるに、「うたてもいらへをしてけるかな。書かき変かへでやりつらむよ」と苦くるしげに思おぼして、ものものたまはずなりぬ。

大人、童、めやすき限りを

 大人おとな、童わらは、めやすき限かぎりをととのへられたり。おほかたの儀式ぎしきなどは、内裏うちに参まゐりたまはましに、変かはることなし。まづ、女御にょうごの御方おほんかたに渡わたりたまひて、尚侍かんの君きみは、御物語おほんものがたりなど聞きこえたまふ。夜よ更ふけてなむ、上うへにまう上のぼりたまひける。

 后きさい、女御にょうごなど、みな年としごろ経へてねびたまへるに、いとうつくしげにて、盛さかりに見所みどころあるさまを見みたてまつりたまふは、などてかはおろかならむ。はなやかに時ときめきたまふ。ただ人うどだちて、心こころやすくもてなしたまへるさましもぞ、げに、あらまほしうめでたかりける。

 尚侍かんの君きみを、しばしさぶらひたまひなむと、御心みこころとどめて思おぼしけるに、いと疾とく、やをら出いでたまひにければ、口惜くちをしう心憂こころうしと思おぼしたり。

 源侍従げんじじうの君きみをば、明あけ暮くれ御前おまへに召めしまつはしつつ、げに、ただ昔むかしの光ひかる源氏げんじの生おひ出いでたまひしに劣おとらぬ人ひとの御おほんおぼえなり。院ゐんのうちには、いづれの御方おほんかたにも疎うとからず、馴なれ交まじらひありきたまふ。この御方おほんかたにも、心こころ寄よせあり顔がほにもてなして、下したには、いかに見みたまふらむの心こころさへ添そひたまへり。

 夕暮ゆふぐれのしめやかなるに、藤侍従とうじじうと連つれてありくに、かの御方おほんかたの御前おまへ近ちかく見みやらるる五葉ごえふに、藤ふぢのいとおもしろく咲さきかかりたるを、水みづのほとりの石いしに、苔こけを蓆むしろにて眺ながめゐたまへり。まほにはあらねど、世よの中なか恨うらめしげにかすめつつ語かたらふ。

「手てにかくるものにしあらば藤ふぢの花はな松まつよりまさる色いろを見みましや」

 とて、花はなを見上みあげたるけしきなど、あやしくあはれに心苦こころぐるしく思おぼほゆれば、わが心こころにあらぬ世よのありさまにほのめかす。

「紫むらさきの色いろはかよへど藤ふぢの花はな心こころにえこそかからざりけれ」

 まめなる君きみにて、いとほしと思おもへり。いと心こころ惑まどふばかりは思おもひ焦こられざりしかど、口惜くちをしうはおぼえけり。

かの少将の君はしも

 かの少将せうしゃうの君きみはしも、まめやかに、いかにせましと、過すちもしつべく、しづめがたくなむおぼえける。聞きこえたまひし人ひとびと、中なかの君きみをと、移うつろふもあり。少将せうしゃうの君きみをば、母はは北きたの方かたの御おほん恨うらみにより、さもやと思おぼほして、ほのめかし聞きこえたまひしを、絶たえて訪おとづれずなりにたり。

 院ゐんには、かの君きみたちも、親おやしくもとよりさぶらひたまへど、この参まゐりたまひてのち、をさをさ参まゐらず、まれまれ殿上てんじゃうの方かたにさしのぞきても、あぢきなう、逃のがげてなむまかでける。

 内裏うちには、故こ大臣おとどの心こころざしおきたまへるさまことなりしを、かく引ひき違たがへたる御宮仕おほんみやづかへを、いかなるにか、と思おぼして、中将ちうじゃうを召めしてなむのたまはせける。

「御みけしきよろしからず。さればこそ、世人よひとの心こころのうちも、傾かたぶきぬべきことなりと、かねて申まうしし事ことを、思おぼしとるかた異ことにて、かう思おぼし立たちにしかば、ともかくも聞きこえがたくてはべるに、かかる仰おほせ言ごとのはべれば、なにがしらが身みのためも、あぢきなくなむはべる」

