第276段「うれしきもの」
うれしきもの。まだ見ぬ物語の一を見て、いみじうゆかしとのみ思ふが残り見出でたる。さて、心劣りするやうもありかし。
人の破り捨てたる文を継ぎて見るに、同じ続きをあまたくだり見続けたる。いかならむと思ふ夢を見て、恐ろしと胸つぶるるに、ことにもあらず合はせなしたる、いとうれし。
よき人の御前に人々あまた候ふをり、昔ありけることにもあれ、今聞こしめし、世に言ひけることにもあれ、語らせたまふを、我に御覧じ合はせて宣はせたる、いとうれし。
遠き所はさらなり、同じ都のうちながらも隔たりて、身にやむごとなく思ふ人のなやむを聞きて、いかにいかにと、おぼつかなきことを嘆くに、おこたりたる由、消息聞くも、いとうれし。
思ふ人の人にほめられ、やむごとなき人などの、くちをしからぬ者におぼし宣ふ。もののをり、もしは、人と言ひかはしたる歌の聞こえて、打聞などに書き入れらるる。みづからの上にはまだ知らぬことなれど、なほ思ひやるよ。
いたううち解けぬ人の言ひたる古き言の、知らぬを聞きいでたるもうれし。のちに物の中などにて見出でたるは、ただをかしう、これにこそありけれと、かの言ひたりし人ぞをかしき。
みちのくに紙、ただのも、よき得たる。はづかしき人の、歌の本末問ひたるに、ふとおぼえたる、我ながらうれし。常におぼえたることも、また人の問ふに、清う忘れてやみぬるをりぞ多かる。とみにて求むるもの見出でたる。
物合、なにくれといどむことに勝ちたる、いかでかうれしからざらむ。また、我はなど思ひてしたり顔なる人はかり得たる。女どちよりも、男はまさりてうれし。これが答は必ずせむと思ふらむと、常に心づかひせらるるもをかしきに、いとつれなく、なにとも思ひたらぬさまにてたゆめ過ぐすも、またをかし。にくき者のあしきめ見るも、罪や得らむと思ひながら、またうれし。
ものの折に衣打たせてやりて、いかならむと思ふに、きよらにて得たる。刺櫛すらせたるに、をかしげなるもまたうれし。またも多かるものを。
日ごろ、月ごろ、しるきことありて、なやみわたるが、おこたりぬるもうれし。思ふ人の上は、我が身よりもまさりてうれし。
御前に人々所もなくゐたるに、今のぼりたるは、少し遠き柱もとなどにゐたるを、とく御覧じつけて、
「こち」
と仰せらるれば、道あけて、いと近う召し入れられたるこそうれしけれ。
第277段「御前にて人々ともまた」
御前にて人々とも、また、もの仰せらるるついでなどにも、
「世の中の腹立たしう、むつかしう、片時あるべき心地もせで、ただいづちもいづちも行きもしなばやと思ふに、ただの紙のいと白うきよげなるに、よき筆、白き色紙、みちのくに紙など得つれば、こよなうなぐさみて、さはれ、かくてしばしも生きてありぬべかんめりととなむおぼゆる。また、高麗縁の、筵青うこまやかに厚きが、縁の紋いとあざやかに、黒う白う見えたるをひきひろげて見れば、なにか、なほこの世は、さらにさらにえ思ひ捨つまじと、命さへ惜しくなんなる」
と申せば、
「いみじくはかなきことにもなぐさむるかな。姨捨山の月は、いかなる人の見けるにか」
など笑はせたまふ。候ふ人も、
「いみじうやすき息災の祈りななり」
などいふ。
さてのち、ほど経て、心から思ひみだるることありて里にある頃、めでたき紙二十を包みて賜はせたり。仰せごとには、
「とくまゐれ」
など宣はせで、
「これはきこしめしおきたることのありしかばなむ。わろかめれば、寿命経もえ書くまじげにこそ」
と仰せられたる、いみじうをかし。思ひ忘れたりつることをおぼしおかせたまへりけるは、なほただ人にてだにをかしかべし。まいて、おろかなるべきことにぞあらぬや。
心もみだれて、啓すべきかたもなければ、ただ、
