『枕草子』原文全文を読む(10)第179段~第199段|読みやすいふりがな付き

目次

第179段「宮仕人の里なども」

 宮仕人みやづかへびとの里さとなども、親おやども二人ふたりあるはいと良よし。

 人ひと繁しげく出いで入いり、奥おくのかたにあまた声々こゑごゑ様々さまざま聞きこえ、馬うまの音おとなどして、いと騒さわがしきまであれど、咎とがもなし。

 されど、忍しのびてもあらはれても、おのづから、

「出いでたまひにけるをえしらで」

 とも、また、

「いつか参まゐりたまふ」

 など言いひに、差さし覗のぞき来くるもあり。

 心掛こころかけたる人ひと、はたまたいかがは。門かど開あけなどするを、うたて騒さわがしう大様おほやうげに、夜中よなかまでなど思おもひたる気色けしき、いと憎にくし。

「大御門おほみかどはしつや」

 など問とふなれば、

「いま。まだ人ひとのおはすれば」

 など言いふものの、なま塞ふせがしげに思おもひて答いらふるにも、

「人ひと出いでたまひなば、とくさせ。この頃ごろ盗人ぬすびといと多おほかなり。火ひ危あやふし」

 など言いひたるが、いと難むつかしう、うち聞きく人ひとだにあり。

 この人ひとの供ともなる者ものどもは侘わびぬにやあらむ、この客かく今いまや出いづると絶たえず差さし覗のぞきて気色けしき見みる者ものどもを笑わらふべかめり。真似まねうちするを聞きかば、ましていかに厳きびしき言いひ咎とがめむ。いと色いろに出いでて言いはぬも、思おもふ心こころなき人ひとは、必かならず来きなどやはする。されど、すくよかなるは、

「夜よ更ふけぬ。御門みかどあやふかなり」

 など笑わらひて出いでぬるもあり。誠まことに志こころざし異ことなる人ひとは、

「はや」

 などあまた度たび遣やらはるれど、なほ居ゐ明あかせば、度々たびたび見歩みありくに、明あけぬべき気色けしきを、いと珍めづらかに思おもひて、

「いみじう、御門みかどを今宵こよひらいさうと開あけ広ひろげて」

 と聞きこえごちて、味気あぢきなく暁あかつきにぞさすなるは、いかがは憎にくきを。親おや添そひぬる、なほさぞある。まいて、真まことのならぬは、いかに思おもふらむとさへつつまし。兄弟せうとの家いへなども、気憎けにくきはさぞあらむ。

 夜中よなか、暁あかつきともなく、門かどもいと心賢こころかしこうももてなさず、なにの宮みや、内裏うちわたり、殿どのばらなる人々ひとびとも出いで会あひなどして、格子かうしなども上あげながら冬ふゆの夜よを居ゐ明あかして、人ひとの出いでぬる後のちも見出みいだしたるこそをかしけれ。有明ありあけなどは、ましていとめでたし。笛ふえなど吹ふきて出いでぬる名残なごりは、急いそぎてもねられず、人ひとのうへども言いひ合あはせて歌うたなど語かたり聞きくままに、寝入ねいりぬるこそをかしけれ。

第180段「ある所になにの君とかや」

「ある所ところに、何なにの君きみとかや言いひける人ひとのもとに、君達きんだちにはあらねど、その頃ころいたうすいたるものに言いはれ、心こころばせなどある人ひとの、九月くぐわつばかりに行いきて、有明ありあけのいみじう霧きり満みちて面白おもしろきに、名残なごり思おもひ出いでられむと言葉ことばを尽つくして出いづるに、今いまは往いぬらむと遠とほく見送みおくるほど、えも言いはず艶えんなり。出いづる方かたを見みせて立たち返かへり、立蔀たてじとみの間あひだに陰かげに添そひて立たちて、なほ行いきやらぬさまに、今いま一度ひとたび言いひ知しらせむと思おもふに、有明ありあけの月つきのありつつもと、忍しのびやかにうち言いひて差さし覗のぞきたる、髪かみの頭かしらにもより来きず、五寸ごすんばかり下さがりて、火ひをさしともしたるやうなりけるに、月つきの光ひかり催もよほされて、驚おどろかるる心地ここちのしければ、やをら出いでにけり」

