『枕草子』原文全文を読む(12)第233段~第275段|読みやすいふりがな付き

目次

第233段「おほきにてよきもの」

 大おほきにて良よきもの、家いへ。餌袋ゑぶくろ。法師ほふし。果物くだもの。牛うし。松まつの木き。硯すずりの墨すみ。

 男をとこの目めの細ほそきは女をんなびたり。また、金椀かなまりのやうならむも恐おそろし。

 火桶ひをけ。酸漿ほほづき。山吹やまぶきの花はな。桜さくらの花はなびら。

第234段「短くてありぬべきもの」

 短みじかくてありぬべきもの、とみのもの縫ぬふ糸いと。下衆女げすをんなの髪かみ。人ひとの娘むすめの声こゑ。灯台とうだい。

第235段「人の家につきづきしきもの」

 人ひとの家いへにつきづきしきもの、肱ひぢ折をりたる廊らう。円座わらふだ。三尺さんじやくの几帳きちやう。大おほきやかなる童部わらはべ。良よきはした者もの。

 侍さぶらひの曹司ざうし。折敷をしき。懸盤かけばん。中なかの盤ばん。おはらき。衝立障子ついたちさうじ。かき板いた。装束さうぞくよくしたる餌袋ゑぶくろ。唐傘からかさ。棚厨子たなづし。提子ひさげ。銚子てうし。

第236段「ものへ行く路に」

 ものへ行ゆく路みちに、清きよげなる男をとこの細ほそやかなるが、立文たてぶみ持もちて急いそぎ行ゆくこそ、いづちならむと見みゆれ。

 また、清きよげなる童部わらはべなどの、衵あこめどものいとあざやかなるにはあらで、萎なえばみたるに、屐子けいしのつややかなるが歯はに土つち多おほくつきたるを履はきて、白しろき紙かみに大おほきに包つつみたる物もの、もしは箱はこの蓋ふたに草子さうしどもなど入いれて持もて行いくこそ、いみじう、呼よび寄よせて見みまほしけれ。

 門かど近ちかくなる所ところの前まへわたりを呼よび入いるるに、愛敬あいぎやうなく、答いらへもせで行いく者ものは、使つかふらむ人ひとこそ推おし量はからるれ。

第237段「よろづのことよりも」

 よろづのことよりも、侘わびしげなる車くるまに装束さうぞく悪わるくて物もの見みる人ひと、いともどかし。

 説経せつきやうなどはいとよし。罪つみ失うしなふことなれば。それだになほあながちなるさまにては見苦みぐるしきに、まして祭まつりなどは見みでありぬべし。下簾したすだれなくて、白しろき単ひとへの袖そでなどをうち垂たれてあめりかし。ただその日ひの料れうと思おもひて、車くるまの簾すだれも仕立したてて、いと口惜くちをしうはあらじと出いでたるに、まさる車くるまなどを見付みつけては、なにしにと覚おぼゆるものを、まいて、いかばかりなる心こころにて、さて見みるらむ。

 良よき所ところに立たてむと急いそがせば、疾とく出いでて待まつほど、居ゐ入いり、立たち上あがりなど、暑あつく苦くるしきに困こうずるほどに、斎院さいゐんの垣下ゑがに参まゐりける殿上人てんじやうびと、所ところの衆しゆう、弁べん、少納言せうなごんなど、七ななつ八やつと引続ひきつづけて、院ゐんの方かたより走はしらせて来くるこそ、ことなりにけりと驚おどろかれて嬉うれしけれ。

 物見ものみの所ところの前まへに立たてて見みるも、いとをかし。殿上人てんじやうびともの言いひに遣おこせなどし、所ところの御前おまへどもに水飯すゐはん食くはすとて、階はしのもとに馬うま引ひき寄よするに、覚おぼえある人ひとの子こどもなどは、雑色ざふしきなど下おりて馬うまの口取くちとりなどしてをかし。さらぬ者ものの見みも入いれられぬなどぞいとほしげなる。

 御輿みこしの渡わたらせ給たまへば、轅ながえどもある限かぎりうち下おろして、過すぎさせ給たまひぬれば、惑まどひ上あぐるもをかし。その前まへに立たつる車くるまはいみじう制せいするを、

「などて立たつまじき」

 とて強しひて立たつれば、言いひ煩わづらひて、消息せうそこなどするこそをかしけれ。

 所ところもなく立たち重かさなりたるに、良よきところの御車みくるま、人ひとだまひ引続ひきつづきて多おほく来くるを、何処いづこだに立たたむとすらむと見みるほどに、御前おまへどもただ下おりに下おりて、立たてる車くるまどもをただのけにのけさせて、人ひとだまひまで立続たてつづけさせつるこそ、いとめでたけれ。

