このページでは、鴨長明『発心集』第5巻(第48話~第62話)の原文全文を掲載しています。本文を読みやすくするため、漢字に歴史的仮名遣いによる振り仮名を付けました。
現代語訳と照らし合わせたい方は、『発心集』第5巻 現代語訳全文をご覧ください。本文の表記や説話ごとの区分は、以下の文献を参考に、当サイトの判断で読みやすく整えています。
第48話 中ごろ、但馬守国挙が子に
中ごろ、但馬守国挙が子に、所の雑色国輔といふ人ありけり。ある宮腹の半者を思ひて、志深かりけるころ、父の但馬守にて下りければ、えさらぬことにて、はるかに行きけり。一日の絶え間だにわりなく思ゆるを、立ち別れては、耐へぬべくもあらねど、いかがはせむ。さまざまに語らひ置きつつ、泣く泣く別れにけり。
国に下りても、これよりほかに、心にかくることなし。京の便りごとに文をやれど、届かず。さはりがちにて返り事も見ず。いぶせくてのみ歳月を送る間に、ことの便りに人の語るを聞けば、
「京には人多く病みて、世の中騒がしくなんある」
と言ふにも、まづおぼつかなきことかぎりなし。
かくしつつ、からうじて京へ上りたまひつ。しかありし宮の中を尋ぬれば、
「はや、例ならぬことありて、出でたまひにき」
と言ふ。使、むなしく帰りて、このよしを語るに、ふと胸ふたがりて、何のあやめも思えず。立ち帰り、ゆくへ尋ねにやりたれど、知る人もなし。すべき方なくて、心のあられぬままに、すずろに馬にうち乗りて、うち出でにけり。
「西の京の方にこそ知る人あるやうに聞きしか」とばかり、ほのかに思ひ出でて、いづくともなく尋ね歩くほどに、あやしげなる家の前に、この女の使ひし女の童立てり。
いとうれしくて、「もの言はん」と思ふほどに、隠るるやうにて、家の内へ逃げ入るを、馬より降りて、入りて、見れば、この女うちそばみて、髪をけづりてなむ居たりける。
「あな、いみじくおはしけるは」
とて、後ろを抱きて、日ごろのいぶせかりつることなむ、ねんごろに語らへど、いらへもせず、さめざめと泣くよりほかのことなし。「われを恨むるなりけり」とあはれに、心苦しう思えて、涙を抑へつつ、さまざまになぐさめ居たり。
「さても、などかは後ろをのみ向けたまへる。いつしか、見たてまつらんと思ふに、今さへいぶせく」
とて、引き向けんとするに、いとど泣きまさりて、さらに面を向かへず。
「あな、いみじ。心深くもおぼし入りたるかな」
とて、しひて引き向くれば、二つの眼なし。木の節の抜けたるごとくにて、すべて目も当てられず。
心まどひ、とばかりものも言はれぬを、念じて、
「さても、いかなりしことぞ」
と問ふ。主は音をのみ泣きて、ともかくも言はねば、ありつる女の童なん泣く泣くことのありしやうを語りける。
「御下りの後、しばしは、御文もなどかあるかと人知れず待ちたまひしかど、さらに御おとづれもなくて、一年二年過ぎにしかば、ものをのみおぼして、明かし暮らしたまひし間に、御病付きたまひて、宮を出でたまひき。親しき御あたりにも、便り悪しきことどもありて、さるべき所もはべらざりしかば、これにてあつかひたてまつりしほどに、はかなくて息絶えにき。今は置きたてまつりてもかひなしとて、この前の野に置きたてまつりしほどに、日中ばかりありてなむ、思ひのほかに生き返りたまひにし。その間に、烏などのしわざに、はやくゆひかひなきことになりてはべれば、とかくまうすばかりなし。わざとも尋ねたてまつるべきにてこそはべりしかど、この御ありさまの心憂さに、今はいかで世にあるものと、人に知られじと深くおぼしたるもことはりなれば、隠れたてまつらんとつかまつるなり」
と、涙をおさへつつ語るを聞くに、心憂く悲しきことかぎりなし。
「何の報ひにて、かかる目を見るらん」と、「今はこの世の限りにこそありけれ」とて、やがて、これより比叡の山へ登り、甘露寺の教静僧都の房に、慶祚の弟子にて、真言の秘法を伝ふ。唐房の法橋行因といふはこの人なり。山王に会ひたてまつりて、灌頂したてまつりける人なり。
この人初めて山へ登りける時、われもはかばかしう道も知らず、しるべする人もなかりければ、人に問ひつつ、たどるたどる行きけるを、水飲といふ所にて、檀那僧都覚運といふ人行き会ひて、いとあやしく、ことのさまを見るに、
「出家しに登る人にこそ。いみじう、智恵かしこき眼持ちたる人かな。いづくへ行くぞみよ」
とて、人をつけやりてけり。
使、返り来て、
「しかじか、甘露寺僧都のもとへ入りぬ」
と言ひければ、
「さればこそ。あはれ、いみじかりつる智者を、慈覚の門人になさで、智証の流へやりつる、口惜しきことなり」
とのたまひける。
この人真言習ひ初めけるころ、師の大阿闍梨の、「こころみん」とや思はれけん、
「男にては、物の真似をよくしたまひて、をかしき方に、人に興ぜられけりと聞きつるなり。千秋万歳したまへ。見ん」
と言はれければ、またこともなく、
「うけたまはりぬ」
とて、経の帙紙のありけるを、頭にうちかづきて、めでたく舞うたりければ、阿闍梨涙を落として、
「さだめて、否びすらんとこそ思ひつるに、まことの道心者なりけり。いと貴し」
とぞ、讃めたまひける。
第49話 中ごろ、朝夕御門につかうまつる男