 とこそ語かたりしか。

第181段「雪のいと高うはあらで」

 雪ゆきのいと高たかうはあらで、薄うすらかに降ふりたるなどは、いとこそをかしけれ。

 また、雪ゆきのいと高たかう降ふり積つもりたる夕暮ゆふぐれより、端近はしぢかう、同おなじ心こころなる人ひと二ふたり、三人みたりばかり、火桶ひをけを中なかに据すゑて物語ものがたりなどするほどに、暗くらうなりぬれど、こなたには火ひもともさぬに、大方おほかたの雪ゆきの光ひかりいと白しろう見みえたるに、火箸ひばしして灰はひなど掻かきすさみて、あはれなるも、をかしきも、言いひ合あはせたるこそをかしけれ。

 宵よひもや過すぎぬらむと思おもふほどに、沓くつの音おと近ちかう聞きこゆれば、怪あやしと見出みいだしたるに、時々ときどきかやうの折をりに、覚おぼえなく見みゆる人ひとなりけり。

「今日けふの雪ゆきを、いかにと思おもひ遣やり聞きこえながら、なでふことに障さはりて、その所ところに暮くらしつる」

 など言いふ。

「今日けふ来こむ」

 などやうのすぢをぞ言いふらむかし。昼ひるありつることどもなどうち始はじめて、万よろづのことを言いふ。円座わらふだばかり差さし出いでたれど、片かたつ方かたの足あしは下したながらあるに、鐘かねの音おとなども聞きこゆるまで、内うちにも外そとにも、この言いふことは飽あかずぞ覚おぼゆる。

 明あけぐれのほどに帰かへるとて、

「雪ゆきなにの山やまに満みてり」

 と誦ずしたるは、いとをかしきものなり。女をんなの限かぎりしては、さもえ居ゐ明あかさざらましを、ただなるよりはをかしう、すきたる有様ありさまなど言いひ合あはせたり。

第182段「村上の前帝の御時に」

 村上むらかみの前帝せんだいの御時おんときに、雪ゆきのいみじう降ふりたりけるを、様器やうきに盛もらせたまひて、梅うめの花はなを挿さして、月つきのいと明あきに、

「これに歌うた詠よめ。いかが言いふべき」

 と、兵衛ひやうゑの蔵人くらうどに賜たまはせたりければ、

「雪月花せつげつくわの時とき」

 と奏そうしたりけるこそ、いみじう愛めでさせたまひけれ。

「歌うたなど詠よむは世よの常つねなり。かく折をりに合あひたることなむ言いひ難がたき」

 とぞ、仰おほせられける。

 同おなじ人ひとを御供おんともにて、殿上てんじやうに人ひと候さぶらはざりけるほど、佇たたずませたまひけるに、炭櫃すびつに煙けぶりの立たちければ、

「かれは何なにぞと見みよ」

 と仰おほせられければ、見みて帰かへり参まゐりて、

わたつ海うみの沖おきにこがるる物もの見みれば海人あまの釣つりして帰かへるなりけり

 と奏そうしけるこそをかしけれ。蛙かへるの飛とび入いりて、焼やくるなりけり。

第183段「御形の宣旨の」

 御形みあれの宣旨せんじの、上うへに、五寸ごすんばかりなる殿上童てんじやうわらはのいとをかしげなるを作つくりて、みづら結ゆひ、装束さうぞくなどうるはしくして、中なかに名な書かきて、奉たてまつらせたまひけるを、

「ともあきらの大君おほきみ」

 と書かいたりけるを、いみじうこそ興きようぜさせたまひけれ。

第184段「宮にはじめて参りたるころ」

 宮みやに始はじめて参まゐりたるころ、もののはづかしきことの数かず知しらず、涙なみだも落おちぬべければ、夜々よなよな参まゐりて、三尺さんじやくの御几帳みきちやうの後うしろに候さぶらふに、絵ゑなど取とり出いでて見みせさせたまふを、手てにてもえ差さし出いづまじう、わりなし。

