『源氏物語』第21帖「少女」原文全文

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」国貞『源氏香の図』

 このページでは、『源氏物語』第21帖「少女」の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『源氏物語』第21帖「少女」現代語訳全文をご覧ください。

目次

年変はりて、宮の御果ても過ぎぬれば

 年とし変かはりて、宮みやの御果おほんはても過すぎぬれば、世よの中なか色いろ改あらたまりて、更衣ころもがへのほどなども今いまめかしきを、まして祭まつりのころは、おほかたの空そらのけしき心地ここちよげなるに、前斎院さきのさいゐんはつれづれと眺ながめたまふを、前まへなる桂かつらの下風したかぜ、なつかしきにつけても、若わかき人ひとびとは思おもひ出いづることどもあるに、大殿おほとのより、

「御禊みそぎの日ひは、いかにのどやかに思おぼさるらむ」

 と、訪とぶらひきこえさせたまへり。

「今日けふは、

かけきやは川瀬かはせの波なみもたちかへり君きみが禊みそぎの藤ふぢのやつれを」

 紫むらさきの紙かみ、立文たてぶみすくよかにて、藤ふぢの花はなにつけたまへり。折をりのあはれなれば、御返おほんかへりあり。

「藤衣ふぢごろも着きしは昨日きのふと思おもふまに今日けふは禊みそぎの瀬せにかはる世よを

はかなく」

 とばかりあるを、例れいの、御目おほんめ止とめたまひて見みおはす。

 御服直おほんぶくなほしのほどなどにも、宣旨せんじのもとに、所狭ところせきまで、思おぼしやれることどもあるを、院ゐんは見苦みぐるしきことに思おぼしのたまへど、

「をかしやかに、けしきばめる御文おほんふみなどのあらばこそ、とかくも聞きこえ返かへさめ、年としごろも、おほやけざまの折々をりをりの御訪おほんとぶらひなどは聞きこえならはしたまひて、いとまめやかなれば、いかがは聞きこえも紛まぎらはすべからむ」

 と、もてわづらふべし。

女五の宮の御方にも

 女五をんなごの宮みやの御方おほんかたにも、かやうに折をり過すぐさず聞きこえたまへば、いとあはれに、

「この君きみの、昨日きのふ今日けふの稚児ちごと思おもひしを、かくおとなびて、訪とぶらひたまふこと。容貌かたちのいともきよらなるに添そへて、心こころさへこそ人ひとにはことに生おひ出いでたまへれ」

 と、ほめきこえたまふを、若わかき人ひとびとは笑わらひきこゆ。

 こなたにも対面たいめんしたまふ折をりは、

「この大臣おとどの、かくいとねむごろに聞きこえたまふめるを、何なにか、今いま始はじめたる御心みこころざしにもあらず。故宮こみやも、筋すぢ異ことになりたまひて、え見みたてまつりたまはぬ嘆なげきをしたまひては、思おもひ立たちしことをあながちにもて離はなれたまひしことなど、のたまひ出いでつつ、悔くやしげにこそ思おぼしたりし折々をりをりありしか。

されど、故大殿こおほとのの姫君ひめぎみものせられし限かぎりは、三さむの宮みやの思おもひたまはむことのいとほしさに、とかく言こと添そへきこゆることもなかりしなり。今いまは、そのやむごとなくえさらぬ筋すぢにてものせられし人ひとさへ、亡なくなられにしかば、げに、などてかは、さやうにておはせましも悪あしかるまじとうちおぼえはべるにも、さらがへりてかくねむごろに聞きこえたまふも、さるべきにもあらむとなむ思おもひはべる」

 など、いと古代こだいに聞きこえたまふを、心こころづきなしと思おぼして、

「故宮こみやにも、しか心こころごはきものに思おもはれたてまつりて過すぎはべりにしを、今いまさらに、また世よになびきはべらむも、いとつきなきことになむ」

 と聞きこえたまひて、恥はづかしげなる御みけしきなれば、しひてもえ聞きこえおもむけたまはず。

 宮人みやびとも、上かみ下しも、みな心こころかけきこえたれば、世よの中なかいとうしろめたくのみ思おぼさるれど、かの御おほんみづからは、わが心こころを尽つくし、あはれを見みえきこえて、人ひとの御みけしきのうちもゆるばむほどをこそ待まちわたりたまへ、さやうにあながちなるさまに、御心みこころ破やぶりきこえむなどは、思おぼさざるべし。

大殿腹の若君の御元服のこと

 大殿おほとの腹ばらの若君わかぎみの御元服ごげんぶくのこと、思おぼしいそぐを、二条にでうの院ゐんにてと思おぼせど、大宮おほみやのいとゆかしげに思おぼしたるもことわりに心苦こころぐるしければ、なほやがてかの殿とのにてせさせたてまつりたまふ。

 右大将うだいしゃうをはじめきこえて、御伯父おほんをぢの殿とのばら、みな上達部かむだちめのやむごとなき御おほんおぼえことにてのみものしたまへば、主人方あるじがたにも、我われも我われもと、さるべきことどもは、とりどりに仕つかうまつりたまふ。おほかた世よゆすりて、所狭ところせき御おほんいそぎの勢いきほひなり。

 四位しゐになしてむと思おぼし、世人よひとも、さぞあらむと思おもへるを、

「まだいときびはなるほどを、わが心こころにまかせたる世よにて、しかゆくりなからむも、なかなか目め馴なれたることなり」

 と思おぼしとどめつ。

 浅葱あさぎにて殿上てんじゃうに帰かへりたまふを、大宮おほみやは、飽あかずあさましきことと思おぼしたるぞ、ことわりにいとほしかりける。

 御対面おほんたいめんありて、このこと聞きこえたまふに、

「ただ今いま、かうあながちにしも、まだきに老おいつかすまじうはべれど、思おもふやうはべりて、大学だいがくの道みちにしばし習ならはさむの本意ほいはべるにより、今いま二に、三さん年ねんをいたづらの年としに思おもひなして、おのづから朝廷おほやけにも仕つかうまつりぬべきほどにならば、今いま、人ひととなりはべりなむ。

みづからは、九重ここのへのうちに生おひ出いではべりて、世よの中なかのありさまも知しりはべらず、夜よる昼ひる、御前おまへにさぶらひて、わづかになむはかなき書ふみなども習ならひはべりし。ただ、かしこき御手おほんてより伝つたへはべりしだに、何なにごとも広ひろき心こころを知しらぬほどは、文ふみの才ざえをまねぶにも、琴こと笛ふゑの調しらべにも、音ね耐たへず、及およばぬところの多おほくなむはべりける。

はかなき親おやに、かしこき子このまさる例ためしは、いとかたきことになむはべれば、まして、次々つぎつぎ伝つたはりつつ、隔へだたりゆかむほどの行ゆく先さき、いとうしろめたなきによりなむ、思おもひたまへおきてはべる。

高たかき家いへの子ことして、官位つかさ爵位かうぶり心こころにかなひ、世よの中なか盛さかりにおごりならひぬれば、学問がくもんなどに身みを苦くるしめむことは、いと遠とほくなむおぼゆべかめる。戯たはぶれ遊あそびを好このみて、心こころのままなる官爵くわんさくに昇のぼりぬれば、時ときに従したがふ世人よひとの、下したには鼻はなまじろきをしつつ、追従ついせうし、けしきとりつつ従したがふほどは、おのづから人ひととおぼえて、やむごとなきやうなれど、時とき移うつり、さるべき人ひとに立たちおくれて、世よ衰おとろふる末すゑには、人ひとに軽かるめあなづらるるに、取とるところなきことになむはべる。

なほ、才ざえをもととしてこそ、大和魂やまとだましひの世よに用もちゐらるる方かたも強つようはべらめ。さしあたりては、心こころもとなきやうにはべれども、つひの世よの重鎮おもしとなるべき心こころおきてを習ならひなば、はべらずなりなむ後のちも、うしろやすかるべきによりなむ。ただ今いまは、はかばかしからずながらも、かくて育はぐくみはべらば、せまりたる大学だいがくの衆しうとて、笑わらひあなづる人ひともよもはべらじと思おもうたまふる」

 など、聞きこえ知しらせたまへば、うち嘆なげきたまひて、

「げに、かくも思おぼし寄よるべかりけることを。この大将だいしゃうなども、あまり引ひき違たがへたる御おほんことなりと、かたぶけはべるめるを、この幼心地をさなごこちにも、いと口惜くちをしく、大将だいしゃう、左衛門さゑもんの督かみの子こどもなどを、我われよりは下臈げらふと思おもひおとしたりしだに、皆みなおのおの加階かかいし昇のぼりつつ、およすげあへるに、浅葱あさぎをいとからしと思おもはれたるに、心苦こころぐるしくはべるなり」

 と聞きこえたまへば、うち笑わらひたまひて、

「いとおよすげても恨うらみはべるななりな。いとはかなしや。この人ひとのほどよ」

 とて、いとうつくしと思おぼしたり。

「学問がくもんなどして、すこしものの心得こころえはべらば、その恨うらみはおのづから解とけはべりなむ」

 と聞きこえたまふ。

字つくることは、東の院にて

 字あざなつくることは、東ひむがしの院ゐんにてしたまふ。東ひむがしの対たいをしつらはれたり。上達部かむだちめ、殿上人てんじゃうびと、珍めづらしくいぶかしきことにして、我われも我われもと集つどひ参まゐりたまへり。博士はかせどももなかなか臆おくしぬべし。

「憚はばかるところなく、例れいあらむにまかせて、なだむることなく、厳きびしう行おこなへ」

 と仰おほせたまへば、しひてつれなく思おもひなして、家いへより他ほかに求もとめたる装束さうぞくどもの、うちあはず、かたくなしき姿すがたなどをも恥はぢなく、面おももち、声こわづかひ、むべむべしくもてなしつつ、座ざに着つき並ならびたる作法さはふよりはじめ、見みも知しらぬさまどもなり。

 若わかき君達きむだちは、え堪たへずほほ笑ゑまれぬ。さるは、もの笑わらひなどすまじく、過すぐしつつ静しづまれる限かぎりをと、選えり出いだして、瓶子へいじなども取とらせたまへるに、筋すぢ異ことなりけるまじらひにて、右大将うだいしゃう、民部卿みんぶきゃうなどの、おほなおほな土器かはらけとりたまへるを、あさましく咎とがめ出いでつつおろす。

「おほし、垣下かいもとあるじ、はなはだ非常ひざうにはべりたうぶ。かくばかりのしるしとあるなにがしを知しらずしてや、朝廷おほやけには仕つかうまつりたうぶ。はなはだをこなり」

 など言いふに、人ひとびと皆みなほころびて笑わらひぬれば、また、

「鳴なり高たかし。鳴なり止やまむ。はなはだ非常ひざうなり。座ざを引ひきて立たちたうびなむ」

 など、おどし言いふも、いとをかし。

 見みならひたまはぬ人ひとびとは、珍めづらしく興きようありと思おもひ、この道みちより出いで立たちたまへる上達部かむだちめなどは、したり顔がほにうちほほ笑ゑみなどしつつ、かかる方かたざまを思おぼし好このみて、心こころざしたまふがめでたきことと、いとど限かぎりなく思おもひきこえたまへり。

