『源氏物語』第24帖「胡蝶」原文全文

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」国貞『源氏香の図』

 このページでは、『源氏物語』第24帖「胡蝶」の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『源氏物語』第24帖「胡蝶」現代語訳全文をご覧ください。

目次

弥生の二十日あまりのころほひ

 弥生やよひの二十日はつかあまりのころほひ、春はるの御前おまへのありさま、常つねよりことに尽つくして匂にほふ花はなの色いろ、鳥とりの声こゑ、ほかの里さとには、まだ古ふりぬにやと、めづらしう見みえ聞きこゆ。山やまの木立こだち、中島なかじまのわたり、色いろまさる苔こけのけしきなど、若わかき人ひとびとのはつかに心こころもとなく思おもふべかめるに、唐からめいたる舟ふね造つくらせたまひける、急いそぎ装束さうぞかせたまひて、下おろし始はじめさせたまふ日ひは、雅楽寮うたづかさの人ひと召めして、舟ふねの楽がくせらる。親王みこたち上達部かむだちめなど、あまた参まゐりたまへり。

 中宮ちうぐう、このころ里さとにおはします。かの「春はる待まつ園そのは」と励はげましきこえたまへりし御返おほんかへりもこのころやと思おぼし、大臣おとどの君きみも、いかでこの花はなの折をり、御覧ごらんぜさせむと思おぼしのたまへど、ついでなくて軽かるらかにはひわたり、花はなをももてあそびたまふべきならねば、若わかき女房にょうばうたちの、ものめでしぬべきを舟ふねに乗のせたまうて、南みなみの池いけの、こなたに通とほしかよはしなさせたまへるを、小ちひさき山やまを隔へだての関せきに見みせたれど、その山やまの崎さきより漕こぎまひて、東ひむがしの釣殿つりどのに、こなたの若わかき人ひとびと集あつめさせたまふ。

 龍頭鷁首りょうとうげきすを、唐からのよそひにことことしうしつらひて、楫取かぢとりの棹さをさす童わらはべ、皆みなみづら結ゆひて、唐土もろこしだたせて、さる大おほきなる池いけの中なかにさし出いでたれば、まことの知しらぬ国くにに来きたらむ心地ここちして、あはれにおもしろく、見みならはぬ女房にょうばうなどは思おもふ。

 中島なかじまの入江いりえの岩蔭いはかげにさし寄よせて見みれば、はかなき石いしのたたずまひも、ただ絵ゑに描かいたらむやうなり。こなたかなた霞かすみあひたる梢こずゑども、錦にしきを引ひきわたせるに、御前おまへの方かたははるばると見みやられて、色いろをましたる柳やなぎ、枝えだを垂たれたる、花はなもえもいはぬ匂にほひを散ちらしたり。ほかには盛さかり過すぎたる桜さくらも、今いま盛さかりにほほ笑ゑみ、廊らうをめぐれる藤ふぢの色いろも、こまやかに開ひらけゆきにけり。まして池いけの水みづに影かげを写うつしたる山吹やまぶき、岸きしよりこぼれていみじき盛さかりなり。水鳥みづとりどもの、つがひを離はなれず遊あそびつつ、細ほそき枝えだどもを食くひて飛とびちがふ、鴛鴦をしの波なみの綾あやに紋もんを交まじへたるなど、ものの絵ゑやうにも描かき取とらまほしき、まことに斧をのの柄えも朽くたいつべう思おもひつつ、日ひを暮くらす。

「風かぜ吹ふけば波なみの花はなさへ色いろ見みえてこや名なに立たてる山吹やまぶきの崎さき」

「春はるの池いけや井手ゐでの川瀬かはせにかよふらむ岸きしの山吹やまぶきそこも匂にほへり」

「亀かめの上うへの山やまも尋たづねじ舟ふねのうちに老おいせぬ名なをばここに残のこさむ」

「春はるの日ひのうららにさしてゆく舟ふねは棹さをのしづくも花はなぞ散ちりける」

 などやうの、はかなごとどもを、心々こころごころに言いひ交かはしつつ、行ゆく方かたも帰かへらむ里さとも忘わすれぬべう、若わかき人ひとびとの心こころを移うつすに、ことわりなる水みづの面おもになむ。