「これは、とあり、かかり。それが、かれが」

 など宣のたまはす。高坏たかつきに参まゐらせたる御殿油おんとなぶらなれば、髪かみの筋すぢなども、なかなか昼ひるよりも顕証けそうに見みえてまばゆけれど、念ねんじて見みなどす。いとつめたきころなれば、さしいでさせたまへる御手おんてのはつかに見みゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅うすこうばいなるは、限かぎりなくめでたしと、見み知しらぬ里人さとびと心地ここちには、かかる人ひとこそは世よにおはしましけれと、驚おどろかるるまでぞ、まもり参まゐらする。

 暁あかつきにはとく下おりなむと急いそがるる。

「葛城かづらきの神かみもしばし」

 など仰おほせらるるを、いかでかは筋違すぢかひ御覧ごらんぜられむとて、なほ伏ふしたれば、御格子みかうしも参まゐらず。

 女官にようくわんども参まゐりて、

「これ、放はなたせたまへ」

 など言いふを聞ききて、女房にようばうの放はなつを、

「まな」

 と仰おほせらるれば、笑わらひて帰かへりぬ。物ものなど問とはせたまひ、宣のたまはするに、久ひさしうなりぬれば、

「下おりまほしうなりにたらむ。さらば、はや。夜よさりは、とく」

 と仰おほせらる。ゐざり隠かくるるや遅おそきと、上あげ散ちらしたるに、雪ゆき降ふりにけり。登花殿とうくわでんの御前おまへは、立蔀たてじとみ近ちかくて狭せばし。雪ゆきいとをかし。

 昼ひるつ方かた、

「今日けふは、なほ参まゐれ。雪ゆきにくもりてあらはにもあるまじ」

 など、たびたび召めせば、この局つぼねの主あるじも、

「見苦みぐるし。さのみやは籠こもりたらむとする。あへなきまで御前おまへ許ゆるされたるは、さおぼしめすやうこそあらめ。思おもふに違たがふは憎にくきものぞ」

 と、ただいそがしに出いだし立たつれば、あれにもあらぬ心地ここちすれど参まゐるぞ、いと苦くるしき。

 火焼屋ひたきやの上うへに降ふり積つみたるも、珍めづらしうをかし。

 御前おまへ近ちかくは、例れいの、炭櫃すびつの火ひこちたく起おこして、それにはわざと人ひともゐず。宮みやは沈ぢんの御火桶おんひをけ、梨絵なしゑしたるに向むかひておはします。上臈じやうらふ御賄おんまかなひしたまひけるままに、近ちかく候さぶらふ。次つぎの間まに長炭櫃ながすびつに間まなく居ゐたる人々ひとびと、唐衣からぎぬ着き垂たれたるほど、なれやすらかなるを見みるもいと羨うらやまし。御文おんふみ取とり次つぎ、立たち居ゐ行ゆき違ちがふさまなどの、つつましげならず、物もの言いひゑ笑わらふ。いつの世よにか、さやうにまじらひならむと思おもふさへぞつつましき。奥おく寄よりて、三四人みたりよたり差さし集つどひて絵ゑなど見みるもあめり。しばしありて、前駆さき高たかう、追おふ声こゑすれば、

「殿どの参まゐらせたまふなり」

 とて、散ちりたる物ものども取とり遣やりなどするに、いかで下おりなむと思おもへど、さらにえふとも身動みじろかねば、いま少すこし奥おくに引ひき入いりて、さすがにゆかしきなめりと、御几帳みきちやうの綻ほころびよりはつかに見み入いれたり。

 大納言だいなごん殿どのの参まゐりたまへるなりけり。御直衣おほむなほし、指貫さしぬきの紫むらさきの色いろ、雪ゆきに映はえていみじうをかし。柱元はしらもとにゐたまひて、

