『枕草子』原文全文を読む(13)第276段~第278段|読みやすいふりがな付き

目次

第276段「うれしきもの」

 嬉うれしきもの、まだ見みぬ物語ものがたりの一いちを見みて、いみじうゆかしとのみ思おもふが残のこり見み出いでたる。さて、心劣こころおとりするやうもありかし。

 人ひとの破やぶり捨すてたる文ふみを継つぎて見みるに、同おなじ続つづきをあまたくだり見み続つづけたる。いかならむと思おもふ夢ゆめを見みて、恐おそろしと胸むね潰つぶるるに、ことにもあらず合あはせなしたる、いと嬉うれし。

 良よき人ひとの御前おまへに人々ひとびとあまた候さぶらふ折をり、昔むかしありけることにもあれ、今いま聞きこしめし、世よに言いひけることにもあれ、語かたらせ給たまふを、我われに御覧ごらんじ合あはせて宣のたまはせたる、いと嬉うれし。

 遠とほき所ところはさらなり、同おなじ都みやこのうちながらも隔へだたりて、身みにやむごとなく思おもふ人ひとの悩なやむを聞ききて、いかにいかにと、おぼつかなきことを嘆なげくに、おこたりたる由よし、消息せうそこ聞きくも、いと嬉うれし。

 思おもふ人ひとの人ひとに褒ほめられ、やむごとなき人ひとなどの、口惜くちをしからぬ者ものに思おぼし宣のたまふ。ものの折をり、もしは、人ひとと言いひ交かはしたる歌うたの聞きこえて、打聞うちぎきなどに書かき入いれらるる。自みづからの上うへにはまだ知しらぬことなれど、なほ思おもひ遣やるよ。

 いたううち解とけぬ人ひとの言いひたる古ふるき言ことの、知しらぬを聞きき出いでたるも嬉うれし。後のちに物ものの中なかなどにて見み出いでたるは、ただをかしう、これにこそありけれと、かの言いひたりし人ひとぞをかしき。

 みちのくに紙かみ、ただのも、良よき得えたる。恥はづかしき人ひとの、歌うたの本末もとすゑ問とひたるに、ふと覚おぼえたる、我われながら嬉うれし。常つねに覚おぼえたることも、また人ひとの問とふに、清きよう忘わすれてやみぬる折をりぞ多おほかる。とみにて求もとむるもの見み出いでたる。

 物合ものあはせ、なにくれと挑いどむことに勝かちたる、いかでか嬉うれしからざらむ。また、我われはなど思おもひてしたり顔がほなる人ひと、謀はかり得えたる。女をんなどちよりも、男をとこはまさりて嬉うれし。これが答こたへは必かならずせむと思おもふらむと、常つねに心遣こころづかひせらるるもをかしきに、いとつれなく、何なにとも思おもひたらぬさまにて弛たゆめ過すぐすも、またをかし。憎にくき者ものの悪あしき目め見みるも、罪つみや得えらむと思おもひながら、また嬉うれし。

 ものの折をりに衣きぬ打うたせて遣やりて、いかならむと思おもふに、清きよらにて得えたる。刺櫛さしぐしすらせたるに、をかしげなるもまた嬉うれし。またも多おほかるものを。

 日頃ひごろ、月頃つきごろ、著しるき事ことありて、悩なやみ渡わたるが、おこたりぬるも嬉うれし。思おもふ人ひとの上うへは、我わが身みよりもまさりて嬉うれし。

 御前おまへに人々ひとびと所ところもなく居ゐたるに、今いま上のぼりたるは、少すこし遠とほき柱元はしらもとなどに居ゐたるを、疾とく御覧ごらんじ付つけて、

「こち」

 と仰おほせらるれば、道みち開あけて、いと近ちかう召めし入いれられたるこそ嬉うれしけれ。

第277段「御前にて人々ともまた」

 御前おまへにて人々ひとびととも、また、もの仰おほせらるるついでなどにも、

「世よの中なかの腹はら立たたしう、むつかしう、片時かたときあるべき心地ここちもせで、ただいづちもいづちも行ゆきもしなばやと思おもふに、ただの紙かみのいと白しろう清きよげなるに、良よき筆ふで、白しろき色紙しきし、みちのくに紙かみなど得えつれば、こよなう慰なぐさみて、さはれ、かくてしばしも生いきてありぬべかんめりととなむ覚おぼゆる。また、高麗縁かうらいべりの、筵むしろ青あをうこまやかに厚あつきが、縁へりの紋もんいとあざやかに、黒くろう白しろう見みえたるを引ひき広ひろげて見みれば、なにか、なほこの世よは、さらにさらにえ思おもひ捨すつまじと、命いのちさへ惜をしくなんなる」

