このページでは、清少納言『枕草子』第1段から第24段までの現代語訳全文を掲載しています。
原文は古文の教科書や参考書にも多く採用され、一般に広く知られている「三巻本」をもとにしています。原文の内容を保ちながら、わかりやすく読みやすい口語訳にしました。原文とあわせて読みたい方は、『枕草子』原文全文(1)第1段~第24段をご覧ください。
第1段「春はあけぼの」
春は、明け方がよい。
だんだん白くなっていく山際が少し明るくなり、紫がかった雲が細くたなびいているのがよい。
夏は、夜がよい。
月の出ている頃は言うまでもないが、闇夜もやはりよい。蛍がたくさん飛び交っているのも、また、ほんの一つ二つがほのかに光って飛んでいくのも趣がある。雨などが降るのも趣がある。
秋は、夕暮れがよい。
夕日が差して山の端にたいそう近くなった頃、烏がねぐらへ帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽などと飛び急いでいるのまで、しみじみと心をひかれる。まして、雁などが列をつくって飛んでいるのが、とても小さく見えるのはたいそう趣がある。日がすっかり沈んでからの風の音や虫の声などは、改めて言うまでもない。
冬は、早朝がよい。
雪が降った朝は言うまでもなく、霜がたいそう白い朝も、また、そうでなくてもひどく寒い朝に、火を急いでおこして炭を持って運んでいくのも、実によく似つかわしい。昼になって暖かくなり、寒さがしだいにゆるんでいくと、火桶の火も白い灰ばかりになってしまって、よくない。
第2段「頃は正月」
季節でいえば、正月、三月、四月、五月、七月・八月・九月、十一月・十二月がよい。とはいっても、その時々に応じた趣があって、一年中すべてよい。
第3段「正月一日は」
正月一日は、ことさら空の様子もうららかで、新春らしく霞が立ちこめているうえに、世の中のあらゆる人が、みな姿かたちも気持ちも普段とは違うように整え、主君のことも自分のことも祝ったりしている様子が、格別に趣深い。
七日には、雪の間から若菜を摘み、その青々とした若菜を、普段ならそれほど身近に見ることのない宮中で大騒ぎして扱っているのがおもしろい。白馬の節会を見ようと、里の人々は車をきれいに仕立てて見物に出かける。中御門の敷居を車が通り過ぎるとき、乗っている人たちの頭が一か所に揺れ合って、挿し櫛が落ちたり、気をつけていないと折れたりして、笑っているのもまたおもしろい。
左衛門の陣のあたりには殿上人などが大勢立っていて、舎人たちの弓を取り、馬を驚かせて笑っている。それを少しのぞいてみると、立蔀などが見える中を、主殿司や女官などが行き違っているのがおもしろい。どのような人がこの宮中に出入りしているのだろう、などと想像される。
宮中で白馬を見る場所はたいそう狭く、舎人の顔が着物の上にあらわに出ている。その顔が本当に黒いので、白粉の塗られていないところは、雪がまだらに消え残っているように見えて、たいそう見苦しい。馬が跳ね上がって騒ぐのも、とても恐ろしく見えるので、思わず奥へ引っ込んでしまい、よく見ることもできない。
八日には、昇進などの祝いをする人たちが走らせる車の音が、いつもとは違って聞こえるのがおもしろい。
十五日、節供の膳が下げられたあと、粥を煮た木を隠し持って、家の奥方や女房などを打とうとうかがう。打たれまいと用心して、いつも後ろを気にしている様子もたいそうおもしろいが、どうしたはずみかうまく打ち当てると、ひどくおもしろがって笑うのは実に晴れやかだ。打たれたほうが悔しいと思うのももっともである。
新しく通い始めた婿君などが宮中へ参内する頃を待ちきれず、その家で自分こそはと思っている女房が、そっと様子をうかがいながら奥のほうにたたずんでいる。前に座っている人は事情を察して笑うので、
「静かに」
と手招きして制するけれど、当の女は知らない顔をして、おっとりと座っている。
