『源氏物語』第37帖「横笛」現代語訳全文を読む|わかりやすい口語訳

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」尾形月耕『源氏五十四帖』

 このページでは、『源氏物語』第37帖「横笛」の現代語訳全文を掲載しています。原文の内容をそのまま訳しつつ、必要に応じて主語を補い、敬語表現をわかりやすく改めるなど、現代の読者が読みやすい口語訳にしています。

 原文を確認しながら読みたい方は、『源氏物語』第37帖「横笛」原文全文をご覧ください。

目次

亡き柏木を偲ぶ人々

 権大納言の柏木があまりにもあっけなく亡くなったことを、いつまでも惜しみ、恋しく思っている人は多かった。六条院の源氏も、もともと立派な人物が若くして亡くなるのを惜しむ人だったが、柏木は朝夕親しく出入りし、人一倍目をかけてきた青年である。思い出せば胸に引っかかることがないわけではない。それでも、折々につけて込み上げる哀れさのほうがずっと深かった。四十九日の法要にも特別に誦経をさせ、何も知らない幼い若君を見るたび、やはりたまらなく愛しく思われるので、胸の内に別の志をこめ、黄金百両を人知れず別に用意した。柏木の父である致仕の大臣は、その本当の意味など知るはずもなく、ただ源氏の厚い志に恐縮し、ありがたく礼を申し上げた。

 夕霧も柏木の追善にさまざまなことをし、中心になって心を尽くした。一条宮の女二の宮にも、この時期はことさら深く見舞いを続けている。柏木の弟たち以上に親身な夕霧の姿を、柏木の父母も「ここまでしてくださるとは思わなかった」とありがたく思った。亡くなってなお、これほど人々から重く思われていた息子なのだと知るほど、惜しさも悲しさも尽きなかった。

朱雀院から女三の宮へ届く山里の便り

 山に籠もる朱雀院は、女二の宮が夫を亡くして人目にも気の毒なほど物思いに沈んでいること、また女三の宮が尼となり、もはや俗世の暮らしから離れてしまったことを思えば、どちらも心残りでならなかった。それでも、もうこの世のことで心を乱すまいと堪えている。勤行の合間にも、「あの子も今は同じ仏の道を勤めているのだろう」と女三の宮を思い、娘が尼となってからは、ほんの些細な折にも絶えず便りを送っていた。

 ある時、寺の近くの林に生えた筍や、そのあたりの山で掘った野老など、山里らしくしみじみと感じられるものを女三の宮へ贈った。手紙の終わりには、「春の野山は霞が深く、どこもおぼつかないけれど、せめて私の心ばかりは深く掘り出させた、そのしるしだと思ってください」とあり、さらに歌が添えられていた。

世を別れ入らむ道はおくるとも同じところを君も尋ねよ

私がこの世を離れて先に入っていく道へ、たとえあとから来ることになっても、どうかあなたも同じところを訪ねてきてください。

 「それはなかなか難しいことなのですよ」とまで書かれた父の手紙を、女三の宮は涙ぐみながら読んでいた。そこへ源氏が渡ってきた。いつもは見ないような容器が御前近くに並んでいるので、「これは何ですか」と見れば、朱雀院からの贈り物と手紙である。「今日か明日かという心地でいるのに、思うように直接会うこともできない」といったことまで細やかに書かれている。源氏は、歌そのものは聖らしい素朴な言葉だと思いながらも、「本当に、あの方はそうお思いなのだろう。私まで姫宮を粗略に扱っているように見えて、御心配をいっそう深くしているのかもしれない」と気の毒になった。

 女三の宮は、父への返事を慎ましく書き、使者には青鈍の綾を一襲与えた。書き損じたらしい紙が几帳のそばから少し見えていたので、源氏が取ってみると、いかにも頼りなげな筆で歌が書かれていた。

