このページでは、鴨長明『発心集』第6巻(第63話~第75話)の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。
現代語訳とあわせて読みたい方は、『発心集』第6巻(第63話~第75話)現代語訳全文をご覧ください。
第63話 中ごろ、三井寺に智興内供といひて
中ごろ、三井寺に智興内供といひて、貴き人ありけり。年高くなりて、いかなる宿業にてか、世の中、心地をして、限りになりければ、弟子ども集まりて、泣き悲しむ時、晴明といひて、神如なる陰陽師ありけり。これを見て言ふやう、
「このたびは限りある定業なり。いかにも、かなふべからず。それにとりて、志深からん弟子なんどの、替はらんと思へるあらば、祭りたてまつりてん。そのほかには、いかにもいかにも力及ばず」
となん言ひける。
多くの弟子どもさし集へるほどに、このことを聞きて、内供は苦しみの耐へがたきままに、
「もし、替はる人やある」
と、並び居たる弟子どもを次第に見回せど、言にこそ言へど、まことには捨てがたき命なれば、おのおの色を作りて、伏し目になりつつ、一人として、「われ替はらん」と思へる気色なし。
その時、証空阿闍梨といふ人年若くて、弟子の中にありけり。弟子にとりては末の人なれば、誰も思ひよらぬほどに、進みて内供にまうすやう、
「われ替はりたてまつらんとなり。そのゆゑは法を重くし命を軽くするは、師につかふる習ひなり。いかでこのことを聞きながら、身命を惜しまん。いたづらに捨つべき身を。今、三世の諸仏にたてまつりて、人界の思ひ出にせん。さらにいたましからず。ただ、年八十なる母今にはべり。われよりほかに子なし。もし、許されを蒙らずは、みづから身を捨つるのみにあらず、二人が命尽きぬべし。よくよくことはりをまうし聞かせて、暇を乞ひて、帰りまゐらん」
と言ひて、座を立ちぬ。内供を初め、これを聞く人々涙を流してあはれむこと限りなし。
母のもとに至りて、このよしを語る。
「願はくは歎きたまふことなかれ。たとひ、本意の如く御跡に残りて、後世をとぶらひたてまつるとも、かくほどの大なる功徳を作らんこと、きはめて難し。今、師の恩を重くして、命に替はりなば、三世の諸仏もあはれみ、天衆、地類も驚きたまふべし。その功徳を重ねて、母の後世菩提に廻向したてまつらん。これまことの孝養なれば、すなはちあやしき身一つ捨てて、二人の恩に報ひてん。いはんやまた、老少不定のさかひなり。もし、いたづらに命尽きて、御先に立つこともはべらば、その時悔やみて何かせん。何ごとをや、この世の思ひ出にせん」
と、泣く泣く言ふを聞きつつ、涙を流し、驚き悲しむもことはりなり。
「わが愚かなる心には功徳の多くならんことをも思はず。君いとけなかりし折は、われにはぐくまれき。われ年たけ、よはひかたぶきては、君を頼むこと天地のごとし。残りの命、今日、明日とも知らぬ時に至りて、われを捨て、心と先立たむことこそいと悲しけれど、その志深きことを思ふに、師の命に替はりなば、君が後世においては疑ふべからず。もし、このことを許さずは、仏も愚かにおぼしめし、君が心にもたがひなん。まことに、老少不定の命なり。思へば、夢、幻の前後なり。はやく君が心なり。とく浄土に生れて、われを救ひたまへよ」
と言ふ。涙を押さへて言ひければ、証空泣く泣く悦びて帰りぬ。
やがて、年、名乗り書き付けて、晴明がもとへやりつ。今宵祈り替へたてまつるべきよし、言へり。
かくて、夜やうやう更け行くほどに、この証空頭痛み、心地悪しく、身ほとほりて、堪へがたく思えければ、わが房に行きて、見苦しかるべき文など取りしたためつつ、年ごろ持ちたてまつりける絵像の不動尊に向かひたてまつりてまうすやう、
「われ年若く身盛りなれば、命惜しからざるにあらねど、師の恩の深きことを思ふによりて、今すでに、かの命に替はりなんとす。勤め少なければ、後世きはめて恐し。願はくは明王、あはれみを垂れて、悪道に落としたまふな。病苦、すでに身を責めて、一時も耐へ忍ぶべからず。本尊を拝みたてまつらんこと、ただ今ばかりなり」
と泣く泣くまうす。
その時、絵像の仏眼より血の涙を流し、
「なんぢは師に替はる。われは汝に替はらん」
とのたまふ御声、骨に通り肝に染む。「かなひし」と掌を合はせて、念じ居たる間に、汗流れぬる身冷めて、すなはち心地さはやかになりにけり。
内供もその日より心地おこたりにければ、このことを聞きて、おろかに思はんやは。後には、人にすぐれてあひたのみたる弟子にてなむありける。
かの本尊は、伝はりて後、白河院におはしましけり。常住院の泣不動とまうすはこれなり。御目より涙を流したる形、げにさやかに見えたまへりけるとぞ。
証空阿闍梨といふは、空也上人の臂の折れたまへるを、余慶僧正の祈り治したまひたりけるとて、「法器のものなり」とて、聖のたてまつられたりける小童なり。
第64話 一乗寺の僧正かくれたまひて後
一乗寺の僧正かくれたまひて後、そのはてのわざしける日、朝より、若き女房の壺装束したるが、涙抑へつつ、向かひわたりにたたずむありけり。人々あやしう思ひて、ことまぎるる日なれば、わざと尋ね問ふ人なし。
すでに仏事始まりて後、この女房人にまじりて聴聞す。初めより終はりまで、泣くことおこたらず。その気色、世のつねのことにあらず。目立たしきほどに見えければ、ある人
