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『平家物語』第11巻 原文(3)平家一門の帰京(内侍所都入~文之沙汰・全文ルビ付き)

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『平家物語』第11巻(巻十一)の原文を、4ページに分けて全文ルビ付きで掲載しています。このページ(3)には、平家一門の帰京を描いた「内侍所都入」から「文之沙汰」までの章段を収めました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『平家物語』第11巻 現代語訳(3)をご覧ください。

(3)平家一門の帰京のあらすじ
  • 内侍所都入:神鏡と神璽が都に戻り、捕らわれた一門も帰京する。
  • 剣:海に沈んだ宝剣は見つからず、その由来が語られる。
  • 一門大路渡:宗盛ら捕らわれの一門、都大路を引き回される。
  • 鏡:都に戻った神鏡(内侍所)の由来が語られる。
  • 文之沙汰:平時忠、娘を義経に嫁がせ、押収された手紙を取り戻す。
目次

内侍所都入

 新(しん)中納言(ちゆうなごん)、

「見(み)るべきほどのことは見(み)つ。今(いま)は自(じ)害(がい)せん」

 とて、乳母子(めのとご)の伊(い)賀(がの)平内(へいない)左衛門(ざゑもん)家長(いへなが)を召(め)して、

「いかに、日(ひ)ごろの約束(やくそく)は違(たが)ふまじきか」とのたまへば、

「子(し)細(さい)にや及(およ)び候(さうらふ)」と申(まう)す。

 中納言(ちゆうなごん)に鎧(よろひ)二(に)領(りやう)着(き)せ奉(たてまつ)り、わが身(み)も鎧(よろひ)二(に)領(りやう)着(き)て、手(て)を取(と)り組(く)んで海(うみ)へぞ入(い)りにける。これを見(み)て、侍(さぶらひ)ども二(に)十(じふ)余(よ)人(にん)、後(おく)れ奉(たてまつ)らじと、手(て)に手(て)を取(と)り組(く)んで、一所(いつしよ)に沈(しづ)みけり。その中(なか)に、越中(ゑつちゆうの)次(じ)郎(らう)兵衛(びやうゑ)、上総(かづさの)五(ご)郎(らう)兵衛(びやうゑ)、悪七(あくしち)兵衛(びやうゑ)、飛(ひ)騨(だの)四(し)郎(らう)兵衛(びやうゑ)は、なにとしてか逃(のが)れたりけん、そこをもまた落(お)ちにけり。

 海(かい)上(しやう)には赤旗(あかはた)、赤(あか)幟(のぼり)ども、投(な)げ捨(す)て、かなぐり捨(す)てたりければ、竜(たつ)田(た)川(がは)の紅葉(もみぢ)葉(ば)を嵐(あらし)の吹(ふ)き散(ち)らしたるがごとし。汀(みぎは)に寄(よ)る白浪(しらなみ)も、薄紅(うすくれなゐ)にぞなりにける。主(ぬし)もなき虚(むな)しき船(ふね)は、潮(しほ)に引(ひ)かれ、風(かぜ)に従(したが)って、いづくを指(さ)すともなく、ゆられゆくこそ悲(かな)しけれ。

 生捕(いけどり)には、前(さきの)内大臣(ないだいじん)宗盛公(むねもりこう)、平(へい)大(だい)納(な)言(ごん)時忠(ときただ)、右(う)衛(ゑ)門(もんの)督(かみ)清宗(きよむね)、内蔵(くら)頭(のかみ)信基(のぶもと)、讃岐(さぬきの)中将(ちゆうじやう)時実(ときざね)、兵(ひやう)部(ぶの)少輔(せう)雅明(まさあき)、大(おほ)臣(い)殿(との)の八(はつ)歳(さい)になりたまふ若公(わかぎみ)、僧(そう)には二(に)位(ゐの)僧(そう)都(づ)専親(せんしん)、法勝寺(ほつしようじ)の執(しゆ)行(ぎやう)能円(のうゑん)、中(ちゆう)納(な)言(ごんの)律(りつ)師(し)仲快(ちゆうくわい)、経(きやう)誦(じゆ)坊(ばう)の阿闍梨(あじやり)融円(ゆうゑん)、侍(さぶらひ)には源(げん)大夫(たいふの)判(はう)官(ぐわん)季貞(すゑさだ)、摂津(せつつの)判(はう)官(ぐわん)盛澄(もりずみ)、橘内(きつない)左衛門(ざゑもん)季康(すゑやす)、藤内(とうない)左衛門(ざゑもん)信康(のぶやす)、阿(あ)波(はの)民(みん)部(ぶ)重能(しげよし)父子(ふし)、以上(いじやう)三十八人(さんじふはちにん)なり。菊池(きくちの)次(じ)郎(らう)高直(たかなほ)、原田(はらだの)大(たい)夫(ふ)種直(たねなほ)は、軍(いくさ)以(い)前(ぜん)より郎等(らうどう)ども相(あひ)具(ぐ)して降人(かうにん)に参(まゐ)る。女(によう)房(ばう)たちには、女(によう)院(ゐん)、北(きた)の政(まん)所(どころ)、廊(らうの)御方(おんかた)、大納言(だいなごんの)佐(すけ)殿(どの)、帥(そちの)佐(すけ)殿(どの)、治(ぢ)部(ぶ)卿(きやうの)局(つぼね)以下(いげ)、四(し)十(じふ)三(さん)人(にん)とぞ聞(き)こえし。

 元(げん)暦(りやく)二(に)年(ねん)の春(はる)の暮(く)れ、いかなる年月(としつき)にて、一人(いちじん)海底(かいてい)に沈(しづ)み、百官(ひやくくわん)波上(はしやう)に浮(う)かぶらん。国(こく)母(ぼ)官(くわん)女(ぢよ)は東(とう)夷(い)西(せい)戎(じゆう)の手(て)に従(したが)ひ、臣(しん)下(か)卿(けい)相(しやう)は数(す)万(まん)の軍旅(ぐんりよ)にとらはれて、旧(きう)里(り)に帰(かへ)りたまひしに、あるいは朱買臣(しゆばいしん)が錦(にしき)を着(き)ざることを嘆(なげ)き、あるいは王昭君(わうせうくん)が胡(こ)国(こく)に赴(おもむ)きし恨(うら)みも、かくやとぞ悲(かな)しみたまひける。