 追おひ避さけさせつる車くるまどもの、牛うしかけて所ところある方かたに揺ゆるがし行ゆくこそ、いと侘わびしげなれ。きらきらしくよきなどをば、いとさしも押おし拉ひしがず。

 いと清きよげなれど、また鄙ひなび、怪あやしき下衆げすなど絶たえず呼よび寄よせ、出いだし据すゑなどしたるもあるぞかし。

第238段「細殿にびんなき人なむ」

「細殿ほそどのに便無びんなき人ひとなむ、暁あかつきに傘かさ差さして出いでける」

 と言いひ出いでたるを、よく聞きけば、わが上うへなりけり。

 地下ぢげなど言いひても、目安めやすく、人ひとにゆるさるばかりの人ひとにもあらざなるを、怪あやしのことやと思おもふほどに、上うへより御文おんふみ持もて来きて、

「返事かへりごと、ただ今いま」

 と仰おほせられたり。

 なにごとにかとて見みれば、大傘おほがさの絵ゑを描かきて、人ひとは見みえず、ただ手ての限かぎり笠かさを捕とらへさせて、下したに、

山やまの端は明あけし朝あしたより

 と書かかせ給たまへり。

 なほはかなきことにても、ただめでたくのみ覚おぼえさせ給たまふに、恥はづかしく心付こころづきなきことは、いかでか御覧ごらんぜられじと思おもふに、かかる空言そらごとの出いで来くる、くるしけれど、をかしくて、こと紙かみに雨あめをいみじう降ふらせて、下したに、

ならぬ名なの立たちにけるかな

 さてや、

「濡衣ぬれきぬにはなり侍はべらむ」

 と啓けいしたれば、右近うこんの内侍ないしなどに語かたらせ給たまひて、笑わらはせ給たまひけり。

第239段「三条の宮におはします頃」

 三条さんでうの宮みやにおはします頃ころ、五日いつかの菖蒲さうぶの輿こしなど持もて参まゐり、薬玉くすだま参まゐらせなどす。

 若わかき人々ひとびと、御匣殿みくしげどのなど、薬玉くすだまして姫宮ひめみや、若宮わかみやに着つけて奉たてまつらせ給たまふ。いとをかしき薬玉くすだまども、ほかより参まゐらせたるに、青挿あをざしと言いふ物ものを持もて来きたるを、青あをき薄様うすやうを艶えんなる硯すずりの蓋ふたに敷しきて、

「これ、ませ越ごしに候さぶらふ」

 とて参まゐらせたれば、

皆人みなひとの花はなや蝶てふやと急いそぐ日ひもわが心こころをば君きみぞ知しりける

 この紙かみの端はしを引ひき破やぶらせ給たまひて書かかせ給たまへる、いとめでたし。

第240段「御乳母の大輔の命婦」

 御乳母おんめのとの大輔たいふの命婦みやうぶ、日向ひうがへ下くだるに、賜たまはする扇あふぎどもの中なかに、片かたつ方かたは日ひいと麗うららかにさしたる田舎ゐなかの館たちなど多おほくして、今いま片かたつ方かたは京きやうのさるべき所ところにて、雨あめいみじう降ふりたるに、

あかねさす日ひに向むかひても思おもひ出いでよ都みやこは晴はれぬながめすらむと

 御手おんてにて書かかせ給たまへる、いみじうあはれなり。さる君きみを見み置おき奉たてまつりてこそえ行ゆくまじけれ。

第241段「清水にこもりたりしに」

 清水きよみづに籠こもりたりしに、態わざと御使おつかひして賜たまはせたりし、唐からの紙かみの赤あかみたるに、草くさにて、

「山やま近ちかき入相いりあひの鐘かねの声こゑごとに恋こふる心こころの数かずは知しるらむ

ものを、こよなの長居ながゐや」

 とぞ書かかせ給たまへる。紙かみなどのなのめげならぬも、取とり忘わすれたる旅たびにて、紫むらさきなる蓮はちすの花はなびらに書かきて参まゐらす。

第242段「駅は」

 駅うまやは、梨原なしはら。望月もちづきの駅うまや。山やまは駅うまやは、あはれなりしことを聞きき置おきたりしに、またもあはれなることのありしかば、なほ取とり集あつめてあはれなり。

