『枕草子』原文全文を読む(9)第149段~第178段|読みやすいふりがな付き

目次

第149段「いやしげなるもの」

 いやしげなるもの、式部しきぶの丞じようの笏しやく。黒くろき髪かみの筋すぢ悪わろき。布屏風ぬのびやうぶの新あたらしき。旧ふり黒くろみたるは、さる言いふ甲斐かひなき物ものにて、なかなか何なにとも見みえず。新あたらしう仕立したてて、桜さくらの花はな多おほく咲さかせて、胡粉ごふん、朱砂すさなど彩いろどりたる絵ゑども描かきたる。遣戸厨子やりどづし。法師ほふしの太ふとりたる。真まことの出雲筵いづもむしろの畳たたみ。

第150段「胸つぶるるもの」

 胸むねつぶるるもの、競馬くらべうま見みる。元結もとゆひ縒よる。親おやなどの心地ここちあしとて、例れいならぬ気色けしきなる。まして、世よの中なかなどさわがしと聞きこゆる頃ころは、万よろづのこと覚おぼえず。また、物もの言いはぬ稚児ちごの泣なき入いりて、乳ちも飲のまず、乳母めのとの抱いだくにも止やまで久ひさしき。

 例れいの所ところならぬ所ところにて、ことにまたいちじるからぬ人ひとの声こゑ聞きき付つけたるはことわり、異人ことひとなどのその上うへなど言いふにも、先まづこそつぶるれ。いみじう憎にくき人ひとの来きたるにも、またつぶる。怪あやしくつぶれがちなるものは、胸むねこそあめれ。

 昨夜よべ来き始はじめたる人ひとの、今朝けさの文ふみの遅おそきは、人ひとのためさへつぶる。

第151段「うつくしきもの」

 うつくしきもの、瓜うりに描かきたる稚児ちごの顔かほ。雀すずめの子この、鼠鳴ねずなきするに躍をどり来くる。二ふたつ三みつばかりなる稚児ちごの、急いそぎて這はひ来くる道みちに、いと小ちひさき塵ちりのありけるを目めざとに見付みつけて、いとをかしげなる指およびに捉とらへて、大人おとななどに見みせたる、いとうつくし。頭かしらは尼削あまそぎなる稚児ちごの、目めに髪かみのおほへるを掻かきはやらで、うち傾かたぶきて物ものなど見みたるも、うつくし。

 大おほきにはあらぬ殿上童てんじやうわらはの、装束さうぞき立たてられて歩ありくもうつくし。をかしげなる稚児ちごの、あからさまに抱いだきて遊あそばし愛うつくしむほどに、掻かい付つきて寝ねたる、いとらうたし。

 雛ひひなの調度でうど。蓮はちすの浮葉うきはのいと小ちひさきを、池いけより取とり上あげたる。葵あふひのいと小ちひさき。何なにも何なにも、小ちひさきものは皆みなうつくし。

 いみじう白しろく肥こえたる稚児ちごの二ふたつばかりなるが、二藍ふたあいの薄物うすものなど、衣長きぬながにて襷たすき結むすひたるが這はひ出いでたるも、また、短みじかきが袖そでがちなる着きて歩ありくも、皆みなうつくし。八やつ、九ここのつ、十とをばかりなどの男児をのこごの、声こゑは幼をさなげにて文ふみ読よみたる、いとうつくし。

 鶏にはとりのひなの、足高あしだかに、白しろうをかしげに衣きぬ短みじかなる様さまして、ひよひよとかしがましう鳴なきて、人ひとの尻前しりさきに立たちて歩ありくもをかし。また親おやの、ともにつれてたちて走はしるも、皆みなうつくし。雁かりの子こ。瑠璃るりの壺つぼ。

第152段「人ばへするもの」

 人ひとばへするもの、異ことなることなき人ひとの子この、さすがに愛かなしうしならはしたる。咳しはぶき。はづかしき人ひとに物もの言いはむとするに、先さきに立たつ。

 あなたこなたに住すむ人ひとの子この四よつ五いつつなるは、あやにくだちて、物もの取とり散ちらし損そこなふを、ひきはられ制せいせられて、心こころのままにもえあらぬが、親おやの来きたるに所得ところえて、