「この女房のさまこそ心得ね。かやうに集まり見ゆるを、もし、悪しざまにとりなす人もあらば、亡き御かげにも見苦しかりぬべし。いさ、追ひ出ださん」
と言ふ。また、あるいは、
「やうこそはあらめ。いかが説法の時泣くとて、追ひ出だすべき。情けなくあらん。そのゆゑを問ふべき」
など、安からず言ひしらふほどに、わざ終はりぬ。
聴聞の人ども、やうやう行きけるにも、この女房いとど泣きまさりて、急ぎ出でんともせず。返り見がちにて、立ちわづらふを見れば、年二十ばかりなり。形などもいときよげなるを、化粧はみな涙に洗はれて、浅からず思ひ入りたるさまなり。
おぼつかなさのあまり、ある人さし寄りて、そのゆゑを問ふ。女の言ふやう、
「われは、故僧正御房の御あはれみを蒙りたる身にてはべるなり。隠しまうすべきことにあらず。わが身、昔捨子にて、河原にはべりけるを、故御房の御歩きのついでにごらんじつけて、あはれみたまひて、なにがしといひし大童子におほせ付けられて、養ひたまひしあひだ、ひとへに御いとほしみにて人となりはべるを、十三とまうせし年、この養ひ親夫妻ともに、同じ時に悪しき病をして、失せはべりにしかば、思ふ方なくて、かれが親しき者のもとへ尋ねまかりて、おのづから迷ひはべりしほどに、さるべきにやはべりけん、思ひかけぬゆかりにて、一年后の宮の御半者にまゐりてはべるなり。 たかき御影に隠れてはべれば、わびしきこともはべらねど、父母世にやはべらむ、知りたまはず。養ひ立てたりし親は跡なくなりにき。ただひとりうどにて、心細く、あはれなる身のありさまを思ふにも、またありがたくはべるなり。人の身の、はかなくてやみぬべかりけることと思ひつづけはべるにも、とにかくに故僧正御房の御あはれみのかたじけなさ、片時忘るるひまもはべらず。朝ごとに鏡の影を見ても、誰ゆゑ人となる身をと思ふ折節、装束をたまひ、身にとりて面目あるやうなる折にも、いつも御方に迎へて、涙を落としつつ、ことにふれて、あはれに報じがたくなむ思ひはべりし。 されども、あやしくかたがた便りあやしきさまなれば、まうし開く方もはべらず。すべて、無縁の御あはれみより発りしことを悦びまうさんにつけても、さすがにはべり。あはれ、わが身、男ならましかば、いかなる様にても、御あたりにこそはつかうまつらましと、かひなき女の身を恨みて、むなしく過ぎはべりしかど、世におはしまししほどは、何となく頼もしくはべりき。おのづから、宮仕へせし時より、よそながら拝みたてまつれば、いみじき悦びをしたるやうに思えて、それになぐさみつつまかり過ぎしを、かくれたまへりとうけたまはりしかば、世の中かきくらせる心地して、かくして、ながらふべしとも思えはべらず。 今日、御はてとうけたまはりつれば、また、いつかはこれほどに御名残をうけたまはらん。今は今日にこそと思ひて、宮仕へさしあふ日にてはべりつれど、障りをまうしてなむ、朝よりこの御あたりにたたずみはべる。今わざ終はりてまかり出づるに、すべて涙にくれて、帰るべき道も思えはべらず」
と言ひもやらず、よよと泣く。
これを聞く人あやしみて、「追ひ出ださん」と言ひつる者まで、涙を流してあはれみけり。
もろもろのこと、めづらしく耳近きを先とする習ひなれば、何わざにつけても、さしあたりてきはやかなる恩など蒙れるをこそ悦ぶめれ。かやうにおほぞらなることを忘れず、心にかくることはいとありがたかるべし。誰々も、思ひ知る人も、年月積りゆけば、すなはちのやうにやはある。
されば、かの、村上の御門の御服を着て、一期つひに脱がでやみけんことなどをば、あはれにありがたきためしにこそは言ひ伝へはべりぬれ。しかあるを、はかなき女の心に、さしも尽きせず思ひしめたりけん情の深さ、なほたぐひなくぞはべる。
第65話 堀河院位におはしましける時
堀河院位におはしましける時、天が下治まりて、民安く、世のどかなり。近くは後三条院の御時などをこそ、いみじきためしにまうしぬるを、これは今少し情深く艶にやさしきかたさへ、すぐれさせたまへり。唐には天宝のためしを引き、わが国には延喜、天暦のかしこき御代に立ち帰ることをぞ、高きも賤きも悦びけり。
その時、身はいやしながら、蔵人所にさぶらひて、朝夕つかうまつる男ありけり。及ばぬ心にも、御有様をかぎりなくめでたく思ひしめて、何のわが身を立てんことまでも思はず、ただ、かかる御代に生れ合ひて、御垣の内に明かし暮らすこと、よろづの愁へもなくなぐさみて、心ばかりつかうまつれど、わが身かずならねば、あらはるる便りもなし。
かかるほどに、無常はかしこきも愚かなるも遁れぬ習ひなれば、盛りなる花の雨風にしぼみぬる心地して、いささか才ある人は身一つの歎きと悲しびあへるさま、ことわりにも過ぎたりけり。
かの男かくれおはしましける日より、あるはあるにもあらず、夜の明け、日の暮るる分かちも知らぬ様にてなん通ひける。つひに頭おろして、ここかしこ聴聞などしありきけれど、ものも言はず、なすこともなし。蝉のもぬけのごとくにて、生けるものとも見えざりけり。
常には、もろもろの仏神に、「かの生れ所を示したまへ」と、二心なく祈りまうしけるほどに、年経て後、西の海に大龍になりておはします由を、夢に見えたりければ、限りなく嬉しくて、たちまちに筑紫のかたへ行きて、東風のけはしく吹きたりける日、舟に乗りて、押し出でにけり。
しばしは波間によろひつつ見えけれど、後には行く末も知らずなりにければ、見る人涙を流して、そのころの世語りになんしける。よろづのこと、志によることなれば、身をかへて、必ずまゐり合ひてつかうまつりなんかし。