 と、いとものしと思おもひて、尚侍かんの君きみを申まうしたまふ。

「いさや。ただ今いま、かう、にはかにしも思おもひ立たたざりしを。あながちに、いとほしうのたまはせしかば、後見うしろみなき交まじらひの内裏うちわたりは、はしたなげなめるを、今いまは心こころやすき御おほんありさまなめるに、まかせきこえて、と思おもひ寄よりしなり。誰たれも誰たれも、便びんなからむ事ことは、ありのままにも諌いさめたまはで、今いまひき返かへし、右みぎの大臣おとども、ひがひがしきやうに、おもむけてのたまふなれば、苦くるしうなむ。これもさるべきにこそは」

 と、なだらかにのたまひて、心こころも騒さわがいたまはず。

「その昔むかしの御宿世おほんすくせは、目めに見みえぬものなれば、かう思おぼしのたまはするを、これは契ちぎり異ことなるとも、いかがは奏そうし直なほすべきことならむ。中宮ちうぐうを憚はばかりきこえたまふとて、院ゐんの女御にょうごをば、いかがしたてまつりたまはむとする。後見うしろみや何なにやと、かねて思おぼし交かはすとも、さしもえはべらじ。

よし、見み聞ききはべらむ。よう思おもへば、内裏うちは、中宮ちうぐうおはしますとて、異人ことびとは交まじらひたまはずや。君きみに仕つかうまつることは、それが心こころやすきこそ、昔むかしより興きょうあることにはしけれ。女御にょうごは、いささかなることの違たがひ目めありて、よろしからず思おもひきこえたまはむに、ひがみたるやうになむ、世よの聞きき耳みみもはべらむ」

 など、二所ふたところして申まうしたまへば、尚侍かんの君きみ、いと苦くるしと思おぼして、さるは、限かぎりなき御おほん思おもひのみ、月日つきひに添そへてまさる。

 七しち月つきよりはらみたまひにけり。「うち悩なやみたまへるさま、げに、人ひとのさまざまに聞きこえわづらはすも、ことわりぞかし。いかでかはかからむ人ひとを、なのめに見み聞きき過すぐしてはやまむ」とぞおぼゆる。明あけ暮くれ、御おほん遊あそびをせさせたまひつつ、侍従じじうも気近けぢかう召めし入いるれば、御琴おほんことの音ねなどは聞ききたまふ。かの「梅むめが枝えだ」に合あはせたりし中将ちうじゃうの御許おもとの和琴わごんも、常つねに召めし出いでて弾ひかせたまへば、聞きき合あはするにも、ただにはおぼえざりけり。

その年かへりて、男踏歌せられけり

 その年としかへりて、男踏歌をとこたふかせられけり。殿上てんじゃうの若人わかうどどもの中なかに、物ものの上手じゃうず多おほかるころほひなり。その中なかにも、すぐれたるを選えらせたまひて、この四位しゐの侍従じじう、右みぎの歌頭かとうなり。かの蔵人少将くらうどのせうしゃう、楽人がくにんの数かずのうちにありけり。

 十四日じふゆかの月つきのはなやかに曇くもりなきに、御前おまへより出いでて、冷泉院れいぜいゐんに参まゐる。女御にょうごも、この御息所みやすんどころも、上うへに御局みつぼねして見みたまふ。上達部かむだちめ、親王みこたち、ひき連つれて参まゐりたまふ。

「右みぎの大殿おほとの、致仕ちじの大殿おほとのの族ぞうを離はなれて、きらきらしうきよげなる人ひとはなき世よなり」と見みゆ。内裏うちの御前おまへよりも、この院ゐんをばいと恥はづかしう、ことに思おもひきこえて、「皆人みなひと用意よういを加くはふる中なかにも、蔵人少将くらうどのせうしゃうは、見みたまふらむかし」と思おもひやりて、静心しづごころなし。

 匂にほひもなく見苦みぐるしき綿花わたばなも、かざす人ひとがらに見み分わかれて、様さまも声こゑも、いとをかしくぞありける。「竹河たけかは」謡うたひて、御階みはしのもとに踏ふみよるほど、過すぎにし夜よのはかなかりし遊あそびも思おもひ出いでられければ、ひがこともしつべくて涙なみだぐみけり。