憂き世にはあらぬところのゆかしくて背く山路に思ひこそ入れ

このつらい世とは別のところへ行きたくて、世を背いて入っていく山路へ、私の心はひたすら向かっています。

 源氏は、「お父上があれほど御心配でいらっしゃるのに、さらに『この世ではないところへ行きたい』などとお思いになるとは、本当に困った、つらいことですね」と言った。今では女三の宮とまともに顔を合わせることはほとんどない。それでも、かわいらしい額髪や愛らしい顔立ちは、まるで幼い子供のようで、見るたびにたまらなく愛しくなる。「どうしてこんな姿になってしまったのだろう」と、自分まで罪を得そうなほど胸が痛むので、几帳一つだけを隔て、ひどく遠ざけるのでも、以前のように近づくのでもない距離を保って過ごしていた。

若君の面差しに重なる、亡き柏木の影

 そのころ若君は、乳母のもとで寝ていたのが目を覚まし、這い出して源氏の袖にまとわりついた。白い薄物に紅梅色の唐風の小紋の衣を着て、裾を長く引きずり、まだ身体の線があらわなほど幼い。白くすらりとした姿は、柳の枝を削って作った人形のように愛らしかった。頭は露草でわざと色づけたかと思うほど鮮やかで、口元は美しく匂い、ゆったりした目つきの端に、どこかはっとするような薫りがある。そのあたりは、どうしても柏木をよく思い出させた。

 けれど源氏は、「柏木は、ここまで際立って美しい顔ではなかった。どうしてこれほどなのだろう。母宮にも似ていないし、幼い今から気高く堂々として、どこか普通の子とは違って見えるところなどは、むしろ鏡に映った自分の影に似ていなくもない」と、そう見ようとした。若君は、ようやく少し歩けるようになったころである。先ほど朱雀院から贈られてきた筍の器へ何も知らずに近寄り、慌ただしく取り散らし、かじっては投げて遊び始めた。

 源氏は笑って、「まあ、なんて乱暴な。かわいそうに、せっかくのものなのに。あれは取り隠しなさい。食べ物にばかり目をつける子だなんて、口の悪い女房たちに言われてしまいますよ」と言い、若君を抱き上げた。「この子の目つきには、もう何とも言えない気配がありますね。私はこのくらいの幼子を大勢見たわけではないけれど、普通ならこの年ごろは、ただ幼いものとしか見えないはずです。それなのに今からこうも違って見えるとは、かえって心配になる。女宮たちがおいでになるあたりに、こんな人が育っていけば、誰にとっても心苦しいことが起こりそうですね。ああ、それぞれが大人になっていく末まで、私は見届けられるのでしょうか。花の盛りまでは迎えるのでしょうけれど」と、じっと眺めた。

 女房たちは、「まあ、縁起でもないことを」とたしなめる。若君は生え始めた歯に当てたいのか、筍をぎゅっと握り、よだれでびしょびしょにしながらかじっている。源氏は、「ずいぶんひねくれた色好みですね」と笑って詠んだ。

憂き節も忘れずながら呉竹のこは捨て難きものにぞありける

あのつらい「節」のことは忘れられない。それでも、この呉竹の子――この子だけは、どうしても捨てがたいものなのですね。

 源氏がそう言って少し離しても、若君はにこにこしたまま何もわからず、せわしなく這い回っている。月日とともに若君が、怖いほど美しく成長していくのを見ているうちには、源氏も本当に、あのつらい「節」をすべて忘れてしまいそうだった。「この子が生まれる運命だったからこそ、あの思いもよらない出来事まで起きたのかもしれない。逃れられない宿縁だったのだろう」。そう思えば、少しは心を直すこともできた。それでも自分の運命を振り返れば、なお満たされない思いは多い。

 「これまで多くの女君と縁を結んできた中でも、この姫宮だけは、本来なら何一つ不満の混じるはずのない御身分で、人柄にも不足なくお仕えできるはずだった。それなのに、こんな思ってもみない形で向き合うことになってしまった」。そう考えると、やはり過ぎた罪を簡単には許せず、残念でならなかった。

