『源氏物語』第37帖「横笛」原文全文

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」国貞『源氏香の図』

 このページでは、『源氏物語』第37帖「横笛」の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『源氏物語』第37帖「横笛」現代語訳全文をご覧ください。

目次

故権大納言の亡せたまひにし悲しさ

 故権大納言こだいなごんのはかなく亡うせたまひにし悲かなしさを、飽あかず口惜くちをしきものに、恋こひしのびたまふ人ひと多おほかり。六条院ろくでうのゐんにも、おほかたにつけてだに、世よにめやすき人ひとの亡なくなるをば、惜をしみたまふ御心みこころに、まして、これは、朝夕あさゆふに親したしく参まゐり馴なれつつ、人ひとよりも御心みこころとどめ思おぼしたりしかば、いかにぞやと、思おぼし出いづることはありながら、あはれは多おほく、折々をりをりにつけてしのびたまふ。

 御果おほんはてにも、誦経ずきゃうなど、取とり分わきせさせたまふ。よろづも知しらず顔がほにいはけなき御おほんありさまを見みたまふにも、さすがにいみじくあはれなれば、御心みこころのうちに、また心こころざしたまうて、黄金こがね百両ひゃくりゃうをなむ別べちにせさせたまひける。大臣おとどは、心こころも知しらでぞかしこまり喜よろこびきこえさせたまふ。

 大将だいしゃうの君きみも、ことども多おほくしたまひ、とりもちてねむごろに営いとなみたまふ。かの一条いちでうの宮みやをも、このほどの御心みこころざし深ふかく訪とぶらひきこえたまふ。兄弟はらからの君きみたちよりもまさりたる御心みこころのほどを、いとかくは思おもひきこえざりきと、大臣おとど、上うへも、喜よろこびきこえたまふ。亡なき後あとにも、世よのおぼえ重おもくものしたまひけるほどの見みゆるに、いみじうあたらしうのみ、思おぼし焦こがるること、尽つきせず。

山の帝は、二の宮も

 山やまの帝みかどは、二にの宮みやも、かく人ひと笑わらはれなるやうにて眺ながめたまふなり、入道にふだうの宮みやも、この世よの人ひとめかしきかたは、かけ離はなれたまひぬれば、さまざまに飽あかず思おぼさるれど、すべてこの世よを思おぼし悩なやまじ、と忍しのびたまふ。御行おほんおこなひのほどにも、「同おなじ道みちをこそは勤つとめたまふらめ」など思おぼしやりて、かかるさまになりたまて後のちは、はかなきことにつけても、絶たえず聞きこえたまふ。

 御寺みてらのかたはら近ちかき林はやしに抜ぬき出いでたる筍たかうな、そのわたりの山やまに掘ほれる野老ところなどの、山里やまざとにつけてはあはれなれば、たてまつれたまふとて、御文おほんふみこまやかなる端はしに、

「春はるの野山のやま、霞かすみもたどたどしけれど、心こころざし深ふかく堀ほり出いでさせてはべるしるしばかりになむ。

世よを別わかれ入いりなむ道みちはおくるとも同おなじところを君きみも尋たづねよ

いと難かたきわざになむある」

 と聞きこえたまへるを、涙なみだぐみて見みたまふほどに、大殿おとどの君きみ渡わたりたまへり。例れいならず、御前おまへ近ちかき櫑子らいしどもを、「なぞ、あやし」と御覧ごらんずるに、院ゐんの御文おほんふみなりけり。見みたまへば、いとあはれなり。

「今日けふか、明日あすかの心地ここちするを、対面たいめんの心こころにかなはぬこと」

 など、こまやかに書かかせたまへり。この「同おなじところ」の御おほんともなひを、ことにをかしき節ふしもなき。聖言葉ひじりことばなれど、「げに、さぞ思おぼすらむかし。我われさへおろかなるさまに見みえたてまつりて、いとどうしろめたき御思おほんおもひの添そふべかめるを、いといとほし」と思おぼす。