中ごろ、朝夕御門につかうまつる男ありけり。優なる女を語らひて、年ごろ住み渡りけるほどに、心移る方やありけん、宮仕へにことよせて、やうやうかれがれになり行くを、「心の外の絶え間か」と思ふほどに、つひに通はずなりにければ、女ことに触れつつ、心細く思ひ歎きつつ、年月を送る間に、男ことのたよりありて、女の門の前を過ぎけり。
そこなる人、見あひて、
「ただ今、殿の、御前をこそこれより過ぎたまひつれ。さすがに、さる所ありとはおぼし出づるめり。物見よりなん、見入れたまひつる」
と語る。これを聞きて、
「聞こゆべきことはべり。入りたまひなむやとまうせ」
と言ふ。
「過ぎたまひぬるものを、やは帰りたまはんずる」
と言ひながら、走りつきて、この由を聞こゆ。「あやしく、何事にか」と思えながら、これをさへ聞き過ぐべきならねば、止まりぬ。
門よりさし入りて、見れば、草深く茂りて、ありしにもあらず、荒れたる庭の気色を見るより、何となくあはれ深くなむまさりける。わが身のとが思ひ知られて、いかにぞや、すずろはしき様に思ゆるを、女は今さら心浮きたる気色なし。もとよりかくて居たりける様にて、脇息におしかかりて、法華経を読みたまひつる。
物思ひけるさまながら、少しおもやせたるものから、いと清げに、らうたげなる形、姿、髪のこぼれかかる様など、もと見し人とも思えず、たぐひなく見ゆるに、「何のものの狂はしにて、この人にものを思はせけん」と、日ごろの心苦しさを思ふにも、いとどあはれ浅からず。心ならぬことのありさまなど、ねんごろに語りける。
女「もの言はん」と思へる気色ながら、いらへもせねば、経読み果ててと思ふなるべし。いぶせく心得なく待つほどに、
「於此命終即往安楽世界阿弥陀仏」
といふ所を、繰り返し二度三度読みて、やがて寝入るがごとくにて、居ながら息絶えにけり。
この男の心いかばかりなりけむ。男とはなにがしの弁とかや聞きしかど、名は忘れにけり。
人を恋ひては、あるいは望夫石と名をとどめ、もしはつらさの余りに、悪霊なんどになれるためしも聞こゆ。いかにも罪深き習ひのみこそはべるに、それを往生の縁として、思ふやうに終はりにけん、いとめでたかりける心なるべし。
あはれ、これをためしにて、この世にも物思ふ人の往生を願ふことにてはべらば、いかに心かしこからん。たとひ、同じ心なる中とても、幾世かはある。楊貴妃はむなしく比翼の契りを残し、李夫人はわづかに反魂の煙にのみあらはれたり。いはんや、思はぬ人のためには、ことにふれつつ、あはれも知らんことわりもなし。思ひあまりぬる時、富士の嶺を引きかけ、海士の袖とかこちて、ねんごろに心の底をあらはせど、何のかひかはある。一人胸をこがし、袖をしぼるほどは、いみじくあぢきなくなむはべり。いかにいはんや、この世一つにてやむべきことにてもあらず。その報ひむなしからねば、来世にはまた、人の心を尽さすべし。
かくのごとく、世々生々、互ひにきはまりなくして、生死のきづなとならんことの、いと罪深くはべるなり。このたび、思ひ切りて、極楽に生れなば、憂きもつらきも寝ぬる夜の夢に異らじ。立ち帰り、善知識と悟りて、かれを導かんことこそあらまほしくはべれ。もし、浄土にて、なほ尽きがたきほどの恨みならば、その時、言ひ向かへをもせよかし。
第50話 いづれの国とか、たしかに聞きはべりしかど
いづれの国とか、たしかに聞きはべりしかど、忘れにけり。ある所に、身は盛りにて、おとなしき妻にあひ具したる男ありけり。この妻先の男の子をなむ一人持ちたりける。
いかが思ひけん、男に言ふやう、
「われに暇たべ。この内に一間あらん座敷に居、のどかに念仏なんどして居たらん。さて外の人を語らはんよりは、これにある若き人をあひ具して、世の中のこと沙汰せさせよ。さらにうとからん人よりは、わがためにも良からん。今は年たかくなりて、かやうのありさま、ことにふれて本意ならず」
と言ひければ、男も驚き思へり。娘もあるまじきやうに言ひけれど、このことなほざりならず。
ともすれば、まめやかにうちくどきつつ、言ふこと、たびたびになりぬ。
「さほど思はるることならば、うけたまはりぬ」
とて、言ふがごとくして、奥の方に据ゑて、男はままむすめなむ、あひ具して住みける。
かくて、時々はさしのぞきつつ、
「何事か」
など言ふ。ことにふれて、妻も男もおろかならぬやうにて、年月を送るほどに、ある時、男ものへいたる間に、この妻母の方に行きて、のどかに物語などするほどに、母いみじうもの思へる気色なるを、心得ず思えて、
「われには、何事をかは、隔てたまふべき。おぼされんことはのたまひあはせよ」
と言ふ。
「さらに思ふことなし。ただ、このほど、乱り心地の悪しくて」
など言ひまぎらかす様、ただならず怪しければ、なほなほ強ひて問ふ。
その時に、母言ふやう、
「まことには、何事をか隠しまうさん。よに心憂きことのありけり。この家の内のありさまは心よりおこりてまうし進めしことぞかし。されば、誰もさらさら恨みまうすべきこともなし。しかあるを、夜の寝覚めなどに、傍らの寂しきにも、ちと心のはたらく時もあり。また、昼さしのぞかるる折もあり。人の振舞ひになりたるこそ思はざりしことかなれど、胸の中騒ぐを、これ人の科かは。あな、おろかの身かなと思ひ返しつつ過ぐれど、なほ、このことの深き罪となるにや。あさましきことなむある」
とて、左、右の手をさし出でたるを見るに、大指二つながら蛇になりて、目もめづらかに、舌さし出でてひろひろとす。
