第200段「野分のまたの日こそ」
野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀・透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩、女郎花などの上によころばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壺などに、木の葉を、殊更にしたらむやうに、細々と吹き入れたるこそ、荒かりつる風の仕業とは覚えね。
いと濃き衣のうはぐもりたるに、黄朽葉の織物、薄物などの小袿着て、誠しう清げなる人の、夜は風の騒ぎに寝られざりければ、久しう寝起きたるままに、母屋より少しゐざり出でたる、髪は風に吹き迷はされて少しうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、誠にめでたし。
物哀れなる気色に見出して、
「むべ山風を」
など言ひたるも、心あらむと見ゆるに、十七、八ばかりにやあらむ、小さうはあらねど、わざと大人とは見えぬが、生絹の単のいみじう綻び絶え、花も返り濡れなどしたる、薄色の宿直物を着て、髪、色に、細々と麗しう、末も尾花のやうにて丈ばかりなりければ、衣の裾にはづれて、袴のそばそばより見ゆるに、童部、若き人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこに取り集め、起こし立てなどするを、羨ましげに押し張りて、簾に添ひたる後手も、をかし。
第201段「心にくきもの」
心憎きもの
物隔てて聞くに、女房とは覚えぬ手の、忍びやかにをかしげに聞こえたるに、答へやかやかにして、うちそよめきて参る気配。もののうしろ、障子などへだてて聞くに、御膳参るほどにや、箸、匙など、取りまぜて鳴りたる、をかし。提子の柄の倒れ伏すも、耳こそ留まれ。
よう打ちたる衣のうへに、騒がしうはあらで、髪の振り遣られたる、長さ推し量らる。いみじうしつらひたる所の、大殿油は参らで、炭櫃などにいと多くおこしたる火の光ばかり照り満ちたるに、御帳の紐などの艶やかにうち見えたる、いとめでたし。御簾の帽額、総角などにあげたる鈎のきはやかなるも、けざやかに見ゆ。よく調じたる火桶の、灰の際清げにて、おこしたる火に、内に描きたる絵などの見えたる、いとをかし。箸のいときはやかにつやめきて、筋違ひ立てるもいとをかし。
夜いたくふけて、御前にも大殿籠り、人々みな寝ぬる後、外のかたに殿上人などの物など言ふ、奥に碁石の笥に入るる音あまた度聞こゆる、いと心憎し。火箸を忍びやかに突い立つるも、まだ起きたりけりと聞くも、いとをかし。なほ寝ぬ人は心憎し。
人の臥したるに、物隔てて聞くに、夜中ばかりなど、うち驚きて聞けば、起きたるななりと聞こえて、言ふことは聞こえず、男も忍びやかにうち笑ひたるこそ、何事ならむとゆかしけれ。
また、おはしまし、女房など候ふに、上人、典侍など、はづかしげなる、参りたる時、御前近く御物語などあるほどは、大殿油も消ちたるに、長炭櫃の火に、もののあやめもよく見ゆ。
殿原などには、心憎き今参りの、いと御覧ずる際にはあらねど、やや更かしてまうのぼりたるに、うちそよめく衣のおとなひなつかしう、ゐざり出でて御前に候へば、物などほのかに仰せられ、子めかしう慎ましげに、声の有様、聞こゆべうだにあらぬほどにいと静かなり。
女房ここかしこに群れ居つつ、物語うちし、下り上る衣のおとなひなど、おどろおどろしからねど、さななりと聞こえたる、いと心憎し。
内裏の局などに、うち解くまじき人のあれば、こなたの火は消ちたるに、傍らの光の、ものの上などより通りたれば、さすがにもののあやめはほのかに見ゆるに、短き几帳引き寄せて、いと昼はさしも向かはぬ人なれば、几帳のかたに添ひ臥して、うちかたぶきたる頭付きのよさあしさは隠れざめり。
直衣、指貫など几帳にうち掛けたり。六位の蔵人の青色もあへなむ。緑衫はしも、後の方にかいわぐみて、暁にもえ探りつけで、惑はせこそせめ。