 御返おほんかへりつつましげに書かきたまひて、御使おほんつかひには、青鈍あをにびの綾あや一襲ひとかさね賜たまふ。書かき変かへたまへりける紙かみの、御几帳みきちゃうの側そばよりほの見みゆるを、取とりて見みたまへば、御手おほんてはいとはかなげにて、

「憂うき世よにはあらぬところのゆかしくて背そむく山路やまぢに思おもひこそ入いれ」

「うしろめたげなる御みけしきなるに、このあらぬ所ところ求もとめたまへる、いとうたて、心憂こころうし」

 と聞きこえたまふ。

 今いまは、まほにも見みえたてまつりたまはず、いとうつくしうらうたげなる御額髪おほんひたひがみ、面つらつきのをかしさ、ただ稚児ちごのやうに見みえたまひて、いみじうらうたきを見みたてまつりたまふにつけては、「など、かうはなりにしことぞ」と、罪つみ得えぬべく思おぼさるれば、御几帳みきちゃうばかり隔へだてて、またいとこよなう気遠けどほく、疎々うとうとしうはあらぬほどに、もてなしきこえてぞおはしける。

若君は、乳母のもとに

 若君わかぎみは、乳母めのとのもとに寝ねたまへりける、起おきて這はひ出いでたまひて、御袖おほんそでを引ひきまつはれたてまつりたまふさま、いとうつくし。

 白しろき羅うすものに、唐からの小紋こもんの紅梅こうばいの御衣おほんぞの裾すそ、いと長ながくしどけなげに引ひきやられて、御身おほんみはいとあらはにて、うしろの限かぎりに着きなしたまへるさまは、例れいのことなれど、いとらうたげに白しろくそびやかに、柳やなぎを削けづりて作つくりたらむやうなり。

 頭かしらは露草つゆくさしてことさらに色いろどりたらむ心地ここちして、口くちつきうつくしうにほひ、まみのびらかに、恥はづかしう薫かをりたるなどは、なほいとよく思おもひ出いでらるれど、

「かれは、いとかやうに際離きははなれたるきよらはなかりしものを、いかでかからむ。宮みやにも似にたてまつらず、今いまより気高けだかくものものしう、さま異ことに見みえたまへるけしきなどは、わが御鏡おほんかがみの影かげにも似にげなからず」見みなされたまふ。

 わづかに歩あゆみなどしたまふほどなり。この筍たかうなの櫑子らいしに、何なにとも知しらず立たち寄よりて、いとあわたたしう取とり散ちらして、食くひかなぐりなどしたまへば、

「あな、らうがはしや。いと不便ふびんなり。かれ取とり隠かくせ。食くひ物ものに目めとどめたまふと、もの言いひさがなき女房にょうばうもこそ言いひなせ」

 とて、笑わらひたまふ。かき抱いだきたまひて、

「この君きみのまみのいとけしきあるかな。小ちひさきほどの稚児ちごを、あまた見みねばにやあらむ、かばかりのほどは、ただいはけなきものとのみ見みしを、今いまよりいとけはひ異ことなるこそ、わづらはしけれ。女宮をんなみやものしたまふめるあたりに、かかる人ひと生おひ出いでて、心苦こころぐるしきこと、誰たがためにもありなむかし。