秋の一条宮――夕霧が聞く、亡き人の琴

 一方、夕霧は、柏木が死の間際に自分へ残したあの一言を、今も一人で繰り返し思い出していた。「あれはいったい何のことだったのだろう」と源氏へ尋ね、その顔色も見てみたい。何となく察せられることがないわけでもないだけに、かえって正面から切り出すのは気が引けた。「何かよい機会に、事情をはっきりさせ、あの人がどれほど深く思い詰めていたのかも、父上のお耳へ入れよう」。そう考え続けていた。

 もの寂しい秋の夕べ、夕霧は一条宮のことを思い出し、訪ねていった。中では、くつろいだ静かな様子で琴などを弾いているらしい。深く取り次ぎを待たせることもなく、そのまま南の廂へ通された。端のほうにいた女房たちがいざって奥へ入る衣擦れの音や、あたりに漂う香りまで、しっとりと奥ゆかしい。いつものように一条御息所が出てきて、夕霧と昔話を交わした。

 自邸では朝から晩まで人の出入りが多く、幼い子供たちが騒ぎ、何かと慌ただしい暮らしに慣れている夕霧には、この邸の静けさはいっそう胸に染みた。少し荒れた気配はあっても、住まい方そのものは上品で気高い。前栽の花々は乱れ、虫の声が満ちる野のようになった庭へ夕映えが差している。

 夕霧が和琴を引き寄せると、律に調えられ、よく弾き込まれた楽器には、人の香が染みついているような懐かしさがあった。「こういうところで、思うままの色好み心を持つ男なら、心を抑えられず、みっともない素振りを見せ、あってはならない噂まで立てるのだろうな」。そんなことを思いながら少し掻き鳴らす。これは柏木がいつも弾いていた和琴だった。

 夕霧は美しい手を一つ二つ弾いてから、「ああ、あの人は、本当に珍しいほど見事な音を出したものですね。その響きが、まだこの琴の中へ残っているような気がします。どうか、こちらからもその名残を聞かせていただきたいものです」と言った。御息所は、「琴の緒が絶えた――あの方が亡くなってからは、姫宮も幼いころの琴遊びの名残すら思い出そうとなさらないようです。六条院の御前で女宮方がそれぞれ琴をお弾きになった折にも、こちらの宮はこの道に疎くはないとお話しになっていたそうですが、今ではすっかり心を失ったように物思いばかりしておられるので、まさに『世のつらさの端』とはこのことだと思って見ております」と答えた。

 夕霧は、「それはもっともなお嘆きです。けれど、どんなことにも終わりはあるものです」と物思いに沈み、琴を押しやった。すると御息所は、「それでも、もし音に伝わるものがあるのなら、聞き分けられる程度でよいので鳴らしていただけませんか。物思いに沈んで曇ってしまった私の耳だけでも、少し明るくしたいのです」と言う。夕霧は、「そのように『伝わる仲の緒』というものは、また別にあるのでしょうね。私が聞かせていただきたいと言ったのも、まさにそちらのほうなのですが」と、御簾近くまで少し寄った。とはいえ、すぐ受け入れられる話でもないので、それ以上無理強いはしなかった。

月夜の「想夫恋」と、形見の横笛

 やがて月が昇り、雲一つない空を雁が羽を交わしながら列を乱さず飛んでいく。その声を聞けば、一人残された女二の宮には、なおさら羨ましく思われたことだろう。風も肌寒く、もの悲しい夜である。その情趣に誘われたのか、宮が箏をほんのかすかに掻き鳴らした。深みのある音に夕霧の心はいっそう惹きつけられ、かえって思いが募る。夕霧は琵琶を取り寄せ、柔らかな音色で「想夫恋」を弾いた。

 「私が意味をわかった顔をするのは気恥ずかしいことですが、この曲になら、お答えくださってもよいのではありませんか」と、何度も簾の内へ促した。しかし、ただでさえ慎ましい宮が簡単に応じるはずもない。女二の宮は、ひたすら物思いを続けている。夕霧は歌を詠んだ。