 后きさいの宮みやの御方おほんかたに参まゐれば、上うへもそなたに渡わたらせたまひて御覧ごらんず。月つきは、夜よ深ふかくなるままに、昼ひるよりもはしたなう澄すみ上のぼりて、いかに見みたまふらむとのみおぼゆれば、踏ふむ空そらもなうただよひありきて、盃さかづきも、さして一人ひとりをのみとがめらるるは、面目めんぼくなくなむ。

夜一夜、所々かきありきて

 夜一夜よひとよ、所々ところどころかきありきて、いと悩なやましう苦くるしくて臥ふしたるに、源侍従げんじじうを、院ゐんより召めしたれば、「あな、苦くるし。しばし休やすむべきに」とむつかりながら参まゐりたまへり。御前おまへのことどもなど問とはせたまふ。

「歌頭かとうは、うち過すぐしたる人ひとのさきざきするわざを、選えばれたるほど、心こころにくかりけり」

 とて、うつくしと思おぼしためり。「万春楽まんすらく」を御おほん口くちずさみにしたまひつつ、御息所みやすんどころの御方おほんかたに渡わたらせたまへば、御供おほんともに参まゐりたまふ。物見ものみに参まゐりたる里人さとびと多おほくて、例れいよりははなやかに、けはひ今いまめかし。

 渡殿わたどのの戸口とぐちにしばしゐて、声こゑ聞きき知しりたる人ひとに、ものなどのたまふ。

「一夜ひとよの月影つきかげは、はしたなかりしわざかな。蔵人少将くらうどのせうしゃうの、月つきの光ひかりにかかやきたりしけしきも、桂かつらの影かげに恥はづるにはあらずやありけむ。雲くもの上うへ近ちかくては、さしも見みえざりき」

 など語かたりたまへば、人ひとびとあはれと、聞きくもあり。

「闇やみはあやなきを、月映つきばえは、今いますこし心こころ異ことなり、と定さだめきこえし」などすかして、内うちより、

「竹河たけかはのその夜よのことは思おもひ出いづやしのぶばかりの節ふしはなけれど」

 と言いふ。はかなきことなれど、涙なみだぐまるるも、「げに、いと浅あさくはおぼえぬことなりけり」と、みづから思おもひ知しらる。

「流ながれての頼たのめむなしき竹河たけかはに世よは憂うきものと思おもひ知しりにき」

 ものあはれなるけしきを、人ひとびとをかしがる。さるは、おり立たちて人ひとのやうにもわびたまはざりしかど、人ひとざまのさすがに心苦こころぐるしう見みゆるなり。

「うち出いで過すぐすこともこそはべれ。あな、かしこ」

 とて、立たつほどに、「こなたに」と召めし出いづれば、はしたなき心地ここちすれど、参まゐりたまふ。

「故こ六条院ろくでうのゐんの、踏歌たふかの朝あさに、女をんな楽がくにて遊あそびせられける、いとおもしろかりきと、右みぎの大臣おとどの語かたられし。何なにごとも、かのわたりのさしつぎなるべき人ひと、難かたくなりにける世よなりや。いと物ものの上手じゃうずなる女をんなさへ多おほく集つどまりて、いかにはかなきことも、をかしかりけむ」

 など思おぼしやりて、御琴おほんことども調しらべさせたまひて、箏さうは御息所みやすんどころ、琵琶びはは侍従じじうに賜たまふ。和琴わごんを弾ひかせたまひて、「この殿との」など遊あそびたまふ。御息所みやすんどころの御琴おほんことの音ね、まだ片かたなりなるところありしを、いとよう教をしへないたてまつりたまひてけり。今いまめかしう爪音つまおとよくて、歌うた、曲ごくのものなど、上手じゃうずにいとよく弾ひきたまふ。何なにごとも、心こころもとなく、後おくれたることはものしたまはぬ人ひとなめり。

 容貌かたち、はた、いとをかしかべしと、なほ心こころとまる。かやうなる折をり多おほかれど、おのづから気遠けどほからず、乱みだれたまふ方かたなく、なれなれしうなどは怨うらみかけねど、折々をりをりにつけて、思おもふ心こころの違たがへる嘆なげかしさをかすむるも、いかが思おぼしけむ、知しらずかし。