娘これを見るに、目も暗れ心も惑ひぬ。また、ことも言はず、髪おろして尼になりにけり。男帰り来て、これを見て、また法師になりぬ。もとの妻もさまを変へ、尼になりて、三人ながら同じ様に行ひてなむ過ぎける。朝夕言ひ悲しみければ、蛇もやうやうもとの指になりにけり。後には、母は京に乞食し歩きけるとかや。
「まさしく見し」
とて、古き人の語りしは近き世のことにこそ。
女の習ひ、人をそねみ、物をねたむ心により、多くは罪深き報ひを得るなり。なかなか、かやうにあらはれぬることは悔い返して、罪滅ぶる方もありぬべし。つれなく心にのみ思ひくづほれて、一生を暮らせる人の強く地獄の業を作り固めつるこそいと心憂くはべれ。
いかにもいかにも、心の師となりて、かつは前の世の報ひと思ひなし、かつは夢の中のすさみとも思ひ消して、一念なりとも悔ゆる心を発すべきなり。ある論には「人、もし重き罪を作れども、いささかも悔ゆる心のあれば、定業とならず」とこそはべるなれ。
第51話 中ごろ、片田舎に男ありけり
中ごろ、片田舎に男ありけり。年ごろ、心ざし深くて、あひ具したりける妻子を生みて後、重く煩ひければ、夫、添ひ居てあつかひけり。
限りなりける時、髪の暑げに乱れたりけるを、「結ひ付けん」とて、傍らに文のありけるを、片端を引き破りてなむ結びたりける。かくて、ほどなく息絶えにければ、泣く泣くとかくの沙汰などして、はかなく雲煙となしつ。
その後、あとのこと、ねんごろに営むにつけて、なぐさむ方もなく、恋ひしく、わりなく思ゆること尽きせず。「いかで今一度、ありしながらの姿を見ん」と涙にむせびつつ、明かし暮らす間に、ある時、夜いたう更けて、この女寝所へ来たりぬ。「夢か」と思へど、さすがに現なり。嬉しさに、まづ涙こぼれて、
「さても、命尽きて、生を隔てつるにはあらずや。いかにして来たりたまへるぞ」
と問ふ。
「しかなり。うつつにてかやうに帰り来ることはことはりもなく、ためしも聞かず。されど、今一度見まほしく思えたる心ざしの深きによりて、ありがたきことを、わりなくして来たれるなり」
そのほかの心の中、書き尽くすべからず。枕をかはすことあり。世につゆ変はらず。
暁、起きて、出でざまに物を落としたる気色にて、寝所をここかしこさぐり求むれど、何とも思ひ分かず。明けはてて後、跡を見るに、元結一つ落ちたり。取りて細かに見れば、限りなりし時、髪結ひたりし反故の破れにつゆも変はらず。この元結はさながら焼葬りて、きとあるべきゆゑもなし。いとあやしく思えて、ありし破り残しの文のありけるに、継ぎて見るに、いささかもたがはず。その破れにてぞありける。
「これは近き世の不思議なり。さらに浮きたることにあらず」
とて、澄憲法師の、人に語られはべりしなり。
昔、小野篁の妹の失せて後、夜な夜なうつつに来たりけるは、もの言ふ声ばかりして、さだかには手に触るものなかりけるとぞ。
大方、心ざし深くなるによりて、不思議をあらはすこと、これらにて知りぬべし。凡夫の愚かなるだにしかり。いはんや、仏菩薩のたぐひは「心をいたして見んと願はば、その人の前にあらはれん」と誓ひたまへり。これを聞きながら、行ひあらはして見たてまつらぬは、わが心のとがなり。妻子を恋ふがごとく恋ひたてまつり、名利を思ふがごとく行はば、あらはれたまはんこと、かたからず。心をいたすこともなくて、世の末なれば、ありがたし。「拙き身なれば、かなはじ」など思ひて、退心をおこすは、ただ志の浅きよりおこることなり。
ある人いはく、「かげろふといふ虫あり。妻夫の契り深きこと、もろもろの有情にすぐれたり。その証をあらはさんとす。時にこの虫、妻夫これを捕りて、銭二文に別々に干し付け、さて市に出だして、二の銭をあらぬ人に一つづつこれを売る。商人買ひ取りつれば、とかく伝はること数も知らず。しかあれども、その契り深きによりて、夕べには必ず元のごとく貫かれて行き合ふ」と言へり。このゆゑに、銭の一つの名をば「蜻蚊」と言ふとぞ。
虫の妹背の契り、記して用事なけれど、何につけても思ふべし。われら、深き志をいたして、「仏法に値遇したてまつらん」と願はば、なじかは、かげろふの契り異ならん。たとひ業に引かれて、思はぬ道に入るとも、折々には必ずあらはれて、救ひたまふべし。
第52話 近く、山の西塔の西谷に、南尾といふ所に
近く、山の西塔の西谷に、南尾といふ所に、極楽房の阿闍梨といふ人ありけり。かの住みける坊の、南尾にとりて、北尾といふ方を見やりて、上り下る道、隠れなく見ゆる所にてなむありける。
この阿闍梨念誦うちして、脇息に寄りかかりて、ちとまどろみたる夢に、北尾よりゆゆしげに痩せ枯れたる牛に、物おほせて登る人あり。牛の舌を垂れて登りかねたるを、髪赤く縮みあがりたる小童の、眼いとかしこげなるがつきて、後になり、前になり、走りめぐりて、これを押し上げ、助けつつ登るあり。あやしく、ただ人とも思えず、「童、あな何者ならん」と思ふほどに、そばに人ありて言ふやう、
「あれは、生々に加護の誓ひをたがへじとてなり」
と言ふと見て驚きぬ。
うつつに見やれば、見えつるやうに少しもたがはず。かの牛、物を負ひて登るありつるに、赤頭の童は見えず。
