このページでは、清少納言『枕草子』第279段から第319段までの現代語訳全文を掲載しています。
原文は古文の教科書や参考書にも多く採用され、一般に広く知られている「三巻本」をもとにしています。原文の内容を保ちながら、わかりやすく読みやすい口語訳にしました。原文とあわせて読みたい方は、『枕草子』原文全文(13)第279段~第319段をご覧ください。
第279段「たふときこと」
尊いもの。九条の錫杖。念仏の回向。
第280段「歌は」
歌は、風俗。中でも「杉立てる門」。神楽歌も趣がある。今様歌は長くて、独特の節回しがある。
第281段「指貫は」
指貫は、濃い紫。萌黄。夏は二藍。とても暑いころには、夏虫の色をしたものも涼しげである。
第282段「狩衣は」
狩衣は、薄い香染。白。ふくさ。赤色。松の葉色。青葉。桜。柳。また青。藤。男は、どの色の衣でも着るのがよい。
第283段「単は」
単は白がよい。晴れの日の装束で、紅の単の袙などをちょっと着るのもよい。けれども、やはり白がよい。
黄ばんだ単などを着ている人は、ひどく感じが悪い。
練色の衣などを着ていても、やはり単は白であってほしい。
第284段「下襲は」
下襲は、冬なら躑躅、桜、掻練襲、蘇芳襲。夏なら二藍、白襲。
第285段「扇の骨は」
扇の骨は、朴。色は赤、紫、緑。
第286段「檜扇は」
檜扇は、無紋。唐絵。
第287段「神は」
神は、松尾。
八幡は、この国の帝でいらしたというのがすばらしい。行幸などのとき、なぎの花の御輿にお乗せ申し上げるのも、たいそうすばらしい。
大原野、春日も、たいそう尊くすばらしい。
平野には、使われていない建物があったので、
「何をする所なの」
と尋ねたところ、
「御輿宿です」
と言ったのも、とてもすばらしく思われた。
斎垣に蔦などがたくさんからみつき、紅葉がいろいろな色になっていたのも、
「秋にはあへず」
という貫之の歌が思い出されて、しみじみと長いこと立って眺めていた。
みこもりの神も、また趣がある。
賀茂は、言うまでもない。
稲荷。
第288段「崎は」
崎は、唐崎。三保が崎。
第289段「屋は」
屋は、丸屋。東屋。
第290段「時奏するいみじうをかし」
時奏をするのは、とても趣がある。ひどく寒い真夜中ごろ、どしどしと音を立て、沓をすってやって来て、弓の弦を鳴らして、
「何の何某、時は丑三つ、子四つ」
などと、遠くまで響く声で言い、時を示す杭を差す音などがするのは、とても趣がある。
「子九つ、丑八つ」
などと、宮中のことをよく知らない人は言う。すべて、どの時刻も、杭を差すのはただ四つだけなのである。
第291段「日のうらうらとある昼つ方」
日のうららかな昼ごろ、また、夜がたいそう更けて、もう子の刻ごろにもなっただろう、もうお休みになったのではないかなどと思っているときに、
「男ども」
とお呼びになるのが、とてもすばらしい。
真夜中ごろに、御笛の音が聞こえるのも、またたいそうすばらしい。
第292段「成信の中将は」
成信の中将は、入道兵部卿の宮の御子で、顔立ちがたいそう美しく、気立ても趣深い方である。伊予守兼資の娘と別れ、その娘が親に連れられて伊予へ下ったときには、どれほど悲しかったことだろうと思われた。明け方に出発するというので、その前夜にお訪ねになり、有明の月のころにお帰りになったのであろう、その直衣姿などは、さぞすばらしかったことだろう。
その君は、いつも座って話をし、人のことについても、悪いものは悪いとはっきりおっしゃっていた。ところが、物忌の折に使う「つのかめ」などに立てて食べる物や「まつかいけ」など、そのような物の名を姓に持つ人がいて、別の人の養子となって「平」などと名乗っているのに、若い女房たちはもとの姓ばかりを口癖のようにして笑っていた。とりたてて変わった様子でもなく、趣のあるところからも遠い人なのだが、それでも人に交じって気もきくので、御前のあたりでも「見苦しい」などと仰せられるけれど、意地が悪いのか、本人に告げる人もいない。