夏も、冬も、几帳の片つ方にうち掛けて人の臥したるを、奥のかたよりやをら覗いたるもいとをかし。
薫物の香、いと心憎し。
第202段「五月の長雨の頃」
五月の長雨の頃、上の御局の小戸の簾に、斉信の中将の寄りゐ給へりし香は、誠にをかしうもありしかな。その物の香とも覚えず、大方雨にも湿りて、艶なる気色の、珍しげなきことなれど、いかでか言はではあらむ。またの日まで、御簾に染み返りたりしを、若き人などの世に知らず思へる、ことわりなりや。
第203段「ことにきらきらしからぬ男の」
ことにきらきらしからぬ男の、高き短きあまた連れ立ちたるよりも、少し乗り馴らしたる車のいとつややかなるに、牛飼童、形いとつきづきしうて、牛のいたう逸りたるを、童は後るるやうに綱引かれて遣る。
細やかなる男の、末濃だちたる袴、二藍かなにぞ、髪はいかにもいかにも、掻練、山吹など着たるが、沓のいとつややかなる、筒のもと近う走りたるは、なかなか心にくく見ゆ。
第204段「島は」
島は、八十島。浮島。たはれ島。江島。松が浦島。豊浦の島。籬の島。
第205段「浜は」
浜は、有度浜。長浜。吹上の浜。打出の浜。諸寄の浜。千里の浜。広う思ひやらる。
第206段「浦は」
浦は、大の浦。塩竃の浦。こりずまの浦。名高の浦。
第207段「森は」
森は、うへ木の森。岩田の森。木枯の森。転寝の森。岩瀬の森。大荒木の森。たれその森。くるべきの森。立聞の森。よこたての森と言ふが耳にとまるこそ怪しけれ。
森など言ふべくもあらず、ただ一木あるを、何事につけけむ。
第208段「寺は」
寺は、壺坂。笠置。法輪。霊山は釈迦仏の御住処なるがあはれなるなり。石山。粉河。志賀。
第209段「経は」
経は、法華経さらなり。普賢十願。千手経。随求経。金剛般若。薬師経。仁王経の下巻。
第210段「仏は」
仏は、如意輪。千手、すべて六観音。薬師仏。釈迦仏。弥勒。地蔵。文殊。不動尊。普賢。
第211段「書は」
書は、文集。文選。新賦。史記。五帝本紀。願文。表。博士の申文。
第212段「物語は」
物語は、住吉。宇津保。殿移り。国譲りは、憎し。むもれ木。月待つ女。梅壺の大将。道心すすむる。松が枝。
狛野の物語は、古蝙蝠探し出でて持て行きしがをかしきなり。物羨みの中将、宰相に子生ませて形見の衣など乞ひたるぞ憎き。交野の少将。
第213段「陀羅尼は」
陀羅尼は暁。経は夕暮。
第214段「遊びは」
遊びは、夜。人の顔見えぬほど。
第215段「遊びわざは」
遊びわざは、小弓。碁。様悪しけれど、鞠もをかし。
第216段「舞は」
舞は、駿河舞。求子、いとをかし。
太平楽、太刀などぞうたてあれど、いと面白し。唐土に敵どちなどして舞ひけむなど聞くに。
鳥の舞。抜頭は髪振り上げたる。まみなどは疎ましけれど、楽もなほいと面白し。
落蹲は二人して膝踏みて舞ひたる。駒形。
第217段「弾くものは」
弾くものは、琵琶。調べは風香調。黄鐘調。蘇合の急。鶯の囀りと言ふ調べ。
筝の琴いとめでたし。調べはさうふうれん。
第218段「笛は」
笛は、横笛いみじうをかし。遠うより聞こゆるが、漸う近うなりゆくもをかし。
近かりつるが遥かになりて、いとほのかに聞こゆるもいとをかし。車にても、徒歩よりも、馬にても、すべて、懐にさし入れて持たるも、何とも見えず、さばかりをかしき物はなし。まして聞き知りたる調子などは、いみじうめでたし。
暁などに忘れて、をかしげなる、枕の元にありける見付けたるもなほをかし。人の取りに遣せたるを押し包みてやるも、立文のやうに見えたり。
笙の笛は月の明きに、車などにて聞こえたる、いとをかし。所せる持て扱ひにくくぞ見ゆる。さて、吹く顔やいかにぞ。それは横笛も吹きなしなめりかし。
篳篥はいとかしがましく、秋の虫を言はば、轡虫などの心地して、うたて気近く聞かまほしからず。まして悪く吹きたるはいと憎きに、臨時の祭の日、まだ御前には出でで、もののうしろに横笛をいみじう吹きたてたる、あな、面白、と聞くほどに、半らばかりよりうち添へて吹き上りたるこそ、ただいみじう、麗し髪持たらむ人も、みな立ち上がりぬべき心地すれ。漸う琴、笛にあはせて歩み出でたる、いみじうをかし。