「ここにある物を取りましょう」
などと言いながら近寄ったかと思うと、さっと打って逃げるので、そこにいる人はみな笑う。男君も感じよく微笑んでいるのに、女は特にうろたえもせず、顔を少し赤らめて座っているのがおもしろい。
また、互いに打ち合い、男まで打つようである。どういう気持ちなのだろう、泣いて腹を立てながら、人をののしり、不吉なことまで言う者がいるのもおもしろい。宮中あたりの身分の高い人々も、この日はみな羽目を外して、遠慮がない。
除目の頃などは、宮中のあたりがたいそうおもしろい。雪が降り、ひどく凍りついている中を、任官を願う申文を持って歩き回る。四位や五位の若々しく気分よさそうな人は、いかにも頼もしく見える。一方、年老いて髪の白くなった人などが、人に取り次ぎを頼み、女房の局などへ立ち寄って、自分がどれほど立派な人物であるかを得意になって説き聞かせるのを、若い人々はまねして笑うけれど、本人がそれを知るはずもない。
「どうかよいように天皇へ申し上げてください。中宮にも申し上げてください」
などと言って、官職を得られた人は実にめでたいが、得られなかった人はたいそう気の毒である。
第4段「三月三日は」
三月三日は、日がうららかに、のどかに照っているのがよい。桃の花がちょうど咲き始める。柳などが趣深いのは言うまでもないが、その芽がまだ繭にこもったように包まれている頃がよい。すっかり広がってしまったものは、見苦しく感じられる。
美しく咲いた桜の枝を長く折って、大きな瓶に挿してあるのがよい。桜襲の直衣に出袿をした人が、客であっても、中宮の兄弟君たちであっても、その桜の近くに座って話などしているのは、たいそう趣がある。
第5段「四月祭の頃」
四月、賀茂祭の頃はたいそう趣がある。上達部も殿上人も、表の衣の色の濃い薄いほどの違いだけで、白襲などはみな同じように、涼しげでよい。木々の葉はまだそれほど茂っておらず、若々しく一面に青みわたっている。霞にも霧にも遮られない空の様子が、何となく心をひかれるうえに、少し曇った夕方や夜など、ひそやかに鳴くほととぎすの声を、遠くて本当に鳴いたのかと思うほどかすかに聞きつけたなら、どんなに心を動かされることだろう。
祭が近くなると、青朽葉や二藍の衣などを巻き、紙などでほんの形ばかり包んで、人々が行き違いながら持ち歩くのがおもしろい。裾濃や斑濃などの染め物も、普段より美しく見える。子どもたちは、頭だけは洗ってきれいにしているが、着物はほころび切れ、乱れかかっている者もいて、屐子や履などについて、
「緒をすげさせよう。裏をつけさせよう」
などと大騒ぎし、早く祭の日になってほしいと、せわしなく歩き回っているのもたいそうおもしろい。
普段は妙な格好で踊り歩いている者たちも、装束をきちんと着せると、定者という僧などのように、たいそう重々しく練り歩く。当人たちはどれほど待ち遠しいことだろう。身分に応じて、母や叔母、姉などが付き添い、身なりを整えて連れ歩くのもおもしろい。
蔵人になりたいと強く願っている人で、なかなかなれない者が、この日に青色の袍を着ているのを見ると、そのまま脱がせずにおきたいと思う。綾でないものはよくない。
第6段「同じことなれども」
同じことでも、聞いた感じが違うもの。
法師の言葉。男の言葉。女の言葉。身分の低い者の言葉には、決まって余計な言葉がつく。
第7段「思はむ子を法師に」
かわいがっている子を法師にしてしまうのは、とても気の毒である。世間の人が法師をまるで木の切れ端のように思っているのも、たいそうかわいそうだ。まずい精進料理を食べ、寝ることについてもあれこれ言われる。若いうちは何にでも興味があるだろうし、女などのいる所を、どうして禁忌でもあるかのように少しものぞかずにいられよう。それさえも周囲からうるさく言われる。
まして、修験者などはたいそう苦しそうである。疲れきって少し眠ると、