一条院にお造りになった一間の部屋には、嫌いな人は決して近づけない。東の御門にまっすぐ向かい、たいそう趣のある小廂で、式部のおもとと二人、夜も昼もそこにいるので、上もいつも何かご覧になるためにお入りになる。
「今夜は、ここで寝よう」
と言って、南の廂に二人で横になったあと、ひどく呼ぶ人がいるので、「うるさいね」などと言い合って寝たふりをしていると、なおもたいそうやかましく呼ぶので、
「その人を起こせ。寝たふりだろう」
と仰せられた。この兵部が来て起こすけれど、ひどく寝入っているようにしているので、
「どうしてもお起きにならないようです」
と言いに行ったところ、そのままそこに座り込んで話をしているらしい。
少しの間かと思っているうちに、夜はずいぶん更けた。
「権中将なのだろう。いったい何を、あんなに話し込んでいるのだろう」
と言って、こっそりひどく笑っているのも、相手には知るよしもない。明け方まで話し明かして帰っていった。
また、
「この君は、たいへんな方だね。今度お寄りになっても、もう話はしない。いったい何を、あれほど夜通し話すのだろう」
などと言って笑っていると、遣戸を開けて女が入って来た。
翌朝、廂で人が話しているのを聞くと、
「雨がひどく降る折に訪ねて来る人は、しみじみとうれしいものだ。日ごろ会えずに心もとなく、つらいことがあったとしても、そうして濡れて来たなら、つらかったこともみな忘れてしまうだろう」
と言うが、どうしてそんなことを言うのだろう。
たしかに、昨夜も、その前の夜も、さらにその前の夜も、このところ続けて通って来る人が、今夜のひどい雨にもかまわず来たなら、「やはり一夜も隔てまいと思っているのだな」としみじみ感じるだろう。そうではなく、日ごろは姿も見せず、気がかりなまま過ごさせている人が、こんな折にだけ来るのは、決して誠意があるからだとは思わない。人の心はそれぞれだからだろうか。物事をよくわきまえた、気のきく女と親しくし、ほかにも通う所が多く、昔からの縁のある女などもいて、しげしげとは姿を見せない男が、それでも「あのひどい雨の夜に来てくれた」などと人に語り継がせ、ほめてもらおうと思ってすることなのではないか。
それも、まったく気持ちがないのなら、たしかに何のために、作り事にせよ姿を見せようと思うだろう。けれど、雨が降ると、ただただうっとうしく、今朝まで晴れ晴れしていた空とも思えないほど嫌になり、どんなに立派な細殿も、すばらしい所とも思えない。まして普通の家などでは、早く降りやんでほしいとしか思わない。
雨には、趣のあることも、しみじみ心を動かすこともない。それに比べて、明るい月は、過ぎ去った昔からこれから先のことまで、思い残すことなく心に浮かび、心もさまよい出るようで、すばらしく、しみじみとした気持ちは比べるものがない。そんな月夜に訪ねて来る人なら、十日、二十日、一月、あるいは一年、まして七、八年ぶりに思い出して来たとしても、とても趣深く思えて、どうにもならないほど都合の悪い所で、人目を避けなければならない事情があっても、必ず立ったままでも話をして帰すだろうし、泊まれそうなら泊めもするだろう。
月が明るいのを見るほど、遠いことまで思いが及び、昔のつらかったことも、うれしかったことも、趣深いと思ったことも、今のことのように思い出される折がほかにあるだろうか。『こま野の物語』は、それほどおもしろいこともなく、言葉も古めかしく、見どころも多くないけれど、月を見て昔を思い出し、虫に食われた蝙蝠を取り出して、
「もとみしこまに」
