『発心集』第5巻 原文全文|ひらがなルビ(ふりがな)付きで読む

 このページでは、鴨長明『発心集』第5巻(第48話~第62話)の原文全文を掲載しています。本文を読みやすくするため、漢字に歴史的仮名遣いによる振り仮名を付けました。

 現代語訳と照らし合わせたい方は、『発心集』第5巻 現代語訳全文をご覧ください。本文の表記や説話ごとの区分は、以下の文献を参考に、当サイトの判断で読みやすく整えています。

目次

第48話 中ごろ、但馬守国挙が子に

 なかごろ、但馬守たじまのかみ国挙くにたかに、ところ雑色ざつしき国輔くにすけといふひとありけり。ある宮腹みやばら半者はしたものおもひて、こころざしふかかりけるころ、ちち但馬守たじまのかみにてくだりければ、えさらぬことにて、はるかにきけり。ひとだにわりなくおぼゆるを、わかれては、へぬべくもあらねど、いかがはせむ。さまざまにかたらひきつつ、わかれにけり。

 くにくだりても、これよりほかに、こころにかくることなし。きやう便たよりごとにふみをやれど、とどかず。さはりがちにてかへことず。いぶせくてのみ歳月さいげつおくあひだに、ことの便たよりにひとかたるをけば、

きやうにはひとおほみて、なかさわがしくなんある」

 とふにも、まづおぼつかなきことかぎりなし。

 かくしつつ、からうじてきやうのぼりたまひつ。しかありしみやなかたづぬれば、

「はや、れいならぬことありて、でたまひにき」

 とふ。使つかひ、むなしくかへりて、このよしをかたるに、ふとむねふたがりて、なにのあやめもおぼえず。かへり、ゆくへたづねにやりたれど、ひともなし。すべきかたなくて、こころのあられぬままに、すずろにうまにうちりて、うちでにけり。

 「西にしきやうかたにこそひとあるやうにきしか」とばかり、ほのかにおもでて、いづくともなくたづありくほどに、あやしげなるいへまへに、このをんな使つかひしわらはてり。

 いとうれしくて、「ものはん」とおもふほどに、かくるるやうにて、いへうちるを、うまよりりて、りて、れば、このをんなうちそばみて、かみをけづりてなむたりける。

「あな、いみじくおはしけるは」

 とて、うしろをいだきて、ごろのいぶせかりつることなむ、ねんごろにかたらへど、いらへもせず、さめざめとくよりほかのことなし。「われをうらむるなりけり」とあはれに、こころくるしうおぼえて、なみだおさへつつ、さまざまになぐさめたり。

「さても、などかはうしろをのみけたまへる。いつしか、たてまつらんとおもふに、いまさへいぶせく」

 とて、けんとするに、いとどきまさりて、さらにおもてかへず。

「あな、いみじ。こころふかくもおぼしりたるかな」

 とて、しひてむかくれば、ふたつのまなこなし。ふしけたるごとくにて、すべててられず。

 こころまどひ、とばかりものもはれぬを、ねんじて、

「さても、いかなりしことぞ」

 とふ。ぬしをのみきて、ともかくもはねば、ありつるわらはなんくことのありしやうをかたりける。

おんくだりののち、しばしは、おんふみもなどかあるかとひとれずちたまひしかど、さらにおんおとづれもなくて、一年二年ひととせふたとせぎにしかば、ものをのみおぼして、かしらしたまひしあひだに、おんやまひきたまひて、みやでたまひき。したしきおんあたりにも、便たよしきことどもありて、さるべきところもはべらざりしかば、これにてあつかひたてまつりしほどに、はかなくていきえにき。いまきたてまつりてもかひなしとて、このまへきたてまつりしほどに、日中につちゆうばかりありてなむ、おもひのほかにかへりたまひにし。そのあひだに、からすなどのしわざに、はやくゆひかひなきことになりてはべれば、とかくまうすばかりなし。わざともたづねたてまつるべきにてこそはべりしかど、このおんありさまの心憂こころうさに、いまはいかでにあるものと、ひとられじとふかくおぼしたるもことはりなれば、かくれたてまつらんとつかまつるなり」

 と、なみだをおさへつつかたるをくに、心憂こころうかなしきことかぎりなし。

 「なにむくひにて、かかるるらん」と、「いまはこのかぎりにこそありけれ」とて、やがて、これより比叡ひえやまのぼり、甘露寺かんろじ教静僧都けうじやうそうづばうに、慶祚けいそ弟子でしにて、真言しんごん秘法ひほふつたふ。唐房たうばう法橋行因ほつけうぎやういんといふはこのひとなり。山王さんわうひたてまつりて、灌頂くわんぢやうしたてまつりけるひとなり。

 このひとはじめてやまのぼりけるとき、われもはかばかしうみちらず、しるべするひともなかりければ、ひとひつつ、たどるたどるきけるを、水飲みづのみといふところにて、檀那僧都覚運だんなそうづかくうんといふひとひて、いとあやしく、ことのさまをるに、

出家しゆつけしにのぼひとにこそ。いみじう、智恵ちゑかしこきまなこちたるひとかな。いづくへくぞみよ」

 とて、ひとをつけやりてけり。

 使つかひかへて、

「しかじか、甘露寺かんろじ僧都そうづのもとへりぬ」

 とひければ、

「さればこそ。あはれ、いみじかりつる智者ちしやを、慈覚じかく門人もんじんになさで、智証ちしようながれへやりつる、くちしきことなり」

 とのたまひける。

 このひと真言しんごんならはじめけるころ、大阿闍梨だいあじやりの、「こころみん」とやおもはれけん、

をとこにては、もの真似まねをよくしたまひて、をかしきかたに、ひときやうぜられけりときつるなり。千秋万歳せんずまんざいしたまへ。ん」

 とはれければ、またこともなく、

「うけたまはりぬ」

 とて、きやう帙紙つつみがみのありけるを、かしらにうちかづきて、めでたくうたりければ、阿闍梨あじやりなみだとして、

「さだめて、いなびすらんとこそおもひつるに、まことの道心者だうしんじやなりけり。いとたふとし」

 とぞ、めたまひける。

第49話 中ごろ、朝夕御門につかうまつる男

 なかごろ、あしたゆふ御門みかどにつかうまつるをとこありけり。いうなるをんなかたらひて、としごろわたりけるほどに、こころうつかたやありけん、宮仕みやづかへにことよせて、やうやうかれがれになりくを、「こころほかか」とおもふほどに、つひにかよはずなりにければ、をんなことにれつつ、心細こころぼそおもなげきつつ、年月としつきおくあひだに、をとこことのたよりありて、をんなかどまへぎけり。

