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『源氏物語』第7帖「紅葉賀」原文全文

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出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」国貞『源氏香の図』

 このページでは、『源氏物語』第7帖「紅葉賀」の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『源氏物語』第7帖「紅葉賀」現代語訳全文をご覧ください。

目次

朱雀院の行幸は

 朱雀院すざくゐんの行幸ぎゃうがうは、神無月かむなづきの十日とをかあまりなり。世よの常つねならず、おもしろかるべきたびのことなりければ、御方々おほんかたがた、物見ものみたまはぬことを口惜くちをしがりたまふ。上うへも、藤壺ふぢつぼの見みたまはざらむを飽あかずおぼさるれば、試楽しがくを御前おまへにてせさせたまふ。

 源氏げんじ中将ちうじゃうは、青海波せいがいはをぞ舞まひたまひける。片手かたてには大殿おほとのの頭中将とうのちうじゃう。かたち、用意ようい、人ひとにはことなるを、立たち並ならびてはなほ花はなのかたはらの深山木みやまぎなり。入いり方かたの日影ひかげさやかにさしたるに、楽がくの声こゑまさり、もののおもしろきほどに、同おなじ舞まの足踏あしぶみ、おももち、世よに見みえぬさまなり。詠えいなどしたまへるは、「これや仏ほとけの御おほん迦陵頻伽かれうびんがの声こゑならむ」と聞きこゆ。おもしろくあはれなるに、帝みかど涙なみだを拭のごひたまひ、上達部かむだちめ、親王みこたちもみな泣なきたまひぬ。詠えい果はてて、袖そでうちなほしたまへるに、待まちとりたる楽がくのにぎははしきに、顔かほの色いろあひまさりて、常つねよりも光ひかると見みえたまふ。

 春宮とうぐうの女御にょうご、かくめでたきにつけてもただならずおぼして、

「神かみなど空そらにめでつべきかたちかな。うたてゆゆし」

 とのたまふを、若わかき女房にょうばうなどは心憂こころうしと耳みみとどめけり。藤壺ふぢつぼは、「おほけなき心こころのなからましかば、ましてめでたく見みえまし」とおぼすに、夢ゆめの心地ここちなむしたまひける。

 宮みやは、やがて御宿直おほんとのゐなりける。

「今日けふの試楽しがくは、青海波せいがいはにことみな尽つきぬな。いかが見みたまひつる」

 と、聞きこえたまへば、あいなう御おほんいらへ聞きこえにくくて、

「ことにはべりつ」

 とばかり聞きこえたまふ。

「片手かたてもけしうはあらずこそ見みえつれ。舞まのさま手てづかひなむ家いへの子こはことなる。この世よに名なを得えたる舞まの男をとこどもも、げにいとかしこけれど、ここしうなまめいたる筋すぢをえなむ見みせぬ。試こころみの日ひかく尽つくしつれば、紅葉もみぢの蔭かげやさうざうしくと思おもへど、見みせたてまつらんの心こころにて、用意よういせさせつる」

 など聞きこえたまふ。

つとめて、中将君

 つとめて、中将ちうじゃう君きみ、

「いかに御覧ごらんじけむ。世よに知しらぬ乱みだり心地ここちながらこそ。

もの思おもふに立たち舞まふべくもあらぬ身みの袖そでうち振ふりし心こころ知しりきや

あなかしこ」

 とある御返おほんかへり、目めもあやなりし御おほんさまかたちに、見みたまひ忍しのばれずやありけむ、

「唐人からひとの袖そで振ふることは遠とほけれど立たち居ゐにつけてあはれとは見みき

大方おほかたには」

 とあるを、限かぎりなうめづらしう、「かやうの方かたさへたどたどしからず、ひとの朝廷みかどまで思おもほしやれる御后おほんきさき言葉ことばのかねても」とほほ笑ゑまれて、持経ぢきゃうのやうに引ひきひろげて見みゐたまへり。

行幸には、親王たちなど

 行幸ぎゃうがうには、親王みこたちなど世よに残のこる人ひとなく仕つかうまつりたまへり。春宮とうぐうもおはします。例れいの、楽がくの舟ふねども漕こぎめぐりて、唐土もろこし、高麗こまと尽つくしたる舞まども、種くさ多おほかり。楽がくの声こゑ、鼓つづみの音おと、世よを響ひびかす。

 一日ひとひの源氏げんじの御夕影おほんゆふかげゆゆしうおぼされて、御誦経みずきゃうなど所々ところどころにせさせたまふを、聞きく人ひともことわりとあはれがり聞きこゆるに、春宮とうぐうの女御にょうごは、「あながちなり」と憎にくみ聞きこえたまふ。垣代かいしろなど、殿上人てんじゃうびと、地下ぢげも、心こころことなりと世よ人ひとに思おもはれたる有職いうそくの限かぎり調ととのへさせたまへり。宰相さいしゃう二人ふたり、左衛門督さゑもんのかみ、右衛門督うゑもんのかみ、左右ひだりみぎの楽がくのこと行おこなふ。舞まの師しどもなど、世よになべてならぬを取とりつつ、おのおの籠こもりゐてなむ習ならひける。

 木高こだかき紅葉もみぢの蔭かげに、四十人よそびとの垣代かいしろ、言いひ知しらず吹ふき立たてたる物ものの音ねどもにあひたる松風まつかぜ、まことの深山みやまおろしと聞きこえて吹ふきまよひ、色々いろいろに散ちり交かふ木この葉はの中なかより、青海波せいがいはのかかやき出いでたるさま、いと恐おそろしきまで見みゆ。かざしの紅葉もみぢいたう散ちり過すぎて、顔かほのにほひにけおされたる心地ここちすれば、御前おまへなる菊きくを折をりて、左大将さだいしゃうさしかへたまふ。日暮ひくれかかるほどに、けしきばかりうちしぐれて、空そらのけしきさへ見知みしり顔がほなるに、さるいみじき姿すがたに菊きくの色々いろいろ移うつろひ、えならぬをかざして、今日けふはまたなき手てを尽つくしたる入綾いりあやのほど、そぞろ寒さむく、この世よのことともおぼえず。もの見知みしるまじき下人しもびとなどの、木このもと、岩隠いはがくれ、山やまの木この葉はに埋うづもれたるさへ、すこしものの心こころ知しるは涙なみだ落おとしけり。