暮れかかるほどに

 暮くれかかるほどに、「皇麞わうじゃう」といふ楽がく、いとおもしろく聞きこゆるに、心こころにもあらず、釣殿つりどのにさし寄よせられて下おりぬ。ここのしつらひ、いとこと削そぎたるさまに、なまめかしきに、御方々おほんかたがたの若わかき人ひとどもの、われ劣おとらじと尽つくしたる装束さうぞく、容貌かたち、花はなをこき交まぜたる錦にしきに劣おとらず見みえわたる。世よに目馴めなれずめづらかなる楽がくども仕つかうまつる。舞人まひびとなど、心こころことに選えらばせたまひて。

 夜よるに入いりぬれば、いと飽あかぬ心地ここちして、御前おまへの庭にはに篝火かがりびともして、御階みはしのもとの苔こけの上うへに、楽人がくにん召めして、上達部かむだちめ、親王みこたちも、皆みなおのおの弾ひきもの、吹ふきものとりどりにしたまふ。

 物ものの師しども、ことにすぐれたる限かぎり、双調さうでう吹ふきて、上うへに待まちとる御琴おほんことどもの調しらべ、いとはなやかにかき立たてて、「安名尊あなたふと」遊あそびたまふほど、「生いけるかひあり」と、何なにのあやめも知しらぬ賤しづの男をも、御門みかどのわたり隙ひまなき馬むま、車くるまの立処たちどに混まじりて、笑ゑみさかえ聞ききにけり。

 空そらの色いろ、物ものの音ねも、春はるの調しらべ、響ひびきは、いとことにまさりけるけぢめを、人ひとびと思おぼし分わくらむかし。夜よもすがら遊あそび明あかしたまふ。返かへり声ごゑに「喜春楽きしゅんらく」立たちそひて、兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみや、「青柳あをやぎ」折をり返かへしおもしろく歌うたひたまふ。主人あるじの大臣おとども言こと加くはへたまふ。

夜も明けぬ

 夜よも明あけぬ。朝あさぼらけの鳥とりのさへづりを、中宮ちうぐうはもの隔へだてて、ねたう聞きこし召めしけり。いつも春はるの光ひかりを籠こめたまへる大殿おほとのなれど、心こころをつくるよすがのまたなきを、飽あかぬことに思おぼす人ひとびともありけるに、西にしの対たいの姫君ひめぎみ、こともなき御おほんありさま、大臣おとどの君きみも、わざと思おぼしあがめきこえたまふ御みけしきなど、皆みな世よに聞きこえ出いでて、思おぼししもしるく、心こころなびかしたまふ人ひと多おほかるべし。

 わが身みさばかりと思おもひ上あがりたまふ際きはの人ひとこそ、便たよりにつけつつ、けしきばみ、言こと出いで聞きこえたまふもありけれ、えしもうち出いでぬ中なかの思おもひに燃もえぬべき若わか君達きむだちなどもあるべし。そのうちに、ことの心こころを知しらで、内うちの大殿おほいどのの中将ちうじゃうなどは、好すきぬべかめり。

 兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみやはた、年としごろおはしける北きたの方かたも亡うせたまひて、この三年みとせばかり、独ひとり住ずみにてわびたまへば、うけばりて今いまはけしきばみたまふ。

 今朝けさも、いといたうそら乱みだれして、藤ふぢの花はなをかざして、なよびさうどきたまへる御おほんさま、いとをかし。大臣おとども、思おぼししさまかなふと、下したには思おぼせど、せめて知しらず顔がほをつくりたまふ。

 御土器おほんかはらけのついでに、いみじうもて悩なやみたまうて、

「思おもふ心こころはべらずは、まかり逃にげはべりなまし。いと堪たへがたしや」

 とすまひたまふ。

「紫むらさきのゆゑに心こころをしめたれば淵ふちに身み投なげむ名なやは惜をしけき」

 とて、大臣おとどの君きみに、同おなじかざしを参まゐりたまふ。いといたうほほ笑ゑみたまひて、

「淵ふちに身みを投なげつべしやとこの春はるは花はなのあたりを立たち去さらで見みよ」

 と切せちにとどめたまへば、え立たちあかれたまはで、今朝けさの御遊おほんあそび、ましていとおもしろし。

今日は、中宮の御読経の初めなりけり

 今日けふは、中宮ちうぐうの御読経みどきゃうの初はじめなりけり。やがてまかでたまはで、休やすみ所どころとりつつ、日ひの御おほんよそひに替かへたまふ人ひとびとも多おほかり。障さはりあるは、まかでなどもしたまふ。