 そこなるひとあひて、

「ただいま殿とのの、御前ごぜんをこそこれよりぎたまひつれ。さすがに、さるところありとはおぼしづるめり。物見ものみよりなん、れたまひつる」

 とかたる。これをきて、

こゆべきことはべり。りたまひなむやとまうせ」

 とふ。

ぎたまひぬるものを、やはかへりたまはんずる」

 とひながら、はしりつきて、このよしこゆ。「あやしく、何事なにごとにか」とおぼえながら、これをさへぐべきならねば、まりぬ。

 かどよりさしりて、れば、くさふかしげりて、ありしにもあらず、れたるには気色けしきるより、なんとなくあはれふかくなむまさりける。わがのとがおもられて、いかにぞや、すずろはしきさまおぼゆるを、をんないまさらこころきたる気色けしきなし。もとよりかくてたりけるさまにて、脇息けふそくにおしかかりて、法華経ほけきやうみたまひつる。

 ものおもひけるさまながら、すこしおもやせたるものから、いときよげに、らうたげなるかたち姿すがたかみのこぼれかかるさまなど、もとひとともおぼえず、たぐひなくゆるに、「なにのもののくるはしにて、このひとにものをおもはせけん」と、ごろのこころくるしさをおもふにも、いとどあはれあさからず。こころならぬことのありさまなど、ねんごろにかたりける。

 をんな「ものはん」とおもへる気色けしきながら、いらへもせねば、きやうててとおもふなるべし。いぶせく心得こころえなくつほどに、

於此命終即往安楽世界阿弥陀仏ここにおいてみやうじゆうしてすなはちあんらくせかいのあみだぶつのみもとにゆく

 といふところを、かへふた三度さんどみて、やがてるがごとくにて、ながらいきえにけり。

 このをとここころいかばかりなりけむ。をとことはなにがしのべんとかやきしかど、わすれにけり。

 ひとひては、あるいは望夫石ばうふせきをとどめ、もしはつらさのあまりに、悪霊あくりやうなんどになれるためしもこゆ。いかにもつみふかならひのみこそはべるに、それを往生わうじやうえんとして、おもふやうにはりにけん、いとめでたかりけるこころなるべし。

 あはれ、これをためしにて、このにもものおもひと往生わうじやうねがふことにてはべらば、いかにこころかしこからん。たとひ、おなこころなるなかとても、いくかはある。楊貴妃やうきひはむなしく比翼ひよくちぎりをのこし、李夫人りふじんはわづかに反魂はんごんけぶりにのみあらはれたり。いはんや、おもはぬひとのためには、ことにふれつつ、あはれもらんことわりもなし。おもひあまりぬるとき富士ふじきかけ、海士あまそでとかこちて、ねんごろにこころそこをあらはせど、なにのかひかはある。一人ひとりむねをこがし、そでをしぼるほどは、いみじくあぢきなくなむはべり。いかにいはんや、このひとつにてやむべきことにてもあらず。そのむくひむなしからねば、来世らいせにはまた、ひとこころつくさすべし。

 かくのごとく、世々生々せぜしやうじやうたがひにきはまりなくして、生死しやうじのきづなとならんことの、いとつみふかくはべるなり。このたび、おもりて、極楽ごくらくうまれなば、きもつらきもぬるゆめことらじ。かへり、善知識ぜんちしきさとりて、かれをみちびかんことこそあらまほしくはべれ。もし、浄土じやうどにて、なほきがたきほどのうらみならば、そのときかへをもせよかし。

第50話 いづれの国とか、たしかに聞きはべりしかど

 いづれのくにとか、たしかにきはべりしかど、わすれにけり。あるところに、さかりにて、おとなしきつまにあひしたるをとこありけり。このつまさきをとこをなむ一人ひとりちたりける。

 いかがおもひけん、をとこふやう、

「われにいとまたべ。このうち一間ひとまあらん座敷ざしき、のどかに念仏ねんぶつなんどしてたらん。さてほかひとかたらはんよりは、これにあるわかひとをあひして、なかのこと沙汰さたせさせよ。さらにうとからんひとよりは、わがためにもからん。いまとしたかくなりて、かやうのありさま、ことにふれて本意ほいならず」

 とひければ、をとこおどろおもへり。むすめもあるまじきやうにひけれど、このことなほざりならず。

 ともすれば、まめやかにうちくどきつつ、ふこと、たびたびになりぬ。

「さほどおもはるることならば、うけたまはりぬ」

 とて、ふがごとくして、おくかたゑて、をとこはままむすめなむ、あひしてみける。

 かくて、時々ときどきはさしのぞきつつ、

何事なにごとか」

 などふ。ことにふれて、つまをとこもおろかならぬやうにて、年月としつきおくるほどに、あるときおとこものへいたるあひだに、このつまははかたきて、のどかに物語ものがたりなどするほどに、ははいみじうものおもへる気色けしきなるを、心得こころえおぼえて、

「われには、何事なにごとをかは、へだてたまふべき。おぼされんことはのたまひあはせよ」

 とふ。

「さらにおもふことなし。ただ、このほど、みだ心地ごこちしくて」

 などひまぎらかすさま、ただならずあやしければ、なほなほひてふ。

 そのときに、ははふやう、

「まことには、何事なにごとをかかくしまうさん。よに心憂こころうきことのありけり。このいへうちのありさまはこころよりおこりてまうしすすめしことぞかし。されば、たれもさらさらうらみまうすべきこともなし。しかあるを、よる寝覚ねざめなどに、かたはらのさびしきにも、ちとこころのはたらくときもあり。また、ひるさしのぞかるるおりもあり。ひと振舞ふるまひになりたるこそおもはざりしことかなれど、むねなかさわぐを、これひととがかは。あな、おろかのかなとおもかへしつつぐれど、なほ、このことのふかつみとなるにや。あさましきことなむある」

 とて、ひだりみぎをさしでたるをるに、大指おほゆびふたつながらくちなはになりて、もめづらかに、したさしでてひろひろとす。

 むすめこれをるに、くらこころまどひぬ。また、こともはず、かみおろしてあまになりにけり。をとこかへて、これをて、またほふになりぬ。もとのつまもさまをへ、あまになりて、三人みたりながらおなさまおこなひてなむぎける。あしたゆふかなしみければ、くちなはもやうやうもとのゆびになりにけり。のちには、ははきやう乞食こつじきありきけるとかや。