「昨日きのふ今日けふ、物忌ものいみにはべりつれど、雪ゆきのいたく降ふりはべりつれば、おぼつかなさになむ」

 と申まうしたまふ。

「道みちもなしと思おもひつるに、いかで」

 とぞ御答おんいらへある。うち笑わらひたまひて、

「あはれともや御覧ごらんずるとて」

 など宣のたまふ、御有様おんありさまども、これより何事なにごとかはまさらむ。物語ものがたりに、いみじう口くちにまかせて言いひたるに違たがはざめりと覚おぼゆ。

 宮みやは、白しろき御衣おんぞどもに、紅くれなゐの唐綾からあやをぞ上うへに奉たてまつりたる。

 御髪みぐしのかからせたまへるなど、絵ゑに描かきたるをこそ、かかることは見みしに、現うつつにはまだ知しらぬを、夢ゆめの心地ここちぞする。女房にようばうともの言いひ、戯言たはぶれごとなどしたまふ。御おん答いらへを、いささかはづかしとも思おもひたらず聞きこえ返かへし、空言そらごとなど宣のたまふは、争あらがひ論ろんじなど聞きこゆるは、目めもあやに、浅あさましきまで、あいなう、面おもてぞ赤あかむや。御おん果物くだもの参まゐりなど、とりはやして、御前おまへにも参まゐらせたまふ。

「御帳みちやうの後うしろなるは、たれぞ」

 と問とひたまふなるべし。さかすにこそはあらめ、立たちておはするを、なほほかへにやと思おもふに、いと近ちかうゐたまひて、物ものなど宣のたまふ。まだ参まゐらざりしより聞きき置おきたまひけることなど、

「誠まことにや、さありし」

 など宣のたまふに、御几帳みきちやう隔へだてて、よそに見み遣やり奉たてまつりつるだにはづかしかりつるに、いと浅あさましう、さし向むかひ聞きこえたる心地ここち、現うつつとも覚おぼえず。行幸みゆきなど見みる折をり、車くるまの方かたにいささかも見みおこせたまへば、下簾したすだれ引ひき塞ふたぎて、透影すきかげもやと扇あふぎを差さし隠かくすに、なほいとわが心こころながらもおほけなく、いかで立たち出いでしにかと、汗あせあえていみじきには、何事なにごとをかは答いらへも聞きこえむ。

 かしこき陰かげと捧ささげたる扇あふぎをさへ取とりたまへるに、ふりかくべき髪かみの覚おぼえさへあやしからむと思おもふに、すべて、さる気色けしきもこそは見みゆらめ。とく立たちたまはなむと思おもへど、扇あふぎを手てまさぐりにして、絵ゑのこと、

「誰たが描かかせたるぞ」

 など宣のたまひて、とみにもたまはねば、袖そでをおしあててうつぶし居ゐたるも、唐衣からぎぬに白しろいものうつりて、まだらならむかし。

 久ひさしくゐたまへるを、心無こころなう、苦くるしと思おもひたらむと心得こころえさせたまへるにや、

「これ見みたまへ。これは誰たが手てぞ」

 と聞きこえさせたまふを、

「賜たまはりて見みはべらむ」

 と申まうしたまふを、

「なほ、ここへ」

 と宣のたまはす。

「人ひとを捉とらへて立たてはべらぬなり」

 と宣のたまふも、いと今いまめかしく、身みのほどにあはず、かたはらいたし。人ひとの草仮名さうがな書かきたる草子さうしなど、取とり出いでて御覧ごらんず。

「誰たれがにかあらむ。かれに見みせさせたまへ。それぞ、世よにある人ひとの手ては皆みな見み知しりてはべらむ」

 など、ただ答いらへさせむと、怪あやしきことどもを宣のたまふ。

 一所ひとところだにあるに、また前駆さきうち追おはせて、同おなじ直衣なほしの人ひと参まゐりたまひて、これはいま少すこし華はなやぎ、猿楽言さるがうごとなどしたまふを、笑わらひ興きようじ、我われも

「某なにがしが、とあること」

 など、殿上人てんじやうびとの上うへなど申まうしたまふを聞きくは、なほ、変化へんげの者もの、天人てんにんなどの下くだり来きたるにやと覚おぼえしを、候さぶらひ慣なれ、日頃ひごろ過すぐれば、いとさしもあらぬわざにこそはありけれ。