 同(おな)じき四月(しぐわつ)三(みつ)日(か)、九(く)郎(らう)大(たい)夫(ふ)判(はう)官(ぐわん)義経(よしつね)、源八(げんぱち)広綱(ひろつな)をもって、院(ゐん)の御(ご)所(しよ)へ奏聞(そうもん)せられけるは、去(さ)んぬる三(さん)月(ぐわつ)二十四日(にじふしにち)、豊(ぶ)前(ぜん)の国(くに)田(た)の浦(うら)、門司(もじ)の関(せき)、長(なが)門(と)の国(くに)壇(だん)の浦(うら)、赤(あか)間(ま)の関(せき)にて、平(へい)家(け)を責(せ)め落(お)とし、三種(さんしゆ)の神(じん)器(ぎ)ことゆゑなう返(かへ)し入(い)れ奉(たてまつ)るの由(よし)、申(まう)されたりければ、院(ゐん)中(ぢゆう)の上下(かみしも)騒動(さうどう)す。広綱(ひろつな)を御坪(おんつぼ)の内(うち)へ召(め)し、合戦(かつせん)の次(し)第(だい)を委(くは)しう御(おん)尋(たづ)ねありて、御感(ぎよかん)のあまりに左(さ)兵(ひやう)衛(ゑの)尉(じよう)になされけり。

「一(いち)定(ぢやう)内侍所(ないしどころ)返(かへ)り入(い)らせたまふか、見(み)て参(まゐ)れ」

 とて、五(いつ)日(か)、北面(ほくめん)に候(さうら)ひける藤(ふぢ)判(はう)官(ぐわん)信盛(のぶもり)を西国(さいこく)へ差(さ)し遣(つか)はさる。宿(しゆく)所(しよ)へも帰(かへ)らず、やがて院(ゐん)の御(おん)馬(むま)をたまはって鞭(むち)を挙(あ)げ、西(にし)をさしてぞ馳(は)せ下(くだ)る。

 同(おな)じき十(じふ)四(し)日(にち)、九(く)郎(らう)大(たい)夫(ふ)判(はう)官(ぐわん)義経(よしつね)、平(へい)氏(じ)男女(なんによ)の生捕(いけどり)ども相(あひ)具(ぐ)して上(のぼ)りけるが、播(はり)磨(ま)の国(くに)明(あか)石(し)の浦(うら)にぞ着(つ)きにける。名(な)を得(え)たる浦(うら)なれば、深(ふ)け行(ゆ)くままに月(つき)すみ上(のぼ)り、秋(あき)の空(そら)にもおとらず。女(によう)房(ばう)たちさしつどひて、

「一年(ひととせ)これを通(とほ)りしには、かかるべしとは思(おも)はざりき」

 などいひて、忍(しの)び音(ね)に泣(な)き合(あ)はれけり。

 帥(そちの)佐(すけ)殿(どの)つくづく月(つき)を眺(なが)めたまひ、いと思(おも)ひ残(のこ)すこともおはせざりければ、涙(なみだ)に床(ゆか)も浮(う)くばかりにて、かうぞ思(おも)ひ続(つづ)けたまふ。

ながむればぬるる袂(たもと)にやどりけり月(つき)よ雲(くも)井(ゐ)の物(もの)語(がたり)せよ

 治(ぢ)部(ぶ)卿(きやうの)局(つぼね)、

雲(くも)のうへに見(み)しにかはらぬ月影(つきかげ)のすみにつけても物(もの)ぞかなしき

 大納言(だいなごんの)佐(すけの)局(つぼね)、

わが身(み)こそ明(あか)石(し)の浦(うら)に旅(たび)寝(ね)せめ同(おな)じ浪(なみ)にもやどる月(つき)かな

「さこそ物(もの)悲(かな)しう、昔(むかし)恋(こひ)しうもおはしけめ」

 と、判(はう)官(ぐわん)猛(たけ)き武士(ぶし)なれども、情(なさ)けある男士(をのこ)なれば、身(み)に染(し)みてあはれにぞ思(おも)はれける。

 同(おな)じき二十五日(にじふごにち)、内侍所(ないしどころ)、璽(しるし)の御(み)箱(はこ)、鳥羽(とば)に着(つ)かせたまふと聞(き)こえしかば、内(だい)裏(り)より御(おん)迎(むか)へに参(まゐ)らせたまふ人々(ひとびと)、勘解由(かでの)小(こう)路(ぢ)中納言(ちゆうなごん)経房(つねふさ)卿(きやう)、高(たか)倉(くらの)宰相(さいしやうの)中将(ちゆうじやう)泰通(やすみち)、権(ごんの)右中弁(うちゆうべん)兼忠(かねただ)、左(さ)衛(ゑ)門(もんの)権(ごんの)佐(すけ)親雅(ちかまさ)、榎並(えなみの)中将(ちゆうじやう)公時(きんとき)、但馬(たぢまの)少(せう)将(しやう)教能(のりよし)、武士(ぶし)には伊(い)豆(づの)蔵人(くらんどの)大(たい)夫(ふ)頼兼(よりかね)、石(いし)河(かはの)判(はう)官(ぐわん)代(だい)能兼(よしかね)、左衛門尉(さゑもんのじよう)有綱(ありつな)とぞ聞(き)こえし。その夜(よ)の子(ね)の刻(こく)に、内侍所(ないしどころ)、璽(しるし)の御(み)箱(はこ)、太政官(だいじやうくわん)の庁(ちやう)に入(い)らせたまふ。宝剣(ほうけん)は失(う)せにけり。神(しん)璽(じ)は海(かい)上(しやう)に浮(う)かびたりけるを、片(かた)岡(をかの)太(た)郎(らう)経春(つねはる)が取(と)り上(あ)げ奉(たてまつ)りたりけるとぞ聞(き)こえし。

剣

 わが朝(てう)には神(かみ)代(よ)より伝(つた)はれる霊剣(れいけん)三(み)つあり。十(と)握(つかの)剣(つるぎ)、天(あめ)の早切(はやきり)剣(つるぎ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)これなり。十(と)握(つかの)剣(つるぎ)は大和(やまと)の国(くに)磯(いその)上(かみ)布留社(ふるのやしろ)に納(をさ)めらる。天(あめ)の早切(はやきり)の剣(つるぎ)は尾(を)張(はり)の国(くに)熱(あつ)田(た)の宮(みや)にありとかや。草薙剣(くさなぎのつるぎ)は内(だい)裏(り)にあり。今(いま)の宝剣(ほうけん)これなり。

