『源氏物語』第29帖「行幸」原文全文

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」国貞『源氏香の図』

 このページでは、『源氏物語』第29帖「行幸」の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『源氏物語』第29帖「行幸」現代語訳全文をご覧ください。

目次

かく思しいたらぬことなく

 かく思おぼしいたらぬことなく、いかでよからむことはと、思おぼし扱あつかひたまへど、この音無おとなしの滝たきこそ、うたていとほしく、南みなみの上うへの御おほん推おし量はかりごとにかなひて、軽々かるがるしかるべき御名おほんななれ。かの大臣おとど、何なにごとにつけても、きはぎはしう、すこしもかたはなるさまのことを、思おぼし忍しのばずなどものしたまふ御心みこころざまを、「さて思おもひ隈ぐまなく、けざやかなる御おほんもてなしなどのあらむにつけては、をこがましうもや」など、思おぼし返かへさふ。

 その師走しはすに、大原野おほはらのの行幸ぎゃうがうとて、世よに残のこる人ひとなく見み騒さわぐを、六条院ろくでうのゐんよりも、御方々おほんかたがた引ひき出いでつつ見みたまふ。卯うの時ときに出いでたまうて、朱雀すざくより五条ごでうの大路おほぢを、西にしざまに折をれたまふ。桂川かつらがはのもとまで、物見車ものみぐるま隙ひまなし。

 行幸ぎゃうがうといへど、かならずかうしもあらぬを、今日けふは親王みこたち、上達部かむだちめも、皆みな心こころことに、御馬おほんむま鞍くらをととのへ、随身ずいじん、馬副むまぞひの容貌かたち丈たけだち、装束さうぞくを飾かざりたまうつつ、めづらかにをかし。左右大臣さいうのおとど、内大臣うちのおとど、納言なふごんより下しもはた、まして残のこらず仕つかうまつりたまへり。青色あをいろの袍うへのきぬ、葡萄染えびぞめの下襲したがさねを、殿上人てんじゃうびと、五位ごゐ六位ろくゐまで着きたり。

 雪ゆきただいささかづつうち散ちりて、道みちの空そらさへ艶えんなり。親王みこたち、上達部かむだちめなども、鷹たかにかかづらひたまへるは、めづらしき狩かりの御おほんよそひどもをまうけたまふ。近衛このゑの鷹飼たかがひどもは、まして世よに目め馴なれぬ摺衣すりごろもを乱みだれ着きつつ、けしきことなり。

 めづらしうをかしきことに競きほひ出いでつつ、その人ひとともなく、かすかなる足あし弱よわき車くるまなど、輪わを押おしひしがれ、あはれげなるもあり。浮橋うきはしのもとなどにも、好このましう立たちさまよふよき車くるま多おほかり。

西の対の姫君も立ち出でたまへり

 西にしの対たいの姫君ひめぎみも立たち出いでたまへり。そこばく挑いどみ尽つくしたまへる人ひとの御容貌おほんかたちありさまを見みたまふに、帝みかどの、赤色あかいろの御衣おほんぞたてまつりて、うるはしう動うごきなき御おほんかたはらめに、なずらひきこゆべき人ひとなし。

 わが父大臣ちちおとどを、人ひと知しれず目めをつけたてまつりたまへど、きらきらしうものきよげに、盛さかりにはものしたまへど、限かぎりありかし。いと人ひとにすぐれたるただ人うどと見みえて、御輿みこしのうちよりほかに、目め移うつるべくもあらず。

 まして、容貌かたちありや、をかしやなど、若わかき御達ごたちの消きえかへり心こころうつす中ちう少将せうしゃう、何なにくれの殿上人てんじゃうびとやうの人ひとは、何なににもあらず消きえわたれるは、さらに類たぐひなうおはしますなりけり。源氏げんじの大臣おとどの御顔おほんかほざまは、異ことものとも見みえたまはぬを、思おもひなしの今いますこしいつかしう、かたじけなくめでたきなり。

 さは、かかる類たぐひはおはしがたかりけり。あてなる人ひとは、皆みなものきよげにけはひ異ことなべいものとのみ、大臣おとど、中将ちうじゃうなどの御おほんにほひに目馴めなれたまへるを、出いで消ぎえどものかたはなるにやあらむ、同おなじ目鼻めはなとも見みえず、口惜くちをしうぞ圧おされたるや。

 兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみやもおはす。右大将うだいしゃうの、さばかり重おもりかによしめくも、今日けふのよそひいとなまめきて、やなぐひなど負おひて、仕つかうまつりたまへり。色いろ黒くろく鬚ひげがちに見みえて、いと心こころづきなし。いかでかは、女をんなのつくろひたてたる顔かほの色いろあひには似にたらむ。いとわりなきことを、若わかき御心地みここちには、見みおとしたまうてけり。

 大臣おとどの君きみの思おぼし寄よりてのたまふことを、「いかがはあらむ、宮仕みやづかへは、心こころにもあらで、見苦みぐるしきありさまにや」と思おもひつつみたまふを、「馴なれ馴なれしき筋すぢなどをばもて離はなれて、おほかたに仕つかうまつり御覧ごらんぜられむは、をかしうもありなむかし」とぞ、思おもひ寄よりたまうける。

かうて、野におはしまし着きて

 かうて、野のにおはしまし着つきて、御輿みこしとどめ、上達部かむだちめの平張ひらばりにもの参まゐり、御装束おほんさうぞくども、直衣なほし、狩かりのよそひなどに改あらためたまふほどに、六条院ろくでうのゐんより、御酒おほんみき、御おほんくだものなどたてまつらせたまへり。今日けふ仕つかうまつりたまふべく、かねて御みけしきありけれど、御物忌おほんものいみのよしを奏そうせさせたまへりけるなりけり。

 蔵人くらうどの左衛門尉さゑもんのぜうを御使おほんつかひにて、雉きじ一枝ひとえだたてまつらせたまふ。仰おほせ言ごとには何なにとかや、さやうの折をりのことまねぶに、わづらはしくなむ。