 かく見みる人々ひとびとも、皆みな家いへのうちいでそめけむほどは、さこそは覚おぼえけめなど、観くわんじもてゆくに、おのづから面慣おもなれぬべし。

 物ものなど仰おほせられて、

「我われをば思おもふや」

 と問とはせたまふ。

 御おん答いらへに、

「いかがは」

 と啓けいするにあはせて、台盤所だいばんどころの方かたに、鼻はなをいと高たかく嚏ひたれば、

「あな心憂こころう。空言そらごとを言いふなりけり。よし、よし」

 とて入いらせたまひぬ。

「いかでか空言そらごとにはあらず。よろしうだに思おもひ聞きこえさすべきことかは。鼻はなこそは空言そらごとしけれ」

 と覚おぼゆ。

 さても、誰たれかかく憎にくきわざしつらむと、大方おほかた心付こころづきなしと覚おぼゆれば、さる折をりも押おし拉ひしぎつつあるものを、まいていみじ、憎にくしと思おもへど、まだ初々うひうひしければ、ともかくもえ啓けいし返かへさで、明あけぬれば、下おりたる、即すなはち、浅緑あさみどりなる薄様うすやうに艶えんなる文ふみをこれとて来きたる。開あけて見みれば、

「いかにしていかに知しらまし偽いつはりを空そらに糺ただすの神かみなかりせば

となむ御気色おんけしきは」

 とあるに、めでたくも口惜くちをしうも思おもひ乱みだるるに、なほ昨夜よべの人ひとぞねたく憎にくままほしき。

「うすさ濃こさそれにもよらぬはなゆゑに憂うき身みのほどを見みるぞわびしき

なほこればかりは啓けいし直なほさせたまへ。式しきの神かみもおぼづからもいと畏かしこし」

 とて参まゐらせて後のちにも、うたて折をりしも、などてさはたありけむと、いと嘆なげかし。

第185段「したり顔なるもの」

 したり顔がほなるもの、正月しやうぐわつ一日ついたちに最初さいしよに鼻はなひたる人ひと。よろしき人ひとはさしもなし。下臈げらふよ。競きしろふたびの蔵人くらうどに子こなしたる人ひとの気色けしき。また、除目ぢもくにその年としの一いちの国くに得えたる人ひと。喜よろこびなど言いひて、

「いとかしこうなりたまへり」

 など言いふ答いらへに、

「なにかは。いとこと様やうに滅ほろびてはべるなれば」

 など言いふも、いとしたり顔がほなり。

 また、言いふ人ひと多おほく、挑いどみたる中なかに、選よりて婿むこになりたるも、我われはと思おもひぬべし。受領ずりやうしたる人ひとの宰相さいしやうになりたるこそ、もとの君きみたちの成なり上あがりたるよりもしたり顔がほに気高けだかう、いみじうは思おもひためれ。

第186段「位こそなほめでたき物はあれ」

 位くらゐこそなほめでたき物ものはあれ。同おなじ人ひとながら、大夫たいふの君きみ、侍従じじゆうの君きみなど聞きこゆる折をりは、いと侮あなづりやすきものを、中納言ちゆうなごん、大納言だいなごん、大臣おとどなどになりたまひては、むげにせくかたもなく、やむごとなう覚おぼえたまふことのこよなさよ。程々ほどほどにつけては、受領ずりやうなども皆みなさこそはあめれ。あまた国くにに行いき、大弐だいにや四位しゐ、三位さんみなどになりぬれば、上達部かんだちめなどもやむごとながりたまふめり。

 女をんなこそなほ悪わろけれ。内裏うちわたりに、御乳母おんめのとは典侍ないしのすけ、三位さんみなどになりぬればおもしろけれど、さりとてほどより過すぎ、なにばかりのことかはある。

 また、多おほくやはある。受領ずりやうの北きたの方かたにて国くにへ下くださるをこそは、よろしき人ひとの幸さいはひの際きはと思おもひて愛めで羨うらやむめれ。ただ人ひとの上達部かんだちめの北きたの方かたになり、上達部かんだちめの御娘おんむすめ后きさきにゐたまふこそは、めでたきものなめれ。

