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『平家物語』の冒頭「祇園精舎」の原文と現代語訳をわかりやすく解説

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『平家物語』の「祇園精舎」は、巻第一の冒頭に置かれた章段です。

祇園精舎の鐘の音と娑羅双樹の花の色を通して、この世の移り変わりと栄華のはかなさが語られます。続いて中国と日本の人物を挙げ、平清盛のありさまとその先祖へと話が進みます。

この記事では、「祇園精舎」の原文・現代語訳・語釈を短いまとまりごとに紹介します。章段の最後まで読み進めたあと、原文全文と現代語訳全文を通して読めます。

目次

「祇園精舎」原文と現代語訳

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

原文

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひび)きあり。娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)のことわりをあらはす。おごれる人(ひと)も久(ひさ)しからず、ただ春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)のごとし。たけき者(もの)もつひにほろびぬ、ひとへに風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。

現代語訳

祇園精舎の鐘の音には、すべてのものは移り変わり、永遠に変わらないものはないという響きがある。娑羅双樹の花の色は、栄える者も必ず衰えるという道理を表している。思い上がった者の栄華も長くは続かず、ただ春の夜の夢のようである。勢いの激しい者もついには滅びてしまう。まったく風の前の塵と同じである。

語釈
  • ぎおんしょうじゃ【祇園精舎】:古代インドの舎衛城の郊外にあった仏教の僧院。釈迦が説法をした場所として知られる。
  • しょぎょうむじょう【諸行無常】:この世のすべてのものは絶えず変化し、いつまでも同じ状態ではいられないということ。
  • しゃらそうじゅ【娑羅双樹】:釈迦が亡くなったとき、病床の四方に二本ずつあったと伝えられる娑羅の木。釈迦の死とともに白く枯れたという。
  • じょうしゃひっすい【盛者必衰】:栄えている者も必ず衰えるということ。
  • ことわり【理】:道理。物事の筋道。
  • おごれる【驕れる】:権力や富を誇り、思い上がっている。

遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高

原文

遠(とほ)く異朝(いてう)をとぶらへば、秦(しん)の趙高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周伊(しうい)、唐(たう)の禄山(ろくさん)、これらはみな旧主先皇(きうしゆせんくわう)の政(まつりごと)にもしたがはず、楽(たの)しみをきはめ、諫(いさ)めをおもひいれず、天下(てんが)のみだれむことをさとらずして、民間(みんかん)の愁(うれ)ふるところをしらざりしかば、久(ひさ)しからずして亡(ぼう)じし者(もの)どもなり。

現代語訳

遠く中国の例を調べてみると、秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の禄山がいる。これらはみな、かつての主君や先の皇帝の政治に従わず、楽しみの限りを尽くし、人の忠告を心に留めず、天下が乱れるであろうことにも気づかず、民が苦しんでいることを知らなかったため、長くは続かずに滅びた者たちである。

語釈
  • いちょう【異朝】:外国。ここでは中国。
  • とぶらふ【訪ふ】:尋ねる。ここでは過去の例を調べる。
  • しんのちょうこう【秦の趙高】:中国の秦の宦官。始皇帝の死後に権力を握ったが、のちに殺された。
  • かんのおうもう【漢の王莽】:中国の前漢の臣下。皇帝の位を奪って新という王朝を立てたが、のちに倒された。
  • りょうのしゅうい【梁の周伊】:中国の梁の臣下。朱异を指すとされる。
  • とうのろくさん【唐の禄山】:中国の唐の武将、安禄山。玄宗の時代に反乱を起こした。
  • いさめ【諫め】:目上の人の過ちを指摘し、改めるよう忠告すること。
  • おもひいる【思ひ入る】:深く心に留める。

近く本朝をうかがふに、承平の将門

原文

近(ちか)く本朝(ほんてう)をうかがふに、承平(しようへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、康和(かうわ)の義親(よしちか)、平治(へいぢ)の信頼(のぶより)、これらはおごれる心(こころ)もたけきこともみなとりどりにこそありしかども、まぢかくは六波羅(ろくはら)の入道(にふだう)、前(さきの)太政大臣(だいじやうだいじん)平朝臣(たひらのあそん)清盛公(きよもりこう)と申(まう)し人(ひと)のありさま、伝(つた)へうけたまはるこそ心(こころ)も詞(ことば)も及(およ)ばれね。