 この剣(つるぎ)の由(ゆ)来(らい)を申(まう)せば、昔(むかし)、素盞烏尊(すさのをのみこと)、出(いづ)雲(も)の国(くに)曽我(そが)の里(さと)に宮造(みやづく)りしたまひしに、その所(ところ)に八(や)色(いろ)の雲(くも)常(つね)に立(た)ちければ、尊(みこと)これを御(ご)覧(らん)じて、かくぞ詠(えい)じたまひける。

八(や)雲(くも)たつ出(いづ)雲(も)やへがきつまごめにやへ垣(がき)つくるそのやへ垣(がき)を

 これを三十一文字(みそひともじ)の始(はじ)めとす。国(くに)を出(いづ)雲(も)と名(な)づくることも、すなはちこのゆゑとぞ承(うけたまは)る。

 昔(むかし)、尊(みこと)、出(いづ)雲(も)の国(くに)ひの河上(かはかみ)に下(くだ)りたまひし時(とき)、国(くに)津(つ)神(かみ)に足(あし)なつち、手(て)なつちとて、をとこ神(がみ)、婦(め)神(がみ)おはします。その子(こ)に端(たん)正(じやう)の娘(むすめ)あり。稲(いな)田(だ)姫(ひめ)と号(がう)す。親(おや)子(こ)三人(さんにん)泣(な)き居(ゐ)たり。尊(みこと)、

「いかに」と問(と)ひたまへば、答(こた)へ申(まう)していはく、

「われに娘(むすめ)八人(はちにん)ありき。皆(みな)大蛇(だいじや)のためにのまれぬ。今(いま)一(ひと)人(り)残(のこ)るところの少女(せうぢよ)、また呑(の)まれんとす」

 件(くだん)の大蛇(だいじや)、尾(を)首(くび)ともに八(や)つあり。おのおの八(や)つの峰(みね)、八(や)つの谷(たに)に這(は)ひはびこれり。霊樹(れいじゆ)異(い)草(さう)背(せ)に生(お)ひたり。幾(いく)千年(せんねん)を歴(へ)たりといふことを知(し)らず。眼(まなこ)は日月(にちげつ)の光(ひかり)のごとし。年々(としどし)に人(ひと)を呑(の)む。親(おや)呑(の)まるるものは子(こ)悲(かな)しみ、子(こ)呑(の)まるるものは親(おや)悲(かな)しみ、村南(そんなん)村北(そんぼく)に哭(こく)する声(こゑ)絶(た)えずとぞ申(まう)しける。

 尊(みこと)あはれにおぼしめし、この少女(せうぢよ)をゆつのつまぐしに取(と)りなし、御(おん)ぐしに差(さ)し蔵(かく)させたまひ、八(や)つの舟(ふね)に酒(さけ)を入(い)れ、美(び)女(ぢよ)の姿(すがた)を造(つく)りて高(たか)き岡(をか)に立(た)つ。その影(かげ)酒(さけ)にうつれり。大蛇(だいじや)人(ひと)と思(おも)ひて、その影(かげ)を飽(あ)くまで飲(の)んで酔(ゑ)ひ臥(ふ)したりけるを、尊(みこと)帯(は)きたまへる十(と)握(つか)の剣(つるぎ)を抜(ぬ)いて、大蛇(だいじや)をづたづたに切(き)りたまふ。その中(なか)に一(ひと)つの尾(を)に至(いた)りて切(き)れず。尊(みこと)怪(あや)しくおぼしめし、竪様(たてざま)に破(わ)って御(ご)覧(らん)ずれば、一(ひと)つの霊剣(れいけん)あり。これを取(と)って天(あま)照(てらす)大(おほみ)神(かみ)に奉(たてまつ)りたまふ。

「これは昔(むかし)高(たか)間(ま)の原(はら)にて、わが落(お)としたりし剣(つるぎ)なり」とぞのたまひける。

 大蛇(だいじや)の尾(を)の中(なか)にありける時(とき)は、村雲(むらくも)常(つね)に掩(おほ)ひければ、天(あめ)の村雲剣(むらくものつるぎ)とぞ申(まう)しける。大(おほみ)神(かみ)これを得(え)て、天(あめ)の御(み)門(かど)の御(おん)宝(たから)としたまふ。その後(のち)、豊(とよ)葦(あし)原(はらの)中(なか)津(つ)国(くに)の主(ぬし)として天孫(てんそん)を下(くだ)し奉(たてまつ)りたまひし時(とき)、この剣(つるぎ)をも御(おん)鏡(かがみ)に副(そ)へて奉(たてまつ)らせたまひけり。第(だい)九(く)代(だい)の帝(みかど)開化(かいくわ)天皇(てんわう)の御時(おんとき)までは一(ひと)つ殿(との)におはしましけるを、第十代(だいじふだい)の帝(みかど)崇(す)神(じん)天皇(てんわう)の御(ぎよ)宇(う)に及(およ)んで、霊(れい)威(ゐ)に恐(おそ)れて、天(あま)照(てらす)大(おほみ)神(かみ)を大和(やまと)の国(くに)笠縫(かさぬひ)の里(さと)、磯垣(いそがき)の広(ひろ)きに移(うつ)し奉(たてまつ)りたまひし時(とき)、この剣(つるぎ)をも天(あま)照(てらす)大(おほみ)神(かみ)の社壇(しやだん)に籠(こ)め奉(たてまつ)らせたまひけり。その時(とき)剣(つるぎ)を造(つく)りかへて御(おん)守(まも)りとしたまふ。霊(れい)威(ゐ)もとの剣(つるぎ)にあひ劣(おと)らず。