 承香殿しょうきゃうでんの御おほん腹はらの四しの御子みこ、まだ童わらはにて、秋風楽しうふうらく舞まひたまへるなむ、さしつぎの見物みものなりける。これらにおもしろさの尽つきにければ、他事ことごとに目めも移うつらず、かへりてはことざましにやありけむ。その夜よ、源氏げんじ中将ちうじゃう、正三位じゃうざむゐしたまふ。頭中将とうのちうじゃう、正下じゃうげの加階かかいしたまふ。上達部かむだちめは、みなさるべき限かぎりよろこびしたまふも、この君きみに引ひかれたまへるなれば、人ひとの目めをもおどろかし、心こころをもよろこばせたまふ、昔むかしの世よゆかしげなり。

宮は、そのころまかでたまひぬれば

 宮みやは、そのころまかでたまひぬれば、例れいの、ひまもや、とうかがひありきたまふをことにて、大殿おほいどのには騒さわがれたまふ。いとどかの若草わかくさ尋たづねとりたまひてしを、

「二条院にでうのゐんには人ひと迎むかへたまふなり」

 と人ひとの聞きこえければ、いと心こころづきなしと思おもいたり。「うちうちのありさまは知しりたまはず、さもおぼさむはことわりなれど、心こころうつくしく、例れいの人ひとのやうに怨うらみのたまはば、我われもうらなくうち語かたりて、慰なぐさめきこえてんものを、思おもはずにのみとりないたまふ心こころづきなさに、さもあるまじきすさびごとも出いで来くるぞかし。人ひとの御おほんありさまの、かたほにそのことの飽あかぬとおぼゆる疵きずもなし。人ひとより先さきに見みたてまつりそめてしかば、あはれにやむごとなく思おもひきこゆる心こころをも、知しりたまはぬほどこそあらめ、つひにはおぼしなほされなむ」と、おだしく軽々かるがるしからぬ御心みこころのほども、おのづからと頼たのまるる方かたはことなりけり。

幼き人は、見ついたまふままに

 幼をさなき人ひとは、見みついたまふままに、いとよき心こころざま、かたちにて、何心なにごころもなくむつれまとはしきこえたまふ。「しばし殿とのの内うちの人ひとにも誰たれと知しらせじ」とおぼして、なほ離はなれたる対たいに御おほんしつらひ二になくして、我われも明あけ暮くれ入いりおはして、よろづの御事おほんことどもを教をしへきこえたまひ、手本てほん書かきて習ならはせなどしつつ、ただほかなりける御おほんむすめを迎むかへたまへらむやうにぞおぼしたる。政所まむどころ、家司けいしなどをはじめ、ことに分わかちて心こころもとなからず仕つかうまつらせたまふ。惟光これみつよりほかの人ひとは、おぼつかなくのみ思おもひきこえたり。かの父宮ちちみやもえ知しりきこえたまはざりけり。

 姫君ひめぎみは、なほ時々ときどき思おもひ出いできこえたまふ時とき、尼君あまぎみを恋こひきこえたまふ折をり多おほかり。君きみのおはするほどは紛まぎらはしたまふを、夜よなどは、時々ときどきこそ泊とまりたまへ、ここかしこの御暇おほんいとまなくて、暮くるれば出いでたまふを、慕したひきこえたまふ折をりなどあるを、いとらうたく思おもひきこえたまへり。二に、三日さんにち内裏うちにさぶらひ、大殿おほとのにもおはする折をりは、いといたく屈くしなどしたまへば、心苦こころぐるしうて、母ははなき子こ持もたらむ心地ここちして、歩ありきも静心しづごころなくおぼえたまふ。僧都そうづはかくなむと聞ききたまひて、あやしきものからうれしとなむ思おもほしける。かの御法事おほんほふじなどしたまふにも、いかめしうとぶらひきこえたまへり。

藤壺のまかでたまへる三条の宮に

 藤壺ふぢつぼのまかでたまへる三条さんでうの宮みやに、御おほんありさまもゆかしうて参まゐりたまへれば、命婦みゃうぶ、中納言ちうなごんの君きみ、中務なかつかさなどやうの人々ひとびと対面たいめんしたり。「けざやかにももてなしたまふかな」と、やすからず思おもへど、静しづめて、大方おほかたの御物語おほんものがたり聞きこえたまふほどに、兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみや参まゐりたまへり。

 この君きみおはすと聞ききたまひて対面たいめんしたまへり。いとよしあるさまして、色いろめかしうなよびたまへるを、女をんなにて見みむはをかしかりぬべく、人ひと知しれず見みたてまつりたまふにも、かたがたむつましくおぼえたまひて、こまやかに御物語おほんものがたりなど聞きこえたまふ。宮みやも、この御おほんさまの常つねよりことになつかしううちとけたまへるを、いとめでたしと見みたてまつりたまひて、婿むこになどはおぼし寄よらで、女をんなにて見みばやと色いろめきたる御心みこころには思おもほす。

 暮くれぬれば、御簾みすの内うちに入いりたまふを、うらやましく、昔むかしは上うへの御おほんもてなしに、いとけ近ちかく、人ひとづてならでものをも聞きこえたまひしを、こよなう疎うとみたまへるも、つらうおぼゆるぞわりなきや。

「しばしばもさぶらふべけれど、ことぞとはべらぬほどは、おのづからおこたりはべるを、さるべきことなどは、仰おほせ言いもはべらむこそうれしく」

 など、すくすくしうて出いでたまひぬ。命婦みゃうぶもたばかりきこえむ方かたなく、宮みやの御おほんけしきも、ありしよりはいとど憂うきふしにおぼしおきて、心こころとけぬ御おほんけしきも恥はづかしくいとほしければ、何なにのしるしもなくて過すぎゆく。「はかなの契ちぎりや」とおぼし乱みだるること、かたみに尽つきせず。