これを思ふに、この牛の先の世に、不動の持者にてありけるにこそ。因果のことはり、限りあれば、業によりて、畜生となりにけると、なほ捨てがたくて、かく後前に立ちつつ助けたまふにこそ。
いといみじう、あはれに貴く思えければ、
「小法師、物に米入れて、ちと持ちてこよ」
と言ひ捨て、走り向かひて、牛をしばし留めて、食ひ物をなむ与へりける。
仏の御誓ひのむなしからぬこと、かくのごとし。「世々生々に値遇したてまつらん」と願ふべし。
第53話 少納言公経といふ手書ありけり
少納言公経といふ手書ありけり。県召しのころ、心の内に願を発して、「もし、ことよろしき国たまはりなば、寺作らん」と思ひけるを、河内といふあやしの国の守になりたりければ、本意なく思えて、「さらば、古き寺などをこそは修理せめ」と思ひて、国に下りにけり。
さて、その国の中に、ここかしこ見歩きけるに、ある古き寺の仏の座の下に文の見えけるを、披きて見れば、「沙門公経」と書けり。怪しみて、細かに見れば、「来ん世にこの国の守となりて、この寺を修理せん」といふ願を立てたる文にてなんありける。
これを見て、「しかるべかりけること」と思ひ知りて、望みの本意ならぬことをもいさめつつ、信をいたして修理しける。書きたる文字の様なども、今の手につゆほども変はらず似たりけり。伏見の修理大夫のやうに、昔、同じ名を付けるなりけり。
われも人も、先の世を知らねばこそはあれ。何事もこの世一つのことにてははべらぬを、むなしく心をくだき、走り求めて、かなはねば、神をそしり、仏をさへ恨みたてまつるは、いみじう愚かなり。
かつは、願の昔にたがはぬにて、願としてなるべきことを知るべし。
第54話 少納言統理と聞こえける人
少納言統理と聞こえける人年ごろ、「世を背かん」と思ふ心ざし深かりしが、月くまなかりけるころ、心を澄ましつつ、つくづくと思ひ居たるに、山深く住まんことのなほせちに思えければ、まづ家に
「ゆするまうけせよ。ものへ行かん」
と言ひて、髪洗ひけづり、帽子なんどしける。
気色や知りたりけん、妻なりける人、心得て、さめざめとなむ泣きける。されども、かたみにとかく言ふこともなくて、明くる日、うるはしきよそほひにて、その時の関白の御もとに詣でけり。
「このこと、案内聞こえむ」とすれど、まうし入る人もなし。やや久しうありて、からうじて山里にまかりこもるべき暇まうせし間に、
「しばし」
とて、対面したまひて、御念珠たまはせて、
「後の世には頼むぞ」
とのたまひければ、涙をおさへつつ、数珠をばをさめて、拝したてまつりて、出でにけり。
僧賀聖の室に至りて、本意の如く頭おろしてけれど、つくづくとながめがちにて、勤め行ふこともなし。物思へる様にて、常は涙ぐみつつ居たりければ、聖のあやしみて、ゆゑを問ひけり。言ひやる方なくて、余りのままに、
「子生みはべるべき月に当りたる女のはべるが、思ひ捨てはべれど、さすがに心にかかりて」
と言ふ。
聖これを聞きて、やがて都に入りて、その家におはして尋ねたまふに、今、子を生みやらで、悩み煩ふ折なりけり。聖祈りて生ませなんどして、人に尋ねつつ、うぶやしなひてなむ、乏しからぬほどにとぶらひたまひける。
かくて、統理大徳、ひと方は心やすくなりぬれど、三条院、東宮とまうしける時、つねに仕へたてまつりしことの忘れがたく思えければ、たてまつれりける。
君に人なれな習ひそ奥山に入りての後はわびしかりけり
御返し
忘られず思ひ出でつつ山人をしかぞ恋ひしきわれもながむる
とてたまはりけるに、涙のこぼれけるを、おさへつつ居たりけるほどに、聖聞きて、
「東宮より歌たまはりたらん、仏にやはなるべき。この心にてはいかでか生死を離れんぞ」
と恥ぢしめけり。

第55話 中納言顕基は大納言俊賢の息
中納言顕基は大納言俊賢の息。後一条の御門に時めかし仕へたまひて、若うより司、位につけて恨みなかりけれど、心はこの世のさかえを好まず、深く仏道を願ひ、菩提を望む思ひのみあり。常のことぐさには、かの楽天の詩に、「古墓、何れの世の人。知らず姓と名と。化して路傍の土と為つて、年々春草生ひたり」といふことを口づけたまへり。いといみじき数寄人にて、朝夕琵琶を弾きつつ、「罪なくして罪をかうぶりて、配所の月を見ばや」となむ願はれける。
かの後一条、隠れましましたりける時、歎きたまふさま、ことはりにも過ぎたり。御所のありさまいつしかあらぬことになりて、はてには、火をだにも灯さざりけるを、尋ねたまひければ、
「諸司みな、今の御ことをつとむる間に、つかうまつる人なし」
と聞こえけるに、いとど世の憂さ思ひ知られて、さるべき人、みな御門の御方へまゐりけれど、
「忠臣は二君に仕へず」
と言ひて、つひにまゐらず。
御忌みの中のわざなど、つかうまつりて、やがて家を出でたまふ。その年ごろの上君達、袖をひかへて、別を悲しみけれど、さらにためらふ心なかりけり。
横川に登りて、頭おろして、こもりたまへりけるとき、上東門院より問はせたまひたりければ、
世を捨てて宿を出でにし身なれどもなほ恋ひしきは昔なりけり
とぞ聞こえたまひける。
後には大原に澄みて、二心なく行ひたまひけるを、時の一の人、貴く聞きたまひて、忍びつつ、彼の室に渡りたまひて、対面したまへることありけり。宵より御物語など聞こえて、暁にそよふけて、この世のこと、一言葉も言ひまぜたまはず。いとめでたく貴くおぼされて、導きたまふべきことども、返す返す契り聞こえて、今帰りなんとしたまひける時、