 天(あめ)の村雲剣(むらくものつるぎ)は、崇(す)神(じん)天皇(てんわう)より景行(けいかう)天皇(てんわう)まで三代(さんだい)は天(あま)照(てらす)大(おほみ)神(かみ)の社壇(しやだん)に崇(あが)め置(お)かれたりけるを、景行(けいかう)天皇(てんわう)の御(ぎよ)宇(う)四(し)十(じふ)年(ねん)六(ろく)月(ぐわつ)に、東(とう)夷(い)反(はん)逆(ぎやく)の間(あひだ)、御子(みこ)日本武尊(やまとたけるのみこと)、御心(みこころ)も剛(がう)に、御(おん)力(ちから)も人(ひと)に勝(すぐ)れておはしければ、清撰(せいせん)に当(あ)たって東(あづま)へ下(くだ)りたまひし時(とき)、天(あま)照(てらす)大(おほみ)神(かみ)へ詣(まう)でて御(おん)暇(いとま)申(まう)させたまひけるに、御(おん)妹(いもうと)いつきの尊(みこと)をもって、謹(つつし)んで怠(おこた)ることなかれとて、霊剣(れいけん)を尊(みこと)に授(さづ)け申(まう)したまふ。さて駿(する)河(が)の国(くに)に下(くだ)りたまひたりしかば、その所(ところ)の賊(ぞく)徒(と)ら、

「この国(くに)には鹿(しか)多(おほ)う候(さうらふ)。狩(かり)して遊(あそ)ばせたまへ」

 とて、たばかり出(いだ)し奉(たてまつ)り、野(の)に火(ひ)を放(はな)って、既(すで)に焼(や)き殺(ころ)し奉(たてまつ)らんとしけるに、尊(みこと)帯(は)きたまへる霊剣(れいけん)を抜(ぬ)いて草(くさ)を薙(な)ぎたまへば、はむけ一(いち)里(り)がうちは草(くさ)皆(みな)薙(な)がれぬ。尊(みこと)また火(ひ)を出(いだ)されたりければ、風(かぜ)たちまちに異(い)賊(ぞく)の方(かた)へ吹(ふ)き掩(おほ)ひ、凶徒(きようと)ことごとく焼(や)け死(し)にぬ。それよりしてこそ、天(あめ)の村雲剣(むらくものつるぎ)をば草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも名(な)づけられけれ。

 尊(みこと)、なほ奥(おく)へ攻(せ)め入(い)って、三(さん)箇(か)年(ねん)が間(あひだ)、所々(しよしよ)の賊(ぞく)徒(と)を討(う)ち平(たひ)らげ、国々(くにぐに)の凶(きよう)党(たう)を攻(せ)め従(したが)へて上(のぼ)らせたまひけるが、道(みち)より御(おん)悩(なや)みつかせたまひて、御(おん)年(とし)三十(さんじふ)と申(まう)す七(しち)月(ぐわつ)に、尾(を)張(はり)の国(くに)熱(あつ)田(た)の辺(へん)にてつひに隠(かく)れさせたまひぬ。その魂(たましひ)は白(しろ)き鳥(とり)となって天(てん)に上(のぼ)りけるこそ不(ふ)思(し)議(ぎ)なれ。生捕(いけどり)の夷(えびす)どもをば、御子(みこ)武(たけ)彦(ひこの)尊(みこと)をもって御(み)門(かど)へ奉(たてまつ)らせたまふ。草薙剣(くさなぎのつるぎ)をば熱(あつ)田(た)の社(やしろ)に納(をさ)めらる。

 あめの御(み)門(かど)の御(ぎよ)宇(う)七(しち)年(ねん)に、新(しら)羅(ぎ)の沙門(しやもん)道(だう)行(ぎやう)、この剣(つるぎ)を竊(ぬす)んで、わが国(くに)の宝(たから)とせんと思(おも)って、ひそかに舟(ふね)に蔵(かく)して行(ゆ)くほどに、波(なみ)風(かぜ)震動(しんどう)して、たちまちに海底(かいてい)に沈(しづ)まんとす。すなはち霊剣(れいけん)のたたりなりと知(し)りて、罪(つみ)を謝(しや)して先(せん)途(ど)を遂(と)げず。もとのごとく返(かへ)し納(をさ)め奉(たてまつ)る。しかるを天(てん)武(む)天皇(てんわう)朱鳥(あかみとり)元(ぐわん)年(ねん)に、これを召(め)して内(だい)裏(り)に置(お)かる。今(いま)の宝剣(ほうけん)これなり。

 御(おん)霊(れい)威(ゐ)いちはやうまします。陽成院(やうぜいゐん)狂病(きやうびやう)にをかされましまして、霊剣(れいけん)を抜(ぬ)かせたまひければ、夜(よ)のおとど閃々(せんせん)として電(でん)光(くわう)にことならず。恐怖(きようふ)のあまりに投(な)げ捨(す)てさせたまひければ、自(おのれ)とはたと鳴(な)って鞘(さや)に差(さ)されにけり。上古(じやうこ)にはかうこそめでたかりしか。たとひ二位殿(にゐどの)脇(わき)に差(さ)して海(うみ)に沈(しづ)みたまふとも、たやすう失(う)すべからずとて、勝(すぐ)れたる海士人(あまびと)どもを召(め)してかづきもとめられける上(うへ)、霊仏(れいぶつ)霊社(れいしや)に尊(たふと)き僧(そう)を籠(こ)め、種々(しゆじゆ)の神宝(じんぽう)を捧(ささ)げて祈(いの)り申(まう)されけれども、つひに失(う)せにけり。

 その時(とき)の有(いう)職(しよく)の人々(ひとびと)申(まう)し合(あ)はれけるは、

「昔(むかし)天(あま)照(てらす)大(おほみ)神(かみ)、百(ひやく)王(わう)を守(まぼ)らんと御(おん)誓(ちか)ひありける、その誓(ちか)ひいまだ改(あらた)まらずして、石(いは)清(し)水(みづ)の御(おん)流(なが)れいまだ尽(つ)きざるゆゑ、日輪(にちりん)の光(ひかり)いまだ地(ち)に落(お)ちさせたまはず。末代(まつだい)澆(げう)季(き)なりとも、帝運(ていうん)の極(きは)まるほどのことはあらじかし」

 と申(まう)されければ、その中(なか)に、ある博(は)士(かせ)の勘(かんが)へ申(まう)しけるは、

「昔(むかし)出(いづ)雲(も)の国(くに)ひの河上(かはかみ)にて、素盞烏尊(すさのをのみこと)に切(き)り殺(ころ)され奉(たてまつ)りし大蛇(だいじや)、霊剣(れいけん)を惜(を)しむ志(こころざし)深(ふか)くして、八(や)つの首(くび)、八(や)つの尾(を)を表(へう)事(じ)として、人王(にんわう)八十代(はちじふだい)の後(のち)、八(はつ)歳(さい)の帝(みかど)となって霊剣(れいけん)を取(と)り返(かへ)して、海底(かいてい)に沈(しづ)みたまふにこそ」と申(まう)す。