 されど、男をとこはなほ若わかき身みの成なり出いづるぞいとめでたしかし。法師ほふしなどのなにがしなど言いひて歩ありくは、なにとかは見みゆる。経きやう尊たふとく読よみ、見目みめ清きよげなるにつけても、女房にようばうに侮あなづられて成なり掛かかりこそすめれ。僧都そうづ、僧正そうじやうになりぬれば、仏ほとけのあらはれたまへるやうに、怖おぢ惑まどひ畏かしこまるさまは、なににか似にたる。

第187段「かしこきものは」

 かしこきものは、乳母めのとの男をとここそあれ。帝みかど、親王みこたちなどは、さるものにておき奉たてまつりつ。その次々つぎつぎ、受領ずりやうの家いへなどにも、所ところにつけたる覚おぼえの煩わづらはしきものにしたれば、したり顔がほに、わが心地ここちもいとよせありて、この養やしなひたる子こをも、むげにわがものになして、女をんなはされどあり、男児をのこごはつと立たち添そひて後見うしろみ、いささかもかの御おんことにたがふ者ものをば詰つめ立たて、讒言ざんげんし、あしけれど、これが世よをば心こころにまかせて言いふ人ひともなければ、所得ところえ、いみじき面持おももちして、こと行おこなひなどす。

 むげに幼をさなきほどぞ少すこし人ひと悪わろき。親おやの前まへに臥ふすれば、一人ひとり局つぼねに臥ふしたり。さりとて外ほかへ行いけば、こと心こころありとて騒さわがれぬべし。強しひて呼よび下おろして臥ふしたるに、

「先まづ先まづ」

 と呼よばるれば、冬ふゆの夜よなど、ひきさがしひきさがし登のぼりぬるがいとわびしきなり。それは良よき所ところも同おなじこと、いま少すこし煩わづらはしきことのみこそあれ。

第188段「病は」

 病やまひは、胸むね。物ものの怪け。脚あしの気け。果はては、ただそこはかとなくて物もの食くはれぬ心地ここち。

第189段「十八九ばかりの人の」

 十八九じふはちくばかりの人ひとの、髪かみいとうるはしくて丈たけばかりに、裾すそいとふさやかなる、いと良よう肥こえて、いみじう色白いろしろう、顔かほ愛敬あいぎやうづき、よしと見みゆるが、歯はをいみじう病やみて、額髪ひたひがみもしとどに泣なき濡ぬらし、乱みだれ掛かかるも知しらず、面おもてもいと赤あかくて、押おさへて居ゐたるこそをかしけれ。

第190段「八月ばかりに」

 八月はちぐわつばかりに、白しろき単ひとへなよらかなるに、袴はかま良よきほどにて、紫苑しをんの衣きぬのいとあてやかなるを引ひき掛かけて、胸むねをいみじう病やめば、友達ともだちの女房にようばうなど、数々かずかず来きつつ訪とぶらひ、外そとのかたにも、若わかやかなる君達きんだちあまた来きて、

「いといとほしき業わざかな。例れいもかうや悩なやみたまふ」

 など、事無ことなしびに言いふもあり。

 心掛こころかけたる人ひとは、誠まことにいとほしと思おもひ嘆なげき、人ひと知しれぬ仲なかなどは、まして人目ひとめ思おもひて、寄よるにも近ちかくえ寄よらず、思おもひ嘆なげきたるこそをかしけれ。

 いとうるはしう長ながき髪かみを引ひき結ゆひて、ものつくとて起おき上あがりたる気色けしきもらうたげなり。

 上うへにも聞きこしめして、御読経みどきやうの僧そうの声こゑ良よき賜たまはせたれば、几帳きちやう引ひき寄よせてすゑたり。ほどもなきせばさなれば、訪とぶらひ人びとあまたきて、経きやう聞ききなどするも隠かくれなきに、目めを配くばりて読よみ居ゐたるこそ、罪つみや得えらむと覚おぼゆれ。