第219段「見ものは」
見ものは、臨時の祭。行幸。祭のかへさ。御賀茂詣で。
第220段「賀茂の臨時の祭」
賀茂の臨時の祭、空の曇り寒げなるに、雪少しうち散りて、挿頭の花、青摺などに掛かりたる、えも言はずをかし。
太刀の鞘のきはやかに、黒うまだらにて、白う見えたるに、半臂の緒のやうしたるやうにかかりたる、地摺の袴の中より、氷かと驚くばかりなる打目など、すべていとめでたし。
今少し多く渡らせまほしきに、使は必ず良き人ならず、受領などなるは目も留まらず憎げなるも、藤の花に隠れたるほどはをかし。
なほ過ぎぬる方を見送るに、陪従の品後れたる、柳に挿頭の山吹わりなく見ゆれど、泥障いと高ううち鳴らして、
「賀茂の社の木綿襷」
とうたひたるは、いとをかし。
第221段「行幸にならぶものはなににかはあらむ」
行幸にならぶものは何にかはあらむ。御輿に奉るを見奉るには、明け暮れ御前に候ひ仕う奉るとも覚えず、神々しく、厳しう、いみじう、常は何とも見えぬなにつかさ、姫大夫さへぞ、やむごとなく珍しく覚ゆるや。
御綱の助の中・少将、いとをかし。近衛の大将、物より殊にめでたし。近衛司こそなほいとをかしけれ。
五月こそ世に知らずなまめかしきものなりけれ。されど、この世に絶えにたることなめれば、いと口惜し。昔語に人の言ふを聞き、思ひ合はするに、如何なりけむ。ただその日は菖蒲うち葺き、世の常の有様だにめでたきをも、殿の有様、所々の御桟敷どもに、菖蒲葺きわたし、よろづの人ども菖蒲鬘して、あやめの蔵人、形よき限り選りて出だされて、薬玉賜はすれば、拝して腰に付けなどしけむほど、如何なりけむ。
ゑいのすいゑうつりよきもなどうちけむこそ、烏滸にもをかしうも覚ゆれ。かへらせ給ふ御輿の先に、獅子、狛犬など舞ひ、あはれ、さることのあらむ、ほととぎすうち鳴き、頃のほどさへ似るものなかりけむかし。
行幸はめでたきものの、君達、車などの好ましう乗り溢れて、上下走らせなどするがなきぞ口惜しき。さやうなる車の押し分けて立ちなどするこそ、心ときめきはすれ。
第222段「祭のかへさいとをかし」
祭のかへさ、いとをかし。
昨日はよろづの麗しくして、一条の大路の広う清げなるに、日の影も暑く、車にさし入りたるも眩ければ、扇して隠し、居直り、久しく待つも苦しく、汗などもあへしを、今日はいと疾く急ぎ出でて、雲林院、知足院などのもとに立てる車ども、葵鬘どももうち靡きて見ゆる。
日は出でたれども、空はなほうち曇りたるに、いみじう、いかで聞かむと、目を覚まし起き居て待たるるほととぎすの、あまたさへあるにやと鳴き響かすは、いみじうめでたしと思ふに、鶯の老いたる声してかれに似せむと雄々しううち添へたるこそ、憎けれどまたをかしけれ。
いつしかと待つに、御社の方より赤衣うち着たる者どもなどの連れ立ちて来るを、
「いかにぞ。事成りぬや」
と言へば、
「まだ、無期」
など答へ、御輿など持て帰る。かれに奉りておはしますらむもめでたく、気高く、いかでさる下衆などの近く候ふにか、とぞ恐ろしき。
はるかげに言ひつれど、程なく還らせ給ふ。扇より始め、青朽葉どものいとをかしう見ゆるに、所の衆の、青色に白襲を気色ばかり引き掛けたるは、卯の花の垣根近う覚えて、ほととぎすも陰に隠れぬべくぞ見ゆるかし。
昨日は車一つにあまた乗りて、二藍の同じ指貫、あるは狩衣などみだれて、簾解き下ろし、物狂ほしき身まで見えし君達の、斎院の垣下にとて、日の装束麗しうして、今日は一人づつさうざうしく乗りたる後に、をかしげなる殿上童乗せたるもをかし。
渡り果てぬる、即ちは心地も惑ふらむ、我も我もと危ふく恐ろしきまで先に立たむといそぐを、
「かくないそぎそ」
と扇を差し出でて制するに、聞きも入れねば、わりなきに、少し広き所にて強ひて留めさせて立てる、心もとなく憎しとぞ思ひたるべきに、控へたる車どもを見遣りたるこそをかしけれ。