現代語訳

近く日本の例を見ると、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼がいる。これらの者は、思い上がった心も勢いの激しさもそれぞれであったが、近い時代では六波羅の入道、前太政大臣平朝臣清盛公という方のありさまを伝え聞くと、想像することも言葉に表すこともできないほどである。

語釈
  • ほんちょう【本朝】:自分の国。ここでは日本。
  • しょうへいのまさかど【承平の将門】:関東で勢力を広げ、朝廷に反旗を翻した平将門。承平は年号。
  • てんぎょうのすみとも【天慶の純友】:天慶年間に瀬戸内海周辺で反乱を起こした藤原純友。天慶は年号。
  • こうわのよしちか【康和の義親】:康和年間に九州で乱行を働いた源義親。康和は年号。
  • へいじののぶより【平治の信頼】:平治の乱を起こした藤原信頼。平治は年号。
  • ろくはら【六波羅】:京都の地名。清盛の邸宅があった場所。
  • にゅうどう【入道】:出家した人。ここでは平清盛。
  • さきのだいじょうだいじん【前太政大臣】:以前、太政大臣を務めた人。太政大臣は太政官の最高の官職。
  • あそん【朝臣】:姓(かばね)の一つ。氏の名に添えて用いられる。

その先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子

原文

その先祖(せんぞ)を尋(たづ)ぬれば、桓武天皇(くわんむてんわう)第五(だいご)の皇子(わうじ)、一品(いつぽん)式部卿(しきぶきやう)葛原親王(かづらはらしんわう)九代(きうだい)の後胤(こういん)讃岐守(さぬきのかみ)正盛(まさもり)が孫(まご)、刑部卿(ぎやうぶきやう)忠盛朝臣(ただもりのあそん)の嫡男(ちやくなん)なり。かの親王(しんわう)の御子(みこ)、高視王(たかみのわう)無官無位(むくわんむゐ)にして、うせたまひぬ。その御子(みこ)高望(たかもち)の王(わう)のとき始(はじ)めて平(たひら)の姓(しやう)をたまひて、上総介(かづさのすけ)になりたまひしより、たちまちに王氏(わうし)を出(い)でて人臣(じんしん)につらなる。

現代語訳

その先祖をたどると、清盛は桓武天皇の第5皇子である一品式部卿葛原親王の9代後の子孫に当たり、讃岐守正盛の孫で、刑部卿忠盛朝臣の嫡男である。その葛原親王の御子、高視王は官職も位階もないまま亡くなられた。その御子である高望王の代になって初めて平の姓を授けられ、上総介になられたことから、すぐに王族の身分を離れて臣下の列に加わった。

語釈
  • いっぽん【一品】:親王・内親王に与えられる位のうち、最も高い位。
  • しきぶきょう【式部卿】:文官の人事などを扱う式部省の長官。
  • こういん【後胤】:子孫。
  • さぬきのかみ【讃岐守】:讃岐国の国司の長官。讃岐国は現在の香川県。
  • ぎょうぶきょう【刑部卿】:裁判や刑罰を扱う刑部省の長官。
  • かずさのすけ【上総介】:上総国の国司の次官。上総国は現在の千葉県の中部に当たる。

その子鎮守府将軍義茂

原文

その子(こ)鎮守府将軍(ちんじゆふしやうぐん)義茂(よしもち)後(のち)には国香(くにか)とあらたむ。国香(くにか)より正盛(まさもり)に至(いた)るまで、六代(ろくだい)は諸国(しよこく)の受領(じゆりやう)たりしかども、殿上(てんじやう)の仙籍(せんせき)をばいまだゆるされず。

現代語訳

その子は鎮守府将軍義茂で、後に国香と名を改めた。国香から正盛に至るまでの6代は諸国の受領を務めていたが、殿上人の名簿に名を連ねることはまだ許されていなかった。

語釈
  • ちんじゅふしょうぐん【鎮守府将軍】:陸奥国に置かれた鎮守府の長官。
  • じゅりょう・ずりょう【受領】:任地の政治を担う国司の最高責任者。
  • てんじょうのせんせき【殿上の仙籍】:殿上人の名簿。また、そこに名を載せて昇殿を許される資格。

