このページでは、清少納言『枕草子』第84段から第89段までの現代語訳全文を掲載しています。
原文は古文の教科書や参考書にも多く採用され、一般に広く知られている「三巻本」をもとにしています。原文の内容を保ちながら、わかりやすく読みやすい口語訳にしました。原文とあわせて読みたい方は、『枕草子』原文全文(5)第84段~第89段をご覧ください。
第84段「里にまかでたるに」
里下がりしていると、殿上人などが訪ねて来ることまで、けしからぬことのように人々は言い立てるようだ。
私がことさらに気を持たせて招き入れたという覚えもないのだから、そう言われるのも、それほど腹立たしいことではない。
また、昼でも夜でも訪ねて来る人を、どうして、
「いません」
などと言って、にべもなく追い返したりするだろう。
本当に親しい間柄でない人でも、訪ねて来るものなのだ。
あまりにうるさいので、このたび里下がりした場所は、どこなのか広くは知らせなかった。
左中将経房の君や済政の君などだけが、ご存じだった。
左衛門の尉則光が来て、話などをしていると、
「昨日、宰相の中将がいらして、『妹のいる所を、まさか知らないはずはない。言え』とひどくお尋ねになったので、まったく知らないと申し上げたのですが、しつこくお責めになったことですよ」
などと言って、
「知っていることを知らないと言い張るのは、本当につらいものです。もう少しで笑ってしまいそうでしたが、左中将が、まったく平然と知らない顔をして座っていらしたので、あの方と目を合わせでもしたら笑ってしまいそうで困りました。それで、台盤の上にあった布を取って、ただひたすら噛んで笑いをまぎらわせたので、まわりの人々は、何という妙な食べ物を食べているのだろうと思ったでしょうね。でも、うまい具合にそれで、あなたの居所を申し上げずにすみました。笑ってしまっていたら台なしでした。本当に知らないらしいとお思いになったのも、おかしかったですよ」
などと話すので、
「決してお知らせにならないでください」
などと言い、それから何日もたった。
夜がたいそう更けてから、門をひどく大げさに叩く音がするので、何の用で、こんな近い門を無遠慮に大きな音で叩くのだろうと思って尋ねさせると、滝口の武士だった。
「左衛門の尉からです」
と言って、手紙を持って来た。
皆が寝ていたので、灯火を取り寄せさせて見ると、
「明日は御読経の結願で、宰相の中将が物忌にこもっていらっしゃいます。『妹の居場所を申せ、申せ』と責められて、どうしようもありません。もう隠し通すことはできません。そういう事情だとお知らせ申し上げるべきでしょうか。どうしましょう。あなたのお言葉に従います」
と書いてある。返事は書かず、布を一寸ほど紙に包んで送った。
その後、則光が来て、
「あの夜は責め立てられて、関係のないあちこちの場所へ中将をお連れして歩きました。本気で責められるので、本当につらかった。それにしても、どうして何の返事もせず、妙な布の切れ端などを包んでくださったのです。変な贈り物ではありませんか。人のところへ、そんな物を包んで贈ることがありますか。何か取り違えたのですか」
と言う。
少しも意味が分かっていなかったのだと思うと腹立たしいので、何も言わず、硯のそばにあった紙の端に、
海に潜る海人の住みかを、そこだとだけは決して言うなと、海藻でも食べさせたのだろうか
と書いて差し出すと、
「歌をお詠みになったのですか。私は決して見ません」
と言って、押し返し、逃げて行ってしまった。
このように親しく語り合い、互いに世話をする仲だったが、何ということもなく少し仲が悪くなった頃、則光から手紙が来た。
「都合の悪いことなどがありましても、以前にお約束申し上げたことはお忘れにならず、よそから見ているだけでも、ああいう者だと思って見ていてください」
と書いてあった。
則光がいつも言っていたのは、
「私を大切に思ってくださる人には、歌など決して詠んでもらいたくありません。歌を詠む人は、みな敵だと思っています。もうこれきりで縁を切ろうと思うときだけ、そういうことをしてください」
などということだったので、その返事に、
崩れ寄る妹背山の間にいるのだから、もう吉野川のように「よそ」とさえ見まい