ことに出でて言はぬも言ふにまさるとは人に恥ぢたるけしきをぞ見る

言葉に出して言わないほうが、口にする以上に思いを表すこともあるといいます。今のあなたの、恥じらって黙っていらっしゃる御様子が、まさにそう見えます。

 すると宮は、ほんの終わりのところだけを少し弾いて、歌を返した。

深き夜のあはればかりは聞きわけどことより顔にえやは弾きける

深い秋の夜の、このしみじみした情趣くらいは私にもわかります。でも、何もかもわかったような顔をして、どうして琴を弾くことなどできましょう。

 おっとりした音色の中に、昔の人が心を込めて伝えてきた深さがある。同じ調べのほんの一端を鳴らしただけなのに、もの悲しく、心が澄み切るような響きだった。そこで止めてしまったので、夕霧には恨めしいほど物足りなかった。それでも、「今夜は、私の色好みなところをいろいろ引き出して、すっかり御覧になってしまいましたね。秋の夜をこれ以上更かすと、昔の人から叱られそうですから、そろそろ退出いたしましょう。また改めて心して伺いますので、この琴の調べを変えずに待っていてください。世の中には、弾く人まで変わってしまうことがありますから、そこが心配で」と、露骨ではないながらも思いを匂わせて席を立った。

 御息所は、「今夜の御風流なら、世間の人もお許しになるでしょうね。取り留めもない昔話にばかり紛らわせておしまいになり、私には玉の緒をつなぐほどの甲斐もなく、名残が多うございます」と言い、帰りの贈り物に一本の笛を添えた。「これには、本当に古い由緒が伝わっていると聞いております。こんな蓬の生い茂る寂しい家に埋もれてしまうのも悲しいので、あなたの前駆に負けず響く音を、こちらからでも聞いてみたいものです」と差し出す。

 夕霧は、「私などには似つかわしくない従者になりそうですね」と言いながら笛を見る。確かに柏木がいつも身につけ、大切にしていたものだった。「自分でも、この笛の持つ音をすべて吹き尽くすことはできない。いつか、これを託したいと思える人に伝えたいものだ」と、折々語っていたことまで思い出され、哀れさはいっそう深くなる。夕霧は試しに吹き、盤渉調を半ばほど奏して止めた。「昔を偲ぶ独り言くらいなら許されるでしょうが、これはあまりにもまぶしくて」と言って出ていこうとすると、簾の内から歌が聞こえてきた。

露しげきむぐらの宿にいにしへの秋に変はらぬ虫の声かな

露の深い、葎の茂るこの寂しい家にも、虫の声だけは、あの人がいた昔の秋と少しも変わらず聞こえるのですね。

 夕霧も返した。

横笛の調べはことに変はらぬをむなしくなりし音こそ尽きせね

この横笛の調べそのものは昔と何も変わらない。それなのに、もう聞くことのできなくなったあの人の音だけが、尽きることなく恋しく思われます。

 夕霧はなかなか立ち去れず、しばらくためらっているうち、夜はすっかり更けてしまった。

横笛とともに現れた柏木の夢

 邸へ帰ると、もう格子は下ろされ、皆寝静まっていた。夕霧が女二の宮へ心を寄せ、これほど熱心に訪ねているらしいという噂は、雲居雁の耳にも入っていた。そのため、こんなに夜更けて帰ってきたことも面白くなく、夕霧が入ってきたのを聞きながら、眠っているふりをしているらしい。

 夕霧は古歌の「妹と我と入るさの山の――」などと、美しい声で一人歌いながら、「どうしてこんなに固く閉め切っているのです。まあ、味気ないこと。今夜の月を見ない家まであるのですね」とため息をついた。格子を上げさせ、御簾まで巻き上げて端近くに横になる。「こんな月夜に、安心して夢ばかり見ている人がいるものですか。少しこちらへいらっしゃい。本当につれないですね」と声をかけても、雲居雁は腹立たしい気持ちをこらえ、聞こえないふりをしている。