「あれ見みせよ。やや、はは」

 など引ひき揺ゆるがすに、大人おとなどもの言いふとて、ふと聞きき入いれねば、手てづから引ひき捜さがし出いでて見み騒さわぐこそ、いと憎にくけれ。それを、

「まな」

 とも取とり隠かくさで、

「さなせそ」

「損そこなふな」

 などばかり、うち笑ゑみ言いふこそ、親おやも憎にくけれ。我われはた、えはしたなうも言いはで見みるこそ心こころもとなけれ。

第153段「名おそろしきもの」

 名な恐おそろしきもの、青淵あをふち。谷たにの洞ほら。鰭板はたいた。鉄くろがね。土塊つちくれ。雷いかづちは名なのみにもあらず、いみじう恐おそろし。疾風はやち。不祥雲ふさうぐも。戈星ほこぼし。肘笠雨ひぢかさあめ。あらのら。強盗がうだう、また万よろづに恐おそろし。らんそう、大方おほかた恐おそろし。かなもち、また万よろづに恐おそろし。生霊いきすだま。蛇苺くちなはいちご。鬼蕨おにわらび。鬼野老おにところ。茨むばら。枳殻からたち。いりずみ。牛鬼うしおに。碇いかり、名なよりも見みるは恐おそろし。

第154段「見るにことなることなきものの」

 見みるに異ことなることなきものの文字もじに書かきて事々ことごとしきもの。

 覆盆子いちご。鴨頭草つゆくさ。水芡みづふぶき。蜘蛛くも。胡桃くるみ。文章博士もんじやうはかせ。得業生とくごふのしやう。皇太后宮権大夫くわうたいごうぐうのごんのだいぶ。楊梅やまもも。

 虎杖いたどりは、まいて虎とらの杖づゑと書かきたるとかや。杖づゑなくともありぬべき顔付かほつきを。

第155段「むつかしげなるもの」

 むつかしげなるもの、縫ぬひ物ものの裏うら。鼠ねずみの子この毛けもまだ生おひぬを、巣すの中なかより転まろばし出いでたる。裏うらまだ付つけぬ裘かはぎぬの縫ぬひ目め。猫ねこの耳みみの中なか。ことにきげならぬ所ところの暗くらき。

 異ことなることなき人ひとの、子こなどあまた持もて扱あつかひたる。いと深ふかうしも志こころざしなき妻つまの、心地ここちあしうして久ひさしう悩なやみたるも、男をとこの心地ここちはむつかしかるべし。

第156段「えせものの所得る折」

 似非者えせものの所得ところえる折をり、正月しやうぐわつの大根おほね。行幸みゆきの折をりの姫大夫ひめまうちぎみ。御おん即位そくゐの御門司みかどづかさ。六月ろくぐわつ、十二月じふにぐわつの晦日つごもりの節せち折をりの蔵人くらうど。季きの御読経みどきやうの威儀師ゐぎし。赤袈裟あかげさ着きて僧そうの名なども読よみ上あげたる、いときらきらし。

 季きの御読経みどきやう。御仏名おぶつみやうなどの御おん装束さうぞくの所ところの衆しゆ。春日祭かすがのまつりの近衛このゑの舎人とねりども。元三ぐわんざんの薬子くすりこ。卯杖うづゑの法師ほふし。御前おまへの試こころみの夜よの御髪上みぐしあげ。節会せちゑの御賄おんまかなひの采女うねめ。

第157段「苦しげなるもの」

 苦くるしげなるもの、夜泣よなきと言いふ業わざする稚児ちごの乳母めのと。思おもふ人ひと二人ふたり持もちて、こなたかなたふすべらるる男をとこ。強こはき物ものの怪けに預あづかりたる験者げんざ。験げんだに逸早いちはやからば良よかるべきを、さしもあらず、さすがに人ひと笑わらはれならじと念ねんずる、いと苦くるしげなり。

 わりなく物疑ものうたがひする男をとこにいみじう思おもはれたる女をんな。一ひとの所ところなどに時ときめく人ひとも、えやすくはあらねど、そは良よかめり。心苛こころいられしたる人ひと。

第158段「うらやましげなるもの」

 羨うらやましげなるもの。経きやうなど習ならふとて、いみじうたどたどしく忘わすれがちに返かへす返がへす同おなじ所ところを読よむに、法師ほふしはことわり、男をとこも女をんなも、くるくると安やすらかに読よみたるこそ、あれがやうにいつの世よにあらむと覚おぼゆれ。