「眠ってばかりいて」
などと非難される。とても窮屈で、本人はどんな気持ちだろう。
これは昔のことらしい。今どきは気楽そうである。
第8段「大進生昌が家に」
大進生昌の家へ中宮がお出ましになったとき、東の門を四脚門に改め、そこから中宮の御輿を入れた。女房たちの車も、北の門には警護の者がいないので、そのまま入れるだろうと思っていた。そのため、髪の具合のよくない人なども、それほど身なりを整えず、車を寄せたまま降りられるものと気を抜いていた。ところが、檳榔毛の車などは門が小さくてつかえ、入ることができない。そこで、いつものように筵道を敷いて降りることになり、ひどく憎らしく腹立たしいけれど、どうしようもない。殿上人や地下人たちまで陣のあたりに立って見ているのも、まことにしゃくである。
中宮の御前に参って、今あったことを申し上げると、
「ここだって、人に見られないわけではないでしょう。どうしてそんなに気を抜いていたの」
とお笑いになる。
「けれども、こちらでは見慣れた者ばかりですから、かえってきちんと着飾っていたほうが驚く人もいるでしょう。それにしても、これほどの家に、車の入らない門があるでしょうか。生昌に会ったら笑ってやりましょう」
などと言っているちょうどそのとき、
「これを差し上げてください」
と言って、生昌が御硯などを差し入れてきた。
「まあ、あなたは本当に困った方ですね。どうしてその門をあんなに狭く造って住んでいらっしゃるのです」
と言うと、生昌は笑って、
「家の大きさを、身分相応にしているのでございます」
と答える。
「けれども、門だけは高く造った人もいたそうですよ」
と言うと、
「ああ、恐ろしい」
と驚いて、
「それは于定国の故事でございますね。私も昔からの進士ででもなければ、知ることもできなかったでしょう。たまたま学問の道に入りましたので、これくらいのことならわきまえております」
と言う。
「その学問の道も、たいしたことはないようですね。筵道を敷いてあったのに、みんな穴へ落ち込んで騒いでいましたよ」
と言うと、
「雨が降りましたので、そうなったのでしょう。いやいや、また何か仰せつけられては困ります。もう失礼いたしましょう」
と言って立ち去った。
「何のことだったの。生昌がひどくおびえていたようだけれど」
と中宮がお尋ねになる。
「いえ、車が門から入らなかったことを言っていたのです」
と申し上げて、御前から下がった。
同じ局にいる若い女房たちと一緒に、何の事情も知らず、眠かったのでみな寝てしまった。東の対の西の廂が北へ続いている所で、北側の障子には掛け金がなかったのだが、そんなことも確かめていなかった。生昌は家の主人なので勝手を知っていて、その障子を開けたのである。妙にかすれた、騒がしい声で、
「こちらに伺っていてもよろしいでしょうか。いかがでしょう、いかがでしょう」
と何度も言う声で目を覚まし、見ると、几帳の後ろに立てた灯台の明かりで姿がはっきり見える。障子を五寸ほど開けて言っているのである。実におかしい。私はこのような色めいたことなど夢にもしたことがないのに、自分の家へ中宮がお出ましになったからといって、まったく好き勝手に振る舞うつもりらしい、と思うのもおかしい。
そばに寝ている人を押し起こして、
「あれをご覧なさい。こんな、見たこともないものがいるようですよ」
と言うと、その人は頭を上げて見やり、たいそう笑う。
「あれは誰なの。色めいたことをして」
と言うと、
「そうではありません。家の主人と局の主人とで、相談して決めなければならないことがあるのでございます」
と言うので、
「門のことなら申し上げましたけれど、障子を開けてくださいとまで申し上げましたか」
と言うと、
「やはりそのことも申し上げましょう。私がそこに控えているのはいかがでしょう、いかがでしょう」
と言うので、
「ひどくみっともないこと。決していらしてはいけません」