第243段「社は」

 社やしろは、布留ふるの社やしろ。生田いくたの社やしろ。旅たびの御社みやしろ。花淵はなふちの社やしろ。杉すぎの御社みやしろは、しるしやあらむとをかし。事任ことのままの明神みやうじん、いと頼たのもし。

「さのみ聞ききけむ」

 とや言いはれ給たまはむ、と思おもふぞいとほしき。

第244段「蟻通の明神」

 蟻通ありどほしの明神みやうじん、貫之つらゆきが馬うまの煩わづらひけるに、この明神みやうじんの病やませ給たまふとて、歌うた詠よみ奉たてまつりけむ、いとをかし。

 この蟻通ありどほししとつけけるは、誠まことにやありけむ、昔むかしおはしましける帝みかどの、ただ若わかき人ひとをのみ思召おぼしめして、四十しじふになりぬるをば、失うしなはせ給たまひければ、人ひとの国くにの遠とほきに行ゆき隠かくれなどして、更さらに都みやこのうちにさる者もののなかりけるに、中将ちゆうじやうなりける人ひとの、いみじう時ときの人ひとにて、心こころなども賢かしこかりけるが、七十ななそぢ近ちかき親おや二人ふたりを持もたるに、かう四十しじふをだに制せいすることに、まいて恐おそろし、と怖おぢ騒さわぐに、いみじく孝けうなる人ひとにて、遠とほき所ところに住すませじ、一日ひとひに一ひとたび見みではえあるまじとて、密みそかに家いへのうちの地ぢを掘ほりて、そのうちに屋やを建たてて、籠こめ据すゑて、行いきつつ見みる。人ひとにも、公おほやけにも、失うせ隠かくれたる由よしを知しらせてあり。などか、家いへに入いり居ゐたらむ人ひとをば知しらでもおはせかし。うたてありける世よにこそ。この親おやは上達部かんだちめなどにはあらむにやありけむ、中将ちゆうじやうなどを子こにて持もちたりけるは。心こころいと賢かしこう、よろづのこと知しりたりければ、この中将ちゆうじやうも若わかけれど、いと聞きこえあり、至いたり賢かしこくして、時ときの人ひとに思おぼすなりけり。

 唐土もろこしの帝みかど、この国くにの帝みかどを、如何いかで謀はかりてこの国くに討うち取とらむとて、常つねに試こころみ事ごとをし、争あらがひ事ごとをして恐おそり給たまひけるに、つやつやと円まろにうつくしげに削けづりたる木きの二尺にしやくばかりあるを、

「これが本末もとすゑ何方いづかた」

 と問とひに奉たてまつれたるに、すべて知しるべきやうなければ、帝みかど思召おぼしめし煩わづらひたるに、いとほしくて、親おやの元もとに行いきて、

「かうかうの事ことなむある」

 と言いへば、

「ただ、速はやからむ川かはに、立たちながら横様よこさまに投なげ入いれて、返かへりて流ながれむ方かたを末すゑと標しるして遣やはせ」

 と教をしふ。

 参まゐりて我わが知しり顔がほにて、

「さて、試こころみはべらむ」

 とて、人ひとと具ぐして、投なげ入いれたるに、先さきにして行いく方かたに標しるしを付つけて遣やはしたれば、誠まことにさなりけり。

 また、二尺にしやくばかりなる蛇くちなはの、ただ同おなじ長ながさなるを、

「これが男女をとこをんな」

 とて奉たてまつれり。また、更さらに人ひとえ見知みしらず。例れいの、中将ちゆうじやう来きて問とへば、

「二ふたつを並なべて、尾をの方かたに細ほそきすばえをして差さし寄よせむに、尾を働はたらかさむを女をんなと知しれ」

 と言いひける、やがて、それは内裏うちの内うちにて差さしけるに、誠まことに一ひとつは動うごかず、一ひとつは動うごかしければ、またさる標しるし付つけて、遣やはしけり。

 ほど久ひさしくして、七曲ななまがりにわだかまりたる玉たまの、中なか通とほりて左右さうに口くち開あきたるが小ちひさきを奉たてまつりて、

「これに緒を通とほして賜たまはらむ。この国くににみなしみなしはべる事ことなり」

 とて奉たてまつりたるに、

「いみじからむものの上手じやうず、不用ふようなり」

 と、そこらの上達部かんだちめ、殿上人てんじやうびと、世よにありとある人ひと言いふに、また行ゆきて、

「かくなむ」

 と言いへば、

「大おほきなる蟻ありを捕とらへて、二ふたつばかりが腰こしに細ほそき糸いとを付つけて、またそれに、今いま少すこし太ふときを付つけて、あなたの口くちに蜜みつを塗ぬりて見みよ」