おほかた、程につけつつ、まことの世には思はずなること多かりし。親しき、疎きにもよらず、かへりみの有り無しにもよらず。かくはしりつきたる物の命かはり、年ごろ深くあひ頼みたる人の人よりも愚かなるためし多く聞こゆるは、前の世の結縁によるにこそ。
一度は、生き返りて見まほしきことなり。
第66話 昔、男ありけり
昔、男ありけり。をのこ子二人持ちたるにとりて、兄は先の妻の腹、弟は今の妻の腹になんありける。かかれど、兄のをのこ、継母のために、つゆもおろかならず。失せにしわが母のごとく、ねんごろに孝養すれば、母また、わが子にも思ひおとせることなかりけり。
二人の子、やうやう人となりて後、父、先立ちて病を受けて死なんとする時、母に言ふやう、
「年ごろ、この兄のをのこをあはれみはぐくむことはことの折節にみな思ひ知れり。うしろめたなかるべきならねど、何事もあとのことを思ふに、なほ彼がいとほしく思ゆるなり。われを深く思はば、わが形見と思ひて、いとほしくせよ」
と、泣く泣く言ひ置きて死ぬ。その後、母このことをたがへず、やや弟にもまさりてなむあはれみける。
かかるほどに、ともに大人になりて、兄のをのこ、妻をまうけたり。この妻、形良くて、見る人多く心を動かす。その中に、朝夕公につかうまつりて、身のほどよりし、おごれる者ありけり。おのが身、君に知られまゐらせたることを頼むにやありけん、夜な夜な男にもはばからず、ややもすれば、あらはれて通ふを見るに、この弟のをのこ、安からず、おこる後のことも思えず走り出でて、これを殺しつ。
隠すとすれど、このこと世に聞こえて、すなはち、弟の男からめられぬ。死する者の親しき者ども、早く命を絶たるべき由、強く訴へまうす。上にも御とがめ軽からざりければ、検非違使うけたまはりて、殺さんとす。
その時、兄の男進み出でてまうすやう、
「弟の男は、さらにおのが身のためにつかうまつりたることにあらず。わがみなもとにはべり。早く、われ罪を蒙るべし」
とまうす。弟の言ふやう、
「兄はかの女の男とまうすばかりにてこそはべれ、さらに過したることなし。われこそ、罪は蒙らめ」
とまうす。
兄弟かくのごとく争ふ間に、上にも、はからひわづらひたまひて、
「一人を罪せらるべきにとりて、かれらがまうすことども、みな謂なきにあらず。さらば、母をめして、かれがまうさんによるべし」
と定められぬ。
すなはちめし出だして、このことを問はるるに、母とばかり思ひわづらひて、涙を流しつつ、弟に罪せらるべき由をまうす。その時、検非違使思ひの外に思えて、ゆゑを問ふ。母のまうすやう、
「兄は継子なり。弟はまことの子なり。しかあれど、いとけなくはべりしより、かれもまことの母と頼み、われも子に思ひおとすことなし。いはんや、父まかり隠れし時、ねんごろにまうし置くことはべりき。その言葉、心の底にとまりて、昔を思ひ出づるごとに、ただ今聞くかごとし。たとひ、いくたりのわが子を失ふとも、かれをば助けんと思ふ。すべては、父まかり隠れて後、これらを左右にすゑ、兄をば父の形見と思ひ、弟をばわが身と頼みて、もろもろの愁へをなぐさめつつ、月日を過しはべるに、今ここに罪を蒙れり。すなはち、わが身の報ひのつたなき」
と言ふ。
聞く人みな涙を流してあはれむ。深く訴へまうしつる者ども、また、これをあはれみあへり。このこと、上にきこしめして、
「三人ともにやむごとなき者なり。罪をなだめて許すべし」
となむおほせられける。
かの山蔭中納言のうへには、たとへもなかりける母の心かな。
ただし、これは晋の三賢といふ物語に似たり。もしそのことにや。
第67話 西行法師出家しける時
西行法師出家しける時、跡をば弟なりける男に言ひ付けたりけるに、幼き女子のことにかなしうしけるを、さすがに見捨てがたく、「いかさまにせん」と思へども、うしろやすかるべき人も思えざりければ、なほ、この弟のぬしの子にして、いとほしみすべき由、ねんごろに言ひ置きける。
かくて、ここかしこ修行して歩くほどに、はかなくて二、三年になりぬ。ことのたよりありて、京の方へめぐり来たりけるついでに、ありしこの弟が家を過ぎけるに、きと思ひ出でて「さても、ありし子は五つばかりにはなりぬらん。いかやうにか生ひなりたるらん」と、おぼつかなく思えて、「かく」とは言はねど、門のほとりにて見入れける折節、この娘いとあやしげなる帷姿にて、下種の子どもにまじりて、土におりて、立蔀のきはにて遊ぶ。
髪はゆふゆふと肩のほどに帯びて、形もすぐれ、たのもしき様なるを、「それよ」と見るに、きと胸つぶれて、いと口惜しく見立てるほどに、この子のわが方を見おこせて、
「いざなん。聖のある、恐しきに」
とて内へ入りにけり。
このこと、「思はじ」と思へど、さすがに心にかかり、日ごろ経るほどに、もし、かやうのことをや知り聞かれけん、九条の民部卿の御女に、冷泉殿と聞こえける人は、母にゆかりありて、
「わが子にして、いとほしみせん」
と、ねむごろに言はれければ、人柄も賤しからず、
「いとよきこと」
とて、急ぎわたしてけり。
本意のごとく、またなき者にかなしうせられければ、心安くて、年月を送る間に、この子、十五、六ばかりになりて後、このとり母の弟のむかへ腹の姫君に、播磨三位家明と聞こへし人を聟に取られけるに、若き女房など尋ね求むるに、