「さても、渡りたまへる、いとかしこまりはべり。俊賢は不覚のものにてはべるなり」
とてなむ、まうしたまひける。
その時は、何とも思ひ分きたまはず。帰りたまひて、このことを案じたまふに、「させるついでもなかりき。よも、わが子のため、悪しきさまのこと言はんとてはのたまはじ。すぐれたることなくとも、見放たず、方人せよとこそはあらめ。世を背くといへども、なほ恩愛は捨てがたきものなれば、思ひ余られたるにこそ」と、あはれにおぼされて、その後、ことにふれつつ引き立て取りまうしたまひければ、みなしごなれど、早く大納言までぞのぼりにける。「美濃の大納言」と聞こゆるは、この君なりけり。
第56話 兵部卿致平親王の御子成信中将と
兵部卿致平親王の御子成信中将と、堀川右大臣の子にて重家の少将と聞こえける人時にとり世にとりて、たぐひなき若人なりければ、照る中将、光る少将とて、同じさまにぞ言はれたまひける。この二人同じ時に心を発して、世を背かんことを言ひ合はせたまふ。心ざしは一つなれど、発心のおこりは異なりけり。
少将は時の一の人の重くわづらひたまひけるに、そのかげに隠れたる人の憂へあるさまを受けとりたまふべき方の、御ゆかりの人の気色などを見たまひけるに、「惜しむもそねむも、心憂き習ひなり」とおぼしけるより、おのづから厭ふこととなりにけり。
中将は斉信、公任、俊賢、行成など聞こえて、いみじかりける人々、陣の座にて、朝のさだめども、折り折り才覚を吐きて、いみじかりけるを立ち聞きて、「司、位は高く昇らんと思はば、身の恥を知らぬにこそありけれ。この人々には、いかにも及ぶべくもあらず。さて、世にありては、いかにかはせん。かの世を願ふべかりけり」と思ひ取りたまひけるなり。
この二人その日と定めて、
「三井寺の慶祚阿闍梨のもとへ行き会はん」
と契りたまへり。重家の君、遅く見えければ、夜に入るまで待ちかねて、「おのづから思ひわづらふことのあるなめり」と本意なくおぼしながら、一人、阿闍梨の室に至りて、
「頭おろさん」
と聞こゆ。
阿闍梨
「あたらしき御様なるのみにあらず、名高くおはするの身なれば、便なくはべりなむ」
とて、いなびまうしければ、あからさまに立ち出づる様にて、みづから髪を切りて、
「かくなむまかりなりたる」
とありける時ぞ、ゆひかひなくて、許し聞こえける。
かくて、暁、帰らんとしたまひける時、露にそぼぬれつつ、重家少将おはしたり。
「いかに、遅は。夜更くるまで待ちたてまつりしかど、もし、ためらひたまふことなどのはべるかとて、先になんつかまつりたる」
とありければ、
「さやうに契り聞こえて、いかでかは日をばたがへはべらん。おとどに暇乞ひたてまつらでは、罪得ぬべく思ひたまへて、ついでをはからひはべりしかば、日をたがへじとて、夜べ元結をば切りはべり」
とてなむ、見せたまひける。
中将は二十三、少将は二十五とぞ。さしもすぐれ、さるべき人だにもあたらしかるべきを、かく同じ心にて、形をやつしたまひつれば、阿闍梨涙を落としつつ、かつは惜しみ、かつはあはれみけり。
この少将まづ元結を切りて、やはらかぶりをして、暗きまぎれに、父の大臣に暇を乞ひたまひければ、おのづからその気色やあらはれたりけん、
「いかに言ふとも、とまるべき様にも見えざりしかば、えとどめずなりにき」
とぞ、のたまひける。
また、多武峰の入道高光少将は兄の一条の摂政の、ことにふれつつあやまり多くおはしけるを見たまひて、「世にあるは恥がましきことにこそ」とて、これより心を発したまひけるとなむ。
人の賢きにつけても、愚なるにつけても、まことの道を願ふ頼りとなりにけんこそ、げにあらまほしくはべれ。
第57話 花園左大臣は御形、心用ゐ、身の才
花園左大臣は御形、心用ゐ、身の才、すべて欠けたることなく、ととのほりたまへる人なり。近き王孫にいます。かかりければ、かくただ人になりたまへることを、人も惜しみたてまつる。わが御心にもおぼし知りて、御喜びなるべきことをも、その気色、人に見せたまふことなかりけり。
もし、つかうまつり人の中に、男も女も、おのづから心よげにうち笑ひなどするをも、
「かかる宿世つたなきあたりにありながら、何ごとの嬉しき」
など、聞き過ぐさず、はしためたまひければ、初春の祝ひごとなどをだに、思ふばかりえ言はぬ習ひにてなむありける。
春は内わたりも、なかなかうるはしければ、身に才あるほどの若き人は、ただこの殿にのみ詣で集まりて、詩歌管絃につけつつ、心をなぐさむることひまなし。上の御兄達はたいます。朝夕といふばかりさぶらひたまひければ、をほいどのなどまうすばかりこそあれ、さるべき色々の御もてなしに変はらず、あかぬことなく見えけれど、すべて身を憂きものに深くおぼし取りて、常には、「物思へる人ぞ」とぞ見えたまひける。
いづれの時にかありけん。京より八幡へ、徒歩より、御束帯にて、七夜まゐりたまふことありけり。別当光清このことを聞きて、大きに御まうけ用意して、御気色したまひけれど、
「このたびはことさらに立ち宿るかたなくて詣でなんと思ふ心ざしあれば、えなん立ち入るまじき」
とて、寄りたまはざりけり。
七夜に満じて、帰りたまひけるに、算豆といふ所において、御望みかなふべきよしの歌たてまつりたれば、返しはしたまはず、