 と言いひければ、さ申まうして、蟻ありを入いれたるに、蜜みつの香かを嗅かぎて、誠まことにいと疾とくあなたの口くちより出いでにけり。さて、その糸いとの貫つらぬかれたるを遣やはして後のちになむ、

「日ひの本もとの国くには賢かしこかりけり」

 とて、後のちにさる事こともせざりける。

 この中将ちゆうじやうをいみじき人ひとに思召おぼしめして、

「何業なにわざをし、いかなる官位くわんゐをか賜たまふべき」

 と仰おほせられければ、

「更さらに官つかさも冠かうぶりも賜たまはらじ。ただ老おいたる父母ちちははの隠かくれ失うせて侍はべる、尋たづねて、都みやこに住すまする事ことを許ゆるさせ給たまへ」

 と申まうしければ、

「いみじうやすき事こと」

 とて許ゆるされければ、よろづの人ひとの親おやこれを聞ききて喜よろこぶこといみじかりけり。

 中将ちゆうじやうは上達部かんだちめ、大臣おとどに成なさせ給たまひてなむありける。

 さて、その人ひとの神かみになりたるにやあらむ、その神かみの御元みもとに詣まうでたりける人ひとに、夜よる現あらはれて宣のたまへりける、

七曲ななまがりに曲まがれる玉たまの緒をを抜ぬきてありとほしとは知しらずやあるらむ

 と宣のたまへりける、と人ひとの語かたりし。

第245段「一条の院をば今内裏とぞいふ」

 一条院いちでうのゐんをば今内裏いまだいりとぞ言いふ。おはします殿でんは清涼殿せいりやうでんにて、その北きたなる殿でんにおはします。西東にしひむがしは渡殿わたどのにて、渡わたらせ給たまひ、まう上のぼらせ給たまふ道みちにて、前まへは壺つぼなれば、前栽せんざい植うゑ、笹ささ結ゆひて、いとをかし。

 二月二十日きさらぎはつかばかりのうらうらとのどかに照てりたるに、渡殿わたどのの西にしの廂ひさしにて、上うへの御笛おんふえ吹ふかせ給たまふ。高遠兵部卿たかとほのひやうぶきやう御笛おんふえの師しにて物ものし給たまふを、御笛おんふえ二ふたつして、高砂たかさごを折をり返かへして吹ふかせ給たまふは、なほいみじうめでたしと言いふも世よの常つねなり。御笛おんふえのことどもなど奏そうし給たまふ、いとめでたし。御簾みすの元もとに集あつまり出いでて、見奉みたてまつる折をりは、

「芹せり摘つみし」

 など覚おぼゆる事ことこそなけれ。

 資忠すけただは木工もくの允じようにてぞ蔵人くらうどにはなりたる。いみじく荒々あらあらしくうたてあれば、殿上人てんじやうびと、女房にようばう、

「あらはこそ」

 と付つけたるを、歌うたに作つくりて、

「さうなしの主ぬし、尾張人をはりうどの種たねにぞありける」

 と歌うたふは、尾張をはりの兼時かねときが娘むすめの腹はらなりけり。これを御笛おんふえに吹ふかせ給たまふを、添そひに候さぶらひて、

「なほ高たかく吹ふかせおはしませ。え聞きき候さぶらはじ」

 と申まうせば、

「いかが。さりとも、聞きき知しりなむ」

 とて、密みそかにのみ吹ふかせ給たまふに、あなたより渡わたりおはしまして、

「かの者ものなかりけり。ただ今いまこそ吹ふかめ」

 と仰おほせられて吹ふかせ給たまふは、いみじうめでたし。

第246段「身をかへて天人などは」

 身みを変かへて、天人てんにんなどはかうやあらむと見みゆるものは、ただの女房にようばうにて候さぶらふ人ひとの、御乳母おんめのとになりたる。唐衣からぎぬも着きず、裳もをだにも、よう言いはば着きぬさまにて御前おまへに添そひ臥ふし、御帳みちやうのうちを居所ゐどころにして、女房にようばうどもを呼よび使つかひ、局つぼねに物ものを言いひ遣やり、文ふみを取とり継つがせなどして有様あるさま、言いひ尽つくすべくもあらず。