 千(ち)尋(ひろ)の海(うみ)の底(そこ)、神竜(しんりう)の宝(たから)となりしかば、二度(にど)人間(にんげん)に返(かへ)らざるもことわりとこそ覚(おぼ)えけれ。

一門大路渡

 さるほどに、二(に)の宮(みや)帰(かへ)り入(い)らせたまふとて、法皇(ほふわう)より御(おん)迎(むか)へに御(おん)車(くるま)を参(まゐ)らせらる。御心(みこころ)ならず平(へい)家(け)に取(と)られさせたまひて、西海(さいかい)の波(なみ)の上(うへ)に漂(ただよ)はせたまひ、三年(さんねん)を過(す)ぎさせたまひしかば、御(ご)母儀(ぼぎ)も御(おん)乳母(めのと)持明院(ぢみやうゐん)の宰(さい)相(しやう)も、御心苦(みこころぐる)しきことに思(おも)はれけるに、別(べち)の御事(おんこと)なく返(かへ)り上(のぼ)らせたまひたりしかば、さしつどひて皆(みな)悦泣(えつきふ)どもせられたる。

 同(おな)じき二(に)十(じふ)六(ろく)日(にち)、平(へい)氏(じ)の生捕(いけどり)ども京(きやう)へ入(い)る。皆(みな)小(こ)八葉(はちえふ)の車(くるま)にてぞありける。前(ぜん)後(ご)の簾(すだれ)を上(あ)げ、左(さ)右(いう)の物(もの)見(み)を開(ひら)く。大(おほ)臣(い)殿(との)は浄衣(じやうえ)を着(き)たまへり。右(う)衛(ゑ)門(もんの)督(かみ)は白(しろ)き直垂(ひたたれ)にて、父(ちち)の車(くるま)の後(しり)にぞ乗(の)られたる。平(へい)大(だい)納(な)言(ごん)時(とき)忠(ただの)卿(きやう)の車(くるま)も、同(おな)じくやり続(つづ)く。子(し)息(そく)讃岐(さぬきの)中将(ちゆうじやう)時実(ときざね)も同車(どうしや)にて渡(わた)さるべかりしが、現(げん)所労(しよらう)とて渡(わた)らず。内蔵(くら)頭(のかみ)信基(のぶもと)は疵(きず)を蒙(かうぶ)りたりしかば、閑道(かんだう)より入(い)りにけり。

 大(おほ)臣(い)殿(との)、さしも花(はな)やかに清(きよ)げにおはせし人(ひと)の、あらぬさまに痩(や)せ衰(おとろ)へたまへり。されども四(し)方(はう)見(み)回(まは)して、いと思(おも)ひ沈(しづ)める気(け)色(しき)もおはせず。右(う)衛(ゑ)門(もんの)督(かみ)はうつぶして目(め)も見(み)上(あ)げたまはず、思(おも)ひ入(い)れたる気(け)色(しき)なり。土(ど)肥(ひの)次(じ)郎(らう)実平(さねひら)、木(もく)蘭(らん)地(ぢ)の直垂(ひたたれ)に小(こ)具(ぐ)足(そく)ばかりして、随(ずゐ)兵(ひやう)三十(さんじふ)余(よ)騎(き)、車(くるま)の先(せん)後(ご)に打(う)ち囲(かこ)んで守(しゆ)護(ご)し奉(たてまつ)る。

 見(み)る人(ひと)都(みやこ)の中(なか)にも限(かぎ)らず、およそ遠国(ゑんごく)近国(きんごく)、山々(やまやま)寺々(てらでら)よりも、老(お)いたるも若(わか)きも、来(き)たり集(あつ)まれり。鳥羽(とば)の南(みなみ)の門(もん)、作(つくり)道(みち)、四(し)塚(つか)まで、ひしと続(つづ)いて、幾(いく)千万(せんまん)といふ数(かず)を知(し)らず。人(ひと)は顧(かへり)みることを得(え)ず、車(くるま)は輪(わ)を廻(めぐ)らすこと能(あた)はず。治承(ぢしよう)、養(やう)和(わ)の飢(き)饉(きん)、東国(とうごく)、西国(さいこく)の軍(いくさ)に、人(ひと)種(だね)滅(ほろ)び失(う)せたりといへども、なほ残(のこ)りは多(おほ)かりけりとぞ見(み)えし。

 都(みやこ)を出(い)でて中(なか)一年(ひととせ)、無下(むげ)に間(ま)近(ぢか)きほどなれば、めでたかりしことも忘(わす)れず。さしも恐(おそ)れをののきし人(ひと)の今日(けふ)の有様(ありさま)、夢(ゆめ)現(うつつ)とも分(わ)きかねたり。心(こころ)なき怪(あや)しの賤(しづ)男(をとこ)賤(しづ)女(をんな)に至(いた)るまで、涙(なみだ)を流(なが)し、袖(そで)を絞(しぼ)らぬはなかりけり。まして馴(な)れ近(ちか)づきたる人々(ひとびと)の、いかばかりのことをか思(おも)ひけん。年(とし)ごろ恩(おん)を蒙(かうぶ)り、父祖(ふそ)の時(とき)より祗(し)候(こう)したりし輩(ともがら)の、さすが身(み)の捨(す)てがたさに、多(おほ)くは源(げん)氏(じ)についたりしかども、昔(むかし)の好(よしみ)たちまちに忘(わす)るべきにもあらねば、さこそ悲(かな)しう思(おも)ひけめ。されば袖(そで)を顔(かほ)に押(お)しあてて、目(め)を見(み)上(あ)げぬ者(もの)も多(おほ)かりけり。

