『源氏物語』第31帖「真木柱」原文全文

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」国貞『源氏香の図』

 このページでは、『源氏物語』第31帖「真木柱」の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『源氏物語』第31帖「真木柱」現代語訳全文をご覧ください。

目次

内裏に聞こし召さむことも

「内裏うちに聞きこし召めさむこともかしこし。しばし人ひとにあまねく漏もらさじ」と諌いさめきこえたまへど、さしもえつつみあへたまはず。ほど経ふれど、いささかうちとけたる御みけしきもなく、「思おもはずに憂うき宿世すくせなりけり」と、思おもひ入いりたまへるさまのたゆみなきを、「いみじうつらし」と思おもへど、おぼろけならぬ契ちぎりのほど、あはれにうれしく思おもふ。

 見みるままにめでたく、思おもふさまなる御容貌おほんかたち、ありさまを、「よそのものに見み果はててやみなましよ」と思おもふだに胸むねつぶれて、石山いしやまの仏ほとけをも、弁べんの御許おもとをも、並ならべて預いただかまほしう思おもへど、女君をんなぎみの、深ふかくものしと疎うとみにければ、え交まじらはで籠こもりゐにけり。

 げに、そこら心苦こころぐるしげなることどもを、とりどりに見みしかど、心浅こころあさき人ひとのためにぞ、寺てらの験げんも現あらはれける。

 大臣おとども、「心こころゆかず口惜くちをし」と思おぼせど、いふかひなきことにて、「誰たれも誰たれもかく許ゆるしそめたまへることなれば、引ひき返かへし許ゆるさぬけしきを見みせむも、人ひとのためいとほしう、あいなし」と思おぼして、儀式ぎしきいと二になくもてかしづきたまふ。

 いつしかと、わが殿とのに渡わたいたてまつらむことを思おもひいそぎたまへど、軽々かるがるしくふとうちとけ渡わたりたまはむに、かしこに待まち取とりて、よくも思おもふまじき人ひとのものしたまふなるが、いとほしさにことづけたまひて、

「なほ、心こころのどかに、なだらかなるさまにて、音おとなく、いづ方かたにも、人ひとのそしり恨うらみなかるべくをもてなしたまへ」

 とぞ聞きこえたまふ。

父大臣は

 父大臣ちちおとどは、

「なかなかめやすかめり。ことにこまかなる後見うしろみなき人ひとの、なまほの好すいたる宮仕みやづかへに出いで立たちて、苦くるしげにやあらむとぞ、うしろめたかりし。心こころざしはありながら、女御にょうごかくてものしたまふをおきて、いかがもてなさまし」

 など、忍しのびてのたまひけり。げに、帝みかどと聞きこゆとも、人ひとに思おぼし落おとし、はかなきほどに見みえたてまつりたまひて、ものものしくももてなしたまはずは、あはつけきやうにもあべかりけり。

 三日みかの夜よの御消息おほんせうそこども、聞きこえ交かはしたまひけるけしきを伝つたへ聞ききたまひてなむ、この大臣おとどの君きみの御心みこころを、「あはれにかたじけなく、ありがたし」とは思おもひきこえたまひける。

 かう忍しのびたまふ御仲おほんなからひのことなれど、おのづから、人ひとのをかしきことに語かたり伝つたへつつ、次々つぎつぎに聞きき洩もらしつつ、ありがたき世語よがたりにぞささめきける。内裏うちにも聞きこし召めしてけり。

「口惜くちをしう、宿世すくせ異ことなりける人ひとなれど、さ思おぼしし本意ほいもあるを。宮仕みやづかへなど、かけかけしき筋すぢならばこそは、思おもひ絶たえたまはめ」

 などのたまはせけり。

霜月になりぬ

 霜月しもつきになりぬ。神事かみわざなどしげく、内侍所ないしどころにもこと多おほかるころにて、女官にょくわんども、内侍ないしども参まゐりつつ、今いまめかしう人ひと騒さわがしきに、大将殿だいしゃうどの、昼ひるもいと隠かくろへたるさまにもてなして、籠こもりおはするを、いと心こころづきなく、尚侍かんの君きみは思おぼしたり。

 宮みやなどは、まいていみじう口惜くちをしと思おぼす。兵衛督ひゃうゑのかみは、妹いもうとの北きたの方かたの御おほんことをさへ、人ひと笑わらへに思おもひ嘆なげきて、とり重かさねもの思おもほしけれど、「をこがましう、恨うらみ寄よりても、今いまはかひなし」と思おもひ返かへす。

 大将だいしゃうは、名なに立たてるまめ人びとの、年としごろいささか乱みだれたるふるまひなくて過すぐしたまへる、名残なごりなく心こころゆきて、あらざりしさまに好このましう、宵よひ暁あかつきのうち忍しのびたまへる出いで入いりも、艶えんにしなしたまへるを、をかしと人ひとびと見みたてまつる。

 女をんなは、わららかににぎははしくもてなしたまふ本性ほんじゃうも、もて隠かくして、いといたう思おもひ結むすぼほれ、心こころもてあらぬさまはしるきことなれど、「大臣おとどの思おぼすらむこと、宮みやの御心みこころざまの、心こころ深ふかう、情なさけ情なさけしうおはせし」などを思おもひ出いでたまふに、「恥はづかしう、口惜くちをしう」のみ思おもほすに、もの心こころづきなき御みけしき絶たえず。

殿も、いとほしう

 殿とのも、いとほしう人ひとびとも思おもひ疑うたがひける筋すぢを、心こころきよくあらはしたまひて、「わが心こころながら、うちつけにねぢけたることは好このまずかし」と、昔むかしよりのことも思おぼし出いでて、紫むらさきの上うへにも、

「思おぼし疑うたがひたりしよ」

 など聞きこえたまふ。「今いまさらに人ひとの心癖こころぐせもこそ」と思おぼしながら、ものの苦くるしう思おぼされし時とき、「さてもや」と、思おぼし寄よりたまひしことなれば、なほ思おぼしも絶たえず。

 大将だいしゃうのおはせぬ昼ひるつ方かた渡わたりたまへり。女君をんなぎみ、あやしう悩なやましげにのみもてないたまひて、すくよかなる折をりもなくしをれたまへるを、かくて渡わたりたまへれば、すこし起おき上あがりたまひて、御几帳みきちゃうにはた隠かくれておはす。

 殿とのも、用意よういことに、すこしけけしきさまにもてないたまひて、おほかたのことどもなど聞きこえたまふ。すくよかなる世よの常つねの人ひとにならひては、まして言いふ方かたなき御おほんけはひありさまを見知みしりたまふにも、思おもひのほかなる身みの、置おきどころなく恥はづかしきにも、涙なみだぞこぼれける。

 やうやう、こまやかなる御物語おほんものがたりになりて、近ちかき御脇息おほんけふそくに寄よりかかりて、すこしのぞきつつ、聞きこえたまふ。いとをかしげに面痩おもやせたまへるさまの、見みまほしう、らうたいことの添そひたまへるにつけても、「よそに見放みはなつも、あまりなる心こころのすさびぞかし」と口惜くちをし。

「おりたちて汲くみは見みねども渡わたり川がは人ひとの瀬せとはた契ちぎらざりしを

思おもひのほかなりや」

 とて、鼻はなうちかみたまふけはひ、なつかしうあはれなり。

 女をんなは顔かほを隠かくして、

「みつせ川がは渡わたらぬさきにいかでなほ涙なみだの澪みをの泡あわと消きえなむ」

「心幼こころをさなの御消おほんきえどころや。さても、かの瀬せは避よき道みちなかなるを、御手おほんての先さきばかりは、引ひき助たすけきこえてむや」と、ほほ笑ゑみたまひて、