 雑色ざふしきの蔵人くらうどになりたる、めでたし。去年こぞの十一月しもつきの臨時りんじの祭まつりに御琴おんことを持もちたりしは、人ひととも見みえざりしに、君達きんだちと連立つれだちて歩ありくは、何処いづこなる人ひとぞと覚おぼゆれ。他ほかより成なりたるなどは、いとさしも覚おぼえず。

第247段「雪高う降りて」

 雪ゆき高たかう降ふりて、今いまもなほ降ふるに、五位ごゐも四位しゐも、色いろ麗うるはしう若わかやかなるが、上うへの衣きぬの色いろいときよらにて、革帯かはのおびの方付かたつきたるを、宿直姿とのゐすがたにて、ひきはこえて、紫むらさきの指貫さしぬきも雪ゆきに冴さえ映はえて、濃こさ増まさりたるを着きて、衵あこめの紅くれなゐならずは、おどろおどろしき山吹やまぶきを出いだして、唐傘からかさを差さしたるに、風かぜのいたう吹ふきて横様よこさまに雪ゆきを吹掛ふきかくれば、少すこし傾かたぶけて歩あゆみ来くるに、深ふかき履くつ、半靴はうくわなどの脛巾はばきまで雪ゆきのいと白しろうかかりたるこそをかしけれ。

第248段「細殿の遣戸を」

 細殿ほそどのの遣戸やりどをいと疾とう押おし開あけたれば、御湯殿おゆどのに馬道めだうより下おりて来くる殿上人てんじやうびと、萎なえたる直衣なほし、指貫さしぬきなどの、いみじう綻ほころびたれば、色々いろいろの衣きぬどもの溢こぼれ出いでたるを押おし入いれなどして、北きたの陣ぢんざまに歩あゆみ行ゆくに、開あきたる戸との前まへを過すぐとて、纓えいを引ひき越こして顔かほに塞ふたぎて去いぬるもをかし。

第249段「岡は」

 岡をかは、船岡ふなをか。片岡かたをか。鞆岡とものをかは、笹ささの生おひたるがをかしきなり。かたらひの岡をか。人見ひとみの岡をか。

第250段「降るものは」

 降ふるものは、雪ゆき。霰あられ。霙みぞれは憎にくけれど、白しろき雪ゆきのまじりて降ふる、をかし。

第251段「雪は」

 雪ゆきは、檜皮葺ひはだぶき、いとめでたし。少すこし消きえ方かたになりたるほど。また、いと多おほうも降ふらぬが、瓦かはらの目めごとに入いりて、黒くろう円まろに見みえたる、いとをかし。

 時雨しぐれ、霰あられは、板屋いたや。霜しもも、板屋いたや。庭には。

第252段「日は」

 日ひは、入日いりひ。入いり果はてぬる山やまの端はに、光ひかりのなほ留とまりて、赤あかう見みゆるに、薄黄うすきばみたる雲くもの棚引たなびき渡わたりたる、いとあはれなり。

第253段「月は」

 月つきは、有明ありあけの東ひむがしの山際やまぎはに細ほそくて出いづるほど、いとあはれなり。

第254段「星は」

 星ほしは、昴すばる。彦星ひこぼし。夕ゆふづつ。よばひ星ほし、少すこしをかし。尾をだになからばしかば、まいて。

第255段「雲は」

 雲くもは、白しろき。紫むらさき。黒くろきもをかし。風かぜ吹ふく折をりの雨雲あまぐも、明あけ離はなるるほどの黒くろき雲くもの漸やうやう消きえて白しろうなりゆくもをかし。

「朝あさにさる色いろ」

 とかや、文ふみにも作つくりたなる。月つきのいと明あかき面おもてに薄うすき雲くも、あはれなり。

第256段「さわがしきもの」

 騒さわがしきもの、走はしり火ひ。板屋いたやの上うへにて烏からすの斎ときの生飯さば食くふ。十八日じふはちにちに、清水きよみづに籠こもり合あひたる。暗くらうなりて、まだ火ひをともさぬほどに、ほかより人ひとの来合きあひたる。まいて、遠とほき所ところの人ひとの国くになどより、家いへの主ぬしの上のぼりたる、いと騒さわがし。近ちかきほどに火ひ出いで来きぬと言いふ。されど、燃もえは付つかざりけり。