と言って尋ねたところが、しみじみと心に残るのである。
私は雨を気がもめるものと思い込んでいるからだろうか、ほんのしばらく降るだけでもひどく嫌である。尊いことも、おもしろいはずのことも、ありがたくすばらしいはずのことも、雨さえ降れば台なしで残念なのに、どうして、濡れて恨み言を言いながら訪ねて来るのがすばらしいのだろう。
交野の少将をまねた『落窪物語』の少将などはおもしろい。昨夜も一昨日の夜も来ていたからこそ、それも趣があるのである。足を洗ったところは嫌だ。きっと汚かったのだろう。
風などが吹く荒々しい夜に来るのは、頼もしく、うれしくもあるだろう。
雪こそすばらしい。
「忘れようか、いや忘れない」
などとひとりごとを言い、忍んで通う所なら言うまでもなく、そうでない所でも、直衣などはもちろん、上の衣や、蔵人の青色などが、ひどく冷たそうに濡れているのは、とても趣があるだろう。緑衫であっても、雪にさえ濡れていれば嫌ではあるまい。昔の蔵人は、夜など人の所へ行くにも、青色だけを着て、雨に濡れれば絞ったりもしたという。今では昼でさえ着ないようだ。ただ緑衫だけをかぶるように着ているらしい。衛府の人などが着ていたのは、ましてたいそう趣があったものなのに。こんなことを聞いて、雨の中をわざわざ歩き回る人が出て来るのだろうか。
月のたいそう明るい夜、これもたいそう赤い紙に、ただ、
「あらずとも」
と書いてあるのを、廂に差し込む月の光にかざして人が見ていたのは、趣深かった。雨の降る折に、そんなことがあるだろうか。
第293段「つねに文おこする人の」
いつも手紙をよこす人が、
「もう何を言ってもしかたがない。今となっては」
と言って、その翌日に何の便りもないと、やはり、朝になるといつも差し出されていた手紙が見えないのは寂しいと思って、
「それにしても、ずいぶんきっぱりした心だこと」
と言いながら一日を過ごした。
その次の日、雨がひどく降るのに、昼まで何の便りもないので、
「すっかり思い切ってしまったのだ」
などと言って端近くに座っていると、夕暮れに、傘をさした者が持って来た手紙を、いつもより早く開けて見る。そこにはただ、
「水増す雨の」
とだけある。たくさん詠んで寄こした歌よりも、かえって趣がある。
第294段「今朝はさしも見えざりつる空の」
今朝はそれほどでもなかった空が、ひどく暗くかき曇り、雪があたりを暗くするほど降って、心細く外を眺める間もなく真っ白に積もり、それでもなお激しく降っているとき、随身のような細身の男が、傘をさして脇の塀の戸から入り、手紙を差し入れるのは趣がある。
たいそう白い陸奥紙に、白い色紙を結びつけ、その上に引いた墨が急に凍ったため、末のほうが薄くなっている。それを開けると、細く巻いて結んであり、巻き目は細かくくぼみ、墨はたいそう黒く、また薄く、何行にもわたって裏表に書き乱してある。それを裏返したりしながら長いこと見ている人を、「何が書いてあるのだろう」と離れた所から眺めるのも趣がある。
まして、読んでいる人がふっと微笑むところなどは、何が書いてあるのかとても知りたくなるけれど、遠くに座っている者には、黒い文字があることくらいしか分からない。
額髪が長く、顔立ちのよい人が、暗いころに手紙を受け取り、火をともすまで待ちきれないのか、火桶の火を火箸で持ち上げ、たどたどしげに読んでいるのは趣がある。
第295段「きらきらしきもの」
華やかで立派なもの。大将が御前駆を走らせているところ。孔雀経の御読経。御修法。五大尊の御修法。御斎会。
蔵人である式部丞が、白馬の節会の日に大路を練り歩くところ。その日、ゆげひの佐が摺衣を着ているところ。
尊勝王の御修法。季の御読経。熾盛光の御読経。
第296段「神のいたう鳴るをりに」