と言って笑っていると、
「若い方がいらっしゃるのですね」
と言って、障子を引き立てて立ち去った。そのあと、みんなでひどく笑った。開けるつもりなら、いっそそのまま入ってくればよいのに。話があるからといって、『そこにいてよい』などと誰が言うものか。本当におかしい。
翌朝、中宮の御前に参ってこのことを申し上げると、
「そんな話は聞いていなかったのに。昨夜のやり取りがおもしろくて、あなたの所へ行ったのでしょう。まあ、あの人をつれなくあしらったのは、かわいそうでしたね」
とお笑いになる。
姫宮の御方の童女の装束を用意するよう仰せになったとき、
「この袙の上に着せるものは、何色にいたしましょう」
と生昌が申し上げるので、また笑うのももっともである。
「姫宮の御前のものは、普通どおりでは見栄えがしないでしょう。小ぶりの折敷に、小ぶりの高坏などがよろしいでしょう」
と申し上げるので、
「それなら、その上着を着た童女も参上しやすいでしょうね」
と言う。それでも中宮は、
「いつもの人をからかうように、この人のことまで長々と言って笑ってはいけません。とても謹厚な人なのですから」
と、生昌を気の毒がっていらっしゃるのもおもしろい。
人の少ない折に、
「大進が、まず申し上げたいことがあるそうです」
と言うのを中宮がお聞きになって、
「また何を言って、笑われようとしているのでしょう」
と仰せになるのもおもしろい。
「行って聞いてきなさい」
と仰せになるので、わざわざ出ていくと、
「先夜の門のことを中納言に話しましたところ、たいそう感心なさって、どうにかして適当な折にゆっくりお会いし、お話を伺いたいと申しておられました」
と言うだけで、ほかには何もない。先夜のことを言うのかと少し胸がときめいたのだが、
「今度、静かな折に御局へ伺いましょう」
と言って立ち去った。御前へ戻ると、
「それで、何の用だったの」
と中宮がお尋ねになるので、今言われたことをそのまま申し上げると、
「わざわざ使いをよこして呼び出すほどのことではないでしょう。たまたま端のほうや局などにいるときにでも言えばよいのに」
と笑うと、
「自分が賢いと思っている人から褒められたので、うれしいと思うだろう、と知らせたかったのでしょう」
と仰せになる中宮のご様子も、たいそうすばらしい。
第9段「うへに候ふ御猫は」
帝がおそばに置いていらっしゃる御猫は、位を授けられて「命婦のおとど」と呼ばれ、たいそうかわいらしいので大切にされていた。その猫が縁先へ出て寝そべっていたところ、乳母役の馬命婦が、
「まあ、みっともない。中へお入りなさい」
と呼んだが、日の差し込む所で眠ったまま動かないので、脅かそうとして、
「翁丸はどこ。命婦のおとどを食べておしまい」
と言うと、愚かな翁丸は本気にして走りかかった。猫はひどくおびえて、御簾の中へ逃げ込んだ。
朝餉の間に帝がおいでになり、その様子をご覧になってたいそう驚かれた。猫を懐にお入れになり、男たちをお召しになると、蔵人の忠隆となりなかが参上したので、
「この翁丸を打って懲らしめ、犬島へ追放せよ。今すぐに」
と仰せになる。人々は集まって翁丸を探し回る。馬命婦のこともお叱りになり、
「乳母を替えてしまおう。これでは安心できない」
と仰せになったので、馬命婦は御前にも出なくなった。翁丸は狩り出され、滝口の武士などによって追い払われた。
「まあ、あれほど威勢よく歩き回っていたのに。三月三日に、頭の弁が柳の蔓を頭につけさせ、桃の花を髪飾りに挿させ、桜を腰に挿すなどして歩かせなさったときには、こんな目に遭うとは思っていなかったでしょうね」
などと、みんなでかわいそうがる。
「お食事のときには、いつも必ず向かい側に控えていたのに、いなくなると寂しいこと」
などと言って三、四日たった日の昼頃、犬がひどく鳴く声がするので、何の犬がこんなに長く鳴いているのだろうと聞いていると、宮中の犬たちがみな様子を見に行く。