第257段「ないがしろなるもの」

 ないがしろなるもの、女官にようくわんどもの髪かみ上あげ姿すがた。唐絵からゑの革帯かはのおびの後うしろ。聖ひじりの振舞ふるまひ。

第258段「ことばなめげなるもの」

 言葉ことばなめげなるもの、宮みやのべの祭文さいもん読よむ人ひと。舟ふね漕こぐ者ものども。雷鳴かんなりの陣ぢんの舎人とねり。相撲すまひ。

第259段「さかしきもの」

 賢さかしきもの、今様いまやうの三歳児みとせご。稚児ちごの祈いのりし、腹はらなど取とる女をんな。

 物ものの具ぐども請こひ出いでて、祈いのり物もの作つくる、紙かみをあまた押おし重かさねて、いと鈍にぶき刀かたなして切きるさまは、一重ひとへだに断たつべくもあらぬに、さるものの具ぐとなりにければ、己おのが口くちをさへ引歪ひきゆがめて押切おしきり、目多めおほかる物ものどもして、掛竹かけたけうち割わりなどして、いと神々かうがうしう仕立したてて、うち振ふるひ祈いのることども、いと賢さかし。

 かつは、

「なにの宮みや、その殿とのの若君わかぎみ、いみじうおはせしを、掻かい拭のごひたるやうに止やめ奉たてまつりしかば、禄ろくを多おほく賜たまはりしこと。その人ひとかの人ひと召めしたりけれど、験しるしなかりければ、いまに嫗おうなをなむ召めす。御徳おんとくをなむ見みる」

 など語かたり居をる顔かほも怪あやし。

 下衆げすの家いへの女主人をんなあるじ。痴しれたる者もの、それしも賢さかしうて、誠まことにさかしき人ひとを教をしへなどすかし。

第260段「ただ過ぎに過ぐるもの」

 ただ過すぎに過すぐるもの、帆掛ほかけたる舟ふね。人ひとの齢よはひ。春はる、夏なつ、秋あき、冬ふゆ。

第261段「ことに人に知られぬもの」

 ことに人ひとに知しられぬもの、凶会日くゑにち。人ひとの女親をんなおやの老おいにたる。

第262段「文ことばなめき人こそ」

 文言葉ふみことばなめき人ひとこそいとど憎にくけれ。世よをなのめに書かき流ながしたる言葉ことばの憎にくきこそ。さるまじき人ひとのもとに、あまりかしこまりたるも、げに悪わろきことぞ。されど、我わが得えたらむはことわり、人ひとのもとなるさへにくくこそあれ。大方おほかた差向さしむかひても、なめきは、などかく言いふらむと傍かたはらいたし。まいて、よき人ひとなどをさ申まうす者ものはいみじうねたうさへあり。田舎ゐなかびたる者ものなどの、さあるは、烏滸をこにていとよし。

 男主をとこあるじなどのなめく言いふ、いとわるし。我わが使つかふ者ものなどの、

「なにとおはする」

「宣のたまふ」

 など言いふ、いと憎にくし。ここもとに

「はべり」

 など言いふ文字もじをあらせばやと聞きくこそ多おほかれ。さも言いひつべき者ものには、

「あな似にげな、愛敬あいぎやうな、などかう、このことばはなめき」

 と言いへば、聞きく人ひとも言いはるる人ひとも笑わらふ。かう覚おぼゆればにや、

「あまり見みそす」

 など言いふも、人ひと悪わろきなるべし。

 殿上人てんじやうびと、宰相さいしやうなどを、ただ名なのる名なを、いささかつつましげならず言いふは、いとかたはなるを、きよう、さ言いはず、女房にようばうの局つぼねなる人ひとをさへ、

「あの御許おもと」

「君きみ」

 など言いへば、珍めづらかに嬉うれしと思おもひて、褒ほむる事ことぞいみじき。

 殿上人てんじやうびと、君達きんだち、御前おまへよりほかにては官つかさをのみ言いふ。また、御前おまへにてはおのがどちものを言いふとも、聞きこし召めすには、などてか

「まろが」

 など言いはむ。さ言いはむにかしこく、言いはざらむに悪わろかるべきことかは。

第263段「いみじうきたなきもの」

 いみじう汚きたなきもの、なめくぢ。えせ板敷いたじきの帚ははきの末すゑ。殿上てんじやうの合子がふし。

第264段「せめておそろしきもの」

 せめて恐おそろしきもの、夜よる鳴なる神かみ。近ちかき隣となりに盗人ぬすびとの入いりたる。わが住すむ所ところに来きたるは、物ものも覚おぼえねば何なにとも知しらず。近ちかき火ひ、また恐おそろし。