「まさしくし」

 とて、ふるひとかたりしはちかのことにこそ。

 をんなならひ、ひとをそねみ、ものをねたむこころにより、おほくはつみふかむくひをるなり。なかなか、かやうにあらはれぬることはかへして、つみほろぶるかたもありぬべし。つれなくこころにのみおもひくづほれて、一生いつしやうらせるひとつよ地獄ぢごくごふつくかためつるこそいと心憂こころうくはべれ。

 いかにもいかにも、こころとなりて、かつはまへむくひとおもひなし、かつはゆめなかのすさみともおもして、一念いちねんなりともゆるこころおこすべきなり。あるろんには「ひと、もしおもつみつくれども、いささかもゆるこころのあれば、定業ぢやうごふとならず」とこそはべるなれ。

第51話 中ごろ、片田舎に男ありけり

 なかごろ、片田舎かたいなかをとこありけり。としごろ、こころざしふかくて、あひしたりけるつまみてのちおもわづらひければ、をつとてあつかひけり。

 かぎりなりけるときかみあつげにみだれたりけるを、「けん」とて、かたはらにふみのありけるを、片端かたはしりてなむむすびたりける。かくて、ほどなくいきえにければ、くとかくの沙汰さたなどして、はかなく雲煙くもけぶりとなしつ。

 そののち、あとのこと、ねんごろにいとなむにつけて、なぐさむかたもなく、ひしく、わりなくおぼゆることきせず。「いかで今一度いまひとたび、ありしながらの姿すがたん」となみだにむせびつつ、かしらすあひだに、あるときいたうけて、このをんな寝所ねどころたりぬ。「ゆめか」とおもへど、さすがにうつつなり。うれしさに、まづなみだこぼれて、

「さても、いのちきて、しやうへだてつるにはあらずや。いかにしてたりたまへるぞ」

 とふ。

「しかなり。うつつにてかやうにかへることはことはりもなく、ためしもかず。されど、今一度いまひとたびまほしくおぼえたるこころざしのふかきによりて、ありがたきことを、わりなくしてたれるなり」

 そのほかのこころなかくすべからず。まくらをかはすことあり。につゆはらず。

 あかつききて、でざまにものとしたる気色けしきにて、寝所ねどころをここかしこさぐりもとむれど、なんともおもかず。けはててのちあとるに、元結もとゆひひとちたり。りてこまかにれば、かぎりなりしときかみひたりし反故ほんぐやぶれにつゆもはらず。この元結もとゆひはさながら焼葬はふりて、きとあるべきゆゑもなし。いとあやしくおぼえて、ありしやぶのこしのふみのありけるに、ぎてるに、いささかもたがはず。そのやぶれにてぞありける。

「これはちか不思議ふしぎなり。さらにきたることにあらず」

 とて、澄憲法師ちようけんほふしの、ひとかたられはべりしなり。

 むかし小野篁をののたかむらいもうとせてのちなうつつにたりけるは、ものこゑばかりして、さだかにはさはるものなかりけるとぞ。

 大方おほかたこころざしふかくなるによりて、不思議ふしぎをあらはすこと、これらにてりぬべし。凡夫ぼんぶおろかなるだにしかり。いはんや、仏菩薩ぶつぼさつのたぐひは「こころをいたしてんとねがはば、そのひとまへにあらはれん」とちかひたまへり。これをきながら、おこなひあらはしてたてまつらぬは、わがこころのとがなり。妻子さいしふがごとくひたてまつり、名利みやうりおもふがごとくおこなはば、あらはれたまはんこと、かたからず。こころをいたすこともなくて、すゑなれば、ありがたし。「つたななれば、かなはじ」などおもひて、退心たいしんをおこすは、ただこころざしあさきよりおこることなり。

 あるひといはく、「かげろふといふむしあり。妻夫めをとちぎふかきこと、もろもろの有情うじやうにすぐれたり。そのあかしをあらはさんとす。ときにこのむし妻夫めをとこれをりて、ぜに二文にもん別々べちべちけ、さていちだして、ふたぜにをあらぬひとひとつづつこれをる。商人あきひとりつれば、とかくつたはることかずらず。しかあれども、そのちぎふかきによりて、ゆふべにはかならもとのごとくつなぬかれてふ」とへり。このゆゑに、ぜにひとつのをば「蜻蚊せいぶん」とふとぞ。

 むし妹背いもせちぎり、しるして用事ようじなけれど、なににつけてもおもふべし。われら、ふかこころざしをいたして、「仏法ぶつぽふ値遇ちぐしたてまつらん」とねがはば、なじかは、かげろふのちぎことならん。たとひごふかれて、おもはぬみちるとも、折々おりおりにはかならずあらはれて、すくひたまふべし。

第52話 近く、山の西塔の西谷に、南尾といふ所に

 ちかく、やま西塔さいたふ西谷にしだにに、南尾みなみのをといふところに、極楽房ごくらくばう阿闍梨あじやりといふひとありけり。かのみけるばうの、南尾みなみのをにとりて、北尾きたのをといふかたやりて、のぼくだみちかくれなくゆるところにてなむありける。

 この阿闍梨あじやり念誦ねんじゆうちして、脇息けふそくりかかりて、ちとまどろみたるゆめに、北尾きたのをよりゆゆしげにれたるうしに、ものおほせてのぼひとあり。うししたれてのぼりかねたるを、かみあかちぢみあがりたる小童こわらはの、まなこいとかしこげなるがつきて、しりになり、さきになり、はしりめぐりて、これをげ、たすけつつのぼるあり。あやしく、ただひとともおぼえず、「わらは、あな何者なにものならん」とおもふほどに、そばにひとありてふやう、

「あれは、生々しやうじやう加護かごちかひをたがへじとてなり」

 とふとおどろきぬ。

 うつつにやれば、えつるやうにすこしもたがはず。かのうしものひてのぼるありつるに、赤頭あかがしらわらはえず。

 これをおもふに、このうしさきに、不動ふどう持者ぢしやにてありけるにこそ。因果いんぐわのことはり、かぎりあれば、ごふによりて、畜生ちくしやうとなりにけると、なほてがたくて、かく後前しりさきちつつたすけたまふにこそ。