 いささかもの言いふをも制せいす。無礼なめげなりとても咎とがむ。かしかましうののしりをる顔かほどもも、夜よるに入いりては、なかなか今いますこし掲焉けちえんなる火影ほかげに、猿楽さるがうがましくわびしげに、人悪ひとわるげなるなど、さまざまに、げにいとなべてならず、さまことなるわざなりけり。

 大臣おとどは、

「いとあざれ、かたくななる身みにて、けうさうしまどはかされなむ」

 とのたまひて、御簾みすのうちに隠かくれてぞ御覧ごらんじける。

 数かず定さだまれる座ざに着つきあまりて、帰かへりまかづる大学だいがくの衆しうどもあるを聞きこしめして、釣殿つりどのの方かたに召めしとどめて、ことに物ものなど賜たまはせけり。

事果ててまかづる博士

 事こと果はててまかづる博士はかせ、才人さいじんども召めして、またまた詩文ふみ作つくらせたまふ。上達部かむだちめ、殿上人てんじゃうびとも、さるべき限かぎりをば、皆みなとどめさぶらはせたまふ。博士はかせの人ひとびとは、四韻しゐん、ただの人ひとは、大臣おとどをはじめたてまつりて、絶句ぜく作つくりたまふ。興きようある題だいの文字もじ選えりて、文章博士もんじゃうのはかせたてまつる。短みじかきころの夜よるなれば、明あけ果はててぞ講かうずる。左中弁さちうべん、講師かうじ仕つかうまつる。容貌かたちいときよげなる人ひとの、声こわづかひものものしく、神かむさびて読よみ上あげたるほど、おもしろし。おぼえ心こころことなる博士はかせなりけり。

 かかる高たかき家いへに生うまれたまひて、世界せかいの栄花えいぐわにのみ戯たはぶれたまふべき御身おほんみをもちて、窓まどの螢ほたるをむつび、枝えだの雪ゆきを馴ならしたまふ心こころざしのすぐれたるよしを、よろづのことによそへなずらへて、心々こころごころに作つくり集あつめたる句くごとにおもしろく、「唐土もろこしにも持もて渡わたり伝つたへまほしげなる夜よの詩文ふみどもなり」となむ、そのころ世よにめでゆすりける。

 大臣おとどの御おほんはさらなり。親おやめきあはれなることさへすぐれたるを、涙なみだおとして誦ずじ騷さわぎしかど、女をんなのえ知しらぬことまねぶは憎にくきことをと、うたてあれば漏もらしつ。

うち続き、入学といふこと

 うち続つづき、入学にふがくといふことせさせたまひて、やがて、この院ゐんのうちに御曹司みざうし作つくりて、まめやかに才ざえ深ふかき師しに預あづけきこえたまひてぞ、学問がくもんせさせたてまつりたまひける。

 大宮おほみやの御おほんもとにも、をさをさ参まうでたまはず。夜よる昼ひるうつくしみて、なほ稚児ちごのやうにのみもてなしきこえたまへれば、かしこにては、えもの習ならひたまはじとて、静しづかなる所ところに籠こめたてまつりたまへるなりけり。

「一月ひとつきに三み度たびばかりを参まゐりたまへ」

 とぞ、許ゆるしきこえたまひける。

 つと籠こもりゐたまひて、いぶせきままに、殿とのを、

「つらくもおはしますかな。かく苦くるしからでも、高たかき位くらゐに昇のぼり、世よに用もちゐらるる人ひとはなくやはある」

 と思おもひきこえたまへど、おほかたの人ひとがら、まめやかに、あだめきたるところなくおはすれば、いとよく念ねんじて、

「いかでさるべき書ふみどもとく読よみ果はてて、交まじらひもし、世よにも出いでたらむ」

 と思おもひて、ただ四よつき、五月いつつきのうちに、史記しきなどいふ書ふみ、読よみ果はてたまひてけり。

今は寮試受けさせむとて

 今いまは寮試れうし受うけさせむとて、まづ我わが御前おまへにて試こころみさせたまふ。

 例れいの、大将だいしゃう、左大弁さだいべん、式部大輔しきぶのたいふ、左中弁さちうべんなどばかりして、御師おほんしの大内記だいないきを召めして、史記しきの難かたき巻まき々まき、寮試れうし受うけむに、博士はかせのかへさふべきふしぶしを引ひき出いでて、一ひとわたり読よませたてまつりたまふに、至いたらぬ句くもなく、かたがたに通かよはし読よみたまへるさま、爪つまじるし残のこらず、あさましきまでありがたければ、

「さるべきにこそおはしけれ」

 と、誰たれも誰たれも、涙なみだ落おとしたまふ。大将だいしゃうは、まして、

「故大臣こおとどおはせましかば」

 と、聞きこえ出いでて泣なきたまふ。殿とのも、え心強こころづようもてなしたまはず、

「人ひとのうへにて、かたくななりと見み聞ききはべりしを、子このおとなぶるに、親おやの立たちかはり痴しれゆくことは、いくばくならぬ齢よはひながら、かかる世よにこそはべりけれ」

 などのたまひて、おし拭のごひたまふを見みる御師おほんしの心地ここち、うれしく面目めいぼくありと思おもへり。

 大将だいしゃう、盃さかづきさしたまへば、いたう酔ゑひ痴しれてをる顔かほつき、いと痩やせ痩やせなり。

 世よのひがものにて、才ざえのほどよりは用もちゐられず、すげなくて身み貧まづしくなむありけるを、御覧ごらんじ得うるところありて、かくとりわき召めし寄よせたるなりけり。

 身みに余あまるまで御顧おほんかへりみを賜たまはりて、この君きみの御徳おほんとくに、たちまちに身みを変かへたると思おもへば、まして行ゆく先さきは、並ならぶ人ひとなきおぼえにぞあらむかし。

大学に参りたまふ日は

 大学だいがくに参まゐりたまふ日ひは、寮門れうもんに、上達部かむだちめの御車みくるまども数かず知しらず集つどひたり。おほかた世よに残のこりたるあらじと見みえたるに、またなくもてかしづかれて、つくろはれ入いりたまへる冠者くわざの君きみの御おほんさま、げに、かかる交まじらひには堪たへず、あてにうつくしげなり。

 例れいの、あやしき者ものどもの立たちまじりつつ来きゐたる座ざの末すゑをからしと思おぼすぞ、いとことわりなるや。

 ここにてもまた、おろしののしる者ものどもありて、めざましけれど、すこしも臆おくせず読よみ果はてたまひつ。

 昔むかしおぼえて大学だいがくの栄さかゆるころなれば、上かみ中なか下しもの人ひと、我われも我われもと、この道みちに志こころざし集あつまれば、いよいよ、世よの中なかに、才ざえありはかばかしき人ひと多おほくなむありける。文人もんにん擬生ぎさうなどいふなることどもよりうちはじめ、すがすがしう果はてたまへれば、ひとへに心こころに入いれて、師しも弟子でしも、いとど励はげみましたまふ。

 殿とのにも、文作ふみつくりしげく、博士はかせ、才人さいじんども所ところ得えたり。すべて何なにごとにつけても、道々みちみちの人ひとの才ざえのほど現あらはるる世よになむありける。

かくて、后ゐたまふべきを

 かくて、后きさきゐたまふべきを、

「斎宮女御さいぐうのにょうごをこそは、母宮ははみやも、後見うしろみと譲ゆづりきこえたまひしかば」

 と、大臣おとどもことづけたまふ。源氏げんじのうちしきり后きさきにゐたまはむこと、世よの人ひと許ゆるしきこえず。

「弘徽殿こうきでんの、まづ人ひとより先さきに参まゐりたまひにしもいかが」

 など、うちうちに、こなたかなたに心寄こころよせきこゆる人ひとびと、おぼつかながりきこゆ。

 兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみやと聞きこえしは、今いまは式部卿しきぶきゃうにて、この御時おほんときにはましてやむごとなき御おほんおぼえにておはする、御女おほんむすめ、本意ほいありて参まゐりたまへり。同おなじごと、王女御わうのにょうごにてさぶらひたまふを、

「同おなじくは、御母方おほんははがたにて親したしくおはすべきにこそは、母后ははぎさきのおはしまさぬ御代おほんかはりの後見うしろみに」

 とことよせて、似につかはしかるべく、とりどりに思おぼし争あらそひたれど、なほ梅壺むめつぼゐたまひぬ。御幸おほんさいはひの、かく引ひきかへすぐれたまへりけるを、世よの人ひとおどろききこゆ。

 大臣おとど、太政大臣だいじゃうだいじんに上あがりたまひて、大将だいしゃう、内大臣ないだいじんになりたまひぬ。世よの中なかのことども政まつりごちたまふべく譲ゆづりきこえたまふ。人ひとがら、いとすくよかに、きらきらしくて、心こころもちゐなどもかしこくものしたまふ。学問がくもんを立たててしたまひければ、韻塞ゐんふたぎには負まけたまひしかど、公事おほやけごとにかしこくなむ。

 腹々はらばらに御子おほんこども十じふ余よ人にん、おとなびつつものしたまふも、次々つぎつぎになり出いでつつ、劣おとらず栄さかえたる御家おほんいへのうちなり。女をんなは、女御にょうごと今いま一所ひとところなむおはしける。わかむどほり腹ばらにて、あてなる筋すぢは劣おとるまじけれど、その母君ははぎみ、按察使大納言あぜちのだいなごんの北きたの方かたになりて、さしむかへる子こどもの数かず多おほくなりて、「それに混まぜて後のちの親おやに譲ゆづらむ、いとあいなし」とて、とり放はなちきこえたまひて、大宮おほみやにぞ預あづけきこえたまへりける。女御にょうごにはこよなく思おもひおとしきこえたまひつれど、人ひとがら、容貌かたちなど、いとうつくしくぞおはしける。

冠者の君、一つにて生ひ出でたまひ

 冠者くわざの君きみ、一ひとつにて生おひ出いでたまひしかど、おのおの十とをに余あまりたまひて後のちは、御方おほんかたことにて、

「むつましき人ひとなれど、男子をのこごにはうちとくまじきものなり」

 と、父大臣ちちおとど聞きこえたまひて、けどほくなりにたるを、幼心地をさなごこちに思おもふことなきにしもあらねば、はかなき花はな紅葉もみぢにつけても、雛遊ひひなあそびの追従ついせうをも、ねむごろにまつはれありきて、心こころざしを見みえきこえたまへば、いみじう思おもひ交かはして、けざやかには今いまも恥はぢきこえたまはず。

 御後見おほんうしろみどもも、

「何なにかは、若わかき御心みこころどちなれば、年としごろ見みならひたまへる御おほんあはひを、にはかにも、いかがはもて離はなれはしたなめはきこえむ」

 と見みるに、女君をんなぎみこそ何心なにごころなくおはすれど、男をとこは、さこそものげなきほどと見みきこゆれ、おほけなく、いかなる御仲おほんなからひにかありけむ、よそよそになりては、これをぞ静心しづこころなく思おもふべき。