 あちらこちらには、幼い子供たちが寝ぼけて動く気配があり、女房たちも交じって休んでいて、人の気配に満ちている。さっきまでいた一条宮の静かな様子とは、何もかもが違っていた。夕霧は形見の笛を時々吹きながら、「今ごろあちらでは、名残惜しく月を眺めておられるのだろうか。琴の調べを変えず、弾いていらっしゃるだろうか。御息所も和琴の名手なのだよな」と思いやった。

 そして、「柏木はどうして、女二の宮を世間並みに大切な妻としては遇しながら、それほど深く思っている様子を見せなかったのだろう」と、また不思議に思う。「今自分が思い描いているほどの方ではなかったら、それも気の毒だ。世間でこの上なく素晴らしいと噂されるものは、実際にはたいてい少し見劣りするものだから」。そう考えているうち、自分と雲居雁との間には、こういう探り合うような心づかいもなく、若いころから長い年月すっかり馴れ親しんできたのだと思い当たる。雲居雁が今では遠慮なく自分の感情を押し通すのも、それだけ長いあいだ夫を頼りきって暮らしてきたからなのだと思えば、なるほどもっともなことに感じられた。

 少し寝入った夕霧の夢に、亡き柏木が、生前そのままの袿姿で隣に座っていた。そして例の笛を手に取り、じっと見ている。夢の中でも夕霧は、「亡くなった人が、この笛の音を尋ねて来たのだ」と思った。すると柏木が詠んだ。

笛竹に吹き寄る風のことならば末の世長きねに伝へなむ

もしこの笛竹へ吹き寄せる風のように、思いを伝えられるものなら、この音を末の世まで長く伝えてほしい。

 そして柏木は、「私が思っていた行き先は、別にあったのです」と言った。夕霧が「それはどういう意味だ」と尋ねようとした瞬間、幼い子供が寝ぼけて激しく泣き出す声で目が覚めた。

 その子がひどく泣き、乳を吐いたりするので、乳母たちも起きて騒ぎ始める。雲居雁も灯りを近くへ寄せさせ、髪を耳に挟んで手早く身なりを整え、子供を抱き上げた。ふっくらした白い胸を開いて乳を含ませ、心を込めてあやしている。子供もたいそうかわいらしく、母の乳は白く清らかで、若々しい母子の姿だった。

 夕霧も寄ってきて、「どうしたのです」と声をかける。寝具も散らかり、皆が騒ぐうちに、先ほどの夢のしみじみした余韻まで紛れてしまいそうだった。雲居雁は若々しくかわいらしい顔で、「具合が悪そうですよ。あなたが今どきの御様子で夜中の月見に浮かれ、格子まで開けていらっしゃるから、またいつもの物の怪が入ってきたのでしょう」と恨みを言う。夕霧は笑って、「妙な物の怪の道案内ですね。私が格子を上げなければ道がなくて、本当に入ってこられないのでしょうか。大勢の子供の母になられるにつれて、ずいぶん物事を深く考えておっしゃるようになりましたね」と返した。その目で見つめられると雲居雁もさすがに恥ずかしくなり、「もう出ていってください。みっともない」と言う。明るい灯影を恥じる姿も、やはり憎めない。その夜は本当に子供がぐずり続け、皆ほとんど眠れないまま明かした。

六条院で夕霧が見た若君

 翌朝になっても夕霧は夢を思い出していた。「この笛も、ずいぶん厄介なものだな。柏木があれほど心をかけていたものなのに、本来行くべきところへ来ていないらしい。女の家から伝わってきただけでは甲斐がない、ということなのだろうか。亡くなる間際のたった一つの恨みや愛着でさえ、執着となって長い死後の闇を迷わせるという。だからこそ、何事にも執着を残してはいけないのだ」。そう考え、愛宕で誦経をさせ、柏木が心を寄せていた寺にも供養をさせた。