「まめやかには、思おぼし知しることもあらむかし。世よになき痴しれ痴じれしさも、またうしろやすさも、この世よにたぐひなきほどを、さりともとなむ、頼たのもしき」

 と聞きこえたまふを、いとわりなう、聞きき苦ぐるしと思おぼいたれば、いとほしうて、のたまひ紛まぎらはしつつ、

「内裏うちにのたまはすることなむいとほしきを、なほ、あからさまに参まゐらせたてまつらむ。おのがものと領りゃうじ果はてては、さやうの御交おほんまじらひもかたげなめる世よなめり。思おもひそめきこえし心こころは違たがふさまなめれど、二条にでうの大臣おとどは、心こころゆきたまふなれば、心こころやすくなむ」

 など、こまかに聞きこえたまふ。あはれにも恥はづかしくも聞ききたまふこと多おほかれど、ただ涙なみだにまつはれておはす。いとかう思おぼしたるさまの心苦こころぐるしければ、思おぼすさまにも乱みだれたまはず、ただ、あるべきやう、御心みこころづかひを教をしへきこえたまふ。かしこに渡わたりたまはむことを、とみにも許ゆるしきこえたまふまじき御みけしきなり。

内裏へ参りたまはむことを

 内裏うちへ参まゐりたまはむことを、やすからぬことに大将だいしゃう思おぼせど、そのついでにや、まかでさせたてまつらむの御心みこころつきたまひて、ただあからさまのほどを許ゆるしきこえたまふ。かく忍しのび隠かくろへたまふ御おほんふるまひも、ならひたまはぬ心地ここちに苦くるしければ、わが殿とののうち修理すりししつらひて、年としごろは荒あらし埋うづもれ、うち捨すてたまへりつる御おほんしつらひ、よろづの儀式ぎしきを改あらためいそぎたまふ。

 北きたの方かたの思おぼし嘆なげくらむ御心みこころも知しりたまはず、かなしうしたまひし君達きむだちをも、目めにもとめたまはず、なよびかに情なさけ情なさけしき心こころうちまじりたる人ひとこそ、とざまかうざまにつけても、人ひとのため恥はぢがましからむことをば、推おし量はかり思おもふところもありけれ、ひたおもむきにすくみたまへる御心みこころにて、人ひとの御心みこころ動うごきぬべきこと多おほかり。

 女君をんなぎみ、人ひとに劣おとりたまふべきことなし。人ひとの御本性おほんほんじゃうも、さるやむごとなき父親王ちちみこの、いみじうかしづきたてまつりたまへるおぼえ、世よに軽かろからず、御容貌おほんかたちなども、いとようおはしけるを、あやしう、執念しふねき御おほんもののけにわづらひたまひて、この年としごろ、人ひとにも似にたまはず、うつし心ごころなき折々をりをり多おほくものしたまひて、御仲おほんなかもあくがれてほど経へにけれど、やむごとなきものとは、また並ならぶ人ひとなく思おもひきこえたまへるを、めづらしう御心みこころ移うつる方かたの、なのめにだにあらず、人ひとにすぐれたまへる御おほんありさまよりも、かの疑うたがひおきて、皆人みなひとの推おし量はかりしことさへ、心こころきよくて過すぐいたまひけるなどを、ありがたうあはれと、思おもひましきこえたまふも、ことわりになむ。

 式部卿宮しきぶきゃうのみや聞きこし召めして、

「今いまは、しか今いまめかしき人ひとを渡わたして、もてかしづかむ片隅かたすみに、人悪ひとわろくて添そひものしたまはむも、人聞ひとぎきやさしかるべし。おのがあらむこなたは、いと人ひと笑わらへなるさまに従したがひなびかでも、ものしたまひなむ」

 とのたまひて、宮みやの東ひむがしの対たいを払はらひしつらひて、「渡わたしたてまつらむ」と思おぼしのたまふを、「親おやの御おほんあたりといひながら、今いまは限かぎりの身みにて、たち返かへり見みえたてまつらむこと」と、思おもひ乱みだれたまふに、いとど御心地みここちもあやまりて、うちはへ臥ふしわづらひたまふ。

 本性ほんじゃうは、いと静しづかに心こころよく、子こめきたまへる人ひとの、時々ときどき、心こころあやまりして、人ひとに疎うとまれぬべきことなむ、うち混まじりたまひける。

住まひなどの、あやしう

 住すまひなどの、あやしうしどけなく、もののきよらもなくやつして、いと埋むもれいたくもてなしたまへるを、玉たまを磨みがける目め移うつしに、心こころもとまらねど、年としごろの心こころざしひき替かふるものならねば、心こころには、いとあはれと思おもひきこえたまふ。

「昨日きのふ今日けふの、いと浅あさはかなる人ひとの御仲おほんなからひだに、よろしき際きはになれば、皆みな思おもひのどむる方かたありてこそ見果みはつなれ。いと身みも苦くるしげにもてなしたまひつれば、聞きこゆべきこともうち出いで聞きこえにくくなむ。

年としごろ契ちぎりきこゆることにはあらずや。世よの人ひとにも似にぬ御おほんありさまを、見みたてまつり果はてむとこそは、ここら思おもひしづめつつ過すぐし来くるに、えさしもあり果はつまじき御心みこころおきてに、思おぼし疎うとむな。

幼をさなき人ひとびともはべれば、とざまかうざまにつけて、おろかにはあらじと聞きこえわたるを、女をんなの御心みこころの乱みだりがはしきままに、かく恨うらみわたりたまふ。ひとわたり見果みはてたまはぬほど、さもありぬべきことなれど、まかせてこそ、今いましばし御覧ごらんじ果はてめ。

宮みやの聞きこし召めし疎うとみて、さはやかにふと渡わたしたてまつりてむと思おぼしのたまふなむ、かへりていと軽々かるがるしき。まことに思おぼしおきつることにやあらむ、しばし勘事かうじしたまふべきにやあらむ」

 と、うち笑わらひてのたまへる、いとねたげに心こころやまし。

御召人だちて

 御召人おほんめしうどだちて、仕つかうまつり馴なれたる木工もくの君きみ、中将ちゅうじゃうの御許おもとなどいふ人ひとびとだに、ほどにつけつつ、「やすからずつらし」と思おもひきこえたるを、北きたの方かたは、うつし心ごころものしたまふほどにて、いとなつかしううち泣なきてゐたまへり。

「みづからを、ほけたり、ひがひがし、とのたまひ、恥はぢしむるは、ことわりなることになむ。宮みやの御おほんことをさへ取とり混まぜのたまふぞ、漏もり聞ききたまはむはいとほしう、憂うき身みのゆかり軽々かるがるしきやうなる。耳馴みみなれにてはべれば、今いまはじめていかにもものを思おもひはべらず」

 とて、うち背そむきたまへる、らうたげなり。

 いとささやかなる人ひとの、常つねの御悩おほんなやみに痩やせ衰おとろへ、ひはづにて、髪かみいとけうらにて長ながかりけるが、わけたるやうに落おち細ほそりて、削けづることもをさをさしたまはず、涙なみだにまつはれたるは、いとあはれなり。

 こまかに匂にほへるところはなくて、父宮ちちみやに似にたてまつりて、なまめいたる容貌かたちしたまへるを、もてやつしたまへれば、いづこのはなやかなるけはひかはあらむ。

「宮みやの御おほんことを、軽かろくはいかが聞きこゆる。恐おそろしう、人聞ひとぎきかたはになのたまひなしそ」とこしらへて、

「かの通かよひはべる所ところの、いとまばゆき玉たまの台うてなに、うひうひしう、きすくなるさまにて出いで入いるほども、かたがたに人目ひとめたつらむと、かたはらいたければ、心こころやすく移うつろはしてむと思おもひはべるなり。

太政大臣おほきおとどの、さる世よにたぐひなき御おほんおぼえをば、さらにも聞きこえず、心恥こころはづかしう、いたり深ふかうおはすめる御おほんあたりに、憎にくげなること漏もり聞きこえば、いとなむいとほしう、かたじけなかるべき。

なだらかにて、御仲おほんなかよくて、語かたらひてものしたまへ。宮みやに渡わたりたまへりとも、忘わするることははべらじ。とてもかうても、今いまさらに心こころざしの隔へだたることはあるまじけれど、世よの聞きこえ人ひと笑わらへに、まろがためにも軽々かろがろしうなむはべるべきを、年としごろの契ちぎり違たがへず、かたみに後見うしろみむと、思おぼせ」