 午むまの時ときばかりに、皆みなあなたに参まゐりたまふ。大臣おとどの君きみをはじめたてまつりて、皆みな着つきわたりたまふ。殿上人てんじゃうびとなども、残のこるなく参まゐる。多おほくは、大臣おとどの御勢おほんいきほひにもてなされたまひて、やむごとなく、いつくしき御おほんありさまなり。

 春はるの上うへの御心みこころざしに、仏ほとけに花はなたてまつらせたまふ。鳥とり蝶てふに装束さうぞき分わけたる童わらはべ八人はちにん、容貌かたちなどことに整ととのへさせたまひて、鳥とりには、銀しろがねの花瓶はながめに桜さくらをさし、蝶てふは、金こがねの瓶かめに山吹やまぶきを、同おなじき花はなの房ふさいかめしう、世よになき匂にほひを尽つくさせたまへり。

 南みなみの御前おまへの山際やまぎはより漕こぎ出いでて、御前おまへに出いづるほど、風かぜ吹ふきて、瓶かめの桜さくらすこしうち散ちりまがふ。いとうららかに晴はれて、霞かすみの間まより立たち出いでたるは、いとあはれになまめきて見みゆ。わざと平張ひらばりなども移うつされず、御前おまへに渡わたれる廊らうを、楽屋がくやのさまにして、仮かりに胡床あぐらどもを召めしたり。

 童わらはべども、御階みはしのもとに寄よりて、花はなどもたてまつる。行香ぎゃうがうの人ひとびと取とり次つぎて、閼伽あかに加くはへさせたまふ。

御消息、殿の中将の君して

 御消息おほんせうそこ、殿とのの中将ちうじゃうの君きみして聞きこえたまへり。

「花園はなぞのの胡蝶こてふをさへや下草したくさに秋あき待まつ虫むしはうとく見みるらむ」

 宮みや、「かの紅葉もみぢの御返おほんかへりなりけり」と、ほほ笑ゑみて御覧ごらんず。昨日きのふの女房にょうばうたちも、

「げに、春はるの色いろは、え落おとさせたまふまじかりけり」

 と、花はなにおれつつ聞きこえあへり。鴬うぐひすのうららかなる音ねに、「鳥とりの楽がく」はなやかに聞ききわたされて、池いけの水鳥みづとりもそこはかとなくさへづりわたるに、「急きふ」になり果はつるほど、飽あかずおもしろし。「蝶てふ」は、ましてはかなきさまに飛とび立たちて、山吹やまぶきの籬ませのもとに、咲さきこぼれたる花はなの蔭かげに舞まひ出いづる。

 宮みやの亮すけをはじめて、さるべき上人うへびとども、禄ろく取とり続つづきて、童わらはべに賜たぶ。鳥とりには桜さくらの細長ほそなが、蝶てふには山吹襲やまぶきがさね賜たまはる。かねてしも取とりあへたるやうなり。物ものの師しどもは、白しろき一襲ひとかさね、腰差こしざしなど、次つぎ次つぎに賜たまふ。中将ちうじゃうの君きみには、藤ふぢの細長ほそなが添そへて、女をんなの装束さうぞくかづけたまふ。御返おほんかへり、

「昨日きのふは音ねに泣なきぬべくこそは。

胡蝶こてふにも誘さそはれなまし心こころありて八重山吹やへやまぶきを隔へだてざりせば」

 とぞありける。すぐれたる御労おほんらうどもに、かやうのことは堪たへぬにやありけむ、思おもふやうにこそ見みえぬ御口おほんくちつきどもなめれ。

 まことや、かの見物みものの女房にょうばうたち、宮みやのには、皆みなけしきある贈おくり物ものどもせさせたまうけり。さやうのこと、くはしければむつかし。

 明あけ暮くれにつけても、かやうのはかなき御遊おほんあそびしげく、心こころをやりて過すぐしたまへば、さぶらふ人ひとも、おのづからもの思おもひなき心地ここちしてなむ、こなたかなたにも聞きこえ交かはしたまふ。

西の対の御方は

 西にしの対たいの御方おほんかたは、かの踏歌たふかの折をりの御対面おほんたいめんの後のちは、こなたにも聞きこえ交かはしたまふ。深ふかき御心みこころもちゐや、浅あさくもいかにもあらむ、けしきいと労らうあり、なつかしき心こころばへと見みえて、人ひとの心こころ隔へだつべくもものしたまはぬ人ひとざまなれば、いづ方かたにも皆みな心寄こころよせきこえたまへり。