 と申まうせば、

「いみじくはかなきことにも慰なぐさむるかな。姨捨山をばすてやまの月つきは、いかなる人ひとの見みけるにか」

 など笑わらはせ給たまふ。候さぶらふ人ひとも、

「いみじうやすき息災そくさいの祈いのりななり」

 など言いふ。

 さて後のち、ほど経へて、心こころから思おもひ乱みだるることありて里さとにある頃ころ、めでたき紙かみ二十にじふを包つつみて賜たまはせたり。仰おほせ言ごとには、

「疾とく参まゐれ」

 など宣のたまはせで、

「これは聞きこし召めし置おきたることのありしかばなむ。悪わろかめれば、寿命経じゆみやうきやうもえ書かくまじげにこそ」

 と仰おほせられたる、いみじうをかし。思おもひ忘わすれたりつることを思おぼし置おかせ給たまへりけるは、なほただ人ひとにてだにをかしかべし。まいて、おろかなるべきことにぞあらぬや。

 心こころも乱みだれて、啓けいすべき方かたもなければ、ただ、

「かけまくも畏かしこき神かみの徴しるしには鶴つるの齢よはひとなりぬべきかな

あまりにやと啓けいせさせ給たまへ」

 とて参まゐらせつ。

 台盤所だいばんどころの雑仕ざふしぞ、御使おつかひには来きたる。青あをき綾あやの単ひとへなどして、誠まことに、この紙かみを草子さうしに作つくりなどもて騒さわぐに、むつかしきことも紛まぎるる心地ここちして、をかしと心こころの内うちに覚おぼゆ。

 二日ふつかばかりありて、赤衣あかぎぬ着きたる男をとこ、畳たたみを持もて来きて、

「これ」

 と言いふ。

「あれは誰たれそ。あらはなり」

 など、ものはしたなく言いへば、差さし置おきて往いぬ。

「何処いづこよりぞ」

 と問とはすれど、

「まかりにけり」

 とて、取とり入いれたれば、殊更ことさらに御座おましと言いふ畳たたみのさまにて、高麗かうらいなど、いときよらなり。

 心こころの内うちには、さにやあらむなんど思おもへど、なほおぼつかなさに、人々ひとびと出いだして求もとむれど、失うせにけり。怪あやしがり言いへど、使つかひのなければ言いふ甲斐かひなくて、所違ところたがへなどならば、自おのづからまた言いひに来こなむ、宮みやの辺ほとりに案内あないしに参まゐらまほしけれど、さもあらずは、うたてあべし、と思おもへど、なほ誰たれか、すずろにかかる業わざはせむ、仰おほせ言ごとなめり、といみじうをかし。

 二日ふつかばかり音おともせねば、疑うたがひなくて、右京うきやうの君きみのもとに、

「かかることなむある。さることや気色けしき見みたまひし。忍しのびて有様ありさま宣のたまへ。さること見みえずは、かう申まうしたりとな散ちらし給たまひそ」

 と言いひ遣やりたるに、

「いみじう隠かくさせたまひしことなり。ゆみゆめまろが聞きこえたると、な口くちにも」

 とあれば、さればよと思おもふもしるく、をかしうて、文ふみを書かきて、また密みそかに御前おまへの勾欄こうらんに置おかせしものは、惑まどひけるほどに、やがて掛かけ落おとして、御階みはしの下したに落おちにけり。

第278段「関白殿二月二十一日に」

 関白殿くわんぱくどの、二月きさらぎ二十一日にじふいちにちに法興院ほこゐんの積善寺さくぜんじと言いふ御堂みだうにて一切経供養いつさいきやうくやうぜさせ給たまふに、女院にようゐんもおはしますべければ、二月一日きさらぎついたちのほどに、二条にでうの宮みやへ出いでさせ給たまふ。ねぶたくなりにしかば、何なに事ことも見み入いれず。

 つとめて、日ひの麗うららかに差さし出いでたるほどに起おきたれば、白しろう新あたらしうをかしげに造つくりたるに、御簾みすより始はじめて、昨日きのふ掛かけたるなめり。御設おんしつらひ、獅子しし狛犬こまいぬなど、いつのほどにか入いりゐけむとぞをかしき。桜さくらの一丈いちぢやうばかりにて、いみじう咲さきたるやうにて、御階みはしのもとにあれば、いと疾とく咲さきにけるかな、梅うめこそただ今いまは盛さかりなれ、と見みゆるは、造つくりたるなりけり。すべて、花はなの匂にほひなどつゆ誠まことに劣おとらず。いかにうるかさりけむ。雨あめ降ふらば萎しぼみなむかしと思おもふぞ口惜くちをしき。小家こいへなど言いふもの多おほかりける所ところを、今いま造つくらせ給たまへれば、木立こだちなど見み所ところあることもなし。ただ、宮みやのさまぞ、気近けぢかうをかしげなる。

 殿とのわたらせ給たまへり。青鈍あをにびの固紋かたもんの御指貫おんさしぬき、桜さくらの御直衣おんなほしに紅くれなゐの御衣おんぞ三みつばかりを、ただ御直衣おんなほしに引ひき重かさねてぞ奉たてまつりたる。御前おまへより始はじめて、紅梅こうばいの濃こき薄うすき織物おりもの、固紋かたもん、無紋むもんなどを、ある限かぎり着きたれば、ただ光ひかり満みちて見みゆ。唐衣からぎぬは、萌黄もえぎ、柳やなぎ、紅梅こうばいなどもあり。