あはれ、そのおのおのの生おひゆく末すゑまでは、見果みはてむとすらむやは。花はなの盛さかりは、ありなめど」

 と、うちまもりきこえたまふ。

「うたて、ゆゆしき御おほんことにも」

 と、人ひとびとは聞きこゆ。

 御歯おほんはの生おひ出いづるに食くひ当あてむとて、筍たかうなをつと握にぎり待まちて、雫しづくもよよと食くひ濡ぬらしたまへば、

「いとねぢけたる色好いろごのみかな」とて、

「憂うき節ふしも忘わすれずながら呉竹くれたけのこは捨すて難がたきものにぞありける」

 と、率ゐて放はなちて、のたまひかくれど、うち笑わらひて、何なにとも思おもひたらず、いとそそかしう、這はひ下おり騷さわぎたまふ。

 月日つきひに添そへて、この君きみのうつくしうゆゆしきまで生おひまさりたまふに、まことに、この憂うき節ふし、皆みな思おぼし忘わすれぬべし。

「この人ひとの出いでものしたまふべき契ちぎりにて、さる思おもひの外ほかの事こともあるにこそはありけめ。逃のがれ難がたかなるわざぞかし」

 と、すこしは思おぼし直なほさる。みづからの御宿世おほんすくせも、なほ飽あかぬこと多おほかり。

「あまた集つどへたまへる中なかにも、この宮みやこそは、かたほなる思おもひまじらず、人ひとの御おほんありさまも、思おもふに飽あかぬところなくてものしたまふべきを、かく思おもはざりしさまにて見みたてまつること」

 と思おぼすにつけてなむ、過すぎにし罪つみ許ゆるし難がたく、なほ口惜くちをしかりける。

大将の君は、今はのとぢめを

 大将だいしゃうの君きみは、かの今いまはのとぢめにとどめし一言ひとことを、心こころひとつに思おもひ出いでつつ、「いかなりしことぞ」とは、いと聞きこえまほしう、御みけしきもゆかしきを、ほの心得こころえて思おもひ寄よらるることもあれば、なかなかうち出いでて聞きこえむもかたはらいたくて、「いかならむついでに、この事ことの詳くはしきありさまも明あきらめ、また、かの人ひとの思おもひ入いりたりしさまをも聞きこしめさむ」と、思おもひわたりたまふ。

 秋あきの夕ゆふべのものあはれなるに、一条いちでうの宮みやを思おもひやりきこえたまひて、渡わたりたまへり。うちとけ、しめやかに、御琴おほんことどもなど弾ひきたまふほどなるべし。深ふかくもえ取とりやらで、やがてその南みなみの廂ひさしに入いれたてまつりたまへり。端はしつ方かたなりける人ひとの、ゐざり入いりつるけはひどもしるく、衣きぬの音おとなひも、おほかたの匂にほひ香かうばしく、心こころにくきほどなり。

 例れいの、御息所みやすんどころ、対面たいめんしたまひて、昔むかしの物語ものがたりども聞きこえ交かはしたまふ。わが御殿おほんとのの、明あけ暮くれ人ひとしげくて、もの騒さわがしく、幼をさなき君きみたちなど、すだきあわてたまふにならひたまひて、いと静しづかにものあはれなり。うち荒あれたる心地ここちすれど、あてに気高けだかく住すみなしたまひて、前栽せんざいの花はなども、虫むしの音ねしげき野辺のべと乱みだれたる夕映ゆふばえを、見みわたしたまふ。

和琴を引き寄せたまへれば

 和琴わごんを引ひき寄よせたまへれば、律りちに調しらべられて、いとよく弾ひきならしたる、人香ひとがにしみて、なつかしうおぼゆ。

「かやうなるあたりに、思おもひのままなる好すき心ごころある人ひとは、静しづむることなくて、さま悪あしきけはひをもあらはし、さるまじき名なをも立たつるぞかし」

 など、思おもひ続つづけつつ、掻かき鳴ならしたまふ。

 故君こきみの常つねに弾ひきたまひし琴ことなりけり。をかしき手て一ひとつなど、すこし弾ひきたまひて、

「あはれ、いとめづらかなる音ねに掻かき鳴ならしたまひしはや。この御琴おほんことにも籠こもりてはべらむかし。承うけたまはりあらはしてしがな」

 とのたまへば、

「琴ことの緒を絶たえにし後のちより、昔むかしの御童遊おほんわらはあそびの名残なごりをだに、思おもひ出いでたまはずなむなりにてはべめる。院ゐんの御前おまへにて、女宮をんなみやたちのとりどりの御琴おほんことども、試こころみきこえたまひしにも、かやうの方かたは、おぼめかしからずものしたまふとなむ、定さだめきこえたまふめりしを、あらぬさまにほれぼれしうなりて、眺ながめ過すぐしたまふめれば、世よの憂うきつまにといふやうになむ見みたまふる」