 いといみじう、あはれにたふとおぼえければ、

小法師こぼふしものこめれて、ちとちてこよ」

 とて、はしかひて、うしをしばしとどめて、ものをなむあたへりける。

 ほとけおんちかひのむなしからぬこと、かくのごとし。「世々生々せぜしやうじやう値遇ちぐしたてまつらん」とねがふべし。

第53話 少納言公経といふ手書ありけり

 少納言公経せうなごんきんつねといふ手書てかきありけり。県召あがためしのころ、こころうちねがひおこして、「もし、ことよろしきくにたまはりなば、てらつくらん」とおもひけるを、河内かはちといふあやしのくにかみになりたりければ、本意ほいなくおぼえて、「さらば、ふるてらなどをこそは修理しゆりせめ」とおもひて、くにくだりにけり。

 さて、そのくになかに、ここかしこありきけるに、あるふるてらほとけしたふみえけるを、ひらきてれば、「沙門しやもん公経きんつね」とけり。あやしみて、こまかにれば、「にこのくにかみとなりて、このてら修理しゆりせん」といふねがひてたるふみにてなんありける。

 これをて、「しかるべかりけること」とおもりて、のぞみの本意ほいならぬことをもいさめつつ、しんをいたして修理しゆりしける。きたるふみさまなども、いまにつゆほどもはらずたりけり。伏見ふしみ修理大夫しゆりのかみのやうに、むかしおなけるなりけり。

 われもひとも、さきらねばこそはあれ。何事なにごともこのひとつのことにてははべらぬを、むなしくこころをくだき、わしもとめて、かなはねば、かみをそしり、ほとけをさへうらみたてまつるは、いみじうおろかなり。

 かつは、ねがひむかしにたがはぬにて、ねがひとしてなるべきことをるべし。

第54話 少納言統理と聞こえける人

 少納言せうなごん統理むねまさこえけるひととしごろ、「そむかん」とおもこころざしふかかりしが、つきくまなかりけるころ、こころましつつ、つくづくとおもたるに、やまふかまんことのなほせちにおぼえければ、まづいへ

「ゆするまうけせよ。ものへかん」

 とひて、かみあらひけづり、帽子ばうしなんどしける。

 気色けしきりたりけん、つまなりけるひとこころて、さめざめとなむきける。されども、かたみにとかくふこともなくて、くる、うるはしきよそほひにて、そのとき関白くわんぱくおんもとにまうでけり。

 「このこと、案内あんないこえむ」とすれど、まうしひともなし。ややひさしうありて、からうじて山里やまざとにまかりこもるべきいとままうせしあひだに、

「しばし」

 とて、対面たいめんしたまひて、御念珠おんねんじゆたまはせて、

のちにはたのむぞ」

 とのたまひければ、なみだをおさへつつ、数珠ずずをばをさめて、はいしたてまつりて、でにけり。

 僧賀聖そうがひじりむろいたりて、本意ほいごとかしらおろしてけれど、つくづくとながめがちにて、つとおこなふこともなし。ものおもへるさまにて、つねなみだぐみつつたりければ、ひじりのあやしみて、ゆゑをひけり。ひやるかたなくて、あまりのままに、

みはべるべきつきあたりたるをんなのはべるが、おもてはべれど、さすがにこころにかかりて」

 とふ。

 ひじりこれをきて、やがてみやこりて、そのいへにおはしてたづねたまふに、いまみやらで、なやわづらおりなりけり。ひじりいのりてませなんどして、ひとたづねつつ、うぶやしなひてなむ、ともしからぬほどにとぶらひたまひける。

 かくて、統理大徳むねまさだいとこ、ひとかたこころやすくなりぬれど、三条院さんでうゐん東宮とうぐうとまうしけるとき、つねにつかへたてまつりしことのわすれがたくおぼえければ、たてまつれりける。

きみひとなれなならひそ奥山おくやまりてののちはわびしかりけり

おんかへ

 わすられずおもでつつ山人やまびとをしかぞひしきわれもながむる

 とてたまはりけるに、なみだのこぼれけるを、おさへつつたりけるほどに、ひじりきて、

東宮とうぐうよりうたたまはりたらん、ほとけにやはなるべき。このこころにてはいかでか生死しやうじはなれんぞ」

 とぢしめけり。

第55話 中納言顕基は大納言俊賢の息

 中納言ちゆうなごん顕基あきもと大納言俊賢だいなごんとしかたそく後一条ごいちでう御門みかどときめかしつかへたまひて、わかうよりつかさくらゐにつけてうらみなかりけれど、こころはこののさかえをこのまず、ふか仏道ぶつだうねがひ、菩提ぼだいのぞおもひのみあり。つねのことぐさには、かの楽天らくてんに、「古墓こぼいづれのひとらずせいと。くわして路傍ろばうつちつて、年々ねんねん春草しゆんさうひたり」といふことをくちづけたまへり。いといみじき数寄人すきびとにて、あしたゆふ琵琶びははじきつつ、「つみなくしてつみをかうぶりて、配所はいしよつきばや」となむねがはれける。

 かの後一条ごいちでうかくれましましたりけるときなげきたまふさま、ことはりにもぎたり。御所ごしよのありさまいつしかあらぬことになりて、はてには、をだにもともさざりけるを、たづねたまひければ、

諸司しよしみな、いまおんことをつとむるあひだに、つかうまつるひとなし」

 とこえけるに、いとどおもられて、さるべきひと、みな御門みかど御方おかたへまゐりけれど、

忠臣ちゆうしん二君にくんつかへず」

 とひて、つひにまゐらず。

 おんみのなかのわざなど、つかうまつりて、やがていへでたまふ。そのとしごろの上君達うへきんだちそでをひかへて、べつかなしみけれど、さらにためらふこころなかりけり。

 横川よかはのぼりて、かしらおろして、こもりたまへりけるとき、上東門院じやうとうもんゐんよりはせたまひたりければ、

てて宿やどでにしなれどもなほひしきはむかしなりけり

 とぞこえたまひける。

 のちには大原おほはらみて、二心ふたごころなくおこなひたまひけるを、ときひとひとたふときたまひて、しのびつつ、かれしつわたりたまひて、対面たいめんしたまへることありけり。よひよりおん物語ものがたりなどこえて、あかつきにそよふけて、こののこと、ひと言葉ことばひまぜたまはず。いとめでたくたふとくおぼされて、みちびきたまふべきことども、かへかへちぎこえて、いまかへりなんとしたまひけるとき