 まだ片生かたおひなる手ての生おひ先さきうつくしきにて、書かき交かはしたまへる文ふみどもの、心こころ幼をさなくて、おのづから落おち散ちる折をりあるを、御方おほんかたの人ひとびとは、ほのぼの知しれるもありけれど、「何なにかは、かくこそ」と、誰たれにも聞きこえむ。見み隠かくしつつあるなるべし。

所々の大饗どもも果てて

 所々ところどころの大饗だいきゃうどもも果はてて、世よの中なかの御おほんいそぎもなく、のどやかになりぬるころ、時雨しぐれうちして、荻をぎの上風うはかぜもただならぬ夕暮ゆふぐれに、大宮おほみやの御方おほんかたに、内大臣うちのおとど参まゐりたまひて、姫君ひめぎみ渡わたしきこえたまひて、御琴おほんことなど弾ひかせたてまつりたまふ。宮みやは、よろづのものの上手じゃうずにおはすれば、いづれも伝つたへたてまつりたまふ。

「琵琶びはこそ、女をんなのしたるに憎にくきやうなれど、らうらうじきものにはべれ。今いまの世よにまことしう伝つたへたる人ひと、をさをさはべらずなりにたり。何なにの親王みこ、くれの源氏げんじ」

 など数かぞへたまひて、

「女をんなの中なかには、太政大臣おほきおとどの、山里やまざとに籠こめ置おきたまへる人ひとこそ、いと上手じゃうずと聞ききはべれ。物ものの上手じゃうずの後のちにはべれど、末すゑになりて、山賤やまがつにて年とし経へたる人ひとの、いかでさしも弾ひきすぐれけむ。かの大臣おとど、いと心こころことにこそ思おもひてのたまふ折々をりをりはべれ。こと事ごとよりは、遊あそびの方かたの才ざえはなほ広ひろう合あはせ、かれこれに通かよはしはべるこそ、かしこけれ、独ひとり事ごとにて、上手じゃうずとなりけむこそ、珍めづらしきことなれ」

 などのたまひて、宮みやにそそのかしきこえたまへば、

「柱ぢうさすことうひうひしくなりにけりや」

 とのたまへど、おもしろう弾ひきたまふ。

「幸さいはひにうち添そへて、なほあやしうめでたかりける人ひとなりや。老おいの世よに、持もたまへらぬ女子をんなごをまうけさせたてまつりて、身みに添そへてもやつしゐたらず、やむごとなきに譲ゆづれる心こころおきて、こともなかるべき人ひとなりとぞ聞ききはべる」

 など、かつ御物語おほんものがたり聞きこえたまふ。

女はただ心ばせよりこそ

「女をんなはただ心こころばせよりこそ、世よに用もちゐらるるものにはべりけれ」

 など、人ひとの上うへのたまひ出いでて、

「女御にょうごを、けしうはあらず、何なにごとも人ひとに劣おとりては生おひ出いでずかしと思おもひたまへしかど、思おもはぬ人ひとにおされぬる宿世すくせになむ、世よは思おもひのほかなるものと思おもひはべりぬる。この君きみをだに、いかで思おもふさまに見みなしはべらむ。春宮とうぐうの御元服ごげんぶく、ただ今いまのことになりぬるをと、人ひと知しれず思おもうたまへ心こころざしたるを、かういふ幸さいはひ人びとの腹はらの后きさきがねこそ、また追おひ次すぎぬれ。立たち出いでたまへらむに、ましてきしろふ人ひとありがたくや」

 とうち嘆なげきたまへば、

「などか、さしもあらむ。この家いへにさる筋すぢの人ひと出いでものしたまはで止やむやうあらじと、故大臣こおとどの思おもひたまひて、女御にょうごの御おほんことをも、ゐたちいそぎたまひしものを。おはせましかば、かくもてひがむることもなからまし」

 など、この御おほんことにてぞ、太政大臣おほきおとどをも恨うらめしげに思おもひきこえたまへる。

 姫君ひめぎみの御おほんさまの、いときびはにうつくしうて、箏しゃうの御琴おほんこと弾ひきたまふを、御髪みぐしのさがり、髪かむざしなどの、あてになまめかしきをうちまもりたまへば、恥はぢらひて、すこしそばみたまへるかたはらめ、つらつきうつくしげにて、取由とりゆの手てつき、いみじう作つくりたる物ものの心地ここちするを、宮みやも限かぎりなくかなしと思おぼしたり。掻かきあはせなど弾ひきすさびたまひて、押おしやりたまひつ。

大臣、和琴ひき寄せたまひて

 大臣おとど、和琴わごんひき寄よせたまひて、律りちの調しらべのなかなか今いまめきたるを、さる上手じゃうずの乱みだれて掻かい弾ひきたまへる、いとおもしろし。御前おまへの梢こずゑほろほろと残のこらぬに、老おい御達ごたちなど、ここかしこの御几帳みきちゃうのうしろに、かしらを集つどへたり。

「風かぜの力ちから蓋けだし寡すくなし」

 と、うち誦ずじたまひて、

「琴きんの感かんならねど、あやしくものあはれなる夕ゆふべかな。なほ、あそばさむや」

 とて、「秋風楽しうふうらく」に掻かきあはせて、唱歌さうがしたまへる声こゑ、いとおもしろければ、皆みなさまざま、大臣おとどをもいとうつくしと思おもひきこえたまふに、いとど添そへむとにやあらむ、冠者くわざの君きみ参まゐりたまへり。

「こなたに」とて、御几帳みきちゃう隔へだてて入いれたてまつりたまへり。

「をさをさ対面たいめんもえ賜たまはらぬかな。などかく、この御学問ごがくもんのあながちならむ。才ざえのほどよりあまり過すぎぬるもあぢきなきわざと、大臣おとども思おぼし知しれることなるを、かくおきてきこえたまふ、やうあらむとは思おもひたまへながら、かう籠こもりおはすることなむ、心苦こころぐるしうはべる」

 と聞きこえたまひて、

「時々ときどきは、ことわざしたまへ。笛ふゑの音ねにも古事ふることは、伝つたはるものなり」

 とて、御笛おほんふゑたてまつりたまふ。

 いと若わかうをかしげなる音ねに吹ふきたてて、いみじうおもしろければ、御琴おほんことどもをばしばし止とどめて、大臣おとど、拍子はうしおどろおどろしからずうち鳴ならしたまひて、

「萩はぎが花はな摺ずり」

 など歌うたひたまふ。

「大殿おほとのも、かやうの御遊おほんあそびに心こころ止とどめたまひて、いそがしき御政事おほんまつりごとどもをば逃のがれたまふなりけり。げに、あぢきなき世よに、心こころのゆくわざをしてこそ、過すぐしはべりなまほしけれ」

 などのたまひて、御土器おほんかはらけ参まゐりたまふに、暗くらうなれば、御殿油おほんとなぶら参まゐり、御湯漬おほんゆづけ、くだものなど、誰たれも誰たれもきこしめす。

 姫君ひめぎみはあなたに渡わたしたてまつりたまひつ。しひて気遠けどほくもてなしたまひ、「御琴おほんことの音ねばかりをも聞きかせたてまつらじ」と、今いまはこよなく隔へだてきこえたまふを、

「いとほしきことありぬべき世よなるこそ」

 と、近ちかう仕つかうまつる大宮おほみやの御方おほんかたのねび人びとども、ささめきけり。

大臣出でたまひぬるやうにて

 大臣おとど出いでたまひぬるやうにて、忍しのびて人ひとにもののたまふとて立たちたまへりけるを、やをらかい細ほそりて出いでたまふ道みちに、かかるささめき言ごとをするに、あやしうなりたまひて、御耳おほんみみとどめたまへば、わが御おほんうへをぞ言いふ。

「かしこがりたまへど、人ひとの親おやよ。おのづから、おれたることこそ出いで来くべかめれ」

「子こを知しるといふは、虚言そらごとなめり」

 などぞ、つきしろふ。

「あさましくもあるかな。さればよ。思おもひ寄よらぬことにはあらねど、いはけなきほどにうちたゆみて。世よは憂うきものにもありけるかな」

 と、けしきをつぶつぶと心得こころえたまへど、音おともせで出いでたまひぬ。

 御前駆おほんさき追おふ声こゑのいかめしきにぞ、

「殿とのは、今いまこそ出いでさせたまひけれ」

「いづれの隈くまにおはしましつらむ」

「今いまさへかかるあだけこそ」

 と言いひあへり。ささめき言ごとの人ひとびとは、

「いとかうばしき香かのうちそよめき出いでつるは、冠者くわざの君きみのおはしつるとこそ思おもひつれ」

「あな、むくつけや。しりう言ごとや、ほの聞きこしめしつらむ。わづらはしき御心みこころを」

 と、わびあへり。

 殿とのは、道みちすがら思おぼすに、

「いと口惜くちをしく悪あしきことにはあらねど、めづらしげなきあはひに、世人よひとも思おもひ言いふべきこと。大臣おとどの、しひて女御にょうごをおし沈しづめたまふもつらきに、わくらばに、人ひとにまさることもやとこそ思おもひつれ、ねたくもあるかな」

 と思おぼす。殿とのの御仲おほんなかの、おほかたには昔むかしも今いまもいとよくおはしながら、かやうの方かたにては、挑いどみきこえたまひし名残なごりも思おぼし出いでて、心憂こころうければ、寝覚ねざめがちにて明あかしたまふ。

「大宮おほみやをも、さやうのけしきには御覧ごらんずらむものを、世よになくかなしくしたまふ御孫おほんむまごにて、まかせて見みたまふならむ」

 と、人ひとびとの言いひしけしきを、ねたしと思おぼすに、御心みこころ動うごきて、すこし男々ををしくあざやぎたる御心みこころには、静しづめがたし。

二日ばかりありて、参りたまへり

 二日ふつかばかりありて、参まゐりたまへり。しきりに参まゐりたまふ時ときは、大宮おほみやもいと御心みこころゆき、うれしきものに思おぼいたり。御尼額おほんあまびたひひきつくろひ、うるはしき御小袿おほんこうちきなどたてまつり添そへて、子こながら恥はづかしげにおはする御人おほんひとざまなれば、まほならずぞ見みえたてまつりたまふ。

 大臣おとど御みけしき悪あしくて、

「ここにさぶらふもはしたなく、人ひとびといかに見みはべらむと、心置こころおかれにたり。はかばかしき身みにはべらねど、世よにはべらむ限かぎり、御目おほんめ離かれず御覧ごらんぜられ、おぼつかなき隔へだてなくとこそ思おもひたまふれ。

よからぬもののうへにて、恨うらめしと思おもひきこえさせつべきことの出いでまうで来きたるを、かうも思おもうたまへじとかつは思おもひたまふれど、なほ静しづめがたくおぼえはべりてなむ」