 心地ここちなどわづらひて臥ふしたるに、笑ゑみうち笑わらひ、物ものなど言いひ、思おもふことなげにて歩あゆみ歩ありく人ひと見みるこそ、いみじう羨うらやましけれ。

 稲荷いなりに思おもひ起おこして詣まうでたるに、中なかの御社みやしろのほどのわりなう苦くるしきを、念ねんじ上のぼるに、いささか苦くるしげもなく、遅おそれて来くと見みゆる者ものどものただ行ゆきに先さきに立たちて詣まうづる、いとめでたし。

 二月にぐわつ午うまの日ひの暁あかつきに急いそぎしかど、坂さかの半なからばかり歩あゆみしかば、巳みの時ときばかりになりにけり。やうやう暑あつくさへなりて、誠まことにわびしくて、など、かからで良よき日ひもあらむものを、何なにしに詣まうでつらむとまで、涙なみだも落おちて休やすみ困こうずるに、四十余よそぢあまりばかりなる女をんなの、壺装束つぼさうぞくなどにはあらで、ただ引ひきはこへたるが、

「まろは七度しちど詣まうでしはべるぞ。三度みたびは詣まうでぬ。今いま四度よたびはことにもあらず。まだ未ひつじに下向げかうしぬべし」

 と、道みちに会あひたる人ひとにうち言いひて下くだり行ゆきしこそ、ただなる所ところには目めにも留とまるまじきに、これが身みにただ今いまならばやと覚おぼえしか。

 女児をんなごも、男児をのこごも、法師ほふしも、良よき子こども持もたる人ひと、いみじう羨うらやまし。髪かみいと長ながく麗うるはしく、下さがり端ばなどめでたき人ひと。また、やむごとなき人ひとの、万よろづの人ひとにかしこまられ、傅かしづかれたまふ、見みるも、いと羨うらやまし。手てよく書かき、歌うたよく詠よみて、物ものの折毎をりごとにも先まづ取とり出いでらるる、羨うらやまし。

 良よき人ひとの御前おまへに女房にようばういとあまた候さぶらふに、心こころ憎にくき所ところへ遣やはす仰おほせ書がきなどを、誰たれもいと鳥とりの跡あとにしもなどかあらむ。されど、下しもなどにあるをわざと召めして、御硯おんすずり取とり下おろして書かかせさせたまふも羨うらやまし。さやうのことは所ところの大人おとななどになりぬれば、誠まことに難波なにはわたり遠とほからぬも、ことに従したがひて書かくを、これはさにあらで、上達部かんだちめなどのまだ初はじめて参まゐらむと申まうさする人ひとの娘むすめなどには、心こころことに紙かみより始はじめて繕つくろはせたまへるを、集あつまりて戯たはぶれにも妬ねたがり言いふめり。

 琴きん、笛ふえなど習ならふ、またさこそは、まだしきほどは、これがやうにいつしかと覚おぼゆらめ。

 内裏うち、春宮とうぐうの御おん乳母めのと。上うへの女房にようばうの、御方々おんかたがた何処いづこもおぼつかなからず参まゐり通とほふ。

第159段「とくゆかしきもの」

 疾とくゆかしきもの、巻染まきぞめ。斑濃むらご、括くくり物ものなど染ぞめたる。人ひとの児ちご産うみたるに、男をとこ女をんな、疾とく聞きかまほし。良よき人ひとさらなり、似非者えせもの、下衆げすの際きはだになほゆかし。

 除目ぢもくの翌朝つとめて。必かならず知しる人ひとのさるべきなき折をりも、なほ聞きかまほし。

第160段「心もとなきもの」

 心こころもとなきもの、人ひとのもとに急とみの物もの縫ぬひにやりて、いまいまと苦くるしう居ゐ入いりて、あなたを守まもらへたる心地ここち。子こ産うむべき人ひとの、そのほど過すぐるまでさる気色けしきもなき。

 遠とほき所ところより思おもふ人ひとの文ふみを得えて、かたく封ふうじたる続飯そくひなど開あくるほど、いと心こころもとなし。

 物見ものみに遅おそく出いでて、ことなりにけり、白しろき笞しもとなど見付みつけたるに、近ちかくやり寄よするほど、わびしう、下おりても去いぬべき心地ここちこそすれ。知しられじと思おもふ人ひとのあるに、前まへなる人ひとに教をしへて物もの言いはせたる。いつしかと待まち出いでたる稚児ちごの、五十日いか、百日ももかなどのほどになりにたる、行末ゆくすゑいと心こころもとなし。