雷が激しく鳴るときの雷鳴の陣は、たいそう恐ろしい。左右の大将、中将、少将などが御格子のそばに控えていらっしゃるのは、お気の毒である。雷が鳴り終わると、大将が命じて、
「下がれ」
とおっしゃる。
第297段「坤元録の御屏風こそ」
『坤元録』の御屏風は趣深く思われる。『漢書』の屏風は、勇ましい感じがする。月ごとの行事を描いた御屏風も趣がある。
第298段「節分違へなどして夜深く帰る」
節分違えなどをして夜更けに帰ると、寒さがたまらず、あごなど落ちてしまいそうなのを、ようやく帰り着いて火桶を引き寄せる。その火が大きく、少しも黒ずんだ所がなく見事なのを、細かな灰の中から掘り起こすのは、とても趣がある。
また、話などをしていて火が消えかけたのにも気づかずにいるところへ、別の人が来て炭を入れて火をおこすのは、とても嫌だ。ただし、炭を周りに置いて、中央に火を残しておくのはよい。火をみな外側へかきやって、炭を重ね、その頂に火を置くのは、とてもうっとうしい。
第299段「雪のいと高う降りたるを」
雪がたいそう高く積もっているのに、いつもと違って御格子を下ろし、炭櫃に火をおこして、物語などをしながら皆で集まって控えていると、
「少納言よ、香炉峰の雪はどうであろう」
と仰せられたので、御格子を上げさせ、御簾を高く巻き上げると、お笑いになった。
人々も、
「その故事は知っていて、歌にまで詠むけれど、そんなふうに思いつきはしなかった。やはり、この宮にお仕えする人ならではなのだろう」
と言う。
第300段「陰陽師のもとなる小童べこそ」
陰陽師のもとにいる小童たちは、たいそう物事をよく知っている。祓などをしに出かけると、祭文などを読むのを人はまだ聞いているのに、さっと立って走り、
「酒や水をかけさせよ」
とも言われないうちから動き回る。そのように作法を知り、少しも主人に指図させないのがうらやましい。そんな者がいてほしい、使いたいものだと思う。
第301段「三月ばかり物忌しにとて」
三月ごろ、物忌をするために、一時的に人の家へ移っていた。そこには、たいした木もない中に柳があったが、いつもの柳のようにしなやかではなく、横に広がって不格好なので、
「柳ではないのでしょう」
と言うと、
「こういう柳もあります」
などと言うので、
利口ぶった柳の眉が広がって、春の顔を伏せさせている宿だこと
と見える。
そのころ、また同じように物忌をして、そういう所に出ていた。二日という日の昼ごろ、ひどく退屈が募って、今すぐにも宮中へ参りたい気持ちになっていた、ちょうどそのときに仰せごとの手紙が来たので、たいそううれしくて見る。浅緑の紙に、宰相の君がたいそう美しく書いていらっしゃった。
どうやって過ぎ去った日々を過ごしてきたのでしょう。昨日も今日も、一日を暮らしかねています
とある。私信には、
「今日は千年にも思える心地がします。明け方には早く参りなさい」
とある。この君がおっしゃっただけでも趣があるはずなのに、まして仰せごとの内容が並々ではないように感じられたので、
雲の上でも暮らしかねていらした春の日を、私はこの場所のせいだと思って眺めておりました
と返した。私信には、
「今夜のうちに、少将にでもなってしまうのでしょうか」
と書いて、明け方に参上すると、
「昨日の返事の『かねける』というところが、とても憎らしい。ひどく悪く言われていたよ」
と仰せられたので、とても困った。まったく、そのとおりではある。
第302段「十二月廿四日」
十二月二十四日、宮の御仏名の半夜の導師を聞いて帰る人は、もう真夜中を過ぎていたのだろう。
何日も降っていた雪が今日はやみ、風がひどく吹いたので、つららが長く垂れ下がっている。地面にはまだらに白い所が残っている程度だが、屋根の上は一面真っ白で、粗末な庶民の家まで雪にすっかり覆われ、有明の月が隈なく照らしているのは、たいそう趣深い。