「雪ゆき深ふかき小塩山をしほのやまにたつ雉きじの古ふるき跡あとをも今日けふは尋たづねよ」

 太政大臣おほきおとどの、かかる野のの行幸ぎゃうがうに仕つかうまつりたまへる例ためしなどやありけむ。大臣おとど、御使おほんつかひをかしこまりもてなさせたまふ。

「小塩山をしほやま深雪みゆき積つもれる松原まつばらに今日けふばかりなる跡あとやなからむ」

 と、そのころほひ聞ききしことの、そばそば思おもひ出いでらるるは、ひがことにやあらむ。

またの日、大臣、西の対に

 またの日ひ、大臣おとど、西にしの対たいに、

「昨日きのふ、主上うへは見みたてまつりたまひきや。かのことは、思おぼしなびきぬらむや」

 と聞きこえたまへり。白しろき色紙しきしに、いとうちとけたる文ふみ、こまかにけしきばみてもあらぬが、をかしきを見みたまうて、

「あいなのことや」

 と笑わらひたまふものから、「よくも推おし量はからせたまふものかな」と思おぼす。御返おほんかへりに、

「昨日きのふは、

うちきらし朝あさぐもりせし行幸みゆきにはさやかに空そらの光ひかりやは見みし

おぼつかなき御おほんことどもになむ」

 とあるを、上うへも見みたまふ。

「ささのことをそそのかししかど、中宮ちうぐうかくておはす、ここながらのおぼえには、便びんなかるべし。かの大臣おとどに知しられても、女御にょうごかくてまたさぶらひたまへばなど、思おもひ乱みだるめりし筋すぢなり。若人わかうどの、さも馴なれ仕つかうまつらむに、憚はばかる思おもひなからむは、主上うへをほの見みたてまつりて、えかけ離はなれて思おもふはあらじ」

 とのたまへば、

「あな、うたて。めでたしと見みたてまつるとも、心こころもて宮仕みやづかひ思おもひ立たたむこそ、いとさし過すぎたる心こころならめ」

 とて、笑わらひたまふ。

「いで、そこにしもぞ、めできこえたまはむ」

 などのたまうて、また御返おほんかへり、

「あかねさす光ひかりは空そらに曇くもらぬをなどて行幸みゆきに目めをきらしけむ

なほ、思おぼし立たて」

 など、絶たえず勧すすめたまふ。

とてもかうても、まづ御裳着のことを

「とてもかうても、まづ御裳着おほんもぎのことをこそは」と思おぼして、その御おほんまうけの御調度おほんてうどの、こまかなるきよらども加くはへさせたまひ、何なにくれの儀式ぎしきを、御心みこころにはいとも思おもほさぬことをだに、おのづからよだけくいかめしくなるを、まして、「内うちの大臣おとどにも、やがてこのついでにや知しらせたてまつりてまし」と思おぼし寄よれば、いとめでたくなむ。「年とし返かへりて、二月きさらぎに」と思おぼす。

「女をんなは、聞きこえ高たかく、名な隠かくしたまふべきほどならぬも、人ひとの御女おほんむすめとて、籠こもりおはするほどは、かならずしも、氏神うぢがみの御おほんつとめなど、あらはならぬほどなればこそ、年月としつきはまぎれ過すぐしたまへ、この、もし思おぼし寄よることもあらむには、春日かすがの神かみの御心みこころ違たがひぬべきも、つひには隠かくれてやむまじきものから、あぢきなく、わざとがましき後のちの名なまで、うたたあるべし。なほなほしき人ひとの際きはこそ、今様いまやうとては、氏うぢ改あらたむることのたはやすきもあれ」など思おぼしめぐらすに、「親子おやこの御契おほんちぎり、絶たゆべきやうなし。同おなじくは、わが心こころ許ゆるしてを、知しらせたてまつらむ」

 など思おぼし定さだめて、この御腰結おほんこしゆひには、かの大臣おとどをなむ、御消息おほんせうそこ聞きこえたまうければ、大宮おほみや、去年こぞの冬ふゆつ方かたより悩なやみたまふこと、さらにおこたりたまはねば、かかるに合あはせて、便びんなかるべきよし、聞きこえたまへり。

 中将ちうじゃうの君きみも、夜よる昼ひる、三条さんでうにぞさぶらひたまひて、心こころの隙ひまなくものしたまうて、折をり悪あしきを、いかにせましと思おぼす。

「世よも、いと定さだめなし。宮みやも亡うせさせたまはば、御服おほんぶくあるべきを、知しらず顔がほにてものしたまはむ、罪つみ深ふかきこと多おほからむ。おはする世よに、このこと表あらはしてむ」

 と思おぼし取とりて、三条さんでうの宮みやに、御訪おほんとぶらひがてら渡わたりたまふ。

今はまして、忍びやかにふるまひ

 今いまはまして、忍しのびやかにふるまひたまへど、行幸みゆきに劣おとらずよそほしく、いよいよ光ひかりをのみ添そへたまふ御容貌おほんかたちなどの、この世よに見みえぬ心地ここちして、めづらしう見みたてまつりたまふには、いとど御心地みここちの悩なやましさも、取とり捨すてらるる心地ここちして、起おきゐたまへり。御脇息おほんけふそくにかかりて、弱よわげなれど、ものなどいとよく聞きこえたまふ。

「けしうはおはしまさざりけるを、なにがしの朝臣あそんの心こころ惑まどはして、おどろおどろしう嘆なげききこえさすめれば、いかやうにものせさせたまふにかとなむ、おぼつかながりきこえさせつる。内裏うちなどにも、ことなるついでなき限かぎりは参まゐらず、朝廷おほやけに仕つかふる人ひとともなくて籠こもりはべれば、よろづうひうひしう、よだけくなりにてはべり。齢よはひなど、これよりまさる人ひと、腰こし堪たへぬまで屈かがまりありく例ためし、昔むかしも今いまもはべめれど、あやしくおれおれしき本性ほんじゃうに、添そふもの憂うさになむはべるべき」