第191段「すきずきしくてひとり住みする人の」

 好すき好ずきしくて一人住ひとりずみする人ひとの、夜よるはいづくにやありつらむ、暁あかつきに帰かへりて、やがて起おきたる、眠ねぶたげなる気色けしきなれど、硯すずり取とり寄よせて墨すみこまやかに押おし擦すりて、ことなしびに筆ふでに任まかせてなどはあらず、心こころ留とどめて書かく、まひろげ姿すがたもをかしう見みゆ。

 白しろき衣きぬどもの上うへに、山吹やまぶき、紅くれなゐなどぞ着きたる。白しろき単衣ひとへのいたう萎しぼみたるを、うちまもりつつ書かき果はてて、前まへなる人ひとにも取とらせず、わざと立たちて、小舎人童こどねりわらは、つきづきしき随身ずいじんなど近ちかう呼よび寄よせて、ささめきとらせて、往いぬる後のちも久ひさしう眺ながめて、経きやうなどのさるべき所々ところどころ、忍しのびやかに口くちずさびに読よみ居ゐたるに、奥おくの方かたに御粥おかゆ、手水てうづなどしてそそのかせば、歩あゆみ入いりても、文机ふづくゑに押おし掛かかりて書ふみなどをぞ見みる。おもしろかりける所ところは高たかううち誦ずしたるも、いとをかし。

 手て洗あらひて、直衣なほしばかりうち着きて、六ろくの巻まき空そらに読よむ、誠まことに尊たふときほどに、近ちかき所ところなるべし、ありつる使つかひうち気色けしきばめば、ふと読よみさして、返事かへりごとに心こころ移うつすこそ、罪つみ得えらむとをかしけれ。

第192段「いみじう暑き昼中に」

 いみじう暑あつき昼中ひるなかに、いかなる業わざをせむと、扇あふぎの風かぜもぬるし、氷水ひみづに手てをひたし、もてさわぐほどに、こちたう赤あかき薄様うすやうを、唐撫子からなでしこのいみじう咲さきたるに結むすび付つけて、取とり入いれたるこそ、書かきつらむほどの暑あつさ、志こころざしのほど浅あさからず推おし量はかられて、かつ使つかひつるだに飽あかず覚おぼゆる扇あふぎもうち置おかれぬれ。

第193段「南ならずは東の廂の板の」

 南みなみならずは東ひむがしの廂ひさしの板いたの、影かげ見みゆばかりなるに、あざやかなる畳たたみをうち置おきて、三尺さんじやくの几帳きちやうの帷子かたびらいと涼すずし気げに見みえたるを押おし遣やれば、流ながれて思おもふほどよりも過すぎて立たてるに、白しろき生絹すずしの単衣ひとへ、紅くれなゐの袴はかま、宿直物とのゐものには、濃こき衣きぬのいたうは萎なえぬを、少すこし引ひき掛かけて臥ふしたり。

 灯籠とうろうに火ひともしたる、二間ふたまばかりさりて、簾すだれ高たかう上あげて、女房にようばう二人ふたりばかり、童わらはなど、長押なげしに寄より掛かかり、また、下おろしたる簾すだれに添そひて臥ふしたるもあり。火取ひとりに火ひ深ふかう埋うづみて、心細こころぼそげににほはしたるも、いとのどやかに、心こころ憎にくし。

 宵よひうち過すぐるほどに、忍しのびやかに門かど叩たたく音おとのすれば、例れいの心こころ知しりの人ひと来きて、気色けしきばみ立たち隠かくし、人ひとまもりて入いれたるこそ、さる方かたにをかしけれ。

 傍かたはらにいとよく鳴なる琵琶びはのをかしげなるがあるを、物語ものがたりのひまひまに、音おともたてず、爪弾つまびきに掻かき鳴ならしたるこそをかしけれ。

第194段「大路近なる所にて聞けば」

 大路おほぢ近ちかなる所ところにて聞きけば、車くるまに乗のりたる人ひとの、有明ありあけのをかしきに簾すだれ上あげて、

「遊子いうしはなほ残のこりの月つきに行ゆく」

 と言いふ詩しを、声こゑ良よくて誦ずしたるもをかし。

 馬うまにても、さやうの人ひとの行ゆくはをかし。さやうの所ところにて聞きくに、泥障あをりの音おとの聞きこゆるを、いかなる者ものならむと、するわざもうち置おきて見みるに、あやしの者ものを見付みつけたる、いとねたし。