「やがて、この姉君も上臈にて、一つ所なるべければ、便りもあるべし。親などもさるものなり」
とて、この子を取り出でて、童なむせさせける。
西行このこともれ聞きて、本意ならず思えけるにや、この家近く行きて、傍らなる小家に立ち入りて、人を語らひて、忍びつつ呼ばせける。娘いとあやしくは思えけれど、ことさまを聞くに、「わが親こそ、聖になりてありと聞きしか。さらでは、誰かはわれを呼び出でん」と思ふに、「日ごろ、見てや止みなんと心憂かりつるを、もしさらば、いみじからん」と思えて、やがて使に具して、人にも知られず出でにけり。
かしこに行きて見れば、あやしげなる法師の痩せ黒みたる、麻の墨染の衣、袈裟など、まことにあはれに思えて、涙ぐみつつ、細やかにうちとけ語らふ。西行はありし土遊びの時きと見しに、あらぬものに生ひまさりて、いと清げなるを見るにも、さこそ思ひ捨つる世なれど、さすがにこればかりをばえ見過ごさず、ことの有様など聞きて、娘に言ふやう、
「年ごろは行方も知らず、姿をだに、今日こそ初めて見るらめ。されども、親子となるは深き契りなり。わがまうすこと聞きてむや。違へらるまじくは言はん」
と言ふ。娘の言ふやう、
「まことに親にておはしまさば、いかでか違へたてまつるべき」
と言ふ。
「しかあらばまうさん」
と言ふ。
「そこを生れ落とししより、心ばかりははぐくみしことは、大人になりなん時は、御門の后にもたてまつり、もしは、さるべき宮ばらのさぶらへをもせさせんとこそ思ひしか。かやうのつぎの所に、まかなひせさせ聞こえんとは、夢にも思ひよらざりき。たとひ、めでたき幸ひありとても、世の中の仮なる様、とにかくに、心やすきこともなかんめるを、尼になりて、母が傍らに居て、仏の宮仕へうちして、心にくくてあれがしと思ふなり」
と言ふ。
やや久しくうち案じて、
「うけたまはりぬ。はからひたまはせむと、いかでか違へたてまつらん。さらば、いつと定めたまへ。その時、いづくへもまゐり会はん」
と言ふ。「若き心に、ありがたくもあるかな」と、返す返す喜びて、しかじか、その日、乳母のもとへ行き会ふべきこと、よくよく定め契りて、帰りぬ。
このこと、また知る人もなければ、誰も思ひもよらぬほどに、明日になりて、
「この髪を洗はばや」
と言ふ。冷泉殿の聞きて、
「近う洗ひたるものを。けしからずや」
など言はれければ、ただことさらに言へば、「物詣でやうのことなめり」と思ひて、洗はせつ。
明くる朝に、
「急ぎて乳母のもとへ行くべきことのある」
と言へば、車など沙汰して送る。今すでに車に乗らむとする人の
「しばし」
とて帰り来て、冷泉殿に向かひて、つくづくと顔をうち見て、言ふこともなくて立ち帰りき。車に乗りて去ぬ。あやしく思ゆれど、かかることあるべしとは、いかでか知らん。
かくて、久しく帰らねば、おぼつかなくて尋ねけるを、しばしはとかく言ひやりけれど、日ごろ経れば、隠れなく聞こえぬ。冷泉殿は五つより、ひとへにわが子のやうにして、片時かたはら離るることなくて、ならはしはぐくみ立てたるうちにも、おとなびゆくままに、心ばえもはかばかしう、ことにふれてありがたきさまなりければ、深くあひ頼みて過ぎけるに、かく思はずして、永く別れぬれば、
「恨めしかりける心強さかな。武き者の筋といふもの、女子まで、うたてゆゆしきものなりけり」
と言ひ続けてぞ、恨み泣かれける。
「ただし、少し罪許さるることとては、すでに車に乗りし時、また見まじきぞかしと、さすがに心細く思ひけるにこそ。させる言ふべきこともなきに、しばし立ち帰りて、わが顔をつくづくとまもりて出でにしばかりを、恨めしき中に、いささかあはれなる」
とぞ言はれける。
さてさて、この娘尼になりて、高野のふもとに、天野といふ所に、さいだちて母が尼になりて居たる所に行きて、同じ心に行ひてなむありける。いみじかりける心なるぞかし。
かの養母の冷泉殿も後には貴く行ひて、もとより絵描く人なりければ、日々の所作にて、丈六の阿弥陀仏と描きたてまつられける。命終はりける時には、その仏の御形、空にあらはれて見えたまひけるとぞ。

第68話 侍従大納言成通卿そのかみ九歳にて
侍従大納言成通卿そのかみ九歳にて、わらはやみしたまひけり。
年ごろ祈りけるなにがし僧都とかやいふ人を呼びて、祈らせけれど、かひなく発りければ、父の民部卿、ことに歎きたまひて、傍らにそひ居て、見あつかひたまふ間に、母君と言ひ合はせつつ、
「さりとて、いかがはせむ。このたびはこと僧をこそ呼ばめ。いづれか良かるべき」
などのたまひけるを、この児臥しながら聞きて、民部卿に聞こえたまふ。
「なほ、このたびは僧都を呼びたまへがしと思ふなり。そのゆゑは乳母などのまうすを聞けば、まだ腹の内なりける時より、この人を祈りの師と頼みて、生れて、今九つになるまで、ことゆゑなくてはべるはひとへにかの人の徳なり。それに、今日この病ひによりて、口惜しく思はんことのいと不便にはべるなり。もし、こと僧を呼びたまひたらば、たとひ落ちたりとも、なほ本意にあらず。いはんや、必ず落ちんこともかたし。さりとも、これにて死ぬるほどのことは、よもはべらじ。我をおぼさば、幾たびもなほこの人を呼びたまへ。つひには、さりともやみなん」
と苦しげなるをためらひつつ、聞こえたまふに、民部卿も母上も、涙を流しつつ、あはれに思ひよせたり。
「幼なき思ひばかりには劣りてけり」
とて、またのあたり日、僧都を呼びて、ありのままにこの次第を語りたまふ。