 と聞きこえたまへば、

「いとことわりの御思おほんおもひなりや。限かぎりだにある」

 と、うち眺ながめて、琴ことは押おしやりたまへれば、

「かれ、なほさらば、声こゑに伝つたはることもやと、聞ききわくばかり鳴ならさせたまへ。ものむつかしう思おもうたまへ沈しづめる耳みみをだに、明あきらめはべらむ」

 と聞きこえたまふを、

「しか伝つたはる中なかの緒をは、異ことにこそははべらめ。それをこそ承うけたまはらむとは聞きこえつれ」

 とて、御簾みすのもと近ちかく押おし寄よせたまへど、とみにしも受うけひきたまふまじきことなれば、しひても聞きこえたまはず。

月さし出でて曇りなき空に

 月つきさし出いでて曇くもりなき空そらに、羽はねうち交かはす雁かりがねも、列つらを離はなれぬ、うらやましく聞ききたまふらむかし。風かぜ肌寒はださむく、ものあはれなるに誘さそはれて、箏しゃうの琴ことをいとほのかに掻かき鳴ならしたまへるも、奥深おくふかき声こゑなるに、いとど心こころとまり果はてて、なかなかに思おもほゆれば、琵琶びはを取とり寄よせて、いとなつかしき音ねに、「想夫恋さうふれん」を弾ひきたまふ。

「思おもひ及および顔がほなるは、かたはらいたけれど、これは、こと問とはせたまふべくや」

 とて、切せちに簾すの内うちをそそのかしきこえたまへど、まして、つつましきさしいらへなれば、宮みやはただものをのみあはれと思おぼし続つづけたるに、

「ことに出いでて言いはぬも言いふにまさるとは人ひとに恥はぢたるけしきをぞ見みる」

 と聞きこえたまふに、ただ末すゑつ方かたをいささか弾ひきたまふ。

「深ふかき夜よのあはればかりは聞ききわけどことより顔がほにえやは弾ひきける」

 飽あかずをかしきほどに、さるおほどかなるものの音ねがらに、古ふるき人ひとの心こころしめて弾ひき伝つたへける、同おなじ調しらべのものといへど、あはれに心こころすごきものの、片端かたはしを掻かき鳴ならして止やみたまひぬれば、恨うらめしきまでおぼゆれど、

「好すき好ずきしさを、さまざまにひき出いでても御覧ごらんぜられぬるかな。秋あきの夜よ更ふかしはべらむも、昔むかしの咎とがめやと憚はばかりてなむ、まかではべりぬべかめる。またことさらに心こころしてなむさぶらふべきを、この御琴おほんことどもの調しらべ変かへず待またせたまはむや。弾ひき違たがふることもはべりぬべき世よなれば、うしろめたくこそ」

 など、まほにはあらねど、うち匂にほはしおきて出いでたまふ。

今宵の御好きには

「今宵こよひの御おほん好すきには、人ひと許ゆるしきこえつべくなむありける。そこはかとなきいにしへ語がたりにのみ紛まぎらはさせたまひて、玉たまの緒をにせむ心地ここちもしはべらぬ、残のこり多おほくなむ」

 とて、御贈おほんおくり物ものに笛ふえを添そへてたてまつりたまふ。

「これになむ、まことに古ふるきことも伝つたはるべく聞ききおきはべりしを、かかる蓬生よもぎふに埋うづもるるもあはれに見みたまふるを、御前駆おほんさきに競きほはむ声こゑなむ、よそながらもいぶかしうはべる」

 と聞きこえたまへば、

「似につかはしからぬ随身ずいじんにこそははべるべけれ」

 とて、見みたまふに、これもげに世よとともに身みに添そへてもてあそびつつ、

「みづからも、さらにこれが音ねの限かぎりは、え吹ふきとほさず。思おもはむ人ひとにいかで伝つたへてしがな」

 と、をりをり聞きこえごちたまひしを思おもひ出いでたまふに、今いますこしあはれ多おほく添そひて、試こころみに吹ふき鳴ならす。盤渉調ばんしきでうの半なからばかり吹ふきさして、