御厠人の一人が走って来て、
「まあ大変です。犬を蔵人二人がかりで打っていらっしゃいます。死んでしまいそうです。追放された犬が戻ってきたというので、懲らしめていらっしゃるのです」
と言う。なんてかわいそうなことだろう。翁丸なのである。
「忠隆や実房などが打っているのだそうです」
と言うので、やめさせるため人をやると、ようやく鳴き声がやみ、
「死んだので、陣の外へ引きずって捨てた」
と言う。みんなでかわいそうがっていると、夕方、ひどく腫れ上がり、見るも無残で弱りきった犬が、震えながら歩いてきたので、
「翁丸かしら。この頃、こんな犬がほかに歩いているだろうか」
と言う。
「翁丸」
と呼んでも、聞こうともしない。
「そうだ」
と言う人もいれば、
「違う」
と言う人もいて、口々に話していると、
「右近なら見分けられる。呼びなさい」
ということで右近を呼ぶと、やって来た。
「これは翁丸ですか」
と犬をお見せになる。
「似てはおりますが、この犬はひどい姿をしております。それに、翁丸なら『翁丸か』と声をかけただけでも喜んで寄って来るものですのに、呼んでも近寄ってきません。別の犬なのでしょう。翁丸は、打ち殺して捨てたと申しておりました。二人がかりで打たれて、生きていられるでしょうか」
などと申し上げると、帝もかわいそうにお思いになる。
暗くなって食べ物を与えても食べないので、結局、翁丸ではない犬ということにして、その日は終わった。翌朝、中宮の御髪を整える道具や御手水などが用意され、中宮が御鏡をご覧になるそばに私が控えていると、柱のもとに例の犬がいるのが見えたので、
「ああ、昨日は翁丸をひどく打ったものだ。死んでしまったのだろうと思うとかわいそうだ。今度は何に生まれ変わったのだろう。どんなにつらい思いをしたことだろう」
と何気なく言うと、そこにいた犬が震えながら涙をぽろぽろと流したので、たいそう驚いた。やはり翁丸だったのだ。昨夜は正体を隠してじっとしていたのだと思うと、かわいそうなのに加えて、おかしくてたまらない。
私は御鏡を置いて、
「では、翁丸なのか」
と声をかけると、犬はひれ伏して激しく泣いた。中宮もたいそう笑い崩れなさった。右近の内侍をお召しになって、
「こういうことだったのだ」
と仰せになると、右近も大声で笑う。その声を帝もお聞きになって、こちらへおいでになった。
「驚いたことだ。犬にも、こんな心があるものなのだな」
とお笑いになる。帝付きの女房たちも聞いて集まってきて、呼ぶと、翁丸は今度は立ち上がって動き出す。
「それにしても、この顔の腫れなどは、手当てをさせたいものですね」
と言うと、
「とうとう翁丸だと口に出してしまったわね」
などと笑っているところへ、忠隆が聞きつけて台盤所のほうから、
「本当でございますか。私もあれを見てみましょう」
と言ってきたので、
「まあ、とんでもない。そんな犬はどこにもいません」
と言わせると、
「そうは言っても、そのうち見つけることもありましょう。いつまでも隠しておくことはできますまい」
と言う。
こうして翁丸は処罰を許され、元どおりになった。それでもみんなにかわいそうがられ、震えながら泣き出した姿は、言いようもないほどおかしく、またしみじみと心を打った。人間なら、人に何か言われて泣くこともあるけれど、犬がそうするとは。
第10段「正月一日三月三日は」
正月一日と三月三日は、たいそううららかなのがよい。
五月五日は、一日中曇っているのがよい。七月七日は、一日中曇っていて、夕方には晴れた空に月がたいそう明るく、星もたくさん見えているのがよい。
九月九日は、明け方から雨が少し降り、菊の露もたっぷりと置いて、菊にかぶせた綿などもひどく濡れ、その綿に移った菊の香りもいっそう引き立つ。朝には雨がやんでいても、なお曇っていて、今にもまた雨が落ちてきそうに見えるのも趣がある。