 急とみの物もの縫ぬふに、生暗なまぐらうて針はりに糸いとすぐる。されど、それはさるものにて、ありぬべき所ところを捉とらへて、人ひとにすげさするに、それも急いそげばにやあらむ、とみにも差さし入いれぬを、

「いで、ただなすげそ」

 と言いふを、さすがになどてかと思おもひ顔かほにえ去さらぬ、憎にくきさへ添そひたり。

 何事なにごとにもあれ、急いそぎて物ものへ行いくべき折をりに、先まづ我われさるべき所ところへ行いくとて、ただ今いま遣おこせむとて出いでぬる車くるま待まつほどこそ、いと心こころもとなけれ。大路おほぢ行いきけるを、さななりと喜よろこびたれば、外そとざまに去いぬる、いと口惜くちをし。まいて、物見ものみに出いでむとてあるに、

「ことはなりぬらむ」

 と、人ひとの言いひたるを聞きくこそわびしけれ。

 子こ産うみたる後のちのことのひさしき。物見ものみ、寺てら詣まうでなどに、もろともにあるべき人ひとを乗のせて行いきたるに、車くるまをさし寄よせて、とみにも乗のらで待またするを、いと心こころもとなく、うち捨すてても往いぬべき心地ここちぞする。

 また、とみにていり炭すみおこすも、いとひさし。人ひとの歌うたの返かへし疾とくすべきを、え詠よみ得えぬほども心こころもとなし。懸想人けさうびとなどはさしも急いそぐまじけれど、おのづからまたさるべきをりもあり。まして、女をんなも、ただに言いひ交かはすことは、ときこそはと思おもふほどに、あいなく僻事ひがごともあるぞかし。

 心地ここちのあしく、物ものの恐おそろしき折をり、夜よの明あくるほど、いと心こころもとなし。

第161段「故殿の御服の頃」

 故殿ことのの御服おんぶくの頃ころ、六月ろくぐわつの晦日つごもりの日ひ、大祓おほはらへと言いふことにて、宮みやの出いでさせたまふべきを、職しきの御曹司みざうしを方かたあしとて、官かんの司つかさの朝所あいたどころにわたらせたまへり。その夜よさり、暑あつくわりなき闇やみにて、何なにとも覚おぼえず、狭せばくおぼつかなくて明あかしつ。

 つとめて、見みれば、屋やの様さまいとひらに短みじかく、瓦葺かはらぶきにて、唐からめき、様さま異ことなり。例れいのやうに格子かうしなどもなく、めぐりて御簾みすばかりをぞ掛かけたる、なかなか珍めづらしくてをかしければ、女房にようばう、庭にはに下おりなどして遊あそぶ。前裁せんざいに萱草くわんざうと言いふ草くさを、籬ませ結ゆひていと多おほく植うゑたりける。花はなの際きはやかに房ふさなりて咲さきたる、むべむべしき所ところの前裁せんざいにはいとよし。時司ときづかさなどは、ただ傍かたはらにて、鼓つづみの音おとも例れいのには似にずぞ聞きこゆるを、ゆかしがりて、若わかき人々ひとびと二十人にじふにんばかり、そなたに行いきて、階はしより高たかき屋やに上のぼりたるを、これより見上みあぐれば、ある限かぎり薄鈍うすにびの裳も、唐衣からぎぬ、同おなじ色いろの単襲ひとへがさね、紅くれなゐの袴はかまどもを着きて上のぼりたるは、いと天人てんにんなどこそえ言いふまじけれど、空そらより降おりたるにやとぞ見みゆる。

 同おなじ若わかきなれど、おしあげたる人ひとは、え交まじらで、羨うらやましげに見上みあげたるも、いとをかし。

 左衛門さゑもんの陣ぢんまで行いきて、倒たふれ騒さわぎたるもあめりしを、

「かくはせぬことなり。上達部かんだちめのつきたまふ椅子いしなどに女房にようばうども上のぼり、上官じやうくわんなどのゐる床子さうじどもを、皆みなうち倒たふし、損そこなひたり」