と詠んで送ったが、本当に見なかったのだろうか、返事も来なくなった。
その後、則光は位を得て遠江介になったというので、腹立たしいまま、それきりになってしまった。
第85段「物のあはれ知らせ顔なるもの」
物の情趣を分かっているような顔をするもの。鼻を垂らし、絶えず鼻をかみながら話す声。眉を抜くこと。
第86段「さてその左衛門の陣などに」
さて、あの左衛門の陣などへ行ったあと、里下がりしてしばらくしていると、
「早く参りなさい」
などという中宮からのお言葉の終わりに、
「左衛門の陣へ行ったときのあなたの後ろ姿を、いつも思い出します。どうしてあんなに何気なく、古びた様子でいたのでしょう。きっとたいそうすばらしい姿だろうと思っていたのに」
などとおっしゃっていた。
そのお返事に、恐れ入った旨を申し上げ、私的には、
「どうして、すばらしいと思わずにいられましょう。中宮様にも、『中なる乙女』だとご覧になっていたのだろうと思っておりました」
と申し上げたところ、
すぐにまたお返事が来て、
「あなたがたいそう好きだという仲忠の面目を失わせるようなことを、どうして申し上げたのですか。今夜のうちに、何もかも捨てて参りなさい。そうでなければ、中宮様がひどくお憎みになります」
というお言葉があったので、
「ただ『よろしくない』というだけでも恐ろしいのに、まして『ひどく』という文字まであるのですから、命も身もすっかり捨てて」
と言って、参上した。
第87段「職の御曹司におはします頃西の廂にて」
中宮が職の御曹司にいらっしゃった頃、西の廂で不断の御読経があり、仏像などをお掛けし、僧たちが座っているのは、言うまでもなく立派である。
二日ほどたった頃、縁の下のあたりから、身分の低そうな者の声で、
「やはり、あの御仏供のお下がりをいただきとうございます」
と言うと、
「どうして、まだ早いでしょう」
と誰かが言っているので、何を言っているのだろうと思って出て見ると、少し年老いた尼で、ひどく煤けた衣を着て、そのような姿で話しているのだった。
「あの者は、何を言っているのです」
と尋ねると、声を取り繕って、
「仏のお弟子でございますので、御仏供のお下がりをいただきたいと申しておりますのに、こちらのお坊様方が惜しんでくださらないのです」
と言う。
何とも華やかで、上品ぶった言い方である。
こういう者は、しょんぼりしているほうが気の毒に思われるものなのに、何とも妙に華やいだものだと思って、
「ほかの物は食べず、ただ仏様のお下がりだけを食べるのですか。たいそう尊いことですね」
と言うと、その様子を見て、
「どうして、ほかの物を食べないことがありましょう。それがございませんので、せめてそれをいただこうと申し上げたのです」
と言う。そこで果物や大きな餅などを器に入れて与えると、すっかり親しくなって、いろいろなことを話し始めた。
若い女房たちも出て来て、
「夫はいるの」
「どこに住んでいるの」
などと口々に尋ねると、おもしろいことを言ったり、余計なことまで付け加えたりするので、
「歌は歌うの。舞などもするの」
と尋ね終わらないうちに、
「夜は誰と寝よう。常陸介と寝よう。寝たときの肌がよい」
と歌い出す。このあとにも、まだ長く続いた。また、
「男山の峰の紅葉は、さぞ評判が立つだろう、さぞ評判が立つだろう」
と言いながら、頭をぐるぐる振る。ひどく憎らしいので、皆で笑いながら嫌がって、
「帰りなさい、帰りなさい」
と言う。
「かわいそうだわ。この人に何をあげよう」
と言っているのを中宮がお聞きになって、
「ずいぶん、こちらが恥ずかしくなるようなことをさせたものですね。私は聞かないように耳をふさいでいました。その衣を一枚与えて、早く帰してしまいなさい」
とおっしゃるので、
「これをくださるそうですよ。衣が煤けていますから、白い衣を着なさい」
と言って投げて与えると、伏して拝み、それを肩に載せたかと思うと、また舞い出すではないか。本当に憎らしくなって、皆、中へ入ってしまった。
その後、味をしめたのだろうか、いつもやって来て、ずうずうしく歩き回っていた。
そのまま皆で、この尼を「常陸介」と呼ぶことにした。
せっかく衣を与えたのに少しも白くせず、相変わらず同じ煤けた衣なので、あの衣をどこへやったのだろうなどと腹を立てた。