第265段「たのもしきもの」

 頼たのもしきもの、心地ここち悪あしき頃ころ、伴僧ばんそうあまたして修法ずほふしある。心地ここちなどのむつかしき頃ころ、誠々まことまことしき思おもひ人ひとの言いひ慰なぐさめたる。

第266段「いみじうしたてて婿とりたるに」

 いみじう仕立したてて婿取むことりたるに、程ほどもなく人ひとの婿むこになりて、ただ一月ひとつきばかりも、はかばかしう来こで止やみにしかば、すべていみじう言いひ騒さわぎ、乳母めのとなどやうの者ものは、禍々まがまがしき事ことなど言いふもあるに、その帰かへる正月むつきに蔵人くらうどになりぬ。

「浅あさましう、かかる習ならひには、如何いかでとこそ人ひとは思おもひたれ」

 など、言いひ扱あつかふは聞きくらむかし。

 六月みなづきに人ひとの八講はつかうし給たまふ所ところに、人々ひとびと集あつまりて聞ききしに、蔵人くらうどになれる婿むこの、れうの表うへの袴はかま、黒半臂くろはんぴなどいみじう鮮あざやかにて、忘わすれにし人ひとの車くるまの鴟とみの尾をと言いふ物ものに、半臂はんぴの緒をを引ひき掛かけつばかりにて居ゐたりしを、如何いかに見みるらむと、車くるまの人々ひとびとも知しりたる限かぎりはいとほしがりしを、異人々ことひとびとも、

「つれなく居ゐたりし者ものかな」

 など、後のちにも言いひき。

 なほ、男をとこは、物もののいとほしさ、人ひとの思おもはむ事ことは知しらぬなめり。

第267段「世の中になほいと心うきものは」

 世よの中なかになほいと心憂こころうきものは、人ひとに憎にくまれむ事ことこそあるべけれ。誰たれてふ物狂ものくるひか、我われ、人ひとにさ思おもはれむとは思おもはむ。されど、自然じねんに宮仕所みやづかへところにも、親おや、同胞はらからの中なかにても、思おもはるる思おもはれぬがあるぞいと侘わびしきや。

 良よき人ひとの御おんことはさらなり、下衆げすなどのほども、親おやなどのかなしうする子こは、目立めたて耳立みみたてられて、労いたはしうこそ覚おぼゆれ。見みる甲斐かひあるは理ことわり、如何いかが思おもはざらむと覚おぼゆ。異ことなる事ことなきは、また、これをかなしと思おもふらむは、親おやなればぞかしとあはれなり。

 親おやにも、君きみにも、すべて、うち語かたらふ人ひとにも、人ひとに思おもはれむばかりめでたきことはあらじ。

第268段「男こそなほいとありがたく」

 男をとここそ、なほいと有難ありがたく怪あやしき心地ここちしたるものはあれ。いと清きよげなる人ひとを捨すてて、憎にくげなる人ひとを持もたるも怪あやしかし。

 公所おほやけところに入いり立たちする男をとこ、家いへの子こなどは、あるがなかによからむことをこそは、選えりて思おもひ給たまはめ。及およぶまじからむ際きはをだに、めでたしと思おもはむを、死しぬばかりも思おもひ掛かかれかし。

 人ひとの娘むすめ、まだ見みぬ人ひとなどをも、良よしと聞きくをこそは、如何いかでとも思おもふなれ。かつ女をんなの目めにも悪わろしと思おもふを思おもふは、いかなることにかあらむ。

 形かたちいと良よく、心こころもをかしき人ひとの、手ても良よう書かき、歌うたもあはれに詠よみて、恨うらみ遣おこせなどするを、返事かへりごとは賢さかしらにうちするものから、寄より付つかず、らうたげにうち嘆なげきて居ゐたるを、見捨みすてて行いきなどするは、浅あさましう、公おほやけ腹立はらたちて、見証けんぞの心地ここちも心憂こころうく見みゆべけれど、身みの上うへにては、露つゆ心苦こころぐるしさを思おもひ知しらぬよ。

第269段「よろづのことよりも情けあるこそ」

 よろづのことよりも情なさけあるこそ、男をとこはさらなり、女をんなもめでたく覚おぼゆれ。なげの言葉ことばなれど、切せちに心こころに深ふかく入いらねど、いとほしきことをば

「いとほし」

 とも、あはれなるをば

「げにいかに思おもふらむ」

 など言いひけるを、伝つたへて聞ききたるは、差向さしむかひて言いふよりも嬉うれし。如何いかでこの人ひとに、思おもひ知しりけりとも見みえにしがな、と常つねにこそ覚おぼゆれ。