 大(おほ)臣(い)殿(との)の御(おん)牛飼(うしかひ)は、木曽(きそ)が院参(ゐんざん)の時(とき)、車(くるま)遣(や)り損(そん)じて切(き)られにける次(じ)郎(らう)丸(まる)が弟(おとと)、三郎丸(さぶらうまる)なり。西国(さいこく)にてはかり男(をとこ)になったりしが、いま一(いち)度(ど)大(おほ)臣(い)殿(との)の御(おん)車(くるま)を仕(つかまつ)らんと思(おも)ふ志(こころざし)深(ふか)かりければ、鳥羽(とば)にて判(はう)官(ぐわん)に申(まう)しけるは、

「舎人(とねり)、牛飼(うしかひ)など申(まう)す者(もの)は、いふかひなき下(げ)臈(らふ)の果(は)てにて候(さうら)へば、心(こころ)あるべきでは候(さうら)はねども、年来(ねんらい)召(め)しつかはれまゐらせて候(さうらふ)御(おん)志(こころざし)浅(あさ)からず。しかるべう候(さうら)はば、御(おん)ゆるされを蒙(かうぶ)って、大(おほ)臣(い)殿(との)の最(さい)後(ご)の御(おん)車(くるま)を仕(つかまつ)り候(さうら)はばや」

 とあながちに申(まう)しければ、判(はう)官(ぐわん)、

「子(し)細(さい)あるまじ。とうとう」とてゆるされけり。

 斜(なな)めならず悦(よろこ)んで、尋(じん)常(じやう)にしやうぞき、懐(ふところ)より遣縄(やりなは)取(と)り出(いだ)しつけかへ、涙(なみだ)に暮(く)れて行(ゆ)く先(さき)も見(み)えねども、袖(そで)を顔(かほ)に押(お)しあてて、牛(うし)の行(ゆ)くに任(まか)せつつ、泣(な)く泣(な)く遣(や)ってぞ罷(まか)りける。

 法皇(ほふわう)は六条(ろくでう)東洞院(ひがしのとうゐん)に御(おん)車(くるま)を立(た)てて叡覧(えいらん)あり。公卿(くぎやう)殿(てん)上(じやう)人(びと)の車(くるま)ども、同(おな)じう立(た)て並(なら)べたり。さしも御(おん)身(み)近(ちか)う召(め)し仕(つか)はれしかば、法皇(ほふわう)もさすが御心(みこころ)弱(よわ)う、あはれにぞおぼしめされける。供奉(ぐぶ)の人々(ひとびと)は、ただ夢(ゆめ)とのみこそ思(おも)はれけれ。

「日(ひ)ごろはいかにもして、あの人々(ひとびと)に目(め)をもかけられ、詞(ことば)の末(すゑ)にも懸(か)からばやとこそ思(おも)ひしかば、かかるべしとは誰(たれ)か思(おも)ひし」

 とて、上下(かみしも)涙(なみだ)を流(なが)しけり。

 一年(ひととせ)宗盛公(むねもりこう)内大臣(ないだいじん)になって、悦(よろこ)び申(まう)したまひし時(とき)は、公卿(くぎやう)には花(くわ)山(さんの)院(ゐん)の大(だい)納(な)言(ごん)をはじめとして十(じふ)二(に)人(にん)扈従(こじゆう)して、遣(や)り続(つづ)けたまへり。殿(てん)上(じやう)人(びと)には蔵人(くらんどの)頭(とう)親宗(ちかむね)以下(いげ)、十六人(じふろくにん)前(ぜん)駆(く)す。公卿(くぎやう)も殿(てん)上(じやう)人(びと)も、今日(けふ)を晴(は)れときらめいてこそありしか。中納言(ちゆうなごん)四(よ)人(にん)、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)も三人(さんにん)までおはしき。やがてこの平(へい)大(だい)納(な)言(ごん)も、その時(とき)は左(さ)衛(ゑ)門(もんの)督(かみ)にておはしき。御(ご)前(ぜん)へ召(め)され参(まゐ)らせて、御(おん)引(ひき)出(で)物(もの)たまはって、もてなされたまひし有様(ありさま)、めでたかりし儀(ぎ)式(しき)ぞかし。今日(けふ)は月卿(げつけい)雲客(うんかく)一(ひと)人(り)も従(したが)はず、同(おな)じく壇(だん)の浦(うら)にて生捕(いけどり)にせられたりし侍(さぶらひ)ども二(に)十(じふ)余(よ)人(にん)、白(しろ)き直垂(ひたたれ)着(き)て、馬(むま)の上(うへ)にしめつけてぞ渡(わた)されける。

 六条(ろくでう)を東(ひがし)へ河(かは)原(ら)まで渡(わた)されて、帰(かへ)りて、大(おほ)臣(い)殿(との)父子(ふし)は、九(く)郎(らう)判(はう)官(ぐわん)の宿(しゆく)所(しよ)、六条(ろくでう)堀河(ほりかは)にぞおはしける。御物(おんもの)参(まゐ)らせたりしかども、胸(むね)せき塞(ふさ)がって、御(おん)箸(はし)をだにも立(た)てられず。互(たが)ひに物(もの)はのたまはねども、目(め)を見(み)合(あ)はせて、隙(ひま)なく涙(なみだ)をぞ流(なが)されける。夜(よ)になれども装(しやう)束(ぞく)もくつろげたまはず、袖(そで)を片(かた)敷(し)きて臥(ふ)したまひたりけるが、御(おん)子(こ)右(う)衛(ゑ)門(もんの)督(かみ)に御(おん)袖(そで)を打(う)ち着(き)せたまふを、まぼり奉(たてまつ)る源八(げんぱち)兵衛(びやうゑ)、江田(えだ)源三(げんざう)、熊(くま)井(ゐ)太(た)郎(らう)、これを見(み)て、

「あはれ高(たか)きも賤(いや)しきも、恩愛(おんあい)の道(みち)ほど悲(かな)しかりけることはなし。御(おん)袖(そで)を着(き)せ奉(たてまつ)りたらば、いくほどのことかあるべきぞ。せめての御(おん)志(こころざし)の深(ふか)さかな」

 とて、武(たけ)きもののふども、皆(みな)涙(なみだ)をぞ流(なが)しける。

鏡

 同(おな)じき二(に)十(じふ)八(はち)日(にち)、鎌倉(かまくら)の前(さきの)兵(ひやう)衛(ゑの)佐(すけ)頼朝(よりとも)朝(あ)臣(そん)、従(じゆ)二位(にゐ)したまふ。越階(ゑつかい)とて二(に)階(かい)をするこそありがたき朝恩(てうおん)なるに、これは既(すで)に三(さん)階(かい)なり。三(さん)位(み)をこそしたまふべかりしかども、平(へい)家(け)のしたまひたりしを忌(い)うてなり。