「昔むかしを偲しのぶ独ひとり言ごとは、さても罪つみ許ゆるされはべりけり。これはまばゆくなむ」

 とて、出いでたまふに、

「露つゆしげきむぐらの宿やどにいにしへの秋あきに変かはらぬ虫むしの声こゑかな」

 と、聞きこえ出いだしたまへり。

「横笛よこぶえの調しらべはことに変かはらぬをむなしくなりし音ねこそ尽つきせね」

 出いでがてにやすらひたまふに、夜よるもいたく更ふけにけり。

殿に帰りたまへれば

 殿とのに帰かへりたまへれば、格子かうしなど下おろさせて、皆みな寝ねたまひにけり。

「この宮みやに心こころかけきこえたまひて、かくねむごろがり聞きこえたまふぞ」

 など、人ひとの聞きこえ知しらせければ、かやうに夜よ更ふかしたまふもなま憎にくくて、入いりたまふをも聞きく聞きく、寝ねたるやうにてものしたまふなるべし。

「妹いもと我われといるさの山やまの」

 と、声こゑはいとをかしうて、独ひとりごち歌うたひて、

「こは、など、かく鎖さし固かためたる。あな、埋むもれや。今宵こよひの月つきを見みぬ里さともありけり」

 と、うめきたまふ。格子かうし上あげさせたまひて、御簾みす巻まき上あげなどしたまひて、端近はしぢかく臥ふしたまへり。

「かかる夜よの月つきに、心こころやすく夢見ゆめみる人ひとは、あるものか。すこし出いでたまへ。あな心憂こころう」

 など聞きこえたまへど、心こころやましううち思おもひて、聞きき忍しのびたまふ。

 君きみたちの、いはけなく寝ねおびれたるけはひなど、ここかしこにうちして、女房にょうばうもさし混こみて臥ふしたる、人気ひとけにぎははしきに、ありつる所ところのありさま、思おもひ合あはするに、多おほく変かはりたり。この笛ふえをうち吹ふきたまひつつ、

「いかに、名残なごりも、眺ながめたまふらむ。御琴おほんことどもは、調しらべ変かはらず遊あそびたまふらむかし。御息所みやすんどころも、和琴わごんの上手じゃうずぞかし」

 など、思おもひやりて臥ふしたまへり。

「いかなれば、故君こきみ、ただおほかたの心こころばへは、やむごとなくもてなしきこえながら、いと深ふかきけしきなかりけむ」

 と、それにつけても、いといぶかしうおぼゆ。

「見劣みおとりせむこそ、いといとほしかるべけれ。おほかたの世よにつけても、限かぎりなく聞きくことは、かならずさぞあるかし」

 など思おもふに、わが御仲おほんなかの、うちけしきばみたる思おもひやりもなくて、睦むつびそめたる年月としつきのほどを数かぞふるに、あはれに、いとかう押おしたちておごりならひたまへるも、ことわりにおぼえたまひけり。

すこし寝入りたまへる夢に

 すこし寝入ねいりたまへる夢ゆめに、かの衛門督ゑもんのかみ、ただありしさまの袿姿うちきすがたにて、かたはらにゐて、この笛ふえを取とりて見みる。夢ゆめのうちにも、亡なき人ひとの、わづらはしう、この声こゑを尋たづねて来きたる、と思おもふに、

「笛竹ふえたけに吹ふき寄よる風かぜのことならば末すゑの世よ長ながきねに伝つたへなむ

思おもふ方かた異ことにはべりき」

 と言いふを、問とはむと思おもふほどに、若君わかぎみの寝ねおびれて泣なきたまふ御声おほんこゑに、覚さめたまひぬ。

 この君きみいたく泣なきたまひて、つだみなどしたまへば、乳母めのとも起おき騷さわぎ、上うへも大殿油おほとなぶら近ちかく取とり寄よせさせたまて、耳みみ挟はさみして、そそくりつくろひて、抱いだきてゐたまへり。いとよく肥こえて、つぶつぶとをかしげなる胸むねを開あけて、乳ちなどくくめたまふ。稚児ちごもいとうつくしうおはする君きみなれば、白しろくをかしげなるに、御乳おほんちはいとかはらかなるを、心こころをやりて慰なぐさめたまふ。