 必かならず思おもふべき人ひと、問とふべき人ひとは、さるべきことなれば、取とり分わかれしもせず。さもあるまじき人ひとの、差さし答いらへをも後うしろ安やすくしたるは、嬉うれしき業わざなり。いと易やすき事ことなれど、さらにえあらぬことぞかし。

 大方おほかた心良こころよき人ひとの、誠まことにかどなからぬは、男をとこも女をんなも有難ありがたき事ことなめり。また、さる人ひと多おほかるべし。

第270段「人のうへいふを」

 人ひとの上うへ言いふを腹立はらたつ人ひとこそいとわりなけれ。如何いかでか言いはではあらむ。わが身みをば差さし置おきて、さばかりもどかしく言いはまほしきものやはある。されど、怪けしからぬやうにもあり、また、自おのづから聞きき付つけて、恨うらみもぞする、あいなし。

 また、思おもひ放はなつまじきあたりは、いとほしなど思おもひ解とけば、念ねんじて言いはぬをや。さだになくば、うち出いで、笑わらひもしつべし。

第271段「人の顔に」

 人ひとの顔かほに、取とり分わきて良よしと見みゆる所ところは、度たびごとに見みれども、あなをかし。珍めづらしきとこそ覚おぼゆれ。絵ゑなど、あまた度たび見みれば、目めも立たたずかし。近ちかう立たてたる屏風びやうぶの絵ゑなどは、いとめでたけれども、見みも入いれられず。

 人ひとの形かたちはをかしうこそあれ。憎にくげなる調度てうどの中なかにも、一ひとつ良よき所ところのまもらるるよ。見難みにくきもさこそはあらめと思おもふこそ侘わびしけれ。

第272段「古代の人の指貫着たるこそ」

 古代こだいの人ひとの指貫さしぬき着きたるこそ、いとたいだいしけれ。前まへに引ひき当あてて、先まづ裾すそを皆みな籠こめ入いれて、腰こしはうち捨すてて、衣きぬの前まへを整ととのへ果はてて、腰こしをおよびてとるほどに、後うしろ様ざまに手てを差さし遣やりて、猿さるの手て結ゆはれたるやうに解ほどき立たてるは、頓とみの事ことに出いで立たつべくも見みえざめり。

第273段「十月十よ日の月の」

 十月十余日かんなづきとをよひの月つきのいと明あかきに歩ありきて、女房にようばう十五六人じふごろくにんばかり、皆みな濃こき衣きぬを上うへに着きて、引ひき返かへしつつありしに、中納言ちゆうなごんの君きみの、紅くれなゐのはりたるを着きて、頸くびよりかみを掻かき越ごし給たまへりしが、あたらし、そとには、いともよく似にたりしかな。

「ひひなのすけ」

 とぞ、若わかき人々ひとびと付つけたりし。後うしろに立たちて笑わらふも知しらずかし。

第274段「成信の中将こそ」

 成信なりのぶの中将ちゆうじやうこそ、人ひとの声こゑはいみじう良よう聞きき知しり給たまひしか。同おなじ所ところの人ひとの声こゑなどは、常つねに聞きかぬ人ひとは更さらにえ聞きき分わかず。ことに男をとこは人ひとの声こゑをも手てをも、見み分わき聞きき分わかぬものを、いみじう密みそかなるも、賢かしこう聞きき分わき給たまひしこそ。

第275段「大蔵卿ばかり」

 大蔵卿おほくらきやうばかり耳疾みみとき人ひとはなし。誠まことに、蚊かのまつげの落おつるをも聞きき付つけ給たまひつべうこそありしか。

 職しきの御曹司みざうしの西面にしおもてに住すみし頃ころ、大殿おほとのの新中将しんちゆうじやう宿直とのゐにて、物ものなど言いひしに、傍そばにある人ひとの、

「この中将ちゆうじやうに、扇あふぎの絵ゑの事こと言いへ」

 と囁ささめけば、

「今いま、かの君きみの立たち給たまひなむにを」

 といと密みそかに言いひ入いるるを、その人ひとだにえ聞きき付つけで、

「何なにとか、何なにとか」

 と耳みみを傾かたぶけ来くるに、遠とほく居ゐて、

「憎にくし。さ宣のたまはば、今日けふは立たたじ」

 と宣のたまひしこそ、如何いかで聞きき付つけ給たまふらむと浅あさましかりしか。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次