 その夜(よ)の子(ね)の刻(こく)に、内侍所(ないしどころ)、太政官(だいじやうくわん)の庁(ちやう)より温明殿(うんめいでん)へ入(い)らせたまふ。主(しゆ)上(しやう)行(ぎやう)幸(かう)なって、三(さん)箇(か)夜(や)臨(りん)時(じ)の御(み)神(か)楽(ぐら)あり。右近(うこんの)将(しやう)監(げん)小家(こいへの)能方(よしかた)、別(べつ)勅(ちよく)を承(うけたまは)って、家(いへ)に伝(つた)はれる弓(ゆ)立(だて)宮(みや)人(びと)といふ神(か)楽(ぐら)の秘曲(ひきよく)を仕(つかまつ)って、勧賞(くわんじやう)蒙(かうぶ)りけるこそめでたけれ。この歌(うた)は、祖父(おほぢ)八(はち)条(でうの)判(はう)官(ぐわん)資忠(すけただ)といひし伶人(れいじん)のほかは知(し)れる者(もの)なし。あまり秘(ひ)して、子(こ)の親方(ちかかた)には教(をし)へずして、堀河(ほりかは)天皇(てんわう)御在位(ございゐ)の時(とき)伝(つた)へまゐらせて死(し)去(きよ)したりしを、君(きみ)親方(ちかかた)に教(をし)へさせたまひけり。道(みち)を失(うしな)はじとおぼしめす御(おん)志(こころざし)、感涙(かんるゐ)抑(おさ)へがたし。

 そもそも内侍所(ないしどころ)と申(まう)すは、昔(むかし)、天(あま)照(てらす)大(おほみ)神(かみ)、天(あめ)の岩(いは)戸(と)に閉(と)ぢ籠(こ)もらんとせさせたまひし時(とき)、いかにもしてわが容(かたち)をうつし置(お)きて、御(ご)子(し)孫(そん)に見(み)せ奉(たてまつ)らんとて、御(おん)鏡(かがみ)を鋳(い)たまへり。これなほ御心(みこころ)に合(あ)はずとて、また鋳(い)替(か)へさせたまひけり。先(さき)の御(おん)鏡(かがみ)は紀伊(きい)の国(くに)日前(ひのくま)国(くに)懸(かかす)の社(やしろ)これなり。後(のち)の御(おん)鏡(かがみ)は御子(みこ)あまの忍(しの)ほみみの尊(みこと)に授(さづ)けまゐらせさせたまひて、

「殿(との)を同(おな)じうして住(す)みたまへ」とぞおほせける。

 さて天(あま)照(てらす)大(おほみ)神(かみ)、天(あめ)の岩(いは)戸(と)に閉(と)ぢ籠(こ)もらせたまひて、天(てん)下(か)暗(くら)やみとなったりしに、八百万(やほよろづ)の神(かみ)たち、神集(かんづま)りに集(あつ)まって、岩(いは)戸(と)の口(くち)にて御(み)神(か)楽(ぐら)を奏(そう)したまひければ、天(あま)照(てらす)大(おほみ)神(かみ)感(かん)に堪(た)へさせたまはず、岩(いは)戸(と)を細(ほそ)目(め)に開(ひら)き見(み)たまふに、互(たが)ひに顔(かほ)の白(しろ)く見(み)えけるより、面白(おもしろ)といふ詞(ことば)は始(はじ)まりけるとぞ承(うけたまは)る。その時(とき)、こやね、たぢからをといふ大(だい)力(ぢから)の神(かみ)寄(よ)って、えいといひてあけたまひしよりして、たてられずといへり。

 さて内侍所(ないしどころ)は、第(だい)九(く)代(だい)の御(み)門(かど)開化(かいくわ)天皇(てんわう)の御時(おんとき)までは一(ひと)つ殿(との)におはしましけるを、第十代(だいじふだい)の帝(みかど)崇(す)神(じん)天皇(てんわう)の御(ぎよ)宇(う)に及(およ)びて、霊(れい)威(ゐ)に恐(おそ)れて別(べち)の殿(との)へ移(うつ)し奉(たてまつ)らせたまふ。近(ちか)きころは温明殿(うんめいでん)におはします。遷(せん)都(と)遷幸(せんかう)の後(のち)、百(ひやく)六(ろく)十(じふ)年(ねん)を経(へ)て、村上(むらかみ)天皇(てんわう)の御(ぎよ)宇(う)天徳(てんとく)四(よ)年(ねん)九月(くぐわつ)二(に)十(じふ)三(さん)日(にち)の子(ね)の刻(こく)に、内(だい)裏(り)なかのへに初(はじ)めて焼亡(せうまう)ありき。火(ひ)は左衛門(さゑもん)の陣(ぢん)より出(い)で来(き)たりければ、内侍所(ないしどころ)のおはします温明殿(うんめいでん)もほど近(ちか)し。如法(によほふ)夜(よ)半(なか)のことなれば、内(ない)侍(し)も女(によ)官(くわん)も参(まゐ)り合(あ)はせずして、賢所(かしこどころ)を出(いだ)し奉(たてまつ)るにも及(およ)ばず。小(を)野(のの)宮(みや)殿(どの)急(いそ)ぎ参(まゐ)らせたまひて、内侍所(ないしどころ)既(すで)に焼(や)けさせたまひぬ、世(よ)は今(いま)はかうござんなれとて、御(おん)涙(なみだ)を流(なが)させたまふほどに、内侍所(ないしどころ)はみづから炎(ほのほ)の中(なか)を飛(と)び出(い)でさせたまひ、南殿(なんでん)の桜(さくら)の梢(こずゑ)に懸(か)からせおはしまし、光明(くわうみやう)赫奕(かくやく)として、朝(あさ)の日(ひ)の山(やま)の端(は)を出(い)づるにことならず。その時(とき)、小(を)野(のの)宮(みや)殿(どの)、世(よ)はいまだ失(う)せざりけりとおぼしめすに、悦(よろこ)びの御(おん)涙(なみだ)せきあへさせたまはず。右(みぎ)の御(おん)膝(ひざ)をつき、左(ひだり)の御(おん)袖(そで)を広(ひろ)げて、泣(な)く泣(な)く申(まう)させたまひけるは、