「さても、わたりたまへる、いとかしこまりはべり。俊賢としかた不覚ふかくのものにてはべるなり」

 とてなむ、まうしたまひける。

 そのときは、なんともおもきたまはず。かへりたまひて、このことをあんじたまふに、「させるついでもなかりき。よも、わがのため、しきさまのことはんとてはのたまはじ。すぐれたることなくとも、はなたず、方人かたうどせよとこそはあらめ。そむくといへども、なほ恩愛おんあいてがたきものなれば、おもあまられたるにこそ」と、あはれにおぼされて、そののち、ことにふれつつりまうしたまひければ、みなしごなれど、はや大納言だいなごんまでぞのぼりにける。「美濃みの大納言だいなごん」とこゆるは、このきみなりけり。

第56話 兵部卿致平親王の御子成信中将と

 兵部卿致平親王ひやうぶきやうむねひらしんわう御子みこ成信中将なりのぶのちゆうじやうと、堀川右大臣ほりかはのうだいじんにて重家しげいへ少将せうしやうこえけるひとときにとりにとりて、たぐひなき若人わかひとなりければ、中将ちゆうじやうひか少将せうしやうとて、おなじさまにぞはれたまひける。この二人ふたりおなときこころおこして、そむかんことをはせたまふ。こころざしはひとつなれど、発心ほつしんのおこりはことなりけり。

 少将せうしやうときひとひとおもくわづらひたまひけるに、そのかげにかくれたるひとうれへあるさまをけとりたまふべきかたの、おんゆかりのひと気色けしきなどをたまひけるに、「しむもそねむも、心憂こころうならひなり」とおぼしけるより、おのづからいとふこととなりにけり。

 中将ちゆうじやう斉信ただのぶ公任きんたふ俊賢としかた行成ゆきなりなどこえて、いみじかりける人々ひとびとぢんにて、あしたのさだめども、才覚さいかくきて、いみじかりけるをきて、「つかさくらゐたかのぼらんとおもはば、はじらぬにこそありけれ。この人々ひとびとには、いかにもおよぶべくもあらず。さて、にありては、いかにかはせん。かのねがふべかりけり」とおもりたまひけるなり。

 この二人ふたりそのさだめて、

三井寺みゐでら慶祚阿闍梨けいそあじやりのもとへはん」

 とちぎりたまへり。重家しげいへきみおそえければ、るまでちかねて、「おのづからおもひわづらふことのあるなめり」と本意ほいなくおぼしながら、一人ひとり阿闍梨あじやりしついたりて、

かしらおろさん」

 とこゆ。

 阿闍梨あじやり

「あたらしきおんさまなるのみにあらず、たかくおはするのなれば、便びんなくはべりなむ」

 とて、いなびまうしければ、あからさまにづるさまにて、みづからかみりて、

「かくなむまかりなりたる」

 とありけるときぞ、ゆひかひなくて、ゆるこえける。

 かくて、あかつきかへらんとしたまひけるときつゆにそぼぬれつつ、重家少将しげいへのせうしやうおはしたり。

「いかに、おそは。くるまでちたてまつりしかど、もし、ためらひたまふことなどのはべるかとて、さきになんつかまつりたる」

 とありければ、

「さやうにちぎこえて、いかでかはをばたがへはべらん。おとどにいとまひたてまつらでは、つみぬべくおもひたまへて、ついでをはからひはべりしかば、をたがへじとて、元結もとゆひをばりはべり」

 とてなむ、せたまひける。

 中将ちゆうじやう二十三にじふさん少将せうしやう二十五にじふごとぞ。さしもすぐれ、さるべきひとだにもあたらしかるべきを、かくおなこころにて、かたちをやつしたまひつれば、阿闍梨あじやりなみだとしつつ、かつはしみ、かつはあはれみけり。

 この少将せうしやうまづ元結もとゆひりて、やはらかぶりをして、くらきまぎれに、ちち大臣だいじんいとまひたまひければ、おのづからその気色けしきやあらはれたりけん、

「いかにふとも、とまるべきさまにもえざりしかば、えとどめずなりにき」

 とぞ、のたまひける。

 また、多武峰たふのみね入道高光少将にふだうたかみつせうしやうあに一条いちでう摂政せつしやうの、ことにふれつつあやまりおほくおはしけるをたまひて、「にあるははじがましきことにこそ」とて、これよりこころおこしたまひけるとなむ。

 ひとかしこきにつけても、なるにつけても、まことのみちねがたよりとなりにけんこそ、げにあらまほしくはべれ。

第57話 花園左大臣は御形、心用ゐ、身の才

 花園左大臣はなぞののさだいじん御形みかたち心用こころもちゐ、ざえ、すべてけたることなく、ととのほりたまへるひとなり。ちか王孫わうそんにいます。かかりければ、かくただひとになりたまへることを、ひとしみたてまつる。わが御心みこころにもおぼしりて、おんよろこびなるべきことをも、その気色けしきひとせたまふことなかりけり。

 もし、つかうまつりひとなかに、をとこをんなも、おのづからこころよげにうちわらひなどするをも、

「かかる宿世すくせつたなきあたりにありながら、なにごとのうれしき」

 など、ぐさず、はしためたまひければ、初春はつはるいはひごとなどをだに、おもふばかりえはぬならひにてなむありける。

 はるうちわたりも、なかなかうるはしければ、さえあるほどのわかひとは、ただこの殿とのにのみまうあつまりて、詩歌管絃しいかくわんげんにつけつつ、こころをなぐさむることひまなし。うへ御兄達せうとたちはたいます。あしたゆふといふばかりさぶらひたまひければ、をほいどのなどまうすばかりこそあれ、さるべき色々いろいろおんもてなしにはらず、あかぬことなくえけれど、すべてきものにふかくおぼしりて、つねには、「ものおもへるひとぞ」とぞえたまひける。

 いづれのときにかありけん。きやうより八幡やはたへ、徒歩かちより、御束帯おんそくたいにて、七夜ななよまゐりたまふことありけり。別当光清べつたうみつきよこのことをきて、おほきにおんまうけ用意よういして、おん気色けしきしたまひけれど、

「このたびはことさらに宿やどるかたなくてまうでなんとおもこころざしあれば、えなんるまじき」

 とて、りたまはざりけり。

 七夜ななよまんじて、かへりたまひけるに、算豆さんづといふところにおいて、おんのぞみかなふべきよしのうたたてまつりたれば、かへしはしたまはず、

「これおんかみのおほせなり」

 とて、おんふくろおさめて、かへさに、りたまふおんうまをぞ、くらきながらたまはせける。

 御供おんともにつかうまつるひと「いかばかりなるおんのぞみなれば、かく徒歩かちにてかさねつつまうでたまふらん」と、ありがたくおぼえて、「いかにもただごとにはあらじ。大菩薩だいぼさつ現人神あらひとがみとまうすなかにも、むかし御門みかどにおはします。かぎりあるおんの、えたまひぬること、おほせらるるにや」とまで、おぼつかなくおもひけるに、御幣みてぐらえきすとて、ちかくさぶらひけるにきければ、しのびつつ、