 など聞きこえたまふ。

「年としの積つもりの悩なやみと思おもうたまへつつ、月つきごろになりぬるを、今年ことしとなりては、頼たのみ少すくなきやうにおぼえはべれば、今いま一度ひとたび、かく見みたてまつりきこえさすることもなくてやと、心細こころぼそく思おもひたまへつるを、今日けふこそ、またすこし延のびぬる心地ここちしはべれ。今いまは惜をしみとむべきほどにもはべらず。さべき人ひとびとにも立たち後おくれ、世よの末すゑに残のこりとまれる類たぐひを、人ひとの上うへにて、いと心こころづきなしと見みはべりしかば、出いで立たちいそぎをなむ、思おもひもよほされはべるに、この中将ちうじゃうの、いとあはれにあやしきまで思おもひあつかひ、心こころを騒さわがいたまふ見みはべるになむ、さまざまにかけとめられて、今いままで長ながびきはべる」

 と、ただ泣なきに泣なきて、御声おほんこゑのわななくも、をこがましけれど、さることどもなれば、いとあはれなり。

御物語ども、昔今のとり集め

 御物語おほんものがたりども、昔むかし今いまのとり集あつめ聞きこえたまふついでに、

「内うちの大臣おとどは、日ひ隔へだてず参まゐりたまふことしげからむを、かかるついでに対面たいめんのあらば、いかにうれしからむ。いかで聞きこえ知しらせむと思おもふことのはべるを、さるべきついでなくては、対面たいめんもありがたければ、おぼつかなくてなむ」

 と聞きこえたまふ。

「公事おほやけごとのしげきにや、私わたくしの心こころざしの深ふかからぬにや、さしもとぶらひものしはべらず。のたまはすべからむことは、何なにさまのことにかは。中将ちうじゃうの恨うらめしげに思おもはれたることもはべるを、初はじめのことは知しらねど、今いまはけに聞ききにくくもてなすにつけて、立たちそめにし名なの、取とり返かへさるるものにもあらず、をこがましきやうに、かへりては世人よひとも言いひ漏もらすなるをなどものしはべれば、立たてたるところ、昔むかしよりいと解とけがたき人ひとの本性ほんじゃうにて、心得こころえずなむ見みたまふる」

 と、この中将ちうじゃうの御おほんことと思おぼしてのたまへば、うち笑わらひたまひて、

「いふかひなきに、許ゆるし捨すてたまふこともやと聞ききはべりて、ここにさへなむかすめ申まうすやうありしかど、いと厳きびしう諌いさめたまふよしを見みはべりし後のち、何なににさまで言ことをもまぜはべりけむと、人悪ひとわるう悔くい思おもうたまへてなむ。

よろづのことにつけて、清きよめといふことはべれば、いかがは、さもとり返かへしすすいたまはざらむとは思おもうたまへながら、かう口惜くちをしき濁にごりの末すゑに、待まちとり深ふかう住すむべき水みづこそ出いで来きがたかべい世よなれ。何なにごとにつけても、末すゑになれば、落おちゆくけぢめこそやすくはべめれ。いとほしう聞ききたまふる」

 など申まうしたまうて、

さるは、かの知りたまふべき人を

「さるは、かの知しりたまふべき人ひとをなむ、思おもひまがふることはべりて、不意ふいに尋たづね取とりてはべるを、その折をりは、さるひがわざとも明あかしはべらずありしかば、あながちにことの心こころを尋たづね返かへさふこともはべらで、たださるものの種くさの少すくなきを、かことにても、何なにかはと思おもうたまへ許ゆるして、をさをさ睦むつびも見みはべらずして、年月としつきはべりつるを、いかでか聞きこしめしけむ、内裏うちに仰おほせらるるやうなむある。

尚侍ないしのかみ、宮仕みやづかへする人ひとなくては、かの所ところのまつりごとしどけなく、女官にょくわんなども公事おほやけごとを仕つかうまつるに、たづきなく、こと乱みだるるやうになむありけるを、ただ今いま、主上うへにさぶらふ古老こらうの典侍すけ二人ふたり、またさるべき人ひとびと、さまざまに申まうさするを、はかばかしう選えらばせたまはむ尋たづねに、類たぐふべき人ひとなむなき。

なほ、家いへ高たかう、人ひとのおぼえ軽かろからで、家いへのいとなみたてたらぬ人ひとなむ、いにしへよりなり来きにける。したたかにかしこきかたの選えらびにては、その人ひとならでも、年月としつきの労らふになりのぼる類たぐひあれど、しか類たぐふべきもなしとならば、おほかたのおぼえをだに選えらせたまはむとなむ、うちうちに仰おほせられたりしを、似にげなきこととしも、何なにかは思おもひたまはむ。

宮仕みやづかへは、さるべき筋すぢにて、上かみも下しもも思おもひ及および、出いで立たつこそ心高こころたかきことなれ。公様おほやけざまにて、さる所ところのことをつかさどり、まつりごとのおもぶきをしたため知しらむことは、はかばかしからず、あはつけきやうにおぼえたれど、などかまたさしもあらむ。ただ、わが身みのありさまからこそ、よろづのことはべめれと、思おもひ弱よわりはべりしついでになむ。

齢よはひのほどなど問とひ聞ききはべれば、かの御おほん尋たづねあべいことになむありけるを、いかなべいことぞとも、申まうしあきらめまほしうはべる。ついでなくては対面たいめんはべるべきにもはべらず。やがてかかることなむと、あらはし申まうすべきやうを思おもひめぐらして、消息せうそこ申まうししを、御おほん悩なやみにことづけて、もの憂うげにすまひたまへりし。

げに、折をりしも便びんなう思おもひとまりはべるに、よろしうものせさせたまひければ、なほ、かう思おもひおこせるついでにとなむ思おもうたまふる。さやうに伝つたへものせさせたまへ」