 などくすしがる者ものどもあれど、聞ききも入いれず。

 屋やのいと古ふるくて、瓦葺かはらぶきなればにやあらむ、暑あつさの世よに知しらねば、御簾みすの外そとにぞ夜よも出いで来き、臥ふしたる。古ふるき所ところなれば、百足むかでと言いふもの、日一日ひひとひ落おち掛かかり、蜂はちの巣すの大おほきにて、付つき集あつまりたるなどぞ、いと恐おそろしき。

 殿上人てんじやうびと日毎ひごとに参まゐり、夜よも居ゐ明あかして物もの言いふを聞ききて、

「豈あにはかりきや、太政官だいじやうくわんの地ぢの今いまやかうの庭にはとならむことを」

 と誦ずし出いでたりしこそをかしかりしか。

 秋あきになりたれど、かたへだに涼すずしからぬ風かぜの、所柄ところがらなめり、さすがに虫むしの声こゑなど聞きこえたり。八日やうかぞ帰かへらせたまひければ、七夕祭たなばたまつり、ここにては例れいよりも近ちかう見みゆるは、程ほどの狭せばければなめり。

 宰相さいしやうの中将ちゆうじやう斉信ただのぶ、宣方のぶかたの中将ちゆうじやう、道方みちかたの少納言せうなごんなど参まゐりたまへるに、人々ひとびと出いでて物ものなど言いふに、序ついでもなく、

「明日あすはいかなることをか」

 と言いふに、いささか思おもひ回まはし滞とどこほりもなく、

「人間じんかんの四月しぐわつをこそは」

 と答いらへたまへるがいみじうをかしきこそ。過すぎにたることなれども、心得こころえて言いふは誰たれもをかしき中なかに、女をんななどこそさやうの物もの忘わすれはせね、男をとこはさしもあらず、よみたる歌うたなどをだに生覚なまおぼえなるものを、誠まことにをかし。内うちなる人ひとも外となるも、心得こころえずと思おもひたるぞことわりなる。

 この四月しぐわつの一日頃ついたちごろ、細殿ほそどのの四よの口くちに殿上人てんじやうびとあまた立たてり。やうやうすべり失うせなどして、ただ頭とうの中将ちゆうじやう、源中将げんちゆうじやう、六位ろくゐ一人ひとり残のこりて、万よろづのことを言いひ、経きやうを読よみ、歌うたうたひなどするに、

「明あけ果はてぬなり。帰かへりなむ」

 とて、

「露つゆは別わかれの涙なみだなるべし」

 と言いふことを頭とうの中将ちゆうじやうのうち出いだしたまへれば、

 源中将げんちゆうじやうももろともにいとをかしく誦ずじたるに、

「急いそぎける七夕たなばたかな」

 と言いふを、いみじうねたがりて、

「ただ暁あかつきの別わかれ一筋ひとすぢを、ふと覚おぼえつるままに言いひて、わびしうもあるかな。すべて、この辺わたりにて、かかること思おもひまはさず言いふは、いと口惜くちをしきぞかし」

 など、返かへす返かへす笑わらひて、

「人ひとにな語かたりたまひそ。必かならず笑わらはれなむ」

 と言いひて、あまり明あかうなりしかば、

「葛城かづらきの神かみ、今いまぞずちなき」

 とて、逃にげおはしにしを、

 七夕たなばたのをりにこのことを言いひ出いでばやと思おもひしかど、宰相さいしやうになりたまひにしかば、必かならずしもいかでかは、そのほどに見みつけなどもせむ、文ふみ書かきて、主殿司とのもりづかさしても遣やらむなど思おもひしを、七日なぬかに参まゐりたまへりしかば、いと嬉うれしくて、その夜よのことなど言いひ出いでば、心こころもぞ得えたまふ、ただすずろにふと言いひたらば、怪あやしなどやうち傾かたぶきたまふ、さらば、それにをありし言葉ことば言いはむ、とてあるに、つゆおぼめかで答いらへたまへりしは、誠まことにいみじうをかしかりき。

 月頃つきごろいつしかと思おもほえたりしだに、わが心こころながら好すき好ずきしと覚おぼえしに、いかでさ思おもひ設まうけたるやうに宣のたまひけむ。もろともにねたがり言いひし中将ちゆうじやうは、思おもひも寄よらで居ゐたるに、