 と、こしらへ聞きこえたまへば、

「人ひとの御おほんつらさは、ともかくも知しりきこえず。世よの人ひとにも似にぬ身みの憂うきをなむ、宮みやにも思おぼし嘆なげきて、今いまさらに人ひと笑わらへなることと、御心みこころを乱みだりたまふなれば、いとほしう、いかでか見みえたてまつらむ、となむ。

大殿おほとのの北きたの方かたと聞きこゆるも、異人ことびとにやはものしたまふ。かれは、知しらぬさまにて生おひ出いでたまへる人ひとの、末すゑの世よに、かく人ひとの親おやだちもてないたまふつらさをなむ、思おもほしのたまふなれど、ここにはともかくも思おもはずや。もてないたまはむさまを見みるばかり」

 とのたまへば、

「いとようのたまふを、例れいの御心違みこころたがひにや、苦くるしきことも出いで来こむ。大殿おほとのの北きたの方かたの知しりたまふことにもはべらず。いつき女むすめのやうにてものしたまへば、かく思おもひ落おとされたる人ひとの上うへまでは知しりたまひなむや。人ひとの御親おほんおやげなくこそものしたまふべかめれ。かかることの聞きこえあらば、いとど苦くるしかるべきこと」

 など、日ひ一日ひとひ入いりゐて、語かたらひ申まうしたまふ。

暮れぬれば、心も空に

 暮くれぬれば、心こころも空そらに浮うきたちて、いかで出いでなむと思おもほすに、雪ゆきかきたれて降ふる。かかる空そらにふり出いでむも、人目ひとめいとほしう、この御みけしきも、憎にくげにふすべ恨うらみなどしたまはば、なかなかことつけて、われも迎むかひ火びつくりてあるべきを、いとおいらかに、つれなうもてなしたまへるさまの、いと心苦こころぐるしければ、いかにせむ、と思おもひ乱みだれつつ、格子かうしなどもさながら、端はし近ぢかううち眺ながめてゐたまへり。

 北きたの方かたけしきを見みて、

「あやにくなめる雪ゆきを、いかで分わけたまはむとすらむ。夜よも更ふけぬめりや」

 とそそのかしたまふ。「今いまは限かぎり、とどむとも」と思おもひめぐらしたまへるけしき、いとあはれなり。

「かかるには、いかでか」

 とのたまふものから、

「なほ、このころばかり。心こころのほどを知しらで、とかく人ひとの言いひなし、大臣おとどたちも、左ひだり右みぎに聞きき思おぼさむことを憚はばかりてなむ、とだえあらむはいとほしき。思おもひしづめて、なほ見果みはてたまへ。ここになど渡わたしては、心こころやすくはべりなむ。かく世よの常つねなる御みけしき見みえたまふ時ときは、ほかざまに分わくる心こころも失うせてなむ、あはれに思おもひきこゆる」

 など、語かたらひたまへば、

「立たちとまりたまひても、御心みこころのほかならむは、なかなか苦くるしうこそあるべけれ。よそにても、思おもひだにおこせたまはば、袖そでの氷こほりも解とけなむかし」

 など、なごやかに言いひゐたまへり。

御火取り召して

 御火取おほんひとり召めして、いよいよ焚たきしめさせたてまつりたまふ。みづからは、萎なえたる御衣おほんぞども、うちとけたる御姿おほんすがた、いとど細ほそう、か弱よわげなり。しめりておはする、いと心苦こころぐるし。御目おほんめのいたう泣なき腫はれたるぞ、すこしものしけれど、いとあはれと見みる時ときは、罪つみなう思おぼして、

「いかで過すぐしつる年月としつきぞ」と、「名残なごりなう移うつろふ心こころのいと軽かろきぞや」とは思おもふ思おもふ、なほ心懸想こころげさうは進すすみて、そら嘆なげきをうちしつつ、なほ装束さうぞくしたまひて、小ちひさき火取ひとり取とり寄よせて、袖そでに引ひき入いれてしめゐたまへり。

 なつかしきほどに萎なえたる御装束おほんさうぞくに、容貌かたちも、かの並ならびなき御光おほんひかりにこそ圧おさるれど、いとあざやかに男々ををしきさまして、ただ人うどと見みえず、心恥こころはづかしげなり。

 侍さぶらひに、人ひとびと声こゑして、

「雪ゆきすこし隙ひまあり。夜よは更ふけぬらむかし」

 など、さすがにまほにはあらで、そそのかしきこえて、声こわづくりあへり。

 中将ちゅうじゃう、木工もくなど、「あはれの世よや」などうち嘆なげきつつ、語かたらひて臥ふしたるに、正身さうじみは、いみじう思おもひしづめて、らうたげに寄より臥ふしたまへりと見みるほどに、にはかに起おき上あがりて、大おほきなる籠この下したなりつる火取ひとりを取とり寄よせて、殿とのの後うしろに寄よりて、さと沃いかけたまふほど、人ひとのややみあふるほどもなう、あさましきに、あきれてものしたまふ。

 さるこまかなる灰はひの、目め鼻はなにも入いりて、おぼほれてものもおぼえず。払はらひ捨すてたまへど、立たち満みちたれば、御衣おほんぞども脱ぬぎたまひつ。

 うつし心ごころにてかくしたまふぞと思おもはば、またかへりみすべくもあらずあさましけれど、

「例れいの御おほんもののけの、人ひとに疎うとませむとするわざ」

 と、御前おまへなる人ひとびとも、いとほしう見みたてまつる。

 立たち騷さわぎて、御衣おほんぞどもたてまつり替かへなどすれど、そこらの灰はひの、鬢びんのわたりにも立たちのぼり、よろづの所ところに満みちたる心地ここちすれば、きよらを尽つくしたまふわたりに、さながら参まうでたまふべきにもあらず。

「心違こころたがひとはいひながら、なほめづらしう、見知みしらぬ人ひとの御おほんありさまなりや」と爪弾つまはじきせられ、疎うとましうなりて、あはれと思おもひつる心こころも残のこらねど、「このころ、荒立あらだてては、いみじきこと出いで来きなむ」と思おぼししづめて、夜中よなかになりぬれど、僧そうなど召めして、加持かぢ参まゐり騒さわぐ。呼よばひののしりたまふ声こゑなど、思おもひ疎うとみたまはむにことわりなり。

夜一夜、打たれ引かれ

 夜一夜よひとよ、打うたれ引ひかれ、泣なきまどひ明あかしたまひて、すこしうち休やすみたまへるほどに、かしこへ御文おほんふみたてまつれたまふ。

「昨夜よべ、にはかに消きえ入いる人ひとのはべしにより、雪ゆきのけしきもふり出いでがたく、やすらひはべしに、身みさへ冷ひえてなむ。御心みこころをばさるものにて、人ひといかに取とりなしはべりけむ」

 と、きすくに書かきたまへり。

「心こころさへ空そらに乱みだれし雪ゆきもよにひとり冴さえつる片敷かたしきの袖そで

堪たへがたくこそ」

 と、白しろき薄様うすやうに、つつやかに書かいたまへれど、ことにをかしきところもなし。手てはいときよげなり。才ざえかしこくなどぞものしたまひける。

 尚侍かんの君きみ、夜よがれを何なにとも思おぼされぬに、かく心こころときめきしたまへるを、見みも入いれたまはねば、御返おほんかへりなし。男をとこ、胸むねつぶれて、思おもひ暮くらしたまふ。

 北きたの方かたは、なほいと苦くるしげにしたまへば、御修法みしゅほふなど始はじめさせたまふ。心こころのうちにも、「このころばかりだに、ことなく、うつし心ごころにあらせたまへ」と念ねんじたまふ。「まことの心こころばへのあはれなるを見みず知しらずは、かうまで思おもひ過すぐすべくもなきけ疎うとさかな」と、思おもひゐたまへり。