 と、涙なみだおし拭のごひたまふに、宮みや、化粧けさうじたまへる御顔おほんかほの色いろ違たがひて、御目おほんめも大おほきになりぬ。

「いかやうなることにてか、今いまさらの齢よはひの末すゑに、心置こころおきては思おぼさるらむ」

 と聞きこえたまふも、さすがにいとほしけれど、

「頼たのもしき御蔭おほんかげに、幼をさなき者ものをたてまつりおきて、みづからをばなかなか幼をさなくより見みたまへもつかず、まづ目めに近ちかきが、交まじらひなどはかばかしからぬを、見みたまへ嘆なげきいとなみつつ、さりとも人ひととなさせたまひてむと頼たのみわたりはべりつるに、思おもはずなることのはべりければ、いと口惜くちをしうなむ。

まことに天あめの下した並ならぶ人ひとなき有職いうそくにはものせらるめれど、親したしきほどにかかるは、人ひとの聞きき思おもふところも、あはつけきやうになむ、何なにばかりのほどにもあらぬ仲なからひにだにしはべるを、かの人ひとの御おほんためにも、いとかたはなることなり。さし離はなれ、きらきらしうめづらしげあるあたりに、今いまめかしうもてなさるるこそ、をかしけれ。ゆかりむつび、ねぢけがましきさまにて、大臣おとども聞きき思おぼすところはべりなむ。

さるにても、かかることなむと、知しらせたまひて、ことさらにもてなし、すこしゆかしげあることをまぜてこそはべらめ。幼をさなき人ひとびとの心こころにまかせて御覧ごらんじ放はなちけるを、心憂こころうく思おもうたまふ」

 など聞きこえたまふに、夢ゆめにも知しりたまはぬことなれば、あさましう思おぼして、

「げに、かうのたまふもことわりなれど、かけてもこの人ひとびとの下したの心こころなむ知しりはべらざりける。げに、いと口惜くちをしきことは、ここにこそまして嘆なげくべくはべれ。もろともに罪つみをおほせたまふは、恨うらめしきことになむ。

見みたてまつりしより、心こころことに思おもひはべりて、そこに思おぼしいたらぬことをも、すぐれたるさまにもてなさむとこそ、人ひと知しれず思おもひはべれ。ものげなきほどを、心こころの闇やみに惑まどひて、急いそぎものせむとは思おもひ寄よらぬことになむ。

さても、誰たれかはかかることは聞きこえけむ。よからぬ世よの人ひとの言ことにつきて、きはだけく思おぼしのたまふも、あぢきなく、むなしきことにて、人ひとの御名おほんなや汚けがれむ」

 とのたまへば、

「何なにの、浮うきたることにかはべらむ。さぶらふめる人ひとびとも、かつは皆みなもどき笑わらふべかめるものを、いと口惜くちをしく、やすからず思おもうたまへらるるや」

 とて、立たちたまひぬ。

 心こころ知しれるどちは、いみじういとほしく思おもふ。一夜ひとよのしりう言ごとの人ひとびとは、まして心地ここちも違たがひて、「何なににかかる睦物語むつものがたりをしけむ」と、思おもひ嘆なげきあへり。

姫君は、何心もなくておはするに

 姫君ひめぎみは、何心なにごころもなくておはするに、さしのぞきたまへれば、いとらうたげなる御おほんさまを、あはれに見みたてまつりたまふ。

「若わかき人ひとといひながら、心幼こころをさなくものしたまひけるを知しらで、いとかく人ひとなみなみに思おもひける我われこそ、まさりてはかなかりけれ」

 とて、御乳母おほんめのとどもをさいなみたまふに、聞きこえむ方かたなし。

「かやうのことは、限かぎりなき帝みかどの御おほんいつき女むすめも、おのづから過あやまつ例ためし、昔物語むかしものがたりにもあめれど、けしきを知しり伝つたふる人ひと、さるべき隙ひまにてこそあらめ」

「これは、明あけ暮くれ立たちまじりたまひて年としごろおはしましつるを、何なにかは、いはけなき御おほんほどを、宮みやの御おほんもてなしよりさし過すぐしても、隔へだてきこえさせむと、うちとけて過すぐしきこえつるを、一昨年をととしばかりよりは、けざやかなる御おほんもてなしになりにてはべるめるに、若わかき人ひととても、うち紛まぎればみ、いかにぞや、世よづきたる人ひともおはすべかめるを、夢ゆめに乱みだれたるところおはしまさざめれば、さらに思おもひ寄よらざりけること」

 と、おのがどち嘆なげく。

「よし、しばし、かかること漏もらさじ。隠かくれあるまじきことなれど、心こころをやりて、あらぬこととだに言いひなされよ。今いまかしこに渡わたしたてまつりてむ。宮みやの御心みこころのいとつらきなり。そこたちは、さりとも、いとかかれとしも、思おもはれざりけむ」

 とのたまへば、「いとほしきなかにも、うれしくのたまふ」と思おもひて、

「あな、いみじや。大納言殿だいなごんどのに聞ききたまはむことをさへ思おもひはべれば、めでたきにても、ただ人うどの筋すぢは、何なにのめづらしさにか思おもひたまへかけむ」

 と聞きこゆ。

 姫君ひめぎみは、いと幼をさなげなる御おほんさまにて、よろづに申まうしたまへども、かひあるべきにもあらねば、うち泣なきたまひて、

「いかにしてか、いたづらになりたまふまじきわざはすべからむ」

 と、忍しのびてさるべきどちのたまひて、大宮おほみやをのみぞ恨うらみきこえたまふ。

宮は、いといとほしと思すなかにも

 宮みやは、いといとほしと思おぼすなかにも、男君をとこぎみの御おほんかなしさはすぐれたまふにやあらむ、かかる心こころのありけるも、うつくしう思おぼさるるに、情なさけなく、こよなきことのやうに思おぼしのたまへるを、

「などかさしもあるべき。もとよりいたう思おもひつきたまふことなくて、かくまでかしづかむとも思おぼし立たたざりしを、わがかくもてなしそめたればこそ、春宮とうぐうの御おほんことをも思おぼしかけためれ。とりはづして、ただ人うどの宿世すくせあらば、この君きみよりほかにまさるべき人ひとやはある。容貌かたち、ありさまよりはじめて、等ひとしき人ひとのあるべきかは。これより及およびなからむ際きはにもとこそ思おもへ」

 と、わが心こころざしのまさればにや、大臣おとどを恨うらめしう思おもひきこえたまふ。御心みこころのうちを見みせたてまつりたらば、ましていかに恨うらみきこえたまはむ。

かく騒がるらむとも知らで

 かく騒さわがるらむとも知しらで、冠者くわざの君きみ参まゐりたまへり。一夜ひとよも人目ひとめしげうて、思おもふことをもえ聞きこえずなりにしかば、常つねよりもあはれにおぼえたまひければ、夕ゆふつ方かたおはしたるなるべし。

 宮みや、例れいは是非ぜひ知しらず、うち笑ゑみて待まちよろこびきこえたまふを、まめだちて物語ものがたりなど聞きこえたまふついでに、

「御おほんことにより、内大臣うちのおとどの怨ゑんじてものしたまひにしかば、いとなむいとほしき。ゆかしげなきことをしも思おもひそめたまひて、人ひとにもの思おもはせたまひつべきが心苦こころぐるしきこと。かうも聞きこえじと思おもへど、さる心こころも知しりたまはでやと思おもへばなむ」

 と聞きこえたまへば、心こころにかかれることの筋すぢなれば、ふと思おもひ寄よりぬ。面おもて赤あかみて、

「何なにごとにかはべらむ。静しづかなる所ところに籠こもりはべりにしのち、ともかくも人ひとに交まじる折をりなければ、恨うらみたまふべきことはべらじとなむ思おもひたまふる」

 とて、いと恥はづかしと思おもへるけしきを、あはれに心苦こころぐるしうて、

「よし。今いまよりだに用意よういしたまへ」

 とばかりにて、異事ことごとに言いひなしたまうつ。

いとど文なども通はむことの

「いとど文ふみなども通かよはむことのかたきなめり」と思おもふに、いと嘆なげかしう、物もの参まゐりなどしたまへど、さらに参まゐらで、寝ねたまひぬるやうなれど、心こころも空そらにて、人ひと静しづまるほどに、中障子なかさうじを引ひけど、例れいはことに鎖さし固かためなどもせぬを、つと鎖さして、人ひとの音おともせず。いと心細こころぼそくおぼえて、障子さうじに寄よりかかりてゐたまへるに、女君をんなぎみも目めを覚さまして、風かぜの音おとの竹たけに待まちとられて、うちそよめくに、雁かりの鳴なきわたる声こゑの、ほのかに聞きこゆるに、幼をさなき心地ここちにも、とかく思おぼし乱みだるるにや、

「雲居くもゐの雁かりもわがごとや」

 と、独ひとりごちたまふけはひ、若わかうらうたげなり。

 いみじう心こころもとなければ、

「これ、開あけさせたまへ。小侍従こじじうやさぶらふ」

 とのたまへど、音おともせず。御乳母子おほんめのとごなりけり。独ひとり言ごとを聞ききたまひけるも恥はづかしうて、あいなく御顔おほんかほも引ひき入いれたまへど、あはれは知しらぬにしもあらぬぞ憎にくきや。乳母めのとたちなど近ちかく臥ふして、うちみじろくも苦くるしければ、かたみに音おともせず。

「さ夜中よなかに友とも呼よびわたる雁かりが音ねにうたて吹ふき添そふ荻をぎの上風うはかぜ」

「身みにしみけるかな」と思おもひ続つづけて、宮みやの御前おまへに帰かへりて嘆なげきがちなるも、「御目おほんめ覚さめてや聞きかせたまふらむ」とつつましく、みじろき臥ふしたまへり。

 あいなくもの恥はづかしうて、わが御方おほんかたにとく出いでて、御文おほんふみ書かきたまへれど、小侍従こじじうもえ逢あひたまはず、かの御方おほんかたざまにもえ行ゆかず、胸むねつぶれておぼえたまふ。

 女をんなはた、騒さわがれたまひしことのみ恥はづかしうて、「わが身みやいかがあらむ、人ひとやいかが思おもはむ」とも深ふかく思おぼし入いれず、をかしうらうたげにて、うち語かたらふさまなどを、疎うとましとも思おもひ離はなれたまはざりけり。

 また、かう騒さわがるべきこととも思おぼさざりけるを、御後見おほんうしろみどももいみじうあはめきこゆれば、え言ことも通かよはしたまはず。おとなびたる人ひとや、さるべき隙ひまをも作つくり出いづらむ、男君をとこぎみも、今いますこしものはかなき年としのほどにて、ただいと口惜くちをしとのみ思おもふ。

大臣は、そのままに参りたまはず

 大臣おとどは、そのままに参まゐりたまはず、宮みやをいとつらしと思おもひきこえたまふ。北きたの方かたには、かかることなむと、けしきも見みせたてまつりたまはず、ただおほかた、いとむつかしき御みけしきにて、