第11段「よろこび奏するこそ」
任官などのお礼を申し上げる「喜び奏」をする姿はおもしろい。後ろのことは気にせず、御前のほうを向いて立ち、拝礼して舞踏し、大騒ぎする様子がよい。
第12段「今内裏の東をば」
今の内裏の東側を、北の陣という。そこにたいそう高い梨の木があるので、
「何尋くらいあるだろう」
などと言う。権中将が、
「根元から切って、定澄僧都の枝扇にしたいものだ」
とおっしゃったことがあった。その定澄僧都が山階寺の別当になり、お礼を申し上げる日に、近衛司でこの君が出ていらっしゃったところ、僧都は高い屐子まで履いていたので、ひどく背が高く見えた。僧都が退出したあと、
「どうして、あの枝扇をお持たせにならなかったのです」
と言うと、
「忘れてはいないよ」
とお笑いになる。
「定澄僧都には袿がない。すくせ君には袙がない」
と言ったという人は、実におもしろい。
第13段「山は」
山は、小倉山、かせ山、三笠山、このくれ山、いりたちの山、わすれずの山、末の松山。
かたさり山という名は、どんな山なのだろうと思われておもしろい。
いつはた山、かへる山、のちせの山。
朝倉山は、遠くから眺めるのがよい。
おほひれ山もおもしろい。臨時の祭の舞人などが思い出されるからだろう。
三輪の山もよい。
たむけ山、まちかね山、たまさか山、みみなし山。
第14段「市は」
市は、たつの市、さとの市、つば市。
大和には市がたくさんあるが、長谷寺へ参詣する人が必ずそこに泊まるのは、観音との縁があるのだろうかと思われて、格別な感じがする。
おふさの市、しかまの市、あすかの市。
第15段「峰は」
峰は、ゆづるはの峰、あみだの峰、いやたかの峰。
第16段「原は」
原は、みかの原、あしたの原、その原。
第17段「淵は」
淵は、かしこ淵。この名をつけた人は、どれほど深い底を見てそのように名づけたのだろうと思われて、おもしろい。
ないりその淵は、誰がどんな人にそう教えたのだろう。青色の淵という名はおもしろい。蔵人などのお供にでもできそうな名である。
かくれの淵、いな淵。
第18段「海は」
海は、水うみ、よさの海、かはふちの海。
第19段「みささぎは」
御陵は、うぐひすのみささぎ、かしはぎのみささぎ、あめのみささぎ。
第20段「わたりは」
渡し場は、しかすがのわたり、こりずまのわたり、水はしのわたり。
第21段「たちは」
館は、たまつくり。
第22段「家は」
邸宅は、近衛の御門、二条みかゐ。一条もよい。
染殿の宮、せかい院、菅原の院、冷泉院、閑院、朱雀院、小野の宮。
こうばい、あがたの井戸。
たけ三条、小八条、小一条。
第23段「清涼殿の丑寅の隅の」
清涼殿の北東の隅、北側を仕切る障子には、荒海の絵と、恐ろしげな生き物である手長・足長が描かれている。上の御局の戸を押し開けるといつも目に入るので、気味悪がったりして笑う。
勾欄のもとに大きな青い瓶を置き、五尺ほどもある見事な桜の枝をたくさん挿してあるので、花が勾欄の外まであふれるように咲いている。昼頃、大納言殿が、少し柔らかな桜襲の直衣に、濃い紫の固紋の指貫、何枚もの白い御衣を重ね、その上から鮮やかな濃い綾を出して参上なさった。帝がこちらにいらっしゃるので、戸口の前の細い板敷に座り、何かを奏上していらっしゃる。
御簾の内では、女房たちが桜襲の唐衣をゆったりと着て、藤や山吹などさまざまな色合いが美しく、多くの袖や裾が小半蔀の御簾の下から押し出されている。昼の御座のほうでは、御膳を運ぶ足音が高く響き、警蹕の
「おし」
という声が聞こえるのも、うららかでのどかな日の様子と相まって、たいそう趣がある。最後の御膳を下げた蔵人が参上して御膳が終わったことを奏上すると、帝は中の戸からお移りになる。大納言殿もお供をして、そのあと、先ほどの桜のもとへ戻って座られた。