暮るれば、例の

 暮くるれば、例れいの、急いそぎ出いでたまふ。御装束おほんさうぞくのことなども、めやすくしなしたまはず、世よにあやしう、うちあはぬさまにのみむつかりたまふを、あざやかなる御直衣おほんなほしなども、え取とりあへたまはで、いと見苦みぐるし。

 昨夜よべのは、焼やけとほりて、疎うとましげに焦こがれたるにほひなども、ことやうなり。御衣おほんぞどもに移うつり香がもしみたり。ふすべられけるほどあらはに、人ひとも倦うじたまひぬべければ、脱ぬぎ替かへて、御湯殿おほんゆどのなど、いたうつくろひたまふ。

 木工もくの君きみ、御薫物おほんたきものしつつ、

「ひとりゐて焦こがるる胸むねの苦くるしきに思おもひあまれる炎ほのほとぞ見みし

名残なごりなき御おほんもてなしは、見みたてまつる人ひとだに、ただにやは」

 と、口くちおほひてゐたる、まみ、いといたし。されど、「いかなる心こころにて、かやうの人ひとにものを言いひけむ」などのみぞおぼえたまひける。情なさけなきことよ。

「憂うきことを思おもひ騒さわげばさまざまにくゆる煙けぶりぞいとど立たちそふ

いとことのほかなることどもの、もし聞きこえあらば、中間ちゅうげんになりぬべき身みなめり」

 と、うち嘆なげきて出いでたまひぬ。

 一夜ひとよばかりの隔へだてだに、まためづらしう、をかしさまさりておぼえたまふありさまに、いとど心こころを分わくべくもあらずおぼえて、心憂こころうければ、久ひさしう籠こもりゐたまへり。

修法などし騒げど

 修法しゅほふなどし騒さわげど、御おほんもののけこちたくおこりてののしるを聞ききたまへば、「あるまじき疵きずもつき、恥はぢがましきこと、かならずありなむ」と、恐おそろしうて寄よりつきたまはず。

 殿とのに渡わたりたまふ時ときも、異方ことかたに離はなれゐたまひて、君達きむだちばかりをぞ呼よび放はなちて見みたてまつりたまふ。女をんな一所ひとところ、十二じふに、三さんばかりにて、また次々つぎつぎ、男をとこ二人ふたりなむおはしける。近ちかき年としごろとなりては、御仲おほんなかも隔へだたりがちにてならはしたまへれど、やむごとなう、立たち並ならぶ方かたなくてならひたまへれば、「今いまは限かぎり」と見みたまふに、さぶらふ人ひとびとも、「いみじう悲かなし」と思おもふ。

 父宮ちちみや、聞ききたまひて、

「今いまは、しかかけ離はなれて、もて出いでたまふらむに、さて、心強こころづよくものしたまふ、いと面おもなう人ひと笑わらへなることなり。おのがあらむ世よの限かぎりは、ひたぶるにしも、などか従したがひくづほれたまはむ」

 と聞きこえたまひて、にはかに御迎おほんむかへあり。

 北きたの方かた、御心地みここちすこし例れいになりて、世よの中なかをあさましう思おもひ嘆なげきたまふに、かくと聞きこえたまへれば、

「しひて立たちとまりて、人ひとの絶たえ果はてむさまを見果みはてて、思おもひとぢめむも、今いますこし人ひと笑わらへにこそあらめ」

 など思おぼし立たつ。

 御兄弟おほんせうとの君達きむだち、兵衛督ひゃうゑのかみは、上達部かむだちめにおはすれば、ことことしとて、中将ちゅうじゃう、侍従じじう、民部大輔みんぶのたいふなど、御車みくるま三みつばかりしておはしたり。「さこそはあべかめれ」と、かねて思おもひつることなれど、さしあたりて今日けふを限かぎりと思おもへば、さぶらふ人ひとびとも、ほろほろと泣なきあへり。

「年としごろならひたまはぬ旅住たびずみに、狭せばくはしたなくては、いかでかあまたはさぶらはむ。かたへは、おのおの里さとにまかでて、しづまらせたまひなむに」

 など定さだめて、人ひとびとおのがじし、はかなきものどもなど、里さとに払はらひやりつつ、乱みだれ散ちるべし。御調度みてうどどもは、さるべきは皆みなしたため置おきなどするままに、上かみ下しも泣なき騒さわぎたるは、いとゆゆしく見みゆ。

君たちは、何心もなくて

 君きみたちは、何心なにごころもなくてありきたまふを、母君ははぎみ、皆みな呼よび据すゑたまひて、

「みづからは、かく心憂こころうき宿世すくせ、今いまは見み果はてつれば、この世よに跡あととむべきにもあらず、ともかくもさすらへなむ。生おひ先さき遠とほうて、さすがに、散ちりぼひたまはむありさまどもの、悲かなしうもあべいかな。

姫君ひめぎみは、となるともかうなるとも、おのれに添そひたまへ。なかなか、男君をとこぎみたちは、えさらず参まうで通かよひ見みえたてまつらむに、人ひとの心こころとどめたまふべくもあらず、はしたなうてこそただよはめ。

宮みやのおはせむほど、形かたのやうに交まじらひをすとも、かの大臣おとどたちの御心みこころにかかれる世よにて、かく心こころおくべきわたりぞと、さすがに知しられて、人ひとにもなり立たたむこと難かたし。さりとて、山やま林はやしに引ひき続つづきまじらむこと、後のちの世よまでいみじきこと」

 と泣なきたまふに、皆みな、深ふかき心こころは思おもひ分わかねど、うちひそみて泣なきおはさうず。

「昔物語むかしものがたりなどを見みるにも、世よの常つねの心こころざし深ふかき親おやだに、時ときに移うつろひ、人ひとに従したがへば、おろかにのみこそなりけれ。まして、形かたのやうにて、見みる前まへにだに名残なごりなき心こころは、かかりどころありてももてないたまはじ」

 と、御乳母おほんめのとどもさし集つどひて、のたまひ嘆なげく。

日も暮れ、雪降りぬべき

 日ひも暮くれ、雪ゆき降ふりぬべき空そらのけしきも、心細こころぼそう見みゆる夕ゆふべなり。

「いたう荒あれはべりなむ。早はやう」

 と、御迎おほんむかへの君達きむだちそそのかしきこえて、御目おほんめおし拭のごひつつ眺ながめおはす。姫君ひめぎみは、殿とのいとかなしうしたてまつりたまふならひに、

「見みたてまつらではいかでかあらむ。今いまなども聞きこえで、また会あひ見みぬやうもこそあれ」

 と思おもほすに、うつぶし伏ふして、「え渡わたるまじ」と思おもほしたるを、

「かく思おぼしたるなむ、いと心憂こころうき」

 など、こしらへきこえたまふ。「ただ今いまも渡わたりたまはなむ」と、待まちきこえたまへど、かく暮くれなむに、まさに動うごきたまひなむや。

 常つねに寄よりゐたまふ東面ひむがしおもての柱はしらを、人ひとに譲ゆづる心地ここちしたまふもあはれにて、姫君ひめぎみ、桧皮ひはだ色いろの紙かみの重かさね、ただいささかに書かきて、柱はしらの干割ひわれたるはさまに、笄かうがいの先さきして押おし入いれたまふ。

「今いまはとて宿やどかれぬとも馴なれ来きつる真木まきの柱はしらはわれを忘わするな」

 えも書かきやらで泣なきたまふ。母君ははぎみ、「いでや」とて、

「馴なれきとは思おもひ出いづとも何なににより立たちとまるべき真木まきの柱はしらぞ」

 御前おまへなる人ひとびとも、さまざまに悲かなしく、「さしも思おもはぬ木草きくさのもとさへ恋こひしからむこと」と、目めとどめて、鼻はなすすりあへり。

 木工もくの君きみは、殿とのの御方おほんかたの人ひとにてとどまるに、中将ちゅうじゃうの御許おもと、

「浅あさけれど石間いしまの水みづは澄すみ果はてて宿やどもる君きみやかけ離はなるべき

思おもひかけざりしことなり。かくて別わかれたてまつらむことよ」

 と言いへば、木工もく、

「ともかくも岩間いはまの水みづの結むすぼほれかけとむべくも思おもほえぬ世よを

いでや」

 とてうち泣なく。

 御車みくるま引ひき出いでて返かへり見みるも、「またはいかでかは見みむ」と、はかなき心地ここちす。梢こずゑをも目めとどめて、隠かくるるまでぞ返かへり見みたまひける。君きみが住すむゆゑにはあらで、ここら年とし経へたまへる御住おほんすみかの、いかでか偲しのびどころなくはあらむ。