臨終正念りんじゆうしやうねん往生極楽わうじやうごくらく

 とまうさせたまひけるにぞ、かなしくも、また、めでたくもおぼえける。

 まことに、御門みかどおんくらゐをやむごとなけれど、つひには、刹利せつり須陀しゆだはらぬならひなれば、往生極楽わうじやうごくらくつねのことにはしかずとなん。

第58話 河内国に、目聖とて、貴き人ありけり

 河内かはちくにに、目聖もくしやうとて、たふとひとありけり。

 御堂入道殿みだうにふだうどの法成寺ほふじやうじつくりたまひて、御供養ごくやうありける、まゐりてをがみけるに、こと儀式ぎしき仏前ぶつぜんかざり、まことにこころおよばず。

 宇治殿うぢどの、そのとき関白くわんぱくにて、ことおこなひておはします。かたならぶべきひともなく、めでたくえければ、「人界にんがいうまれるとならば、ひとひとこそいみじかりけれ」と、ほどほどののしる。

 百司ひやくし雲霞うんかのごとく囲繞ゐねうし、乱声らんしやうののしりて、いたりたまふとき、「いみじ」とおぼえる関白くわんぱく、ものならずおぼえて、さきのおもひをあらためて、「いかにも国王こくわうにはしかざりけり」とあひだに、金堂こんだうらせたまひて、ほとけをがみたてまつりたまひけるときなむ、「なほし、ほとけうへもなくおはしましける」とおぼえて、いとど道心だうしんかためたりける。

 かの妙荘厳王めうしやうごんわうのたぐひにことならず。いとかしこおもひはかりなるべし。

第59話 ある上人のものへまかりける道に

 ある上人しやうにんのものへまかりけるみちに、乞児こつじ三人みたりばかりきつれたりけるが、おのがとも物語ものがたりするをけば、一人ひとりふやう

近江あふみはゆゆしき運者うんじやかな。さかのまじらひして、いまだ三年さんねんにだにたぬに、宝鐸ほうちやくりたるはありがたきことぞかし」

 とへば、いま一人ひとりがいはく

「それはべつ果報くわほうひとぞ。くちきたなくてふべからず」

 とふ。

「これをきてこそ、わがさまを、仏菩薩ぶつぼさつのことにふれてはかなくたまふらんこと、おもられて、あはれにはずかしくおぼえはべりしか」

 とかたりき。

 また、あるひと片田舎かたいなかきて、いやしきいへ宿やどりてまりけるに、このいへあるじれば、とし八十余はちじふあまりにやあらん、かうべゆきのごとくして、はだへくろく、しはたたみ、ただれ、くちすげうて、こし二重ふたへにかがまりて、おほきにくるしう、「いかにも今日けふ明日あしたのことにこそ」と、いとほしくおぼえて、これをすすめてふやう、

「なんぢ、いせまりて、残命ざんめいいまいくばくかはあらん。行歩ぎやうぶもかなはざれば、ひとにまじるにつけてもくるしからん。いま出家しゆつけうちして、念仏ねんぶつまうして、のどかにゐたれかし。さらば、後世ごせたのしみもしかるべきのみにあらず、やすからん」

 とふ。

 おきなふやう、

「まことに、いまはさやうにこそつかまつるべきを、なるべきつかさひとつはべるによりて、たえぬに、いのちからをはげみて、かくまでつかへはべるなり。われよりも、いま三年さんねんがこのかみなるおきな上臈じやうらふにてはべり。かれ、ひとまねつかまつりなむのちは、かならずそのつかさにまかりなるべければ、それまでちはべるなり」

 とひける。

 さやうのもののなるつかさおもふに、さばかりこそはあるらめ。そのことにしふをとめて、「いまや、いまや」とまぼりをりけん。つみふかく、あはれにこそはべれ。

 ただし、これらをうちけば、おろかなるやうなれど、よくおもへば、こののぞみ、たかきもいやしきも、みちおなじ。われらがいみじくおもひならはせるつかさくらゐも、これをうへかたならぶれば、おきなのぞみにことならず。いはんや、天竺てんぢく震旦しんたん国王こくわう大臣だいじんのありさまなどはたとへてもふべからず。

 また、あるひといはく、「治承ぢしようのころ、なかみだれて、ひとおほほろせはべりしときかたきかたひとへて、くびりにでまかるとて、ののしりあへるをれば、ことよろしきものにこそさすがによしありてゆるを、なさけなくゆゆしげにして、ちてく。地獄絵ぢごくゑゑがける鬼人きじんにことならず。あな心憂こころう。よも、うつつこころあらじと、あはれにいとほしくゆるほどに、みちむばらのあるを、まじとて、よきてかんとするを、ひとなみだとしていはく、かばかりのて、いまいくときあるべきなれば、むばらまじとおもふらんと、はかなくかなしみあへり」

 これまた、ひとうへかは。われすゑおよびて、いのちみじか果報くわほうつたなきとき、わづかに人界にんがいうまれたりといへども、二仏にぶつ中間ちゆうげんやみふかく、闘諍堅固とうじやうけんごおそれはなはだし。ひまこまはやうつり、ひつじあゆみ、屠所としよ近付ちかづけば、はり今日けふともらず、明日あしたともらず。なに他念たねんかはあるべき。ちてもても、煩悩ぼんなうあたのために繋縛けばくせられたることをかなしみ、てもめても、無常むじやうつるぎのたちまちにいのちたむこと、おそるべきぞかし。

 しかるを、むなしく塵灰ちりはひとなるべきかぎりのおもふとて、つゆあひだ貴賤きせんうれへ、こころなやまし、名利みやうりをわしる。ただ、かのむばらをよきけむひととこそおぼえはべれ。

 大方おほかた、ひをむしあしたうまれて、ゆふべにぬるならひも、かならず、みなこれわがうへにあり。てんなかいのちみじか四天王天してんわうてんけば、この五十年ごじふねんをもつて一日一夜いちにちいちやとせり。わがくにの、いのちながしといふひと、わづかに、このてん一日二日ひとひふつかにこそはあたるらめ。いはんや、うへざまのてんぶれば、ただときあひだといふべし。かかればとて、いづこかは、われらがひをむしおもへるにことなる。