 男君をとこぎみも寄よりおはして、「いかなるぞ」などのたまふ。うちまきし散ちらしなどして、乱みだりがはしきに、夢ゆめのあはれも紛まぎれぬべし。

「悩なやましげにこそ見みゆれ。今いまめかしき御おほんありさまのほどにあくがれたまうて、夜深よぶかき御月おほんつき愛めでに、格子かうしも上あげられたれば、例れいのもののけの入いり来きたるなめり」

 など、いと若わかくをかしき顔かほして、かこちたまへば、うち笑わらひて、

「あやしの、もののけのしるべや。まろ格子かうし上あげずは、道みちなくて、げにえ入いり来こざらまし。あまたの人ひとの親おやになりたまふままに、思おもひいたり深ふかくものをこそのたまひなりにたれ」

 とて、うち見みやりたまへるまみの、いと恥はづかしげなれば、さすがに物ものものたまはで、

「出いでたまひね。見苦みぐるし」

 とて、明あきらかなる火影ほかげを、さすがに恥はぢたまへるさまも憎にくからず。まことに、この君きみなづみて、泣なきむつかり明あかしたまひつ。

大将の君も、夢思し出づるに

 大将だいしゃうの君きみも、夢ゆめ思おぼし出いづるに、

「この笛ふえのわづらはしくもあるかな。人ひとの心こころとどめて思おもへりしものの、行ゆくべき方かたにもあらず。女をんなの御伝おほんつたへはかひなきをや。いかが思おもひつらむ。この世よにて、数かずに思おもひ入いれぬことも、かの今いまはのとぢめに、一念いちねんの恨うらめしきも、もしはあはれとも思おもふにまつはれてこそは、長ながき夜よの闇やみにも惑まどふわざななれ。かかればこそは、何なにごとにも執しふはとどめじと思おもふ世よなれ」

 など、思おぼし続つづけて、愛宕をたぎに誦経ずきゃうせさせたまふ。また、かの心寄こころよせの寺てらにもせさせたまひて、

「この笛ふえをば、わざと人ひとのさるゆゑ深ふかきものにて、引ひき出いでたまへりしを、たちまちに仏ほとけの道みちにおもむけむも、尊たふときこととはいひながら、あへなかるべし」

 と思おもひて、六条ろくでうの院ゐんに参まゐりたまひぬ。

 女御にょうごの御方おほんかたにおはしますほどなりけり。三さんの宮みや、三みつばかりにて、中なかにうつくしくおはするを、こなたにぞまた取とり分わきておはしまさせたまひける。走はしり出いでたまひて、

「大将だいしゃうこそ、宮みや抱いだきたてまつりて、あなたへ率ゐておはせ」

 と、みづからかしこまりて、いとしどけなげにのたまへば、うち笑わらひて、

「おはしませ。いかでか御簾みすの前まへをば渡わたりはべらむ。いと軽々きゃうぎゃうならむ」

 とて、抱いだきたてまつりてゐたまへれば、

「人ひとも見みず。まろ、顔かほは隠かくさむ。なほなほ」

 とて、御袖おほんそでしてさし隠かくしたまへば、いとうつくしうて、率ゐてたてまつりたまふ。

こなたにも、二の宮の

 こなたにも、二にの宮みやの、若君わかぎみとひとつに混まじりて遊あそびたまふ、うつくしみておはしますなりけり。隅すみの間まのほどに下おろしたてまつりたまふを、二にの宮みや見みつけたまひて、