 御前おまへに居ゐさせ給たまひて、物ものなど聞きこえさせ給たまふ。御おん答いらへなどのあらまほしさを、里さとなる人ひとなどに僅はつかに見みせばやと見み奉たてまつる。女房にようばうなど御覧ごらんじ渡わたして、

「宮みや、何事なにごとをおぼしめすらむ。ここらめでたき人々ひとびとを据すゑ並なめて御覧ごらんずるこそは羨うらやましけれ。一人ひとりわるき形かたちなしや。これみな家々いへいへの娘むすめどもぞかし。あはれなり、よう顧かへりみてこそ候さぶらはせたまはめ。さても、この宮みやの御心みこころをば、いかに知しり奉たてまつりて、かくは参まゐり給たまへるぞ。いかにいやしく物惜ものをしみせさせ給たまふ宮みやとて、我われは宮みやの生うまれさせたまひしより、いみじう仕つかうまつれど、まだおろしの御衣おんぞ一ひとつ賜たまはらず。何なにか、しりう言ごとには聞きこえむ」

 など宣のたまふがをかしければ、笑わらひぬれば、

「まことぞ。烏滸をこなりと見みてかく笑わらひいまするが恥はづかし」

 など宣のたまはするほどに、内うちより式部しきぶの丞ぞう某なにがしが参まゐりたり。

 御文おんふみは、大納言殿だいなごんどの取とりて殿とのにたてまつらせ給たまへば、引ひき解ときて、

「ゆかしき御文おんふみかな。ゆるされはべらば、開あけて見み侍はべらむ」

 とは宣のたまはすれど、

「危あやふしとおぼいためり。かたじけなくもあり」

 とてたてまつらせ給たまふを、取とらせ給たまひても、広ひろげさせ給たまふやうにもあらずもてなさせ給たまふ、御用意ごよういぞ有難ありがたき。

 御簾みすの内うちより女房にようばう褥しとね差さし出いでて、三四人みたりよたり御几帳みきちやうのもとにゐたり。

「あなたにまかりて、禄ろくのことものしはべらむ」

 とて立たたせたまひぬるのちぞ、御文おんふみ御覧ごらんずる。

 御返おんかへし、紅梅こうばいの薄様うすやうに書かかせ給たまふが、御衣おんぞの同おなじ色いろに匂にほひ通とほひたる、なほ、かくしも推おし量はかり参まゐらする人ひとはなくやあらむとぞ口惜くちをしき。今日けふのはことさらにとて、殿とのの御方おんかたより禄ろくは出いさせ給たまふ。女をんなの装束さうぞくに紅梅こうばいの細長ほそなが添そへたり。肴さかななどあれば、酔ゑはさまほしけれど、

「今日けふはいみじきことの行事ぎやうじにはべり。あが君きみ、許ゆるさせ給たまへ」

 と、大納言殿だいなごんどのにも申まうして立たちぬ。

 君きみなど、いみじく化粧けさうじたまひて、紅梅こうばいの御衣おんぞども、劣おとらじと着き給たまへるに、三さんの御前おまへは、御匣殿みくしげどの、中姫君なかひめぎみよりも大おほきに見みえたまひて、上うへなど聞きこえむにぞよかめる。

 上うへもわたり給たまへり。御几帳みきちやう引ひき寄よせて、新あたらしう参まゐりたる人々ひとびとには見みえたまはねば、いぶせき心地ここちす。

 差さし集つどひて、かの日ひの装束さうぞく、扇あふぎなどのことを言いひ合あへるもあり。また、挑いどみ隠かくして、

「まろは、なにか。ただあらむにまかせてを」

 など言いひて、

「例れいの、君きみの」

 など、にくまる。夜よるさりまかづる人ひと多おほかれど、かかる折をりのことなれば、えとどめさせたまはず。

 上うへ、日々ひびにわたりたまひ、夜よるもおはします。君達きみたちなどおはすれば、御前おまへ、人少ひとずくなならでよし。御使おつかひ日々ひびに参まゐる。

 御前おまへの桜さくら、露つゆに色いろはまさらで、日ひなどにあたりて萎しぼみ、悪わろくなるだに口惜くちをしきに、雨あめの夜よる降ふりたるつとめて、いみじく無徳むとくなり。いととう起おきて

「泣なきて別わかれけむ顔かほに心劣こころおとりこそすれ」

 と言いふを聞きかせたまひて、

「げに雨あめ降ふるけはひしつるぞかし。いかならむ」

 とて、おどろかせ給たまふほどに、殿とのの御おんかたより侍さぶらひの者ものども、下衆げすなど、あまた来きて、花はなの下したにただ寄よりに寄よりて、引ひき倒たふし取とりて密みそかに行ゆく。

「まだ暗くらからむにとこそ仰おほせられつれ。明あけ過すぎにけり。不便ふびんなる業わざかな。疾とく疾とく」

 と倒たふし取とるに、いとをかし。

「言いはば言いはなむと、兼澄かねずみがことを思おもひたるにや」

 とも、良よき人ひとならば言いはまほしけれど、

「彼かの花はな盗ぬすむは誰たれぞ。悪あしかめり」

 と言いへば、いとど逃にげて、引ひきもて往いぬ。なほ御心みこころはをかしうおはすかし。枝えだどもも濡ぬれ纏まつはれ付つきて、いかに便無びんなき形かたちならましと思おもふ。ともかくも言いはで入いりぬ。