 と聞きこえたまふ。宮みや、

「いかに、いかに、はべりけることにか。かしこには、さまざまにかかる名なのりする人ひとを、厭いとふことなく拾ひろひ集あつめらるめるに、いかなる心こころにて、かくひき違たがへかこちきこえらるらむ。この年としごろ、うけたまはりて、なりぬるにや」

 と、聞きこえたまへば、

「さるやうはべることなり。詳くはしきさまは、かの大臣おとどもおのづから尋たづね聞ききたまうてむ。くだくだしき直人なほびとの仲なからひに似にたることにはべれば、明あかさむにつけても、らうがはしう人ひと言いひ伝つたへはべらむを、中将ちうじゃうの朝臣あそんにだに、まだわきまへ知しらせはべらず。人ひとにも漏もらさせたまふまじ」

 と、御口おほんくちかためきこえたまふ。

内の大殿、かく三条の宮に

 内うちの大殿おほいどの、かく三条さんでうの宮みやに太政大臣おほきおとど渡わたりおはしまいたるよし、聞ききたまひて、

「いかに寂さびしげにて、いつかしき御おほんさまを待まちうけきこえたまふらむ。御前ごぜんどももてはやし、御座おましひきつくろふ人ひとも、はかばかしうあらじかし。中将ちうじゃうは、御供おほんともにこそものせられつらめ」

 など、おどろきたまうて、御子おほんこどもの君達きむだち、睦むつましうさるべきまうち君ぎみたち、たてまつれたまふ。

「御おほんくだもの、御酒おほんみきなど、さりぬべく参まゐらせよ。みづからも参まゐるべきを、かへりてもの騒さわがしきやうならむ」

 などのたまふほどに、大宮おほみやの御文おほんふみあり。

「六条ろくでうの大臣おとどの訪とぶらひに渡わたりたまへるを、もの寂さびしげにはべれば、人目ひとめのいとほしうも、かたじけなうもあるを、ことことしう、かう聞きこえたるやうにはあらで、渡わたりたまひなむや。対面たいめんに聞きこえまほしげなることもあなり」

 と聞きこえたまへり。

「何なにごとにかはあらむ。この姫君ひめぎみの御おほんこと、中将ちうじゃうの愁うれへにや」と思おぼしまはすに、「宮みやもかう御世みよ残のこりなげにて、このことと切せちにのたまひ、大臣おとども憎にくからぬさまに一言ひとことうち出いで恨うらみたまはむに、とかく申まうしかへさふことえあらじかし。つれなくて思おもひ入いれぬを見みるにはやすからず、さるべきついであらば、人ひとの御言おほんことになびき顔がほにて許ゆるしてむ」と思おぼす。

「御心みこころをさしあはせてのたまはむこと」と思おもひ寄よりたまふに、「いとど否いなびどころなからむが、また、などかさしもあらむ」とやすらはるる、いとけしからぬ御おほんあやにく心ごころなりかし。「されど、宮みやかくのたまひ、大臣おとども対面たいめんすべく待まちおはするにや、かたがたにかたじけなし。参まゐりてこそは、御みけしきに従したがはめ」

 など思おもほしなりて、御装束おほんさうぞく心こころことにひきつくろひて、御前ごぜんなどもことことしきさまにはあらで渡わたりたまふ。

君達いとあまた引きつれて

 君達きむだちいとあまた引ひきつれて入いりたまふさま、ものものしう頼たのもしげなり。丈たけだちそぞろかにものしたまふに、太ふとさもあひて、いと宿徳しうとくに、面おももち、歩あゆまひ、大臣おとどといはむに足たらひたまへり。

 葡萄染えびぞめの御指貫おほんさしぬき、桜さくらの下襲したがさね、いと長ながうは裾しり引ひきて、ゆるゆるとことさらびたる御おほんもてなし、あなきらきらしと見みえたまへるに、六条殿ろくでうどのは、桜さくらの唐からの綺きの御直衣おほんなほし、今様色いまやういろの御衣おほんぞひき重かさねて、しどけなき大君姿おほきみすがた、いよいよたとへむものなし。光ひかりこそまさりたまへ、かうしたたかにひきつくろひたまへる御おほんありさまに、なずらへても見みえたまはざりけり。

 君達きむだち次々つぎつぎに、いとものきよげなる御仲おほんなからひにて、集つどひたまへり。藤大納言とうだいなごん、春宮大夫とうぐうのだいぶなど、今いまは聞きこゆる子こどもも、皆みななり出いでつつものしたまふ。おのづから、わざともなきに、おぼえ高たかくやむごとなき殿上人てんじゃうびと、蔵人頭くらひとのとう、五位ごゐの蔵人くらうど、近衛このゑの中ちう、少将せうしゃう、弁官べんくわんなど、人柄ひとがらはなやかにあるべかしき、十余人じふよにん集つどひたまへれば、いかめしう、次々つぎつぎのただ人ふども多おほくて、土器かはらけあまたたび流ながれ、皆みな酔ゑひになりて、おのおのかう幸さいはひ人ひとにすぐれたまへる御おほんありさまを物語ものがたりにしけり。

大臣も、めづらしき御対面に

 大臣おとども、めづらしき御対面おほんたいめんに、昔むかしのこと思おぼし出いでられて、よそよそにてこそ、はかなきことにつけて、挑いどましき御心みこころも添そふべかめれ、さし向むかひきこえたまひては、かたみにいとあはれなることの数々かずかず思おぼし出いでつつ、例れいの、隔へだてなく、昔むかし今いまのことども、年としごろの御物語おほんものがたりに、日ひ暮くれゆく。御土器おほんかはらけなど勧すすめ参まゐりたまふ。