「まろも大将だいしゃうに抱いだかれむ」

 とのたまふを、三さんの宮みや、

「あが大将だいしゃうをや」

 とて、控ひかへたまへり。院ゐんも御覧ごらんじて、

「いと乱みだりがはしき御おほんありさまどもかな。公おほやけの御おほん近ちかき衛まもりを、私わたくしの随身ずいじんに領りゃうぜむと争あらそひたまふよ。三さんの宮みやこそ、いとさがなくおはすれ。常つねに兄このかみに競きほひ申まうしたまふ」

 と、諌いさめきこえ扱あつかひたまふ。大将だいしゃうも笑わらひて、

「二にの宮みやは、こよなく兄心このかみごころにところさりきこえたまふ御心みこころ深ふかくなむおはしますめる。御年おほんとしのほどよりは、恐おそろしきまで見みえさせたまふ」

 など聞きこえたまふ。うち笑ゑみて、いづれもいとうつくしと思おもひきこえさせたまへり。

「見苦みぐるしく軽々かるがるしき公卿くぎゃうの御座みざなり。あなたにこそ」

 とて、渡わたりたまはむとするに、宮みやたちまつはれて、さらに離はなれたまはず。宮みやの若君わかぎみは、宮みやたちの御列おほんつらにはあるまじきぞかしと、御心みこころのうちに思おぼせど、なかなかその御心みこころばへを、母宮ははみやの、御心みこころの鬼おににや思おもひ寄よせたまふらむと、これも心こころの癖くせに、いとほしう思おぼさるれば、いとらうたきものに思おもひかしづききこえたまふ。

大将は、この君を

 大将だいしゃうは、この君きみを「まだえよくも見みぬかな」と思おぼして、御簾みすの隙ひまよりさし出いでたまへるに、花はなの枝えだの枯かれて落おちたるを取とりて、見みせたてまつりて、招まねきたまへば、走はしりおはしたり。

 二藍ふたあゐの直衣なほしの限かぎりを着きて、いみじう白しろう光ひかりうつくしきこと、皇子みこたちよりもこまかにをかしげにて、つぶつぶときよらなり。なま目めとまる心こころも添そひて見みればにや、眼居まなこゐなど、これは今いますこし強つようかどあるさままさりたれど、眼尻まじりのとぢめをかしうかをれるけしきなど、いとよくおぼえたまへり。

 口くちつきの、ことさらにはなやかなるさまして、うち笑ゑみたるなど、「わが目めのうちつけなるにやあらむ、大殿おとどはかならず思おぼし寄よすらむ」と、いよいよ御みけしきゆかし。

 宮みやたちは、思おもひなしこそ気高けだかけれ、世よの常つねのうつくしき稚児ちごどもと見みえたまふに、この君きみは、いとあてなるものから、さま異ことにをかしげなるを、見比みくらべたてまつりつつ、

「いで、あはれ。もし疑うたがふゆゑもまことならば、父大臣ちちおとどの、さばかり世よにいみじく思おもひほれたまて、

子こと名なのり出いでくる人ひとだになきこと。形見かたみに見みるばかりの名残なごりをだにとどめよかし

と、泣なき焦こがれたまふに、聞きかせたてまつらざらむ罪つみ得えがましさ」など思おもふも、「いで、いかでさはあるべきことぞ」

 と、なほ心得こころえず、思おもひ寄よる方かたなし。心こころばへさへなつかしうあはれにて、睦むつれ遊あそびたまへば、いとらうたくおぼゆ。

対へ渡りたまひぬれば

 対たいへ渡わたりたまひぬれば、のどやかに御物語おほんものがたりなど聞きこえておはするほどに、日暮ひくれかかりぬ。昨夜よべ、かの一条いちでうの宮みやに参まうでたりしに、おはせしありさまなど聞きこえ出いでたまへるを、ほほ笑ゑみて聞ききおはす。あはれなる昔むかしのこと、かかりたる節々ふしぶしは、あへしらひなどしたまふに、

「かの想夫恋さうふれんの心こころばへは、げに、いにしへの例ためしにも引ひき出いでつべかりけるをりながら、女をんなは、なほ、人ひとの心こころ移うつるばかりのゆゑよしをも、おぼろけにては漏もらすまじうこそありけれと、思おもひ知しらるることどもこそ多おほかれ。