 掃部司かもんづかさ参まゐりて、御格子みかうし参まゐる。主殿とのもりの女官にようくわん御清おんきよめなどに参まゐり果はてて、起おきさせ給たまへるに、花はなもなければ、

「あな、浅あさまし。あの花はなどもはいづち往いぬるぞ」

 と仰おほせらる。

「暁あかつきに花はな盗人ぬすびとありと言いふなりつるを、なほ枝えだなど少すこしとるにやとこそ聞ききつれ。誰たれがしつるぞ、見みつや」

 と仰おほせらる。

「さもはべらず。まだ暗くらうてよくも見みえざりつるを、白しろみたる者もののはべりつれば、花はなを折をるにやと後うしろめたさに言いひはべりつるなり」

 と申まうす。

「さりとも、皆みなは、かういかでかとらむ。殿とのの隠かくさせ給たまへるならむ」

 とて笑わらはせ給たまへば、

「いで、よもはべらじ。春はるの風かぜのしてはべるならむ」

 と啓けいするを、

「かう言いはむとて隠かくすなりけり。盗ぬすみにはあらで、いたうこそ風流ふりなりつれ」

 と仰おほせらるも、珍めづらしきことにはあらねど、いみじうぞめでたき。

 殿とのおはしませば、ねくたれの朝顔あさがほも、時ときならずや御覧ごらんぜむと引ひき入いる。

 おはしますままに、

「かの花はなは失うせにけるは。いかで、かうは盗ぬすませしぞ。いと悪わろかりける女房にようばう達たちかな。寝汚いぎたなくて、え知しらざりけるよ」

 とおどろかせ給たまへば、

「されど、我われよりさきにとこそ思おもひてはべりつれ」

 と、忍しのびやかに言いふに、いととう聞きき付つけさせ給たまひて、

「さ思おもひつることぞ。世よにこと人ひと出いで居ゐて見みじ。宰相さいしやうとそことのほどならむと推おし量はかりつ」

 といみじう笑わらはせ給たまふ。

「さりけるものを、少納言せうなごんは、春はるの風かぜに負おほせける」

 と、宮みやの御前おまへのうち笑ゑませ給たまへるも、いとをかし。

「空言そらごとを仰おほせ侍はべるなり。今いまは、山田やまだもつくるらむものを」

 などうち誦ずせさせ給たまへる、いとなまめきをかし。

「さてもねたく見付みつけられにけるかな。さばかり戒いましめつるものを。人ひとの御おんかたには、かかる戒いましめ者もののあるこそ」

 など宣のたまはす。

「春はるの風かぜは、空そらにいとかしこうも言いふかな」

 など、またうち誦ずせさせ給たまふ。

「ただ言ごとにはうるさく思おもひつよりてはべりし。今朝けさのさま、いかにはべらまし」

 などぞ笑わらはせ給たまふ。

 小若君こわかぎみ、

「されど、それをいと疾とく見みて、露つゆに濡ぬれたると言いひける、面伏おもてぶせなりと言いひはべりける」

 と申まうし給たまへば、いみじうねたがらせ給たまふもをかし。

 さて、八九日やうかここのかのほどにまかづるを、

「今いま少すこし近ちかうなりてを」

 など仰おほせらるれど、出いでぬ。

 いみじう、常つねよりものどかに照てりたる昼ひるつ方かた、

「花はなの心こころ開ひらけざるや。いかに、いかに」

 と宣のたまはせたれば、

「秋あきはまだしくはべれど、夜よるに九度ここのたび上のぼる心地ここちなむしはべる」

 と聞きこえさせつ。

 出いでさせたまひし夜よる、車くるまの次つぎ第だいもなく、

「先まづ、先まづ」

 と乗のり騒さわぐが憎にくければ、さるべき人ひとと、なほこの車くるまに乗のるさまのいと騒さわがしう、祭まつりのかへさなどのやうに、倒たふれぬべく惑まどふさまのいと見苦みぐるしきに、ただ、さはれ、乗のるべき車くるまなくてえ参まゐらずは、自おのづから聞きこし召めし付つけて賜たまはせもしてむなど言いひ合あはせて立たてる、前まへより押おし凝こりて、惑まどひ出いでて乗のり果はてて、かうこと言いふに、

「まだし、ここに」

 と言いふめれば、宮司みやづかさ寄より来きて、

「誰々たれたれおはするぞ」

 と問とひ聞ききて、

「いと怪あやしかりけることかな。今いまはみな乗のりたまひぬらむとこそ思おもひつれ。こはなど、かう後おくれさせ給たまへる。今いまは得選とくせん乗のせむとしつるに。めづらかなりや」