「隠したてまつるべきことにはべらぬ御ことを、おろかに思ふにはあらねども、かれが悩み煩ひはべる気色を見るに、心もほれて、おぼされむことも知らず、しかじかのことをうちうちにまうすを知りて、この幼なき者のかくまうしはべるなり」
涙を押しのごひつつ、語りたまふに、僧都おろかにおぼされむや、その日、ことに信をいたしき。泣く泣く祈りたまひければ、きはやかに落ちたまひにけり。
この君は幼なくより、かかる心を持ちたまひて、君につかうまつり、人にまじはるに付けても、ことにふれつつ、情深く、優なる名をとめたまへるなり。すべていみじき数寄人にて、世の濁りに心をそめず、いもせの間に愛執浅き人なりければ、後世も罪浅くこそ見えけれ。
第69話 八幡別当頼清が遠流にて永秀法師といふもの
八幡別当頼清が遠流にて、永秀法師といふものありけり。家、貧しくて、心、すけりける。夜昼、笛を吹くより外のことなし。かしがましさに耐へぬ隣家、やうやう立ち去りて、後には人もなくなりにけれど、さらにいたまず。さこそ貧しけれど、落ちぶれたるふるまひなどはせざりければ、さすがに、人いやしむべきことなし。
頼清聞きあはれみて、使やりて、
「などかは、何ごとものたまはせぬ。かやうにはべれば、さらぬ人だに、ことにふれて、さのみこそまうしうけたまはることにてはべれ。うとくおぼすべからず。便りあらんことは、憚らずのたまはせよ」
と言はせたりければ、
「返す返す、かしこまりはべり。年ごろも、まうさばやと思ひながら、身のあやしさに、かつは恐れ、かつは憚りて、まかり過ぎはべるなり。深く望みまうすべきことはべり。すみやかにまゐりてまうしはべるべし」
と言ふ。
「何事にか、よしなき情をかけて、うるさきことや言ひかけられん」と思へど、「かの身のほどには、いかばかりのことかあらん」と思ひあなづりて過ごすほどに、あるかた、夕暮れに出で来たれり。すなはち出で合ひて、
「何ごとに」
など言ふ。
「浅からぬ所望はべるを、思ひたまへてまかり過ぎはべりしほどに、一日おほせを悦びて、さうなくまゐりてはべる」
と言ふ。「疑ひなく、所知など望むべきなめり」と思ひて、これを尋ぬれば、
「筑紫に御領多くはべれば、漢竹の笛のこと、よろしくはべらん。一つめしてたまはらん。これ身に取りて極まれる望みにてはべれど、あやしの身には得がたき物にて、年ごろえまうけはべらず」
と言ふ。
思ひの外に、いとあはれに思えて、
「いといと安きことにこそ。すみやかに尋ねて、たてまつるべし。その外、御用ならんことははべらずや。月日を送りたまふらんことも、心にくからずこそはべるに。さやうのことも、などかはうけたまはらざらん」
と言へば、
「御志はかしこまりはべり。されど、それはこと欠けはべらず。二、三月に、かく帷一つまうけつれば、十月までは、さらに望む所なし。また、朝夕のことは、おのづからあるにまかせつつ、とてもかくても過ぎはべり」
と言ふ。
「げに、数寄者にこそ」と、あはれにありがたく思えて、笛、急ぎ尋ねつつ送りけり。また、さこそ言へど、月ごとの用意など、まめやかなることども、あはれみ沙汰しければ、それがあるかぎりは、八幡の楽人呼び集めて、これに酒まうけて、日暮らし楽をす。失すればまた、ただ一人、笛吹きて明かし暮らしける。
後には、笛の功積りて、並びなき上手になりけり。
かやうならん心は何につけてかは、深き罪もはべらん。
第70話 中ごろ市正時光といふ笙吹きありけり
中ごろ、市正時光といふ笙吹きありけり。茂光といふ篳篥師と囲碁を打ちて、同じ声に裹頭楽を唱歌にしけるが、おもしろく思えけるほどに、内より、とみのことにて、時光をめしけり。
御使至りてこのよしを言ふに、いかにも耳にも聞き入れず、ただもろともにゆるぎあひて、ともかくもまうさざりければ、御使帰りまゐりて、このよしをありのままにぞまうす。
「いかなる御いましめかあらん」と思ふほどに、
「いとあはれなる者どもかな。さほどに楽にめでて、何ごとも忘るばかり思ふらんこそ、いとやむごとなけれ。王位は口惜しきものなりけり。行きてもえ聞かぬこと」
とて、涙ぐみたまへりければ、思ひの外になむありけり。
これらを思へば、この世のこと思ひ捨てむことも、数寄はことに便りとなりぬべし。

第71話 中ごろ宝日といふ聖ありけり
中ごろ、宝日といふ聖ありけり。
「何ごとをか勤むる」
と、人、問ひければ、
「三時の行ひつかうまつる」
と言ふ。重ねて、
「いづれの行法ぞ」
と問ふに、答へて言ふやう、
「暁には」
明けぬなり賀茂の河原に千鳥啼く今日も空しく暮れんとすらん
「日中には」
今日もまた午の貝こそ吹きにけれ羊の歩み近付きぬらん
「暮れには」
山里の夕暮れの鐘の声ごとに今日も暮れぬと聞くぞ悲しき
「この三首の歌を、おのおの時をたがへず詠じて、日々に過ぎ行くことを観じはべるなり」
とぞ言ひける。
いとめづらしき行なれど、人の心の進む方さまざまなれば、勤めもまた一筋ならず。潤州の曇融聖は橋を渡して浄土の業とし、蒲州の明康法師は船に棹さして往生をとげたり。
いはんや、和歌はよくことわりを極むる道なれば、これによせて、心を澄まし、世の常なきを観ぜんわざども、便りありぬべし。