 もろもろのこと、かくのごとくはば、とてもかくてもありぬべきこのなり。ただ、かの、「ゆめなか有無うむ有無うむともになり。まどひのまへ是非ぜひ是非ぜひともになり」とへるが、めでたきことはりにてはべるなり。

 されば、禅仁ぜんにんといふ三井寺みゐでら名僧めいそう法印ほふいんになりたりけるときひとよろこひたりけるかへりごとは「かの六欲四禅ろくよくしぜん王位わうゐえたるところなり。この小国辺鄙せうこくへんぴくらゐ、なんぞあいするにらん」とこそひたりけれ。智恵ちゑはなほかしこきものなり。

 大方おほかた凡夫ぼんぶならひ、いやしくつたなきことも、うへをばらず。このゆゑに、乞食こつじきかたゐ、名聞みやうもんせり。めでたく、やむごとなきこととても、また、わがぶんぎぬれば、のぞこころなし。たみ王宮わうぐうねがはざるがごとし。

 いま、これをおもひとくには、にごれるすゑひと極楽ごくらくねがはぬはきはめたることはりなり。かのくにのありさま、衆生しゆじやうたのしみ、ことにつけ、ものにふれて、なにかはわれらがぶんになずらへたる。みな、こころ言葉ことばおよばぬことどもぞかし。

 しかあれば、もし、かなねがひきて、しんをもおこし、いささかのぞこころもあらむひとはこのひとつのことにあらず。生々世々しやうじやうせぜつとめたりける余波なごりとして、いかにも近付ちかづけることと、たのもしくおもふべきなり。

第60話 近き世のことにや、年はたかくて

 ちかのことにや、としはたかくて、まずしくわりなきをとこありけり。つかさなどあるものなりけれど、でつかふるたつきもなし。さすがにふるめかしきこころにて、あやしき振舞ふるまひなどはおもひよらず、世執せいしふなきにもあらねば、また、「かしらおろさん」とおもこころもなかりけり。つねには居所ゐどころもなくて、ふるだうやぶれたるにぞやどりたりける。

 つくづくと年月としつきおくあひだに、あしたゆふするわざとては、ひとかみ反故ほんぐなどあつめ、いくらも差図さしづゑがきて、いへつくるべきあらましをす。「寝殿しんでんはしかじか。かどなにか」となど、これをおもひはからひつつ、きせぬあらましにこころをなぐさめてぎければ、ひとはいみじきことのためしになんひける。

 まことにあるまじきことをたくみたるははかなけれど、よくよくおもへば、このたのしみには、こころをなぐさむるにしかず。一二町いちにちやうつくてたるいへとても、これを「いし」とおもひならはせる人目ひとめこそあれ、まことには、わがところ一二間いちにけんぎず。そのほかはみな、したしきうとひと居所ゐどころのため、もしは、野山のやまむべき牛馬ぎうばりやうをさへつくりおくにはあらずや。

 かくよしなきことにわづらはし、こころくるしめて、百千年ひやくせんねんあらんために、材木ざいもくえらび、檜皮ひはだかはらたまかがみみがきたてて、なにのせんかはある。ぬしいのちあだなれば、むことひさしからず。あるいは他人たにんすみかとなり、あるいはかぜやぶれ、あめちぬ。いはんや、一度ひとたび火事かじぬるとき年月としつきいとなみ、かたときあひだ雲煙くもけぶりとなりぬるをや。

 しかあるを、かのをとこがあらましのいへわしもとめ、つくみがわづらひもなし。あめかぜにもやぶれず、火災くわさいおそれもなし。なすところはわづかにひとかみなれど、こころをやどすに不足ふそくなし。

 龍樹菩薩りゆうじゆぼさつのたまひけることあり、「めりといへども、ねがこころやまねば、まずしきひととす。まずしけれども、もとむることなければ、めりとす」とはべり。書写しよしやひじりきとめたる言葉ことばに、「ひぢをかがめてまくらとす。たのしみ、そのなかにあり、なにによりて、さらに浮雲ふうん栄耀えいえうもとめん」とはべり。また、あるものには、「から一人ひとりことあり。なきこと間近まぢかきて、しばしもかたはらはなたず。ひとあやしみて、ゆゑをひければ、われことるに、そのきよくこころうかべり。そのゆゑに、おなじけれども、こころをなぐさむることは、だんずるにことならずとなんひける」

 かかれば、なかなかまへつくいとなひとはよそこそ、「あな、ゆゆし」とゆれど、こころには、なほらぬことおほからん。かの面影栖おもかげすみか、ことにふれてとくおほかるべし。

 ただし、このこと、世間せけんいとなみにならぶるときは、かしこげなれど、よくおもひとくには、天上てんじやうたのしみ、なほはりあり。つぼうちすみか、いとこころならず。いはんや、よしなくあらましに、むなしく一期いちごつくさんよりも、ねがはばかならつべき、安養世界あんやうせかい快楽けらく不退ふたいなる宮殿くうでん楼閣ろうかくのぞめかし。

 はかなかりける希望けまうなるべし。

第61話 昔、大安寺に、栄好といふ僧ありけり

 むかし大安寺だいあんじに、栄好えいかうといふそうありけり。まずしくて、いたるははちたりければ、てらなかにすゑきて、かたちのごとくいのちつぐほどのことをなんしけり。

 七大寺しちだいじならひにて、たるそうむろけぶりつることなし。ほかにてはんをして、くるまみつつ、あしたゆふごとに僧坊そうばうまへよりわたしてくばれば、栄好えいかうこれをけて、つにけて、ひとつをばははにたてまつり、ひとつをば乞食こつじきらせ、ひとつをばみづからふ。ひとつをば、ただ一人ひとり使つかわらはりやうてたり。まづ、ははあたへて、まゐるよしきてのち、みづからはならひにて、としごろの次第しだいをたがへず。

 この栄好えいかうばうかたはらに、かきひとへだて、勤操ごんさうといふひとみけり。同心だうしんひたのみたるひとにて、としごろ、このことをありがたくくほどに、あるときかべへだててけば、栄好えいかう小童こわらはしのびつつこゑあり。勤操ごんさうあやしくおもひて、わらはびて、

なにごとによりてくぞ」

 とふ。こたへてふやう、

「わが今朝けさ、にはかにいのちはりたまひぬれば、おのれ一人ひとりして、はうむりおさめたてまつらんこと、おもひやるかたなくてはべるうへに、はは尼上あまうへ、また、いかにしていのちつぎたまはんずらんと、かなしくはべるなり」