 それでも、この笛は柏木が由緒ある大切な品としてわざわざ持ち出していたものだ。それをすぐ仏道のために施してしまうのも、尊いこととはいえ、あまりにあっけない。夕霧はそう思い、笛を持って六条院へ参上した。

 源氏は明石の女御の御方にいた。三歳ほどになる三の宮が、皇子たちの中でも特に愛らしいので、こちらでひときわ大切にしていた。三の宮は夕霧を見ると走り出て、「大将が来た。宮を抱いて、あちらへ連れていって」と、遠慮なくかわいらしく頼む。夕霧が笑って、「こちらへいらっしゃい。でも御簾の前を抱いて通るなど、とても軽々しすぎますよ」とためらうと、三の宮は「誰も見ていないよ。ぼく、顔を隠すから。ね、ね」と袖で顔を隠した。その様子があまりにかわいいので、夕霧は抱き上げて連れていった。

 こちらでは二の宮が、女三の宮の若君と一緒になって遊んでいた。夕霧が三の宮を隅の間で下ろすと、二の宮が見つけて、「ぼくも大将に抱かれたい」と言う。すると三の宮が、「ぼくの大将だよ」と夕霧を引き留めた。源氏はそれを見て、「まあ、ずいぶん騒がしい宮さまたちですね。朝廷の御近衛の大将を、自分たちの私的な随身にしようと争っていらっしゃる。三の宮は本当にいたずらで、いつもお兄さまに張り合って」とたしなめる。夕霧も笑って、「二の宮は、ずいぶんお兄さまらしく弟君へ場所を譲っておられます。御年のわりには恐ろしいほど御心が深くていらっしゃる」と申し上げた。源氏は微笑みながら、どの子もかわいく眺めていた。

 「こんな軽々しい公卿の座は見苦しい。あちらへ行きましょう」と夕霧が立とうとしても、宮たちはまとわりついて離れない。源氏の胸には、女三の宮の若君は、本来ならこの皇子たちと同列の御身分ではないのだという思いがある。それでも、もし自分がその違いを少しでも態度へ出せば、母である女三の宮が「やはり何か疑われているのでは」と心を痛めるかもしれない。そんなふうに考えてしまうのも、源氏自身の心にやましい影があるからなのだろう。かえって若君をひどくかわいがり、大切に育てていた。

 夕霧は、「この若君を、まだよく見ていない」と思い、御簾の隙から少し姿が見えたので、落ちていた枯れた花の枝を取って見せ、こちらへおいでと手招きした。若君はすぐ走ってきた。二藍の直衣だけを着た姿はひどく白く光るようで、皇子たちよりさらにきめ細かく愛らしく、ふっくらと清らかだった。気になって注意して見るせいもあるのだろうか。目つきは少し強く、きりっとしたところがあるが、目尻の美しい締まり方や、そこに薫るような表情は、やはり柏木によく似ている。口元もことさら華やかで、にっこり笑う様子などを見ると、「自分が疑っているせいだけだろうか。父上はきっと、もっとはっきり思い当たっているに違いない」と、夕霧はいよいよ源氏の本心を知りたくなった。

 皇子たちは、皇子だと思って見るからこそ気高くはあるが、見た目だけなら普通にかわいらしい子供たちでもある。それに比べてこの若君には、高貴さの中にどこか異様なほど目を惹く美しさがあった。夕霧は三人を見比べながら、「もし自分が疑っていることが本当なら、柏木の父大臣は、あれほど息子を失って狂うほど嘆きながら、今では『我こそはその子だ』と名乗る者一人いないのを悲しんでいる。この子が形見として残っていることさえ知らせないのは、罪になるほどのことではないだろうか」と思う。しかしすぐに、「いや、どうしてそんなことが本当にあり得るのだ」と考え直しても、やはり納得しきれない。若君は人懐こく、夕霧と親しく遊ぶので、ますますかわいく思われた。