「中宮ちうぐうのよそほひことにて参まゐりたまへるに、女御にょうごの世よの中なか思おもひしめりてものしたまふを、心苦こころぐるしう胸むねいたきに、まかでさせたてまつりて、心こころやすくうち休やすませたてまつらむ。さすがに、主上うへにつとさぶらはせたまひて、夜よる昼ひるおはしますめれば、ある人ひとびとも心こころゆるびせず、苦くるしうのみわぶめるに」

 とのたまひて、にはかにまかでさせたてまつりたまふ。御暇おほんいとまも許ゆるされがたきを、うちむつかりたまて、主上うへはしぶしぶに思おぼし召めしたるを、しひて御迎おほんむかへしたまふ。

「つれづれに思おぼされむを、姫君ひめぎみ渡わたして、もろともに遊あそびなどしたまへ。宮みやに預あづけたてまつりたる、うしろやすけれど、いとさくじりおよすけたる人ひと立たちまじりて、おのづから気近けぢかきも、あいなきほどになりにたればなむ」

 と聞きこえたまひて、にはかに渡わたしきこえたまふ。

 宮みや、いとあへなしと思おぼして、

「ひとりものせられし女むすめ亡なくなりたまひてのち、いとさうざうしく心細こころぼそかりしに、うれしうこの君きみを得えて、生いける限かぎりのかしづきものと思おもひて、明あけ暮くれにつけて、老おいのむつかしさも慰なぐさめむとこそ思おもひつれ、思おもひのほかに隔へだてありて思おぼしなすも、つらく」

 など聞きこえたまへば、うちかしこまりて、

「心こころに飽あかず思おもうたまへらるることは、しかなむ思おもうたまへらるるとばかり聞きこえさせしになむ。深ふかく隔へだて思おもひたまふることは、いかでかはべらむ。

内裏うちにさぶらふが、世よの中なか恨うらめしげにて、このころまかでてはべるに、いとつれづれに思おもひて屈くしはべれば、心苦こころぐるしう見みたまふるを、もろともに遊あそびわざをもして慰なぐさめよと思おもうたまへてなむ、あからさまにものしはべる」とて、「育はぐくみ、人ひととなさせたまへるを、おろかにはよも思おもひきこえさせじ」

 と申まうしたまへば、かう思おぼし立たちにたれば、止とどめきこえさせたまふとも、思おぼし返かへすべき御心みこころならぬに、いと飽あかず口惜くちをしう思おぼされて、

「人ひとの心こころこそ憂うきものはあれ。とかく幼をさなき心こころどもにも、われに隔へだてて疎うとましかりけることよ。また、さもこそあらめ、大臣おとどの、ものの心こころを深ふかう知しりたまひながら、われを怨ゑんじて、かく率ゐて渡わたしたまふこと。かしこにて、これよりうしろやすきこともあらじ」

 と、うち泣なきつつのたまふ。

折しも冠者の君参りたまへり

 折をりしも冠者くわざの君きみ参まゐりたまへり。「もしいささかの隙ひまもや」と、このころはしげうほのめきたまふなりけり。内大臣うちのおとどの御車みくるまのあれば、心こころの鬼おににはしたなくて、やをら隠かくれて、わが御方おほんかたに入いりゐたまへり。

 内大殿うちのおほとのの君達きむだち、左少将させうしゃう、少納言せうなごん、兵衛佐ひゃうゑのすけ、侍従じじう、大夫たいふなどいふも、皆みなここには参まゐり集つどひたれど、御簾みすの内うちは許ゆるしたまはず。

 左兵衛督さひゃうゑのかみ、権中納言ごんちうなごんなども、異こと御腹おほんはらなれど、故殿ことのの御おほんもてなしのままに、今いまも参まゐり仕つかうまつりたまふことねむごろなれば、その御子おほんこどももさまざま参まゐりたまへど、この君きみに似にるにほひなく見みゆ。

 大宮おほみやの御心みこころざしも、なずらひなく思おぼしたるを、ただこの姫君ひめぎみをぞ、気近けぢかうらうたきものと思おぼしかしづきて、御おほんかたはらさけず、うつくしきものに思おぼしたりつるを、かくて渡わたりたまひなむが、いとさうざうしきことを思おぼす。

 殿とのは、

「今いまのほどに、内裏うちに参まゐりはべりて、夕ゆふつ方かた迎むかへに参まゐりはべらむ」

 とて、出いでたまひぬ。

「いふかひなきことを、なだらかに言いひなして、さてもやあらまし」と思おぼせど、なほ、いと心こころやましければ、「人ひとの御おほんほどのすこしものものしくなりなむに、かたはならず見みなして、そのほど、心こころざしの深ふかさ浅あささのおもむきをも見定みさだめて、許ゆるすとも、ことさらなるやうにもてなしてこそあらめ。制せいし諌いさむとも、一所ひとところにては、幼をさなき心こころのままに、見苦みぐるしうこそあらめ。宮みやも、よもあながちに制せいしたまふことあらじ」

 と思おぼせば、女御にょうごの御おほんつれづれにことつけて、ここにもかしこにもおいらかに言いひなして、渡わたしたまふなりけり。

宮の御文にて

 宮みやの御文おほんふみにて、

「大臣おとどこそ、恨うらみもしたまはめ、君きみは、さりとも心こころざしのほども知しりたまふらむ。渡わたりて見みえたまへ」

 と聞きこえたまへれば、いとをかしげにひきつくろひて渡わたりたまへり。十四じふしになむおはしける。かたなりに見みえたまへど、いと子こめかしう、しめやかに、うつくしきさましたまへり。

「かたはらさけたてまつらず、明あけ暮くれのもてあそびものに思おもひきこえつるを、いとさうざうしくもあるべきかな。残のこりすくなき齢よはひのほどにて、御おほんありさまを見み果はつまじきことと、命いのちをこそ思おもひつれ、今いまさらに見捨みすてて移うつろひたまふや、いづちならむと思おもへば、いとこそあはれなれ」

 とて泣なきたまふ。姫君ひめぎみは、恥はづかしきことを思おぼせば、顔かほももたげたまはで、ただ泣なきにのみ泣なきたまふ。男君をとこぎみの御乳母おほんめのと、宰相さいしゃうの君きみ出いで来きて、

「同おなじ君きみとこそ頼たのみきこえさせつれ、口惜くちをしくかく渡わたらせたまふこと。殿とのはことざまに思おぼしなることおはしますとも、さやうに思おぼしなびかせたまふな」

 など、ささめき聞きこゆれば、いよいよ恥はづかしと思おぼして、物ものものたまはず。

「いで、むつかしきことな聞きこえられそ。人ひとの御宿世おほんすくせ宿世すくせ、いと定さだめがたく」

 とのたまふ。

「いでや、ものげなしとあなづりきこえさせたまふにはべるめりかし。さりとも、げに、わが君きみ人ひとに劣おとりきこえさせたまふと、聞きこしめし合あはせよ」

 と、なま心こころやましきままに言いふ。

 冠者くわざの君きみ、物もののうしろに入いりゐて見みたまふに、人ひとの咎とがめむも、よろしき時ときこそ苦くるしかりけれ、いと心細こころぼそくて、涙なみだおし拭のごひつつおはするけしきを、御乳母おほんめのと、いと心苦こころぐるしう見みて、宮みやにとかく聞きこえたばかりて、夕ゆふまぐれの人ひとのまよひに、対面たいめんせさせたまへり。

 かたみにもの恥はづかしく胸むねつぶれて、物ものも言いはで泣なきたまふ。

「大臣おとどの御心みこころのいとつらければ、さはれ、思おもひやみなむと思おもへど、恋こひしうおはせむこそわりなかるべけれ。などて、すこし隙ひまありぬべかりつる日ひごろ、よそに隔へだてつらむ」

 とのたまふさまも、いと若わかうあはれげなれば、

「まろも、さこそはあらめ」

 とのたまふ。

「恋こひしとは思おぼしなむや」

 とのたまへば、すこしうなづきたまふさまも、幼をさなげなり。

御殿油参り、殿まかでたまふけはひ

 御殿油おほんとなぶら参まゐり、殿とのまかでたまふけはひ、こちたく追おひののしる御前駆おほんさきの声こゑに、人ひとびと、

「そそや」

 など懼おぢ騒さわげば、いと恐おそろしと思おぼしてわななきたまふ。さも騒さわがればと、ひたぶる心こころに、許ゆるしきこえたまはず。御乳母おほんめのと参まゐりてもとめたてまつるに、けしきを見みて、

「あな、心こころづきなや。げに、宮みや知しらせたまはぬことにはあらざりけり」

 と思おもふに、いとつらく、

「いでや、憂うかりける世よかな。殿とのの思おぼしのたまふことは、さらにも聞きこえず、大納言殿だいなごんどのにもいかに聞きかせたまはむ。めでたくとも、もののはじめの六位ろくゐ宿世すくせよ」

 と、つぶやくもほの聞きこゆ。ただこの屏風びゃうぶのうしろに尋たづね来きて、嘆なげくなりけり。

 男君をとこぎみ、「我われをば位くらゐなしとて、はしたなむるなりけり」と思おぼすに、世よの中なか恨うらめしければ、あはれもすこしさむる心地ここちして、めざまし。

「かれ聞ききたまへ。

くれなゐの涙なみだに深ふかき袖そでの色いろを浅緑あさみどりにや言いひしをるべき

恥はづかし」

 とのたまへば、

「いろいろに身みの憂うきほどの知しらるるはいかに染そめける中なかの衣ころもぞ」

 と、物もののたまひ果はてぬに、殿との入いりたまへば、わりなくて渡わたりたまひぬ。

 男君をとこぎみは、立たちとまりたる心地ここちも、いと人悪ひとわるく、胸むねふたがりて、わが御方おほんかたに臥ふしたまひぬ。

 御車おほんくるま三みつばかりにて、忍しのびやかに急いそぎ出いでたまふけはひを聞きくも、静心しづごころなければ、宮みやの御前おまへより、「参まゐりたまへ」とあれど、寝ねたるやうにて動うごきもしたまはず。

 涙なみだのみ止とまらねば、嘆なげきあかして、霜しものいと白しろきに急いそぎ出いでたまふ。うちはれたるまみも、人ひとに見みえむが恥はづかしきに、宮みやはた、召めしまつはすべかめれば、心こころやすき所ところにとて、急いそぎ出いでたまふなりけり。

 道みちのほど、人ひとやりならず、心細こころぼそく思おもひ続つづくるに、空そらのけしきもいたう雲くもりて、まだ暗くらかりけり。

「霜しも氷こほりうたてむすべる明あけぐれの空そらかきくらし降ふる涙なみだかな」

大殿には、今年、五節たてまつりたまふ

 大殿おほとのには、今年ことし、五節ごせちたてまつりたまふ。何なにばかりの御おほんいそぎならねど、童女わらはべの装束さうぞくなど、近ちかうなりぬとて、急いそぎせさせたまふ。

 東ひむがしの院ゐんには、参まゐりの夜よの人ひとびとの装束さうぞくせさせたまふ。殿とのには、おほかたのことども、中宮ちうぐうよりも、童わらは、下仕しもづかへの料れうなど、えならでたてまつれたまへり。