「かけまくもかしこき神のしるしには鶴のよはひとなりぬべきかな
あまりにやと啓せさせたまへ」
とて参らせつ。
台盤所の雑仕ぞ、御使には来たる。青き綾の単などして、まことに、この紙を草子に作りなどもてさわぐに、むつかしきこともまぎるる心地して、をかしと心のうちにおぼゆ。
二日ばかりありて、赤衣着たる男、畳を持て来て、
「これ」
といふ。
「あれは誰そ。あらはなり」
など、ものはしたなくいへば、さし置きて往ぬ。
「いづこよりぞ」
と問はすれど、
「まかりにけり」
とて、とり入れたれば、ことさらに御座といふ畳のさまにて、高麗など、いときよらなり。
心のうちには、さにやあらむなんど思へど、なほおぼつかなさに、人々いだして求むれど、失せにけり。あやしがりいへど、使のなければいふかひなくて、所違へなどならば、おのづからまたいひに来なむ、宮の辺に案内しに参らまほしけれど、さもあらずは、うたてあべし、と思へど、なほ誰か、すずろにかかるわざはせむ、仰せごとなめり、といみじうをかし。
二日ばかり音もせねば、うたがひなくて、右京の君のもとに、
「かかることなむある。さることやけしき見たまひし。忍びてありさま宣へ。さること見えずは、かう申したりとな散らしたまひそ」
といひやりたるに、
「いみじう隠させたまひしことなり。ゆみゆめまろが聞こえたると、な口にも」
とあれば、さればよと思ふもしるく、をかしうて、文を書きて、またみそかに御前の勾欄におかせしものは、まどひけるほどに、やがてかけ落として、御階の下に落ちにけり。
第278段「関白殿二月二十一日に」
関白殿、二月二十一日に法興院の積善寺といふ御堂にて一切経供養ぜさせたまふに、女院もおはしますべければ、二月一日のほどに、二条の宮へ出でさせたまふ。ねぶたくなりにしかば、なに事も見入れず。
つとめて、日のうららかにさし出でたるほどに起きたれば、白う新しうをかしげに造りたるに、御簾よりはじめて、昨日掛けたるなめり。御しつらひ、獅子狛犬など、いつのほどにか入りゐけむとぞをかしき。桜の一丈ばかりにて、いみじう咲きたるやうにて、御階のもとにあれば、いととく咲きにけるかな、梅こそただ今はさかりなれ、と見ゆるは、造りたるなりけり。すべて、花のにほひなどつゆまことにおとらず。いかにうるかさりけむ。雨降らばしぼみなむかしと思ふぞくちをしき。小家などいふもの多かりける所を、今造らせたまへれば、木立など見所あることもなし。ただ、宮のさまぞ、けぢかうをかしげなる。
殿わたらせたまへり。青鈍の固紋の御指貫、桜の御直衣にくれなゐの御衣三つばかりを、ただ御直衣にひき重ねてぞたてまつりたる。御前よりはじめて、紅梅の濃き薄き織物、固紋、無紋などを、あるかぎり着たれば、ただ光り満ちて見ゆ。唐衣は、萌黄、柳、紅梅などもあり。
御前にゐさせたまひて、ものなど聞こえさせたまふ。御いらへなどのあらまほしさを、里なる人などにはつかに見せばやと見たてまつる。女房など御覧じわたして、
「宮、なにごとをおぼしめすらむ。ここらめでたき人々を据ゑ並めて御覧ずるこそはうらやましけれ。一人わるきかたちなしや。これみな家々のむすめどもぞかし。あはれなり、ようかへりみてこそ候はせたまはめ。さても、この宮の御心をば、いかに知りたてまつりて、かくは参りたまへるぞ。いかにいやしくもの惜しみせさせたまふ宮とて、我は宮の生まれさせたまひしより、いみじう仕うまつれど、まだおろしの御衣一つ賜はらず。何か、しりう言には聞こえむ」
など宣ふがをかしければ、笑ひぬれば、
「まことぞ。をこなりと見てかくわらひいまするがはづかし」
など宣はするほどに、内より式部の丞なにがしが参りたり。