「さぶらはでは悪あしかりぬべかりけるを、召めしなきに憚はばかりて。うけたまはり過すぐしてましかば、御勘事おほんかうじや添そはまし」

 と申まうしたまふに、

「勘当かんだうは、こなたざまになむ。勘事かうじと思おもふこと多おほくはべる」

 など、けしきばみたまふに、このことにやと思おぼせば、わづらはしうて、かしこまりたるさまにてものしたまふ。

「昔むかしより、公おほやけ私わたくしのことにつけて、心こころの隔へだてなく、大小だいせうのこと聞きこえうけたまはり、羽翼はねを並ならぶるやうにて、朝廷おほやけの御後見おほんうしろみをも仕つかうまつるとなむ思おもうたまへしを、末すゑの世よとなりて、そのかみ思おもうたまへし本意ほいなきやうなること、うち交まじりはべれど、うちうちの私事わたくしごとにこそは。

おほかたの心こころざしは、さらに移うつろふことなくなむ。何なにともなくて積つもりはべる年とし齢よはひに添そへて、いにしへのことなむ恋こひしかりけるを、対面たいめん賜たまはることもいとまれにのみはべれば、こと限かぎりありて、世よだけき御おほんふるまひとは思おもうたまへながら、親したしきほどには、その御勢おほんいきほひをも、引ひきしじめたまひてこそは、訪とぶらひものしたまはめとなむ、恨うらめしき折々をりをりはべる」

 と聞きこえたまへば、

「いにしへは、げに面馴おもなれて、あやしくたいだいしきまで馴なれさぶらひ、心こころに隔へだつることなく御覧ごらんぜられしを、朝廷おほやけに仕つかうまつりし際きはは、羽翼はねを並ならべたる数かずにも思おもひはべらで、うれしき御おほんかへりみをこそ、はかばかしからぬ身みにて、かかる位くらゐに及およびはべりて、朝廷おほやけに仕つかうまつりはべることに添そへても、思おもうたまへ知しらぬにははべらぬを、齢よはひの積つもりには、げにおのづからうちゆるぶことのみなむ、多おほくはべりける」

 などかしこまり申まうしたまふ。

 そのついでに、ほのめかし出いでたまひてけり。大臣おとど、

「いとあはれに、めづらかなることにもはべるかな」と、まづうち泣なきたまひて、「そのかみより、いかになりにけむと尋たづね思おもうたまへしさまは、何なにのついでにかはべりけむ、愁うれへに堪たへず、漏もらし聞きこしめさせし心地ここちなむしはべる。今いまかく、すこし人数ひとかずにもなりはべるにつけて、はかばかしからぬ者ものどもの、かたがたにつけてさまよひはべるを、かたくなしく、見苦みぐるしと見みはべるにつけても、またさるさまにて、数々かずかずに連つらねては、あはれに思おもうたまへらるる折をりに添そへても、まづなむ思おもひたまへ出いでらるる」

 とのたまふついでに、かのいにしへの雨夜あまよの物語ものがたりに、いろいろなりし御睦言おほんむつごとの定さだめを思おぼし出いでて、泣なきみ笑わらひみ、皆みなうち乱みだれたまひぬ。

夜いたう更けて、おのおのあかれ

 夜よいたう更ふけて、おのおのあかれたまふ。

「かく参まゐり来きあひては、さらに、久ひさしくなりぬる世よの古事ふること、思おもうたまへ出いでられ、恋こひしきことの忍しのびがたきに、立たち出いでむ心地ここちもしはべらず」

 とて、をさをさ心弱こころよわくおはしまさぬ六条殿ろくでうどのも、酔ゑひ泣なきにや、うちしほれたまふ。宮みやはたまいて、姫君ひめぎみの御おほんことを思おぼし出いづるに、ありしにまさる御おほんありさま、勢いきほひを見みたてまつりたまふに、飽あかず悲かなしくて、とどめがたく、しほしほと泣なきたまふ尼衣あまごろもは、げに心こころことなりけり。

 かかるついでなれど、中将ちうじゃうの御おほんことをば、うち出いでたまはずなりぬ。ひとふし用意よういなしと思おぼしおきてければ、口くち入いれむことも人悪ひとわるく思おぼしとどめ、かの大臣おとどはた、人ひとの御みけしきなきに、さし過すぐしがたくて、さすがにむすぼほれたる心地ここちしたまうけり。

「今宵こよひも御供おほんともにさぶらふべきを、うちつけに騒さわがしくもやとてなむ。今日けふのかしこまりは、ことさらになむ参まゐるべくはべる」

 と申まうしたまへば、

「さらば、この御おほん悩なやみもよろしう見みえたまふを、かならず聞きこえし日ひ違たがへさせたまはず、渡わたりたまふべき」よし、聞きこえ契ちぎりたまふ。

 御みけしきどもようて、おのおの出いでたまふ響ひびき、いといかめし。君達きむだちの御供おほんともの人ひとびと、

「何なにごとありつるならむ。めづらしき御対面おほんたいめんに、いと御みけしきよげなりつるは」

「また、いかなる御おほん譲ゆづりあるべきにか」

 など、ひが心こころを得えつつ、かかる筋すぢとは思おもひ寄よらざりけり。

大臣、うちつけにいといぶかしう

 大臣おとど、うちつけにいといぶかしう、心こころもとなうおぼえたまへど、

「ふと、しか受うけとり、親おやがらむも便びんなからむ。尋たづね得えたまへらむ初はじめを思おもふに、定さだめて心こころきよう見放みはなちたまはじ。やむごとなき方々かたがたを憚はばかりて、うけばりてその際きはにはもてなさず、さすがにわづらはしう、ものの聞きこえを思おもひて、かく明あかしたまふなめり」

 と思おぼすは、口惜くちをしけれど、

「それを疵きずとすべきことかは。ことさらにも、かの御おほんあたりに触ふればはせむに、などかおぼえの劣おとらむ。宮仕みやづかへざまにおもむきたまへらば、女御にょうごなどの思おぼさむこともあぢきなし」と思おぼせど、「ともかくも、思おもひ寄よりのたまはむおきてを違たがふべきことかは」