 過すぎにし年とし、五節ごせちなど止とまれりしが、さうざうしかりし積つもり取とり添そへ、上人うへびとの心地ここちも、常つねよりもはなやかに思おもふべかめる年としなれば、所々ところどころ挑いどみて、いといみじくよろづを尽つくしたまふ聞きこえあり。

 按察使大納言あぜちのだいなごん、左衛門督さゑもんのかみ、上うへの五節ごせちには、良清よしきよ、今いまは近江守あふみのかみにて左中弁さちうべんなるなむ、たてまつりける。皆みな止とどめさせたまひて、宮仕みやづかへすべく、仰おほせ言ごとことなる年としなれば、女むすめをおのおのたてまつりたまふ。

 殿とのの舞姫まひひめは、惟光朝臣これみつのあそむの、津守つのかみにて左京大夫さきゃうのだいぶかけたるが女むすめ、容貌かたちなどいとをかしげなる聞きこえあるを召めす。からいことに思おもひたれど、

「大納言だいなごんの、外腹ほかばらの女むすめをたてまつらるなるに、朝臣あそむのいつき女むすめ出いだし立たてたらむ、何なにの恥はぢかあるべき」

 と苛さいなめば、わびて、同おなじくは宮仕みやづかへやがてせさすべく思おもひおきてたり。

 舞まひ習ならはしなどは、里さとにていとよう仕立したてて、かしづきなど、親したしう身みに添そふべきは、いみじう選えり整ととのへて、その日ひの夕ゆふつけて参まゐらせたり。

 殿とのにも、御方々おほんかたがたの童女わらはべ、下仕しもづかへのすぐれたるをと、御覧ごらんじ比くらべ、選えり出いでらるる心地ここちどもは、ほどほどにつけて、いとおもだたしげなり。

 御前おまへに召めして御覧ごらんぜむうちならしに、御前おまへを渡わたらせてと定さだめたまふ。捨すつべうもあらず、とりどりなる童女わらはべの様体やうだい、容貌かたちを思おぼしわづらひて、

「今いま一所ひとところの料れうを、これよりたてまつらばや」

 など笑わらひたまふ。ただもてなし用意よういによりてぞ選えらびに入いりける。

大学の君、胸のみふたがりて

 大学だいがくの君きみ、胸むねのみふたがりて、物ものなども見入みいれられず、屈くむじいたくて、書ふみも読よまで眺ながめ臥ふしたまへるを、心こころもや慰なぐさむと立たち出いでて、紛まぎれありきたまふ。

 さま、容貌かたちはめでたくをかしげにて、静しづやかになまめいたまへれば、若わかき女房にょうばうなどは、いとをかしと見みたてまつる。

 上うへの御方おほんかたには、御簾みすの前まへにだに、もの近ちかうももてなしたまはず。わが御心みこころならひ、いかに思おぼすにかありけむ、疎々うとうとしければ、御達ごたちなども気遠けどほきを、今日けふはものの紛まぎれに、入いり立たちたまへるなめり。

 舞姫まひひめかしづき下おろして、妻戸つまどの間まに屏風びゃうぶなど立たてて、かりそめのしつらひなるに、やをら寄よりてのぞきたまへば、悩なやましげにて添そひ臥ふしたり。

 ただ、かの人ひとの御おほんほどと見みえて、今いますこしそびやかに、様体やうだいなどのことさらび、をかしきところはまさりてさへ見みゆ。暗くらければ、こまかには見みえねど、ほどのいとよく思おもひ出いでらるるさまに、心こころ移うつるとはなけれど、ただにもあらで、衣きぬの裾すそを引ひき鳴ならいたまふに、何心なにごころもなく、あやしと思おもふに、

「天あめにます豊岡姫とよをかひめの宮人みやびともわが心こころざすしめを忘わするな

乙女子をとめごが袖そで振ふる山やまの瑞垣みづがきの」

 とのたまふぞ、うちつけなりける。

 若わかうをかしき声こゑなれど、誰たれともえ思おもひたどられず、なまむつかしきに、化粧けさうじ添そふとて、騷さわぎつる後見うしろみども、近ちかう寄よりて人ひと騒さわがしうなれば、いと口惜くちをしうて、立たち去さりたまひぬ。

浅葱の心やましければ

 浅葱あさぎの心こころやましければ、内裏うちへ参まゐることもせず、もの憂うがりたまふを、五節ごせちにことつけて、直衣なほしなど、さま変かはれる色いろ聴ゆるされて参まゐりたまふ。きびはにきよらなるものから、まだきにおよすけて、されありきたまふ。帝みかどよりはじめたてまつりて、思おぼしたるさまなべてならず、世よにめづらしき御おほんおぼえなり。

 五節ごせちの参まゐる儀式ぎしきは、いづれともなく、心々こころごころに二になくしたまへるを、「舞姫まひひめの容貌かたち、大殿おほとのと大納言だいなごんとはすぐれたり」とめでののしる。げに、いとをかしげなれど、ここしううつくしげなることは、なほ大殿おほとののには、え及およぶまじかりけり。

 ものきよげに今いまめきて、そのものとも見みゆまじう仕立したてたる様体やうだいなどの、ありがたうをかしげなるを、かう誉ほめらるるなめり。例れいの舞姫まひひめどもよりは、皆みなすこしおとなびつつ、げに心こころことなる年としなり。

 殿との参まゐりたまひて御覧ごらんずるに、昔むかし御目おほんめとまりたまひし少女をとめの姿すがた思おぼし出いづ。辰たつの日ひの暮くれつ方かたつかはす。御文おほんふみのうち思おもひやるべし。

「乙女子をとめごも神かみさびぬらし天あまつ袖そで古ふるき世よの友ともよはひ経へぬれば」

 年月としつきの積つもりを数かぞへて、うち思おぼしけるままのあはれを、え忍しのびたまはぬばかりの、をかしうおぼゆるも、はかなしや。

「かけて言いへば今日けふのこととぞ思おもほゆる日蔭ひかげの霜しもの袖そでにとけしも」

 青摺あをずりの紙かみよくとりあへて、紛まぎらはし書かいたる、濃墨こずみ、薄墨うすずみ、草さうがちにうち交まぜ乱みだれたるも、人ひとのほどにつけてはをかしと御覧ごらんず。

 冠者くわざの君きみも、人ひとの目めとまるにつけても、人ひと知しれず思おもひありきたまへど、あたり近ちかくだに寄よせず、いとけけしうもてなしたれば、ものつつましきほどの心こころには、嘆なげかしうてやみぬ。容貌かたちはしも、いと心こころにつきて、つらき人ひとの慰なぐさめにも、見みるわざしてむやと思おもふ。

やがて皆とめさせたまひて

 やがて皆みなとめさせたまひて、宮仕みやづかへすべき御みけしきありけれど、このたびはまかでさせて、近江あふみのは辛崎からさきの祓はらへ、津つの守かみは難波なにはと、挑いどみてまかでぬ。大納言だいなごんもことさらに参まゐらすべきよし奏そうせさせたまふ。左衛門督さゑもんのかみ、その人ひとならぬをたてまつりて、咎とがめありけれど、それもとどめさせたまふ。

 津つの守かみは、「典侍ないしのすけあきたるに」と申まうさせたれば、「さもや労いたはらまし」と大殿おほとのも思おぼいたるを、かの人ひとは聞ききたまひて、いと口惜くちをしと思おもふ。

「わが年としのほど、位くらゐなど、かくものげなからずは、乞こひ見みてましものを。思おもふ心こころありとだに知しられでやみなむこと」

 と、わざとのことにはあらねど、うち添そへて涙なみだぐまるる折々をりをりあり。

 兄弟せうとの童殿上わらはてんじゃうする、常つねにこの君きみに参まゐり仕つかうまつるを、例れいよりもなつかしう語かたらひたまひて、

「五節ごせちはいつか内裏うちへ参まゐる」

 と問とひたまふ。

「今年ことしとこそは聞ききはべれ」

 と聞きこゆ。

「顔かほのいとよかりしかば、すずろにこそ恋こひしけれ。ましが常つねに見みるらむも羨うらやましきを、また見みせてむや」

 とのたまへば、

「いかでかさははべらむ。心こころにまかせてもえ見みはべらず。男兄弟をのこはらからとて、近ちかくも寄よせはべらねば、まして、いかでか君達きむだちには御覧ごらんぜさせむ」

 と聞きこゆ。

「さらば、文ふみをだに」

 とて賜たまへり。「先々さきざきかやうのことは言いふものを」と苦くるしけれど、せめて賜たまへば、いとほしうて持もて往いぬ。

 年としのほどよりは、されてやありけむ、をかしと見みけり。緑みどりの薄様うすやうの、好このましき重かさねなるに、手てはまだいと若わかけれど、生おひ先さき見みえて、いとをかしげに、

「日影ひかげにもしるかりけめや少女子をとめごが天あまの羽袖はそでにかけし心こころは」

 二人ふたり見みるほどに、父主ちちぬしふと寄より来きたり。恐おそろしうあきれて、え引ひき隠かくさず。

「なぞの文ふみぞ」

 とて取とるに、面おもて赤あかみてゐたり。

「よからぬわざしけり」

 と憎にくめば、せうと逃にげて行いくを、呼よび寄よせて、

「誰たがぞ」

 と問とへば、

「殿とのの冠者くわざの君きみの、しかしかのたまうて賜たまへる」

 と言いへば、名残なごりなくうち笑ゑみて、

「いかにうつくしき君きみの御おほんされ心ごころなり。きむぢらは、同おなじ年としなれど、いふかひなくはかなかめりかし」

 など誉ほめて、母君ははぎみにも見みす。

「この君達きむだちの、すこし人数ひとかずに思おぼしぬべからましかば、宮仕みやづかへよりは、たてまつりてまし。殿とのの御心みこころおきて見みるに、見みそめたまひてむ人ひとを、御心みこころとは忘わすれたまふまじきとこそ、いと頼たのもしけれ。明石あかしの入道にふだうの例ためしにやならまし」

 など言いへど、皆みな急いそぎ立たちにたり。

かの人は、文をだにえやりたまはず

 かの人ひとは、文ふみをだにえやりたまはず、立たちまさる方かたのことし心こころにかかりて、ほど経ふるままに、わりなく恋こひしき面影おもかげにまたあひ見みでやと思おもふよりほかのことなし。宮みやの御おほんもとへ、あいなく心憂こころうくて参まゐりたまはず。おはせしかた、年としごろ遊あそび馴なれし所ところのみ、思おもひ出いでらるることまされば、里さとさへ憂うくおぼえたまひつつ、また籠こもりゐたまへり。

