第149段「いやしげなるもの」
いやしげなるもの、式部の丞の笏。黒き髪の筋悪き。布屏風の新しき。旧り黒みたるは、さる言ふ甲斐なき物にて、なかなか何とも見えず。新しう仕立てて、桜の花多く咲かせて、胡粉、朱砂など彩りたる絵ども描きたる。遣戸厨子。法師の太りたる。真の出雲筵の畳。
第150段「胸つぶるるもの」
胸つぶるるもの、競馬見る。元結縒る。親などの心地あしとて、例ならぬ気色なる。まして、世の中などさわがしと聞こゆる頃は、万のこと覚えず。また、物言はぬ稚児の泣き入りて、乳も飲まず、乳母の抱くにも止まで久しき。
例の所ならぬ所にて、ことにまたいちじるからぬ人の声聞き付けたるはことわり、異人などのその上など言ふにも、先づこそつぶるれ。いみじう憎き人の来たるにも、またつぶる。怪しくつぶれがちなるものは、胸こそあめれ。
昨夜来始めたる人の、今朝の文の遅きは、人のためさへつぶる。
第151段「うつくしきもの」
うつくしきもの、瓜に描きたる稚児の顔。雀の子の、鼠鳴きするに躍り来る。二つ三つばかりなる稚児の、急ぎて這ひ来る道に、いと小さき塵のありけるを目ざとに見付けて、いとをかしげなる指に捉へて、大人などに見せたる、いとうつくし。頭は尼削ぎなる稚児の、目に髪のおほへるを掻きはやらで、うち傾きて物など見たるも、うつくし。
大きにはあらぬ殿上童の、装束き立てられて歩くもうつくし。をかしげなる稚児の、あからさまに抱きて遊ばし愛しむほどに、掻い付きて寝たる、いとらうたし。
雛の調度。蓮の浮葉のいと小さきを、池より取り上げたる。葵のいと小さき。何も何も、小さきものは皆うつくし。
いみじう白く肥えたる稚児の二つばかりなるが、二藍の薄物など、衣長にて襷結ひたるが這ひ出でたるも、また、短きが袖がちなる着て歩くも、皆うつくし。八つ、九つ、十ばかりなどの男児の、声は幼げにて文読みたる、いとうつくし。
鶏のひなの、足高に、白うをかしげに衣短なる様して、ひよひよとかしがましう鳴きて、人の尻前に立ちて歩くもをかし。また親の、ともにつれてたちて走るも、皆うつくし。雁の子。瑠璃の壺。
第152段「人ばへするもの」
人ばへするもの、異なることなき人の子の、さすがに愛しうしならはしたる。咳。はづかしき人に物言はむとするに、先に立つ。
あなたこなたに住む人の子の四つ五つなるは、あやにくだちて、物取り散らし損ふを、ひきはられ制せられて、心のままにもえあらぬが、親の来たるに所得て、
「あれ見せよ。やや、はは」
など引き揺るがすに、大人どもの言ふとて、ふと聞き入れねば、手づから引き捜し出でて見騒ぐこそ、いと憎けれ。それを、
「まな」
とも取り隠さで、
「さなせそ」
「損ふな」
などばかり、うち笑み言ふこそ、親も憎けれ。我はた、えはしたなうも言はで見るこそ心もとなけれ。
第153段「名おそろしきもの」
名恐ろしきもの、青淵。谷の洞。鰭板。鉄。土塊。雷は名のみにもあらず、いみじう恐ろし。疾風。不祥雲。戈星。肘笠雨。あらのら。強盗、また万に恐ろし。らんそう、大方恐ろし。かなもち、また万に恐ろし。生霊。蛇苺。鬼蕨。鬼野老。茨。枳殻。いりずみ。牛鬼。碇、名よりも見るは恐ろし。
第154段「見るにことなることなきものの」
見るに異なることなきものの文字に書きて事々しきもの。
覆盆子。鴨頭草。水芡。蜘蛛。胡桃。文章博士。得業生。皇太后宮権大夫。楊梅。
虎杖は、まいて虎の杖と書きたるとかや。杖なくともありぬべき顔付きを。