 など驚おどろきて、寄よせさすれば、

「さば、先まづその御志みこころざしあらむをこそ乗のりたまはめ。次つぎにこそ」

 と言いふ声こゑを聞ききて、

「けしからず、腹汚はらぎたなくおはしましけり」

 など言いへば乗のりぬ。

 その次つぎには、誠まことに御厨子みづしが車くるまにぞありければ、火ひもいと暗くらきを、笑わらひて二条にでうの宮みやに参まゐり着つきたり。

 御輿みこしは疾とく入いらせたまひて、設しつらひ居ゐさせ給たまひにけり。

「ここに呼よべ」

 と仰おほせられければ、

「いづら、いづら」

 と右京うきやう、小左近こさこんなど言いふ若わかき人々ひとびと待まちて、参まゐる人ひとごとに見みれど、なかりけり。

 下おるるにしたがひて、四人よたりづつ御前おまへに参まゐり集つどひて候さぶらふに、

「怪あやし。なきか。いかなるぞ」

 と仰おほせられけるも知しらず、ある限かぎり下おり果はててぞからうじて見付みつけられて、

「さばかり仰おほせらるるに、遅おそくは」

 とて、引ひき率ゐて参まゐるに、見みれば、いつの間まにかう年頃としごろの御住おんすまひのやうに、おはしましつきたるにかとをかし。

「いかなれば、かうなきかと尋たづぬばかりまでは見みえざりつる」

 と仰おほせらるるに、ともかくも申まうさねば、もろともに乗のりたる人ひと、

「いとわりなしや。最果さいはての車くるまに乗のりてはべらむ人ひとは、いかでか疾とくは参まゐりはべらむ。これも、御厨子みづしがいとほしがりて、譲ゆづりてはべるなり。暗くらかりつるこそ侘わびしかりつれ」

 とわぶわぶ啓けいするに、

「行事ぎやうじする者もののいと悪あしきなり。また、などかは、心こころ知しらざらむ人ひとこそはつつまめ、右衛門うゑもんなど言いはむかし」

 と仰おほせらる。

「されど、いかでかは走はしり先さき立たちはべらむ」

 など言いふ、傍かたへの人ひと憎にくしと聞きくらむかし。

「様悪さまあしうて高たかう乗のりたりとも、かしこかるべきことかは。定さだめたらむさまの、やむごとなからむこそよからめ」

 と、ものしげにおぼしめしたり。

「下おりはべるほどのいと待まち遠とほに、苦くるしければにや」

 とぞ申まうし直なほす。

 御経みきやうのことにて、明日あすわたらせたまはむとて、今いま宵よひ参まゐりたり。

 南みなみの院ゐんの北面きたおもてに差さし覗のぞきたれば、高杯たかつきどもに火ひを灯ともして、二人ふたり、三人みたり、三四人みたりよたり、さべきどち屏風びやうぶ引ひき隔へだてたるもあり。几帳きちやうなど隔へだてなどもしたり。また、さもあらで、集あつまり居ゐて衣きぬども綴とぢ重かさね、裳もの腰こし差さし、化粧けさうずるさまはさらにも言いはず、髪かみなど言いふもの、明日あすよりのちは有難ありがたげに見みゆ。

「寅とらの時ときになむわたらせ給たまふべかなる。などか今いままで参まゐりたまはざりつる。扇あふぎ持もたせて、求もとめ聞きこゆる人ひとありつ」

 と告つぐ。

 さて、誠まことに寅とらの時ときかと装束さうぞく着き立たちてあるに、明あけ果はて、日ひも差さし出いでぬ。西にしの対たいの唐廂からびさしに差さし寄よせてなむ乗のるべきとて、渡殿わたどのへある限かぎり行ゆくほど、まだうひうひしきほどなる今参いままゐりなどはつつましげなるに、西にしの対たいに殿とのの住すませ給たまへば、宮みやもそこにおはしまして、先まづ女房にようばうども車くるまに乗のせ給たまふを御覧ごらんずとて、御簾みすのうちに、宮みや、淑景舎しげいさ、三四さんしの君きみ、殿とのの上うへ、その御弟おんおとと三所みところ、立たち並なみおはしまさふ。

 車くるまの左右さうに、大納言殿だいなごんどの、三位さんみの中将ちゆうじやう、二所ふたところして簾すだれうち上あげ、下簾したすだれ引ひき上あげて乗のせ給たまふ。うち群むれてだにあらば、少すこし隠かくれどころもやあらむ、四人よたりづつ書立かきたてにしたがひて、

「それ、それ」

 と呼よび立たてて乗のせ給たまふに、歩あゆみ出いづる心地ここちぞ、誠まことに浅あさましう、顕証けそうなりと言いふも世よの常つねなり。

 御簾みすのうちに、そこらの御目おんめどもの中なかに、宮みやの御前おまへの見苦みぐるしと御覧ごらんぜむばかり、さらに侘わびしきことなし。汗あせのあゆれば、繕つくろひ立たてたる髪かみなども、みなあがりやしたらむと覚おぼゆ。からうじて過すぎ行ゆきたれば、車くるまのもとに、恥はづかしげに清きよげなる御おんさまどもして、うち笑ゑみて見み給たまふも現うつつならず。されど、倒たふれでそこまでは行ゆき着つきぬるぞ、かしこきか面無おもなきか、思おもひ辿たどらるれ。