中宮が御前の几帳を押しやり、長押の近くまでお出ましになっているご様子など、何ということもなく、ただただすばらしい。おそばに仕える者まで何の悩みもないような心地がしていると、
「月も日も移り変わっていくけれど、長い年月を経てきた三室の山の――」
という歌を、大納言殿がゆったりと口ずさんで座っていらっしゃる。それがたいそう趣深く感じられ、本当に、このようなご様子が千年も続いてほしいと思われる。
陪膳を務める人が男たちを呼ぶ間もないうちに、帝はお移りになった。
「御硯の墨をすりなさい」
と仰せられるが、私は心ここにあらずで、ただ帝のお姿ばかりを拝見していたので、危うく硯の継ぎ目まで外してしまいそうになる。帝は白い色紙を折り畳んで、
「これに、今すぐ思い出せる昔の歌を、一人一つずつ書きなさい」
と仰せになる。大納言殿が外にいらっしゃるので、
「これは、どうしたらよいでしょう」
と申し上げると、
「早く書いて差し上げなさい。男が口をはさむようなことではありません」
と言って、色紙をこちらへ差し入れなさった。御硯を取り下ろすと、
「早く、早く。ただ考え込まずに、『難波津』でも何でも、すぐ思い浮かぶものを書きなさい」
と中宮がお急かしになる。どうしてあれほど気後れしたのだろう。顔まで赤くなって、すっかり思い乱れてしまった。春の歌や花を詠んだ歌などと言われても、上臈の女房でさえ二つ三つほど書くばかりで、
「これに」
と言われた紙に、
年を重ねて年老いてしまったけれど、花を見ると物思いもなくなる。
という歌を、
「あなたを見ると」
と書き換えたものがあった。中宮はそれらを見比べて、
「ただ、あなたたちがどんな気持ちで書くのか、それが知りたかったのです」
と仰せになる。そのついでに、
「円融院の御代に、殿上人たちへ『草子に歌を一首ずつ書け』と仰せになったことがありました。みなたいそう書きにくがって辞退申し上げましたが、院が『ただ書きなさい。字の上手下手も、歌がその場にふさわしいかどうかも問題にはしない』と仰せになったので、困りながらみな書いたそうです。その中で、今の関白殿がまだ三位中将と呼ばれていた頃、
潮が満ちる「いつもの浦」の名のように、いつもいつも、あなたを深く思っているのは私です。
という歌の末を、『思っているのは私です』ではなく『頼みにしているのは私です』と書かれたのを、院はたいそうお褒めになったそうです」
などと仰せになるので、わけもなく汗が流れるような気持ちがする。若い人には、とてもそのような機転の利いた書き方はできないだろう、などと思われる。いつもは字を上手に書く人々も、気が重く、みな遠慮して、書き損じたりしている人もいた。
中宮は『古今和歌集』の草子を御前に置き、歌の上の句をおっしゃって、
「この続きは、何でしたか」
とお尋ねになる。いつも昼夜を問わず心に浮かんでいる歌でさえ、いざとなるとはっきり申し上げられないのは、どうしたことだろう。宰相の君が十首ほど答えたくらいで、それとても大した数ではない。まして五つ六つほどしかわからない者なら、ただ『覚えておりません』と申し上げればよいのだが、
「そんなふうにそっけなく、せっかくの仰せを台なしにするわけにはいかないでしょう」
と言って困り、残念がるのもおもしろい。誰も知っていると申し上げない歌は、中宮がそのまま最後までお読みになり、印をつけていらっしゃるので、
「これは知っている歌なのに。どうしてこんなにだめなのだろう」
と言って嘆く。とりわけ、『古今和歌集』を何度も書き写したりしている人なら、全部覚えていてもよさそうなものである。