宮には待ち取り

 宮みやには待まち取とり、いみじう思おぼしたり。母はは北きたの方かた、泣なき騷さわぎたまひて、

「太政大臣おほきおとどを、めでたきよすがと思おもひきこえたまへれど、いかばかりの昔むかしの仇あた敵かたきにかおはしけむとこそ思おもほゆれ。

女御にょうごをも、ことに触ふれ、はしたなくもてなしたまひしかど、それは、御仲おほんなかの恨うらみ解とけざりしほど、思おもひ知しれとにこそはありけめと思おぼしのたまひ、世よの人ひとも言いひなししだに、なほ、さやはあるべき。

人ひと一人ひとりを思おもひかしづきたまはむゆゑは、ほとりまでもにほふ例ためしこそあれと、心得こころえざりしを、まして、かく末すゑに、すずろなる継子ままこかしづきをして、おのれ古ふるしたまへるいとほしみに、実法じほふなる人ひとのゆるぎどころあるまじきをとて、取とり寄よせもてかしづきたまふは、いかがつらからぬ」

 と、言いひ続つづけののしりたまへば、宮みやは、

「あな、聞ききにくや。世よに難なんつけられたまはぬ大臣おとどを、口くちにまかせてなおとしめたまひそ。かしこき人ひとは、思おもひおき、かかる報むくいもがなと、思おもふことこそはものせられけめ。さ思おもはるるわが身みの不幸ふかうなるにこそはあらめ。

つれなうて、皆みなかの沈しづみたまひし世よの報むくいは、浮うかべ沈しづめ、いとかしこくこそは思おもひわたいたまふめれ。おのれ一人ひとりをば、さるべきゆかりと思おもひてこそは、一年ひととせも、さる世よの響ひびきに、家いへよりあまることどももありしか。それをこの生しゃうの面目めいぼくにてやみぬべきなめり」

 とのたまふに、いよいよ腹立はらだちて、まがまがしきことなどを言いひ散ちらしたまふ。この大北おほきたの方かたぞ、さがな者ものなりける。

 大将だいしゃうの君きみ、かく渡わたりたまひにけるを聞ききて、

「いとあやしう、若々わかわかしき仲なからひのやうに、ふすべ顔がほにてものしたまひけるかな。正身さうじみは、しかひききりに際々きはぎはしき心こころもなきものを、宮みやのかく軽々かるがるしうおはする」

 と思おもひて、君達きむだちもあり、人目ひとめもいとほしきに、思おもひ乱みだれて、尚侍かんの君きみに、

「かくあやしきことなむはべる。なかなか心こころやすくは思おもひたまへなせど、さて片隅かたすみに隠かくろへてもありぬべき人ひとの心こころやすさを、おだしう思おもひたまへつるに、にはかにかの宮みやものしたまふならむ。人ひとの聞きき見みることも情なさけなきを、うちほのめきて、参まゐり来きなむ」

 とて出いでたまふ。

 よき上うへの御衣おほんぞ、柳やなぎの下襲したがさね、青鈍あをにびの綺きの指貫さしぬき着きたまひて、引ひきつくろひたまへる、いとものものし。「などかは似にげなからむ」と、人ひとびとは見みたてまつるを、尚侍かんの君きみは、かかることどもを聞ききたまふにつけても、身みの心こころづきなう思おぼし知しらるれば、見みもやりたまはず。

宮に恨み聞こえむとて

 宮みやに恨うらみ聞きこえむとて、参まうでたまふままに、まづ、殿とのにおはしたれば、木工もくの君きみなど出いで来きて、ありしさま語かたりきこゆ。姫君ひめぎみの御おほんありさま聞ききたまひて、男々ををしく念ねんじたまへど、ほろほろとこぼるる御みけしき、いとあはれなり。

「さても、世よの人ひとにも似にず、あやしきことどもを見み過すぐすここらの年としごろの心こころざしを、見知みしりたまはずありけるかな。いと思おもひのままならむ人ひとは、今いままでも立たちとまるべくやはある。よし、かの正身さうじみは、とてもかくても、いたづら人びとと見みえたまへば、同おなじことなり。幼をさなき人ひとびとも、いかやうにもてなしたまはむとすらむ」

 と、うち嘆なげきつつ、かの真木柱まきばしらを見みたまふに、手ても幼をさなけれど、心こころばへのあはれに恋こひしきままに、道みちすがら涙なみだおしのごひつつ参まうでたまへれば、対面たいめんしたまふべくもあらず。

「何なにか。ただ時ときに移うつる心こころの、今いまはじめて変かはりたまふにもあらず。年としごろ思おもひうかれたまふさま、聞ききわたりても久ひさしくなりぬるを、いづくをまた思おもひ直なほるべき折をりとか待またむ。いとどひがひがしきさまにのみこそ見みえ果はてたまはめ」

 と諌いさめ申まうしたまふ、ことわりなり。

「いと、若々わかわかしき心地ここちもしはべるかな。思おもほし捨すつまじき人ひとびともはべればと、のどかに思おもひはべりける心こころのおこたりを、かへすがへす聞きこえてもやるかたなし。今いまはただ、なだらかに御覧ごらんじ許ゆるして、罪つみさりどころなう、世人よひとにもことわらせてこそ、かやうにももてないたまはめ」

 など、聞きこえわづらひておはす。「姫君ひめぎみをだに見みたてまつらむ」と聞きこえたまへれど、出いだしたてまつるべくもあらず。

 男君をとこぎみたち、十とをなるは、殿上てんじゃうしたまふ。いとうつくし。人ひとにほめられて、容貌かたちなどようはあらねど、いとらうらうじう、ものの心こころやうやう知しりたまへり。

 次つぎの君きみは、八やつばかりにて、いとらうたげに、姫君ひめぎみにもおぼえたれば、かき撫なでつつ、

「あこをこそは、恋こひしき御形見おほんかたみにも見みるべかめれ」

 など、うち泣なきて語かたらひたまふ。宮みやにも、御みけしき賜たまはらせたまへど、

「風邪かぜおこりて、ためらひはべるほどにて」

 とあれば、はしたなくて出いでたまひぬ。

小君達をば車に乗せて

 小君達こきむだちをば車くるまに乗のせて、語かたらひおはす。六条殿ろくでうどのには、え率ゐておはせねば、殿とのにとどめて、

「なほ、ここにあれ。来きて見みむにも心こころやすかるべく」

 とのたまふ。うち眺ながめて、いと心細こころぼそげに見送みおくりたるさまども、いとあはれなるに、もの思おもひ加くははりぬる心地ここちすれど、女君をんなぎみの御おほんさまの、見みるかひありてめでたきに、ひがひがしき御おほんさまを思おもひ比くらぶるにも、こよなくて、よろづを慰なぐさめたまふ。

 うち絶たえて訪おとづれもせず、はしたなかりしにことづけ顔がほなるを、宮みやには、いみじうめざましがり嘆なげきたまふ。

 春はるの上うへも聞ききたまひて、

「ここにさへ、恨うらみらるるゆゑになるが苦くるしきこと」

 と嘆なげきたまふを、大臣おとどの君きみ、いとほしと思おぼして、

「難かたきことなり。おのが心こころひとつにもあらぬ人ひとのゆかりに、内裏うちにも心こころおきたるさまに思おぼしたなり。兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみやなども、怨えんじたまふと聞ききしを、さいへど、思おもひやり深ふかうおはする人ひとにて、聞ききあきらめ、恨うらみ解とけたまひにたなり。おのづから人ひとの仲なからひは、忍しのぶることと思おもへど、隠かくれなきものなれば、しか思おもふべき罪つみもなし、となむ思おもひはべる」