かの恵心の僧都は「和歌は綺語のあやまり」とて、詠みたまはざりけるを、朝朗に、はるばると湖を詠めたまひける時、霞わたれる波の上に、船のかよひけるを見て、「何にたとへん朝ぼらけ」といふ歌を思ひ出だして、をりふし心にそみ、ものあはれにおぼされけるより、「聖教と和歌とは、はやく一つなりけり」とて、その後なむ、さるべき折々、必ず詠じたまひける。
また、近く蓮如といひし聖は定子皇后宮の御歌、
夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひむ涙の色ぞゆかしき
とはべるは、隠れたまひける時、御門にごらんぜさせむためとおぼしくて、帳の帷の紐に結びたまひたりける歌なり、これを思ひ出だして、限りなくあはれに思えければ、心にそみつつ、この歌を詠じては、泣く泣く尊勝陀羅尼を読みてぞ、後世をとぶらふ。また、詠めては、先のごとく誦す。かくしつつ、夜もすがら、まどろまずして、冬の夜を明かしたりける。いみじかりける数寄者なりかし。
大弐資通は琵琶の上手なり。信明、大納言経信の師なり。かの人さらに尋常の後世の勤めをせず、ただ、日ごとに持仏堂に入りて、数を取らせつつ琵琶の曲を弾きてぞ、極楽に廻向しける。
勤めは功と志とによる業なれば、必ずしも、これを、「あだなり」と思ふべきにあらず。中にも、数寄といふは、人の交はりを好まず、身のしづめるをも愁へず、花の咲き散るをあはれみ、月の出で入るを思ふにつけて、常に心を澄まして、世の濁りにしまぬをこととすれば、おのづから生滅のことはりも顕れ、名利の余執尽きぬべし。これ出離解脱の門出にはべりべし。
保元のころ、世に事ありて、崇徳院讃岐にうつろはせたまひにける後、旅の御住居、あはれにかたじけなきこと、言ひ尽くすべからず。国の兵ども朝夕御所をうち囲みて、たやすく人もまゐりかよはぬ由、聞こゆれば、かの蓮如といふ数寄聖もとより情深き心にて、いとかなしく思えけれど、人遣ふこともなかりけり。ただ、妹なる人のさぶらひけるゆかりに、御あたりのことをも聞き、また、昔、陪従にて公事を勤めける時、御神楽などのついでに、まれに見参に入るばかりなれば、さしも深く歎くべきにしもあらねど、わざとただ一人、みづから笈かけて、讃岐へ下りけり。
行き着きて見れば、御所のありさま、目も当てられず。伝へ聞きつるよりも怪なり。されど、せちに「内へ入らん」と思ふ心ざし深くて、「さるべきひまやある」と終日に伺ひけれど、守りたてまつる者いとはしたなくとがめて、人隠るべくもあらず。
むなしく日も暮れにければ、月の明かかりけるに、笛を吹きてなむ、御所を廻り歩きける。
「いかさまにせん」と思ふほどに、やや暁に及びて、黒ばみたる水干ばかりうちかけたる人内より出でたり。いと嬉しくて、この便りに、御所の中に入りて見れば、草茂り、露深くて、ことさら人の音もせず。いみじうものかなしきに、とばかり立ちわづらひて、板の端に書きて、
「見参に入れよ」
とて、ありつる人になむ取らせける。
朝倉や木の丸殿に入りながら君に知られで帰るかなしさ
この男ほどもなく帰り来て、
「これをたてまつれとはべる」
と言ふを、取りて、月の影に見れば、
朝倉やただいたづらに帰すにも釣りする蜑の音をのみぞ泣く
とぞ書かれたりける。
いとかしこく思えて、これを笈の中に入れつつ、泣く泣く帰り上りにけり。
第72話 中ごろ少将聖といふ人ありけり
中ごろ、少将聖といふ人ありけり。ことの便りありて、播磨国、室といふ所に泊まりたりける夜、月くまなくていとおもしろかりけるに、遊女われもわれもと歌ひ行きちがふ。
「あはれなる者の様かな」と見るほどに、ある遊女の舟、この聖の乗りたる舟をさして、漕ぎ寄せければ、梶取やうの者
「否や、これは僧の御舟なり。思ひたがへたまへるか」
と、ことの外に言ふ。
「さ見たてまつる。何とてかは、さる僻目は見るものかは」
と言ひて、鼓打ちて
暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月
と、この歌を二、三遍ばかり歌ひて、
「かかる罪深き身になれるも、さるべき報ひにはべるべし。この世は夢にてやみなむとす。必ず救ひたまひなん。心ばかり縁を結びたてまつるなり」
と言ひて、漕ぎ離れにけり。
「思はず、あはれに思えて、涙を落としたり」と、後に人に語りける。
第73話 ある生宮仕へ人の清水に籠りたりける局の前に
ある生宮仕へ人の清水に籠りたりける局の前に、色白ばみ、されほれたる老尼の影のごとく痩せ衰へたる、物を乞ひ歩くありけり。十月ばかりに、汚なげなる破れ帷一つ着て、上に蓑を着たりけり。
見る人
「あないみじのさまや。雨も降らぬに。など、蓑を着たるぞ」
と問ふ。
「これよりほかに持ちたる物なければ、寒さは寒し、ずちなくて」
など答ふるを、
「暖まりあるべしとこそ思えね」
など言ひて、笑ひけり。
果物など食はせたれば、うち食ひて立ちけるを、いかが思ひけん、呼び返して、単をなん一つ推し出だしたり。
悦びて取りて去ぬと思ふほどに、同じ寺に奉加勧むる所に行きて、硯乞ひて、いと美しき手にて、この歌を書き付けつつ、単を置きて、いづちともなく隠れにけり。
かの岸に漕ぎ離れたるあまなればおしてつくべき浦も持たらず
第74話 西行法師東の方修行しける時
西行法師東の方修行しける時、月の夜、武蔵野を過ぐることありけり。
ころは八月十日あまりなれば、昼のやうなるに、花の色々露を帯び、虫の声々風にたぐひつつ、心も及ばずはるばると、中に、経の声聞こゆ。