 聞きこえたまふ人ひといとあまたものしたまふ。されど、大臣おとど、おぼろけに思おぼし定さだむべくもあらず、わが御心みこころにも、すくよかに親おやがり果はつまじき御心みこころや添そふらむ、「父大臣ちちおとどにも知しらせやしてまし」など、思おぼし寄よる折々をりをりもあり。

 殿とのの中将ちうじゃうは、すこし気近けぢかく、御簾みすのもとなどにも寄よりて、御応おほんいらへみづからなどするも、女をんなはつつましう思おぼせど、さるべきほどと人ひとびとも知しりきこえたれば、中将ちうじゃうはすくすくしくて思おもひも寄よらず。

 内うちの大殿おほいどのの君きみたちは、この君きみに引ひかれて、よろづにけしきばみ、わびありくを、その方かたのあはれにはあらで、下したに心苦こころぐるしう、「まことの親おやにさも知しられたてまつりにしがな」と、人ひと知しれぬ心こころにかけたまへれど、さやうにも漏もらしきこえたまはず、ひとへにうちとけ頼たのみきこえたまふ心こころむけなど、らうたげに若わかやかなり。似にるとはなけれど、なほ母君ははぎみのけはひにいとよくおぼえて、これはかどめいたるところぞ添そひたる。

更衣の今めかしう改まれるころほひ

 更衣ころもがへの今いまめかしう改あらたまれるころほひ、空そらのけしきなどさへ、あやしうそこはかとなくをかしきを、のどやかにおはしませば、よろづの御遊おほんあそびにて過すぐしたまふに、対たいの御方おほんかたに、人ひとびとの御文おほんふみしげくなりゆくを、「思おもひしこと」とをかしう思おぼいて、ともすれば渡わたりたまひつつ御覧ごらんじ、さるべきには御返おほんかへりそそのかしきこえたまひなどするを、うちとけず苦くるしいことに思おぼいたり。

 兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみやの、ほどなく焦いられがましきわびごとどもを書かき集あつめたまへる御文おほんふみを御覧ごらんじつけて、こまやかに笑わらひたまふ。

「はやうより隔へだつることなう、あまたの親王みこたちの御中おほんなかに、この君きみをなむ、かたみに取とり分わきて思おもひしに、ただかやうの筋すぢのことなむ、いみじう隔へだて思おもうたまひてやみにしを、世よの末すゑに、かく好すきたまへる心こころばへを見みるが、をかしうもあはれにもおぼゆるかな。なほ、御返おほんかへりなど聞きこえたまへ。すこしもゆゑあらむ女をんなの、かの親王みこよりほかに、また言ことの葉はを交かはすべき人ひとこそ世よにおぼえね。いとけしきある人ひとの御おほんさまぞや」

 と、若わかき人ひとはめでたまひぬべく聞きこえ知しらせたまへど、つつましくのみ思おぼいたり。

 右大将うだいしゃうの、いとまめやかに、ことことしきさましたる人ひとの、「恋こひの山やまには孔子くじの倒たふれ」まねびつべきけしきに愁うれへたるも、さる方かたにをかしと、皆みな見み比くらべたまふ中なかに、唐からの縹はなだの紙かみの、いとなつかしう、しみ深ふかう匂にほへるを、いと細ほそく小ちひさく結むすびたるあり。

「これは、いかなれば、かく結むすぼほれたるにか」

 とて、引ひき開あけたまへり。手ていとをかしうて、

「思おもふとも君きみは知しらじなわきかへり岩いは漏もる水みづに色いろし見みえねば」

 書かきざま今いまめかしうそぼれたり。

「これはいかなるぞ」

 と問とひきこえたまへど、はかばかしうも聞きこえたまはず。

右近を召し出でて

 右近うこんを召めし出いでて、

「かやうに訪おとづれきこえむ人ひとをば、人選ひとえりして、応いらへなどはせさせよ。好すき好ずきしうあざれがましき今いまやうの人ひとの、便びんないことし出いでなどする、男をのこの咎とがにしもあらぬことなり。

我われにて思おもひしにも、あな情なさけな、恨うらめしうもと、その折をりにこそ、無心むじんなるにや、もしはめざましかるべき際きはは、けやけうなどもおぼえけれ、わざと深ふかからで、花はな蝶てふにつけたる便たよりごとは、心こころねたうもてないたる、なかなか心こころ立たつやうにもあり。また、さて忘わすれぬるは、何なにの咎とがかはあらむ。