卯月に、女宮生まれたまひぬ

 卯月うづきに、女宮をんなみや生むまれたまひぬ。ことにけざやかなるものの、栄はえもなきやうなれど、院ゐんの御みけしきに従したがひて、右みぎの大殿おほとのよりはじめて、御産養おほんうぶやしなひしたまふ所々ところどころ多おほかり。尚侍かんの君きみ、つと抱いだき持もちてうつくしみたまふに、疾とう参まゐりたまふべきよしのみあれば、五十日いかのほどに参まゐりたまひぬ。

 女一をんないちの宮みや、一所ひとところおはしますに、いとめづらしくうつくしうておはすれば、いといみじう思おぼしたり。いとどただこなたにのみおはします。女をんな御方おほんかたの人ひとびと、「いとかからでありぬべき世よかな」と、ただならず言いひ思おもへり。

 正身さうじみの御心みこころどもは、ことに軽々かるがるしく背そむきたまふにはあらねど、さぶらふ人ひとびとの中なかに、くせぐせしきことも出いで来くなどしつつ、かの中将ちうじゃうの君きみの、さいへど人ひとのこのかみにて、のたまひしことかなひて、尚侍かんの君きみも、「むげにかく言いひ言いひの果はていかならむ。人ひと笑わらへに、はしたなうもやもてなされむ。上うへの御心みこころばへは浅あさからねど、年とし経へてさぶらひたまふ御方々おほんかたがた、よろしからず思おもひ放はなちたまはば、苦くるしくもあるべきかな」と思おぼほすに、内裏うちには、まことにものしと思おぼしつつ、たびたび御みけしきありと、人ひとの告つげ聞きこゆれば、わづらはしくて、中なかの姫君ひめぎみを、公おほやけざまにて交まじらはせたてまつらむことを思おぼして、尚侍ないしのかみを譲ゆづりたまふ。

 朝廷おほやけ、いと難かたうしたまふことなりければ、年としごろ、かう思おぼしおきてしかど、え辞じしたまはざりしを、故こ大臣おとどの御心みこころを思おぼして、久ひさしうなりにける昔むかしの例れいなど引ひき出いでて、そのことかなひたまひぬ。この君きみの御宿世おほんすくせにて、年としごろ申まうしたまひしは難かたきなりけり、と見みえたり。

かくて、心やすくて内裏住みも

「かくて、心こころやすくて内裏うち住すみもしたまへかし」と、思おぼすにも、「いとほしう、少将せうしゃうのことを、母はは北きたの方かたのわざとのたまひしものを。頼たのめきこえしやうにほのめかし聞きこえしも、いかに思おもひたまふらむ」と思おぼし扱あつかふ。

 弁べんの君きみして、心こころうつくしきやうに、大臣おとどに聞きこえたまふ。

「内裏うちより、かかる仰おほせ言ごとのあれば、さまざまに、あながちなる交まじらひの好すみと、世よの聞きき耳みみもいかがと思おもひたまへてなむ、わづらひぬる」

 と聞きこえたまへば、

「内裏うちの御みけしきは、思おぼしとがむるも、ことわりになむ承うけたまはる。公事おほやけごとにつけても、宮仕みやづかへしたまはぬは、さるまじきわざになむ。はや、思おぼし立たつべきになむ」

 と申まうしたまへり。

 また、このたびは、中宮ちうぐうの御みけしき取とりてぞ参まゐりたまふ。「大臣おとどおはせましかば、おし消きちたまはざらまし」など、あはれなることどもをなむ。姉あね君きみは、容貌かたちなど名高なだかう、をかしげなりと、聞きこしめしおきたりけるを、引ひき変かへたまへるを、なま心こころゆかぬやうなれど、これもいとらうらうじく、心こころにくくもてなしてさぶらひたまふ。

前の尚侍の君、容貌を変へてむ

 前さきの尚侍かんの君きみ、容貌かたちを変かへてむと思おぼし立たつを、

「かたがたに扱あつかひきこえたまふほどに、行おこなひも心こころあわたたしうこそ思おぼされめ。今いますこし、いづ方かたも心こころのどかに見みたてまつりなしたまひて、もどかしきところなく、ひたみちに勤つとめたまへ」