 みな乗のりはてぬれば、引ひき出いでて、二条にでうの大路おほぢに榻しぢにかけて、物もの見みる車くるまのやうに立たて並なべたる、いとをかし。人ひとも見みたらむかしと心こころときめきせらる。四位しゐ、五位ごゐ、六位ろくゐなどいみじう多おほう出いで入いり、車くるまのもとに来きて、繕つくろひ、物言ものいひなどする中なかに、明順あきのぶの朝臣あそんの心地ここち、空そらを仰おほぎ、胸むねをそらいたり。

 先まづ院ゐんの御迎おむかへに、殿とのを始はじめ奉たてまつりて、殿上人てんじやうびと、地下ぢげなどもみな参まゐりぬ。それわたらせたまひて後のちに、宮みやは出いでさせ給たまふべしとあれば、いと心こころもとなしと思おもふほどに、日ひさし上あがりてぞおはします。御車みくるまごめに十五じふご、四よつは尼あまの車くるま、一いちの御車みくるまは唐車からぐるまなり。それに続つづきてぞ尼あまの車くるま、後口しりぐちより水晶すゐしやうの数珠ずず、薄墨うすずみの裳も、袈裟けさ、衣きぬ、いといみじくて、簾すだれは上あげず、下簾したすだれも薄色うすいろの裾すそ少すこし濃こき、次つぎに女房にようばうの十とを、桜さくらの唐衣からぎぬ、薄色うすいろの裳も、濃こき衣きぬ、香染かうぞめ、薄色うすいろの上着うはぎども、いみじうなまめかし。日ひはいとうららかなれど、空そらは緑みどりに霞かすみ渡わたれるほどに、女房にようばうの装束さうぞくの匂にほひ合あひて、いみじき織物おりもの、色々いろいろの唐衣からぎぬなどよりも、なまめかしうをかしきこと限かぎりなし。

 関白殿くわんぱくどの、その次々つぎつぎの殿とのばら、おはする限かぎり、もて傅かしづき渡わたしたてまつらせ給たまふさま、いみじくぞめでたし。これを先まづ見み奉たてまつり、愛めで騒さわぐ。この車くるまどもの二十にじふ並なべたるも、またをかしと見みるらむかし。

 いつしか出いでさせたまはなむと待まち聞きこえさするに、いと久ひさし。いかなるらむと心こころもとなく思おもふに、からうじて采女うねめ八人はちにん、馬うまに乗のせて引ひき出いづ。青裾濃あをすそごの裳も、裙帯くたい、領布ひれなどの風かぜに吹ふき遣やられたる、いとをかし。ふせと言いふ采女うねめは、典薬てんやくの頭かみ重雅しげまさが知しる人ひとなりけり。葡萄染えびぞめの織物おりものの指貫さしぬきを着きたれば、

「重雅しげまさは色いろ許ゆるされにけり」

 など、山やまの井ゐの大納言だいなごん笑わらひ給たまふ。

 みな乗のり続つづきて立たてるに、今いまぞ御輿みこし出いでさせ給たまふ。めでたしと見み奉たてまつりつる御おん有様ありさまには、これはた、比くらぶべからざりけり。

 朝日あさひの花々はなばなとさしあがるほどに、水葱なぎの花はないときはやかに輝かがやきて、御輿みこしの帷子かたびらの色艶いろつやなどの清きよらささへぞいみじき。御綱みつな張はりて出いでさせ給たまふ。御輿みこしの帷子かたびらのうち揺ゆるぎたるほど、誠まことに、頭かしらの毛けなど人ひとの言いふ、さらに空言そらごとならず。さてのちは、髪かみあしからむ人ひともかこちつべし。浅あさましう厳いつくしう、なほいかで、かかる御前おまへに馴なれ仕つかうまつるらむと、我わが身みもかしこうぞ覚おぼゆる。御輿みこし過すぎさせ給たまふほど、車くるまの榻しぢども一ひとたびに掻かき下おろしたりつる、また牛うしどもにただ掛かけに掛かけて、御輿みこしの後あとに続つづけたる心地ここち、めでたく興きようあるさま、言いふ方かたもなし。

 おはしまし着つきたれば、大門おほもんのもとに高麗かうらい、唐土もろこしの楽がくして、獅子しし狛犬こまいぬ躍をどり舞まひ、乱声らんじやうの音おと、鼓つづみの声こゑに物ものも覚おぼえず。こは、生いきての仏ほとけの国くになどに来きにけるにやあらむと、空そらに響ひびき上あがるやうに覚おぼゆ。

 内うちに入いりぬれば、色々いろいろの錦にしきのあげばりに、御簾みすいと青あをく掛かけ渡わたし、屏幔へいまんども引ひきたるなど、すべてすべて、さらにこの世よと覚おぼえず。御桟敷おさじきに差さし寄よせたれば、また、この殿とのばら立たちたまひて、

「疾とう下おりよ」

 と宣のたまふ。乗のりつる所ところだにありつるを、いま少すこし明あかう顕証けそうなるに、繕つくろひ添そへたりつる髪かみも、唐衣からぎぬの中なかにてふくだみ、怪あやしうなりたらむ、色いろの黒くろさ赤あかささへ見みえ分わかれぬべきほどなるが、いと侘わびしければ、ふともえ下おりず。