 と、よろづに思おぼしけり。

 かくのたまふは、二月きさらぎ朔日ついたちころなりけり。十六日じふろくにち、彼岸ひがんの初はじめにて、いと吉よき日ひなりけり。近ちかうまた吉よき日ひなしと勘かむがへ申まうしけるうちに、宮みやよろしうおはしませば、いそぎ立たちたまうて、例れいの渡わたりたまうても、大臣おとどに申まうしあらはししさまなど、いとこまかにあべきことども教をしへきこえたまへば、

「あはれなる御心みこころは、親おやと聞きこえながらも、ありがたからむを」

 と思おぼすものから、いとなむうれしかりける。

 かくて後のちは、中将ちうじゃうの君きみにも、忍しのびてかかることの心こころのたまひ知しらせけり。

「あやしのことどもや。むべなりけり」

 と、思おもひあはすることどもあるに、かのつれなき人ひとの御おほんありさまよりも、なほもあらず思おもひ出いでられて、「思おもひ寄よらざりけることよ」と、しれじれしき心地ここちす。されど、「あるまじう、ねじけたるべきほどなりけり」と、思おもひ返かへすことこそは、ありがたきまめまめしさなめれ。

かくてその日になりて

 かくてその日ひになりて、三条さんでうの宮みやより、忍しのびやかに御使おほんつかひあり。御櫛みくしの筥はこなど、にはかなれど、ことどもいときよらにしたまうて、御文おほんふみには、

「聞きこえむにも、いまいましきありさまを、今日けふは忍しのびこめはべれど、さるかたにても、長ながき例ためしばかりを思おぼし許ゆるすべうや、とてなむ。あはれにうけたまはり、あきらめたる筋すぢをかけきこえむも、いかが。御みけしきに従したがひてなむ。

ふたかたに言いひもてゆけば玉櫛笥たまくしげわが身みはなれぬ懸子かけごなりけり」

 と、いと古ふるめかしうわななきたまへるを、殿とのもこなたにおはしまして、ことども御覧ごらんじ定さだむるほどなれば、見みたまうて、

「古代こだいなる御文おほんふみ書がきなれど、いたしや、この御手おほんてよ。昔むかしは上手じゃうずにものしたまひけるを、年としに添そへて、あやしく老おいゆくものにこそありけれ。いとからく御手おほんてふるひにけり」

 など、うち返かへし見みたまうて、

「よくも玉櫛笥たまくしげにまつはれたるかな。三十一字みそひともじの中なかに、異文字こともじは少すくなく添そへたることのかたきなり」

 と、忍しのびて笑わらひたまふ。

中宮より、白き御裳、唐衣

 中宮ちうぐうより、白しろき御裳おほんも、唐衣からぎぬ、御装束おほんさうぞく、御髪上みぐしあげの具ぐなど、いと二になくて、例れいの、壺つぼどもに、唐からの薫物たきもの、心こころことに香かをり深ふかくてたてまつりたまへり。

 御方々おほんかたがた、皆みな心々こころごころに、御装束おほんさうぞく、人ひとびとの料れうに、櫛くし扇あふぎまで、とりどりにし出いでたまへるありさま、劣おとりまさらず、さまざまにつけて、かばかりの御心みこころばせどもに、挑いどみ尽つくしたまへれば、をかしう見みゆるを、東ひむがしの院ゐんの人ひとびとも、かかる御おほんいそぎは聞ききたまうけれども、訪とぶらひきこえたまふべき数かずならねば、ただ聞きき過すぐしたるに、常陸ひたちの宮みやの御方おほんかた、あやしうものうるはしう、さるべきことの折をり過すぐさぬ古代こだいの御心みこころにて、いかでかこの御おほんいそぎを、よそのこととは聞きき過すぐさむ、と思おぼして、形かたのごとなむし出いでたまうける。

 あはれなる御心みこころざしなりかし。青鈍あをにびの細長ほそなが一襲ひとかさね、落栗おちぐりとかや、何なにとかや、昔むかしの人ひとのめでたうしける袷あはせの袴はかま一具いちぐ、紫むらさきのしらきり見みゆる霰地あられぢの御小袿おほんこうちきと、よき衣筥ころもばこに入いれて、包つつみいとうるはしうて、たてまつれたまへり。

 御文おほんふみには、

「知しらせたまふべき数かずにもはべらねば、つつましけれど、かかる折をりは思おもたまへ忍しのびがたくなむ。これ、いとあやしけれど、人ひとにも賜たまはせよ」

 と、おいらかなり。殿との、御覧ごらんじつけて、いとあさましう、例れいの、と思おぼすに、御顔おほんかほ赤あかみぬ。

「あやしき古人ふるびとにこそあれ。かくものづつみしたる人ひとは、引ひき入いり沈しづみ入いりたるこそよけれ。さすがに恥はぢがましや」とて、「返かへりことはつかはせ。はしたなく思おもひなむ。父親王ちちみこの、いとかなしうしたまひける、思おもひ出いづれば、人ひとに落おとさむはいと心苦こころぐるしき人ひとなり」

 と聞きこえたまふ。御小袿おほんこうちきの袂たもとに、例れいの、同おなじ筋すぢの歌うたありけり。

「わが身みこそ恨うらみられけれ唐衣からごろも君きみが袂たもとに馴なれずと思おもへば」

 御手おほんては、昔むかしだにありしを、いとわりなうしじかみ、彫ゑり深ふかう、強つよう、堅かたう書かきたまへり。大臣おとど、憎にくきものの、をかしさをばえ念ねんじたまはで、