少納言は、おぼえずをかしき世を

 少納言せうなごんは、「おぼえずをかしき世よを見みるかな。これも故こ尼上あまうへの、この御事おほんことをおぼして、御おほん行おこなひにも祈いのりきこえたまひし仏ほとけの御おほんしるしにや」とおぼゆ。「大殿おほいどのいとやむごとなくておはします。ここかしこあまたかかづらひたまふをぞ、まことにおとなびたまはむほどは、むつかしきこともや」とおぼえける。されど、かくとりわきたまへる御おほんおぼえの程ほどは、いと頼たのもしげなりかし。御服おほんぶく、母方ははかたは三月みつきこそはとて、つごもりには脱ぬがせたてまつりたまふを、また親おやもなくて生おひ出いでたまひしかば、まばゆき色いろにはあらで、紅くれなゐ、紫むらさき、山吹やまぶきの地ぢの限かぎり織おれる御小袿おほんこうちきなどを着きたまへるさま、いみじういまめかしくをかしげなり。

男君は、朝拝に参りたまふとて

 男君をとこぎみは、朝拝てうはいに参まゐりたまふとて、さしのぞきたまへり。

「今日けふよりは、大人おとなしくなりたまへりや」

 とてうち笑ゑみたまへる、いとめでたう愛敬あいぎゃうづきたまへり。いつしか雛ひひなをし据すゑて、そそきゐたまへる。三尺さんじゃくの御厨子みづし一ひとよろひに、品々しなじなしつらひ据すゑて、また小ちひさき屋やども作つくり集あつめてたてまつりたまへるを、ところせきまで遊あそびひろげたまへり。

「儺なやらふとて、犬君いぬきがこれをこぼちはべりにければ、つくろひはべるぞ」

 とて、いと大おほ事ことと思おもいたり。

「げに、いと心こころなき人ひとのしわざにもはべなるかな。いまつくろはせはべらむ。今日けふは言い忌いして、な泣ないたまひそ」

 とて、出いでたまふけしき、所ところせきを、人々ひとびと端はしに出いでて見みたてまつれば、姫君ひめぎみも立たち出いでて見みたてまつりたまひて、雛ひひなのなかの源氏げんじの君きみつくろひたてて、内裏うちに参まゐらせなどしたまふ。

「今いま年としだにすこしおとなびさせたまへ。十とをにあまりぬる人ひとは、雛ひひな遊あそびは忌いみはべるものを。かく御おほん夫をとこなどまうけたてまつりたまひては、あるべかしうしめやかにてこそ、見みえたてまつらせたまはめ。御髪みぐし参まゐるほどをだに、もの憂うくせさせたまふ」

 など、少納言せうなごん聞きこゆ。御遊おほんあそびにのみ心こころ入いれたまへれば、恥はづかしと思おもはせたてまつらむとて言いへば、心こころのうちに、「我われはさは夫をとこまうけてけり。この人々ひとびとの夫をとことてあるは、醜みにくくこそあれ。我われはかくをかしげに若わかき人ひとをも持もたりけるかな」と、今いまぞ思おもほし知しりける。さはいへど、御年おほんとしの数かず添そふしるしなめりかし。かく幼をさなき御おほんけはひの、ことに触ふれてしるければ、殿とののうちの人々ひとびともあやしと思おもひけれど、いとかう世よづかぬ御おほん添臥そひぶしならむとは思おもはざりけり。

内裏より大殿にまかでたまへれば

 内裏うちより大殿おほいどのにまかでたまへれば、例れいのうるはしうよそほしき御おほんさまにて、心こころうつくしき御おほんけしきもなく苦くるしければ、

「今いま年としよりだに、すこし世よづきてあらためたまふ御心みこころ見みえば、いかにうれしからむ」

 など聞きこえたまへど、「わざと人ひと据すゑてかしづきたまふ」と聞ききたまひしよりは、「やむごとなくおぼし定さだめたることにこそは」と心こころのみ置おかれて、いとど疎うとく恥はづかしくおぼさるべし。しひて見知みしらぬやうにもてなして、乱みだれたる御おほんけはひには、えしも心強こころづよからず、御おほんいらへなどうち聞きこえたまへるは、なほ人ひとよりはいとことなり。

 四年よとせばかりがこのかみにおはすれば、うち過すぐし、恥はづかしげに、盛さかりにととのほりて見みえたまふ。「何なに事ことかはこの人ひとの飽あかぬ所ところはものしたまふ。我わが心こころのあまりけしからぬすさびに、かく怨うらみられたてまつるぞかし」と、おぼし知しらる。同おなじ大臣おとどと聞きこゆるなかにも、おぼえやむごとなくおはするが、宮腹みやばらに一ひと人ひといつきかしづきたまふ御心みこころおごりいとこよなくて、「すこしもおろかなるをば、めざまし」と思おもひきこえたまへるを、男君をとこぎみは、「などかいとさしも」と、ならはいたまふ、御心みこころの隔へだてどもなるべし。

 大臣おとども、かく頼たのもしげなき御心みこころを、つらしと思おもひきこえたまひながら、見みたてまつりたまふ時ときは、恨うらみも忘わすれてかしづきいとなみきこえたまふ。つとめて、出いでたまふ所ところにさしのぞきたまひて、御装束おほんさうぞくしたまふに、名な高たかき御帯おほんおび、御手おほんてづから持もたせて渡わたりたまひて、御衣おほんぞのうしろひきつくろひなど、御おほん沓くつを取とらぬばかりにしたまふ、いとあはれなり。

「これは、内宴ないえむなどいふこともはべるなるを、さやうの折をりにこそ」

 など聞きこえたまへば、

「それはまされるもはべり。これはただ目馴めなれぬさまなればなむ」

 とて、しひてささせたてまつりたまふ。げに、よろづにかしづき立たてて見みたてまつりたまふに、生おけるかひあり、たまさかにても、かからむ人ひとを出いだし入いれて見みみんにますことあらじ、と見みえたまふ。