ものの便たよりばかりのなほざりごとに、口疾くちとう心得こころえたるも、さらでありぬべかりける、後のちの難なんとありぬべきわざなり。すべて、女をんなのものづつみせず、心こころのままに、もののあはれも知しり顔がほつくり、をかしきことをも見知みしらむなむ、その積つもりあぢきなかるべきを、宮みや、大将だいしゃうは、おほなおほななほざりごとをうち出いでたまふべきにもあらず、またあまりもののほど知しらぬやうならむも、御おほんありさまに違たがへり。

その際きはより下しもは、心こころざしのおもむきに従したがひて、あはれをも分わきたまへ。労らうをも数かぞへたまへ」

 など聞きこえたまへば、君きみはうち背そむきておはする、側目そばめいとをかしげなり。撫子なでしこの細長ほそながに、このころの花はなの色いろなる御小袿おほんこうちき、あはひ気近けぢかう今いまめきて、もてなしなども、さはいへど、田舎ゐなかびたまへりし名残なごりこそ、ただありに、おほどかなる方かたにのみは見みえたまひけれ、人ひとのありさまをも見知みしりたまふままに、いとさまよう、なよびかに、化粧けさうなども、心こころしてもてつけたまへれば、いとど飽あかぬところなく、はなやかにうつくしげなり。他人ことびとと見みなさむは、いと口惜くちをしかべう思おぼさる。

右近も、うち笑みつつ見たてまつりて

 右近うこんも、うち笑ゑみつつ見みたてまつりて、「親おやと聞きこえむには、似にげなう若わかくおはしますめり。さし並ならびたまへらむはしも、あはひめでたしかし」と、思おもひゐたり。

「さらに人ひとの御消息おほんせうそこなどは、聞きこえ伝つたふることはべらず。先々さきざきも知しろしめし御覧ごらんじたる三みつ、四よつは、引ひき返かへし、はしたなめきこえむもいかがとて、御文おほんふみばかり取とり入いれなどしはべるめれど、御返おほんかへりは、さらに。聞きこえさせたまふ折をりばかりなむ。それをだに、苦くるしいことに思おぼいたる」

 と聞きこゆ。

「さて、この若わかやかに結むすぼほれたるは誰たがぞ。いといたう書かいたるけしきかな」

 と、ほほ笑ゑみて御覧ごらんずれば、

「かれは、執念しふねうとどめてまかりにけるにこそ。内うちの大殿おほいどのの中将ちうじゃうの、このさぶらふみるこをぞ、もとより見知みしりたまへりける、伝つたへにてはべりける。また見入みいるる人ひともはべらざりしにこそ」

 と聞きこゆれば、

「いとらうたきことかな。下臈げらふなりとも、かの主ぬしたちをば、いかがいとさははしたなめむ。公卿くぎゃうといへど、この人ひとのおぼえに、かならずしも並ならぶまじきこそ多おほかれ。さるなかにも、いとしづまりたる人ひとなり。おのづから思おもひあはする世よもこそあれ。掲焉けちえんにはあらでこそ、言いひ紛まぎらはさめ。見所みどころある文書ふみがきかな」

 など、とみにもうち置おきたまはず。

かう何やかやと聞こゆるをも

「かう何なにやかやと聞きこゆるをも、思おぼすところやあらむと、ややましきを、かの大臣おとどに知しられたてまつりたまはむことも、まだ若々わかわかしう何なにとなきほどに、ここら年とし経へたまへる御仲おほんなかにさし出いでたまはむことは、いかがと思おもひめぐらしはべる。なほ世よの人ひとのあめる方かたに定さだまりてこそは、人ひとびとしう、さるべきついでもものしたまはめと思おもふを。

宮みやは、独ひとりものしたまふやうなれど、人柄ひとがらいといたうあだめいて、通かよひたまふ所ところあまた聞きこえ、召人めしうどとか、憎にくげなる名なのりする人ひとどもなむ、数かずあまた聞きこゆる。

さやうならむことは、憎にくげなうて見直みなほいたまはむ人ひとは、いとようなだらかにもて消けちてむ。すこし心こころに癖くせありては、人ひとに飽あかれぬべきことなむ、おのづから出いで来きぬべきを、その御心みこころづかひなむあべき。

大将だいしゃうは、年とし経へたる人ひとの、いたうねび過すぎたるを、厭いとひがてにと求もとむなれど、それも人ひとびとわづらはしがるなり。さもあべいことなれば、さまざまになむ、人ひと知しれず思おもひ定さだめかねはべる。