「ありし暁あかつきのこと戒いましめらるるは。知しらぬか」

 と宣のたまふにぞ、

「げに、げに」

 と笑わらふめる悪わろしかし。

 人ひとと物もの言いふことを碁ごになして、近ちかう語かたらひなどしつるをば、

「手て許ゆるしてけり」

「結けちさしつ」

 など言いひ、

「男をとこは手て受うけむ」

 など言いふことを人ひとはえ知しらず、この君きみと心得こころえて言いふを、

「なにぞ、なにぞ」

 と源中将げんちゆうじやうは添そひ付つきて言いへど、言いはねば、かの君きみに、

「いみじう、なほこれ宣のたまへ」

 と恨うらみられて、良よき仲なかなれば聞きかせてけり。あへなく近ちかくなりぬるをば、

「おしこぼちのほどぞ」

 など言いふ。

 我われも知しりにけりといつしか知しられむとて、

「碁盤ごばんはべりや。まろと碁ご打うたむとなむ思おもふ。手てはいかが。許ゆるしたまはむとする。頭とうの中将ちゆうじやうと等ひとし碁ごなり。な思おぼし分わきそ」

 と言いふに、

「さのみあらば、定さだめなくや」

 と言いひしを、またかの君きみに語かたり聞きこえければ、

「嬉うれしう言いひたり」

 と喜よろこびたまひし。なほ過すぎにたること忘わすれぬ人ひとは、いとをかし。

 宰相さいしやうになりたまひし頃ころ、上うへの御前おまへにて、

「詩しをいとをかしう誦ずじはべるものを。蕭會稽せうくわいけい之の過古廟こべうをすぎにしなども誰たれか言いひはべらむとする。暫しばしならでも候さぶらふかし。口惜くちをしきに」

 など申まうししかば、いみじう笑わらはせたまひて、

「さなむ言いふとて、なさじかし」

 など仰おほせられしもをかし。

 されど、なりたまひにしかば、誠まことにさうざうしかりしに、源中将げんちゆうじやう劣おとらず思おもひて、ゆゑだち遊あそび歩ありくに、宰相さいしやうの中将ちゆうじやうの御上おんうへを言いひ出いでて、

「未いまだ三十さんじふの期ごに及およばずと言いふ詩しを、さらに異人ことひとに似にず誦ずじたまひし」

 など言いへば、

「などてかそれに劣おとらむ。勝まさりてこそせめ」

 とてよむに、

「さらに似にるべくだにあらず」

 と言いへば、

「わびしのことや。いかであれがやうに誦ずぜむ」

 と宣のたまふを、

「三十さんじふの期ごと言いふ所ところなむ、すべていみじう愛敬あいぎやう付づきたりし」

 など言いへば、妬ねたがりて笑わらひ歩ありくに、

 陣ぢんにつきたまへりけるを、脇わきに呼よび出いでて、

「かうなむ言いふ。なほそこもと教をしへたまへ」

 と宣のたまひければ、笑わらひて教をしへけるも知しらぬに、局つぼねのもとに来きていみじう良よく似にせてよむに、怪あやしくて、

「こは誰たれそ」

 と問とへば、笑ゑみたる声こゑになりて、

「いみじきことを聞きこえむ。かうかう、昨日きのふ陣ぢんにつきたりしに、問とひ聞ききたるに、先まづ似にたるななり。誰たれぞと憎にくからぬ気色けしきにて問とひたまふは」