いとあやしく聞きて、驚かれて、声を尋ねて、行きて見れば、わづかに一間ばかりなる庵あり。萩、女郎花をかこひにして、薄、かるかや、荻などを取りまぜつつ、上には葺けり。その中に、年たけたる枯れ声にて、法華経をつづり読む。
いとめづらかに思えて、
「いかなる人のかくては」
と問ひければ、
「われは、昔、郁芳門院の侍の長なりしが、隠れさせおはしませし後、やがてさまを変へて、人に知られざらむ所に住まん心ざし深くて、いづちともなくさすらひ歩きはべりしほどに、さるべきにやありけむ、この花の色々をよすがにて、野中に泊まり住みて、おのづから多くの年を送り、もとより秋の草を心にそめはべりし身なれば、花なき時はその跡を忍び、このごろは色に心をなぐさめつつ、愁はしきことはべらず」
と言ふ。
これを聞くに、ありがたくあはれに思えて、涙を落として、さまざま語らふ。
「さても、いかにしてか、月日を送りたまふ」
と問へば、
「おぼろけにて里などにまかり出づることもなし。おのづから人のあはれみを待ちてはべれば、四五日むなしき時もあり。大方は、この花の中にて煙立てんことも本意ならぬやうに思えて、常には、朝夕のさまにはあらず」
とぞ語りける。
いかに心澄みけるぞ、うらやましくなむ。
第75話 ある聖都ほとりを厭ふ心深くて
ある聖都ほとりを厭ふ心深くて、「住みぬべき所やある」と尋ね歩きけるほどに、北丹波といふ深き谷にいたりて、跡絶えたる深山の奥の方に、川より切り花のからの流れ出でたるあり。
いとあやしくて、「いかなる人のいかにして住むらむ」と、おぼつかなさに、尋ねつつ、はるかに分け入りて、見れば、形の様なる柴の庵の、軒を並べて二つあり。いとめづらかに思えて、近く歩み寄るほどに、窓より、その形ともなく黒み衰へたる人わづかにさし出でて、人の気色を見て、引き入りぬ。
「あはれ、さまうししものを。花がらを谷に散らしたまひて」
と言ふを聞けば、女声なり。「濁れる末の世にも、かかる住居する人はあるものかは」と、ありがたく思ゆるにも、まづ涙落ちて、
「いかなる人のかくておはしますぞ。身にたえたるわれらだに、なほえ思ひとりはべらぬを、いといと希有の御志なりや」
と、さまざま語らへど、ふつといらへもせず。
その時、いたう恨みて、
「わが身は、しかじかの者にはべり。菩提心を発して、世を遁れ身を捨てて、山林にまどひ歩きはべれば、志おなじきゆゑに、ことに随喜したてまつるうちにも、女の身にはことにふれてさはりあり。かくおぼし立ちけんことの、かへすがへすもあはれにたぐひなく思えてはべり。かつは、細かにうけたまはりて、わが心をも励ましはべらむと思ふなり。深くへだてたまへば、いと本意ならず」
なんど、細かにうち口説き恨むれば、とばかりためらひて言ふやう、
「隠しまうさんとも思ひはべらず。年ごろここに住みはべれど、いまだかく尋ね来る人もなきを、思ひかけず来たりたまへれば、何となく心さはぎて、御いらへもとどこほりはべるばかりなり。我らがありさままうしはべらん。昔、二十ばかりの時、二人同じやうにて、上東門院につかうまつりてはべりしが、世のありさま移り行くを見るにも、高き賤しき、かたはしより隠れ行く。すべてこの世には心もとまらず。されば、ことに優なりし所の習ひに、色深き心とて、ことにふれつつ身も苦しく、罪の積らんことも恐しくはべりしかば、二人、まうし合はせて、行方も知らず走り隠れにき。その後、ここかしこにへつらひはべりしかど、人のあたりは何ごとにつけても住みにくく、心にかなはぬことのみはべりしより、思ひがけぬここに跡をとめて、おのづから多くの年月を経たり。花の散り、葉の色付くを見て、春秋の経ぬることを数ふれば、四十余年になんなりぬる。住み初めはべりしころは、嵐もはげしく、はかなき鳥獣のはけしきまでもけうとき心地して、ことごと堪へ忍ぶべくもあらざりしかど、今は住みなれて、たまさかに立ち出でたる時も、ここを栖と急ぎ帰り詣で来れば、さるべかりけることと、あはれにはべるなり。何とならはせることにか、生ける数とて、雲風に身をまかせても、縁なければ、一人一人代はりて、十五日づつ里に出でて、今一人を養ふわざをなんしはべる。この並べる庵の内に、窓をあけて、わづかにとぶらひはべるを頼りにて、ただ明け暮れは念仏しはべるなり」
と、まめやかしく、あてなるけはひにて、語るまじきをも思えず、袖をしぼりつつ、一仏浄土の契りを結びて帰りぬ。
また、その後、麻の衣、時料など用意して、尋ね行きたりければ、庵の跡はさながら、行方も知らず隠れにけり。
人の心同じからねば、その行ひもさまざまなれど、女の身にて、かかる棲思ひ立ちけん、おぼろけの道心にはあらざるべし。今、このことを思ふに、けがらはしく、あだなる身を、山林の間にやどし、命を仏にまかせたてまつりて、清浄不退の身を得んことは、げに心がらによるべき行ひなり。
静かに過ぎぬることを思へば、輪廻生死のありさま、限りもなし。ほとりもなし。「一人が一劫を経る間に、身を捨てたるかばね、もし朽ちずして積らば毘留羅の山のごとくならん」と言へり。一劫、なほかくのごとし。いはんや、無量劫をや。そのほど、もろもろの有情、一として受けざる身なく、苦といひ楽といひ、こととして経ざることなし。さだめて、仏の出世にも逢ひ、菩薩の教化にもあづかりけむ。
しかあれど、楽しみを受けたる時は楽しびにふけりて忘れ、苦しびにあへる時には苦しびを憂へて怠りしゆゑに、今なほ凡夫のつたなき身として、出離の期を知らざるなり。過去のおろかなることを思ふに、未来もまたかくのごとくこそ。