第155段「むつかしげなるもの」
むつかしげなるもの、縫ひ物の裏。鼠の子の毛もまだ生ひぬを、巣の中より転ばし出でたる。裏まだ付けぬ裘の縫ひ目。猫の耳の中。ことにきげならぬ所の暗き。
異なることなき人の、子などあまた持て扱ひたる。いと深うしも志なき妻の、心地あしうして久しう悩みたるも、男の心地はむつかしかるべし。
第156段「えせものの所得る折」
似非者の所得る折、正月の大根。行幸の折の姫大夫。御即位の御門司。六月、十二月の晦日の節折の蔵人。季の御読経の威儀師。赤袈裟着て僧の名ども読み上げたる、いときらきらし。
季の御読経。御仏名などの御装束の所の衆。春日祭の近衛の舎人ども。元三の薬子。卯杖の法師。御前の試みの夜の御髪上げ。節会の御賄ひの采女。
第157段「苦しげなるもの」
苦しげなるもの、夜泣きと言ふ業する稚児の乳母。思ふ人二人持ちて、こなたかなたふすべらるる男。強き物の怪に預かりたる験者。験だに逸早からば良かるべきを、さしもあらず、さすがに人笑はれならじと念ずる、いと苦しげなり。
わりなく物疑ひする男にいみじう思はれたる女。一の所などに時めく人も、えやすくはあらねど、そは良かめり。心苛れしたる人。
第158段「うらやましげなるもの」
羨ましげなるもの。経など習ふとて、いみじうたどたどしく忘れがちに返す返す同じ所を読むに、法師はことわり、男も女も、くるくると安らかに読みたるこそ、あれがやうにいつの世にあらむと覚ゆれ。
心地などわづらひて臥したるに、笑うち笑ひ、物など言ひ、思ふことなげにて歩み歩く人見るこそ、いみじう羨ましけれ。
稲荷に思ひ起こして詣でたるに、中の御社のほどのわりなう苦しきを、念じ上るに、いささか苦しげもなく、遅れて来と見ゆる者どものただ行きに先に立ちて詣づる、いとめでたし。
二月午の日の暁に急ぎしかど、坂の半らばかり歩みしかば、巳の時ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、誠にわびしくて、など、かからで良き日もあらむものを、何しに詣でつらむとまで、涙も落ちて休み困ずるに、四十余ばかりなる女の、壺装束などにはあらで、ただ引きはこへたるが、
「まろは七度詣でしはべるぞ。三度は詣でぬ。今四度はことにもあらず。まだ未に下向しぬべし」
と、道に会ひたる人にうち言ひて下り行きしこそ、ただなる所には目にも留まるまじきに、これが身にただ今ならばやと覚えしか。
女児も、男児も、法師も、良き子ども持たる人、いみじう羨まし。髪いと長く麗しく、下がり端などめでたき人。また、やむごとなき人の、万の人にかしこまられ、傅かれたまふ、見るも、いと羨まし。手よく書き、歌よく詠みて、物の折毎にも先づ取り出でらるる、羨まし。
良き人の御前に女房いとあまた候ふに、心憎き所へ遣はす仰せ書きなどを、誰もいと鳥の跡にしもなどかあらむ。されど、下などにあるをわざと召して、御硯取り下ろして書かせさせたまふも羨まし。さやうのことは所の大人などになりぬれば、誠に難波わたり遠からぬも、ことに従ひて書くを、これはさにあらで、上達部などのまだ初めて参らむと申さする人の娘などには、心ことに紙より始めて繕はせたまへるを、集まりて戯れにも妬がり言ふめり。
琴、笛など習ふ、またさこそは、まだしきほどは、これがやうにいつしかと覚ゆらめ。
内裏、春宮の御乳母。上の女房の、御方々何処もおぼつかなからず参り通ふ。
