『枕草子(一本)』現代語訳全文を読む|わかりやすい口語訳

 このページでは、清少納言『枕草子』の「一本」第1段から第29段までの現代語訳全文を掲載しています。

 「一本」は、三巻本に「きよしと見ゆるものの次に」として伝わる章段群です。原文の内容を保ちながら、わかりやすく読みやすい口語訳にしました。原文とあわせて読みたい方は、『枕草子(一本)』原文全文をご覧ください。

目次

第1段「夜まさりするもの」

 夜になると、昼よりも引き立つもの。濃い紅色の掻練かいねりの艶。ほぐした真綿。女性なら、額が広く、髪の美しい人。きんの音。顔立ちはよくなくても、雰囲気のよい人。ほととぎす。滝の音。

第2段「火かげにおとるもの」

 灯火の光に照らされると見劣りするもの。紫の織物。藤の花。紫系のものは、どれもみな見劣りする。紅色は、月夜に見るとよくない。

第3段「聞きにくきもの」

 聞き苦しいもの。声の感じがよくない人が、気を許して話したり笑ったりする声。眠そうに陀羅尼だらにを唱える声。お歯黒をつけながら話す声。特に変わったところのない人でも、物を食べながら話すことがあるものだ。篳篥ひちりきを習っている最中の音。

第4段「文字に書きてあるやうあらめど心得ぬもの」

 漢字で書けば、それなりの由来はあるのだろうが、どうにも納得できない名称。炒塩いためしおあこめ帷子かたびら屐子けいしゆする桶舟おけぶね

第5段「下の心かまへてわろくてきよげに見ゆるもの」

 下地や内実はひどく見苦しいのに、表面だけはきれいに見えるもの。唐絵の屏風。漆喰の壁。高く盛りつけた供え物。檜皮葺きの屋根の上。河口の遊女。

第6段「女の表着は」

 女性の表着うわぎに似合う色は、薄色うすいろ葡萄染えびぞめ萌黄もえぎ。桜。紅梅。総じて、薄紫系の色がよい。

第7段「唐衣は」

 唐衣からぎぬは、赤色や藤色。夏は二藍ふたあい、秋は枯野かれのがよい。

第8段「裳は」

 の模様は、大海おおうみがよい。

第9段「汗衫は」

 汗衫かざみは、春なら躑躅つつじ色。夏なら青朽葉あおくちば朽葉くちば色がよい。

第10段「織物は」

 織物は、紫か白がよい。紅梅もよいけれど、ひどく見飽きがする。

第11段「綾の紋は」

 綾の模様なら、葵。かたばみ。霰地あられじがよい。

第12段「薄様色紙は」

 薄様うすようや色紙は、白。紫。赤。刈安染かりやすぞめ。青もよい。

第13段「硯の箱は」

 硯箱は、重ねの蒔絵を施し、雲鳥くもとりの模様を描いたものがよい。

第14段「筆は」

 筆は、冬毛がよい。使い心地も見た目もよい。うさぎの毛の筆もよい。

第15段「墨は」

 墨は、丸みのあるものがよい。

第16段「貝は」

 貝なら、虚貝うつせがいはまぐり。とても小さな梅の花貝がよい。

第17段「櫛の箱は」

 櫛箱は、蛮絵ばんえの模様がとてもよい。

第18段「鏡は」

 鏡は、八寸五分、約二十六センチほどの大きさがよい。

第19段「蒔絵は」

 蒔絵は、唐草模様がよい。

第20段「火桶は」

 火桶は、赤色。青色。白いものに作絵つくりえを施したものもよい。

第21段「畳は」

 畳は、高麗縁こうらいべりがよい。また、黄色い地の縁もよい。

第22段「檳榔毛は」

 檳榔毛びろうげの牛車は、ゆったりと進ませるのがよい。網代あじろの牛車は、勢いよく走らせて来るのがよい。

第23段「松の木立高き所の」

 松の木立が高いお屋敷で、東と南の格子をすべて上げてあるので、母屋が涼しそうに透けて見える。その母屋に四尺(約一・二メートル)の几帳きちょうを立て、前に円座わろうだを置き、四十歳ほどのたいそう端正な僧が座っている。墨染めの衣に薄物の袈裟を鮮やかに着こなし、香染めの扇を使いながら、一心に陀羅尼を唱えている。

 病人が物の怪にひどく苦しめられているので、それを乗り移らせる憑坐よりましとして、大柄な少女が選ばれている。少女は鮮やかな生絹すずしの単衣に、袴を裾長く着こなし、膝をついたまま進み出て、横向きに立てた几帳のそばに座る。僧は外側へ体をひねって向き直り、見事な独鈷とっこを少女に持たせ、拝みながら陀羅尼を唱える。その様子も尊い。

 立会人の女房たちが大勢付き添い、じっと見守っている。間もなく少女が震えだし、もとの意識を失う。僧の祈祷に従うように物の怪が動いていくのを見ると、仏のお力も実に尊いと思われる。

 病人の兄弟や従兄弟なども、みな出入りしている。僧を尊んで集まってきたのだが、少女が平常の意識であったなら、どれほど恥ずかしがって取り乱すことだろう。少女は自分自身が病気なのではないと知りながら、ひどく嘆いて泣き、その様子が痛々しい。そこで、憑坐の知人たちはかわいそうに思い、すぐそばに座って衣を整えてやったりする。

 そうしているうちに病人の具合がよくなり、

「お湯を」

 などと言う声がする。北側へ取り次ぐ若い女房たちは、気がかりな様子で、湯の器を提げたまま急いでやって来て僧を見る。単衣姿もたいそうきれいで、薄紫の裳なども着崩れておらず、さっぱりと美しい。