 と、君きみたちの申まうしたまへば、思おぼしとどこほりて、内裏うちには、時々ときどき忍しのびて参まゐりたまふ折をりもあり。院ゐんには、わづらはしき御心みこころばへのなほ絶たえねば、さるべき折をりも、さらに参まゐりたまはず。いにしへを思おもひ出いでしが、さすがに、かたじけなうおぼえしかしこまりに、人ひとの皆みな許ゆるさぬことに思おもへりしをも、知しらず顔がほに思おもひて参まゐらせたてまつりて、「みづからさへ、戯たはぶれにても、若々わかわかしきことの世よに聞きこえたらむこそ、いとまばゆく見苦みぐるしかるべけれ」と思おもせど、さる罪つみによりと、はた、御息所みやすんどころにも明あかしきこえたまはねば、「われを、昔むかしより、故こ大臣おとどは取とり分わきて思おぼしかしづき、尚侍かんの君きみは、若君わかぎみを、桜さくらの争あらそひ、はかなき折をりにも、心こころ寄よせたまひし名残なごりに、思おぼし落おとしけるよ」と、恨うらめしう思おもひきこえたまひけり。院ゐんの上うへ、はた、ましていみじうつらしとぞ思おぼしのたまはせける。

「古ふるめかしきあたりにさし放はなちて。思おもひ落おとさるるも、ことわりなり」

 と、うち語かたらひたまひて、あはれにのみ思おぼしまさる。

年ごろありて、また男御子

 年としごろありて、また男御子をとこみこ産うみたまひつ。そこらさぶらひたまふ御方々おほんかたがたに、かかることなくて年としごろになりにけるを、おろかならざりける御宿世おほんすくせなど、世人よひとおどろく。帝みかどは、まして限かぎりなくめづらしと、この今いま宮みやをば思おもひきこえたまへり。「おりゐたまはぬ世よならましかば、いかにかひあらまし。今いまは何なにごとも栄はえなき世よを、いと口惜くちをし」となむ思おぼしける。

 女一をんないちの宮みやを、限かぎりなきものに思おもひきこえたまひしを、かくさまざまにうつくしくて、数かず添そひたまへれば、めづらかなる方かたにて、いとことにおぼいたるをなむ、女御にょうごも、「あまりかうてはものしからむ」と、御心みこころ動うごきける。

 ことにふれて、やすからずくねくねしきこと出いで来くなどして、おのづから御仲おほんなかも隔へだたるべかめり。世よのこととして、数かずならぬ人ひとの仲なからひにも、もとよりことわりえたる方かたにこそ、あいなきおほよその人ひとも、心こころを寄よするわざなめれば、院ゐんのうちの上下かみしもの人ひとびと、いとやむごとなくて、久ひさしくなりたまへる御方おほんかたにのみことわりて、はかないことにも、この方かたざまを良よからず取とりなしなどするを、御おほん兄せうとの君きみたちも、

「さればよ。悪あしうやは聞きこえおきける」

 と、いとど申まうしたまふ。心こころやすからず、聞きき苦くるしきままに、

「かからで、のどやかにめやすくて世よを過すぐす人ひとも多おほかめりかし。限かぎりなき幸さいはひなくて、宮仕みやづかへの筋すぢは、思おもひ寄よるまじきわざなりけり」

 と、大上おほうへは嘆なげきたまふ。

聞こえし人びとの、めやすく

 聞きこえし人ひとびとの、めやすくなり上のぼりつつ、さてもおはせましに、かたはならぬぞあまたあるや。その中なかに、源侍従げんじじうとて、いと若わかう、ひはづなりと見みしは、宰相さいしゃうの中将ちうじゃうにて、「匂にほふや、薫かをるや」と、聞ききにくくめで騒さわがるなる、げに、いと人柄ひとがら重おもりかに心こころにくきを、やむごとなき親王みこたち、大臣おとどの、御女おほんむすめを、心こころざしありてのたまふなるなども、聞きき入いれずなどあるにつけて、「そのかみは、若わかう心こころもとなきやうなりしかど、めやすくねびまさりぬべかめり」など、言いひおはさうず。

 少将せうしゃうなりしも、三位さんみ中将ちうじゃうとか言いひて、おぼえあり。

「容貌かたちさへ、あらまほしかりきや」

 など、なま心こころ悪わろき仕つかうまつり人ひとは、うち忍しのびつつ、

「うるさげなる御おほんありさまよりは」

 など言いふもありて、いとほしうぞ見みえし。

 この中将ちうじゃうは、なほ思おもひそめし心こころ絶たえず、憂うくもつらくも思おもひつつ、左大臣さだいじんの御女おほんむすめを得えたれど、をさをさ心こころもとめず、「道みちの果はてなる常陸ひたち帯おびの」と、手て習ならにも言種ことぐさにもするは、いかに思おもふやうのあるにかありけむ。