第159段「とくゆかしきもの」
疾くゆかしきもの、巻染。斑濃、括り物など染めたる。人の児産みたるに、男女、疾く聞かまほし。良き人さらなり、似非者、下衆の際だになほゆかし。
除目の翌朝。必ず知る人のさるべきなき折も、なほ聞かまほし。
第160段「心もとなきもの」
心もとなきもの、人のもとに急の物縫ひにやりて、いまいまと苦しう居入りて、あなたを守らへたる心地。子産むべき人の、そのほど過ぐるまでさる気色もなき。
遠き所より思ふ人の文を得て、かたく封じたる続飯など開くるほど、いと心もとなし。
物見に遅く出でて、ことなりにけり、白き笞など見付けたるに、近くやり寄するほど、わびしう、下りても去ぬべき心地こそすれ。知られじと思ふ人のあるに、前なる人に教へて物言はせたる。いつしかと待ち出でたる稚児の、五十日、百日などのほどになりにたる、行末いと心もとなし。
急の物縫ふに、生暗うて針に糸すぐる。されど、それはさるものにて、ありぬべき所を捉へて、人にすげさするに、それも急げばにやあらむ、とみにも差し入れぬを、
「いで、ただなすげそ」
と言ふを、さすがになどてかと思ひ顔にえ去らぬ、憎きさへ添ひたり。
何事にもあれ、急ぎて物へ行くべき折に、先づ我さるべき所へ行くとて、ただ今遣せむとて出でぬる車待つほどこそ、いと心もとなけれ。大路行きけるを、さななりと喜びたれば、外ざまに去ぬる、いと口惜し。まいて、物見に出でむとてあるに、
「ことはなりぬらむ」
と、人の言ひたるを聞くこそわびしけれ。
子産みたる後のことのひさしき。物見、寺詣でなどに、もろともにあるべき人を乗せて行きたるに、車をさし寄せて、とみにも乗らで待たするを、いと心もとなく、うち捨てても往ぬべき心地ぞする。
また、とみにていり炭おこすも、いとひさし。人の歌の返し疾くすべきを、え詠み得ぬほども心もとなし。懸想人などはさしも急ぐまじけれど、おのづからまたさるべきをりもあり。まして、女も、ただに言ひ交はすことは、ときこそはと思ふほどに、あいなく僻事もあるぞかし。
心地のあしく、物の恐ろしき折、夜の明くるほど、いと心もとなし。
第161段「故殿の御服の頃」
故殿の御服の頃、六月の晦日の日、大祓と言ふことにて、宮の出でさせたまふべきを、職の御曹司を方あしとて、官の司の朝所にわたらせたまへり。その夜さり、暑くわりなき闇にて、何とも覚えず、狭くおぼつかなくて明かしつ。
つとめて、見れば、屋の様いとひらに短く、瓦葺きにて、唐めき、様異なり。例のやうに格子などもなく、めぐりて御簾ばかりをぞ掛けたる、なかなか珍しくてをかしければ、女房、庭に下りなどして遊ぶ。前裁に萱草と言ふ草を、籬結ひていと多く植ゑたりける。花の際やかに房なりて咲きたる、むべむべしき所の前裁にはいとよし。時司などは、ただ傍らにて、鼓の音も例のには似ずぞ聞こゆるを、ゆかしがりて、若き人々二十人ばかり、そなたに行きて、階より高き屋に上りたるを、これより見上ぐれば、ある限り薄鈍の裳、唐衣、同じ色の単襲、紅の袴どもを着て上りたるは、いと天人などこそえ言ふまじけれど、空より降りたるにやとぞ見ゆる。
同じ若きなれど、おしあげたる人は、え交じらで、羨ましげに見上げたるも、いとをかし。
左衛門の陣まで行きて、倒れ騒ぎたるもあめりしを、
「かくはせぬことなり。上達部のつきたまふ椅子などに女房ども上り、上官などのゐる床子どもを、皆うち倒し、損ひたり」
などくすしがる者どもあれど、聞きも入れず。