右近の内侍が参上したとき、中宮が、
「こんな者と親しくなってしまったようなのです。言いくるめて、いつもやって来るのですよ」
とおっしゃって、前にあったことなどを、小兵衛という人にまねさせてお聞かせになると、
「その人を何とかして見たいものです。必ず見せてください。ずいぶんお気に入りのようですね。でも、私は決して奪い取ったりはしませんよ」
などと言って笑う。
その後、また尼姿の乞食で、たいそう品のよい者が出て来たので、呼び出して話などをした。この尼はとても恥ずかしそうにしていて気の毒だったので、いつものように衣を一枚お与えになった。伏して拝むところまではよかったが、そのあと泣いて喜びながら帰って行ったのを、常陸介がちょうど来合わせて見てしまった。
その後は長いこと姿を見せなかったが、誰がそんな者を思い出しただろう。
さて、十二月十日過ぎ頃、雪がたいそう降ったので、女官たちなどに縁側へたくさん積ませていたところ、
「どうせなら、庭に本当の山のようなものを作らせましょう」
と言って、侍を呼び、
「中宮様のお言いつけです」
と言うと、人々が集まって雪山を作る。主殿寮の役人で、御所の清掃に来ていた者なども皆加わり、たいそう高く作り上げた。中宮職の役人なども集まって来て、あれこれ口を出しながら楽しむ。初め三、四人だった主殿寮の者たちも、二十人ほどになった。里にいる侍まで呼びにやったりした。
「今日、この山を作る人には三日分を与えましょう。来ない者からは、同じ三日分を差し引きましょう」
などと言うので、聞きつけて慌てて参る者もいる。家が遠い者には知らせにやれない。
作り終わると、中宮職の役人を呼び、衣を二結い分与えて縁側へ投げ出したので、人々はわれ先にと取り、拝みながら腰に差して皆退出していった。中には上の衣などを着ている者もいたが、ほかは狩衣姿だった。
「この雪山は、いつまで残るでしょう」
と中宮が人々にお尋ねになると、
「十日くらいは残るでしょう」
「十日あまりは残るでしょう」
などと、皆、その頃までのことしか申し上げないので、
「あなたはどう思いますか」
と私にお尋ねになった。
「正月十日過ぎまでは残るでしょう」
と申し上げると、中宮も、さすがにそこまでは残らないだろうとお思いになった。
女房たちは皆、年内、それも大晦日までも残らないだろうとばかり申し上げる。私も内心では、ずいぶん先まで言ってしまったものだ、本当にそこまでは残らないかもしれない、一日頃までなどと言うべきだったと思ったけれど、まあよい、そこまで残らなくても、一度言い出したことなのだからと、強く言い張った。
二十日頃に雨が降っても、消えそうな様子はない。ただ少しずつ高さが低くなっていく。
「白山の観音様、この雪山をお消しになりませんように」
と祈るのも、我ながらどうかしている。
さて、その雪山を作った日、使者として式部丞忠隆が参ったので、敷物を差し出して話などをしていると、
「今日は、雪山をお作りにならなかった所はないほどです。帝の御前の庭にも作られました。春宮でも弘徽殿でも作られましたし、京極殿でもお作りになったそうです」
などと言うので、
ここだけの珍しいものと思って眺める雪の山も、あちこちに降り積もっていたのですね
と、そばの人に言わせると、忠隆は何度も首をかしげて、
「返歌をして、これを汚すまい。しゃれています。御簾の前で、ほかの人に話して聞かせましょう」
と言って立って行った。歌をたいそう好む人だと聞いているのに、不思議なことである。中宮がお聞きになって、
「きっと、たいそう上手だと思ったのでしょう」
とおっしゃった。
月末近くになり、雪山は少し小さくなったようだが、まだたいそう高く残っていた。昼頃、縁側に人々が出て座っていると、常陸介がやって来た。
「どうして、ずいぶん長いこと姿を見せなかったのです」
と尋ねると、
「何ということはございません。つらいことがございましたので」
と言う。
「どんなことです」
と尋ねると、
「やはり、こんなふうに思っておりましたので」
と言って、長々と歌い出した。
うらやましい。私は足も引き止めてもらえず、大海原の、いったいどんな人に物をお与えになるのでしょう