 とふ。

 勤操ごんさうこれをきて、あはれにかなしきことかぎりなし。なぐさめふやう、

「なんぢ、いたくなげくべからず。はうむらんことは、われもろともに今宵こよひなかにとかくしてんず。また、ははをば、われ亡者まうじやにかはりて、わがぶんけてやしなはん」

 とふ。小童こわらはこれをきて、かなしみのなかかぎりなくおぼえて、なみだをのごひつつ、さりげなきさまにもてなせり。

 勤操ごんさうわがぶんかちて、栄好えいかうおくるやうにて、わらはたせて、ははのもとへおくる。ははこのことをおもひよらぬ気色けしきるにつけても、なみだのみこぼるるを、とかくまぎらかしつつ、ものはずして、さしきてかへりぬ。れぬれば、夜半やはんばかりに、勤操ごんさうわらは二人ふたりして、栄好えいかうちて、ふかやまおくきつ。

 はは尼公にこうさきざきにかはれることもなければ、わがせたりしともらずして、月日つきひおくるほどに、勤操ごんさうがもとに客人まらうどて、さけなどむことありけり。なんとなくまぎれて、さきざきいひおくときぎにけれど、親子おやこあひだならねばはばかりにて、わらはださず。

 ややひさしくありてのちおくりたるに、はは尼公にこうふやう、

「など、れいよりはおそかりつるぞ。年老としおいぬるむねしはり、心地ここちたがひて、れいにもおぼゆるなり」

 とふをきて、このわらはふかひなくなみだとして、しのぶとすれど、こゑしまずたり。

 ははこころおぼえて、なほなほふに、つひにかくすべきことならねば、ことのありさま、はじめよりかたる。

「やがてもまうすべかりしかども、としたけたる御身おんみには、もし、なげきにへず、りたまふこともぞはべるとて、いままでまうさざりつるなり。このめしものをば、御坊ごばう同法どうほふのおはするが、ありしやうをきて、せたまひしより、わがぶんわかちたてまつらるるなり。今日けふ客人まらうどたりて、さけなどまゐりつるほどに、こころならずたけてはべるなり。されど、御子みこならばこそは、いかにもともすすめん。さすがにはばかおもひたまひて」

 など、ひやらずく。

 ははくままにたふして、かなしみていはく、

「わがははかなくせたまひにしを、らずしてはべるにや。たるゆふべにやゆるとちけるこそ、いとはかなけれ。今日けふものおそかりつるを、あやしめざらましかば、わがのありなしもらまじ」

 とひて、たちまちにりぬ。

 また、勤操ごんさうこれをきて、岩淵寺いはぶちでらといふ山寺やまでらにて、はうむすすめて、七日七日なぬかなぬかにははちをまうけて法華経ほけきやうき、もろもろのしゆはせつつ、四十九日法事しじふくにちほふじにて、懈怠けたいなくなんつとめける。

 そののちとし一度ひとたび忌日きじつごとに、同法どうほふ八人はちにんちからはせて、「同法八講どうほふはちかう」と名付なづけて、延暦十五年えんりやくじふごねんよりはじめたりけるを、「岩淵寺いはぶちでら八講はちかう」と名付なづけたり。八講はちかうのおこりこれよりはじめて、所々ところどころおこなふこと、いまえず。

 さて、勤操ごんさうは、おほやけのわたくし、たふとこえありければ、せてのち僧正そうじやうつかさなんおくりたまはりける。

第62話 山に、正算僧都といふ人ありけり

 やまに、正算僧都しやうさんそうづといふひとありけり。わが、いみじくまずしくて、西塔さいたふ大林だいりんといふところみけるころ、としれ、ゆきふかりて、ひともなく、ひたすらけぶりえたるときありけり。きやうははなるひとあれど、たえだえしきさまなれば、なかなかこころくるしうて、「ことさら、このありさまをばかれじ」とおもへりけるを、ゆきなか心細こころぼそさをやはかりけん、もしまた、ことの便たよりにやこえけん、ねんごろなる消息せうそこあり。みやこだにあとたえたるゆきなかに、ゆきふかみね住居すまひ心細こころぼそさなど、つねよりもこまやかにて、いささかなるものおくりつかはされけり。

 おもらざるほどに、いとありがたく、あはれにおぼゆるなかにも、この使つかひのをとこのいとさむげに、ふかゆきたるがいとほしければ、まづなどたきて、このたるものしてはす。

 いまはんとするほどに、はしうちて、はらはらとなみだとして、はずなりぬるを、いとあやしくて、ゆゑをふ。こたへてふやう、

「このたてまつりたまへるものはなほざりにて出来できたるものにてもはべらず。方々はうはうたづねられつれどもかなはで、母御前ははごぜんのみづからおんぐしのしたりて、ひとにたびて、そのかはりをわりなくしてたてまつりたまへるなり。ただいま、これをべむとつかまつるに、かのおんこころざしふかきあはれさをおもでて、下臈げらふにてははべれど、いとかなしうて、むねふたがりて、いかにものどりはべらぬなり」

 とふ。

 これをきて、おろそかにおもへんやは。ややひさしくなみだながしける。

 すべて、あはれみのふかきこと、ははおもひにぎたるはなし。なる鳥獣てうじうまでも、その慈悲じひをばしたり。田舎いなかものかたりはべりしは「きじみてあたたむるとき野火のびにあひぬれば、ひとたびはおどろきてちぬれど、なほてがたさのあまりにや、けぶりなかかへりて、つひにぬるためしおほかり」とぞ。

 また、にはとりあたたむるさまたれることぞかし。のへだたりたるをあかずおもふにや。みづからむねきて、はだにつけて、終日ひめもすこれをあたたむ。ものまむために、おのづからりても、「かれがめぬほどに」といそかへるはおぼろげのこころざしとはえず。

 また、そのかみ、古郷こきやうわたりに、おもひのほかのがれたるひとありき。「ことのおこりはたかこのひけるとき、そのはむとて、いぬころしけるに、はらみたるいぬはらかはりたるより、ひとふたつこぼれちけるを、はしりてぐるいぬの、たちまちにかへりて、そのをくはへてかんとして、やがてたふれて、にたりけるをて、発心ほつしんせり」とぞ。かたりはべりし。鳥獣てうじうなさけなきだにのためには、かくにもかへてあはれみふかし。

 いはんや、ひとおやはらうちにやどるより、ひととなるまで、念々ねんねんにあはれぶこころざし、たとひ、いのちててかうすとも、むくつくさんこと、かたくこそ。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次