白銀などで屋根を葺いたようで、つららは水晶の滝とでも言いたいように、長いもの短いものが、わざわざ掛け渡したかのように見え、言葉にできないほどすばらしい。下簾も掛けていない車の簾をたいそう高く上げているので、奥まで差し込む月の光の中に、薄色、白、紅梅などを七、八枚ほど重ねて着、その上に濃い色の衣を着た姿が、その艶まで月に映えて美しく見える。そのそばには、葡萄染の固紋の指貫、白い衣を何枚も重ね、山吹や紅などを着こぼし、真っ白な直衣の紐を解いているので、衣がだらりと垂れ、たくさん外へこぼれ出ている。指貫の片方を軾のあたりまで踏み出している様子など、道で人に出会えば、きっと趣深く見えるだろう。
月の光があまりに明るく、気恥ずかしいので後ろの方へすべり入ろうとするのを、いつも引き寄せられて、明るい所へ出されて困っているのもおもしろい。
「凛々として氷鋪けり」
という句を何度も繰り返し口ずさんでいらっしゃるのが、とても趣深く、このまま一晩中歩き回っていたいのに、目的地が近くなってくるのさえ残念である。
第303段「宮仕へする人々の出で集りて」
宮仕えをする人々が里へ出て集まり、それぞれ自分の主人のことをほめ申し上げ、宮中のことや殿方のことを互いに語り合うのを、その家の主人として聞いているのは趣がある。
家は広く清らかで、自分の親族はもちろん、親しく付き合う人々も、宮仕えをしている者をそれぞれ置いておきたい。しかるべき折には一か所に集まって話をし、人が詠んだ歌やあれこれを語り合い、誰かの手紙が届けば一緒に見て、返事を書き、また親しい人が訪ねて来たなら、きれいに整えてもてなし、雨などが降って帰れなくなったときも心地よく過ごさせ、参内するときにはその用意を気にかけ、本人の思うように整えて送り出したいものだ。
身分の高い方がいらっしゃるところの様子などを、ぜひ見てみたいと思うのは、けしからぬ心なのだろうか。
第304段「見ならひするもの」
つられて同じことをしてしまうもの。あくび。幼い子ども。
第305段「うちとくまじきもの」
気を許してはいけないもの。えせ者。もっとも、世間で立派だと言われる人より、かえって腹の内がなさそうには見える。船旅。
第306段「日のいとうららかなるに」
日がとてもうららかで、海面がたいそう穏やかに、浅緑の布を一面に引き渡したようで、少しも恐ろしい気配がない。若い女などが袙や袴を着て、若々しい侍の者などが櫓というものを押しながら、歌をたいそう上手に歌っているのは本当に趣深く、身分の高い人にもお見せしたいと思いながら進んでいる。ところが風がひどく吹き、海面が急に荒れに荒れてくると、何も考えられなくなり、泊まるべき所へ漕ぎ着けるまで、船に波がかかる様子などは、ほんの一瞬前まであれほど穏やかだった海とも思えない。
考えてみれば、船に乗って行き来する人ほど、驚くほど危なっかしいものはない。ほどほどの深さの所でさえ、あんな頼りないものに乗って漕ぎ出すべきではないではないか。まして底も知れず、千尋もありそうな海ならなおさらである。
荷物をたいそう多く積み込んでいるので、水面から船べりまで一尺ほどもない。それなのに下衆たちは少しも恐ろしいと思わず走り回り、少しでも具合が悪ければ沈むのではないかと思うのに、大きな松の木を二、三尺ほどの丸太にしたものを五つ六つ、どんどん投げ入れたりするのは、とても恐ろしい。
屋形というものの側で押している。しかし奥にいるぶんにはまだ頼もしい。端に立っている者を見ると目がくらむような心地がする。早緒といって櫓などにつけてあるものの、なんと弱そうなことか。それが切れたらどうなるのだろう。すぐ海へ落ち込んでしまうだろうに。それさえ太くもない。私が乗った船は、きれいに造られ、妻戸を開け、格子を上げるなどして、水面すれすれに低く沈んでいるわけではなかったので、ただ小さな家のようであった。