過すぎにし方かたの心こころざしを忘わすれず、かく長ながき用意よういを、人ひとに知しられぬとならば、同おなじうは、心こころきよくて、とかくかかづらひ、ゆかしげなき乱みだれなからむや、誰たがためも心こころにくく、めやすかるべきことならむとなむ思おもふ」

 とのたまへば、「さかし。人ひとの上うへの御教おほんをしへばかりは心強こころづよげにて、かかる好すきはいでや」と、見みたてまつりたまふ。

「何なにの乱みだれかはべらむ。なほ、常つねならぬ世よのあはれをかけそめはべりにしあたりに、心短こころみじかくはべらむこそ、なかなか世よの常つねの嫌疑けんぎあり顔がほにはべらめとてこそ。

想夫恋さうふれんは、心こころとさし過すぎてこと出いでたまはむや、憎にくきことにはべらまし、もののついでにほのかなりしは、をりからのよしづきて、をかしうなむはべりし。

何なにごとも、人ひとにより、ことに従したがふわざにこそはべるべかめれ。齢よはひなども、やうやういたう若わかびたまふべきほどにもものしたまはず、また、あざれがましう、好すき好ずきしきけしきなどに、もの馴なれなどもしはべらぬに、うちとけたまふにや。おほかたなつかしうめやすき人ひとの御おほんありさまになむものしたまひける」

 など聞きこえたまふに、いとよきついで作つくり出いでて、すこし近ちかく参まゐり寄よりたまひて、かの夢語ゆめがたりを聞きこえたまへば、とみにものものたまはで、聞きこしめして、思おぼし合あはすることもあり。

その笛は、ここに見るべきゆゑ

「その笛ふえは、ここに見みるべきゆゑあるものなり。かれは陽成院やうぜいゐんの御笛おほんふえなり。それを故式部卿宮こしきぶきゃうのみやの、いみじきものにしたまひけるを、かの衛門督ゑもんのかみは、童わらはよりいと異ことなる音ねを吹ふき出いでしに感かんじて、かの宮みやの萩はぎの宴えんせられける日ひ、贈おくり物ものに取とらせたまへるなり。女をんなの心こころは深ふかくもたどり知しらず、しかものしたるななり」

 などのたまひて、

「末すゑの世よの伝つたへ、またいづ方かたにとかは思おもひまがへむ。さやうに思おもふなりけむかし」など思おぼして、「この君きみもいといたり深ふかき人ひとなれば、思おもひ寄よることあらむかし」と思おぼす。

 その御みけしきを見みるに、いとど憚はばかりて、とみにもうち出いで聞きこえたまはねど、せめて聞きかせたてまつらむの心こころあれば、今いましもことのついでに思おもひ出いでたるやうに、おぼめかしうもてなして、

「今いまはとせしほどにも、とぶらひにまかりてはべりしに、亡なからむ後のちのことども言いひ置おきはべりし中なかに、しかしかなむ深ふかくかしこまり申まうすよしを、返かへす返がへすものしはべりしかば、いかなることにかはべりけむ、今いまにそのゆゑをなむえ思おもひたまへ寄よりはべらねば、おぼつかなくはべる」

 と、いとたどたどしげに聞きこえたまふに、

「さればよ」

 と思おぼせど、何なにかは、そのほどの事ことあらはしのたまふべきならねば、しばしおぼめかしくて、

「しか、人ひとの恨うらみとまるばかりのけしきは、何なにのついでにかは漏もり出いでけむと、みづからもえ思おもひ出いでずなむ。さて、今いま静しづかに、かの夢ゆめは思おもひ合あはせてなむ聞きこゆべき。夜よる語かたらずとか、女房にょうばうの伝つたへに言いふなり」

 とのたまひて、をさをさ御おほんいらへもなければ、うち出いで聞きこえてけるを、いかに思おぼすにかと、つつましく思おぼしけり、とぞ。

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