「昔(むかし)天(あま)照(てらす)大(おほみ)神(かみ)、百(ひやく)王(わう)を守(まぼ)らんと御(おん)誓(ちか)ひありける、その御(おん)誓(ちか)ひいまだ改(あらた)まらずんば、神(しん)鏡(きやう)、実頼(さねより)が袖(そで)に宿(やど)らせたまへ」

 と申(まう)させたまふ御(おん)詞(ことば)の末(すゑ)をはらざる先(さき)に、飛(と)び移(うつ)らせたまひけり。すなはち御(おん)袖(そで)に裹(つつ)んで、太政官(だいじやうくわん)の朝所(あいたんどころ)へ渡(わた)し奉(たてまつ)らせたまふ。近(ちか)ごろは温明殿(うんめいでん)におはします。この世(よ)には、請(う)け取(と)り奉(たてまつ)らんと思(おも)ひ寄(よ)る人(ひと)も誰(たれ)かはあるべき。神(しん)鏡(きやう)もまた宿(やど)らせたまふべからず。上(じやう)代(だい)こそなほもめでたかりけれ。

文之沙汰

 平(へい)大(だい)納(な)言(ごん)時(とき)忠(ただの)卿(きやう)父子(ふし)も、九(く)郎(らう)判(はう)官(ぐわん)の宿(しゆく)所(しよ)近(ちか)うぞおはしける。世(よ)の中(なか)かくなりぬる上(うへ)は、とてもかうてもとこそ思(おも)はるべきに、大(だい)納(な)言(ごん)なほ命(いのち)惜(を)しうや思(おも)はれけん、子(し)息(そく)讃岐(さぬきの)中将(ちゆうじやう)を招(まね)いて、

「散(ち)らすまじき文(ふみ)を一(いち)合(がふ)、判(はう)官(ぐわん)に取(と)られてあるぞとよ。これを鎌倉(かまくら)の源(げん)二位(にゐ)に見(み)えなば、人(ひと)も多(おほ)く損(そん)じ、わが身(み)も命(いのち)生(い)けらるまじ。いかがせんずる」とのたまへば、中将(ちゆうじやう)申(まう)されけるは、

「判(はう)官(ぐわん)はおほかたも情(なさ)けある者(もの)にて候(さうらふ)なる上(うへ)、女(によう)房(ばう)などの訴(うつた)へ嘆(なげ)くことをば、いかなる大(だい)事(じ)をももてはなれぬと承(うけたまは)り候(さうらふ)。なにか苦(くる)しう候(さうらふ)べき。姫君(ひめぎみ)たちあまたましまし候(さうら)へば、一(ひと)人(り)見(み)せさせたまひ、親(した)しうならせおはしまして後(のち)、おほせらるべうや候(さうらふ)らん」

 大(だい)納(な)言(ごん)涙(なみだ)をはらはらと流(なが)いて、

「われ世(よ)にありし時(とき)は、娘(むすめ)どもをば女御(にようご)后(きさき)とこそ思(おも)ひしか。なみなみの人(ひと)に見(み)せんとは、かけても思(おも)はざりしものを」

 とて泣(な)かれければ、中将(ちゆうじやう)、

「今(いま)はそのことゆめゆめおぼしめし寄(よ)せたまふべからず。当腹(たうばら)の姫君(ひめぎみ)の十八(じふはち)になりたまふを」

 と申(まう)されけれども、大(だい)納(な)言(ごん)それをばなほ悲(かな)しきことに思(おぼ)して、先(さき)の腹(はら)の姫君(ひめぎみ)の二(に)十(じふ)三(さん)になりたまふをぞ、判(はう)官(ぐわん)には見(み)せられける。これも年(とし)こそ少(すこ)しおとなしうおはしけれど、眉目(みめ)容(かたち)美(うつく)しう、心(こころ)ざま優(いう)におはしければ、判(はう)官(ぐわん)ありがたう思(おも)ひ奉(たてまつ)って、もとの上(うへ)河(かは)越(ごえの)太(た)郎(らう)重頼(しげより)が娘(むすめ)もありしかども、これをば別(べち)の方(かた)に尋(じん)常(じやう)にしつらうてもてなしけり。

 さて女(によう)房(ばう)、件(くだん)の文(ふみ)のことをのたまひ出(いだ)されたりければ、判(はう)官(ぐわん)あまつさへ封(ふう)をも解(と)かず、急(いそ)ぎ時(とき)忠(ただの)卿(きやう)のもとへ送(おく)られけり。大(だい)納(な)言(ごん)斜(なな)めならず悦(よろこ)んで、やがて焼(や)きぞ捨(す)てられける。いかなる文(ふみ)どもにてありけん、おぼつかなうぞ聞(き)こえし。

 平(へい)家(け)滅(ほろ)びて、いつしか国々(くにぐに)静(しづ)まり、人(ひと)の通(かよ)ふも煩(わづら)ひなし。都(みやこ)も穏(おだ)しかりければ、

「ただ九(く)郎(らう)判(はう)官(ぐわん)ほどの人(ひと)はなし。鎌倉(かまくら)の源(げん)二位(にゐ)はなにごとをかし出(い)だしたる。世(よ)は一向(いつかう)判(はう)官(ぐわん)のままにてあらばや」

 などいふことを、源(げん)二位(にゐ)漏(も)れ聞(き)いて、

「こはいかに、頼朝(よりとも)がよく計(はか)らひて兵(つはもの)を差(さ)し上(のぼ)すればこそ、平(へい)家(け)はたやすう滅(ほろ)びたれ。九(く)郎(らう)ばかりしては、いかが世(よ)をばしづむべき。人(ひと)のかくいふにおごって、いつしか世(よ)をわがままにしたるにこそ。人(ひと)こそ多(おほ)けれ、平(へい)大(だい)納(な)言(ごん)の聟(むこ)になって、大(だい)納(な)言(ごん)を扱(あつか)ふなるも受(う)けられず。また世(よ)にもはばからず、大(だい)納(な)言(ごん)の聟(むこ)取(と)りいはれなし。これへ下(くだ)っても、定(さだ)めて過分(くわぶん)の振舞(ふるまひ)せんずらん」とぞのたまひける。

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