参座しにとても

 参座さむざしにとても、あまた所ところも歩ありきたまはず、内裏うち、春宮とうぐう、一院いちのゐんばかり、さては、藤壺ふぢつぼの三条さんでうの宮みやにぞ参まゐりたまへる。

「今日けふはまたことにも見みえたまふかな。ねびたまふままに、ゆゆしきまでなりまさりたまふ御おほんありさまかな」

 と、人々ひとびとめできこゆるを、宮みや、几帳きちゃうの隙ひまよりほの見みたまふにつけても、思おもほすことしげかりけり。

 この御事おほんことの、師走しはすも過すぎにしが心こころもとなきに、この月つきはさりともと宮人みやびとも待まちきこえ、内裏うちにもさる御心みこころまうけどもあり、つれなくて立たちぬ。御おほんもののけにやと世よ人ひとも聞きこえ騒さわぐを、宮みや、いとわびしう、「このことにより、身みのいたづらになりぬべきこと」とおぼし嘆なげくに、御心地みここちもいと苦くるしくて悩なやみたまふ。

 中将ちうじゃう君きみは、いとど思おもひあはせて、御修法みすほふなど、さとはなくて所々ところどころにせさせたまふ。世よの中なかの定さだめなきにつけても、かくはかなくてや止やみなむと、取とり集あつめて嘆なげきたまふに、二月きさらぎ十余日じふよにちのほどに、男をとこ御子みこ生おまれたまひぬれば、名残なごりなく内裏うちにも宮人みやびとも喜よろこびきこえたまふ。

 命いのち長ながくもと思おもほすは心憂こころうけれど、弘徽殿こきでんなどのうけはしげにのたまふと聞ききしを、むなしく聞ききなしたまはましかば、人ひと笑わらはれにやとおぼし強つよりてなむ、やうやうすこしづつさはやいたまひける。

 上うへの、いつしかとゆかしげにおぼし召めしたること限かぎりなし。かの人ひと知しれぬ御心みこころにも、いみじう心こころもとなくて、人間ひとまに参まゐりたまひて、

「上うへのおぼつかながりきこえさせたまふを、まづ見みたてまつりて詳くはしく奏そうしはべらむ」

 と聞きこえたまへど、

「むつかしげなるほどなれば」

 とて、見みせたてまつりたまはぬもことわりなり。さるは、いとあさましう、めづらかなるまで写うつし取とりたまへるさま、違たがふべくもあらず。宮みやの、御心みこころの鬼おににいと苦くるしく、「人ひとの見みたてまつるも、あやしかりつるほどのあやまりを、まさに人ひとの思おもひ咎とがめじや。さらぬはかなきことをだに、疵きずを求もとむる世よに、いかなる名なのつひに漏もり出いづべきにか」とおぼしつづくるに、身みのみぞいと心憂こころうき。

 命婦みゃうぶの君きみに、たまさかに逢あひたまひて、いみじき言いどもを尽つくしたまへど、何なにのかひあるべきにもあらず。若宮わかみやの御事おほんことを、わりなくおぼつかながりきこえたまへば、

「など、かうしもあながちにのたまはすらむ。今いまおのづから見みたてまつらせたまひてむ」

 と聞きこえながら、思おもへるけしきかたみにただならず。かたはらいたきことなれば、まほにもえのたまはで、

「いかならむ世よに、人ひとづてならで聞きこえさせむ」

 とて、泣ないたまふさまぞ、心苦こころぐるしき。

「いかさまに昔むかし結むすべる契ちぎりにてこの世よにかかるなかの隔へだてぞ

かかることこそ心こころ得えがたけれ」

 とのたまふ。

 命婦みゃうぶも、宮みやの思おもほしたるさまなどを見みたてまつるに、えはしたなうもさし放はなちきこえず。

「見みても思おもふ見みぬはたいかに嘆なげくらむこや世よの人ひとのまどふてふ闇やみ

あはれに心こころゆるびなき御おほんことどもかな」

 と、忍しのびて聞きこえけり。

 かくのみ言いひやる方かたなくて、帰かへりたまふものから人ひとのもの言いひもわづらはしきを、わりなきことにのたまはせおぼして、命婦みゃうぶをも、昔むかしおぼいたりしやうにも、うちとけむつびたまはず。人目ひとめ立たつまじく、なだらかにもてなしたまふものから、心こころづきなしとおぼす時ときもあるべきを、いとわびしく思おもひのほかなる心地ここちすべし。

四月に内裏へ参りたまふ

 四月うづきに内裏うちへ参まゐりたまふ。ほどよりは大おほきにおよすけたまひて、やうやう起おき返かへりなどしたまふ。あさましきまで、紛まぎれどころなき御顔おほんかほつきを、おぼし寄よらぬことにしあれば、「またならびなきどちは、げに通かよひたまへるにこそは」と思おもほしけり。いみじう思おもほしかしづくこと限かぎりなし。源氏げんじの君きみを限かぎりなきものにおぼし召めしながら、世よの人ひとのゆるしきこゆまじかりしによりて、坊ばうにも据すゑたてまつらずなりにしを、飽あかず口惜くちをしう、ただ人ひとにてかたじけなき御おほんありさま、かたちに、ねびもておはするを御覧ごらんずるままに、心苦こころぐるしくおぼし召めすを、「かうやむごとなき御おほん腹はらに、同おなじ光ひかりにてさし出いでたまへれば、疵きずなき玉たま」とおぼしかしづくに、宮みやはいかなるにつけても、胸むねのひまなく、やすからずものを思おもほす。

 例れいの、中将ちうじゃうの君きみ、こなたにて御遊おほんあそびなどしたまふに、抱いだき出いでたてまつらせたまひて、

「御子みこたちあまたあれど、そこをのみなむかかる程ほどより明あけ暮くれ見みし。されば思おもひわたさるるにやあらむ、いとよくこそおぼえたれ。いと小ちひさきほどは、みなかくのみあるわざにやあらむ」