かうざまのことは、親おやなどにも、さはやかに、わが思おもふさまとて、語かたり出いでがたきことなれど、さばかりの御齢おほんよはひにもあらず。今いまは、などか何なにごとをも御心みこころに分わいたまはざらむ。まろを、昔むかしざまになずらへて、母君ははぎみと思おもひないたまへ。御心みこころに飽あかざらむことは、心苦こころぐるしく」

 など、いとまめやかにて聞きこえたまへば、苦くるしうて、御応おほんいらへ聞きこえむともおぼえたまはず。いと若々わかわかしきもうたておぼえて、

「何なにごとも思おもひ知しりはべらざりけるほどより、親おやなどは見みぬものにならひはべりて、ともかくも思おもうたまへられずなむ」

 と、聞きこえたまふさまのいとおいらかなれば、げにと思おぼいて、

「さらば世よのたとひの、後のちの親おやをそれと思おぼいて、おろかならぬ心こころざしのほども、見みあらはし果はてたまひてむや」

 など、うち語かたらひたまふ。思おぼすさまのことは、まばゆければ、えうち出いでたまはず。けしきある言葉ことばは時々ときどき混まぜたまへど、見知みしらぬさまなれば、すずろにうち嘆なげかれて渡わたりたまふ。

御前近き呉竹の

 御前おまへ近ちかき呉竹くれたけの、いと若わかやかに生おひたちて、うちなびくさまのなつかしきに、立たちとまりたまうて、

「ませのうちに根深ねぶかく植うゑし竹たけの子このおのが世々よよにや生おひわかるべき

思おもへば恨うらめしかべいことぞかし」

 と、御簾みすを引ひき上あげて聞きこえたまへば、ゐざり出いでて、

「今いまさらにいかならむ世よか若竹わかたけの生おひ始はじめけむ根ねをば尋たづねむ

なかなかにこそはべらめ」

 と聞きこえたまふを、いとあはれと思おぼしけり。さるは、心こころのうちにはさも思おもはずかし。いかならむ折をり聞きこえ出いでむとすらむと、心こころもとなくあはれなれど、この大臣おとどの御心みこころばへのいとありがたきを、

「親おやと聞きこゆとも、もとより見馴みなれたまはぬは、えかうしもこまやかならずや」

 と、昔物語むかしものがたりを見みたまふにも、やうやう人ひとのありさま、世よの中なかのあるやうを見知みしりたまへば、いとつつましう、心こころと知しられたてまつらむことはかたかるべう、思おぼす。

殿は、いとどらうたしと思ひきこえ

 殿とのは、いとどらうたしと思おもひきこえたまふ。上うへにも語かたり申まうしたまふ。

「あやしうなつかしき人ひとのありさまにもあるかな。かのいにしへのは、あまりはるけどころなくぞありし。この君きみは、もののありさまも見知みしりぬべく、気近けぢかき心こころざま添そひて、うしろめたからずこそ見みゆれ」

 など、ほめたまふ。ただにしも思おぼすまじき御心みこころざまを見知みしりたまへれば、思おぼし寄よりて、

「ものの心得こころえつべくはものしたまふめるを、うらなくしもうちとけ、頼たのみきこえたまふらむこそ、心苦こころぐるしけれ」

 とのたまへば、

「など、頼たのもしげなくやはあるべき」

 と聞きこえたまへば、

「いでや、われにても、また忍しのびがたう、もの思おもはしき折々をりをりありし御心みこころざまの、思おもひ出いでらるるふしぶしなくやは」

 と、ほほ笑ゑみて聞きこえたまへば、「あな、心疾こころと」とおぼいて、

「うたても思おぼし寄よるかな。いと見知みしらずしもあらじ」

 とて、わづらはしければ、のたまひさして、心こころのうちに、「人ひとのかう推おし量はかりたまふにも、いかがはあべからむ」と思おぼし乱みだれ、かつは、ひがひがしう、けしからぬ我わが心こころのほども、思おもひ知しられたまうけり。

 心こころにかかれるままに、しばしば渡わたりたまひつつ見みたてまつりたまふ。

雨のうち降りたる名残の

 雨あめのうち降ふりたる名残なごりの、いとものしめやかなる夕ゆふつ方かた、御前おまへの若わか楓かえで、柏木かしはぎなどの、青あをやかに茂しげりあひたるが、何なにとなく心地ここちよげなる空そらを見みい出だしたまひて、