「先まづ、後うしろなるこそは」

 など言いふほどに、それも同おなじ心こころにや、

「退しぞかせ給たまへ。かたじけなし」

 など言いふ。

「恥はぢ給たまふかな」

 と笑わらひて、からうじて下おりぬれば、寄よりおはして、

「むねかたなどに見みせで、隠かくして下おろせと、宮みやの仰おほせらるれば来きたるに、思おもひぐまなく」

 とて、引ひき下おろして率ゐて参まゐり給たまふ。さ聞きこえさせたまひつらむと思おもふも、いとかたじけなし。

 参まゐりたれば、始はじめ下おりける人ひと、物もの見みえぬべきに端はに八人はちにんばかり居ゐにけり。一尺いつしやく余あまり、二尺にしやくばかりの長押なげしの上うへにおはします。

「ここに、立たち隠かくして率ゐて参まゐりたり」

 と申まうし給たまへば、

「いづら」

 とて、御几帳みきちやうのこなたに出いでさせ給たまへり。まだ御裳おほむも、唐からの御衣おんぞ奉たてまつりながらおはしますぞいみじき。紅くれなゐの御衣おんぞどもよろしからむやは。中なかに唐綾からあやの柳やなぎの御衣おんぞ、葡萄染えびぞめの五重いつへがさねの織物おりものに赤色あかいろの唐からの御衣おんぞ、地摺ぢずりの唐からの薄物うすものに、象眼ざうがん重かさねたる御裳おほむもなど奉たてまつりて、ものの色いろなどは、さらになべてのに似にるべきやうもなし。

「我われをばいかが見みる」

 と仰おほせらる。

「いみじうなむ候さぶらひつる」

 なども、言ことに出いでては世よの常つねにのみこそ。

「久ひさしうやありつる。それは大夫たいふの、院ゐんの御供おともに着きて人ひとに見みえぬる、同おなじ下襲したがさねながらあらば、人ひと悪わろしと思おもひなむとて、こと下襲したがさね縫ぬはせたまひけるほどに、遅おそきなりけり。いと好すき給たまへり」

 とて笑わらはせ給たまふ。いと明あきらかに、晴はれたる所ところは、いま少すこしぞけざやかにめでたき。御額みひたひ上あげさせ給たまへりける御釵子みさいしに、分目わけめの御髪みぐしのいささか寄よりて著しるく見みえさせ給たまふさへぞ、聞きこえむ方かたなき。

 三尺さんじやくの御几帳みきちやう一ひとよろひを差さし違ちがへて、こなたの隔へだてにはして、その後うしろに畳たたみ一片ひとひらを逆様さがさまに縁えんを端はにして、長押なげしの上うへに敷しきて、中納言ちゆうなごんの君きみと言いふは、殿とのの御叔父おぢの右兵衛うひやうゑの督かみ忠君ただきみと聞きこえけるが御娘おんむすめ、宰相さいしやうの君きみは、富とみの小路こうぢの右みぎの大臣おとどの御孫おんまご、それ二人ふたりぞ上うへに居ゐて、見み給たまふ。

 御覧ごらんじわたして、

「宰相さいしやうはあなたに行ゆきて、人ひとどもの居ゐたるところにて見みよ」

 と仰おほせらるるに、心こころ得えて、

「ここにて、三人みたりはいとよく見みはべりぬべし」

 と申まうし給たまへば、

「さば、入いれ」

 とて召めし上あぐるを、下したに居ゐたる人々ひとびとは、

「殿上てんじやう許ゆるさるる内舎人うどねりなめり」

 と笑わらへど、

「こは、笑わらはせむと思おもひたまひつるか」

 と言いへば、

「むまさまのほどこそ」

 など言いへど、そこに上のぼり居ゐて見みるは、いと面立おもだたし。

 かかることなどぞ自みづから言いふは、吹ふき語かたりなどにもあり、また、君きみの御おんためにも軽々かるがるしう、かばかりの人ひとをさおぼしけむなど、自おのづからも、物知ものしり、世よの中なかもどきなどする人ひとは、あいなうぞ、かしこき御事おんことにかかりてかたじけなけれど、あることはまたいかがは。誠まことに身みの程ほどに過すぎたることどももありぬべし。

 女院にようゐんの御桟敷おさじき、所々ところどころの御桟敷おさじきども見渡みわたしたる、めでたし。殿とのの御前おまへ、このおはします御前おまへより院ゐんの御桟敷おさじきに参まゐりたまひて、しばしありて、ここに参まゐらせ給たまへり。大納言だいなごん二所ふたところ、三位さんみの中将ちゆうじやうは陣ぢんに仕つかうまつり給たまへるままに、調度てうど負おひて、いとつきづきしう、をかしうておはす。殿上人てんじやうびと、四位しゐ五位ごゐこちたくうち連つれ、御供おともに候さぶらひて並なみ居ゐたり。

 入いらせたまひて見み奉たてまつらせ給たまふに、みな御裳おほむも、御唐衣おんからぎぬ、御匣殿みくしげどのまでに着き給たまへり。殿とのの上うへは裳もの上うへに小袿こうちぎをぞ着き給たまへる。