屋のいと古くて、瓦葺きなればにやあらむ、暑さの世に知らねば、御簾の外にぞ夜も出で来、臥したる。古き所なれば、百足と言ふもの、日一日落ち掛かり、蜂の巣の大きにて、付き集まりたるなどぞ、いと恐ろしき。
殿上人日毎に参り、夜も居明かして物言ふを聞きて、
「豈にはかりきや、太政官の地の今やかうの庭とならむことを」
と誦し出でたりしこそをかしかりしか。
秋になりたれど、かたへだに涼しからぬ風の、所柄なめり、さすがに虫の声など聞こえたり。八日ぞ帰らせたまひければ、七夕祭、ここにては例よりも近う見ゆるは、程の狭ければなめり。
宰相の中将斉信、宣方の中将、道方の少納言など参りたまへるに、人々出でて物など言ふに、序でもなく、
「明日はいかなることをか」
と言ふに、いささか思ひ回し滞りもなく、
「人間の四月をこそは」
と答へたまへるがいみじうをかしきこそ。過ぎにたることなれども、心得て言ふは誰もをかしき中に、女などこそさやうの物忘れはせね、男はさしもあらず、よみたる歌などをだに生覚えなるものを、誠にをかし。内なる人も外なるも、心得ずと思ひたるぞことわりなる。
この四月の一日頃、細殿の四の口に殿上人あまた立てり。やうやうすべり失せなどして、ただ頭の中将、源中将、六位一人残りて、万のことを言ひ、経を読み、歌うたひなどするに、
「明け果てぬなり。帰りなむ」
とて、
「露は別れの涙なるべし」
と言ふことを頭の中将のうち出だしたまへれば、
源中将ももろともにいとをかしく誦じたるに、
「急ぎける七夕かな」
と言ふを、いみじうねたがりて、
「ただ暁の別れ一筋を、ふと覚えつるままに言ひて、わびしうもあるかな。すべて、この辺りにて、かかること思ひまはさず言ふは、いと口惜しきぞかし」
など、返す返す笑ひて、
「人にな語りたまひそ。必ず笑はれなむ」
と言ひて、あまり明うなりしかば、
「葛城の神、今ぞずちなき」
とて、逃げおはしにしを、
七夕のをりにこのことを言ひ出でばやと思ひしかど、宰相になりたまひにしかば、必ずしもいかでかは、そのほどに見つけなどもせむ、文書きて、主殿司しても遣らむなど思ひしを、七日に参りたまへりしかば、いと嬉しくて、その夜のことなど言ひ出でば、心もぞ得たまふ、ただすずろにふと言ひたらば、怪しなどやうち傾きたまふ、さらば、それにをありし言葉言はむ、とてあるに、つゆおぼめかで答へたまへりしは、誠にいみじうをかしかりき。
月頃いつしかと思ほえたりしだに、わが心ながら好き好きしと覚えしに、いかでさ思ひ設けたるやうに宣ひけむ。もろともにねたがり言ひし中将は、思ひも寄らで居たるに、
「ありし暁のこと戒めらるるは。知らぬか」
と宣ふにぞ、
「げに、げに」
と笑ふめる悪しかし。
人と物言ふことを碁になして、近う語らひなどしつるをば、
「手許してけり」
「結さしつ」
など言ひ、
「男は手受けむ」
など言ふことを人はえ知らず、この君と心得て言ふを、
「なにぞ、なにぞ」
と源中将は添ひ付きて言へど、言はねば、かの君に、
「いみじう、なほこれ宣へ」
と恨みられて、良き仲なれば聞かせてけり。あへなく近くなりぬるをば、
「おしこぼちのほどぞ」
など言ふ。
我も知りにけりといつしか知られむとて、
「碁盤はべりや。まろと碁打たむとなむ思ふ。手はいかが。許したまはむとする。頭の中将と等し碁なり。な思し分きそ」
と言ふに、
「さのみあらば、定めなくや」
と言ひしを、またかの君に語り聞こえければ、