「和わしてまた清きよし」

 とうち誦じゅじたまうて、まづ、この姫君ひめぎみの御おほんさまの、匂にほひやかげさを思おぼし出いでられて、例れいの、忍しのびやかに渡わたりたまへり。

 手習てならひなどして、うちとけたまへりけるを、起おき上あがりたまひて、恥はぢらひたまへる顔かほの色いろあひ、いとをかし。なごやかなるけはひの、ふと昔むかし思おぼし出いでらるるにも、忍しのびがたくて、

「見みそめたてまつりしは、いとかうしもおぼえたまはずと思おもひしを、あやしう、ただそれかと思おもひまがへらるる折々をりをりこそあれ。あはれなるわざなりけり。中将ちうじゃうの、さらに昔むかしざまの匂にほひにも見みえぬならひに、さしも似にぬものと思おもふに、かかる人ひともものしたまうけるよ」

 とて、涙なみだぐみたまへり。箱はこの蓋ふたなる御果物おほんくだものの中なかに、橘たちばなのあるをまさぐりて、

「橘たちばなの薫かをりし袖そでによそふれば変かはれる身みとも思おもほえぬかな

世よとともの心こころにかけて忘わすれがたきに、慰なぐさむことなくて過すぎつる年としごろを、かくて見みたてまつるは、夢ゆめにやとのみ思おもひなすを、なほえこそ忍しのぶまじけれ。思おぼし疎うとむなよ」

 とて、御手おほんてをとらへたまへれば、女をんな、かやうにもならひたまはざりつるを、いとうたておぼゆれど、おほどかなるさまにてものしたまふ。

「袖そでの香かをよそふるからに橘たちばなの身みさへはかなくなりもこそすれ」

 むつかしと思おもひてうつぶしたまへるさま、いみじうなつかしう、手てつきのつぶつぶと肥こえたまへる、身みなり、肌はだつきのこまやかにうつくしげなるに、なかなかなるもの思おもひ添そふ心地ここちしたまて、今日けふはすこし思おもふこと聞きこえ知しらせたまひける。

 女をんなは、心憂こころうく、いかにせむとおぼえて、わななかるけしきもしるけれど、

「何なにか、かく疎うとましとは思おぼいたる。いとよくも隠かくして、人ひとに咎とがめらるべくもあらぬ心こころのほどぞよ。さりげなくてをもて隠かくしたまへ。浅あさくも思おもひきこえさせぬ心こころざしに、また添そふべければ、世よにたぐひあるまじき心地ここちなむするを、この訪おとづれきこゆる人ひとびとには、思おぼし落おとすべくやはある。いとかう深ふかき心こころある人ひとは、世よにありがたかるべきわざなれば、うしろめたくのみこそ」

 とのたまふ。いとさかしらなる御親心おほんおやごころなりかし。

雨はやみて、風の竹に生るほど

 雨あめはやみて、風かぜの竹たけに生なるほど、はなやかにさし出いでたる月影つきかげ、をかしき夜よのさまもしめやかなるに、人ひとびとは、こまやかなる御物語おほんものがたりにかしこまりおきて、気近けぢかくもさぶらはず。

 常つねに見みたてまつりたまふ御仲おほんなかなれど、かくよき折をりしもありがたければ、言ことに出いでたまへるついでの、御おほんひたぶる心こころにや、なつかしいほどなる御衣おほんぞどものけはひは、いとよう紛まぎらはしすべしたまひて、近ちかやかに臥ふしたまへば、いと心憂こころうく、人ひとの思おもはむこともめづらかに、いみじうおぼゆ。

「まことの親おやの御おほんあたりならましかば、おろかには見放みはなちたまふとも、かくざまの憂うきことはあらましや」と悲かなしきに、つつむとすれどこぼれ出いでつつ、いと心苦こころぐるしき御みけしきなれば、

「かう思おぼすこそつらけれ。もて離はなれ知しらぬ人ひとだに、世よのことわりにて、皆みな許ゆるすわざなめるを、かく年とし経へぬる睦むつましさに、かばかり見みえたてまつるや、何なにの疎うとましかるべきぞ。これよりあながちなる心こころは、よも見みせたてまつらじ。おぼろけに忍しのぶるにあまるほどを、慰なぐさむるぞや」