「祇園精舎」の原文全文を通して読む

 祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひび)きあり。娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)のことわりをあらはす。おごれる人(ひと)も久(ひさ)しからず、ただ春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)のごとし。たけき者(もの)もつひにほろびぬ、ひとへに風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。

 遠(とほ)く異朝(いてう)をとぶらへば、秦(しん)の趙高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周伊(しうい)、唐(たう)の禄山(ろくさん)、これらはみな旧主先皇(きうしゆせんくわう)の政(まつりごと)にもしたがはず、楽(たの)しみをきはめ、諫(いさ)めをおもひいれず、天下(てんが)のみだれむことをさとらずして、民間(みんかん)の愁(うれ)ふるところをしらざりしかば、久(ひさ)しからずして亡(ぼう)じし者(もの)どもなり。

 近(ちか)く本朝(ほんてう)をうかがふに、承平(しようへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、康和(かうわ)の義親(よしちか)、平治(へいぢ)の信頼(のぶより)、これらはおごれる心(こころ)もたけきこともみなとりどりにこそありしかども、まぢかくは六波羅(ろくはら)の入道(にふだう)、前(さきの)太政大臣(だいじやうだいじん)平朝臣(たひらのあそん)清盛公(きよもりこう)と申(まう)し人(ひと)のありさま、伝(つた)へうけたまはるこそ心(こころ)も詞(ことば)も及(およ)ばれね。

 その先祖(せんぞ)を尋(たづ)ぬれば、桓武天皇(くわんむてんわう)第五(だいご)の皇子(わうじ)、一品(いつぽん)式部卿(しきぶきやう)葛原親王(かづらはらしんわう)九代(きうだい)の後胤(こういん)讃岐守(さぬきのかみ)正盛(まさもり)が孫(まご)、刑部卿(ぎやうぶきやう)忠盛朝臣(ただもりのあそん)の嫡男(ちやくなん)なり。かの親王(しんわう)の御子(みこ)、高視王(たかみのわう)無官無位(むくわんむゐ)にして、うせたまひぬ。その御子(みこ)高望(たかもち)の王(わう)のとき始(はじ)めて平(たひら)の姓(しやう)をたまひて、上総介(かづさのすけ)になりたまひしより、たちまちに王氏(わうし)を出(い)でて人臣(じんしん)につらなる。

 その子(こ)鎮守府将軍(ちんじゆふしやうぐん)義茂(よしもち)後(のち)には国香(くにか)とあらたむ。国香(くにか)より正盛(まさもり)に至(いた)るまで、六代(ろくだい)は諸国(しよこく)の受領(じゆりやう)たりしかども、殿上(てんじやう)の仙籍(せんせき)をばいまだゆるされず。

「祇園精舎」の現代語訳全文を通して読む

 祇園精舎の鐘の音には、すべてのものは移り変わり、永遠に変わらないものはないという響きがある。娑羅双樹の花の色は、栄える者も必ず衰えるという道理を表している。思い上がった者の栄華も長くは続かず、ただ春の夜の夢のようである。勢いの激しい者もついには滅びてしまう。まったく風の前の塵と同じである。

 遠く中国の例を調べてみると、秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の禄山がいる。これらはみな、かつての主君や先の皇帝の政治に従わず、楽しみの限りを尽くし、人の忠告を心に留めず、天下が乱れるであろうことにも気づかず、民が苦しんでいることを知らなかったため、長くは続かずに滅びた者たちである。

 近く日本の例を見ると、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼がいる。これらの者は、思い上がった心も勢いの激しさもそれぞれであったが、近い時代では六波羅の入道、前太政大臣平朝臣清盛公という方のありさまを伝え聞くと、想像することも言葉に表すこともできないほどである。

 その先祖をたどると、清盛は桓武天皇の第5皇子である一品式部卿葛原親王の9代後の子孫に当たり、讃岐守正盛の孫で、刑部卿忠盛朝臣の嫡男である。その葛原親王の御子、高視王は官職も位階もないまま亡くなられた。その御子である高望王の代になって初めて平の姓を授けられ、上総介になられたことから、すぐに王族の身分を離れて臣下の列に加わった。

 その子は鎮守府将軍義茂で、後に国香と名を改めた。国香から正盛に至るまでの6代は諸国の受領を務めていたが、殿上人の名簿に名を連ねることはまだ許されていなかった。

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