 とて、いみじくうつくしと思おもひきこえさせたまへり。

 中将ちうじゃうの君きみ、面おもての色いろ変かはる心地ここちして、恐おそろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、かたがた移うつろふ心地ここちして、涙なみだ落おちぬべし。物もの語かたりなどして、うち笑ゑみたまへるが、いとゆゆしううつくしきに、我わが身みながら、これに似にたらむはいみじういたはしうおぼえたまふぞ、あながちなるや。宮みやは、わりなくかたはらいたきに、汗あせも流ながれてぞおはしける。中将ちうじゃうは、なかなかなる心地ここちの乱みだるやうなれば、まかでたまひぬ。

 わが御おほんかたに臥ふしたまひて、胸むねのやるかたなきほど過すぐして、大殿おほいどのへとおぼす。御前おまへの前栽せんざいの、何なにとなく青あをみわたれるなかに、常夏とこなつのはなやかに咲さき出いでたるを折をらせたまひて、命婦みゃうぶの君きみのもとに書かきたまふこと多おほかるべし。

「よそへつつ見みるに心こころはなぐさまで露つゆけさまさる撫子なでしこの花はな

花はなに咲さかなんと思おもひたまへしも、かひなき世よにはべりければ」

 とあり。さりぬべき隙ひまにやありけむ、御覧ごらんぜさせて、

「ただ塵ちりばかり、この花はなびらに」

 と聞きこゆるを、わが御心みこころにも、ものいとあはれにおぼし知しらるるほどにて、

「袖そで濡ぬるる露つゆのゆかりと思おもふにもなほ疎うとまれぬ大和撫子やまとなでしこ」

 とばかり、ほのかに書かきさしたるやうなるを、よろこびながらたてまつれる、「例れいのことなれば、しるしあらじかし」と、くづほれて眺ながめ臥ふしたまへるに、胸むねうち騒さわぎて、いみじくうれしきにも涙なみだ落おちぬ。

つくづくと臥したるにも

 つくづくと臥ふしたるにも、やる方かたなき心地ここちすれば、例れいの、慰なぐさめには西にしの対たいにぞ渡わたりたまふ。しどけなくうちふくだみたまへる鬢茎びんぐき、あざれたる袿姿うちきすがたにて、笛ふえをなつかしう吹ふきすさびつつ、のぞきたまへれば、女君をんなぎみ、ありつる花はなの露つゆに濡ぬれたる心地ここちして、添そひ臥ふしたまへるさま、うつくしうらうたげなり。愛敬あいぎゃうこぼるるやうにて、おはしながらとくも渡わたりたまはぬ、なまうらめしかりければ、例れいならず、背そむきたまへるなるべし。端はしの方かたについゐて、

「こちや」

 とのたまへど、おどろかず、

「入いりぬる磯いその」

 と口くちずさみて、口くちおほひしたまへるさま、いみじうされてうつくし。

「あなにく。かかること口くち馴なれたまひにけりな。みるめに飽あくはまさなきことぞよ」

 とて、人ひと召めして御琴おほんこと取とり寄よせて弾ひかせたてまつりたまふ。

「箏さうの琴ことは、中なかの細ほそ緒をの堪たへがたきこそ所ところせけれ」

 とて、平調ひゃうでうにおしくだして調しらべたまふ。掻かき合あはせばかり弾ひきて、さしやりたまへれば、え怨うらじ果はてず、いとうつくしう弾ひきたまふ。小ちひさき御おほんほどに、さしやりて揺ゆしたまふ御手おほんてつき、いとうつくしければ、らうたしとおぼして、笛ふえ吹ふき鳴ならしつつ教をしへたまふ。いとさとくて、かたき調子てうしどもを、ただ一ひとわたりに習ならひ取とりたまふ。大方おほかたらうらうじうをかしき御心みこころばへを、思おもひしことかなふとおぼす。保曾呂惧世利ほそろぐせりといふものは、名なは憎にくけれど、おもしろう吹ふきすさびたまへるに、掻かき合あはせまだ若わかけれど、拍子はうし違たがはず上手じゃうずめきたり。

 大殿油おほとなぶら参まゐりて、絵ゑどもなど御覧ごらんずるに、出いでたまふべしとありつれば、人々ひとびと声こわづくりきこえて、

「雨あめ降ふりはべりぬべし」

 など言いふに、姫君ひめぎみ、例れいの、心細こころぼそくて屈くしたまへり。絵ゑも見みさして、うつぶしておはすれば、いとらうたくて、御髪みぐしのいとめでたくこぼれかかりたるをかき撫なでて、

「他ひとなるほどは恋こひしくやある」

 とのたまへば、うなづきたまふ。

「我われも、一日ひとひも見みたてまつらぬはいと苦くるしうこそあれど、幼をさなくおはするほどは、心こころやすく思おもひきこえて、まづくねくねしくうらむる人ひとの心こころ破やぶらじと思おもひて、むつはしければ、しばしかくもありくぞ。おとなしく見みなしては、他ひとへもさらに行ゆくまじ。人ひとのうらみ負おはじなど思おもふも、世よに長ながうありて、思おもふさまに見みえたてまつらんと思おもふぞ」

 など、こまごまと語かたらひきこえたまへば、さすがに恥はづかしうて、ともかくもいらへきこえたまはず。やがて御おほん膝ひざに寄よりかかりて寝入ねいりたまひぬれば、いと心苦こころぐるしうて、