「これ御神のおほせなり」
とて、御袋に納めて、帰さに、乗りたまふ御馬をぞ、鞍置きながらたまはせける。
御供につかうまつる人「いかばかりなる御望みなれば、かく徒歩にて夜を重ねつつ詣でたまふらん」と、ありがたく思えて、「いかにもただごとにはあらじ。大菩薩は現人神とまうす中にも、昔の御門におはします。限りある御氏の、絶えたまひぬること、おほせらるるにや」とまで、おぼつかなく思ひけるに、御幣の役すとて、近くさぶらひけるに聞きければ、忍びつつ、
「臨終正念、往生極楽」
とまうさせたまひけるにぞ、かなしくも、また、めでたくも思えける。
まことに、御門の御位をやむごとなけれど、つひには、刹利も須陀も変はらぬ習ひなれば、往生極楽の常のことにはしかずとなん。
第58話 河内国に、目聖とて、貴き人ありけり
河内国に、目聖とて、貴き人ありけり。
御堂入道殿、法成寺作りたまひて、御供養ありける日、まゐりて拝みけるに、事の儀式、仏前の飾り、まことに心も及ばず。
宇治殿、その時の関白にて、こと行ひておはします。座に肩ならぶべき人もなく、めでたく見えければ、「人界に生れるとならば、一の人こそいみじかりけれ」と、ほどほどののしる。
百司、雲霞のごとく囲繞し、乱声ののしりて、至りたまふ時、「いみじ」と思える関白、ものならず思えて、さきの思ひをあらためて、「いかにも国王にはしかざりけり」と見る間に、金堂に入らせたまひて、仏を拝みたてまつりたまひける時なむ、「なほし、仏ぞ上もなくおはしましける」と思えて、いとど道心を固めたりける。
かの妙荘厳王のたぐひにことならず。いと賢き思ひはかりなるべし。
第59話 ある上人のものへまかりける道に
ある上人のものへまかりける道に、乞児三人ばかり行きつれたりけるが、おのが友、物語するを聞けば、一人が言ふやう
「近江はゆゆしき運者かな。坂のまじらひして、いまだ三年にだに満たぬに、宝鐸許りたるはありがたきことぞかし」
と言へば、今一人がいはく
「それは別の果報の人ぞ。口汚なくて言ふべからず」
と言ふ。
「これを聞きてこそ、わがさまを、仏菩薩のことにふれてはかなく見たまふらんこと、思ひ知られて、あはれに恥しく思えはべりしか」
と語りき。
また、ある人、片田舎に行きて、いやしき家に宿を借りて泊まりけるに、この家の主を見れば、年八十余りにやあらん、頭は雪のごとくして、膚黒く、皺たたみ、目ただれ、口すげうて、腰は二重にかがまりて、立ち居る度に大きに苦しう、「いかにも今日、明日のことにこそ」と、いとほしく思えて、これを勧めて言ふやう、
「なんぢ、老いせまりて、残命、今いくばくかはあらん。行歩もかなはざれば、人にまじるにつけても苦しからん。今は出家うちして、念仏まうして、のどかにゐたれかし。さらば、後世の楽しみもしかるべきのみにあらず、身も安からん」
と言ふ。
翁の言ふやう、
「まことに、今はさやうにこそつかまつるべきを、なるべき司の一つはべるによりて、たえぬ身に、老いの力をはげみて、かくまでつかへはべるなり。われよりも、今三年がこのかみなる翁、上臈にてはべり。かれ、人まねつかまつりなむ後は、必ずその司にまかりなるべければ、それまで待ちはべるなり」
と言ひける。
さやうの者のなる司思ふに、さばかりこそはあるらめ。そのことに執をとめて、「今や、今や」とまぼりをりけん。罪深く、あはれにこそはべれ。
ただし、これらをうち聞けば、愚かなるやうなれど、よく思へば、この世の望み、高きも賤しきも、道同じ。われらがいみじく思ひならはせる司、位も、これを上づ方に並ぶれば、翁が望みにことならず。いはんや、天竺、震旦の国王、大臣のありさまなどは喩へても言ふべからず。
また、ある人いはく、「治承のころ、世の中乱れて、人多く亡び失せはべりし時、敵の方の人を捕へて、頸を斬りに出でまかるとて、ののしりあへるを見れば、ことよろしき者にこそさすがに由ありて見ゆるを、情けなくゆゆしげにして、追ひ立ちて行く。地獄絵に描ける鬼人にことならず。あな心憂。よも、うつつ心あらじと、あはれにいとほしく見ゆるほどに、道に蕀のあるを、踏まじとて、よきて行かんとするを、見る人涙落としていはく、かばかりの目を見て、今いく時あるべき身なれば、蕀を踏まじと思ふらんと、はかなく悲しみあへり」
これまた、人の上かは。われ世の末に及びて、命短く果報つたなき時、わづかに人界に生れたりといへども、二仏の中間闇深く、闘諍堅固の恐れはなはだし。ひま行く駒、早く移り、羊の歩み、屠所に近付けば、終はり今日とも知らず、明日とも知らず。何の他念かはあるべき。立ちても居ても、煩悩の敵のために繋縛せられたることを悲しみ、寝ても覚めても、無常の剣のたちまちに命を絶たむこと、恐るべきぞかし。
しかるを、むなしく塵灰となるべき限りの身を思ふとて、露の間の貴賤を憂へ、心を悩まし、名利をわしる。ただ、かの蕀をよきけむ人とこそ思えはべれ。
大方、ひを虫の朝に生れて、夕べに死ぬる習ひも、必ず、みなこれわが身の上にあり。天の中に命短き四天王天を聞けば、この世の五十年をもつて一日一夜とせり。わが国の、命長しといふ人、わづかに、この天の一日二日にこそは当るらめ。いはんや、上ざまの天に比ぶれば、ただ時の間といふべし。かかればとて、いづこかは、われらがひを虫を思へるに異なる。