 とのたまふ。

かかることどもの騷ぎに

 かかることどもの騷さわぎに、尚侍かんの君きみの御みけしき、いよいよ晴はれ間まなきを、大将だいしゃうは、いとほしと思おもひあつかひきこえて、

「この参まゐりたまはむとありしことも、絶たえ切きれて、妨さまたげきこえつるを、内裏うちにも、なめく心こころあるさまに聞きこしめし、人ひとびとも思おぼすところあらむ。公人おほやけびとを頼たのみたる人ひとはなくやはある」

 と思おもひ返かへして、年とし返かへりて、参まゐらせたてまつりたまふ。男踏歌をとこたふかありければ、やがてそのほどに、儀式ぎしきいといまめかしく、二になくて参まゐりたまふ。

 かたがたの大臣おとどたち、この大将だいしゃうの御勢おほんいきほひさへさしあひ、宰相中将さいしゃうのちゅうじゃう、ねむごろに心こころしらひきこえたまふ。兄弟せうとの君達きむだちも、かかる折をりにと集つどひ、追従ついせうし寄よりて、かしづきたまふさま、いとめでたし。

 承香殿しゃうきゃうでんの東面ひむがしおもてに御局みつぼねしたり。西にしに宮みやの女御にょうごはおはしければ、馬道めだうばかりの隔へだてなるに、御心みこころのうちは、遥はるかに隔へだたりけむかし。御方々おほんかたがた、いづれとなく挑いどみ交かはしたまひて、内裏うちわたり、心こころにくくをかしきころほひなり。ことに乱みだりがはしき更衣かういたち、あまたもさぶらひたまはず。

 中宮ちうぐう、弘徽殿女御こきでんのにょうご、この宮みやの女御にょうご、左ひだりの大殿おほとのの女御にょうごなどさぶらひたまふ。さては、中納言ちうなごん、宰相さいしゃうの御女おほんむすめ二人ふたりばかりぞさぶらひたまひける。

踏歌は、方々に里人参り

 踏歌たふかは、方々かたがたに里人さとびと参まゐり、さまことに、けににぎははしき見物みものなれば、誰たれも誰たれもきよらを尽つくし、袖口そでぐちの重かさなり、こちたくめでたくととのへたまふ。春宮とうぐうの女御にょうごも、いとはなやかにもてなしたまひて、宮みやは、まだ若わかくおはしませど、すべていと今いまめかし。

 御前おまへ、中宮ちうぐうの御方おほんかた、朱雀院すざくゐんとに参まゐりて、夜よいたう更ふけにければ、六条ろくでうの院ゐんには、このたびは所狭ところせしとはぶきたまふ。朱雀院すざくゐんより帰かへり参まゐりて、春宮とうぐうの御方々おほんかたがためぐるほどに、夜よ明あけぬ。

 ほのぼのとをかしき朝あさぼらけに、いたく酔ゑひ乱みだれたるさまして、「竹河たけかは」謡うたひけるほどを見みれば、内うちの大殿おほとのの君達きむだちは、四し、五人ごにんばかり、殿上人てんじゃうびとのなかに、声こゑすぐれ、容貌かたちきよげにて、うち続つづきたまへる、いとめでたし。

 童わらはなる八郎君はちらうぎみは、むかひ腹ばらにて、いみじうかしづきたまふが、いとうつくしうて、大将殿だいしゃうどのの太郎君たらうぎみと立たち並なみたるを、尚侍かんの君きみも、よそ人びとと見みたまはねば、御目おほんめとまりけり。やむごとなくまじらひ馴なれたまへる御方々おほんかたがたよりも、この御局みつぼねの袖口そでぐち、おほかたのけはひ今いまめかしう、同おなじものの色いろあひ、襲かさなりなれど、ものよりことにはなやかなり。

 正身さうじみも女房にょうばうたちも、かやうに御心みこころやりて、しばしは過すぐいたまはまし、と思おもひあへり。

 皆みな同おなじごと、かづけわたす綿わたのさまも、匂にほひ香かことにらうらうじうしないたまひて、こなたは水駅みづむまやなりけれど、けはひにぎははしく、人ひとびと心懸想こころげさうしそして、限かぎりある御饗みあるじなどのことどもも、したるさま、ことに用意よういありてなむ、大将殿だいしゃうどのせさせたまへりける。

宿直所にゐたまひて

 宿直所とのゐどころにゐたまひて、日一日ひひとひ、聞きこえ暮くらしたまふことは、

「夜よさり、まかでさせたてまつりてむ。かかるついでにと、思おぼし移うつるらむ御宮仕おほんみやづかへなむ、やすからぬ」

 とのみ、同おなじことを責せめきこえたまへど、御返おほんかへりなし。さぶらふ人ひとびとぞ、

「大臣おとどの、心こころあわたたしきほどならで、まれまれの御参おほんまゐりなれば、御心みこころゆかせたまふばかり。許ゆるされありてを、まかでさせたまへと、聞きこえさせたまひしかば、今宵こよひは、あまりすがすがしうや」

 と聞きこえたるを、いとつらしと思おもひて、

「さばかり聞きこえしものを、さも心こころにかなはぬ世よかな」

 とうち嘆なげきてゐたまへり。

 兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみや、御前ごぜんの御遊おほんあそびにさぶらひたまひて、静心しづごころなく、この御局みつぼねのあたり思おもひやられたまへば、念ねんじあまりて聞きこえたまへり。大将だいしゃうは、司つかさの御曹司みざうしにぞおはしける。「これより」とて取とり入いれたれば、しぶしぶに見みたまふ。

「深山木みやまぎに羽はねうち交かはしゐる鳥とりのまたなくねたき春はるにもあるかな

さへづる声こゑも耳みみとどめられてなむ」

 とあり。いとほしう、面おもて赤あかみて、聞きこえむかたなく思おもひゐたまへるに、主上うへ渡わたらせたまふ。

月の明かきに

 月つきの明あかきに、御容貌おほんかたちはいふよしなくきよらにて、ただ、かの大臣おとどの御おほんけはひに違たがふところなくおはします。「かかる人ひとはまたもおはしけり」と、見みたてまつりたまふ。かの御心みこころばへは浅あさからぬも、うたてもの思おもひ加くははりしを、これは、などかはさしもおぼえさせたまはむ。いとなつかしげに、思おもひしことの違たがひにたる怨うらみをのたまはするに、面おもておかむかたなくぞおぼえたまふや。顔かほをもて隠かくして、御応おほんいらへもえ聞きこえたまはねば、

「あやしうおぼつかなきわざかな。よろこびなども、思おもひ知しりたまはむと思おもふことあるを、聞きき入いれたまはぬさまにのみあるは、かかる御癖おほんくせなりけり」

 とのたまはせて、

「などてかく灰はひあひがたき紫むらさきを心こころに深ふかく思おもひそめけむ

濃こくなり果はつまじきにや」

 と仰おほせらるるさま、いと若わかくきよらに恥はづかしきを、「違たがひたまへるところやある」と思おもひ慰なぐさめて、聞きこえたまふ。宮仕みやづかへの労らうもなくて、今年ことし、加階かかいしたまへる心こころにや。

「いかならむ色いろとも知しらぬ紫むらさきを心こころしてこそ人ひとは染そめけれ

今いまよりなむ思おもひたまへ知しるべき」

 と聞きこえたまへば、うち笑ゑみて、

「その、今いまより染そめたまはむこそ、かひなかべいことなれ。愁うれふべき人ひとあらば、ことわり聞きかまほしくなむ」

 と、いたう怨うらみさせたまふ御みけしきの、まめやかにわづらはしければ、「いとうたてもあるかな」とおぼえて、「をかしきさまをも見みえたてまつらじ、むつかしき世よの癖くせなりけり」と思おもふに、まめだちてさぶらひたまへば、え思おぼすさまなる乱みだれごともうち出いでさせたまはで、「やうやうこそは目馴めなれめ」と思おぼしけり。