と言うので、憎らしくもおかしくて、皆がまともに相手をしないでいると、雪山に登り、あちこちまとわりつくように歩いて帰っていった。その後、右近の内侍にこのことを書き送ると、
「どうして、人まで添えてお与えにならなかったのです。あの人が遠慮もなく、雪山にまでよじ登っていったというのが、本当にかわいそうです」
と返事があり、また皆で笑った。
さて、雪山は何事もなく残ったまま年が改まった。
正月一日の夜、雪がたいそうたくさん降ったので、
「うれしいことに、また雪が積もった」
と思って見ていると、
「それはだめです。初めからあった雪だけを残して、今降った雪はかき捨てなさい」
と中宮がおっしゃった。
とても早く局へ下りると、侍の長である男が、柚の葉のような色をした宿直衣の袖の上に、青い紙を松の枝につけたものを載せ、寒さに震えながら出て来た。
「それは、どこからのものです」
と尋ねると、
「斎院からです」
と言うので、とたんにすばらしく思われ、受け取って中宮のもとへ参った。
中宮はまだお休みになっていたので、まず御帳台のそばの御格子を、碁盤などを引き寄せて足場にし、一人で力を込めて持ち上げたが、たいそう重い。
片側だけを上げているので、きしむ音がした。それで中宮がお目を覚まし、
「どうしてそんなことをするのです」
とおっしゃるので、
「斎院からお手紙が来ておりますのに、どうして急いで御格子を上げずにいられましょう」
と申し上げると、
「なるほど、それはずいぶん早いことですね」
とおっしゃって、お起きになった。包みをお開けになると、五寸ほどの卯槌が二つ、卯杖のように頭の部分を包まれ、山橘や日影、山菅などで美しく飾られていて、手紙そのものはない。何も書いていないはずはないとご覧になると、卯杖の頭を包んだ小さな紙に、
山に響く斧の音を尋ねてみれば、それは新年を祝う杖の音だったのですね
と書いてあった。中宮がお返事をお書きになる様子も、たいそうすばらしい。斎院へこちらからお便りを差し上げるときは、やはり特別に気を配って、何度も書き直した跡が多く、念入りにしているのが分かる。使者には白い織物の単衣を与え、蘇芳色のものは梅襲だったのだろう。雪がしきりに降る中、それを肩にかけて帰って行くのも趣深く見えた。そのときの中宮のお返事が、分からなくなってしまったのは残念である。
さて、雪山は本物の越の国の雪山ではないかと思われるほど、まるで消えそうにない。黒ずんで見栄えは悪くなったけれど、なるほど自分が賭けに勝ったような気がして、何とか十五日まで持たせたいと願っていた。ところが、
「七日さえ越せないでしょう」
と、なお皆が言うので、どうにか最後まで見届けたいと皆が思っているうちに、急に中宮が三日に内裏へお戻りになることになった。ひどく残念で、この山が最後にどうなるかを知らないまま終わるのかと、本気で残念に思った。
ほかの人も、
「本当に、最後まで見たかったのに」
などと言い、中宮も同じようにおっしゃる。どうせなら自分の予想どおりだったところを中宮にお見せしたいと思っていたのに、それもできないので、御道具を運ぶなどしてたいそう騒がしい中、こもりという者が築地のあたりに庇を作って座っていたのを、縁の近くへ呼び寄せ、
「この雪山をよく見張って、子どもなどに踏み荒らさせたり壊させたりせず、しっかり守って十五日まで置いておきなさい。その日まで残っていたら、立派な褒美をいただけるようにしましょう」
などと言い聞かせ、いつも台盤所の人や身分の低い者などからもらっている果物や何やらを、たいそうたくさん与えると、にこにこして、
「とても簡単なことです。確かにお守りいたしましょう。ただ、子どもたちが登って来るでしょう」
と言うので、
「それを止めて、言うことを聞かない者がいたら知らせなさい」
などと言い聞かせた。中宮が内裏へお入りになったあと、私は七日までそこにいてから里へ下がった。
その間も雪山のことが気がかりなので、役人や、すまし、長女などを使って、絶えず守るよう言いつけにやった。七日の節供のお下がりまでこもりに届けると、拝んでいたというので、皆で笑い合った。
里に下がってからも、朝になるとまず第一に、雪山の様子を見に人をやった。十日頃に、
「あと五日待てるくらいは残っています」