「今いま宵よひは出いでずなりぬ」

 とのたまへば、みな立たちて、御膳おものなどこなたに参まゐらせたり。姫君ひめぎみ起おこしたてまつりたまひて、

「出いでずなりぬ」

 と聞きこえたまへば、慰なぐさみて起おきたまへり。もろともにものなど参まゐる。いとはかなげにすさびて、

「さらば寝ねたまひねかし」

 と危あやふげに思おもひたまへれば、かかるを見捨みすてては、いみじき道みちなりとも、おもむきがたくおぼえたまふ。

 かやうにとどめられたまふ折々をりをりなども多おほかるを、おのづから漏もり聞きく人ひと、大殿おほいどのに聞きこえければ、

「誰たれならむ。いとめざましきことにもあるかな。今いままでその人ひととも聞きこえず、さやうにまつはしたはぶれなどすらんは、あてやかに心こころにくき人ひとにはあらじ。内裏うちわたりなどにて、はかなく見みたまひけむ人ひとをものめかしたまひて、人ひとや咎とがめむと隠かくしたまふななり。心こころなげにいはけて聞きこゆるは」

 など、さぶらふ人々ひとびとも聞きこえあへり。

 内裏うちにも、かかる人ひとありと聞きこし召めして、

「いとほしく大臣おとどの思おもひ嘆なげかるなることも、げにものげなかりしほどを、おほなおほなかくものしたる心こころを、さばかりのことたどらぬほどにはあらじを。などか情なさけなくはもてなすなるらん」

 と、のたまはすれど、かしこまりたるさまにて、御おほんいらへも聞きこえたまはねば、心こころゆかぬなめりといとほしくおぼし召めす。

「さるは、好すき好ずきしううち乱みだれて、この見みゆる女房にょうばうにまれ、またこなたかなたの人々ひとびとなど、なべてならずなども見みえ聞きこえざめるを、いかなるもののくまに隠かくれありきて、かく人ひとにもうらみらるらむ」

 とのたまはす。

帝の御年、ねびさせたまひぬれど

 帝みかどの御年おほんとし、ねびさせたまひぬれど、かうやうの方かた、え過すぐさせたまはず、采女うねべ、女蔵人にょくらうどなどをも、かたち、心こころあるをば、ことにもてはやしおぼし召めしたれば、よしある宮仕みやづかへ人ひと多おほかるころなり。はかなきことをも言いひ触ふれたまふには、もて離はなるることもありがたきに、目馴めなるるにやあらむ、げにぞあやしう好すいたまはざめると、試こころみに戯たはぶれ事ことを聞きこえかかりなどする折をりあれど、情なさけなからぬほどにうちいらへて、まことには乱みだれたまはぬを、まめやかにさうざうしと思おもひきこゆる人ひともあり。

 年としいたう老おいたる典侍ないしのすけ、人ひともやむごとなく心こころばせあり、あてにおぼえ高たかくはありながら、いみじうあだめいたる心こころざまにて、そなたには重おもからぬあるを、かうさだ過すぐるまで、などさしも乱みだるらむと、いぶかしくおぼえたまひければ、戯たはぶれ事こと言いひ触ふれて試こころみたまふに、似にげなくも思おもはざりける。あさまし、とおぼしながら、さすがにかかるもをかしうて、ものなどのたまひてけれど、人ひとの漏もり聞きかむも古ふるめかしきほどなれば、つれなくもてなしたまへるを、女をんなはいとつらしと思おもへり。

上の御梳櫛にさぶらひけるを

 上うへの御梳櫛みけづりぐしにさぶらひけるを、果はてにければ、上うへは御袿みうちきの人ひと召めして出いでさせたまひぬるほどに、また人ひともなくて、この内侍ないしのすけ常つねよりもきよげに、様体やうだい、頭かしらつきなまめきて、装束さうぞく、ありさま、いとはなやかに好このましげに見みゆるを、さも古ふるりがたうも、心こころづきなく見みたまふものから、いかが思おもふらん、さすがに過すぐしがたくて、裳もの裾すそを引ひきおどろかしたまへれば、かはぼりのえならず画ゑがきたるをさし隠かくして見返みかへりたるまみ、いたう見延みのべたれど、目皮まかはらいたく黒くろみ落おち入いりて、いみじうはつれそそけたり。

 似につかはしからぬ扇あふぎのさまかなと見みたまひて、わが持もたまへるにさしかへて見みたまへば、赤あかき紙かみのうつるばかり色いろ深ふかきに、木高こだかき森もりの画かたを塗ぬり隠かくしたり。片かたつ方かたに、手てはいとさだ過すぎたれど、よしなからず、

「森もりの下草したくさ老おいぬれば」

 など書かきすさびたるを、言いいしもあれ、うたての心こころばへやと笑ゑまれながら、

「森もりこそ夏なつの、と見みゆめる」

 とて、何なにくれとのたまふも、似にげなく、人ひとや見みつけむと苦くるしきを、女をんなはさも思おもひたらず、

「君きみし来こば手てなれの駒こまに刈かり飼かは盛さかり過すぎたる下葉したばなりとも」

 と言いふさま、こよなく色いろめきたり。

「笹ささ分わけば人ひとやとがめむいつとなく駒こまなつくめる森もりの木隠こがくれ

わづらはしさに」

 とて、立たちたまふをひかへて、

「まだかかるものをこそ思おもひはべらね。今いまさらなる身みの恥はになむ」

 とて泣なくさま、いといみじ。

「いま聞きこえむ。思おもひながらぞや」

 とて、引ひき放はなちて出いでたまふを、責せめておよびて、

「橋柱はしばしら」

 とうらみかくるを、上うへは御袿みうちき果はてて、御障子みさうじよりのぞかせたまひけり。似につかはしからぬあはひかなと、いとをかしうおぼされて、

「好すき心こころなしと、常つねにもて悩なやむめるを、さはいへど、過すぐさざりけるは」

 とて、笑わらはせたまへば、内侍ないしのすけはなままばゆけれど、憎にくからぬ人ひとゆゑは、濡衣ぬれぎぬをだに着きまほしがるたぐひもあなればにや、いたうもあらがひきこえさせず。

 人々ひとびとも、思おもひのほかなることかなと扱あつかふめるを、頭中将とうのちうじゃう聞ききつけて、「至いたらぬ隈くまなき心こころにて、まだ思おもひ寄よらざりけるよ」と思おもふに、尽つきせぬ好このみ心こころも見みまほしうなりにければ、語かたらひつきにけり。この君きみも人ひとよりはいとことなるを、かのつれなき人ひとの御おほん慰なぐさめにと思おもひつれど、見みまほしきは限かぎりありけるをとや。うたての好このみや。