 と言いふも、わざと習ならひたまひけむがをかしければ、これだに誦ずずれば出いでて物ものなど言いふを、

「宰相さいしやうの中将ちゆうじやうの徳とくを見みること。その方かたに向むひて拝をがむべし」

 など言いふ。

 下したにありながら、

「上うへに」

 など言いはするに、これをうち出いづれば、

「誠まことはあり」

 など言いふ。御前おまへにも、かくなど申まうせば、笑わらはせたまふ。

 内裏うちの御物忌おんものいみなる日ひ、右近うこんの将監さうくわんみつなにとかや言いふ者ものして、畳紙たたうがみに書かきて遣おこせたるを見みれば、

「参さんぜむとするを、今日けふ明日あすの御物忌おんものいみにてなむ。三十さんじふの期ごに及およばずはいかが」

 と言いひたれば、返事かへりごとに、

「その期ごは過すぎたまひにたらむ。朱買臣しゆばいしんが妻つまを教をしへけむ年としにはしも」

 と書かきて遣やりたりしを、またねたがりて、上うへの御前おまへにも奏そうしければ、宮みやの御方おんかたにわたらせたまひて、

「いかでさることは知しりしぞ。三十九さんじふくなりける年としこそ、さは戒いましめけれとて、宣方のぶかたは、いみじう言いはれにたりと言いふめるは」

 と仰おほせられしこそ、物狂ものぐるほしかりける君きみとこそ覚おぼえしか。

第162段「弘徽殿とは閑院の女御をぞ」

 弘徽殿こきでんとは閑院かんゐんの女御にようごをぞ聞きこゆる。その御方おんかたにうちふしと言いふ者ものの娘むすめ、左京さきやうと言いひて候さぶらひけるを、

「源中将げんちゆうじやう語かたらひてなむ」

 と人々ひとびと笑わらふ。

 宮みやの職しきにおはしまいしに参まゐりて、

「時々ときどきは宿直とのゐなども仕つかうまつるべけれど、さべきさまに女房にようばうなどももてなしたまはねば、いと宮仕みやづかへおろかに候さぶらふこと。宿直所とのゐどころをだに賜たまはりたらば、いみじうまめに候さぶらひなむ」

 と言いひ居ゐたまへれば、人々ひとびと、

「げに」

 などいらふるに、

「誠まことに人ひとは、うち臥ふし休やすむ所ところのあるこそよけれ。さるあたりには、繁しげう参まゐりたまふなるものを」

 と差さし答いらへたりとて、

「すべて、物もの聞きこえじ。方人かたうどと頼たのみ聞きこゆれば、人ひとの言いひ古ふるしたるさまに取とり成なしたまふなめり」

 など、いみじうまめだちて怨ゑんじたまふを、

「あな、怪あやし。いかなることをか聞きこえつる。さらに聞ききとがめたまふべきことなし」

 など言いふ。

 傍かたはらなる人ひとを引ひき揺ゆるがせば、

「さるべきこともなきを、熱ほとほり出いでたまふ、やうこそはあらめ」

 とて、華はなやかに笑わらふに、

「これもかの言いはせたまふならむ」

 とて、いとものしと思おもひたまへり。

「さらにさやうのことをなむ言いひはべらぬ。人ひとの言いふだに憎にくきものを」

 と答いらへて、引ひき入いりにしかば、後のちにもなほ、

「人ひとに恥はぢがましきこと言いひ付つけたり」

 と恨うらみて、

「殿上人てんじやうびと笑わらふとて、言いひたるなめり」

 と宣のたまへば、

「さては、一人ひとりを恨うらみたまふべきことにもあらざるに、怪あやし」

 と言いへば、その後のちは絶たえて止やみたまひにけり。

第163段「昔おぼえて不用なるもの」

 昔むかし覚おぼえて不用ふようなるもの、繧繝端うげんばしの畳たたみの節ふし出いで来きたる。唐絵からゑの屏風びやうぶの黒くろみ、表おもてそこなはれたる。絵師ゑしの目め暗くらき。七八尺しちはちしやくの鬘かづらの赤あかくなりたる。葡萄染えびぞめの織物おりもの、灰はひ返かへりたる。色好いろごのみの老おいくづほれたる。面白おもしろき家いへの木立こだち焼やけ失うせたる。池いけなどはさながらあれど、浮草うきくさ、水草みくさなど茂しげりて。

第164段「たのもしげなきもの」

 たのもしげなきもの、心こころ短みじかく、人ひと忘わすれがちなる婿むこの、常つねに夜離よがれする。空言そらごとする人ひとの、さすがに人ひとの事こと無なし顔がほにて大事だいじ請うけたる。風かぜ疾はやきに帆ほかけたる舟ふね。七八十ななそぢやそぢばかりなる人ひとの、心地ここちあしうて、日頃ひごろになりたる。

第165段「読経は」

 読経どきやうは、不断経ふだんきやう。

第166段「近うて遠きもの」

 近ちかうて遠とほきもの、宮みやのべの祭まつり。思おもはぬ同胞はらから、親族しぞくの仲なか。鞍馬くらまの葛折つづらをりと言いふ道みち。十二月しはすの晦日つごもりの日ひ、正月しやうぐわつの一日ついたちの日ひのほど。