第195段「ふと心劣りとかするものは」

 ふと心劣こころおとりとかするものは、男をとこも女をんなも、言葉ことばの文字もじ卑いやしう使つかひたるこそ、万よろづのことより勝まさりて悪わろけれ。ただ文字もじ一ひとつに、怪あやしう、あてにも卑いやしうもなるは、いかなるにかあらむ。さるは、かう思おもふ人ひと、殊ことに優すぐれてもあらじかし。いづれを良よし悪あしと知しるにかは。されど、人ひとをば知しらじ、ただ心地ここちにさ覚おぼゆるなり。

 卑いやしきことも悪わろきことも、さと知しりながら殊更ことさらに言いひたるは悪あしうもあらず。わがもてつけたるを、つつみなく言いひたるは、浅あさましき業わざなり。

 また、さもあるまじき老おいたる人ひと、男をとこなどの、わざと繕つくろひ、鄙ひなびたるは、憎にくし。まさなきことも、怪あやしきことも、大人おとななるは、間まのもなく言いひたるを、若わかき人ひとは、いみじう傍かたはらいたきことに消きえ入いりたるこそ、さるべきことなれ。

 何事なにごとを言いひても、

「そのことさせむとす」

「言いはむとす」

「何なにとせむとす」

 と言いふと文字もじを失うしなひて、ただ

「言いはむずる」

「里さとへ出いでむずる」

 など言いへば、やがていと悪わろし。まいて、文ふみに書かいては言いふべきにもあらず。物語ものがたりなどこそ、悪あしう書かき成なしつれば、言いふ甲斐かひなく、作つくり人ひとさへこそいとほしけれ。

「ひてつ車くるまに」

 と言いひし人ひともありき。

「求もとむ」

 と言いふことを

「みとむ」

 なんどは、皆みな言いふめり。

第196段「宮仕人のもとに来などする男の」

 宮仕人みやづかへびとのもとに来きなどする男をとこの、そこにて物もの食くふこそいと悪わろけれ。食くはする人ひとも、いと憎にくし。思おもはむ人ひとの、

「なほ」

 など志こころざしありて言いはむを、忌いみたらむやうに口くちを塞ふたぎ、顔かほをもてのくべきことにもあらねば、食くひ居をるにこそはあらめ。いみじう酔ゑひて、わりなく夜よる更ふけて泊とまりたりとも、さらに湯漬ゆづけをだに食くはせじ。心こころもなかりけりとて来こずは、さてありなむ。里さとなどにて、北面きたおもてよりいだしては、いかがはせむ。それだになほぞある。

第197段「風は」

 風かぜは、嵐あらし。三月やよひばかりの夕暮ゆふぐれに緩ゆるく吹ふきたる雨風あめかぜ。

第198段「八九月ばかりに」

 八月はづき、九月ながつきばかりに雨あめに混まじりて吹ふきたる風かぜ、いとあはれなり。雨あめの脚あし横様よこさまに騒さわがしう吹ふきたるに、夏通なつとほしたる綿衣わたぎぬの掛かかりたるを、生絹すずしの単衣ひとへ重かさねて着きたるも、いとをかし。この生絹すずしだにいと所ところせく暑あつかはしく、取とり捨すてまほしかりしに、いつのほどにかくなりぬるにか、と思おもふもをかし。

 暁あかつきに格子かうし、妻戸つまどを押おし開あけたれば、嵐あらしのさと顔がほにしみたるこそ、いみじくをかしけれ。

第199段「九月つごもり十月の頃」

 九月ながつきの晦日つごもり、十月かんなづきの頃ころ、空そらうち曇くもりて風かぜのいと騒さわがしく吹ふきて、黄きなる葉はどものほろほろと零こぼれ落おつる、いとあはれなり。桜さくらの葉は、椋むくの葉はこそ、いと疾とくは落おつれ。

 十月かんなづきばかりに、木立こだち多おほかる所ところの庭にはは、いとめでたし。

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