いたう忍ぶれば

 いたう忍しのぶれば、源氏げんじの君きみはえ知しりたまはず。見みつけきこえてはまづうらみきこゆるを、齢よはひのほどいとほしければ慰なぐさめむとおぼせど、かなはぬもの憂うさにいと久ひさしくなりにけるを、夕立ゆふだちして、名残なごり涼すずしき宵よひのまぎれに、温明殿うんめいでんのわたりをたたずみありきたまへば、この内侍ないしのすけ、琵琶びはをいとをかしう弾ひきゐたり。御前おまへなどにても、男方をとこがたの御遊おほんあそびに交まじりなどして、ことにまさる人ひとなき上手じゃうずなれば、もの恨うらめしうおぼえける折をりから、いとあはれに聞きこゆ。

「瓜作うりつくりになりやしなまし」

 と、声こゑはいとをかしうて歌うたふぞ、すこし心こころづきなき。鄂州がくしうにありけむ昔むかしの人ひとも、かくやをかしかりけむと、耳みみとまりて聞ききたまふ。弾ひきやみて、いといたう思おもひ乱みだれたるけはひなり。君きみ、東屋あづまやを忍しのびやかに歌うたひて寄よりたまへるに、

「押おし開ひらいて来きませ」

 とうち添そへたるも、例れいに違たがひたる心地ここちぞする。

「立たち濡ぬるる人ひとしもあらじ東屋あづまやにうたてもかかる雨あめそそきかな」

 とうち嘆なげくを、我われひとりしも聞きき負おふまじけれど、うとましや、何なに事ことをかくまでは、おぼゆ。

「人妻ひとづまはあなわづらはし東屋あづまやの真屋まやのあまりも馴なれじとぞ思おもふ」

 とて、うち過すぎなまほしけれど、あまりはしたなくやと思おもひ返かへして、人ひとに従したがへば、すこしはやりかなる戯たはぶれ言いなど言いひかはして、これもめづらしき心地ここちぞしたまふ。

 頭中将とうのちうじゃうは、この君きみのいたうまめだち過すぐして、常つねにもどきたまふがねたきを、つれなくてうちうち忍しのびたまふかたがた多おほかめるを、いかで見みあらはさむとのみ思おもひわたるに、これを見みつけたる心地ここち、いとうれし。かかる折をりに、すこし脅おどしきこえて、御心みこころまどはして、「懲こりぬや」と言いいはむと思おもひて、たゆめきこゆ。

 風かぜ冷ひややかにうち吹ふきて、やや更ふけゆくほどに、すこしまどろむにやと見みゆるけしきなれば、やをら入いり来くるに、君きみは、とけてしも寝ねたまはぬ心こころなれば、ふと聞ききつけて、この中将ちうじゃうとは思おもひ寄よらず、なほ忘わすれがたくすなる修理大夫すりのかみにこそあらめとおぼすに、おとなおとなしき人ひとに、かく似にげなきふるまひをして、見みつけられむことは、恥はづかしければ、

「あなわづらはし。出いでなむよ。蜘蛛くものふるまひはしるかりつらむものを。心憂こころうくすかしたまひけるよ」

 とて、直衣なほしばかりを取とりて、屏風びゃうぶのうしろに入いりたまひぬ。中将ちうじゃう、をかしきを念ねんじて、引ひきたてまつる屏風びゃうぶのもとに寄よりて、こほこほと畳たたみ寄よせて、おどろおどろしく騒さわがすに、内侍ないしのすけはねびたれど、いたくよしばみなよびたる人ひとの、先々さきざきもかやうにて心こころ動うごかす折々をりをりありければ、ならひて、いみじく心こころあわたたしきにも、この君きみをいかにしきこえぬるかと、わびしさに、ふるふふるふ、つとひかへたり。誰たれと知しられで出いでなばやとおぼせど、しどけなき姿すがたにて、冠かうぶりなどうちゆがめて走はしらむ後手うしろで思おもふに、いとをこなるべしとおぼしやすらふ。

 中将ちうじゃう、いかで我われと知しられきこえじと思おもひて、ものも言いはず、ただいみじう怒いかれるけしきにもてなして、太刀たちを引ひき抜ぬけば、女をんな、

「あが君きみ、あが君きみ」

 と、向むかひて手てをするに、ほとほと笑わらひぬべし。好このましう若わかやぎてもてなしたるうはべこそ、さてもありけれ、五十ごじふ七しち、八はちの人ひとの、うちとけてもの言いひ騒さわげるけはひ、えならぬ二十はたちの若人わかうどたちの御おほん中なかにてものおぢしたる、いとつきなし。かうあらぬさまにもてひがめて、おそろしげなるけしきを見みすれど、なかなかしるく見みつけたまひて、我われと知しりてことさらにするなりけりとをこになりぬ。

 その人ひとなめりと見みたまふに、いとをかしければ、太刀たち抜ぬきたる腕かひなをとらへて、いといたうつみたまへれば、ねたきものからえ耐たへで笑わらひぬ。

「まことはうつし心こころかとよ。戯たはぶれにくしや。いでこの直衣なほし着きむ」

 とのたまへど、つととらへてさらにゆるしきこえず。

「さらば、もろともにこそ」

 とて、中将ちうじゃうの帯おびをひき解ときて脱ぬがせたまへば、脱ぬがじとすまふを、とかくひきしろふほどに、ほころびはほろほろと絶たえぬ。中将ちうじゃう、

「つつむめる名なや漏もり出いでむ引ひきかはしかくほころぶる中なかの衣ころもに

上うへに取とり着きば、しるからん」

 と言いふ。君きみ、

「隠かくれなきものと知しる知しる夏衣なつごろも着きたるを薄うすき心こころとぞ見みる」

 と言いひかはして、うらやみなきしどけな姿すがたに引ひきなされて、みな出いでたまひぬ。

君は、いと口惜しく

 君きみは、いと口惜くちをしく見みつけられぬることと思おもひ、臥ふしたまへり。内侍ないしのすけは、あさましくおぼえければ、落おちとまれる御指貫おほんさしぬき、帯おびなど、つとめてたてまつれり。