「嬉しう言ひたり」
と喜びたまひし。なほ過ぎにたること忘れぬ人は、いとをかし。
宰相になりたまひし頃、上の御前にて、
「詩をいとをかしう誦じはべるものを。蕭會稽之過古廟なども誰か言ひはべらむとする。暫しならでも候ふかし。口惜しきに」
など申ししかば、いみじう笑はせたまひて、
「さなむ言ふとて、なさじかし」
など仰せられしもをかし。
されど、なりたまひにしかば、誠にさうざうしかりしに、源中将劣らず思ひて、ゆゑだち遊び歩くに、宰相の中将の御上を言ひ出でて、
「未だ三十の期に及ばずと言ふ詩を、さらに異人に似ず誦じたまひし」
など言へば、
「などてかそれに劣らむ。勝りてこそせめ」
とてよむに、
「さらに似るべくだにあらず」
と言へば、
「わびしのことや。いかであれがやうに誦ぜむ」
と宣ふを、
「三十の期と言ふ所なむ、すべていみじう愛敬付きたりし」
など言へば、妬がりて笑ひ歩くに、
陣につきたまへりけるを、脇に呼び出でて、
「かうなむ言ふ。なほそこもと教へたまへ」
と宣ひければ、笑ひて教へけるも知らぬに、局のもとに来ていみじう良く似せてよむに、怪しくて、
「こは誰そ」
と問へば、笑みたる声になりて、
「いみじきことを聞こえむ。かうかう、昨日陣につきたりしに、問ひ聞きたるに、先づ似たるななり。誰ぞと憎からぬ気色にて問ひたまふは」
と言ふも、わざと習ひたまひけむがをかしければ、これだに誦ずれば出でて物など言ふを、
「宰相の中将の徳を見ること。その方に向ひて拝むべし」
など言ふ。
下にありながら、
「上に」
など言はするに、これをうち出づれば、
「誠はあり」
など言ふ。御前にも、かくなど申せば、笑はせたまふ。
内裏の御物忌なる日、右近の将監みつなにとかや言ふ者して、畳紙に書きて遣せたるを見れば、
「参ぜむとするを、今日明日の御物忌にてなむ。三十の期に及ばずはいかが」
と言ひたれば、返事に、
「その期は過ぎたまひにたらむ。朱買臣が妻を教へけむ年にはしも」
と書きて遣りたりしを、またねたがりて、上の御前にも奏しければ、宮の御方にわたらせたまひて、
「いかでさることは知りしぞ。三十九なりける年こそ、さは戒めけれとて、宣方は、いみじう言はれにたりと言ふめるは」
と仰せられしこそ、物狂ほしかりける君とこそ覚えしか。
第162段「弘徽殿とは閑院の女御をぞ」
弘徽殿とは閑院の女御をぞ聞こゆる。その御方にうちふしと言ふ者の娘、左京と言ひて候ひけるを、
「源中将語らひてなむ」
と人々笑ふ。
宮の職におはしまいしに参りて、
「時々は宿直なども仕うまつるべけれど、さべきさまに女房などももてなしたまはねば、いと宮仕へおろかに候ふこと。宿直所をだに賜りたらば、いみじうまめに候ひなむ」
と言ひ居たまへれば、人々、
「げに」
などいらふるに、
「誠に人は、うち臥し休む所のあるこそよけれ。さるあたりには、繁う参りたまふなるものを」
と差し答へたりとて、
「すべて、物聞こえじ。方人と頼み聞ゆれば、人の言ひ古したるさまに取り成したまふなめり」
など、いみじうまめだちて怨じたまふを、
「あな、怪し。いかなることをか聞こえつる。さらに聞きとがめたまふべきことなし」
など言ふ。
傍らなる人を引き揺るがせば、
「さるべきこともなきを、熱り出でたまふ、やうこそはあらめ」
とて、華やかに笑ふに、
「これもかの言はせたまふならむ」
とて、いとものしと思ひたまへり。
「さらにさやうのことをなむ言ひはべらぬ。人の言ふだに憎きものを」