 とて、あはれげになつかしう聞きこえたまふこと多おほかり。まして、かやうなるけはひは、ただ昔むかしの心地ここちして、いみじうあはれなり。

 わが御心みこころながらも、「ゆくりかにあはつけきこと」と思おぼし知しらるれば、いとよく思おぼし返かへしつつ、人ひともあやしと思おもふべければ、いたう夜よも更ふかさで出いでたまひぬ。

「思おもひ疎うとみたまはば、いと心憂こころうくこそあるべけれ。よその人ひとは、かうほれぼれしうはあらぬものぞよ。限かぎりなく、そこひ知しらぬ心こころざしなれば、人ひとの咎とがむべきさまにはよもあらじ。ただ昔むかし恋こひしき慰なぐさめに、はかなきことをも聞きこえむ。同おなじ心こころに応いらへなどしたまへ」

 と、いとこまかに聞きこえたまへど、我われにもあらぬさまして、いといと憂うしと思おぼいたれば、

「いとさばかりには見みたてまつらぬ御心みこころばへを、いとこよなくも憎にくみたまふべかめるかな」

 と嘆なげきたまひて、

「ゆめ、けしきなくてを」

 とて、出いでたまひぬ。

 女君をんなぎみも、御年おほんとしこそ過すぐしたまひにたるほどなれ、世よの中なかを知しりたまはぬなかにも、すこしうち世馴よなれたる人ひとのありさまをだに見知みしりたまはねば、これより気近けぢかきさまにも思おぼし寄よらず、「思おもひの外ほかにもありける世よかな」と、嘆なげかしきに、いとけしきも悪あしければ、人ひとびと、御心地みここち悩なやましげに見みえたまふと、もて悩なやみきこゆ。

「殿とのの御みけしきの、こまやかに、かたじけなくもおはしますかな。まことの御親おほんおやと聞きこゆとも、さらにかばかり思おぼし寄よらぬことなくは、もてなしきこえたまはじ」

 など、兵部ひゃうぶなども、忍しのびて聞きこゆるにつけて、いとど思おもはずに、心こころづきなき御心みこころのありさまを、疎うとましう思おもひ果はてたまふにも、身みぞ心憂こころうかりける。

またの朝、御文とくあり

 またの朝あした、御文おほんふみとくあり。悩なやましがりて臥ふしたまへれど、人ひとびと御硯おほんすずりなど参まゐりて、「御返おほんかへりとく」と聞きこゆれば、しぶしぶに見みたまふ。白しろき紙かみの、うはべはおいらかに、すくすくしきに、いとめでたう書かいたまへり。

「たぐひなかりし御みけしきこそ、つらきしも忘わすれがたう。いかに人ひと見みたてまつりけむ。

うちとけて寝ねも見みぬものを若草わかくさのことあり顔がほにむすぼほるらむ

幼をさなくこそものしたまひけれ」

 と、さすがに親おやがりたる御言葉おほんことばも、いと憎にくしと見みたまひて、御返おほんかへり事ごと聞きこえざらむも、人目ひとめあやしければ、ふくよかなる陸奥紙みちのくにがみに、ただ、

「うけたまはりぬ。乱みだり心地ごこちの悪あしうはべれば、聞きこえさせぬ」

 とのみあるに、「かやうのけしきは、さすがにすくよかなり」とほほ笑ゑみて、恨うらみどころある心地ここちしたまふ、うたてある心こころかな。

 色いろに出いでたまひてのちは、「太田おほたの松まつの」と思おもはせたることなく、むつかしう聞きこえたまふこと多おほかれば、いとど所狭ところせき心地ここちして、おきどころなきもの思おもひつきて、いと悩なやましうさへしたまふ。

 かくて、ことの心こころ知しる人ひとは少すくなうて、疎うときも親したしきも、むげの親おやざまに思おもひきこえたるを、

「かうやうのけしきの漏もり出いでば、いみじう人ひと笑わらはれに、憂うき名なにもあるべきかな。父大臣ちちおとどなどの尋たづね知しりたまふにても、まめまめしき御心みこころばへにもあらざらむものから、ましていとあはつけう、待まち聞きき思おぼさむこと」

 と、よろづにやすげなう思おぼし乱みだる。

 宮みや、大将だいしゃうなどは、殿とのの御みけしき、もて離はなれぬさまに伝つたへ聞ききたまうて、いとねむごろに聞きこえたまふ。この岩いは漏もる中将ちうじゃうも、大臣おとどの御許おほんゆるしを見みてこそ、かたよりにほの聞ききて、まことの筋すぢをば知しらず、ただひとへにうれしくて、おりたち恨うらみきこえまどひありくめり。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次