「この歌うた詠よみつらむほどこそ。まして今いまは力ちからなくて、所狭ところせかりけむ」

 と、いとほしがりたまふ。

「いで、この返かへりこと、騒さわがしうとも、われせむ」

 とのたまひて、

「あやしう、人ひとの思おもひ寄よるまじき御心みこころばへこそ、あらでもありぬべけれ」

 と、憎にくさに書かきたまうて、

「唐衣からごろもまた唐衣からごろも唐衣からごろもかへすがへすも唐衣からごろもなる」

 とて、

「いとまめやかに、かの人ひとの立たてて好このむ筋すぢなれば、ものしてはべるなり」

 とて、見みせたてまつりたまへば、君きみ、いとにほひやかに笑わらひたまひて、

「あな、いとほし。弄ろうじたるやうにもはべるかな」

 と、苦くるしがりたまふ。ようなしごといと多おほかりや。

内大臣は、さしも急がれたまふまじき

 内大臣うちのおとどは、さしも急いそがれたまふまじき御心みこころなれど、めづらかに聞ききたまうし後のちは、いつしかと御心みこころにかかりたれば、疾とく参まゐりたまへり。

 儀式ぎしきなど、あべい限かぎりにまた過すぎて、めづらしきさまにしなさせたまへり。「げにわざと御心みこころとどめたまうけること」と見みたまふも、かたじけなきものから、やう変かはりて思おぼさる。

 亥ゐの時ときにて、入いれたてまつりたまふ。例れいの御おほんまうけをばさるものにて、内うちの御座おましいと二になくしつらはせたまうて、御肴みさかな参まゐらせたまふ。御殿油おほんとなぶら、例れいのかかる所ところよりは、すこし光ひかり見みせて、をかしきほどにもてなしきこえたまへり。

 いみじうゆかしう思おもひきこえたまへど、今宵こよひはいとゆくりかなべければ、引ひき結むすびたまふほど、え忍しのびたまはぬけしきなり。

 主人あるじの大臣おとど、

「今宵こよひは、いにしへざまのことはかけはべらねば、何なにのあやめも分わかせたまふまじくなむ。心こころ知しらぬ人目ひとめを飾かざりて、なほ世よの常つねの作法さほふに」

 と聞きこえたまふ。

「げに、さらに聞きこえさせやるべき方かたはべらずなむ」

 御土器おほんかはらけ参まゐるほどに、

「限かぎりなきかしこまりをば、世よに例ためしなきことと聞きこえさせながら、今いままでかく忍しのびこめさせたまひける恨うらみも、いかが添そへはべらざらむ」

 と聞きこえたまふ。

「恨うらめしや沖おきつ玉藻たまもをかづくまで磯いそがくれける海人あまの心こころよ」

 とて、なほつつみもあへずしほたれたまふ。姫君ひめぎみは、いと恥はづかしき御おほんさまどものさし集つどひ、つつましさに、え聞きこえたまはねば、殿との、

「よるべなみかかる渚なぎさにうち寄よせて海人あまも尋たづねぬ藻屑もくずとぞ見みし

いとわりなき御おほんうちつけごとになむ」

 と聞きこえたまへば、

「いとことわりになむ」

 と、聞きこえやる方かたなくて、出いでたまひぬ。

親王たち、次々、人びと残るなく

 親王みこたち、次々つぎつぎ、人ひとびと残のこるなく集つどひたまへり。御懸想人おほんけさうびともあまた混まじりたまへれば、この大臣おとど、かく入いりおはしてほど経ふるを、いかなることにかと疑うたがひたまへり。

 かの殿とのの君達きむだち、中将ちうじゃう、弁べんの君きみばかりぞ、ほの知しりたまへりける。人ひと知しれず思おもひしことを、からうも、うれしうも思おもひなりたまふ。弁べんは、

「よくぞうち出いでざりける」とささめきて、「さま異ことなる大臣おとどの御おほん好このみどもなめり。中宮ちうぐうの御類おほんたぐひに仕立したてたまはむとや思おぼすらむ」

 など、おのおの言いふよしを聞ききたまへど、

「なほ、しばしは御心みこころづかひしたまうて、世よにそしりなきさまにもてなさせたまへ。何なにごとも、心こころやすきほどの人ひとこそ、乱みだりがはしう、ともかくもはべべかめれ、こなたをもそなたをも、さまざま人ひとの聞きこえ悩なやまさむ、ただならむよりはあぢきなきを、なだらかに、やうやう人目ひとめをも馴ならすなむ、よきことにははべるべき」

 と申まうしたまへば、

「ただ御おほんもてなしになむ従したがひはべるべき。かうまで御覧ごらんぜられ、ありがたき御おほん育はぐくみに隠かくろへはべりけるも、前さきの世よの契ちぎりおろかならじ」

 と申まうしたまふ。

 御贈物おほんおくりものなど、さらにもいはず、すべて引出物ひきいでもの、禄ろくども、品々しなじなにつけて、例れいあること限かぎりあれど、またこと加くはへ、二になくせさせたまへり。大宮おほみやの御おほん悩なやみにことづけたまうし名残なごりもあれば、ことことしき御遊おほんあそびなどはなし。

 兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみや、

「今いまはことづけやりたまふべき滞とどこほりもなきを」

 と、おりたち聞きこえたまへど、

「内裏うちより御みけしきあること、かへさひ奏そうし、またまた仰おほせ言ごとに従したがひてなむ、異ことざまのことは、ともかくも思おもひ定さだむべき」

 とぞ聞きこえさせたまひける。

 父大臣ちちおとどは、

「ほのかなりしさまを、いかでさやかにまた見みむ。なまかたほなること見みえたまはば、かうまでことことしうもてなし思おぼさじ」

 など、なかなか心こころもとなう恋こひしう思おもひきこえたまふ。

 今いまぞ、かの御夢おほんゆめも、まことに思おぼしあはせける。女御にょうごばかりには、さだかなることのさまを聞きこえたまうけり。

世の人聞きに、しばしこのこと出ださじ

 世よの人聞ひとぎきに、「しばしこのこと出いださじ」と、切せちに籠こめたまへど、口くちさがなきものは世よの人ひとなりけり。自然じねんに言いひ漏もらしつつ、やうやう聞きこえ出いで来くるを、かのさがな者ものの君きみ聞ききて、女御にょうごの御前おまへに、中将ちうじゃう、少将せうしゃうさぶらひたまふに出いで来きて、