と答へて、引き入りにしかば、後にもなほ、
「人に恥ぢがましきこと言ひ付けたり」
と恨みて、
「殿上人笑ふとて、言ひたるなめり」
と宣へば、
「さては、一人を恨みたまふべきことにもあらざるに、怪し」
と言へば、その後は絶えて止みたまひにけり。
第163段「昔おぼえて不用なるもの」
昔覚えて不用なるもの、繧繝端の畳の節出で来たる。唐絵の屏風の黒み、表そこなはれたる。絵師の目暗き。七八尺の鬘の赤くなりたる。葡萄染めの織物、灰返りたる。色好みの老いくづほれたる。面白き家の木立焼け失せたる。池などはさながらあれど、浮草、水草など茂りて。
第164段「たのもしげなきもの」
たのもしげなきもの、心短く、人忘れがちなる婿の、常に夜離れする。空言する人の、さすがに人の事無し顔にて大事請けたる。風疾きに帆かけたる舟。七八十ばかりなる人の、心地あしうて、日頃になりたる。
第165段「読経は」
読経は、不断経。
第166段「近うて遠きもの」
近うて遠きもの、宮のべの祭り。思はぬ同胞、親族の仲。鞍馬の葛折りと言ふ道。十二月の晦日の日、正月の一日の日のほど。
第167段「遠くて近きもの」
遠くて近きもの、極楽。舟の道。人の仲。
第168段「井は」
井は、堀兼の井。玉の井。走り井は逢坂なるがをかしきなり。山の井。などさしも浅き例になり始めけむ。飛鳥井は、
「みもひもさむし」
と誉めたるこそをかしけれ。千貫の井。少将の井。桜井。后町の井。
第169段「野は」
野は、嵯峨野さらなり。印南野。交野。駒野。飛火野。しめし野。春日野。
そうけ野こそすずろにをかしけれ。などてさ付けけむ。
宮城野。粟津野。小野。紫野。
第170段「上達部は」
上達部は、左大将。右大将。春宮の大夫。権中納言。宰相の中将。三位の中将。
第171段「君達は」
君達は、頭の中将。頭の弁。権中将。四位の少将。蔵人の弁。四位の侍従。蔵人の少納言。蔵人の兵衛佐。
第172段「受領は」
受領は、伊予の守。紀伊の守。和泉の守。大和の守。
第173段「権の守は」
権の守は、甲斐。越後。筑後。阿波。
第174段「大夫は」
大夫は、式部の大夫。左衛門の大夫。右衛門の大夫。
第175段「法師は」
法師は、律師。内供。
第176段「女は」
女は、典侍。内侍。
第177段「六位の蔵人などは」
六位の蔵人などは、思ひ掛くべきことにもあらず。
冠得て何の権の守、大夫など言ふ人の、板屋などの狭き家持ちたりて、また、小檜垣など言ふ物新しくして、車宿に車引き立て、前近く一尺ばかりなる木生ほして、牛つなぎて草など飼はするこそいと憎けれ。
庭いと清げに掃き、紫革して伊予簾掛け渡し、布障子張らせて住まひたる。
夜は、
「門強くさせ」
など、こと行ひたる、いみじう生ひ先なう、心付きなし。
親の家、舅はさらなり、叔父、兄などの住まぬ家、そのさべき人なからむは、おのづから、むつまじくうち知りたらむ受領の国へ行きていたづらならむ、さらずは、院、宮ばらの屋あまたあるに、住みなどして、司待ち出でてのち、いつしか良き所尋ね取りて住みたるこそよけれ。
第178段「女のひとりすむ所は」
女の一人住む所は、いたく荒ばれて築土なども全からず、池などある所も水草ゐ、庭なども蓬に茂りなどこそせねども、ところどころ砂子の中より青き草うち見え、寂しげなるこそあはれなれ。
物賢げに、なだらかに修理して、門いたく固め、際々しきは、いとうたてこそ覚ゆれ。