もろもろのこと、かくのごとく言はば、とてもかくてもありぬべきこの世なり。ただ、かの、「夢の中の有無は有無ともに無なり。まどひの前の是非は是非ともに非なり」と言へるが、めでたきことはりにてはべるなり。
されば、禅仁といふ三井寺の名僧の法印になりたりける時、人喜び言ひたりける返りごとは「かの六欲四禅の王位に見えたる所なり。この小国辺鄙の位、なんぞ愛するに足らん」とこそ言ひたりけれ。智恵はなほかしこきものなり。
大方、凡夫の習ひ、いやしくつたなきことも、身の上をば知らず。このゆゑに、乞食かたゐ、名聞を具せり。めでたく、やむごとなきこととても、また、わが分に過ぎぬれば、望む心なし。民の王宮を願はざるがごとし。
今、これを思ひとくには、濁れる末の世の人、極楽を願はぬは極めたることはりなり。かの国のありさま、衆生の楽しみ、ことにつけ、ものにふれて、何かはわれらが分になずらへたる。みな、心も言葉も及ばぬことどもぞかし。
しかあれば、もし、悲願を聞きて、信をもおこし、いささか望む心もあらむ人はこの世一つのことにあらず。生々世々に勤めたりける余波として、いかにも近付けることと、頼もしく思ふべきなり。
第60話 近き世のことにや、年はたかくて
近き世のことにや、年はたかくて、貧しくわりなき男ありけり。司などあるものなりけれど、出でつかふるたつきもなし。さすがに古めかしき心にて、あやしき振舞ひなどは思ひよらず、世執なきにもあらねば、また、「頭おろさん」と思ふ心もなかりけり。常には居所もなくて、古き堂の破れたるにぞやどりたりける。
つくづくと年月送る間に、朝夕するわざとては、人に紙反故など乞ひ集め、いくらも差図を描きて、家作るべきあらましをす。「寝殿はしかじか。門は何か」となど、これを思ひはからひつつ、尽きせぬあらましに心をなぐさめて過ぎければ、見聞く人はいみじきことのためしになん言ひける。
まことにあるまじきことをたくみたるははかなけれど、よくよく思へば、この世の楽しみには、心をなぐさむるにしかず。一二町を作り満てたる家とても、これを「いし」と思ひならはせる人目こそあれ、まことには、わが身の起き臥す所は一二間に過ぎず。そのほかはみな、親しき疎き人の居所のため、もしは、野山に住むべき牛馬の料をさへ作りおくにはあらずや。
かくよしなきことに身を煩はし、心を苦しめて、百千年あらんために、材木を選び、檜皮、瓦を玉、鏡と磨きたてて、何のせんかはある。主の命あだなれば、住むこと久しからず。あるいは他人の栖となり、あるいは風に破れ、雨に朽ちぬ。いはんや、一度火事出で来ぬる時、年月の営み、片時の間に雲煙となりぬるをや。
しかあるを、かの男があらましの家は走り求め、作り磨く煩ひもなし。雨風にも破れず、火災の恐れもなし。なす所はわづかに一紙なれど、心をやどすに不足なし。
龍樹菩薩のたまひけることあり、「富めりといへども、願ふ心やまねば、貧しき人とす。貧しけれども、求むることなければ、富めりとす」とはべり。書写の聖書きとめたる言葉に、「臂をかがめて枕とす。楽しみ、その中にあり、何によりて、さらに浮雲の栄耀を求めん」とはべり。また、あるものには、「唐に一人の琴の師あり。緒なき琴を間近く置きて、しばしも傍を放たず。人、怪しみて、ゆゑを問ひければ、われ琴を見るに、その曲心に浮べり。そのゆゑに、同じけれども、心をなぐさむることは、弾ずるに異ならずとなん言ひける」
かかれば、なかなか目の前に作り営む人はよそ目こそ、「あな、ゆゆし」と見ゆれど、心には、なほ足らぬこと多からん。かの面影栖、ことにふれて徳多かるべし。
ただし、このこと、世間の営みに並ぶる時は、かしこげなれど、よく思ひとくには、天上の楽しみ、なほ終はりあり。壺の内の栖、いと心ならず。いはんや、よしなくあらましに、むなしく一期を尽さんよりも、願はば必ず得つべき、安養世界の快楽、不退なる宮殿、楼閣を望めかし。
はかなかりける希望なるべし。
第61話 昔、大安寺に、栄好といふ僧ありけり
昔、大安寺に、栄好といふ僧ありけり。身は貧しくて、老いたる母を持ちたりければ、寺の中にすゑ置きて、形のごとく命つぐほどのことをなんしけり。
七大寺の習ひにて、居たる僧の室に煙立つることなし。外にて飯をして、車に積みつつ、朝夕ごとに僧坊の前より渡して配れば、栄好これを受けて、四つに分けて、一つをば母にたてまつり、一つをば乞食に取らせ、一つをばみづから食ふ。一つをば、ただ一人使ふ童が料に当てたり。まづ、母に与へて、まゐる由を聞きて後、みづからは食ふ習ひにて、年ごろの次第をたがへず。
この栄好が房の傍らに、垣を一つ隔て、勤操といふ人住みけり。同心に相ひたのみたる人にて、年ごろ、このことをありがたく見聞くほどに、ある時、壁を隔てて聞けば、栄好が小童、忍びつつ泣く声あり。勤操怪しく思ひて、童を呼びて、
「何ごとによりて泣くぞ」
と問ふ。答へて云ふやう、
「わが師、今朝、にはかに命終はりたまひぬれば、おのれ一人して、葬りおさめたてまつらんこと、思ひやる方なくてはべる上に、母の尼上、また、いかにして命つぎたまはんずらんと、悲しくはべるなり」
と言ふ。
勤操これを聞きて、あはれに悲しきこと限りなし。なぐさめ言ふやう、