 御息所みやすんどころ、やすげなき世よのむつかしさに、里さとがちになりたまひにけり。尚侍かんの君きみ、思おもひしやうにはあらぬ御おほんありさまを、口惜くちをしと思おぼす。内裏うちの君きみは、なかなか今いまめかしう心こころやすげにもてなして、世よにもゆゑあり、心こころにくきおぼえにて、さぶらひたまふ。

左大臣亡せたまひて

 左大臣さだいじん亡うせたまひて、右みぎは左ひだりに、藤大納言とうだいなごん、左大将さだいしゃうかけたまへる右大臣うだいじんになりたまふ。次々つぎつぎの人ひとびとなり上あがりて、この薫かを中将ちうじゃうは、中納言ちうなごんに、三位さんみの君きみは、宰相さいしゃうになりて、喜よろこびしたまへる人ひとびと、この御族おほんぞうより他ほかに人ひとなきころほひになむありける。

 中納言ちうなごんの御喜おほんよろこびに、前さきの尚侍かんの君きみに参まゐりたまへり。御前おまへの庭にはにて拝はいしたてまつりたまふ。尚侍かんの君きみ対面たいめんしたまひて、

「かく、いと草くさ深ふかくなりゆく葎むぐらの門かどを、よきたまはぬ御心みこころばへにも、まづ昔むかしの御おほんこと思おもひ出いでられてなむ」

 など聞きこえたまふ、御声おほんこゑ、あてに愛敬あいぎゃうづき、聞きかまほしう今いまめきたり。「古ふるりがたくもおはするかな。かかれば、院ゐんの上うへは、怨うらみたまふ御心みこころ絶たえぬぞかし。今いまつひに、ことひき出いでたまひてむ」と思おもふ。

「喜よろこびなどは、心こころにはいとしも思おもうたまへねども、まづ御覧ごらんぜられにこそ参まゐりはべれ。よきぬなどのたまはするは、おろかなる罪つみにうちかへさせたまふにや」と申まうしたまふ。

「今日けふは、さだすぎにたる身みの愁うれへなど、聞きこゆべきついでにもあらずと、つつみはべれど、わざと立たち寄よりたまはむことは難かたきを、対面たいめんなくて、はた、さすがにくだくだしきことになむ。

院ゐんにさぶらはるるが、いといたう世よの中なかを思おもひ乱みだれ、中空なかぞらなるやうにただよふを、女御にょうごを頼たのみきこえ、また后きさいの宮みやの御方おほんかたにも、さりとも思おぼし許ゆるされなむと、思おもひたまへ過すぐすに、いづ方かたにも、なめげに心こころゆかぬものに思おぼされたなれば、いとかたはらいたくて、宮みやたちは、さてさぶらひたまふ。この、いと交まじらひにくげなるみづからは、かくて心こころやすくだにながめ過すぐいたまへとて、まかでさせたるを、それにつけても、聞ききにくくなむ。

上うへにもよろしからず思おぼしのたまはすなる。ついであらば、ほのめかし奏そうしたまへ。とざまかうざまに、頼たのもしく思おもひたまへて、出いだし立たてはべりしほどは、いづ方かたをも心こころやすく、うちとけ頼たのみきこえしかど、今いまは、かかること誤あやまりに、幼をさなうおほけなかりけるみづからの心こころを、もどかしくなむ」

 と、うち泣ないたまふけしきなり。

さらにかうまで思すまじきこと

「さらにかうまで思おぼすまじきことになむ。かかる御おほん交まじらひのやすからぬことは、昔むかしより、さることとなりはべりにけるを、位くらゐを去さりて、静しづかにおはしまし、何なにごともけざやかならぬ御おほんありさまとなりにたるに、誰たれもうちとけたまへるやうなれど、おのおのうちうちは、いかがいどましくも思おぼすこともなからむ。