第167段「遠くて近きもの」

 遠とほくて近ちかきもの、極楽ごくらく。舟ふねの道みち。人ひとの仲なか。

第168段「井は」

 井ゐは、堀兼ほりかねの井ゐ。玉たまの井ゐ。走はしり井ゐは逢坂あふさかなるがをかしきなり。山やまの井ゐ。などさしも浅あさき例ためしになり始はじめけむ。飛鳥井あすかゐは、

「みもひもさむし」

 と誉ほめたるこそをかしけれ。千貫ちぬきの井ゐ。少将せうしやうの井ゐ。桜井さくらゐ。后町きさきまちの井ゐ。

第169段「野は」

 野のは、嵯峨野さがのさらなり。印南野いなみの。交野かたの。駒野こまの。飛火野とぶひの。しめし野の。春日野かすがの。

 そうけ野のこそすずろにをかしけれ。などてさ付つけけむ。

 宮城野みやぎの。粟津野あはづの。小野をの。紫野むらさきの。

第170段「上達部は」

 上達部かんだちめは、左大将さだいしやう。右大将うだいしやう。春宮とうぐうの大夫だいぶ。権中納言ごんのちゆうなごん。宰相さいしやうの中将ちゆうじやう。三位さんみの中将ちゆうじやう。

第171段「君達は」

 君達きんだちは、頭とうの中将ちゆうじやう。頭とうの弁べん。権中将ごんのちゆうじやう。四位しゐの少将せうしやう。蔵人くらうどの弁べん。四位しゐの侍従じじゆう。蔵人くらうどの少納言せうなごん。蔵人くらうどの兵衛佐ひやうゑのすけ。

第172段「受領は」

 受領ずりやうは、伊予いよの守かみ。紀伊きいの守かみ。和泉いづみの守かみ。大和やまとの守かみ。

第173段「権の守は」

 権ごんの守かみは、甲斐かひ。越後ゑちご。筑後ちくご。阿波あは。

第174段「大夫は」

 大夫たいふは、式部しきぶの大夫たいふ。左衛門さゑもんの大夫たいふ。右衛門うゑもんの大夫たいふ。

第175段「法師は」

 法師ほふしは、律師りつし。内供ないぐ。

第176段「女は」

 女をんなは、典侍ないしのすけ。内侍ないし。

第177段「六位の蔵人などは」

 六位ろくゐの蔵人くらうどなどは、思おもひ掛かくべきことにもあらず。

 冠かうぶり得えて何なにの権ごんの守かみ、大夫たいふなど言いふ人ひとの、板屋いたやなどの狭せまき家いへ持もちたりて、また、小檜垣こひがきなど言いふ物もの新あたらしくして、車宿くるまやどりに車くるま引ひき立たて、前まへ近ちかく一尺いつしやくばかりなる木き生おほして、牛うしつなぎて草くさなど飼かはするこそいと憎にくけれ。

 庭にはいと清きよげに掃はき、紫革むらさきがはして伊予簾いよす掛かけ渡わたし、布障子ぬのさうじ張はらせて住すまひたる。

 夜よは、

「門かど強つよくさせ」

 など、こと行おこなひたる、いみじう生おひ先さきなう、心付こころづきなし。

 親おやの家いへ、舅しうとはさらなり、叔父をぢ、兄せうとなどの住すまぬ家いへ、そのさべき人ひとなからむは、おのづから、むつまじくうち知しりたらむ受領ずりやうの国くにへ行いきていたづらならむ、さらずは、院ゐん、宮みやばらの屋やあまたあるに、住すみなどして、司つかさ待まち出いでてのち、いつしか良よき所ところ尋たづね取とりて住すみたるこそよけれ。

第178段「女のひとりすむ所は」

 女をんなの一人ひとり住すむ所ところは、いたく荒あばれて築土ついぢなども全またからず、池いけなどある所ところも水草みくさゐ、庭にはなども蓬よもぎに茂しげりなどこそせねども、ところどころ砂子すなごの中なかより青あをき草くさうち見みえ、寂さびしげなるこそあはれなれ。

 物賢ものかしこげに、なだらかに修理しゆりして、門かどいたく固かため、際々きはぎはしきは、いとうたてこそ覚おぼゆれ。

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