小舟を遠くから眺めるのは、とても趣がある。遠くに見えるものは、本当に笹の葉を作って散らしたようによく似ている。停泊している所で、船ごとにともしている火もまた、たいそう趣深く見える。
端舟と名づけた、とても小さな舟に乗って漕ぎ回るのは、早朝など、たいそうしみじみとしている。その跡の白波は、本当にだんだん消えていく。身分のある人は、やはり船に乗って出歩くべきではないと思う。徒歩の道もまた恐ろしいことはあるけれど、そちらはどこまでも地面に足がついているので、とても頼もしい。
海はやはりとても恐ろしいと思うのに、まして海女が潜って海中へ入るのはつらい仕事である。腰につけた縄が切れでもしたら、どうするのだろう。男ならまだしも、女がするのは並大抵の心ではあるまい。舟には男が乗って、歌などを口ずさみながら、この栲縄を海に浮かべて進んでいるが、危ないとか心配だとか思わないのだろうか。海女が上がろうとすると、その縄を引くという。慌ててたぐり寄せるのももっともである。舟の縁を押さえて、海女が大きく息を吐く様子などは、ただ見ている人さえ涙が出そうなのに、海へ落とし入れて漂わせている男は、目を疑うほど驚きあきれる。
第307段「右衛門の尉なりける者の」
右衛門尉だった者が、身分の低い父親を持っていて、人に見られるのを恥ずかしく思い、伊予国から上京するとき、父を海へ落とし入れたという。
「人の心ほど、あきれ果てて恐ろしいものはない」
と皆が驚いていたころ、七月十五日、盆の供養をするといってその男が急いでいるのをご覧になって、道命阿闍梨が、
海に親を押し入れたこの主人が、盆の供養をするのを見るのは、なんとも身にしみることだ
とお詠みになったというのが、おもしろい。
第308段「小原の殿の御母上とこそは」
小原殿の御母上であったと思うが、普門という寺で八講をした翌日、小野殿に大勢が集まって遊び、漢詩を作ったとき、
薪をこることは昨日で終わった。さあ、斧の柄はここで朽ちさせよう
とお詠みになったというのが、とてもすばらしい。これも聞き伝えの話になってしまったようだ。
第309段「また業平の中将のもとに」
また、業平中将のもとへ、母である皇女が、
「ますます会いたく……」
とお書きになったのは、たいそうしみじみとして趣がある。その手紙を開いて見た業平の様子が思いやられる。
第310段「をかしと思ふ歌を」
趣深いと思う歌を草子などに書いておいたのを、取るに足りない下衆が口ずさんでいるのは、とても嫌な気持ちがする。
第311段「よろしき男を下衆女などのほめて」
まあまあの男を、下衆女などがほめて、
「とても親しみやすくて、すてきな方です」
などと言うと、その男までたちまちつまらなく思えてしまいそうだ。けなされる方がかえってよい。下衆にほめられるのは、女でさえとてもよくない。また、ほめようとして、かえって言いそこなってしまうのも困る。
第312段「左右の衛門の尉を」
左右の衛門尉を「判官」と呼び、たいそう恐ろしく、えらい者だと思っているのはおかしい。夜回りをして、細殿などに入り込んで寝ているのは、とても見苦しい。
白い布の袴を几帳に掛け、丈の長い上の衣を自分の寝床に掛けているのは、ひどく不似合いである。太刀を後ろに引っ掛けるなどして立ち歩く姿なら、それでもよい。青色の袍をいつも着ていたなら、どんなに趣があるだろう。
「見し有明ぞ」
とは、誰が言ったのだろう。
第313段「大納言殿まゐりたまひて」
大納言殿が参上なさり、文書のことなどを帝に奏上していらっしゃるうち、いつものように夜がたいそう更けた。御前にいた人々は一人、二人といなくなり、御屏風や御几帳の後ろなどに皆隠れて横になってしまったので、私はただ一人、眠いのを我慢して控えていた。