おほかた、諸仏菩薩とまうすももとは皆凡夫なり。われらが父母ともなり、妻子、眷属とも互ひになりたまひけん。されど、かれは、賢く勤め行ひて、すでに三界を出でたまへり。われらは、信なく行なかりしかば、生死の巣守として、昔の結縁のゆゑに、わづかに御名を聞き、誓ひを仰ぐことを得たり。今、幸ひに、肩を並べたる人の勤め行ひて、生死を離れんにも、また遅れなんとす。
そもそも、仏になることは、釈尊の往古を聞けば、三僧祇百大劫が間、あるいは、無量阿僧祇劫を、ますます久しく行じたまふとも説けり。その時節のはるかなるのみにあらず、尸毘大王としては鴿に替はり、薩埵王子としては虎に身を投ぐ、かくのごとく難行苦行して、仏身を得たまへり。
「行をして、いづれの所を願ふべし」と思ふに、過去に経て過ぎにし天上の楽しび、何にかはせん。多生を隔つれば、遠き縁を期するにあぢきなし。ただ、このたび、いかにもして、不退の土に至りて、やうやう進みて、つひに菩提に至らんことを励むべきなり。
しかるを、かの極楽世界、願はば生れぬべし。そのゆゑは本願にいはく、「われ仏を得たらんに、十方の衆生、心を至して信楽して、わが国に生れんと願ひて、乃至十念せんに、生れずといはば正覚をとらじ」と誓ひたまへり。下品下生の人を説くには、「四重五逆を作る悪人なれども、命終の時、善知識の勧めにあひて、十度南無阿弥陀仏とまうせば、猛火たちまちに滅して、蓮台にのぼる」と説けり。あるいは、「極重悪無他方便。唯称弥陀得生彼国」とも言ひ、また、「若有重業障、無生浄土因。乗弥陀願力、必生安楽国」とも、「其仏本願力。聞名欲往生。皆悉到彼国。自致不退転」とも説けり。
これらの説のごとくは「われら流来生死のつたなき凡夫なり。たちまちに不退の浄土に生れがたし」と卑下すべからず。娑婆と極楽と縁深く、弥陀とわれらと契り久しきがゆゑに、仏の不思議、神通方便をもて矌劫の勤修を、一日七日の行につづめ、六度の難行を一念十念の称名にかうぶらしめて、早く不退に至りやすく、すみやかに菩提を得べき道を教へたまへり。
まことに、多く百千劫の苦行、仏の御為には何かせん。ただ、少時の念仏のみぞ、その本願にはかなへる。われ仏を念ずれば、仏、われを照らしたまふ。仏、われを照らしたまへば、諸罪ことごとく消滅して、往生すること疑はず。かの聖を見ぬは、悪業の眼のとがなり。大悲、そむくことなし。滅罪、疑ふべからず。しかれば、みづからが励みにはかたかるべければ、仏の不思議の願力に乗ずるがゆゑに、すみやかに至ることを得るなり。
これ十住毗婆娑論にいはく、陸路と船路との喩へのごとし。いかにいはんや、われは宿善すでにあらはれて、あひがたき仏法にあへり。有縁の悲願を聞くに、また、機感の至れることを知り、また、罪深けれど、いまだ五逆を作らず。信浅けれど、誰か十念を唱へざらん。時はこれ弥陀利物のさかり、所はまた、大乗流布の国なり。賢愚をもいはず、道俗をもえらばず、「財宝を施せよ」とも説かず、「身命を投げよ」とものたまはず、ただねんごろに弥陀悲願を頼み、口に名号を唱へ、心に往生を願ふこと深くは、十人ながら、必ず極楽に生るべきなり。
それ、もろもろの道理を守りて是非すとも、有縁のわれらがためにおこしたまへる大悲の別願なれば、法相にもたがひ、因果のことわりもそむけり。思ひのほかの喜びなるべし。仰ぎて信ぜずはあるべからず。
経に説けるがごとくは、われら弥陀仏を念じて、仏の願力に乗じて、必ず極楽に生るべきことを、六方恒沙のもろもろの仏、舌をのべて、三千界に覆ひて、「これまことなり」と証明したまふ。仏と仏とは、何のおぼつかなきことかはおはします。ただ、われらが疑ひを絶たんがためにこそはべらめ。
凡夫の習ひ、われも人も、この世のことにのみうつりて、さらに厭ふことなく、身は世の塵にのみ着して、もろもろの罪作りて、弥陀の誓ひの、ありがたく、極楽の詣でやすきことを聞けども、信ずるともなし。疑ふともなし。耳にも入らず。心にもそまず。願ふ心なければ、また、勤むることもなし。一期、夢のごとくに過ぎなば、三途、眼の前に来たるべし。されば、「四十八願荘厳浄土。華池宝閣易往無人」ともはべるにこそ。
すべて、生きとし生けるものの中に、人の悟りことにすぐれ、空をかける翅、海に住む鱗、これを得るに難からず。木を切り、海を渡る。獣をしたがへて家へ行く。蚕を飼ひて絹を織り、真金を溶きて器物を鋳るまでも、ことにふれ、ものにしたがひて、いづれか凡夫のしわざと思ゆる。
しかあれど、目の前に無常を見ながら、日々に死期の近づくことを恐れぬことは、智者もなし、賢人もなし。老いが死するのみにあらず。若きもまた死す。今日は人の上、明日は身の上なる無常を悟らぬは、この深き無明の酒に酔ひ、長夜の闇に迷へるなり。
早く、この理を説きて、あだなる残りの命を頼まず、離れやすき恩愛のきづなにつながれずして、このたび、頭燃を払ふがごとくして、喉のかはけるに水を飲むがごとくに願ふべし。手をむなしくして帰ることなかれ。
ただし、諸行は宿執によりて進む。みづから勤めて、執して、他の行をそしるべからず。一華一香、一文一句、みな西方に廻向せば、同じく往生の業となるべし。水は溝をたづねて流る。さらに、草の露、木の汁を嫌ふことなし。善は心にしたがひておもむく。いづれの行か、広大の願海に入らざらんや。