大将は、かく渡らせたまへるを

 大将だいしゃうは、かく渡わたらせたまへるを聞ききたまひて、いとど静心しづごころなければ、急いそぎまどはしたまふ。みづからも、「似にげなきことも出いで来きぬべき身みなりけり」と心憂こころうきに、えのどめたまはず、まかでさせたまふべきさま、つきづきしきことづけども作つくり出いでて、父大臣ちちおとどなど、かしこくたばかりたまひてなむ、御暇おほんいとま許ゆるされたまひける。

「さらば。物懲ものごりして、また出いだし立たてぬ人ひともぞある。いとこそからけれ。人ひとより先さきに進すすみにし心こころざしの、人ひとに後おくれて、けしき取とり従したがふよ。昔むかしのなにがしが例ためしも、引ひき出いでつべき心地ここちなむする」

 とて、まことにいと口惜くちをしと思おぼし召めしたり。

 聞きこし召めししにも、こよなき近ちかまさりを、はじめよりさる御心みこころなからむにてだにも、御覧ごらんじ過すぐすまじきを、まいていとねたう、飽あかず思おぼさる。

 されど、ひたぶるに浅あさき方かたに、思おもひ疎うとまれじとて、いみじう心深こころぶかきさまにのたまひ契ちぎりて、なつけたまふも、かたじけなう、「われは、われ、と思おもふものを」と思おぼす。

 御輦車おほんてぐるま寄よせて、こなた、かなたの、御おほんかしづき人びとども心こころもとながり、大将だいしゃうも、いとものむつかしうたち添そひ、騷さわぎたまふまで、えおはしまし離はなれず。

「かういと厳きびしき近ちかき守まもりこそむつかしけれ」

 と憎にくませたまふ。

「九重ここのへに霞かすみ隔へだてば梅むめの花はなただ香かばかりも匂にほひ来こじとや」

 殊ことなることなきことなれども、御おほんありさま、けはひを見みたてまつるほどは、をかしくもやありけむ。

「野のをなつかしみ、明あかいつべき夜よを、惜をしむべかめる人ひとも、身みをつみて心苦こころぐるしうなむ。いかでか聞きこゆべき」

 と思おぼし悩なやむも、「いとかたじけなし」と、見みたてまつる。

「香かばかりは風かぜにもつてよ花はなの枝えに立たち並ならぶべき匂にほひなくとも」

 さすがにかけ離はなれぬけはひを、あはれと思おぼしつつ、返かへり見みがちにて渡わたらせたまひぬ。

やがて今宵、かの殿に

 やがて今宵こよひ、かの殿とのにと思おぼしまうけたるを、かねては許ゆるされあるまじきにより、漏もらしきこえたまはで、

「にはかにいと乱みだり風邪かぜの悩なやましきを、心こころやすき所ところにうち休やすみはべらむほど、よそよそにてはいとおぼつかなくはべらむを」

 と、おいらかに申まうしないたまひて、やがて渡わたしたてまつりたまふ。

 父大臣ちちおとど、にはかなるを、「儀式ぎしきなきやうにや」と思おぼせど、「あながちに、さばかりのことを言いひ妨さまたげむも、人ひとの心こころおくべし」と思おぼせば、

「ともかくも。もとより進退しんたいならぬ人ひとの御おほんことなれば」

 とぞ、聞きこえたまひける。

 六条殿ろくでうどのぞ、「いとゆくりなく本意ほいなし」と思おぼせど、などかはあらむ。女をんなも、塩しほやく煙けぶりのなびきけるかたを、あさましと思おぼせど、盗ぬすみもて行ゆきたらましと思おぼしなずらへて、いとうれしく心地ここちおちゐぬ。

 かの、入いりゐさせたまへりしことを、いみじう怨ゑんじきこえさせたまふも、心こころづきなく、なほなほしき心地ここちして、世よには心こころ解とけぬ御おほんもてなし、いよいよけしき悪あし。

 かの宮みやにも、さこそたけうのたまひしか、いみじう思おぼしわぶれど、絶たえて訪おとづれず。ただ思おもふことかなひぬる御おほんかしづきに、明あけ暮くれいとなみて過すぐしたまふ。

二月にもなりぬ

 二月きさらぎにもなりぬ。大殿おほとのは、

「さても、つれなきわざなりや。いとかう際々きはぎはしうとしも思おもはで、たゆめられたるねたさを」、人悪ひとわろく、すべて御心みこころにかからぬ折をりなく、恋こひしう思おもひ出いでられたまふ。

「宿世すくせなどいふもの、おろかならぬことなれど、わがあまりなる心こころにて、かく人ひとやりならぬものは思おもふぞかし」

 と、起おき臥ふし面影おもかげにぞ見みえたまふ。

 大将だいしゃうの、をかしやかに、わららかなる気けもなき人ひとに添そひゐたらむに、はかなき戯たはぶれごともつつましう、あいなく思おぼされて、念ねんじたまふを、雨あめいたう降ふりて、いとのどやかなるころ、かやうのつれづれも紛まぎらはし所どころに渡わたりたまひて、語かたらひたまひしさまなどの、いみじう恋こひしければ、御文おほんふみたてまつりたまふ。

 右近うこんがもとに忍しのびて遣つかはすも、かつは、思おもはむことを思おぼすに、何なにごともえ続つづけたまはで、ただ思おもはせたることどもぞありける。

「かきたれてのどけきころの春雨はるさめにふるさと人びとをいかに偲しのぶや

つれづれに添そへて、うらめしう思おもひ出いでらるること多おほうはべるを、いかでか分わき聞きこゆべからむ」

 などあり。

 隙ひまに忍しのびて見みせたてまつれば、うち泣なきて、わが心こころにも、ほど経ふるままに思おもひ出いでられたまふ御おほんさまを、まほに、「恋こひしや、いかで見みたてまつらむ」などは、えのたまはぬ親おやにて、「げに、いかでかは対面たいめんもあらむ」と、あはれなり。

 時々ときどき、むつかしかりし御みけしきを、心こころづきなう思おもひきこえしなどは、この人ひとにも知しらせたまはぬことなれば、心こころひとつに思おぼし続つづくれど、右近うこんは、ほのけしき見みけり。いかなりけることならむとは、今いまに心得こころえがたく思おもひける。

 御返おほんかへり、「聞きこゆるも恥はづかしけれど、おぼつかなくやは」とて、書かきたまふ。

「眺ながめする軒のきの雫しづくに袖そでぬれてうたかた人びとを偲しのばざらめや

ほどふるころは、げに、ことなるつれづれもまさりはべりけり。あなかしこ」

 と、ゐやゐやしく書かきなしたまへり。

引き広げて、玉水のこぼるるやうに

 引ひき広ひろげて、玉水たまみづのこぼるるやうに思おぼさるるを、「人ひとも見みば、うたてあるべし」と、つれなくもてなしたまへど、胸むねに満みつ心地ここちして、かの昔むかしの、尚侍かんの君きみを朱雀院すざくゐんの后きさきの切せちに取とり籠こめたまひし折をりなど思おぼし出いづれど、さしあたりたることなればにや、これは世よづかずぞあはれなりける。

「好すいたる人ひとは、心こころからやすかるまじきわざなりけり。今いまは何なににつけてか心こころをも乱みだらまし。似にげなき恋こひのつまなりや」

 と、さましわびたまひて、御琴おほんこと掻かき鳴ならして、なつかしう弾ひきなしたまひし爪音つまおと、思おもひ出いでられたまふ。あづまの調しらべを、すが掻がきて、

「玉藻たまもはな刈かりそ」

 と、歌うたひすさびたまふも、恋こひしき人ひとに見みせたらば、あはれ過すぐすまじき御おほんさまなり。

 内裏うちにも、ほのかに御覧ごらんぜし御容貌おほんかたちありさまを、心こころにかけたまひて、

「赤裳あかも垂たれ引ひき去いにし姿すがたを」

 と、憎にくげなる古事ふることなれど、御言種おほんことぐさになりてなむ、眺ながめさせたまひける。御文おほんふみは、忍しのび忍しのびにありけり。身みを憂うきものに思おもひしみたまひて、かやうのすさびごとをも、あいなく思おぼしければ、心こころとけたる御おほんいらへも聞きこえたまはず。