と言うので、うれしく思った。また昼も夜も人をやっていたが、十四日の夜、雨がひどく降ったので、これで消えてしまっただろうとひどく心配し、あと一日二日も持たずに終わるのかと、夜も起きたまま嘆いていると、聞く人は気が違ったようだと笑う。
ちょうど人が外へ出て行くので、そのまま起きていて、下人を起こさせようとしたが、まったく起きない。ひどく腹を立てて、ようやく起き出した者を雪山の様子を見にやると、
「円座ほどの大きさで残っています。こもりがたいそうよく守って、子どもたちも近づけておりません。明日、明後日までも残るでしょう。こもりは『褒美をいただこう』と申しております」
と言うので、たいそううれしくなり、早く明日になればよい、歌を詠んで何かに入れて中宮へ差し上げようと思うと、待ち遠しくて仕方がない。
まだ暗いうちに起き、折櫃などを用意させて、
「これに、雪山の白いところを入れて持って来なさい。汚れて見苦しいところは、かき捨てて」
などと言って人をやると、すぐに、持たせていった容器を下げたまま戻って来て、
「もう、なくなってしまっております」
と言うので、あまりのことに呆然とした。趣深く詠み上げて人にも語り伝えさせようと、うなりながら考えていた歌まで、すっかりむなしくなってしまった。
「どうしてそんなことがあるのでしょう。昨日まであれほど残っていたものが、一晩のうちに消えてしまうなんて」
とがっかりしていると、
「こもりが申していたところでは、『昨日、すっかり暗くなるまではございました。褒美をいただけると思っていましたのに』と言って、手を打って騒いでおりました」
などと皆が言い騒ぐ。
内裏からお言葉が届いた。そして、
「雪は今日まで残っていますか」
とお尋ねがあったので、悔しく残念でたまらず、
「年内どころか一日までも残らないだろうと皆様が申し上げていたのに、昨日の夕暮れまで残っていたのは、たいしたものだと思っております。今日まで残るというのは、あまりにも出来すぎた話です。夜の間に、誰かが憎らしく思って取り捨てたのではないかと推量しております、と申し上げてください」
などと申し上げた。
さて、二十日に参上したときにも、まずこの雪山のことを中宮の御前で話した。
「身は投げてしまいました」
と言って、蓋だけを持って来たという法師のように、使いの者が容器だけをすぐに持ち帰って来たので呆れたことや、容器の蓋に小さな雪山を作り、白い紙に歌を立派に書いて差し上げようと思っていたことなどを申し上げると、中宮はたいそうお笑いになった。
御前にいた人々も笑っていると、
「こんなに心を込めて楽しみにしていたことを台なしにしたのだから、罪を受けるでしょうね。本当は、四日の夜に侍たちをやって、雪山を取り捨てさせたのです。あなたが返事で言い当てたのが、とてもおもしろかった。その女が出て来て、ひどく手をすり合わせて頼んだそうですが、『中宮様のお言いつけだ。あの里から来る人には、このことを聞かせるな。さもないと家を壊すぞ』などと言って、左近衛府の南の築地のあたりへ全部捨ててしまったそうです。『雪はとても固く、まだたくさん残っていた』と言っていたから、本当なら二十日までも持ったでしょう。今年の初雪までその上に降り積もったかもしれませんよ」などと言う。帝もこのことをお聞きになって、たいそう先のことまで考えて言い張ったものだと、殿上人たちにもお話しになったという。「それにしても、その歌を聞かせなさい。今こうして真相を話してしまったのだから、同じこと、あなたの勝ちというものなのでしょう」
などと中宮もおっしゃり、人々も勧めるけれど、
「どうして、あれほどつらいことを聞かされたあとで、その歌を申し上げられましょう」
などと、本気でうんざりして悲しがっていると、帝もお渡りになって、
「本当に、長年あなたを大切に思っている方だと見ていましたが、このことで、そうでもないのかと不思議に思いました」
などとおっしゃるので、ますますつらく悲しくなり、泣いてしまいそうな気持ちになった。
「まあ、本当に、何ともつらい世の中です。あとから雪が降り積もったのを、私はうれしく思っておりましたのに、それは余計だからかき捨てよとお言いつけになったではありませんか」