「絵ゑに描かいたるやうなる御おんさまどもかな。今いま一人ひとりは今日けふは人々ひとびとしかめるは」

 と申まうし給たまふ。

「三位さんみの君きみ、宮みやの御裳おほむも脱ぬがせ給たまへ。この中なかの主君すくんには、我わが君きみこそおはしませ。御桟敷おさじきの前まへに陣屋ぢんや据すゑさせ給たまへる、おぼろげのことかは」

 とてうち泣なかせ給たまふ。

 げにと見みえて、皆人みなひと涙なみだぐましきに、赤色あかいろに桜さくらの五重いつへの衣きぬを御覧ごらんじて、

「法服ほふぶくの一ひとつ足たらざりつるを、俄にはかに惑まどひしつるに、これをこそ返かへり申まうすべかりけれ。さらずは、もしまた、さやうの物ものを取とり占しめられたるか」

 と宣のたまはするに、大納言殿だいなごんどの、少すこし退しぞきてゐ給たまへるが、聞ききたまひて、

「清僧都せいそうづのにやあらむ」

 と宣のたまふ。

 一事ひとこととしてめでたからぬことぞなきや。

 僧都そうづの君きみ、赤色あかいろの薄物うすものの御衣おんぞ、紫むらさきの御袈裟おんけさ、いと薄うすき薄色うすいろの御衣おんぞども、指貫さしぬきなど着きたまひて、頭付かしらつきの青あをくうつくしげに、地蔵菩薩ぢざうぼさつのやうにて、女房にようばうに交まじり歩ありき給たまふも、いとをかし。

「僧綱そうがうの中なかに威儀具足ゐぎぐそくしてもおはしまさで、見苦みぐるしう、女房にようばうの中なかに」

 など笑わらふ。

 大納言だいなごんの御桟敷おさじきより、松君まつぎみ率ゐて奉たてまつる。葡萄染えびぞめの織物おりものの直衣なほし、濃こき綾あやの打うちたる、紅梅こうばいの織物おりものなど着き給たまへり。御供おともに例れいの四位しゐ、五位ごゐ、いと多おほかり。御桟敷おさじきにて、女房にようばうの中なかに抱いだき入いれ奉たてまつるに、何事なにごとの誤あやまりにか、泣なきののしり給たまふさへ、いとはえばえし。

 事こと始はじまりて、一切経いつさいきやうを蓮はちすの花はなの赤あかき一花ひとはなづつに入いれて、僧俗そうぞく、上達部かんだちめ、殿上人てんじやうびと、地下ぢげ、六位ろくゐ、なにくれまで持もて続つづきたる、いみじう尊たふとし。導師だうし参まゐり、講かう始はじまりて、舞まひなど、日暮ひぐらし見みるに、目めもたゆくくるし。御使おつかひに五位ごゐの蔵人くらうど参まゐりたり。御桟敷おさじきの前まへに胡床あぐら立たてて居ゐたるなど、げにぞめでたき。

 夜よるさりつ方かた、式部しきぶの丞ぞう則理のりまさ参まゐりたり。

「やがて夜よるさり入いらせ給たまふべし。御供おともに候さぶらふと宣旨せんじ蒙かうぶりて」

 とて、帰かへりも参まゐらず。宮みやは、

「先まづ帰かへりてを」

 と宣のたまはすれど、また蔵人くらうどの弁べん参まゐりて、殿とのにも御消息おんせうそこあれば、ただ仰おほせ事ごとにて、入いらせたまひなむとす。

 院ゐんの御桟敷おさじきより、ちかの塩竃しほがまなど言いふ御消息おんせうそこ参まゐり通とほふ。をかしき物ものなど持もて参まゐり違ちがひたるなどもめでたし。

 事こと果はてて、院ゐん帰かへらせ給たまふ。院司ゐんじ、上達部かんだちめなど、こたみはかたへぞ仕つかうまつりたまひける。

 宮みやには内裏うちに参まゐらせたまひぬるも知しらず、女房にようばうの従者ずさどもは、二条にでうの宮みやにぞおはしますらむとて、それにみな行ゆき居ゐて、待まてども待まてども見みえぬほどに、夜よるいたう更ふけぬ。内裏うちには、宿直物とのゐもの持もて来こなむと待まつに、きよう見みえ聞きこえず。鮮あざやかなる衣きぬどもの身みにも付つかぬを着きて、寒さむきまま、言いひ腹立はらたてど、甲斐かひもなし。つとめて来きたるを、

「いかで、かく心こころもなきぞ」

 など言いへど、のぶる事ことも言いはれたり。

 またの日ひ、雨あめの降ふりたるを、殿とのは、

「これになむ、おのが宿世すくせは見みえはべりぬる。いかが御覧ごらんずる」

 と聞きこえさせ給たまへる、御心驕みこころおごりもことわりなり。されど、その折をり、めでたしと見み奉たてまつりし御おんことどもも、今いまの世よの御おんことどもに見み奉たてまつり比くらぶるに、すべてひとつに申まうすべきのもあらねば、物憂ものうくて、多おほかりしことどもも、みなとどめつ。

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