人ひとは何なにの咎とがと見みぬことも、わが御身おほんみにとりては恨うらめしくなむ、あいなきことに心こころ動うごかいたまふこと、女御にょうご、后きさいの常つねの御癖おほんくせなるべし。さばかりの紛まぎれもあらじものとてやは、思おぼし立たちけむ。ただなだらかにもてなして、ご覧らんじ過すぐすべきことにはべるなり。男をとこの方かたにて、奏そうすべきことにもはべらぬことになむ」

 と、いとすくすくしう申まうしたまへば、

「対面たいめんのついでに愁うれへきこえむと、待まちつけたてまつりたるかひなく、あはの御おほんことわりや」

 と、うち笑ゑひておはする、人ひとの親おやにて、はかばかしがりたまへるほどよりは、いと若わかやかにおほどいたる心地ここちす。「御息所みやすんどころも、かやうにぞおはすべかめる。宇治うぢの姫君ひめぎみの心こころとまりておぼゆるも、かうざまなるけはひのをかしきぞかし」と思おもひゐたまへり。

 尚侍ないしのかみも、このころまかでたまへり。こなたかなた住すみたまへるけはひをかしう、おほかたのどやかに、紛まぎるることなき御おほんありさまどもの、簾すだれの内うち、心恥こころはづかしうおぼゆれば、心こころづかひせられて、いとどもてしづめめやすきを、大上おほうへは、「近ちかうも見みましかば」と、うち思おぼしけり。

大臣の殿は、ただこの殿の東なりけり

 大臣おとどの殿とのは、ただこの殿とのの東ひむがしなりけり。大饗だいきゃうの垣下ゑがの君達きむだちなど、あまた集つどひたまふ。兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみや、左ひだりの大臣殿おとどどのの賭弓のりゆみの還立かへりだち、相撲すまひの饗応あるじなどには、おはしまししを思おもひて、今日けふの光ひかりと請さうじたてまつりたまひけれど、おはしまさず。

 心こころにくくもてかしづきたまふ姫君ひめぎみたちを、さるは、心こころざしことに、いかで、と思おもひきこえたまふべかめれど、宮みやぞ、いかなるにかあらむ、御心みこころもとめたまはざりける。源中納言げんちうなごんの、いとどあらまほしうねびととのひ、何なにごとも後おくれたる方かたなくものしたまふを、大臣おとども北きたの方かたも、目めとどめたまひけり。

 隣となりのかくののしりて、行ゆき違たがふ車くるまの音ね、先駆さき追おふ声々こゑごゑも、昔むかしのこと思おもひ出いでられて、この殿とのには、ものあはれにながめたまふ。

「故宮こみや亡うせたまひて、ほどもなく、この大臣おとどの通かよひたまひしほどを、いとあはつけいやうに、世人よひとはもどくなりしかど、かくてものしたまふも、さすがなる方かたにめやすかりけり。定さだめなの世よや。いづれにか寄よるべき」などのたまふ。

左の大殿の宰相中将、大饗のまたの日

 左ひだりの大殿おほとのの宰相さいしゃう中将ちうじゃう、大饗だいきゃうのまたの日ひ、夕ゆふつけてここに参まゐりたまへり。御息所みやすんどころ、里さとにおはすと思おもふに、いとど心こころげさう添そひて、

「朝廷おほやけのかずまへたまふ喜よろこびなどは、何なにともおぼえはべらず。私わたくしの思おもふことかなはぬ嘆なげきのみ、年月としつきに添そへて、思おもうたまへはるけむ方かたなきこと」

 と、涙なみだおしのごふも、ことさらめいたり。二十七にじふしち、八はちのほどの、いと盛さかりに匂にほひ、はなやかなる容貌かたちしたまへり。

「見苦みぐるしの君きみたちの、世よの中なかを心こころのままにおごりて、官位つかさくらゐをば何なにとも思おもはず、過すぐしいますがらふや。故殿ことののおはせましかば、ここなる人ひとびとも、かかるすさびごとにぞ、心こころは乱みだらまし」

 とうち泣なきたまふ。右兵衛督うひゃうゑのかみ、右大弁うだいべんにて、皆みな非参議ひさんぎなるを、うれはしと思おもへり。侍従じじうと聞きこゆめりしぞ、このころ、頭中将とうのちうじゃうと聞きこゆめる。年とし齢よはひのほどは、かたはならねど、人ひとに後おくると嘆なげきたまへり。宰相さいしゃうは、とかくつきづきしく。

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