「恨うらみてもいふかひぞなきたちかさね引ひきてかへりし波なみのなごりに

底そこもあらはに」

 とあり。面無おもなのさまやと見みたまふも憎にくけれど、わりなしと思おもへりしもさすがにて、

「荒あらだちし波なみに心こころは騒さわがねど寄よせけむ磯いそをいかが恨うらみぬ」

 とのみなむありける。

 帯おびは、中将ちうじゃうのなりけり。わが御おほん直衣なほしよりは色いろ深ふかしと見みたまふに、はた、袖そでもなかりけり。あやしのことどもや、下おり立たちて乱みだるる人ひとは、むべをこがましきことは多おほからむ、いとど御心みこころをさめられたまふ。

 中将ちうじゃう、宿直所とのゐどころより、

「これまづ綴とぢつけさせたまへ」

 とて、おし包つつみておこせたるを、いかで取とりつらむと心こころやまし。この帯おびを得えざらましかばとおぼす。その色いろの紙かみに包つつみて、

「なか絶たえばかことや負おふと危あやふさにはなだの帯おびを取とりてだに見みず」

 とて、やりたまふ。立たち返かへり、

「君きみにかく引ひき取とられぬる帯おびなればかくて絶たえぬるなかとかこたむ

え逃のがれさせたまはじ」

 とあり。

 日ひたけて、おのおの殿との上うへに参まゐりたまへり。いと静しづかに、もの遠とほきさましておはするに、頭かしらの君きみもいとをかしけれど、公事おほやけごと多おほく奏そうし下くだす日ひにて、いとうるはしくすくよかなるを見みるも、かたみにほほ笑ゑまる。人間ひとまにさし寄よりて、

「もの隠かくしは懲こりぬらむかし」

 とて、いとねたげなるしり目めなり。

「などてかさしもあらむ。立たちながら帰かへりけむ人ひとこそいとほしけれ。まことは、憂うしや世よの中なかよ」

 と言いひ合あはせて、

「鳥籠とこの山やまなる」

 と、かたみに口くちがたむ。

 さて、そののち、ともすればことのついでごとに言いひ迎むかふるくさはひなるを、いとどものむつかしき人ひとゆゑ、とおぼし知しるべし。女をんなは、なほいと艶えんにうらみかくるを、わびしと思おもひありきたまふ。中将ちうじゃうは妹いもうとの君きみにも聞きこえ出いでず、ただ、さるべき折をりの脅おどしぐさにせむとぞ思おもひける。やむごとなき御おほん腹々はらばらの親王みこたちだに、上うへの御おほんもてなしのこよなきにわづらはしがりて、いとことに避さりきこえたまへるを、この中将ちうじゃうは、さらにおし消けたれきこえじと、はかなきことにつけても思おもひいどみきこえたまふ。

 この君きみ一ひと人ひとぞ姫君ひめぎみの御おほん一ひとつ腹はらなりける。帝みかどの御子みこといふばかりにこそあれ、我われも、同おなじ大臣おとどと聞きこゆれど、御おほんおぼえことなるが、皇女腹みこばらにてまたなくかしづかれたるは、何なにばかり劣おとるべき際きはとおぼえたまはぬなるべし。人ひとがらもあるべき限かぎりととのひて、何なに事こともあらまほしく、足あしらひてぞものしたまひける。この御おほん中なかどもの挑いどみこそ、あやしかりしか。されどうるさくてなむ。

七月にぞ后ゐたまふめりし

 七月ふみづきにぞ后きさきゐたまふめりし。源氏げんじの君きみ、宰相さいしゃうになりたまひぬ。帝みかど、下おりゐさせたまはむの御心みこころづかひ近ちかうなりて、この若宮わかみやを坊ばうに、と思おもひきこえさせたまふに、御後見おほんうしろみしたまふべき人ひとおはせず、御おほん母方ははかたの、みな親王みこたちにて、源氏げんじの公事おほやけごとしりたまふ筋すぢならねば、母宮ははみやをだに動うごきなきさまにしおきたてまつりて、強つよりにとおぼすになむありける。弘徽殿こきでん、いとど御心みこころ動うごきたまふ、ことわりなり。されど、

「春宮とうぐうの御世おほんよ、いと近ちかうなりぬれば、疑うたがひなき御位おほんくらゐなり。思おもほしのどめよ」

 とぞ聞きこえさせたまひける。げに、春宮とうぐうの御おほん母ははにて廿余年はたよねんになりたまへる女御にょうごをおきたてまつりては、引ひき越こしたてまつりたまひがたきことなりかしと、例れいの、やすからず世よ人ひとも聞きこえけり。

 参まゐりたまふ夜よの御供おほんともに、宰相さいしゃう君きみも仕つかうまつりたまふ。同おなじ宮みやと聞きこゆるなかにも、后腹きさきばらの皇女みこ、玉光たまひかりかかやきて、たぐひなき御おほんおぼえにさへものしたまへば、人ひともいとことに思おもひかしづききこえたり。ましてわりなき御心みこころには、御輿みこしのうちも思おもひやられて、いとど及およびなき心地ここちしたまふに、すずろはしきまでなむ。

「尽つきもせぬ心こころの闇やみに暮くるるかな雲居くもゐに人ひとを見みるにつけても」

 とのみ、独ひとりごたれつつ、ものいとあはれなり。

 皇子みこは、およすけたまふ月つき日ひに従したがひて、いと見みたてまつり分わきがたげなるを、宮みやいと苦くるし、とおぼせど、思おもひ寄よる人ひとなきなめりかし。げにいかさまに作つくり変かはへてかは劣おとらぬ御おほんありさまは、世よに出いでものしたまはまし。月つき日ひの光ひかりの空そらに通かよひたるやうにぞ世よ人ひとも思おもへる。

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