御文は、大納言殿とりて殿にたてまつらせたまへば、ひき解きて、
「ゆかしき御文かな。ゆるされはべらば、あけて見はべらむ」
とは宣はすれど、
「あやふしとおぼいためり。かたじけなくもあり」
とてたてまつらせたまふを、とらせたまひても、ひろげさせたまふやうにもあらずもてなさせたまふ、御用意ぞありがたき。
御簾の内より女房褥さし出でて、三四人御几帳のもとにゐたり。
「あなたにまかりて、禄のことものしはべらむ」
とて立たせたまひぬるのちぞ、御文御覧ずる。
御返し、紅梅の薄様に書かせたまふが、御衣のおなじ色ににほひ通ひたる、なほ、かくしもおしはかり参らする人はなくやあらむとぞくちをしき。今日のはことさらにとて、殿の御方より禄は出させたまふ。女の装束に紅梅の細長添へたり。肴などあれば、酔はさまほしけれど、
「今日はいみじきことの行事にはべり。あが君、許させたまへ」
と、大納言殿にも申して立ちぬ。
君など、いみじく化粧じたまひて、紅梅の御衣ども、おとらじと着たまへるに、三の御前は、御匣殿、中姫君よりもおほきに見えたまひて、上など聞こえむにぞよかめる。
上もわたりたまへり。御几帳ひき寄せて、あたらしう参りたる人々には見えたまはねば、いぶせき心地す。
さしつどひて、かの日の装束、扇などのことをいひあへるもあり。また、挑み隠して、
「まろは、なにか。ただあらむにまかせてを」
などいひて、
「例の、君の」
など、にくまる。夜さりまかづる人多かれど、かかるをりのことなれば、えとどめさせたまはず。
上、日々にわたりたまひ、夜もおはします。君たちなどおはすれば、御前、人ずくなならでよし。御使日々に参る。
御前の桜、露に色はまさらで、日などにあたりてしぼみ、わろくなるだにくちをしきに、雨の夜降りたるつとめて、いみじくむとくなり。いととう起きて
「泣きて別れけむ顔に心おとりこそすれ」
といふを聞かせたまひて、
「げに雨降るけはひしつるぞかし。いかならむ」
とて、おどろかせたまふほどに、殿の御かたより侍の者ども、下衆など、あまた来て、花の下にただ寄りに寄りて、ひき倒しとりてみそかに行く。
「まだ暗からむにとこそ仰せられつれ。明け過ぎにけり。ふびんなるわざかな。とくとく」
と倒しとるに、いとをかし。
「いはばいはなむと、兼澄がことを思ひたるにや」
とも、よき人ならばいはまほしけれど、
「彼の花盗むは誰ぞ。あしかめり」
といへば、いとど逃げて、引きもて往ぬ。なほ御心はをかしうおはすかし。枝どももぬれまつはれつきて、いかにびんなきかたちならましと思ふ。ともかくもいはで入りぬ。
掃部司参りて、御格子参る。主殿の女官御きよめなどに参りはてて、起きさせたまへるに、花もなければ、
「あな、あさまし。あの花どもはいづち往ぬるぞ」
と仰せらる。
「あかつきに花盗人ありといふなりつるを、なほ枝などすこしとるにやとこそ聞きつれ。誰がしつるぞ、見つや」
と仰せらる。
「さもはべらず。まだ暗うてよくも見えざりつるを、白みたる者のはべりつれば、花を折るにやとうしろめたさにいひはべりつるなり」
と申す。
「さりとも、みなは、かういかでかとらむ。殿の隠させたまへるならむ」
とてわらはせたまへば、
「いで、よもはべらじ。春の風のしてはべるならむ」
と啓するを、
「かういはむとて隠すなりけり。盗みにはあらで、いたうこそふりなりつれ」
と仰せらるも、めづらしきことにはあらねど、いみじうぞめでたき。
殿おはしませば、ねくたれの朝顔も、時ならずや御覧ぜむとひき入る。
おはしますままに、
「かの花は失せにけるは。いかで、かうは盗ませしぞ。いとわろかりける女房達かな。いぎたなくて、え知らざりけるよ」
とおどろかせたまへば、