「村上天皇の御代に、宣耀殿の女御と申し上げた方が、小一条左大臣殿の御娘でいらっしゃったことは、誰でも知っているでしょう。まだ姫君と呼ばれていた頃、父の大臣が教え申し上げたことは、『第一に、習字をなさい。次に、琴は人よりすぐれて弾けるようになりなさい。そして、『古今和歌集』二十巻の歌をすべて暗記することを学問になさい』ということだったそうです。帝はその話を以前からお聞きになっていて、物忌みの日に『古今和歌集』を持って女御のところへお渡りになり、几帳を間に引かせなさったので、女御は『いつもと違って妙だ』とお思いになったそうです。すると帝は草子を広げ、『何月の、どのような折に、この人が詠んだ歌は何か』とお尋ねになる。女御は、こういうことだったのか、とお気づきになる。それもおもしろいけれど、もし覚え違いをしたり、忘れたところがあったりすれば大変なことになるので、ひどく気をもまれたことでしょう。
帝は、その方面に詳しい人を二、三人ほど呼び出し、碁石で正解の数を数えさせながら、女御に答えるよう強くお求めになったそうです。その場はどれほどすばらしく、おもしろかったことでしょう。御前に仕えていた人までうらやましく思われます。
帝がしきりに答えを求めなさると、女御はさすがに最後まですらすらというわけではないものの、少しも間違えることがなかった。帝は、どうにかして少しでも間違いを見つけて終わりにしようと、悔しく思われるほどだったが、とうとう十巻まで来てしまった。これ以上はだめだと思って、草子に夾算を挟み、そのままお休みになったのもまたすばらしい。
かなりたってから帝がお起きになったが、このまま勝ち負けも決まらず終わるのはよくないと、残りの十巻も、明日になれば女御がどこかで答えを確認してしまうだろうから今日のうちに決着をつけようと、灯火をともさせ、夜が更けるまで問い続けなさった。それでも結局、女御は最後まで負け申し上げることがなかったという。帝がこのことをお知らせになると、父大臣はたいそう心を動かされ、誦経などを数多くさせ、女御のいる方角に向かって祈りながら一日を過ごされたそうです。風雅で、しみじみとした話です」
などと中宮がお話しになるのを、帝もお聞きになり、感心していらっしゃる。
「私は三巻、四巻さえ最後まで試すことはできないだろう」
と帝は仰せになる。
「昔は、身分の低い者までみな趣があったのですね。この頃は、このような話を聞くことがあるでしょうか」
などと、御前に仕える人々や、帝付きの女房でこちらへ来ることを許されている人なども集まり、口々に話をしている間は、本当に何の悩みもないような気持ちがして、ただすばらしく思われる。
第24段「生ひ先なくまめやかに」
将来の見込みもなく、ひたすら堅苦しく、つまらない幸せだけを守って暮らしているような人は、息苦しく、どこか軽く見たくなるように思われる。やはり、それなりの家柄の人の娘などは、宮仕えに出して人々の中に交わらせ、世の中のありさまも見慣れさせたい。内侍のすけなどにして、しばらくでも宮仕えさせたいと思う。
宮仕えをする女を、軽々しくてよくないことだと言ったり思ったりする男などは、たいそう憎らしい。
もっとも、なるほど、そう言いたくなるのも無理はない。口にするのも恐れ多い帝をはじめ、上達部、殿上人、五位、四位の人々は言うまでもなく、宮仕えをしていれば顔を見られない人のほうが少ないだろう。女房の従者、その実家から来る者、長女、御厠人の従者、さらには『たびしかはら』と呼ばれる者に至るまで、いつそれを恥ずかしがって身を隠したことがあっただろう。高貴な殿方などはそれほどではないかもしれないが、すべての人がそうだというわけでもなく、やはり人それぞれなのだろう。
高貴な人の妻などと呼ばれて大切に家の奥に据えられているだけなら、奥ゆかしく感じられないのももっともである。しかし、内裏の内侍のすけなどと呼ばれて、折々に宮中へ参上し、祭の使いなどとして出るのも、晴れがましいことではないだろうか。そのうえで家に引きこもって暮らすのは、なおさら立派である。受領が五節の舞姫を出すときなどにも、ひどく田舎びて何も知らず、わからないことを人に尋ねたりするようなことはないだろう。そういう女性こそ奥ゆかしいものである。