 殿とのは、この西にしの対たいにぞ、聞きこえ預あづけたてまつりたまひける。

「大宮おほみやの御世みよの残のこり少すくなげなるを、おはせずなりなむのちも、かく幼をさなきほどより見みならして、後見うしろみおぼせ」

 と聞きこえたまへば、ただのたまふままの御心みこころにて、なつかしうあはれに思おもひ扱あつかひたてまつりたまふ。

 ほのかになど見みたてまつるにも、

「容貌かたちのまほならずもおはしけるかな。かかる人ひとをも、人ひとは思おもひ捨すてたまはざりけり」など、「わが、あながちに、つらき人ひとの御容貌おほんかたちを心こころにかけて恋こひしと思おもふもあぢきなしや。心こころばへのかやうにやはらかならむ人ひとをこそあひ思おもはめ」

 と思おもふ。また、

「向むかひて見みるかひなからむもいとほしげなり。かくて年とし経へたまひにけれど、殿とのの、さやうなる御容貌おほんかたち、御心みこころと見みたまうて、浜木綿はまゆふばかりの隔へだてさし隠かくしつつ、何なにくれともてなし紛まぎらはしたまふめるも、むべなりけり」

 と思おもふ心こころのうちぞ、恥はづかしかりける。

 大宮おほみやの容貌かたちことにおはしませど、まだいときよらにおはし、ここにもかしこにも、人ひとは容貌かたちよきものとのみ目馴めなれたまへるを、もとよりすぐれざりける御容貌おほんかたちの、ややさだ過すぎたる心地ここちして、痩やせ痩やせに御髪みぐし少すくななるなどが、かくそしらはしきなりけり。

年の暮には、睦月の御装束など

 年としの暮くれには、睦月むつきの御装束おほんさうぞくなど、宮みやはただ、この君きみ一所ひとところの御おほんことを、まじることなういそぎたまふ。あまた領くだり、いときよらに仕立したてたまへるを見みるも、もの憂うくのみおぼゆれば、

「朔日ついたちなどには、かならずしも内裏うちへ参まゐるまじう思おもひたまふるに、何なににかくいそがせたまふらむ」

 と聞きこえたまへば、

「などてか、さもあらむ。老おいくづほれたらむ人ひとのやうにものたまふかな」

 とのたまへば、

「老おいねど、くづほれたる心地ここちぞするや」

 と独ひとりごちて、うち涙なみだぐみてゐたまへり。

「かのことを思おもふならむ」と、いと心苦こころぐるしうて、宮みやもうちひそみたまひぬ。

「男をとこは、口惜くちをしき際きはの人ひとだに、心こころを高たかうこそつかふなれ。あまりしめやかに、かくなものしたまひそ。何なにとか、かう眺ながめがちに思おもひ入いれたまふべき。ゆゆしう」

 とのたまふも、

「何なにかは。六位ろくゐなど人ひとのあなづりはべるめれば、しばしのこととは思おもうたまふれど、内裏うちへ参まゐるももの憂うくてなむ。故大臣こおとどおはしまさましかば、戯たはぶれにても、人ひとにはあなづられはべらざらまし。もの隔へだてぬ親おやにおはすれど、いとけけしうさし放はなちて思おぼいたれば、おはしますあたりに、たやすくも参まゐり馴なれはべらず。東ひむがしの院ゐんにてのみなむ、御前おまへ近ちかくはべる。対たいの御方おほんかたこそ、あはれにものしたまへ、親おや今いま一所ひとところおはしまさましかば、何なにごとを思おもひはべらまし」

 とて、涙なみだの落おつるを紛まぎらはいたまへるけしき、いみじうあはれなるに、宮みやは、いとどほろほろと泣なきたまひて、

「母ははにも後おくるる人ひとは、ほどほどにつけて、さのみこそあはれなれど、おのづから宿世すくせ宿世すくせに、人ひとと成なりたちぬれば、おろかに思おもふもなきわざなるを、思おもひ入いれぬさまにてものしたまへ。故大臣こおとどの今いましばしだにものしたまへかし。限かぎりなき蔭かげには、同おなじことと頼たのみきこゆれど、思おもふにかなはぬことの多おほかるかな。内大臣うちのおとどの心こころばへも、なべての人ひとにはあらずと、世人よひともめで言いふなれど、昔むかしに変かはることのみまさりゆくに、命いのち長ながさも恨うらめしきに、生おひ先さき遠とほき人ひとさへ、かくいささかにても、世よを思おもひしめりたまへれば、いとなむよろづ恨うらめしき世よなる」

 とて、泣なきおはします。

朔日にも、大殿は御ありきしなければ

 朔日ついたちにも、大殿おほとのは御おほんありきしなければ、のどやかにておはします。良房よしふさの大臣おとどと聞きこえける、いにしへの例れいになずらへて、白馬あをむまひき、節会せちゑの日ひ、内裏うちの儀式ぎしきをうつして、昔むかしの例ためしよりも事こと添そへて、いつかしき御おほんありさまなり。

 如月きさらぎの二十日はつかあまり、朱雀院すざくゐんに行幸ぎゃうがうあり。花盛はなざかりはまだしきほどなれど、弥生やよひは故宮こみやの御忌月おほんきづきなり。とく開ひらけたる桜さくらの色いろもいとおもしろければ、院ゐんにも御用意おほんよういことにつくろひ磨みがかせたまひ、行幸ぎゃうがうに仕つかうまつりたまふ上達部かむだちめ、親王みこたちよりはじめ、心こころづかひしたまへり。

 人ひとびとみな、青色あをいろに、桜襲さくらがさねを着きたまふ。帝みかどは、赤色あかいろの御衣おほんぞたてまつれり。召めしありて、太政大臣おほきおとど参まゐりたまふ。おなじ赤色あかいろを着きたまへれば、いよいよひとつものとかかやきて見みえまがはせたまふ。人ひとびとの装束さうぞく、用意ようい、常つねにことなり。院ゐんも、いときよらにねびまさらせたまひて、御おほんさまの用意ようい、なまめきたる方かたに進すすませたまへり。

 今日けふは、わざとの文人もんにんも召めさず、ただその才ざえかしこしと聞きこえたる学生がくしゃう十じふ人にんを召めす。式部しきぶの司つかさの試こころみの題だいをなずらへて、御題おほんだい賜たまふ。大殿おほとのの太郎君たろうぎみの試こころみたまふべきなめり。臆おくだかき者ものどもは、ものもおぼえず、繋つながぬ舟ふねに乗のりて池いけに放はなれ出いでて、いと術すべなげなり。

 日ひやうやうくだりて、楽がくの舟ふねども漕こぎまひて、調子てうしども奏そうするほどの、山風やまかぜの響ひびきおもしろく吹ふきあはせたるに、冠者くわざの君きみは、

「かう苦くるしき道みちならでも交まじらひ遊あそびぬべきものを」

 と、世よの中なか恨うらめしうおぼえたまひけり。

「春鴬囀しゅんあうでん」舞まふほどに、昔むかしの花はなの宴えんのほど思おぼし出いでて、院ゐんの帝みかども、

「また、さばかりのこと見みてむや」

 とのたまはするにつけて、その世よのことあはれに思おぼし続つづけらる。舞まひ果はつるほどに、大臣おとど、院ゐんに御土器おほんかはらけ参まゐりたまふ。

「鴬うぐひすのさへづる声こゑは昔むかしにて睦むつれし花はなの蔭かげぞ変かはれる」

 院ゐんの上うへ、

「九重ここのへを霞かすみ隔へだつるすみかにも春はると告つげくる鴬うぐひすの声こゑ」

 帥そちの宮みやと聞きこえし、今いまは兵部卿ひゃうぶきゃうにて、今いまの上うへに御土器おほんかはらけ参まゐりたまふ。

「いにしへを吹ふき伝つたへたる笛竹ふえたけにさへづる鳥とりの音ねさへ変かはらぬ」

 あざやかに奏そうしなしたまへる、用意よういことにめでたし。取とらせたまひて、

「鴬うぐひすの昔むかしを恋こひてさへづるは木伝こづたふ花はなの色いろやあせたる」

 とのたまはする御おほんありさま、こよなくゆゑゆゑしくおはします。これは御私おほんわたくしざまに、うちうちのことなれば、あまたにも流ながれずやなりにけむ、また書かき落おとしてけるにやあらむ。

 楽所がくそ遠とほくておぼつかなければ、御前おまへに御琴おほんことども召めす。兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみや、琵琶びは。内大臣うちのおとど、和琴わごん。箏しゃうの御琴おほんこと、院ゐんの御前おまへに参まゐりて、琴きんは、例れいの太政大臣おほきおとどに賜たまはりたまふ。せめきこえたまふ。さるいみじき上手じゃうずのすぐれたる御手おほんてづかひどもの、尽つくしたまへる音ねは、たとへむかたなし。唱歌さうがの殿上人てんじゃうびとあまたさぶらふ。「安名尊あなたふと」遊あそびて、次つぎに「桜人さくらびと」。月つきおぼろにさし出いでてをかしきほどに、中島なかじまのわたりに、ここかしこ篝火かがりびども灯ともして、大御遊おほみあそびはやみぬ。

夜更けぬれど、かかるついでに

 夜よ更ふけぬれど、かかるついでに、大后おほきさいの宮みやおはします方かたを、よきて訪とぶらひきこえさせたまはざらむも、情なさけなければ、帰かへさに渡わたらせたまふ。大臣おとどもろともにさぶらひたまふ。

 后きさき待まち喜よろこびたまひて、御対面おほんたいめんあり。いといたうさだ過すぎたまひにける御おほんけはひにも、故宮こみやを思おもひ出いできこえたまひて、「かく長ながくおはしますたぐひもおはしけるものを」と、口惜くちをしう思おもほす。

「今いまはかく古ふりぬる齢よはひに、よろづのこと忘わすられはべりにけるを、いとかたじけなく渡わたりおはしまいたるになむ、さらに昔むかしの御世みよのこと思おもひ出いでられはべる」

 と、うち泣なきたまふ。

「さるべき御蔭おほんかげどもに後おくれはべりてのち、春はるのけぢめも思おもうたまへわかれぬを、今日けふなむ慰なぐさめはべりぬる。またまたも」

 と聞きこえたまふ。大臣おとどもさるべきさまに聞きこえて、

「ことさらにさぶらひてなむ」

 と聞きこえたまふ。のどやかならで帰かへらせたまふ響ひびきにも、后きさきは、なほ胸むねうち騒さわぎて、

「いかに思おぼし出いづらむ。世よをたもちたまふべき御宿世おほんすくせは、消けたれぬものにこそ」

 と、いにしへを悔くい思おぼす。

 尚侍ないしのかむの君きみも、のどやかに思おぼし出いづるに、あはれなること多おほかり。今いまもさるべき折をり、風かぜのつてにもほのめききこえたまふこと絶たえざるべし。

 后きさきは、朝廷おほやけに奏そうせさせたまふことある時々ときどきぞ、御おほんたうばりの年官つかさ年爵かうぶり、何なにくれのことに触ふれつつ、御心みこころにかなはぬ時ときぞ、「命いのち長ながくてかかる世よの末すゑを見みること」と、取とり返かへさまほしう、よろづ思おぼしむつかりける。