「されど、我よりさきにとこそ思ひてはべりつれ」
と、しのびやかにいふに、いととう聞きつけさせたまひて、
「さ思ひつることぞ。世にこと人出でゐて見じ。宰相とそことのほどならむとおしはかりつ」
といみじうわらはせたまふ。
「さりけるものを、少納言は、春の風におほせける」
と、宮の御前のうち笑ませたまへるも、いとをかし。
「そらごとをおほせはべるなり。今は、山田もつくるらむものを」
などうち誦せさせたまへる、いとなまめきをかし。
「さてもねたくみつけられにけるかな。さばかりいましめつるものを。人の御かたには、かかるいましめ者のあるこそ」
など宣はす。
「春の風は、そらにいとかしこうもいふかな」
など、またうち誦せさせたまふ。
「ただ言にはうるさく思ひつよりてはべりし。今朝のさま、いかにはべらまし」
などぞわらはせたまふ。
小若君、
「されど、それをいととく見て、露にぬれたるといひける、おもてぶせなりといひはべりける」
と申したまへば、いみじうねたがらせたまふもをかし。
さて、八九日のほどにまかづるを、
「いますこし近うなりてを」
など仰せらるれど、出でぬ。
いみじう、つねよりものどかに照りたる昼つ方、
「花の心開けざるや。いかに、いかに」
と宣はせたれば、
「秋はまだしくはべれど、夜に九度のぼる心地なむしはべる」
と聞こえさせつ。
出でさせたまひし夜、車の次第もなく、
「まづ、まづ」
と乗りさわぐがにくければ、さるべき人と、なほこの車に乗るさまのいとさわがしう、祭のかへさなどのやうに、倒れぬべくまどふさまのいと見苦しきに、ただ、さはれ、乗るべき車なくてえ参らずは、おのづからきこしめしつけて賜はせもしてむなどいひあはせて立てる、前よりおしこりて、まどひ出でて乗りはてて、かうこといふに、
「まだし、ここに」
といふめれば、宮司寄り来て、
「誰々おはするぞ」
と問ひ聞きて、
「いとあやしかりけることかな。今はみな乗りたまひぬらむとこそ思ひつれ。こはなど、かうおくれさせたまへる。今は得選乗せむとしつるに。めづらかなりや」
などおどろきて、寄せさすれば、
「さば、まづその御心ざしあらむをこそ乗りたまはめ。次にこそ」
といふ声を聞きて、
「けしからず、腹ぎたなくおはしましけり」
などいへば乗りぬ。
その次には、まことに御厨子が車にぞありければ、火もいと暗きを、わらひて二条の宮に参り着きたり。
御輿はとく入らせたまひて、しつらひゐさせたまひにけり。
「ここに呼べ」
と仰せられければ、
「いづら、いづら」
と右京、小左近などいふわかき人々待ちて、参る人ごとに見れど、なかりけり。
下るるにしたがひて、四人づつ御前に参りつどひて候ふに、
「あやし。なきか。いかなるぞ」
と仰せられけるも知らず、あるかぎり下りはててぞからうじて見つけられて、
「さばかり仰せらるるに、おそくは」
とて、ひきゐて参るに、見れば、いつの間にかう年ごろの御住まひのやうに、おはしましつきたるにかとをかし。
「いかなれば、かうなきかとたづぬばかりまでは見えざりつる」
と仰せらるるに、ともかくも申さねば、もろともに乗りたる人、
「いとわりなしや。最果の車に乗りてはべらむ人は、いかでかとくは参りはべらむ。これも、御厨子がいとほしがりて、ゆづりてはべるなり。暗かりつるこそわびしかりつれ」
とわぶわぶ啓するに、
「行事する者のいとあしきなり。また、などかは、心知らざらむ人こそはつつまめ、右衛門などいはむかし」
と仰せらる。
「されど、いかでかは走り先立ちはべらむ」
などいふ、かたへの人にくしと聞くらむかし。
「さまあしうて高う乗りたりとも、かしこかるべきことかは。定めたらむさまの、やむごとなからむこそよからめ」
と、ものしげにおぼしめしたり。