「丑四つ」
と時を奏する声がする。
「もう夜が明けるのですね」
とひとりごとを言うと、大納言殿が、
「今さら、お休みになってはいけません」
と言って、寝ることなど少しも考えていらっしゃらない。しまった、どうしてあんなことを言ってしまったのだろうと思うけれど、ほかに人がいれば紛れて横になることもできるのに、誰もいない。
上の御前が柱に寄りかかられて、少しお眠りになっているのを、
「あれをご覧ください。もう夜が明けたというのに、こうしてお休みになってよいものでしょうか」
と申し上げなさると、
「ほんとうに」
などと宮の御前も笑って申し上げなさるが、上はまだお気づきにならない。そのころ、長女の童女が鶏を捕まえて持って来て、
「朝になったら里へ持って行こう」
と言って隠しておいたのを、どうしたことか犬が見つけて追いかけたので、鶏が廊のまきへ逃げ込み、恐ろしいほど鳴き騒いだため、皆が起き出した。
上もはっとお目覚めになって、
「どうして鶏がいるのだ」
などとお尋ねになると、大納言殿が、
「声明王の眠りを驚かす」
という句を高らかに口にされた。それがすばらしく趣深かったので、ただの人である私の眠かった目まで、ぱっちり大きくなった。
「なんとぴったりの折の言葉だろう」
と、上も宮もおもしろがっていらっしゃる。やはり、こういうことこそすばらしい。
次の夜は、宮が夜の御殿へお入りになった。真夜中ごろ、私が廊へ出て人を呼ぶと、
「下がるのか。さあ、送ろう」
とおっしゃるので、裳と唐衣は屏風に掛けたまま行く。月がたいそう明るく、御直衣が真っ白に見える中、長い指貫の裾を踏みしだき、袖を押さえて、
「転ぶな」
と言いながら歩いていらっしゃる、そのままに、
「旅人はなお残りの月のもとを行く」
と口ずさまれたのも、またたいそうすばらしい。
「こういうことを、あなたはすぐほめるね」
と言ってはお笑いになるけれど、どうして、やはり趣あるものを趣があると思わずにいられよう。
第314段「僧都の御乳母のままなど」
僧都の御乳母の母親などが、御匣殿の御局に座っていると、その女の夫が板敷のすぐそばまで寄って来て、
「ひどい目に遭いまして、いったい誰に訴え申し上げたらよいでしょう」
と言い、今にも泣きそうな様子なので、
「何があったの」
と尋ねると、
「ちょっと外出している間に、私の住んでいた所が焼けてしまいまして、『がうな』のように、人の家へ尻だけ差し入れるようにして暮らしております。馬司の御秣を積んであった家から火が出たのでございます。ほんの垣一つ隔てただけの所でしたので、夜殿で寝ていた子どもも、もう少しで焼け死ぬところでした。何一つ取り出せませんでした」
などと言っているのを、御匣殿もお聞きになって、たいそうお笑いになる。
御秣を焼くほどの春の日に、夜殿までどうして残らず焼けてしまったのでしょう
と書いて、
「これをあの人におやりなさい」
と言って投げてよこしたので、皆で大笑いして、
「こちらにいらっしゃる方が、あなたの家が焼けたと聞いて、お気の毒がってくださったものです」
と言って渡すと、広げて、
「これは、何という御短冊でございましょう。いくらほどの値打ちがあるものでしょうか」
と言うので、
「いいから、お読みなさいよ」
と言う。
「どうして読めましょう。片目さえ開けてお仕えしておりませんのに」
と言うので、
「誰かにも見せなさい。今すぐお召しなので、急いで上へ参るところなの。あれほど立派な物をいただいたのだから、何を悲しむことがあるの」
と言って、皆で笑い転げながら上へ参った。あの男は誰かに見せただろうか、里へ帰ってからどんなに腹を立てるだろう、などと、御前に参って乳母の母親が申し上げると、また皆で笑い騒ぐ。
御前でも、