男車の誰とも知らぬが後に引き続きて来るも、ただなるよりはをかしきに、引き別るる所にて、
「峰に別るる」
と言ひたるもをかし。なほ飽かずをかしければ、斎院の鳥居のもとまで行きて見る折もあり。
内侍の車などのいと騒がしければ、異方の道より帰れば、真の山里めきてあはれなるに、空木垣根と言ふものの、いと荒々しくおどろおどろしげに、さし出でたる枝どもなどおほかるに、花はまだよくも開け果てず、蕾みたるがちに見ゆるを折らせて、車のこなたかなたにさしたるも、鬘などの萎みたるが口惜しきに、をかしう覚ゆ。いと狭う、えも通るまじう見ゆる行く先を、近う行きもて行けば、さしもあらざりけることをかしけれ。
第223段「五月ばかりなどに山里にありく」
五月ばかりなどに山里に歩く、いとをかし。
草葉も水もいと青く見え渡りたるに、上はつれなくて草生ひ茂りたるを、長々とただざまに行けば、下はえならざりける水の、深くはあらねど、人などの歩むにはしりがりたる、いとをかし。
左右にある垣にある、ものの枝などの、車の屋形などにさし入るを、急ぎて捉へて折らむとするほどに、ふと過ぎて外れたるこそ、いと口惜しけれ。
蓬の車に押し拉がれたりけるが、輪の回りたるに、近くうち掛かりたるもをかし。
第224段「いみじう暑きころ」
いみじう暑きころ、夕涼みと言ふほど、物の様などもおぼめかしきに、男車の前駆追ふは言ふべきにもあらず、ただの人も、後の簾上げて、二人も、一人も、乗りて走らせ行くこそ涼しげなれ。まして、琵琶かい調べ、笛の音など聞こえたるは、過ぎて往ぬるも口惜し。さやうなるは、牛の鞦の香の、なほ怪しう、嗅ぎ知らぬものなれど、をかしきこそ物狂ほしけれ。
いと暗う闇なるに、前にともしたる松の煙の香の、車のうちに抱へたるもをかし。
第225段「五月四日の夕つ方」
五月四日の夕つ方、青き草多くいと麗しく切りて、左右に担ひて、赤衣着たる男の行くこそをかしけれ。
第226段「賀茂へまゐる道に」
賀茂へ参る道に、田植うとて、女の新しき折敷のやうなる物を笠に着て、いと多う立ちて歌を歌ふ、折れ伏すやうに、また、何事するとも見えで後方にゆく、如何なるにかあらむ。
をかしと見ゆるほどに、ほととぎすをいとなめう歌ふ、聞くにぞ心憂き。
「ほととぎす、おれ、かやつよ。おれ鳴きてこそ、我は田植うれ」
と歌ふを聞くも、如何なる人か、
「いたくな鳴きそ」
とは言ひけむ。
仲忠が童生ひ言ひ落とす人と、ほととぎす、鶯に劣ると言ふ人こそ、いと辛う、憎けれ。
第227段「八月つごもり」
八月つごもり、太秦に詣づとて見れば、穂に出でたる田を人いと多く見騒ぐは、稲刈るなりけり。早苗取りしかいつの間に、誠に先つ頃賀茂へ詣づとて見しが、あはれにもなりにけるかな。これは男どもの、いと赤き稲の本ぞ青きを持ちたりて刈る。何にかあらむして本を切るさまぞ、易げに、せまほしげに見ゆるや。
如何でさすらむ、穂をうち敷きて並み居るも、をかし。庵の様など。
第228段「九月二十日あまりのほど」
九月二十日あまりの程、長谷に詣でて、いとはかなき家に泊まりしに、いと苦しくて、ただ寝に寝入りぬ。
夜更けて、月の窓より洩りたりしに、人の臥したりしどもが衣の上に、白うて映りなどしたりしこそ、いみじうあはれと覚えしか。さやうなる折ぞ、人歌詠むかし。
第229段「清水などに参りて」
清水などに参りて、坂もと上るほどに、柴焚く香のいみじうあはれなるこそをかしけれ。
第230段「五月の菖蒲の」
五月の菖蒲の秋冬過ぐるまであるが、いみじう白み枯れて怪しきを、引き折り上げたるに、その折の香の残りてかかへたる、いみじうをかし。
第231段「よくたきしめたる薫物の」
よく焚き染めたる薫物の、昨日、一昨日、今日などは忘れたるに、引き上げたるに、煙の残りたるは、ただ今の香よりもめでたし。
第232段「月のいと明かきに」
月のいと明かきに、川を渡れば、牛の歩むままに、水晶などの割れたるやうに、水の散りたるこそをかしけれ。