「下りはべるほどのいと待ち遠に、苦しければにや」
とぞ申しなほす。
御経のことにて、明日わたらせたまはむとて、今宵参りたり。
南の院の北面にさしのぞきたれば、高杯どもに火をともして、二人、三人、三四人、さべきどち屏風ひき隔てたるもあり。几帳など隔てなどもしたり。また、さもあらで、集まりゐて衣どもとぢかさね、裳の腰さし、化粧ずるさまはさらにもいはず、髪などいふもの、明日よりのちはありがたげに見ゆ。
「寅の時になむわたらせたまふべかなる。などか今まで参りたまはざりつる。扇持たせて、もとめきこゆる人ありつ」
と告ぐ。
さて、まことに寅の時かと装束きたちてあるに、明けはて、日もさし出でぬ。西の対の唐廂にさし寄せてなむ乗るべきとて、渡殿へあるかぎり行くほど、まだうひうひしきほどなる今参などはつつましげなるに、西の対に殿の住ませたまへば、宮もそこにおはしまして、まづ女房ども車に乗せたまふを御覧ずとて、御簾のうちに、宮、淑景舎、三四の君、殿の上、その御おとと三所、立ち並みおはしまさふ。
車の左右に、大納言殿、三位の中将、二所して簾うちあげ、下簾ひきあげて乗せたまふ。うち群れてだにあらば、すこし隠れどころもやあらむ、四人づつ書立にしたがひて、
「それ、それ」
と呼び立てて乗せたまふに、あゆみ出づる心地ぞ、まことにあさましう、顕証なりといふも世の常なり。
御簾のうちに、そこらの御目どもの中に、宮の御前の見苦しと御覧ぜむばかり、さらにわびしきことなし。汗のあゆれば、つくろひたてたる髪なども、みなあがりやしたらむとおぼゆ。からうじて過ぎ行きたれば、車のもとに、はづかしげにきよげなる御さまどもして、うち笑みて見たまふもうつつならず。されど、倒れでそこまでは行きつきぬるぞ、かしこきかおもなきか、思ひたどらるれ。
みな乗りはてぬれば、ひき出でて、二条の大路に榻にかけて、物見る車のやうに立て並べたる、いとをかし。人も見たらむかしと心ときめきせらる。四位、五位、六位などいみじう多う出で入り、車のもとに来て、つくろひ、ものいひなどする中に、明順の朝臣の心地、空を仰ぎ、胸をそらいたり。
まづ院の御迎へに、殿をはじめたてまつりて、殿上人、地下などもみな参りぬ。それわたらせたまひて後に、宮は出でさせたまふべしとあれば、いと心もとなしと思ふほどに、日さしあがりてぞおはします。御車ごめに十五、四つは尼の車、一の御車は唐車なり。それにつづきてぞ尼の車、後口より水晶の数珠、薄墨の裳、袈裟、衣、いといみじくて、簾はあげず、下簾も薄色の裾すこし濃き、次に女房の十、桜の唐衣、薄色の裳、濃き衣、香染、薄色の上着ども、いみじうなまめかし。日はいとうららかなれど、空はみどりにかすみわたれるほどに、女房の装束のにほひあひて、いみじき織物、色々の唐衣などよりも、なまめかしうをかしきことかぎりなし。
関白殿、その次々の殿ばら、おはするかぎり、もてかしづきわたしたてまつらせたまふさま、いみじくぞめでたし。これをまづ見たてまつり、めでさわぐ。この車どもの二十並べたるも、またをかしと見るらむかし。
いつしか出でさせたまはなむと待ち聞こえさするに、いとひさし。いかなるらむと心もとなく思ふに、からうじて采女八人、馬に乗せてひき出づ。青裾濃の裳、裙帯、領布などの風に吹きやられたる、いとをかし。ふせといふ采女は、典薬の頭重雅がしる人なりけり。葡萄染の織物の指貫を着たれば、
「重雅は色許されにけり」
など、山の井の大納言わらひたまふ。
みな乗りつづきて立てるに、今ぞ御輿出でさせたまふ。めでたしと見たてまつりつる御ありさまには、これはた、くらぶべからざりけり。