 僧は物の怪にさまざまな事情や言い分を語らせたうえで、許して退散させた。

「几帳の内側にいたとばかり思っていました。人前に丸見えになるところまで出てしまったなんて、なんとまあ。いったい何があったのでしょう」

 少女はそう言って恥ずかしがり、髪を顔に振りかけて奥へすべり込もうとする。すると僧は、

「もう少し」

 と言って、しばらく加持をして、

「どうですか。気分はすっきりなさいましたか」

 と微笑んだ。その様子も、こちらが気後れするほど立派である。

「もう少しお仕えしていたいのですが、出立する時刻になりましたので」

 などと辞去を申し出て出て行くので、

「もう少し」

 などと引き留めるが、僧はたいそう急いで帰ろうとする。すると、身分の高い女房と思われる人が簾のところまで膝をついて進み出て、

「ありがたいことにお立ち寄りくださったおかげで、あれほど耐えがたそうに苦しんでおりました病人も、たった今、よくなったようでございます。重ね重ねお礼を申し上げます。明日も、お時間の許す折には、ぜひお越しくださいませ」

 と言う。僧は、

「たいそう執念深い物の怪のようでございます。油断なさらずにいらっしゃるのがよいでしょう。ただ今はお具合もよくなられたとのこと、うれしく存じます」

 と、わずかな言葉だけを残して立ち去る。その姿はまことに霊験あらたかで、仏がこの世にお現れになったのかと思われるほどだった。

第24段「きよげなる童べの髪うるはしき」

 僧のお供には、こざっぱりとした童で髪の整った者もいれば、もう大きくなって髭が生えているのに、意外にも髪がきちんとしている者もいる。また、体つきがたくましく、気味が悪いほど髪の多い者なども大勢いる。そうした供を連れ、暇もないほどあちらこちらへ招かれ、高貴な人々から信望を集めているのは、僧として実に理想的なあり方である。

第25段「宮仕所は」

 宮仕えするなら、内裏だいり。后の宮。その后がお生みになった、一品いっぽんの宮などとお呼びする皇子・皇女の御所。斎院さいいんも、神に仕えて仏道から遠ざかるため罪深いとはいえ、趣がある。まして、そのほかの宮仕え先については言うまでもない。また、春宮とうぐうの女御のお邸。

第26段「荒れたる家の蓬ふかく」

 荒れた家で、蓬が深く茂り、つる草が這っている庭の上に、月が隈なく明るく澄んで昇っていくのが見える情景。また、そうした荒れた家の屋根板の隙間から漏れてくる月の光。穏やかに吹く風の音。

第27段「池ある所の五月長雨の頃こそ」

 池のある所は、五月の長雨の頃がことのほかしみじみと美しい。菖蒲しょうぶこもなどが生い茂り、水まで緑色になっているので、庭全体も同じ一色に見渡される。曇った空をじっと眺めて一日を暮らすのは、実に情趣が深い。いつの季節でも、総じて池のある所はしみじみと趣がある。

 冬も、氷の張った朝などは言うまでもない。わざわざ手入れした池より、放っておかれて水草がちに荒れ、青々とした草の切れ間切れ間から、月の光だけが白々と水に映って見える池などがよい。

 まったく月の光は、どんな場所で見ても心にしみるものだ。

第28段「長谷にもうでて」

 長谷寺はせでらに参詣して局にいたとき、見苦しい身分の低い者たちが、こちらに背を向けたまま平然と並んで座っていたのが、なんとも腹立たしかった。

 深い信仰心を奮い起こして参詣したのだが、川の音なども恐ろしく、長い階段を上るのにもひどく疲れ、早く仏のお姿を拝みたいと思っている。ところが、白衣の法師や、蓑虫のような姿の者たちが集まり、立ったり座ったり、額を地につけて拝んだりして、少しの空間も残さず占めている。本当に腹立たしく、押し倒してしまいたいような気持ちになった。どこの寺でも、これは同じなのだろう。

 高貴な方が参詣なさっていると、その方の局の前だけは人を追い払って場所を空けるが、並の身分の人の場合は、寺の者も群衆を制止しきれないらしい。そうだと分かってはいても、実際にその目に遭うと、ひどく腹が立つ。

 きれいに掃除した櫛を、汚れの中へ落としてしまうのも腹立たしい。

第29段「女房の参りまかでには」

 女房が宮中へ上がったり里へ下がったりするときには、人の牛車を借りることもある。持ち主はたいそう快く承知して貸してくれたのに、牛飼童が、いつもの「しっ、しっ」という掛け声をひときわ荒々しく発し、牛をひどく走らせて鞭打つのは、なんと嫌なことかと思う。そのうえ供の男たちまでが面倒そうな顔をして、

「早く走らせろ。夜が更けないうちに帰るぞ」

 などと言う。これでは持ち主の本心まで推し量られ、もう二度と借りたいと口にする気にもなれない。

 業遠なりとお朝臣あそんの牛車だけは、真夜中であろうと明け方であろうと、誰が借りて乗っても、少しもそのようなことがなかった。

 従者たちを、実によくしつけていたものだ。

 業遠の牛車が道を通りかかったとき、別の女車が深いくぼみに車輪を落とし、引き上げられずにいた。その女車の牛飼いが腹を立てて牛を打っていると、業遠は自分の従者に命じ、その牛飼いまで打ち懲らしめさせたという。まして、自分の従者たちには、どれほど厳しく言い聞かせていたことだろう。

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