 なほ、かの、ありがたかりし御心おほんこころおきてを、かたがたにつけて思おもひしみたまへる御おほんことぞ、忘わすられざりける。

三月になりて、六条殿の御前の

 三月やよひになりて、六条殿ろくでうどのの御前おまへの、藤ふぢ、山吹やまぶきのおもしろき夕ゆふばえを見みたまふにつけても、まづ見みるかひありてゐたまへりし御おほんさまのみ思おぼし出いでらるれば、春はるの御前おまへをうち捨すてて、こなたに渡わたりて御覧ごらんず。

 呉竹くれたけの籬ませに、わざとなう咲さきかかりたるにほひ、いとおもしろし。

「色いろに衣ころもを」

 などのたまひて、

「思おもはずに井手いでの中なか道みち隔へだつとも言いはでぞ恋こふる山吹やまぶきの花はな

顔かほに見みえつつ」

 などのたまふも、聞きく人ひとなし。かく、さすがにもて離はなれたることは、このたびぞ思おぼしける。げに、あやしき御心みこころのすさびなりや。

 かりの子このいと多おほかるを御覧ごらんじて、柑子かうじ、橘たちばななどやうに紛まぎらはして、わざとならずたてまつれたまふ。御文おほんふみは、「あまり人ひともぞ目め立たつる」など思おぼして、すくよかに、

「おぼつかなき月日つきひも重かさなりぬるを、思おもはずなる御おほんもてなしなりと恨うらみきこゆるも、御心みこころひとつにのみはあるまじう聞ききはべれば、ことなるついでならでは、対面たいめんの難かたからむを、口惜くちをしう思おもひたまふる」

 など、親おやめき書かきたまひて、

「同おなじ巣すにかへりしかひの見みえぬかないかなる人ひとか手てににぎるらむ

などか、さしもなど、心こころやましうなむ」

 などあるを、大将だいしゃうも見みたまひて、うち笑わらひて、

「女をんなは、まことの親おやの御おほんあたりにも、たはやすくうち渡わたり見みえたてまつりたまはむこと、ついでなくてあるべきことにあらず。まして、なぞ、この大臣おとどの、をりをり思おもひ放はなたず、恨うらみ言ごとはしたまふ」

 と、つぶやくも、憎にくしと聞ききたまふ。

「御返おほんかへり、ここにはえ聞きこえじ」

 と、書かきにくくおぼいたれば、

「まろ聞きこえむ」

 と代かはるも、かたはらいたしや。

「巣隠すがくれて数かずにもあらぬかりの子こをいづ方かたにかは取とり隠かくすべき

よろしからぬ御みけしきにおどろきて。すきずきしや」

 と聞きこえたまへり。

「この大将だいしゃうの、かかるはかなしごと言いひたるも、まだこそ聞きかざりつれ。めづらしう」

 とて、笑わらひたまふ。心こころのうちには、かく領りゃうじたるを、いとからしと思おぼす。

かの、もとの北の方は

 かの、もとの北きたの方かたは、月日つきひ隔へだたるままに、あさましと、ものを思おもひ沈しづみ、いよいよ呆ほけ疾しれてものしたまふ。大将殿だいしゃうどののおほかたの訪とぶらひ、何なにごとをも詳くはしう思おぼしおきて、君達きむだちをば、変かはらず思おもひかしづきたまへば、えしもかけ離はなれたまはず、まめやかなる方かたの頼たのみは、同おなじことにてなむものしたまひける。

 姫君ひめぎみをぞ、堪たへがたく恋こひきこえたまへど、絶たえて見みせたてまつりたまはず。若わかき御心みこころのうちに、この父君ちちぎみを、誰たれも誰たれも、許ゆるしなう恨うらみきこえて、いよいよ隔へだてたまふことのみまされば、心細こころぼそく悲かなしきに、男君をとこぎみたちは、常つねに参まゐり馴なれつつ、尚侍かんの君きみの御おほんありさまなどをも、おのづからことにふれてうち語かたりて、

「まろらをも、らうたくなつかしうなむしたまふ。明あけ暮くれをかしきことを好このみてものしたまふ」

 など言いふに、うらやましう、かやうにても安やすらかに振ふる舞まふ身みならざりけむを嘆なげきたまふ。あやしう、男をとこ女をんなにつけつつ、人ひとにものを思おもはする尚侍かんの君きみにぞおはしける。

その年の十一月に

 その年としの十一月しもつきに、いとをかしき稚児ちごをさへ抱いだき出いでたまへれば、大将だいしゃうも、思おもふやうにめでたしと、もてかしづきたまふこと、限かぎりなし。そのほどのありさま、言いはずとも思おもひやりつべきことぞかし。父大臣ちちおとども、おのづから思おもふやうなる御宿世おほんすくせと思おぼしたり。

 わざとかしづきたまふ君達きむだちにも、御容貌おほんかたちなどは劣おとりたまはず。頭中将とうのちゅうじゃうも、この尚侍かんの君きみを、いとなつかしきはらからにて、睦むつびきこえたまふものから、さすがなる御おほんけしきうちまぜつつ、

「宮仕みやづかひに、かひありてものしたまはましものを」

 と、この若君わかぎみのうつくしきにつけても、

「今いままで皇子みこたちのおはせぬ嘆なげきを見みたてまつるに、いかに面目めんぼくあらまし」

 と、あまりのことをぞ思おもひてのたまふ。

 公事おほやけごとは、あるべきさまに知しりなどしつつ、参まゐりたまふことぞ、やがてかくてやみぬべかめる。さてもありぬべきことなりかし。

まことや、かの内の大殿の御女の

 まことや、かの内うちの大殿おほいどのの御女おほんむすめの、尚侍ないしのかみのぞみし君きみも、さるものの癖くせなれば、色いろめかしう、さまよふ心こころさへ添そひて、もてわづらひたまふ。女御にょうごも、「つひに、あはあはしきこと、この君きみぞ引ひき出いでむ」と、ともすれば、御胸おほんむねつぶしたまへど、大臣おとどの、

「今いまは、なまじらひそ」

 と、制せいしのたまふをだに聞きき入いれず、まじらひ出いでてものしたまふ。

 いかなる折をりにかありけむ、殿上人てんじゃうびとあまた、おぼえことなる限かぎり、この女御にょうごの御方おほんかたに参まゐりて、物ものの音ねなど調しらべ、なつかしきほどの拍子ひゃうし打うち加くはへてあそぶ。秋あきの夕ゆふべのただならぬに、宰相中将さいしゃうのちゅうじゃうも寄よりおはして、例れいならず乱みだれてものなどのたまふを、人ひとびとめづらしがりて、

「なほ、人ひとよりことにも」

 とめづるに、この近江あふみの君きみ、人ひとびとの中なかを押おし分わけて出いでゐたまふ。

「あな、うたてや。こはなぞ」

 と引ひき入いるれど、いとさがなげににらみて、張はりゐたれば、わづらはしくて、

「あうなきことや、のたまひ出いでむ」

 と、つき交かはすに、この世よに目馴めなれぬまめ人びとをしも、

「これぞな、これぞな」

 とめでて、ささめき騒さわぐ声こゑ、いとしるし。人ひとびと、いと苦くるしと思おもふに、声こゑいとさはやかにて、

「沖おきつ舟ふねよるべ波路なみぢに漂ただよはば棹さをさし寄よらむ泊とまり教をしへよ

棚たななし小舟をぶね漕こぎ返かへり、同おなじ人ひとをや。あな、悪わるや」

 と言いふを、いとあやしう、

「この御方おほんかたには、かう用意よういなきこと聞きこえぬものを」と思おもひまはすに、「この聞きく人ひとなりけり」

 と、をかしうて、

「よるべなみ風かぜの騒さはがす舟人ふなびとも思おもはぬ方かたに磯伝いそづたひせず」

 とて、はしたなかめり、とや。

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