と申し上げると、
「あなたに勝たせまいとお思いになったのでしょう」
と、帝もお笑いになった。
第88段「めでたきもの」
すばらしいもの。唐錦。飾り太刀。木で作った仏像の彩色。
色合いが濃く、花房が長く咲いている藤の花が、松にかかっているもの。
六位の蔵人。たいそう身分の高い貴公子でも、必ずしも自由には着られない綾や織物を、思いのままに着ている青色姿などが、すばらしいのである。もとは役所の雑色や普通の家の子などで、貴族の家の侍所では、四位・五位の官人の下に座って何ということもなく見えていた者が、蔵人になると、言葉では言い表せないほど見違える。宣旨などを持って参上し、大饗のときに甘栗の使いなどとして参るときの振る舞いや、重々しく扱われる様子は、どこから降りて来た天上人なのだろうと思われるほどである。
主人の娘が后でいらっしゃるとき、あるいはまだ后にならず姫君などと呼ばれているとき、そのもとへ手紙の使いとして参ると、手紙を受け取ってもらうところから、敷物を差し出す女房の袖口に至るまで、以前、毎日のように見ていたものとは思えないほど違って見える。
下襲の裾を長く引き散らし、衛府の官人でもある者は、もう少し趣深く見える。
主人が自ら杯などを差してくださったなら、本人の気持ちにはどれほど晴れがましく思われることだろう。
以前はひどくかしこまって地面にひざまずいていた家の子が、今では貴公子たちに対しても、心の中では気を遣い畏まっているにしても、同じように連れ立って歩くのである。帝が身近に召し使われているのを見ると、悔しいほどにさえ思われる。帝がお手紙をお書きになるときには御硯の墨をすり、御団扇などを差し上げ、親しく三、四年ほどお仕えする。その間ずっと、姿が見苦しく、装束の色合わせもほどほどのまま宮中に交じっているようでは、何とも情けないことである。
任期が終わって蔵人を退く時期が近づくだけでも、命より惜しく思うはずなのに、臨時の任官で別の官職を願い出て、自分から蔵人を辞めてしまうのは、何ともつまらなく思われる。
昔の蔵人は、任期が終わる年の春夏頃からもう泣き出したものだが、今の世の蔵人は、競うように走って辞めていく。
博士で学才のある人は、たいそうすばらしいなどと言うだけでは足りない。顔立ちがよくなく、身分もたいそう低くても、高貴な方の御前近くへ参り、しかるべきことを尋ねられ、御学問の師としてお仕えしているのは、うらやましく、すばらしいと思われる。願文や表、文章の序などを作って褒められるのも、たいそうすばらしい。
学才のある僧は、もう言うまでもない。
后の昼間の行啓。摂政・関白など第一の人のお出まし。春日詣で。葡萄染の織物。広い庭に雪が厚く降り積もっているところ。花でも糸でも紙でも、何であれ紫色のものはすばらしい。紫の花の中では、かきつばただけは少し気に入らない。六位の蔵人の宿直姿が趣深いのも、紫色のためである。
第89段「なまめかしきもの」
優美なもの。ほっそりとして清らかな貴公子の直衣姿。かわいらしい童女が、上の袴などもわざとではなく少しほころびがちで、汗衫だけを着て、卯槌や薬玉などを長くつけ、勾欄のそばなどで扇を顔に差しかくして座っている姿。
薄様で作った草子。芽吹いた柳の枝に、青い薄様の紙に書いた手紙を結びつけたもの。三重重ねの扇。五重になると厚すぎて、根元などが感じよくない。それほど新しくなく、かなり古びた檜皮葺きの家に、長い菖蒲をきちんと一面に葺いたもの。青々とした御簾の下から、几帳の朽木形の模様がたいそうつややかに見え、その紐が風に吹かれてなびいているのも、とても趣深い。
白い組紐の細いもの。帽額の鮮やかなもの。簾の外の勾欄に、たいそうかわいらしい猫がいて、赤い首綱に白い札をつけ、村濃の長い綱を引き、いかりの緒や長い組紐などをつけて引き歩かれているのも、趣があり優美である。
五月の節句の菖蒲の蔵人。菖蒲の鬘をつけ、赤紐とは違う色の領布や裙帯などを身につけ、薬玉を、親王たちや上達部が立ち並んでいらっしゃるところへ差し上げる姿は、たいそう優美である。それを受け取って腰につけ、舞踏し、拝礼なさるのも、とてもすばらしい。
紫の紙を包み文にして、房の長い藤の花につけたもの。小忌姿の貴公子たちも、たいそう優美である。