 老おいもておはするままに、さがなさもまさりて、院ゐんもくらべ苦くるしう、たとへがたくぞ思おもひきこえたまひける。

 かくて、大学だいがくの君きみ、その日ひの文ふみうつくしう作つくりたまひて、進士しんじになりたまひぬ。年とし積つもれるかしこき者ものどもを選えらばせたまひしかど、及第きふだいの人ひと、わづかに三さん人にんなむありける。

 秋あきの司召つかさめしに、かうぶり得えて、侍従じじうになりたまひぬ。かの人ひとの御おほんこと、忘わするる世よなけれど、大臣おとどの切せちにまもりきこえたまふもつらければ、わりなくてなども対面たいめんしたまはず。御消息おほんせうそこばかり、さりぬべきたよりに聞きこえたまひて、かたみに心苦こころぐるしき御仲おほんなかなり。

大殿、静かなる御住まひを

 大殿おほとの、静しづかなる御住おほんすまひを、同おなじくは広ひろく見みどころありて、ここかしこにておぼつかなき山里人やまざとびとなどをも、集つどへ住すませむの御心みこころにて、六条京極ろくでうきゃうごくのわたりに、中宮ちうぐうの御古おほんふるき宮みやのほとりを、四よ町まちをこめて造つくらせたまふ。

 式部卿宮しきぶきゃうのみや、明あけむ年としぞ五十ごじふになりたまひける御賀おほんがのこと、対たいの上うへ思おぼしまうくるに、大臣おとども、「げに、過すぐしがたきことどもなり」と思おぼして、「さやうの御おほんいそぎも、同おなじくめづらしからむ御家居おほんいへゐにて」と、いそがせたまふ。

 年とし返かへりて、ましてこの御おほんいそぎのこと、御おほんとしみのこと、楽人がくにん、舞人まひびとの定さだめなどを、御心みこころに入いれていとなみたまふ。経きゃう、仏ほとけ、法事ほふじの日ひの装束さうぞく、禄ろくなどをなむ、上うへはいそがせたまひける。

 東ひむがしの院ゐんに、分わけてしたまふことどもあり。御おほんなからひ、ましていとみやびかに聞きこえ交かはしてなむ、過すぐしたまひける。

 世よの中なか響ひびきゆすれる御おほんいそぎなるを、式部卿宮しきぶきゃうのみやにも聞きこしめして、

「年としごろ、世よの中なかにはあまねき御心みこころなれど、このわたりをばあやにくに情なさけなく、事ことに触ふれてはしたなめ、宮人みやびとをも御用意おほんよういなく、愁うれはしきことのみ多おほかるに、つらしと思おもひ置おきたまふことこそはありけめ」

 と、いとほしくもからくも思おぼしけるを、かくあまたかかづらひたまへる人ひとびと多おほかるなかに、取とりわきたる御思おほんおもひすぐれて、世よに心こころにくくめでたきことに、思おもひかしづかれたまへる御宿世おほんすくせをぞ、わが家いへまではにほひ来こねど、面目めいぼくに思おぼすに、また、

「かくこの世よにあまるまで、響ひびかし営いとなみたまふは、おぼえぬ齢よはひの末すゑの栄さかえにもあるべきかな」

 と喜よろこびたまふを、北きたの方かたは、「心こころゆかず、ものし」とのみ思おぼしたり。女御にょうご、御おほんまじらひのほどなどにも、大臣おとどの御用意おほんよういなきやうなるを、いよいよ恨うらめしと思おもひしみたまへるなるべし。

八月にぞ、六条院造り果てて

 八月はづきにぞ、六条院ろくでうのゐん造つくり果はてて渡わたりたまふ。未申ひつじさるの町まちは、中宮ちうぐうの御古宮おほんふるみやなれば、やがておはしますべし。辰巳たつみは、殿とののおはすべき町まちなり。丑寅うしとらは、東ひむがしの院ゐんに住すみたまふ対たいの御方おほんかた、戌亥いぬゐの町まちは、明石あかしの御方おほんかたと思おぼしおきてさせたまへり。もとありける池いけ山やまをも、便びんなき所ところなるをば崩くづし変かへて、水みづの趣おもむき、山やまのおきてを改あらためて、さまざまに、御方々おほんかたがたの御願おほんねがひの心こころばへを造つくらせたまへり。

 南みなみの東ひむがしは、山やま高たかく、春はるの花はなの木き、数かずを尽つくして植うゑ、池いけのさまおもしろくすぐれて、御前おまへ近ちかき前栽せんざい、五葉ごえふ、紅梅こうばい、桜さくら、藤ふぢ、山吹やまぶき、岩躑躅いはつつぢなどやうの、春はるのもてあそびをわざとは植うゑで、秋あきの前栽せんざいをば、むらむらほのかに混まぜたり。

 中宮ちうぐうの御町おほんまちをば、もとの山やまに、紅葉もみぢの色いろ濃こかるべき植木うゑきどもを添そへて、泉いづみの水みづ遠とほく澄すましやり、水みづの音おとまさるべき巌いはほ立たて加くはへ、滝たき落おとして、秋あきの野のをはるかに作つくりたる、そのころにあひて、盛さかりに咲さき乱みだれたり。嵯峨さがの大堰おほゐのわたりの野山のやま、無徳むとくにけおされたる秋あきなり。

 北きたの東ひむがしは、涼すずしげなる泉いづみありて、夏なつの蔭かげによれり。前まへ近ちかき前栽せんざい、呉竹くれたけ、下風したかぜ涼すずしかるべく、木高こだかき森もりのやうなる木きども木深こぶかくおもしろく、山里やまざとめきて、卯うの花はなの垣根かきねことさらにしわたして、昔むかしおぼゆる花橘はなたちばな、撫子なでしこ、薔薇さうび、苦丹くたになどやうの花はな、草々くさぐさを植うゑて、春はる秋あきの木き草くさ、そのなかにうち混まぜたり。東ひむがし面おもては、分わけて馬場むまばの御殿おとど作つくり、埒らち結ゆひて、五月さつきの御遊おほんあそび所どころにて、水みづのほとりに菖蒲さうぶ植うゑ茂しげらせて、向むかひに御厩おほんむまやして、世よになき上馬じゃうめどもをととのへ立たてさせたまへり。

 西にしの町まちは、北きた面おもて築つき分わけて、御倉町みくらまちなり。隔へだての垣かきに松まつの木き茂しげく、雪ゆきをもてあそばむたよりによせたり。冬ふゆのはじめの朝あさ、霜しもむすぶべき菊きくの籬まがき、われは顔がほなる柞原ははそはら、をさをさ名なも知しらぬ深山木みやまぎどもの、木深こぶかきなどを移うつし植うゑたり。

彼岸のころほひ渡りたまふ

 彼岸ひがんのころほひ渡わたりたまふ。ひとたびにと定さだめさせたまひしかど、騒さわがしきやうなりとて、中宮ちうぐうはすこし延のべさせたまふ。例れいのおいらかにけしきばまぬ花散里はなちるさとぞ、その夜よ、添そひて移うつろひたまふ。

 春はるの御おほんしつらひは、このころに合あはねど、いと心こころことなり。御車おほんくるま十五じふご、御前ごぜん四位しゐ五位ごゐがちにて、六位ろくゐ殿上人てんじゃうびとなどは、さるべき限かぎりを選えらせたまへり。こちたきほどにはあらず、世よのそしりもやと省はぶきたまへれば、何事なにごともおどろおどろしういかめしきことはなし。

 今いま一方ひとかたの御みけしきも、をさをさ落おとしたまはで、侍従君じじうのきみ添そひて、そなたはもてかしづきたまへば、げにかうもあるべきことなりけりと見みえたり。

 女房にょうばうの曹司町ざうしまちども、当あて当あてのこまけぞ、おほかたのことよりもめでたかりける。

 五いつか、六日むいか過すぎて、中宮ちうぐうまかでさせたまふ。この御みけしきはた、さは言いへど、いと所狭ところせし。御幸おほんさいはひのすぐれたまへりけるをばさるものにて、御おほんありさまの心こころにくく重おもりかにおはしませば、世よに重おもく思おもはれたまへること、すぐれてなむおはしましける。

 この町まち々まちの中なかの隔へだてには、塀へいども廊らうなどを、とかく行ゆき通かよはして、気近けぢかくをかしきあはひにしなしたまへり。

長月になれば、紅葉むらむら色づきて

 長月ながつきになれば、紅葉もみぢむらむら色いろづきて、宮みやの御前おまへえも言いはずおもしろし。風かぜうち吹ふきたる夕暮ゆふぐれに、御箱おほんはこの蓋ふたに、色々いろいろの花はな紅葉もみぢをこき混まぜて、こなたにたてまつらせたまへり。

 大おほきやかなる童女わらはの、濃こき衵あこめ、紫苑しをんの織物おりもの重かさねて、赤朽葉あかくちばの羅うすものの汗衫かざみ、いといたうなれて、廊らう、渡殿わたどのの反橋そりはしを渡わたりて参まゐる。うるはしき儀式ぎしきなれど、童女わらはのをかしきをなむ、え思おぼし捨すてざりける。さる所ところにさぶらひなれたれば、もてなし、ありさま、他ほかのには似にず、このましうをかし。御消息おほんせうそこには、

「心こころから春はるまつ園そのはわが宿やどの紅葉もみぢを風かぜのつてにだに見みよ」

 若わかき人ひとびと、御使おほんつかひもてはやすさまどもをかし。

 御返おほんかへりは、この御箱おほんはこの蓋ふたに苔こけ敷しき、巌いはほなどの心こころばへして、五葉ごえふの枝えだに、

「風かぜに散ちる紅葉もみぢは軽かろし春はるの色いろを岩根いはねの松まつにかけてこそ見みめ」

 この岩根いはねの松まつも、こまかに見みれば、えならぬ作つくりごとどもなりけり。とりあへず思おもひ寄よりたまひつるゆゑゆゑしさなどを、をかしく御覧ごらんず。御前おまへなる人ひとびともめであへり。大臣おとど、

「この紅葉もみぢの御消息おほんせうそこ、いとねたげなめり。春はるの花盛はなざかりに、この御応おほんいらへは聞きこえたまへ。このころ紅葉もみぢを言いひ朽くたさむは、龍田姫たつたひめの思おもはむこともあるを、さし退しぞきて、花はなの蔭かげに立たち隠かくれてこそ、強つよきことは出いで来こめ」

 と聞きこえたまふも、いと若わかやかに尽つきせぬ御おほんありさまの見みどころ多おほかるに、いとど思おもふやうなる御住おほんすまひにて、聞きこえ通かよはしたまふ。

 大堰おほゐの御方おほんかたは、「かう方々かたがたの御移おほんうつろひ定さだまりて、数かずならぬ人ひとは、いつとなく紛まぎらはさむ」と思おぼして、神無月かむなづきになむ渡わたりたまひける。御おほんしつらひ、ことのありさま劣おとらずして、渡わたしたてまつりたまふ。姫君ひめぎみの御おほんためを思おぼせば、おほかたの作法さはふも、けぢめこよなからず、いとものものしくもてなさせたまへり。

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