「どうして、そんなに気違いじみたことをするのか」
とお笑いになる。
第315段「男は女親亡くなりて」
男というものは、母親が亡くなり、父親だけが一人いる場合、父がどれほどかわいがっていても、気の置けない新しい北の方ができた後は、家の奥へも自由に入れてもらえず、装束などは乳母や、亡くなった母に仕えていた者たちなどに世話をさせる。
西の対、東の対などのあたりに客間を設け、趣深く住んでいる。屏風や障子の絵にも見どころがあり、殿上での交際も悪くなく、人々もそう思い、上からの御覚えもよく、いつも召されて管弦の遊びなどの相手にしておられる。それでも、いつも何となく嘆かわしく、世の中が心にかなわない気がして、風流好みの心が度を越すほどになってしまう。上達部の家で、この上なく大切に育てられている妹が一人だけいて、その妹にだけは思うことを打ち明け、慰めどころとしているのである。
第316段「ある女房の遠江の子なる人を」
ある女房が、遠江の人の子である男と親しくしていたが、その男が同じ宮仕えの女ともひそかに付き合っていると聞いて恨み言を言ったところ、
「親のことなどもかけて誓わせてください。ひどい嘘です。夢にさえ見たことがありません」
と言ったという。これにはどう返したらよいだろう、と人が言うので、
誓ってください、あなた。遠江の神にかけて。本当に浜名の橋を見たことさえなかったのですか
第317段「びんなき所にて」
都合の悪い所で、人と話をしていたとき、胸がひどくどきどきしたので、
「どうしてそんなに胸が鳴るの」
と言った人に、
逢坂では、胸ばかりがいつも走り井のように高鳴ります。見つける人がいるのではないかと思うと
第318段「まことにややがては下る」
「本当なの、そのまま下るというのは」
と言った人に、
思いもしなかった山のさせも草。誰が伊吹の里のことを告げたのでしょう
第319段「この草子目に見え心に思ふことを」
この草子は、目に見たことや心に思ったことを、まさか人が見ることもあるまいと思って、暇な里住みの間に書き集めたものである。人にとって都合の悪い、言い過ぎたことなども所々にあるので、よく隠しておいたつもりだったのに、思いがけず世に漏れ出てしまった。
宮の御前に、内大臣が紙を差し上げていらしたのを、
「これには何を書こうかしら。上の御前は、『史記』という書物を書かせていらっしゃる」
などとおっしゃったので、
「枕でございましょう」
と申し上げると、
「それなら、あなたがもらいなさい」
とおっしゃって、その紙をくださった。それに、つまらないことを、あれやこれやと、尽きることなくたくさんある紙へ書き尽くそうとしたのだが、ひどくとりとめのないことが多いことである。
そもそも、これは世の中で趣があることや、人がすばらしいと思うはずのことを、きちんと選び出し、歌にしても、木、草、鳥、虫にしても、選んで書いたのなら、
「思っていたほどでもない。人柄が知れる」
と悪く言われるだろう。けれど、ただ自分一人の心に自然と思ったことを、戯れに書きつけただけなのだから、立派な書物の中に交じり、人並みの評価を受けるようなものではないと思っていたのに、
「こちらが恥ずかしくなるほどだ」
などと、見る人がおっしゃるというので、まったく不思議である。
もっとも、それも当然ではある。人が嫌うものをよいと言い、人がほめるものを悪いと言う人は、その心の程度が推し量られる。ただ、人に見られてしまったことが悔しい。
左中将が、まだ伊勢守と呼ばれていたころ、私の里にいらっしゃったとき、端の方にあった畳を差し出したところ、この草子がその畳に載ったまま外へ出てしまった。慌てて取り戻そうとしたけれど、そのままお持ちになり、たいそう長いことたってから返って来た。それから世間に出回り始めたらしい、と本には書いてある。