「なんぢ、いたく歎くべからず。葬らんことは、われもろともに今宵の中にとかくしてんず。また、母をば、われ亡者にかはりて、わが分を分けて養はん」
と言ふ。小童これを聞きて、悲しみの中に限りなく思えて、涙をのごひつつ、さりげなき様にもてなせり。
勤操わが分、分かちて、栄好が送るやうにて、童に持たせて、母のもとへ送る。母このことを思ひよらぬ気色を見るにつけても、涙のみこぼるるを、とかくまぎらかしつつ、もの言はずして、さし置きて帰りぬ。暮れぬれば、夜半ばかりに、勤操と童と二人して、栄好を持ちて、深き山に送り置きつ。
母の尼公さきざきに変れることもなければ、わが子の失せたりしとも知らずして、月日を送るほどに、勤操がもとに客人来て、酒など飲むことありけり。何となくまぎれて、さきざき飯送る時過ぎにけれど、親子の間ならねば憚りにて、童言ひ出ださず。
やや久しくありて後、送りたるに、母の尼公言ふやう、
「など、例よりは遅かりつるぞ。年老いぬる身は胸しはり、心地たがひて、例にも似ず思ゆるなり」
と言ふを聞きて、この童言ふかひなく涙落として、忍ぶとすれど、声も惜しまず泣き居たり。
母心も得ず思えて、なほなほ強ひ問ふに、つひに隠すべきことならねば、事のありさま、初めより語る。
「やがてもまうすべかりしかども、年たけたる御身には、もし、歎きに堪へず、引き入りたまふこともぞはべるとて、今までまうさざりつるなり。このめし物をば、子御坊の同法のおはするが、ありしやうを問ひ聞きて、失せたまひし日より、わが分を分ちたてまつらるるなり。今日、客人の来たりて、酒などまゐりつるほどに、心ならず日たけてはべるなり。されど、御子ならばこそは、いかにもとも勧めん。さすがに憚り思ひたまひて」
など、言ひやらず泣く。
母聞くままに倒れ伏して、泣き悲しみていはく、
「わが子ははかなく失せたまひにしを、知らずしてはべるにや。来たる夕べにや見ゆると待ちけるこそ、いとはかなけれ。今日の食ひ物の遅かりつるを、あやしめざらましかば、わが子のありなしも知らまじ」
と言ひて、たちまちに絶え入りぬ。
また、勤操これを聞きて、岩淵寺といふ山寺にて、葬り進めて、七日七日には鉢をまうけて法華経を説き、もろもろの衆に言ひ合はせつつ、四十九日法事にて、懈怠なくなんつとめける。
その後、年に一度の忌日ごとに、同法八人、力を合はせて、「同法八講」と名付けて、延暦十五年より始めたりけるを、「岩淵寺の八講」と名付けたり。八講のおこりこれよりはじめて、所々に行ふこと、今に絶えず。
さて、勤操は、おほやけのわたくし、貴き聞こえありければ、失せて後、僧正の司なん送りたまはりける。
第62話 山に、正算僧都といふ人ありけり
山に、正算僧都といふ人ありけり。わが身、いみじく貧しくて、西塔の大林といふ所に住みけるころ、歳の暮れ、雪深く降りて、問ふ人もなく、ひたすら煙絶えたる時ありけり。京に母なる人あれど、たえだえしき様なれば、なかなか心苦しうて、「ことさら、このありさまをば聞かれじ」と思へりけるを、雪の中の心細さをや推し量りけん、もしまた、ことの便りにや漏れ聞こえけん、ねんごろなる消息あり。都だに跡たえたる雪の中に、雪深き峰の住居の心細さなど、常よりも細やかにて、いささかなる物を送りつかはされけり。
思ひ寄らざるほどに、いとありがたく、あはれに思ゆる中にも、この使ひの男のいと寒げに、深き雪を分け来たるがいとほしければ、まづ火などたきて、この持ち来たる物して食はす。
今食はんとするほどに、箸うち立て、はらはらと涙を落として、食はずなりぬるを、いとあやしくて、ゆゑを問ふ。答へて言ふやう、
「このたてまつりたまへる物はなほざりにて出来たる物にてもはべらず。方々尋ねられつれどもかなはで、母御前のみづから御ぐしの下を切りて、人にたびて、その替りをわりなくしてたてまつりたまへるなり。ただ今、これを食べむとつかまつるに、かの御志の深きあはれさを思ひ出でて、下臈にてははべれど、いと悲しうて、胸ふたがりて、いかにも喉へ入りはべらぬなり」
と言ふ。
これを聞きて、おろそかに思へんやは。やや久しく涙流しける。
すべて、あはれみの深きこと、母の思ひに過ぎたるはなし。愚なる鳥獣までも、その慈悲をば具したり。田舎の者の語りはべりしは「雉の子を生みて暖むる時、野火にあひぬれば、一たびは驚きて立ちぬれど、なほ捨てがたさのあまりにや、煙の中に返り入りて、つひに焼け死ぬるためし多かり」とぞ。
また、鶏の子を暖むる様は誰も見ることぞかし。毛のへだたりたるをあかず思ふにや。みづから胸の毛を食ひ抜きて、膚につけて、終日これを暖む。もの食まむために、おのづから立ち去りても、「かれが冷めぬほどに」と急ぎ帰り来るはおぼろげの志とは見えず。
また、そのかみ、古郷わたりに、思ひの外に世を遁れたる人ありき。「ことのおこりは鷹を好み飼ひける時、その餌に飼はむとて、犬を殺しけるに、はらみたる犬の腹の皮を射切りたるより、子の一つ二つこぼれ落ちけるを、走りて逃ぐる犬の、たちまちに立ち帰りて、その子をくはへて行かんとして、やがて倒れて、死にたりけるを見て、発心せり」とぞ。語りはべりし。鳥獣の情けなきだに子のためには、かく身にもかへてあはれみ深し。
いはんや、人の親の腹の内にやどるより、人となるまで、念々にあはれぶ志、たとひ、命を捨てて孝すとも、報ひ尽さんこと、かたくこそ。