朝日のはなばなとさしあがるほどに、水葱の花いときはやかにかがやきて、御輿の帷子の色つやなどのきよらささへぞいみじき。御綱張りて出でさせたまふ。御輿の帷子のうちゆるぎたるほど、まことに、頭の毛など人のいふ、さらにそらごとならず。さてのちは、髪あしからむ人もかこちつべし。あさましういつくしう、なほいかで、かかる御前に馴れ仕うまつるらむと、わが身もかしこうぞおぼゆる。御輿過ぎさせたまふほど、車の榻ども一たびにかきおろしたりつる、また牛どもにただ掛けに掛けて、御輿の後につづけたる心地、めでたく興あるさま、いふかたもなし。
おはしまし着きたれば、大門のもとに高麗、唐土の楽して、獅子狛犬をどり舞ひ、乱声の音、鼓の声にものもおぼえず。こは、いきての仏の国などに来にけるにやあらむと、空に響きあがるやうにおぼゆ。
内に入りぬれば、色々の錦のあげばりに、御簾いと青くかけわたし、屏幔ども引きたるなど、すべてすべて、さらにこの世とおぼえず。御桟敷にさし寄せたれば、また、この殿ばら立ちたまひて、
「とう下りよ」
と宣ふ。乗りつる所だにありつるを、いますこしあかう顕証なるに、つくろひ添へたりつる髪も、唐衣の中にてふくだみ、あやしうなりたらむ、色の黒さ赤ささへ見え分かれぬべきほどなるが、いとわびしければ、ふともえ下りず。
「まづ、後なるこそは」
などいふほどに、それもおなじ心にや、
「しぞかせたまへ。かたじけなし」
などいふ。
「恥ぢたまふかな」
とわらひて、からうじて下りぬれば、寄りおはして、
「むねかたなどに見せで、隠しておろせと、宮の仰せらるれば来たるに、思ひぐまなく」
とて、ひきおろして率て参りたまふ。さ聞こえさせたまひつらむと思ふも、いとかたじけなし。
参りたれば、はじめ下りける人、物見えぬべきに端に八人ばかりゐにけり。一尺余、二尺ばかりの長押の上におはします。
「ここに、立ち隠して率て参りたり」
と申したまへば、
「いづら」
とて、御几帳のこなたに出でさせたまへり。まだ御裳、唐の御衣たてまつりながらおはしますぞいみじき。くれなゐの御衣どもよろしからむやは。中に唐綾の柳の御衣、葡萄染の五重がさねの織物に赤色の唐の御衣、地摺の唐の薄物に、象眼重ねたる御裳などたてまつりて、ものの色などは、さらになべてのに似るべきやうもなし。
「我をばいかが見る」
と仰せらる。
「いみじうなむ候ひつる」
なども、言に出でては世の常にのみこそ。
「ひさしうやありつる。それは大夫の、院の御供に着て人に見えぬる、おなじ下襲ながらあらば、人わろしと思ひなむとて、こと下襲縫はせたまひけるほどに、おそきなりけり。いとすきたまへり」
とてわらはせたまふ。いとあきらかに、はれたる所は、いますこしぞけざやかにめでたき。御額あげさせたまへりける御釵子に、分け目の御髪のいささか寄りてしるく見えさせたまふさへぞ、聞こえむ方なき。
三尺の御几帳一よろひをさしちがへて、こなたの隔てにはして、そのうしろに畳一片をさがさまに縁を端にして、長押の上に敷きて、中納言の君といふは、殿の御叔父の右兵衛の督忠君と聞こえけるが御むすめ、宰相の君は、富の小路の右の大臣の御孫、それ二人ぞ上にゐて、見たまふ。
御覧じわたして、
「宰相はあなたに行きて、人どものゐたるところにて見よ」
と仰せらるるに、心得て、
「ここにて、三人はいとよく見はべりぬべし」
と申したまへば、
「さば、入れ」
とて召し上ぐるを、下にゐたる人々は、
「殿上ゆるさるる内舎人なめり」
とわらへど、
「こは、わらはせむと思ひたまひつるか」
といへば、
「むまさまのほどこそ」
などいへど、そこにのぼりゐて見るは、いとおもだたし。