横笛の由来と、柏木が残した最後の言葉

 やがて夕霧は源氏のいる対へ渡り、ゆっくり話をしているうちに日が暮れかけた。昨夜、一条宮へ参った時の様子などを話すと、源氏は微笑みながら聞いていた。昔を偲ぶ話や、しみじみしたところには相槌を打ちながら、やがてこう言った。

 「あなたが『想夫恋』を弾いたというのは、なるほど、昔の例として語られてもよいような折でしたね。ただ女というものは、やはり男の心が動くほどの風情や才を、よほどのことでもなければ表へ漏らさないほうがよいのだと、私はいろいろな経験から思い知りました。亡くなった人への昔からの心を忘れず、それほど長く慎みを守っていることを世間に知られるのなら、同じことなら最後まできれいに通して、あれこれ関わり合うような乱れを見せないほうが、誰にとっても奥ゆかしく、見苦しくないでしょう」

 夕霧は心の中で、「なるほど。人の上について説教する時だけは、ずいぶん心強いことをおっしゃる。でも御自分の色好みについては、さてどうでしょうね」と源氏を見た。それでも口には出さず、「何の乱れがございましょう。ただ、普通ではない深い悲しみに一度心を掛けた御家へ、すぐに足を絶ってしまうほうが、かえって世間並みの疑いを招くような態度に見えるかと思いまして。『想夫恋』も、わざと踏み込んで弾いたのであれば嫌味でしょうが、物の折にほんの少し出たものですから、その夜の情趣に合っていて面白かったのです。

 「何事も相手と場合によるのでしょう。宮も、もうひどく若々しい振る舞いをなさる年齢ではありませんし、かといって軽薄に色めいたことへ慣れている方でもない。そのため、私には少し気を許してくださるのでしょうか。全体に親しみ深く、感じのよい御方でいらっしゃいました」と答えた。

 そこまで話したところで、夕霧はちょうどよい機会だと思い、少し源氏へ近寄って、昨夜見た柏木の夢を語った。源氏はすぐには何も言わず、黙って聞いている。心の中では、思い当たることがあった。

 「その笛には、こちらで受け取る理由があるのです」と、やがて源氏は言った。「あれは陽成院の御笛です。それを亡き式部卿宮がたいそう大切になさっていた。柏木がまだ幼いころから、ほかの人とは違う音を笛で吹き出すのを感心され、宮が萩の宴を催された日に、贈り物としてお与えになったものです。あちらの女君たちが、その由来をどこまで深く御存じだったのかはわかりませんが、そうしてあなたの手へ渡ったのでしょう」

 そう言いながら源氏は、「『末の世へ伝えたい』というなら、ほかにどこへと思い違えるだろう。柏木は、やはりそういうつもりだったのだろう」と胸の内で思った。そして、「夕霧も非常に思慮の深い男だ。何か気づいていることがあるのではないか」と考える。

 夕霧はその源氏の様子を見て、ますます言い出しにくくなった。しかし、どうしても柏木の遺言だけは耳へ入れたい。そこで、今ちょうど思い出したというような、少しおぼつかない口調を装って言った。「柏木がもう最期というころ、私も見舞いに参りました。その時、亡くなったあとのことをいろいろ言い残した中で、『六条院へは、このようなことで深くお詫び申し上げていると、何度も何度もお伝えしてほしい』と言っておりました。いったい何のことだったのでしょう。今になっても、その理由を思い当たることができず、気にかかっているのです」

 源氏は心の中で、「やはりそうだったか」と思った。しかし、あのことをここで表へ出して話すはずもない。しばらく、何のことかわからないという顔をしてから、「そうですね。人の恨みが残るほどの気配を、私がいったい何の折に漏らしたのか、自分でも思い出せません。夢のことについても、今度静かな時によく考え合わせてからお話ししましょう。『夜の夢は人に語るものではない』と、女房たちもよく言いますからね」とだけ答えた。

 それ以上ほとんど返事がないので、夕霧は、「思い切って話してしまったことを、父上はいったいどうお思いになったのだろう」と、気恥ずかしく、気がかりなままに感じているのだった。

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