「殿とのは、御女おほんむすめまうけたまふべかなり。あな、めでたや。いかなる人ひと、二方ふたかたにもてなさるらむ。聞きけば、かれも劣おとり腹ばらなり」

 と、あふなげにのたまへば、女御にょうご、かたはらいたしと思おぼして、ものものたまはず。中将ちうじゃう、

「しか、かしづかるべきゆゑこそものしたまふらめ。さても、誰たが言いひしことを、かくゆくりなくうち出いでたまふぞ。もの言いひただならぬ女房にょうばうなどこそ、耳みみとどむれ」

 とのたまへば、

「あなかま。皆みな聞ききてはべり。尚侍ないしのかみになるべかなり。宮仕みやづかへにと急いそぎ出いで立たちはべりしことは、さやうの御おほんかへりみもやとてこそ、なべての女房にょうばうたちだに仕つかうまつらぬことまで、おりたち仕つかうまつれ。御前おまへのつらくおはしますなり」

 と、恨うらみかくれば、皆みなほほ笑ゑみて、

「尚侍ないしのかみあかば、なにがしこそ望のぞまむと思おもふを、非道ひだうにも思おぼしかけけるかな」

 などのたまふに、腹立はらだちて、

「めでたき御仲おほんなかに、数かずならぬ人ひとは、混まじるまじかりけり。中将ちうじゃうの君きみぞつらくおはする。さかしらに迎むかへたまひて、軽かろめあざけりたまふ。せうせうの人ひとは、え立たてるまじき殿とのの内うちかな。あな、かしこ。あな、かしこ」

 と、後しりへざまにゐざり退しぞきて、見みおこせたまふ。憎にくげもなけれど、いと腹はら悪あしげに目尻まじり引ひき上あげたり。

 中将ちうじゃうは、かく言いふにつけても、「げにし過あやまちたること」と思おもへば、まめやかにてものしたまふ。少将せうしゃうは、

「かかる方かたにても、類たぐひなき御おほんありさまを、おろかにはよも思おぼさじ。御心みこころしづめたまうてこそ。堅かたき巌いはほも沫雪あわゆきになしたまうつべき御おほんけしきなれば、いとよう思おもひかなひたまふ時ときもありなむ」

 と、ほほ笑ゑみて言いひゐたまへり。中将ちうじゃうも、

「天あまの岩門いはと鎖さし籠こもりたまひなむや、めやすく」

 とて、立たちぬれば、ほろほろと泣なきて、

「この君達きむだちさへ、皆みなすげなくしたまふに、ただ御前おまへの御心みこころのあはれにおはしませば、さぶらふなり」

 とて、いとかやすく、いそしく、下臈げらふ童女わらはべなどの仕つかうまつりたらぬ雑役ざふやくをも、立たち走はしり、やすく惑まどひありきつつ、心こころざしを尽つくして宮仕みやづかへしありきて、

「尚侍ないしのかみに、おれを、申まうしなしたまへ」

 と責せめきこゆれば、あさましう、「いかに思おもひて言いふことならむ」と思おぼすに、ものも言いはれたまはず。

大臣、この望みを聞きたまひて

 大臣おとど、この望のぞみを聞ききたまひて、いとはなやかにうち笑わらひたまひて、女御にょうごの御方おほんかたに参まゐりたまへるついでに、

「いづら、この、近江あふみの君きみ。こなたに」

 と召めせば、

「を」

 と、いとけざやかに聞きこえて、出いで来きたり。

「いと、仕つかへたる御おほんけはひ、公人おほやけびとにて、げにいかにあひたらむ。尚侍ないしのかみのことは、などか、おのれに疾とくはものせざりし」

 と、いとまめやかにてのたまへば、いとうれしと思おもひて、

「さも、御みけしき賜たまはらまほしうはべりしかど、この女御殿にょうごどのなど、おのづから伝つたへ聞きこえさせたまひてむと、頼たのみふくれてなむさぶらひつるを、なるべき人ひとものしたまふやうに聞ききたまふれば、夢ゆめに富とみしたる心地ここちしはべりてなむ、胸むねに手てを置おきたるやうにはべる」

 と申まうしたまふ。舌したぶりいとものさはやかなり。笑ゑみたまひぬべきを念ねんじて、

「いとあやしう、おぼつかなき御癖おほんくせなりや。さも思おぼしのたまはましかば、まづ人ひとの先さきに奏そうしてまし。太政大臣おほきおとどの御女おほんむすめ、やむごとなくとも、ここに切せちに申まうさむことは、聞きこし召めさぬやうあらざらまし。今いまにても、申まうし文ぶみを取とり作つくりて、びびしう書かき出いだされよ。長歌ながうたなどの心こころばへあらむを御覧ごらんぜむには、捨すてさせたまはじ。主上うへは、そのうちに情なさけ捨すてずおはしませば」

 など、いとようすかしたまふ。人ひとの親おやげなく、かたはなりや。

「大和歌やまとうたは、悪あし悪あしも続つづけはべりなむ。むねむねしき方かたのことはた、殿とのより申まうさせたまはば、つま声ごゑのやうにて、御徳おほんとくをもかうぶりはべらむ」

 とて、手てを押おしすりて聞きこえゐたり。御几帳みきちゃうのうしろなどにて聞きく女房にょうばう、死しぬべくおぼゆ。もの笑わらひに堪たへぬは、すべり出いでてなむ、慰なぐさめける。女御にょうごも御面おほんおもて赤あかみて、わりなう見苦みぐるしと思おぼしたり。殿とのも、

「ものむつかしき折をりは、近江あふみの君きみ見みるこそ、よろづ紛まぎるれ」

 とて、ただ笑わらひ種ぐさにつくりたまへど、世人よひとは、

「恥はぢがてら、はしたなめたまふ」

 など、さまざま言いひけり。

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