かかることなどぞみづからいふは、吹き語りなどにもあり、また、君の御ためにも軽々しう、かばかりの人をさおぼしけむなど、おのづからも、もの知り、世の中もどきなどする人は、あいなうぞ、かしこき御ことにかかりてかたじけなけれど、あることはまたいかがは。まことに身のほどに過ぎたることどももありぬべし。
女院の御桟敷、所々の御桟敷ども見渡したる、めでたし。殿の御前、このおはします御前より院の御桟敷に参りたまひて、しばしありて、ここに参らせたまへり。大納言二所、三位の中将は陣に仕うまつりたまへるままに、調度負ひて、いとつきづきしう、をかしうておはす。殿上人、四位五位こちたくうち連れ、御供に候ひて並みゐたり。
入らせたまひて見たてまつらせたまふに、みな御裳、御唐衣、御匣殿までに着たまへり。殿の上は裳の上に小袿をぞ着たまへる。
「絵にかいたるやうなる御さまどもかな。いま一人は今日は人々しかめるは」
と申したまふ。
「三位の君、宮の御裳ぬがせたまへ。この中の主君には、わが君こそおはしませ。御桟敷の前に陣屋据ゑさせたまへる、おぼろげのことかは」
とてうち泣かせたまふ。
げにと見えて、みな人涙ぐましきに、赤色に桜の五重の衣を御覧じて、
「法服の一つ足らざりつるを、にはかにまどひしつるに、これをこそ返り申すべかりけれ。さらずは、もしまた、さやうの物をとり占められたるか」
と宣はするに、大納言殿、すこししぞきてゐたまへるが、聞きたまひて、
「清僧都のにやあらむ」
と宣ふ。
一事としてめでたからぬことぞなきや。
僧都の君、赤色の薄物の御衣、むらさきの御袈裟、いと薄き薄色の御衣ども、指貫など着たまひて、頭つきの青くうつくしげに、地蔵菩薩のやうにて、女房にまじりありきたまふも、いとをかし。
「僧綱の中に威儀具足してもおはしまさで、見苦しう、女房の中に」
など笑ふ。
大納言の御桟敷より、松君ゐてたてまつる。葡萄染の織物の直衣、濃き綾の打ちたる、紅梅の織物など着たまへり。御供に例の四位、五位、いと多かり。御桟敷にて、女房の中にいだき入れたてまつるに、なにごとのあやまりにか、泣きののしりたまふさへ、いとはえばえし。
ことはじまりて、一切経を蓮の花の赤き一花づつに入れて、僧俗、上達部、殿上人、地下、六位、なにくれまで持てつづきたる、いみじう尊し。導師参り、かうはじまりて、舞ひなど、日ぐらしみるに、目もたゆくくるし。御使に五位の蔵人参りたり。御桟敷の前に胡床立ててゐたるなど、げにぞめでたき。
夜さりつ方、式部の丞則理参りたり。
「やがて夜さり入らせたまふべし。御供に候ふと宣旨かうぶりて」
とて、帰りも参らず。宮は、
「まづ帰りてを」
と宣はすれど、また蔵人の弁参りて、殿にも御消息あれば、ただ仰せ事にて、入らせたまひなむとす。
院の御桟敷より、ちかの塩竃などいふ御消息参り通ふ。をかしきものなど持て参りちがひたるなどもめでたし。
ことはてて、院帰らせたまふ。院司、上達部など、こたみはかたへぞ仕うまつりたまひける。
宮には内裏に参らせたまひぬるも知らず、女房の従者どもは、二条の宮にぞおはしますらむとて、それにみな行きゐて、待てども待てども見えぬほどに、夜いたうふけぬ。内裏には、宿直物もて来なむと待つに、きよう見え聞こえず。あざやかなる衣どもの身にもつかぬを着て、寒きまま、いひ腹立てど、かひもなし。つとめて来たるを、
「いかで、かく心もなきぞ」
などいへど、のぶることもいはれたり。
またの日、雨の降りたるを、殿は、
「これになむ、おのが宿世は見えはべりぬる。いかが御覧ずる」
と聞こえさせたまへる、御心おごりもことわりなり。されど、その折、めでたしと見たてまつりし御ことどもも、今の世の御ことどもに見たてまつりくらぶるに、すべてひとつに申すべきのもあらねば、もの憂くて、多かりしことどもも、みなとどめつ。

